イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2020年08月

068
時は遡って2013年2月のフォリーニョです。


069
サン・ジャコモ教会はこの日も扉が閉まっていました。


072
ウンブリアの美術サイトの記述では、この時間は扉が開いている筈でしたが、信じる方がアホでした。フィレンツェ、ローマの教会に関する記述は大体正しいですが、地方となると、その辺の情報は怪しくなります。


073
サン・ジャコモ教会の横を通って城壁外に出ます。


075
18世紀に建設されたCasa di T  Tの後の文字が判読不能でした。ネットで調べましたが、この家に関する記事が見つかりません。


076
旧市街の城壁に沿って北から西へと流れるトピーノ川です。写真左は城壁外になります。


077
写真右側、トピーノ川東岸は堤防が城壁を兼ねてます。


078
この辺は旧市街の北西方向に当たります。


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城壁内に戻りました。鐘楼はサン・ジャコモ教会のものです。


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メンターナ通りから右折してドゥオーモの方に向かいます。


081
道路整備工事後なので、綺麗な道路が続きます。


082
ドゥオーモを素通りしました。


113
再度城壁外へと進みます。


116
Porta Romanaです。
1280年から1291年に建設されましたが、経年劣化のため、1871年に再建されました。しかし、第二次世界大戦の爆撃によって灰燼に帰したので、1946年から1948年に再建された三代目の建物が現在の門です。


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門の横にフォリーニョが生んだ画家ニッコロ・アルンノ像が立ってます。


119
フォリーニョ駅にやってきました。


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この日の2日後のローマ行きICの切符を買いました。


122
フォリーニョ駅構内にある礼拝所です。祈っている人がいるのでビックリしました。当たり前ですが、祈る人がいるから礼拝堂があるのです。


123
この日の翌日、モンテファルコへの日帰り遠足を予定していたので、バスの発着場と時刻を確認しました。利用客が多いとは言えないフォリーニョ駅でしたが、モンテファルコ行きのバスは駅から少し離れた場所から出発することが分かり、事前確認して良かったと思いました。なお、現在は駅前からバスが発車します。


124
駅で一休みしてから教会巡りに再び出発しました。


125
14世紀に建設されたサンタ・マリア・ディ・べトレム教会修道院の建物です。


126
現在は機能を停止した旧修道院教会です。


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通りの突き当りにサンタ・カテリーナ修道院があります。


130
元々は病院でしたが、1374年に修道院になりました。


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中に古いフレスコ画があるので、中に入りたかった。


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サンタゴスティーノ教会へと進みます。


134
実はサンタ・カテリーナ修道院とサンタゴスティーノ教会は殆ど繋がっているのです。


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サンタゴスティーノ教会のファサード前は工事中でした。2012から2014年頃にかけて、旧市街内のすべての道路が整備されていました。


136
土曜日の夕べのミサ以外は開いていないようです。しかし、現在は、地震の被害によって閉鎖されているドゥオーモに代わって、臨時の司教座教会になっているので、多分、何時も扉が開いていると思います。


137
「嘆きの聖母」と言われてますが、違うと思います。


138
「ヴェルジネ像」だそうです。


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扉の彫刻


139
ガリバルディ広場に立つガリバルディ像


140


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サンタゴスティーノ教会至近にサン・サルヴァトーレ参事会教会があります。


144
見所が豊富な内部ですが、開いていないことが多い教会です。


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970年創建の古い歴史ある教会です。
一見古そうに見えるファサードですが、14世紀のオリジナルのファサードを模して1889年に再建された、比較的新しいファサードです。


147
1357年に建設された鐘楼が現役です。


149
サン・サルヴァトーレ参事会教会の身廊側外観です。


148
サン・サルヴァトーレ修道院だった建物です。


151
中に一回だけ入ったことがあります。


152
道路工事が終わった通りです。


153
(つづく)

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次の部屋です。
ローマ時代の碑文などが展示されてます。


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葬儀祭壇(1世紀)
Villa di Lodovico Jacobilliから発掘されました。


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執政官クナイウス・ドミニィウス・タルフの名誉モニュメント(1世紀中頃)
執政官はトラヤヌス帝の同僚でした。


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葬儀石碑(1世紀)


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ゲルマニクス・ユリウス・カエサルの名誉モニュメント
ゲルマニクス・ユリウス・カエサル(前5-19)は、紀元後19年に暗殺されました。


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Praesentia Priscaの墓石(1世紀)


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ミネルヴァ神殿の碑文断片(紀元前1世紀末)


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リヴィアの胸像(14-31)
リヴィアは、初代皇帝アウグストゥスの妻であり、第二代皇帝ティベリウスの母です。


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Caesia Sabinaの名誉石碑(1世紀末)


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名誉石碑(183)


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タンジールの聖マルケッルスの彫像台座(3世紀前半)


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タンジールの聖マルケッルスの彫像台座(3世紀前半)


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グナエウス・ポンペイウスの碑文
グナエウス・ポンペイウス(前106-前48)は、ガイウス・ユリウス・カエサルとマルクス・リキニウス・クラッススと第1回三頭政治を行いました。


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石棺断片(3世紀)


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石棺断片(3世紀)


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石棺断片(3世紀)


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ティケー像(ギリシャ神話の女神)(2世紀)


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女性の頭像(80c)


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組織のメンバーリスト(1-2世紀)


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Gnaeus Decimius Bibulusの葬儀石碑(1世紀)


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Veturia Rufaの葬儀石碑(1世紀)


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Lucius Castriciusの葬儀石碑(1世紀)


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ミゼリコルディア同信会献呈葬儀祭壇(1737)


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フォリーニョ市からのトティラ王への献辞碑(1672)


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カルロ・マリア・オルフィーニからのPublius Aelius Marcellusへの献辞碑(1733)


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Gaius Ancharius Verusへの献辞碑


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葬儀用石碑


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Fulcinius Trhioへの献辞碑


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考古学部門に進みます。


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フォリーニョとその周辺からの発掘物が展示されてます。


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女性の石棺(紀元前1世紀)


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骨壺(紀元前1世紀)


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中庭に出ました。
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノと弟子、協力者によるフレスコ画、オッタヴィアーノ・ネッリによる礼拝堂のフレスコ画、ニッコロ・アルンノ、ピエル・アントニオ・メッツァストリスの作品などが見所の美術館でした。
素晴らしいのでお勧めです。


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(おわり)

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次の部屋です。


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部屋の壁にフレスコ画があります。


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フレスコ画の詳細について、私は知りません。美術館側は恐らく知っていると思います。


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部屋の天井


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作品に日差しが当たらないように展示されてます。


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部屋の所々に椅子が置かれてますが、座ることが出来ます。美術館や博物館の椅子には「座るな」の椅子がかなりあります。


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逸名画家作「玉座の聖母子」(15世紀後半)


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ウゴリーノ・ディ・ジスベルト(トッレ・デッル・コッレ・ディ・ベヴァーニャ、1452-1512消息)に帰属する「玉座の聖母子と大天使聖ミケーレと聖フランチェスコ」(15世紀後半)
Palazzo Monaldi Barnaboにありました。


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ウゴリーノ・ディ・ジスベルト(トッレ・デッル・コッレ・ディ・ベヴァーニャ、1452-1512消息)の「聖母子」(1491)
サンタ・カテリーナ教会にありました。


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ウゴリーノ・ディ・ジスベルト(トッレ・デッル・コッレ・ディ・ベヴァーニャ、1452-1512消息)に帰属する「ロレートの聖母とピエタ」(1494)
Casa di Leonello Leoniにありました。


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ウゴリーノ・ディ・ジスベルト(トッレ・デッル・コッレ・ディ・ベヴァーニャ、1452-1512消息)に帰属する「聖母と天使たち」
オスペダーレ・ヴェッキオ・ディ・サン・ジョヴァンニ教会にありました。


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ウゴリーノ・ディ・ジスベルト(トッレ・デッル・コッレ・ディ・ベヴァーニャ、1452-1512消息)の「聖母子」(1491)
サンタ・カテリーナ教会にありました。


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次の展示コーナーです。


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逸名画家作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(15世紀後半)
サン・ドメニコ教会にありました。


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アッシェンシドーニオ・スパッカ通称イル・ファンティーノ(ベヴァーニャ、1557-1646)の「フォリーニョの風景」(16世紀末)


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何処かで見たことがあると直ぐに思いました。でも、本物がここにある筈がないので、コピー画であることは明白です。
エンリコ・バルトロメイ(フォリーニョ、1818-1901)の「ラファエッロ・サンツィオ作『フォリーニョの聖母』(1511)のコピー画」(1838)
本来であれば、ラファエッロ作の本物はこの美術館にあるべきでした。本物はヴァティカン絵画館にありますが、ナポレオンと教皇庁がグルになっての結果(私はそう思ってます)でしょう。


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ヴァティカン絵画館で展示されているラファエッロの「フォリーニョの聖母」


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ラファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483-ローマ、1520)の「フォリーニョの聖母」(1511)
この作品は、教皇ジュリオ2世の秘書シジスモンド・デ・コンティが注文し、完成するとローマのサンタ・マリア・イン・アラコエリ聖堂の主祭壇に置かれました。
1565年、シジスモンドの孫アンナ・コンティは、深く信心していたフォリーニョのサンタンナ修道院(修道女になっていました)に「フォリーニョの聖母」を寄贈することにしました。同作品は修道院の教会であるサンタンナ教会の祭壇を飾ることになりました。それに因んで作品は「フォリーニョの聖母」と称されるようになりました。
1797年、「フォリーニョの聖母」はイタリアに侵攻したナポレオン軍によってパリに持ち去られ、ルーブル美術館で展示されるようになりました。ナポレオンの没落後、フランスに強奪された作品の返還交渉が行われ、「フォリーニョの聖母」はイタリアに返却されることになりましたが、当時の教皇ピオ7世の強い要求によって、1816年にヴァティカンに移されることになりました。
脱線はこのぐらいにしてフォリーニョ市立美術館の展示作品に戻ります。


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次の展示コーナーです。


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フェリチャーノ・デ・ムーティ―(フォリーニョ、15世紀末-16世紀初頭活動)の「玉座の聖母子と聖フランチェスコと聖ジョヴァンニーノとパドヴァの聖アントニオ」(16世紀前半)
サンタンナ・デッレ・コンテッサ教会にありました。


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17世紀のウンブリアの逸名彫刻家作「2天使」


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ロ・スパーニャの追随者作「ご誕生」(16世紀初頭)
オスペダーレ・ヴェッキオ・ディ・サン・ジョヴァンニ教会にありました。


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ベルナルディーノ・メッツァストリス(フォリーニョ、15世紀末-16世紀初頭活動)に帰属する「聖アミーコ」(1508)
オスペダーレ・ヴェッキオ・ディ・サン・ジョヴァンニ教会にありました。


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ラッタンツィオ・ディ・ニッコロ・ディ・リベラトーレ(フォリーニョ、1480-1527活動記録)の「聖アゴスティーノ」(16世紀初頭)
サンタ・マルゲリータ修道院にありました。


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逸名画家作「グロテスク模様」(16世紀前半)


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逸名画家作「聖母子」(16世紀前半)


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ベルナルディーノ・ディ・マリオット・デッロ・スターニョ(ペルージャ、1478c-1566)の「玉座の聖母子と2天使」(16世紀中頃)
サンタ・ルチア教会にありました。


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逸名画家作「マギの礼拝」(16世紀中頃)


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ドーノ・ドーニ(アッシジ、1505-1575)の「天上のアレッサンドリアの聖カテリーナ、アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」
サンタ・カテリーナ教会にありました。


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逸名画家作「玉座の聖母子と聖ベルナルディーノと聖フランチェスコ」(16世紀前半)


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次の展示コーナーです。


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逸名画家作「寓意的帯状装飾」(16世紀後半)
Palazzo Iacobilli Carraraにありました。


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ウンブリアの木工職人作「物入れ付き長椅子」(16世紀末)


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ウンブリアの木工職人作「物入れ付き長椅子」(16世紀末)


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「式服を着た男像」(1世紀前半)
1618年にスペッロのカルツァ通りから発見された大理石彫刻です。
(つづく)

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絵画館に出ました。
フォリーニョ、フォリーニョ近くのコムーネの教会、修道院やパラッツォなどから集められた作品、および銀行などの法人や個人から貸し出された作品が展示されてます。


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おおっ、これがここにあるとは!! でも、どうして、ここにあるのだ、と思いながらトリッティコをじっくり観ました。ちょっと違います、修復直後のように色鮮やか過ぎで、しかも滑らかな筆使いとは少し違うようです。
説明プレートを見て詳しいことが分かりました。種明かしをすれば、本物のコピー画ですが、その出来は非常に良いと思いました。
カルミネ・パルミエーリ(レッチェ、1871-1940)の「ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)の『カメリーノのトリッティコ』(1480)のコピー画」(1932)
カルミネ・パルミエーリは、ラッファエーレ・マッカニャーニに師事しましたが、次第に宗教画に傾倒して、古典的な宗教画を得意にした画家です。第259代教皇ピオ11世(教皇在位:1922-1939)に気に入られ、ピオ11世の肖像画を数多く制作すると共に、同教皇からの注文に応じて祭壇画などを制作しました。
ニッコロ・アルンノの「カメリーノの祭壇画」はヴァティカン絵画館にありますが、フォリーニョ市立美術館にあるコピー画もピオ11世がカルミネ・パルミエーリに注文して制作されたのです。しかし、そのコピー画がどうしてここにあるかについては、明らかになっていませんが、ルネサンスのフォリーニョ出身の画家による作品ということで、フォリーニョの人々にニッコロ・アルンノの傑作を見せて上げたいとの教皇の思し召しのような気がします。
では、コピー画の各場面を見ておきましょう。


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クスピデのキリストの復活


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天使たち


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中央の磔刑


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左パネル


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聖ヴェルナンツィオ、聖ピエトロ


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右上


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聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ポルフィリオ
写真での比較は非常に難しいと思いますが、ご参考までにヴァティカン絵画館で展示されているニッコロ・アルンノの本物の写真を載せておきましょう。


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)の「カメリーノのトリッティコ」(1480)(ローマ、ヴァティカン絵画館蔵)


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中央パネルの磔刑(本物の写真)


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向かって左の聖ヴェルナンツィオ、聖ピエトロ(本物の写真)


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向かって右の聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ポルフィリオ(本物の写真)
違いがお分かりになりましたか?


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逸名画家作「聖ロッコと注文者」(1497)


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)とラッタンツィオ・ディ・ニッコロ・ディ・リベラトーレ(フォリーニョ、1474-1527記録)の「幼きキリストを崇拝する聖母」(15世紀)
ラッタンツィオは、ニッコロ・アルンノの息子です。
フォリーニョ貯蓄銀行所有作品の寄託展示です。
ガラス保護板があるので、写真がうまく写りません。


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ラッタンツィオ・ディ・ニッコロ・ディ・リベラトーレ(フォリーニョ、1474-1527記録)の「大天使聖ミケーレ」(15世紀末)
ヌンツィアテッラ祈祷所にありました。


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)とラッタンツィオ・ディ・ニッコロ・ディ・リベラトーレ(フォリーニョ、1474-1527記録)の「預言者たち」(1491)
トーディのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にありました。
各場面を左から見ておきましょう。


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プット


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預言者たち


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Trigramma col nome di Cristo


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預言者たち


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プット


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)の「Stendardo(旗)」
ステンダルドは表裏両面に描かれていますが、裏面が見えないようになっていました。
フォリーニョ貯蓄銀行所有作品の寄託展示です。


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ガラスの保護板があるので、写真が良く写りません。


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(15世紀末)
サンタ・ルチア修道院にありました。


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)の「ピエタのキリストと2天使」(15世紀)
フォリーニョ貯蓄銀行所有作品の寄託展示


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)の「受胎告知」(15世紀)
個人蔵作品の寄託展示です。


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逸名画家作「聖母子」(15世紀後半)
マドンナ・デル・サッソ教会にありました。


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ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖フランチェスコ」(1499)
サン・フランチェスコ修道院にありました。


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ベノッツォ・ゴッツォーリ(フィレンツェ、1421c-ピストイア、1497)に帰属する「受胎告知する大天使ラッファエーレ」(15世紀後半)
サン・ドメニコ教会にありました。


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逸名画家作「聖マルティーノ?」(15世紀)


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次の展示コーナーです。


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ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「聖母子と聖人たち(左からベアート・ピエトロ・クリスチ、聖ジローラモ枢機卿、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖ビアージョ、悔悛の聖ジローラモ、聖ボナヴェントゥーラ、聖セバスティアーノ)」(15世紀後半)
サン・フランチェスコ修道院にありました。


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ヨハン・ネポムク・デッラ・クローチェ(イタリア、ラヴィ―ス、1736-オーストリア、リンツ、1819)の「フランチェスコ・チェッカレッリの肖像」(18世紀)
フォリーニョのロータリークラブ所有作品の寄託展示です。
フランチェスコ・チェッカレッリ(フォリーニョ、1752-ドレスデン、1814)は、当時最も有名で有能なカストラート・ソプラノ歌手です。主にドイツ語オペラ、コンサートアリアで活躍しました。
去勢して声変わりを防いでソプラノの音域を維持させたのです。しかし、去勢しても普通の男性のように体が成長するので、女性ソプラノよりも声量、声音が断然上となるそうです。
主に15世紀の作品が展示されている、この場所にこの肖像画が展示されている理由がよく分かりません。


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次の展示コーナーです。


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逸名画家作「ピエタのキリスト」(15世紀末)
オスペダーレ・ヴェッキオ・ディ・サン・ジョヴァンニ教会にありました。


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逸名画家作「ピエタのキリスト」(15世紀末)
Palazzo Monadi Barnaboのありました。


P2370903
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「聖ジローラモ枢機卿、悔悛の聖ジローラモ」(15世紀後半)
オスペダーレ・ヴェッキオ・ディ・サン・ジョヴァンニ教会にありました。


P2370906
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「磔刑と聖ピエトロと聖パオロ」(15世紀後半)
サン・ドメニコ教会にありました。
キリストの磔刑に立ち会った聖人は、聖母、マグダラのマリア(キリストの妻?)、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(キリストの男色の相手?)の3人とされてます。


P2370908
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「玉座の聖母子と聖シメオーネ」(15世紀後半)
サン・フランチェスコ教会にありました。


P2370912
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「玉座の聖母子と天使たちと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ドメニコ」(15世紀後半)
サン・ドメニコ教会にありました。


P2370914
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「天使によって戴冠される聖母」(1486)
オスペダーレ・ヴェッキオ・ディ・サン・ジョヴァンニ教会にありました。


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バルトロメオ・ディ・トンマーゾ(フォリーニョ、1425から記録-ローマ、1454没)の「聖バルナバの殉教、ロレートの聖母、フランチェスコ会聖人と信者たち」(15世紀)
サンタ・カテリーナ修道院にありました。
(つづく)

P2370788
次の部屋です。


P2370789
別名「教皇の間」と呼ばれてます。


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1439年、トリンチ家が追放され、フォリーニョは教皇領となりましたが、教皇がフォリーニョに来る際、この部屋が居室として用意されました。


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教皇の間の壁にフレスコ画あります。


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時期は不明ですが、修復の際、フレスコ画の上に漆喰が塗られてしまいました。最近行われた修復の際に、フレスコ画が発見されたそうです。


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フレスコ画のテーマは、架空の話の寓意画のようです。


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アッシジの画家ドーノ・ドーニ(アッシジ、1500c-1575)の帰属作品とされており、16世紀前半に制作されました。


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ボロンズィーノの寓意画の影響を受けているとされてます。


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展示物がありません。


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次の部屋です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・マイーニ(カッサーノ・マニョーゴ、1690-ローマ、1752)の「聖フェリチャーノ」(1733)
聖フェリチャーノはフォリーニョの守護聖人です。


P2370800
詳細不明


P2370801
展示物を入れるためのもの?


P2370802
これも展示物用?


P2370803
何の目的なのか、サッパリ分からない。


P2370804
次の部屋です。


P2370805
説明板などがありません。


P2370806
目的など意味不明の部屋が多いようです。


P2370807
次の部屋です。


P2370808
聖職者の法衣


P2370809


P2100313


P2370812
順路に従って進みます。


P2370811
次の部屋です。


P2100314
19世紀の計量器
塩などの量り売りに使用されていました。


P2100316


P2100317
フォリーニョの紋章入りの絵皿


P2100318
フォリーニョの画家ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノの顔が描かれた絵皿


P2100319
詳細不知


P2100321
制作者情報不知の「ジョヴァンニ・アントニオ・ジーリの肖像」(1588)


P2100323
廊下です。


P2370813
この先に2つの扉があります。


P2370815


P2370816


P2370817


P2370818


P2100328
ミラノ・スカラ座の部屋に戻ってしまいました。
廊下にもう一つ扉があります。


P2100335
もう一つの扉から中に入ると、中は絵画館でした。
(つづく)

P2370727
再びロッジャに戻りました。


P2370729
ロッジャを経由して礼拝堂に進みます。


P2370730
ロッジャから礼拝堂への入り口扉上ルネッタにフレスコ画があります。


P2370728
これです。「聖母子と2聖人」の詳細が分かりません。礼拝堂のフレスコ画と同じオッタヴィオ・ネッリの作品でしょうか?


P2370733
礼拝堂に入りました。


P2370731
礼拝堂のフレスコ画も必見です。


P2100506
礼拝堂の名前は特に付けられていないようです。


P2100507
最近行われた修復によって色鮮やかに蘇りました。


P2100509
トリンチ家最後のフォリーニョ卿コッラード3世・トリンチ(フォリーニョ、?-?、1441)の指示によって、グッビオ出身の画家オッタヴィアーノ・ネッリ(グッビオ、1375-1444)が1424年に制作したフレスコ画によって礼拝堂の壁が覆われてます。
コッラード3世は、1421年からフォリーニョを支配していましたが、1439年に教皇勢力によってフォリーニョから追放されました。1439年からフォリーニョは教皇庁から派遣された総督支配の街になりました。


P2370736
礼拝堂のフレスコ画は、シエナ派の影響を受けたオッタヴィアーノ・ネッリの国際ゴシック様式の完成を示す傑作とされてます。
フレスコ画のテーマは、「聖母の物語」となってますが、主題と無関係の場面が幾つか描かれてます。
各場面を見て行きます。


P2370738
礼拝堂祭壇の後方壁から見て行きます。


P2100514
聖母の神殿奉献


P2100516
博士たちとの問答


P2100518
割礼


P2100511
キリストの誕生


P2370745
マギの礼拝


P2370746
左から聖アントニオ・アバーテ、聖ドメニコ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ


P2370749
磔刑


P2370751
聖痕を受ける聖フランチェスコ
写真右下にロッジャのフレスコ画が写ってます。


P2100519
次の壁です。


P2100519
受胎告知


P2100524
聖母の死


P2100526
聖母被昇天


P2100528
聖母の誕生


P2100530
次の壁です。


P2100536
金門での聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅


P2370760
聖ジョアッキーノと聖アンナの結婚


P2100532


P2100534


P2100538
聖母からの使徒送別


P2100539
聖母の死
聖母の死が2場面あるのは珍しいと思います。


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次の壁です。


P2100542
聖母の教育


P2100545
キリストの神殿奉献


P2100546
聖母に死のお告げをする大天使ミケーレ


P2100549
天使からのお告げ


P2370775
天井


P2370777


P2370784
次の部屋です。


P2370785
バッカス


P2370786
制作者情報不詳です。


P2370787
貴族
(つづく)

P2100182
次は廊下、橋です。


P2100183
この場所は、トリンチ宮殿とドゥオーモを結ぶ「吊り橋」です。


P2100184
壁にフレスコ画が描かれてますが、構造が複雑です。
先ず、1406年から1407年にかけて、ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404c-1437活動記録)によって単色のフレスコ画が描かれました。
その上に、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c-ローマ、1427)と弟子や協力者によって、11人の英雄が1411年から1412年に描かれました。


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色が付いている上のフレスコ画が落剝して、下の単色フレスコ画が見えてます。


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色が付いている部分がジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c-ローマ、1427)と弟子、協力者によって1411年から1412年にかけて制作されたものです。
色が付いているフレスコ画が落剝して、その下に描かれた単色フレスコ画が見えてますが、その部分はジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450生存確認)によって、1406年から1407年にかけて制作されたものです。


P2100186
ロムルス


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Sette eta dell'uomo : Vecciaia e Decrepitezza


P2100193
ドゥオーモへの扉に向けて進みます。


P2100194
描かれている英雄とは、ヨシュア、ダヴィデ、ユダ・マカバイ、アーサー王、シャルマーニュ、ユリウス・カエサル、アレキサンダー大王、ロムルス、スキピオ・アフリカヌス(ハンニバルをザマの戦いで破りポエニ戦争を終結させたローマ軍将軍)、ゴドフロワ・ド・ブイヨン(第1回十字軍の指導者)、カール大帝の11人です。


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落剝してシノピエが見えてます。


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ドゥオーモの扉は施錠されていて、ここで行き止まりとなってます。


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もう一度じっくり見ることにしました。


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スキピオ・アフリカヌス


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「吊り橋」から市庁舎と共和国広場が見えます。


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ヨシュア


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ダヴィデ


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ゴドフロワ・ド・ブイヨン


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詳細不知


P2370715
詳細不知


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アーサー王


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シャルマーニュ


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P2370725
ロッジャに戻ります。


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ロッジャに戻りました。ロッジャを経由して彫刻がある部屋に向かいます。


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彫刻が展示されている部屋に進みます。


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アモールとプシケの浮彫(1-2世紀)


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Filippo Juniorの彫像(3世紀前半)


P2100210
若者の頭像(2世紀)


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若者の頭像(2世紀中頃)


P2100214
ハドリアヌス帝の頭像(2世紀初頭)


P2100216
男の頭像(紀元前1世紀末)


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ゼウス?の頭像(紀元前1世紀末)


P2100220
ゼウスの頭像(2世紀)


P2100222
(つづく)

P2370657
次の部屋です。


P2370662
フォリーニョに来たら、この部屋のフレスコ画は必見です。


P2370663
Sala delle Arte Liberali e dei Pianeti、教養と惑星の間です。


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「フォリーニョ市立美術館 (その3)」で触れましたが、15世紀初めにフォリーニョを支配していたトリンチ家当主ウゴリーノ3世・トリンチ(フォリーニョ、?-1425)の招聘を受けたジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c-ローマ、1427)によって制作されたフレスコ画です。
ジェンティーレだけではなく、ヤコポ・ベッリーニを含む弟子や協力者によって制作されました。


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1411年8月27日、制作報酬として225フィレンツェ・フロリン(フィレンツェ金貨)(3000万円くらい?)が支払われた記録が残されているので、1411年に制作されたと断定されてます。


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主題に対して多分に寓意的に描かれてます。


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正面左から天文学、哲学、芸術の女王


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左から音楽、論理、文法


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音楽、論理


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文法


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月とDecrepitezza(老朽化と訳す?)と火星


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弟子や協力者として、名前が分かっているのはヤコポ・ベッリーニの他にパオロ・ノッキ・ダ・フォリーニョ、フランチェスコ・ジャンボノ・ダ・ボローニャ、べッティスタ・ディ・ドメニコ・ダ・フォリーニョの3人となってます。3人について、私は全く知りません。


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Infanzia (児童? 児童に見えないのですが・・・・・)


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左から算術、修辞


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丸く描かれているのが惑星です。


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場面によって制作者の技量がかなり違うことが分かります。


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落剝が多い部分


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太陽と4頭立て馬車


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アーチに描かれたフレスコ画を見ながらロッジャに入ります。


P2100156
ロッジャです。


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ロッジャの壁にローマ建国の歴史が描かれてます。


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制作者は、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノとその弟子、協力者です。


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これを見れば、各場面の意味が分かります。


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大部分が落剝している壁


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P2100158


P2100159
(つづく)

P2370585
中2階(日本でいうところの)に進みます。


P2370586
事務室でしょうか?


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中2階ニッチのフレスコ画「聖母子?」


P2370588
階段上の天井


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2階(日本でいうところの)へと進みます。


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2階の最初の展示室です。


P2370593
現代彫刻が展示されてます。


P2370597
この辺の展示は趣味ではないので、直ぐに退散したいところです。


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しかし、部屋の壁に描かれたフレスコ画が見逃せないので、暫し部屋に留まりました。


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フレスコ画の制作者や制作された時期等の詳細が私には分かりません。


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P2370598
次の部屋です。


P2370599
ミラノ・スカラ座関係の展示です。
ミラノ・スカラ座とフォリーニョは無関係に思えるかも知れませんが、フォリーニョの建築家の設計によってスカラ座が建設されたのです。


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スカラ座の模型


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P2370602
フォリーニョ出身の建築家ジュゼッペ・ピエルマリーニ(フォリーニョ、1734-1808)の設計によってミラノ・スカラ座が建設されました。


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スカラ座内部の模型


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P2370606
ジュゼッペ・ピエルマリーニの胸像(制作者情報不知)


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次の部屋です。


P2370609
剥離フレスコ画が展示されてます。


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ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「磔刑」(1428c)
サン・ジョヴァンニ・デリ・インピッカーティ教会にありました。


P2370613
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「慈悲の聖母」(1428c)
サン・ジョヴァンニ・デリ・インピッカーティ教会にありました。


P2370617
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「カルヴァリオへの上り」
サン・ジョヴァンニ・デリ・インピッカーティ教会にありました。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ディ・ドメニコ・デ・リーゼ(フォリーニョ、1463記録)に帰属する「聖ベネデットの物語の1エピソード」(15世紀前半)
サン・クラウディオ教会にありました。


P2370623
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「授乳の聖母」(15世紀前半)
サン・クラウディオ教会にありました。


P2370626
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「玉座の聖母子」(15世紀前半)
サン・クラウディオ教会にありました。


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アンドレア・カーニョ(フォリーニョ、1446記録)に帰属する「受胎告知」(15世紀初頭)
Casa Nocchiにありました。


P2370631
逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(14世紀前半)


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次の部屋です。
この部屋から数室のフレスコ画がフォリーニョ美術における最大の見所です。


P2370635
フレスコ画が描かれてます。


P2370636
Sala degli Imperatori (皇帝の間)と呼ばれてます。


P2370637
Sala degli Giganti (巨人の間)とも呼ばれてます。


P2370639
15世紀初頭のフォリーニョを支配していたトリンチ家当主ウゴリーノ3世・トリンチ(フォリーニョ、?-1415)は、ローマ時代からトリンチ家の支配継続を祝福するためにトリンチ宮をフレスコによる装飾を考え、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c-ローマ、1427)にフレスコ制作を依頼しました。ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノは、その招聘に応じ、1411年から1412年にフォリーニョに滞在して、弟子と協力者と共にトリンチ宮装飾に従事しました。
そうして装飾された部屋の一つがこの部屋で、フレスコ画は1411年に制作されました。
ジェンティーレの下で制作に従事した画家として、弟子の若きヤコポ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1396-1470?)(ジェンティーレ・ベッリーニとジョヴァンニ・ベッリーニの父です)、フォリーニョの画家パオロ・ノッキ、ボローニャ出身の画家フランチェスコ・ジャンボノ、フォリーニョの画家バッティスタ・ディ・ドメニコがいました。


P2370640
教皇シスト4世の紋章です。
1411年に制作された当時、この場所には、トリンチ家とウゴリーノ3世・トリンチの紋章がありましたが、1439年にトリンチ家がフォリーニョから追放され、トリンチ宮は教皇総督に使用されることになったので、1477年に教皇シスト4世の紋章に差し替えられました。


P2100225


P2100223
18人のローマ皇帝などが描かれましたが、残されているのは15人で、3人が落剝して失われています。


P2100234
天井


P2100233
現存する15人を紹介しておきましょう。
左から右へ、オッタビアーノ・アウグスト(アウグストゥス)、ティベリオ(ティベリウス)、カミッロ


P2100235
左からファブリツィオ、マニオ・キュリオ・デンタート、ティート・マンリオ・トルクゥアート


P2100236
左からチンチッナート、マルオ・クラウディオ・マルチェッロ


P2100239
左からアフリカのシピオーネ(スキーピオ)、ムーツィオ・スチュヴォーラ


P2100241
左からカト―ネ(カト―)・ウティチェンセ、カイオ(ガイウス)・マリオ


P2100243
左からカイオ(ガイウス)・マリオ、プブリオ・デーチョ(パブリウス・デシウス)、クラウディオ・ネローネ、ファビオ・マッシモ
カリグラ、ポンぺウス、トライアヌスは失われてありません。


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もう一度見ました。


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ローマ時代の彫刻が置かれてます。


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P2370653


P2370654


P2370655


P2370656
(つづく)

P2370493
ここから絵画館の展示になりますが、順路に従って進むと絵画から外れてしまうのは何故でしょうか。展示室番号表示がないので、ブログで紹介するのが大変ですが、兎に角順路通りに進めることにします。


P2370494
逸名画家作「天使によって戴冠される聖母」(14世紀前半)
サン・ジョヴァンニ・デリ・インピッカーティ教会にありました。


P2370498
逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(15世紀前半)
サン・ドメニコ教会にありました。


P2370501
逸名画家作「磔刑」(15世紀初頭)


P2370504
Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoに帰属する「真十字架の検証」(14世紀末)
サンタントニオ修道院のサンタグネス教会にありました。


P2370506
次の部屋です。


P2370508
逸名画家作「三位一体と聖パオロと聖ステファノと2天使と寄進者」(14世紀末)
サン・クラウディオ教会にありました。


P2370511
逸名画家作「ピエタのキリスト、アレッサンドリアの聖カテリーナ」(14世紀末)
サン・クラウディオ教会にありました。


P2370514
逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(14世紀末)
サン・クラウディオ教会にありました。


P2370517
逸名画家作「アンティオキアの聖マルゲリータ、聖女、聖エレーナ、聖ジローラモ」(14世紀末)
サン・クラウディオ教会にありました。


P2370519
次の部屋です。


P2370520
この部屋でも剥離フレスコ画展示されてます。


P2370521
木組みの天井


P2370523
Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoの「園のキリスト」(14世紀)
サンタントニオ修道院のサンタグネス教会にありました。


P2370526
Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoに帰属する「キリストの逮捕」(14世紀末)
サンタントニオ修道院のサンタグネス教会にありました。


P2370529
Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoに帰属する「カルヴァリオへの上り」(14世紀末)
サンタントニオ修道院のサンタグネス教会にありました。


P2370532
Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoに帰属する「磔刑」(14世紀末)
サンタントニオ修道院のサンタグネス教会にありました。


P2370534
次の部屋です。


P2370535
ここも剥離フレスコの展示です。


P2370536
Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoの「十字架降下」(14世紀末)
サンタントニオ修道院のサンタググネス教会にありました。


P2370540
Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoに帰属する「キリストの復活」(14世紀末)
サンタントニオ修道院のサンタグネス教会にありました。


P2370542
Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoの「マルタの家のキリスト、マリア」(15世紀)
サンタ・エリザベッタ修道院にありました。


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P2370549
下の方に進みます。


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P2370551
グランデ広場(共和国広場)の人々の服装が示されてます。


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ジョストラの部屋


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P2370573


P2370574
次の部屋です。


P2370576
部屋のフレスコ(詳細不知)


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P2370581


P2370582


P2370583


P2370584
(つづく)

P2090746
共和国広場の突き当りにトリンチ宮があります。


P2090759
新古典様式のファサードのトリンチ宮です。


P2090769
フォリーニョの裕福な商人ジョヴァンニ・ディ・チェッカレッロによって建設された塔のある家です。
14世紀頃のフォリーニョは、グエルフィの頭領トリンチ家の支配下にありましたが、14世紀末に、そのトリンチ家が塔のある家を買い取り、それを組み込んだ一つの複合建物が1389年から1407年にかけて建設されましたが、それがトリンチ宮です。


P2100154
トリンチ宮にフォリーニョ市立美術館があります。


P2100565
1439年、トリンチ家がフォリーニョから追放され、トリンチ宮は教皇から派遣された総督邸として使用されるようになりました。


P2370441
19世紀になるとトリンチ宮の古いファサードに代わって、市庁舎の外観に合わせて新古典様式のファサードに改装されることになり、1842年から1847年にかけて改装工事が行われました。


P2370442
1870年にフォリーニョ市立美術館が設立されましたが、その当時は別の建物にありました。1935年、市立美術館はトリンチ宮に移転、現在に至ってます。


P2370443
中々の展示を誇る美術館です。


P2370444
扉が開きました。


P2100133
美術館は幾つかの部門に分けられてます。


P2100134
中庭に出ます。


P2100135
中庭に面した建物は15世紀に建設されました。


P2100136
1944年、第二次世界大戦でドイツ軍の爆弾が中庭に命中して破壊されてしまいました。現在の中庭は1949年に再建修復されたものです。


P2100139
中庭から美術館の入り口への階段があります。


P2100138
1935年、市立美術館がトリンチ宮に移転した時には、この階段がなく、美術館への入館には遠回りを余儀なくされていました。その不便を解消するために建築家チェーザレ・バッザーニ(ローマ、1873-1939)の設計によって、1937年に階段が追加されました。


P2100137
柱廊に遺跡からの発掘物などが置かれてます。


P2100141
柱廊の壁の紋章


P2370454
柱廊に置かれた展示物を見ます。


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展示物というよりも柱廊が単に置く場所になっている感じが無きにしも非ず。


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説明板がありません。


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発掘物の一時保管場所?


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見るべき価値なしでしょうか?


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階段を上って美術館に向かいます。


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館内に入ります。


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考古学部門から見ました。


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考古学部門は何処の博物館でもほぼ同じ展示です。


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P2370467
展示物よりも部屋の壁に描かれたフレスコ画に興味があります。


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フレスコ装飾についての説明が一切ありません。


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古文書の展示です。


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P2370482
この部分のフレスコ装飾も詳細不明です。


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トリンチ宮外壁のフレスコ装飾


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15世紀初め頃のトリンチ宮


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P2370492
(つづく)

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次はサンタ・カテリーナ教会です。


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突き当りにサンタ・カテリーナ教会のファサードがあります。


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1225年に建設されたゴシック様式のサンタ・カテリーナ教会修道院でした。


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オリジナルではなく、後世に修復された柱頭でしょう。


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教会、修道院ともに機能を停止しました。
修道院だった建物は一部取り壊されて小学校の校舎に転用されてます。


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写真左は旧修道院です。


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中のフレスコ画は剥離されて、トリンチ宮の市立美術館で展示されてます。


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サンタ・カテリーナ通りです。


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夏至の強烈な日差しを避けて、日影が多い道を選んで街歩きしましたが、少し道幅が広い道に出ると日陰が少なく困りました。


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Vicolo del Tredici


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Via Ponte del Campo


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ジョストラの決起集会でもあると思ってましたが、昼過ぎは静かなものでした。


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ジョストラの地域分けが載っている案内板がありました。


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成程、この道路が地域の境界になってます。


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Via del Giglioは日陰なので、日差しと暑さから一息付けました。
フォリーニョに行ったことがなく、フォリーニョにご興味がない方は、通り名を記されて意味があるかと、お思いになることでしょう。
正確さを期したい性格なので、この辺は徹底させずにはいられないのです。


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16世紀に建設されたPalazzo Sbrozziです。


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Palazzo Sbrozziの入り口です。


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ベネデット・カイローリ通りです。


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水飲み場があります。


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公共用と判断して水をごちそうになりました。


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水色の建物は16世紀に建設され、18世紀に現在の姿に改修されたPalazzo Bernabei- Jacobilliです。


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建物の装飾を見ました。


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個人蔵の建物です。


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装飾の維持管理が大変でしょうね。


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出入り口


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Palazzo Bernabei- Jacobilliの建設された経緯を調べましたが分かりません。


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サン・フランチェスコ広場にやってきました。


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サン・フランチェスコ修道院だった建物は改造されてます。


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サン・フランチェスコ広場に面して建つ、17世紀から18世紀にかけて建設されたPalazzo Lezi- Marchettiです。


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Rione Cassero


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サン・フランチェスコ教会です。


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以前と比較すると少し色褪せた気がするフレスコ画です。


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サン・フランチェスコ教会の隣にあるマドンナ・デル・ゴンファローネ祈祷所の扉が開いていました。


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中に入ろうとすると足場が組まれていて工事中でした。地震の影響でしょうか?


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サン・フランチェスコ広場を後にします。


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Via Antonio Rutili


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2つの建物の補強?


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Via Morlupoにあります。


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Via Antonio Rutiliを進みます。


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突き当りでVia del Gonfaloneに出ます。


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Via Cesare Agostini


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2つの建物を結ぶ連絡橋の下を潜ります。


P2370424
(つづく)

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ざっと見た感じでは、地震によって倒壊した建物は皆無のようでした。


P2370303
Via Maurizio Quadrioの建物も無事でした。
フォリーニョがほぼ大丈夫だったので、ノルチャ、アマトリーチェに行ったのですが、判断の間違いでした。


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それでも修復工事を請けた建物が幾つかあることが分かりました。


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この建物にタベルナコロがあったと記憶してますが、見当たらず。


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Via Gramsciを進みます。


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Rione Spada


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Rione Ammanniti


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Via Gramsciが地区の境界となってます。


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14世紀に建設されたPalazzo Piermariniです。19世紀に現在の姿に改修されました。


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古そうな壁塀ですが、特に名前がないようです。


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紀元前1世紀の霊廟が組み込まれたCasa Medievaleです。


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17世紀に建設されたPalazzo Vitelleschiです。


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地震で被害を受けた建物は15世紀以前に建設されたもの?


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壁にフレスコ画がある建物です。


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詳細不明の「聖母?」


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Via Gramsciの突き当りは旧サン・ドメニコ修道院です。


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地震によるフォリーニョの主な被害は古い教会の建物に留まった?様に思えます。


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18世紀に建設されたPalazzo Brunetti- Candiottiです。


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このPalazzo Brunetti- Candiottiにジョストラの本部が置かれてます。


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係員全員が出払っているのか、ジョストラ当日にも拘らず本部には誰もいないようでした。


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旧サン・ドメニコ教会修道院です。


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現在は展示会場等に使用されてますが、この日の催事開催はありませんでした。


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磔刑のタベルナコロ


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ファサードがあるサン・ドメニコ広場の方に向かいます。


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Rione Mora


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写真左はPalazzo Frezziです。


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サン・ドメニコ広場です。


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昼過ぎなので、サンタ・マリア・インフラポルタス聖堂の扉が閉まっていたのは当然ですが、この時の旅で数回ここに来たものの何時も扉が閉まっていました。恐らく内部で修復工事が行われていたのでしょう。


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外観上では問題無さそうでした。


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旧サン・ドメニコ教会です。


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広場の建物も外見上は問題無さそうです。


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14世紀に建設されたCasa degli Attiです。


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Palazzo Passeriは16世紀から17世紀にかけて建設されました。


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サン・ドメニコ広場を後にします。


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お祭りの行進曲が何時しか聞こえなくなり静かになりました。


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Via Cortellaを進みます。


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お祭り当日でも昼休みは欠かせないようで人通りが途絶えました。


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これは何でしょうか?


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目的や意味があると思いますが、全く分かりません。


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この通りだけで他の通りでは見なかったような気がします。


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建物の下のアーチを潜ってきましたが、振り返ってアーチのある建物を撮ったところです。


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この辺は城壁内の南東方向に当たります。


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(つづく)

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時が移ろい、前回の旅から1年後の夏でした。


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前泊地はペルージャでした。


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この日は、フォリーニョの夏まつりジョストラが行われる日でした。


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1年前のフォリーニョは肌寒い上に悪天でしたが、その時とは雲泥の差の気候でした。


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シロッコの影響で、連日、乾燥した晴天続きでした。毎日の天気予報は、気温40度を超えるか、越えないかでもちきりでした。
私の体験では、イタリアは6月が最も暑いと思います。


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Via Niccolo Alunnoにフォリーニョの画家ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1430c-1502)の家があったとされてます。


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Via Butaroni


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サンタ・マリア・デッラ・スッフラージョ教会が閉まっていましたが、閉まっていたのは地震とは関係なさそうです。
この時の旅の主目的は、2016年8月24日、2016年10月26日、2016年10月30日、2017年1月18日に起きた地震による教会や美術館への影響が心配だったので、それを自分の目で確認することでした。
結論を言えば、フォリーニョは大丈夫でしたが、フォリーニョの後に行ったノルチャ、アマトリーチェの被害は甚大で、観光気分で行ったことを恥じ入りました。


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ペルジーノのフレスコ画があるOratorio della Nunziatellaも扉が閉まっていました。


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お祭りの行進曲が聞こえてきたので、この日がジョストラ当日であることが分かりました。夏至前後の週末は、何処のコムーネに行ってもお祭りです。


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ガリバルディ通りです。


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地震後、閉鎖が続いていると聞いていたドゥオーモが気になるので、先ずドゥオーモに向かいました。


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遠目でドゥオーモの建物は大丈夫のように見えました。


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外壁は問題無さそうです。修復工事が未着手に見えました。しかし、その隣のPalazzo delle Canonicheの扉が閉まっていたので、立ち入りが禁止されていたようです。


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共和国広場側のPalazzo delle Canonicheは問題無さそうです。


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市庁舎は大丈夫でした。


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行進曲が徐々に大きく聞こえるようになりました。


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何をやっているのか、サッパリ分かりませんでしたが、兎に角暫く見ることにしました。


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共和国広場に舞台が設営されています。


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行進の一行が広場にやってきました。


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演奏しているのは大人だけでした。


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行進に加わっているのは子供とその親でした。


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フォリーニョのジョストラについては全く知りません。


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イタリアで象で思い浮かぶのはハンニバルくらいです。


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Quintaraは槍突きの意味ですが・・・・・


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舞台で何やら始まりました。


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舞台で気勢を上げました。


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舞台で気勢を上げると、行進が始まり広場から出て行きました。


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別の方角から行進曲が聞こえてきました。ジョストラの他の地区が広場に来るようです。


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サイド・ファサードの右扉と左扉が何時もと違っていました。地震の影響でしょうか?
ジョストラを見に来た訳ではないので、共和国広場を後にしました。


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トリンチ宮が地震の影響がなかったようです。


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Via Gramsciの、板で入り口が塞がれた建物は地震の被害を受けたからでしょう。


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旧サンタポッリナーレ教会前のPiazza Don Minzoniです。


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お腹が空いたので、広場横のトラットリアで昼食を食べることにしました。


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外に席で食べるのが好きなイタリア人ですが、流石に気温40度では外で食べている人がいませんでした。


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食後、歩き回る予定だったのでビールで我慢しました。


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外に出ました。
(つづく)

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次はサンタ・マルゲリータ教会です。多分開いていないと思いましたが、一応行ってみることにしました。


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サンタ・マルゲリータ通りに入ると直ぐに教会が見えてきます。


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モリーニ運河に架かる橋横にサン・ジュゼッペ祈祷所、別名トリニータ祈祷所がありましたが、16世紀に現在地(モリーニ運河に近く)に移転して改めて教会の建物が建てられ、その際、聖マルゲリータに捧げられるようになりました。


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サンタ・マルゲリータ通りの道幅が狭いので、ファサード全体の写真がうまく撮れません。


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現在の姿は、1722年から1733年にかけて行われた改修工事後のものです。


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1997年の地震によって大きな被害を受け、大修復工事が完了するまで教会活動が休止されていました。


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サンタ・マルゲリータ通りを少し進んでモリーニ運河に出ます。


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モリーニ運河です。


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標識に従って運河のポルティコに行きます。


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Portico della Conce


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柱廊を潜り、向こう側に出た所で振り返って撮った写真です。柱廊の先にサンタ・マルゲリータ教会が写ってます。


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サンタ・マルゲリータ教会です。


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柱廊の周囲には古い建物が建ち並んでます。


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聖母子のタベルナコロ


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市立美術館の開館時間間近になりました。


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ベナドゥッチ通りです。


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グラーノ広場を経由して美術館があるトリンチ宮に向かいました。


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グラーノ広場を通り過ぎました。


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直ぐにドン・ミンツォーニ広場に出ました。
1148年に遡る旧サンタポッリナーレ教会前には狭い土地があるだけで密集した住宅地となっていましたが、第二次世界大戦の爆撃によって住宅が倒壊消失してしまいました。
戦後、戦争を忘れないための平和の広場として、この広場が出来ると共に、広場に平和のための亀のモニュメントが作られたのです。


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イヴァン・シーマー(Ivan Theimer)(チェコ、1944-生存中)の「平和のための戦争記念モニュメント」(2004)


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亀1匹


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亀2匹


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ガエターノ・ガンドルフィ(サン・マッテオ・デッラ・デチーマ、1734-ボローニャ、1802)?の「無原罪の御宿リ」


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トリンチ宮に着きました。


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トリンチ宮の中庭


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入館しました。


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トリンチ宮の各部屋に描かれたフレスコ画に惹かれます。


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非常に見応えがあります。全展示室の面積が広く、展示作品数が多いので、限られた時間(途中昼の休館時間があって、午前3時間、午後3時間の開館)内に見るのは簡単ではないと思います。


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作品の質も高いのが特徴です。しかし、何時入館しても閑古鳥が鳴いてます。


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市立美術館に付いては、項を改めて詳しく触れる予定です。


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外に出ました。


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入館した時よりも天候が悪化して、今にも雨が降り出しそうでした。


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旧市庁舎の建物です。


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Palazzo Trinciとは別の建物です。


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昼食を食べる時間です。


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とうとう雨が降ってきました。


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かなり大粒の雨でしたが、傘を持っていても差さない人が多かった。何故?


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肌寒くて困りました。


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6月だったので、夏用の服装しか持参していない。


101
昼食が終わって、次はサン・フランチェスコ教会です。


102
昼食後の午後2時頃ですから、サン・フランチェスコ教会が閉まっていたのは当然です。


104
13世紀に遡るサン・マッテオ教会が前身です。その教会を礼拝堂として組み込んで1701年に完成したサン・フランチェスコ教会です。


105
ファサード横壁龕に描かれたフレスコ画


107


109
フランチェスコ教会横にあるのは、18世紀に建設されたマドンナ・デル・ゴンファローネ祈祷所です。


112
(つづく)

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サン・ジャコモ教会の横を通ってメンターナ通りに出ました。


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この辺は城壁近くに当たります。


P2100060
メンターナ通りです。


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サン・ジャコモ教会修道院の鐘楼


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サン・ジャコモ教会のミサが終わる頃まで、サンタ・ルチア修道院に行ってみることにしました。


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次の左に折れる道を左折します。


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城壁兼堤防沿いのアウグスト・ボッレッタ通りです。


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城壁兼堤防


077
フォリーニョの城壁沿いに流れるトピーノ川です。(冬に行った時に撮った写真です)


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アウグスト・ボッレッタ通り側の城壁兼堤防です。


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13世紀から14世紀に築かれた城壁です。


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アウグスト・ボッレッタ通りに面して建つ家々です。


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次に右に折れる道がある所で右折します。


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サンタ・ルチア通りに出ました。写真左がサンタ・ルチア教会です。


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17世紀に造られたOrti Jacobilliです。


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サンタ・ルチア修道院の修道士たちが使用していた菜園です。


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城壁です。ここは川は流れておらず、堤防ではありません。


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こちらはサンタ・ルチア教会です。


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修道院は見所が多いので開いていると嬉しかったのですが、その空いている確率は教会よりも低そうです。


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こちらの建物はサンタ・ルチア教会です。


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こちらはサンタ・ルチア修道院です。


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14世紀初めに建設されたアゴスティーノ会のサンタ・マリア・セルヴィ修道院が前身です。同修道院は1326年の記録に初めて記載されました。


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教会の側壁です。
1425年、修道院はフランチェスコ会の所有となり、それを機にサンタ・ルチア修道院と改称されました。


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外壁の「聖フランチェスコ」(20世紀)


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修道院外壁にある「聖キアーラ」(20世紀)


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修道院の扉上ルネッタの「聖ルチア」(20世紀)


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修道院扉上ルネッタ上のフレスコ画は、ピエル・アントニオ(ピエラントニオ)・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の「聖母子と聖ルチアと聖キアラ」です。


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教会も修道院も閉まっていました。


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新古典様式のサンタ・ルチア教会は1928年に再建された比較的新しい建物にあります。


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修道院からサン・サルヴァトーレ参事会教会の鐘楼が見えます。


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教会前の小さな広場


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修道院に見たい作品が数点あったので、扉が閉まっていたのが残念でした。


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メンターナ通りに戻りました。


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サン・ジャコモ教会のミサが終わる時刻です。


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写真右は城壁です。


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サンタ・ルチア修道院から徒歩約5分でサン・ジャコモ教会に行くことが出来ます。


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突き当り左がサン・ジャコモ教会です。


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サン・ジャコモ教会の身廊と後陣です。


P2100100
ファサード側に回ります。


P2100102
ビックリしました。扉が閉まってる! この時間は開いている筈でしたが・・・・・
仕方がありません。開いていれば見たかった作品を示しておきましょう。


1
単廊式、ラテン十字形の内部です。


2
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の祭壇画


3
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の祭壇画


4
後陣のフレスコ画「聖母被昇天」


P2100104
教会巡りは運ですが、効率が悪い!!


P2100103
(つづく)

P2100009
サン・サルヴァトーレ参事会教会の鐘楼です。


P2100013
Via Sceltri


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この辺は特に古い建物が建ち並んでます。


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サン・サルヴァトーレ参事会教会の周りを一周しました。


P2100016
写真右は古そうな建物ですが、特に名前がないようです。


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写真右は前の写真と同じ建物です。


P2100018
同じ建物の写真です。


P2100019
ガリバルディ広場周辺の建物は風情があります。


P2100020
通りの名前が分かりません。


P2100021
この通りの名称が分かりません。


P2100022
観光案内所で頂戴した地図には小さな通りの名称が記載されていません。


P2100023
ドゥオーモのクーポラです。


P2100024
通りの右側と左側では旗の色が違います。この道路がジョストラのチーム分け境になっているようです。


P2100025
ドゥオーモに来る予定がありませんでしたが、足の赴くままに来てしまいました。


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ピオ2世の紋章?でしょうか。


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司教館のアーチを潜って広場に出ます。


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Piazza Faloci Pulignaniです。


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ドゥオーモの右側外壁


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写真右がドゥオーモのメイン・ファサードです。ファサードが2つあります。


P2100031
この時は、2016年6月で、2016年8月から2017年1月にかけて4回発生した地震の前でした。


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ゼッカ通りです。


P2100033
時計塔がある建物は市庁舎です。


P2100034
市庁舎の歴史は13世紀に遡りますが、現在の市庁舎は、プリオーリ宮とカピターノ宮を繋ぎ合わせて、1546年から1642年にかけて、さらに拡大増築された二代目となるものです。1832年に地震によってファサードに大きな被害を受け、その後に再建されました。
また、塔は1997年に地震によって崩落したので、その後再建修復され2007年に完成しました。


P2100035
ドゥオーモのメイン・ファサード


P2100037
ドゥオーモのサイド・ファサード


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共和国広場、旧称グランデ広場です。


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写真左はPalazzo delle Canonicheです。


P2100039
アーチの先は9月20日通りです。


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写真右がPalazzo Trinciです。この建物に市立美術館があります。


P2100041
Via Gramsci


P2100042
観光客に見向きもされないフォリーニョですが、その理由が私には分かりません。


P2100044
前日、このトンネルの中で雨宿りをしました。


P2100045
市立美術館の開館時間まで時間潰しが必要です。


P2100046
時間潰しのためにサン・ジャコモ教会に行ってみることにしました。


P2100047
写真右はCanaleの堤防です。


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旧市街で顔を出したり地下を流れるCanale dei Moliniです。


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通りの突き当りがサン・ジャコモ教会です。


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サン・ジャコモ修道院です。


P2100052
写真左がサン・ジャコモ教会、左が修道院です。
この場所に1210年の文書に記載されていた聖ジャコモに捧げられたホスピスがあり、そのホスピス内に礼拝堂がありましたが、それが前身です。1273年に礼拝堂が増築されサン・ジャコモ教会となりました。


P2100053
現在のゴシック様式の建物は、1402年に再建された二代目です。
扉が開いていたので中に入るとミサ中でした。


P2100054
修道院は1860年に閉鎖されました。


P2100055
ミサが終わる頃を見計らって再訪することにしました。


P2100056
(つづく)

P2090954
1383年、モンテジョーヴェ伯爵夫人ベアータ・アンジェリーナによって建設された修道院です。


P2090956
多くのフレスコ画が修道院にあるので、扉が閉まっていて見ることが出来ないのは残念至極でした。


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この辺一帯はサンタンナ修道院に関する建物が並んでます。


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ベアータ・アンジェリーナの家と呼ばれてますが、彼女の住居ではないようです。


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14世紀から17世紀に建設された建物が建ち並んでます。


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Via del Monasteriを進みます。


P2090961
14世紀から15世紀に建設された建物です。一部が宿泊設備として使用されてます。


P2090962
通ってきたVia del Monasteriを振り返って撮った写真です。


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人の気配が感じられなかったことを覚えてます。


P2090964
建物のアーチの先でモリーニ通りとガリバルディ通りが交差します。
2つの通りが交差する右側に教会があります。


P2090965
サンティッシマ・トリニータ・イン・アンヌンツィアータ教会です。


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1760年から1775年にかけて建設されました。ファサードは未完成のまま現在に至ってます。


P2090967
青空が出てきました。
1860年に教会活動を停止した旧教会です。1997年の地震によって大きな被害を受けました。


P2090973
その後、建物は修復され、現在はMuseo d'Arte Contemporaneaとして使用されてます。
イタリア現代美術は好みから外れるので、入館しないでパス。


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写真右がサンティッシマ・トリニータ・イン・アンヌンツィアータ教会です。


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教会向かいに警察署があります。


P2090970
警察署の建物です。イタリアの警察組織は複雑で、コムーネ警察、州警察、国家警察など全部で7つくらいあるようです。ここは国家警察の建物です。


P2090972
警察に用事があるのではなく、この「無原罪の聖母」を見るために来たのです。


P2090974
警察署になっているPalazzo Barbelli Clariciです。


P2090975
ガリバルディ通りのこの辺から賑わいを見せてます。写真右は映画館、左は歴史的建造物です。


P2090976
Palazzo Mergati


P2090977
Palazzo Mergatiの入り口横にフレスコ画のタベルナコロがあります。


P2090979
保存状態がかなり良い「聖母子」ですが、描いた画家の腕前は?


P2090980
区域を示すジョストラの旗。色によって区域が異なります。
次の交差点を右折して道草することに。


P2090983
Via Pierantoniに入りました。


P2090984
写真左はPalazzo PierantoniでOstelloになってます。


P2090985
この先に行っても見どころがなさそうです。


P2090986
Via Pierantoniを引き返してガリバルディ通りに戻った方が良さそうです。


P2090987
ガリバルディ通りに戻りました。写っている鐘楼はサンタゴスティーノ教会のものです。


P2090989
サンタゴスティーノ教会です。


P2090991
地震によって大きな被害を受けて、危険のため立ち入り禁止となっているドゥオーモに代わって、臨時司教座教会となっているサンタゴスティーノ教会です。


P2100001
ドゥオーモの修復工事がかなり長期間かかりそうなので、臨時ドゥオーモも暫く続きそうです。


P2100003
サンタゴスティーノ教会前にあるジュゼッペ・ガリバルディ像


P2090992
先に進む前にガリバルディ広場を見ます。


P2090994
ガリバルディ広場です。


P2090995
18世紀に建設されたPalazzo Frenfanelli


P2090997
写真右はサン・サルヴァトーレ参事会教会です。


P2090998
1430年から1441年に建設されたサンタゴスティーノ参事会教会です。


P2090999
参事会教会は大体閉まってます。


P2100004
風情のある建物が並んでます。


P2100005


P2100007
(つづく)

P2090890
人の姿が少ないサン・ドメニコ広場は珍しい。


P2090896
サン・ドメニコ広場に面して建つ、14世紀に建設されたCasa degli Attiです。


P2090899
雨がかなり小降りになってきました。


P2090900
マッツィーニ通りです。


P2090901
建物の下のアーチを潜ります。


P2090902
雨が上がりました。


P2090903
マッテオッティ広場の方に向かってマッツイーニ通りを進みます。


P2090904
綺麗に整備された道路が印象的です。


P2090905
2012年から2013年頃に行われた道路補修工事によって、旧城壁内のすべての道路が綺麗に一新されました。


P2090906
写真左の建物が歴史的建造物です。


P2090907
16世紀に建設されたPalazzo Sbrozziです。


P2090909
歴史的建造物が建ち並ぶマッツィーニ通りです。


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数は少ないですがフォリーニョにも公衆水飲み場があります。


P2090911
写真右の水色の建物は歴史的建造物です。


P2090912
16世紀に建設されたPalazzo Bernabei- Jacobilliです。


P2090915
Palazzo Bernabei- Jacobilliは、19世紀に改修され、現在の姿になりました。


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16世紀に建設されたCasa di Salviです。


P2090916
写真左に歴史的建造物があります。


P2090917
15世紀に建設されたPalazzo Ciboです。


P2090919
マッツィーニ通りを更に進みます。


P2090920
Via dei Franceschiとの交差点に建つ建物に注目です。


P2090921
Palazzo Mancia- Salviniです。


P2090922
壁龕に「受胎告知」のフレスコ画があります。


P2090923
写真右は映画館です。


P2090924
マッテオッティ広場に戻ってきました。丁度、街を半周したことになります。


P2090926
再び雨が降り始めました。


P2090927
予定ではサント・ステファノ教会の方に行くつもりでしたが・・・・・


P2090928
雨宿りのため、バールで一息入れました。


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バールから外に出たら、雨が強くなっていました。


P2090930
夕食の時間まで街歩きするのは濡れてしまうのでダメ。


P2090931
仕方がないのでホテルに戻ることにしました。


P2090932
夕食のために、ホテルからもう一度外出するのは億劫です。


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スーパーで食料を買って、ホテルの自室で簡単な夕食にすることにしました。


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サンタ・マリア・ディ・べトレム教会の扉が開いていました。旧教会なので、開いていることは滅多にありません。拝観したかったけれど、スーパーで買った食料とワイン、それに傘で両手が塞がっていたので、拝観を諦めました。


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ホテルに戻って大人しく寝ました。


P2090937
翌朝です。
明け方までの雨が漸く上がりました。


P2090938
旧城壁内に入りました。


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今にも雨が降り出しそうな肌寒い日でした。


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前日の夕方、食料とワインを買ったスーパーです。


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サンタ・マリア・べトレム旧教会の扉が閉まっていました。


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Via del Monasteriを進みます。


P2090945
サンタンナ修道院に向かいます。


P2090946
サンタンナ修道院です。


P2090947
コンテッサ(伯爵夫人)修道院とも呼ばれてます。


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門を潜りました。


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軒下に描かれたフレスコ画は、ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の「玉座の聖母子と聖アンナとベアータ・アンジェリーナと天使たち」です。


P2090953
修道院の扉が閉まっていたので通りに出ました。
(つづく)

163
サン・ドメニコ広場です。
この広場がある場所は城壁外でしたが、13世紀に市域が拡張され、それに伴い城壁が新たに築かれ、城壁内に組み込まれました。


168
サンタ・マリア・インフラポルタス参事会聖堂です。
8世紀頃、現在聖堂が建っている場所に、サンタ・マリア・アッスンタ、サン・ピエトロ、サン・パオロに捧げられた礼拝堂が建設されました。それが前身です。
1087年、現在の聖堂の場所にサンタ・マリア病院が建設され、礼拝堂は病院付属となりました。


169
12世紀、病院付属の礼拝堂を左身廊に組み入れたロマネスク様式の教会が建設され、教区教会となりました。その教区教会は1138年の文書に記載されました。


172
建設された当初はサンタ・マリア・フォリスポルタム(Foris Portam:城壁外の意味)教会と呼ばれていましたが、13世紀に城壁内に組み込まれるとサンタ・マリア・インフラポルタス(Infra Portas:城壁内の意味)教会と改称されました。
BasilicaでもありCollegiataでもあります。


171
19世紀にファサードが現在の姿に改修されました。


P2090803
ロマネスク様式の鐘楼


P2090804
19世紀に行われた改修の際、ファサードのバラ窓が取り払われ、柱廊が付け加えられました。


P2090892
柱廊の柱は11-12世紀のものです。


P2090891
ファサードに向かって左側


P2090893
左側の入り口は一般の利用不可となってます。


P2090806
聖堂内に入りました。


P2090807
三廊式、ロマネスク様式の内部です。


P2090808
右側の側廊は一部だけになってます。


P2090809
内部は数度の改修を経て、オリジナルとは違うとされてます。


P2090810
主祭壇


P2090813
逸名画家作「聖ロッコ」(15世紀後半)


P2090816
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の「聖ロッコと2天使」


P2090818
聖家族の礼拝堂


P2090820
ウーゴ・スカラムッチ(フォリーニョ、1883-1970)の「聖家族」(1924)


P2090822
聖家族礼拝堂の天井


P2090829
写りが悪いですね。


221
こちらの写真の方がマシです。


P2090824
詳細不知の「ロレートの聖母」


P2090826
ウーゴ・スカラムッチの作品


P2090828
ウーゴ・スカラムッチの作品


P2090831
制作者情報不知の「聖母子」(15世紀後半)


P2090832
聖体容器


P2090834
ウゴリーノ・ディ・ジスベルト(フォリーニョ、1479-1499記録)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(16世紀初め)


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Monumento funebre(1380)


P2090838
フレスコ画が残されてます。


P2090840
制作者情報不知の「この人を見よ」(16世紀)


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ラッタンツィオ・ディ・ニッコロ・ディ・リベラトーレ(フォリーニョ、16世紀初め活動)の「聖母子」


P2090844
「受胎告知、聖ピエトロと聖パオロ」(14世紀)


226


P2090845
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の「聖ジローラモ」


P2090849
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


P2090851
バルトロメオ・ディ・トンマーゾ・ダ・フォリーニョ(フォリーニョ、1408-1454)の「ドメニコ会聖人と聖ピエトロ・マルティーレと司教聖人」


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クリストフォロ・ディ・ヤコポ・ダ・フォリーニョ(フォリーニョ、1448-1502記録)に帰属する「ピエタ」


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Maestro della Crocifissone di Bevagnaの「磔刑と聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


P2090857


P2090856
Maestro della Crocifissone di Bevagnaの「聖二コラ」


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ(フォリーニョ、1430-1502)の「聖アミーコ」


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ(フォリーニョ、1430-1502)の「聖ルチア」


P2090865
ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ(フォリーニョ、1430-1502)の「磔刑」


P2090868
制作者情報不知の「磔刑」(15世紀)


P2090870
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の「聖母子」


P2090871
ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ(フォリーニョ、1430-1502)に帰属する「十字架を担ぐキリスト」


P2090874
制作者情報不知の「聖母子」(15世紀)


P2090875


P2090877
聖ジョヴァンニ・バッティスタ


P2090879
聖人


P2090881
12世紀前半の創建時の礼拝堂


P2090884
「祈るキリストと聖ピエトロと聖パオロ」(12世紀前半)


P2090886
Bifora


P2090888
大体見終わったようです。


P2090812
主祭壇前から見た出入口方向です。


P2090889
外に出ました。
(つづく)

P2090759
フォリーニョの旅の目的であるPalazzo Trinciです。


P2090760
市立美術館が置かれているPalazzo Trinciです。


P2090761
ウンブリアの美術館は何処でも傑作揃いですが、中でもここは出色の展示を誇ります。この時間は昼休
み。


P2090762
それにしても観光客が少ない街です。鉄道利用者には知られていると思いますが、下車したり泊まったりすることに思いつかないのでしょう。


P2090763
Palazzo del Podestaです。


P2090764
外壁の所々にフレスコ画が残ってます。


P2090765
ウンブリアは珠玉の市町村ばかりです。


P2090766
Palazzo del Podestaは共和国広場にあります。


P2090767
Via Antonio Gramsciから共和国広場方向を撮った写真です。


P2090768
Via Antonio Gramsciです。


P2090770
16世紀に建設されたPalazzo Nuti-Deliです。


P2090769
Palazzo Nuti-Deliには塔があります。


P2090771
塔を含む中世の幾つかの建物を集合させて、アッシジのフランチェスコ・ヌーティによって建設されたPalazzo Nuti-Deliです。


P2090772
Via Antonio Gramsciの右奥にあるサンタ・アポッリナーレ教会です。


P2090774
オラトリオ・デッラ・モルテとも呼ばれてます。
12世紀に遡り、フォリーニョで最古の教会の一つです。現在、閉鎖されてます。


P2090773
サンタ・アポッリナーレ教会のファサードが面しているドン・ミンツォーニ広場です。


P2090775
ドン・ミンツォーニ広場の平和のモニュメント「三匹の亀」


P2090776
サンタ・アポッリナーレ教会横のベナドゥッチ通りを少し進みます。


P2090777
第二次世界大戦で、この付近はドイツ軍によって激しい爆撃を受けました。新しく見える建物の殆どは戦後に新築されました。


P2090778
グラーノ広場に出ました。


P2090780
雨が激しく降ってました。


P2090779
市場があったグラーノ広場です。


P2090781
グラーノ広場周辺はフォリーニョで最も激しく第二次世界大戦の爆撃を受けたのです。鉄道の要衝なので、車両基地や車両保守工場が徹底的に爆撃されたのは勿論ですが、市場周辺も被害が多かったのです。


P2090782
ドン・ミンツォーニ広場に戻りました。建物が密集していた、この場所は爆撃によって全ての建物が崩壊してしまい、平和の象徴として新たに広場が作られました。平和のシンボルが三匹の亀という訳です。


P2090783
綺麗な石畳の道路です。


P2090784
Via Antonio Gramsciを更に進みます。


P2090785
写真左は、15世紀に建設されたPalazzo Alledori-Ualdiです。18世紀後半から19世紀初頭にかけて現在の姿に改修されました。


P2090786
Via Antonio Gramsciには古い建物が残ってます。


P2090787
写真左の建物は17世紀に建設されました。


P2090788
写真右は14世紀に建築された建物です。


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Palazzo Piermariniです。


P2090790
19世紀に現在の姿に改修されました。


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17世紀に建設されたPalazzo Vielleschiです。


P2090793
通りの突き当りにサン・ドメニコ教会の鐘楼が見えます。


P2090794
傘を差しながら写真を撮りました。


P2090795
振り返って共和国広場の方を撮りました。


P2090796
17世紀に建設されたPalazzo Brunettiです。


P2090798
サン・ドメニコ広場にやってきました。


P2090800
サン・ドメニコ広場には歴史的建造物が建ち並んでます。


P2090801
旧サン・ドメニコ教会です。
中にフレスコ画がありますが、市所有の展示会場などに使用されているので、滅多に中に入ることが出来ません。


P2090799
サンタ・マリア・インフラポルスタ聖堂です。


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雲が少し切れてきたようなが気がします。


P2090894
それでも雨宿りのために拝観した方が良さそうです。


P2090893
(つづく)

050
大雷雨になったので、ドゥオーモの堂内に逃げ込み、これ幸いと拝観しました。
従って、この時はドゥオーモの外観や中の写真は撮ってません。(外が薄暗く、聖堂内は特に暗くてノーフラッシュでは写真が良く写りません) 
この時、以前と以後に撮った写真を組み合わせてアップすることにします。


008
さて、ドゥオーモは現在閉鎖されて立ち入り禁止になってます。
2016年から2017年にかけて、中部イタリアで発生した4回の地震によって大きな被害を受けたからです。
2016年8月24日 マグニチュード6.0
2016年10月26日 マグニチュード5.9
2016年10月30日 マグニチュード6.5(本震とされてます)
2017年1月18日 マグニチュード5.5
建物が使用不適、危険と判断され、長期にわたる大規模修復工事が必要とされてます。
なお、この日(大雷雨があった日)は2016年6月20日です。


053
サン・フェリチャーノ司教座教会、フォリーニョのドゥオーモです。
ファサードが2つあるのが特徴です。
写真左はPalazzo della Canonicheで、その横にあるのがメイン・ファサードです。


057
共和国広場に面しているのがサイド・ファサードです。


P2370427
フォラム・フラミニとスポレートの司教でもあり、フォリーニョ司教だった聖フェリチャーノ(フォラム・フラミニ、160-フォリーニョ、249)が埋葬された現在地に、9世紀から10世紀に建設された教会が前身とされてます。
1133年、1201年、1457年から1548年にかけての3回の増築を経て、建築家ジュリアーノ・ディ・バッチョ・ダーニョロ・バリオーニ(フィレンツェ、1491-1555)の設計によって、1543年から1548年にかけて改造、増築された建物が現在の姿の原形です。


P2370428
現在のメイン・ファサードは、1904年に元の初期ロマネスク様式に戻されました。


047
閉鎖中のドゥオーモに代わって、臨時司教座がサンタゴスティーノ教会に置かれてます。


048
メイン・ファサードのモザイク


049
メイン・ファサードのバラ窓


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メイン・ファサードの入り口扉上の彫刻


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メインファサード入口のライオン像(向かって左)


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メインファサード入口のライオン像(向かって右)


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ファサード横に金属扉がありますが、大聖堂付属博物館の入り口扉です。付属博物館は、この当時、大体休館していました。現在は地震の被害を受けて無期休館中です。


P2090742
1201年に制作された壁龕の聖母子


P2090752
サイド・ファサードです。


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サイド・ファサードの装飾


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サイド・ファサード入口扉上の装飾


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061


062
サイド・ファサード入口のライオン像(向かって左)


063
サイド・ファサード入口のライオン像(向かって右)


064
サイド・ファサード入口扉の木彫り(1620)


056
クーポラと鐘楼


P2090667
聖堂内に入りました。


P2090668
内部は1772年から1819年にかけて新古典様式に改修されました。従って、内部の彫刻や祭壇画は、その改修後に制作されたものが大半で、私としては味気ない。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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古い彫刻や祭壇画は、付属博物館にあります。


P2090672
左翼廊


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右翼廊


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バロック様式の天蓋付き主祭壇


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クリプタへの入り口が主祭壇前にありますが、扉が閉まっていました。


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問題の主祭壇画です。
18世紀の逸名画家作「ラファエッロ・サンツィオ作『フォリーニョの聖母』(1511c)のコピー画です。
現在、本物はヴァティカン絵画館にありますが、本来ならばフォリーニョにあるべきでした。


P2140029
このようにしてヴァティカン絵画館で展示されてます。


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私が撮った本物の写真です。
ラファエッロ・サンツィオの作品は、ローマのサンタ・マリア・イン・アラコエリ聖堂の主祭壇画として制作され、同聖堂の主祭壇を飾っていました。しかし、持ち主が変わり、1565年からフォリーニョのサンタンア教会の主祭壇に置かれるようになりました。そのため、「フォリーニョの聖母」と呼ばれるようになりました。
ナポレオンのイタリア侵攻に伴い、「フォリーニョの聖母」は取り外され、フランスに持ち去られ、ルーブル美術館で展示されるようになりました。しかし、ナポレオンの没落後、作品の返還交渉が行われ、その結果、何故かヴァティカンの所有とされて、フォリーニョに戻ることはありませんでした。フォリーニョ司教は、作品が戻ればドゥオーモの主祭壇に置く予定でしたが、当てが外れてしまいました。ナポレオンに奪われ、何故か元に戻されずヴァティカンの所有になった作品として他に有名なものに、カラヴァッジョの「十字架降下」などがあります。
フォリーニョのドゥオーモに話を戻します。


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後陣のフレスコ画は、フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「フォリーニョへの加護を請願する聖フェリチャーノ」
フランチェスコ・マンチーニはカルロ・チニャーニの弟子です。


P2090687
左翼廊の礼拝堂です。


P2090691
デーチョ・トラヴァルツァの「天上の聖母子と聖人たち」(1836)
この画家については全く知りません。


P2090696
詳細不知


P2090697
詳細不知


P2090698
詳細不知


P2090701
ラファエッロ・フォリアルディ・ダ・トレンティーノの「天上の聖母子と聖人たち」(1829)
この画家について全く知りません。


P2090704
右翼廊の礼拝堂です。


P2090706
フランチェスコ・コスタンティーノの「磔刑」(1598)


P2090709
ピッツォーニ・フランチェスコの「聖フランチェスコ」
この画家について全く知りません。


P2090713
ガエターノ・ガンドルフィ(サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェト、1734-ボローニャ、1802)の「フォリーニョを守護する聖フェリチャーノ」(1791)


P2090718
ジョヴァンニ・バッティスタ・ラッツァリーニ(ベッルーノ、1712-1791)の「聖家族と聖人たち」(1779)


P2090722
詳細不知


P2090725
ジョヴァンニ・バッティスタ・ウィカル(フランス、リール、1762-ローマ、1834)の「キリストの洗礼」(1826)


P2090729
エンリコ・バルトロメイ・ディ・フォリーニョ(フォリーニョ、1815-1901)の「聖メッサリーナの殉教」


P2090686
主祭壇前から見た出入口方向です。


P2090746
外に出ました。
新しい作品ばかりでやや退屈でした。ともあれ早期の修復工事が行われ、再奉献される日が速く訪れることを願います。
(つづく)

P2090623
フォリーニョは、人口56,794人(2019年6月30日現在)のウンブリア州ペルージャ県にあるコムーネです。紀元前8世紀頃にウンブリア人によって築かれた町で、フラミニア街道の主要都市として繁栄しました。中部イタリアにおける鉄道の中心地で、第二次世界大戦で激しい爆撃を受けました。
フォリーニョの旅の前泊地はアンコーナでした。


P2090627
アンコーナ駅始発のRegionale Veroceに乗ってフォリーニョに向かいました。


P2090628
ファブリアーノにも行きたいところでしたが、この時はフォリーニョに直行します。


P2090630
フォリーニョ駅に到着しました。


P2090633
フォリーニョ駅の駅舎。タクシーが常駐しています。


P2090631
ローマへの出発が早朝なので、この日のお宿は駅前のここにしました。


P2090634
チェックインを済ませて街歩きに出発しました。


P2090635
旧市街の入り口サン・フェリチャネット門です。


P2090636
この辺の城壁は撤去され道路になってます。門に旗があるのは、ジョストラの開催日に近いからでしょう。


P2090637
門を越えて旧市街に入りました。


P2090638
サン・フェリチャネット門から中心街に通じるウンベルト1世通りです。


P2090640
何となく雲行きが怪しい日でした。この30分後、大雷雨に見舞われることになりました。


P2090641
2012年から2013年にかけて、旧市街の道路整備が行われました。


P2090643
古い建物よりも新しい建物が多いのは、第二次世界大戦で爆撃された建物が多く、戦後に再建されたからです。


P2090645
ウンベルト1世通りの突き当りにあるスッフラージョ教会です。


P2090650
サンタンナ同信会によって18世紀に建設された教会です。


P2090647
スッフラージョ教会のファサード前横に歴史的建造物があります。


P2090648
1515年に建設されたPalazzo Giusti-Orfiniは、17世紀に現在の姿に改修されました。


P2090646
コンサートなどに使用されてます。


P2090649
スッフラージョ教会前を左折してマッツィーニ通りに出ます。


P2090651
スッフラージョ教会の左にある小さな広場に出ました。


P2090652
ガーン!、扉が閉まってる、ガックリです。


003
15世紀末に建設されたヌンツィアテッラ祈祷所です。


P2090653
中に素晴らしいフレスコ画があります。


004
扉が開くことが稀だと思います。この辺は仕方がない。


1
中にあるフレスコ画がこれです。
ピエトロ・ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1446c-フォンティニャーノ、1523)の「磔刑」(1497-1507)


2
このフレスコ画もあります。
ノエル・グィッレリエール(フランス、1594-1669)の「磔刑」(1625-26)


P2090654
礼拝堂だった建物です。


P2090655
個人所有なので中に入れません。


P2090656
マッツィーニ通りを進みます。


P2090657
夏至過ぎの夏ですが、涼しいというよりも肌寒い日でした。


P2090658
雲行きが一段と怪しくなってきました。


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マッテオッティ広場です。


P2090660
写真右の教会は、フォリーニョのドゥオーモです。


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写真左の建物はPalazzo della Canoniche


P2090664
ドゥオーモ


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ファサードのモザイク


P2090666
旧市街の中心である共和国広場です。


P2090663
市庁舎


P2090732
遠雷が聞こえてきました。


P2090733
ドゥオーモのファサードを眺めていたら、急に空が暗くなってきました。


P2090734
雨が降ってきたら、ドゥオーモに逃げ込めば良いと考えていました。


P2090735
強烈稲光と雷鳴!


P2090744
塔か鐘楼に落雷したようです。


P2090745
(つづく)

P1230080
サン・ドメニコ教会の扉が開いていました。


P1230081
1223年、ドメニコ会修道士がファエンツァに到着し、布教活動を開始した記録が残されているそうです。


P1230141
1301年、ファエンツァの市当局からドメニコ会に対して、土地とブドウ園が与えられました。
14世紀前半、ドメニコ会は与えられた土地に修道院を建設し、現在教会が建っている場所に、併せてロマネスク様式の教会も建設しました。
最初の建物は経時劣化と地震の影響を受けたので、18世紀前半に再建が決定されました。それを受けて、ボローニャの建築家フランチェスコ・タドリーニ(ボローニャ、1723-1805)の設計によって、1761年から1765年に建設された新古典様式に二代目の建物が現在の姿です。


P1230140
鐘楼


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ファサードの入り口扉上の浮彫「聖アンドレアの殉教」


P1230143
ファサード壁龕の彫刻「聖人(特定できないようです)」


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「聖母子」


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教会内に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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コリント式円柱が目立ちます。


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地味な天井装飾


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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左側壁


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詳細不知


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「聖母子」のイコン


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇


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後陣天井


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主祭壇画は、クリストフォロ・ウンテルベルガー(カバレーゼ、1732-ローマ、1798)の「天使に導かれてファエンツァに入る聖ドメニコ」


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後陣に置かれたオルガン


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フランチェスコ・タドリーニ(ボローニャ、1723-1805)設計の主祭壇(1766)
主祭壇の大理石彫刻はジョヴァンニ・トスキーニ(1650c-1737)によります。


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詳細不知


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トンマーゾ・ルエールの「聖ウミルタ」(1762)


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トンマーゾ・ルエールの作品


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トンマーゾ・ルエールの作品


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詳細不知


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詳細不知


P1230121
詳細不知


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右側壁


P1230125
フェリーチェ・トレッリ(ヴェローナ、1667-ボローニャ、1748)の「聖ヴィンチェンツォ・フェッレール」


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ジョヴァンニ・ゴッタルディ(ファエンツァ、1733-ローマ、1812)の「キリストの洗礼とファエンツァに集う聖人たち」


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詳細不知


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詳細不知


P1230135
詳細不知


P1230136
詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


P1230152
これで見るべきものは大体見たようです。


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拝観出来なかった教会が多かった気がしますが、この辺は仕方がりません。


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15世紀に建設されたPalazzo Azzalli-Ferdiani


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ホテルに戻り、荷物を受け取って次の目的地パルマに向かいます。


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ドゥオーモに向かう道です。


P1230165
月曜日だったので、博物館などが休館でした。


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(ファエンツァ編 おわり)

P1230037
次はサン・ロッコ教会です。


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残念ながらサン・ロッコ教会の扉が閉まっていました。


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1500年、ファエンツァにサン・ロッコ同信会が設立され、新教会の建設が決まりました。そうして1519年に建設されたのがサン・ロッコ教会です。


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ファサード下に柱廊がありましたが、その後撤去されました。煉瓦積みの現在のファサードは1850年頃に再建されたものです。


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サン・ロッコ教会ファサードが面しているサン・ロッコ広場です。


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次はサンタ・ウミルタ・デイ・ネグサンティ教会です。


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通りの先に教会が見えてます。
中世から近世にかけての西洋美術は基本的にキリスト教関連となります。その当時の傑作とされる作品の多くは教会にあった、或いは現在も教会にあります。それが教会巡りをする理由です。


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写真左は女子修道院だった建物です。


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1741年から1744年にかけて建設されたバロック様式のサンタ・ウミルタ・デイ・ネグサンティ教会です。


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教会はヴァロンブロザーネ女子修道院に併設されていました。


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女子修道院は閉鎖され、教会の方も宗教活動を停止しています。


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女子修道院の建物は古典科学高校の校舎として使用されてます。旧教会の建物は同高校の講堂や会議室に転用されてます。


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ファエンツァ出身の聖ウミルタ(ファエンツァ、1226-フィレンツェ、1310)は主にフィレンツェで活動した女子修道士です。ファエンツァの守護聖人になってます。


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バスコリ通りの突き当りに歴史的建造物があります。


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14世紀に建設されたCasa Bubaniです。


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1807年、弁護士だったカルロ・ピア―ニが購入した建物なので、Casa Pianiとも呼ばれてます。建物を手に入れると、ゴシック様式から新古典様式に改修したのですが、改修後に資金難に陥り、手放すことになったそうです。


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Casa di Dio、Loggia dei Fantini、Portico della Caritaです。視点を何処に置くかによって、それぞれ名称が違います。


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15世紀初めに建設された孤児養育院と附属病院が前身です。現在は病院です。


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Palazzo Mazzolani


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この建物の由来など詳しいことを知りません。


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見逃しそうですが、写真左端に教会があります。


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サン・ジュゼッペ教会です。


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元はファエンツァで最古の教会の一つでしたが、信者数が少なく資金難が絶えず付きまとっていたそうです。19世紀前半のファエンツァ市街地整備の際、教会の土地などの資産を売却し、新たに建設される建物に一角に教会が置かれるようになったそうです。


P1230061
Corso Mazziniを少し進みます。


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サンティ・ヴィターレ・エ・クレメンテ教会です。


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教会の歴史は14世紀に遡るそうです。


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現在の建物は地元の建築家ピエトロ・トンバ(ファエンツァ、1774-1846)の設計によって1831年に再建された二代目となるものです。


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平日になると路上駐車の車が多くなるようです。


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市民病院の建物です。


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写真左側に教会が写ってます。


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1929年から1930年に建設されたネオ・ゴシック様式のサン・サヴィーノ教会です。


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然程長い距離を歩いていないにも拘らず、この教会の多さに驚きです。そんなに需要があるの?と思ってしまいます。


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開いている教会が少ないのは、需要が少ないの証左?


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恐らくサン・ドメニコ教会ならば開いているだろうと思いました。平日の午前と午後にミサが予定されてます。


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同じ通りを戻ります。


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サン・ドメニコ教会はジョヴァンニ・ギナッシ通りのサン・ドメニコ広場にあります。


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ファエンツァに来たのは、この時で4回目でした。


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場所や方角がある程度頭に入っているので、裏通りに入っても迷うことはありません。


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サン・ドメニコ教会の直ぐ傍まで来ました。


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並木道の左側にサン・ドメニコ教会があります。


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ロトンダ・ロッシです。


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P1230148
(つづく)

P1220984
サンタゴスティーノ広場に面した、だまし絵の窓がある建物


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次はカルミネ教会です。
カルミネ教会はサンタゴスティーノ教会の至近にあります。


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16世紀初頭にイエズス会によって建設された教会です。


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建設当初の名称はジェズ教会でした。
17世紀末、教会はカルメル会の所有となり、カルミネ教会と改称されました。


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カルミネ会は、教会を現在の姿に改造しました。その当時、ファエンツァにおけるカルミネ会の拠点は、サン・フィリッポ・ネリ教会でしたが、改造工事が完了するとサン・フィリッポ・ネリ教会から修道士たちがカルミネ教会に移ってきました。


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写真右端の建物は隣接していた修道院です。


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サンタ・ウミルタ修道院だった建物です。


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現在、Collegio Santa Umiltaとなってます。


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カルミネ教会の後陣の方の扉が開いているように見得ましたが、閉まっていました。
ニッコロ・パガネッリの「聖霊降臨」があるので、開いていれば拝観する予定でした。


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サンタントニオ・ディ・パドヴァ教会です。


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後で拝観します。


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Via Ceonia
この辺は城壁内の南端に当たります。


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ファエンツァの城壁はあまり残ってませんが、街の南端は一部残されてます。


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城壁沿いの道を進んで、サンタ・マルゲリータ教会に向かいました。


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突き当りの右端に教会があります。


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サンタ・マルゲリータ教会です。


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14世紀末から15世紀初頭にかけて建設された小さな教会です。


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18世紀中頃に改修されましたが、現在の姿はその改修工事後のものです。


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予想通り扉が閉まっていました。


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身廊はマッテオッティ通りに面してます。


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見るべき作品はオルソラ・ミッシローリの祭壇画だけでしょう。


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ファサードは、Via Tommaso Minardiに面してます。


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写真左は城壁です。


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マッテオッティ通りを進みます。


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先ほど鐘楼が見えたサンタントニオ・ディ・パドヴァ教会に向かいます。


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18世紀の建物ですが、特に名前がないようです。


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通りの先にサンタントニオ・ディ・パドヴァ教会があります。


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眼前に鐘楼が迫って建ってます。


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3つの通りの角にありますが、道路よりも後に教会が建設されたので、その制約を受けて少し変な形状をしています。


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残念! サンタントニオ・ディ・パドヴァ教会は閉まっていました。


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初代の建物は1450年頃に遡ります。現在の建物は1701年に再建された二代目です。


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教区教会です。
中にジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチの作品があるので、拝観出来なかったのは痛かった。


2
見ることが出来なかった、ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチの「聖母子とパドヴァの聖アントニオとアッシジの聖フランチェスコ」
(外部サイトから拝借した作品画像の転載)


P1230030
扉が開いている教会が少なく参りました。教会巡りは効率が悪いのです。


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かなり暑くなってきました。


P1230031
次はサンタ・マリア・アド・ニヴェス教会です。


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サンタ・マリア・アド・ニヴェス教会は、この日も閉まっていました。


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ネットの情報によれば、この日は扉が開いている筈でしたが、がさネタでした。


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教会横壁のタベルナコロ


P1230036
(つづく)

P1220915
中世の時代、ファエンツァは教皇領でした。


P1220916
教皇領でしたが、マンフレディ家が僭主としてファエンツァを支配していた時期がありました。そのマンフレディ家の住居として1377年に建設された建物が現市庁舎となってます。


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市庁舎の壁にある記念板


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Palazzo del Podestaのロッジャ


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Palazzo del Podestaのアーチ


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アーチを潜ってマルティーリ・デッラ・リベルタ広場に出ると、青空市が立っていました。


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青空市で買うものがないので、ポポロ広場に戻りました。


P1220922
14世紀に建設され、17世紀に改造されたPalazzo del Podestaです。


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次はサン・バルトロメオ教会です。


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サン・バルトロメオ教会はマッテオッティ通りにあります。


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その街で中心の広場、ドゥオーモ、市庁舎を見ると、繁栄度が大体分かります。ファエンツァはかなり繁栄している街です。


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Corso Matteotti


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マンサード屋根の建物があります。


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観光客が少ない街です。


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サン・バルトロメオ教会の鐘楼です。


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サン・バルトロメオ教会です。


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10世紀に建設された、現存するファエンツァ最古の建物の一つです。


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13世紀に現在の姿に拡張されました。


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中に古いフレスコ画があるそうですが、拝観したことがありません。


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教会活動が停止され、建物は戦没者記念堂に転用されてます。


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次はサンタゴスティーノ教会です。


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マッテオッティ通りを更に進みます。


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サンタゴスティーノ教会と呼ばれてますが、正式名はサンティ・アゴスティーノ・エ・マルゲリータ教区教会となってます。


P1220938
1256年、ファエンツァにアウグスティヌス会修道士が訪れ、定住した記録が残されてます。


P1220939
1271年、アウグスティヌス会修道士によって、この場所にゴシック様式の教会が建設されました。当時に名称は、サン・ジョヴァンニ・イン・スクラヴィ教会でした。更に修道院が併設されました。
15世紀にサンタゴスティーノ修道院教会に改称されました。
若きジローラモ・サヴォナローラがこの教会で修業したそうです。


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18世紀初頭にバロック様式で再建された二代目の建物が現在の姿です。


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柱廊付きのファサードです。


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鐘楼は三代目となるものです。


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後陣と鐘楼


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二代目の鐘楼は1712年に建設されましたが、第二次世界大戦のドイツ軍の爆撃によって1944年に破壊されました。現在の鐘楼は1962年に建設されたものですが、二代目の鐘楼とは色や形など非常に異なるとされてます。


P1220941


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初代の建物にあったものは殆ど残されていません。


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ファサード下の柱廊


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出入り口扉


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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右側壁


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装飾が殆ど施されていない天井


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ファエンツァの逸名画家作「聖母の出現」(1848)


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ドメニコ・マッテウッチ(ファエンツァ、1914-1991)の「聖母子」
ドメニコ・マッテウッチの特徴的な作風要素が全く見られない異色作です。


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「聖母子」(1400)
教会のパンフレットでは1400年の作品と書かれているので、そのまま記載しましたが、私には、もっと後世の作品に思えます。


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セバスティアーノ・スカレッティ(ファエンツァ、1473-1559)の「玉座の聖母子と聖人たち(パドヴァの聖アントニオ、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖ジローラモ、トレンティーノの聖二コラ)」(1520)
この教会における最大の見所です。


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詳細不知


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主祭壇


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後陣天井


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詳細不知


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後陣左側壁の祭壇画(詳細不知)


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詳細不知


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後陣右壁の祭壇画
ドメニコ・マッテウッチの作品


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ドメニコ・マッテウッチの作品


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フランチェスコ・コッリーナ・グラツィアーニの「聖アゴスティーノ」(1928)


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詳細不知の「大天使聖ミケーレ」


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


P1220983
外に出ました。
セバスティアーノ・スカレッティの祭壇画を見ることが出来たのが収穫でした。
(つづく)

引き続きファエンツァのドゥオーモです。
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左側廊


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説教壇


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左側廊の聖アンナ礼拝堂です。


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聖アンナ礼拝堂の祭壇画:アルド・ロンティーニ(ブリジゲッラ、1948-)の「聖母の教育」


P1220769
聖アンナ礼拝堂の天井フレスコ画もアルド・ロンティーニによって制作されました。


P1220773
左側廊の聖ウミルタ礼拝堂です。
祭壇画(向かって左):ジョヴァンニ・バッティスタ・ガリッツィ(ベルガモ、1882-1963)の「聖ウミルタ」
向かって右手前は、ピエトロ・メランドリ(ファエンツァ、1885-1976)の「聖ウミルタ」


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左側廊の第1礼拝堂です。


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パスクゥアーレ・サヴィオッティ(ファエンツァ、1792-1855)の「キリストの洗礼」(1828)


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左側廊第1礼拝堂の天井フレスコ画は、ジュリオ・トンドゥッチ(ファエンツァ、1513c-1598?)によって1562年に描かれました。


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左側廊第1礼拝堂側壁のフレスコ画は、ジュリオ・トンドゥッチ(ファエンツァ、1513c-1598?)とピエトロ・バリオット(ファエンツァ、1481-1533)によって制作されました。


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左側廊の聖カルロ・ボッロメオ礼拝堂です。
ベアート・ジャコモ・フィリッポ・ベルトーニの墓碑(1483年死去)


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「十字架を崇める聖カルロ・ボッロメオ」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「聖カルロ・ボッロメオの物語」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「聖カルロ・ボッロメオの物語」


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聖カルロ・ボッロメオ礼拝堂の天井スタッコとフレスコ画は、フランチェスコ・シルヴァ(1560-1643)によるものです。


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P1220793
観光客が多くなってきました。ドゥオーモの祭壇画、彫刻、フレスコ画などの作品帰属が難しいので、観光気分で拝観しても分かる方は少数に留まるかと思います。


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右側廊第1礼拝堂です。
祭壇画は、ヴィンチェンツォ・ビアンコ―リの「ドッソ・ドッシ作『キリストと教会博士たちの問答』のコピー画」


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右側廊第1礼拝堂天井のフレスコ画(詳細不知)


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右側廊のCappella della Vergine Annunziata(第2礼拝堂)


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右側廊第3礼拝堂です。
祭壇画:ニッコロ・パガネッリ(ファエンツァ、1538-1620)の「聖マルティーノ」


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詳細不知


P1220804
右側廊のCappella di San Giovanni Battista


P1220805
インノチェンツォ・ダ・イーモラ(イーモラ、1490-ボローニャ、1550)の「玉座の聖母子と聖人たち(聖ピエトロ、聖パオロ、聖ザッカリア、聖エリザベッタ)」(1526)


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ロモーロ・リヴェラ―ニ(ファエンツァ、1809-1872)によるCappella di San Giovanni Battistaの天井装飾(1862)


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右側廊のCappella di San Terenzio


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ピエトロ・トンバ(ファエンツァ、1774-1846)によって制作された祭壇
ジョヴァンニ・バッティスタ・バッランティ・グラツィアーニ(ファエンツァ、1762-1835)の「大天使聖ミケーレ」


P1220813
右側廊のCappella di Santa Lucia


P1220816
ジュゼッペ・マルケッティ(フォルリ、1721-1801)の「聖ルチアの殉教」(1768)


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右側廊第8礼拝堂


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右後陣の礼拝堂です。


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逸名画家作「ポポロの聖母」(15世紀)


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)のフレスコ画


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)のフレスコ画


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右後陣礼拝堂の天井フレスコ画


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右翼廊の礼拝堂


P1220823
フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588-1649)の「聖母子と聖フィリッポ・ネリと聖ロレンツォ」


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祭壇画が取り外された右側廊の礼拝堂


P1220733
主祭壇前から見た出入口方向(ファサード裏)


P1220911
外に出ました。


P1220912
ルネサンス期の作品は市立絵画館に移されているようで、比較的新しい作品が多いドゥオーモです。


P1220913


P1220914
(つづく)

074
一旦、ホテルに戻ります。


078
パリオは夕方遅くに始まるので、それまで時間がありました。


022
夕寝?を終えてパリオに出かけました。会場の入場券を買っていないので、どうなることやら。


020
サン・ドメニコ教会です。


021
結局、パリオの会場には入場出来ず。


1
意外と空席があるように見えますが・・・・・


2
サラセン人を模したパリオの標的です。


P1220907
翌朝です。


P1220910
月曜日ですが、パリオの翌日とあって気怠い感じを漂わせている人が多いようです。


P1220909
先ずはドゥオーモの拝観です。


P1220106
ルネサンス期の建築家ジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)の設計によって、1474年創建、1515年に一応の完成を見た建物です。


P1220111
設計当初は大理石のファサードが予定されていましたが、大理石ファサードは着工されず、レンガ造りの粗壁のままのファサードです。


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奉献式は1581年に執り行われました。
1948年、時の教皇ピオ12世によってBasilica Minoreに格付けされました。正式名称はBasilica Cattedrale di San Pietroです。ファエンツァ=モディリアーノ司教区の司教座教会です。


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身廊
帆型の鐘楼が目立ちます。


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身廊側にも出入り口が設けられてます。


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後陣外観


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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大理石の床が有名です。


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装飾が殆ど施されていない天井です。


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構造図


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18世紀に改修されました。


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左右に翼廊が設けられてます。


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後陣左のサン・サヴィーノ礼拝堂です。


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ベネデット・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1442-フィレンツェ、1497)の「聖サヴィーノの棺」
ベネデットは、ジュリアーノ・ダ・マイアーノの弟です。


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の「聖人の死」


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フェッラウ・フェンツォーニ(ファエンツァ、1562-1645)の作品


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ベネデット・マリーニ(ウルビーノ、1590-1629まで記録)の天井フレスコ画


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オルガン


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フィレンツェの逸名彫刻家による、左翼廊のベアータ・ヴェルジネ・デッレ・グラツィエ礼拝堂です。


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逸名画家作「グラツィエの聖母」(1412)


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ジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716c-チェゼーナ、1798)の天井フレスコ「聖母の出現」(1763)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・バッランティ・ガラツィアーニ(ファエンツァ、1762-1835)による、左側廊のサン・エミリアーノ礼拝堂(1809)


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左側廊のサン・ジョヴァンニ・ネポムチェーノ礼拝堂です。


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二コラ・パッセーリ(ファエンツァ、18世紀後半活動)の祭壇画(1779)


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ジャンバッティスタ・バッランティの「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」(1823-24)


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ジャンバッティスタ・バッランティの「聖家族」(1823-24)


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ピエトロ・トンバ(ファエンツァ、1774-1846)の天井フレスコ画


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ピエトロ・トンバの作品


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ピエトロ・トンバの作品


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左側廊のサン・ピエル・ダミアーノ礼拝堂


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トマーゾ・ダルポッツォ(ファエンツァ、1862-1906)の作品


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トマーゾ・ダルポッツォ(ファエンツァ、1862-1906)の作品
(つづく)

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この時間、新古典様式博物館は閉まっていました。


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ジュリオ・チェーザレ・トンドゥッチ通りです。


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サンタ・マリア・アド・ニヴェス教会です。


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740年に遡る歴史があり、ファエンツァ最初の司教座教会でした。
新古典様式の現在の建物は、1655年に完成した3代目となるものです。八角形の鐘楼が特徴で、9世紀から10世紀にかけて建設されました。


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サンタ・マリア・デッランジェロ教会と区別するために、サンタ・マリア・アド・ニヴェス教会はサンタ・マリア・ヴェッキア教会と呼ばれることが多い。サンタ・マリア・デッランジェロ教会はサンタ・マリア・ヌオーヴァ教会と呼ばれるのが普通です。


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そのサンタ・マリア・デッランジェロ教会、別名サンタ・マリア・ヌオーヴァ教会は閉まっていました。


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この時間は市立絵画館も閉まっています。


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Via Severoliです。


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市庁舎です。


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出陣式が終わり、パリオの行列が会場へと向かった後のポポロ広場は、早くも片付けが始まっていました。


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午後5時を過ぎました。


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次はサン・フランチェスコ教会です。


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サン・フランチェスコ教会の扉が開いてました。


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フランチェスコ会修道士が、この場所に来たのは1231年だそうです。1271年、ゴシック様式の最初の建物がこの場所に建設されました。


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現在の建物は、1745年創建、1757年に完成した2代目となるものです。


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1743年に建設されたファサードです。


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1743年に建設された鐘楼です。


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サン・フランチェスコ教会のファサードに向かって右側にある建物です。明らかに教会の建物です。


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16世紀に建設されたサンタ・クローチェ同信会オラトリオだった建物です。


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現在は機能を停止したEx-Oratorioです。


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駐車場?に転用されている?


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サン・フランチェスコ教会を拝観します。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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右側壁


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教区教会です。


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ジュゼッペ・マルケッティ(フォルリ、1721-1821)の「塩の聖母」


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天井装飾が殆ど施されていません。


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磔刑の礼拝堂


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ジュゼッペ・マルケッティ(フォルリ、1721-1821)の「聖ジュゼッペ・ダ・コペルティーノ」(1776)


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ボローニャ出身の彫刻家フィリッポ・スカンデッラーリの「パドヴァの聖アントニオ」(1755)


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18世紀の逸名画家作「聖母戴冠と聖人たち」


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主祭壇


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後陣に置かれたオルガンは、ボローニャのオルガン製造職人アントニオ・コロンナ・ダル・コルソによって1638年に制作されました。第二次世界大戦の爆撃を受け、戦後に修復されたオルガンです。


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主祭壇画はピエトロ・ファンチェッリの「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(18世紀)です。


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後陣


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17世紀の逸名画家作「死者を蘇生させるパドヴァの聖アントニオ」
16世紀のヴェネツィア派の影響を受けているとされてます。


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天井


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詳細不知


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詳細不知


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Cappella della Beata Vergine della Cincezione(1714-16)


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クーポラのフレスコ画


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アルフォンゾ・レトッジャーニ(ブドリオ、1682-ボローニャ、1764)制作の祭壇


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出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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市庁舎前のポポロ広場に5チームが集結して、出陣式が行われます。


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6月の第4日曜日の午後4時過ぎの日差しが強烈です。


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春か秋ならば、この服装で問題ありませんが、真夏には厚着過ぎです。


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日本の夏至は梅雨ですが、イタリアの夏至は最も暑いと思います。


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この場に相応しいドゥオーモです。


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ドゥオーモの方から広場に入るのは、2地区です。


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ドゥオーモは扉が閉まったままでした。


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別の地区の入場行進が始まりました。


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この女性にカメラを向ける方が多かった!


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乗馬を相当練習したようです。


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ポポロ広場に近付けません。


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混雑を避けて裏通りを歩きます。


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磔刑のタベルナコロ


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18世紀の建物が建ち並んでます。


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写真右手前はPalazzo Bertoniです。


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18世紀に建設されました。


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9月20日通り


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写真右に市古典様式の建物が写ってます。


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18世紀に建設されたPalazzo Zucchiniです。


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ファエンツァ市長や政治家を輩出したファエンツェの名家ズッキーニ伯爵家の住居です。現在もズッキーニ家が住んでます。


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レンガ色の歴史的建造物です。


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Palazzo Azzalli-Ferdiani


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現在は分譲住宅になってます。


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パリオの行進が通らないので、この通りは静かです。


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写真右側の建物は18-19世紀に建設されました。


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パリオの行進を待つ人々


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皆さん、日陰で行進を待ってます。


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旧修道院の建物


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Palazzo Mengolini Sali


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クーポラが見えている教会ですが、その名称が分かりません。


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鐘楼が見えてきた教会に行ってみます。


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ナルディ通りです。


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サンタントニオ・ディ・パドヴァ教会です。


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現在の建物は18世紀に再建された二代目となるものです。初代の建物は1450年に遡ります。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチの「聖母子と2聖人」があります。


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イル・ベルトゥッチの祭壇画が観たいので、もう一度来る予定です。


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Palazzo Milzetti


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ロマーニャ地方の新古典様式博物館が置かれてます。


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(つづく)

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