イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ロンバルディア州 > ヴィジェーヴァノ

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次はヴィジェーヴァノのドゥオーモ、サンタンブロージョ大聖堂です。


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963年と967年の文書に、この場所にあった教会が記載されてます。


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現在の建物は、最後のミラノ公爵フランチェスコ2世・スフォルツァ(ミラノ、1495-ヴィジェーヴァノ、1535)の命によって、1532年に創建されたもので、1606年に一応の完成を見たものです。設計者はアントニオ・ダ・ロナーテ(ロナーテ・ポッツォ―ロ、1456/1457-ミラノ、1541c)でした。


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バロック様式のファサードは、ヴィジェーヴァノ司教ファン・カラミュエル・イ・ロブコヴィッツ(マドリッド、1606-ヴィジェーヴァノ、1682)の設計によって、17世紀後半に建設されました。
スペイン出身のファン・カラミュエル・イ・ロブコヴィッツ司教は、数学者でもあり、建築にも通じていました。
鐘楼は、14世紀に建設された市の塔がそのまま教会の塔に転用されて現在に至ってます。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、マニエリスム様式の内部です。


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19世紀に行われた装飾が目立ちます。


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チェーザレ・マーニ(ミラノ、1492-1534)の「磔刑」


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フェルディナンド・ガッティ通称イル・ソイアーロ(パヴィア、1495c-クレモナ、1575)の「復活したキリスト」


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詳細不知


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詳細不知


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フランチェスコ・ゴニン(トリノ、1808-ジャヴェーノ、1889)による装飾


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主祭壇


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アレッサンドロ・サンクィリコ(ミラノ、1777-1849)による後陣フレスコ画(1828-30)


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クーポラ


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詳細不知


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詳細不知


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ロンバルドの逸名画家作「磔刑と聖マリア・マッダレーナ」(16世紀)


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詳細不知


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ベルナルディーノ・フェラーリ(ヴィジェーヴァノ、1495-1524)の「天上の聖母子と聖人たち」


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ロンバルドの逸名画家作「ポリッティコ」(16世紀)


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チェーザレ・マーニ(ミラノ、1492-1534)の「聖母子と聖人たち」


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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右側廊


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フェルディナンド・ポルタ(ミラノ、1689-1767)の「キリストの洗礼」


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ベルナルディーノ・フェラーリ(ヴィジェーヴァノ、1495-1524)の「サンティ・ジャコモ・エ・クリストフォロ礼拝堂の多翼祭壇画」(1510)


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詳細不知


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詳細不知


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フランチェスコ・ゴニンによる天井フレスコ画


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クリプタ


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詳細不知


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主祭壇をもう一度見てから外に出ました。
(おわり)

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次はサンタ・マリア・デッレ・ネーヴィ教会です。


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サンタ・マリア・デッレ・ネーヴィ教会が見えてます。


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15世紀に、この場所に建設されたサンタ・マリア・デイ・ペッシ教会が前身です。
ヴィジェーヴァノを流れるティチーノ川から獲れた魚を商う魚市場がこの場所にありました。教会名にPesciが付く由来です。


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現在の建物は、1559年から1606年にかけて、死の同信会によって建設された二代目となるものです。


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初代の建物にあった、15世紀に描かれた「聖母子と聖セバスティアーノと聖ロッコ」の祭壇画が見ものとされてます。


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扉が閉まっていたのは仕方がないと思いました。


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道の突き当りに新しそうな教会があります。


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19世紀末に建設されたManostero Suore Sacrametineです。女子修道院です。


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徐々に涼しくなってきました。


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Palazzo Merulaです。


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17世紀にドメニコ会によって建設されたサンタ・マリア・アッスンタ女子修道院だった建物です。


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中に入るとキオストロ回廊に出ます。


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ナポレオンのイタリア侵攻に伴う教会活動抑止策に基づき、修道院活動が停止され、1805年に州所有物件となりました。
1809年に孤児院として使用されるようになり、その後、孤児院を併設した市民病院となりました。


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キオストロ回廊に置かれている彫刻


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外に出ました。


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サンティグナツィオ・ディ・ロヨラ教会です。


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1694年から1708年にかけて建設されました。


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扉が閉まっていました。


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カステッロが開く時間になりました。


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カステッロ自体には殆ど見所がないようですが、ヴィジェーヴァノに来たからには入らなくては。


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結論を言えば、見所はなしでした。


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外に出ました。通りの先にサン・フランチェスコ教会が見えてます。


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サン・フランチェスコ教会です。


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1397年に建設されました。


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15世紀中頃に拡張され、現在の姿になりました。


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ファサード前の「鳥に説教する聖フランチェスコ」の泉


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ファサード横の小礼拝堂


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ドゥカーレ広場に戻ります。


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ドゥオーモが開く時間です。


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扉が開きました。


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広場の床の模様


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レオナルド・ダ・ヴィンチ考案と言われてます。


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(つづく)

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通りの突き当りに教会があります。


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1363年に建設されたサン・ピエトロ・マルティーレ教会です。


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現在のロンバルド・ゴシック様式の外観は、1446年から1480年にかけて拡大改造された後のものです。


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中に15世紀のフレスコ画や16世紀の祭壇画「受胎告知」などがありますが、扉が閉まっていたので拝観出来ず。


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入口扉上ルネッタの詳細不知の「殉教した聖ピエトロ・マルティーレを悼む修道士たち」


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サン・ピエトロ・マルティーレ教会ファサード前のベアート・マッテオ広場です。


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この門からスフォルツェスコ城内に入ります。


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門を潜って城内に入りました。写真は城内から見た潜ってきた門です。


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カステッロの中庭です。ブラマンテの塔が目立ちます。


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中庭は公園として一般開放されてます。


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ロンゴバルド時代の7世紀から10世紀に建設した城が基になってます。


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その後、城はミラノ僭主のルキーノ・ヴィスコンティ(ミラノ、1287-1349)とミラノ公爵ルドヴィーコ・イル・モーロ(ミラノ、1452-フランス、ロシュ、1508)によって拡大整備されました。
現在の姿は、イル・モーロの命によって1492年から1494年にかけて建設されたものが中心となってます。


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城内に入ってみました。


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フレスコ画がありました。


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ここはMuseo Civicoの出口でした。


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城ですが、1535年、スフォルツァ家によるミラノ支配が終わると、ヴィジェーヴァノ城はスペインの支配下に置かれました。その後、オーストリア軍の駐屯地になりましたが、歴史の変遷によって、サルデーニャ軍、イタリア軍の軍事基地となり、1968年まで軍の駐屯地として使用されました。


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現在は市立博物館などとして公開されてます。


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ここから城内に入ります。


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絵画館、靴博物館、工業製品博物館の3部門から成ってます。


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城内の回廊


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入館無料でした。


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ベルナルディーノ・フェラーリ(ヴィジェーヴァノ、1495-1524)の「玉座の聖母子とと聖ピエトロと聖アンブロージョ」(1515)


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ロンバルドの逸名画家作「聖母子と聖人たち」


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ロンバルドの逸名画家作「ご誕生」


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フェルディナンド・ポルタ(ミラノ、1687-1763)の「キリストの洗礼」


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靴博物館は一見に値します。


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一旦、ドゥカーレ宮殿に戻りました。


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ドゥオーモの扉が未だ閉まってます。


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もう一度城外に出ます。


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Corso Vittorio Emanuele II


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写真右はMunicipioです。


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1474年に建設された病院が前身です。


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病院の建物が一部取り壊され、1768年から1771年に改築された建物です。


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Palazzo Civico 市庁舎です。


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市庁舎の中庭


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ここでヴィジェーヴァノの地図を頂戴しました。


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非常に親切な応対をしてくれた職員に感謝です。


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市庁舎から簡単にドゥオーモに行けます。


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市庁舎から至近の場所に教会があります。


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1323年創建のサン・ディオニージ教会です。


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14世紀のフレスコ画が中にあるそうですが、拝観したことがありません。


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市立劇場です。


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(つづく)

ヴィジェーヴァノは、人口63,420人(2018年11月30日現在)のロンバルディア州パヴィア県にあるコムーネです。ミラノの支配下に置かれていた中世の頃、靴産業が興り、現在でも数多くの靴を製造してます。
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ミラノのFSターミナル駅の中で最も冴えないミラノ・ポルタ・ジェノヴァ駅です。この駅始発の普通列車に乗ってヴィジェーヴァノ駅に向かいました。


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乗車約25分ほどでヴィジェーヴァノ駅に到着しました。


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駅舎


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駅から街の中心へと通じるカイローリ通りです。


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カイローリ通りは右にカーブしています。


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通りの突き当りが街の中心の入り口です。


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写真右の建物に注目です。


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Palazzo Saporiti


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1828年に建設されました。


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現在、Palazzo Saporitiはベネデット・カイローリ高校の校舎として使用されてます。


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Palazzo Saporitiの別の入り口


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日本の夏のような蒸し暑い日でした。


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サン・ジョルジョ・イン・ストラータ教会です。


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城壁の一部として10世紀に創建されました。


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現在の建物は14世紀に再建された二代目となるものです。


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旧市街の入り口です。


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ヴィスコンティ城です。


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Porta di Via XX Settembre


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門を潜れば、9月20日通りに出ます。


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現在の門は14世紀に建設されました。


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門を潜って、9月20日通り側から見た門です。


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9月20日通りを進みました。


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雷鳴が聞こえてきたので、この時は天気の急変を心配していました。結局、降ることはなかった。


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街角のタベルナコロ


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街の中心の広場に入ります。


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ドゥカーレ広場


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ミラノの支配者ルドヴィーコ・イル・モーロ(ミラノ、1452-フランス、ロシュ、1508)の命により、1492年に建設が開始され1494年に完成したドゥカーレ広場です。


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ブラマンテの塔


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巷間、レオナルド・ダ・ヴィンチ設計とされているドゥカーレ広場です。


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縦134m、横幅48mの広場です。


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広場の端に建つのは、サンタンブロージョ司教座教会、ヴィジェーヴァノのドゥオーモです。


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この時間は未だ開いてません。拝観は後程。


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広場に立つ聖ジョヴァンニ・ネポムチェーノ像


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外壁はフレスコで装飾されてます。


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高さ約56mの1196年に遡るブラマンテの塔です。イル・モーロの命によって改造されたものが現存の塔です。
この日は、塔に上ることが出来ませんでした。


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ドゥカーレ広場からポポロ通りに出ました。


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通りの先に教会があります。


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サンタ・マリア・デル・ポポロ教会です。


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平日は閉まってます。


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(つづく)

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