
ジェノヴァのバルビ通りの先に教会の建物があります。

Piazza del Nunziataに面して建つ教会です。

Basilica di Santissima Annunziata del Vastato
ジェノヴァに、2つの受胎告知教会があるので、区別するためにdel Vastatoが付けられて呼称されてます。

この場所には、1228年に建てられた小さなサンタ・マリア・デル・プラート教会修道院がありましたが、1508年、教会修道院の建物はフランチェスコ会修道士の所有に変更されました。
フランチェスコ会は、譲渡された建物を取り壊し、その上に新しい建物の建設を決め、1520年に創建されましたが資金難のため、1537年に工事が中断され、シンプルで小さな建物のまま、活動していました。
1582年、工事が再開されましたが、資金難のため工事は遅々として進みませんでした。1591年、ロメッリーニ家が資金を負担することになり、彫刻家でもあり建築家であるタッデオ・カルロ―ネ(ローヴィオ、1543‐ジェノヴァ、1615)の工事監督によって、工事が再開され1615年に完成しました。

新古典様式のファサードはジョヴァンニ・バッティスタ・レナスコとカルロ・バラビーノの設計、工事監督によるものです。

身廊外観

鐘楼がファサードの左右に二本設けられてます。

第二次世界大戦の爆撃によって、大きな被害を受け、戦後に大修復された建物です。

お布施を依頼してます。

聖堂内に入りました。

三廊式、バロック様式の内部です。

縦54m×横33mの聖堂です。

装飾が地味なのは柱くらいです。

身廊天井のフレスコ画は、ジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)とジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)によって描かれました。

場面毎に二人のうち誰によって描かれたのか特定されているそうです。

その辺は、私にはあまり興味がありません。

左側廊

左右の側廊天井にもフレスコ画が描かれてます。

左側廊にある礼拝堂から見て行きました。

ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「聖クレメンテの殉教」
サン・クレメンテ礼拝堂の中央祭壇画です。

ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「聖クレメンテの殉教」
サン・クレメンテ礼拝堂の右側壁にあります。

ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「聖クレメンテの苦痛」
サン・クレメンテ礼拝堂の左側壁にあります。

左側廊第2礼拝堂です。

ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「聖キアーラの変容」

ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「洗礼する聖フランチェスコ・ソラーノ」



クリスチャン・ラクロワ(フランス人、ジェノヴァで17世紀後半活動)の「磔刑」

ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527‐スペイン、エル・エスコリアル、1585)の「磔刑」

ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「無原罪の聖母」

左側廊天井のフレスコ画はジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)の作品です。

ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「天上の聖母子と聖ディエゴ」

左第5礼拝堂の天井フレスコ画はドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)によって描かれました。

ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「聖ディエゴの説教」

ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「フィリッポ2世の病気の息子を治す聖ディエゴ」

左第6礼拝堂です。

「聖フランチェスコ」(18世紀)

左第6礼拝堂の天井フレスコ画はジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600‐1649)の「聖母被昇天」

左翼廊のクーポラ

レオナルド・ミラーノ(コモ、1577‐ジェノヴァ、1637)の「聖母子と聖人たち」

ルチアーノ・ボルツォーネ(ジェノヴァ、1590‐1645)の「聖母子と聖人たち」
(つづく)