イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ローマの教会巡り > サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂

216
ジョヴァンニ・ディ・コズマ(?、?‐ローマ、1305c)の「グリエルモ・ドゥランド枢機卿の墓」(1296c)


048
聖母子と2聖人のモザイク


051
フランチェスコ・ナッピ(ミラノ、1565‐ローマ、1630)の天井フレスコ画(1600c)


052
ジュゼッペ・オビチ(スピランベルト、1807‐ローマ、1878)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1856)


053


217
Cappella di Ognissanti


057
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625‐ローマ、1713)の「聖ピエトロと福者たちに顕現する聖母」(1671)


218
Cappella Capranica


059
ミケランジェロ・チェッルーティ(ローマ、1663‐1749)の「ロザリオの聖母」(18世紀)


060
ジョヴァンニ・デ・ヴェッキ(ボルゴ・サン・セポルクロ1536‐ローマ、1615)の「シエナの聖カテリーナの生涯の物語」(1586)


061


062


063


064


065


066
19世紀のステンドグラス「シエナの聖カテリーナの戴冠」


068
フランチェスコ・ナッピ(ミラノ、1565‐ローマ、1630)の後陣のフレスコ画(1600c)


069


070


071


072
ミケランジェロ・ブオナローティ(カプレーゼ、1475‐ローマ、1564)の「ミネルヴァのキリスト」(1521)


074


076


077


078
Vestibolo


079
ジャコモ・デッラ・ポルタ(ポルレッツァ、1532‐ローマ、1602)の「ミケーレ・ボネッリ枢機卿の墓碑」(1598‐1611)


082
Cappelle Frangipane


083
ベノッツォ・ゴッツォリ(スカンディッチ、1420‐ピストイア、1497)に帰属する「聖母子」(1449)


219


088
Cappella di San Domenicoの祭壇画:パオロ・デ・マッテイス(ピアーノ・ヴェトラレ、1662‐ナポリ、1728)の「聖ドメニコのイコンを手にする聖母と聖カテリーナと聖マリア・マッダレーナ」(1723‐26)


089
カルロ・ロンカッリの「天上の聖母子と聖ドメニコ」


094
アンドレア・プロカッチーニ(ローマ、1671‐スペイン、1734)の「ピオ5世」(1710‐20)


097
Cappella Giustinianiの祭壇画:ベルナルド・カステッロ(ジェノヴァ、1557‐1629)の「聖ヴィンチェンツォ・フェッレール」(1584c)


099
ドゥッチョ・ブオニンセーニャ(シエナ、1255/1260c-1319c)の「聖母子」


220


102
フランチェスコ・ナッピ(ミラノ、1565-ローマ、1630)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」(1600c)


104
Cappella del Sacro Cuore


106
コッラード・メッザーナ(ローマ、1890-1952)の「キリストとシエナの聖カテリーナと聖マリア・アラコクエ」(1922)


109
シエナの聖カテリーナの墓


114
ベアート・アンジェリコの墓


112
この辺で終わることにします。


115
外に出ました。
(この項、おわり)

307
オベリスクの先にパンテオンが見えてます。


310
オベリスクの後にサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂があります。聖堂はパンテオンの至近にあります。


309
ミネルヴァ神殿の上に築かれたと誤解されていたので、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂と名付けられました(sopra=上に、という意味)。
現在、聖堂が建っている場所には、ポンペイウスが紀元前50年に建設した、エジプトの女神イシスを祀ったイシス神殿がありましたが、8世紀中頃、使用されなくなって廃墟となっていた神殿が教会として転用されることになりました。それが現在の聖堂の前身です。
ということで、本来ならば、サンタ・マリア・ソプラ・イシス聖堂と称されるべきですが、間違いが正されることなくソプラ・ミネルヴァとなってます。ミネルヴァ神殿は、イシス神殿近くにあったことが分かってますが、その場所は特定されていないようです。


486
1275年、教会はドメニコ会の所有となりましたが、ドメニコ会は古い神殿転用の教会を取り壊し、その上に新しい建物建設を決めました。
そうして、1280年創建、1370年完成の建物が現在の姿の原形となってます。
17世紀前半、カルロ・マデルノ(スイス、カポラーゴ、1556‐ローマ、1629)の設計によってバロック様式に改修されましたが、19世紀にゴシック様式へと改修され、その改修後の姿が現在の外観となってます。


487
ミネルヴァ広場にあるオベリスクですが、紀元前589年から570年にエジプトで制作されたものを、284年から305年にかけて、ディオクレティアヌス帝によってイシス神殿前に設置されました。


312
現在、オベリスクは象のモニュメントの上に置かれており、「Pulcino della Minerva」(ミネルヴァのひよこ)と呼ばれてます。
オベリスクが乗っている象は、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計に基づき、エルコール・フェッラータ(ペッリオ・インテルヴィ、1610‐ローマ、1686)によって1667年に制作されました。
エルコーレ・フェッラータは、ベルニーニの弟子です。


1258
教皇アレッサンドル7世の即位を記念して象が制作されたそうです。


306
ファサード扉上ルネッタのフレスコ画「聖母子と聖ドメニコ」


308
こちらの扉上ルネッタのフレスコ画ですが、1848年から1855年にかけて行われたバロック様式からゴシック様式へと改修された工事の際に制作された新古典様式のものです。
Basilica Minoreです。


004
聖堂内に入りました。


005
先ずペルジーノの作品を見ました。


007
ピエトロ・ディ・クリストフォロ・ヴァンヌッチ通称ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1448c‐フォンティニャーノ、1523)の「祈るキリスト」


488
写真写りが悪いので、外部サイトから作品画像を拝借しました。


009
三廊式、ゴシック様式の内部です。


010
縦101m、横41mの内部です。


011
左側廊に7つの礼拝堂、右側廊に8つの礼拝堂があります。


013
Cappella Caffarelli


211
ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ通称バチッチョ(ジェノヴァ、1639‐ローマ、1709)の「光悦の聖ルドヴィーコ・ベルトランド」(1673)


016
Cappella Colonnaの祭壇画:ラッザロ・バルディ(ピストイア、1624‐ローマ、1703)の「リマの聖ローザ」(1668)


019
ボナヴェントゥーラ・ランベルティ通称イル・ボロネーゼ(カルピ、1653‐ローマ、1721)の「聖ピエトロ・マルティーレの死」(1690‐93)


020
ジョヴァンニ・バッティスタ・フランコ通称イル・セモレイ(ヴェネツィア、1510‐1561)の「羊飼いの礼拝」(1550)


021
ジョヴァンニ・バッティスタ・フランコ通称イル・セモレイ(ヴェネツィア、1510‐1561)の「キリストの復活」(1550)


022
Cappella Colonnaの天井フレスコ画:ジローラモ・ムツィアーノ(ブレーシャ、1532‐ローマ、1592)の「キリストの生涯と4福音書記者」(1550c)


024
Cappelle Annunziata


026
アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430c‐1508)の「トルクエマーゾ枢機卿と受胎告知」(1500)


212
トルクエマーゾ枢機卿は、この祭壇画の注文主です。


029
Cappella Aldobrandini


214


213
フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1535‐1612)の「Istifuzione dell'Eucaresia」(1607)


032
Cappella San Raimondoの祭壇画: Nicola Magnj に帰属する「聖パオロとぺナフォルトの聖ライモンド」(17世紀)


035
ジローラモ・シチョランテ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1521‐ローマ、1580)の「聖ルチアと聖アガタ」(1550c)


037
Cappella Carafa


042
フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457‐フィレンツェ、1504)の「聖トマス・アクィナスの勝利」(1489‐91)


043


038


046


040


041


044


047
(つづく)

↑このページのトップヘ