ミネルヴァ広場からパンテオンが見えます。
パンテオンです。
長年にわたる土砂の堆積によって、現在の地表とパンテオンの高さが違うことが分かります。
ローマの様々な神を祀る万神神殿のパンテオンのファサードです。
ファサードにアグリッパが建てたと書かれてますが、アグリッパによって建設された初代の建物は失われ、現在見ることが出来るのは二代目の建物です。
紀元前25年に建設された初代の建物は、80年の火災によって大きな被害を受けましたが、修復され使用が継続されていました。ところが110年の落雷によって壊滅的な被害を受けて、そのまま放置されていました。
ハドリアヌス帝によって、115年から127年にかけて再建されたものが現在の姿となってます。
ファサード前の広場にパンテオンのオベリスクがあります。
ドミティアヌス帝の時代(治世:81‐96)、イシス神殿前に置くためにエジプトからオベリスクを移設しました。イシス神殿はミネルヴァ聖堂後陣近くにあったとされてます。
オベリスクは、1473年、Piazza di San Macutoで発見され、その場で再建されました。
1575年、ジャコモ・デッラ・ポルタ(ポルレッツァ、1533‐ローマ、1602)の設計によって彫刻家レオナルド・ソルマーニ(ローマ、1550‐1590c記録)が製作したFontana del Pantheonです。
1711年、第243代教皇クレメント11世(在位1700‐1721)によって、Fontanaの上にオベリスクが置かれるようになりました。
現在、ロトンダ広場に置かれているFontanaは、コピー作品です。本物はローマ博物館にあります。
7世紀、パンテオンは教会に転用され、現在に至ってます。
Basilica Minoreで正式名称は、Basilica Collegiata di Santa Maria ad Martyres サンタ・マリア・アド・マルティレス参事会聖堂と言われてます。サンタ・マリア・デッラ・ロトンダ聖堂とも呼ばれてます。
入口にプロナオス Pronaoがあります。
列柱と柱頭
柱廊天井
聖堂内に入りました。
クーポラ
詳細不知
Cappella dellAnnunciazione
メロッツォ・ダ・フォルリ(フォルリ、1438‐1494)の「受胎告知」
詳細不知
詳細不知
Cappella della Madonna Clemenzaの祭壇画:ウンブリア・ラツィオ派逸名画家作「聖母子と聖フランチェスコと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(15世紀)
詳細不知
詳細不知
主祭壇
Cappella Crocifissoの「磔刑像」(16世紀)
ラファエッロ・サンツィオの墓
Cappella San Giuseppe da Terrasanta
ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ(フィエゾレ、1525‐フィレンツェ、1587)の「幼きキリストと聖ジュゼッペ」
詳細不知
詳細不知
詳細不知
混雑してきました。
もう一度受胎告知を見ました。
クーポラ直下の床
外に出ました。
街角の聖母子
(この項、おわり)