
バッサーノ・デル・グラッパは、人口43,372人(2015年12月31日現在)のヴェネト州ヴィチェンツァ県にあるコムーネです。

名産のグラッパ酒、白アスパラガス、陶器などで有名です。

芸術面では、ルネサンス期にバッサーノ・デル・グラッパ、ヴェネツィアなどで活躍したバッサーノ一族の出身地として有名です。

バッサーノ一族の作品はヴェネツィアにありますが、美術館や教会に分散しています。

バッサーノ一族の作品が最も揃っているのが、バッサーノ・デル・グラッパの市立美術館です。

早速美術館に向かいました。

サン・フランチェスコ教会です。

サン・フランチェスコ教会のファサード横に市立美術館の入り口があります。

ここです。しかし、開館時間にも拘らず扉が閉まっていました。

折角来たのに、休館はないよと思って周りを見たら、教会後陣の先に入り口が移動したと書いてありました。

開館していると分かってホッとしました。

ついでに教会のフレスコ画を見ました。


後陣に向かいました。

この先です。

建物を新設したようです。

ここが美術館の入り口です。
従来は旧サン・フランチェスコ修道院の建物が美術館として使用されていましたが、その横に建物を新築して規模の拡大を図ったそうです。
さらにビックリしたのは、入館無料となったことです。老人だけ無料ではなく、全員無料です。

フランチェスコ・ダ・ポンテ通称フランチェスコ・バッサーノ・イル・ヴェッキオ(ヴィチェンツァ、1475c‐バッサーノ・デル・グラッパ、1530)の「死せるキリストへの哀悼」(1531‐32)
フランチェスコ・バッサーノ・イル・ヴェッキオは、バッサーノ一族の工房の創始者ですが、孫で画家のフランチェスコと区別するために、祖父のフランチェスコはイル・ヴェッキオと呼び、孫の方はイル・ジョーヴァネをつけるのが普通です。
フランチェスコ・イル・ヴェッキオは、ヴェネツィアで修業し、ジョヴァンニ・ベッリーニ追随者でしたが、ベッリーニ工房で修業した記録がなく、ジョヴァンニとは無関係だったようです。ベッリーニ工房で修業した画家に師事したか、ジョヴァンニ・ベッリーニの作品を見ることによって追随者になったとされてます。

ダーリオ・ダ・トレヴィーゾ(ポルデノーネ、1420c‐コネリアーノ、1498以降没)の「慈悲の聖母と洗礼者聖ジョヴァンニと聖ベルナルディーノと寄進者」(1460‐70)

バッティスタ・ダ・ヴィチェンツァに帰属する「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」

ルーカ・ディ・ヴィチェンツァ(ヴィチェンツァで14世紀に活動)の「四聖人」

制作者不詳の「キリストの洗礼」

近隣の教会や修道院、病院などにあった剥離フレスコが展示されてます。

バルトロメオ・ヴィヴァリーニの「救世主」

アントニオ・ヴィヴァリーニの「聖アポロニアの殉教」

アントニオ・ヴィヴァリーニの「ピエタのキリストと聖二コラと聖アンドレア」

グアリエント・ディ・アルポの「磔刑」(1332)

ミケーレ・ジャンボノの「聖母子」(1440c)

ヴェネトの無名画家の「聖家族」(15世紀)

ベルナルディーノ・ザガネッリの「磔刑」

ヤコポ・バッサーノの「天上の聖母子と聖アポロニアと聖アガタ」
ヤコポ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1510‐1592)は、フランチェスコ・バッサーノ・イル・ヴェッキオの息子で、父から画家として手ほどきを受けた後、1530年代初めにヴェネツィアに赴き、ボニファツィオ・デ・ピターリに師事して、ヴェネツィアで仕事をしました。
1539年、父が死去したので、父が残した工房を引き継ぐために故郷のバッサーノ・デル・グラッパに戻りました。
彼の四人の息子全員が画家になり、ヴェネツィアにも工房支店を出して、二つの工房は非常に繫栄しました。
ヴェネツィア派の影響を基本に、ラッファエッロやマニエリスム画家らを研究して、独自の様式を確立して、17世紀イタリア絵画の先駆者とされてます。

ヤコポ・バッサーノの「園の祈り」

ヤコポ・バッサーノの「天国」

ヤコポ・バッサーノの「割礼」

ヤコポ・バッサーノの「3聖人」

ヤコポ・バッサーノの「聖ルチッーラを洗礼する聖ヴァレンティーノ」(1575)

ヤコポ・バッサーノの「聖母子と聖モーロと聖ロッコ」(1576)

ヤコポ・バッサーノの「羊飼いの礼拝」(1568)

ヤコポ・バッサーノの「水飲み場の聖ラケル」

ヤコポ・バッサーノの「聖霊降臨」

ヤコポ・バッサーノの「砂漠の洗礼者聖ジョヴァンニ」

ヤコポ・バッサーノの「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」

ヤコポ・バッサーノの「聖母子と聖フランチェスコと聖バッシアーノ」

ヤコポ・バッサーノの「聖オルソーラと聖ヴァレンティーノと聖ジュゼッペ」(1542‐43)

ヤコポ・バッサーノの「幼きキリストを抱く聖アンナと聖ジローラモと聖フランチェスコ」(1541)

ヤコポ・バッサーノの「聖母子と聖人たち」

ヤコポ・バッサーノの「エジプトへの逃避」(1534)

ヤコポ・バッサーノの「スザンナの水浴」(1535)

ピエトロ・デリ・インガッナーティ(ヴェネツィアで16世紀活動)の「聖母子」

ルーカ・アントニオ・ブサッティー(1530‐1550記録)の「聖母子と聖人たち」

フィリッポ・ディ・ヴェローナの「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」

ボニファチョ・デ・ピターリ(ヴェローナ、1487‐ヴェネツィア、1553)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノとアレッサンドリアの聖カテリーナ」

ジャンピエトロ・シルヴィオ(ヴェネツィアで16世紀活動)の「ピエタのキリスト」

ヴェネトの無名画家の「聖セバスティアーノ」(16世紀)
(つづく)
コメント
コメント一覧 (2)
毎日の更新を楽しんでます、有難うございます。
街の規模に比べ美術館は出色です。ヤコポ・デル・ポンテとその一族が傑作を残したことがその理由だが、グアリエントなど他の作品にも見るべきものが多い。
イタリア美術に関心ある人は訪れて損はないと思う。
コメント、有難うございます。
全く同感です。訪れる価値が十分ある美術館と思います。
バッサーノ一族の主要顧客はヴェネツィアの貴族や教会でしたが、ヴェネツィアに工房支店を構えたものの、最後までバッサーノ・デル・グラッパの工房を維持して仕事をしたので、あれだけ多くの作品が市立美術館にあると思います。
バッサーノ一族だけでなく、14世紀から17世紀の傑作が比較的多いのは町の繁栄の証でしょう。