
ドゥオーモ広場に戻りました。

シチリア・バロックの典型的な光景です。
バロック様式は、宗教改革に対してカトリックの優位性を示すためにローマで興り、1600年の聖年に向けて大きく発展しました。しかし、宗教改革の動きがカトリック優位の場所に及ばないことが分かりと次第に廃れていきました。
煌びやかなバロック様式は、絶対王政が確立したフランス、オーストリア、スペインなどで、王権の優位性を民衆などに知らしめる手段として、形を変えて継承され、さらに発展したのです。
シチリア・バロック様式は、バロック様式の本家であるローマ、カトリックの流れを組むものではなく、シチリアの宗主国だった絶対王政国家から影響を大きく受けたものです。

サンタガタ・バディア教会のクーポラです。

この時間は扉が閉まっていますが、教会に行ってみました。


16世紀初めに再建工事が開始され、1620年に完成した建物は1693年の大地震によって併設されて修道院もろとも完全に崩落してしまいました。その廃墟の上に、再度再建された建物が現在の姿となってます。

美術的には、私は見る価値がない教会と思います。
虚仮脅し感が否めない、シチリア・バロック様式のゴテゴテが好きになれません。

この道を真っすぐ進めば駅の方に出ます。

シチリア貴族たちの邸宅が並んでます。

観光案内所で地図を頂戴しました。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。

見えてきた教会はサン・プラチド教会です。

1693年に大地震によって破壊され、再建された建物です。


この付近は海に近く地盤が弱かったので、1693年の大地震では特に被害が大きかったのです。

歴史的建造物にしては保存が良くない。

大地震後、再建された建物です。

手を加えた方が良いと思いました。

Via Mazza

18世紀に再建された建物が並んでます。

大学広場、ドゥオーモ広場に近く、中心地の筈ですが・・・・・

夜、一人で歩くにはご遠慮申し上げたい通りですね。

サンタ・オルソラ教会が見えてきました。

面白い形の鐘楼です。

宗教活動は行われているようです。

歴史的建造物です。


この付近は教会が集まってます。

シチリア経済停滞の一因が教会の多さでしょうね。

宗教活動は非生産の最たるものですから、それに傾倒、熱中しては経済が成り立ちません。
宗教活動はGNP計算の対象でしょうか?

大学広場に戻ってきたようです。


この先はドゥオーモ広場です。

この建物も18世紀に再建されました。


そろそろベッリーニ博物館が開く時間です。

教会の建物ですね。

地図に載っていないので、活動を停止した旧教会と思います。

ヴィンチェンツォ・ベッリーニは1801年11月3日にカターニアで生まれました。

ベッリーニのオペラではノルマが断然好きです。

1835年、パリで死去してパリに埋葬されましたが、1876年、その遺体がカターニアに移送されドゥオーモに再埋葬されました。

このPalazzoはベッリーニと関係ありません。

ベッリーニ市立博物館に着きました。

この建物で生まれ、16歳になるまで過ごした建物が博物館になってます。

入館しました。

中は写真不可でした。

シチリアはいまだに写真不可のところがかなりあります。何故でしょうか?

広場に立つDusmet枢機卿像

その後ろにある建物が有名です。



サン・フランチェスコ教会

この教会も1693年の大地震によって破壊され、18世紀に再建されたシチリア・バロック様式の建物が現在の姿です。

セバスティアーノ・コンカなどの作品があります。

(つづく)