テヴェレ川に架かるファブリチョ橋を渡ってティベリーナ島に向かいます。
ティベリーナ島からチェスティオ橋を渡ります。
チェスティオ橋の上から振り返ってティベリーナ島を見たところです。
チェスティオ橋を渡れば、直ぐにトラステヴェレのピシヌーラ広場に出ます。広場の突き当りに小さな教会の建物が見えますが、それがサン・ベネデット・イン・ピシヌーラ教会です。
ピシヌーラ広場です。写真右は、14世紀に建設されたPalazzo Matteiです。
Palazzo Mattei
マッテイ家は、中世の頃、この教会の守護者でしたが、17世紀になると相続人がいなくなってしまい、教会の財政面が困難となりました。
piscinulaは、ラテン語のpiscinaから派生した単語で、piscinaとは「魚がいる池」という意味だそうです。
広場は、魚市場があった場所で、生きた魚ための池があったのが広場の名称の由来されてます。また、18世紀に、この場所から発掘された遺跡からローマ時代の浴場が発見され、浴場の遺跡の上に魚市場があったことが明らかになりました。
教会の起源について、文書化されていないので不明とされてます。しかし、幾つかの有力説があるようですが、定説とされるものは一つもないようです。
伝説に拠れば、聖ベネデット・ダ・ノルチャ(ノルチャ、480c‐モンテカッシーノ、547)は、5世紀末にローマに到着し、現在、教会が建っている場所に居を構えて修行に励んだと言われてます。聖ベネデットの死後、間もなくして教会が設立されたとされてます。現教会が発行している資料には、この説が教会の起源として書かれてます。
しかし、聖ベネデットの宗教的評価を高めたいとの意図から、中世の頃に作られたフィクションであるというのが定説になってます。
教会の建物の基礎部分は8世紀のものであるという確実な証拠があるそうですが、その建物が教会であったかについては不明のようです。
鐘楼の小さな鐘に1069年と刻印されているので、1069年以前に教会が建設されたという説がある一方、他の教会の鐘を転用したという別説があるようです。
1192年の記録に、この教会の存在が初めて記されているそうです。
1386年、教区教会になりました。
小さな鐘楼は、数あるローマの教会の中で最小と言われてます。
トラステヴェレのこの地区には貧しい人々が多く住んでおり、教会は絶えず財政面で問題を抱えていましたが、マッテイ家の援助が途絶えると、急速に荒廃が進みました。18世紀前半、機能が停止され廃教会となりました。
19世紀に修復されたものの、機能回復は一時的で、直ぐに宗教活動は停止され、再び忘れられた存在になってしまいました。漸く2007年になって復元されたのです。
中世のアトリウムだった入口ホールに入りました。
入口ホール壁の剥離フレスコ「聖母子」(14世紀)
入口ホール壁の剥離フレスコ
教会内に入りました。
教会の構造図
かなり複雑な構造です。
新しく見える部分は2007年に復元されたからです。
右側廊方向
2007年に復元された天井
主祭壇と後陣
19世紀初頭に修復されました。
聖母子の下の聖ベネデットは中世のものです。
その左右のフレスコ画は、フランチェスコ・ジャンジャコモ(ローマ、1783‐1864)の「バーリの聖二コラ(左)」、「セバステの聖ビアージョ(右)」(19世紀初頭)
「聖母子」(14世紀)
フランチェスコ・ジャンジャコモ(ローマ、1783‐1864)の「聖母戴冠」(19世紀初頭)
逸名彫刻家作「ジョヴァンニ・デ・プレディス・ディ・タヴェルナの記念碑」(1691)
「聖母子と聖アンナ」(15世紀)
逸名彫刻家作「司祭アントニオ・ピアペナンジの記念碑」(1720‐30)
フレスコ画は「聖エレーナ(フラヴィア・ジュリア・エレーナ)」(1500c)
詳細不知
レオポルド・アンシリオーニ(トリノ、1832‐ローマ、1894)の「玉座の聖母子と聖ベネデットと聖ロレンツォ」(19世紀)
祭壇画の下に置かれている、逸名彫刻家作「聖ロレンツォ像」(19世紀)
逸名画家作「カンタベリーの聖アンセルム」(19世紀)
逸名彫刻家作「パドヴァの聖アントニオ」(19世紀)
13世紀末のフレスコ画
12世紀のフレスコ画
13世紀に造られたCappella della Vergine
礼拝堂の建物は8世紀に建設されたそうです。
礼拝堂祭壇の「慈悲の聖母」(14世紀)
ノルチャの聖ベネデットが修行したとされる部屋です。
コスマテスク様式の床
コスマテスク様式の床部分は、この教会の創建時のオリジナルとされてます。
伝説では、聖ベネデットがこの床を歩き回って瞑想に耽ったとされてます。
床の石ですが、古代ローマ人がエジプト、ギリシャなどから持ってきた石が使用されているそうです。
柱頭は新しい?
主祭壇前から見た教会入り口
外に出ました。
(この項、おわり)
キリがないのでローマの教会巡りはこれで終わりにします。