イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:エミリア・ロマーニャ州 > ファエンツァ

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サン・ドメニコ教会の扉が開いていました。


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1223年、ドメニコ会修道士がファエンツァに到着し、布教活動を開始した記録が残されているそうです。


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1301年、ファエンツァの市当局からドメニコ会に対して、土地とブドウ園が与えられました。
14世紀前半、ドメニコ会は与えられた土地に修道院を建設し、現在教会が建っている場所に、併せてロマネスク様式の教会も建設しました。
最初の建物は経時劣化と地震の影響を受けたので、18世紀前半に再建が決定されました。それを受けて、ボローニャの建築家フランチェスコ・タドリーニ(ボローニャ、1723-1805)の設計によって、1761年から1765年に建設された新古典様式に二代目の建物が現在の姿です。


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鐘楼


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ファサードの入り口扉上の浮彫「聖アンドレアの殉教」


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ファサード壁龕の彫刻「聖人(特定できないようです)」


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「聖母子」


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教会内に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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コリント式円柱が目立ちます。


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地味な天井装飾


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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左側壁


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詳細不知


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「聖母子」のイコン


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇


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後陣天井


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主祭壇画は、クリストフォロ・ウンテルベルガー(カバレーゼ、1732-ローマ、1798)の「天使に導かれてファエンツァに入る聖ドメニコ」


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後陣に置かれたオルガン


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フランチェスコ・タドリーニ(ボローニャ、1723-1805)設計の主祭壇(1766)
主祭壇の大理石彫刻はジョヴァンニ・トスキーニ(1650c-1737)によります。


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詳細不知


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トンマーゾ・ルエールの「聖ウミルタ」(1762)


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トンマーゾ・ルエールの作品


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トンマーゾ・ルエールの作品


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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右側壁


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フェリーチェ・トレッリ(ヴェローナ、1667-ボローニャ、1748)の「聖ヴィンチェンツォ・フェッレール」


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ジョヴァンニ・ゴッタルディ(ファエンツァ、1733-ローマ、1812)の「キリストの洗礼とファエンツァに集う聖人たち」


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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これで見るべきものは大体見たようです。


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拝観出来なかった教会が多かった気がしますが、この辺は仕方がりません。


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15世紀に建設されたPalazzo Azzalli-Ferdiani


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ホテルに戻り、荷物を受け取って次の目的地パルマに向かいます。


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ドゥオーモに向かう道です。


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月曜日だったので、博物館などが休館でした。


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(ファエンツァ編 おわり)

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次はサン・ロッコ教会です。


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残念ながらサン・ロッコ教会の扉が閉まっていました。


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1500年、ファエンツァにサン・ロッコ同信会が設立され、新教会の建設が決まりました。そうして1519年に建設されたのがサン・ロッコ教会です。


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ファサード下に柱廊がありましたが、その後撤去されました。煉瓦積みの現在のファサードは1850年頃に再建されたものです。


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サン・ロッコ教会ファサードが面しているサン・ロッコ広場です。


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次はサンタ・ウミルタ・デイ・ネグサンティ教会です。


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通りの先に教会が見えてます。
中世から近世にかけての西洋美術は基本的にキリスト教関連となります。その当時の傑作とされる作品の多くは教会にあった、或いは現在も教会にあります。それが教会巡りをする理由です。


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写真左は女子修道院だった建物です。


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1741年から1744年にかけて建設されたバロック様式のサンタ・ウミルタ・デイ・ネグサンティ教会です。


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教会はヴァロンブロザーネ女子修道院に併設されていました。


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女子修道院は閉鎖され、教会の方も宗教活動を停止しています。


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女子修道院の建物は古典科学高校の校舎として使用されてます。旧教会の建物は同高校の講堂や会議室に転用されてます。


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ファエンツァ出身の聖ウミルタ(ファエンツァ、1226-フィレンツェ、1310)は主にフィレンツェで活動した女子修道士です。ファエンツァの守護聖人になってます。


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バスコリ通りの突き当りに歴史的建造物があります。


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14世紀に建設されたCasa Bubaniです。


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1807年、弁護士だったカルロ・ピア―ニが購入した建物なので、Casa Pianiとも呼ばれてます。建物を手に入れると、ゴシック様式から新古典様式に改修したのですが、改修後に資金難に陥り、手放すことになったそうです。


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Casa di Dio、Loggia dei Fantini、Portico della Caritaです。視点を何処に置くかによって、それぞれ名称が違います。


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15世紀初めに建設された孤児養育院と附属病院が前身です。現在は病院です。


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Palazzo Mazzolani


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この建物の由来など詳しいことを知りません。


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見逃しそうですが、写真左端に教会があります。


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サン・ジュゼッペ教会です。


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元はファエンツァで最古の教会の一つでしたが、信者数が少なく資金難が絶えず付きまとっていたそうです。19世紀前半のファエンツァ市街地整備の際、教会の土地などの資産を売却し、新たに建設される建物に一角に教会が置かれるようになったそうです。


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Corso Mazziniを少し進みます。


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サンティ・ヴィターレ・エ・クレメンテ教会です。


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教会の歴史は14世紀に遡るそうです。


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現在の建物は地元の建築家ピエトロ・トンバ(ファエンツァ、1774-1846)の設計によって1831年に再建された二代目となるものです。


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平日になると路上駐車の車が多くなるようです。


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市民病院の建物です。


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写真左側に教会が写ってます。


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1929年から1930年に建設されたネオ・ゴシック様式のサン・サヴィーノ教会です。


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然程長い距離を歩いていないにも拘らず、この教会の多さに驚きです。そんなに需要があるの?と思ってしまいます。


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開いている教会が少ないのは、需要が少ないの証左?


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恐らくサン・ドメニコ教会ならば開いているだろうと思いました。平日の午前と午後にミサが予定されてます。


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同じ通りを戻ります。


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サン・ドメニコ教会はジョヴァンニ・ギナッシ通りのサン・ドメニコ広場にあります。


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ファエンツァに来たのは、この時で4回目でした。


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場所や方角がある程度頭に入っているので、裏通りに入っても迷うことはありません。


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サン・ドメニコ教会の直ぐ傍まで来ました。


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並木道の左側にサン・ドメニコ教会があります。


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ロトンダ・ロッシです。


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(つづく)

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サンタゴスティーノ広場に面した、だまし絵の窓がある建物


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次はカルミネ教会です。
カルミネ教会はサンタゴスティーノ教会の至近にあります。


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16世紀初頭にイエズス会によって建設された教会です。


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建設当初の名称はジェズ教会でした。
17世紀末、教会はカルメル会の所有となり、カルミネ教会と改称されました。


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カルミネ会は、教会を現在の姿に改造しました。その当時、ファエンツァにおけるカルミネ会の拠点は、サン・フィリッポ・ネリ教会でしたが、改造工事が完了するとサン・フィリッポ・ネリ教会から修道士たちがカルミネ教会に移ってきました。


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写真右端の建物は隣接していた修道院です。


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サンタ・ウミルタ修道院だった建物です。


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現在、Collegio Santa Umiltaとなってます。


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カルミネ教会の後陣の方の扉が開いているように見得ましたが、閉まっていました。
ニッコロ・パガネッリの「聖霊降臨」があるので、開いていれば拝観する予定でした。


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サンタントニオ・ディ・パドヴァ教会です。


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後で拝観します。


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Via Ceonia
この辺は城壁内の南端に当たります。


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ファエンツァの城壁はあまり残ってませんが、街の南端は一部残されてます。


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城壁沿いの道を進んで、サンタ・マルゲリータ教会に向かいました。


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突き当りの右端に教会があります。


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サンタ・マルゲリータ教会です。


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14世紀末から15世紀初頭にかけて建設された小さな教会です。


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18世紀中頃に改修されましたが、現在の姿はその改修工事後のものです。


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予想通り扉が閉まっていました。


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身廊はマッテオッティ通りに面してます。


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見るべき作品はオルソラ・ミッシローリの祭壇画だけでしょう。


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ファサードは、Via Tommaso Minardiに面してます。


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写真左は城壁です。


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マッテオッティ通りを進みます。


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先ほど鐘楼が見えたサンタントニオ・ディ・パドヴァ教会に向かいます。


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18世紀の建物ですが、特に名前がないようです。


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通りの先にサンタントニオ・ディ・パドヴァ教会があります。


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眼前に鐘楼が迫って建ってます。


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3つの通りの角にありますが、道路よりも後に教会が建設されたので、その制約を受けて少し変な形状をしています。


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残念! サンタントニオ・ディ・パドヴァ教会は閉まっていました。


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初代の建物は1450年頃に遡ります。現在の建物は1701年に再建された二代目です。


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教区教会です。
中にジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチの作品があるので、拝観出来なかったのは痛かった。


2
見ることが出来なかった、ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチの「聖母子とパドヴァの聖アントニオとアッシジの聖フランチェスコ」
(外部サイトから拝借した作品画像の転載)


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扉が開いている教会が少なく参りました。教会巡りは効率が悪いのです。


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かなり暑くなってきました。


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次はサンタ・マリア・アド・ニヴェス教会です。


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サンタ・マリア・アド・ニヴェス教会は、この日も閉まっていました。


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ネットの情報によれば、この日は扉が開いている筈でしたが、がさネタでした。


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教会横壁のタベルナコロ


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(つづく)

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中世の時代、ファエンツァは教皇領でした。


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教皇領でしたが、マンフレディ家が僭主としてファエンツァを支配していた時期がありました。そのマンフレディ家の住居として1377年に建設された建物が現市庁舎となってます。


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市庁舎の壁にある記念板


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Palazzo del Podestaのロッジャ


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Palazzo del Podestaのアーチ


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アーチを潜ってマルティーリ・デッラ・リベルタ広場に出ると、青空市が立っていました。


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青空市で買うものがないので、ポポロ広場に戻りました。


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14世紀に建設され、17世紀に改造されたPalazzo del Podestaです。


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次はサン・バルトロメオ教会です。


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サン・バルトロメオ教会はマッテオッティ通りにあります。


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その街で中心の広場、ドゥオーモ、市庁舎を見ると、繁栄度が大体分かります。ファエンツァはかなり繁栄している街です。


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Corso Matteotti


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マンサード屋根の建物があります。


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観光客が少ない街です。


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サン・バルトロメオ教会の鐘楼です。


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サン・バルトロメオ教会です。


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10世紀に建設された、現存するファエンツァ最古の建物の一つです。


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13世紀に現在の姿に拡張されました。


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中に古いフレスコ画があるそうですが、拝観したことがありません。


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教会活動が停止され、建物は戦没者記念堂に転用されてます。


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次はサンタゴスティーノ教会です。


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マッテオッティ通りを更に進みます。


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サンタゴスティーノ教会と呼ばれてますが、正式名はサンティ・アゴスティーノ・エ・マルゲリータ教区教会となってます。


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1256年、ファエンツァにアウグスティヌス会修道士が訪れ、定住した記録が残されてます。


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1271年、アウグスティヌス会修道士によって、この場所にゴシック様式の教会が建設されました。当時に名称は、サン・ジョヴァンニ・イン・スクラヴィ教会でした。更に修道院が併設されました。
15世紀にサンタゴスティーノ修道院教会に改称されました。
若きジローラモ・サヴォナローラがこの教会で修業したそうです。


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18世紀初頭にバロック様式で再建された二代目の建物が現在の姿です。


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柱廊付きのファサードです。


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鐘楼は三代目となるものです。


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後陣と鐘楼


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二代目の鐘楼は1712年に建設されましたが、第二次世界大戦のドイツ軍の爆撃によって1944年に破壊されました。現在の鐘楼は1962年に建設されたものですが、二代目の鐘楼とは色や形など非常に異なるとされてます。


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初代の建物にあったものは殆ど残されていません。


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ファサード下の柱廊


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出入り口扉


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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右側壁


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装飾が殆ど施されていない天井


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ファエンツァの逸名画家作「聖母の出現」(1848)


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ドメニコ・マッテウッチ(ファエンツァ、1914-1991)の「聖母子」
ドメニコ・マッテウッチの特徴的な作風要素が全く見られない異色作です。


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「聖母子」(1400)
教会のパンフレットでは1400年の作品と書かれているので、そのまま記載しましたが、私には、もっと後世の作品に思えます。


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セバスティアーノ・スカレッティ(ファエンツァ、1473-1559)の「玉座の聖母子と聖人たち(パドヴァの聖アントニオ、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖ジローラモ、トレンティーノの聖二コラ)」(1520)
この教会における最大の見所です。


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詳細不知


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主祭壇


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後陣天井


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詳細不知


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後陣左側壁の祭壇画(詳細不知)


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詳細不知


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後陣右壁の祭壇画
ドメニコ・マッテウッチの作品


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ドメニコ・マッテウッチの作品


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フランチェスコ・コッリーナ・グラツィアーニの「聖アゴスティーノ」(1928)


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詳細不知の「大天使聖ミケーレ」


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
セバスティアーノ・スカレッティの祭壇画を見ることが出来たのが収穫でした。
(つづく)

引き続きファエンツァのドゥオーモです。
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左側廊


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説教壇


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左側廊の聖アンナ礼拝堂です。


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聖アンナ礼拝堂の祭壇画:アルド・ロンティーニ(ブリジゲッラ、1948-)の「聖母の教育」


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聖アンナ礼拝堂の天井フレスコ画もアルド・ロンティーニによって制作されました。


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左側廊の聖ウミルタ礼拝堂です。
祭壇画(向かって左):ジョヴァンニ・バッティスタ・ガリッツィ(ベルガモ、1882-1963)の「聖ウミルタ」
向かって右手前は、ピエトロ・メランドリ(ファエンツァ、1885-1976)の「聖ウミルタ」


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左側廊の第1礼拝堂です。


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パスクゥアーレ・サヴィオッティ(ファエンツァ、1792-1855)の「キリストの洗礼」(1828)


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左側廊第1礼拝堂の天井フレスコ画は、ジュリオ・トンドゥッチ(ファエンツァ、1513c-1598?)によって1562年に描かれました。


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左側廊第1礼拝堂側壁のフレスコ画は、ジュリオ・トンドゥッチ(ファエンツァ、1513c-1598?)とピエトロ・バリオット(ファエンツァ、1481-1533)によって制作されました。


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左側廊の聖カルロ・ボッロメオ礼拝堂です。
ベアート・ジャコモ・フィリッポ・ベルトーニの墓碑(1483年死去)


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「十字架を崇める聖カルロ・ボッロメオ」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「聖カルロ・ボッロメオの物語」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「聖カルロ・ボッロメオの物語」


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聖カルロ・ボッロメオ礼拝堂の天井スタッコとフレスコ画は、フランチェスコ・シルヴァ(1560-1643)によるものです。


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観光客が多くなってきました。ドゥオーモの祭壇画、彫刻、フレスコ画などの作品帰属が難しいので、観光気分で拝観しても分かる方は少数に留まるかと思います。


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右側廊第1礼拝堂です。
祭壇画は、ヴィンチェンツォ・ビアンコ―リの「ドッソ・ドッシ作『キリストと教会博士たちの問答』のコピー画」


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右側廊第1礼拝堂天井のフレスコ画(詳細不知)


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右側廊のCappella della Vergine Annunziata(第2礼拝堂)


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右側廊第3礼拝堂です。
祭壇画:ニッコロ・パガネッリ(ファエンツァ、1538-1620)の「聖マルティーノ」


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詳細不知


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右側廊のCappella di San Giovanni Battista


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インノチェンツォ・ダ・イーモラ(イーモラ、1490-ボローニャ、1550)の「玉座の聖母子と聖人たち(聖ピエトロ、聖パオロ、聖ザッカリア、聖エリザベッタ)」(1526)


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ロモーロ・リヴェラ―ニ(ファエンツァ、1809-1872)によるCappella di San Giovanni Battistaの天井装飾(1862)


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右側廊のCappella di San Terenzio


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ピエトロ・トンバ(ファエンツァ、1774-1846)によって制作された祭壇
ジョヴァンニ・バッティスタ・バッランティ・グラツィアーニ(ファエンツァ、1762-1835)の「大天使聖ミケーレ」


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右側廊のCappella di Santa Lucia


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ジュゼッペ・マルケッティ(フォルリ、1721-1801)の「聖ルチアの殉教」(1768)


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右側廊第8礼拝堂


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右後陣の礼拝堂です。


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逸名画家作「ポポロの聖母」(15世紀)


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)のフレスコ画


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)のフレスコ画


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右後陣礼拝堂の天井フレスコ画


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右翼廊の礼拝堂


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フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588-1649)の「聖母子と聖フィリッポ・ネリと聖ロレンツォ」


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祭壇画が取り外された右側廊の礼拝堂


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主祭壇前から見た出入口方向(ファサード裏)


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外に出ました。


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ルネサンス期の作品は市立絵画館に移されているようで、比較的新しい作品が多いドゥオーモです。


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(つづく)

074
一旦、ホテルに戻ります。


078
パリオは夕方遅くに始まるので、それまで時間がありました。


022
夕寝?を終えてパリオに出かけました。会場の入場券を買っていないので、どうなることやら。


020
サン・ドメニコ教会です。


021
結局、パリオの会場には入場出来ず。


1
意外と空席があるように見えますが・・・・・


2
サラセン人を模したパリオの標的です。


P1220907
翌朝です。


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月曜日ですが、パリオの翌日とあって気怠い感じを漂わせている人が多いようです。


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先ずはドゥオーモの拝観です。


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ルネサンス期の建築家ジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)の設計によって、1474年創建、1515年に一応の完成を見た建物です。


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設計当初は大理石のファサードが予定されていましたが、大理石ファサードは着工されず、レンガ造りの粗壁のままのファサードです。


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奉献式は1581年に執り行われました。
1948年、時の教皇ピオ12世によってBasilica Minoreに格付けされました。正式名称はBasilica Cattedrale di San Pietroです。ファエンツァ=モディリアーノ司教区の司教座教会です。


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身廊
帆型の鐘楼が目立ちます。


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身廊側にも出入り口が設けられてます。


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後陣外観


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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大理石の床が有名です。


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装飾が殆ど施されていない天井です。


4
構造図


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18世紀に改修されました。


P1220732
左右に翼廊が設けられてます。


P1220734
後陣左のサン・サヴィーノ礼拝堂です。


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ベネデット・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1442-フィレンツェ、1497)の「聖サヴィーノの棺」
ベネデットは、ジュリアーノ・ダ・マイアーノの弟です。


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「聖人の死」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の作品


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ベネデット・マリーニ(ウルビーノ、1590-1629まで記録)の天井フレスコ画


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オルガン


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フィレンツェの逸名彫刻家による、左翼廊のベアータ・ヴェルジネ・デッレ・グラツィエ礼拝堂です。


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逸名画家作「グラツィエの聖母」(1412)


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ジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716c-チェゼーナ、1798)の天井フレスコ「聖母の出現」(1763)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・バッランティ・ガラツィアーニ(ファエンツァ、1762-1835)による、左側廊のサン・エミリアーノ礼拝堂(1809)


5
左側廊のサン・ジョヴァンニ・ネポムチェーノ礼拝堂です。


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二コラ・パッセーリ(ファエンツァ、18世紀後半活動)の祭壇画(1779)


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ジャンバッティスタ・バッランティの「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」(1823-24)


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ジャンバッティスタ・バッランティの「聖家族」(1823-24)


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ピエトロ・トンバ(ファエンツァ、1774-1846)の天井フレスコ画


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ピエトロ・トンバの作品


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ピエトロ・トンバの作品


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左側廊のサン・ピエル・ダミアーノ礼拝堂


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トマーゾ・ダルポッツォ(ファエンツァ、1862-1906)の作品


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トマーゾ・ダルポッツォ(ファエンツァ、1862-1906)の作品
(つづく)

P1220713
この時間、新古典様式博物館は閉まっていました。


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ジュリオ・チェーザレ・トンドゥッチ通りです。


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サンタ・マリア・アド・ニヴェス教会です。


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740年に遡る歴史があり、ファエンツァ最初の司教座教会でした。
新古典様式の現在の建物は、1655年に完成した3代目となるものです。八角形の鐘楼が特徴で、9世紀から10世紀にかけて建設されました。


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サンタ・マリア・デッランジェロ教会と区別するために、サンタ・マリア・アド・ニヴェス教会はサンタ・マリア・ヴェッキア教会と呼ばれることが多い。サンタ・マリア・デッランジェロ教会はサンタ・マリア・ヌオーヴァ教会と呼ばれるのが普通です。


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そのサンタ・マリア・デッランジェロ教会、別名サンタ・マリア・ヌオーヴァ教会は閉まっていました。


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この時間は市立絵画館も閉まっています。


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Via Severoliです。


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市庁舎です。


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出陣式が終わり、パリオの行列が会場へと向かった後のポポロ広場は、早くも片付けが始まっていました。


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午後5時を過ぎました。


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次はサン・フランチェスコ教会です。


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サン・フランチェスコ教会の扉が開いてました。


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フランチェスコ会修道士が、この場所に来たのは1231年だそうです。1271年、ゴシック様式の最初の建物がこの場所に建設されました。


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現在の建物は、1745年創建、1757年に完成した2代目となるものです。


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1743年に建設されたファサードです。


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1743年に建設された鐘楼です。


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サン・フランチェスコ教会のファサードに向かって右側にある建物です。明らかに教会の建物です。


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16世紀に建設されたサンタ・クローチェ同信会オラトリオだった建物です。


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現在は機能を停止したEx-Oratorioです。


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駐車場?に転用されている?


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サン・フランチェスコ教会を拝観します。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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右側壁


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教区教会です。


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ジュゼッペ・マルケッティ(フォルリ、1721-1821)の「塩の聖母」


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天井装飾が殆ど施されていません。


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磔刑の礼拝堂


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ジュゼッペ・マルケッティ(フォルリ、1721-1821)の「聖ジュゼッペ・ダ・コペルティーノ」(1776)


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ボローニャ出身の彫刻家フィリッポ・スカンデッラーリの「パドヴァの聖アントニオ」(1755)


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18世紀の逸名画家作「聖母戴冠と聖人たち」


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主祭壇


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後陣に置かれたオルガンは、ボローニャのオルガン製造職人アントニオ・コロンナ・ダル・コルソによって1638年に制作されました。第二次世界大戦の爆撃を受け、戦後に修復されたオルガンです。


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主祭壇画はピエトロ・ファンチェッリの「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(18世紀)です。


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後陣


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17世紀の逸名画家作「死者を蘇生させるパドヴァの聖アントニオ」
16世紀のヴェネツィア派の影響を受けているとされてます。


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天井


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詳細不知


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詳細不知


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Cappella della Beata Vergine della Cincezione(1714-16)


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クーポラのフレスコ画


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アルフォンゾ・レトッジャーニ(ブドリオ、1682-ボローニャ、1764)制作の祭壇


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出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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市庁舎前のポポロ広場に5チームが集結して、出陣式が行われます。


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6月の第4日曜日の午後4時過ぎの日差しが強烈です。


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春か秋ならば、この服装で問題ありませんが、真夏には厚着過ぎです。


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日本の夏至は梅雨ですが、イタリアの夏至は最も暑いと思います。


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この場に相応しいドゥオーモです。


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ドゥオーモの方から広場に入るのは、2地区です。


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ドゥオーモは扉が閉まったままでした。


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別の地区の入場行進が始まりました。


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この女性にカメラを向ける方が多かった!


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乗馬を相当練習したようです。


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ポポロ広場に近付けません。


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混雑を避けて裏通りを歩きます。


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磔刑のタベルナコロ


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18世紀の建物が建ち並んでます。


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写真右手前はPalazzo Bertoniです。


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18世紀に建設されました。


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9月20日通り


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写真右に市古典様式の建物が写ってます。


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18世紀に建設されたPalazzo Zucchiniです。


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ファエンツァ市長や政治家を輩出したファエンツェの名家ズッキーニ伯爵家の住居です。現在もズッキーニ家が住んでます。


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レンガ色の歴史的建造物です。


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Palazzo Azzalli-Ferdiani


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現在は分譲住宅になってます。


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パリオの行進が通らないので、この通りは静かです。


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写真右側の建物は18-19世紀に建設されました。


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パリオの行進を待つ人々


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皆さん、日陰で行進を待ってます。


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旧修道院の建物


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Palazzo Mengolini Sali


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クーポラが見えている教会ですが、その名称が分かりません。


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鐘楼が見えてきた教会に行ってみます。


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ナルディ通りです。


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サンタントニオ・ディ・パドヴァ教会です。


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現在の建物は18世紀に再建された二代目となるものです。初代の建物は1450年に遡ります。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチの「聖母子と2聖人」があります。


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イル・ベルトゥッチの祭壇画が観たいので、もう一度来る予定です。


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Palazzo Milzetti


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ロマーニャ地方の新古典様式博物館が置かれてます。


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(つづく)

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ファエンツァのパリオは、毎年6月の第4日曜日に行われます。


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ファエンツァのパリオの歴史は、騎士による馬上槍試合が行われた1410年に遡ります。
近世になって長らく休止されていましたが、1959年に復活され現在まで続いてます。


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パリオは、旧市街の4チームとBorgo Durbeccoの計5チームで争われます。


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6月の夏至前後の週末は各地でお祭りが開催されます。しかし、この日がパリオの当日であることはホテルに到着して初めて知ったので、パリオの入場券の手配等を含めて全くの準備不足でした。


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ファサードが修復中のセルヴィ教会です。


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第二次世界大戦後、閉鎖されていましたが、何かに利用されることになり、修復されていたようです。


3
修復工事後のファサードです。使用途は特に決まってないようです。


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旧セルヴィ教会からドゥオーモが見えます。


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セルヴィ教会から見える、柱廊がある建物はパードリ・セルヴィ―ティ修道院でした。


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旧修道院の建物は市立図書館として使用されてます。


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次はピオ12世の神学校です。


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神学校の柱廊です。


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Seminario Vecchio、ピオ12世の神学校の入り口です。キオストロに入ります。


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神学校の中庭です。


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1576年に発足したファエンツァ神学校が前身です。


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この神学校は、長らくロマーニャ文化の中心を担っていたことで高く評価されているそうです。


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神学校はドゥオーモと司教館の間にあります。


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神学校のタベルナコロ


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神学校の柱廊から外に出ました。


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司教館?


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詳細不知のフレスコ画


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ホテルに戻って昼寝をしました。


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昼寝をしていたら、外が騒がしいので目覚めました。
ホテル前の通りに出ると、パリオの出陣式の行進が始まってました。


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この日は大変暑い日で、恐らく猛暑日だったともいます。


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結構な厚着なので、行進は大変だったと思います。


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日向での行進なので、皆さん汗だらけ。


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この辺は日陰なので、何とかなりそうでした。


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ドゥオーモ横に救急車が数台待機していましたが、行進に参加していた子供が搬送されました。


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美女が選ばれると思いますが、それにしても美女ばかりで恐れ入りました。


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待機中のチーム


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ドゥオーモ前から市庁舎前まで行進が始まりました。


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P1220661
(つづく)

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トゥオーモがまだ開いていたら拝観するつもりでした。


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ドゥオーモが開いていました。


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Basilica Minoreのファエンツァ大聖堂です。


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ここは何度も拝観しています。


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聖堂内に入ったらミサの真っ最中でした。


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ミサの邪魔にならないように祭壇画を見始めました。


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ミサが始まったばかりのようです。


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落ち着いて拝観出来そうにもありません。パリオのお祭り中にも拘らず熱心な信者がかなりいました。仕方がないので、外に出ます。


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外に出たら12時半頃。


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ドゥオーモのファサード前から撮ったリベルタ広場です。


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そろそろ昼食の時間です。


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Palazzo Laderchiです。


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博物館の開館時間を調べます。


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残念ながら、博物館はもう直ぐ閉まります。


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ドゥオーモのミサが終わるのを待って拝観するために、昼食は手早くピザで済ませました。


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昼食を済ませてドゥオーモに行くと、扉が閉まっていた!
それが分かっていれば、フルコースの昼食をゆっくり食べれば良かった。でも後の祭り。
仕方がないので、街歩きを続けることにしました。


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サン・フランチェスコ教会も閉まっていました。お昼過ぎなので閉まっているのは当然です。


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サン・フランチェスコ広場にある彫像は、アレッサンドロ・トンバ(ファエンツァ、1825-フィレンツェ、1864)の「エヴァンジェリスタ・トッリチェッリのモニュメント」(1864)です。
エヴァンジェリスタ・トッリチェッリ(ファエンツァ、1608-フィレンツェ、1647)は17世紀前半の物理学者、数学者です。


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ホテルに戻っても、やることがありません。


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時間潰しのため、街歩きを継続することに。


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Viale IV Nobembre
城壁を取り壊して作られた道路です。


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この辺は城壁内に当たります。


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比較的新しい建物が建ち並んでます。


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Via Naviglio


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写真右は郵便局です。


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郵便局の先、Via NavigliとVia Giovanni Battista Campidoriの交差点に建つPalazzo Fernianiです。


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18世紀半ばに建てられたPalazzo Fernianiの無原罪の聖母像


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Palazzo Fernianiのファサード


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18世紀の建物が建ち並んでます。


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ファエンツァが裕福であることを示す建物群。


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18世紀に建てられたPalazzo Bertoniです。


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開いていないと思いましたが教会を見ます。


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サント・ステファノ・ヴェテーレ教会です。


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ジュリアーノ・ダ・マイアーノの設計によって15世紀に建設されました。


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八角形のルネサンス様式の建物です。


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ホテルに戻って昼寝する以外なさそうです。


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中小都市では昼過ぎの過ごし方に苦労します。


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暑いので歩いている人が殆どいません。


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午後2時前です。


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祭りの前の静けさ漂う広場です。


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ロッジャが目立つポデスタ宮


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(つづく)

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ゴシック様式の逸名彫刻家作「竜を退治する聖ジョルジョ」(14世紀)


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ロマーニャの逸名画家作「祈るキリストと聖エジーディオと聖エウトロピオ司教」(13世紀)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ベナスキ(ベイナスキ)(フォッサーノまたはトリノ、1636-ナポリ、1688)の「聖ジュゼッペの変容」


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3点共に15世紀の国際ゴシック様式の逸名画家の作品とされてます。私が観た所、3点共に同じ画家による作品と思いました。


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聖ロッコ


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聖フランチェスコ


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聖ジョルジョ


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Maestro di San Pier Damianoの「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」、「聖ヴィトー」


P1220451
ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別名ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の「十字架を担ぐキリスト」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別名ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の「キリストの埋葬」


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15世紀のヴェネトの逸名画家作「聖母子」


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バルトロメオ・ベッラーノ(パドヴァ、1437-1496)の「ピエタのキリストを支える2天使」
彫刻家でしたが、彼の珍しい絵画です。


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ピエトロ・バリオット(ファエンツァ、1481c-1533)の「永遠なる父」


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16世紀の逸名彫刻家作「まぐさ断片」


P1220467
17世紀の逸名画家作「グイド・レーニ作『聖母』のコピー画」


P1220470
ジョヴァンニ・バッティスタ・ランゲッティ(ジェノヴァ、1625-1676)の「盲目の物乞い」


P1220473
ロレンツォ・パシネッリ(ボローニャ、1629-1700)の「ソフォニスバ」


P1220476
ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1639)の「聖家族」


P1220479
ロレンツォ・パシネッリ(ボローニャ、1629-1700)の「シビッラ」


P1220482
アントニオ・ザンキ(エステ、1631-ヴェネツィア、1722)の「井戸のレベッカ」


P1220485
エミリアの逸名画家作「聖バルトロメオ?」


P1220488
グイド・カニッチ(サンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャ、1601-ウィーン、1663)の「聖フランチェスコ」


P1220490
ボローニャの逸名画家作「クレオパトラ」(17-18世紀)


P1220494
アレッサンドロ・アルビーニ(ボローニャ、1566-1646)の「聖ジローラモ」


P1220498
フランス・ポルビュス・ジュニア(アンヴェルサ、1569-パリ、1622)の「イギリスのカルロ1世の肖像」


P1220501
逸名画家作「シモン・ヴーエ作『愛人』のコピー画」(18世紀)


P1220504
ユストゥス・サステルマンス(アンヴェルサ、1597-フィレンツェ、1681)の「スェーデンのカルロ10世の肖像」


P1220506
逸名画家作「司法官の肖像」(17世紀末)


P1220508
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581-ヴェネツィア、1644)の「ユディト」


P1220512
ジョヴァンニ・ベルナルド・カルボーネ(ジェノヴァ、1614-1683)の「少女の肖像」


P1220515
グイド・レーニ工房作「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」(17世紀)


P1220518
逸名画家作「グイド・レーニ作『復活したキリスト』のコピー画」(17世紀)


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階段を下りました。


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カルロ・マジーニ(ファーノ、1720-1806)の静物画」


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アルカンジェロ・レサーニ(ローマ、1670-ラヴェンナ、1740)の「犬と籠」


P1220526
カルロ・マジーニ(ファーノ、1720-1806)の「静物画」


P1220528
ジョヴァンニ・バッティスタ・ルオッポーロ(ナポリ、1629-1693)の「静物画」


P1220530
ジュゼッペ・レッコ(ナポリ、1634、スペイン、アリカンテ、1695)の「静物画」


P1220532
グアルディ・フランチェスコ(ヴェネツィア、1712-カナレジョ、1793)の「花」


P1220543
外に出ました。
(おわり)

P1220336
ニコロ・パガネッリ(ファエンツァ、1638-1620)の「キリストの神殿奉献」


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マルコ・マルケッティ通称マルコ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1528c-1588)の「ファリサイ人の館のキリスト」
マルコ・ダ・ファエンツァは、出身地のファエンツァに加えて、ラヴェンナ、フィレンツェで活動した画家です。フィレンツェでは、ジョルジョ・ヴァザーリの下でヴェッキオ宮の装飾に参画したことで知られてます。


P1220343
ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ジョーヴァネ(ファエンツァ、1539-1614)の「聖母の誕生」
イル・ジョーヴァネは、ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の孫です。叔父のヤコポ・ベルトゥッチ通称ヤコポーネ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1502-1579)に師事しましたが、叔父と共に1567年に異端の告発を受け、1569年に厳重叱責(軽微な罪)の有罪判決を受けた記録が残ってます。


P1220346
ジョヴァンニ・バッティスタ・ラメンギ通称バニャカヴァッロ・ジュニア(ボローニャ、1521-1601)の「聖霊降臨と聖ペトロニオと聖グレゴリオ・マーニョ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・アルメニーニ(ファエンツァ、1530-1609)の「聖母被昇天」
ジョヴァンニ・バッティスタ・アルメニーニは、画家としてよりも美術史家、美術評論家としての方が有名です。美術理論の本を著作しました。


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「聖パオロの回心」


P1220356
ドナテッロ(フィレンツェ、1386-1466)の「聖ジローラモ」


P1220360
傑作、秀作の展示が続きます。


P1220361
ビアージョ・ダントニオ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1446-1516)の「玉座の聖母子と聖人たち」


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玉座の聖母子と2天使


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聖ドメニコと聖アンドレア


P1220365
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖トンマーゾ


P1220369
ビアージョ・ダントニオ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1446-1516)の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタとパドヴァの聖アントニオ」


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ファエンツァのサン・フランチェスコ教会にありました。


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詳細不知


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ベアート・ジャコモ・フィリッポ・ベルトーニの顔がユニークです。そのため、この作品は何時見ても記憶に残ります。


P1220377
上記作品の説明プレート


P1220379
ビアージョ・ダントニオ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1446-1516)の「受胎告知」


P1220382
ベネデット・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1442-フィレンツェ、1497)の「聖ジョヴァンニーノ」


P1220385
マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の作品です。


P1220386
永遠の父なる神


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玉座の聖母子と大天使聖ミケーレと聖ジャコモ


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アルフォンゾ・ロンバルディ(フェラーラ、1497-ボローニャ、1537)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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ベネデット・マリーニ(ファエンツァ、1590?-1627)の「天上の聖母子と聖ジョルジョと司教聖人(特定できないようです)」


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ベネデット・マリーニ(ファエンツァ、1590?-1627)の「エジプトへの逃避とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖フランチェスコ」


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ジョヴァンニ・ダ・リミニ(リミニ、1292?-1336?)の「聖母子と2天使と聖人たち(聖フランチェスコ、大天使聖ミケーレ、聖アゴスティーノ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖キアーラ)」


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上記作品の説明プレート


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彩色磔刑像


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上と下は違った画家の作品です。


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ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1407?-1469/1470)の「ピエタのキリスト」


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ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、?-1348)の「聖ベネデットと聖ガルガーノ」


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カルロ・パドヴァ―ニの「アントニオ・パドヴァ―ニの肖像」


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12世紀のロマーニャの逸名彫刻家による彫刻


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14世紀の逸名画家作「ポリッティコ」(14世紀前半)
(つづく)

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トスカーナの逸名工芸家作「カッソーネ」(15世紀)


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逸名彫刻家による浮彫です。


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トスカーナの逸名工芸家作「カッソーネ」(15世紀)


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ビアージョ・ダントニオ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1446-1516)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノとパドヴァの聖アントニオ」


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象牙細工のようです。


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ピエタのキリスト


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ロマーニャ銀行の所有です。


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銀行所有作品の多いことには驚くばかりです。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の作品です。


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聖ジョヴァンニ・バッティスタ


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聖マリア・マッダレーナ


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の「玉座の聖母子と4聖人(シエナの聖ベルナルディーノ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、教皇聖チェレスティーノ、パドヴァの聖アントニオ)」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の「聖母子と聖パオロ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認)の「ご誕生」


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ファエンツァのサン・ジュゼッペ教会にありました。


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ルカ・スカレッティ(1510-1538活動記録)の「キリストの洗礼」
ファエンツァ出身のルカ・スカレッティは、主にマントヴァで活動し、ジュリオ・ロマーノの下でテ離宮の装飾に従事した記録が残されてます。


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ボローニャの逸名画家作「キリストとサマリア女」(17世紀末)


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エルコーレ・プロカッチーニ・イル・ヴェッキオ(ボローニャ、1515-1595)の「聖母戴冠と4聖人(教皇聖チェレスティーノ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ルカ、聖ベネデット)」
エルコーレはカミッロ・プロカッチーニの父です。


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アントニオ・リベリ・ダ・ファエンツァ通称アントニオ・ディ・マッツォ―ネ(ファエンツァ、1457-1535)の「玉座の聖母子と聖人たち(聖ピエトロ、聖パオロ、聖ドメニコ、聖ルカ、聖マルコ)」
アントニオは、マルケで活動した建築家、画家でした。


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「カルヴァリオでのキリストの受難」


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シジスモンド・フォスキ(ファエンツァ、1495c-1532)の「玉座の聖母子と聖人たち(聖パオロ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ベネデット、聖セバスティアーノ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖アポッロニア)」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「キリストの埋葬」


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ヤコポ・べルトゥッチ通称ヤコポーネ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1502-1579)の「十字架降下」
ヤコポ・ベルトゥッチですが、ジャコモ・べルトゥッチとも呼ばれていたようですが、その理由は不明です。
ヤコポ・ベルトゥッチは、ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチの息子です。父のジョヴァンニ・バッティスタは、娘4人、息子4人の子宝の恵まれましたが、ヤコポはその4男でした。ラファエッロの協力者として主に活動しました。ヤコポの弟子にタッデオ・ズッカリがいました。


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「ベテスダ池のキリスト」


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ヤコポ・ベルトゥッチ通称ヤコポーネ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1502-1579)の「聖母戴冠について議論する聖人たち(聖ベネデット、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖マッテオ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、教皇聖チェレスティーノ)」


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ビアージョ・マンツォーニ(ファエンツァ、1629-1648生存確認)の「聖エウトロピオの殉教」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「聖母の死」


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ヤコポ・ベルトゥッチ通称ヤコポーネ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1502-1579)の作品です。


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永遠なる父


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聖母子と聖グレゴリオ・マーニョと聖マグローリオ


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フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550-マチェラータ、1604)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」
フィリッポ・ベッリーニは、マルケやロマーニャで活動した画家で、アンコーナとマチェラータに数点の作品が残されてます。フェデリーコ・バロッチの強い影響を受けた画風でした。


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ボローニャの逸名画家作「聖家族と聖ジョヴァンニーノと天使」(17世紀末)


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「聖母子と聖人たち(聖マルティーノ、聖キアーラ、聖フランチェスコ、パドヴァの聖アントニオ)」
(つづく)

025
ジローラモ・ライナルディ(ローマ、1570-1655)の設計によって、1621年から1646年に建設されたイエズス会のサンタ・マリア・ダッランジェロ教会です。


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教会に隣接してサンタ・マリア・ダッランジェロ修道院だった建物があります。


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旧修道院だった建物の中にファエンツァ市立絵画館があります。


047
旧修道院のファエンツァ市所有の建物は、現在Palazzo degli Studiと呼ばれてます。


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10年ほど前は、こちらが絵画館の入り口でした。


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ファエンツァ市立絵画館は、1797年に開館しました。エミリア・ロマーニャ地方で最古の博物館・絵画館の一つです。ファエンツァ最古のMuseoです。


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現在の絵画館入口は教会のほぼ隣に設けられてます。
絵画館の総面積は約1,150㎡、展示室数が10、約200点の作品が展示されてます。


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現在、毎週月曜日が休館、火曜日から日曜日まで開館しています。
少し前までは、土曜日と日曜日の10:00-13:30と開館日時が限られていました。


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フェリーチェ・ボセッリ(ピアチェンツァ、1650-パルマ、1732)の「肉屋」
フェリーチェ・ボセッリは、ピアチェンツァ、パルマなどエミリア・ロマーニャ地方で活動した画家で、バロック時代の代表的な静物画画家でした。特に料理人、屠殺人、肉屋、食肉などを好んで描きました。
この作品はフェリーチェの代表作の一つです。
パルマ国立美術館、クレモナ市立アラ・ポンツォーネ美術館などにフェリーチェの作品があります。


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フェリーチェ・ボセッリの領域(Ambito)の「静物画」


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マルコ・パルメッツァーノの作品が並んでます。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「聖アゴスティーノ」
ファエンツァのサンタゴスティーノ教会にありました。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「聖アンブロージョ?」
ファエンツァのサンタゴスティーノ教会にありました。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「聖ジローラモ」
ファエンツァのサンタゴスティーノ教会にありました。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「大天使ラッファエーレとトビオーロ」
ファエンツァのサンタゴスティーノ教会にありました。


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階段横の壁に展示されているので、見難い作品です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認、1516没)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」
ファエンツァのサンティ・イッポリート・エ・ロレンツォ教会にありました。
彼の顔が猿に似ていたので、Il Bertucciの綽名で呼ばれました。彼は、ペルジーノやピントゥリッキオの影響が色濃い画風でした。


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聖母子と聖ジョヴァンニーノと天使たち


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聖イッポリートと聖ベネデット


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聖ロレンツォと聖ロムアルド


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永遠なる父なる神


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相当見難いです。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ヴェッキオ通称イル・ベルトゥッチ、別称ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1495-1516生存確認、1516没)の「我に触れるな」
ファエンツァのサンティ・ピエトロ・エ・アンドレア教会にありました。


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ヴィンチェンツォ・オノフリの彫刻です。


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ヴィンチェンツォ・オノフリ(ボローニャ、1493-1524活動記録)の「シエナの聖ベルナルディーノ」
ヴィンチェンツォ・オノフリの代表作は、ボローニャのサン・ペトロニオ聖堂にあります。


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ヴィンチェンツォ・オノフリ(ボローニャ、1493-1524活動記録)の「聖ピエトロ・マルティーレ」


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次の部屋です。


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暖炉ですが、元からこの部屋にあったものではありません。


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デジデリオ・ダ・セッティニャーノ(セッティニャーノ、1428-フィレンツェ、1464)の「暖炉」
ファエンツァのPalazzo Manfrediにありました。


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15世紀末のロマーニャの逸名画家作「ピエタのキリスト」
ロマーニャ銀行の所有作品です。


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ビアージョ・ダントニオ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1446-1516)の「ピエタのキリスト」
ロマーニャ銀行の所有です。


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角度を変えて撮ってみました。


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浮彫です。


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(つづく)

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ファエンツァのパリオは馬上槍試合です。
シエナのパリオが有名なので、パリオは競馬と思われがちですが、パリオにはレガッタ、旗振りなど種々の形式があります。


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ポポロ広場です。


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Corso Giuseppe Mazzini


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市庁舎です。


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Palazzo del Podesta


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14世紀末に建設されたPalazzo del Podestaです。


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パリオの準備が進んでいました。市庁舎とポポロ広場でパリオの出陣式が行われます。


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Via Evangelista Torricelli


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ベージュ色の建物は、17世紀に建設されたPalazzo Milzettiです。


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博物館として利用されてます。


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新古典の時代とはいつ頃?


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Via Severoli
この通りの先にあるPinacoteca Comunaleがお目当てです。絵画館は週末の午前中しか開いていないので、焦ってました。


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19世紀に建設されたCasa Valentiです。


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ファエンツェでかなり有名なCasa Valentiです。


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歴史的建造物が建ち並んでいるVia Severoliです。


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16世紀に建設されたPalazzo Pasoliniです。


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写真左がPalazzo Pasolini


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絵画館は直ぐ傍にあります。


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街角のタベルナコロ
酷い落書きが気になります。


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市立絵画館の建物です。以前はこの扉が入り口となっていました。


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土曜日と日曜日の午前中(この時は午後1時半まで)しか開館していません。この絵画館の開館日に合わせて旅程を策定した次第です。


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現在の絵画館の入り口は教会の横になってます。


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写真右は絵画館になっている建物ですが、イエズス会の修道院だった建物です。


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サンタ・マリア・デッランジェロ教会です。


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教会のファサード横にある、絵画館の現在の入り口です。


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旧修道院の建物


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旧修道院の庭


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入館します。


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1796年に設立された市立絵画館です。


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市立絵画館については、項を改めて詳しく触れることにします。


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外に出ました。


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外に出たら、教会の扉が開いていました。


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早速中に入りましたが、ミサの真っ最中でした。しかも始まったばかりのようです。


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ミサの邪魔をするわけに行かないので、直ぐに外に出ました。


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1621年から1646年にかけて建設されたバロック様式の教会です。


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ファサードが一見古そうに見えますが、意外にも比較的新しい教会です。


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教会と修道院は一体化されて建てられてます。


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教会の拝観を諦めました。


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お腹が空いてきました。


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絵画館に入館するために、かなり急いで移動したので少し疲れました。


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ポポロ広場に戻って昼食をたべることにしました。


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市の塔が見えます。
(つづく)

ファエンツァは、人口58,787人(2019年5月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県にあるコムーネで、陶器生産で有名です。
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ファエンツァ駅に到着しました。


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ミラノ~ピアチェンツァ~ボローニャ~リミニ~アンコーナの鉄道幹線上にあるので、交通が便利です。


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ファエンツァ駅の駅舎


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先ず、この日のお宿に向かいました。


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Viale Alfredo Baccarini


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この日のお宿は、駅から徒歩10-15分の旧市街のほぼ中心にあります。


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この日の前日が夏至でした。強烈な日差しの暑い日でしたが、街路樹が日差しを遮ってくれて日陰を選んで歩けば何とかなりました。


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写真左は陶器博物館の建物です。


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陶器博物館のオブジェ?


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陶器製造用の道具でしょうか?


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陶器博物館の入り口です。


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一度入館したことがありますが、二度入る所ではないと思ってます。尤も、この時は大きな荷物を引いてホテルに向かう途中なので、入館どころではなかった。


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ツタが絡まった建物


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陶器博物館を通り過ぎれば、旧市街の入り口に出ます。しかし、陶器博物館が建っている場所は城壁内に当たります。


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新しい建物が並んでます。ファエンツァは、第二次世界大戦中にドイツ軍の爆撃を受け、市域の3分の2が消失しました。この辺の新しい建物は恐らく戦後に建設されたものでしょう。


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旧市街です。
ルネサンス期の建物と新古典様式の建物が並んでます。


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何度も来ているので道に迷うことはありません。


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並木道が終わり、少し歩いただけでしたが汗が噴き出してきました。


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突き当りを右折すれば、ホテルがあるガリバルディ通りに出ます。


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ジュゼッペ・ガリバルディ通り


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ホテルの受付で知らされるまで、この日がパリオが行われる日とは知りませんでした。


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塔が見えてきました。塔がある広場が街の中心です。


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左側に陶器の土産物を売る店があります。


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陶器は重いので、旅の前半で買うのは躊躇います。


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この日のお宿に着きました。ここで2泊します。


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ドゥオーモの直ぐ傍にあります。この街で真面な宿泊場所はここしかないと思います。


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予約した時、シングルしか空いていませんでした。
パリオが行われる日と告げられ、ホテルの混雑に納得です。


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ホテルロビー天井の装飾


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シングルルームを予約した筈ですが、入室して予想外に広い部屋だったのでビックリ。


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荷物を部屋に置き、トイレを済ませてから直ぐに外に出ました。


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1780年に建設されたPalazzo Laberchiです。市所有の建物は、イタリア統一博物館など各種博物館として利用されてます。


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ファエンツァのドゥオーモ


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リベルタ広場


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ドゥオーモの拝観は後ですることにしました。


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市の塔


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17世紀に制作されたFontana Monumentale


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Fontanaはドゥオーモの横にあります。


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道路を境に広場の名称がリベルタ広場からポポロ広場に代わります。
写真右は市庁舎です。


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ポポロ広場のこちら側の建物はPalazzo del Podestaです。


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リベルタ広場


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ポポロ広場


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(つづく)

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