テヴェレ川の上流にあり、その歴史は古く、テヴェレ川の急流が齎した沖積地にウンブリア人が築いた集落が起源とされてます。

この時は、ペルージャからウンブリア中央鉄道 Ferrovia Cetrale Umbra に乗って到着しました。架線が見えますが、通常、電車ではなく気動車が運用されてます。

ペルージャからの直通バスはなかったと思いますが、サンセポルクロからは直通バスがあります。

駅舎です。公共交通機関を利用するのは学生が多く、一般の人たちは車を利用しているようです。

駅からチェントロの入り口の門まで約500mあります。日帰り遠足をするよりも訪れる先々で出来るだけ泊まる主義なので、先ず予約してホテルに向かいます。2泊では退屈するので、今回も1泊の予定です。

駅から歩いて来た場合のチェントロの入り口となるサンタ・マリア門です。この時は青空が見えて、陽射しもありましたが・・・・

修復工事が終わったばかりなので、門が新しく見えます。

門を潜って城壁内に入りました。城壁内から見た門の写真です。

門を潜れば、道の左側にすぐ教会が目に飛び込んでます。15世紀に建設されたサンタ・マリア・マッジョーレ教会です。

大きな荷物がありながら、拝観しました。数多くの苦い経験から、「見ることが出来るならば後回しにしないで今見るのが肝心」と悟りました。

外に出たら雲行きが怪しくなっていました。

この日は金曜日でしたが、翌日の土曜と日曜にパリオが行われるので、あちこちに旗が掲げられてます。地区対抗戦をパリオと言うようです。初めて見たパリオがシエナで、二番目がアスティでしたが、両方とも競馬だったので、パリオ=競馬と思っていました。それが間違いと分かったのは、ジェノヴァでパリオを見た時でした。ジェノヴァのパリオは海上で競うレガッタでした。その他に旗振り競争、馬上槍試合のパリオを見たことがありますが、旗振り競技の優劣を決める尺度などがサッパリ分かりませんでした。
この街の『パリオ』は何でしょうか?

Corso Vittorio Emanuele

宿泊する観光客が多くなく、需要が限られるので、ホテルの選択肢は限定されます。B&Bは幾つかありますが、オーナーとの出会いやら鍵のトラブルなどの苦い経験に懲りて、最近では専らフロントが24時間対応のホテルにしてます。

雨が落ちてきました。天気予報は晴れでしたが、私はイタリアでは雨男なので、降雨は予想の範囲内です。

街の中心マッティオッティ広場が見えてきました。

広場の見学は後回し。ホテルに荷物を預けないと、行動が制約されます。

今夜のお宿はここ。

荷物を部屋に置いたら直ぐに街歩きに出発しました。時計がある建物は1368年に建設されたPalazzo del Podestaです。

こちらは1322年建設の市庁舎です。

雨が強くなってきました。

土砂降り

学校の階段を拝借して雨宿りをしました。歴史的建造物です。(建物の名称は知りません)

小降りになったので再び街歩きです。何時またどしゃ降りになるか分からなかったので、予定を変更して近くのドゥオーモに向かいました。

近道の身廊側の出入り口は工事のため閉鎖されていました。

ドゥオーモの後ろの方に青空が顔を出してます。

拝観しました。雨宿り代わりになりました。

隣接するMuseo Diocesanoに入館しました。

お目当ての作品が健在でした。私が大好きなルーカ・シニョレッリの画風に非常に似てます。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・カステッロの作品(1492)です。

外に出たら雨が上がっていました。有難かったです。

ドゥオーモはチェントロの南端にあり、その先は緑豊かな緩かな丘陵が広がってます。その間にテヴェレ川が流れてます。

(つづく)