イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ローマの教会巡り > サンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会

P2220172
Cappella dei Vignaroliの祭壇画です。
17世紀の逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P2220177
アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「カナの結婚」
通称がイル・ポマランチョと呼ばれた画家は3人いたので、通称だけではなく本名を併記しないと区別できません。


P2220179
アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「ラザロの蘇生」


P2220181
後陣左の礼拝堂


P2220185
中央礼拝堂(主祭壇)


P2220192
この主祭壇画が有名です。


P2220191
アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430c‐1508c)の「慰めの聖母」


P2220200
後陣天井の装飾


P2220198
中央礼拝堂左壁にある作品です。  
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552‐ローマ、1626)の「聖母被昇天」


P2220194
中央礼拝堂右側壁です。


P2220196
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552‐ローマ、1626)の「聖母の誕生」


P2220202
後陣右の礼拝堂


P2220204
「聖母のイコン」(13世紀)


P2220211
パオロ・ガッリナーロの「受胎告知」(2016)
パオロの宗教画は高く評価されているそうです。(事実ですが、私見ではホンマカイナ?)


P2220208
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「貧者に施す聖パオロ」


P2220209
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖母の神殿奉献」


P2220214
「最後の晩餐」だそうです。


P2220215
定型的で陳腐な宗教画を脱して、個性的で新しい宗教画の境地を開く傑作だそうです。うーん、そうですか。


P2220217
詳細不知


P2220219
右の礼拝堂に行きます。


P2220221
リヴィオ・アグレスティ通称イル・リッチゥチィーノ(フォルリ、1505‐ローマ、1579)の「聖母子と聖人たち」


P2220223
Cappella dei Pastori


P2220224
リヴィオ・アグレスティ通称イル・リッチゥチィーノ(フォルリ、1505‐ローマ、1579)の「聖母子」


P2220225
Cappella Mattei


3
フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539‐アンコーナ、1609)の「磔刑」


P2220226
フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539‐アンコーナ、1609)の「キリストの鞭打ち」


P2220228
フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539‐アンコーナ、1609)の「ピラトの前のキリスト」


P2220230
右側廊


P2220231


P2220233
この礼拝堂は不知です。


P2220182
中央礼拝堂前から見た出入口方向です。


P2220183
外に出ます。


P2220235
教会設立の経緯を知らないと理解が難しい拝観になりそうです。


P2220238
(この項、おわり)


P2220100
今回はカンピテッリ地区にあるサンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会を取り上げます。


P2220114
ローマ市庁舎です。


P2220120
カンピドーリオ広場から崖下の道に下ります。


P2220122
モンテ・タルぺオ通りに下りると直ぐにサンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会の建物が見えます。


P2220123
アーチを潜ると、写真右は崖下になります。


P2220236
Rupe Tarpeo、タルペーイアの岩です。


1
タルぺーイアの岩は、共和制ローマ時代から1550年まで処刑場でした。


184
岩のことに触れているのは、教会の歴史と関係があるからです。
タルペーイアの岩の麓に教会があります。


P2220124
1385年、ローマ貴族ジョルダネッロ・デリ・アルベリーニは死刑判決を受け、タルペーイアの岩から突き落とされることになりました。
死刑に臨んで、ジョルダネッロは金貨2枚を払って、現在教会が建っている場所に聖母像を置いてもらい、生前の最後を慰めました。
また、当時、聖母像を置いてもらった場所に隣接して病院が建っていました。
15世紀中頃、死刑囚を慰めるためと病院に関係する人々のための信仰の場所として教会が建設されることになり、15世紀後半に工事着工、1506年に完成した慰めの聖母教会です。1470年に奉献されました。
病院とタルペーイアの岩と関係なさそうですが、精神を病んだ病人や回復の見込みがない重病人や伝染力が高い病気に罹患した病人も時に崖上から突き落とされたという忌まわしい事実があるのです。


P2220125
1505年、ローマの有力貴族のマッテイ家、コロンナ家、サンタクローチェ家、フランジパネ家によって慈善事業団体「Compagnia di Gentiluomini」が設立され、貧しい人々の救済と病院への資金援助を行いました。
その慈善事業団体は財政が豊かだったので、完成してから年月が経っていない教会の再建を決めました。建築家マルティーノ・ロンギ・イル・ヴェッキオ(ヴィッジ、1534‐ローマ、1591)に建設が委嘱され、マルティーノの設計、工事監督によって1583年から1606年にかけて、バロック様式の建物が再建されました。


P2220126
パスクゥアーレ・ベッリ(ローマ、1752‐1833)によって1827年に完成したファサードです。


P2220127
預言者イザヤとゼカリアの彫像


P2220128
ファサード前の階段は20世紀になって追加されました。
聖ルイージ・ゴンザーガは、教会に隣接する病院(現在は市役所となっています)でペスト患者を救済中に死んだのです。
財政的に豊かな教会だったので、制作費用が高い画家などに祭壇画などを注文した経緯から美術ファンにとっては嬉しい教会です。


P2220129
観光客はあまりいません。


P2220130
この教会に展示されるようになったのだ!
現代の宗教画が得意な画家パオロ・ガッリナーロです。


P2220131
中に入りました。


P2220132
三廊式、バロック様式の内部です。


P2220134
左右に5つづつの礼拝堂、主祭壇を含めて後陣に3つの礼拝堂があります。


P2220136
天井は地味です。


P2220137
後陣の装飾


P2220143
左側廊


P2220144
左側廊の礼拝堂から見て行きます。


P2220139
ラッファエッロ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ、1505‐オルヴィエート、1566)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1530)


2
ルイージ・カッポーニ(ミラノ、1450c‐1506)の「磔刑」


P2220141
パオロ・ガッリナーロの作品を見るのは初めてですが、ビックリしました。


P2220142
「大天使聖ミケーレ」ですと!


P2220146
詳細不知


P2220147
詳細不知


P2220150
17世紀の逸名画家作「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


P2220151
Cappella Sacchiのプレセピオ
「聖痕を受ける聖フランチェスコ」の下にあります。


P2220153
Cappella dei Carzoni degli Osti
祭壇画の下半分が切り取られてます。


P2220155
フランチェスコ・ナッピ(ミラノ、1565c‐ローマ、1630)の「聖母被昇天」(1620)


P2220158
フランチェスコ・ナッピ(ミラノ、1565c‐ローマ、1630)の天井フレスコ画


P2220160
フランチェスコ・ナッピ(ミラノ、1565c‐ローマ、1630)の「幼きキリストへの崇拝」


P2220161
Cappella dei Pescatori
逸名彫刻家作「この人を見よ」(17世紀)


P2220164
マルツィオ・ディ・コラントニオ・ガナッシーニ(ローマ、1560‐1623以降没)の「聖アンドレア」


P2220166
マッティア・プレティ(タベルナ、1613‐マルタ、ヴァレッタ、1699)の「聖アンドレアの殉教」


P2220169
マルツィオ・ディ・コラントニオ・ガナッシーニ(ローマ、1560‐1623以降没)の「聖ピエトロの逆さ磔」
(つづく)

↑このページのトップヘ