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テルミニ駅からコロッセオ方面へと通じるカヴール通りです。


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カヴール通りから聖堂がある丘に行くため階段を上ります。


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階段を上り、建物の下を潜ります。


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サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂の後陣横を進みます。


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サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ広場に出ました。


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ファサードの柱廊が印象的なサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂です。
この場所は、Domus Transitoria Neronianoと呼ばれた建物の西端にあり、キリスト教がローマ帝国に広まるにつれて近隣住民のキリスト教崇拝の場所となりました。
4世紀後半、Domus Transitoria Neronianoは取り壊され、現在の聖堂がある場所にバジリカ様式の教会が建設されましたが、5世紀初めに取り壊されてしまいました。取り壊された理由は分かっていないようです。
取り壊された場所の上に改めて教会の建物が再建されることになり、422年創建、470年に完成した二代目の建物が現在の姿の原形となってます。奉献式が439年に執り行われました。


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完成後、780年、1471年、1503年に大掛かりな改修工事が行われました。現在の外観は、教皇ジュリオ2世の命によって行われた最後の大改修工事後のものです。


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聖堂の入り口です。


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「Vincoli (vincolo)」とは、制約、制限という意味ですが、聖ピエトロがエルサレムの獄中で、鎖に繋がれていましたが、その鎖のことを差します。その鎖を聖遺物として祀るのが、この聖堂です。


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聖堂内に入りました。


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三廊式です。建物の基本構造はバジリカ様式ですが、その後に行われた改修工事によってルネサンス様式、バロック様式が混在してます。


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ドーリア式列柱が目立ちますが、ギリシャから持ち込まれた列柱を使用していたローマ時代の建物から移設されたものだそうです。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖アゴスティーノ・ディッポーナ」


augusti3
私の写真では不鮮明なので、外部サイトから作品画像を拝借しました。


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ピエトロ・サンティ・バルトーリ(ペルージャ、1635‐ローマ、1700)の「ドメニキーノ作『牢から解放される聖ピエトロ』の複製画」(1683)
この作品は縦長ですが、ドメニキーノが描いた作品は横長です。


san pietro
ドメニキーノの作品です。
外部サイトから拝借した作品画像です。


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ボケ写真で申し訳ありません。
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「アンティオキアの聖マルゲリータ」(1644)


margueri
外部サイトから拝借した作品画像:グエルチーノの「アンティオキアの聖マルゲリータ」


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教皇ジュリオ2世の墓です。


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1505年、教皇ジュリオ2世はミケランジェロに墓の制作を委託しました。制作が開始されたものの、肝心のジュリオ2世が墓に興味がなくなって、何度も制作が中断されて、ジュリオ2世の死から32年後の1545年に漸く完成したのです。


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ミケランジェロ・ブオナローティ(カプレーゼ、1475‐ローマ、1564)の「モーゼ」(1513‐15、1542)
モーゼの角は、ヘブライ語で書かれたモーゼをミケランジェロが誤って解釈した結果とされてます。


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ジャコモ・コッピ通称イル・メーリオ(ペレトーラ、1546‐フィレンツェ、1591)によって、1573年に制作された後陣フレスコ画


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ラファエッロ・サンツィオの影響が色濃いようです。


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7世紀のベイルート再建がフレスコ画のテーマです。


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左後陣の礼拝堂


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ジュゼッペ・ブラヴォ(ミラノ、1862/1868c-1901)の「無原罪の聖母」(19世紀)


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逸名画家作「ヴィンコリの聖母」


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外部サイトから拝借した作品画像


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クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチョ、1540/1545-カステル・デッラ・ピア―ヴェ、1597)の「十字架降下」(17世紀)


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身廊の天井画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・パロディの「奇跡の連鎖」(1706)


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アントニアッツォ・ロマーノ(?,1430/1435c-ローマ、1508)の「シスト4世の行進」


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外部サイトから拝借した作品画像


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ポッライオーロ兄弟の墓


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(おわり)