イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:エミリア・ロマーニャ州 > ボローニャ

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次はサンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂です。


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道を挟んでセルヴィ・ディ・マリア広場の向かいにある、1638年に建設されたPalazzo Davia Bargelliniです。Museo Davia Bargelliniがあります。


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セルヴィ・ディ・マリア広場に入りました。


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サルヴィ・ディ・マリア広場に面してサンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂が建ってます。
政治家で裕福な銀行家でボローニャのシニョーレであるタッデオ・ぺポリ(ボローニャ、1285/1290-1347)の莫大な寄付によって、1345年に創建された後、建築家アントニオ・ディ・ヴィチェンツァ(ボローニャ、1350-1401/1402)が起用され、工事が進みましたが、1383年に工事が中断してしまいました。
1386年、建築家アンドレア・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1319-ボローニャ、1396)が新たに起用され、工事が再開されました。14世紀末にゴシック様式の建物が一応の完成を見ました。


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ぺポリ家を始めとしてボローニャの裕福な名家の寄付が続き、何度か改造、改装されました。


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1453年に建設された鐘楼です。


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聖堂を囲んだ柱廊が特徴です。
ポルティコは、1392年から建設が始まり、1492年、1515年から1521年にかけて、17世紀に拡大整備されました。


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聖堂のポルティコは後陣まで続いてます。


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聖堂の左側壁側のポルティコ・ルネッタにフレスコ画があります。


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15世紀のエミリアの画家によって描かれたフレスコ画は非常に保存状態が悪いのですが、これが最も良い方です。


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保存状態が良いフレスコ画の一部が剥離されて、保全されてます。


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1628年、ポルティコ全体の復元、修復工事が行われました。現在のポルティコは、その工事後のものです。


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旧修道院部分は警察の建物に転用されてます。


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拝観します。


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三廊式、ゴシック様式の内部です。


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美術的な見所が豊富です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボロニョーニ・セニオーレ(ボローニャ、1611-1668)の「磔刑像」


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」


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チマブーエ(フィレンツェ、1240c-ピサ、1302)の「マエスタ」


1042


1043
リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の「聖母子と聖コズマと聖ダミアーノ」


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ジョヴァンニ・ダ・モデナ(モデナ、1379?-1455?)の「聖母子」


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ヴィンチェンツォ・オノフリ(ボローニャ、1493-1524消息)の「聖エウスタキオの祭壇」(1503)


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聖母子と聖ロレンツォと聖エウスタキオ


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非常に面白かったサンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂でした。


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広場の八百屋を覗きました。


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Torresotto di Via San Vitaleです。
12世紀後半に築かれたボローニャ第2の城壁に設けられた塔です。


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市立劇場です。


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ルネッタのフレスコ画を見なくては!


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べンティヴォーリオ家の厩舎だった建物です。


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ジョヴァン・フランチェスコ・スピーニ(ボローニャ、17世紀後半活動)の「ピエタ」(1698)


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どうしても同じ場所に来てしまいます。


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サン・ジャコモ・マッジョーレ広場です。


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とうとう雨が降ってきました。


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暫し雨宿り


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キリがないので、この辺にしましょう。


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(おわり)

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ガルヴァーニ広場です。


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次はサン・ドメニコ聖堂です。


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サン・ドメニコ広場です。数点の見所がある広場です。広場に建っている建物がサン・ドメニコ聖堂と修道院です。


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1228年創建、1240年完成のロマネスク様式の教会です。ファサードは1240年に建設されました。


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1728年から1732年にかけて大掛かりな改修改造工事が行われました。外観、聖堂内部の多くはこの工事後の姿となってます。


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1884年、第256代教皇レオーネ13世(1810‐1903 在位:1878‐1903)によってBasilica Minoreに格付けされました。


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ファサードの入り口扉上ルネッタのモザイクは、ルチア・カサリーニ・トレッリ(ボローニャ、1677‐1762)の「聖ドメニコ」(オリジナルはフレスコ画)のコピーです。


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聖堂の左は修道院の建物です。


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修道院のキオストロに出ます。


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修道院のキオストロ回廊です。


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修道院は現在も活動をしています。修道院回廊の床に墓があったと思われますが、墓が見当たらず綺麗な床になってます。


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回廊から見たクーポラ


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回廊から見た鐘楼


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回廊の壁にあるフレスコ画


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回廊に置かれた法学者マッテオ・ガンドーニの墓(1330)
サン・ドメニコ広場に戻ります。


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中世の法学者ロランディーノ・デ・パッサジェリ(ボローニャ、1215c‐1300)の墓(1291)
この墓の右後方にも墓があります。


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医者のエジディオ・フォスケラーリの墓(1291)


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広場に立つ聖ドメニコ像(1627)


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広場に立つロザリオの聖母像(1632)


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ペストの流行が収まったことを聖母に感謝するために造られたもので、グイド・レーニのデザインと言われてます。


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聖堂内に入りました。


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ぺポリ礼拝堂です。


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ぺポリ礼拝堂の祭壇画は、デニス・カルヴァート(アントウェルペン、1540‐ボローニャ、1619)の「受胎告知」


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ぺポリ礼拝堂のフレスコ画は、プロスペロ・フォンターナ(ボローニャ、1512‐1597)によって1551年に制作されました。


1021
ジュンタ・ピサーノ(ピサ、1190/1200c-1260c)の「彩色磔刑像」


1022
これは有名な祭壇画です。


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フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457-フィレンツェ、1504)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1501)


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Cappella del Rosario


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ロザリオの聖母の祭壇


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ロザリオ礼拝堂にある、グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の墓


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Cappella dell' Arca


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Cappella dell' Arcaのクーポラ


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Cappella dell' Arcaのフレスコ画は、グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「聖ドメニコの栄光」(1613-16)


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主祭壇と後陣


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主祭壇画は、バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「マギの礼拝」


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グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「聖トンマーゾ」(1662)


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制作者情報不知のフレスコ画「アクイーノの聖トンマーゾと聖ベネデット」
外に出ました。


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歴史的建造物です。


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16世紀に建設されたCasa Beroです。


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ロココ調の天井フレスコ画が見物です。


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(つづく)

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Piazza del Nuttunoです。曇ってますが、午後から晴れました。


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ジャンボローニャの「ネプチューンの噴水」は健在でした。


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Palazzo dei Banchiです。


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リッツォ―リ通りとインディペンデンツァ通りの交差点付近は何時も人通りが多い。


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Biblioteca SalaborsaとなっているPalazzo d' Accursioです。
建物の名称の由来は、法学者のAccorso da Bagnolo detto Accursio(インプルネータ、1184‐ボローニャ、1263)がこの場所の一角に自己の邸宅を建設したからです。市庁舎を建設するために、13世紀末にAccursio家からボローニャ市が購入し、邸宅を組み込みながら、増築拡大して現在の規模になりました。


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Piazza del Nuttunoを挟んで、Palazzo d' Accursioの向かいにあるPalazzo di Re Enzo エンツォ宮です。


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政治家でグエルファ党の指導者のフィリッポ・ウゴーニ(ブレーシャ、?‐ボローニャ、13世紀没)がポデスタ宮の延長として、1244年から1246年に建設したゴシック様式の建物です。


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マッジョーレ広場に面した方がポデスタ宮となります。


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エンリコ王宮の名称の由来は、建設者であるフィリッポ・ウゴーニとは無関係です。
シュヴァーベンのフェデリーコ2世(イエージ、1194‐フィオレンティーノ・ディ・プーリア、1250)の息子でサルデーニャ王のシュヴァーベンのエンツォ(クレモナ、1220‐ボローニャ、1272)に由来します。
1249年、シュヴァーベンのエンツォは、モデナ近くのフォッサルタでボローニャと戦った「フォッサルタの戦い」で戦い、敗れて捕らわれの身となりました。
エンツォは、戦後暫くしてからボローニャに移送され、1249年から、1272年に死ぬまでの23年間、この建物の一角に囚人として過ごしたのです。そのため、この建物は何時しかエンツォ宮と呼ばれるようになったのです。


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エンツォ王は、ボローニャのサン・ドメニコ聖堂に葬られました。


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1200年頃に建設されたPalazzo del Podestaです。


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元来、ロマネスク様式の建物でしたが、15世紀末にルネサンス様式に改修されました。現在の姿は、その改修後のものです。


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現在、Palazzo del Podestaは、展示会やイベント会場として利用されてます。


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これらの写真の大半は2012年の撮影です。


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サン・ペトロニオ聖堂のファサードが工事中でした。


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拝観しました。


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旧ボローニャ大学に行きます。


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旧ボローニャ大学は(その9)で書きました。


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小学生の校外学習と一緒でした。この頃から、ニーハオと挨拶されるようになりました。


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図書館になってます。


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図書館が多い方の街でしょう。


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サン・ペトロニオ聖堂の後陣です。


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次はサン・ニコロ・デリ・アルバーリ教会です。


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サン・ニコロ・デリ・アルバーリ教会にやってきました。


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1583年の文書に初めて記載された教会です。現在の建物は17世紀後半に再建された二代目となるものです。


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教会の右横が民有の建物になってます。


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ファサードの「バーリの聖二コラの浮彫」


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単廊式の内部です。


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詳細不知の「磔刑」


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ジュゼッペ・マリア・クレスピ(ボローニャ、1665‐1747)の「聖アントニオの誘惑」(1690c)


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詳細不知


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出来があまり良くないグイド・レーニ作「聖ミケーレ」の複製画でしょう。


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詳細不知


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Torre Azzoguidiです。


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アッツォグイディ家邸宅の塔として、12世紀後半に建設されました。ボローニャに20残る塔のうち、2番目に高い塔で、高さが61mあります。


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写真右がボローニャの現存する塔の中で最も高い塔です。


727
地震が多いイタリアですが、意外にも塔が残っているのは何故でしょうか?


731
(つづく)

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この時は、飛行機でボローニャに入りました。空港から中央駅まで、バスで約25分ほどなので便利です。


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この建物が何なのか、未だに分かりませんが、ボローニャに来れば必ず写真を撮ってます。


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Via dell' Indipendenzaのポルティコです。ポルティコの写真だけでは、何処なのか分かりません。


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Via dell' Indipendenzaに面して立つ、アルナルド・ゾッキ(フィレンツェ、1862‐ローマ、1940)の「ジュゼッペ・ガリバルディのモニュメント」(1900)


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左折してVia del Falegnamiに入りました。


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サン・マルティーノ・マッジョーレ聖堂を目指しました。


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サン・マルティーノ・マッジョーレ聖堂です。
1227年に創建されたゴシック様式の建物ですが、15世紀から16世紀に修復改造されました。


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1293年、カルメル会修道士に引き渡され、同会の所有の教会となりました。


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現在のファサードは、1879年に再建されたものなので、他の部分とやや調和を欠いて新しく見えます。


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鐘楼は18世紀に再建されたものです。
1941年、教皇ピオ12世によってBasilica Minoreに格付けされました。


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中央扉上ルネッタのモザイクは19世紀のものです。


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サイドポータルの浮彫が有名です。


1000
フランチェスコ・マンツィーニの「聖マルティーノ」(1531)


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聖堂内に入りました。三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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この礼拝堂は必見です。


1001
フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ、1447‐1517)の「聖母子と聖人たち」
祭壇前飾りの「嘆き」はアミーコ・アスペルティーニの作品です。


1005
アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c‐1552)の「嘆き(十字架降下)」


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16世紀後半のトスカーナとエミリアで活動した逸名画家作「聖母子と聖アンナと巡礼者」(1590c)


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ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「聖ジローラモ」(1591)


1002
ロドヴィーコ・カッラッチとも呼ばれているようです。


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ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「聖母被昇天」(1506)


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この聖堂は傑作が揃ってます。


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主祭壇


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主祭壇画は、ジローラモ・シチオランテ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1521‐ローマ、1580)の「聖母子と聖人たち」(1548)


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主祭壇画


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c‐1399)の「ウミルタの聖母」


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オルガン


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アルフォンゾ・トッレッジャンニの礼拝堂(1753)


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アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c‐1552)の「聖母子と聖人たち」(1510‐15)


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詳細不知の「聖アンナと聖ジョアッキーノの邂逅」


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1352c‐1410c)の「聖母子」


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ドメニコ・リッツィ通称イル・ブルファフォルチの「天使たち」(16世紀)


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ドメニコ・リッツィについては殆ど知りません。


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急に明かりが消されてしまいました。


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ジローラモ・ダ・カルピ(フェッラーラ、1501‐1556)の「マギの礼拝」


1010
グエルチーノの作品が見つかりません。
外に出ることにしました。


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市庁舎です。


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市の美術コレクションとモランディ美術館に入館します。


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馬車で上れるようになっていた階段です。


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市の美術コレクションは紹介済みです。


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モランディ美術館の紹介は省略させて頂きます。


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(つづく)

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次に目指したのは市立劇場です。


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この日の夜に上演されるオペラをネットで予約したので、切符を受け取りに。ネットで予約すると、pdfの切符が送信されてくる場合もありますが、イタリアでは旧態依然の所が結構あります。


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サン・シジスモンド教会です。一度も拝観したことがありません。


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ザンボーニ通りに戻りました。


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ジュゼッペ・ヴェルディ広場


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市立劇場です。


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この日の演目は吉田裕史氏指揮の「フィガロの結婚」でした。吉田さんは、イタリアで非常に活躍している指揮者で、ボローニャ歌劇場オーケストラの芸術監督を務めています。


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サンタ・チェチリア祈祷所を拝観しました。


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写真右は、16世紀中頃に建設されたPalazzo Malvezzi Campeggiで、ボローニャ大学の学舎として使用されてます。


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サン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂です。


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旧修道院の建物です。キオストロには入らず。


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拝観しました。


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ルネッタ上のフレスコ画が更に劣化して、何が描かれているのか、全く分かりません。


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Piazetta Achille Ardigoです。ユダヤ人のゲットーがあった場所です。サン・ドナート教区教会はこの日も閉まってました。


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斜塔に来た訳ではありませんが、街の中心にある上に目立つので、写真を撮ってしまいました。


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サンティ・バルトロメオ・エ・ガエターノ聖堂


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斜塔の修復工事は殆どが終わっていましたが、一部継続されていました。


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ガブリエーレ・ブルネッリ(ボローニャ、1615‐1682)の「聖ペトロニオ像」(1682)


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塔に上るつもりがなかったので、上れるようになったのかは未確認です。


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リッツォ―リ通りの道路工事は完了して綺麗になっていました。


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次はマッジョーレ広場です。


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Via Orefici


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夏恒例の野外映画の準備は未だでした。


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市庁舎の時計が故障のようです。


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もう夕方ですが、午後2時10分ころを表示していました。


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サン・ペトロニオ聖堂の修復工事が完全に終わっていました。


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この時は拝観せず。


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市庁舎の修復工事も完了してました。


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ポデスタ館の工事も終わっていました。


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工事が終了して、落ち着きを取り戻したマッジョーレ広場でした。


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Palazzo dei Banchi


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Palazzo dei Notai


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時計が動いていません。


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鐘楼が見えるようになりました。


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あっりゃ! これは何ですか。


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修復工事はネプチューンの噴水に移りました。


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大掛かりな工事です。


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近くをうろつきます。


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イタリア人に人気のオブジェですが、私の趣味から外れます。


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ホテルに戻ります。


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国立絵画館に行けば、ボローニャの旅はほぼ終わったようなものです。


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立派な図書館です。


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エンツォ宮


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Via dell' Indipendenza


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ドゥオーモの修復工事も終わりました。


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(つづく)

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夕方になって再び晴れてきました。


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ドゥオーモは修復中でした。


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Via dell' Indipendenzaは、歩行者天国状態になっていました。


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Via dell' Indipendenzaに面して立つ、アルナルド・ゾッキ(フィレンツェ、1862‐ローマ、1940)の「ジュゼッペ・ガルバルディのモニュメント」(1900)


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この日はこれで終わりです。


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前の写真のほぼ1年後の6月1日です。


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Via dell' Indipendenzaは修復が終わって、綺麗に整っていました。


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何時ものように先ず国立絵画館に向かいました。


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ボローニャに来た最大の目的である国立絵画館にやってきました。


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入館するたびに、展示されている作品が微妙に変わってます。


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入館しました。
ボローニャ国立絵画館については既に取り上げました。ご興味のある方は、ご参照願います。


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シモーネ・デイ・クローチフィッシの作品


P2200927
ジョヴァンニ・ダ・ボローニャの作品


P2200970
ジョットの作品


P2200974
ロレンツォ・モナコの作品


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ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャの作品


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質の高い作品が多く、見応えがあります。


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チーマ・ダ・コネリアーノの作品


P2210211
アントニオ・ヴィヴァリーニの作品


P2210271
ロレンツォ・コスタの作品


P2210290
フランチェスコ・フランチャの作品


P2210348
ペルジーノの作品


P2210350
ラッファエッロの作品


P2210405
パルミジャニーノの作品


P2210448
ヤコポ・ティントレットの作品


P2210474
グイド・レーニの作品


P2210487
グイド・レーニの作品


P2210509
ルドヴィーコ・カッラッチの作品


P2210524
アンニーバレ・カッラッチの作品


P2210579
ジョルジョ・ヴァザーリの作品


P2210642
ドメニキーノの作品


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グエルチーノの作品


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グエルチーノの作品


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何時もの作品を何時もと同じく見ても新たな感動がありました。


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全作品を観ることなく、時間切れで外に出されました。この日の翌日も入館しました。


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サンタ・マリア・マッダレーナ教会です。まだ一度も拝観したことがありません。


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国立絵画館前のヴィットリオ・プントーニ広場です。


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ザンボーニ通りの先のサン・ドナート門まで行ってみることに。特に目的はなしでした。


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ボローニャ大学の図書館?と思いますが・・・・・


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ボローニャ第3の城壁に設けられた、13世紀に築かれたサン・ドナート門です。


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門の付近は詰まらないので、ザンボーニ通りを絵画館方向に戻りました。


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(つづく)

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次は、ザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariです。


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バイク専用駐車場です。日本よりもバイクを利用する人が多いと思います。特にナポリ、フィレンツェ、ローマなどに愛好家が目立ちます。


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Monnalisaという店が多いのですが、その営業範囲は多岐に渡ってます。


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リッツォ―リ通りは、道路工事中でした。


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車の通行は完全に遮断されていましたが、通行人の便を全く考えていない所がイタリアです。歩道を真直ぐに歩くことが出来ず、道路を数回横切るようになっていました。


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エンツォ宮を通り過ぎます。


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エンツォ宮を過ぎると、通りと歩道は一部工事が完了していて歩き易くなっていました。


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Palazzo Ronzani


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リッツォ―リ通りから見ると「斜塔」が斜塔に見えません。


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道路の右側は完全に工事終了のようでした。


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見る位置によって随分印象が異なる斜塔です。


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広場の横から見るとかなり傾いていることが分かります。


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Palazzo della Mercanzia


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これから入館することになるザンベッカリ画廊は入館無料ですが、一時期、ボローニャ市立の美術館、博物館などが無料になっていました。何時しか有料化に戻ったようです。


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サンティ・バルトロメオ・エ・ガエターノ聖堂のロッジャでしょう。


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ザンベッカリ画廊はカスティリオーネ通りにあります。


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17世紀に建設されたPalazzo Pepoli Campograndeです。この建物内にザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariがあります。


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マルケ出身の上院議員で貴族のジャコモ・ザンベッカリ(1723‐1785)が収集した絵画、彫刻などを展示する画廊で、1788年にオープンしました。


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1884年、Palazzo Pepoli Campograndeと展示されていた作品は、ボローニャ国立絵画館の所有となりました。現在、ザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariは、ボローニャ国立絵画館の別館となってます。


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前述のように入館無料です。


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入館しました。係員を見かけることは滅多になく、私以外の入館者の姿を見たことがありません。冬季、雷雨で一時停電したことがありましたが、心細いというよりも不気味さを感じました。


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パラッツォ内のフレスコ画が見所です。
ザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariについては既に取り上げました。ご興味のある方はそちらをご参照願います。


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ソフォニスバ・アングィッソーラの作品
この画廊の存在をご存知の方は少ないように思います。


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チェーザレ・ジェンナーリの作品
中小都市のMuseo Civicoよりも質の高い作品が並んでます。


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カルロ・チニャ―リの作品


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ボローニャ派画家たちの作品が充実してます。


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ジュゼッペ・マリア・クレスピの作品


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リオネッロ・スパーダの作品


P1800312
ドメニキーノの作品


P1800320
エリザベッタ・シラーニの作品


P1800363
ドメニキーノの作品


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バルトロメオ・パッサロッティの作品


P1800384
デニス・カルヴァートの作品


P1800393
ジャコモ・フランチャの作品


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カルロ・ボノーニの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


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外に出ました。


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道を挟んでPalazzo Pepoli Campograndeの向かいにある建物です。


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Palazzo Pepoli Vecchioです。


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1344年に、ぺポリ家の邸宅として建設されたPalazzo Pepoli Vecchioには、1910年までぺポリ家が住んでいました。


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現在、Palazzo Pepoli Vecchioはボローニャ歴史博物館になってますが、この時間は閉まっていました。


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カスティリオーネ通りを斜塔の方に向かって戻ります。


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ザンベッカリ画廊でかなりの時間を過ごしたので、日が傾いていました。


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夕食にはまだ早すぎます。


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(つづく)

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ガルヴァーニ広場です。


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サン・ペトロニオ聖堂の後陣がガルヴァーニ広場に面してます。


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広場の名称の由来は、広場の真ん中にある電気化学者で、ボローニャ大学の卒業生で同大学の教授を務めたルイージ・ガルヴァーニ(ボロ-ニャ、1737‐1798)像があるからです。
広場に面して旧ボローニャ大学が建ってます。(Piazza Galvani 1)


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Palazzo dell' Archiginnasioのアーチを潜って中庭に出ます。


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Palazzo dell' Archiginnasio(旧ボローニャ大学)の中庭に入りました。


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11世紀に創立された、ヨーロッパ最古の大学であるボローニャ大学は、16世紀中頃まで街の様々な建物に分散していました。それらを一つの建物に統合する計画が持ち上がり、第224代教皇ピオ4世(ミラノ、1499‐ローマ、1565 教皇在位:1560‐1565)は大学統合計画を認可して、教皇使節聖カルロ・ボッロメオ枢機卿(アロナ、1538‐ミラノ、1584)をボローニャに派遣したのです。当時、教皇庁は中央集権化を目指しており、従来から教皇庁と一線を画したいボローニャ市当局に圧力をかけたかったようです。
建築家アントニオ・モランディ通称イル・テッリビッラ(ボローニャ、1508‐1568)に建築が委嘱され、1562年から1563年に建設されたPalazzo dell' Archiginnasioです。


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1803年、ボローニャ大学はPalazzo Poggiに移転して、この建物は大学棟としての役割を終了したのです。


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Palazzo Poggiです。


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大学が移転した後、小学校として使用されましたが、1838年から市立図書館が置かれるようになり、現在に至ってます。


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夏季の間、Palazzo dell' Archiginnasioの中庭でコンサートなどが行われてます。


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ロッジャを見て回ります。


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紋章、彫刻、フレスコ画などがロッジャにあります。


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詳細不知の紋章


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Iscrizione in onore di Carlo Borromeo


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これらの詳細がサッパリ分かりません。


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外に出ました。サン・ペトロニオ聖堂の左側壁です。


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外壁が修復工事中でした。


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サン・ペトロニオ聖堂は、先ほど拝観しました。


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お腹が空きました。


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エンツォ宮のアーチの先にジャンボローニャのFontana del Nettunoが見えてます。


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観光客らしく、観光客向けの普通のお味のトラットリアで昼食を食べました。


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マッジョーレ広場近くにお気に入りの店がありますが、ワインを飲まねばならないので、避けました。そこではビールだけという訳には行きません。


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Via Oreficiの各店はかなりの賑わいでした。


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(つづく)

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気温急上昇の中、強烈な日差しを避けて歩けるポルティコは有り難い限りでした。


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マッジョーレ広場はもう直ぐです。


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Biblioteca Salaborsa前の道路が工事中でした。


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Piazza Nettuno


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朝から人出が多かった。


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ボローニャに今いるのだ、と実感させる景観です。


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マッジョーレ広場は、夏恒例の野外映画会場になっていました。


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ジャンボローニャ(フランス、1529‐フィレンツェ、1608)とトンマーゾ・ラウレティ通称イル・シチリアーノ(パレルモ、1530c‐ローマ、1602c)の「Fontana del Nettuno」(1563‐66)


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フォンターナと図書館


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何時ものようにサン・ペトロニオ聖堂を拝観しました。


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この夜の上映は、カサブランカでした。


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上映開始21:45、無料ですが見ませんでした。DVDを持っているのでわざわざ見る必要を感じません。


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上映予定


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イサベッラ・ロッセリーニがこの夜の紹介者でした。


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ポデスタ宮は相変わらず修復工事中でした。


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サン・ペトロニオ聖堂横に建つPalazzo dei Notaiです。


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Palazzo dei Notaiと市庁舎


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Palazzo Comuneに2つの美術館があります。


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2年ほど続いた修復工事が終わったようです。


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市庁舎内にある「ボローニャ市の美術コレクション」に入館します。


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Palazzo Comunaleの中庭です。


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「ボローニャ市の美術コレクション」に入館しました。


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ヤコポ・ディ・パオロの作品
「市の美術コレクション」については、既に取り上げました。


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ヴィターレ・ダ・ボローニャの作品


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ティントレットの作品


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ルカ・シニョレッリの作品


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フランチェスコ・フランチャの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


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アントニオ・カノーヴァの作品


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「ボローニャ市の美術コレクション」から見た景観


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外に出ました。


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人出が前よりも増えていました。


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写真左は、1384年から1422年に建設されたPalazzo dei Notaiです。


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修復中の建物は、1200年頃建設されたPalazzo del Podestaです。


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次は、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・チェレスティーニ教会です。


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小さいながらも美術的に見所が多い教会として知られてます。


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残念! サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・チェレスティーニ教会は閉まっていました。


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1368年の創建です。現在の建物は1535年から1554年にかけて建設された二代目のものです。


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教会に隣接して、1560年から1561年に建設された修道院があります。既に宗教活動は停止しています。


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1257年に建設された、高さ30mのTorre de' Galluzziです。建設当初はもっと高かったそうです。


1
塔に隣接してサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・フィオレンティーナ祈祷所があります。


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祈祷所横にあるフレスコ画


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(つづく)

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ソッツォ―リ通りです。写真左にマッジョーレ広場があります。


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ボローニャの街の中心マッジョーレ広場です。写真右端のエンツァ王宮は工事中でした。


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マッジョーレ広場の夏の風物詩である野外映画 Il Cinema Ritrovatoが開催していました。


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入場無料です。この夜は、上映開始間近に激しい雷雨があったので、どうなったのか分かりません。夕食を早めに切り上げてマッジョーレ広場に行く予定でしたが、雷雨を嫌って辞めました。


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次はサン・ペトロニオ聖堂です。


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1388年、Il Consiglio del Seicento del Comune di Bolognaは、街の守護聖人聖ペトロニオ司教(?、4世紀末生まれ‐ボローニャ、450)に奉献する市立教会建設を決めました。


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そうして1390年に創建され、1663年にゴシック様式の建物が完成しました。
市立教会なので、教皇庁の管理とは一線を画しており、司教座が置かれることなく現在に至ってます。


11
ファサードの中央扉上ルネッタの彫刻は、ヤコポ・デッラ・クゥエルチャ(シエナ、1374c‐1438)の「聖母子と聖ペトロニオと聖アンブロージョ」(1425‐34)です。


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ファサードは未完成です。
拝観しましたが、この時は、中は写真不可で、私の写真が一枚もありません。現在は僅かな金額(€2)の写真券を買えば写真可となっているようです。
聖堂内に入ってから、僅か10分程で閉鎖の鐘が鳴らされたので、慌てて外に出ました。


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市庁舎も修復工事中でした。


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この時は、未だ野外映画を見るつもりでした。


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夕食を早めに切り上げてマッジョーレ広場に戻った方が良さそうです。しかし、それでもなお夕食の時間には少し早いと思いました。


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一旦ホテルに戻って出直す方が無難と思いました。


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ジャンボローニャ(フランス、1529‐フィレンツェ、1608)の「ネプチューンの噴水」
噴水自体は別の人の作品です。


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ボローニャのドゥオーモ、サン・ピエトロ大司教座教会です。


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駅方面に向かうVia dell' Indipendenzaです。


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Via dell' Indipendenzaに面した建物の装飾


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ホテルに戻りました。


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前夜のボローニャ到着予定でしたが、飛行機が遅れて早朝のボローニャ到着でした。


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前日夜にチェックインの予定でしたが、早朝の到着となると伝えてあったので、難なく部屋に入ることが出来ました。


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2時間ほど寝ただけで、目が覚めてしまいました。勿体ないので、朝の散歩に出発しました。


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ガッリエラ門


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ボローニャの市域拡大によって三番目の城壁が築かれましたが、その城壁の門です。


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門の橋下に中世の石弾が置かれています。


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門を潜りました。


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駅の北側にはあまり行ったことがありません。


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Scala della Montagnola


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美術的に見栄えがしないと思います。


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1331年から1332年に枢機卿によって建設されたCastello di Gallieraの遺跡です。反教皇庁のボローニャ市民によって1511年に破壊された城です。


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朝食のため、一旦ホテルに戻りました。朝食後、外に出たら晴れていました。


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Via dei Mille?


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朝の散歩のときは涼しかったのですが、急に気温が上昇。


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8月8日広場


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マッジョーレ広場に向かってます。


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何時も同じ通りを歩くのは気が利かないので、違った道を選択しました。


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ボローニャで迷うことはありませんが、わざわざいつもと違った道を歩いて迷子になったことが何度もあります。地図を持っていても迷うので困ります。イタリアでは通り表示が必ずありますが、自分のいる場所の通り名が分かっても、その通りを地図上で探すのが大変だからです。


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何時も場所に来ました。この建物名が分かりません。旧教会に思うのですが・・・・・


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Via Galliera


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Via dell' Indipendenzaに出ます。


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Via dell' Indipendenzaの柱廊を進みます。


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(つづく)

引き続きサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会です。
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八角形の柱に描かれている聖人は、ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484‐1557)とジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487‐1540)の兄弟の作品です。
二人はフランチェスコ・ライボリーニ通称フランチェスコ・フランチャの息子です。


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カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551‐ミラノ、1629)の「聖母子と2聖人」


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ベネデット・ジェンナーリ・イル・ジョーヴァネ(チェント、1633‐ボローニャ、1715)の「聖アニアーノ」
ベネデット・ジェンナーリはグエルチーノ工房にいた画家です。


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詳細不知


6
リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c‐1410)の「安らぎの聖母」(15世紀)


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詳細不知


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詳細不知


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オルガン


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ジャコモ・フランチャとジュリオ・フランチャ兄弟のフレスコ画


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詳細不知


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この礼拝堂の祭壇画は必見です。


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ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1497)


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ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484‐1557)とジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487‐1540)の聖人のフレスコ画


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ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ファッロッピ通称ジョヴァンニ・ダ・モデナ(モデナ、1379?‐1455?)の「サルーテの聖母」(15世紀)


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聖人たちの彫像がありますが、私には制作者が分かりません。


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イラリオ・マッキオ(ボローニャ、17世紀活動)の「聖カルロ・ボッロメオ」(1628)


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ルカ・ロンギ(ラヴェンナ、1507‐1580)の「磔刑と聖マリア・マッダレーナ」(16世紀)


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フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588‐1649)の「キリストと聖ジャコモと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


7
バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1712‐1781)に帰属する「磔刑と聖ピエトロと聖マッテオ」


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次の礼拝堂です。


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カルロ・アントニオ・クレスピ(ボローニャ、1712‐1781)に帰属する「聖家族」(1753)


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詳細不知


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エルコーレ・デ・マリア(サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェット、?‐1640c)の「受胎告知」
エルコーレ・デ・マリアはグイド・レーニの弟子でした。


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次の礼拝堂です。


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詳細不知


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルトゥシオ(ボローニャ、1577‐1644)の「聖母子と2聖人」


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詳細不知


8
次の礼拝堂です。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「磔刑像を崇める聖フランチェスコ」(1645)


9
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖ジローラモ」(1645)


10
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖マリア・マッダレーナ」(1645)


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ヴィンチェンツォ・スピサネッリ(オルタ・サン・ジュリオ、1595‐ボローニャ、1662)の「聖母子と聖人たち」


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詳細不知


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詳細不知


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出入口


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外に出ました。


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すっかり夕方の佇まいになっていました。


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マッジョーレ広場に向かいます。


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もう夕食を食べている人がいました。


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(つづく)

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16世紀に建設されたCasa Montignaniです。


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1760年台、薬物商フェルディナンド・モンティニャーニがこの建物を購入して、現在の姿に改装しました。


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Palazzo Zagnoniです。Palazzo Spadaとも呼ばれてます。


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1414年に建設された建物に不具合があったようで、1540年に再建されました。1706年、ジュゼッペ・マリア・ザニョーニが購入し、その後、現在の姿に改造したそうです。


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Torresotto di Strada Castiglione


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この塔は、12世紀後半に築かれたボローニャ2番目の城壁の一部です。
カスティリオーネ通りからサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会に向かいました。


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通りに見えますが、何故かサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ広場と呼ばれてます。


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サント・ステファノ聖堂から徒歩2,3分の、広場の先にサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会があります。聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタに奉献する教会です。美術作品が多い教会として知られ、美術ファンにとっては必訪でしょう。


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伝統的に、433年、聖ペトロニオ司教(?、4世紀末生まれ‐450c没)によって建設された教会と言われてますが、伝説の域を脱していないとされてます。


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ほぼ確実とされているのは、5世紀にこの場所にあったモンテ・オリヴェート教会が前身という説です。


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最初にこの教会の存在が記載されたのは、1045年のボローニャの文書でした。


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1118年以前に、教会はCanonici regolari della Lateranenseの所有となり、1200年から1300年の間に修復、更に増築拡大されました。1286年にロマネスク様式に改造されました。


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最初の建物が経時劣化したので、1450年頃、後期ゴシック様式で再建されました。ルネサンス様式のファサードは1474年に建設されました。
写真右端は、修道院だった建物です。


1
旧修道院のキオストロと回廊です。
1543年から1549年にかけて修道院が建設されました。1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院は閉鎖され、その後、修道院活動が再開されることなく現在に至ってます。


2
ナポレオンの失脚後、修道院だった建物は裁判所、刑務所として使用され、やがて刑務所だけの使用となり、1984年まで刑務所でした。
刑務所の閉鎖後、建物は大改修されて1996年からボローニャ大学の一部になってます。


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ファサードの前に戻りました。


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ファサード入口扉上の彫刻は、ニッコロ・デッラルカ(dell' Arca)(?、1435c‐ボローニャ、1494)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタのシンボル」です。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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八角形の柱が目立ちます。


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交差ヴォールト


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内陣に彫刻があります。


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ジョヴァンニ・アンジェロ・デル・マイーノ(ミラノ、1475c‐パヴィア、1536?)とティブルツィオ・デル・マイーノ(パヴィア、1496‐1531記録 1536没)の「十字架とキリスト」
ティブルツィオ・デル・マイーノは、ジョヴァンニ・アンジェロ・デル・マイーノの弟子でした。


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左側廊


3
Presbiterio


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彩色磔刑像と主祭壇画は必見です。


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プセウド・ヤコピーノ・ディ・フランチェスコ(ボローニャ、1360‐1383記録)の「彩色磔刑像」(14世紀中頃)


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ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「聖母戴冠と聖人たち」(1501)


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祭壇前飾りとして描かれたクリスト・ダ・ぺサリーニの「最後の晩餐」(1979)


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詳細不知


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詳細不知


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c‐1410)の「聖母子」(15世紀初頭)


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サンタ・チェチリア礼拝堂です。


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これは本物の複製画です。ナポレオン以前には本物がありました。


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クレメンテ・アルベーリ(ボローニャ、1803‐1864)の「ラッファエッロ作『聖チェチリアの光悦』のコピー画」(1560‐61)


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ラッファエッロ作品の写真です。
ボローニャ国立絵画館で展示されてます。


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1796年、イタリアに侵攻したナポレオン率いるフランス軍によって、サン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会から取り外され、フランスに持ち去られて1815年までルーブル美術館で展示されていました。


P1260775
右側廊


P1260776
詳細不知


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柱の所々にフレスコ画があります。
ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484‐1557)とジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487‐1540)によって描かれた聖人です。
二人はフランチェスコ・フランチャの息子で、ジャコモが長男、ジュリオが次男です。


4
ジローラモ・ダ・トレヴィーゾ(トレヴィーゾ、1498‐ブローニュ、1544)の「我に触れるな」


P1260715
ピエトロ・ファチーニ(ボローニャ、1562‐1602)の「聖ロレンツォの殉教」(1590)
(つづく)

P1260570
ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1407から記録‐1467没)の「聖ペトロニオと聖ステファノの生涯」(15世紀)


46
以前は、三位一体教会にありました。


P1260574
ボローニャの逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(14世紀末)


P1260577
フェッラーラの逸名画家作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(15世紀後半)


P1260579
インノチェンツォ・ダ・イーモラ(イーモラ、1494‐ボローニャ、1548)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(16世紀前半)


P1260583
ボローニャの逸名画家作「聖母子」(14世紀)


P1260586
ヤコポ・ディ・パオロ(ボローニャ、1345c‐1430c)の「聖母子と聖人たちとピエタと受胎告知の多翼祭壇画」(14世紀末)


P1260589
多翼祭壇画です。


P1260596
誰の作品でしょうか?


P1260595


P1260592


P1260594


P1260598
ヴィターレ・ダ・ボローニャ派逸名画家に帰属する「聖フロニアーノ」(14世紀)


P1260603
ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480‐1542)の「聖ピエトロ」(16世紀前半)


P1260605
ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480‐1542)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(16世紀前半)


P1260602
ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480‐1542)の「ピエタ」


P1260607


P1260608
フェッラーラ派逸名画家作「園の祈り」(16世紀)


P1260611
詳細不明(説明シートなし)の「聖母子」


P1260612
リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1360‐1410)の「ピエタ」


P1260614
シエナ派逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナ」、「聖ジャコモ」(14世紀中頃)


P1260618
Museo Diocesanoの定番展示物


P1260619
逸名画家作「聖セバスティアーノ」(18世紀)


P1260621
詳細不明(説明シートなし)


P1260622
詳細不明(説明シートなし)


P1260623
詳細不明(説明シートなし)


P1260624
逸名画家作「聖ジローラモと聖アントニオ」(17世紀)


P1260626
エミリア派逸名画家作「嘆き」(15世紀)


P1260629
逸名画家作「十字架降下」(16世紀)


P1260631
ボローニャの逸名画家作「聖アントニオ」(17世紀)


P1260633
カッラッチ派逸名画家作「この人を見よ」(17世紀)


P1260635
逸名画家作「荊刑のキリスト」(17世紀)


P1260640
次は礼拝堂です。


P1260637
美術館に組み入れられた礼拝堂です。


P1260638
詳細不明


P1260642
マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648‐1729)の「聖家族と聖ベネデット」(18世紀初頭)


P1260645


P1260648
ボローニャの逸名画家作「ご訪問」(18世紀)


P1260650
ベルリンギエーロ・ベルリンギエーリ通称ベルリンギエーロ・ダ・ルッカ(ヴォルテッラ、1175c‐ルッカ?、1235/1236)の「嬰児虐殺」(13世紀)
この美術館の代表作品です。


P1260653
詳細不明(説明シートなし)


P1260657
詳細不明(説明シートなし)


P1260658
礼拝堂天井のフレスコ画(詳細不明)


P1260654
聖具類


P1260655


P1260656
小さな庭園があります。


P1260660


P1260661


P1260662


P1260663
美術館から外に出ます。


P1260664
キオストロ回廊に出ました。


P1260665
サント・ステファノ聖堂はこれで終わりです。


P1260666
ピラトの中庭を経由して外に出ます。


P1260667


P1260669


P1260676
サント・ステファノ広場に出ました。


P1260677
ボローニャの歴史を辿るには、サン・ペトロニオ聖堂よりもここに来た方が良いでしょう。


P1260678
(この項 おわり)

P1260508
キオストロ回廊にフレスコ画があります。


P1260509
「聖母子と2聖人」(詳細不知)


P1260530
2聖人は、聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ピエトロ?


47
こちらのフレスコ画はかなり古そうです。


48
詳細不明


P1260513
階上の壁の装飾を見ました。


P1260514


P1260529


P1260516
階上階の柱頭を見て行きます。


P1260517
劣化したので、一部複製された柱頭があるようです。


P1260519


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P1260521


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P1260524


52


53


54


P1260525


P1260526


49
キオストロから見た鐘楼


P1260527
ニャーゴがキオストロ回廊にいました。


P1260528
次は美術館です。


P1260504
こちらは出口のようです。


P1260531
こちらが美術館の入り口です。


P1260533
キリスト(中央)と聖ヴィターレ(左)と聖アグリコラ
1940年にオリジナルの浮彫は取り外され、美術館に収容されました。


P1260683
サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂の入り口扉上に浮彫がありました。現在はレプリカが置かれてます。


50
レプリカの浮彫(1940)


P1260537
詳細不知


P1260538
ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1407から活動記録-1467没)の「聖母子」(15世紀前半)


P1260540


P1260543
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖母子」(14世紀中頃)


P1260546
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「トロサの聖ルドヴィーコ」(14世紀)


P1260548
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「磔刑と聖人たち」(14世紀)


P1260550
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖パオロと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ピエトロ」(14世紀)


P1260551
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖ベネデットと聖プロチドと聖シスト」(14世紀)


P1260554
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖ジャコモと聖アンドレアと聖バルトロメオ」(14世紀後半)


P1260557
詳細不知


51


P1260558
ボローニャの逸名画家作「修道院長聖人」(14世紀)


P1260561
トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「最後の晩餐」(15世紀)


P1260564
トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「聖人たち」(15世紀前半)


P1260566
トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「聖人たち」(15世紀前半)


P1260568
トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「ピエタのキリスト」(15世紀前半)
(つづく)

P1260447
ピラトの中庭に戻りました。第3小礼拝堂が開いてました。


P1260472
第3小礼拝堂です。


P1260475
祭壇に聖遺物が置かれている?


P1260473
フレスコ画があります。


P1260476
聖堂で買い求めた説明書には、この礼拝堂の記述がありません。


P1260477
詳細不明


P1260474
中庭に面した柱廊に出ます。


P1260668
次は、ピラトの中庭に面した、写真右のChiesa del Martyrium、別称三位一体教会です。


P1260465
三位一体教会の後陣外壁がピラトの中庭に面してます。


P1260469
ピラトの中庭に面した壁龕に描かれたフレスコ画(詳細不知)


P1260471
壁龕に描かれた「聖母戴冠」(詳細不知)


44
ピラトの中庭に面した入口から三位一体教会に入ります。


P1260478
中に入りました。


P1260479
4-5世紀にこの場所に設けられた殉教者の墓地が前身です。


P1260480
現在の5廊式の教会は、17世紀に建設されました。


P1260482
有名な「マギの礼拝」(1290-1370c)の彫刻


P1260483
14-15世紀のフレスコ画


P1260484
聖ピエトロ?(1370c)


P1260486
ゴシック様式のフレスコ画(詳細不知)


P1260488


P1260490
ゴシック様式の「殉教聖人」のフレスコ画


P1260491
フレスコ断片


45


P1260492
詳細不明


P1260493
詳細不明


P1260494
ゴシック様式のフレスコ画


P1260495
詳細不明


P1260496
詳細不明


P1260501
詳細不明


P1260502
詳細不明


P1260503
三位一体教会の床


P1260485
次はキオストロ回廊です。


P1260505
キオストロ回廊に出ました。


P1260512
中世の回廊と呼ばれてます。


P1260507
ピラトの中庭よりも広いキオストロです。


P1260666
回廊は2階建てで、2階の殆どと1階の一部が修道院でした。


P1260510
ロマネスク様式の現存する回廊の1階(地上階)部分は、1000年以上前に建築されました。


P1260514
階上階(日本の2階)は、12世紀半ばにピエトロ・ダルべリコ(d’Alberico)(ボローニャ、12世紀活動)によって建築されました。
階上階は立ち入り禁止でした。


P1260506
キオストロに古井戸があります。


P1260511


P1260515
(つづく)

25
今回、(その3)では、構造図の6番がピラトの中庭で、その左側にある2つの小礼拝堂と5番のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂を取り上げます。


P1260455
ピラトの中庭に面した柱廊にある「Gallo di San Pietro」(14世紀)です。


P1260463


40
柱廊の壁のフレスコ画


P1260444
ピラトの中庭です。


P1260443
ピラトの中庭に面した柱廊に3つの小礼拝堂があります。


P1260446
第1小礼拝堂に入りました。祭壇画が取り外されていました。恐らく付属美術館に移されたように思います。


P1260457
第2小礼拝堂、Cappella Consolazioneに入りました。


P1260456
Cappella Consolazioneの祭壇に「聖母子と2聖人」のフレスコ画があります。
聖母子の方は痛みがありますが、2聖人とは制作された時期が違います。


P1260459
中央の「Madonna della Consolazione」(12世紀)


P1260462
逸名画家によるフレスコ画です。


P1260460
バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「聖ステファノ」


P1260461
バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「聖ロレンツォ」


P1260458
Cappella Consolazioneの天井フレスコ画もバルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)によって描かれました。
第3小礼拝堂は、20分後に開く予定となっていたので、後程入ることにしました。


P1260349
次は、サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂です。Basilica del Sepolcroの隣に建ってます。


P1260682
サント・ステファノ聖堂の中で最古の部分がサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂です。


P1260686
西暦80年から100年頃に建設されたエジプトの神イシスを祀る神殿がありましたが、4世紀頃に初期キリスト教会に転用されました。その後、6世紀にかけて拡大されたようです。


P1260683
聖ヴィターレと聖アグリコラは、ディオクレティアヌス帝の時代の304年頃、キリスト教の棄教を拒否してボローニャで殉教しました。
393年頃、ミラノの聖アンブロージョ司教が2人の遺体を発見し、2人の遺体をこの教会に移しました。それを機に、教会の名称が現在の呼称に変更されました。なお、2人の遺体はクリプタの主祭壇の下に置かれてます。
この教会に司教座が置かれていた時期がありました。


P1260684
ファサード上の彫刻「キリスト(中央)と聖ヴィターレと聖アグリコラ」


43
ファサード入口扉周囲の装飾


41
柱頭


42


P1260688
サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂に隣接する礼拝堂は閉まっていました。


P1260689
礼拝堂入口扉上ルネッタ上の彫刻(詳細不知)


P1260427
聖堂内に入りました。


P1260429
歴史の重みを感じさせます。三廊式です。


P1260428
右側廊に聖アグリコラが処刑された時に使われた十字架があります。


P1260441
聖アグリコラの十字架(4世紀)


P1260430


P1260425
右側廊


P1260433
左側廊


P1260434
柱にフレスコ画があります。


P1260435
祈る聖母?(詳細不知)


P1260436
詳細不知


P1260439
詳細不知の剥離フレスコ画


P1260440
左側廊の先端に聖ヴィターレと聖アグリコラの墓(7-11世紀)があります。


P1260442
墓の中は空です。聖ヴィターレと聖アグリコラの遺骨はクリプタの主祭壇下に置かれてます。


P1260692
サント・ステファノ聖堂の鐘楼


P1260680
一旦十字架教会に入ります。


P1260673
間違ったわけではなく、十字架教会を経由してピラトの中庭に戻るためです。


P1260675


P1260672
十字架教会のPresbiterio前から見た出入口方向


P1260669
ピラトの中庭に戻りました。
(つづく)

25
サント・ステファノ聖堂の配置図を再掲します。
今回、(その2)で取り上げるのは、上図の4番Basilica del Sepolcro、6番のピラトの中庭です。


P1260449
ピラトの中庭から見たBasilica del Sepolcroです。ファサードはサント・ステファノ広場に面してます。


P1260679
Basilica del Sepolcroは、(その1)で取り上げた十字架教会の隣にあります。


P1260681
ボローニャの守護聖人聖ペトロニオ司教(?、4世紀末-ボローニャ、450)がエルサレムのSanto Sepolcro Costantinianoを模して5世紀に建設させました。しかし、その建物は現存しません。


P1260685
10世紀、最初の建物は侵入したハンガリー人によって徹底的に破壊されてしまいました。11世紀、ベネデット会修道士が最初の建物の廃墟の上に再建した建物が現在見る姿の原形(殆ど同じ)となってます。


P1260452
11世紀から12世紀にかけて聖堂外壁の装飾が施されました。


30
外に置かれた石棺


31
ファサードの装飾


32


33


P1260408
聖堂内に入りました。


P1260413
説教壇と聖ペトロニオの墓です。


P1260419
復活祭の朝、聖ペトロニオの墓が開けられ、聖ペトロニオの聖遺物を拝むため、中を這って聖遺物の前に進みました。復活祭の朝の聖マリア・マッダレーナの故事に従い、ボローニャの売春婦たちが中を這いました。一説に拠れば聖マリア・マッダレーナは娼婦でした。


P1260410
天井


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天井を支える太い円柱が目立ちます。


P1260418
説教壇に上る階段


34
階段入口に置かれたライオン像


P1260412
1141年、聖ペトロニオの墓から聖ペトロニオの聖遺物が発見され、墓であることが立証されたのです。
ここにあった聖ペトロニオの聖遺物は、2000年、マッジョーレ広場のサン・ペトロニオ聖堂に移されてしまいました。


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説教壇の彫刻を鑑賞します。


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P1260450
次はピラトの中庭と、中庭に面した柱廊です。


P1260451
ピラトの中庭は、737年から744年にかけてロンゴバルド族によって造られました。


P1260448
柱廊の先に鐘楼が写ってます。


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39
ピラトの中庭にある聖水盤


P1260453
柱廊の壁の彫刻


P1260454


P1260464


P1260465
ピラトの中庭を挟んでBasilica del Sepolcroの向かいにあるChiesa del Martyrium


P1260466


P1260467
(つづく)

ボローニャの教会で必見のサント・ステファノ聖堂を取り上げます。
P2210919
「ボローニャの斜塔」からサント・ステファノ聖堂に向かいました。


P1260341
斜塔があるポルタ・ラヴェニャーナ広場から南東方向に走るサント・ステファノ通りに入りました。


P1260342
斜塔から聖堂がある広場まで徒歩5分ほどかかります。


P1260343
サント・ステファノ広場手前の写真右の建物は、1517年から1525年にかけて建設され、その後、さらに増設されたPalazzo Salina Amorini Bologniniです。


P1260344
サント・ステファノ広場の奥にあるのがサント・ステファノ聖堂です。


P1260345
広場に面して歴史的建造物ばかりが建ってます。


P1260346
写真左は、1455年に建設されたPalazzo Bolognini-Isolaniです。


P1260351
Casa Beccadelli- Bovi- Tacconi


P1260353
聖堂前から見た広場右の建物


P1260354
聖堂前から見た左側の建物


P1260352
聖堂前から見た、斜塔方向の広場全景


P1260348
サント・ステファノ聖堂、またはサント・ステファノ大修道院(Abbazia)と呼ばれるのは、幾つかの教会から成る集合体です。


P1260349
集合体全体がBasilica Minoreに格付けされてます。
説明ではよく分からないと思いますので、サント・ステファノ聖堂の配置図を示しておきましょう。


25
外部サイトから拝借したサント・ステファノ聖堂の地図です。敷地を含む建物全部を合わせたものがサント・ステファノ聖堂です。
1と3がChiesa del Crocifissoで、1が教会内陣、3がPresbiterioです。
2はクリプタです。
4は、Basilica del Sepolcroです。
5がBasilica dei Santi Vitale e Agricolaです。
6は、Cortile(庭)とPilatoです。
7は、Chiesa del Martyrium
8は、キオストロ
9,10の一部はChiesa della Bendaです。
10の一部、11,12がMuseoとなってます。


P1260358
この場所には、西暦80年から100年頃に建設されたエジプトの神イシスを祀る寺院がありました。伝説に拠れば、聖ペトロニオ司教(?、4世紀末生まれ-ボローニャ、450)によって、風化した寺院の上に建設されたのがサント・ステファノ聖堂の前身とされてます。
しかし、それは伝説とされており、最古の部分は、現在のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂の場所とされており、その場所に存在していた4世紀に建設された初期キリスト教会が前身と言うのが定説のようです。


P1260350
初めに十字架教会、Chiesa del Crocifissoから見て行きます。


P1260355
ロンゴバルド時代の8世紀に建設され、16世紀から17世紀にかけて改造されましたが、その改造後の建物が現在の姿とされてます。


P1260356
1488年に追加された説教壇


P1260357
ファサード入口扉上の装飾


26
ノーフラッシュならば写真を撮ることが出来ます。(サント・ステファノ聖堂内全てが写真OK)


P1260359
Chiesa del Crocifissoの中に入りました。


P1260362
Presbiterioとクリプタの一部が創建時のものです。


P1260361
右側壁
Presbiterioには、内陣から上ることが出来ませんが、クリプタ経由で入ることが出来ます。


P1260381
先ず、必見なのは彩色磔刑像です。


29
逆光なので、彩色磔刑像の写真をうまく撮るのは非常に難しいと思います。


28
仕方がないので、外部サイトから拝借した作品画像を載せておきます。
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「彩色磔刑像」(1380)
シモーネ・デイ・クローチフィッシの傑作です。


P1260363
主祭壇画も見物ですが・・・・・


P1260365
祭壇画、フレスコ画などを見て回ります。


P1260366
ピエル・フランチェスコ・チッタディーニ通称イル・ミラネーゼ別称イル・フランチェスキーノ(ミラノ、1616-ボローニャ、1681)の「聖ステファノの殉教」


P1260369
アンジェラ・テレーザ・ムラトリ(ボローニャ、1661-1708)の「聖マウロ・アバーテの奇跡」


P1260372
詳細不知


P1260374
詳細不知


P1260375
アレッサンドロ・ジュスベルティ(ボローニャ、1955-)の「聖ステファノ」(2013)


P1260377
逸名画家作「聖母子」(15世紀初頭)


P1260382
アンジェロ・ピオ(ボローニャ、1690-1770)の「ピエタ」(18世紀)


P1260383
フランチェスコ・カッチャネミーコ(ボローニャ、?-1542)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


P1260384
カッチャネミーコまたはカッチャネミーチとも呼ばれてます。


P1260386
ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1410から記録-1469没)のフレスコ画です。


P1260388
次はクリプタです。


P1260390
クリプタに下りました。


P1260391
8世紀に建設されたクリプタです。


P1260392
その後、何度も改修、修復を繰り返しました。


P1260393
クリプタの構造上、上部の荷重がかかるので強度的な問題から改修、修復は止むを得ないところです。


P1260397
クリプタの祭壇下に、聖ヴィターレと聖アグリコラの聖遺物(遺骨)が収められているそうです。


P1260394
逸名画家作「聖ペンタレオーネ」(18世紀)


P1260398
クリプタはサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会とも呼ばれてます。


P1260399
詳細不知


P1260401
パードレ・アンブロージョ・フマガッリ(カンビアーゴ、1915-1998)の「聖フランチェスカ・ロマーナ」


P1260404
フィリッポ・スカンナベッキ通称リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の作品です。


P1260406


P1260407
クリプタはこれで終わりです。
(つづく)

引き続きサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂です。聖堂内は写真不可なので、私の写真がありません。仕方がないので、外部サイトから写真を拝借して聖堂内の主な作品を載せておきます。以下12枚の写真が外部サイトから拝借したものです。
23
単廊式、ルネサンス様式の内部です。


15
この聖堂の最大の見所は、このべンティヴォーリオ礼拝堂でしょう。


14
ヤコポ・デッラ・クゥエルチャ(クゥエチェ・グロッサ、1374-シエナ、1438)の「アントン・ガレアッツォ・べンティヴォーリオの墓」(1438)


16
フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「べンティヴォーリオの祭壇画」


24



19
次はロレンツォ・コスタの寓意的フレスコ画です。


17
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「名声の凱旋」(1490)


18
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「死の凱旋」(1490)


25
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330-1399)の「彩色磔刑像」(1370)


20
バルトロメオ・パッサロッティ(パッセロッティ)(ボローニャ、1529-ローマ、1592)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1560-65)


21
ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴェルソルダ、1527-ミラノ、1592)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの受胎告知」(1551-53)


22
ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴァルソルダ、1527-ミラノ、1596)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの召命」(1551-53)


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サン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂から外に出ました。


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ザンボーニ通りを挟んでサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂の向かいにあるPalazzo Malvezzi Campeggiです。


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1500年頃に建設されたPalazzo Malvezzi Campeggiはボローニャ大学法学部の学舎として使用されてます。


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ロッシーニ広場


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歴史的建造物が大好きなので、それらを見ながら歩くと時間がかかります。


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16世紀の柱頭


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Piazetta Achille Ardigoです。この小広場はユダヤ人ゲットーがあったところで、写真右端にゲットー入口の門があります。


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サン・ドナート教区教会です。


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最初の建物の記録が残されていないようです。1210年の記録に、この教会の存在が初めて記載されたそうです。1454年に再建されましたが、1505年の大地震によって倒壊して廃墟になってしまいました。その後に再び建設され、18世紀に改造されて現在の姿になりました。


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ファサードのフレスコ画は、フランチェスコ・オルランディ(ボローニャ、1725-1769)によって1751年に制作されました。


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Piazetta Achille Ardigoに面して建っているのは、13世紀起源のPalazzo Malvasiaで、現在、ベスト・ウエスタン・ホテル・サン・ドナートとなってます。


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「ボローニャの斜塔」が見えてきました。


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写真右が高さ97mのTorre degli Asinelli、左が高さ48mのTorre Garisendaです。


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Torre degli Asinelliに上ることが出来ますが、この時は修復工事のため立ち入り禁止でした。エレベーターがないので、498段の階段を自分で上らねばなりません。


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二本の塔がある広場Piazza di Porta Ravegnanaに置かれているのは、ガブリエーレ・ブルネッリ(ボローニャ、1615-1682)の「聖ペトロニオ像」(1682)です。
この場所に置かれるようになったのは、2001年からです。ガブリエーレ・ブルネッリが「聖ペトロニオ像」を制作したのは、Arte dei Drappieriのためで、制作されてから約200年はArte dei Drappieriがあった場所に置かれていたそうです。1871年に、マッジョーレ広場のサン・ペトロニオ聖堂に置かれるようになりました。そこから再度移設されたのです。


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斜塔の先にあるのは、サンティ・バルトロメオ・エ・ガエターノ聖堂です。


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聖堂のロッジャ


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ロッジャから見た二本の塔


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1382年から1391年に建設されたゴシック様式のPalazzo della Mercanzia、別称メルカンティのロッジャです。


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Piazza della Mercanzia


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Via Santo Stefanoです。この後、サント・ステファノ教会に行く予定でしたが、その前に道草してサンタ・ルチア教会に行くことにしました。


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中世の頃、地表面積によって税額が決められていたので、空間有効利用の工夫として、このように上部拡大された建物を散見します。


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ポルティコが続きます。


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古そうな列柱


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サンタ・ルチア教会は、ボローニャ大学の講堂になっているのですが、この日は開く日と聞いていたのです。


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カスティリオーネ通りです。


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写真左に教会があります。


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サンタ・ルチア教会です。1866年に宗教活動を停止した旧教会です。


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432年、この場所に建設されたサン・ペトロニオ教会が前身です。903年、マジャール人の来襲の際、消失してしまいました。
1208年から1418年にかけて再建されました。ボローニャ市民は、より大きく立派な、街を守護する聖人のための聖堂を欲したことから、14世紀末にマッジョーレ広場にサン・ペトロニオ聖堂が建設されました。その完成と移転を機に奉献する聖人が聖ルチアに変更され、サンタ・ルチア教会と改称されました。


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ボローニャ大学の催事は終了したようで、扉が閉まっていました。残念!
未完のファサードです。


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16世紀、イエズス会の所有となり、1623年から1663年にかけて改造工事が行われ、バロック様式に改造されました。
1866年、イタリア統一戦争における軍施設として没収され、その後、一度も宗教活動が再開されることがありませんでした。
1873年、ボローニャ市当局の所有となりましたが、ボローニャ大学体育館に転用されました。1988年からボローニャ大学の講堂に改造されました。


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旧サンタ・ルチア教会に離接している建物です。


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(つづく)

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
新年になったばかりですが、来年の今頃はどうなっているだろうと、つい考えてしまいます。こんなことは人生で初めてです。
1
サンタ・チェチリア祈祷所は写真不可なので、外部サイトから拝借した写真を使用して、祈祷所の壁に描かれたフレスコ画を紹介することにします。
この写真を含めて、以下13枚の写真が外部サイトから拝借したものです。
フレスコ画のテーマは、「聖ヴァレリアーノとその妻聖チェチリアの物語」で、全部で10画面ありますが、ロレンツォ・コスタ、フランチェスコ・フランチャ、アミーコ・アスペルティーニなどによって1505年から1506年に制作されました。


2
祈祷所祭壇画は、フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「磔刑」


3
フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「聖チェチリアと聖ヴァレリアーノの結婚」(1505-06)


4
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「聖ヴァレリアーノと回心させる聖ウルバーノ」(1505-06)


5
ジョヴァンニ・マリア・キオダローロ(ボローニャ、1480c-1530c)とチェーザレ・タマロッチョ(ボローニャ、16世紀初め活動)に帰属する「聖ヴァレリアーノの洗礼」
ジョヴァンニ・マリア・キオダローロは、ロレンツォ・コスタの追随者でした。
チェーザレ・タマロッチョは、フランチェスコ・フランチャの弟子でした。


6
バルトロメオ・ラメンギ通称イル・バニャカヴァッロ(バニャカヴァッロ、1484-ボローニャ、1542)とビアージョ。プピーニ(ボローニャ、15世紀末生まれ-1575c没)に帰属する「天使によって戴冠される聖チェチリアと聖ヴァレリアーノ」


7
少し前までは、フランチェスコ・フランチャの作品と考えられていました。


8
アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c-1552)の「ヴァレリアーノとティブルツィオ兄弟の斬首」(1506)


9
アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c-1552)の「ヴァレリアーノとティブルツィオ兄弟の埋葬」(1506)


10
バルトロメオ・ラメンギ通称イル・バニャカヴァッロ(バニャカヴァッロ、1484-ボローニャ、1542)とビアージョ・プピーニ(ボローニャ、15世紀末生まれ-1575c没)の「預言者アルマキウスと議論する聖チェチリア」


11
ジョヴァンニ・マリア・キオダローロ(ボローニャ、1480c-1530c)とチェーザレ・タマロッチョ(ボローニャ、16世紀初め活動)に帰属する「聖チェチリアの殉教」(1505-06)


12
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「貧しい人々に財産を寄贈する聖チェチリア」


13
フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「聖チェチリアの埋葬」(1505-06)


159
祈祷所のキオストロに出ました。


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次はサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂です。


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ベアート・ジョヴァンニ・ボーノ・ダ・マントヴァ修道士会は、1247年、聖ジャコモに奉献する教会と修道院の建設を決定しました。それに基づいて1267年から1315年に建設されたロマネスク・ゴシック様式の教会です。


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聖堂内に数多くの美術作品がありますが、残念ながら内部は写真不可となってます。
サン・ペトロニオ聖堂をはじめ、他の都市に比べるとボローニャの教会は写真不可の所が多いと思います。


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15世紀に建物の一部がルネサンス様式に改造されました。


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ファサード天辺のヴェネツィア様式の彫刻はMaestri Lombardi制作(1295)です。


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ファサード左(向かって)のフレスコ画
風雨、日光に晒されて経時劣化が著しく、聖人の特定が出来ません。


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入口扉上ルネッタのフレスコ画


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こちらの方は保存状態が良いと思います。(詳細不知)


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入口扉左右のライオン像


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ファサード横のポルティコに向かいます。


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ポルティコの壁にフレスコ画があります。


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かなり痛みがあるフレスコ画です。


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伝統的にトンマーゾ・フィリッピに帰属するとされてます。


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ポルティコ側にも聖堂への入り口があります。


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Basilica Minoreに格付けされてます。
聖堂内に入って拝観しましたが、前述のように写真不可なので、私の写真が一枚もありません。外部サイトから拝借して、一部の作品を(その4)で紹介することにします。


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後陣と鐘楼


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ファサード横に旧修道院の建物があります。


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旧修道院壁龕上部のフレスコ画


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写真左端の入り口からキオストロに入ることが出来ます。


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キオストロと回廊


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旧修道院の建物は音楽学校になってます。


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キオストロ回廊に置かれたベンチに座って、建物から流れる音楽を聴きながら暫し休息。


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(つづく)

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Via delle Belle Artiです。


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これ以上歩いてもVia delle Belle Artiには見所がありません。Via Zamboniの方が見所が豊富です。


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見所豊富なVia Zamboniです。


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ボローニャ貴族ポッジ家の邸宅として、1549年から1560年に建設されたPalazzo Poggiです。


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Palazzo Poggiは、ボローニャ大学の本部となっている他、幾つかのMuseoがあります。


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Museoに入館するためにPalazzo Poggiの階段を上りました。


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ところが、開館日の筈でしたが、何故か休館になってました。


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突発的な臨時休館はイタリアでは時々起きるので、驚くことではありませんが、予定が狂いました。


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Via Zamboniを挟んでPalazzo Poggiの向かいに、ボローニャ大学芸術学部の建物があります。


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芸術学部がある建物の壁に絵画があります。学生が描いた?


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面白いので暫し鑑賞。


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ボローニャ大学の学舎が並んでる通りです。


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Via Zamboniの先にサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂があります。


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写真右のTeatro Comunaleに用事がありました。オペラの切符をネットで予約したので、切符を受け取ります。


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ヴェルディ広場


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1651年に建設されたマルヴェッツィ劇場が1745年に消失してしまったので、建築家アントニオ・ガッリ・ビビエーナ(1697-1774)の設計によって建築され、1763年にオープンしたボローニャ市立劇場です。


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ボローニャ歌劇場の本拠地です。


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特にモーツァルトのダ・ポンテ三部作が魅力的な歌劇場と思います。


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受け取った切符はコジ・ファン・トゥッテです。ナポリのサン・カルロ劇場で見た演出と同じでした。


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ボローニャ歌劇場は来日引っ越し公演をしたことがあります。


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夏の強烈日差しが、先ほど降った雨に濡れた道路を乾かして、大変な高湿度、高温となりました。


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Via Zamboniとヴェルディ広場を挟んで、市立劇場の向かいにある建物(旧べンティヴォーリオ厩舎)に描かれたフレスコ画が必見です。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・スピーニの「ピエタ」(1698)です。


153
ボローニャでは、このような案内板が完備されています。


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次はサンタ・チェチリア祈祷所です。


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サンタ・チェチリア祈祷所の入り口は、サン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂横のロッジャにあります。


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サンタ・チェチリア祈祷所の入り口上に案内表示があるので、迷うことはないと思います。


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サンタ・チェチリア祈祷所に入って行く人がいました。


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中に入りました。ポルティコの壁にフレスコ画があります。


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写真右の赤い幕がある所が祈祷所の入り口です。


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オラトリオのポルティコの壁に描かれたフレスコ画を見ます。


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アミーコ・アスペルティーニの弟子によって描かれた部分がありますが、ポルティコのフレスコ画の作品帰属は明確になっていないようです。


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父なる神


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聖チェチリア


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保存状態があまり良くない部分


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祈祷所の中に入ります。中は写真不可です。


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祈祷所の外から撮った祈祷所内部の写真です。


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祈祷所の祭壇画は、フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「磔刑」です。
写真不可にも拘らず、外部サイトに祈祷所内部の写真があるのが不可思議(私が日本人とみて侮られていたのでしょう、私の写真は一枚もありません)ですが、ここは必見なので、それらの写真を無断拝借して(その3)に掲載することにしましょう。


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外に出ました。
(つづく)

大変な一年が過ぎようとしています。
今年は、ベートーヴェン生誕250年にあたり、演奏会に行く予定でしたが、コロナのために実現しませんでした。
ヴェネツィアのカーニバルが途中で中止され、封鎖された時には、今年の秋には何とかなるだろうと楽観視していました。見通しの甘さを痛感しています。
イタリアが遠くなる一方ですね。イタリアが身近に感じられずに、記事を書いている毎日です。
本年もお付き合いいただき有難うございます。
来年もどうぞよろしくお願い致します。

ボローニャは、人口392,696人(2019年11月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州の州都であり、同州ボローニャ県の県都です。
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前泊地がカステッラルクア―トだったので、最寄り駅のフィオレンツォ―ラ駅から列車でボローニャに向かいました。フィオレンツォ―ラ駅は、ピアチェンツァ~パルマ間にある快速列車が停車する駅です。


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フィオレンツォ―ラ駅を定時に発車しました。


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フィオレンツォ―ラ駅を発車した時、車内は写真のように空いてましたが、パルマ、レッジョ・エミリア、モデナで乗車する人が多く、ボローニャ手前ではほぼ満員状態になりました。


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快速列車なので、地上駅に到着しました。特急列車は大体地下駅の発着となるので、地上に上がるまで時間がかかります。


278
ボローニャは、美術的な見所が満載なので、毎年来ています。


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ボローニャ駅の駅舎です。


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この時は、駅前の写真左のホテルにしました。飛行機利用の場合、必ずこのホテルに泊まることにしています。


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荷物をホテルに預けてから、街歩きに出発しました。午前中にも拘らず雷鳴が聞こえてきました。晴れていたと思っていたのですが、ホテルから外に出ると、空は黒い雲に覆われていました。


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市域の拡大によって、城壁が拡張されましたが、第3の城壁に築かれたガッリエラ門です。


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私には教会のように見えます。恥ずかしながら、初めてボローニャに来た時、門と思わず教会の建物と思ってました。


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1200年頃に建設されたガッリエラ門は、戦争、紛争などで破壊、再建を繰り返しました。現在、見ることが出来るバロック様式のガッリエラ門は、1660年から1663年に建設されました。


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門の後方にガッリエラ城の遺跡があります。


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ボローニャに来たならば、真っ先に目指すのは国立絵画館です。


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国立絵画館は、開館日時が頻繁に変更されるので、要注意です。


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この時は、曜日によって午前のみ、午後のみの開館となっていて、ゆっくり鑑賞したい私としては困りものの絵画館となっていました。一回の旅で、絵画館に二回入館して写真を撮る日と鑑賞だけする日に分けているのが常でしたが、ボローニャ絵画館だけは、それが叶いませんでした。
展示作品が多いので、午前中に全作品の写真を撮るには時間が足りず無理でした。鑑賞も同じでした。
だから、一回のボローニャの旅で、写真撮るために2日、鑑賞するために2日、計4日必要だったのです。


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雷鳴が近くなると、やがて雨が降ってきました。


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ポルティコがどこまでも続くボローニャなので、急な雨でも歩き回るには支障がありません。


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恐らく教会だった建物と思いますが、詳しいことが分かりません。


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幸いにも雨が上がりましたが、雷鳴がまだ聞こえてきます。


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赤い煉瓦に染まる街ボローニャです。


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切りピザ店に立ち寄り、一切れ買い求めて食べながら国立絵画館へと急ぎました。閉館の午後2時まで頑張らないといけないので、エネルギー補給が必要でした。


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大学生が多いですね。イタリアの大学は、入学は容易、卒業は難しいと言われてます。
私が大学を卒業したのは、半世紀以上前ですが、勉強させられました。理工系でしたが、午後1時から実験が始まって、終わるのが午後9時過ぎ、自宅で実験レポートを書いて、それを15週やって僅か1単位でした。製図は、自宅で数日かけて仕上げて、15週かけて15点の墨入れ製図を提出して僅か1単位。卒業は、文科系も理工系も同じ124単位以上でしたから、割に合いませんね。


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ぽつぽつと雨が落ちてきました。


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夏でしたが、アルプスからの寒気が強くて、天気が安定しません。


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柱廊の突き当りを右折すれば、絵画館です。


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絵画館の建物です。雲の切れ間から強い日差しが照り付けてきました。


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国立絵画館にやってきました。強い日差しによって、雨に濡れた道路から水分が蒸発して、大変な湿気でした。


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入館しました。


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ボローニャの国立絵画館については、既に取り上げました。ご興味のある方はご参照願います。


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この絵画館の特徴はボローニャ派絵画の殿堂であることでしょう。日本では、ボローニャ派絵画はあまり人気がないように思えるのですが、如何でしょうか?


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グイド・レーニの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


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アンニーバレ・カッラッチの作品


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グエルチーノの作品


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ドメニキーノの作品


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グエルチーノの作品


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途中で時間切れとなってしまいました。


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国立絵画館のパラッツォの中庭


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私が外に出るのを待ってます。


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閉館の30分くらい前に、係員から「そろそろ閉館の時間です」と言われます。


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閉館時間の10分前に外に出たら、すぐに扉が閉まりました。私が最終入館者だったようです。


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大勢の学生が絵画館がある建物の柱廊で座り込んでいました。


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直ぐに大粒の雨が落ちてきました。


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雨宿りを兼ねて、サンタ・マリア・マッダレーナ教会向かいにあるカフェで学生たちと昼食をともに。


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食べているうちに俄雨が上がりました。
(つづく)

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