次は第16室です。
ここから考古学博物館と教会美術館になります。
ルイージ・モーギ(アシャーノ、1804‐フィレンツェ、1871)の「ジャンヌ・ダルク」
紀元前4世紀の壺
アシャーノの模型(紀元前4世紀頃)
次は第17室です。
この美術館を代表する作品があります。
Maestro dell'Osservanza の「聖母の誕生」(1437‐39)
サンタガタ教区教会にありました。
聖母子
聖母の死
聖母の遺体の移送
聖母の誕生
部屋のフレスコ画の痕跡
次は第19室です。
考古学関係の展示に戻ります。
金属製道具の展示
王侯の墓
次は第20室です。
墓石(紀元前4世紀末)
石像の一部(紀元前7世紀末‐紀元前6世紀初め)
次は第21室です。
古墳の模型
説明板
次は第22室です。
モザイクの説明板があるだけです。
階上に向かいました。
次は第23室です。
土器
墓
墓
全部、墓です。
次は第24室です。
墓と土器
次は第25室です。
この部屋にも墓があります。
次は第26室です。
次は第28室です。
フランチェスコ・ナシーニ(1611‐1695)の「司教聖人の死と救世主」
アシャーノのサン・ロレンツォ教会にありました。
フランチェスコ・ナシーニの「司教聖人の殉教」
アシャーノのサン・ロレンツォ教会にありました。
フランチェスコ・ナシーニの「聖ピエトロとペトロニッラ」
アシャーノのサン・ロレンツォ教会にありました。
フランチェスコ・ナシーニの「アガルと天使」
アシャーノのサン・ロレンツォ教会にありました。
これで終わりです。
満足一杯で外に出ました。
(おわり)
ここから考古学博物館と教会美術館になります。
ルイージ・モーギ(アシャーノ、1804‐フィレンツェ、1871)の「ジャンヌ・ダルク」
紀元前4世紀の壺
アシャーノの模型(紀元前4世紀頃)
次は第17室です。
この美術館を代表する作品があります。
Maestro dell'Osservanza の「聖母の誕生」(1437‐39)
サンタガタ教区教会にありました。
聖母子
聖母の死
聖母の遺体の移送
聖母の誕生
部屋のフレスコ画の痕跡
次は第19室です。
考古学関係の展示に戻ります。
金属製道具の展示
王侯の墓
次は第20室です。
墓石(紀元前4世紀末)
石像の一部(紀元前7世紀末‐紀元前6世紀初め)
次は第21室です。
古墳の模型
説明板
次は第22室です。
モザイクの説明板があるだけです。
階上に向かいました。
次は第23室です。
土器
墓
墓
全部、墓です。
次は第24室です。
墓と土器
次は第25室です。
この部屋にも墓があります。
次は第26室です。
次は第28室です。
フランチェスコ・ナシーニ(1611‐1695)の「司教聖人の死と救世主」
アシャーノのサン・ロレンツォ教会にありました。
フランチェスコ・ナシーニの「司教聖人の殉教」
アシャーノのサン・ロレンツォ教会にありました。
フランチェスコ・ナシーニの「聖ピエトロとペトロニッラ」
アシャーノのサン・ロレンツォ教会にありました。
フランチェスコ・ナシーニの「アガルと天使」
アシャーノのサン・ロレンツォ教会にありました。
これで終わりです。
満足一杯で外に出ました。
(おわり)
コメント
コメント一覧 (2)
毎日の更新を楽しんでます。
アシャーノ市立美術館は、初めて行った時から忘れがたい記憶を刻んでくれてます。
長らく画力がやや乏しいと感じ、熱心に見ていなかったマッテオ・ディ・ジョヴァンニを待直すきっかけとなったのが、ここで展示されている多翼祭壇画でした。
それに加えて印象深い作品は、Maestro dell'Osservannzaの「聖母誕生」、ジョヴァンニ・ディ・パオロの「三翼祭壇画」、セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ、アンブロージョ・ロレンツェッティの4作品でした。
以上の5点は、シエナ派絵画の代表作品と言っても過言ではないと思う。
例え小さな町村であっても、シエナの領地だった所は美術的に侮れない。
コメント、有難うございます。
この美術館は傑作を収蔵しています。
仰るように旧シエナ共和国だった町村には、見るべき作品があると思います。シエナ派画家たちの全盛期だった14世紀前半に、主だった教会が競って注文した結果と思います。
マッテオ・ディ・ジョヴァンニで忘れられないのは、サンセポルクロ市立美術館にある中央パネルが欠落した多翼祭壇画です。イギリス商人が買ってくれなかったのか、司教が売らなかったのか、今となってな謎ですが(私は前者と思いますが)、今でも彼の生まれ故郷に残っている所に、当時の彼に対する評価が分かります。
美術オタクさんには蛇足ですが、何に関して言っているのか、お分かりにならない人もおられると思いますので、触れておきましょう。
中央パネルは、現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーにある、ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」です。サンセポルクロ司教がイギリス商人に「キリストの洗礼」を売ったのです。当時、その多翼祭壇画はサンセポルクロ大聖堂にあったのです。
中央パネル以外はマッテオ・ディ・ジョヴァンニによって制作されました。