イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2020年10月

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次の部屋です。


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Sala dello Zodiaco


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天井のフレスコ画


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サルヴァトーレ・ビアンキ(ヴェラーテ、1653-1727)の「時間の寓意」


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ピエモンテの工芸家と画家による「暖炉」(18世紀)


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ピエモンテ製「ソファー」(18世紀中頃)


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ピエモンテの逸名画家作「貴婦人の肖像」(18世紀第2四半世紀)


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ピエモンテの逸名画家作「貴婦人の肖像」(18世紀第2四半世紀)


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ピエモンテの逸名画家作「ビアージョ・アルファッショ・グリマルディ伯爵の肖像」(18世紀第1四半世紀)


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ピエモンテの逸名画家作「フランチェスカ・デ・リザランツゥの肖像」(18世紀第1四半世紀)


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ピエモンテの工芸家作「壁のテーブル」(17世紀末)


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マリア・ジョヴァンナ・バッティスタ・クレメンティ通称ラ・クレメンティ―ナ(トリノ、1692-1761)の「ジュゼッペ・ジョヴァンニ・アルファッショ・グリマルディ伯爵の肖像」(1745)


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マリア・ジョヴァンナ・バッティスタ・クレメンティ通称ラ・クレメンティ―ナ(トリノ、1692-1761)の「ヴィットリア・マリア・エリザベッタ・ガゼッリ・ディ・セルヴィの肖像」(1745)


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ヨハン・スターバス(アムステルダム、1679-ストックホルム、1724)の「騎乗のルイ14世」(17世紀末-18世紀初頭)


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フランドルの逸名画家作「ジョヴァンニ・バッティスタ・デ・リザランツゥの肖像」(17世紀初頭)


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次の部屋です。


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Galleria Mazzetti


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天井のフレスコ画


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ジュゼッペ・アントニオ・カッチョ―リ(ボローニャ、1672-1740)の「栄光のマゼッティ家」(1728)


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ジュゼッペ・アントニオ・カッチョ―リ(ボローニャ、1672-1740)の「ライオンが引く戦車に乗ったピエモンテ王子」(1728)


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詳細不知


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ピエモンテの逸名画家作「マリア・テレーザ・ディ・サヴォイアの肖像」(1817)


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ピエモンテの逸名画家作「マリア・ベアトリーチェ・ディ・サヴォイアの肖像」(1817以降)


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ピエモンテの逸名画家作「ヴィットリオ・エマヌエーレ1世の肖像」(1817以降)


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ピエモンテの逸名画家作「マリア・テレーザ・ディ・オーストリア・エステの肖像」(1817以降)


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制作者情報不知の「ジョヴァンニ・バッティスタ・マッゼッティ伯爵の胸像」


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次の部屋です。


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紋章の間


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1935年に描かれたアスティ県のコムーネの紋章


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1937年、アスティ貯蓄銀行によって修復された装飾


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オッタヴィオ・バウッサーノ(アスティ、1898-1970)の「14世紀半ばのアスティ」


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ヴァレリオ・カステッロの傑作が2点展示されてます。


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624-1659)の「エレーナの強奪」(1650-59)


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624-1659)の「ルクレツィアの死」(1650c)


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(つづく)

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次の部屋です。


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イタリア製婦人服(17世紀第3四半世紀)


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イタリア製燕尾服(1780-90)


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ブリュッセル製綴れ織り布(16世紀中頃)


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次の部屋です。


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ボンツァニーゴの間です。
彫刻家、キャビネット制作者、象牙細工者、家具職人だったジュゼッペ・マリア・ボンツァニーゴ(アスティ、1745-トリノ、1820)が制作した作品が展示されている部屋です。


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ラッファエッロ作品コピーを組み込んだ記念碑(1808)


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次の部屋です。


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陶器の展示です。


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次はSala del Polittico di San Martino Alfieriです。
Maestro di San Martino Alfieriによって1503年から1504年に描かれた多翼祭壇画のパネルが展示されてます。多翼祭壇画は既に各パネルに分解されて、行方不明のパネルが数点あります。


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Maestro di San Martino Alfieriの「聖母戴冠」(1503-04)


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Maestro di San Martino Alfieriの「聖職者たちと信者たち」(1503-04)


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Maestro di San Martino Alfieriの「ご誕生」(1503-04)


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Maestro di San Martino Alfieriの「修道女たちと信者たち」(1503-04)


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Maestro di San Martino Alfieriの「受胎告知される聖母」(1503-04)


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Maestro di San Martino Alfieriの「ご訪問」(1503-04)


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Maestro di San Martino Alfieriの「一般の寄進者たち」(1503-04)


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Maestro di San Martino Alfieriの「聖母被昇天」(1503-04)


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次はSala dei Ritratti 肖像画の間です。


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床に置かれた敷布


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天井のスタッコ彫刻とフレスコ画


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制作者情報不知の「ヴィーナスとアモーレ」


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ピエモンテの逸名画家作「ジュゼッペ・アミーコ伯爵の肖像」(1730-40)


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ジョヴァンニ・エンリコ・ヴェイマー(ジェノヴァ、1665-1738)の「ジェノヴァ執政長官の肖像」(17世紀末-18世紀初頭)


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ピエモンテの職人作「鏡」(18世紀中頃)


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フランスの逸名画家作「ルイージ・カミッロ・ゴルティエーリ修道院長の肖像」(19世紀初頭)


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アデオダート・マラテスタ(モデナ、1806-1891)の「トンプソン卿の肖像」(1847)


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ソフィア・ジョルダーノ(トリノ、1778-1829)の「ジャチント・ヴィナイの肖像」(1813)


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ダヴィド・リヒター(ストックホルム、1662-ウィーン、1735)の「女性の肖像」(1720-30)


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ジョアッキーノ・アッセレート派逸名画家作「Nicolo Zoagliの肖像」(1640-49)


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ジェノヴァの逸名画家作「Vincenzo Zoagliの肖像」(17世紀中頃)
(つづく)

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歴史的建造物が建ち並ぶ、アスティ随一の目抜き通りCorso Vittorio Alfieriです。


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Torre dei Comentiniです。道を挟んで、塔の向かいにPalazzo Mazzettiがあります。


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写真右の建物がPalazzo Mazzettiです。


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Palazzo Mazzettiの端にアスティ市立美術館があります。


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Palazzo Mazzettiはアスティの貴族Mazzetti家によって1442年に建設された邸宅兼要塞です。


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Palazzo Mazzettiが建設された当時のアスティは政情不安定だったので、要塞の機能を備えた邸宅でしたが、時代を経るにつれて政情が徐々に安定するようになりました。それに伴い、Palazzoは堅固な構えが不必要となったので、17世紀に要塞機能が廃され、増設改修拡張されました。
現在の姿は、1751年に完了した増設改修拡張後のものです。


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市立美術館の入り口です。
1937年、建物はアスティ貯蓄銀行の所有となり、同銀行が修復工事を行いました。工事完了後の1940年、同銀行からの管理運営依頼に基づき、アスティ市立美術館がオープンしました。


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入館しました。


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美術館は中2階を含めて4フロアから成ってます。


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切符売り場近くの地上階に置かれた彫刻(詳細不知)


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階段を上ります。


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階段の踊り場に置かれた彫刻(詳細不知)


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階段の踊り場に置かれた彫刻(詳細不知)


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詳細不知


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展示室への入り口です。


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展示室に入室しました。


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アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の「布地」(1978)


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アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の「地図」(1985)


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アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の「地図」(1989)


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ジャコモ・グロッソ(トリノ、1860-1938)の「La Femme(毒婦?)」(1895)


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次の部屋です。


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ロレンツォ・デッレアーニ(ポッローネ、1840-トリノ、1908)の「巡礼」


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ジョヴァンニ・ミケーレ・グラネリ(トリノ、1708-1762)の「聖フィリッポ・ネリとカンタリーチェの聖フェリーチェの邂逅と大道芸人」(1754)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(ヴェネツィア、1687-1767)と工房の「聖バルトロメオの殉教」(1735以降)


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ジョヴァンニ・ミケーレ・グラネリ(トリノ、1708-1762)の「寺院から商人たちを追放するキリスト」(1756)


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ジョヴァンニ・ミケーレ・グラネリ(トリノ、1708-1762)の「カナの晩餐」(1756)


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次の部屋です。日本のものが展示されてます。


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江戸時代の鎧(18世紀末-19世紀初頭)


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明治時代の有田焼(19世紀末-20世紀初頭)


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明治時代の有田焼(19世紀末-20世紀初頭)


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ジュゼッペ・マンツォーニ(アスティ、1887-1983)の「海軍少将エンリコ・セコンド・グリエルミネッティの肖像」
この部屋の日本関係の展示作品は、この人が収集したもので、彼の遺言によってアスティ市に寄贈されたものです。


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日本のもの


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有田焼(18世紀)


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次の部屋です。


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フランチェスコ・フェリーチェ・プレデッジョ(トリノ、18世紀前半活動)の「シセラを殺すヤエル」


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ピエモンテの逸名画家作「ご訪問」(17世紀末-18世紀初頭)


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フランチェスコ・フェリーチェ・プレデッジョ(トリノ、18世紀前半活動)の「ホロフェルネスの首を持つユディト」


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ジョヴァンニ・フェリーチェ・ラメッリ(アスティ、1668-ローマ、1741)の「老人の肖像」(18世紀第1四半世紀)


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ピエトロ・ラヴェーリア(パリ、1625-アスティ、1675)の「リマの聖ローザと聖人たち」(17世紀後半)


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568?-モンカルヴォ、1625)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1609-15)
(つづく)

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昼食を食べた店があるローマ広場です。


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Torre dei Comentini


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写真右の建物はアスティ貯蓄銀行です。


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アスティの目抜き通りCorso Vittorio Alfieriです。


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夕方になると人出が急増するイタリアの街ですが、未だ午後4時過ぎなので混雑とは程遠い状態です。


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振り返って市立美術館の方向を撮った写真です。


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この日に開いている教会は少なそうなので、これ以上教会巡りをしても意味があるとは思えません。


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次を左折すればTorre Troyanaです。


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Teatro Comunale Vittorio Alfieri


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この日の公演はありません。


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ホテルに戻ることにしました。


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4年後、アスティに来ました。


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近頃、新たに(初めて)訪れるコムーネは皆無になりました。


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この日のお宿に向かいました。


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今回のお宿はカヴール通りに面した、写真右のホテルにしました。


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行く所は前回とほぼ同じで、塔と教会巡りと市立美術館が目的です。


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サン・パオロ広場です。写真左にサン・パオロ教区教会があります。


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サン・パオロ教区教会の扉が開いてました。早速拝観しました。


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既に紹介したので、拝観の様子は省略です。


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街の中心、サン・セコンド広場に向かいます。


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Torre dei Guttuari


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旧エルベ広場です。
16世紀、塔は約半分に切り取られましたが、1898年の現在の姿に復元されました。


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ギベルティ党のグットゥアーリ家が塔を含んだ邸宅を12世紀から13世紀に建設しました。邸宅は現存してません。


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街の中心、サン・セコンド広場です。


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赤地に白十字の旗が目立ちます。


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赤地に白十字はアスティの旗です。


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サン・セコンド参事会教会です。


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拝観しました。


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市庁舎


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次は市立美術館です。


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突き当りが目抜き通りのCorso Vittorio Alfieriです。


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Corso Vittorio Alfieriに出ました。少し進めば市立美術館です。


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Torre dei Comentiniの先が市立美術館です。


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ローマ広場


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市立美術館があるPalazzo Mazzettiです。


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入館しました。


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外に出ました。


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繰り返しになるので、この辺で止めておきましょう。


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(おわり)

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次はサン・ジュゼッペ聖域です。


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Via Giosue Carducciにある中学校です。


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サン・ジュゼッペ聖域があるカイローリ広場に向かいます。


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通りの先に教会の建物があります。


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Piazza Fratelli Cairoliです。


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Santuario Oblati di San Giuseppeです。


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1727年に、この地に建設された女子修道院教会が前身です。19世紀にネオ・ゴシック様式に再建された建物です。


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ファサードにある「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」(19世紀)


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ファサードの入り口上ルネッタの装飾


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扉が閉まっていましたが、中に必見の作品がないので問題がありません。


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広場にあるウンベルト1世のモニュメント


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写真右にPalazzo Alfieriが見えます。


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通りの先に塔と教会が見えます。


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Torre Rossa とサンタ・カテリーナ教会です。


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塔は三層構造になっていて、最下層は紀元前1世紀に建設された城壁の監視塔です。真ん中の第二層は、10世紀に建設された初代のサン・セコンド教会の鐘楼として11世紀に追加されました。最上部の第三層は18世紀に増設されました。教会の建物は刑務所に転用され、塔は囚人たちの監視塔になりました。


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塔の高さは約24mあります。


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16角形、ロマネスク様式の塔です。


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サンタ・カテリーナ教会のファサードの方に回ります。


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写真左はサンタ・カテリーナ教会です。写真右の壁にフレスコ画があります。


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そのフレスコ画です。


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僅かに残されている城壁です。アスティの城壁は大部分が取り払われ、道路になってます。


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サンタ・カテリーナ教会です。


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サン・セコンド修道院教会が前身ですが、1732年に取り壊され、現在のバロック様式の建物は1766年から1773年に建設されました。


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1929年、フランチェスコ会の所有となりました。


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クーポラの高さは35mです。


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Corso Vittorio Alfieriを中心部に向かって進みます。


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写っている塔は(写真手前の)Torre Troyanaです。


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道路が濡れてますが雨が降ったのではなくて、散水清掃車が通ったからです。


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Torre dei Nattaです。


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写真正面の建物の右側に塔があります。


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写真右の塔です。


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13世紀に建設されたTorre De Deregibusです。


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高さ27mの塔です。


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アスティの貴族De Regibus家の邸宅の塔として建設されました。その邸宅は現存しません。


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Corso Vittorio Alfieriをローマ広場方向に進みます。


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振り返って撮った写真です。


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Torre Comentinaが見えます。


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写真左の建物はPalazzo Mazzettiです。


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この日の午前中に入館した市立美術館です。


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Stemma Comentina


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(つづく)

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左側廊


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左側廊の天井にもフレスコ画があります。


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カルロ・インノチェンツォ・カルローニ(スカリア・ディンテルヴィ1687-1775)のフレスコ画


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「マギの礼拝」でしょうか?


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主祭壇


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フランチェスコ・ファッブリカ(ミラノ、1710-1740消息)とピエトロ・アントニオ・ポッツィ(18世紀前半活動)と18世紀前半のボローニャの逸名画家による中央礼拝堂後陣のフレスコ画


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後陣にもオルガン(18世紀)があります。


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右側廊


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制作者情報不知の「聖母子」(15世紀)


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詳細不知の「天使」


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詳細不知の「天使」


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カルロ・インノチェンツォ・カルローニ(スカリア・ディンテルヴィ、1687-1775)の「聖母被昇天」


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ロッコ・コマネッディ(ポルレッツァ、1744-1819)がこの作品の制作に参加したかどうかについては明確になっていないようです。


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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Cappella Genealogia della Vergine


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ガンドルフィーノ・ダ・ロレート別称ガンドルフィーノ・ダスティ(アスティ、1493-1518記録)の「聖母の系譜」


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詳細不知


P1290802
詳細不知


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フランチェスコ・ファッブリカ(ミラノ、1710-1740消息)、ピエトロ・アントニオ・ポッツィ(18世紀前半活動)、ボローニャの逸名画家によって制作されたフレスコ画


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3人の画家のうち、誰が制作したかについては不明のようです。


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制作者情報不知のフレスコ画(15世紀)


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詳細不知


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右側廊


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詳細不知


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聖水盤


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左側廊


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外に出ました。
(つづく)

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引き続きアスティ―のドゥオーモです。


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右側の入り口から聖堂内に入ります。


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中に入りました。


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三廊式、ゴシック様式の内部です。


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翼廊がありません。


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ファサード側の扉は通常閉まってます。


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ファサード裏側にフレスコ画が描かれてます。


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フランチェスコ・ファッブリカ(ミラノ、1710-1740消息)、ピエトロ・アントニオ・ポッツィ(18世紀前半活動)、18世紀前半のボローニャ出身の逸名画家によって、18世紀前半に制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画各場面の作品帰属は明確になっていないようです。


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洗礼盤


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17-18世紀の逸名画家作「聖母子と聖人たち」(1694)


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左側廊


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天井一杯に描かれたフレスコ画


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詳細不知


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カルロ・インノチェンツォ・カルローニ?のフレスコ画でしょうか。


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聖水盤


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テラコッタ彫刻の「嘆き」(1502)


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私には制作者が分かりません。


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フレスコ画の制作者が不明です。


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ガンドルフィーノ・ダ・ロレート別称ガンドルフィーノ・ダスティ(アスティ、1493-1518記録)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖ピエトロと聖パオロと寄進者オベルティーノ・ソラーロ」(1516)


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詳細不知のフレスコ画


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詳細不知の「十字架降下」


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ガンドルフィーノ・ダ・ロレート別称ガンドルフィーノ・ダスティ(アスティ、1493-1518記録)の「聖母の結婚」(1510-12)


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詳細不知


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カルロ・インノチェンツォ・カルローニ(スカリア・ディンテルヴィ、1687-1775)とロッコ・コマネッディ(ポルレッツァ、1744-1819)のフレスコ画


P1290753
詳細不知


P1290755
詳細不知


P1290757
詳細不知


P1290760
詳細不知


P1290763
礼拝堂の名称が分かりません。


P1290764
詳細不知のフレスコ画


P1290765


P1290766
1768年に制作されたオルガン
(つづく)

P1290647
ドゥオーモにやってきました。


P1290648
先ず教区博物館に入館する予定でしたが・・・・・


P1290649
残念ながら旧サン・ジョヴァンニ教会の扉が閉まっていました。旧教会の建物が教区博物館として利用されてます。
アスティの最初の司教座教会がサン・ジョヴァンニ教会でした。


P1290650
今、通ってきたVia Cattedraleです。


P1290651
ドゥオーモの鐘楼です。


P1290654
ファサードの方に回ります。


P1290852
ドゥオーモ広場です。


P1290842
ファサードの方にやってきました。


P1290838
アスティ司教区の司教座教会 Cattedrale di Santa Maria Assnta e San Gottardoです。


P1290840
5-6世紀に建設された初期キリスト教会が前身で、旧サン・ジョヴァンニ教会(現在は教区博物館)が建っている場所にありました。
1070年に起きた火災によって、建物の一部が消失したので、その直後に二代目の建物が再建され、1095年に奉献式が行われました。
現在のロンバルド・ゴシック様式の建物は、1266年創建、1470年に完成した三代目のものです。


P1290844
ファサードの中央扉


P1290845
中央扉左柱の柱頭


P1290847


P1290848
ファサードに向かって右扉


P1290849


P1290850
ファサードに向かって右扉の柱頭


P1290837
ファサードに向かって右側外壁を見ます。


P1290835
ファサードの扉は何時も閉まってます。聖堂内に入るには、写真右端の扉を利用します。


P1290834
右側壁の扉を見ます。


P1290662
Antiporta Pellettaです。


P1290661
アスティの名家で大金持ちPelletta家の当主Gerolamo Pellettaの寄進によって1300年から1320年頃に制作されました。


P1290663
Antiporta Pellettaのルネッタのフレスコ画


P1290677
ピエタのキリスト


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受胎告知する大天使


P1290679
受胎告知される聖母


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右側壁扉天井


P1290664
聖母被昇天


P1290665
聖パオロ


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聖ピエトロ


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聖ジローラモと聖ビアージョ


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P1290669


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P1290671


P1290674


P1290675


P1290676


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20世紀に修復された木製扉


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P1290689


P1290660
1266年に遡る鐘楼ですが、18世紀に現在の姿に改造されました。


P1290655
鐘楼の下部に日時計があります。


P1290657


P1290659
日時計


P1290854
(つづく)

P1290592
昼食を食べ終わって、ローマ広場からCorso Vittorio Alfieriに戻りました。


P1290593
Corso Vittorio Alfieriを左折してVia Mosignor Umberto Rossiに入りました。


P1290594
写真左はアルガノン庭園です。


P1290595
街歩きをすると、その街の貧富が大体分かります。アスティは豊かです。


P1290596
通りの先に見えている塔はTorre Troyanaです。


P1290597
Palazzo Seminario Vescovileです。


P1290598
Palazzo Seminario Vescovileの建物は、現在図書館として使用されてます。扉が閉まっていました。


P1290604
建築家ベネデット・アルフィエーリ(ローマ、1699-トリノ、1767)の設計によって建設されたバロック様式の神学校です。


P1290602
旧神学校の入り口です。


P1290605
この付近に塔があった筈だが、中々見つかりません。観光案内所で貰った地図がカバンの中にありますが、大体見ないので自分のいる場所が分からない。


P1290607
このオステリアがあったので、自分のいる場所が分かりました。塔は直ぐ傍です。このオステリアはお勧めです。


P1290608
探していたTorre Solaroです。


P1290613
1350年頃に建設されたゴシック様式のTorre Solaroです。


P1290610
塔の名称は、塔がソラーロ家邸宅の一部として建設されたことに由来します。


P1290611
Torre Solaroに接して建っている州立高等学校です。ソラーロ家邸宅は現存してません。


P1290615
写真右はPalazzo Catenaです。


P1290616
次はドゥオーモです。


P1290618
広場にやってきました。


P1290621
Piazza Alberto Castiglianoです。


P1290620
アルベルト・カスティリアーノ広場からドゥオーモの鐘楼が見えます。


P1290623
写真右の建物の向こう側(同じ建物の一つ先の通りに面した方)にMuseo Civico di San Anastasioがあります。


P1290626
道の先にドゥオーモがあります。


P1290627
写真右の建物がよく分かりません。


P1290628
フレスコでファサードを作った?(詳細不知)


P1290630
ドゥオーモの鐘楼が見えてます。


P1290629
突き当りを左折します。


P1290632
Via Cattedrale


P1290634
この先に塔があります。


P1290633
ナッタ通りです。


P1290635
塔が多いですね。


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11世紀に建てられたTorre dei Natta です。


P1290637
塔の名称はナッタ家邸宅にあることに由来しますが、塔が建設された時にはナッタ家はアスティとは無縁で、別の家の所有だったとされてます。


P1290638
ナッタ家が所有することになったのは17世紀頃と言われてます。


P1290640
ドゥオーモ周辺は見所が豊富です。


P1290641
昼食のワインが効いてます。


P1290642
トイレに行きたくなったので、バールを探しました。これがないのですよ。


P1290643
この紋章の意味が分かりません。パリオの地区分け?


P1290644
この建物に見惚れてしまいました。


P1290645
騙し絵の窓です。本物の窓が少なく、多くが騙し絵です。


P1290646
(つづく)

P1290365
サン・マルティーノ教会にやってきました。


P1290368
ドゥオーモ、サン・セコンド参事会教会に次いで、アスティで3番目の重要な教会とされてます。


P1290366
886年の文書に初めて本教会の存在が記載されてます。
1168年、アゴスティーノ会の所有になり、直ぐに修道院が併設されました。建物の経時劣化のため、1696年に初代の建物が取り壊され、再建工事が直ちに開始され、1738年に完成したバロック様式の二代目の建物が現在の姿となってます。


P1290385
14世紀に建設された鐘楼は初代の建物にあったもので、現在も使用されてます。


P1290373
ファサードの彫刻:聖マルティーノ


P1290374
聖ジャコモ


P1290384
聖フィリッポ


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教会で結婚式が行われます。


P1290375
拝観を諦めました。


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サン・マルティーノ教会の向かいにあるサン・ミケーレ教会です。


P1290381
サン・ミケーレ教会のファサードにある浮彫


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教会の入り口扉が開いてましたが、鉄扉が施錠されていました。何故か犬が・・・・・


P1290387
2連敗です。


P1290372
早々に退散しました。


P1290386
次は市立美術館です。


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サン・マルティーノ通りを進みます。


P1290389
道の突き当りが市立美術館が置かれているPalazzo Mazzettiです。


P1290390
アスティ市立美術館です。


P2870765
入館しました。


P2870803
アスティ市立美術館に付いては、項を改めて詳しく触れます。


P2870862
展示作品が多いですが、それらの質は中位くらいでしょうか。


P2880250
現代の作品も展示されてます。


P1290556
市立美術館から外に出ました。


P1290557
写真左はイタリア統一市立博物館です。


P1290562
イタリア統一関係の博物館は何処も似たり寄ったりです。


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入館するつもりはなかったけれど、中庭くらいは見ても良い。


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アスティのMuseoは充実してます。17世紀中頃に建設されたバロック様式の建物です。


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Palazzo Ottolenghiの中庭


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Corso Vittorio Alfieriの先に塔が見えます。


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13世紀に建設されたTorre dei Comentiniです。


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高さが38.55mあります。


P1290568
塔の隣にサン・ベルナルディーノ教会があったので、Torre di San Bernardinoとも呼ばれてます。


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Torre dei Comentiniがある建物のように見えるので、誤解されてます。


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Torre dei Comentiniを囲んで、1897年に建設されたネオ・ゴシック様式のPalazzo Medici dei Vascelloです。よく見ると塔にマッチせず、どこかチグハグに見えます。


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Palazzo Medici del Vascelloが面しているローマ広場です。


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ローマ広場の中央にモニュメントがあります。


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1898年に制作されたイタリア統一のモニュメントです。


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そろそろ昼食時です。


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Palazzo Medici del Vascelloの一角にあるレストランで昼食にしました。


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P1290588


P1290590
(つづく)

P1290315
サン・ロッコ教会が見えてます。


P1290316
ファサードの方に向かいます。


P1290317
サン・ロッコ教会のファサードです。


P1290326
サン・セコンド参事会教会で活動したサン・ロッコ友愛会 Confraternita di San Roccoでしたが、自前の活動拠点を持ちたいと考え、現在のサン・ロッコ教会近くに1637年に小さな教会を建設しました。友愛会信者が増加したので、小さな教会に隣接した土地を購入し、そこに新しい建物を建設することになりました。
17世紀末に創建され、1720年に完成したのが現在のサン・ロッコ教会の建物です。


P1290322
裕福なサン・ロッコ友愛会なので、教会の中には見るべき作品があります。


P1290321
扉が閉まっていましたが、それは当然です。


P1290328
2012年の地震によって被害を受けたので、立ち入り禁止となってます。要修復なのですが、資金難のため工事が未着工となってます。


P1290320
時計は正確でした。


P1290323
友愛会の建物に碑文があります。


P1290324
友愛会の会員の戦死者リストです。


P1290327
次はサン・ジュゼッペ教会です。


P1290329
この通りの先に広場があり、広場に面して教会があります。


P1290330
サン・ジュゼッペ広場です。


P1290331
旧サン・ジュゼッペ教会です。
1647年に完成したバロック様式の教会です。19世紀に教会活動が停止され、その後、一度も宗教活動が再開されることなく現在に至ってます。
1923年、ファシスト民兵の兵舎に転用され、その後、消防署などとして使用されてからアスティ市の所有となっており、現在は展示場などになってます。
ここに来たのは、ベルナルド・ストロッツィ特別展が開催されているという情報があったからですが、がさネタでした。


P1290332
サン・ジュゼッペ広場から見えるクーポラ。何処の教会のクーポラなのか、分かりません。


P1290337
サン・ジュゼッペ広場から見えるサン・ロッコ教会です。


P1290339
日時計のある建物です。


P1290338
Casa Roeroの日時計


P1290340
Via San Martino


P1290341
写真左の建物にフレスコ画があります。


P1290342
これです。詳細不明のフレスコ画


P1290344
次はPalazzo Gazzelliです。


P1290345
Via Quintino SellaにPalazzo Gazzelliがあります。


P1290346
写真右にある建物がPalazzo Gazzelliです。


P1290348
Palazzo Gazzelliには塔があります。


P1290349
13世紀後半に建設されたPalazzo Gazzelliです。


P1290351
塔は修復されてますが、13世紀後半のオリジナルです。


P1290350
建物は18世紀前半に現在の姿に改造されました。


P1290352


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Casa dei Roero di Cortanzeです。


P1290355
13世紀に建設されました。


P1290353
美術的に必見の作品が中に数点ありますが、個人の邸宅で非公開となってます。


P1290356


P1290358
サン・マルティーノ通りを進みます。


P1290357
すぐにサン・マルティーノ教会のクーポラが見えます。


P1290361
振り返って撮った写真


P1290359
次はサン・マルティーノ教会です。


P1290360
中世の建物が多く、美術的に優れた作品が幾つかあるので、美術ファンがもう少し訪れても良いと思います。


P1290362
ワインが有名ですが、ワインショップは少ないようです。


P1290363
昼間から試飲させる店があまりありません。


P1290364
(つづく)

P1300022
サン・パオロ教区教会です。


P1290247



P1300019
1292年に記録にサン・パオロ教会の存在が初めて記載されました。


P1290284
写真の建物は1292年に初めて記録された教会のものとされてます。


P1290287
大改修されて面影がありませんが、写真左のアウトレットのお店が初代の教会建物のファサードです。


P1290288
1381年、教区教会になりました。


P1290246
1787年から1794年に再建されたバロック様式の建物が現在の教会の姿です。


P1290277
見所が乏しいファサードです。


P1300025
ファサードに向かって左側の入り口から中に入ります。


P1290248
中に入りました。間もなくミサが行われるようです。


P1290250
八角形、バロック様式の内部です。


P1290249
右側壁


P1290251
クーポラのフレスコ画は、カルロ・ゴルツィオ・ダ・モンカルヴォによって制作されました。この画家については全く知りません。


P1290260
バロック様式の教会らしく派手な装飾です。


P1290252
ヴィンチェンツォ・カヴァッレ―リによる後陣のフレスコ画


P1290257
ヴィンチェンツォ・カヴァッレ―リについては、全く知りません。


P1290255
祭壇画が多いですが、その殆どの作品帰属が分かりません。


P1290259


P1290265
制作者情報不知の「マギの礼拝」(19世紀)


P1290271
制作者情報不知の「ご訪問」


P1290272


P1290273


P1290274
詳細不知
ミサが始まりました。


P1290292
ミサが始まったので外に出ました。


P1290289
カヴール通りです。


P1290290
Chiesa della Confraternita della Santissima Trinita e Sant' Evasioに行こうと思いましたが、扉が閉まっていました。


P1290286
次はPalazzo dei Catenaです。


P1290293
サン・パオロ教区教会の前を通り過ぎます。


P1290294
9月20日通りを進みます。


P1290296
Palazzo dei Catenaが見えてきました。


P1290299
13世紀末から14世紀初めに建設されたPalazzo dei Catenaです。


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新たに塗装されて新しく見えますが、17世紀に建設された建物です。


P1290302
人通りが殆どありません。


P1290304
18世紀に建設された建物です。


P1290305
次はサン・ロッコ教会です。


P1290307
写真左の建物は教会に見えませんが、旧教会です。


P1290308
アルフィエーリ家の墓があるようです。


P1290310
9月20日通りを更に進みます。


P1290311
写真右にフレスコ画がある建物があります。


P1290312
この一角です。


P1290313


P1290314
(つづく)

引き続きサン・セコンド参事会教会です。
P2870721
制作者情報不知の「磔刑」


P2870724
ヴィスコンティ派逸名画家作「三位一体」(15世紀初め)


P2870725
制作者情報不知のフレスコ画(15世紀初め)


P2870727
制作者情報不知のフレスコ画(15世紀初め)


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制作者情報不知の「聖セコンド」(15世紀初め)


P2870731
右側廊の礼拝堂


P2870733
詳細不知


P2870735
詳細不知


P2870737


P2870740
サン・ジョヴァンニ礼拝堂


P2870741
サン・セコンド礼拝堂


P2870742
サン・セコンド礼拝堂の天井


P2870743
制作者情報不知のフレスコ画


P2870745


P2870747
詳細不知


P2870750
制作者情報不知の「聖セコンドに顕現するキリスト」


P1290117
ガンドルフィーノ・ダ・ロレート別称ガンドルフィーノ・ダスティ(1493-1518活動記録)の「ロレートの聖母と聖セコンドと聖人」


P1290125


P1290149
外に出る前に主祭壇をもう一度見ました。


P1290202
外に出ました。


P1290222
市庁舎の後方にサン・セコンド参事会教会の鐘楼がよく見えました。


P1290213
未だ午前10時です。


P1290215
保険会社の建物


P1290217
街角のフレスコ画を見に行きます。


P1290218
Via Stefano Incisa


P1290219
レストラン・フランチェーゼの後方に街角のフレスコ画があります。なお、フランチェーゼはお勧めするには二の足を踏みます。


P1290230
塔のある建物が見えます。


P1290233
塔のある建物はPalazzo dei Guttuariです。


P1290241
1235年に完成したTorre dei Guttuariです。


P1290240
Guttuari家が建設した邸宅の塔とされていましたが、1260年から1270年のアスティの公的文書を詳細に調査した結果、従来の説は覆され、2つの家の邸宅の境界に2つの家の資金によって塔が建設されたそうです。


P1290231
塔はPiazza Statutoに面して建ってます。


P1290232
落ち着いた雰囲気の広場で、公園になってます。


P1290239
広場のベンチで一休みしました。


P1290242


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広場の先に教会が見えます。


P1290243
サン・パオロ教区教会です。


P1290245
人が次々と教会の中に入って行きます。


P1290282
間もなくミサが行われるのでしょう。


P1290283
ファサードに向かって左側の建物は修道院でしょう。


P1290284
鐘楼


P1290285
ファサードの左側壁側にも教会の扉があります。
(つづく)

P1290983
次は、サン・セコンド参事会教会 Collegiata di San Secondoです。


P1290210
聖セコンド(?、1世紀-アスティ、119)は、アスティの貴族出身のローマ軍将校(他説が幾つもあって聖セコンドの生涯はよく分かっていないようです)でしたが、キリスト教に帰依し、棄教を迫られましたが、それを拒否して、現在の参事会教会が建っている場所で斬首され殉教しました。アスティの守護聖人です。
聖セコンドの聖遺物を祀るために教会が建設されました。教会の最古の記録は880年の文書だそうです。聖セコンドの聖遺物は異民族の侵入の際、ドゥオーモに移されましたが、1597年に本教会に戻されました。


P1290227
現在の建物の原形は、1256年に建設されたロマネスク様式の建物です。15世紀前半に拡張工事が行われ、ゴシック様式に改造されて1440年に完成した建物が現在の姿です。


P2870752
1462年に完成したファサードです。


P1290977
13世紀に建設されたロマネスク様式の鐘楼が今でも現役ですが、少し分かり難い場所にあります。


P1290979
ファサードに向かって右側壁外観です。


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左側です。


P1290976
後陣


P1290975


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ファサードを見ます。


P1290205
ファサードの聖セコンド像


P1290206
ファサードの丸窓


P1290204
メイン扉上ルネッタの彫刻とフレスコ画


P2870754
フレスコ画が塗り潰されていました。
フレスコ画が残っていた写真は2016年に撮りましたが、2018年に行った時には塗り潰されていました。日光と風雨に晒されるという、フレスコ画には悪条件ですが、フレスコ画を修復しないで塗り潰すとは!


P1290207
入口の装飾が地味です。


P1290208
拝観します。


P2870676
中に入りました。


P2870677
三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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右側壁方向


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ゴシック様式らしく高い天井です。


P2870680
左側廊


P2870681
左側廊から見た身廊中央方向


P2870682
ファサード裏にあるオルガンと聖歌隊席です。
左側廊の礼拝堂から見て回りました。


P2870684
16世紀の逸名画家作「父なる神とご誕生と聖人たち」


P2870687
ガンドルフィーノ・ダ・ロレート別称ガンドルフィーノ・ダスティ(1493-1518活動記録)の「多翼祭壇画」
ガンドルフィーノ・ダ・ロレートは、アスティ、アレッサンドリア、モンフェッラートで活動した記録が残っている画家で、ガンドルフィーノの父がアスティ出身でした。


P2870688
Cappella dei Crocefisso


P2870693
この教会にある作品の殆どについて、その作品帰属が分かりません。私が分からないだけで、地元は多分分かっていると思います。


P2870694


P2870690
詳細不知


P2870692
詳細不知


P2870696
詳細不知


P2870697
左側廊の礼拝堂


P2870698
詳細不知


P2870700
詳細不知


P2870701
制作者情報不知の「聖セコンド」


P2870703
ピエタの礼拝堂


P2870705
制作者情報不知の「アスティの街(フレスコ)」


P2870709
制作者情報不知の「ピエタ」


P2870711
後陣左の礼拝堂


P2870712
制作者情報不知の「天上の聖母子と聖人たち」


P2870715
制作者情報不知の「聖セコンドの殉教」


P2870716
主祭壇


P2870717


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P2870719
右側廊


P2870720
(つづく)

アスティは、人口76,026人(2018年12月31日現在)のピエモンテ州アスティ県の県都です。特産のワインで有名です。
P1290053
アスティ駅に到着しました。


P1290056
アスティ駅の駅舎


P1290055
かなり広い駅前広場です。


P1290057
鉄道駅の横にバスターミナルがあります。


P1290058
駅近くに大駐車場があります。


P1290059
パリオが行われるCampo del Palioです。アスティのパリオは競馬です。競馬のパリオはシエナが有名ですが、シエナのカンポ広場と比べると、この広場は広いので、競馬としてはアスティの方が迫力があります。


P1290060
この日のお宿に向かいます。


P1290061
駅から徒歩6,7分でホテルに着きます。


P1290062
Parco della Resistenza


P1290063
この日のお宿です。


P1290961
全ての部屋に無料ワインが1本ついてます。これがあったので、自ずと部屋飲み、部屋で食事となります。


P1290064
部屋で一休みしてから街歩きに出発しました。


P1290065
Piazza Vittorio Alfieriです。


P1290066
写真左の建物はアスティ県の県事務所です。


P1290068
県事務所の端に観光案内所があります。


P1290072
観光案内所に立ち寄って、アスティの地図を頂戴しました。


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県事務所の受付です。


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Mercato


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塔を見に行きます。
中世の頃、約150本の塔があったアスティですが、現存するのは12本です。


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Corso Vittorio Alfieriです。


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雨で道路が濡れているのではなく、清掃車が散水しながら通ったためです。


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塔が見えてきました。


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Torre Troyana、またはTorre dell' Orologioと呼ばれてます。


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12世紀末に建設された塔がある建物がありました。アスティの貴族が建設したようですが、具体的なことは不明とされてます。塔は未完成でした。
13世紀前半、ピエモンテの銀行家トロ―ジャ家(後にトロヤ家と改称)が未完成の塔を含む家を購入して1260年から1280年に完成させた塔です。高さ44m、一辺5.9mの正方形の塔です。


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ここでは高さ38mとされてます。


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今、通ってきたVia Cesare Battistiです。


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メディチ広場です。


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広場の名称メディチは、フィレンツェのメディチ家と無関係です。


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フレスコ装飾がある建物です。


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広場の中心にある噴水が広場の名称に由来します。


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1890年、エンジニアのLuigi Medici del Vascelloが噴水を寄贈したいと考え、1908年に設計を行い、彫刻家マテルノ・ギリバルディによって制作されました。


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ルイージ・メディチ設計、マテルノ・ギリバルディが制作した噴水


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商工会議所の建物です。


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次はサン・セコンド聖堂です。


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メディチ広場から聖堂がある広場まで、徒歩3,4分でしょうか。


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パリオ疲れなのか、閉まっている店がかなりありました。


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Corso Vittorio Alfieriを通過します。


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この街で最も賑わう通りです。


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Piazza San Secondoです。


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毎年9月第4日曜日にパリオが行われます。この時は、パリオが既に終わって、広場の片づけが行われていました。


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市庁舎です。


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ベネデット・アルフィエーリ(ローマ、1699-トリノ、1767)の設計によって18世紀に建設された市庁舎です。


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市庁舎の隣にサン・セコンド聖堂があります。


P1290105
(つづく)

P1080872
フィデンツァのサン・ドンニーノ大聖堂の後陣からジュゼッペ・コンフォルティ通りに出ます。


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ジュゼッペ・コンフォルティ通りに面して、司教館の入り口があります。


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ここにドゥオーモ付属美術館があります。美術館の名称とは異なり、ドゥオーモにあった作品だけの展示に留まらず、フィデンツァやフィデンツァ周辺の教会から集められた絵画や聖具類が展示されてます。その実態はフィデンツァ司教区の教区美術館Museo Diocesanoに相当すると思います。


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美術館の入り口です。


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毎週月曜日が休館です。


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入館しました。


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エミリアの逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナと聖バルトロメオ」(14世紀初め)
ドゥオーモのクリプタにあったフレスコ画です。


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エミリアの逸名画家作「玉座の聖母子」(14-15世紀)
フィデンツァのサン・ミケーレ教会にあったフレスコ画です。


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逸名画家作「竜を退治する聖ジョルジョ」(14世紀)
サン・ジョルジョ教会にあったフレスコ画です。


P1080795
パルマの逸名画家作「パドヴァの聖アントニオ」(18世紀)
フィデンツァのドゥオーモにありました。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(ボルゴ・サン・ドンニーノ、1696-カステルボスコ、1737)の「セバステ司教聖ビアージョ」(1730)
フィデンツァのドゥオーモにありました。


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パルマの逸名画家作「聖ピエトロ・グリソロゴ」(16世紀)
フィデンツァの司教館にありました。


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ベネデット・アンテーラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c-1230c)の「聖母子」


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ベネデット・アンテーラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c-1230c)の「柱頭」


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聖具類


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ガエターノ・ガンドルフィ(サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェト、1734-ボローニャ、1808)の「聖心」
フィデンツァのドゥオーモにありました。


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聖具類


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ジローラモ・チェナティエンポ(ナポリ、1705?-1744)の「聖アンドレアの殉教」
フィデンツァのドゥオーモにありました。


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聖具類


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逸名画家作「ドゥオーモ」(16世紀)


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貴重品入れ(13-14世紀)


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詳細不知


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聖書台(18-19世紀)


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逸名画家作「教皇ピオ6世の肖像」(19世紀初め)


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Jon Popac (モルダヴィア、1963-)の「聖ドンニーノ」(2005)


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ヴィンチェンツォ・カンピ(クレモナ、1535?-1591)の「聖母被昇天と聖ロッコと寄進者」
フィデンツァの旧サン・ピエトロ・イン・コルテ教区教会にありました。


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ヴィンチェンツォ・カンピ(クレモナ、1535?-1591)の「十字架降下」


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P1080829
クレモナの逸名画家作「受胎告知」(17世紀初め)


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P1080831
ジュリオ・カンピ(クレモナ、1507?-1573)の「聖母被昇天」(1560-70)
サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会にありました。


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17世紀の逸名画家作「聖チェチリアに現れた天使」


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逸名画家作「祈る聖フランチェスコ」(16世紀)


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ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694-1771)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ派逸名画家作「聖母子と聖ドメニコ」(18世紀)


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逸名画家作「聖ジャコモ・マッジョーレと聖ジャコモの弟子たちに顕現する聖母」(18世紀)


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18世紀の逸名画家作「聖アンセルモ」(1720以降)


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17世紀の逸名画家作「カルミネの聖母の奇跡」(1648)


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ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェッラーリ(ジェノヴァ、17世紀活動)に帰属する「十字架降下」


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ジェノヴァの逸名画家作「ユダの接吻」(17世紀)


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アントニオ・ラゴーリ通称イル・ジェノヴェシーノ(1652-1690活動記録)に帰属する「岩から水を導くモーゼ」
これで終わりです。


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外に出ました。
(この項 おわり)

ベネデット・アンテーラミで有名なフィデンツァのドゥオーモです。
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カヴール通りを左折してジュゼッペ・コンフォルティ通りに入ると、直ぐにドゥオーモが見えます。


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後陣と鐘楼を見ながらファサードの方に回ります。


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フィデンツァのドゥオーモ、サン・ドンニーノ司教座教会 Cattedrale di San Donninoです。フィデンツァ司教区の司教座が置かれてます。


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フィデンツァの聖ドンニーノ(パルマ、?-フィデンツァ、304)は、西ローマ帝国のマクシミアヌス皇帝の王室管理官を務めていましたが、禁教とされていたキリスト教に入信したことで、皇帝の怒りを買い、逃亡しました。ピアチェンツァ郊外で捕らえられ、フィデンツァ城壁外を流れるスティローネ川の川岸で斬首されました。
伝説に拠れば、聖ドンニーノは、斬首された自分の首を拾い、現在、ドゥオーモがある場所まで首を運んで置いたという奇跡が起きました。
聖ドンニーノの聖遺物を祀るために、フィデンツァの住民が小さな祈祷所を建てましたが、それが前身とされてます。


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5世紀頃、小さな祈祷所は整備拡充され、初期キリスト教会となりましたが、ローマに向かう巡礼者が立ち寄る場所となり、建物が増築されました。


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1117年に起きた地震によって建物が完全に崩落してしまいました。そのため、再建されることになり、地震直後に創建され、12世紀末または13世紀初頭に完成したロマネスク様式の建物が現在のものとなってます。


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ファサードは、ベネデット・アンテーラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c-1230c)の設計によって12世紀に建設されましたが、未完成のまま現在に至ってます。


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ファサードの彫刻が最大の見所です。ベネデット・アンテーラミと工房の弟子によって、1178年から1196年に彫刻が制作されたと言われてます。


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聖ドンニーノの物語


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ベネデット・アンテーラミの作品


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ベネデット・アンテーラミの作品


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身廊外壁


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鐘楼


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こちらにあるのは複製で、本物は付属美術館にあります。


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ファサード側から中に入ります。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


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ベネデット・アンテーラミと工房による作品は中には少ない。


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交差ヴォールト


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右側廊


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(ボルゴ・サン・ドンニーノ、1696-カステルボスコ、1737)の「聖アアンドレア・アヴェッリーノの死」(1731)


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ファサードの裏


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主祭壇


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後陣のフレスコ画(13世紀)とアンテーラミ工房による彫刻(12世紀)


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クリプタに下りました。


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斬首された自分の首を持つ聖ドンニーノ


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聖ドンニーノの聖遺物が入ってます。


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クリプタ天井のフレスコ画(11世紀)
内陣に戻ります。


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フランチェスコ・ルッキ(ボルゴ・サン・ドンニーノ、1585-1630)の「最後の晩餐」


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アンドレア・マイナルディ通称イル・キアヴェギーノ(クレモナ、1550c-1617)の作品


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磔刑像(15世紀)と聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(17世紀)


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フェルディナンド・ガッリ・ダ・ビビエーナ(ボローニャ、1657-1743)の作品


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左側廊


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ビアージョ・マルティーニ(パルマ、1761-1840)の「無原罪の聖母とサレスの聖フランチェスコと聖ルイージ・ゴンザーガ」


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詳細不知


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ステンダリオの聖母子


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詳細不知


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ジャコモ・ポナッツィ・デ・ピッツァマーリの「聖母子」(15世紀)


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詳細不知


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もう一度後陣を見ました。


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外に出ます。


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(この項 終わり)

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ドゥオーモです。


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聖堂内に入りました。


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ドゥオーモについては、項を改めて詳しく触れます。


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フィデンツァに来た甲斐がありました。


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次はドゥオーモ美術館です。


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司教館の一角に美術館があります。


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美術館の入り口です。


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入館しました。


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ドゥオーモ美術館については、項を改めて詳しく触れます。


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外に出ました。


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午前中だけでフィデンツァで見たかったものは大体見終わったようです。


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複製の彫刻です。本物はドゥオーモ美術館で見たようです。


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正午を過ぎたばかりにも拘らず人出が急に少なくなりました。


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ホテル併設のレストランで昼食を食べることにしました。


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何の実でしょうか?


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消火栓?


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時間が余って困りました。


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昼食後、ほろ酔い気分で散歩です。映画館とは思えない建物です。


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グランディ広場です。


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城壁は取り壊されてありませんが、城壁外を歩きます。


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奇妙なモニュメント


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教会です。


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サンティ・ファウスティーノ・エ・ジョヴィータ教区教会です。


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12世紀末から13世紀初頭に、現在地に建設されたロマネスク様式のサンタントニオ・アバーテ教会が前身です。建物が劣化したので、1580年に取り壊され、1599年から1608年に再建された二代目の建物が現在の姿です。
17世紀、別の場所にあったサンティ・ファウスティーノ・エ・ジョヴィータ教区教会が取り壊されることになり、サンタトニオ・アバーテ教会と合体することになりました。と言うことで、2つの教会名が今でも使用されてますが、正式名は格上の教区教会の方になっているようです。


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ファサードがありません。


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エミリア街道は、この辺でVia Zaniと呼ばれてます。


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左折して塔がある建物を見ます。


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写真右に塔がある建物が写ってます。


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300年に渡ってフィデンティ―ナ家の住居だった、16世紀第4四半世紀に建設されたPalazzo Arzaghiです。


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長らく修復工事が行われてます。


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サン・ピエトロ教区教会に向かいます。


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サン・ピエトロ教区教会の鐘楼と後陣が見えてます。


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この時は併設の修道院が見るのが目的でした。


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写真左がサン・ピエトロ修道院です。


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修道院の入り口


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修道院は既に閉鎖されてます。


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キオストロ回廊です。残念ながらフレスコ画の痕跡さえも残されてません。


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回廊の壁にフレスコ画があったそうですが、余りにも劣化しているので、修復の際に全て塗り潰されたそうです。


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回廊から見える鐘楼です。


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サン・ピエトロ広場に出ました。
フィデンツァを見尽くしたので、ホテルに戻って昼寝しました。


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(おわり)

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次はサン・ジョルジョ祈祷所です。


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サン・ジョルジョ祈祷所にやってきました。入口の写真をご覧になればお分かりのように現役の宗教施設ではありません。


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囚人用の小さな病院の隣に、1314年に建設された囚人用の礼拝堂が前身です。1443年、教会として拡充されました。
市域の拡張に伴い、城塞が教会近くに築かれることになり、1575年にファサードが取り壊されてしまいました。
16世紀末になると、フィデンツァはスペインの支配下に置かれるようになりましたが、スペイン王フェリペ3世の命令によって、建設されたばかりの城塞が解体されましたが、それに伴い、教会は元の姿に改装されました。その後、教会に常駐する聖職者がいなくなったので、祈祷所に格下げされました。


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鐘楼
1805年、ナポレオンの抑圧令によって宗教活動が停止となり、以後、建物は倉庫として使用されるようになりました。1944年、第二次世界大戦のドイツ軍の爆撃によって被害を受けましたが、修復されることなく約50年ほど放置されていました。
2002年に修復工事が完成し、現在はフィデンツァ市の展示場などとして使用されてます。
祈祷所内にあったフレスコ画などはドゥオーモ付属美術館に移されてます。


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ミラーニ通りです。


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ミラーニ通りを少し進んでから、振り返って撮った写真です。


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フィデンツァを記述した観光用ガイドブックは多分ないと思います。


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写真右は16世紀に建設されたオマーティ宮です。


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駅に向かいます。


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この日の午後、パルマに行く予定でした。


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市庁舎です。時計塔があるファサード側とは少し違った感じがします。


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市庁舎のロッジャ


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2時間以上あちこち歩き通しだったことになります。


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パルマで開催中のパルミジャニーノ展に行くつもりでした。ただ、展示されているパルミジャニーノの作品が少ないので、どうしても、という訳ではありませんでした。


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実は、この日、ゼネスト決行日で、前日夜9時からこの日の午後9時まで鉄道もストが予定されていたのです。


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グラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域の鐘楼が見えます。


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フィデンツァ駅にやってきました。


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やってる、やってる!


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真面目?にストをやってます。


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運転されている列車でも150分遅れ!!


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駅前でバスの運転状況を調べたら、鉄道よりもバスの方が悲惨でした。


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何処にも行かないで、一日中フィデンツァで過ごすのが無難です。


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しかし、フィデンツァの見所が多くないし、市域そのものが狭いので、時間潰しが大変そうです。


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ゼネスト予定日は退屈しそうもない街にいるべきです。


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前後の旅程から、この日のフィデンツァを変えることが出来なかったのです。


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写真右はサンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会です。


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お利口さんのワンちゃんたち。
声をかけても、私を一瞥しただけで知らんぷり。


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1813年に建設された新古典様式のTeatro Girolamo Magnaniです。


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この日の公演はなしでした。


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当初、フィデンツァは1泊の予定でしたが、ゼネストのために2泊に予定変更したのです。


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近年、ゼネストでもフレッチャ系の優等列車は大体運転されてますが、普通列車や快速列車は運休みたいです。


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グランディ広場です。


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1世紀頃のPonte Romano(遺跡)


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サン・ドンニーノ門です。
Signore di Milanoのベルナーボ・ヴィスコンティ(ミラノ、1323-トレッツォ・スッラッダ、1385)の命によって、ジョルジョ・ダ・コモ(フィデンツァ、1364-1366記録)が設計して、1364年から1366年に建設しました。


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ボッティチェッリ?の複製画?


P1080754
Ponte Romanoの現代版


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門を潜ってドゥオーモ広場側に出ました。


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聖母子のタベルナコロ


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城壁は残されていないようです。


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門の横に観光案内所があります。


P1080482
知られざる観光名所やお勧め場所の相談に行ったのですが、空振りでした。


P1080481
ドゥオーモ、付属美術館に行き、飲んだくれて寝る、予定が決まりました。


P1080758
(つづく)

P1080639
サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の前にある、1710年から1731年に建設されたPalazzo delle Orsolineです。現在、フィデンツァの文化芸術館として使用されおり、市立図書館などがあります。将来的には、絵画館や博物館も置かれる予定です。


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ベレニーニ通りを真直ぐ進めばボローニャ、パルマに出ます。


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エミリア街道は、この辺でベレニーニ通りからVia Martiri della Libertaと呼ばれるようになります。サン・ラッザーロ祈祷所に向かいました。


P1080644
これがサン・ラッザーロ祈祷所とは思わなかったのですが、市庁舎で頂戴した地図を見ても、この付近に教会がないので、やはり目的の祈祷所のようでした。
実は、写真のような新しい建物と思っていなかったのです。


1
古いサン・ラッザーロ祈祷所の写真です。(外部サイトから拝借しました)
この付近に、11世紀に建設されたハンセン病の病院があり、その病院付属の祈りの場としてサン・ラッザーロ祈祷所が設けられました。


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その後、幾度となく再建されました。
ハンセン病の病院は1915年に取り壊されましたが、祈祷所の建物はそのまま存続されました。しかし、ハンセン病に対する差別や偏見は日本もイタリアも同じだったようで、住民が祈りに訪れることはあまりなかったようです。


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後陣と鐘楼
1978年、設計案がコンペで決まり、1982年に完成した建物です。
以上の経緯は後から知りました。この時は取り壊される前の建物内にあったフレスコ画を見るために来たのでした。


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先ほど来た道を戻ります。


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グラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域の鐘楼とクーポラが見えます。


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グラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域の横の建物は、パルマ公爵、ピアチェンツァ公爵フランチェスコ・ファルネーゼ(パルマ、1678-ピアチェンツァ、1727)によって、イエズス会の大学として1697年に建設されたPalazzo Collegio dei Gesuitiです。


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1806年、ナポレオンの抑圧令によって大学は閉鎖され、1809年からホスピスとして使用されていました。現在は、フィデンツァ市の所有となっており、市の各種サービス基地になってます。


P1080652
Via Costa側のPalazzo delle Orsolineです。


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サン・ジュゼッペ教会に向かいました。


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水道局です。


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1978年に再建されたChiesa di San Giuseppe Lavoratoreです。予習が不完全でした、このような新しい教会とは想定外でした。


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扉が閉まっていました。見るべき価値がない作品ばかりです。


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市域が狭いフィデンツァです。


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5月24日通りです。


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ザンペッラ祈祷所に向かいます。


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13世紀にフランチェスコ会によって建設されたザンペッラ祈祷所です。


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伝説に拠れば、1215年、フィデンツァを訪れた聖フランチェスコが奇跡を起こし、それに感謝したフランチェスコ会修道士とフィデンツァの信者たちによって建設されたと言われてます。


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フィデンツァにおけるフランチェスコ会の活動拠点になってます。
1994年、火災によって大きな被害を受け、その後に大修復されました。


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ファサードの新しい浮彫


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扉が開いていたので拝観することにしました。


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オラトリオの中に入りました。


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火事の後に描かれたものでしょう。
ご訪問


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祈る聖母


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後陣


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岩窟の聖母


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聖母の教育


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聖痕を受ける聖フランチェスコ


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祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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次はサン・ピエトロ教区教会ですが、既に鐘楼が見えます。


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サン・ピエトロ教区教会の後陣と鐘楼です。


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ファサード側に回ります。


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サン・ピエトロ・アポストリ教区教会です。


P1080681
ベネデット会によって11-12世紀に建設された教会です。1144年に記録にサン・ピエトロ・アポストリ教会の存在が初めて記載されたそうです。
1588年、教会はアゴスティーノ会に譲渡されました。


P1080682
譲渡を受けたアゴスティーノ会は、古い建物を取り壊して、その上に再建すること決め、1603年に創建され、1613年に完成した二代目の建物が現在の姿です。


2
17世紀終わりに修道院が増設されました。教会のファサードに向かって左側が旧修道院になります。


P1080685
中に入りました。


P1080688
三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


P1080687
右側廊


P1080686
祭壇画などを見て回りましたが、この教会内の作品帰属が分かりません。


P1080692
この教会における見所の作品です。


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P1080698


P1080699


P1080700


P1080702


P1080703


P1080705
外に出ました。
(つづく)

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サンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会からフィデンツァ駅が見えます。


P1080571
12世紀に建設されたサンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会です。1230年の記録に初めて記載されているそうです。


P1080573
14世紀末に拡張されましたが、15世紀中頃に教会の隣に病院が建設されると、教会訪問者が増え手狭になったので、初代の建物が取り壊され、その上に1517年に再建されました。


P1080572
17世紀にバロック様式に改造されました。1778年に隣にあった病院が閉鎖されるに伴って、信者が減少したので一部縮小された建物が現在の姿です。


P1080575
中に入りました。単廊式、バロック様式の内部です。


P1080578
詳細不知


P1080579
フランチェスコ・スカラムッツァ(シッサ、1803-パルマ、1886)の「グラツィエの聖母」


P1080580
主祭壇


P1080589
アントニオ・マリア・フォルマイアローリ(1679-1731)の後陣フレスコ画


P1080582


P1080583
制作者情報不知の「キリストの洗礼」


P1080584
16世紀のフレスコ画


P1080585
制作者情報不知の「斬首された聖ドンニーノ」


P1080586
詳細不知


P1080587
主祭壇前から見た出入口方向


P1080588
無原罪の聖母のステンドグラス


P1080591
外に出ました。


P1080593
ベレニーニ通りを東方向に進みます。


P1080594
直ぐに2つの教会が見えてきます。2つの教会は隣り合ってます。


P1080595
写真手前がサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会、その向こうがグラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域です。


P1080596
サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会です。
巡礼者のための病院に隣接して、1181年に建設されたサン・ミケーレ・アルカンジェロ礼拝堂が前身です。


P1080598
1528年に礼拝堂は解体され、1533年から1537年に建設されたルネサンス様式の教会が現在の姿の原形です。現在のファサードは1893年に再建されたものです。


P1080597
鐘楼


P1080599
後陣


P1080600
1806年、ナポレオンの抑圧令によって教会は閉鎖されましたが、ナポレオンの失脚後に活動が再開されました。


P1080601
1944年、第二次世界大戦のドイツ軍の爆撃によって、大きな被害を受けたので、教会活動が停止されました。その後、活動が停止されたまま現在に至ってます。
建物は修復され、現在はフィデンツァ市の文化センターになってます。
また、サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の機能は、1948年に隣接するグラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域に移管されました。


P1080602
サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会後陣の先にグラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域が見えます。


P1080603
グラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域の鐘楼です。


P1080607
イエズス会のSantuario della Gran Madre di Dioです。


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パルマ公爵、ピアチェンツァ公爵のフランチェスコ・ファルネーゼ(パルマ、1678-ピアチェンツァ、1727)の指示によって1710年から1722年にかけて建設されたバロック様式、イエズス会の教会です。


P1080611
前述のように、1948年からサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の機能も担うようになりました。
1957年に教区聖域に格付けされました。


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クーポラと鐘楼


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側壁外観


P1080612
中に入りました。


P1080614
変形三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


P1080613
装飾が少なく地味な感じがします。


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主祭壇


P1080619
聖歌隊席


P1080622
詳細不知のイコン


P1080631
詳細不知


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ジュゼッペ・バリビエーリ(ヴェローナ、1777-1838)の「ご誕生」


P1080615
ジュゼッペ・モローニ(クレモナ、1888-ローマ、1959)の「キリストの洗礼」


P1080624
ラティーノ・バリッリ(パルマ、1883-1961)の「ピエタと1944年に爆撃されたサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会」(1956)


P1080617
制作者情報不知の「ご訪問」(16世紀)


P1080623
詳細不知


P1080626


P1080627
詳細不知


P1080630
詳細不知


P1080629
何処かで見たような・・・・・


P1080632
詳細不知


P1080635
制作者情報不知の「天上の聖母子と聖人たち」(16世紀)


P1080636
詳細不知の「聖母子」


P1080637


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P1080621
主祭壇前から見た出入口方向


P1080610
外に出ました。
(つづく)

フィデンツァは、人口27,041人(2018年12月31日現在)のエミリア=ロマーニャ州パルマ県にあるコムーネです。街の起源は、紀元前41年にエミリア街道に置かれたローマ軍の駐屯地で、当時はFidentiaと呼ばれていました。中世の頃、恐らく10世紀頃にボルゴ・サン・ドンニーノと改称されました。現在のフィデンツァに改称されたのは1927年で、初代の名称に由来してます。
ピアチェンツァとパルマのほぼ中間にあるので、ピアチェンツァ、パルマ間の係争地となりました。その後、ピアチェンツァ、パルマと同じようにファルネーゼ家の支配下に置かれるようになりました。
P1080138
フィデンツァ駅に到着しました。この日、日没後に到着しましたが、その時に撮った写真がないので、別の機会の昼間に撮った写真を掲載します。


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フィデンツァ駅の駅舎です。


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この日のお宿に向かいます。


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市庁舎近くの、街の中心にあるホテルです。レストランを併設している、と言うよりも寧ろレストランがホテルを併設していると言った方が実態を表してます。


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チェックインを済ませて、早速外出しました。


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市庁舎です。


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カヴール通りです。


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市庁舎が面しているガリバルディ広場を境に通りの名称が変わって、こちらはベレニーニ通りです。


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カヴール通り、ベレニーニ通りは共にエミリア通り、旧エミリア街道になります。街の中心を過ぎると、通りの名称がエミリア通りに変わります。


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ドゥオーモに向かいます。ホテルから徒歩数分の至近にドゥオーモがあります。


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ドゥオーモの後陣です。


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フィデンツァに来た目的はドゥオーモに尽きます。ファサード側に回ります。


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ドゥオーモのファサードです。


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ファサードが修復工事中という情報があったので、安心しました。


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向かって右の扉の向こうに明かりが灯りました。念のため、右扉に行ってみましたが、やはり閉まっていました。この時間ならば、閉まっているのが当然です。


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拝観は翌日に出来ます。特にロマネスク様式の教会に興味があるわけではありませんが、フィデンツァのドゥオーモは格別です。


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鐘楼


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大聖堂付属美術館の入り口です。


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マンゾーニ通りです。ドゥオーモのファサードを見ただけで、この日は満足しました。


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取り敢えず、もうやることがありません。


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ホテルに戻ることにしました。


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店のショーウインドウを見て歩きます。


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夕食はホテル併設のレストランを予約してました。


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小さな街なので、見所が多いとは言えません。


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僅か15分ほどの夕べの散策でした。


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美味しい夕食でした。


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翌朝です。


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晴れてます。


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旧市街の西郊外にポー川の支流スティローネ川が流れてますが、中世の頃までは、ドゥオーモから市庁舎が面しているガリバルディ広場に流れていました。ガリバルディ広場の端にある、この水路はその名残です。


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初代の市庁舎の建物は1273年から1354年に建設されましたが、1527年にスペインとフランス軍に破壊され、ゴシック様式の建物が1570年に再建されました。現在のファサードは、二代目のものを模して1875年に再建されました。


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ガリバルディ広場が街の中心でしょう。


P1080564
市庁舎前に立っているのは、1884年に制作されたジュゼッペ・ガリバルディのオベリスクです。


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市庁舎でフィデンツァの地図を頂戴しました。


P1080566
市庁舎の壁にあるジュゼッペ・マッツィーニの記念碑です。カヴール、ガリバルディ、マッツィ―ニはイタリア統一の三傑と言われてます。


P1080567
こちらはルイージ・ムシーニの記念碑です。
ルイージ・ムシーニ(ブッセート、1843-パルマ、1903)は社会主義政治家です。ルイージが生まれると直ぐに、ルイージの両親はボルゴ・サン・ドンニーノに引っ越しました。ルイージは地元出身の政治家として尊敬されてます。


P1080568
市庁舎の中庭


P1080569
市庁舎からベレニーニ通りに出ました。


P1080570
ベレニーニ通りに面したサンタ・マリア・アンヌンツィアータ教区教会です。
(つづく)

P2490983
次の部屋です。


P2490991
クエリーニ家の人々の公式肖像画が展示されてます。


P2490984
天井の装飾


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ヤコポ・グアラーナ(ヴェネツィア、1720-1808)の「アポロ」


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P2490992
セバスティアーノ・ボンベッリ(ウーディネ、1635-ヴェネツィア、1719)の「ジローラモ・クエリーニの肖像」(1670)


P2490996
ベルナルディーノ・カステッリ(ピエーヴェ・ディ・アルシェ、1750-ヴェネツィア、1810)の「アンドレア・クエリーニの肖像」(1794)


P2500001
フォルトゥナート・パスクェッティ(ヴェネツィア、1700c-ポルトグルアーロ、1773c)の「ジローラモ・クエリーニの肖像」(1754c)


P2500004
バルトロメオ・ナザーリ(クルソネ、1693-ミラノ、1758)の「アンジェロ・マリア・クエリーニ枢機卿の肖像」(1727)


P2500005
次の部屋です。


P2500008


P2500006
天井の装飾


P2500007
ヤコポ・グアラーナ(ヴェネツィア、1720-1808)の「結婚の寓意」(18世紀中頃)


P2500010
肖像画が並んでます。


P2500012
ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の「ダニエーレ4世・ドルフィンの肖像」(1755-60)


P2500015
ピエトロ・ウベルティ(ヴェネツィア、1671-1762)の「ジャン・フランチェスコ・クエリーニの肖像」(1716c)


P2500017
カルロ・チェレーザ(サン・ジョヴァンニ・ビアンコ、1609-ベルガモ、1679)スタイルの逸名画家作「高貴な女性(マリア・レオパルディ―ナ・ハプスブルク?)の肖像」


P2500020
次の壁です。


P2500022
フランチェスコ・ツゥーニョ(ヴェネツィア、1708/1709-1787)の「ダニエーレ4世・ドルフィンの肖像」


P2500023
ピエトロ・ウベルティ(ヴェネツィア、1671-1762)の「ジョヴァンニ・クエリーニの肖像」(1716)


P2500026
カルロ・チェレーザ(サン・ジョヴァンニ・ビアンコ、1609-ベルガモ、1679)スタイルの逸名画家作「マリオ・エレオのラ・ゴンザーガ=ネヴェルスの肖像」


P2500028
花瓶(1700-20)


P2500029
ルイージ・マンフレディ―ニ(ボローニャ、1771-ミラノ、1840)の時計(1808-14)


P2500030
花瓶


P2500032
次の部屋です。


P2500035


P2500033
天井の装飾


P2500034
スイス出身の兄弟ジュゼッペ・カステッリとピエトロ・カステッリによるスタッコ装飾


P2500038
パルマ・イル・ヴェッキオ(セリーナ、1480c-ヴェネツィア、1528)の「パオラ・プリウーリの肖像」(1527-28)


P2500040
パルマ・イル・ヴェッキオ(セリーナ、1480c-ヴェネツィア、1528)の「フランチェスコ・クエリーニの肖像」(1527-28)


P2500041


P2500042


P2500043
これで大体終わりです。


P2500044
階段を下りました。


P2500045


P2490539
外に出ました。


P2500056
(おわり)

P2490918
次の部屋です。


P2490953
寝室です。
ヴェネツィアで制作されたベッド(1790)


P2490919
天井のフレスコ画


P2490920
ヤコポ・グアラーナ(ヴェネツィア、1720-1808)の「ゼファーとフローラ」


P2490923
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1785)の「洗礼」(1755-57)


P2490926


P2490929
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1785)の「堅信礼」


P2490931
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1785)の「懺悔」


P2490932


P2490933
ロレンツォ・ディ・クレディ(フィレンツェ、1459?-1537)の「幼きキリストを崇める聖母と聖ジョヴァンニーノ」(1480c)


P2490937
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1785)の「聖体拝領」


P2490938
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1785)の「結婚式」


P2490940
次の壁です。


P2490943
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1785)の「終油の秘跡」


P2490944
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1785)の「聖職授任」


P2490946


P2490947
ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の「光悦の聖フランチェスコ」(1713c)


P2490951
ニコロ・バンビーニ(ヴェネツィア、1651-1736)の「聖母の誕生」(1712)


P2490955
ムラーノ島で制作された鏡(18世紀前半)


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押し入れ(18世紀第4四半世紀)


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P2490959


P2490960
次の壁です。


P2490962
ピエトロ・デッラ・ヴェッキア(ヴィチェンツァ?、1602/1603-ヴェネツィア、1678)の「散策」


P2490963
ピエトロ・デッラ・ヴェッキア(ヴィチェンツァ?、1602/1603-ヴェネツィア、1678)の「演奏」


P2490966
ピエトロ・デッラ・ヴェッキア(ヴィチェンツァ?、1602/1603-ヴェネツィア、1678)の「恋人の出会い」


P2490967
ピエトロ・デッラ・ヴェッキア(ヴィチェンツァ?、1602/1603-ヴェネツィア、1678)の「恋人の別れ」


P2490969
ミキエル・スイーツ(ベルギー、ブリュッセル、1618-インド、ゴア、1664)の「飲む田舎の男」


P2490971
ミキエル・スイーツ(ベルギー、ブリュッセル、1618-インド、ゴア、1664)の「田舎の女と犬」


P2490972
バルトロメウス・モーレナール(ハールレム、1618-ハール、1650)の「バーの2つのシーン」
もう一つあります。


P2490973
バルトロメウス・モーレナール(ハールレム、1618-ハール、1650)の「バーの2つのシーン」


P2490974
次の壁です。


P2490978
ヤン・ファン・ケッセル・イル・ジョーヴァネ(アントワープ、1654-マドリッド、1708)の「静物画」


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ヤン・ファン・ケッセル・イル・ジョーヴァネ(アントワープ、1654-マドリッド、1708)の「静物画」


P2490982
アレッサンドロ・ロンギ(ヴェネツィア、1733-1813)の「カテリーナ・コンタリーニ・クエリーニの肖像」(1758c)
(つづく)

P2490855
次の部屋です。


P2490856
この部屋の展示物はクエリーニ家の収集物や調度品ではありません。


P2490857
19世紀のもの


P2490858


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アレッサンドロ・ミレージ(ヴェネツィア、1856-1945)の「モデル」(1910)


P2490863
リーノ・セルヴァティコ(パドヴァ、1872-トレヴィーゾ、1924)の「ジョヴァンニ・ボルディーガの肖像」(1899)


P2490868
廊下に出ました。廊下に絵画が展示されてますが、廊下の幅が狭くて作品の写真を撮ることが出来ませんでした。


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次の部屋に入りました。


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ヴェネツィアの風景や行事などを描いた沢山の作品が展示されてます。


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この部屋で展示されている絵画全ては、ガブリエル・ベッラ(ヴェネツィア、1730-1799)によって1779年から1792年までに描かれたものです。
ガブリエル・ベッラについては、残された作品以外に殆ど知られていない画家でした。


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ガブリエル・ベッラ(ヴェネツィア、1730-1799)の「12月26日の仮装会」(1779-92以前)


P2490873
エルベリア・ディ・リアルトでの朝の散歩


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スキアヴォーニ河岸を歩く人々


P2490885
ジューデッカ運河でのボート・プロムナード


P2490876
ゴンドラに乗船しての修道院への訪問


P2490877
大運河での女性だけのレガッタ


P2490879
サン・マルコ小広場でのFesta del Giovedi Grasso


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サン・マルコ小広場での大道商人たち


P2490881
カーニバルの最終日


P2490882
サンタ・マリア・フォルモーザ広場での2月2日の祝祭


P2490883
キリスト昇天の日の伝統的フェア


P2490885
サン・ルカ広場の祭り


P2490884
Antica Fiera della Sensa


P2490886
サンタンジェロ広場の熊狩り


P2490887
オルファーノ運河での漁


P2490889
こちらの壁にもガブリエル・ベッラの作品が展示されてます。


P2490890
こちらの壁の作品紹介は省略させて頂きます。


P2490891
次の部屋です。


P2490893
小書斎です。


P2490894
天井の装飾


P2490895


P2490896
フェデリーコ・チェルヴェッリ(ミラノ、1638c-ヴェネツィア、1712)の「オルフェウスとエウリュディケ」(17世紀後半)


P2490899
フェデリーコ・チェルヴェッリ(ミラノ、1638c-ヴェネツィア、1712)の「パンとシランクス」


P2490903
フランチェスコ・ルスキ(ローマ、1610-ヴェネツィア、1661c)の「ディアナ」


P2490905
次の壁です。


P2490907
マルコ・リッチ(ベッルーノ、1676-ヴェネツィア、1730)の「ローマ郊外の風景」


P2490909
マルコ・リッチ(ベッルーノ、1676-ヴェネツィア、1730)の「嵐のピアーヴェ谷」


P2490911
マルコ・リッチ(ベッルーノ、1676-ヴェネツィア、1730)の「田舎の風景」


P2490914
18世紀のテーブル


P2490915
18世紀のキャビネット


P2490916
(つづく)

P2490771
次の部屋です。


P2490772
イタリア語と英語の説明パンフレットが何故かありません。2010年頃だったと思いますが、フィレンツェのパラティーナ美術館で備え付けの説明パンフレットを持ち去る人を目にしたことがあります。ここでも同様なことが起きていた?


P2490773
肖像画が並んでます。


P2490774
セバスティアーノ・ボンベッリ(ウーディネ、1635-ヴェネツィア、1719)の「ポロ・クエリーニの肖像」(1675-80)


P2490776
セバスティアーノ・ボンベッリ(ウーディネ、1635-ヴェネツィア、1719)の「ヴェネツィア元老院議員の肖像」


P2490779
セバスティアーノ・ボンベッリ(ウーディネ、1635-ヴェネツィア、1719)の「ヴェネツィア元老院議員の肖像」


P2490780
ユストゥス・サステルマンス(アンヴェルサ、1597-フィレンツェ、1681)派逸名画家作「若い男の肖像」


P2490781
ティベリオ・ティネッリ(ヴェネツィア、1586-1638)の模倣逸名画家作「子供の肖像」


P2490783
ユストゥス・サステルマンス派逸名画家作「若いプリンスの肖像」


P2490785
セバスティアーノ・ボンベッリ(ウーディネ、1635-ヴェネツィア、1719)の「ジローラモ・クエリーニの肖像」(1684c)


P2490787
セバスティアーノ・ボンベッリ(ウーディネ、1635-ヴェネツィア、1719)の「ジローラモ・クエリーニの肖像」(1669)


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ヴェネツィア派逸名画家作「ヴェネツィア元老院議員の肖像」


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この壁も肖像画の展示です。


P2490797
ジローラモ・フォロボスコ(ヴェネツィア、1605-パドヴァ、1679)の「高貴な女性の肖像」


P2490799
セバスティアーノ・ボンベッリ(ウーディネ、1635-ヴェネツィア、1719)の「ヴェネツィア司法官の肖像」


P2490800
セバスティアーノ・ボンベッリ(ウーディネ、1635-ヴェネツィア、1719)の「ポロ・クエリーニの肖像」(1680)


P2490804
ニコロ・カッサーナ(ジェノヴァ?、1639-ロンドン、1713)の「ドージェ・シルヴェストロ・ヴァリエルの肖像」(1694)


P2490806
ニコロ・カッサーナ(ジェノヴァ?、1639-ロンドン、1713)の「ドージェ夫人エリザベッタ・クエリーニ・ヴァリエルの肖像」(1694)
彼女はドージェ・シルヴェストロ・ヴァリエルの夫人です。


P2490809
次の壁です。


P2490811
ルカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634-1705)の「デモクリトゥス」(1652-53)


P2490813
ルカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634-1705)の「哲学者」(1652-53)


P2490816
ニコロ・レニエーリ様式の逸名画家作「ヴェネツィア元老院議員の肖像」


P2490819
北イタリア製「キャビネット」(19世紀)


P2490820
パリ製「時計」(18世紀)


P2490822
次の部屋です。


P2490824


P2490823
天井の装飾


P2490848
ジュゼッペ・ジャッペッリ(ヴェネツィア、1783-1852)による天井装飾(1830c)


P2490825
風景画が並んでます。


P2490827
ピーター・ボルクマン(オランダ、ゴリンケム、1638-トリノ、1710)の「嵐」(1674c)


P2490829
ピーター・ボルクマン(オランダ、ゴリンケム、1638-トリノ、1710)の「鹿狩り」(1674c)


P2490831
ピーター・ボルクマン(オランダ、ゴリンケム、1638-トリノ、1710)の「浅瀬」(1674c)


P2490833


P2490835
マッテオ・ストーム(1687-1700活動記録)の「戦闘」


P2490837
次の壁です。


P2490839
アントニオ・ストーム(ヴェネツィア、1717-1734活動記録)の「ドージェの船の出航」(1729以降)


P2490842
17世紀のフランスの逸名画家作「ルイ14世の肖像」(1659)


P2490843
次の壁です。


P2490845
マッテオ・ストーム(1687-1700活動記録)の「軍隊の野営」


P2490851
アントニオ・カノーヴァ(ポッサーニョ、1757-ヴェネツィア、1822)の「レティツイア・ラモリーノ・ボナパルテの彫像」(1804)


P2490853


P2490854
(つづく)

P2490689
展示作品が多いとは言えませんが、ヴェネツィア所縁の作品ばかりです。


P2490691
アンドレア・メドゥリク通称ロ・スキアヴォーネ(ザーラ、1510/1515-ヴェネツィア、1563)の「聖パオロの回心」(1542c)


P2490694
マルコ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1545-ヴェネツィア、1611)の「アントニオ・クエリーニの肖像」


P2490696
ヤコポ・ネグレッティ通称パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548-1628)の「聖母被昇天」


P2490700


P2490701
次の部屋です。


P2490702
Sala della Musica


P2490703
ピエトロ・ロンギの作品が並んでます。


P2490708
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「Caccia in Valle (谷間の狩猟)」(1765-70)の連作です。
「紳士の到着」 狩猟するために集まってきました。


P2490710
銃の点検


P2490712
弾薬の準備


P2490714
くじ引きによる猟場の取り決め


P2490716
狩猟の出発


P2490718
銃による狩猟


P2490720
獲物の点検計量


P2490722
アイサ(鳥の種類)猟


P2490724
兎猟


P2490726
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「眠れる農民」


P2490728
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「紡績女」


P2490730
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「オステリアの農民」


P2490732
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「紡績女」


P2490734
マルコ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1545-ヴェネツィア、1611)の「トゥリノ・クエリーニの肖像」


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P2490739
ピエトロ・ロンギの作品です。


P2490740
多作な画家でした。


P2490742
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「ヴェネツィアの聖職者」


P2490744
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「ライオンの見世物小屋」


P2490745
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「地理の講義」


P2490748
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「ザグレド家の人々」(1752c)


P2490750
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「聖アントニオの誘惑」(1761c)


P2490752
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「新世界」(1756c)


P2490753
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「Ridotto」(1757-60c)


P2490755
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「Ridotto」(1757-60c)


P2490758
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「ミキエリ家の人々」(1780c)


P2490759
ピエトロ・ロンギ(ヴェネツィア、1701-1786)の「ダンス」(1750-55c)


P2490762
マルコ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1545-ヴェネツィア、1611)の「マルコ・クエリーニの肖像」


P2490767


P2490769
(つづく)

P2490590
Palazzo Querini Stampariaでコンサートが度々開催されてます。


P2490591


P2490594
ピエトロ・リベリ(パドヴァ、1605-ヴェネツィア、1687)の「警報の寓意」(1650-80c)


P2490596
ルカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634-1705)の「ケパロスとプロクリス(ギリシャ神話)」


P2490597
ジョヴァンニ・バッティスタ・ランゲッティ(ジェンコ、1625-ヴェネツィア、1676)の「ディオゲネスとアレキサンダー大王」


P2490600
フランチェスコ・マッフェイ(ヴィチェンツァ、1605c-パドヴァ、1676)の「クロトンのミロン」


P2490602
テーブル(18世紀)


P2490604
次の部屋です。


P2490605
天井の装飾(18世紀末-19世紀初頭)


P2490610
ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1438/1440-1516)の「キリストの神殿奉献」(1469c)


P2490612


P2490615


P2490617
マルコ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1545-ヴェネツィア、1611)の「フランチェスコ・クエリーニの肖像」
マルコは、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの甥です。


P2490620
パルマ・イル・ヴェッキオ(セリーナ、1480c-ヴェネツィア、1528)の「聖母子と2聖女と聖フランチェスコと聖ピエトロ」(1527)


P2490624
パルマ・イル・ヴェッキオ工房による「聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖フランチェスコと聖ジョヴァンニ・バッティスタとバーリの聖二コラ」(1528c)


P2490625
ヴィンチェンツォ・カテーナ(ヴェネツィア、1470/1480-1531)の「ユディト」(1517)
長らくジョルジョーネの作品とされていました。


P2490628
ジローラモ・ダ・サンタクローチェ(ヴェネツィア、1503-1556記録)の「聖家族と聖アンナ」


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P2490635
ミケーレ・ジャンボノ(ヴェネツィア、1420-1462記録)の「磔刑」(1420-30)


P2490639
ドナート(ヴェネツィア、1344-1382/1388記録)とカタリーノ(ヴェネツィア、1362-1382記録)の「聖母戴冠」(1382)


P2490641
フランチェスコ・リッツォ・ダ・サンタクローチェ(サンタ・クローチェ・ディ・ベルガモ、1508以降生まれ-1545以降没)の「マギの礼拝」


P2490642


P2490645
ポリドーロ・ランチャーノ(ランチャーノ、1510/1515-ヴェネツィア、1565)工房の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


P2490647
アンドレア・メドゥリック通称ロ・スキアヴォーネ(?、?-ヴェネツィア、1563)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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ジョヴァンニ・ベッリーニの模倣者作「聖母子」


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ポリドーロ・ランチャーノ(ランチャーノ、1510/1515-ヴェネツィア、1563)の「聖会話」


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マルコ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1545-ヴェネツィア、1611)の「ニッコロ・クリエ―ニの肖像」(1535-38c)


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P2490658
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581-ヴェネツィア、1644)の「聖母子」


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テーブルと椅子(18世紀)


P2490662
地球儀(1754)


P2490664
地球儀(18世紀)


P2490665
次の部屋です。


P2490666
天井


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ヤコポ・グアラーナ(ヴェネツィア、1720-1808)の「ディアナ」(18世紀後半)


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ヤコポ・ネグレッティ通称パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548-1628)の「自画像」(1606-08)


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ヤコポ・ネグレッティ通称パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548-1628)の「黙想の聖マリア・マッダレーナ」


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ヤコポ・ネグレッティ通称パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548-1628)の「この人を見よ」(1600c)


P2490681
ヤコポ・ネグレッティ通称パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548-1628)の「キリストの洗礼」(1615c)


P2490683
マルコ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1545-ヴェネツィア、1611)の「ロメオ・クエリーニの肖像」


P2490686
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544-1628)の「アダムとイヴ」


P2490688
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544-1628)の「3人の娘に持参金を与えるバーリの聖二コラ」(1624)
(つづく)

P2490531
Rio di Santa Maria Formosaの先にPalazzo Querini Stampariaが見えてます。


P2490532
Palazzo Querini Stampariaです。
設計者が不明ですが、ヴェネツィア貴族クエリーニ家の住居として、1510年から1520年頃にかけて建設されました。


P2490533
何世紀にもわたって、何度も改修、改装が行われましたが、1960年から1963年に行われた修復工事の際、元の姿に復元されました。
絵画館の入り口は、ここではなく、フォルモーザ広場側にあります。


P2500050
フォルモーザ広場です。フォルモーザ広場に面してクエリ―ニ・スタンパリア絵画館の入り口があります。
写真左はサンタ・マリア・フォルモーザ教区教会です。


P2500052
写真右の茶色の建物がPalazzo Querini Stampariaです。


P2500057
19世紀中頃のクエリ―ニ・スタンパリア家の当主ジョヴァンニ・クエリ―ニ・スタンパリア伯爵(ヴェネツィア、1799-1869)は、宮殿の一階(日本の二階)に引退すると共に、それ以外の宮殿をヴェネツィア総主教(サン・マルコ寺院)に賃貸しました。
1868年、ジョヴァンニはクエリーニ・スタンパリア財団を作るとともに遺言しました。1869年、ジョヴァンニは亡くなりましたが、遺言に基づき宮殿と、宮殿内にあった調度品、絵画、彫刻などの収集物全てがヴェネツィア市に寄贈されました。


P2490537
1869年から一般公開されてます。


P2500054
この橋を渡って建物に入ります。


P2500048
橋の下の運河Rio di Santa Maria Formosaです。


P2500047
Palazzo Querini Stampariaの中に入りました。地上階に財団の事務所、図書館があります。


P2500046
パラッツォ内から見た運河です。


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絵画館は一階(日本の二階)にあります。


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20室の展示室から成ってます。


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18世紀の家具も大きな見どころです。


P2490543
天井のフレスコ画


P2490544
ヤコポ・グアラーナ(ヴェネツィア、1720-1808)の「アウロラの寓意」


P2490556
展示室番号があったり、なかったりで少し混乱してしまいます。


P2490557
彫刻が置かれてます。


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ジャコモ・カッセッティ(サンブルソン、1682-ヴィチェンツァ、1757)の「アンジェロ・マリア・クエリーニの胸像」(1727-30)


P2490547
ミケーレ・ファブリス通称オンガロ(ハンガリー、1644-ヴェネツィア、1684)の「哲学者」(1674-81)


P2490551
ジョヴァンニ・バッティスタ・フォッジーニ(フィレンツェ、1652-1725)の「パオロ・クエリーニの胸像」


P2490550
ミケーレ・ファブリス通称オンガロ(ハンガリー、1644-ヴェネツィア、1684)の「哲学者」(1674-81)


P2490552
ミケーレ・ファブリス通称オンガロ(ハンガリー、1644-ヴェネツィア、1684)の「若者の胸像」(1674-81)


P2490553
ミケーレ・ファブリス通称オンガロ(ハンガリー、1644-ヴェネツィア、1684)の「哲学者」(1674-81)


P2490554
ミケーレ・ファブリス通称オンガロ(ハンガリー、1644-ヴェネツィア、1684)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(1674-81)


P2490558
次の部屋です。


P2490590
絵画が展示されてます。


P2490560
天井の装飾


P2490559
ヤコポ・グアラーナ(ヴェネツィア、1720-1808)による天井装飾


P2490562
セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659-ヴェネツィア、1734)の寓意画


P2490564
日の出の寓意


P2490567
正午の寓意


P2490568
日没の寓意


P2490570
アレッサンドロ・ヴァロターリ通称パドヴァニーノ(パドヴァ、1588-ヴェネツィア、1649)の作品があります。


P2490572
アレッサンドロ・ヴァロターリ通称パドヴァニーノ(パドヴァ、1588-ヴェネツィア、1649)の「Giustizia e Pace」(1630-35c)


P2490576
アレッサンドロ・ヴァロターリ通称パドヴァニーノ(パドヴァ、1588-ヴェネツィア、1649)の「Misericordia e Verita」(1630-35c)


P2490579
ニッコロ・フランジパーネ(パドヴァ、1555-1600)の「バッカス祭」(1570-90c)


P2490581
ヴェネトの逸名画家作「女優の肖像」(17世紀)


P2490582
ヴェネトの逸名画家作「ウルカヌスとキューピッド」(1500-50c)


P2490584
ヴェネトの逸名画家作「ペルシャの巫女、リビアの巫女、デルフィの巫女」(1650-1700c)


P2490586
ヴェネトの逸名画家作「Cimeriaの巫女、クマエの巫女、Samiaの巫女」(1650-1700c)


P2490587
ヴェネトの逸名画家作「Ellesponticaの巫女、フリジアの巫女、ヨーロッパの巫女」(1650-1700c)


P2490589
ヴェネトの逸名画家作「ティーヴォリの巫女、エジプトの巫女、エリトリアの巫女」(1650-1700c)
(つづく)

P2500386
ビアージョ・ディ・アントニオ・トゥッチ(フィレンツェ、1446-1516)の「ルクレツィアの物語」


P2500391
ビアージョ・ディ・アントニオ・トゥッチ(フィレンツェ、1446-1516)の「ルクレツィアの物語」


P2500393
ビアージョ・ディ・アントニオ・トゥッチ(フィレンツェ、1446-1516)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと音楽天使」


P2500394


P2500398
エウセビオ・ダ・サン・ジョルジョ(ペルージャ、1465/1470-1539)の「Madonna del sacco」


P2500400


P2500403
ペルジーノ境界の逸名画家作(Cerchia di Perigino)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと音楽天使」


P2500406


P2500410
”Maestro della Madonna Cagnola"(トレント、1470-パドヴァ、1532)に帰属する「玉座の聖母子と聖アンブロージョと聖ジローラモと聖ジョヴァンニ・バッティスタとキアラヴァッレの聖ベルナルドと寄進者とカルトゥジオ修道士」


P2500416
アントニアッツォ・ロマーノ(?、1430/1435c-ローマ、1508)の「ライオンを治癒する聖ジローラモ」


P2500418
次の部屋です。


P2500419
詳細不知(説明板無し)


P2500420
ルカ・ロンギ(ラヴェンナ、1507-1580)の「聖母子と聖ジュスティーナ」


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P2500424
ガロファロ(フェッラーラ、1481c-1559)の「聖母子」


P2500426


P2500432
ベルナルディーノ・ディ・マリオット(ペルージャ、1478c-1566)の「キリストの復活」


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P2500439
ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)またはガウデンツィオ・フェラーリ工房の「聖家族と音楽天使たち」


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P2500452
詳細不知(説明板無し)


P2500455
ベルナルディーノ・ザガネッリ(コティニョーラ、1495から記録-イーモラ、1529没)の「聖母子と2音楽天使」


P2500457
マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1459/1463-1539)の「ピエタのキリストを支える2天使」


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P2500463
ロッジャに出ました。


P2500464
ロッジャから見た大運河


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P2500462
ロッジャに彫刻が展示されてます。


P2500468
ヴェネトの逸名彫刻家作「コンタリーニ家の紋章があるライオン像」(15世紀)


P2500472
ビザンチン?の彫刻家作「象の装飾がある仕切り」


P2500475
コンスタンティノポリスの彫刻家作「装飾付き仕切り」(10世紀)


P2500477
ヴェネトの彫刻家作「石棺正面」(9世紀)


P2500480
ポー川流域の彫刻家作「Grifone(架空の動物)」(13世紀)


P2500482
ポー川流域の彫刻家作「ライオン」(13世紀)


P2500484
ロッジャから展示室に戻りました。


P2500486
マンテーニャの傑作をもう一度見ました。


P2500495
外に出ました。


P2500497
ヴァポレットに乗船してホテルに戻りました。
(おわり)

P2500289
ボニファチョ・デ・ピターティ(ヴェローナ、1487-ヴェネツィア、1553)と工房による「正義の女神」


P2500291


P2500294
ブロンズ彫刻


P2500295
ブロンズ彫刻


P2500297
ヴェネツィアの金工家作「ジローラモ・アンジェリ・ダ・ペーザロ」(16世紀前半)


P2500299
ヴェネツィアの金工家作「アゴスティーノ・アンジェリ・ダ・ペーザロ」(16世紀前半)


P2500301
次の部屋です。


P2500302
第4室です。


P2500303
入館者が急に途絶えました。


P2500307
ジョヴァンニ・ボッカ―ティ(カメリーノ、1420c-1480)の「磔刑」


P2500308
15世紀中頃の逸名彫刻家作「シエナの聖ベルナルディーノ」(テラコッタ)
ヴェネツィアのサン・ジョッベ教会にありました。


P2500311
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)の領域(Ambito)の「鞭打ち」


P2500313


P2500317
ドメニコ・ディ・バルトロ(アシャーノ、1400c-シエナ、1445)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」


P2500320
ジローラモ・ディ・べンヴェヌート(シエナ、1470-1524)の「ヘラクレスの決断」


P2500322
ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373-1452)の「玉座の聖母子と聖ピエトロと聖パオロ」


P2500323


P2500326
ニッコロ・ディ・トンマーゾ(フィレンツェ、ナポリ、ピストイアで14世紀後半活動記録)の「マギの礼拝」


P2500329


P2500331
15世紀のロンバルドの逸名画家作「受胎告知」


P2500333


P2500336
Maestro di San Davino (ピサとルッカで1395-1420c活動記録)の「6聖人」


P2500339
ペッレグリーノ・ディ・マリアーノ・ロッシーニ(シエナ、1449-1492活動記録)の「聖母戴冠と聖フランチェスコと聖アントニオ」


P2500346
ジョヴァンニ・ディ・二コラ・ダ・ピサ(ピサ、1326-1363/1365消息)の「ウミルタの聖母」


P2500348
トスカーナ=エミリアの逸名彫刻家作「ピエタ」(16世紀)


P2500351
Maestro di San Miniato(15世紀後半活動)に帰属する「アレキサンダー大王のシーン」


P2500355
カルロ・ブラッチェスコ(リグーリア、1478-1501活動)の「4教会博士」


P2500361
カルロ・ブラッチェスコ(リグーリア、1478-1501活動)の「聖アンドレアの磔刑」


P2500363
アンドレア・ディ・バルトロ(シエナ、1389-1428記録)の「聖母戴冠と2音楽天使」


P2500365


P2500368
フランチェスコ・ボッティチーニ(フィレンツェ、1446-1498)の「聖母子」


P2500371
ピエタのキリスト


P2500373
幼きキリストを崇拝する聖母


P2500375
ラッファエッリーノ・デル・ガルボ(サン・ロレンツォ・ア・ヴィアリーノ、1466c-フィレンツェ、1524)の「聖母子と2天使」


P2500378


P2500381
ヤコポ・デル・セッライオ(フィレンツェ、1441c-1493)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


P2500383
(つづく)

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