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アントニオ・ボルゴーニャ通りに入りました。
写真手前右はこの街のシンボルというべき天使の塔 Torre dell'Angeloです。写真右端にサンタグネス・イン・フランチェスコ教会の鐘楼が建ってますが、その鐘楼下に写っている赤っぽい建物が美術館です。


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Epaminonda Ferreroが1836年に建設した新古典様式のPalazzo Ferreroです。


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1882年、アントニオ・ボルゴーニャが購入したので、Palazzo Borgognaと呼ばれてます。


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アントニオ・ジャコモ・フランチェスコ・ボルゴーニャ通称アントニオ・ボルゴーニャ(ストロッピアーナ、1822‐ヴェルチェッリ、1906)は、裕福な家に生まれた政治家で、活動的な慈善家でもありました。
1870年、若くして引退したアントニオは、予てから美術品収集に熱心でしたが、それにより一層拍車がかかって、イタリア国内は固よりヨーロッパ、アフリカ、東洋に旅をしながら、美術品の収集に努め、更にオークションで競り落とした美術品が収集品に加わりました。
アントニオの収集したコレクションは有名となり、その展示場所を探していましたが、1882年、現在美術館となっているパラッツォを購入しました。


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1899年、アントニオは、美術収集品全てを建物ごとヴェルチェッリ市に寄贈しましたが、その際、美術館を父であるフランチェスコ・ボルゴーニャ(1797‐1877)に捧げて、美術館をフランチェスコ・ボルゴーニャ美術館と命名すると共に、美術館を運営するための財団を作って財政基盤の安定に努めました。


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美術館の入り口です。
一般公開は1908年からで、1908年時点で約2000点の美術品が展示されていました。その後、財団によってピエモンテ各地の美術品が購入され、展示は更に充実したものになってます。
現在、ピエモンテ州ではサバウダ美術館に次いで2番目の美術館となってます。


3
中は写真不可です。
私の写真は一枚もありません。
しかし、それでは美術館紹介にならないので、美術館HPから作品画像を拝借して、紹介することにします。写真の版権等は美術館側が保持していることを承知の上で連載するので、作品画像はごく一部にします。それでも権利侵害であることは明らかですが。
質の高い作品が多数展示されているので、美術ファンがもっと訪問するべき美術館と思います。


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Pittore della Passione di Cristoの「磔刑」(1450c)


5
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512c‐ヴェルチェッリ、1583/1584c)の「最後の晩餐」


1
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512c-ヴェルチェッリ、1583/1584c)の「聖会話」


2
ソドマ(ヴェルチェッリ、1477-シエナ、1549)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノと天使」


9
ジローラモ・ジョヴェノーネ(バレンゴ、1490c‐ヴェルチェッリ、1555)の「幼きキリストへの崇拝」(1510‐13c)


6
デフェンデンテ・フェッラーリ(キヴァッソ、1509-1535c活動)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」(1520-25)


7
ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ(フィレンツェ、1535-1591)の「アポロとミューズ」(1580-85)


10
ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「アリアンナとバッカス」


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アンジェリカ・カウフマン(スイス、1741-ローマ、1807)の「ドメニカ・ヴァルパートの肖像」(1791)


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外に出ました。
最初から最後まで入館者は私1人でした。勿体ないことです。
写真OKにすれば、各種媒体でのPRがされて、入館者がもっと多くなることでしょう。


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おわり