イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2020年06月

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ガッレリアに向かいました。


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ガッレリアの入り口でレオナルド・ダ・ヴィンチ展が行われていました。
手稿に記載されている機械、工夫などを模型によって具現化したものが展示されていました。


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ガッレリアに入りました。


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相変わらずの賑わいでした。


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ドゥオーモ広場とスカラ座方面を繋ぐ通路です。


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通路と通路の交差点四隅の店が時々変わります。


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この時はプラダが2つでしたが、4隅ともプラダだった時があったような気がします。


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ガッレリア中央の天井


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モザイク


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ミラノの紋章


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やってます!
牡牛の大事な所に踵を付けて、とまらずに3回転出来る幸福になれるそうです。


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数年前に修復されましたが、穴が出来てしまいました。
これってトリノの紋章なんです。
ミラノにサッカーチームが2つありますが、トリノの憎っきユヴェントスとの試合日前後に、トリノのシンボル牡牛の大事な所に踵を付けて回転させて、ファンの士気を高揚させたり、地元の勝利を祝したり、敗戦のうっぷん晴らしをするという別説があります。


151
修復されて間もないころ


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地元の人に聞いたことがありますが、ユヴェントス説を支持していました。


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ドゥオーモ広場に出ます。


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ドゥオーモ広場


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愛用のエルメデジルド・ゼニアの広告がありました。


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地下鉄で中央駅近くのホテルに戻りました。


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ミケランジェロが満室だったので、その向かいのホテルに泊まってました。


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特に問題なしのホテル


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それにしてもミラノのホテル代が高い!


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この時の旅の最後の夜なので、買い物に出ました。


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ブエノス・アイレス通りのスーパーに行きました。


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翌朝です。生憎の雨天でした。


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ドゥオーモ付近の教会を巡ります。


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トリノ通り


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マルペンサからの成田直行便に乗るので、午前10時半までにはホテルに戻りたいところです。


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サン・サティーロ教会


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拝観しました。


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写真不可なので、中の写真がありません。


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(つづく)

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ポルディ・ペッツォーリ美術館は、この日の翌日に行きました。


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次はサン・フェデーレ教会です。


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この日の公演はありません。


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スカラ座前からサン・フェデーレ教会が見えます。


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サン・フェデーレ教会です。正式名はChiesa di Santa Maria della Scala in San Fedeleと言います。
313年、この場所に建てられたサンタ・マリア・イン・ソラリオ―ロ教会が前身です。11世紀、奉献する聖人を聖フェデーレに変更すると共に、サン・フェデーレ教会と呼称されるようになりました。


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現在の建物は、16世紀に聖カルロ・ボッロメオが、反宗教改革を目的にイエズス会の教会として建設されました。


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ペッレグリーノ・ティバルディ(ピューリア、1527-ミラノ、1596)の設計によって、1569年に創建され、1579年に活動が行われる状態になったマニエリスム様式の建物です。
1579年、聖カルロ・ボッロメオによって奉献式が執り行われました。
1586年、建設工事は建築家マルティーノ・バッシ(セレーニョ、1542-ミラノ、1591)に引き継がれ、更に1629年、建築家フランチェスコ・マリア・リッチーニ(ミラノ、1584-1658)に引き継がれて完成しました。


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クーポラは、アンドレア・ビッフィ(ミラノ、1645-1686)の設計によって1684年に建設されました。


163
1773年、イエズス会活動抑止令によって教会活動が停止されてしまい、ファサードが1776年に取り壊されました。
現在のファサードは、建築家ピエトロ・ペスタガッリ(ミラノ、1776-1853)によって、ペッレグリーノ・ティバルディ設計に基づくオリジナルのファサードに出来るだけ忠実に復元(1835年)されたものです。


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サン・フェデーレ広場に、フランチェスコ・バルザーギ(ミラノ、1839-1892)の「アレッサンドロ・マンゾーニのモニュメント」(1883)があります。
アレッサンドロ・マンゾーニ(ミラノ、1785-1873)は詩人、作家ですが、1873年、サン・フェデーレ教会から外に出るときに躓いて大怪我をし、それがもとで死去したのです。


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ファサードの最上部は、ガエターノ・マッテオ・モンティ(ラヴェンナ、1776-ミラノ、1847)の「聖母被昇天」


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ファサードの彫刻


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教会の説明プレート


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教会の構造図


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教会内に入りました。


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単廊式、マニエリスム様式の内部です。翼廊がありません。


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左右に2つづつの礼拝堂があります。


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天井にイエズス会の紋章があります。


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Cappella della Deposizione


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シモーネ・ペテルツァーノ(ベルガモ、1535-ミラノ、1599)の「十字架降下」(1573-78c)


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説明板があります。


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詳細不知


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制作者情報等詳細不知の「キリストの洗礼」


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ペッレグリーノ・ティバルディのCappella Spinola- Rezzinico


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ベルナルディーノ・ルイーニ派逸名画家作「スカラの聖母」(16世紀)


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主祭壇


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クーポラ


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Cappella di Sant' Ignazio


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ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(ロマニャーノ・セーシャ、1573-ミラノ、1632)の「聖イグナツィオ・ディ・ロヨラの幻視」(1622)


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詳細不知


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詳細不知の磔刑像


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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サン・マルコ教会を後にしました。


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ブレラ通りに来ました。


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ここに来た目的は勿論ブレラ絵画館です。


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美術学校の生徒の奇抜な服装が面白い。


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修復中だったナポレオン像です。


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入館しました。


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展示作品はすべて一級です。


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ヴェネツィア派絵画が充実しています。


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ルカ・シニョレッリの作品


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ブレラ絵画館については、既に2回取り上げました。


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かなり空いていました。


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外に出ました。


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ブレラ絵画館に何回入荷しても何時も感激します。


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どうしても館内に長くいるので、疲れます。


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旧サン・カルポフォロ教会です。


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非常に印象的なファサードです。


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旧サン・カルポフォロ教会の後陣


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フランチェスコ・アイエツのモニュメント


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フランチェスコ・バルザーギ(ミラノ、1839-1892)の「フランチェスコ・アイエツのモニュメント」(1890)


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17世紀に建設され、18世紀に改造されたPalazzo Cusani
ロンバルディア軍の司令部が置かれてます。


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スカラ座方向に歩きます。


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サンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


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Via Ciovasso


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写真左はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


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突き当りはブレラ通りになります。


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ブレラ通りに戻りました。


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次はサン・ジュゼッペ教会です。


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サン・ジュゼッペ教会です。


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フランチェスコ・マリア・リッチーニ(ミラノ、1584-1658)の設計によって1607年から1630年に建設されたロンバルド・バロック様式の教会です。


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ファサードの彫刻はルイージ・スコルツィーニ(ミラノ、1799-1839)によります。


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ルイージ・スコルツィーニ(ミラノ、1799-1839)の「聖家族」


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中に入りました。


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アンドレア・ランツァーニ(ミラノ、1645-1712)の「聖家族」(1712)


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外に出ました。


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(つづく)

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この日は、ポルタ・ガリバルディ駅から街歩きを始めました。


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直ぐにガリバルディ門が見えます。


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ジャコモ・モラーリア(ミラノ、1791-1860)によって1826年から18128年にかけて建設されたガリバルディ門です。


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ローマ時代に築かれた城壁の門が前身です。


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カドゥケウスの図像(交通のシンボル)


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門の横にある建物


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コルソ・ガリバルディから見たガリバルディ門


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コルソ・ガリバルディ


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サンタ・マリア・インコロナータ教会


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左が教会、右が修道院の所謂「二重教会」の建物です。


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15世紀に建設されました。


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扉が閉まっていました。


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ファサードのトレンティーノの聖二コラ像


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戴冠した聖母像


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教会前の広場


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マルサラ通り


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ガリバルディ通りを進みます。


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サルヴァトーレ・ピサーニ(モンジャーナ、1859-ミラノ、1920)の「ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッティのモニュメント」(1894)
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッティ(ミラノ、1813-1867)は、圧縮空気ドリルを発明したエンジニアです。鉄道トンネルの掘削において、ピアッティの圧縮空気ドリルが飛躍的に効果を上げたのです。


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この辺は19世紀に再整備された地域です。


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新しい建物ばかりで詰まらない。


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ミラノの繁華街の一つです。


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サン・シンプリチャーノ聖堂に向かいます。


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聖堂はもう直ぐです。


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ガリバルディ通りの左側に聖堂があります。


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サン・シンプリチャーノ聖堂にやってきました。


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4世紀に建設された初期キリスト教会が前身です。


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異教の墓地がありましたが、葬儀用祈り場を初期キリスト教会に改造されたようです。


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9世紀に大きな礼拝堂が併設されました。


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11世紀から13世紀に大改修されました。


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ファサード・ルネッタのモザイク


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サン・シンプリチャーノ通りです。


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ガリバルディ通りに戻りました。


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写真右に面白い建物があります。


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1859年に建設されたTeatro Fossatiです。


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ユニークなファサードです。


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次の交差点を左折します。


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ポンタッチョ通りに入りました。


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ポンタッチョ通りを更に進みます。


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次はサン・マルコ教会です。


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ブレラ絵画館に近い。


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サン・マルコ教会にやってきました。


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1245年に創建された教会です。


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モーツァルトが3か月ほど滞在したことでも知られてます。


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1874年、ヴェルディ作曲のレクイエムが初演された教会です。
1871年に復元されたファサード。


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バラ窓


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ジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョ(ピサ、1300c-1349c)に帰属する「三聖人」


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入口扉上ルネッタのモザイクは、アンジェロ・インガンニ(ブレーシャ、1807-グッサーゴ、1880)のフレスコ原画に基づきます。


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扉が閉まっていました。


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(つづく)

333
サンタ・マリア・プレッソ・サン・チェルソ聖堂にやってきました。扉が開いていました。


331
Basilica e Santuario di Santa Maria dei Miracoli presso San Celsoが正式名です。
1950年、Basilica Minoreに格付けされました。
写真右はサン・チェルソ教会です。presso=近くの、という意味ですから、サン・チェルソ教会近くのサンタ・マリア・デイ・ミラコリ聖堂聖域と訳せば良いと思います。


329
本題とはあまり関係がありませんが、サン・チェルソ教会は、4世紀に創建された歴史ある教会で、現在の建物は11世紀に再建されたものです。ネオ・ロマネスク様式のファサードは、19世紀に改装された
ものです。
外観では、11世紀の再建された鐘楼が目立ちます。


327
地図があって分かり易い。


330
ジャン・ジャコモ・ドルチェブオーノ(ルガーノ、1445c-ミラノ、1504)とジョヴァンニ・バッタージョ(ローディ、15世紀―?)の設計によって1493年に建設工事が開始されました。
外壁を囲む柱廊は、チェーザレ・チェザリアーノ(ミラノ、1475-1543)、クリストフォロ・ロンアバルド通称イル・ロンバルディーノ(?、?-ミラノ、1556)などによって16世紀初頭に建設されました。


332
八角形のクーポラは、ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447-ミラノ、1522)の設計によって1494年に建設が始められました。


258
Quadriportico


320
ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447-ミラノ、1522)の設計によるQuadriportico


257
マニエリスム様式のファサード


260
ヴィンチェンツォ・セレーニ(セレーニョ、1519/1520-ミラノ、1594)の設計原案に基づきガレアッツォ・マレッシ(ペルージャ、1512-1572)の設計によって、マルティーノ・バッシ(セレーニョ、1549-ミラノ、1591)が1570年に完成させたファサードです。


261
ファサードの彫刻


262
ストルド・ロレンツィ(セッティニャーノ、1534-ピサ、1583以降没)とアンニーバレ・フォンターナ(ミラノ、1540-1587)によるファサードの彫刻


263


256
音楽天使たちの彫刻


310
聖堂内部に入りました。


265
三廊式、ルネサンス様式の内部です。


266
1565年、聖カルロ・ボッロメオは反宗教改革を表明しましたが、それに沿って内装されたと言われてます。


268
詳細不知


269
ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(チェラーノ、1573-ミラノ、1632)による天井フレスコ


270
詳細不知


272
詳細不知


274
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「聖ナザーリオと聖チェルソの殉教」(1607)


277
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「聖家族と聖ジローラモ」


281
アントニオ・カンピ(クレモナ、1522-1587)の「キリストの復活」


285
カルロ・ウルビーノ(クレマ、1525-1585)の「聖母被昇天」


287
ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「キリストの洗礼」


288
カルロ・ウルビーノ・ダ・クレマ(クレマ、1525-1585)の「祝福を受けるキリスト」


290


292
詳細不知


293
詳細不知


294
詳細不知


295
左側廊天井


297
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551-ミラノ、1629)の「聖母被昇天」


302
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「キリストの遺体の移送」


305
ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(チェラーノ、1573-ミラノ、1632)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」(1603)


308
下の部分が有名です。涙の聖母と聖ナザーリオと聖チェルソ


309
アンドレア・アッピアーニ(ミラノ、1754-1817)のフレスコ画


311
詳細不知の磔刑像


312
主祭壇と後陣


313
アンドレア・アッピアーニ(ミラノ、1754-1817)のフレスコ画


314


315
左側廊


316
詳細不知


318
詳細不知


322


323


326


334
外に出ました。
(つづく)

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ドゥオーモの続きです。
壮大な柱に圧倒されます。


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一部修復工事中でした。
五廊式ですね。


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詳細不知


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エネア・サルメッジャの「聖母の結婚」


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マルコ・カレッリの墓(1394)


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聖カルロ・ボッロメオの墓


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外に出ました。


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外壁を見て回りました。


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ドゥオーモ広場


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サン・フェデーレ教会は閉まっていました。


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ファサード前のアレッサンドロ・マンゾーニ像


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サン・フェデーレ教会の身廊


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この日の公演はありませんでした。


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ポルディ・ペッツォーリ美術館に向かいます。


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毎年訪れてます。


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入館しました。


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ポルディ・ペッツォーリ美術館に付いては既に取り上げました。


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P2640611


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(つづく)

418
次はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


419
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会はブレラ地区にあります。


420
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。
広場にある奇妙なモニュメントにガックリ。


421
13世紀に建設されたカルメル会の修道院教会が前身です。14世紀、ここにいた修道士が別の修道院に移って最初の建物が放棄されました。
放棄された建物は急速に荒廃したので、1400年から1446年に建設された後期ゴシック様式で再建された建物が現在の姿の原形です。


422
17世紀にバロック様式に改造されました。
また、ファサードは、カルロ・マチャキーノ(インドゥーノ・オローナ、1818-ヴァレーゼ、1899)の設計によって1880年に建設された比較的新しいものです。


423
中央扉上ルネッタのモザイク


425
ファサードのテラコッタ「受胎告知する大天使」


426
「受胎告知される聖母」


427


462


429
中に入りました。


431
三廊式、ゴシック様式の内部です。


430
右側廊


434
ジョヴァンニ・マウーロ・デッラ・ローヴェレ通称イル・フィアッメンギーノ(ミラノ、1575-1640)の「キリストの神殿奉献」


436
17世紀の逸名画家作「磔刑」


437
フェデリーコ・ビアンキ(マスナーゴ、1635-ミラノ、1719)の「キリストとアヴィーラの聖テレーザ」


441
詳細不知


442
詳細不知


443
ミサが始まりそうです。


444


446
17世紀中頃の逸名画家作「聖母子と聖ゴッタルドと聖モニカ」(1641)


447
ベルゴニョーネ派逸名画家作「磔刑」(16世紀)


448
ベルゴニョーネ派逸名画家作「羊飼いの礼拝」(16世紀)


450
Cappella del Sacro Cuore


451
詳細不知


453
詳細不知


454
詳細不知のフレスコ画


455
詳細不知のフレスコ画


456
詳細不知の礼拝堂天井のフレスコ画


463
外に出ました。


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一旦ホテルに戻りました。


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中央駅近くを散策しました。


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見所は殆どありません。


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道路がほぼ碁盤の目になっているので迷うことはありません。


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中央駅付近はホテルが林立する地域です。


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Oratorio di San Gregorio Magno


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夜遅くに開くようです。


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一度も拝観したことがありません。


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トラムでドゥオーモへ。


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何時も外観を見るだけに終わっています。


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久し振りに拝観することにしました。


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聖堂内に入りました。


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(つづく)

341
詳細不知の「聖母子と聖ジローラモと聖ロッコ」


347
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453-ミラノ、1523)の「復活したキリスト」(15世紀末)


349
柱に描かれたフレスコ画


350
柱に描かれたフレスコ画


351
Ciborio


353
アンドレア・ランツァーニ(ミラノ、1645-1712)の「聖アンブロージョの最後の聖体拝領」


355
詳細不知


356
詳細不知


357
詳細不知


358
5世紀のモザイク


361


388


391


359


360


363
ここから宝物室の展示です。
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453-ミラノ、1523)の「キリストと博士たち」(16世紀)


366
ジョヴァン・ステファノ・ダネーディ通称イル・モンタルト(トレヴィーリオ、1612-ミラノ、1690)の「聖カルロ・ボッロメオと聖フェデリーコ・ボッロメオ」(17世紀)


369
4世紀のもの


370
黄金の3聖人のモザイク


371
詳細不知


373
ベルナルディーノ・ゼナーレ派逸名画家作「聖母子と聖アンブロージョと聖ジローラモ」(15世紀)


376
アンブロージョ・ベソッツィ(ミラノ、1648-1706)の「介抱される聖セバスティアーノ」(17世紀)


378
墓です。


392
ベルナルドとアンセルモ1世の墓


379
詳細不知


380
詳細不知のプレセピオ


381
グリエルモ・コッタの墓のフレスコ(1267)


382
祭壇前飾り


383


384
詳細不知のフレスコ


387
詳細不知


393
聖具類の展示です。


394


395


396
詳細不知


397
クリプタに入ります。


399
半地下となっているので、外から光が入ります。


398
この先に聖アンブロージョの遺骸がありますが、行けないようになっていました。


400
クリプタから新キオストロに出ました。


401
新キオストロ


402
ブラマンテの作と言われているCanonica(司教館)の回廊


404
写真右がCanonica(司教館)の回廊です。


403
Oratorio di San Sigismondo


405
11世紀に建設されたオラトリオ


407
かなりの修復箇所が認められます。


409
オラトリオの後陣


411
聖堂の柱廊に戻りました。


412
聖堂の入り口扉の装飾


413
柱頭


414


415
アトリウム


416
アトリウムの柱廊


417
外に出ました。
(つづく)

288
トラムに乗ってサンタンブロージョ聖堂にやってきました。


297
聖堂前の広場には観光客が大勢いました。私もその中の一人です。


289
Campanile dei Canoniciは修復工事中でした。
Basilica Collegiata Abbaziale Prepositurale di Sant' Ambrogio、略してサンタンブロージョ聖堂です。


291
ミラノ司教聖アンブロージョ(トーリア、339/340‐ミラノ、397)の要請に基づき、379年から386年にかけて建設された教会です。386年、聖アンブロージョが奉献式を執り行いました。


292
入口のアトリウムに入ります。


293
現在の姿は、9世紀から11世紀にかけて再建されたロンバルディア・ロマネスク様式の建物になってますが、現在に至るまで修復が繰り返されてます。


295
アトリウムの柱廊


294


296
写真右の鐘楼は、9世紀に建設されたCampanile dei Monaciです。


298
写真左の修復中の鐘楼は、12世紀に建設されたCampanile dei Canoniciです。


501
修復工事後のCampanile dei Canonici


299
柱廊の壁に残るフレスコ画


500


303
聖堂内に入りました。


302
身廊と側廊がアーケードで仕切られてます。


301
右側廊


305
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551‐ミラノ、1629)の「テオドシウス帝を聖堂の前で制止する聖アンブロージョ」


307
ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・ヴェルヴァ(ノヴァーラ、1515c‐ミラノ、1580)の「十字架降下」(1545)
ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・チェルヴァは、ガウデンツィオ・フェラーリの弟子で、ガウデンツィオの追随者、協力者でした。


308
ガウデンツィオ・フェラーリ派逸名画家作「天使たち」(1545)


309
ガウデンツィオ・フェラーリ派逸名画家作「天使たち」(1545)


311
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696‐マドリッド、1770)のフレスコ画


313
ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「聖母子と聖バルトロメオと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(1540)


315
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の「聖サティーロの難破」(1737)
聖サティーロは、聖アンブロージョの弟です。


316
カルロ・ドネッリ通称イル・ヴィメルカーティ(1661-1715)の「皇帝の前の聖セバスティアーノ」


317
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c-ミラノ、1532)の「福音書記者たちのトンド」


318
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c-ミラノ、1532)の「福音書記者たちのトンド」


320
Cappella Santi Bernard e Benedetto


322
フィリッポ・アッビアーティ(ミラノ、1640-1715)の「教皇の前の聖ベルナルド」


321
カルロ・プレーダ(ミラノ、1651-1729)の「聖ベネデットの死」


323
クーポラの装飾


326
ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


329
Cappella San Giorgio


330
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「聖ジョルジョの物語」


331


328
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「竜を退治する聖ジョルジョ」


334
主祭壇


333
後陣のモザイク(4-8世紀)


335


340
説教壇とスティリコの石棺


338
石棺の彫刻


337


336
(つづく)

096
Aula della monache


083
Aula della monacheの反対側


088
この部屋にもフレスコ画が一杯です。ベルナルディーノ・ルイーニと彼の息子たちによってフレスコ画が制作されましたが、場面毎の作品帰属がすべて明確になっているわけではないようです。


063
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「最後の晩餐」
ジョヴァン・ピエトロはベルナルディーノ・ルイーニの3男、アウレリオはベルナルディーノ・ルイーニの4男、末っ子です。


064
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「十字架降下」


065
「キリストの鞭打ち」


066
「キリストの逮捕」


067
「ピラトの前のキリスト」


068


071
アウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「ノアの箱舟の物語」


072
アウレリオ・ルイーニの画風の特徴がよく出た傑作です。


074
ベルナルディーノ・ルイーニの4人の息子のうち、最も技量が優れていたのはアウレリオだったと思います。


075
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「アレッサンドリアの聖カテリーナと聖アガタ」


076
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「キリストの埋葬」


077
「聖骸布に包まれるキリスト」


078
「我に触れるな」


079
詳細不知


080


081
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「カルヴァリオへの上り」


082
詳細不知


084


085
ジョヴァン・ジャコモ・アンテニャーティのオルガン(1554)


087


089
「キリストの嘲笑」


097
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「カナの結婚」


090
「ユダの裏切り」


091
Aula dei Fedeli に戻りました。


099
旧女子修道院のキオストロに行きました。


100
回廊に遺跡からの発掘物が置かれてます。


102
ミラノ市立考古学博物館としての展示でしょう。


101
入館しましたが、この時は写真不可でした。


105
外に出ました。


493
トラムを乗り継いで、スカラ座前で降りました。


492
サン・ジュゼッペ教会が閉まっていました。


490
ブレラ通り


469
ブレラ美術館にやってきました。


471
館長を務めていたフランチェスコ・アイエツのブロンズ像


472


473


474


475
入館する前に一休みしました。


476
この階段が結構キツイ。


477


480


481
入館しました。


488
外に出ました。
この当時、中は写真不可でした。


487
美術館は疲れます。


489
(つづく)

103
次はサン・マウリツィオ教会です。


104
ルイーニ通りに面して建つPalazzo Littaです。
1642年建設着工、1761年にファサードが完成したロココ様式の建物です。


019
道路を挟んでPalazzo Littaの向かいにあるサン・マウリツィオ教会です。


020
Chiesa di San Maurizio al Monastero Maggiore


021
初期キリスト教の女子修道院の教会が前身です。その女子修道院はカロリング朝時代の文書に記載されています。ミラノで裕福な修道院として知られていたそうです。
現在のルネサンス様式の教会建物は、ジャン・ジャコモ・ドルチェブオーノ(ルガーノ、1445c‐ミラノ、1510)とジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447‐ミラノ、1522)の設計によって、1503年から1509年に再建された二代目となるものです。


023
写真右側に修道院の門があります。
修道院は、1798年に閉鎖され、一度も修道院活動を再開することなく、兵舎、女学校、病院として使用された後、現在はミラノ市立考古学博物館になってます。


022
中はフレスコ画の宝庫です。


025
中に入りました。
L' Altar maggiore nell' Aula dei Fedeli


093
左側壁


092
場面毎に見て行きます。


091
フレスコ画、祭壇画はAula dei Fedeli だけではありません。


095
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「聖チェチリアと聖オルソラ」(1530c)


043


044
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「聖マウリツィオの殉教」、「聖母被昇天」


046
ボケ写真で申し訳ありません。
アントニオ・カンピ(クレモナ、1524‐1587)の「マギの礼拝」(1578)


047
ベルナルディーノ・ルイーニの「聖女」、「聖ルチア」


048
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「イッポリータ・スフォルツァと聖人たち」(1530c)


049


050
アウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)によって描かれたCapella Bentivoglioのフレスコ画(1570)
ベルナルディーノ・ルイーニには、トビア、エヴァンジェリスタ、ジョヴァン・ピエトロ、アウレリオの4人の息子がいました。アウレリオは4番目の息子でした。


054
Cappella Besozzi


053
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「荊刑のキリスト」(1530)


056
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの奇跡」


055
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの斬首」


026
シモーネ・ペテルツァーノ(ヴェネツィア、1535‐ミラノ、1599)の「商人たちの寺院からの追放」


028
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「キリストの復活」(1555)


029
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「我に触れるな」(1555)
ベルナルディーノ・ルイーニには4人の息子がいましたが、ジョヴァン・ピエトロは3番目の息子、アウレリオは末っ子でした。


030
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1599)の「エマオのキリスト」(1555)
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニの生年、没年が分かっていないようです。


034
エヴァンジェリスタ・ルイーニの「聖ステファノの殉教」(1550c)
エヴァンジェリスタ・ルイーニは、ベルナルディーノ・ルイーニの次男です。


035
エヴァンジェリスタ・ルイーニの「聖ステファノの説教」(1550c)


036
エヴァンジェリスタ・ルイーニの「フランチェスコ・カッレートの肖像」(1550c)
カッレート家はミラノ有力貴族でした。フランチェスコはカッレート家の当主でした。


041
Cappella Carreto


038
エヴァンジェリスタ・ルイーニの「キリストの洗礼」(1545)


040
ビアージョ・アルチンボルド(アルチンボルディ)とジュゼッペ・アルチンボルド(アルチンボルディ)(ミラノ、1526‐1593)の「Imposizione del nome a San Giovanni Battista」
ビアージョはジュゼッペの父。


039
ビアージョ・アルチンボルド(アルチンボルディ)とジュゼッペ・アルチンボルド(アルチンボルディ)(ミラノ、1526‐1593)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


059
詳細不知


060
詳細不知


061
詳細不知
(つづく)

235
この日は曇りでした。


234
夕方にミラノに到着しました。美術館に行くには時間が足らないので、教会巡りをすることに。


238
こちらの教会は修復工事のため、観光客の立ちリが制限されていました。


239
サンテウフェミア聖堂に向かいます。


240
サン・ジョヴァンニ・イン・コンカ教会の残骸を通り過ぎます。


241
サンテウフェミア聖堂は、コルソ・イタリアのサンテウフェミア広場にあります。


242
Palazzo del Touring Club Italiano


243
サン・パオロ・コンヴェルソ教会です。


252
1549年から1580年に建設されたバロック様式の教会です。


255
ファサードは、ジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(ロマニャーノ・セーシャ、1573‐ミラノ、1632)の設計によって1619年から1631年に建設されました。


250
通りを挟んで、サン・パオロ・コンヴェルソ教会の隣にあるのがサンテウフェミア聖堂です。


249
472年頃、聖セナトーレ司教によって建てられた古い歴史ある教会です。


251
15世紀に再建され、16世紀に大掛かりな改修を受けました。
現在の姿は、1870年に行われた改造後のものです。


335
聖堂の扉が開きました。


245
ファサード柱廊のモザイク


246
ラヴェンナのモザイクを参考にして制作されたそうです。


247


248


363
聖堂内に入りました。


364
左側壁


365
右側壁


337
ルイージ・カヴェナーギ(カラヴァッジョ、1844‐ミラノ、1918)のフレスコ画


345
アゴスティーノ・カイローニ(1820‐1907)の後陣フレスコ画


338
マルコ・ドッジョーノ(オッジョーノ、1475c‐ミラノ、1524c)の「聖母子と聖人たちと音楽天使たち」


340
詳細不知


341
詳細不知


344
詳細不知


347
詳細不知


349
詳細不知


352
ベルナルディーノ・ベルゴニョーネ(ミラノ、1455/1460-1525)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


353
マルコ・ドッジョーノ(オッジョーノ、1475c-ミラノ、1524c)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


355


356
シモーネ・ペテルツァーノ(ヴェネツィア、1535-ミラノ、1599)の「聖霊降臨」


359
詳細不知


361
アウグスト・ロッジャ(サンジャーノ、1896-ガルド―ネ・リヴェイラ、1962)の「聖母子と聖人たち」


362


366
外に出ました。


003
次はラルゴ・カイローリにあるサンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会です。


004
サンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会です。
1471年、ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァによって建設された礼拝堂が前身です。1492年、礼拝堂はアウグスティヌス修道会の所有となりました。


017
現在の建物は、1588年に再建され、1836年に現在の姿に改造されたものです。


005
ミラノのフィリピン人たちの教会となってます。


006
中に入りました。


009
左側壁


008
右側壁


016
主祭壇画の「ピエタ」(制作者情報不知)


013
詳細不知


011
エネア・サルメッジャ(ネンブロ、1575以前-ベルガモ、1626)の「聖アンドレアの殉教」(1604)


010
詳細不知


018
外に出ました。
(つづく)

158
Parco delle Basiliche

157
Basilica Collegiata Prepositurale di San Lorenzo Maggiore


159
サンタ・マリア・デッラ・ヴィット―リア教会です。


161
1629年から1669年にかけて再建されたバロック様式の建物です。


163
1996年にルーマニア正教会の所有となったので、オルトドッサ・ルメーナ(ルーマニア正教会)教会とも呼ばれてます。


164
サンタ・マリア・デッラ・ヴィット―リアは中世のティチネーゼ門の前にあります。


162
中世のティチネーゼ門です。


160
11世紀に築かれた城壁のうち、残っているのはこの門だけです。


169
門を潜って11世紀の城壁内に入りました。
現在の門の姿は、1861年に建築家カミッロ・ボイト(ローマ、1836‐ミラノ、1914)によって大きく改造された後のものです。


166
門を潜ると、3‐4世紀の異教寺院の遺跡があります。


168
異教寺院のコリント式列柱


173
異教寺院遺跡は若者たちの憩いの場となってます。


177
コリント式列柱の保護のために、この区間だけトラムが単線になってます。


170
サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂です。


172
聖堂ファサード前に立つのは、ミラノ勅令を出したコンスタンティヌス帝像です。


174
サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂を拝観しました。


175
外に出ました。


176
床屋に行きます。


171
イタリアにおける唯一の散髪経験をした店。


178
サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂の横を通ってトリノ通りの教会に向かいました。


180
サン・ジョルジョ・アル・パラッツォ教会です。


182
聖ジョルジョのコンスタンティヌス軍事騎士団によって12世紀に建設された教会です。
ファサードは18世紀のものです。


181
ファサードの装飾


179
19世紀末に追加されたクーポラ。


183
拝観しました。
次はサン・セバスティアーノ寺院です。


185
サン・セバスティアーノ寺院です。


186
Civico Tempioなんてあるんですね。


184
ペッレグリーノ・ティバルディの設計によって、1577‐1616年に建設されたマニエリスム様式の教会です。


187


189
トリノ通りに面して建ってます。


190


191
4‐5世紀に建設されたサン・ジョヴァンニ・イン・コンカ教会だった残骸です。


192
次はサント・ステファノ・マッジョーレ聖堂です。


193
聖堂はサント・ステファノ広場にあります。


194
サント・ステファノ・マッジョーレ聖堂です。


196
417年に建設されたサン・ザッカリア教会が前身です。10世紀に奉献する聖人が聖ステファノに変更され、サント・ステファノ教会に名称が変更されました。
1070年に火災のために消失したので、1075年にロマネスク様式で再建されました。


209
1476年12月26日、聖堂内でミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(フェルモ、1444‐ミラノ、1476)が暗殺されたことで有名です。


208
また画家のカラヴァッジョ(本名:ミケランジェロ・メリージ)がこの聖堂で1571年9月30日に洗礼を受けました。
2007年2月、カラヴァッジョの洗礼記録が発見され、カラヴァッジョのミラノ生まれが確定したのです。


203
ファサードの彫刻


205


204
聖堂の入り口


198
聖堂内に入りました。


200


199


201
出入口方向


207
外に出ました。


195
サント・ステファノ・マッジョーレ聖堂の横にあるサン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサ教会です。


202
1127年に建設された納骨堂が前身です。


210


211
すっかり夕方になりました。


212
23番のトラムに乗車して移動しました。


213
ドゥオーモ広場に戻りました。


215
(つづく)

198
王宮にも入館しました。この当時、中は写真不可でした。


197
次はドゥオーモ博物館です。


195
博物館に入館しました。


194
写真不可だったので、ドゥオーモ博物館の写真がありません。


212
トラムで移動しました。


112
ヴェネツィア門です。


113
こちらもヴェネツィア門です。左右に門があります。


114
Corso Buenos Aires


115
再びトラムに乗り、ティチネーゼ門通りにやってきました。


117
通りの突き当りにあるのがティチネーゼ門です。


116
ティチネーゼ門の手前に教会があります。


119
1396年に建てられたベネデット会の礼拝堂が前身です。1568年、聖カルロ・ボッロメオによって建設されたサン・ゴッタルド・アル・コルソ教会です。


118
ファサードの装飾


120
ナポレオン時代の1802年から1814年に建設された新古典様式のティチネーゼ門です。


121
ティチネーゼ門通りを後戻りします。


122
サンテウストルジョ聖堂です。


123
ポルティナーリ礼拝堂が最大の見所ですが、拝観有料となってます。
聖堂ファサードの裏側に教区美術館があり、現在、教区美術館とポルティナーリ礼拝堂が共通扱いとなってます。


124
ファサード中央扉上ルネッタのフレスコ画


127


125


126
こちらの扉からもポルティナーリ礼拝堂に行くことが出来ます。


128
教区美術館に向かいます。


129
旧サンテウストルジョ修道院の建物


130


131
サンテウストルジョ聖堂の裏側に回りました。


132
教区美術館です。


134
教区美術館に入館すると共に、ポルティネーリ礼拝堂を拝観しました。
この当時、何れも写真不可だったので、写真は一枚もありません。


136
教区美術館の横は公園になってます。


137
公園から見たサンテウストルジョ聖堂


138


139


140


141


142


143
派手な装飾の建物


144
次はサンタ・マリア・プレッソ・サン・チェルソ聖堂です。


145
サンタ・マリア・プレッソ・サン・チェルソ聖堂です。


146
1950年、Basilica Minoreに格付けされました。


147
ファサードの天使たちの彫像が特徴です。


148
扉が開きません。


149
クーポラ


150


152


153
聖堂の後方は公園です。


154
公園の噴水


151


155
(つづく)

008
ミラノ中央駅に到着しました。


007
この日のお宿に向かいます。


003
今回のお宿は中央駅横のミケランジェロです。見本市と重ならない時期だったので、リーズナブルな値段で泊まることが出来ました。


001
大きな荷物をフロントに預けて、身軽になったので早速街歩きの開始です。


006
旧市街に向かいますが、公共交通機関の切符が必要です。


005
地下鉄よりもトラム派です。


004
何時も切符を買う店が消えていたので、切符を買うために中央駅へ。


200
トラムで旧市街へ。


147
ドゥオーモに到着。


148
特に来るつもりではなかったけれど、ごく自然に来てしまいました。


149
エルコーレ・ローザ(ローマ、1846‐1893)の「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のモニュメント」(1879‐96)


150


151
修復が終わりました。


153
未だ穴が開いていません。


160
スカラ広場


154
ピエトロ・マーニ(Magni)(ミラノ、1816‐1877)の「レオナルド・ダ・ヴィンチのモニュメント」(1859‐72)


159
レオナルド・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ、1452‐アンボワーズ、1519)
彼の足元に4人の弟子たちの像があります。


158
ジャン・ジャコモ・カプロッティ通称イル・サライ(アンドレア・サライーノ)(ヴィメルカーテ、1480‐ミラノ、1524)


157
チェーザレ・ダ・セスト(セスト・カレンデ、1477‐ミラノ、1523)


156
マルコ・ドッジョーノ(オッジョーノ、1475c‐ミラノ、1524c)


155
ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラフィオ(ミラノ、1467‐1516)


162
次はサン・フェデーレ教会です。


163
聖カルロ・ボッロメオの指示によって建設されたサン・フェデーレ教会です。


166
ペッレグリーノ・ティバルディ(ピューリア、1527‐ミラノ、1596)の設計によって1569‐1579年に建設されたマニエリスム様式の教会です。


165
ファサード前にある彫刻は、フランチェスコ・バルザーギ(ミラノ、1839‐1892)の「アレッサンドロ・マンゾーニのモニュメント」(1883)です。


167
サン・フェデーレ教会の中に入りました。


171
シモーネ・ペテルツァーノ(ヴェネツィア、1535‐ミラノ、1599)の「十字架降下」(1591)
シモーネ・ペテルツァーノは、カラヴァッジョの師匠ですが、カラヴァッジョが弟子入りした当時に制作された作品です。カラヴァッジョが師匠の制作において下働きをしたと考えられてます。


169
ジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(ロマニャーノ・セーシャ、1573‐ミラノ、1632)の「聖イグナツィオの幻視」


170
サン・フェデーレ付属美術館がありますが、中は写真不可でした。


172
外に出ました。


174


175


176
サン・サティーロ教会に向かいました。


177
行く所は毎回殆ど同じです。


178
サン・サティーロ教会にやってきました。


180
開いていましたが、相変わらず中は写真不可でした。


182


189


190


191


192


193
次はアンブロジアーナ美術館です。


187
何回入館しても飽きることがありません。


186
工事中だったので、大回り。


183
出口は図書館からになります。


184
アンブロジアーナ絵画館を創設したフェデリーコ・ボッロメオ枢機卿像


188
(つづく)

127
サン・マウリツィオ教会はフレスコ画の宝庫です。


163
中の写真を撮りませんでした。


128
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂の後陣


131
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂のファサード


164
ルネッタのフレスコ画



132
この当時、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐は写真不可でした。


126
パオリーノ・ダ・ヴィンチ、アントニオ・ダ・ヴィンチなど現代まで名前が残るヴィンチ村出身の芸術家がいます。レオナルド・ダ・ヴィンチ=ダ・ヴィンチとする方々は、パオリーノやアントニオなどは無視ですか?


133
ミラノには、ブレラ絵画館、Gallerie d'Italia、アンブロジアーナ絵画館、ポルディ・ペッツォーリ美術館、司教区美術館、市立博物館(スフォルツェスコ城)などがあるので、私にとっては嬉しい限りです。


134
20世紀初頭に建設されたPalazzo della Banca Commerciale Italiaはスカラ広場にあります。


135
少し古い建物は、度重なる戦乱で遺跡化しているものが結構多いようです。


137
サンタンブロージョ聖堂


139
新しい建物もかなり多い街です。


140


141
Porta Ticinese


142
この部分のトラムは単線になってます。


145
サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会


149
3‐4世紀の異教寺院の遺跡です。


150
コリント式列柱が目立ちます。これらの列柱の遺跡を保護するために、振動軽減策として単線になってます。


147
列柱越しのサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会


146
NHKの「世界ふれあい街歩き」のミラノ編に登場した床屋


151
サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会


153
初夏の絶好の日向ぼっこ日和


154
過去と現代が交錯する街です。


155
ドゥオーモに来てしまいました。来ようと思って来た訳ではありません。


157


158


156


159
ドゥオーモの扉の彫刻


160


161
初夏の強烈な日差し


162
日陰を求めて一休み


165
ブレラ絵画館に向かいました。


166
サン・ジュゼッペ教会


167
ブレラ絵画館に入館しました。


168
この当時、写真不可だったので、展示作品の写真は一枚もありません。


169
ブレラ絵画館から見えるサン・カルポフォロ教会の後陣


170
サン・カルポフォロ教会のファサード


171
旧教会です。ブレラが保有してます。


172
サン・マルコ教会


174
サン・マルコ教会ファサードの装飾


002
この日のミラノは、どんより曇った寒い日になりました。


003
王宮前に兵器が展示されてました。


004
ドゥオーモをしっかり見なくては。


005
ガッレリアに行きます。


006


007


008


009


010


011


013
(つづく)

004
ミラノ中央駅に到着しました。


001
ミラノ中央駅の駅舎


002
駅前広場は工事中でした。


003
この旅における中央駅近くのお宿です。


199
トラムで旧市街に向かいました。
景色が見えるので、地下鉄よりもトラム利用が好みです。


005
ドゥオーモ広場にやってきました。


006
ゴシック様式のドゥオーモ


010
精巧繊細な彫刻


014
ブログを始めたのは2012年でしたが、それ以前の旅では殆ど写真を撮っていませんでした。


015
美術館や博物館の多くが写真不可だったことも、写真を撮らなかった理由の一つです。


011
ミラノに来るのは、年に2,3回くらいです。やはり成田からの直行便があるのが大きい。


012
ミラノのホテルでは、駅近くのミケランジェロ、ブリストル、コロンビア、ベルーナに泊まってます。
ミラノでは、ミラノ・コレクションなどの見本市開催中のホテル代が馬鹿高く、しかも予約することが難しくなるので、泊まるホテルは状況次第で決めてます。


013
引退してからは当然自分の懐から支払うので、ホテル代に敏感になりました。


009
ドゥオーモ広場に戻りました。


008


007
お上りさんなので、当然行きます。


016
四隅が全部プラダの店だったこともあります。


017
マックは撤退した?


018
この日はワーグナーだったのパスしました。ドイツ語圏ものだったら、許せるのはモーツァルトのダ・ポンテ3部作です。尤もダ・ポンテ三部作はイタリア語です。
ドイツ語ものは、ドイツ語圏でやってくれ!


020
サン・サティーロ教会


021
サン・サティーロ教会は、今でも内部写真不可だったように思います。


022
サン・サティーロ教会の鐘楼


023
サン・サティーロ教会のファサード

024
サン・セバスティアーノ教会


025
サン・セバスティアーノ教会のファサード


026
サン・セポルクロ教会


027
サン・セポルクロ教会とアンブロジアーナ図書館


031
アンブロジアーナ図書館


029
アンブロジアーナ絵画館に入館しました。


030
アンブロジアーナ絵画館から見たサン・セポルクロ教会


028


032
フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿のモニュメント
フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿はアンブロジアーナ絵画館の創始者です。


033
スフォルツェスコ城


034


035
ミラノ市立博物館に入館しました。


036


037


038
当時、博物館内は写真不可でした。


039


040


041


042


043


044


045


046
(つづく)

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ストロッツィ宮


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ストロッツィ広場


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私の趣味に合わない特別展開催が多いストロッツィ宮です。


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トルナブオーニ通りでしょうか?


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ヴィーニャ・ヌオーヴァ通りとスパーダ通りの端にある建物はPalazzo Dudleyです。


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エリザベス1世女王の息子ロバート・ダドリーが1613年に建設した、フィレンツェ亡命中の住居です。


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スパーダ通りを進みます。


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ニッコロ・ディ・トンマーゾ(フィレンツェ、1339‐1376記録)の「Tabernacolo di San Sisto papa」


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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場に向かってます。


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フィレンツェ・カードを持っているので、簡単に拝観する予定です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場


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広場に面してホテルが幾つかあります。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂については既に取り上げました。


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聖堂内に入りました。


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20分ほどの拝観でしたが、それでも大満足でした。


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駅の方に向かいます。


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ウニタ・イタリア広場のオベリスク


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サンタ・マリア・ノヴェッラ駅


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駅横のホテルに戻ります。


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ホテルに戻りました。


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夜の散歩に出ました。


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この夜で暫しのフィレンツェとのお別れです。


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翌朝です。


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帰国の朝を迎えました。


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バスでフィレンツェ・ペレトーラ空港に向かいます。


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空港に到着しました。


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必見です。


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空港にトリッティコがあるのはフィレンツェだけと思います。


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フィウミチーノ空港目指して搭乗です。


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キリが良いので、この辺で終わりにしましょう。


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(おわり)

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コルソ通りに入りました。


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Torre dei Donati


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12世紀から13世紀に建てられた塔です。ドナーティ家とライバル関係にあったチェルキ家のチェルキの塔が直ぐ近くにあります。2本の塔は白派と黒派の争いの象徴です。


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写真右の教会を拝観します。


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通称マドンナ・デイ・リッチ教会、正式名サンタ・マルゲリータ・イン・サンタ・マリア・デ・リッチ教会です。


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現在の教会の近くにあったオステリアで賽子賭博をやっていたアントニオ・リナデルスキという若者はがいました。賭博に負けてオステリアを出たアントニオは、その腹いせに、馬糞を拾ってマドンナ・デイ・リッチのタベルナコロに馬糞を擦り付けて汚したのです。アントニオは逮捕されてバルジェッロ宮で吊るされました。
馬糞で汚されたタベルナコロの修復のために、リッチ家の後援によって1508年に建設されたのが、この教会です。


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1610年、建築家ゲラルド・シルヴァーニ(フィレンツェ、1579‐1675)によって柱廊が追加されました。


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1769年から1772年にかけて、建築家ガノービ・デル・ロッソ(フィレンツェ、1724‐1798)によって、内装が現在の後期バロック様式に改装されました。


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柱廊の入り口


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教会への入り口扉上の装飾


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教会への入り口
毎晩のように中で演奏会が行われています。


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中に入りました。


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単廊式、後期バロック様式の内部です。


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左右の側壁に、それぞれ2つの礼拝堂があります。


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天井


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天井のフレスコ画は、ロレンツォ・デル・モーロ(フィレンツェ、1677‐1735)の「聖母被昇天」


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主祭壇を見ます。


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主祭壇


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サンタ・マリア・デリ・アルベリージの受胎告知


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後陣のステンドグラスは、フランチェスコ・マーティ(1561‐1623)の「受胎告知」


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後陣ヴォールトのフレスコ画は、ロレンツォ・デル・モーロ(フィレンツェ、1677‐1735)によって描かれました。


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ステファノ・アミゴーリ(フィレンツェ、1757‐1812)の「聖マルゲリータの物語」(18世紀)


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ステファノ・アミゴーリ(フィレンツェ、1757‐1812)の「聖マルゲリータの物語」(18世紀)


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詳細不知の「磔刑像」


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フィリッポ・ドルチャ―ティ(フィレンツェ、1443‐1519)の「アントニオ・リナデルスキの愚行」(1501)


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詳細不知


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品(1707)


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品(1707)


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詳細不知


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


P1460329
詳細不知


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フランチェスコ・マーティ(1561‐1623)の「受胎告知」


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主祭壇前から見た出入口方向


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ファサード裏の聖歌隊席にあるオルガン(1989)


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外に出ました。


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共和国広場に向かいます。

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共和国広場に行く前に一休み


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この店でジェラートを食べました。


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共和国広場に帰ってきました。


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あちこち歩いて足が棒のよう。


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すっかり夕方です。


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(つづく)

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サンタ・クローチェ聖堂を出て、広場を見ます。


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広場の元は、アルノ川の2つの流れに挟まれた中洲の島でした。


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1226年から1228年にフィレンツェにやってきたフランチェスコ会に対して、都市国家フィレンツェはその活動拠点として中洲の島を与えました。


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フランチェスコ会修道士と、修道士の説教を聞いた信者によって、アルノ川の流れが変えられ、埋め立てられ陸地となりました。その埋め立てられた広大な土地の一部が広場です。


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広場はカルチョの競技場など多くの催事が行われる場所でした。


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広場に面して歴史的建造物が建ち並んでます。


1143
1485年から1490年に、14世紀の基礎部分の上に建設されたPalazzo Cocchi- Serristoriです。


1142
Palazzo Cocchi- Serristoriに向かって左の建物は、14世紀に建設されたCasa Chivacchiです。
その右(写真では左側)の建物はペルッツィ家が所有していたPalazzo Bartolini Baldelliです。


1140
写真右端の建物はCasa Benvenuti Gallettiです。1427年の記録に記載されている建物ですが、現在の姿は16世紀の改修後のものです。


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一つ一つ触れて行くとキリがありません。


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写真左手前の建物はPalazzo Borghiniです。文学者、哲学者だったラファエッロ・ディ・ドメニコ・ボルギーニ(1537-1588?)が1552年に購入して1558年まで住んでいました。建物の名称は彼に由来します。


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フレスコ画で有名な建物があります。


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Palazzo dell'Antellaです。


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14世紀に建設され、16世紀後半に現在の規模に増築されました。


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17世紀初頭、この建物はNiccolo dell' Antellaによって購入されました。持ち主となったニッコロは、広場に面した外壁をフレスコ画で装飾することにしました。


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そうして、建築家でデザイナーのジュリオ・パリージ(フィレンツェ、1571-1635)の原案に基づき、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァル・ダルノ、1592-フィレンツェ、1636)によって1619年から1620年にかけて制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画は、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ1人によって制作されたものではなく、ジョヴァンニの指示監督のもとに13人の画家が制作に参加しました。


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制作に加わった13人の画家ですが、ドメニコ・パッシニャーノ通称イル・パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559-フィレンツェ、1638)、マッテオ・ロッセリ(フィレンツェ、1578-1650)、ミケランジェロ・チンガネッリ(セッティニャーノ、1558-フィレンツェ、1635)など現在まで名前が知られている画家たちがいました。


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広場だけでもじっくり見ようとすれば、小一時間必要でしょう。


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広場から去る前に、もう一度サンタ・クローチェ聖堂を見ました。


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高さ94mのヴェッキオ宮の塔が見えます。


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Via dell' Anguillara


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この通りを真直ぐ進めばサン・フィレンツェ広場に出ます。


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この付近にローマ時代の円形劇場があったそうです。


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写真右の建物にタベルナコロがあります。


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聖母子のタベルナコロ


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次はサンティ・シモーネ・エ・ジュダ教会です。


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サンティ・シモーネ・エ・ジュダ教会です。扉が開いているように見えました。


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ところが入り口前にロープが張られて立ち入り禁止の表示が・・・・・
残念ですが、仕方がありません。


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入口扉上ルネッタのフレスコ画は、ニコデモ・フェルッチ(フィエーゾレ、1575-フィレンツェ、1650)の「聖母子と聖シモーネと聖ジュダ」です。


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Via dell' Isola delle Stinche


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ギベッリーニ通り


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この通りを真直ぐ進めばバディア・フィオレンティーナ教会に出ます。


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写真右は新古典様式のボルゲーゼ宮です。


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写真左はバルジェッロ宮です。


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これが何なのか、私には分かりません。


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ギベッリーニ通りを右折してVia Giraldiに入ります。サン・プロコーロ教会がお目当てです。


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13世紀に建設された、ロマネスク様式のサン・プロコーロ教会です。


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色褪せているファサードのフレスコ画
サン・プロコーロ教会はかって美術品の宝庫でした。現在、それらはフィレンツェのアカデミア美術館、ウフィツィ美術館で見ることが出来ます。


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こちらはVia de' Pandolfiniで、Via Giraldiと交差してます。


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Via Giraldiの突き当りにあるのは、Palazzo Ramirez de Montalvoです。


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ナポリ副王の娘エレオノーラ・ディ・トレドに従ってフィレンツェに来たアントニオ・ラミレスは、コジモ1世の召使になりました。大変有能でコジモ1世に気に入られ、その恩賞としてコジモ1世から、この場所の建物を贈られました。
1568年、コジモ1世の肝いりでバルトロメオ・アマンナーティの設計によって建設されたのがPalazzo Ramirez de Montalvoです。ファサードの装飾はジョルジョ・ヴァザーリによるものです。


P1460973
Borgo di Albizi
(つづく)

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サンタ・クローチェ聖堂に向かっていました。


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Chiesa Evangelica Metrodista (メソジスト福音派教会)です。


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11世紀の記録にその存在が記載されていたサン・ヤコポ教会が前身です。現在の建物は17世紀に再建されたものです。
1808年、教会と併設の修道院が閉鎖され、兵舎に転用されました。その後、建物はメソジスト福音派に渡され、孤児院として使用されました。
1946年にメソジスト福音派教会となり、現在に至ってます。


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ベンチ通りです。写真右手前の建物はPalazzo Albertiです。


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写真右の建物はCasa Albertiです。


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写真左の建物はPalazzo Albertiです。


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サンタ・クローチェ聖堂の直ぐ傍にやってきました。


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Arco dei Peruzzi


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Palazzo Mellini- Fossiが写ってます。


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Palazzo Mellini- Fossiです。
この建物周囲のベンチ通りにはアルベルティ家の建物が並んでいました。Palazzo Mellini- Fossiに建っている場所には、15世紀に建設されたアルベルティ家の建物がありました。
1456年、建物はドゥッチョ・ディ・ノフェーリ・メッリーニに売却されました。現在の建物は、ドゥッチョが15世紀末から16世紀初めに再建したものです。伝統的にミケランジェロの設計と言われてますが、現在ではミケランジェロの設計ではないというのが定説のようです。


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ファサードの壁に描かれたフレスコ画が有名です。


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フランドルのあまり知られていない画家ジョヴァンニ・ストルフによって1575年に制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画のテーマは「ダナエとペルセウスの神話」です。


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メディチ=ハプスブルクの紋章


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ペルセウスとアンドロメダ


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サンタ・クローチェ広場にやってきました。


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毎年拝観しているサンタ・クローチェ聖堂です。


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ファサードの横前にあるエンリコ・パッツィ(ラヴェンナ、1818-フィレンツェ、1899)の「ダンテのモニュメント」(1865)


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ファサードを見ます。


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フランチェスコ会の紋章


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聖堂内に入ります。


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サンタ・クローチェ聖堂に付いては既に取り上げました。


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ミケランジェロの墓


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P1830405


P1830543


P1830609


P1830629


P1460903
外に出ました。
(つづく)

P1460781
パラティーナ美術館から外に出ました。


P1460782
ヴァザーリの回廊


P1460785
バルディ通り


P1460786
トッリジャーニ川岸通りに出ました。


P1460788
対岸のウッフィツィ美術館


P1460789
ヴァザーリの回廊


P1460790
1858年から1860年に建設された新古典様式のPalazzo del BorsaとHotel Balestri


P1460793
ウフィッツィ美術館の横にあるMuseo Galileo


P1460791
トッリジャーニ川岸通りをグラツィエ橋に向かって進んでます。


P1460799
ヴェッキオ橋


P1460802
グラツィエ橋


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歩道が完備されているトッリジャーニ川岸通りです。


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振り返ってヴェッキオ橋方向を見た所。


P1460810
教会の建物が見えてきました。


P1460813
次はバルディーニ美術館です。


P1460814


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サンタ・クローチェ聖堂の鐘楼が写ってます。


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Chiesa Evangelica Luterana (福音派ルーテル教会)


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1901年に建設された新古典様式の建物です。この教会には美術的な見所が皆無です。


P1460818
グラツィエ橋


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次を右折すればバルディーニ美術館です。


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2,3年毎に訪れているバルディーニ美術館です。


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バルディーニ美術館に入館しました。


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ピエトロ・ネッリの作品


P1620667
ルカ・ディ・トンメの作品(1378‐80c)


P1620691
ミケーレ・ジャンボノの作品(1425‐50c)


P1620714
ベルナルド・ダッディの作品(1340‐50c)


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バルディーニ美術館に付いては既に取り上げました。


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バルディーノ美術館を後にしました。


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グラツィエ橋を渡ります。


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相変わらずの愚行を再見。


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こんなことをやるなんて・・・・・


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グラツィエ橋からの景観


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橋の上からサン・ミニアート・アル・モンテ教会が見えました。


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グラツィエ橋を渡り切りベンチ通りに入りました。


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街角のタベルナコロがあります。


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聖母子と修道女


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18世紀後半のフィレンツェの逸名画家の作品です。


P1460867
ホーン美術館に入館しました。


P1460871
ホーン美術館は写真不可なので写真がありません。


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ベンチ通りの奇妙な形の建物はアルベルティ宮です。


P1460869
(つづく)

P1460528
色々と物色しましたが、玩具っぽいので買うのを止めました。


P1460529
次はサンタ・マリア・イン・カンポ教会です。


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サンタ・マリア・イン・カンポ教会はこの日も扉が閉まっていました。


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騙し絵の窓


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ポル・サンタ・マリア通り


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犬の水飲み場


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ヴェッキオ橋を渡ります。


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交差するアッチャイオーリ川岸通りを越えます。


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アッチャイオーリ川岸通り


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ヴァザーリの回廊


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アルノ川


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ヴァッキオ橋の上です。


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橋の中央付近からアルノ川の写真を撮ることが出来ます。


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観光ポイントです。


P2690024
ラッファエッロ・ロマネッリ(フィレンツェ、1856-1928)の「ヴェンヴェヌート・チェッリーニ像」(1901)
ヴェンヴェヌート・チェッリーニ(フィレンツェ、1500-1571)の生誕400年を記念して、1900年にロマネッリに注文された作品です。


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サンタ・トリニータ橋


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ウフィッツィ美術館が見えます。


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グラツィエ橋


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振り返ってドゥオーモ方向を見ました。


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宝飾品店が並んでます。


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ヴァザーリの回廊


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何気に店を覗いていたら、何と2万€以上の首飾りを買った人がいたのでビックリ。売れるから店を構えているのだから当然ですが・・・・・


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P1460776


P1460779
Torre dei Mannelli


P1460780
ヴェッキオ橋の両岸四隅に、防御のための塔がありましたが、唯一残っているのがこの塔です。
1565年、ヴァザーリの回廊を建築する際、回廊を真直ぐに建てるために塔の改築、移動、または解体が、当時塔を所有していたマンネッリ家に提案されましたが、同家はいずれも拒否したので、回廊は已む無く塔を避ける形で建てられました。


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塔を避けるために回廊が前に張り出してます。


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サンタ・フェリチータ教会


P2590003
ピッティ宮にやってきました。


P2590004


P2590008
パラティーナ美術館に入館します。


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パラティーナ美術館に付いては既に取り上げました。


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ルカ・シニョレッリの作品


P2690107
カラヴァッジョ


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カラヴァッジョ


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ラッファエッロ・サンツィオ


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P2690162
ティツィアーノのラッファエッロ作品の複製画です。


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ティツィアーノ


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P2690045
何度入館しても飽きることがありません。いつも新鮮な感動を覚えます。
(つづく)

004
6Aのバスに乗ってサン・サルヴィ教会に向かいました。


011
サン・サルヴィ教会はこの日も閉まっていました。旧サン・サルヴィ修道院に向かいました。


010
旧サンサルヴィ修道院の建物です。修道院の食堂にアンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」があります。


007
アンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」
このフレスコ画を中心に祭壇画などが展示され、アンドレア・デル・サルトの最後の晩餐美術館となってます。
美術館に付いては既に取り上げました。


037
郊外から旧市街に戻ってきました。


038
アッカデミア美術館は相変わらずの大混雑でした。


049
後日、予約があるので、この日はアッカデミア美術館に入館しませんでした。


051
次はサンティ・シモーネ・エ・ジュダ教会です。


052
残念! この日も扉が閉まっていました。最近、拝観したことがありません。


053
案内板への落書きは困ります。


054
次はホーン美術館です。


055
ホーン美術館に入館しました。


060
ホーン美術館に付いては既に触れました。


057
隔年に来ることにしている美術館です。


064
フィレンツェそのものと思わせる佇まい。


065
この道を真直ぐ進めばヴァッキオ宮に出ます。


066
ランツィのロッジャが見えている。


068
ウフィッツィ美術館に入館しました。


071
6時間くらい中にいたので、流石に疲れました。


072
傑作疲れの面もありました。


076
フィレンツェは大賑わいでした。


077
行く所、見るのは何時も同じです。


078


115
サン・フィレンツェ広場に来ました。


116
15世紀にジョヴァンニ・ダ・マイアーノの設計によって建設されたPalazzo Antinoriです。


121
サンティ・ミケーレ・エ・ガエターノ教会です。


108
サン・ロレンツォ聖堂です。


123
ストロッツィ宮


137
ヴェッキオ橋


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夕方になって、ロッジャ・ディ・ビガッロにやってきました。


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ロッジャ・ディ・ビガッロの外壁のフレスコ画は、ヴェントゥーラ・ディ・モーロ(フィレンツェ、1395/1402-1486)とロセッロ・ディ・ヤコポ・フランキ(フィレンツェ、1376/1377-1456)による「聖ピエトロ・マルティーレの説教」(1444)です。


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外壁にある聖母子の彫刻


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判別不能のフレスコ画もヴェントゥーラ・ディ・モーロとロセッコ・ディ・ヤコポ・フランキ2人による作品でしょうか?


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アルベルト・アルノルディ(フィレンツェ、1364-?)の「聖母子と2聖人」


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ここは観光案内所でもあり、ビガッロ美術館でもあります。


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Maestro del Bigalloの「磔刑」(1250c)


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美術館の中には入ることが出来ませんでした。


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観光案内所から外に出ました。


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街角のタベルナコロがあります。


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「受胎告知」の保護のガラス板が邪魔です。


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非常に楽しい街歩き。


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しかし疲れます。


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(つづく)

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次はダンテの家博物館です。


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コルソ通りからサンタ・マルゲリータ通りに入ります。


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サンタ・マルゲリータ通りのアーチの上の壁にフレスコ画があります。


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これです。


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17世紀のフィレンツェの逸名画家作「受胎告知」


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サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会通称ダンテ教会を通り過ぎます。


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塔が見えます。


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Torre dei Giuochi


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矢印に従って博物館の入り口に回ります。


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塔の下に博物館の入り口があります。


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入口です。


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入館します。


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毎日開館しています。


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中に入るとダンテの顔のフレスコ画が迎えてくれます。


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この博物館の建物(塔ではありません)は、観光用に新しく建築されたものです。
13世紀中頃、フィレンツェは教皇派(グエルフィ)と皇帝派(ギベッリーニ)の熾烈な抗争が行われていましたが、1267年にグエルフィ支配となりました。しかし、グエルフィ内部では白派(ビアンキ)と黒派(ネーリ)の抗争が激化し、やがて教皇派と皇帝派の抗争を再燃させるような形態となってしまいました。
当時、フィレンツェは、6人のプリオーレ(最高執政官)と「正義の旗手」と呼ばれる議長からなる執政府によって統治されていましたが、ダンテはプリオーリを務めていました。
1300年、執政府は、黒派と白派の指導者を追放して収拾を図ろうとしました。ダンテは白派に属していました。しかし、教皇ボニファチョ8世が抗争に介入すると、1301年、フィレンツェは黒派の勝利となりました。優勢となった黒派は、恐怖政治を布き、白派の人々や建物への襲撃を行いました。
白派に属していたダンテはフィレンツェを追放され、二度とフィレンツェに戻ることなく没するまで亡命生活を送ったのです。
ダンテの家は、黒派によって破壊されたので現存しません。
「現存しないダンテの家を観光用に建てた『ダンテの家』の博物館」ということですから、この博物館の立ち位置が分かると思います。


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展示室は階上です。


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展示室に入りました。


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290‐オルヴィエート、1348)の作品です。


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この彫刻はダンテ・アリギエーリ(フィレンツェ、1265‐ラヴェンナ、1321)とは直接関係がないようです。
この博物館における美術的な見所はアンドレア・ピサーノの作品に尽きると思います。


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290‐オルヴィエート、1348)の「画家」


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Istvan Madarassy(ブダペスト、1948‐)の現代彫刻


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次の展示コーナーです。


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ダンテが生きていた時代の武器


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詳細不知


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ダンテの短剣


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ダンテが生きた時代の武装兵


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290‐オルヴィエート、1348)の「彫刻家」


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次の展示コーナーです。


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ダンテの最愛の人ベアトリーチェ・ポルティナーリは、ダンテのことを気持ち悪いと感じていた?


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次の展示コーナーです。


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ブルネット・ラティーニの紋章


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ブルネット・ラティーニ(フィレンツェ、1220c‐1294)は、作家、詩人、政治家、公証人でグエルフィに所属して、ダンテの理解者、支持者でした。


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ダンテの家系図


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次の展示コーナーです。


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グイディ家の紋章


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グイディ家は、中世の中央イタリアの名家で、Conti palatini di Toscanaとして知られ、トスカーナ、ロマーニャ、エミリアの殆どを支配していました。


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ダンテの著作


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外に出ました。
(つづく)

P1460538
ドゥオーモ広場にやってきました。


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この日のドゥオーモは大混雑でした。


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クーポラに上る人たちの行列です。


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中々行列が進みません。


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クーポラの展望台は狭いので、人数が制限されるし、展望台への通路は交互通行の場所があるので、時間がかかります。


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上っている人はそんなに多くなかったと思います。


386
クーポラを見つめるフィリッポ・ブルネッレスキ


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ブルネッレスキがクーポラをかけ終わったのが1436年でした。


387
アルノルフォ・ディ・カンビオ像


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アルノルフォ・ディ・カンビオに拠ってドゥオーモの建設が始められたのが1296年でした。


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Palazzo Strozzi di Mantova


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プロコンソロ通り


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次はサン・ベネデット教会です。


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これがサン・ベネデット教会の建物です。普通の家屋に見えるので意外に思われることでしょう。写真の1階の、向かって左部分がサン・ベネデット教会です。


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1032年の文書に教会の存在が記載されており、創建から200年はかなり勢力がありました。現在のドゥオーモの拡張に伴って、徐々に勢力が削がれ、やがて資産の殆どを失いました。現在の建物は1702年に建設されたもので、ごく小規模の教会になりました。


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通りの正面はBottega dell'Opera del Duomoです。


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ドゥオーモの壁龕などに置かれた彫刻の複製を主に行っている工房です。外に置かれた本物の彫刻は劣化が進んでいるので、その維持保存のために、この工房で制作された複製品に置き換えられてます。本物はドゥオーモ付属博物館に移されてます。


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ゼッキ画材店は昼休み中です。


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中世の作品修復に必要な、当時に使用された顔料、例えばカイガラムシを原料とする赤色顔料なども扱う専門店です。


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ドゥオーモ広場に戻りました。


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ファサードのルネッタ


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先ほどの工房で制作された複製彫刻です。


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ファサードの聖人彫刻は全て複製品に置き換わったそうです。


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次はResidenza dell'Arte dei Beccai (食肉組合館)です。この場合のarteは、ギルドの意味です。


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カルツァイウォーロ通り


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サン・カルロ・ディ・ロンバルディ教会


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オルサンミケーレ教会の横を通ってResidenza dell'Arte dei Beccai に向かいます。


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Residenza dell'Arte dei Beccai はオルサンミケーレ通りに面して建ってます。


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Residenza dell'Arte dei Beccai (食肉組合館)です。


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オルサンミケーレのカピターノを務めていたマッチ家の邸宅として14世紀に建設されました。
その後、食肉組合の所有となり、1534年まで同組合の本拠地でした。


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その後、建物の所有者が何度も変わりました。
1974年からAccademia della Arti del Disegnoの建物になって、現在に至ってます。


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ファサードの紋章は建物の代々の所有者のもので、その変遷を物語ってます。


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写真最上部の紋章は食肉組合のものです。


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Accademia della Arti del Disegno所有の作品が展示されているので、美術ファンにとっては必見です。


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入館無料です。中に入ると、ポントルモのフレスコ画が目に入ります。


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ヤコポ・カルッチ通称イル・ポントルモ別称ヤコポ・ポントルモ(ポントルメ、1495‐フィレンツェ、1557)の「ボルドローネのタベルナコロ」(1521‐22)


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マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424c)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1395‐1400)


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フランチェスコ・ダントニオの「オルガン扉の天使たち」


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フランチェスコ・ダントニオの「オルガン扉の天使たち」


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詳細不知


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詳細不知


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ストロッツィ家の紋章


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ポントルモの「本の聖母」など他の作品が見当たりませんでした。


4
ポントルモと工房による「本の聖母」(1540‐45c)
外部サイトから作品画像を拝借しました。


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外に出ました。
(つづく)

P1460693
次は、オルサンミケーレ教会と連絡アーチで繋がっている建物です。(写真右端の建物)


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Palazzo dell'Arte della Lanaです。
中世の頃、アルテと呼ばれる商工業組合がありましたが、その中で最も力があった羊毛組合の建物です。


2
オルサンミケーレ通り、カリマーラ通り、アルテ・デッラ・ラーナ通りの角にあります。


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建設された当初はTorre di Compiobbesiと呼ばれていました。
12世紀末のフィレンツェは、都市貴族は派閥毎に徒党を組んで塔を構えた要塞のような館を建設して、反対派と対抗していた物騒な時代でした。
その貴族の中に、フィエーゾレのコンピオッビ出身のコンピオベッシ家が13世紀に建てたのがTorre di Corso Donatiです。


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やがて有力貴族がグエルフィ(教皇派)とギベッリーニ派(皇帝派)の二派に分かれて激しい抗争を繰り返しました。
1266年のベネヴェントの戦いによって、グエルフィが勝利すると、ギベッリーニに属していたコンピオベッシ家は、Torre di Compiobbesi、出身地のコンピオッビで所有していた城とサン・ミケーレ教会などの財産が没収されてしまいました。
1308年、建物は羊毛組合の所有となり、Palazzo dell'Arte della Lanaと呼ばれるようになりました。


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1569年、2つの建物を繋ぐ連絡橋がベルナルド・ブオンタレンティ(フィレンツェ、1531‐1608)の設計によって建設されました。
現在、オルサンミケーレ美術館に入館するための通路になってます。


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1905年、Societa Dantesca Italianaの所有となり、現在に至ってます。


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16世紀、パラッツォの2階は、コジモ1世によって公証人の記録保管所になりました。


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次はタベルナコロを見ます。


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建物の下の方にタベルナコロがあります。


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Tabernacolo di Santa Maria della Trombadesu


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タベルナコロの上にタルガがあります。


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ダンテのタルガ「神曲をかざすダンテ」です。
原画は、フィレンツェ大聖堂にあります。


3
ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417‐1491)の「神曲をかざすダンテ」
これが原画です。


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さて、タベルナコロですが、元からここにあったものではありません。
カリマーラ通りとメルカート・ヴェッキオ広場(現在の共和国広場)の間に、1321年に建設されたアルテ・ディ・メディチ・エ・スぺツァーリ(医師・薬種商組合)の礼拝堂が前身です。


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礼拝堂は店に転用されましたが、17世紀にタベルナコロとして再建されました。
19世紀にタベルナコロは破壊されてしまいましたが、破壊された断片を使用して1905年に現在の場所に復元されたものです。


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中に絵画があります。


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中の絵画の写真を撮ろうとしましたが、中々上手くいきません。


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絵画は、17世紀にタベルナコロとして再建された時にあったものではなく、20世紀初めにこの場所で復元された時に美術館から移設されたものです。


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聖母戴冠の制作者が14世紀のフィレンツェ派の画家とされてますが、現在ではニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニの作品とされているようです。


1
ヤコポ・デル・カゼンティーノ(プラートヴェッキオ、1297c‐1349c)の「聖母子と聖人たち」(1347以前)
(外部サイトから拝借した作品画像)


2
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ(フィレンツェ、1368から記録‐1415没)の「聖母戴冠」(1380‐85)


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この日、Palazzo dell'Arte della Lanaの中に入ることが出来ませんでした。


P1460696
新市場のロッジャに向かいました。


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写真右奥に新市場のロッジャが見えてます。


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この辺は古い建物が多い。


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カリマーラ通り


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古い建物と思いきや、そうではありません。
1892年に建設されたPalazzo degli Angeliです。


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ランベルティ通り


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Mercato Nuovoのロッジャ


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ロッジャは16世紀中頃に建設されました。


1266
ロッジャにあるポルチェッリーノの泉
これは、ブロンズの複製です。
オリジナルは、ピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577‐フィレンツェ、1640)の大理石彫刻でピッティ宮にあります。


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このままヴェッキオ橋に行ってもやることがありません。


P1460714
戻ることにしました。


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次はサン・ビアージョ教会です。


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教会はペッリッチェリ通りにあります。


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ペッリッチェリ通りに入ると、直ぐに教会が見えます。


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サンタ・マリア・ソプラ・ポルタ教会とも呼ばれてます。


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1038年の文書に記載されている古い教会です。


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カロリング時代の城壁の南門ポルタ・サンタ・マリアに近かったことからサンタ・マリア・ソプラ・ポルタ教会と呼ばれていたのです。


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現在の建物は、13世紀半ばに再建された二代目のものです。


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教会は、1785年に閉鎖され、その後、教会としては一度も再開されることがありませんでした。
その後、19世紀に消防隊の宿舎に転用されましたが、現在はBibloteca di Palagio di Parte Guelfaとなってます。


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中にフレスコ画があるそうですが、中に入らずに終わりました。


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近くをぶらぶら歩きました。


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歴史ある建物ばかりですが、一つ一つ触れていては先に進みません。


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(つづく)

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Torre di Corso Donatiですが、どうしても同じ場所に来てしまいます。


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突き当りの建物のルネッタにフレスコ画があります。


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この建物です。旧教会?


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ルネッタのフレスコ画(詳細不知)


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パンドルフィーニ通りのタベルナコロ


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ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチ(フィレンツェ、1560‐ナポリ、1600)の「受胎告知」


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ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチは、ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニの弟子です。サンティ・ディ・ティートの強い影響を受けた画風でした。ナポリで没しましたが、彼の墓は、彼の頭蓋骨を使い、首下から足先までを彫刻にした、一度見たら忘れることが出来ない強烈溢れるものです。


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オルサンミケーレ教会に向かいました。


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ヴェッキオ宮の塔が見えてきました。


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塔のある建物


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裏通りを歩きました。


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サン・フィレンツェ広場に出ました。


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シニョーリア広場に入ります。


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シニョーリア広場はそれ程の混雑ではなかった。


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広場に奇妙なオブジェが無かったので安心しました。


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シニョーリア広場からカルツァイウォーロ通りに入れば、オルサンミケーレ教会が見えます。


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オルサンミケーレ教会です。


1
7‐8世紀頃、広大な菜園を保有する女子修道院の小さな礼拝堂がありましたが、その礼拝堂が前身です。8世紀中頃、礼拝堂は拡充されてサン・ミケーレ・イン・オルト教会になりました。その教会名がなまってオルサンミケーレ教会となったそうです。


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1240年、教会は閉鎖され、教会の建物は穀物市場のロッジャに転用されました。市場は、1290年、アルノルフォ・デル・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1235c‐フィレンツェ、1302c)の設計によって再建されました。


508
しかし、1304年7月10日に起きた火災によって、建物は焼失してしまいました。


509
消失後、1350年に再建された建物が現在の姿の原形となってます。


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1360年頃、穀物市場を移転撤去して教会を作ることに決定され、教会に改造されました。


465
1569年から、教会建物の最上階にトスカーナ大公コジモ1世が居住しました。


466
外壁のニッチに置かれた彫刻が特徴です。
長年、太陽、風雨に晒されて、彫刻の劣化があることから、現在、オリジナルの場所にある彫刻は全て本物のコピーですが、コピー彫刻が置かれている壁龕はオリジナルのものです。
壁龕の彫刻は全部で13点ありますが、そのうち11点がオルサンミケーレ美術館、2点がバルジェッロ国立博物館で展示されてます。
外部に置かれたコピー彫刻を見て行きます。


473
ドナテッロ作「聖マルコ」のコピー彫刻


474
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ランベルティ作「聖ヤコポ」の複製彫刻
日が当たってよく見えません。


475
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・テデスコ作「聖母子」のコピー彫刻


476
バッチョ・ダ・モンテルーポ作「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」のコピー彫刻


478
ヴェロッキオ作「聖トンマーゾの不信」のコピー彫刻


479
ジャンボローニャ作「聖ルカ」の複製彫刻
本物はバルジェッロ国立博物館にあります。


5000
ロレンツォ・ギベルティ作「聖ステファノ」のコピー彫刻


5001
ロレンツォ・ギベルティ作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」のコピー彫刻


5002
ロレンツォ・ギベルティ作「聖マッテオ」の複製彫刻


480
フィリッポ・ブルネッレスキとドナテッロ作「聖ピエトロ」の複製彫刻


481
ナンニ・ディ・バンコ作「聖フィリッポ」の複製彫刻


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ナンニ・ディ・バンコ作「4聖人」の複製彫刻


483
ドナテッロ作「聖ジョルジョ」の複製彫刻
本物はバルジェッロ国立博物館にあります。


486
ナンニ・ディ・バンコ作「聖エリージョ」の複製彫刻
教会の中に入ります。


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面白い構造をしています。


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右側壁


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天井のフレスコ画


1
アンドレア・オルカーニャによる主祭壇


2
主祭壇画は、ベルナルド・ダッディの「聖母子と天使たち」です。


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外に出ました。
(つづく)

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次はサンタ・クローチェ聖堂です。


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街角のタベルナコロが見えてきました。


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街角のタベルナコロ


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かなり出来の良い「聖母子と2聖人」です。制作者、制作された時期などの詳細が不明です。


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地上階の窓が鉄格子で守られてます。これだけ頑丈にしないと危険?


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あのアーチを潜れば、サンタ・クローチェ広場は直ぐ傍。


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ジュゼッペ・ヴェルディ通り


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ラ・マレンマの前を通り過ぎます。どれを食べても美味しく、値段もリーズナブルなのでお勧めです。


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サンタ・クローチェ広場に来ました。


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サンタ・クローチェ聖堂を拝観しました。ここについては既に取り上げました。


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Via de'Benciを通ってホーン美術館に向かいました。
写真左は、1456年に建設されたPalazzo Mellini- Fossiです。


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写真左は、1260年から1266年に建設されたPalazzo Albertiです。


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ホーン美術館の建物が見えてます。


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ホーン美術館が置かれているPalazzo Corsiです。
元々は1357年以前にアルベルティ家によって建設された建物ですが、1489年にコルシ家に売却され、コルシ家によって1495年から1502年にかけてルネサンス様式に再構築された建物です。


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イギリス人の美術史家で、美術品収集家だったハーバート・パーシー・ホーン(ロンドン、1864‐フィレンツェ、1916)が個人収集した美術品を展示するために、1912年にコルシ宮を購入しました。
ホーン氏は、美術品と共にコルシ宮で過ごしましたが、1916年に没すると、建物と収集物はトスカーナ州に売却されました。


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収集物を管理し、展示するために財団が設立され、1921年に一般公開されるようになりました。


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美術館の入り口です。


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建物の装飾


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入館者は何時も少ないと思います。


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入館しました。
中は写真不可です。
作品画像がないと美術館の紹介は無理なので、外部サイトから主な展示作品の画像を拝借して載せておきましょう。


5
ジョット・ディ・ボンドーネ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ、1267c‐フィレンツェ、1337)の「聖ステファノ」(1320‐25)


4
ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280/1285c-1348c)の「3聖人」(1315c)


3
聖人


2
アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖女


6
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1512c)


7
ドメニコ・ベッカフーミ(モンテアペルティ、1486-シエナ、1551)の「聖家族と聖人たちのトンド」


8
ピエロ・ディ・コジモ(フィレンツェ、1461-1522)の「瞑想の聖ジローラモ」(1490-1500c)


9
フィリッポ・リッピ(フィレンツェ、1406-スポレート、1469)の「ピエタ」


10
マザッチョ(カステル・サン・ジョヴァンニ・イン・アルトゥーラ、1401-ローマ、1428)の「聖ジュリアーノの物語」(1424c)


12
ベノッツォ・ゴッツォーリ(フィレンツェ、1420c-ピストイア、1497)の「十字架降下」(1497)


13
ヤコポ・サンソヴィーノ(フィレンツェ、1486-ヴェネツィア、1570)の「聖母子」(1500-10c)


11
ドッソ・ドッシ(サン・ジョヴァンニ・デル・ドッソ、1468c-フィレンツェ、1542)の「音楽の寓意」(1485c)
有名芸術家の作品が揃ってます。


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外に出ました。


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多翼祭壇画の分解されたパネル作品が多いホーン美術館です。


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写真左はPalazzo Grifoni- Libriです。


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敷地面積によって税額が決まるので、それに対処するために工夫された建物です。


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Via de'Neri


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通りの突き当りがヴェッキオ宮です。


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相変わらずの混雑でした。


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街角のタベルナコロを見ます。


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アレッサンドロ・ゲラルディーニの「聖フィリッポ・ネリに顕現する聖母子」(17世紀末)


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(つづく)

825
ヴェッキオ橋を渡ります。


824
堤防の上に住居が並んでますが、大水の時に流されないか心配になります。


826
余計なお世話と言われそうですが、写真右手前の建物はいかにも危険と思います。


827
ヴァザーリの回廊


834
対岸のグラツィエ川岸通り前の国立図書館を横目で見ながら先に進みます。


835
アルノ川の水嵩が何時もより少ないようでした。


837
サン・ニッコロ門からミケランジェロ広場へと上りました。


840
少し雲が出てきました。


845
フィレンツェ定番の景色


846
サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会はミサ中だったので、拝観を遠慮しました。


847
日曜日だったので、ミサが行われている教会が多かった。


848
教会前の花を見てから更に上ります。


849
サン・ミニアート・アル・モンテ教会にやってきました。


852
ここもミサ中でした。日曜日なので拝観出来ないのは仕方がありません。


851
サン・ミニアート・アル・モンテ教会はかなり高い場所に建ってます。


850
墓地を見ます。


853
雲が多くなってきました。


854


857
教会巡りをするのであれば、日曜日の午前中は避けるべきでした。


858
川岸の通りに戻ります。


859
この教会は閉まっていました。


860
フィレンツェは塔が多い街です。


861
塔の町と言われるサンジミニャーノやアスティと比べても塔の数では引けを取らないと思います。


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街角の聖母子の傑作を観ます。


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これです。ここに置いて大丈夫かと心配になります。
「聖母子と2天使と聖ピエトロと聖ベネデットのタベルナコロ」(14世紀末)


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チェンニ・ディ・フランチェスコ・ディ・セル・チェンニ(フィレンツェ、1369‐1415)の帰属作品です。


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この日もアルビツィ通りを通りました。


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16世紀に建設されたPalazzo Varori


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久し振りにサンタンブロージョ教会の作品を見たくなりました。


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旧サン・ピエル・マッジョーレ教会のファサード


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Palazzo Donati


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Palazzo Donatiの第2の塔


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旧サン・ピエル・マッジョーレ教会のファサードの横後方にArco di San Pierinoが写ってます。


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サンタンブロージョ教会に向かってます。


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サンタンブロージョ教会はもう直ぐです。


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サンタンブロージョ教会にやってきました。
サンタンブロージョ教会については、2017年1月29日にアップしました。


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扉上ルネッタに描かれたフレスコ画(詳細不知)


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拝観しました。


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傑作が沢山あります。


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美術ファンには必見の教会です。


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こちらはコピー画です。


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主な作品リストが教会内にあります。


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外に出ます。


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(つづく)

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