イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:エミリア・ロマーニャ州 > ピアチェンツァ

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ピアチェンツァの9月20日通りです。写真右はサン・フランチェスコ教会です。


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9月20日通りの突き当りにドゥオーモがあります。


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ピアチェンツァ=ボッビオ司教区の司教座教会、Basilica Cattedrale di Santa Maria Assunta e Santa Giustinaです。教会の格付けはBasilica Minoreです。


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ピアチェンツァの最初の司教ピアチェンツァの聖ヴィットーレ(375年没)が司教を務めた初期キリスト教会が前身とされてます。546年、トティラ王のピアチェンツァ占領によって、初期キリスト教会は破壊されましたが、その後、サンタ・ジュスティーナ大聖堂が再建されました。しかし、1117年の大地震によって倒壊してしまいました。


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現在のロマネスク様式の建物は、1122年から1233年に建設された3代目のものです。


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高さ71mの鐘楼です。鐘楼上部の鉄檻に注目です。


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15世紀後半、ミラノのルドヴィーコ・イル・モーロの指示によって作られた鉄檻です。見せしめのために罪人を晒したり、嘲笑の対象にすることが目的でした。


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ファサードの左扉横のライオン像


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入口扉上の彫刻は、ウィリジェルモとニコロに師事したピアチェンツァの逸名彫刻家によるものです。(12世紀)


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詳細不明の入り口扉上ルネッタのフレスコ画


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バラ窓


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入口扉横の彫刻はニッコロ・ダ・フェッラーラによって1122年に制作されました。名前と1122年が刻まれてます。


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柱を支える男の彫刻は、ロマネスクの傑作とされるもので、ウィリジェルモとニコロに師事したピアチェンツァの逸名彫刻家による作品です。


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壁龕の彫刻は失われました。


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扉が開きました。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の聖堂内部です。


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25本の巨大な柱で建物を支えてます。


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聖堂の高さは32mあります。


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交差ヴォールト


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左側廊


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聖堂内の装飾はボローニャ派画家たちの作品が中心です。


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1551‐ミラノ、1629)の「聖母子」


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1551‐ミラノ、1629)の「慈悲の聖母」


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「慈悲の聖母」の上のフレスコ画の詳細は不明です。


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右側廊


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詳細不明


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制作者情報不詳の「最後の晩餐」


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詳細不明


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逸名画家によるフレスコ画(16世紀初め)


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エリザベッタ・シラーニ(ボローニャ、1638‐1665)の「磔刑」


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逸名画家によるフレスコ画(16世紀初め)


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詳細不明


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(フィデンツァ、1697‐カンプレモルド・ソプラ、1737)の「ジットの聖母」


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主祭壇と後陣


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ピエル・フランチェスコ・マッズッケッリ通称イル・モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573‐ピアチェンツァ、1626)による後陣のフレスコ画


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)によるクーポラのフレスコ画


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ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555‐1619)のフレスコ画


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「聖ジローラモと天使」


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ロベルト・デ・ロンジェ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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ルドヴィーコ・カラッチの作品


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ルドヴィーコ・カラッチの「キリスト」


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ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「聖マルティーノと乞食」


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ロベルト・デ・ロンジェ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオの死」


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クリプタへの階段


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祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前にもう一度祭壇を見ました。


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外に出ました。
(おわり)

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ピアチェンツァのTeatro Municipaleです。


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ジュゼッペ・ヴェルディ通りの突き当りにサンタントニーノ聖堂があります。
写真右手前がTeatro Municipale、左の建物がPalazzo Anguissola Cimafava Roccaです。


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ピアチェンツァ最初の司教聖ヴィットーレによって、350年に創建され、375年に完成したロマネスク様式の教会です。教会の格付けはBasilica Minore、聖堂です。


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ピアチェンツァの守護聖人聖アントニーノ(?、3世紀後半‐トラヴォ、303)を奉献しており、聖アントニーノの聖遺物が聖堂内保存されてます。


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ファサードは、ニッコロ・ダ・フェッラーラの設計で、ニッコロの弟子によって7世紀に建設されました。


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八角形の鐘楼が聖堂の目印になってます。


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創建以来、一度も再建されてませんが、何度も修復、改修が行われました。現在の聖堂の外観は、1915年から1930年に行われた、ジュリオ・アラータの設計による改修後の姿です。


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ファサードの出入り口上ルネッタの紋章


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ファサード左横のブロンズ像は、ジョルジョ・グロッピ(1927‐)の「教皇グレゴリオ10世」(1998)です。
第184代ローマ教皇グレゴリオ10世(ピアチェンツァ、1210c‐アレッツォ、1276)は、ピアチェンツァ出身の唯一の教皇(在位:1271‐1276)です。


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扉が開きました。


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三廊式、ギリシャ十字形の聖堂内部です。


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建物の基本構造はロマネスク様式ですが、創建以来幾度となく改修された結果、ゴシック様式、バロック様式の混在が認められます。


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創建時は、木組みの梁天井でしたが、後にゴシック後期の典型的な交差ヴォールトに改められました。
祭壇画を見て行きます。


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詳細不明


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ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「民衆の聖母」


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ベルナルド・カステッロ(ジェノヴァ、1557‐1629)の「最後の晩餐」(1624)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・フェッランテ(ボローニャ、1600c‐ピアチェンツァ、1653)の「天上の聖母子と聖人たち」


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ジョヴァンニ・マリア・デッレ・ピアーネ通称イル・モリナレット(ジェノヴァ、1660‐モンティチェッリ・ドンジーナ、1745)の「聖フランチェスカ・ロマーナ」


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右側廊


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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14世紀のフレスコ画


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主祭壇と後陣


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後陣のフレスコ画は、カミッロ・ガヴァセッティ(モデナ、1596‐パルマ、1630)によって1624年頃に制作されました。


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このフレスコ画は、カミッロ・ガヴァセッティの代表作とされてますが、後にこれを見たグエルチーノは凡作と評しました。


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詳細不明


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ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「聖アントニーノの殉教」


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ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「殉教した聖アントニーノ」


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左側の礼拝堂です。


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詳細不明


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15世紀のフレスコ画


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詳細不明


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15世紀のロマーニャの逸名画家によるフレスコ画


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ロベルト・デ・ロンゲの作品?


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ロベルト・デ・ロンゲの作品?


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詳細不明


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詳細不明


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左側廊


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ロンバルディアの逸名画家によって、11世紀半ばに描かれたフレスコ画


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聖堂の南側に位置する回廊付きの中庭に出ました。


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1483年に造られた中庭と回廊


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回廊の壁にフレスコ画が残されてます。


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聖堂内に戻ってから外に出ました。


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(おわり)

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ピアチェンツァ旧市街の中心カヴァッリ広場です。


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広場の東南に教会があります。


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13世紀後半の皇帝派の有力貴族ウンベルティーノ・ランディがパトロンになって、フランチェスコ会修道士によって1278年から1363年に建設されたロンバルディア・ゴシック様式のサン・フランチェスコ教会です。


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教会の建物の完成後、修道院が併設されました。修道院は14世紀後半にクラリッセ女子修道会の女子修道院になりました。


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18世紀末、ナポレオン軍の進駐によって、教会と修道院は活動が停止され、その建物は病院と倉庫に転用されましたが、1810年、教会に戻されました。
教会の格付けはBasilica Minoreです。


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ファサードの入り口扉上ルネッタ上の浮彫は、15世紀末のエミリアの逸名彫刻家による「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1480)です。


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教会前にある彫像は、彫刻家Cristoforo Marzaroli (1836-1871)のGian Domenico Romagnoliの大理石像(1867)です。クリストフォロの代表作と言われてます。
ジャン・ドメニコ(1761‐1835)は、18世紀後半から19世紀前半にかけてのイタリアに於いて活躍した哲学者、経済学者、法律家でした。


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道路沿いの身廊は店屋に利用されてます。


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詳細不明のタベルナコロ


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聖堂内に入ります。


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ボローニャのサン・フランチェスコ教会に模して設計された内部です。


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三廊式、ゴシック様式の内部です。


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天井


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左側廊の礼拝堂から見て行きます。


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1561‐ミラノ、1629)の「天上の聖母子とフランチェスコ会聖人たち」


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パドヴァの聖アントニオ礼拝堂


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詳細不明


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詳細不明


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フレスコ断片(15世紀)


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ドメニコ・リエーティの「嘆き」


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詳細不明の聖ピエトロと聖ジョヴァンニ・バッティスタのステンドグラス


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バルトロメオ・スケドーニ(モデナ、1578‐パルマ、1615)の「聖ロレンツォの殉教」


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詳細不明


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後陣のフレスコ画


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14‐15世紀に制作されたフレスコ画


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制作者は特定されてません。


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複数の画家によって制作されているようです。


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後陣


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主祭壇


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ジュゼッペ・ヌヴォローネ(サン・ジミニャーノ、1619‐ミラノ、1703)の「聖霊降臨」


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詳細不明


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ジュゼッペ・バイ―ニの祭壇(1843)


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次の礼拝堂です。


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1702)の「父なる神」
カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネは、先に出てきたジュゼッペ・ヌヴォローネの実兄です。


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クーポラのフレスコ画


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クーポラのフレスコ画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1555‐パルマ、1619)の「聖母戴冠」(1597)です。


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ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1555‐パルマ、1619)の「受胎告知」


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詳細不明


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ベルナルド・カステッロ(ジェノヴァ、1557‐1629)の「ピエタ」(1580)


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13世紀に描かれたフレスコ画断片


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ファサードの裏に絵画があります。


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ベネデット・マルティーニの「パンと魚の増加の奇跡」


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主祭壇をもう一度見てから外に出ました。


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(おわり)

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詳細不明


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詳細不明


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17世紀後半のピアチェンツァの逸名画家作「聖母子ととパドヴァの聖アントニオ」


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主祭壇です。


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問題の主祭壇画です。 
ピエトロ・アントニオ・アヴァンツィーニ(ピアチェンツァ、1656‐1733)の「ラファエッロ・サンツィオ作『システィーナの聖母』の複製画」


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主祭壇画ですが、1513年には既にラファエッロの「システィーナの聖母」がありました。
ところが、1754年、ベネデット会修道士が金に目が眩んで、ポーランドのアウグストゥス3世に売却してしまったのです。現在、ラファエッロの作品はドレスデン国立絵画館にあります。
売却後は、代わりに複製画が置かれてます。


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主祭壇から見た出入口方向


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レアンドロ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1557‐ヴェネツィア、1622)の「聖バルバラの殉教」


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ヤコポ・オラツィオ・フェリナーティ(ヴェローナ、1524‐1606)の「羊飼いの礼拝」(1570c)


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ヤコポ・オラツィオ・フェリナーティ(ヴェローナ、1524‐1606)の「天上のキリストと聖母とパドヴァの聖アントニオ」


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詳細不明


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1561‐ミラノ、1629)の「嬰児虐殺」(1604‐05)


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ジャン・パオロ・カヴァーニャ(ベルガモ、1550‐1627)の「聖ロレンツォの逮捕」


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聖歌隊席の彫刻に注目です。


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ジオ・ピエトロ・パムビアンコ・ダ・コロルノとバルトロメオ・ダ・ブッセートによる木組み彫刻(1512‐14)


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ジョヴァン・アンジェロ・ボッローニ(クレモナ、1684‐ミラノ、1772)の「聖バルトロメオの殉教」


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左側廊


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詳細不明の燭台


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シモーネ・モスキーノ(オルヴィエート、1553‐パルマ、1610)のオーストリアのマーガレットの墓碑(1587‐17世紀初め)


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逸名彫刻家作「磔刑像」(17世紀)
サン・フェルモ教会にあったそうです。


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ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596‐ローマ、1669)の「聖ステファノの殉教」


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ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596‐ローマ、1669)の「十字架降下」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(ヴェネツィア、1687‐1767)の「割礼」(1742c)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(ボルゴ・サン・ドニーノ、1696‐カステルボスコ、1737)の「聖ゲルトルーデと聖マルゲリータの贖い」(1730c)


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ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(パルマ、1500c‐1569)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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ステファノ・ランブリ(17世紀活動)の「受胎告知」(1649)


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アントニオ・カンピ(クレモナ、1524‐1587)の「羊飼いの礼拝」(1570c)


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ジュゼッペ・ヌヴォローネ(サン・ジミニャーノ、1619‐ミラノ、1703)の「聖ジローラモと天使」(17世紀)


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左第2礼拝堂のフレスコ画は、アントニオ・カンピ(クレモナ、1524‐1587)の復活したキリスト」


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ベルナルディーノ・ザケッティ(レッジョ・エミリア、16世紀前半活動)によるクーポラのフレスコ画(1517)


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左側廊


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主祭壇をもう一度見ました。


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中庭に出ました。


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これを売るなんて、軽蔑すべき修道士です。


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外に出ました。
(おわり)

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ピアチェンツァのインペラトリーチェ・アンジルベンガ通りです。


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ボッセリ門です。


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門を潜るとサン・シスト通りに出ます。


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サン・シスト通りの突き当りに教会があります。


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教会の入り口に門があります。


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神聖ローマ帝国皇帝ルドヴィーコ2世の妻Engelberga d'Alasaziaによって、852年から874年に建設された教会が前身です。その後、修道院が建設され、エンゲルベルガ皇后は、大修道院長に任命されました。
中世の頃、この修道院に対して特権と特典が与えられ、大変な勢力でした。
1129年、修道院はポリローネのベネデット会の所有となりました。
1425年、ベネデット会派のカッシネージ修道会に引き継がれました。


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1622年に建設された門を潜って中庭に入ります。


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15世紀後半、建物が経時劣化したので、それを取り壊し、その上に新しい建物を建設することになり、1490年創建、1511年に完成したルネサンス様式の建物が現在の姿です。


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1591年に完成したファサードは、1755年に現在の姿に改装されました。


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中庭を囲んで回廊が設けられてます。


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ファサードに向かって右側の回廊


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ファサード前から見たサン・シスト通り


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旧修道院の建物


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修道院は、1810年に活動が停止され、兵舎として使用されました。その後、一度も宗教活動が行われることなく現在に至ってます。


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回廊の壁に修道士のフレスコ画が描かれてます。


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これについては、後述します。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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美術的に見所が豊富です。


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右側廊の礼拝堂から見て行きます。


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五廊式と間違えそうな造りです。


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ジュゼッペ・ランブーリに帰属する「キリストの洗礼」


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ジェルヴァシオ・ガッティ(クレモナ、1550‐1631)の「聖ベネデットと聖マウロをもてなすトティラ王」(1585c)


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16世紀の逸名画家作「聖ジュゼッペの死」
ベルナルド・カンピの作品説もあるようです。


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逸名彫刻家作「チントラの聖母」(16世紀)
サンタ・マリア・イン・ボルゲット教区教会にあったそうです。


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右側廊の第3礼拝堂です。


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第3礼拝堂のフレスコ画は、アントニオ・カンピ(クレモナ、1524‐1587)の「砂漠の聖ジローラモ」(1570c)


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セバスティアーノ・ノヴェッリの「聖母子と聖人たち」(1530)


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タッデオ・ズッカリ(ウルビーノ、1529‐ローマ、1566)に帰属する「キリストの埋葬」


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右側廊第4礼拝堂です。


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1561‐ミラノ、1629)の「天上の聖母子と聖トンマーゾと聖カルロ・ボッロメオと聖フランチェスコ」(1610)


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逸名画家作「聖家族とパドヴァの聖アントニオと聖マルゲリータ」


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詳細不明


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エミリオ・ビアンキの「聖エレーナ」(1575)


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フランチェスコ・ギットーニ(リッツォ―ロ、1855‐ピアチェンツァ、1928)の「ピエタ」


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549‐1628)の「聖バルバラの殉教」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(ヴェネツィア、1687‐1767)の「聖ロレンツォの殉教」(1741c)
(つづく)

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次の展示コーナーです。


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第5室になります。


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次の展示コーナーです。


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第6室になります。


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次の展示コーナーです。


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第8室になります。


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馬橇


P2850842
次の展示コーナーです。


P2850843
消防用の馬車が展示されてます。


P2850844


P2850845
はしご車


P2850846


P2850847


P2850848


P2850849
次の展示コーナーです。


P2850850
第9室になります。


P2850851


P2850855
西部劇に出てくる駅馬車に似ています。


P2850857


P2850858


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P2850865


P2850866


P2850868


P2850869
輿が並んでます。


P2850870
第11室になります。


P2850872


P2850873


P2850875


P2850878


P2850879


P2850880


P2850881


P2850882


P2850883
閉館時間間近になりました。時間切れです。絵画館と馬車博物館の2つを見て終わりになりました。


P2850223
外に出ました。


P2850884
(おわり)

P2850709
絵画館を終わりました。


P2850710
次は馬車博物館です。


P2850711
ファルネーゼ家が使用した馬車は展示されていません。


P2850712
ベルリン型馬車(18世紀中頃)
この博物館で展示されている馬車のうち、これが最古のものです。


P2850716
ベルリン型馬車(1770)
ピアチェンツァの司教館で使用されていた馬車です。


P2850719


P2850721
ベルリン型馬車(1879)
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世が注文した馬車で、ウンベルト1世が使用していました。


P2850724
ベルリン型馬車(1879)
サヴォイア家の人々が使用していたそうです。


P2850727
ベルリン型馬車(1860‐70)
ローマの馬車工房製で、乗り心地が改善されているそうです。


P2850730
ベルリン型馬車(19世紀中頃)
サヴォイア家の馬車工房製


P2850734
ベルリン型馬車(1870c)
ミラノの馬車メーカー製


P2850740


P2850741


P2850742
次の展示コーナーです。


P2850743
第2室


P2850744
旅行用グラン・クーペ(1805‐15)
ミラノ製


P2850746
Brougham-Coupe de ville(1860)
ミラノ製


P2850749
Brougham-Coupe de ville(1860c)
ミラノ製


P2850762


P2850752
Bougham-Coupe(1880c)


P2850755
Londau(1890c)


P2850763


P2850758
Londau(1880-90)


P2850764
乳母車


P2850765


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P2850770


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P2850786


P2850787


P2850789


P2850790


P2850792


P2850795
(つづく)

P2850597
次の展示コーナーです。


P2850599
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「エリザベッタ・ファルネーゼのチェント・クローチ山でのファルネーゼ家からの旅立ち」(1720‐21)


P2850601
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「フランチェスコ・ファルネーゼ公爵とゴッサディーニ枢機卿の邂逅」(1714‐17)


P2850604
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「宮廷への訪問」(1715‐17)


P2850607
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「初子の前のフィリッポ5世とエリザベッタ・ファルネーゼ王妃」(1716以降)


P2850610
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「兵士の乗船」(1730‐31)


P2850614
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「勝利」(1670‐80)
この作品は、ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後にピアチェンツァに返還されました。


P2850617
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「バルディとコンピアーノ要塞の鍵を受け取るラヌッチョ2世」
ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後にピアチェンツァに返還された作品です。


P2850620
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「建物建設に助力するファルネーゼ家皇太子」
ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後にピアチェンツァに返還された作品です。


P2850623
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ピエル・ルイージ・ファルネーゼをピアチェンツァとパルマの公爵に叙する教皇パオロ3世」(1690‐95)
ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後にピアチェンツァに返還された作品です。


P2850625
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ピエル・ルイージ・ファルネーゼをキエーザの行政長官に任命する教皇パオロ3世」(1690‐95)
ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後にピアチェンツァに返還された作品です。


P2850628
次の部屋です。


P2850629
第24室です。


P2850630
フェリーチェ・ボゼッリ(ピアチェンツァ、1650‐パルマ、1732)の「静物画」(1720c)


P2850632
フェリーチェ・ボゼッリ(ピアチェンツァ、1650‐パルマ、1732)の「静物画」(1720c)


P2850636
バルダッサッレ・デ・カーロ(ナポリ、1689‐1750)の「狩猟の戦利品」
ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後にピアチェンツァに返還された作品です。


P2850639
18世紀後半のエミリアの逸名画家作「四季の寓意」


P2850641


P2850643


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P2850647


P2850650
フェリーチェ・ボゼッリ(ピアチェンツァ、1650‐パルマ、1732)の「桃」(1710c)


P2850653
フェリーチェ・ボゼッリ(ピアチェンツァ、1650‐パルマ、1732)の「キノコと鳩」(1710c)


P2850656
アントニオ・ジャンリージ(クレモナ、1677‐1727)の「静物画」


P2850658
アントニオ・ジャンリージ(クレモナ、1677‐1727)の「静物画」


P2850662
セバスティアーノ・チェッカリーニ(ファーノ、1703‐1783)の「フランチェスコ・ランディ・ピエトラ枢機卿の肖像」(1743‐57)


P2850664
セバスティアーノ・ガレオッティ(フィレンツェ、1676‐モンド―ヴィ、1741)の「聖チェチリア」(1720‐30)
ピアチェンツァのサン・ヴィンチェンツォ教会にありました。


P2850668
オノリオ・マリナーリ(フィレンツェ、1627‐1715)の「モーゼの発見」


P2850671
アレッサンドロ・マニャースコ工房作「修道士がいる風景」


P2850673
次の部屋です。


P2850674
第25室は、絵画館の最終展示室になります。


P2850675
ガエターノ・ガンドルフィ(サン・マッテオ・デッラ・デチーマ、1734‐ボローニャ、1802)の「ウリッセとキルケとメルクリオ」(1766)


P2850679
ガエターノ・ガンドルフィ(サン・マッテオ・デッラ・デチーマ、1734‐ボローニャ、1802)の「エットーレの遺体を引きずるアキレス」(1801)


P2850681
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「カテリーナ・アングィッソーラ・ダ・トラヴォの肖像」(1790‐92)


P2850685
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「自画像」(1817)


P2850687
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「博士たちとの問答」(1812‐17)
ピアチェンツァのサンタ・マリア・デッラ・パ―チェ教会にありました。


P2850692
ロレンツォ・トンチーニ(カロル祖、1802‐ピアチェンツァ、1884)の「負傷した剣闘士」(1828‐30)


P2850695
カルロ・マリア・ヴィガノーニ(ピアチェンツァ、1784‐1839)の「アンジェロ・マイ閣下の肖像」(1820‐22)


P2850697
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「ラヌツィオ・アングィッソーラ・ダ・グラッツァーノとその息子の肖像」(1791‐92)


P2850700
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「ビアンカ・スタンパ・ディ・ソンチーノ伯爵夫人の肖像」(1791)


P2850703
ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756‐1830)の「愛犬とジャコモ・ロータ伯爵の肖像」(1798)


P2850707
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「ピアチェンツァのフィエラの光景」(1705c)
絵画館はこれで終わりです。
(つづく)

P2850493
次の展示コーナーです。


P2850495
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「騎兵戦」(1670‐95)
この展示コーナーから、ファルネーゼ・コレクションの作品になります。ナポリに移されたましたが、戻されてきました。何となく戻された理由が分かります。要すれば、有名画家の作品でもなく、傑作として有名ではないものが戻されたという訳です。


P2850498
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「モーゼの傭兵とアロン(モーゼの兄)」(1721‐26)
これもファルネーゼ・コレクションで、ナポリから戻された作品です。


P2850502
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646‐パルマ、1712)の「戦闘のシーン」(1670‐80c)
ファルネーゼ・コレクション、ナポリから戻された作品


P2850504
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ヨシュア」(1721‐26)
パルマにあったファルネーゼ・コレクションで、ナポリに移され、何故かピアチェンツァに来てしまった作品です。


P2850509
次の部屋です。


P2850512
第21室です。


P2850511
天井のフレスコ画


P2850514
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ドン・カルロ・ディ・ボルボーネにパルマを託すパルマ市当局」(1733)
この部屋の展示作品は、所謂ファルネーゼ・コレクションに該当します。一旦、ナポリに移されましたが、ピアチェンツァに戻されたものです。


P2850519
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「軍隊の野営」
大したことがない作品なので、戻ってきたのでしょう。


P2850522
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「月夜の攻撃」(1705‐15)
ティツィアーノなどの有名画家による作品は一つも戻されてません。


P2850525
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ピアチェンツァ城塞建設の寓意」


P2850528
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「食堂で座るアレッサンドロ・ファルネーゼ」


P2850531
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「黄金杵を受け取るアレッサンドロ・ファルネーゼ」


P2850534
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「フランチェスコ・ファルネーゼ公爵の下船」


P2850537
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「軍勢の下船」


P2850539
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「2指揮官の邂逅」


P2850542
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ファルネーゼ軍の進撃」


P2850545
第23室が見えてますが、その前にもう一つ展示室があります。


P2850546
次の部屋です。


P2850548
第22室です。


P2850549
天井のフレスコ画


P2850550


P2850551
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「小銃兵の行軍」
これもファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されてからピアチェンツァに戻された作品です。


P2850553
反射を避けて角度を変えて撮って見ました。


P2850556
変化なし


P2850559
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「戦闘のシーン」
ファルネーゼ・コレクションではありません。


P2850561
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「戦闘のシーン」
ファルネーゼ・コレクションではありません。


P2850564
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「フランドル支配を受諾するフィリッポ2世」
この作品はファルネーゼ・コレクションです。ナポリに移されたものの、戻されました。


P2850566
スポルヴェリーニ工房作「強く握手する2君主」
ファルネーゼ・コレクションの一つで、ナポリに移されましたが、後に戻ってきました。


P2850569
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「要塞前の2指揮官の邂逅」
これもファルネーゼ・コレクションで、ナポリに移された増したが、後にピアチェンツアに戻されました。


P2850575
天井のフレスコ画


P2850585


P2850586


P2850577
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「対トルコ戦」
この展示コーナーの作品は何れもファルネーゼ・コレクションに含まれ、一旦、ナポリに移され、後にピアチェンツァに戻されました。


P2850580
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「アレッサンドロ・ファルネーゼをフランドル総督に任命するフィリッポ2世」


P2850583
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「教皇の剣を受け取るアレッサンドロ・ファルネーゼ」


P2850587
次の部屋に向かいます。


P2850588


P2850589
第23室です。


P2850591
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「ファルネーゼ家最後の人、エリザベッタの栄華」


P2850595
イラーリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657‐ピアチェンツァ、1734)の「フランチェスコ・ファルネーゼ公爵のパルマ入り」
(つづく)

P2850361
次の部屋です。


P2850362
第19室になります。


P2850364
ファルネーゼ・コレクションはありません。


P2850366
ヤコポ・デル・カゼンティーノ(プラートヴェッキオ、1297c‐1349c)に帰属する「聖母子と聖人たち、聖人たち、受胎告知のトリッティコ」(14世紀前半)


P2850370
14世紀中頃のトスカーナの逸名画家作「聖母子」


P2850375
ヤコポ・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1325c‐1390以降没)に帰属する「聖母子と聖人たちと天使たち」


P2850379
ジョヴァンニ・ダ・ミラノ(カヴェルサッチョ、1325/1330c-1370c)に帰属する「聖母子」


P2850382
14世紀中頃のナポリの逸名画家作「ウミルタの聖母と天使」


P2850385
シモーネ・デ・クロ―チフィッシ(ボローニャ、1355-1399消息)の「マギの礼拝」


P2850388
15世紀の北フランスの逸名彫刻家作「祈る聖母」


P2850392
14世紀のトスカーナ?の逸名彫刻家作「玉座の聖母子」


P2850395
15世紀の逸名彫刻家作「聖母子」


P2850397


P2850399
Maestro dei Cassoni (トスカーナ、15世紀後半活動)に帰属する「マルコ・ヴェスプッチとシモネッタ・カッタネオの結婚」


P2850402
デッロ・デッリ(フィレンツェ、1404‐セゴヴィア、1464?)の「エネアの物語」


P2850403
左半分


P2850406
右半分


P2850409
アンドレア・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1346‐1379記録)に帰属する「玉座の聖母子と聖人たちと天使たちと受胎告知」


P2850412
ジョヴァンニ・ダ・ポンテ(フィレンツェ、1385‐1437)に帰属する「聖母戴冠と聖ジョヴァンニ・バッティスタとバーリの聖二コラと受胎告知」


P2850415
ロッゼッロ・ディ・ヤコポ・フランキ(フィレンツェ、1376/1377-1456c)の「聖母子と聖アントニオ・アバーテと聖バルトロメオと天使たち」


P2850418
14世紀のトスカーナの逸名画家作「授乳の聖母と聖人たち」


P2850422
15世紀のロンバルディアの逸名画家作「聖パオロ」


P2850425
15世紀のトスカーナの逸名画家作「聖母子」


P2850431
ベルナルディーノ・フンガイ(シエナ、1460-1516)に帰属する「聖母子」


P2850428
サーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406-1481)の「聖母子」


P2850433
ラッザロ・バスティアーニ(パドヴァ、1429-ヴェネツィア、1512)の「聖母子」


P2850437
次の展示コーナーです。


P2850439
ユストゥス・サステルマンス(アンヴェルサ、1597-フィレンツェ、1681)の「高貴な女性の肖像」(1630c)


P2850441
パウルス・モレルス(ユトレヒト、1571-1638)の「ヴィーナスとアモーレ」(1630-38)


P2850445
17世紀末の逸名画家作「聖パオロの回心」


P2850448
17世紀にローマで活動した逸名画家作「ダヴィデ」(1640-60)


P2850451
ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646-ピアチェンツァ、1709)の「アガルとイシマエル」(1700-09)


P2850454
ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646-ピアチェンツァ、1709)の「イサクの犠牲」(1700-09)


P2850457
ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646-ピアチェンツァ、1709)の「聖ジュゼッペ」(1688-90)


P2850460
クリストフォロ・ストレール(コスタンツァ、1611-ミラノ、1671)の「聖ジローラモ」(1643)


P2850465
ピーター・バウト(ブリュッセル、1658-1719)の「馬市」(1699)


P2850467
次の部屋です。


P2850472
第20室になります。


P2850468
天井のフレスコ画


P2850470
私には、フレスコ画の制作者等の詳細が分かりません。


P2850471


P2850474
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646-パルマ、1712)に帰属する「時化」(1670-80)


P2850478
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646-パルマ、1712)の「時化の難破船」(1670以降)


P2850482
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646-パルマ、1712)の「騎兵戦」(1670-95)


P2850485
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646-パルマ、1712)の「騎兵戦」(1670-95)


P2850487
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646-パルマ、1712)の「砲兵の戦い」(1670-95)


P2850490
フランチェスコ・モンティ通称イル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1646-パルマ、1712)の「騎兵戦」(1670-80)
(つづく)

P2850257
ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1556‐パルマ、1619)の「聖母子と聖アントニオ・アバーテと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(1599)
ピアチェンツァのサンタ・マリア・ディ・ピアッツァ教会にありました。


P2850260
ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1556‐パルマ、1619)の「ピアチェンツァの街を守護するキリストと聖母」(1603)
ピアチェンツァのサン・ヴィンチェンツォ教会にありました。


P2850264
ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾの工房作「聖フランチェスコに顕現する聖母子」(16世紀末‐17世紀初め)


P2850269
ジローラモ・マッツォーラ・べドリ(ヴィアダーナ、1500‐パルマ、1570)の「ピタゴラスとユークリッド」(1545c)
パルマのサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会にありました。


P2850272
カミッロ・ボッカッチーノ(クレモナ、1505‐1545)の「預言者イザヤとダヴィデ」(1530)


P2850274
16世紀の逸名画家作「聖ジローラモ」


P2850278
17世紀の逸名画家作「悔悛の聖ジローラモ」


P2850281
17世紀のロンバルドの逸名画家作「この人を見よ」


P2850284
17世紀のロンバルドの逸名画家作「聖アグネス」


P2850287
16世紀の逸名画家作「十字架降下」


P2850290
次の展示コーナーです。


P2850291
この辺にはファルネーゼ・コレクションがありません。


P2850293
ピエル・フランチェスコ・フェッランテ(ボローニャ、1600‐1652)の「ソロモンとシバの女王」(1652)


P2850295
アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577‐1668)の「子供に洗礼を施す聖カルロ・ボッロメオ」(1635‐45)


P2850299
ヤン・ソーンス通称イル・フィアッミンゴ(オランダ、セントーヘンボス、1547‐パルマ、1611)の「音楽」(1580‐90)


P2850302
ヤン・ソーンス通称イル・フィアッミンゴ(オランダ、セント―ヘンボス、1547‐パルマ、1611)の「天文学」(1580‐90)


P2850305
ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582‐ローマ、1647)の「聖ルーカ」(1611)


P2850309
イタリア中央の逸名画家作「聖キアーラの剃髪式」(17世紀前半)


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ティブルツィオ・パッセロッティ(ボローニャ、1553‐1612)の「聖母子と聖人たち」


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次の展示コーナーです。


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天井に描かれたフレスコ画


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制作者等詳細が不明です。


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1608‐1661)の「キリストの神殿奉献」(1645)


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ジュゼッペ・ヌヴォローネ(ミラノ、1619‐1703)の「聖母子と聖ジローラモと聖ベネデット」(1665)


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ドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐1669)の「キアラヴァッレの聖ベルナルドに顕現する聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1643)


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ヴァレリオ・カステッロの追随者作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1650c)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)の「マギの礼拝」(1685‐90)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)の「磔刑」(1673)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)の「ソロモン」(1673c)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)の「バルダッサッレの饗宴」(1650‐59)


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ユストゥス・サステルマンス(アンヴェルサ、1597‐フィレンツェ、1681)の「アルフォンゾ4世デステの肖像」(1650c)


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部屋番号表示が出てきました。


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ボッティチェッリの作品が展示されてます。


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サンドロ・ボッティチェッリ(フィレンツェ、1446‐1510)の「幼きキリストを崇拝する聖母と聖ジョヴァンニーノ」
(つづく)

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16世紀から約200年間、ファルネーゼ家の支配下にあったピアチェンツァですが、ピアチェンツァに於けるファルネーゼ公爵家の住居がファルネーゼ宮殿です。宮殿にピアチェンツァ市立博物館があります。


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宮殿の歴史と、ファルネーゼ家とピアチェンツァとの関りについて触れておきましょう。
ファルネーゼ宮殿入口に向かって左側に古い要塞構造の部分があります。


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街の北部、城壁とポー川から直ぐ傍の現在地に、ミラノ公爵ガレアッツォ2世ヴィスコンティ(ミラノ、1320‐パヴィア、1378)が1352年に要塞を建設しましたが、その要塞がファルネーゼ宮殿の前身です。
写真左の塔を含む部分が1352年に建設された要塞の一部に当たります。


064
ミラノは、ヴィスコンティ家からスフォルツァ家の支配になりましたが、それに伴いピアチェンツァもスフォルツァ家の支配下に置かれ、それが1499年まで続きました。1499年からフランスの支配を受け、フランス支配が1521年まで続きましたが、その後、非公式ながら教皇領の一部に組み入れられました。


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第220代ローマ教皇パオロ3世俗名アレッサンドロ・ファルネーゼ(カニーノ、1468‐ローマ、1549)(教皇在位:1534年‐1549)には4人の息子(一生独身とされた教皇ですが、当時の教皇には子供がいたのです)がいましたが、最も愛していた長男ピエル・ルイージ・ファルネーゼ(ローマ、1503‐ピアチェンツァ、1547)のために、公国を設立して、ピエル・ルイージを公爵にしようと考えたのです。


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1545年、教皇パオロ3世は、当時イタリア王でもあった神聖ローマ皇帝カール5世(ヘント、1500‐スペイン、ユステ修道院、1556年)の承認を得て、金を支払って買ったことにより、ピアチェンツァとパルマをミラノ公国から切り離し、ピアチェンツァ公国とパルマ公国を設立して、両公国の公爵位を長子ピエル・ルイージに授けたのです。ピエル・ルイージは、両公国の首都をピアチェンツァに定めました。


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1547年、ピエル・ルイージ・ファルネーゼ公爵は、”ピアチェンツァの陰謀”によって、この古い城塞で殺害されたのです。
第二代公爵を継いだのは、ピエル・ルイージの息子オッタヴィオ(バレンタノ、1524‐ピアチェンツァ、1586)でした。


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1558年、ピアチェンツァとパルマとカストロの公爵オッタヴィオ・ファルネーゼとその妻オーストリア皇女マルゲリータ(1522‐1586)(神聖ローマ皇帝カール5世の娘)は、古い城塞には住み難いということで、新たに宮殿を建設することを決め、建築家フランチェスコ・パチェットが起用されました。
当初の設計では城塞を取り壊し、その上に宮殿を建設することになっていましたが、要塞の西側と2本の塔を残すことに改められました。


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その後、建設工事は建築家ヤコポ・バロッツィに引き継がれましたが、1602年に作業が中断され、未完のまま現在に至ってます。


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未完に終わった部分
宮殿は当初設計の半分の規模で終わったのです。
ここで前述したファルネーゼ家の人々とカール5世の有名な肖像画があります。


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教皇パオロ3世の肖像


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カポディモンテ美術館にあります。


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教皇パオロ3世の肖像


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ファルネーゼ・コレクションの傑作はナポリに移されてしまいました。その経緯については後述します。


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ピエル・ルイージ・ファルネーゼ(パオロ3世の長子)の肖像


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パオロ3世とアレッサンドロ・ファルネーゼ(イル・ジョーヴァネ)枢機卿とオッタヴィオ・ファルネーゼ


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アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿(ローマ、1520‐1589)とオッタヴィオ・ファルネーゼ(バレンタノ、1524‐ピアチェンツァ、1586)は、ピエル・ルイージの子供です。パオロ3世の孫です。


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アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿の肖像


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教皇パオロ3世とその孫アレッサンドロ・ファルネーゼ・イル・ジョーヴァネ枢機卿の2人が美術品の収集に熱心でした。2人によって所謂”ファルネーゼ・コレクション”の中核が形成されたのです。


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神聖ローマ皇帝カール5世の肖像


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ファルネーゼ宮殿の中庭から撮った写真です。
宮殿は3階建てですが、回廊によって繋がれてます。各階に中階が組み込まれてます。


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中庭


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中庭の左側


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宮殿の外側に出ました。
ここが以前の入り口です。


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現在は宮殿の入り口扉が開いているので、ここから出入りします。


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展示物が多いので、午前4時間、午後3時間の開館時間に効率良く見て回る必要があります。


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博物館は、絵画館、馬車博物館、考古学博物館、リソルジメント(イタリア国家統一運動)博物館に分かれてます。


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ルネサンス期にファルネーゼ家が収集したものが所謂ファルネーゼ・コレクションです。前述のように、ファルネーゼ家では、特に第220代教皇パオロ3世(カニーノ、1468‐ローマ、1549)とパオロ3世の孫アレッサンドロ・ファルネーゼ・イル・ジョーヴァネ枢機卿(ヴァレンターノ、1520‐ローマ、1589)の2人が美術品収集に熱心でした。
コレクションは、ローマのファルネーゼ宮殿(現在はフランス大使館になってます)、カプラローラ(ヴィテルボ近く)のヴィッラ・ファルネーゼ、パルマのピロッタ宮殿、ピアチェンツァのファルネーゼ宮殿などに分散されていました。


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時代は下り、1731年、ファルネーゼ家直系男子が途絶え、断絶してしまいました。ファルネーゼ・コレクション散逸の危機を迎えたのです。
この辺の経緯とその結幕に触れてみます。
17世紀中頃から後半のパルマとピアチェンツァの公爵だったラヌッチョ2世ファルネーゼ(パルマ、1630‐1694)は、3人の男子に恵まれました。先妻との間にできた公世子オドアルド2世(パルマ、1666‐1693)、後妻との間にできたフランチェスコとアントニオがいました。
公世子オドアルド2世は、父ラヌッチョ2世の公爵在任中の、ラヌッチョ2世死去の前年に死んでしまい、ラヌッチョ2世死後の公爵位は、次男フランチェスコに引き継がれましたが、子供に恵まれないまま、1727年に没したのです。ラヌッチョ2世の3男アントニオが公爵位を引き継ぎましたが、アントニオも子供に恵まれないまま、1731年死去してしまい、ファルネーゼ家は断絶してしまいました。
公世子ラヌッチョ2世ファルネーゼには娘エリザベッタがいましたが、エリザベッタはスペイン王フェリペ5世に嫁ぎスペイン王妃になっていました。
エリザベッタには、フェリペ5世との間に2人の息子カルロスとフィリッポがいました。
1731年、ファルネーゼ家断絶に伴い、ファルネーゼ・コレクションはスペイン王妃エリザベッタに引き継がれ、パルマ公爵はエリザベッタの息子カルロスが襲位したのです。カルロスが引き続きパルマ公になっていれば、コレクションには何の問題もなかったことでしょう。
ところが、1734年、カルロスは、ナポリ公国の王に叙せられ、カルロ3世となりましたが、母エリザベッタから受け継いだファルネーゼ・コレクションの大部分をナポリに持って行ったのです。
新たにパルマ公になったのは、カルロスの弟フィリッポでしたが、コレクションの一部返還を兄に訴え、一部がパルマに戻されました。
ピアチェンツァの宮殿にあったものは、移動が困難なフレスコ画や調度品を除いてナポリに移され、後の返還交渉で一部の大したことない作品はピアチェンツァに戻されたものの、その大部分は戻ることがありませんでした。


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切符売り場は未だ閉まったまま。
ナポリに持ち出された後のファルネーゼ宮殿は悲惨で直ぐに荒廃が始まりました。オーストリア軍や、その後に侵攻してきたナポレオン軍の兵舎などに使用されました。また、第二次世界大戦の爆撃によって家を失った被災者の避難所として使用されました。
1965年に宮殿の大修復工事が開始され、2006年に市立博物館としてオープンしました。


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午後3時になっても切符売り場の扉が開きません。
残念ながら、ファルネーゼ・コレクションのお宝はこの宮殿には殆どありません。
ナポリの王宮、国立考古学博物館、カポディモンテ美術館でファルネーゼ・コレクションのお宝を見ることが出来ます。


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漸く切符売り場が開きました。


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入館しました。


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何処から見て行くか。


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考古学部門から見て行くことにしました。


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ジュリオ・マッツォ―ニの「モーゼの泉」(1560)


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「モーゼの泉」は、ピアチェンツァのサンタゴスティーノ修道院にあったそうです。


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このまま考古学部門を見ていると時間が足りないと思いました。


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已む無く絵画館を先に見て、その次に馬車博物館を見ることにしました。


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ファルネーゼ家の紋章


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絵画館の最初の部屋です。


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部屋のフレスコ
(つづく)

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1803年から1804年に建設された新古典様式のピアチェンツァ市立劇場です。


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ミラノ・スカラ座に外観が似ています。残念ながら、この日の公演はありません。


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次はサンタントニーノ聖堂です。


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サンタントニーノ聖堂です。


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この写真で市立劇場とサンタントニーノ聖堂の位置関係が分かると思います。写真右手前が市立劇場です。


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八角形の鐘楼が目立ちます。
扉が開くまで少し時間があります。


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Palazzo Anguissola Cimafava Roccaです。


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サンタントニーノ聖堂の扉が開くまで、時間潰しが必要です。


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多分、扉が閉まっているだろう、と思いながらもサンタゴスティーノ教会に行ってみることにしました。


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予想に反して開いている教会は滅多にありません。


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サンタゴスティーノ教会は予想通り閉まっていました。


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サンタゴスティーノ教会隣にあるPalazzo dei Conti Scotti da Sarmatoです。


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Palazzo dei Conti Scotti da Sarmatoの大広間に素晴らしいフレスコ画があるようですが、私有の建物で非公開です。


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一応時間潰しになりました。


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Palazzo Scotti di Sermato


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窓の上の彫刻を見て回りました。


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そろそろサンタントニーノ聖堂の扉が開く時間です。


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サンタントニーノ聖堂の扉が開いてます。


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中に入りました。


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主祭壇と後陣


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一旦、キオストロ回廊に出ました。


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サンタントニーノ聖堂については、項を改めて詳しく触れる予定です。


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外に出ました。


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次はドゥオーモの拝観です。


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扉が開いていました。


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堂内に入りました。


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美術的に見所が豊富です。


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ドゥオーモについては、項を改めて詳しく触れる予定です。


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外に出ました。


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サン・ロッコ教会は何時ものように閉まっていたので、素通りしました。


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次はサン・サヴィーノ聖堂です。


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サン・サヴィーノ聖堂です。扉が開いていました。


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聖堂の歴史が書かれてます。


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903年に創建された初代の建物は、10世紀に侵攻してきたハンガリー人によって破壊されてしまいました。
二代目の建物は11世紀から12世紀に建設されたロマネスク様式のもので、その奉献式は1107年に執り行われました。
17世紀前半になると二代目の建物は老朽化が進んだので、二代目の建物の大部分を取り壊して、1631年から1637年にかけてバロック様式で大修復されました。大修復と言うよりも再建と言った方が良いようです。


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現在のファサードは1721年に建設されました。
聖堂の現在の姿は、1902年から1903年にかけて行われた修復後のものです。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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天井


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祭壇と後陣


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クーポラのフレスコ画は、イル・ポルデノーネによって1529年から1531年に制作されました。


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クリプタのモザイクが最大の見所ですが、施錠されていて中に入ることが出来ません。


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内陣床のモザイク


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中に入れただけでも良しとしましょう。


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教会巡りは運ですね。信者ではなく観光客ですから。


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祭壇前から見た出入口方向


012
外に出ました。


037
急に雨が降ってきました。


079
サンタ・マリア・イン・ガリヴェルト教会は閉まっていました。


080
天気が悪くなってきたので、教会巡りをする気が失せてきました。


081
サン・クリストフォロ教会


082
そろそろ切り上げてホテルに戻った方が良さそうです。


083


084
サンテウスタキオ教会


078
切り上げてホテルに戻りました。
(おわり)

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インペラトリチェ・アンジルベルガ通りを進みます。


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ポッセリ門です。


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ポッセリ門を潜るとサン・シスト通りに出ます。


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この辺は城壁の中でも郊外に当たります。


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サン・シスト教会です。


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ルネサンス様式の教会です。


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拝観しました。
サン・シスト教会については、項を改めて詳しく触れる予定です。


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美術的に見所豊富な教会と言えるでしょう。


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パルマ・イル・ジョーヴァネの作品


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ピエトロ・ダ・コルトーナの作品


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ファサード前に小さな中庭があり、それを取り囲む回廊があります。


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サン・シスト教会から外に出ました。


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ファルネーゼ宮殿の前を通り過ぎて、旧市街の中心に向かいました。このように書きましたが、徒歩で3,4分の距離にしかすぎません。


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教会巡りを続けます。


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次はサン・フランチェスコ教会の拝観です。


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カヴァッリ広場に向かってカヴール通りを進みます。


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車と人通りが多くなってきました。


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レンターカーを借りると、標識の意味が分からないと大変なことになります。


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バールで一休みしました。


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17世紀に建設されたサン・マルティーノ・イン・フォロ教会です。


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サン・マルティーノ教会が開いているか、と思ってローマ通りに入ったのですが、閉まっていたので元に戻ります。


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カヴール通りの旗は何のため?


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イタリア国旗だけのようです。


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カヴァッリ広場に何回来たことか・・・・・


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自転車シェア制度が流行してます。


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サン・フランチェスコ教会の扉が開いていました。


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中に入りました。


P1070415
サン・フランチェスコ教会については、項を改めて詳しく触れる予定です。


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サン・フランチェスコ教会から外に出ました。


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そろそろ昼飯時です。


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12時開店の食堂がありません。


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あの中華料理屋ならば開いていると思いました。


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やはり開いていました。中国人は勤勉です。


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注文した料理が次々と出てくるのが気に入ってます。


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中華を食べれば、時間の有効利用になります。


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お腹一杯です、食べ過ぎでした。


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ドゥオーモの拝観は後程。


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ビールを飲むとトイレが近くなって困ります。


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夕食の予約するために立ち寄りました。


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(つづく)

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市立博物館から外に出ました。


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時間切れのため、絵画館と馬車博物館の2つしか見ることが出来なくて残念でした。


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サン・フェルモ教会は閉まっていたので、そのまま大人しくホテルに戻りました。


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翌朝です。


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朝食前の散歩です。


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日曜日の朝とあって、辺りは静まり返っていました。


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夜のうちに、カヴァッリ広場はカルチェット(フットサル)のピッチに変身したようです。確かカルチェットのピッチは、天然芝、人工芝はダメだったような。


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涼しいを通り越して少し寒かった。


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車が通らないし、広場で夜明かしをした酔っ払いもいません。


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誰もいないサン・フランチェスコ教会。


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漸く車が一台通過していきました。


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邪魔がないので写真を撮るには絶好でした。


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アレッサンドロ・ファルネーゼ公爵のブロンズ像


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Palazzo dei Mercanti


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Palazzo Istituto Nazionale Assicurazione(塔のある建物)


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バラ窓の左右の丸い部分は素通しであることが分かります。


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ドゥオーモに向かいます。


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車が通らず、誰もいないのでゆっくり見て回り、写真を撮ることが出来ましたが、その一方で拍子抜けです。


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コンビニ無し、新聞配達無しですね。


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ドゥオーモ


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前日の厳重な警備がウソのように警官がいません。


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バラ窓の下の聖母子と聖ジョヴァンニーノの彫刻が中々のものです。


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壁龕の彫刻は何処に行ったの?


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取り敢えずサン・サヴィーノ聖堂まで行ってみることに。


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ドゥオーモ広場


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Via Vescovado


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サン・ロッコ教会


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ローマ通りに入りました。


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写真右の建物は、Palazzo Anguissola da Grazzanoです。


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サン・サヴィーノ聖堂前の緑地です。


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サン・サヴィーノ聖堂です。


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この先が駅です。
朝の散歩を満喫したので、ホテルに戻って朝食を食べました。


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ホテルを出てサン・シスト教会に向かいました。


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サン・フェルモ教会を通り過ぎました。


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サン・シスト教会は、ファルネーゼ宮殿の先にあります。


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ファルネーゼ宮殿前の広場はバス・ターミナルになってます。


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日曜日でも開いていました。開いている店が少ないようで、かなりの繁盛です。


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旧サンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


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第二次世界大戦のドイツ軍の爆撃を受け、大きな被害を受けましたが、その後、修復されることなく放置され廃教会となっていました。幾度となく修復の話が持ち上がりましたが、資金難のため計画が進みませんでした。


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ピアチェンツァ市当局の主導とスポンサーが見つかり、現在修復工事中です。完成後は、ピアチェンツァ市有の建物となって、各種の展示会場や催事場として使用されることになってます。


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教会隣の建物は1938年に建てられたCasa del Mutilatoです。


P1080163
(つづく)

P2850174昼食を食べて元気が出たので、街歩きを再開しました。


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ドゥオーモに向かいました。


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ドゥオーモです。


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ドゥオーモ広場


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警察官が多数出動して警戒に当たっていました。


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ドゥオーモに近付けそうもありません。警察車両と警察官の写真を撮ったら、英語の上手な警官がやってきて、宜しければ撮った写真を消去して頂けないか、と言ってきました。快諾して消去しました。
遠くから撮れば、顔が分からないので写真を撮っても良いとのお達しでした。


P2850206
私の勝手な想像ですが、この時はローマ教皇が訪れていた?


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仕方がないので、ドゥオーモの拝観は翌日に持ち越して、Museo Diocesanoに向かいました。


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Museo Diocesanoは、ドゥオーモの後方にあるので、司教館を経由して行くのが普通ですが、司教館の通り抜けが禁止されていたので、一旦、ローマ通りに出てからドゥオーモの身廊横に出るという、かなりの遠回りを強いられました。


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Museo Diocesanoの建物ですが、どことなく変です。


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ジャーン! 扉が閉まっている!!


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観光案内所で確認したんだよ、今日は開館だって!!


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仕方がないので、元に戻ろう。


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ドゥオーモの横の道を通って元に戻ろうとしたのですが・・・・・


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ここにも警官がいて、この先は通行禁止と言われてしまいました。


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救急車も出動していました。


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ドゥオーモ付属の教会


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すっかり予定が狂ってしまいました。


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午後の早い時間は、ドゥオーモの拝観とMuseo Diocesanoの入館を予定していましたが、二つともダメでは行く所がありません。


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ファルネーゼ宮殿博物館は未だ開いていないし、この時間、教会は閉まってます。


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恨めしい扉


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それにしても観光案内所の説明は理解し難いものがあります。


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例のイタリア流が炸裂ですね。Museo Diocesanoに行く観光客は物好きだから無視しても良い?


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普段ならば、写真左の建物からMuseo Diocesanoに行けます。


P2850203
時間潰しが必要です。


P2850207
わざわざイタリアに観光に行って時間潰しとはトホホでした。


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暑いので、外での時間潰しは無理です。


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ホテルに戻ることにしました。


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カヴァッリ広場


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旧市街の中心にあるホテルは何かと便利です。


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ホテルに戻って一休みしました。


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ファルネーゼ宮殿の市立博物館の開館時間になったので、ホテルを出発しました。


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ファルネーゼ宮殿もホテルから近いのです。


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宮殿にやってきました。


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1352年の創建ですが、建物の大部分は1556年に建設されたファルネーゼ宮殿です。


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宮殿はピアチェンツァ市立博物館として一般公開されてます。


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以前の博物館入り口です。


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宮殿の敷地内に入りました。


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入館しました。


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数多くの展示があって見るのが大変です。


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全部を見て回ろうとすれば、午前だけ、午後だけでは時間が足りないようです。


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市立博物館については、項を改めて詳しく触れる予定です。


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ファルネーゼ家の収集物が展示の中心ですが、ファルネーゼ家のお宝美術品はナポリのカポディモンテ美術館に行ってしまい、その残りカスがパルマ国立美術館で展示されており、その質と量の点で、この博物館は劣勢を否めないようです。


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(つづく)

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フィレンツェ・カンポ・ディ・マルテ駅です。


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カンポ・ディ・マルテ駅から列車に乗車してピアチェンツァに向かいました。フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅は行き止まりとなっているので、時間短縮を目的とした列車はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に入らず、幹線上のカンポ・ディ・マルテ駅に停車します。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に入らない列車は乗客に敬遠されているのか、トリノ行きの車内はがら明きでした。


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ピアチェンツァ駅に到着しました。


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ピアチェンツァ駅の駅舎
ピアチェンツァは、人口103,202人(2018年3月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ピアチェンツァ県の県都です。ポー川流域にあり、北方からの侵略を阻止するために築かれたローマ軍駐屯地を起源とする町です。紀元前187年に開通したピアチェンツァからリミニまでのエミリア街道の起点であり、また、ポストゥミア街道に接続する街として古来から交通の要衝として栄えました。現在も鉄道の要衝となってます。


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先ず、この日のお宿に向かいました。


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写真左に教会がありますが、道草せずにホテルに向かいました。


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写真左は、1774年から1777年に建設されたPalazzo Anguissola da Grazzanoです。


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写真右は、17世紀終わりに建設されたPalazzo Costaで、現在、環境博物館が置かれてます。


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ローマ通りをサン・ロッコ教会の前で左折します。


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サン・ロッコ教会の身廊の壁にフレスコ画があります。


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写真右端がサン・ロッコ教会の建物です。


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直ぐにドゥオーモの鐘楼が見えてきます。


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ドゥオーモ広場横のVia Romagnosiを少し進めば、この日のお宿が見えてきます。


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この日のお宿です。この街に泊まるならば、このホテルがお勧めです。


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チェックインを済ませて、早速街歩きに出発しました。


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まずカヴァッリ広場に向かいます。


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街の中心カヴァッリ広場です。広場の名称は、広場に置かれた2体の騎馬像に由来します。


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ホテルからカヴァッリ広場まで徒歩1分以内です。


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広場に面して建つサン・フランチェスコ教会


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Palazzo Comunale、またはPalazzo Gotico、またはブロレットと呼ばれる建物は1281年に建設されました。


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カヴァッリ広場に面して建つ、1787年に建設されたPalazzo del Governatoreです。パルマ=ピアチェンツァ公国の総督住居として使用されていました。


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写真左のジャン・フランチェスコ・パラッティエーリの日時計が有名です。


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騎馬像を見る前に観光案内所に行くことにしました。


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市庁舎後方に観光案内所があります。


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観光案内所で博物館、美術館などの開館時間を確認しました。ところが後で間違っていたことが分かり愕然。
騎馬像をじっくりと見ます。


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フランチェスコ・モーキ(モンテヴァルキ、1580‐ローマ、1654)の「ラヌッチョ1世ファルネーゼ(パルマ、1569‐1622)の騎馬像」(1620‐29)


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2体の騎馬像は彫刻家フランチェスコ・モーキの代表作とされてます。


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もう一つの騎馬像近くに移動します。


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フランチェスコ・モーキ(モンテヴァルキ、1580‐ローマ、1654)の「アレッサンドロ・ファルネーゼ(ローマ、1545‐フランス、アラス、1592)の騎馬像」(1620‐29)


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二人ともパルマ=ピアチェンツァ公爵です。


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サン・フランチェスコ教会は閉まっていました。


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この日の翌日、拝観しました。


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1676年から1697年にかけて建設されたPalazzo dei Mercantiです。現在、市庁舎の一部として使用されてます。


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塔のある建物はPalazzo Istituto Nazionale Assicurazioneです。


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昼食の時間です。


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手っ取り早く中華料理にしました。


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この店に通いました。


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安くて美味くて、コスパ良し。


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非常に美味でした。


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(つづく)

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