イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2019年05月

第7室の続きです。
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バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337‐1378記録)の「玉座の聖母子」


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第7室の窓からの眺め


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アンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ、1319‐1348消息)の「贖罪の寓意」


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アンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ、1319‐1348消息)の「聖母子」


P2270551
アンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ、1319‐1348知らせ)の「聖パオロ」


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アンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ、1319‐1348知らせ)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P2270554
ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1305‐1345知らせ)の「磔刑」


P2270556
アンブロージョ・ロレンツェッティ派逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」、「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


P2270560
もっとも広い展示室は第7室でしょうか?


P2270561
アンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ、1319‐1348知らせ)の「聖母子と2聖人」


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聖母子


P1410125
聖マリア・マッダレーナ


P1410126
聖マルタ


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アンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ、1319‐1348知らせ)の「死せるキリストへの哀悼」
上の「聖母子と2聖人」の裾絵です。


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アンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ、1319‐1348知らせ)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P2270568
14世紀前半の逸名彫刻家作「磔刑像」(1320‐30c)


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バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337‐1378記録)の「聖母子と聖アンサーノと聖ガルガーノ」


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ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1305‐1345知らせ)と協力者の「聖母子」


P2270572
パオロ・ディ・ジョヴァンニ・フェイ(シエナ、1345‐1411)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」


P1410177
聖人たちは、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖アンドレア、聖フランチェスコ、預言者ダニエーレ


P2270574
ニッコロ・ディ・ボナッコルソ(シエナ、1355‐1388記録)の「新約聖書の物語」


P2270576
ヤコポ・ディ・ミーノ・デル・ペッリッチャイオ(シエナ、1315/1320-1396活動)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの戴冠と聖人たち」(1362)


P2270578
パオロ・ディ・ジョヴァンニ・フェイ(シエナ、1345-1411)の「聖母の誕生と聖人たち」


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聖人たちは、聖ヤコポ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖バルトロメオ、ウンゲリアの聖エリザベッタ


P1410188


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362-1422知らせ)の「磔刑」


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アンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ、1319-1348知らせ)の「彩色磔刑像」
修復のため、暫く取り外されていました。


P1410182
パオロ・ディ・ジョヴァンニ・フェイ(シエナ、1345-1411)の「聖ヤコポ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ヴィターレ」


P1410191
バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337-1378記録)の「司教聖人」


P1410180
ベルナルド・ダッディ(フィレンツェ、1290c-1355c)の「玉座の聖母子と聖人たちのトリッティコ」


P2270583
次は第8室です。


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ルーカ・ディ・トンメ(シエナ、1356-1389知らせ)の「聖母子と聖アンナと聖人たち」(1367)


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聖母子と聖アンナ


P1410198
アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ


P1410199
聖アントニオ・アバーテ、聖アグネス


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ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1305-1345知らせ)の「シエナ、サン・ジュスト教会のポリッティコ」


P1410206
聖母子


P1410207
クスピデの受胎告知


P1410208
聖ジュリアーナ、聖ピエトロ


P1410209
聖パオロ、聖ジュスト


P1410210


P1410211
(つづく)

P2270496
次は第6室です。


P2270497
第6室に入室しました。


P2270498


P2270499
Maestro della Pieta (Pittore Senese attivo nella seconda meta del Trecento)の「園の祈りと鞭打ち、アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚、磔刑のトリッティコ」


P2270501
バルトロ・ディ・フレディ(シエナ、1353‐1410消息)の「聖母戴冠」


P2270503
アンドレア・ディ・バルトロ(シエナ、1360‐1428)の「磔刑のトリッティコ」


P2270506
バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337‐1378記録)の「聖母被昇天」


P2270509
ルーカ・ディ・トンメ(シエナ、1330c‐1389)の「聖母子と4聖人」


P1410097
聖母子


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聖ヴィンチェンツォ、聖ピエトロ


P1410100
聖パオロ、聖ロレンツォ


P2270512
ルーカ・ディ・トンメ(シエナ、1330c‐1389)の「トルフェのポリッティコ」


P1410088
聖母子


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聖グレゴリオ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ


P1410090
司教聖人、聖フランチェスコ


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ニッコロ・ディ・セル・ソッツォ(シエナ、1334‐1363生存確認)とルーカ・ディ・トンメ(シエナ、1330c‐1389)の「聖母子と聖人たち」(1362)


P1410079
聖母子


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聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖トンマーゾ・アポストロ


P1410083
聖ベネデット、聖ステファノ


P1410116
リッポ・メンミ(シエナ、1317‐1348消息)の「聖母子」


P2270518
次は第7室です。


P2270519
第7室に入室しました。


P2270522
広い展示室です。


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バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337‐1378記録)の「聖母子と聖アンサーノと聖ガルガーノ」


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ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1305‐1345生存確認)の「聖バルトロメオと聖チェチリアと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1332)
クスピデは聖アグネス、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖エリザベッタ(または聖アンナ)


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バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337‐1378記録)の「司教座の聖ピエトロと聖パオロと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


P1410166
司教座の聖ピエトロ


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聖パオロ


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聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


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ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1305‐1345生存確認)の「カルミネの祭壇画」(1328)
シエナのカルミネ教会にあった多翼祭壇画です。


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聖アグネス


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欠落パネルがかなりあります。


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アレッサンドリアの聖カテリーナ


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玉座の聖母子と聖人たち


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裾絵


P2270534


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アンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ、1319‐1348消息)の「小マエスタ」


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アンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ、1319‐1348消息)の「受胎告知」(1343)


P2270541
アンブロージョ・ロレンツェッティ周囲の逸名画家作「玉座の聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」
(つづく)

第4室の続きです。
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ウゴリーノ・ディ・ネリオ(シエナ、1317‐1327生存確認)の「聖母子と4聖人」


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聖母子


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聖キアーラ、聖ステファノ


P1410015
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖フランチェスコ


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Maestro di Citta di Castelloの「聖母子と4聖人のポリッティコ」


P1410025
クスピデ;救世主
下;聖母子


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上;聖アゴスティーノ、聖ピエトロ
下;聖フランチェスコ、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


P1410027
上;聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖マリア・マッダレーナ
下;聖ステファノ、聖キアーラ


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Maestro degli Albertini (Pittore duccesco attivo agli inizi del Trecento)の「玉座の聖母子」


P2270466
セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ(シエナ、1298‐1327生存確認)の「4聖人」(1315c)


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聖パオロ、聖母マリア


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聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖ロムアルド


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次の部屋に行きます。


P2270469
第5室です。


P2270470
展示作品は以前と全く同じではありません。


P2270471
シモーネ・マルティーニ(シエナ、1284/1290-アヴィニョン、1344)の「聖母子」


P1410044
以前に撮った写真の方が鮮明です。


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リッポ・メンミ(シエナ、1317-1348生存確認)のシエナのサン・ドメニコ修道院キオストロのフレスコ断片


P2270474
マエスタ


P1410041


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P1410037
ウゴリーノ・ディ・ネリオ(シエナ、1317-1327生存確認)の「悲しみの聖母」


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リッポ・メンミ(シエナ、1317-1348生存確認)の「2聖人」


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聖フランチェスコ


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トローサの聖ルドヴィーコ


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ナッド・チェッカレッリ(1347記録)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」


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聖母子


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聖アントニオ・アバーテ、大天使聖ミケーレ


P1410051
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖ステファノ


P2270484
シモーネ・マルティーニ(シエナ、1284/1290-アヴィニョン、1344)の「ベアート・アゴスティーノ・ノヴェッロと4つの奇跡」


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バルトロ・ディ・フレディ(1330/1335c-1410)の「マギの礼拝」


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Maestro della Madonna di Palazzo Venezia(シモーネ・マルティーニの協力者)の「ベアート・アンドレア・ガッレラーニ」


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リッポ・メンミ(シエナ、1317-1348知らせ)の「聖母子」


P2270492
Maestro della Madonna di Palazzo Venezia(シモーネ・マルティーニの協力者)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


P2270494
リッポ・メンミ(シエナ、1317-1348知らせ)の「聖母子」


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ナッド・チェッカリーニ(1347記録)の「聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」、「磔刑」
(つづく)

P2270419
次は第3室です。


P2270420
第3室です。


P2270421
展示作品は以前とほぼ同じです。


P2270422
Maestro di Badia a Isola (13世紀末‐14世紀初頭)の「聖母子」


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シモーネ・マルティーニ(シエナ、1284/1290-アヴィニョン、1344)の「聖母子」
以前には展示されていなかった作品です。


P2270426
微妙に展示が変わってます。


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ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(シエナ、1255/1257-1318/1319)の「サンタ・マリア・デッラ・スカラ病院のポリッティコ」
パネル毎に見て行きましょう。


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聖母子


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聖アグネス、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


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上;天使たち
下;アブラ―モ、イサッコ、ジャコベ、ジェレミア


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クスピデ;祈るキリスト
下;モーゼ、ダヴィデ


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上;二天使
下;イザイア、エリア、ダニエーレ、マラキア


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聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖マリア・マッダレーナ


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ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(シエナ、1255/1257-1318/1319)の「聖母子と4聖人のポリッティコ」


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クスピデ;祈るキリスト
下;聖母子


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聖アゴスティーノ、聖パオロ


P1400951
聖ピエトロ、聖ドメニコ


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ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、1331-1345記録)の「聖人たち」
上;聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖ジャコモ、聖ジョヴァンニ・グアルベルト、聖マリア・マッダレーナ
下;聖バルトロメオ、聖二コラ


P2270435
ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、1331-1345記録)の「聖人たち」
上;聖ルチア、聖ロレンツォ、聖アンドレア、聖ジョヴァンニ・バッティスタ
下;聖ベネデット、大天使聖ミケーレ


P2270433
Maestro di Citta di Castello(13世紀末-14世紀初め活動)の「聖母子と4聖人」


P1400959
聖母子


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聖アゴスティーノ、聖パオロ


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聖ピエトロ、聖アントニオ・アバーテ


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シモーネ・マルティーニ(シエナ、1284/1290-アヴィニョン、1344)の「慈悲の聖母」


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セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ(シエナ、1298-1327)の「彩色磔刑像」


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ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、1331-1345記録)の「聖母子」


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Maestro di Monteolivetoの「磔刑」


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ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(シエナ、1255/1257-1318/1319)の「フランチェスカ―ニの聖母」


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ドゥッチョの追随者(セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ?)の「聖母子」


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ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、1331-1345記録)の「彩色磔刑像」


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フランチェスコ・ディ・セーニャ(1328-1348記録)?の「彩色磔刑像」


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次は第4室です。


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第4室です。


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少し狭い部屋です。


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ウゴリーノ・ディ・ネリオ(シエナ、1317-1327記録)の「聖フランチェスコがいる磔刑」


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ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、1331-1345記録)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


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Pittore duccesco del secondo decennio del Trecentoの「彩色磔刑像」


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ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ工房の「聖マリア・マッダレーナ」


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Maestro degli Albertiniの「聖母子」
(つづく)

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シエナのサン・ピエトロ通りです。


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サン・ピエトロ通りに面して建っているのが、15世紀中頃に建設されたPalazzo Bonsignoriです。


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Palazzo Bonsignoriの隣がサン・ピエトロ教会です。


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1915年、Palazzo Bonsignoriの所有者ニッコロ・ボンシニョーリは、この建物をシエナ市当局に寄贈しました。1932年、シエナ派絵画の展示を目的にPinacoteca Nazionaleがこの建物にオープンしました。


P2270390
2016年の年間入館者は21,245人でした。一日平均70人強の入館者という訳で、然程人気が高いとは言えないでしょう。


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国立絵画館は有り難いことに休館日がありません。留意すべきは月曜日と日曜日・祝日が午後休館となることでしょう。


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切符売り場です。持っている荷物はロッカーに預けねばなりませんが、ロッカーのカギは身分証明書と引き換えとなるので、日本人の多くはパスポートを預けねばなりません。


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切符売り場を出ると、直ぐに、この聖母子に出会うことになります。
アンドレア・ディ・ニッコロ(シエナ、1462‐1514活動)の「聖母子」


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パラッツォのキオストロ


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キオストロにある古井戸


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ピエタのキリストがあります。


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ピエタのキリストの制作者等の詳細が分かりません。


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展示室は、2階(日本の)、3階、4階にあります。


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階段の途中に肖像画があります。
19世紀のシエナの逸名画家作「ニッコロ・ボンシニョーリの肖像」
1915年、ニッコロ・ボンシニョーリが所有していたPalazzo Bonsignoriをシエナ市当局に寄贈して、絵画館オープンの礎を築いたことから、この肖像画が展示されるようになったと思います。


P2270399
更に階段を上ります。


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ネロッチョ・ディ・バルトロメオ・ランディ(シエナ、1447‐1550)の「オルガンの装飾断片」


P2270402
ネロッチョ・ディ・バルトロメオ・ランディ(シエナ、1447‐1550)の「オルガンの装飾断片」


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第1室に入ります。


P2270405
第1室はSecond Pianoにあります。


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アルノルフォ・ディ・カンビオのウンブリアの追随者の「教皇聖クレメンテ?像」(1290‐1300)


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13世紀末のシエナの逸名画家作「聖母子」


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シエナ絵画館のシンボル的存在の作品です。


P1400893
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(シエナ、1255c-1318/1319)と工房の「聖母子」


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Maestro di Tressaの「祈る救世主」(1215)


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14世紀初めのシエナの逸名画家作「祈る救世主」


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Maestro Seneseの「磔刑像」(13世紀初め)


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次は第2室です。


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第2室に入りました。


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展示されている作品は以前と同じのようです。


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グイド・ディ・グラツィアーノ(シエナ、1278-1302記録)の「聖フランチェスコとその生涯の物語」


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Maestro del Paliotto di San Giovanni Battistaの「玉座の聖ジョヴァンニ・バッティスタとその生涯の物語」(1270-80)


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P1400909


P1400910


P1400928
グイド・ダ・シエナ(シエナ、13世紀後半活動)の「聖母子と4聖人」


P1400917
聖母子


P1400930
聖パオロ、聖ピエトロ


P1400931
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖アンドレア


P1400934
ディエティサルヴィ・ディ・スペーメ(シエナ、1259-1291記録)の「玉座の聖母子」


P1400938
ジーリオ・ディ・ピエトロ(シエナ、13世紀中頃活動)の「聖母子」


P1400940
ディエティサルヴィ・ディ・スペーメ(シエナ、1259-1291記録)の「聖キアーラのディッティコ」(1280c)


P1400943
グイド・ディ・グラツィアーノ(シエナ、1278-1308記録)の「玉座の聖ピエトロ」


P1400945
受胎告知


P1400946
聖ピエトロの殉教
(つづく)

P1270966
ロンバルドの工芸家作「銀製聖具」(18世紀中頃)


P1270977
次の部屋です。


P1270996
司教座聖堂参事会の間(14世紀)


P1270979
17世紀のピエモンテの逸名画家の作品


P1270981
交唱唱歌集


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磔刑像が2つ展示されてます。


P1270983
16世紀のアレッサンドリアの逸名彫刻家作「磔刑像」


P1270985
15‐16世紀のアレッサンドリアの逸名彫刻家作「磔刑像」


P1270988
Maestro di Sant'Antonioのフレスコ画(15世紀)
この画家については全く存じ上げません。


P1270989
Maestro di Sant'Antonioのフレスコ画(15世紀)


P1270990
Maestro di Sant'Antonioのフレスコ画(15世紀)


P1270991
16世紀のアレッサンドリアの逸名彫刻家作「聖アントニオ・アバーテ」


P1270993
Maestro di Sant'Antonioのフレスコ画(15世紀)


P1270995
Maestro di Sant'Antonioのフレスコ画(15世紀)


P1270997
詳細不明


P1270998
詳細不明


P1270999
詳細不明


P1280003
教会に戻りました。


P1280004
Maestro di Sant'Antonioのフレスコ画(15世紀)


P1280006
詳細不明


P1280007


P1280008


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右側廊


P1280012
14世紀のアレッサンドリアの逸名画家のフレスコ画


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14世紀のアレッサンドリアの逸名画家のフレスコ画


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左側廊の第1礼拝堂


P1280016
第1礼拝堂天井


P1280018
詳細不明


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柱に描かれたフレスコ画


P1280021
左側壁第2礼拝堂


P1280022
左第2礼拝堂のスタッコ?


P1280023
左第3礼拝堂


P1280024
左第4礼拝堂


P1280025
左第4礼拝堂の天井  
フレスコ画の痕跡が認められます。


P1280027
右側壁の礼拝堂


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P1280029


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左側廊


P1280031
有名な画家や彫刻家の作品がありませんが、十分に鑑賞に値します。


P1280032


P1280033
詳細不明


P1280035
外に出ました。
(おわり)

P1270893
カッシーネのヴィットリオ・ヴェネト広場です。
広場に面して建っているのがサン・フランチェスコ教会です。


P1280038
1232年、フランチェスコ会修道士によって、この場所に小さな祠が建てられましたが、それが教会修道院の前身です。


P1270898
13世紀後半、カッシーネにおけるフランチェスコ会の活動が活発拡大するとともに、祠では手狭となったので、新たに建物を建設することが決められ、1291年創建、1327年に完成した、ロンバルディア・ゴシック様式のサン・フランチェスコ教会修道院です。
建物は現在に至るまでに2回修復されましたが、いずれも小規模なもので、現在の姿はほぼ創建時の姿をとどめています。
奉献式は、1327年に執り行われました。


P1280122
サン・フランチェスコ修道院は、1802年、ナポレオンの修道院抑圧政策によって閉鎖されましたが、1830年に活動が再開されました。一旦閉鎖されたことで多くの修道士が去り、修道院が再開されても散り散りになった修道士の多くが戻らず、その活動は低迷したままでした。
1858年、カッシーネ村が修道院の建物を買い取り、学校の校舎として使用することになりました。
2011年、修道院のキオストロ回廊にカッシーネ村立Museo di San Francesco "Paola Benzo Dapino"が設けられました。
カッシーネ村の他の教会にあった作品は僅か数点にしかすぎず、展示作品の殆どがサン・フランチェスコ教会修道院だったものです。
教会の入り口付近にボランティアの女子高校生が待機していて、入館希望者が現れると美術館入り口を開錠して、館内を点灯してくれます。入館無料です。


P1280039
サン・フランチェスコ教会修道院を取り囲んで、サン・ベルナルディーノ祈祷所、サンティッシマ・トリニータ教会、サンタントニオ・アバーテ祈祷所があります。
写真左はサン・ベルナルディーノ祈祷所で、祈祷所の後に灰色の鐘楼が写ってますが、サンティッシマ・トリニータ教会の鐘楼です。


P1270905
三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の教会内部です。


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左側廊方向


P1270907
右側廊方向


P1270906
中央ナヴァータ


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主祭壇


P1270911
後陣の交差ヴォールト


P1270912
教会と美術館は一体化されてます。


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先ず礼拝堂のフレスコ画を見ます。


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Maestro del Tomba Fissiragaによって15世紀に制作されたフレスコ画


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Maestro del Tomba Fissiragaは初めて聞く画家で、調べましたが分かりませんでした。


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Maestro del Tomba Fissiragaのフレスコ画(14世紀)


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Maestro del Tomba Fissiragaのフレスコ画(14世紀)


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ジョヴァンニ・モネーヴィ(ヴィソーネ、1637‐トリノ、1714)の「聖母子と聖マッテオと聖ボナヴェントゥーラ」(1712‐13)


P1270925
ピエモンテの逸名画家作の、「1532年にピエモンテの逸名画家によって制作された『聖母子と聖マッテオと聖ボナヴェントゥーラ』の複製画」(1713)


P1270927
これは何でしょうか?


P1270928
聖具保管庫?


P1270963
説明板がありません。


P1270929
この作品だけ説明プレートがあります。
ルキーノ・フェラーリ(カステラッツォ・ボルミダ、16世紀前半活動)の「聖母子と聖マッテオと聖ボナヴェントゥーラ」(1532)
聖マッテオは前の写真の右にあります。


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17世紀のピエモンテの逸名彫刻家作「この人を見よ」


P1270935
ジョルジョ・ソレーリ(ピエモンテ、16世紀後半活動)の「聖母子と聖フランチェスコと聖ビアージョと2信者」(1573c)


P1270937
ピエモンテの逸名画家(複数)たちによって描かれた「使徒」の油彩画(17‐18世紀)
全部で11作品ありますが、一部を除いて描かれた使徒が特定されてません。


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聖バルトロメオ?


P1270941
聖マリア・マッダレーナ?


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聖パオロ?


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聖ピエトロ


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聖アンドレア


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P1270952
詳細不明


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ピエトロ・ファンチェッリ(ボローニャ、1764‐ペーザロ、1850)の「カルヴァリオへの上り」(1796)


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P1270960


P1270961
(つづく)

P1280074
サン・ロレンツォ教会はサン・ロレンツォ通りにあると思っていましたが、村を貫く目抜き通りのサン・レアリーノ通りにありました。


P1280075
この村に現存する5つの教会の中で、サン・ロレンツォ教会は最も新しい教会です。


P1280085


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ネットで調べても、この教会について詳述している記事がありません。


P1280080
村役場で貰った資料によれば、18‐19世紀のフレスコ画と祭壇画があるそうです。


P1280083
併設されていた修道院でワイン醸造が行われていたそうです。18世紀創建の修道院でのワイン醸造はピンときません。


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修道院だった建物です。


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旧修道院だった建物はVilla Azzurraと呼ばれてます。イタリア代表チームと関係がある?


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Villa Azzurraの入り口


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この辺から建物が途絶えます。


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今、通ってきた道を振り返ったところです。


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村外れに出ました。


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急に視界が開けて田舎の風景になりました。


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横道に入りました。


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村外れにある、14世紀創建のサン・ピエトロ教会です。現在の建物は17世紀に再建された二代目のものです。


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少し戻って別の横道に入りましたが、見どころは何もなさそうです。


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村の見所は大体こんなところでしょう。


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更に歩いて一面のブドウ畑を見ても面白くないと判断して、戻ることにしました。


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爆撃の標的は何もない村です。空爆とは本当に気の毒です。


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住所表示板


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Vicolo del Castello


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城でもあるのか、と思って行ってみたのですが・・・・・


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新しい作品でしょうね。


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カステッロは単なる名称だったようで、城が見当たらなかったので、サン・レアリーノ通りに戻りました。


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忙しくあちこちの街を回る旅の途中に、このように、ノンビリ出来る日があっても良いと思います。


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サン・ジャコモ教会を通り過ぎました。


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時間が有り余っているので、ゆっくり進みました。


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日本人の私が珍しいのか、じろじろと見られることが多かった。


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観光に力を入れているようで、村役場で貰った案内パンフレットが非常に役立ちました。


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多分、時間が余るので、村の全容を見終わった後、サン・フランチェスコ教会にもう一度来ることにしました。


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村役場横のロッジャ


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サンタ・カテリーナ教会です。


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村の5つある教会全てが現役です。維持するのが大変に思えました。


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日本のような檀家制度みたいなものが教会にもある?


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夏至が終わったばかりなので、日差しが強烈でした。


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B&Bがある広場に戻りました。


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バールで一休みしました。


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街角の聖母子


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無原罪の聖母


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村の入り口から村外れまで見終わりました。


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フランチェスコ教会に戻りました。


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(おわり)

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1232年に建設されたサン・フランチェスコ教会修道院です。修道院の一部が村立美術館 Museo Civicoになってます。教会と美術館には、ボランティアの女子高校生が常駐しています。
美術館の開館は、午後のみ(午後3時頃から)で、入館無料です。


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サン・フランチェスコ教会のファサード前に立っている建物です。


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16世紀に建設されたサン・ベルナルディーノ祈祷所です。


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サン・フランチェスコ教会に入りました。


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美術館にも入館しました。


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予想以上の教会・美術館で、わざわざ来た甲斐がありました。


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サン・フランチェスコ教会と美術館に付いては、項を改めて詳しく触れる予定です。


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外に出ました。


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ガイドブックに載っておらず、「美しい村」にもリストアップされていない、ごく普通の村であるカッシーネに、このような教会・美術館があることにイタリアの奥深さを感じます。


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オラトリオは閉まったままでした。


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更に村歩きを続けます。


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広い面積の村で、人口が3千人弱なので、家が点在していると思いましたが、集落が続いていました。


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この辺は上り坂になってます。


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この辺は下り坂になってます。


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上り下りを2回繰り返しました。


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歴史的建造物です。


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Palazzo Zoppiです。


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大広間に15世紀のフレスコ画があるようですが、非公開です。


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古い建物と新しい建物が混在しています。


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新しい建物と古い建物が混在していますが、それには悲惨な村の歴史があります。
この村からあまり離れていないアレッサンドリアは軍都でした。第二次世界大戦中、アレッサンドリアは、大戦の初期には連合国の、中期から終戦まではドイツ軍の標的となり、度々爆撃を受けました。
アレッサンドリアの爆撃を終わり、基地に向かった航空機は余った爆弾を途中のカッシーネに落として、帰途についたのです。農村であるカッシーネが爆撃の標的になることは有り得ないのですが、軍都アレッサンドリアに近いことから、度々トバッチリを受けてしまったのです。
新しい建物は第二次世界大戦後に再建されたのです。


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サン・ジャコモ教会です。


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酷い落書き


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教会は現役ですが、併設の修道院は既に閉鎖されてます。


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村役場で貰った案内パンフレットによれば、作品がかなり残っているそうです。


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扉が閉まっていたので拝観出来ませんでした。


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こちらの通りは何もなさそうです。


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サン・レアリーノ通りに戻りました。


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サン・レアリーノ通りの先にブドウ畑とワイン醸造所があります。


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横道に入りました。


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横道の突き当りはブドウ畑です。


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再度サン・レアリーノ通りに戻りました。


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16世紀に建設されたパラッツォ・マルティーニです。


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写真左は16‐18世紀に建設されたパラッツォ・カドゥッチです。


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この一角は歴史的建造物が多い。


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カッシーネ村は観光に力を入れているようで、案内板が完備されてます。


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入口扉の装飾は16世紀のピエモンテの逸名彫刻家の作品です。


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この建物もパラッツォ・ピエトラサンタの一部です。


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横道のサン・ロレンツォ通りを進みました。


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サン・ロレンツォ通りには何もなさそうです。
(つづく)

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カッシーネ駅に到着しました。


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カッシーネは、人口2,932人(2017年8月31日現在)のピエモンテ州アレッサンドリア県にあるコムーネです。主要産業は農業で、ワイン醸造が盛んです。


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駅舎です。無人駅で、切符販売機もありません。
駅付近に切符を販売するバールなどがないので、車掌から直接切符を買うのが良いと思います。駅から10分ほど歩いた所にタバッキがあり、そこで列車の切符が買えますが、旅行者がそれを知るのは難しいと思います。(この日泊まったB&Bで聞いて初めて分かりました)


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チェントロ・ストーリコにある、この日のお宿に向かいます。


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ガリバルディ通りです。
馬の散歩道が歩道になっているので歩き難いです。馬がうまく歩けるように未舗装で砂が深くなってます。


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幹線道路を横切ります。


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この村に来ようと思った切っ掛けは、トリノの美術館でアレッサンドリアの画家フランチェスコ・サッシ(1912‐1993)が描いたカッシーネの風景画を見たからです。彼の作品に描かれた、中世の佇まいが色濃いカッシーネ村の風景に興味を持ち、村のことを調べたらサン・フランチェスコ教会と教会付属のMuseo Civicoが面白ろそうだったので、一度、是非、訪れたいと思うようになりました。


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チェントロ・ストーリコの入り口です。


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ワイン醸造が盛んと言うことで、周囲はブドウ畑と予想していましたが、畑がありません。家並みを外れた場所はブドウ畑が大きく広がっていますが、この時は知りませんでした。


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スティッカ通りとの交差点です。Google マップのコピーを持ちながらの移動ですが、B&Bへの正しい道を歩いているようです。


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橋を渡ります。


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橋の下は川でなく意外でした。


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初めて訪れるので緊張感がありました。ただ、ぶらぶら歩いても危険は全くありません。


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B&Bは広場の近くにあります。


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チェントロ・ストーリコに到着したようです。


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トロッティ通りを進みます。
カッシーネの宿泊設備はネットの予約サイトに載ってません。どうせ行くのならば、泊まってみたいと思い、ダメ元で村役場にメールしたら、返事が来て民宿みたいなB&Bを紹介されたのです。


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この道の先にB&Bがあると思っていたら違いました。


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写真右の建物がこの日のお宿です。完全な民宿で、村に用事で来た人が希望すれば泊まれるようになっているようです。この村では外食の夕食が難しいとの事なので、ハーフボード(1泊2食付き)にしました。


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大きな荷物を自室に入れ、身軽になって村歩きに出発しました。


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村役場に行って、カッシーネの地図を貰いたい。


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適当に歩いていたら行き止まりでした。冴えません。


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教会が見えてきたので、一安心です。


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9世紀創建のサンタ・カテリーナ教会です。


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現在の建物は17世紀に再建された二代目のものです。


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日曜日のミサの時だけ開くそうです。


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初代の建物にあった剥離フレスコ画があるらしい。それが楽しみでしたが平日では仕方がありません。


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教区教会ではないようです。


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教会前のサンタ・カテリーナ広場です。


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案内標識が完備されてます。


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Via Municipio


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イタリア人の携帯電話の会話が面白い。電話なのに、初めから最後まで途切れることなく喋っている人をよく見かけます。相手の会話を聞いているのでしょうか?相槌を入れずに只管喋っているだけ。


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道は緩い上り坂になってます。


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古い建物になってきました。


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サンタ・カテリーナ教会です。


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こんな村に来るとは俺は物好きだなあ、と思いながら歩きました。


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突き当りは村役場の建物です。


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この時は村役場とは知りませんでした。


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振り返ると坂を上って来たことが分かりました。


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サン・フランチェスコ教会です。


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Palazzo del Comune、村役場です。


P1280037
村役場で地図を頂きました。


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村役場とサン・フランチェスコ教会が面している広場が村の中心でしょう。
(つづく)

P1540514
メッシーナのドゥオーモ、Basilica Cattedrale Metropolitana della Madonna della Letteraです。


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メッシーナ=リパーリ=サンタ・ルチア・デル・メーラ大司教区の大司教座が置かれている教会です。
1947年、当時の教皇ピオ12世によってBasilica Minoreに昇格しました。


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紀元前7世初め、この場所にTempio di Nettunoがあった記録があり、後に初期キリスト教会に転用されたとされてます。
教会独自の建物は530年に建設されました。アラブによって支配された約200年間はモスクに転用されました。
その後、地震、火災、落雷などによって幾度となく被害受けた建物は、再建、修復を繰り返した歴史があります。


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1908年12月28日の夜に起きたメッシーナ地震の最初の大きな揺れによって、完全に崩壊してしまい、震災の後に再建された建物がほぼ現在の姿となってます。
1943年6月13日、連合国の空襲によって大きな被害を受けてしまい、戦後に修復された後の姿を現在見ることが出来るのです。
ファサードは、彫刻や外壁、モザイクなどの殆どは失われたオリジナルの忠実な複製となってます。


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高さ60mの鐘楼は、1908年の大震災によって倒壊してしまい、その後にオリジナルの形に再建されたものです。
マルティーノ・モンタニーニ・ディ・バルトロメオ通称マルティーノ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1505‐1562)によって再建された鐘楼が現在の姿の原形です。
1559年、再建された鐘楼は落雷と落雷による火災によって消失してしまい、1564年に再建されました。
その後、1693年、1783年、1863年の地震によって大きな被害を受け、大修復されました。


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鐘楼の時計は、1933年、Ungerer di Strasburgoによって作られました。


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時計は天文時計、からくり時計から成ってます。


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ゴシック様式の入り口横彫刻のオリジナルは、アントニオ・バボッチョ・ダ・ピペルノ(プリヴェルノ、1351‐1435)の作品(1412)です。1908年の大震災後に制作されたオリジナルの忠実な複製です。


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同断


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中央扉上ルネッタの彫刻は、ジョヴァン・バッティスタ・マッツォ―ロ(カッラーラ、?‐1550)の「聖母子」(1534)の、1908年の大震災後に制作された複製です。
その背後に描かれたフレスコ画は、レッテリオ・スッバ(メッシーナ、1787‐1868)によって大震災後に制作されました。フレスコ画のオリジナルは、ポリドーロ・カルダーラ・ダ・カラヴァッジョ通称ポリドーロ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1499/1500c-メッシーナ、1543c)によって描かれました。


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聖母戴冠を含む彫刻のオリジナルは、ピエトロ・ダ・ボニターテ(ロンバルディア、15世紀生まれ‐シチリア、16世紀没)によって1464年から1477年に制作されました。現在のものは、オリジナルの忠実な複製彫刻です。


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右扉上ルネッタのオリジナルは、ポリドーロ・ダ・カラヴァッジョによって制作されました。


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中に入りました。


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ごく一部を除いて、1908年の大震災後に、倒壊前の姿を忠実に再現再建された内部です。


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縦92m、横30.5mの大きさです。


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内陣の高さは25mあります。


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1908年の大震災後のモザイク


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主祭壇


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中央礼拝堂と後陣
主祭壇の聖母子は14世紀のものです。


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中央礼拝堂後陣のモザイク「万能のキリスト」は、14世紀制作のオリジナルを忠実に再現したもので、ジュリオ・アリスティーデ・サルトリオ(ローマ、1860-1932)によって1930年に制作されました。


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説教壇


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右側廊


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後陣右にある聖プラチド礼拝堂です。


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インノチェンツォ・マンガーニ(フィレンツェ、1606-パル三、1678)の「チブレオ」(17世紀)


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復元されたモザイク


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後陣右の礼拝堂は修復工事中でした。


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復元された柱頭


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左右の側壁にニッチがあり、それぞれのニッチに彫刻が置かれてます。
全ての彫刻は、1908年の大震災の後に、20世紀前半の彫刻家によってオリジナルの形に復元されたものです。
これは、ニコロ・リケーロの「被昇天の聖母」


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「聖パオロ」
ニッチの彫刻全てのオリジナルの制作者、複製彫刻の制作者が分かってますが、ここでは省略します。


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「聖ジャコモ・マッジョーレ」


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「聖トッマーゾ」


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「聖ジャコモ・ミノーレ」


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「聖マッテオ」


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「聖タッデオ」


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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以上は右側壁ニッチの彫刻でした。
左側壁ニッチに移ります。


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左側廊


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「聖ヴィットリオ・デ・アンジェリカ」
右側壁の他ニッチの彫刻は省略します。


P1540460
外に出ます。


P1540436
(おわり)

P1540588
時間潰しに外出しましたが、特に見るところがありません。


P1540589
ナポリまで列車に乗り続けるので、運動不足になりそうです。運動不足解消を目的にすれば、見どころがなくても困りません。


P1540590
サンタ・カテリーナ・ディ・ヴァルヴェルデ教会が開いていました。
アントネッロ・リッチョの作品を見てみようか、と思いました。


P1540592
入口扉上ルネッタの装飾
前述したように、この場所にローマ時代の異教寺院があり、4世紀頃、その建物を初期キリスト教会に転用したのが、この教会の前身です。


P1540593
鐘楼
1330年に最初の再建が行われ、二回目の再建が1693年だそうで、現在の建物は1926年から1932年に建設された3回目の再建のものであり、4代目の建物になります。


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3廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


P1540597
教会巡りをしましたが、1908年の大震災後、殆どの教会が再建された訳で、その費用捻出を考えると驚嘆せずにはいられません。


P1540635
左側廊


P1540628
右側廊


P1540598
天井


P1540599
クーポラ


P1540600
主祭壇


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主祭壇前から見た出入口方向


P1540609
詳細不明


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サルヴァトーレ・ルッソの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1933)


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説教壇(18世紀)


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ドメニコ・スパダーロの「聖テレジーナ」(1932)


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ジョヴァンニ・ディ・ナターレの「聖グレゴリオ・マーニョ」(20世紀前半)


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アントネッロ・リッチョ(シチリアで16世紀活動)の「聖母子と聖人たち」(16世紀)


P1540655
アントネッロ・リッチョの作品ですが、以前、州立美術館で見たような気がします。


P1540656
外に出ました。


P1540663
時間がまだあります。


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ドゥオーモにやってきました。


P1540672



P1540687
拝観しました。


P1540707


P1540708
列車に乗るまでの時間配分を考慮して見て回りました。


P1540709
外に出ました。


P1540710
時間がまだ十分ありましたが、ホテルに戻る頃合です。


P1540712
インノチェンツォ・マンガ―ニの「Le Guattro Fontana」(1666)


P1540716
先ほど拝観したサンタ・カテリーナ・ディ・ヴァルヴェルデ教会です。


P1540720
州立美術館が予め開館しているのが分かれば、メッシーナに行きたいと思うのですが、若し休館となれば、完全な無駄足となるので逡巡しています。
職員のストなんて、年に数日に過ぎないと思うのですが・・・・・


P1540722
イタリアは、行ってみないと分からない、行ってみて初めて分かるのです。


P1540723
ホテルに戻りました。


P1540726
部屋のベランダからの眺め


P1540731
メッシーナの災害の歴史をひも解くと、大体150年周期くらいで地震が発生しています。直近では1908年、その前が1783年ですから、その間は125年でした。1908年の125年後は2033年です。そろそろ危ない時期に差し掛かっていると思います。


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チェックアウトを済ませて駅に向かいました。
ここは駅前のバスターミナルです。


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メッシーナ中央駅です。


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20分遅れ。又しても時間潰しです。


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結局、30分遅れで列車が到着しました。


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30分遅れで到着したシラクーザ始発の車両に乗ったのですが、この後、連結予定のパレルモ始発の列車が中々到着しませんでした。シラクーザ発の列車とパレルモ発の列車がメッシーナ中央駅で一つの列車になって出発するのですが、結局50分遅れで出発したのです。


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1本の列車となったICは、5分ほどで3分割されて連絡船内に入りました。


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連絡船は楽しいです。


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階段を上ってデッキに出ます。


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向かいの桟橋に停泊する連絡船


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出航しました。運悪く大粒の雨が降ってきました。


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(おわり)

P1540503マドンナ・ディ・モンタルト聖域(Santuario)が見えてます。


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1286年創建ですが、1908年の大震災で倒壊したので、1928年に再建された新しい建物の教会です。拝観する程ではないと判断して行きませんでした。


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ドゥオーモを見てしまうと、最早やることがありません。


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都市計画に基づく整然とした街並みです。


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教会などを紹介してきましたが、殆どの教会が1908年の大震災で被災して、その後に再建されたものです。


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真っ直ぐ伸びた道路。


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朝方の雨模様から、すっかり天気が回復して快晴になりました。


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カラヴァッジョ、アントネッロ・ダ・メッシーナの作品があるので、美術ファンにとってメッシーナは必訪ですが、それ以外に街の見所が乏しいので旅程作成が難しいと思います。


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サンタ・カテリーナ・ディ・ヴァルヴェルデ教会です。


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1908年の大震災によって倒壊したので、1926年から1932年に建て替えられた建物です。


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この日は拝観しませんでした。


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ところが、州立美術館が翌日も臨時休館であることが分かり、時間潰しのために結局拝観しました。


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活気がありません。


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あの教会に行っても仕方がない、何処に行っても事情は同じですから。


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シャッター街?


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お腹が空いたけどセルフサービスではね。


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山の方から黒い雲が出てきました。天気が安定していないようです。


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レストランがありません。


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やることがないので、思い切り飲んで食べて、あとは寝るだけと考えていましたが、肝心の食べるところが見つかりません。


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ドゥオーモ付近に戻れば、魚介料理の店があるのですが、ドゥオーモの方に戻る気がしません。


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閉まっている店ばっかり。


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仕方がありません。ホテルに戻って、併設のレストランで食べることにしました。


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駅近くに美味しい店がなさそうです。


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139


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食事を終えて、自室のベランダで酔い覚ましです。


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先ほどの快晴は何処へやら、雨が降ってきました。


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昼寝をしてからベランダに出たら、日が差していました。


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翌朝です。


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天気が冴えないようです。


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気になるのは、州立美術館が果たして開館しているかどうかでした。


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若し休館ならば、お手上げです。やることがありませんから。


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もう一日、メッシーナで過ごすのは耐えられません。


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明るくなってきました。


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冴えないベランダ。
この後、州立美術館が休館の場合、どうするかを考えました。
開館しているならば、美術館でゆっくり過ごして、このホテルで予定通り、もう1泊する。
休館の場合は、ナポリに予定通り一日早く入ることにしました。
ナポリのホテルの予約状況や列車の予定などをPCでチェックしました。
朝食前にフロントで、州立美術館はこの日も臨時休館と伝えられたのです。バカヤロー
フロントと交渉して、ペナルティなしのこの日のチェックアウトを取り付けました。


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駅に行って、切符の予約変更をしました。


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変更した列車は10時過ぎのローマ・テルミニ駅のICでした。それまで時間があるので、時間潰しの街歩きをしました。
メッシーナのトラムです。


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トラムの終点はMuseo、州立美術館ですが、この日も休館だったので、終点まで乗ることはありませんでした。


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(つづく)

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サンタゴスティーノ通りの坂を上っていきました。


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サンタゴスティーノ通りに面して建つサン・フランチェスコ・ディ・メルカンティ教会です。


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この教会も1908年の大地震とその直後に襲った大津波によって倒壊したので、1930年に新築再建されました。


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通りは坂になってますが、大津波は坂を上って来た訳です。


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カルロ・ファルコニエーリの「ファルコニエーリのフォンターナ」(1842‐43)


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このフォンターナは別の広場にありましたが、1908年の大震災で若干の被害を受け、解体されて1957年まで州立美術館で展示されていましたが、同年、現在のこの広場 Piazza Basicoに移設されたそうです。


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Piazza Basicoを見下ろす建物です。


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階段を上ってクリスト・レ教会に向かいました。


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更に坂を上りました。


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大津波は、この場所まで駆け上がって来たそうです。


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1937年創建、バロック様式のクリスト・レ教会です。


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この場所にメッシーナ防衛のための堅固なモンタグリオーネ城がありました。


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美術的には見所がない教会なので、拝観しませんでした。


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坂を下りました。


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1930年に建設されたNuovo Oratorio della Paceです。


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この場所には、1608年に建設されたサン・ドメニコ教会がありましたが、1908年の大震災で完全に破壊されてしまいました。


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大震災後に築かれた通りと建物です。


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海抜何メートルならば、大津波に対して安全なのか、考えておかねばならないと思いながら、この辺を歩きました。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ3世のガッレリーアです。


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ファサードの方に行かないと、ガッレリーアとは分からないと思います。


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アントネッロ広場に面したヴィットリオ・エマヌエーレ3世のガッレリーアです。


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メッシーナ出身の建築家カミッロ・プグリシ・アレグラ(メッシーナ、1884‐ローマ、1961)の設計によって、1924年から1929年に建設されたヴィットリオ・エマヌエーレ3世のガッレリーアです。


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アントネッロ広場に面して建っている建物です。


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アントネッロ広場に面して建つ建物は大震災の復興の象徴として建てられたそうです。


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Palazzo dei Leoni


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ドゥオーモの鐘楼です。


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ドゥオーモ広場にやってきました。


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18世紀のメッシーナの彫刻家ジュゼッペ・ブチューティの「無原罪の御宿リ」(1758)
別の場所に置かれていましたが、1908年の大震災によって被害を受け、別の場所で保管されていましたが、1979年に復元されて、ドゥオーモ広場に置かれるようになりました。


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鐘楼は修復工事中でした。


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ドゥオーモ広場に面して建っている建物です。


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ドゥオーモ広場に面して建っている建物です。


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ジョヴァンニ・アンジェロ・モントルソーリ(フィレンツェ、1507‐1563)の「Fontana di Orione」(1553)
モントルソーリはミケランジェロの弟子です。


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ジョヴァンニ・アンジェロ・モントルソーリは、甥で弟子のマルティーノ・モンタニーニ・ディ・バルトロメオ通称マルティーノ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1505‐1562)と共にメッシーナを訪れ、地元の彫刻家の協力を得て短期間で完成したと言われてます。


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メッシーナのドゥオーモです。


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紀元前7世紀初めに、この場所にあった寺院が前身とされてます。それが初期キリスト教会として転用されたそうです。


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メッシーナがアラブによって占領された期間、モスクに転用されたそうです。


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拝観しました。


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ドゥオーモについては、項を改めて詳しく触れる予定です。


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メッシーナを襲った数々の地震や雷雨によって被害を受け続けていましたが、1908年に起きた最初の地震によって建物は完全に倒壊してしまいました。


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その後の長い修復を経て蘇ったのも束の間、今度は1943年6月13日、連合国の爆撃によって、被害を受けてしまいました。
現在の姿は1947年の修復後のものです。


P1540517
(つづく)

P1540337数少ない歴史的建造物を見ます。


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Porta Grazia di Antica Cittadella


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17世紀に建設されたスペイン要塞の入り口として16世紀末に建設された門で、その名称は要塞を築くために破壊された教会の名称に由来します。


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グロテスクな3つの大理石像がありますが、それ以外は石灰岩で出来てます。


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スペイン要塞は地震や戦争による爆撃によって殆ど残されていません。要塞はこの場所にはありません。
1961年、門は解体されて、現在の場所であるPiazza Casa Pia del Proveriに移され再構築されました。


P1540345
門は、サン・ルーカ・エヴァンジェリスタ教会から近い場所にあります。


P1540346
たらればの話になりますが、地震、津波、爆撃がなければ、シチリアで最も見所が多い街だったに違いありません。


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残念ながら、何の変哲もない都会の郊外といった雰囲気の所ばかりです。


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本来ならば、1128年創建のサン・ジュリアーノ教会はシチリアでも必見の教会だったに違いありません。


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1573年、ルネサンス様式で再建されましたが、初代の建物にあったフレスコ画や彫刻が残されていたそうです。


P1540352
1908年の大地震とその直後に襲った大津波によって、二代目の建物は完全に破壊してしまいました。
現在の建物は、1925年から1927年にかけて建設された3代目のものです。
残念ながら、美術的には拝観しても仕方がなさそうです。


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一見古そうに見えますが、20世紀前半の建造物です。


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海に近い、この辺は1908年の大津波によって廃墟と化したそうです。


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1915年に再建されたPalazzo del Governoです。


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ネプチューンの彫刻は、本来、海側から見ないといけません。しかし、道路を渡って海側に出てもねえ。


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ジョヴァンニ・アンジェロ・モルトリソーリ(フィレンツェ、1507‐1563)の「ネプチューンの泉」(1557)


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こちらは修道院だった建物です。


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535年創建、1588年に再建されたサン・ジョヴァンニ・ディ・マルタ教会です。


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サン・ジョヴァンニ・ディ・マルタ教会のファサード


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拝観したかった教会でしたが、扉が閉まっていました。


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1908年の大地震と大津波の凄さを想像しながら、この辺を歩きました。


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車は走っていないし、人通りも殆どありません。


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活気がありません。


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カヴール通り


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20世紀前半に流行した建築様式の建物


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一休みしたいと思いましたが、開いているバールがありません。


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街歩きしても楽しさを感じることがありません。


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現代自動車に技術指導に行った時、英語でやっていたら、技術者全員が日本語が分かるので日本語でやって欲しいと言われて驚きました。当時、三菱自動車の技術者が現代自動車に常駐していました。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世劇場


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要修復といった感じの劇場でした。


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丘上に建つクリスト・レ教会です。


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丘を上っていくか、迷いました。


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サンタ・エウストキア教会です。


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開いていましたが、美術的には見所がないと思います。


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隣接するのは、旧モンテヴェルジネ修道院です。


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拝観しないで素通りしました。


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この建物は学校だったと思います。


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次はPalazzo del Monte di Pietaです。


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16世紀後半から17世紀前半にメッシーナで活躍した建築家ナターレ・サスッチョ(メッシーナ、1561/1568-1619)によって1616年に建設されたPalazzo del Monte di Pietaです。


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1908年に大地震と大津波によって大きな被害を受けましたが、そのまま放置され、1979年に漸く復元されたそうです。
現在、文化的催事場として使用されてます。


P1540392
中庭があります。


P1540393
Palazzo del Monte di Pietaの中庭はコンサート会場などに使用されてます。


P1540394
(つづく)

メッシーナは、人口233,715人(2018年3月31日現在)のシチリア州メッシーナ県の県都です。
P1540295
シラクーザからメッシーナに向かいました。がら明きの車内でした。


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メッシーナ中央駅に到着しました。


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久し振り、凡そ4年振りのメッシーナです。


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シラクーザからの車中は雨天でしたが、メッシーナ駅に到着すると急に晴れてきました。


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先ず、お宿に向かいました。


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駅前は閑散としていました。


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駅近くのこのホテルに2泊の予定です。
メッシーナに来た目的はただ一つ、州立美術館に行くことでした。この日とその翌日、二回入館して傑作を十二分に楽しむ目論見です。
傑作に出会える喜びで心が弾み、一刻でも早く出会いたいとの思いで、ホテルからタクシーで美術館に向かいました。
タクシーを降り、美術館に通じる小さな坂を上りました。


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あれっ、扉が閉まってる!


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ガーン、本日休館!!!!!
建物の修復工事で休館はありますが、手書きですから、予定されていた休館ではなく、多分突発的な事由による休館だったのでしょう。


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この日は勿論開館日でした。
ショックでした。シチリアに来た主目的は、ここに入館することでしたから。
実は、この日のショックはそれ程でもなかったのです。翌日も入館する予定でしたから、「明日があるさ」と少し楽観してました。
結論を言えば、翌日も休館でした。理由は職員のストライキ?らしい。


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これがあるから、イタリアは行ってみるまで分からない、行ってみて初めて分かるのです。
わざわざ州立美術館に足を運んでも見ることが出来なかった傑作をここで触れておきましょう。


2
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ通称イル・カラヴァッジョ(ミラノ、1571‐ポルト・エルコレ、1610)の「ラザロの蘇生」


6
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ通称イル・カラヴァッジョ(ミラノ、1571‐ポルト・エルコレ、1610)の「羊飼いの礼拝」


1
アントネッロ・ダ・メッシーナ(メッシーナ、1430‐1479)の「サン・グレゴリオのポリッティコ」
メッシーナのサン・グレゴリオ教会にあった多翼祭壇画です。


4
アントネッロ・ダ・メッシーナ(メッシーナ、1430‐1479)の「聖母子」(1465‐70c)


5
マリオ・ミンニティ(シラクーザ、1577‐1640)の「ナイムの後家の奇跡」
これは傑作ではありません。マリオはローマ時代のカラヴァッジョの舎弟格でしたが、凡庸な画家でした。自分の才能の見切りをつけたのか、ローマでの活躍を諦めシチリアに戻り、シチリアではかなりの成功を収めました。シチリアの逃亡してきたカラヴァッジョの面倒をよく見て仕事の斡旋をしたのです。マリオの作品が4点ほど展示されてます。


3
マッティア・プレティ(タヴェルナ、1613‐マルタ、ヴァレッタ、1699)の「手紙の聖母」


7
アントネッロ・ガジーニ(パレルモ、1478‐1536)の「聖母子」


8
フランチェスコ・ラウラ―ナ(ヴィラナ、1430‐アヴィニョン、1502)の「聖母子」
こんなところでしょうか。


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返す返すも残念でした。


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振り返って美術館の方を恨めしい思いで見ました。


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メッシーナと言う街は、美術ファンにとって、魅力あるのは州立美術館だけと言っても過言ではないと思います。


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古代ギリシャの植民地時代、ポエニ戦争の舞台、ローマ時代、中世と古い歴史ある街で本来ならば見所が豊富である筈のメッシーナですが、美術的には全く退屈なのです。


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ジェズ・エ・マリア、アル・リンゴ教会


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16世紀創建の教会ですが、拝観する程の教会ではありません。


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メッシーナには不幸な歴史があって、20世紀に再建された街なのです。
1783年の大地震によって、大きな被害を受け、この時、カラヴァッジョの作品が数点失われたそうです。
また、1908年の大地震と津波によって、メッシーナで6万人の犠牲者を出し、多くの建物が倒壊したのです。さらに第二次世界大戦では、連合国の爆撃によって大被害を受けたのです。


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貴重な歴史的建造物が失われ、都市計画に基づいて復興された街なので、新しい建物ばかりなので、見どころに欠けるのです。


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ジュゼッペ・ガリバルディ通り


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他にやることがないので困りました。


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気を取り直して教会巡りをやることにしました。


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晴れてきたのが救いです。


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カヴール通り


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教会がありましたが、拝観する気が起きません。


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整然と区画整理されてます。


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味気ないです。


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時間がつぶれません。


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イタリアに行って最も退屈だったのが、この日でした。


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第二次世界大戦後に復興された一角です。


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サン・ルーカ・エヴァンジェリスタ教会


P1540335
あの教会は美術的には何もないので、素通りしました。


P1540336
(つづく)

P1090518昼食を食べ終わって外に出たら、午後4時近くになっていました。


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通りの向こうにピロッタ宮殿が見えました。


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旧サン・パオロ教会


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ストゥアルド絵画館に入館しました。


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旧サン・パオロ修道院に向かいました。尤もストゥアルド絵画館の展示室は旧サン・パオロ修道院の建物です。


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Museoになってます。


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中に入りました。


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この時、パルミジャニーノの特別展が開催されていました。他からの作品を展示していたので、写真禁止で写真がありません。


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読書と会話のクラブ


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一旦ホテルに戻ってトイレ休憩。


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ホテルで一休みしてから、サンティッシマ・トリニータ教会に向かいました。


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一旦・ガリバルディ通りに出てから、直ぐに右折します。


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右折すると、突き当りにサンティッシマ・トリニータ教会の鐘楼が見えます。


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サンティッシマ・トリニータ教会の扉が開いていました。


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1230年のパルマの記録に、この場所にドメニコ会教会の存在が記されており、12世紀末から13世紀初め頃に建設されたと推察されてます。


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1401年、巡礼者と貧困者のための巡礼宿と病院が増設されました。
現在の建物は、1743年に拡張増設工事着工、1813年に完成したバロック様式の二代目のものです。


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ファサードに向かって右の建物は旧病院で、そのルネッタにはインチェンツォ・マルティーニ(パルマ、1551‐1623)のフレスコ画があります。


P1090573
中に入りました。


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三廊式の小さな教会です。


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左側廊


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翼廊がありません。


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右側廊


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主祭壇と後陣


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主祭壇の銀製の6聖人


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主祭壇に置かれた「祈るキリスト」のイコン


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主祭壇画はジュゼッペ・バルドリーギ(ストラデッラ、1722‐パルマ、1803)の「天上の聖母子と聖人たち」


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詳細不明の磔刑像


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詳細不明


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インノチェンツォ・マルティーニ(パルマ、1551‐1623)のフレスコ画


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詳細不明


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マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648‐1729)の「ピエタ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボルゲージ(パルマ、1790‐1846)の「聖家族」


P1090594
詳細不明


P1090597
詳細不明


P1090599
詳細不明


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何処かで見たような気がしました。


P1090601
詳細不明


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祭壇前から見た出入口方向


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次はサン・フランチェスコ・デル・プラート教会です。


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古そうな民家です。


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通りの先にサン・フランチェスコ・デル・プラート教会があります。


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1222年創建、13世紀半ばに完成したゴシック様式のサン・フランチェスコ・デル・プラート教会です。


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ご覧のように扉が閉まっていました。
ナポレオンのイタリア侵攻によって、宗教活動の停止が命令され、その後、一度も宗教活動が再開されることなく現在に至ってます。


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堅固な造りから、ナポレオン時代から監獄に転用され、1993年まで刑務所となっていました。重罪犯用で、多くの死刑執行が行われた刑務所として、犯罪者から恐れられたそうです。


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中はフレスコ画の宝庫となっていて、2000年台前半に美術館として整備されることに決まりましたが、経済状態悪化のため、その実現は今のところ夢物語になりそうです。


P1090618
こちらはオペラ博物館です。


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この建物も旧サン・フランチェスコ・デル・プラート教会の一部でした。


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キオストロ


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キオストロの壁に描かれたフレスコ画


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パルマの街歩きはこんなところでしょう。


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(おわり)

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サンタ・ルチア教会を後にしました。


P1090353
パルマの教会は大体開いているので、教会巡りに絶好です。


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次は愈々サンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂です。


P1090352
1392年までに、この場所にステッカータ教会が建てられ、受胎告知される聖母同信会が置かれるようになりました。教会は巡礼地となって、主祭壇に置かれた「授乳の聖母」(現在も聖堂の主祭壇にあります)が信仰の象徴となりました。


P1090307
1521年、受胎告知される聖母同信会は、当時の建物を取り壊し、その上に規模の大きな建物の再建を決定しました。そうして、1521年に創建され、1539年に完成したルネサンス様式の建物が現在の姿のほぼ原形となってます。1539年に奉献式が執り行われました。
クーポラは、1525年から1527年にかけて建設されました。
17世紀に一部バロック様式に改修され、現在のルネサンス・バロック様式の建物になりました。


P1090308
扉が開いていました。
中に入ると、ミサ、洗礼式、結婚式、葬儀などが行われておらず、ゆっくりと拝観出来そうでした。


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単廊式、ギリシャ十字形、ルネサンス様式の内部です。


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左翼廊方向


P1090311
右翼廊方向


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主祭壇を見ます。


P1090314
主祭壇画は、14世紀の「Madonna allattante(授乳の聖母)」
巡礼者の信仰を集めた作品です。


P1090313
後陣ヴォルタのフレスコ画は、ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ通称イル・パルミジャニーノ(パルマ、1503‐カザールマッジョーレ、1540)の「3人の賢明な処女と3人の愚かな処女」(1531‐39)


P1090317
マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648‐1729)の「天上の聖家族と聖ジョルジョ」(1718)


P1090346
ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500c‐パルマ、1569)の「救世主とパドヴァの聖アントニオと聖マリア・マッダレーナ」


P1090349
トッマーゾ・バンディーニ(フェリーノ、1807‐パルマ、1849)の「ピエタ」


P1090332
クーポラのフレスコ画は、ベルナルディーノ・ガッディ(パヴィア、1495/1496-クレモナ、1576)の「聖母被昇天」


P1090328
ジャンベッティ―ノ・チニャローリ(ヴェローナ、1706-1770)の「三位一体と聖人たち」


P1090318
17世紀のエミリアの逸名画家の「天上の聖母子と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタとバーリの聖二コラ」


P1090319
私には制作者等が分かりません。


P1090320
ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ、1492c-パルマ、1556)の「マギの礼拝」(1541)


P1090329
ヤン・ソーンス(オランダ、スヘルトーヘンボス、1547-パルマ、1611)の「聖家族」


P1090330


P1090331


P1090333
アウレリオ・バリーリ(パルマ、16世紀後半活動)の作品です。


P1090335
フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ(ボローニャ、1477-1517)の「玉座の聖母子と2聖人と3音楽天使」


P1090337
私には制作者等が分かりません。聖堂側は勿論分かっていると思います。


P1090339


P1090340
詳細不明


P1090341


P1090343
私には制作者等が分かりません。


P1090344


P1090345
詳細不明


P1090347
漆喰彫刻


P1090348
私には制作者等が分かりません。


P1090351
私には制作者等が分かりません。


P1090324
パルミジャニーノのフレスコ画をもう一度見ました。


P1090350
主祭壇をもう一見ました。


P1090386
外に出ました。


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ドゥオーモ広場に来ました。


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ドゥオーモのライオン像にご挨拶


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司教館


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キオストロに行ってみます。


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この下にMuseo Diocesanoがあります。


P1090509
キオストロにある井戸


P1090491
お腹が空きました。


P1090500
ここで食べました。
(つづく)

P1090260
イエズス会のサン・ロッコ教会です。
1528年創建、1598年に完成した教会と書いてあるのを目にしたことがありますが、正しくもあり、正しくないとは言えないものの正確ではないと言えそうです。


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ファサード前の道路が狭いので、ファサード全体の写真が撮れません。
現在のバロック様式の建物は、1737年に創建され、1754年に完成した二代目のものです。


P1090263
最初の建物の完成後、僅か140年足らずにして再建されるようになったのか、不思議に思い、あちこち調べましたが、その理由がまだ分かりません。


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1747年から1754年に建設された高さ50m超の鐘楼です。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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左右の側壁と翼廊に礼拝堂が設けられてます。


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比較的新しい祭壇画ばかりですが、現在まで名前が知られている画家たちの作品があるので、美術ファンにとって楽しい教会と言えるでしょう。


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天井の白いところは地震によって生じた亀裂の修復箇所です。


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主祭壇


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イエズス会の教会にしては稍々地味な感じがします。


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後陣とクーポラ


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主祭壇画は、フランチェスコ・スカラムッツァ(シッサ、1803‐パルマ、1886)の「ペストを治癒する聖ロッコに顕現する天上の聖母子」
聖ロッコはペストに対する守護聖人とされていて、ペスト禍に度々見舞われた中世において人々の崇敬の対象になっていました。


P1090284
1754年に制作されたパイプオルガン。当時のオルガン名工によって制作されたもので、今でも有名なオルガンとされてます。オルガンは私の好きな美術対象から外れるので、このオルガンについての詳しいことは省略です。


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詳細不明


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ジャチント・ブランディ(ローマ、1621‐1691)の「割礼」


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リオネッロ・スパーダ(ボローニャ、1576‐パルマ、1622)の「聖イグナツィオと十字架を手にするキリスト」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボルゲージ(パルマ、1790‐1846)の「聖母子と聖人たち」


P1090292
ピエトロ・ロターリ(ヴェローナ、1707‐サンクトペテルブルク、1762)の「聖イグナツィオ」


P1090293
ピエトロ・ロターリ(ヴェローナ、1707‐サンクトペテルブルク、1762)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオ」


P1090294
詳細不明


P1090270
ジャチント・ブランディ(ローマ、1621‐1691)の「磔刑」


P1090271
詳細不明


P1090272
詳細不明


P1090273
詳細不明


P1090275
ジョヴァンニ・バッティスタ・ボルゲージ(パルマ、1790‐1846)の「聖ルイージ・ゴンザーガと聖スタニシャオ」


P1090276
詳細不明


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17世紀のパルマの逸名画家の作品


P1090289
詳細不明


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
サン・ロッコ教会から至近にある旧教会に行きました。


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1177年の文書に教会の存在が記されているサンタンドレア教会です。


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1939年、教会としての活動をした停止した旧教会です。現在、美術展などの会場として使用されてます。この日は現代抽象画の特別展だったので、直ぐに出てきました。


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写真左が旧サンタンドレア旧教会で、鐘楼はサン・ロッコ教会のものです。


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街の中心の広場に戻ってきました。


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ガリバルディ広場に置かれていた彫刻です。如何にも現代のイタリア人が好きそうな彫刻です。
フェルナンド・ボテロの「Donna Distesa(横たわる女)」(2013)


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次はサンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂に行くつもりでした。


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サンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂に行く途中、サンタ・ルチア教会が開いていました。


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拝観することにしました。


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サンタ・ルチア教会については、(その4)で詳しく触れました。


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パルマの教会は何処でも外れがありません。美術的にですが。


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P1090375
(つづく)

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サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


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この場所に12世紀頃に建設されたサン・フランチェスコ修道院がありましたが、1546年、初代パルマ公爵ピエル・ルイージ・ファルネーゼは、修道院を取り壊し、その上に軍事施設の建設を決め、修道院は取り壊されました。


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ピエル・ルイージの息子で第二代パルマ公爵オッタヴィオ・ファルネーゼは、教会修道院の再建を決め、1566年創建、17世紀に完成したバロック様式の建物が現在の教会です。
修道院を取り壊して、再建に至る背景には、フランス、スペイン、教皇庁などがパルマの領有を巡って政治的軍事的に介入した歴史がありますが、その辺をここで触れることは止めて先を急ぎます。


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ファサード入口扉上の、ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビエーリ(ヴァル・ディンテルヴィ、1625/1626-1691)による漆喰彫刻が有名です。


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外壁が丸くなった箇所がありますが、そこに礼拝堂が設けられてます。


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教会の中に入れば、この部分の訳が理解できるでしょう。


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入口扉の装飾


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バロック様式の内部です。


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天井の形の通りで楕円形の教会です。


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主祭壇に向かって左側です。


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主祭壇に向かって右側です。


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主祭壇


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後陣のクーポラ


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主祭壇画は、フランチェスコ・ザガネッリ・ダ・コティニョーラ通称フランチェスコ・ダ・コティニョーラ(コティニョーラ、1475-ラヴェンナ、1532)の「聖母子と4聖人(聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ルチア、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、アッシジの聖フランチェスコ)」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・バルベリーニ(ヴァル・ディンテルヴィ、1625/1626-1691)の「コレッジョ作『受胎告知』のコピー画」(1681)
コレッジョの「受胎告知」のフレスコ画は、取り壊された教会修道院にありました。その剥離フレスコ画がパルマの国立美術館で展示されています。その作品画像を載せておきましょう。


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アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c-1534)の「受胎告知」(1524-25c)
パルマ国立美術館所蔵


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詳細不明


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アンドレア・スクテッラーリ(ヴィアダーナ、1578-1598記録)の「聖ジローラモ」


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アンドレア・スクテッラーリ(ヴィアダーナ、1578-1598記録)の「聖パオロと天使」


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詳細不明


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セバスティアーノ・ガレオッティ(フィレンツェ、1675-モンドヴィ、1746)の「聖母子と聖ボナヴェントゥーラ」


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プレセーペ礼拝堂


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P1090223
教会の周囲の景色が再現されてます。


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この場所でしょうね。


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ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ通称イル・パルミジャニーノ(パルマ、1503-カザールマッジョーレ、1540)の「フェルトレのベアート・ベルナルディーノ」


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サクロ・クオーレ礼拝堂


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティンティ(パルマ、1558-1604)に拠る礼拝堂の装飾


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティンティ(パルマ、1558-1604)のフレスコ画


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パドヴァの聖アントニオ礼拝堂


P1090233
詳細不明


P1090235
アルカンターラのサン・ピエトロ礼拝堂


P1090236
イラリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657-ピアチェンツァ、1734)の「アルカンターラの聖ピエトロ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティンティ(パルマ、1558-1604)のフレスコ画


P1090243
詳細不明


P1090241
サン・フランチェスコ礼拝堂


P1090242
外に出る前に、もう一度祭壇を見ました。


P1090248
外に出ました。


P1090250
メッツォ橋を渡ってチェントロ・ストーリコに戻ります。


P1090255
この教会の名称が分かりません。


P1090256
次はサン・ロッコ教会です。


P1090257
この日は精力的に教会巡りをしました。


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突き当りを左折すればサン・ロッコ教会に出ます。


P1090259
サン・ロッコ教会です。
(つづく)

P1090153次はサン・バルトロメオ教会です。


P1090186
カルドゥッチ通りには青空市が立っていました。


P1090185
カルドゥッチ通りに面して建つサン・バルトロメオ教会です。


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830年頃のパルマの文書に、この場所に存在していた教会の記録が残されており、830年以前に建てられたとされてますが、恐らく7世紀頃には存在していたと推察されてます。
1180年、教会の横を流れるパルマ川の洪水によって大きな被害を受けてしまいました。その後、教会は、Chiesa di San Bertolomeo de Glareaと称されたように、修復されずに長い間放置されたままになっていました。glareaとは砂利と言う意味で、その名の通り、教会の建物は洪水の際の砂利と瓦礫に埋まっていたのでしょう。


P1090160
17世紀になると、教会の再興が決定され、1633年に再建工事が着工されました。1785年に一応の完成の運びとなりましたが、19世紀に改修が行われ、現在の姿になったのは全ての改修工事が完了した1851年にことでした。


P1090154
鐘楼と後陣
初代の建物の姿を模して設計されたので、後期ゴシック様式に似た格好の建物です。
鐘楼の一部に、7世紀頃の初代の建物の石が使用されているそうです。


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青空市のテントが邪魔して教会全体の写真が撮れません。


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ファサード左右の壁龕の彫刻は、アレッサンドロ・ボットーニとアウレリオ・ボットーニの兄弟による作品です。
こちらは「聖サビーナ像」


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聖バルトロメオ像


P1090163
扉が開いていたので拝観しました。


P1090164
単廊式、バロック様式の内部です。


P1090166
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。


P1090165
右側壁


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装飾が殆ど施されていない地味な天井です。


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主祭壇


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主祭壇画は、ジュゼッペ・ペローニ(パルマ、1710‐1776)の「聖バルトロメオの殉教」


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ジャコモ・スピチョッティ通称スピリト・ジェンティーレ(パルマ、1520‐1602)の「聖母子と聖人たち」
他の教会にあったものを、ここに移設したのでしょう。


P1090170
18世紀のパルマの逸名画家作「キリストの洗礼」


P1090171
詳細不明


P1090172
詳細不明


P1090173
詳細不明


P1090175
ジローラモ・マニャーニ(ボルゴ・サン・ドンニーノ、1815‐パルマ、1889)の「天上の聖母子と聖人たち」


P1090179
18世紀のエミリアの逸名画家作「聖母被昇天」


P1090180
詳細不明


P1090181
詳細不明


P1090182
詳細不明


P1090177
祭壇前から見た出入口方向


P1090187
外に出ました。


P1090188
パルマ川の方に進みました。


P1090189
メッツォ橋下の広場にも青空市が立ってました。


P1090190
パルマ川に架かるメッツォ橋です。


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橋の先にある教会を目指します。


P1090193
Torrenta Parma


P1090194
単純にパルマ川と思っていたら、わざわざTorrentaとなっていました。torrentaとは急流とか渓流という意味ですが、見た目、急流とか渓流ではないような感じです。


P1090251
どちらが上流でしょうか?


P1090252
川岸に建つ家々


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橋を渡って対岸に行きました。


P1090197
フィリッポ・コッリドーニ広場


P1090249
広場に立つのは、オッド・アリヴェンティ(1898‐1975)の「フィリッポ・コッリドーニのモニュメント」
フィリッポ・コッリドーニ(コッリドーニア、1887‐サン・マルティーノ・デル・カルソ、1915)は労働組合指導者、政治家、ジャーナリストでした。


P1090247
広場の横に教会があります。


P1090198
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


P1090199
(つづく)

(その8)はパルマのサン・ヴィターレ教会です。
P1090080
Palazzo Comunaleの隣にあるサン・ヴィターレ教会です。


P1090141
11世紀、現在のガリバルディ広場にサン・ヴィターレ教会が建設されました。


P1090138
1644年、サン・ヴィターレ教会は現在の場所に移転再建することが決められ、1651年に創建され1669年に完成したバロック様式の建物となりました。


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クーポラと鐘楼


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ファサードの左右に絵画が置かれてます。


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向かって右は聖ジョルジョ


P1090140
扉が開いていたので拝観しました。


P1090083
単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


P1090085
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。


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右側壁


P1090086
バロック様式の教会にしては、地味な方の天井装飾です。


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クーポラ


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主祭壇


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主祭壇に置かれた磔刑像(詳細不明)


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主祭壇画は、セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659‐ヴェネツィア、1734)の「聖ヴィターレと聖グレゴリオ・マーニョ」


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ジュゼッペ・ペローニ(パルマ、1710‐1776)によって描かれた後陣のフレスコ画


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ルーカ・レーティ(ライーノ、1598‐パルマ、1668)とドメニコ・レーティ(17世紀パルマで活動)の兄弟によって制作された漆喰彫刻


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グレゴリオ・マーニョ?


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ガエターノ・カッラーニ(パルマ、1736‐1809)の「聖母子と聖ヴィターレと聖パオロ」


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ルーカとドメニコのレーティ兄弟による漆喰彫刻


P1090122


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ドメニコ・ポッツィ(スイス、ブルゼッラ、1745‐ミラノ、1796)の「聖母子と2聖人」


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「聖母子と聖ロッコと聖セバスティアーノ」


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「受胎告知」


P1090094
詳細不明


P1090096
詳細不明


P1090097
ジョヴァンニ・バッティスタ・カッチオーリ(ブドリオ、1623‐ボローニャ、1685)の「聖母子と聖人たち」


P1090099
詳細不明


P1090100
詳細不明


P1090101
ルティーノ・バリッリ(パルマ、1883‐1961)の「祈る聖母」


P1090102
詳細不明


P1090104
ドンニーノ・ポッツィ(フォンタネッラート、1894‐パルマ、1946)の「キリストの復活」


P1090103
ドンニーノ・ポッツィ(フォンタネッラート、1894‐パルマ、1946)の「ピエタ」


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P1090106


P1090107


P1090108


P1090109
詳細不明


P1090112
詳細不明


P1090125
クレメンテ・ルータ(パルマ、1685‐1767)の作品


P1090128
詳細不明


P1090129
詳細不明


P1090130
カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「聖母子と聖人たち」


P1090131
詳細不明


P1090132
詳細不明


P1090133
詳細不明


P1090134
詳細不明


P1090135
詳細不明


P1090136
詳細不明


P1090123
祭壇前から見た出入口方向


P1090124
ガエターノ・カッラーニ(パルマ、1736‐1806)の作品


P1090137
これで終わりです。


P1090139
外に出ました。


P1090144
(つづく)

P1080974
街歩きの起点は、この日もガリバルディ通りです。


P1080978
サンタ・テレーザ教区教会を素通りするのは気が引けます。


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一寸だけ拝観しました。


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パルマには、現役の教会が多いと思います。


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この付近を往復したのは、もう30回以上にもなります。


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朝靄の中のピロッタ宮殿


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前夜、ここでシモン・ボッカネグラを楽しみました。


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兵士のブロンズ像


P1090021
ホテルに戻ったのが午前1時過ぎ。ベッドに入ると、頭の中でアリアが流れて寝付けません。寝不足の朝を迎えました。終演を午後11時半を見込んで開演時間が決まるので、夕食をどうするかが頭を悩ませるところです。この劇場周辺のレストランは、オペラ開演の夜はオペラがはねた後でも営業しています。久し振りの真夜中の夕食は、胃がびっくりしたみたいで、朝飯を食べるどころではありませんでした。


P1090150



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ブッセートのオペラはパルマ歌劇場の出張公演のようです。


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劇場の隣にある、1527年創建、1624年に完成したサンタレッサンドロ教会です。


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残念ながら扉が閉まっていました。


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鐘楼


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ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ、アレッサンドロ・ティアリーニ、セバスティアーノ・リッチなどの作品があるので、拝観したかったけれど、扉が閉まっていては仕方がありません。


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サンタレッサンドロ教会の向かいにあるサンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂に期待しました。


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聖堂は開いていました。


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中に入ったらミサ中でした。ミサを暫く見ていましたが、始まったばかりのようです。
聖体拝領してから信者同士で握手してミサが終わるのが普通ですが、それまでは時間がかかりそうでした。


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外に出たら、信者が続々と中に入って行くのを目にしました。


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パルミジャニーノ、ベルナルディーノ・ガッティなどのフレスコ画を見たかったけれど・・・・・


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この聖堂はミサの多いことで知られてます。


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ステッカータ広場


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広場に立つのは、パルミジャニーノのモニュメント


P1090038


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この辺で、前日夜のオペラで歌った歌手を見かけました。


P1090041
街角の聖母子


P1090042
この辺の雰囲気が実に良いと思います。


P1090045
ガリバルディ広場


P1090046
Palazzo del Governatore


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これを撮っておくと後で役立ちます。


P1090048
ジュゼッペ・ガリバルディのモニュメント


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市庁舎前に立つコレッジョのモニュメント


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市庁舎のロッジャ


P1090078


P1090079
市庁舎前にあるヘラクレスとアンテオのモニュメント
今日は時間がないので、この辺で終わりにさせてください。
(つづく)

P1090666
私には制作者等が分かりません。
引き続きサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会修道院です。


P1090668
私には制作者等が分かりません。


P1090673
私には制作者等が分かりません。


P1090674
私には制作者等が分かりません。


P1090675
私には制作者等が分かりません。


P1090677
私には制作者等が分かりません。


P1090679
私には制作者等が分かりません。


P1090680
アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499‐1565)の「聖フェリチータと聖ヴィターレ(息子)」


P1090681
アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499‐1565)の「聖ベネデット」


P1090683
詳細不明


P1090685
ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ1632‐ピアチェンツァ、1698)の「聖イラーリオとバーリの聖二コラに顕現する聖母子」


P1090688
主祭壇と後陣


P1090690
主祭壇画は、エミリオ・タルッフィ(1633‐1696)の「キリストの昇天」(1674)


P1090708
ルネッタのフレスコ画は、アレッサンドロ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1498c‐1534)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


P1090715
後陣のフレスコ画は、チェーザレ・アレトゥージ(モデナ、1549‐パルマ、1612)の「コレッジョ作『聖母戴冠』のコピー画」です。
これをコレッジョのフレスコ画と間違える方がいらっしゃいますが、チェーザレが描いたコピー画です。
本物はピロッタ宮殿の国立美術館にあります。


P2620601
アレッサンドロ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「聖母戴冠」(1522c)
パルマ国立美術館にあるコレッジョの作品です。


P1090706
クーポラのフレスコ画は、アレッサンドロ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタの死」(1520)


P1090695
私には制作者等が分かりません。


P1090694
私には制作者等が分かりません。


P1090693
私には制作者等が分かりません。


P1090697
ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500c‐パルマ、1569)の「聖母子と聖ジャコモ」(1543‐45)


P1090698
私には制作者等が分かりません。


P1090699
アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499‐1565)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


P1090700
アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499‐1565)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


P1090701
私には、この作品の詳細が分かりません。


P1090710
私には、この作品の詳細が分かりません。


P1090711
私には、この作品の詳細が分かりません。


P1090720
私には、この作品の詳細が分かりません。


P1090723


P1090725
私には、この作品の詳細が分かりません。


P1090687
主祭壇前から見た出入口方向


P1090729
ファサード裏にある作品です。


P1090731
外に出ました。


P1230856
次はサンティッシマ・トリニータ教会です。


P1230861
駅の方に向かいます。


P1230862
ガリバルディ通りに出ました。


P1230864
見慣れた風景です。


P1230878
右折すると教会の鐘楼が見えました。


P1230880
残念、サンティッシマ・トリニータ教会は閉まっていました。


P1230883
写真右の建物のルネッタを見て我慢します。


P1230882
インノチェンツォ・マルティーニ(パルマ、1551‐1623)のフレスコ画


P1230885
この日の予定はこれで終わりです。


P1230886
(つづく)

P1230309
次はサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ修道院です。


P1230311
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ修道院は、ドゥオーモの後にあります。


P1230314
突き当りの建物の浮彫は一見の価値があります。


P1230315
浮彫


P1230316
13世紀に建設された歴史的建造物ですが、現在はホテルになってます。ドゥオーモ広場から見ると、この建物はお馴染みでしょう。


P1230318
洗礼堂を経由します。


P1230320
洗礼堂は旧市街の中心であるので、どうしても一度の旅で何度も来てしまいます。


P1230321
傑作です。


P1230322
登録して、デポジットを払えば旅行者も使用可能でしょうか?


P1230327
ドゥオーモ広場


P1230328
13世紀に建設され、18世紀に改修されたPalazzo della Rosa Pratiは、現在ホテルになってます。この建物の裏側に浮彫があります。


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この辺のパルマが特に気に入ってます。


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サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ修道院が見えてきました。


P1090731



P1230831
見たところが多いので、ついつい道草してしまいます。


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ドゥオーモの後陣


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サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ修道院です。
960年、ベネデット会修道士によって、この場所に建設されたサン・コロンバーノ祈祷所が前身です。後に修道院が併設されるとともに祈祷所だった建物は増築されて教会となって、パルマでは大組織の教会修道院になりました。


P1230850
教会修道院は、1477年に発生した火災によって大きな被害を受けたので再建されることになりました。


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15世紀後半、当時、パルマで実績がある建築家Bernardino Zaccagni(パルマ、1455‐1531)の設計と工事監督によって、1490年に創建、1519年に完成した盛期ルネサンス様式の二代目の建物が現在の姿となってます。
また、再建を機に奉献する聖人が聖コロンバーノから聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタに変更され、教会修道院の名称が現在の名前になりました。


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後期マニエリスム様式(初期バロック様式に近似)のファサードは、彫刻家・建築家シモーネ・モスキーノ(オルヴィエート、1553‐パルマ、1610)の設計によって、1604年から1607年に建設されました。
それで15世紀から17世紀に建設されたと記されているのです。


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写真正面は修道院のファサード、左はドゥオーモの後陣です。


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高さ75mの、パルマで最も高い鐘楼は、パルマの建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・マニャーニ(パルマ、1571‐1653)の設計によって1613年に建設されました。


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ファサードの壁龕に彫刻があります。


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無原罪の聖母


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聖プラチド


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聖スコラスティカ


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聖フェリチータと聖ヴィターレ


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聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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左側廊方向


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左側廊


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右側廊方向


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右側廊


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身廊天井
祭壇画、フレスコ画を見て行きます。


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ヤン・ソーンス(オランダ、スヘルトーヘンボス、1547‐パルマ、1611)の「聖母子と2聖人」


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ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ、1491/1492-パルマ、1556)の「聖ジローラモ」


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ジャコモ・ライボリーニ通称ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484-1557)とジュリオ・ライボリーニ通称ジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487-1540)の「ご誕生」(1519)


P1090663
詳細不明


P1090665
クリストフォロ・カセッリ(パルマ、1460-1521)の「マギの礼拝」
(つづく)

P1230243
見えているのは、サンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂と歌劇場です。


P1230245
ステッカータ広場にやってきました、道路の向こうは広場の名称が変わってガリバルディ広場になります。


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広場に立つジュゼッペ・ガリバルディのモニュメント像


P1230248
時計塔がある建物はPalazzo del Governatore


P1090076
サン・ピエトロ教会に行ってみることに。


P1090071
955年の記録にサン・ピエトロ教会がこの地にあったことが記されているそうです。初代の建物を取り壊し、その上に新しいゴシック様式の建物が1418年から1492年にかけて再建されました。


P1090072
現在の新古典様式の建物は、1707年から1762年に建て替えられた三代目のものです。


P1090070
ファサードのスタッコはべニーニョ・ボッシ(アルチザーテ、1727‐パルマ、1800)の作品です。


P1090055
単廊式、新古典様式の内部です。翼廊がありません。


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左側壁


P1090057
右側壁


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クレメンテ・ルータ(パルマ、1685‐1767)の作品です。


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「聖ジュゼッペの死」


P1090061
べニーニョ・ボッシの作品です。


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べニーニョ・ボッシによるスタッコ装飾


P1090064
クーポラのフレスコ装飾はジョヴァンニ・アントニオ・ヴェッツァーニ(パルマで18世紀前半活動)によるものです。


P1090065
詳細不明の磔刑像です。


P1090066
主祭壇画


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アレッサンドロ・マッツォーラ(パルマ、1533‐1608)の「聖母子と2聖人」


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主祭壇前から見た出入口方向


P1090068
祭壇をもう一度見てから外に出ました。


P1090073
観光案内所でバスの時刻と発着場を確認しました。パルマ新駅のオープンによって、バスの発着場が変わりました。


P1230251
レプッブリカ通りです。見えているのはサン・ヴィターレ教会ですが、教会の扉が閉まっていました。


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次はサンタ・ルチア教会です。


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カヴール通りに戻りました。


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カヴール通りに面して建っているサンタ・アルチア教会です。


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サンタ・ルチア教会です。
1223年創建、1294年に奉献式が執り行われたサン・ミケーレ教会がこの場所にありましたが、そのサン・ミケーレ教会が現在のサンタ・ルチア教会の前身です。


P1230266
16世紀後半、サン・ミケーレ教会の建物は老朽化のため荒廃してしまったので、それを取り壊し、その上に新しい建物が再建されることになりました。
そうして、1615年に創建され、17世紀後半に建物が完成しました。1697年に再建されたバロック様式の建物の奉献式が執り行われました、それを機に捧げる聖人が大天使ミケーレから聖ルチアに変更され、教会の名称がサンタ・ルチア教会と改称されました。


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ファサードはマウロ・オッディの設計です。ファサード・ニッチの彫像「聖ビアージョ」と「聖ルチア」はジャコモ・バルビエーリの作品です。


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単廊式、バロック様式のこじんまりした内部です。


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壁の殆どがフレスコ画で覆われてます。


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フィリッポ・マリア・ガレッティ(フィレンツェ、1638‐1714)によるフレスコ画


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クーポラのフレスコ画もフィリッポ・マリア・ガレッティ(フィレンツェ、1638‐1714)によって描かれました。


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聖母被昇天


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主祭壇


P1230281
主祭壇画は、セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659‐ヴェネツィア、1734)の「聖ビアージョから聖体拝領する聖ルチア」(1730)


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この作品はセバスティアーノ・リッチの代表作とされてます。


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アントニオ・リゴーリの「聖霊降臨」


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オルガン


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アントニオ・リゴーリの「天上の聖母子と聖パオロと聖フランチェスコ」


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セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659‐ヴェネツィア、1734)の「聖セバスティアーノと聖ロッコ」


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ジュリオ・チェーザレ・アミダーノ(パルマ、1572‐1629)の「聖母子と聖ルチアとシチリアの聖アガタ」


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詳細不明


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説教壇


P1230303
詳細不明


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ファサードの裏側の壁にもフレスコ画が描かれてます。


P1230306
外に出ます。


P1230308
(つづく)

P1230208
旧市街の中心部へと続くガリバルディ通りです。


P1230209
ガリバルディ通りに面して建つサンタ・テレーザ教会が開いていたので、拝観することにしました。


P1080977
Chiesa di Santa Teresa del Banbino Gesuが正式名称です。
1548年、現在の教会がある土地に建設されたOratorio del Rossiが前身です。1584年、Oratorioはサンティッシマ・トリニータ教会に組み入れられ、Chiesa della Trinita Nuovaと改称しました。
1647年、教会は増築されることになり、建築家ジローラモ・ライナルディ(ローマ、1570‐1665)の設計によってバロック様式で、ほぼ現在の規模の建物になりました。
更にクーポラが増設されることになり、ボローニャの建築家ステファノ・ロッリ(ボローニャ、1665c‐1714以降没)の設計によって、1685年から1693年にかけてクーポラが建設されました。
ファサードは、エルメスと・ピアッツァとドメニコ・レーティの設計によって、1862年から1864年にかけて建設されました。ファサードが完成した1864年の姿が現在のものです。


P1230210
入口扉上ルネッタの浮彫
20世紀後半までトリニータ・ヌオーヴァ教会と称していましたが、1973年、現在の名称に改称されました。
今でもトリニータ・ヌオーヴァと呼ぶ地元の人が多いようです。一部では、その前の名称であるOratorio del Rossiと呼ぶ人もいるそうです。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。


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1548年に創建されたので、古い祭壇画などがありませんが、名前が知られた画家たちの作品があるので、美術ファンにとっては拝観する価値があると思います。


P1080984
バロック様式の教会にしては、若干控えめな装飾と言えるでしょう。


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クーポラ


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17世紀にドメニコ・レーティによって制作されたスタッコ装飾


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創建時のオルガンが残されてます。


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主祭壇画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ボルゲージ(パルマ、1790‐1846)の「三位一体」(1822c)


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左側壁第3礼拝堂にある「ロレートの聖なる家」
制作者情報等不祥


P1080997
ジュリオ・チェーザレ・アミダ―ニ(パルマ、1566‐1630)の「聖母子と聖人たち」


P1080994
アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577‐1668)の「聖母子と聖ピエトロとパドヴァの聖アントニオ」


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ヴィンチェンツォ・カンピ(クレモナ、1536‐1591)の「磔刑」


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16世紀の磔刑像


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バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556‐1629)の「聖母子と聖人たち」


P1090006
詳細不明


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詳細不明


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ドメニコ・レーティのスタッコ装飾


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制作者不明の「聖テレーザ」


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P1090007
作者不明の「聖テレーザ」


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アンドレア・シラーニ(ボローニャ、1610‐1670)の「マギの礼拝」


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主祭壇前から見た出入口方向です。


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外に出ました。


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ピロッタ宮殿を横に見ながら南に進みました。


P1230217
この日も入館しました。


P1230223
作品の写真を撮ることと作品鑑賞は両立しないので、主な美術館には一回の旅で2回入館することにしてます。


P1230226
Piazzale della Pace


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広場に立つ兵士のブロンズ像


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ガリバルディ通り


P1230228
王立歌劇場


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サンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂の拝観は後回しです。


P1230235
カヴール通りに行くことに。


P1230236
Borgo Angelo Mazzo


P1230237
オペラを見るためには絶好な場所にあるホテルで、特に台所がある部屋が勧めです。ただ、オペラ公演日の宿泊代が高く設定されているので、商魂逞しいオーナーが気になる人にはお勧めしません。


P1230239
カヴール通り


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ステッカータ広場の観光案内所に向かいました。


P1230241
(つづく)

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ローマ時代の碑文


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次の部屋です。


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制作者情報不詳の「プラクシテレス(紀元前4世紀頃のアッティカの彫刻家)作『エロース(恋愛の神)』の複製彫刻」
ファルネーゼ・コレクションです。


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青年の彫像


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サテュロス像


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玄武岩のトルソ(ヘレニズム末期)


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ゼウス・セラーピス
ゴンザーガ・コレクションです。


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オーケアノスの仮面(2世紀末‐3世紀初頭)


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古代陶器が展示されてます。


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黒地に赤や白で画像を描いたもので、古代ギリシャで流行しました。また赤地に黒で画像を描いたものも当時流行してました。


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古代ギリシャで流行した古代陶器を模倣してローマ時代にも多くの陶器が制作されました。


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取っ手が左右についているアンフォラと呼ばれる陶器


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紀元前6世紀の古代ギリシャの陶器


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紀元前6世紀の古代ギリシャ陶器


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白地に赤で描かれたアンフォラ


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古代陶器は考古学博物館の定番ともいえる展示物です。


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紀元前6世紀の古代ギリシャ陶器


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黒地に赤で描かれた陶器


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沢山あります。


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香油壺?


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黒地に赤で描かれたアンフォラ


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紀元前6世紀の古代ギリシャ陶器


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香油壺


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日が差し込んでいました。


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赤地に黒で描かれた古代ギリシャ陶器


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陶器のかけら


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テラコッタ製の奉納用の頭部(紀元前3‐2世紀)


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紀元前7世紀頃の陶器


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ブロンズ製副葬品


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コリント形式の兜(4世紀)


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大体見たようです。


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展示室の天井装飾


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出入口に向かいました。


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外に出ました。
(おわり)

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国立考古学博物館はピロッタ宮殿にあります。


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1760年、パルマ公爵フィリッポ・ディ・ボルボ―ネ(ブルボン)によって開館した博物館です。
2015年の年間入館者は20,169人でした。


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入館しました。


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ローマ時代のモザイク


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「女の胸像」(2世紀末)


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「男の胸像」(Eta Antoniana)


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「ルチオ・ヴェロ(ローマ、130‐169)の胸像」(2世紀)


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「女の胸像」(2世紀末)


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「少年の胸像」


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エジプトの棺
マリア・ルイージ女公爵はエジプト関連の考古学遺跡物の収集に熱心でした。


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26王朝の骨壺


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「Sacrofago di Shepsespath」


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エジプト遺跡からの発掘物


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「Sacrofago di Osoroeris」


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次の部屋です。


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「皇帝アントニウス・ピウス(138‐161)の頭像」


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少女の肖像


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ローマ時代の彫像が並んでます。


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部屋の天井装飾


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ローマ時代のモザイク


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小ドルスス(紀元前13‐23)
小ドルススはティベリウスの息子です。


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ルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌス(紀元前48‐32)


P2630308
カリグラ(12‐41)


P2630311
エリア・ドルシッラ(17‐38)
アウグストゥスの孫がエリア・ドルシッラで、エリア・ドルシッラの兄がカリグラです。


P2630313
小アグリッピナ(15‐59)
ネロの母が小アグリッピナです。ネロの近衛兵によって小アグリッピナは殺されました。


P2630315
ネロ(37‐68)


P2630317
大アグリッピナ(紀元前14‐33)
大アグリッピナはアグリッパの娘で、小アグリッピナの母です。


P2630320
大ドルスス(紀元前38‐紀元前9)


P2630323
ゲルマニクス・ユリウス・カエサル(紀元前15‐19)
ゲルマニクス・ユリウス・カエサルの妻が大アグリッピーナです。


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頭がありませんが、アウグストゥス?


P2630329
系図があると便利です。


P2630330
次の部屋です。


P2630331


P2630333


P2630336


P2630337


P2630339
(つづく)

P2630128
次の展示コーナーです。


P2630130
フィリッポ・マッツォーラ(パルマ、1460c‐1505)の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタとアッシジの聖フランチェスコ」(1491)


P2630132
ミケーレ・マッツォーラ(パルマ、1503‐1529記録)とピエル・イラリオ・マッツォーラ(パルマ、1476c‐1545最終記録)の「玉座の聖母子と聖ウルダリコと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジュゼッペ」(1510‐20c)


P2630135
フィリッポ・マッツォーラ(パルマ、1460c‐1505)の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジローラモ」(1490‐1500c)


P2630139
フィリッポ・マッツォーラ(パルマ、1460c‐1505)の「十字架を担ぐキリスト」(1490‐1500c)


P2630141
フィリッポ・マッツォーラ(パルマ、1460c‐1505)の「聖パオロの回心」(1490‐1500c)


P2630147
ベルナルド・ゼナーレ(トレヴィーリオ、1460c‐ミラノ、1526)の「玉座の聖母子」(1505‐10c)


P2630149
次の展示コーナーです。


P2630151
ヨザファト・アラルディ(モンテキアルゴロとパルマで1519‐1520記録)の「聖セバスティアーノ」


P2630154
べンヴェヌート・ティーシ通称イル・ガロファロ(フェラーラ、1476‐1559)の「受胎告知」(1530‐50c)


P2630157
べンヴェヌート・ティーシ通称イル・ガロファロ(フェラーラ、1476‐1559)の「天上の聖母子」(1510‐20c)


P2630160
べンヴェヌート・ティーシ通称イル・ガロファロ(フェラーラ、1476‐1559)の「羊飼いの礼拝」(1510‐20c)


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べンヴェヌート・ティーシ通称イル・ガロファロ(フェラーラ、1476‐1559)の「マギの礼拝」(1510‐30c)


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パルマの逸名画家作「聖母子」(15世紀末‐16世紀初頭)


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バルトロメオ・ラメンギ通称イル・バニャカヴァッロ・イル・ヴェッキオ(バニャカヴァッロ、1484‐ボローニャ、1542)の「聖家族と聖ジローラモ」(1510‐30c)


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ジョヴァンニ・ルテーリ通称ドッソ・ドッシ(サン・ジョヴァンニ・デル・ドッソ、1486c‐フェラーラ、1542)とバッティスタ・ドッシ(フェラーラ、1490‐1548)の「悪魔と戦う大天使聖ミケーレと昇天した聖母」(1533‐34)


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ジョヴァンニ・ルテーリ通称ドッソ・ドッシ(サン・ジョヴァンニ・デル・ドッソ、1486c‐フェラーラ、1542)の「エジプトへの逃避途中の休息」(1510‐20c)


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16世紀のフェラーラの逸名画家作「マギの礼拝」(1530‐40c)


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ジュゼッペ・マッツォーリ通称イル・バスタローロ(フェラーラ、1535c‐1589)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」(1560‐80c)


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アレッサンドロ・アラルディ(パルマ、1460c‐1528)の「受胎告知とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖セバスティアーノ」(16世紀第1四半世紀)


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クリストフォロ・カセッリ通称クリストフォロ・デイ・テンペレッリ(パルマ、1460c‐1521)の「聖母子」(15世紀末‐16世紀初頭)


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アレッサンドロ・アラルディ(パルマ、1460c‐1528)の「受胎告知」(1514)


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ジョヴァンニ・マルティーニ・ダ・ウーディネ(ウーディネ、1470/1475-1535)の「祈る救世主」(16世紀初頭)


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階上に向かいます。


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階上の展示は多くありません。


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ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ、1491-パルマ、1554)の「聖母子と天使たちと聖セバスティアーノと聖ロッコ」


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ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ、1491-パルマ、1554)の「聖ピエトロ・マルティーレ」(1530-32)


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16世紀のパルマの逸名画家作「ミケランジェロ・アンセルミ作『聖母子』の複製画」


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16世紀のエミリアの逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」


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フランチェスコ・マリア・ロンダ―ニ(パルマ、1490-1550)の「羊飼いの知らせ」(1530c)


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セバスティアーノ・ルチア―ニ通称セバスティアーノ・デル・ピオンボの領域(Ambito)の「オーストリアの聖マルゲリータ」(1545c)


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フランチェスコ・マリア・ロンダ―ニ(パルマ、1490-1550)の「授乳の聖母」(1520-30c)


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ポンポニオ・アッレグリ(コレッジョ、1521-パルマ、1593)の「聖母子と聖人たち(聖オルソラ、聖ルチア、聖ロッコ、聖クイリーノ)」(16世紀中頃)


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アンドレア・スクテッラーリ(ヴィアダーナ、1578-1598記録)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1586)


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ジャコモ・スピチョッティ通称スピリト・ジェンティーレ(パルマ、1520-1602)の「玉座の聖母子と聖フランチェスコと聖マカーリオと天使たち」(1554)


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ジュリオ・ピッピ通称ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499-マントヴァ、1546)の「天上のキリストと聖パオロとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1520c)


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ハンス・ホルバイン・イル・ジョーヴァネ工房の「エラズモ・ダ・ロッテルダム(人文主義者)の肖像」(1530)


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セバスティアーノ・ルチア―ニ通称セバスティアーノ・デル・ピオンボ(ヴェネツィア、1485c-ローマ、1547)の「教皇パオロ3世ファルネーゼと従者の肖像」(1534-40)


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ジローラモ・シチョランテ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1521-ローマ、1575)の「聖母子と大天使聖ミケーレと聖ジュゼッペと聖ジョヴァンニーノ」((1565-75)


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ジョルジョ・ガンディーニ・デル・グラーノ(パルマ、15世紀末生まれ-1538)の「授乳の聖母と聖ジョヴァンニーノと聖マリア・マッダレーナと聖エリザベッタ」(1530c)


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アーニョロ・ブロンズィーノ工房の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1572c)


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ルドヴィーコ・マルミッタ(パルマ、1503-1561以前没)の「カルヴァリオへの上り」(1525)


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フランチェスコ・マッツォーラ通称イル・パルミジャニーノ(パルマ、1503-カザールマッジョーレ、1540)に帰属する「男の肖像」(1515-30)


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16世紀中頃のポー川流域の逸名画家作「男の肖像」(16世紀中頃)


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パルマのサン・パオロ修道院の床です。


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1471年から1482年に制作されたものです。


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国立美術館で展示されている作品の大部分がファルネーゼコレクションと思っていましたが、ファルネーゼコレクションは意外に少ないようです。


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(おわり)

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1450年から1500年にかけてのパルマの絵画が展示されているコーナーです。


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Maestro della Madonna 57 di Parma の「聖母子と聖ジョヴァン・バッティスタと天使」(15世紀)


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ヤコポ・ロスキ(パルマ、1425‐カルピ、1504c)の「玉座の聖母子と聖ジローラモと聖ジョヴァン・バッティスタ」(1480‐90c)


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ヤコポ・ロスキ(パルマ、1425‐カルピ、1504c)の「玉座の聖母子と聖セバスティアーノと聖ロッコ」(1480‐90c)


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次の展示コーナーです。


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15世紀のパルマの逸名画家作「慈悲の行い」(15世紀中頃)


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15世紀のパルマの逸名画家作「慈悲の行い」(15世紀中頃)


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15世紀のパルマの逸名画家作「慈悲の行い」(15世紀中頃)


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15世紀のパルマの逸名画家作「慈悲の行い」(15世紀中頃)


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アーニョロ・デリ・エッリ(モデナ、1457‐1497記録)とバルトロメオ・デリ・エッリ(モデナ、1460‐1479記録)の「聖ピエトロ・マルティーレの生涯のエピソードのポリッティコ」(15世紀後半)
モデナのサン・ドメニコ教会にありました。


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聖ピエトロ・マルティーレ


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左上


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左中


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左下


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中央
欠落パネルが1枚あるようです。


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右上


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右中


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右下


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次の展示コーナーです。


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フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ(ボローニャ、1450‐1517)の「玉座の聖母子と5聖人(聖ベネデット、聖ジュスティーナ、聖スコラスティカ、聖プラチド、聖ジョヴァンニーノ)」(1515)


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フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ(ボローニャ、1450‐1517)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1510‐20c)


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フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ(ボローニャ、1450‐1517)の「死せるキリストへの哀悼」(1510‐15c)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・チーマ通称チーマ・ダ・コネリアーノ(コネリアーノ、1459/1460‐1517/1518)の「聖母子と聖ミケーレと聖アンドレア」(1498-1500)
背景はコネリアーノの風景です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・チーマ通称チーマ・ダ・コネリアーノ(コネリアーノ、1459/1460-1517/1518)の「玉座の聖母子と音楽天使と聖人たち(聖ジョヴァン・バッティスタ、聖コズマ、聖ダミアーノ、聖アポッロニア、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ?)」(1507)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・チーマ通称チーマ・ダ・コネリアーノ(コネリアーノ、1459/1460-1517/1518)の「眠るエンデュミオーン」(1505-10)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・チーマ通称チーマ・ダ・コネリアーノ(コネリアーノ、1459/1460-1517/1518)の「ミーダスの判断」(1505-10)


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ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオの領域(Ambito di)の「マギの礼拝」(15世紀第4四半世紀)


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ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオの領域(Ambito di)の「エジプトへの逃避」(15世紀第4四半世紀)


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レオナルド・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ、1452-アンブローズ、1519)の「若い女性の頭」(1500-10c)


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ベルナルディーノ・ブティノーネ(トレヴィーリオ、1453以前-1510)の「聖ジローラモ」


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詳細不明


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次の展示コーナーです。


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クリストフォロ・カセッリ通称クリストフォロ・デイ・テンペレッリ(パルマ、1460c‐1521)の「玉座の聖母子と聖イラーリオと聖ジョヴァン・バッティスタと音楽天使たちと永遠なる父と信者たち」(1499)


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クリストフォロ・カセッリ通称クリストフォロ・デイ・テンペレッリ(パルマ、1460c‐1521)の「戴冠の聖母」(1500‐10c)


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クリストフォロ・カセッリ通称クリストフォロ・デイ・テンペレッリ(パルマ、1460c‐1521)の「2音楽プット」(1500‐10c)


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クリストフォロ・カセッリ通称クリストフォロ・デイ・テンペレッリ(パルマ、1460c‐1521)の「2音楽プット」(1500‐10c)


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フランチェスコ・ダ・コティニョーラ通称ザガネッリ(コティニョーラ、1475c‐1532)の「ロランド・ポラヴィンチーノ一家の肖像」(1510‐20c)


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ロランド・ポラヴィンチーノと娘バルバラの肖像


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妻ドミティッロ・ガンバラの肖像


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ヴェネトの逸名画家作「男の肖像」(1500‐20c)
(つづく)

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