ファエンツァのパリオは、毎年6月の第4日曜日に行われます。
ファエンツァのパリオの歴史は、騎士による馬上槍試合が行われた1410年に遡ります。
近世になって長らく休止されていましたが、1959年に復活され現在まで続いてます。
パリオは、旧市街の4チームとBorgo Durbeccoの計5チームで争われます。
6月の夏至前後の週末は各地でお祭りが開催されます。しかし、この日がパリオの当日であることはホテルに到着して初めて知ったので、パリオの入場券の手配等を含めて全くの準備不足でした。
ファサードが修復中のセルヴィ教会です。
第二次世界大戦後、閉鎖されていましたが、何かに利用されることになり、修復されていたようです。
修復工事後のファサードです。使用途は特に決まってないようです。
旧セルヴィ教会からドゥオーモが見えます。
セルヴィ教会から見える、柱廊がある建物はパードリ・セルヴィ―ティ修道院でした。
旧修道院の建物は市立図書館として使用されてます。
次はピオ12世の神学校です。
神学校の柱廊です。
Seminario Vecchio、ピオ12世の神学校の入り口です。キオストロに入ります。
神学校の中庭です。
1576年に発足したファエンツァ神学校が前身です。
この神学校は、長らくロマーニャ文化の中心を担っていたことで高く評価されているそうです。
神学校はドゥオーモと司教館の間にあります。
神学校のタベルナコロ
神学校の柱廊から外に出ました。
司教館?
詳細不知のフレスコ画
ホテルに戻って昼寝をしました。
昼寝をしていたら、外が騒がしいので目覚めました。
ホテル前の通りに出ると、パリオの出陣式の行進が始まってました。
この日は大変暑い日で、恐らく猛暑日だったともいます。
結構な厚着なので、行進は大変だったと思います。
日向での行進なので、皆さん汗だらけ。
この辺は日陰なので、何とかなりそうでした。
ドゥオーモ横に救急車が数台待機していましたが、行進に参加していた子供が搬送されました。
美女が選ばれると思いますが、それにしても美女ばかりで恐れ入りました。
待機中のチーム
ドゥオーモ前から市庁舎前まで行進が始まりました。
(つづく)