
Cappella Ovetariです。

礼拝堂のフレスコ画は1944年の米英軍の爆撃によって破壊崩落してしまいました。破壊された断片を集めて再構成・修復されたのです。

アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「聖母被昇天」(1453‐57)

詳細不明
マンテーニャの「聖母被昇天」の下台

Cappella Ovetariのフレスコ画は、アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)、アンスイノ・ダ・フォルリ(パドヴァ、15世紀活動)、ボーノ・ダ・フェラーラ(パドヴァ、1451活動記録)の3人による「聖クリストフォロの物語」
このフレスコ画の制作については、資金難による注文主とマンテーニャのトラブルがあって、途中でマンテーニャが制作から降りてしまい、アンスイノ・ダ・フォルリとボーノ・ダ・フェラーラが参画するようになったようです。

最上段はマンテーニャの作品です。

ボーノ・ダ・フェラーラ(パドヴァ、1451活動記録)の「子供と聖クリストフォロ」

アンスイノ・ダ・フォルリ(パドヴァ、15世紀活動)の「聖クリストフォロの説教」

アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「聖クリストフォロの殉教と遺体の移送」

アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「聖クリストフォロの遺体の移送」

Cappella Ovetariのフレスコ画、アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「聖ジャコモの物語」






フレスコ画があったと思われる壁龕

聖水盤

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中央礼拝堂前から見たファサード裏側方向

この礼拝堂の名称が分かりません。

アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330c‐ヴェローナ、1390c)の「キリストの鞭打ち」

この礼拝堂の名称が分かりません。

礼拝堂の祭壇

アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330c‐ヴェローナ、1390c)の「玉座の聖母子」

礼拝堂の右壁の作品(詳細不明)

横長の作品です。

パオロ・ヴェネトの墓

次の礼拝堂です。

詳細不明の磔刑像

制作者不明の「三位一体と聖アンドレアと2信者」

詳細不明




詳細不明

次の礼拝堂です。

詳細不明

フレスコ断片が残されてます。


Cappella Cortellieriの扉が閉まっていました。

鉄格子の間からカメラを入れて撮りました。

ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ、1330c‐パドヴァ、1390c)の「聖人たち」のフレスコ断片

ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ、1330c‐パドヴァ、1390c)のフレスコ断片



マドンナ・デル・ブオン・コンシーリオ(1467)

詳細不明

次の礼拝堂です。

制作者不明の「黄金門での聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅」

アンドリオーロ・ディ・サンティ別名アンドリオーロ・ダ・ヴェネツィア(ヴェネツィア、1320c‐1375c)とボニーノ・ダ・カルピオーネ(ロンバルド、1357‐1397活動)の「ウンベルティーノ・ダ・カッラーラの墓碑」(1345-51c)
19世紀初めに破壊されたサンタゴスティーノ教会にあったものです。








外に出る前に、もう一度中央礼拝堂を見ました。

外に出ました。

(おわり)