次はサン・フランチェスコ教会です。
サン・ドメニコ教会からサン・フランチェスコ教会に行くには、旧市街の中心を経由して行くのが最も近道になります。
ナツィオナーレ通り
レプッブリカ広場を通り過ぎました。
広場から教会までは坂道となってます。
広場から約100mほど進めば教会です。
ここのタベルナコロは見逃せません。
「磔刑」は地元コルトーナの画家によって描かれました。
行った先々の街の繁栄度は、その街の教会やMuseo Civicoなどの展示作品を見れば大体分かります。
有名な画家や彫刻家の作品が幾つもあれば、その街は繁栄していたのです。芸術はパトロンがいないと成り立ちません。裕福なパトロンがいることが、芸術の質を左右することになります。
もう教会です。
サン・フランチェスコ教会のファサードが見えてきました。
1245年に完成したゴシック様式の教会です。
再建されずに現在に至ってます。
しかし、現在の姿は1245年当時のものとはかなり違うそうです。それは17世紀前半に大幅な修復工事が行われたからとされてます。
ポータル、ルネッタ並びにその周辺は創建時の姿とされてます。
単廊式、ゴシック様式の内部です。
左側壁
右側壁
木組み梁の天井
後陣
中央礼拝堂
後陣右の礼拝堂
14世紀の無名画家の「グラツィエの聖母」
アンジェロ・ディ・ピエトロとフランチェスコ・ディ・ピエトロ兄弟の「ラニエーリ・ウンベルティーニの墓」(1360)
ラニエーリ・ウンベルティーニは、コルトーナの初代司教で、1348年にコルトーナで没しました。
チーロ・フェッリの「天上の聖母と聖ルイージと聖ルドヴィーコと聖二コラと聖フランチェスコとコルトーナの聖マルゲリータ」(1625)
ジローラモ・ピアモンティーニの「磔刑」
フランチェスコ・ファッブルッチの「聖フランチェスコ」、「コルトーナの聖マルゲリータ」(17世紀)
チゴリの「パドヴァの聖アントニオの奇跡」(1597)
ピエトロ・ダ・コルトーナの「受胎告知」(1669)
アンドレア・コッモディの「無原罪の御宿りと聖クリストフォロと聖ルドヴィーコと聖チェチリアとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1609)
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(1660‐1731)の「聖ルチアの奇跡」
ヤコポ・ディ・ミーノ・デル・ポッリチャーイオの「聖母戴冠」(フレスコ、14世紀)
オラツィオ・フィダーニの「聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅」(1845)
ラッファエッロ・ヴァンニの「ご誕生」(17世紀)
ニッコロ・モンティ・ディ・ピストイアの「スルタンと面会する聖フランチェスコ」(1842)
これが見たかったのです。
1523年10月16日、ルーカ・シニョレッリはコルトーナで没しました。
詳細不明のフレスコ画
中庭に出てルーカ・シニョレッリの墓を探しました。
ルーカの墓はサン・フランチェスコ教会にあります。
ルーカの墓を見つけることができませんでした。
外に出ました。
(つづく)
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