セニガッリアは、人口44,796人(2016年6月30日現在)のマルケ州アンコーナ県にあるコムーネです。
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私が初めて「セニガッリア」を知ったのは美術館でした。


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この有名な作品です。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの「セニガッリアの聖母」です。


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ウルビーノの国立美術館で展示されてます。
「セニガッリアの聖母」の由来ですが、セニガッリアの貴族がピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖母子」(2番目の写真)を所持していたからのようです。
「セニガッリア」が何処にあるかについては、知りませんでした。
ところがアンコーナからリミニに向かう途中のFSのRVの車窓からセニガッリア駅前に立派な要塞が見えたのです。その時、急遽途中下車して簡単に街歩きをしたのが初めてのセニガッリア体験でした。


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セニガッリア駅に到着しました。


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この時は、セニガッリアで2泊して、その間の中1日はアルチェーヴィアへの日帰り旅行を予定していました。


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駅を出ると、眼前にあるのが要塞です。要塞と駅の間に広い道路があり、道路の両側にバスの停留所があります。
バスターミナルは別の場所にありますが、バスの殆どは駅前から乗降できるようになってます。


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駅舎
アルチェーヴィアに向かう公共交通機関はバスしかありません。バスの時刻表を見ていたら、女子高校生と思しき2人が英語で話しかけてきたのです。私の顔にはイタリア語を話さないと書いてあります。話しかけられるのは決まって英語です。
女子高校生「何処に行くの?」
私「アルチェーヴィア」
女子高校生「アルチェーヴィアに行くバスは、今日は夕方に1本あるだけです」
私「乗るのは明日なんだけど」
女子高校生「明日は、朝の早い時間と夕方の2本しかないわ。今日も明日も学校の先生のストライキで、平日だけど学校が休校の時刻で運転されるの」
どひゃー、ビックリです。
女子高校生の言うことは多分正しいと思いましたが、バスターミナルに行って係員に確認したところ、明日もストライキが行われると思うとの事。(この時はブロークンのイタリア語)
困りました。お宿に行って、1泊するけど、もう1泊はキャンセルの了解を取ってからホテルの部屋に入って、PCで翌日以降の旅程変更を行いました。
慌てていたので、この間の写真は一枚も撮ってません。


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アルチェーヴィアには一度行ったことがあります。(以下5枚の写真は外部サイトから拝借しました)


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市庁舎


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一番の目的は、この作品を観ることでした。
ルーカ・シニョレッリの傑作「アルチェーヴィアの多翼祭壇画」


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要塞も中々のものです。


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イタリアのバスの位置付けは大体学生が利用するものと思います。観光客が多い路線では、休校日であっても日中の減便は少ないのですが、それ以外の路線では休校日の日中は大幅に減便されるのが普通です。
アルチェーヴィアへの日帰りは、朝7時到着、夕方7時半出発ならば可能でしたが、12時間以上どうやって過ごすか適当な策が見つからなかったので断念した次第です。
公共交通機関のストは、山猫ストはあるものの、事前にある程度知りえますが、先生方のストによるバスの減便なんて予想だにしなかったので堪えました。


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気を取り直してセニガッリアの街歩きです。


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Rocca Roveresca


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要塞の前から見た駅舎です。


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要塞の周りは公園になってます。


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セニガッリアは海水浴場として有名です。
要塞がある場所に、3世紀頃、海の見張り台が築かれましたが、それが要塞の始まりです。要塞は代々の支配者によって拡大整備されましたが、現在の姿の要塞は、1474年にセニガッリアの領主となったジョヴァンニ・デッラ・ローヴェレが建築家バンチョ・ボンテッリ(フィレンツェ、1450c‐ウルビーノ、1494c)に注文して1480年に完成した、ルチアーノ・ラウラーナの影響が認められるルネサンス様式のものです。バンチョはウルビーノ公のフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロに仕え、ウルビーノの傑作を残してます。


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度々抗争の舞台となったセニガッリアなので、それに備えてジョヴァンニ・デッラ・ローヴェレが要塞を築いたとされてます。


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小競り合いはあったものの、本格的な戦闘の舞台には一度もなったことがない要塞です。


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1502年、セニガッリアはチェーザレ・ボルジアの支配下に置かれましたが、その年末に反乱が起き、直ぐに鎮圧されましたが、1503年1月3日に反乱首謀者たちの処刑がこの要塞で行われました。


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現在、要塞は博物館として公開されてますが、それ以前は刑務所でした。


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要塞が刑務所というのは、イタリアでは定番のようです。


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博物館に一度入館して懲りてますが、まあ特に他にやることがないので、入館することにしました。


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橋を渡りました。


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要塞の入り口


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写真右端が切符売り場


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中庭に置かれた大砲


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中世の頃は石弾が普通ですが、この大砲がこの大きな石弾を発射するのは無理でしょうね。


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さて、展示の方はどうなっているでしょうか。


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前回、入館した時は現代の作品ばかりでうんざりしましたが・・・・・


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やっぱり前回と同じでした。


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前回も今回も入館者は私一人でした。


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展示されて作品の数は前回よりも増えていました。


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現代モノが苦手なので、作品が展示されていない部屋を見たのですが、少し前まで刑務所だったせいなのか、少し不気味な気がしました。


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ここで貰ったパンフレットの記述が凄いんです。


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パンフレット曰く「中世の要塞に見事にマッチした現代の彫刻の数々」が売りだそうです。「全然マッチしてないよ」←私の独り言
見解の相違ですね。


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こんな展示がありました。


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この要塞に関係した人たちのようです。勿論本物ではありません。


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要塞に付いての説明です。


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要塞の航空写真


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中世の絵画や彫刻などが展示されていた時代があったそうです。


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それらは今何処にあるのでしょうか?


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この下は要塞の牢獄です。チェーザレ・ボルジアに反乱した首謀者が囚われて拷問された部屋です。


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階上に向かいました。


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展示作品が増えました。


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年間入館者数はどのくらいなんでしょうか?


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私の予想→年間1万人以下


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礼拝堂(タベルナコロ)


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16世紀のもの


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要塞からの眺め


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ドゥオーモの鐘楼が見えてます。


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この場所から写真を撮りました。


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それ程高い場所ではないので、平凡な眺めです。


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要塞の外に出ました。


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セニガッリアの見どころです。


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Piazza Palazzo del Duca
建物はパラッツォ・ディ・バヴィエラ


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Palazzo del Duca


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「ライオンの噴水」


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SENAFILとは何ぞや?


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セニガッリアの最大の見どころはここだそうですから、後は推して知るべしです。


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広場の横に円形の建物が建ってます。


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フォロ・アンノナーリオ


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その横の建物は分かりません。


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市場です。


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新古典様式の柱廊が有名です。


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市場の他に食堂があります。


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昼休み中


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(つづく)