イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ローマの教会巡り > サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ聖堂

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Maestro dolenti del 1390の「磔刑」


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これは何でしょうか?
ステファノ・マデルノの「聖チェチリアの死」は主祭壇下にあります。その複製彫刻でしょうか?


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右側廊


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右側廊天井


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セバスティアーノ・コンカのフレスコ画?


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詳細不明の礼拝堂


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詳細不明の墓碑


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セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680‐ナポリ、1764)のフレスコ画


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Cappella Ponziani
アントニオ・デル・マッサ―ロ・ダ・ヴィテルボ(ヴィテルボ、1450‐1516)の「慈悲の聖母と聖ステファノと聖チェチリア」


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ジュゼッペ・ゲッツィ(コムナンツァ、1634‐ローマ、1721)の「聖ベネデット」


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セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680‐ナポリ、1764)のフレスコ画


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ローマの逸名画家作「悔悛のマグダラのマリア」(18世紀)


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後陣右の礼拝堂


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逸名彫刻家の作品


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逸名彫刻家作「聖チェチリア」


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逸名画家作「教皇パスクゥアーレ1世に顕現する聖チェチリア」(12世紀)


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左側廊


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主祭壇と後陣


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主祭壇下に置かれているステファノ・マデルノ(カポラーゴ、1576‐ローマ、1636)の「聖チェチリアの死」(1599‐1600)


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アルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1240‐フィレンツェ、1310)の天蓋(1293)


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後陣のモザイク


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822年、第98代教皇パスクゥアーレ1世(ローマ、?‐824)によって再建されましたが、その際、制作されたモザイクと言われてます。


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左端から教皇パスクゥアーレ1世、聖アガタ、聖パオロ、キリスト、聖ピエトロ、聖ヴァレンティアーノ、聖チェチリア


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聖人の光輪は黄金色ですが、左端の教皇パスクゥアーレ1世だけは青色になってます。これは、モザイクが制作された時にパスクゥアーレ1世が生存中であったことを示してます。
モザイクや祭壇画を見る際、光輪が青色になっていた場合の解釈ですから、表現の約束事として覚えておくと良いと思います。


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次の礼拝堂です。


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ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1573c‐1643)の「聖ピエトロと聖パオロ」


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礼拝堂天井のフレスコ画


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詳細不明の礼拝堂祭壇画


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その礼拝堂の天井


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ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1573c‐1643)の「聖アンドレア戴冠」


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ジュゼッペ・ゲッツィ(コムナンツァ、1634‐ローマ、1721)の「聖ステファノと聖ロレンツォ」


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ミーノ・ダ・フィエゾレ(ポッピ、1429‐フィレンツェ、1484)の「ニッコロ・フォルテグエッリの墓碑」(1473)
この日は、クリプタに入ることが出来ませんでした。


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プリプタ(外部サイトから拝借した写真)
最後は、ピエトロ・カヴァッリ―ニの「最後の審判」を見ることですが、修道院への扉が閉まっていて、聖歌隊席に行くことが出来ませんでした。
ピエトロのフレスコ画は、聖歌隊席にありますが、聖堂の左側にある修道院への扉から修道院経由で聖歌隊席に行くのです。
仕方がないので、外部サイトから拝借したピエトロの作品画像を載せておきます。


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ピエトロ・カヴァッリ―ニ(ローマ、1250c‐1330c)の「最後の審判」(1293)


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主祭壇前から見た出入口


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外に出ました。


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(この項、おわり)

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写真左に聖堂が見えてきました。


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聖チェチリア(ローマ、2世紀‐230)は、自分がキリスト教に改宗させた夫、友人たちと共に230年頃に殉教した聖人で、伝説に拠れば楽器を奏でながら讃美歌を歌ったとされており、音楽家の守護聖人となってます。盲人の守護聖人でもありますが、その由来が私には分かりません。
なお、176年から180年にかけてシチリアで殉教した別説があるようです。


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聖堂は高い壁に囲まれてます。


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こちら側は聖堂の後陣と修道院に当たります。


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道を挟んだ聖堂の向かいに、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・ジェノヴェーゼ教会が建ってます。


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少し大回りして、聖堂の入り口があるファサード側に出ます。


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ファサード側に来ました。


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4本柱の柱廊付きの建物は、18世紀初めにフランチェスコ・アクゥアヴィーヴァ・ダラゴーナ枢機卿が建築家フェルディナンド・フーガ(フィレンツェ、1699‐ナポリ、1782)を起用して建てさせたものです。


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聖堂の建物への門です。


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門を潜ると中庭に出ます。


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中庭もフェルディナンド・フーガ(フィレンツェ、1699‐ナポリ、1782)によって設計されました。


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この場所は、ローマ貴族だった聖チェチリアの家がありました。聖堂のクリプタに、彼女が拷問を受けた部屋があります。
5世紀半ばころ、この場所に聖チェチリアを称える小さな教会が建てられましたが、恐らくローマで最初に建設された公式な教会と言われてます。


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820年、第98代教皇パスクゥアーレ1世(ローマ、?‐824 在位:817‐824)によって、最初の建物が取り壊され、再建されました。
1599年、パオロ・エミリオ・スフォンドラーティ枢機卿(彼の墓碑がこの聖堂のファサード柱廊にあります)によって改築されました。
ファサードは、フェルディナンド・フーガによって1725年に改築されましたが、改築後のファサードが現在の姿となってます。


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鐘楼は12世紀に建設されたもので、1725年建設のファサードと比べると、アンバランスな感じが否めません。


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ファサードのモザイクが見逃せません。


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FRANCISVSと書かれている下にモザイクがあります。


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古いものではありません。


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フェルディナンド・フーガによるファサード再建の際に造られたモザイクです。


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ファサードの柱廊を見ます。


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18世紀前半の柱頭


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柱廊の壁に墓石が並んでます。


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ジローラモ・ライナルディ(ローマ、1570‐1655)の「パオロ・エミリオ・スフォンドラーティ枢機卿(ミラノ、1560‐ティヴォリ、1618)の墓碑」


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パオロ・エミリオ・スフォンドラーティ枢機卿は、1591年から1618年までCardinale presbitero di Santa Ceciliaの任にありました。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、バジリカ様式の構造ですがバロック様式の内部です。


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古さを生かした改修でも良かったのではないか、と思います。


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身廊天井にフレスコ画があります。


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セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680‐ナポリ、1764)の「聖母戴冠」


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パオロ・ロマーノ(セッツェ、1445‐ローマ、1470)の「アダム・イーストン枢機卿の墓」


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墓の上のフレスコ画


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セバスティアーノ・コンカが制作に参加したようですが、どの部分を描いたのか分かりません。


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(つづく)

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