サンヴィターレ要塞の狭間から見た景観です。
軍事機能重視のサンヴィターレ要塞でしたが、16世紀にサンヴィターレ家の邸宅として改造、修復されました。
17世紀に建設された煉瓦造りの橋
小さな噴水
フローラの庭から離れます。
次は、1階(日本の2階)です。
1階のロッジャは、要塞が開いている時間には一般公開されてます。
階段の壁にフレスコ画の痕跡が認められますが、劣化が激しく何が描かれていたのか全く分かりません。
ロッジャの出入り口扉上ルネッタ上に描かれたフレスコ画があります。
近年、修復されたようで色鮮やかに蘇りました。
誰の作品でしょうか?
チェーザレ・バリオーニ(クレモナ、1550c-パルマ、1615)の作品でしょうか? 2階(日本の3階)ロッジャのフレスコ画はチェーザレ・バリオーニによって描かれたようですが、2階のロッジャは非公開で2階に上れないようになっていました。
ロッジャの反対側の出入り口の扉上ルネッタにもフレスコ画があります。
詳細不知のフレスコ画
1階(日本の2階)のロッジャから見た中庭です。
要塞内部のガイドツアーの開始時間が迫ってきました。
地上階に下ります。
既に人が集まっていました。
この扉前が集合場所となっています。切符売り場で切符を買い、ここで暫く待ちました。
ガイドツアー参加者は約30名で、イタリア語と英語の2班に分かれました。
私は英語班に参加しました。
パンフレットが渡されましたが、後で返却することになってます。
内部は写真不可でした。
英語班ですが、興味がないので外に出たいとか、パルミジャニーノのフレスコ画がある部屋で、絵画が嫌いなので別の部屋に直ぐに移りたい等を言う人がいて、散々でした。ガイドさんも、それらの意見を無視できなかったようで、私が観たかったパルミジャニーノのフレスコ画は鑑賞どころではありませんでした。困ったことでした。
フォンタネッラート観光の肝腎はパルミジャニーノのフレスコ画ですから、ガイドツアー参加者の一部は何を期待してこの村に来たのでしょうか?
パルミジャニーノのフレスコ画ですが、私の写真は1枚もありません。外部サイトから拝借して、フレスコ画を紹介しておきましょう。
南面のフレスコ画
フレスコ画のテーマは、ダイアナ(ディアナ)とアクテオンの物語です。そのため、この部屋は「ダイアナとアクテオンの部屋」と呼ばれてます。
フランス軍と戦ったラヴェンナとパヴィアの戦いで有名なジャン・ガレアッツォ・サンヴィターレ伯爵(フォンタネッラート、1496-パルマ、1550)がパルミジャニーノにこの部屋の装飾を依頼して、1523年から1524年に制作されたマニエリスムのフレスコ画です。
この部屋はジャン・ガレアッツォの妻、パオラ・ゴンザーガ・サンヴィターレ伯爵夫人の化粧室でした。
ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ通称パルミジャニーノ(パルマ、1503-カザルマッジョーレ、1540)の代表作です。
西面
北面
東面
東面に描かれた女性は、パオラ・ゴンザーガ・サンヴィーターレ伯爵夫人の肖像画と言われてます。
パルミジャニーノが後に描いた作品の聖母のモデルがパオラではないか、という説があります。
パオラ・ゴンザーガ・サンヴィターレが聖母のモデルという説がある、パルミジャニーノの「長い首の聖母」(1534)です。
天井
キリがないので、この辺にしておきましょう。
自分のペースで見ることが出来ないグループツアーが苦手です。
物足らないで終わったサンヴィターレ要塞の内部見学でした。
外に出ました。
なお、1948年に、サンヴィターレ家が要塞をフォンタネッラート・コムーネに売却しました。
ホテルに戻りました。
ヴィッラホテルの自室ベランダから見えるサンヴィターレ要塞の時計です。
その夜は大人しく寝ました。
翌朝です。
この日も天気に恵まれました。
次の目的地はファエンツァです。
バスでパルマに向かい、パルマからファエンツァは快速列車に乗ります。
ヴィッラホテルを後にしました。中々良いホテルで、エンジョイ出来ました。
私にとって、最後のフォンタネッラートになりました。
一度はパルマから往復遠足したいと考えていましたが、その機会に恵まれません。
グリエルモ・マルコーニ通りです。
名残惜しく、振り返りました。
Porta di Sopraです。
門を潜り城壁外に出ました。
ロザリオの聖母の聖堂聖域です。
(おわり)