イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

2020年11月

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リベルタ広場からカステッロを見上げます。


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1556年に建設されたカステッロの入り口 Arco Bollaniです。
アンドレア・パッラーディオ(パドヴァ、1508-マゼル、1580)の帰属作品と言われてます。


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Arco Bollaniの上にヴェネツィアのシンボル「サン・マルコの有翼の獅子像」が置かれてます。
Arco Bollaniが建設された1556年当時、ウーディネはヴェネツィア共和国領だったので、ヴェネツィアのシンボルがあるのでしょう。


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Salita al Castelloを上ります。


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坂道の横に、ヴェネツィア・ゴシック様式の柱廊 Porticato Lippomanoがあります。


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ヴェネツィア貴族 Tommaso Lippomanoの指示によって、1487年に建設された Porticato Lippomanoです。


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見事な柱廊なので、一度はその中を歩く価値があると思います。


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カステッロです。


297
建設された時期が明確になってませんが、神聖ローマ帝国オットー2世(ザクセン、955c-ローマ、983)からアクイレイア総主教ロドアルド(?-984)に譲渡された軍事要塞との記述が983年の文書に記載されたのが初めての記録です。
1511年の大地震によって軍事要塞が倒壊したので、その建物を完全に取り壊して1517年から1567年頃に建設されたルネサンス様式の建物が現在のカステッロです。


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1865年にオープンしたウーディネ市立美術館はPalazzo Bartoliniにありましたが、1906年にカステッロに移されました。


911
ウーディネ市立美術館の初代の建物Palazzo Bartoliniです。現在はウーディネ市立図書館となってます。


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美術館の入り口です。


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入館しました。


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ロビーの装飾


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ロビーにある「受胎告知」です。


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詳細不知の「受胎告知」


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詳細不知


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展示は3フロアに分かれてます。


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展示室に向かいます。


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階段を上りました。


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2階のGalleriaから見て回りました。


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展示室内に入りました。


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第1室です。


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作品解説の説明板があります。


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これがあると助かります。


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フリウリ派逸名画家作「聖女の頭」(14世紀末-15世紀初頭)
サンタ・マリア・イン・カステッロ教会にあったフレスコ画断片です。


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フリウリ派逸名画家作「使徒聖人の頭」(14世紀末-15世紀初頭)
サンタ・マリア・デル・カステッロ教会にあったフレスコ画の断片です。


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フリウリ派逸名画家作「磔刑」(14世紀末-15世紀初頭)
サン・ジャコモ広場のCasa Pirona in Mercatonuovaにありました。


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ヴィターレ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1289-1361)の追随者作「磔刑と聖母の物語」(14世紀後半)


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ヴィターレ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1289-1361)の境界(Cerchia)逸名画家作「聖母子」(14世紀中頃)


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第1室の別展示コーナーです。


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フリウリの逸名画家とボローニャ派逸名画家による「トロイ戦争の物語」(1364c以前)


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14世紀後半のエミリア‐フリウリ派逸名画家作「ブドウの収穫と狩猟のシーン」(1380c)


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14世紀後半のエミリア‐フリウリ派逸名画家作「庭園」(1380c)


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次の部屋です。


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第2室です。


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15世紀の作品が並んでます。


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ヴェネツィア派逸名画家作「聖セバスティアーノ」(15世紀後半)


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ドイツの逸名画家作「聖人たち」(15世紀末)


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裏面にも描かれてます。


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フィオレンツォ・ディ・ロレンツォ(ペルージャ、1445c‐1525)の「磔刑」


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(つづく)

326
Salita al Castelloです。
ドゥオーモがよく見えます。


369
再びリベルタ広場に引き返します。


370
雨が降ってきたので、写真を撮りながらの街歩きは難しくなってきました。


372
一旦ホテルに戻って雨宿り兼昼寝が無難のようです。


373
旗が掲げられている建物は、Palazzo dei Monte di Pietaです。


374
1566年に創建され、17世紀に完成しました。現在、Cassa di Risparmio del Friuli Venezia Giulia(貯蓄銀行)が使用してます。


375
建物の外観からは、教会があるとは想像できませんが、柱廊に面して教会があるのです。


380
モンテ・ディ・ピエタ教会、正式にはChiesa di Santa Maria del Monte di Pietaです。17世紀に設立されたバロック様式の教会です。


376
扉が閉まっていたので、中に入ることが出来ません。しかし、中を覗き込めるようになってます。


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ジュリオ・クゥアリオ・イル・ジョーヴァネ(ライーノ、1668-1751)のフレスコ画で装飾されてます。


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ジュリオ・クゥアリオ・イル・ジョーヴァネ(ライーノ、1668-1751)の「荊刑のキリスト」


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ジュリオ・クゥアリオ・イル・ジョーヴァネ(ライーノ、1668-1751)の「キリストの鞭打ち」


381
教会の前はマッテオッティ広場です。市場があるので、以前はメルカト広場と呼ばれていました。


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見所が多い広場ですが、雨が強くなってきたので、予定通りには行きません。


383
人出が急に減少しました。


384
日本では晴れ男ですが、イタリアでは雨男です。


385


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母親の制止を振り切って、雨の中を走り回る元気な男の子がいました。


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サン・ジャコモ教会です。


388
1378年に創建されました。


389
古い建物が建ち並ぶマッテオッティ広場です。


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ジョヴァンニ・ダ・ウーディネ(ウーディネ、1487-ローマ、1561)によって制作された井戸


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鉄道駅前にあるホテルに向かってます。


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394
ドゥオーモに繋がっている建物です。


396
この日はこれで終わりです。


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この日は快晴でした。


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サン・フランチェスコ教会の後陣


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ドゥオーモのファサードが見えます。


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雨男ですが、天気に恵まれることもありますが、暑過ぎでした。


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1932年に建設されたPalazzo d' Aroncoです。


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市庁舎です。


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マッテオッティ広場です。


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魚市場


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広場の中心にあるフォンターナ


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サン・ジャコモ教会です。


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Palazzo Antonini Cernazai


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リベルタ広場


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カステッロに向かいました。


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暑かったので、坂道が堪えました。


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目的は市立美術館の入館です。


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カステッロ


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カステッロに着きました。


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入館して十二分に楽しみました。


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後は何時もと同じです。


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キリがないので、この辺で終わりにしましょう。


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(おわり)

255
丘上のカステッロに向かいます。鐘楼はサンタ・マリア・デル・カステッロ教区教会のものです。


287
プリモ・マッジョーレ広場からカステッロに向かう緑道を上ります。


288
緑深い、緩やかな坂道です。


289
カステッロを囲む城壁です。


300
海抜138mに建つカステッロです。


297
この地に何時建設されたか分からない軍事要塞がありましたが、最初に文書化されたのは983年でした。983年の文書に、神聖ローマ帝国皇帝オットー2世(ザクセン、955c-ローマ、983)からアクイレイア総主教ロドアルド(?-984)に軍事要塞が譲渡されたことが記録されてます。
1511年に地震によって倒壊したので、最初の建物を完全に取り壊して、アクイレイア総主教庁によって1517年から1567年頃に建設されたルネサンス様式のカステッロが現在見ることが出来るという訳です。


299
ウーディネ市立美術館がカステッロに置かれてますが、市立美術館が創設された1865年にはカステッロではなく、Palazzo Bartoliniにありました。1906年にカステッロに移設されました。


911
現在、ウーディネ市立図書館が置かれているPalazzo Bartoliniです。


298
カステッロから見たプリモ・マッジョーレ広場です。


301
サンタ・マリア・デル・カステッロ教区教会に行きます。


294
1522年に建設されたArco Grimaniの直ぐ先に教会があります。


306
教会の建設はロンゴバルド時代に遡るとされてます。1928年から1930年に行われた修復の際、8世紀の遺跡(以前の建物の)が発見されたので、8世紀またはそれ以前に創建されたことが分かりました。


293
12世紀にロマネスク様式で再建されましたが、1511年の地震によって大きな被害を受けました。地震後、建築家ガスパーレ・ネグロ(ヴェネツィア、1475-ウーディネ、1549c)によって大修復され、現在の姿になりました。


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鐘楼の建設は、ガスパーレ・ネグロによって始められましたが、未完のまま、ネグロが仕事から離れたので、ジョヴァンニ・ダ・ウーディネ(ウーディネ、1475-ローマ、1561)に引き継がれ、1539年に完成しました。


913
扉が閉まっていて中に入ることが出来ませんでした。


912
中にあるフレスコ画「十字架降下」(13世紀)
(外部サイトから作品画像を拝借しました)


312
次は市立美術館です。


328
入館しました。


335
中々の展示です。


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ここに来た目的のカラヴァッジョの作品です。


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市立美術館に付いては、項を改めて詳しく触れます。


302
カステッロからの眺めです。レデントーレ教会の鐘楼です。


303
サン・ジャコモ教会の鐘楼


304
Tempio Ossarioのクーポラが見えます。


290
カステッロから下に下ります。


291
柱廊が続いてます。


292
リベルタ広場からカステッロを結ぶSalita al Castelloです。


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ヴェネツィア・ゴシック様式の柱廊


308
柱廊を歩きました。


310
柱廊のフレスコ画


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柱廊から見たカステッロ


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314
時計塔の裏側


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カステッロの入り口Arco Bollani


318
リベルタ広場に戻りました。
小雨が降ってきました。


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カステッロへの上りの写真がありません。


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カステッロの入り口Arco Bollaniです。


322
門の上に、ヴェネツィアのシンボル「サン・マルコの有翼のライオン像」が置かれてます。
ウーディネは、1420年からヴェネツィア共和国の支配下に入り、ナポレオン軍によるヴェネツィア共和国滅亡まで、その支配が続きました。


323
門を越えれば階段があります。


315
後は同じですね。
(つづく)

231
リベルタ広場からメルカト・ヴェッキオ通りに出ました。しかし、見どころに欠けるので、方針変更です。


233
ダニエーレ・マニン通りから旧城壁外に出ます。


234
1907年に建設されたPalazzo d' Oroです。フリウリ財団が入居してます。


235
建設されたのは少なくても15世紀前半以前と言われているPalazzo Manticaです。文書に残された確実な記録は、1492年にニコロ・ヴァンニ・オネスティがフィレッティーニ家に売却した事実でした。1543年からウーディネの貴族マンティカ家の邸宅になりました。


236
ウーディネの3番目の城壁に設けられたマニン門です。1273年から1299年に建設されました。


238
マニン門を潜って旧城壁外に出ました。


239
マニン門の左右の建物は、城壁を組み込んで16世紀に建設されました。


253
マニン門の前はパトリアルカト広場です。


240
パトリアルカト広場を挟んで、マニン門と対峙する恰好で建っているサンタントニオ・アバーテ教会です。


242
14世紀に遡るゴシック様式の教会でした。


251
1733年、建築家ジョルジョ・マッサリ(ヴェネツィア、1687-1766)の設計によって、ファサードが現在の姿に改造されました。


241
現在は宗教活動を停止した旧教会です。建物は展示会やショーなどに転用されてます。
この日は珍しく扉が開いてました。


243
地元出身の若手芸術家の個展が開催されていました。


244
入場者は私一人でした。
中に詰めていた芸術家がやってきて、熱心に説明を始めました。


245
現代美術は苦手な方ですが、折角のご丁寧なご説明を拝聴しました。


246
奇抜な作風ではなかったので、作品を観ながら耳を傾けることが出来ました。
前衛美術には閉口しますが。


247
展示のボードが邪魔してフレスコ画が見えません。


248
やがて彼の恋人がやって来て、二人は熱心に接吻。
漸く解放された私は暫しじっくりとフレスコ画、祭壇画を鑑賞できました。


250
ジョヴァンニ・マリア・モルライテル(ヴェネツィア、1699-1781)の「説諭する聖アントニオ」
ジョヴァンニ・マリア・モルライテルは彫刻家ですが、絵画も制作しました。


252
外に出ました。
教会の横に堀があります。


254
丘の上にサンタ・マリア・カステッロ教会の鐘楼が見えましたが、カステッロに向かう前に訪れたい教会がありました。


256
プリモ・マッジョーレ広場です。


286
プリモ・マッジョーレ広場は公園です。


257
プリモ・マッジョーレ広場に面して建つベアータ・ヴェルジネ・デッレ・グラツィエ聖域聖堂です。


258
1495年に創建され、1520年に奉献式が執り行われたルネサンス様式の建物でしたが、1730年にジョルジョ・マッサーリ(ヴェネツィア、1687-1766)の設計によって、新古典様式の現在の姿に改造されました。
1922年、Basilica Minoreに格付けされました。


259
ファサード横に立つ彫刻は、トンマーゾ・リュー(ブルーニコ、1633c-ヴェネツィア、1703)の「聖母子」です。


260
修道院への入り口です。一旦、修道院のキオストロ回廊に出て、聖堂に入ります。


261
聖堂修道院のキオストロです。


262
修道院は16世紀に建設されました。


266
1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院は閉鎖され、修道院の建物は駐留フランス軍の兵舎として接収されました。
教会と修道院にあった重要な作品はフランスに持ち去られ、そのまま返還されることなく現在に至ってます。
1922年、漸く修道院活動が再開されました。


265
16世紀の鐘楼が残ってます。


263
キオストロ回廊の壁のルネッタ上にフレスコ画が描かれてます。


275
先ほど入ってきた入り口です。


264
保存状態は普通です。


267
カルロ・グリッフォ―ニによって18世紀に制作されたフレスコ画です。
カルロ・グリッフォ―ニと言う画家のことは全く知りません。


268
フレスコ画のテーマは、「聖母と修道院の物語」です。


269
全部で34画面から成ってます。


270
慈悲の聖母


272
画家の腕前は普通でしょうね。


273


274
キオストロ回廊のフレスコ画の紹介はこの辺にしておきます。


276
聖堂内に入りました。聖母礼拝堂でミサが行われていました。


908
ミサ中だったので、写真が撮れなかった聖母礼拝堂です。(外部サイトから写真を拝借しました)


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聖母礼拝堂のイコン(外部サイトから拝借した作品画像です)


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主祭壇


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ロレンツォ・ビアンキ―ニ(ウーディネ、1825-1892)によって制作された天井フレスコ画


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ミサが終わりそうもありません。


907
ロレンツォ・ビアンキ―ニ(ウーディネ、1825-1892)のフレスコ画


281
詳細不知


284
詳細不知
ドメニコ・ティントレットの作品を観ることが出来ませんでした。
(つづく)





121
右翼廊の礼拝堂です。


123
右翼廊礼拝堂の祭壇画は、ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の「キリストの復活」(1736)です。


124
ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)によって描かれた右翼廊礼拝堂クーポラのフレスコ画(1726)


129
アンドレア・ウルバーニ(ヴェネツィア、1711-パドヴァ、1798)のよって描かれた天井フレスコ画(18世紀末)


127
ポンポニオ・アマルテオ(モッタ・ディ・リヴェンツァ、1506-サン・ヴィート・アル・ターリアメント、1588)の「寺院から商人たちを追放するキリスト」(1555)


140
主祭壇
ジュゼッペ・トッレット(パニャーノ、1664-ヴェネツィア、1743)の「受胎告知の祭壇」


137
ルイス・ドリニー(パリ、1659-ヴェローナ、1742)によって制作された後陣フレスコ画


138
ルイス・ドリニー(パリ、1659-ヴェローナ、1742)のバロック様式のフレスコ画


139


142


904
オルガン


143
オルガンの下に絵画が描かれてますが、詳細不知です。


144


145


146


905
聖心礼拝堂 Cappella Sacro Cuoreです。


147
フレッド・ピッティーノ(ドーニャ、1906-ウーディネ、1991)の「聖心のキリストと聖テレーザとベアータ・エレーナ・ヴァレンティニス」(1940)


148
ジュゼッペ・モレッリによって描かれた天井フレスコ画(1791)


151
アンドレア・ウルバーニ(ヴェネツィア、1711-パドヴァ、1798)の天井装飾


906
神慮のマドンナ礼拝堂


157
制作者不知の「聖母子」(15世紀)


158
アンドレア・ウルバーニ(ヴェネツィア、1711-パドヴァ、1798)の神慮のマドンナ礼拝堂天井フレスコ画(1742)


161
サン・ジュゼッペ礼拝堂です。


162
ペッレグリーノ・ダ・サン・ダニエーレ(サン・ダニエーレ・デル・フリウリ、1467-ウーディネ、1547)の「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」


164
アンドレア・ウルバーニ(ヴェネツィア、1711-パドヴァ、1798)のサン・ジュゼッペ礼拝堂天井のフレスコ画


168
サン・マルコ礼拝堂です。


170
ジュゼッペ・マルティーニ(ウーディネ、1470/1475-1535)の「聖マルコと聖人たち」(1501)
プレデッラは、ジャンドメニコ・ルッジェリによって1744年に描かれたものです。


172
サン・マルコ礼拝堂の左側壁にある、マッフェオ・ヴェローナ(ヴェローナ、1576-ヴェネツィア、1618)の「聖母の結婚」と「聖ジュゼッペの死」(1615c)


173
アンドレア・ウルバーニ(ヴェネツィア、1711-パドヴァ、1798)によって1742年に描かれたサン・マルコ礼拝堂天井のフレスコ画


177
ファサードの裏


179
主祭壇をもう一度見てから一旦外に出ます。


191
次はドゥオーモ博物館です。


186
この時は入館無料でした。


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190
ドゥオーモ博物館からリベルタ広場に戻ります。


206
サン・ジョヴァンニ教会とサン・ジョヴァンニの柱廊です。


204
以前のサン・ジョヴァンニ教会は、1511年に地震によって倒壊してしまいました。古い教会の建物を完全に取り壊して、その上に新しい建物を建設することになりました。
そうして、ロンバルドの建築家ベルナルディーノ・ボルトリーニ通称ベルナルディーノ・ダ・モルコテ(モルコテ、?-ウーディネ、1542)の設計によって、1533年に完成したサン・ジョヴァンニ教会とロッジャです。


219
ジョヴァンニ・ダ・ウーディネの設計によって1527年に完成した時計塔です。


211
17世紀に制作された「ヘラクレス像」の制作者情報がよく分かりませんが、ギリシャの古代彫刻のコピーでしょうか?


212
1539年に制作された「有翼のライオン像」


218
これは問題の記念碑です。
1797年に締結されたカンポ・フォルミオ条約締結を記念して、1819年に完成した「平和のモニュメント」です。しかし、ヴェネツィア支配下の方を好んだウーディネ市民にとっては、屈辱の記念碑と言うことで、今でも無視するウーディネ市民が沢山います。
以上を読んで頂いて、「何のことかサッパリ分からん」と仰せの方がいらっしゃるかも知れません。蛇足ながら、その辺に触れてみます。
18世紀末、イタリアはナポレオン軍の侵攻を受け、壊滅してしまいました。
ウーディネの郊外カンポ・フォルミオで、1797年10月17日に調印された所謂カンポ・フォルミオ条約によって、ヴェネツィア共和国(ジェノヴァも)は消滅し、賠償金の支払いと共に軍艦、名画、古文書などがヴェネツィアからフランスの所有となったのです。
この条約に基づき、ウーディネはフランスの支配下(1815年まで)に置かれました。1815年から1866まではオーストリア領となってしまいました。
(つづく)

183
次はドゥオーモです。


184
モルプルゴ庭園から写真右にある広場に行きます。


180
ドゥオーモ広場にやってきました。


087
ドゥオーモ広場に面して建つウーディネのドゥオーモ、サンタ・マリア・アンヌンツィアータ大司教座教会 Cattedrale Metropolitana di Santa Maria Annunziataです。


093
13世紀前半、アクイレイアにあった大司教座をウーディネに移すことになり、大司教座を置くに相応しい教会の建設が決定されました。


090
1236年に創建されましたが、大司教座が移転された1238年には当然のことながら間に合いませんでした。1257年、未完成の建物で最初のミサが行われました。
1335年、漸く完成し、奉献式が行われました。奉献の際、サンタ・マリア・マッジョーレ大司教座教会と命名されました。


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1348年の大地震で大きな被害を受け、1368年に大修復されました。


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18世紀前半、ドメニコ・ロッシ(モルコテ、1657-ヴェネツィア、1737)の設計と工事監督によって改造されましたが、改造工事が完了した1735年に、教会の名称が現在のものに改称されました。


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20世紀初めに行われた改修工事の際、1348年の地震後に修復された1368年の外観に戻されました。


902
ファサードの中央扉です。


096
中央扉上の彫刻は、ドイツのマイスター彫刻家によって1396年に制作されました。


903
傑作です。


894


890


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ファサードの左扉上ルネッタ上の紋章 Stemma della Confraternita dei Battuti


182
ファサードの右扉上ルネッタ上の紋章 Stemma di Mons. Andrea Bruno Mazzocato


202
ドゥオーモの鐘楼です。


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司祭ベアート・クリストフォロ・ダ・ミラノ(ミラノ、1410c-タッジャ、1484)の計画立案に基づきバルトロメオ・デッラ・クリステルネ(カポディストリア、1400c-トリエステ、1480)の建設工事監督によって1441年に建設された鐘楼です。


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鐘楼の下部に大聖堂博物館があります。


901
鐘楼の上部


892
鐘楼の彫刻「受胎告知する大天使ガブリエーレ」(14世紀後半)


893
鐘楼にある彫刻「受胎告知される聖母」(14世紀後半)


092
毎日開くので拝観し易いと思います。


097
聖堂内に入りました。


100
三廊式、ラテン十字形の内部です。


099
ロマネスク、ゴシック、バロックの各様式が混在してますが、バロック様式が優勢です。


895
聖堂の構造図
6が鐘楼です。


101
右側の三位一体礼拝堂です。


896
ジョヴァン・バッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の「磔刑」(1738)


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ポンポニオ・アマルテオ(モッタ・ディ・リヴェンツァ、1506-サン・ヴィート・アル・ターリアメント、1588)の作品が三位一体礼拝堂があります。
1点の作品に見えますが、中央で2つに画面が分かれてます。


897
ポンポニオ・アマルテオ(モッタ・ディ・リヴェンツァ、1506-サン・ヴィート・アル・ターリアメント、1588)の「ラザロの蘇生」


898
ポンポニオ・アマルテオ(モッタ・ディ・リヴェンツァ、1506-サン・ヴィート・アル・ターリアメント、1588)の「体の不自由な人を治すキリスト」


105
サンティ・エルマコーラ・エ・フォルトゥナート礼拝堂です。


106
ジョヴァン・バッティスタ・ティエポロの作品が豊富です。


899
ジョヴァン・バッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の「聖エルマコーラと聖フォルトゥナート」(1736)


107
アンドレア・ウルバーニ(ヴェネツィア、1711-パドヴァ、1798)によって描かれたサンティ・エルマコーラ・エ・フォルトゥナート礼拝堂の天井フレスコ画(1749)


900
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂です。


116
フランチェスコ・フォンテバッソ(ヴェネツィア、1707-1769)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖エウスタチョ」(1749-53)


117
アンドレア・ウルバーニ(ヴェネツィア、1711-パドヴァ、1798)によって描かれた聖ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂の天井画
(つづく)

051
1260年から1266年に建設された、ロマネスク様式のサン・フランチェスコ教会です。
なお、サン・フランチェスコ修道院は教会よりも早く1259年に建設されました。


052
1769年、ヴェネツィア元老院によって、修道院と教会は閉鎖されました。修道院の建物はウーディネ市が病院として使用するために取得して、1770年から1920年まで病院として使用されました。
教会の方は倉庫として使用され、宗教活動が再開されることはありませんでした。


054
鐘楼がある方は後陣になります。ファサード側に回ります。


056
サン・フランチェスコ教会のファサードです。


081
第二次世界大戦中にドイツ軍の爆撃によって大きな被害を受け、戦後に修復されて蘇りました。現在は、ウーディネ市の所有となっており、多目的ホールとして使用されてます。


055
幸運にも身廊側の扉が開いてました。
閉まっていることが殆どで、開いていても催事や会議等によっては関係者以外立ち入り禁止となっていることがあって、中に入る機会が中々ありません。


079
中に入りました。
更に幸運なことには、この日は新たな展示の工事を行うようで、壁に描かれたフレスコ画の遮蔽物が何もない状態でした。係員に尋ねたら、工事の邪魔にならなければ自由に見学しても良いとの事だったので、壁に描かれたフレスコ画をじっくり見ることが出来ました。
単廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。1769年に閉鎖された後、倉庫に転用するため身廊を現在のように改造しました。


057
変な所にライトがあって、フレスコ画鑑賞の妨げになってましたが、贅沢は言えません。


058
剥離、退色が進んで保存状態が良くない箇所がかなりあります。これ以上の落剝を防止するため、フレスコは一旦剥離されてから板の上に移されてます。


059
木組みの天井を除き、壁と言う壁全面にフレスコ画があったとされてます。


060
ヤコポ・ダ・モンタニャーナ(モンタニャーナ、1443c-パドヴァ、1499)と逸名画家(ピエトロ・ダ・シエリア?説が一部であり)によって1440年に制作されたフレスコ画です。


061
フレスコ画のテーマは「ベアート・オドリ―コの生涯」(1440)


062
ファサード裏


063
ジョット派?逸名画家作のフレスコ画


064
ジョット派逸名画家作「聖母子」(14世紀)


065
ヴェネツィアで活動した逸名画家によるフレスコ画(14世紀第2四半世紀)


067
ピエトロ・ダ・リミニ(リミニ、1280-1350)によるフレスコ画
逆光でダメな写真です。


070
ウンブリアの逸名画家によるフレスコ画(14世紀)


071
071
トスカーナの逸名画家によるフレスコ画(14-15世紀)


073
詳細不知の天井フレスコ


074
詳細不知の天井フレスコ


076
もう一度じっくりと見ました。


077
滅多にない機会でした。係員に感謝の言葉を伝えました。


091
外に出ました。


087
ドゥオーモです。
この後、ドゥオーモを拝観したのですが、ドゥオーモは(その3)として集中的に取り上げることにして、先に進めます。


192
ドゥオーモの拝観を終えて外に出ました。


193
次はリベルタ広場です。


194
リベルタ広場に向かうヴィットリオ・ヴェネト通りの柱廊を通りました。


196
旧市街の中心リベルタ広場にやってきました。


200
必見の建築物やモニュメントが溢れる広場です。


201
リベルタ広場からヴィットリオ・ヴェネト通りを眺めれば、ドゥオーモの鐘楼が目に入ります。


215
16世紀制作された「カッラーラの噴水」


199
リオネッロのロッジャです。


214
リオネッロ・ロッジャの後方にあるのは、Palazzo d' Aroncoです。


232
建築家ライモンド・ダロンコ(ジェモ―ナ・デル・プリオリ、1857-サン・レモ、1932)によって1887年に建設された市庁舎、Palazzo d' Aroncoです。


889
ニコロ・リオネッロ(ウーディネ、1400c-1462)の設計によって、市庁舎として1441年に創建され、1455年に完成したリオネッロのロッジャです。当時の姿は現在とかなり異なります。
1511年の地震で大きな被害を受け、さらに1685年に火災によって大部分が消失し、幾度となく拡張、修復、改造を経て現在の姿になりました。


220
ロッジャの中に入りました。


221
ロッジャの中も創建時の姿と大きく異なります。


222
ロッジャから見たサン・ジョヴァンニ教会とロッジャ


223
ウーディネを代表する景観と言えるでしょう。


224
「正義の像」と「平和のモニュメント」が見えます。
カステッロの入り口のArco Bollaniが見えますが、この門はアンドレア・パッラーディオの作品です。


225
ニコロ・モチュニーゴ像


226


227
ジュゼッペ・ゲディーナ(コルティナ・ダンペッツォ、1825-1898)の「聖母子と3音楽天使」


229
この場所には、1511年の地震後に行われた大修復工事の際、ジョヴァンニ・アントニオ・デ・サッキス通称イル・ポルデノーネ(ポルデノーネ、1483-フェッラーラ、1539)の「聖母子」があったそうですが、1685年の火災で焼失してしまいました。
ロッジャのデッサンにポルデノーネの「聖母子」らしきものが描かれていたので、そのデッサンからインスピレーションを得て、ジュゼッペ・ゲディーナが制作したそうです。


230
(つづく)

ウーディネは、人口99,206人(2019年4月30日現在)のフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州にあるコムーネです。私にとってのウーディネは、カステッロの市立美術館にあるカラヴァッジョ作品に尽きます。
001
前泊地はコネリアーノでした。快速列車に乗車してウーディネに向かいました。


002
ウーディネ駅にほぼ定時に到着しました。


003
初夏でしたが、意外なことにかなり涼しい、と言うよりも肌寒い日でした。


004
ウーディネ駅の駅舎
ウーディネは新石器時代に遡る古い歴史がありますが、特にアクイレイアにあった大司教座がウーディネに移された1238年以降に発展した街です。


006
駅前のホテルに荷物を預かって貰ってから、街歩きに出発しました。
14世紀中頃から15世紀に建設されたアクイレイア門と塔です。


007
アクイレイア門を潜って城壁内に入りました。
ウーディネの城壁には13の門があったそうですが、現存するのはこれだけです。


008
アクイレイア通りです。
次はアクイレイア通りに面して建つカルミネ教会です。


009
アクイレイア門から程なくカルミネ教会があります。道の左側にある教会が写ってます。


010
ベアータ・ヴェルジネ・デル・カルミネ教区教会です。ファサードに向かって左側の建物は旧修道院です。


013
1525年に建設された教会修道院です。ファサードは17世紀後半に完成しました。


011
1771年にフランチェスコ会の所有となりました。
1806年、ナポレオンの抑圧令によって教会修道院は閉鎖されてしまいましたが、1831年に教会の活動が再開されたものの、修道院は閉鎖されたまま現在に至ってます。
1960年に現在の姿に修復されました。


012
ファサードの聖母子は、ジョヴァンニ・ボナッツァ(ヴェネツィア、1654-パドヴァ、1736)と工房(恐らくジョヴァンニの息子フランチェスコ)の作品です。


014
教会内に入りました。


016
単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


017
内部は、彫刻、祭壇画、フレスコ画で装飾されてます。


019
天井のフレスコ画


022
フラ・アンドレア・ポッツォ(トレント、1642-ウィーン、1709)の追随者による「聖シモーネ・ストックの幻視」


023
詳細不知


026
カルメルの聖母礼拝堂


024
逸名画家作「聖母子」(16世紀前半)


027
ニコロ・バルビーニ(ヴェネツィア、1651-1736)の「十字架を手にして説教する聖ジュゼッペ・ダ・コペルティーノ」


029
主祭壇


041
主祭壇の彫刻は、ジョヴァンニ・ボナッツァ(ヴェネツィア、1654-パドヴァ、1736)とジョヴァンニの息子フランチェスコによって制作されました。


031
後陣のフレスコ画は、ジュリオ・チェーザレ・ベーニ(ペーザロ、1579-1659)の「天上の聖母子と聖人たち」


033
フレスコによる騙し絵


034
フランチェスコ・グリッロの「聖ジュゼッペ・ダ・コペルティーノに顕現する聖母子」


036
ピエトロ・ヴェニエール(ウーディネ、1673?-1737)の「ピエタ」


038
騙し絵


040
詳細不知


043
ジュリオ・チェーザレ・ベーニ(ペーザロ、1579-1659)のフレスコ画


044
外に出る前に祭壇をもう一度見ました。


045
アクイレイア通りを進みました。


047
旧市街の中心に向かいます。


049
アクイレイア通りを左折して小学校を経由してサン・フランチェスコ教会に向かいます。18世紀に建設された建物が小学校となってます。


050
サン・フランチェスコ教会です。


082
サン・フランチェスコ教会に隣接した建物を先に見ます。


083
サン・フランチェスコ修道院だった建物です。


084
1769年、修道院の建物はウーディネ市に売却され、翌1770年から市立病院になりました。1920年に裁判所に転用されるようになり、現在に至ってます。建物の一部に自然史博物館が置かれてます。


085
次はサン・フランチェスコ教会です。
(つづく)

P1340139
パレストロ通りの中ほど、写真左に広場があります。


P1340239
オッティネッティ広場です。広場の奥からパレストロ通り方向を写した写真です。


P1340141
広場の三方を囲んで建っているサンタ・キアーラ修道院だった建物です。


P1340143
旧サンタ・キアーラ修道院の建物にイヴレア市立美術館 Museo Civico "Pier Francesco Garda"があります。


P1340149
旧修道院の柱廊に入りました。


P1340150
市立美術館は他の建物にありましたが、ピエル・アレッサンドロ・ガルダが収集した日本関係を含む東洋美術部門などを含む展示拡大を目的に、旧サンタ・キアーラ修道院の建物に市立美術館が2014年1月にオープンしました。


P1340151
柱廊のルネッタ上に僅かに残されたフレスコ画がありますが、痛みが激しく、何が描かれていたのかさえ分からない状態です。


P1340159
ピエモンテの逸名彫刻家作「聖マリア・マッダレーナ」(15世紀末-16世紀初頭)
初めは絵画、彫刻部門です。展示の中核は、イヴレアの富豪ルチア・グエルパ(1908-2003)の遺言によってイヴレア市に寄贈されたクロッフ・コレクションです。


P1340161
木彫り像「聖母子」(詳細不明)


P1340162
フランドル出身のジョルジョ・コッリーノ(1499と1506に活動記録)の「マギの礼拝」(1493)


P1340237
逸名画家作「聖母戴冠」(14世紀)


P1340166
ジョヴァンニ・マルティーノ・スパンツォッティ(カザーレ・モンフェッラート、1455c-キヴァッソ、1526/1528)の「マギの礼拝」(15世紀末)


P1340169
ジョヴァンニ・マルティーノ・スパンツォッティ(カザーレ・モンフェッラート、1455c-キヴァッソ、1526/1528)の「玉座の聖母子」(15世紀末)


P1340171
逸名彫刻家作「ニコデモ」(15世紀末-16世紀初頭)


P1340174
ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、1356-フィレンツェ、1399)の「磔刑」(14世紀後半)


P1340178
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419-1492)の「聖母子と2天使」(15世紀中頃)


P1340183
フランスのカラヴァッジェスキ逸名画家、またはニコラス・レニエ―ル(モブージュ、1591-ヴェネツィア、1667)の枠組み(Cerchia)による「聖セバスティアーノ」(17世紀中頃)


P1340186
ジョルジョ・デ・キリコ(ギリシャ、ヴォロス、1888-ローマ、1978)の「桃」
この美術館で人気が高い作品です。


P1340188
ここで展示されている絵画、彫刻を遺贈したルチア・グエルパ(1908-2003)の書斎です。彼女の家の書斎をここに移設したのです。


P1340189
逸名画家作「山小屋」(19世紀中頃)
作品左下にドメニコ・モレッリの署名があるので、かっては、ドメニコ・モレッリ(ナポリ、1823-1901)の帰属作品とされていましたが、否定されてます。(署名が偽物と断定されたそうです)


P1340191
フィリッポ・パリッツィ(ヴァスト、1818-ナポリ、1899)の「家畜」(19世紀第4四半世紀)


P1340195
アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560-ローマ、1609)の「男の肖像」(1590-1600)
アンニーバレ・カラッチの代表作の一つがここにあります。これを見るためにイヴレアに来るのです。


P1340213
エウジェニオ・ガイズ(トリノ、1861-1938)の「沼」(1920c)


P1340215
ジョヴァンニ・カッパ・レゴラ(トリノ、1887-ヴェルバニア、1980)の「風景画」(1927)


P1340217
フィラデルフォ・シーマ(レヴィリアーニ、1849-フィレンツェ、1923)の「傲慢」(1878c)


P1340197
次は東洋美術部門です。
ピエル・アレッサンドロ・ガルダ(イヴレア、1791‐サモーネ、1880)が収集した約500点の作品を、1874年にイヴレア市に寄贈しました。この美術館の名称の由来になってます。


P1340198
日本関係の展示作品をここで紹介しても、あまり意味がないと思います。


P1340199
東洋美術品約500点のうち、日本のものが大半を占めます。


P1340201


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皮肉なことに、日本の美術品を見るならば、日本ではなく海外の方が充実していると思います。


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特にボストン美術館に行くと、日本人の日本文化、芸術に対する軽視を痛感させられます。


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次は考古学部門です。


P1340206
Museo Civicoの定番と言うべき展示物が続きます。何処のコムーネでもほぼ同じような展示物。


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フレスコ断片


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ローマ時代のモザイク断片


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外に出ました。

P1340239
雨が強くなってきたので、これ以上あちこち歩く気がしなくなりました。


P1340240
市立美術館の時計が止まっていました。イタリアでは、駅の時計が狂っていることがあります。


P1340241
天気が良ければ、モーツァルト音楽会館に行きたかったけれど断念。


P1340243
先ほど拝観したサン・サルヴァトーレ教会です。


P1340244
雨天にも拘らず、夕方になるに従って人出が増えてきました。


P1340245
街一番の目抜き通りのパレストロ通りです。


P1340246
通りの先にサントゥルデリーコ教会が見えてきました。


P1340248
サンタ・マルタ広場です。


P1340247
サンタ・マルタ広場に面して建っている旧サンタ・マルタ教会です。
15世紀後半に建設されたサンタ・マルタ祈祷所が前身です。現在の建物は16世紀末に再建された二代目です。
1975年、教会としての機能が停止され、イヴレア市の所有となりました。その後、内部が改修され、現在は会議室等に使用されてます。


P1340249
パレストロ通りを進みます。


P1340250
少し遠回りになりますが、この道を進めばドゥオーモに行くことが出来ます。


P1340251
時計は午後4時過ぎを示していましたが、冬時間のままの時計表示でした。7月4日なので、実際は午後5時過ぎでした。


P1340252
サントゥルデリーコ教会です。ここも既に拝観しました。


P1340253
来た時と同じ道を通るのは気が利かないけれど、雨が嫌なので、その辺は仕方ない。


P1340254
パレストロ通りを更に進みます。


P1340256
サンタ・クローチェ教会です。ファサードの3点の彫刻が見物です。


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1616年から1622年に建設されました。


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中にフレスコ画があります。


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ファサードのピエタ


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父なる神


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既に活動を停止した旧教会で、建物は市所有となっており、展示場、会議室などに利用されてます。


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パレストロ通りに戻りました。


P1340265
靴下はぐっしょりと濡れ、靴の中はぐしゃぐしゃでした。


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道を下ってカヴール通りに出ます。


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トンネルの中で、雨に濡れた服をハンカチで拭いましたが、焼け石に水の状態でした。


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カヴール通りを横切る地下道を通って、カヴール通りの川沿いの歩道に出ます。


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カヴール通りの川沿いの歩道です。


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歩道から見たドーラ・バルテア川です。


P1340269
歩道から見た市庁舎の時計塔


P1340273
川を渡れば、ホテルはもう直ぐです。


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サン・マウリツィオ教会の鐘楼が見えましたが、行く気が起きません。


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風がなかったのがせめても救いでした。雨に加えて強風では敵いません。


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水量を増して流れが速くなったドーラ・バルテア川です。


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この年は冷夏で、天気が悪かった。


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カヴール通りを少し進んで、左折してドーラ・バルテア川に架かる橋を渡ります。


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サン・マウリツィオ教会が見えてます。


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鉄道橋


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滝に来ました。


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サン・グラート教会の鐘楼です。


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橋を渡りました。


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駅に通じるCorso Costantino Nigraに入りました。


P1340287
雨で散々でしたが、ほぼ目的を果たした街歩きでした。


P1340291
泊まる必要がなかったかもしれません。


P1340293
ホテルに戻りました。
(おわり)

P1340077
次はサン・サルヴァトーレ教会です。


P1340078
カステッロとドゥオーモがあった旧市街高地から道を下ります。


P1340079
ホテル学校のフェルディナンド・プラートです。観光立国のイタリアでは、ホテル学校が人気です。


P1340080
Via Madre Antonia Vernaを進みます。


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サン・ジュゼッペ祈祷所です。それにしても現代的な建物なので、驚きます。


P1340083
更に道を下ります。


P1340085
突き当りを右折すると、直ぐに広場があります。


P1340086
Piazza del Teatro
広場の名称は劇場があるからです。


P1340087
イヴレア市立劇場です。


P1340088
1833年から1834年に建設されたTeatro Civico "Giuseppe Giacosa"です。


P1340090
この場所にサンタゴスティーノ修道院があったそうです。


P1340089
ファサードに描かれたイヴレアの紋章


P1340091
雨が降り続いてました。劇場の直ぐ傍にサン・サルヴァトーレ教会があります。


P1340092
サン・サルヴァトーレ教会です。


P1340136
15世紀後半に創建され、16世紀中頃に完成しました。奉献式は1582年に行われたそうです。


P1340095
道幅が狭いので、正面からのファサード全体の写真がうまく撮れません。


P1340096
毎日開くようです。


P1340098
中に入りました。


P1340100
単廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


P1340099
雨天なので、薄暗い内部でした。


P1340101
天井にフレスコ画が描かれてます。


P1340102
主祭壇


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後陣にフレスコ画が描かれてます。


P1340104
主祭壇画は、17世紀のピエモンテの逸名画家による「受難のキリストと聖人たち」


P1340105


P1340108
詳細不知
この教会の作品についての詳細が分かりません。


P1340112
ロレートの聖母礼拝堂


P1340113
詳細不知のステンドグラス


P1340115
詳細不知


P1340120
詳細不知


P1340122
詳細不知


P1340127
詳細不知


P1340132
詳細不知


P1340130
ファサード裏にオルガンがあります。


P1340134
外に出ました。


P1340138


P1340137
次は市立美術館です。


P1340140
市立美術館がある広場です。写真左奥に市立美術館があります。


P1340142
市立美術館です。


P1340205
入館しました。


P1340165
市立美術館に付いては、項を改めて詳しく触れます。


P1340238
市立美術館から外に出たら、豪雨でした。
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
P1340025
左側廊にある礼拝堂です。


P1330967
サン・サヴィーノ礼拝堂です。


P1330972
クラウディオ・フランチェスコ・ボーモント(トリノ、1694-1766)の「聖母子と聖サヴィーノと聖ベッソと聖テゴーロ」(18世紀)


P1330975
カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖サヴィーノの殉教」


P1330977
サン・サヴィーノ礼拝堂の天井画は、カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「昇天したキリスト」


P1330981
カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖ベッソの殉教」


P1330983
制作者情報不知の「聖母被昇天」


P1330986
グイド・レーニ作品のコピー画でしょうね。


P1330992
詳細不知


P1330995



P1330998
ジョヴァンニ・パレッラ司教(1437-1479)の墓


P1330999


P1340001


P1340002


P1340004
制作者情報不知の「キリストの洗礼」(18世紀)


P1340005
旧洗礼盤?


P1340007


P1340011
詳細不知


P1340014
ピエモンテの逸名画家作「聖ジュゼッペの死」(18世紀)


P1340015


P1340018
詳細不知


P1340028


P1340023
制作者情報不知の「磔刑」


P1340025


P1340026


P1330963
ファサード裏にオルガンがあります。


P1340044
外に出ました。


P1340032
ドゥオーモ広場に面して、もう一つ教会があります。サン・二コラ・ディ・トレンティーノ教会です。


P1340073
次はカステッロです。写真左の塔がカステッロのものです。写真右の鐘楼はドゥオーモのものです。


P1340055
カステッロです。
アオスタ渓谷に通じる道路を支配するために戦略的防御機能を目的に、サヴォイア家のアメデオ6世(シャンベリー、1334-サント・ステファノ・ディ・カンポバッソ、1383)によって、1358年に創建され、アメデオ6世の死後の1395年に完成したカステッロです。


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高い塀に囲まれてます。


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サヴォイア家の邸宅として使用されていましたが、外国支配などにより徐々に戦略的機能を失い、17世紀には殆ど使用されなくなったそうです。
1700年から刑務所として使用されるようになりましたが、それに伴い高い塀が築かれました。刑務所が閉鎖されたのは1970年のことでした。


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4本の塔があります。


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現在、カステッロは国有資産となってますが、その運営管理はトリノ県に委託されてます。


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一般公開は、特別な機会に限定されており、通常はカステッロの中に入ることが出来ません。


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カステッロとドゥオーモは同じ標高に建ってます。


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司教館です。


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ドゥオーモ広場からの眺望です。


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写真左端は市庁舎の時計塔です。


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何処の教会の後陣と鐘楼でしょうか?


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雨は小康状態でした。


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(つづく)

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写真右がローマ劇場の遺跡です。


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劇場の壁だった場所です。


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一見しただけでは、劇場の遺跡とはとても思えません。


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紀元後1世紀に建設されたそうです。


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これだけ見ても劇場だったとは想像がつきません。


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劇場の土台、壁を組み込んだ建物が建ってます。


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次はドゥオーモです。


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一旦、道を下ります。


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長い階段を上ります。ドゥオーモは旧市街の最も高い場所にあります。ドゥオーモ近くにカステッロがあります。


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階段を上り切った先に門があり。その門を潜ればドゥオーモの身廊横に出ます。


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イヴレアのドゥオーモ、Cattedrale di Santa Maria Assuntaです。イヴレアには古くから司教座が置かれていました。


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左翼廊外壁にフレスコ画があります。


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日時計でしょうか?


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ファサード側に回ります。


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教会の歴史は古く、この場所にギリシャ神殿がありましたが、ローマ時代にギリシャ神殿の一部を利用して劇場が建設されました。
4世紀頃、ギリシャ神殿とローマ時代の劇場は初期キリスト教会に転用されました。その初期キリスト教会が現ドゥオーモの前身です。


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10世紀、当時の司教によって、建物を再建して規模拡大することが決められ、初期キリスト教会が取り壊されました。
そうして、969年に創建され、1005年に完成したロマネスク様式の二代目の建物が、現在のドゥオーモの原形となってます。


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再建された建物は、13世紀、15世紀、16世紀、18世紀の4回に渡って改修、改造が行われました。


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創建時のロマネスク様式のファサードは、1516年にブラマンテ・スタイルのルネサンス様式に改造されました。
現在の新古典様式のファサードは1854年の改造工事によるものです。


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ファサードの装飾を見て行きます。


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19世紀の柱頭


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イヴレアの守護聖人の聖サヴィーノ像


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受胎告知


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聖パオロ


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新しい物ばかりで魅力に欠けます。


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12世紀に建設された鐘楼です。


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扉が開いていたので拝観しました。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、後期バロック様式の内部です。


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改修と改造の結果、古いものが殆ど残されていません。


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左側廊


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左側廊から信者席を見たところです。


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右側廊


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天井


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ピエモンテの逸名画家による身廊天井のフレスコ画(18世紀中頃)


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ピエモンテの逸名画家によるクーポラの装飾(18世紀中頃)


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主祭壇と後陣


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18世紀半ばに再制作された主祭壇


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主祭壇画は、カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖母被昇天」


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後陣は立ち入り禁止なので、写真がうまく撮れません。これもカルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の作品です。
(つづく)

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Piazza Ferruccio Nazionaleの端向こうに教会があります。


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Chiesa di Sant' Ulderico、聖ウルデリーコ教会です。


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971年に創建されましたが、完成後100年以内に取り壊されました。その理由は不明です。


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11世紀前半にロマネスク様式で再建されました。18世紀に現在の姿に改造されました。


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ファサードの右側が少し奇妙に見えると思います。
18世紀に行われた改造の際、11世紀前半に建設された鐘楼がファサードに組み込まれたのです。その際、鐘楼の上部はファサードの高さに合わせるべく切り取られたそうです。


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ファサード最上部の彫刻は、エンリコ・カルマッシ(ラ・スペツィア、1897-トリノ、1975)の「聖ウルデリーコ像」です。


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アリッツァート・ケッキーニの「救世主」(1973)


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この辺は18世紀のものです。


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組み込まれた鐘楼以外に古いものがありません。


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拝観します。


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中に入りました。


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単廊式です。18世紀にバロック様式に改造された内部です。


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フレスコ画、祭壇画がありますが、比較的新しいものが殆どです。


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主祭壇と後陣


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1766年に制作された主祭壇


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ジョヴァンニ・シルヴェストロ・ディ・モンタナ―ロ(モンタナ―ロ、1860-トリノ、1958)によって制作された後陣のフレスコ画


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ピエトロ・フィエッタ・ディ・イヴレア(イヴレア、1883-1960)によるクーポラのフレスコ画


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ジョヴァンニ・ストルノ―ネ(イヴレア、1848-1917)の原画による浮彫「聖ウルデリーコの奇跡」(1897)


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主祭壇は、ピエモンテの逸名画家作「三位一体と聖母と聖人たち」(18世紀)


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ジョヴァンニ・ストルノ―ネ(イヴレア、1848-1917)の「救世主」(1898)


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ジョヴァンニ・ストルノ―ネ(イヴレア、1848-1917)の「無原罪の聖母」(1898)


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セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「ご誕生」


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18世紀前半のピエモンテの逸名画家作「聖フランチェスコ・ザビエルに顕現する聖母子」(1730c)


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ジョヴァンニ・ストルノ―ネ(イヴレア、1848-1917)の「聖母の教育」


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ジョヴァンニ・ストルノ―ネ(イヴレア、1848-1917)の「ご訪問」


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ファサード裏のステンドグラス


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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パレストロ通りを進みます。


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次はローマ時代に建設されたローマ劇場の遺跡です。


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この道を真直ぐ進めばローマ劇場に出ます。


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(つづく)

イヴレアは、人口23,442人(2018年12月31日現在)のピエモンテ州トリノ県にあるコムーネで、ドーラ・バルテア川と5つの湖から成る絶景が見所です。
紀元前10世紀頃に遡る歴史ある街です。ローマ時代には、アルプスを越えて侵入する異民族に対する砦として発展しました。また、19世紀以降、オリベッティの城下町として有名です。
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キヴァッソ駅からイヴレア駅行普通列車でイヴレアに向かいました。


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車中はかなり空いてました。


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イヴレア駅に到着しました。


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イヴレア駅の駅舎です。キヴァッソからイヴレアへの列車は定時運転だったのですが、実はキヴァッソ到着が遅れて、予定していた列車に乗れず、一本遅い列車に乗ったのです。


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駅前広場です。


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列車の遅れで昼食を食べ損ねたので、駅横のビュッフェで簡単に済ませることにしました。


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仕方なくジャンクフードを食べました。お腹が空いてましたが、不味くて半分残してしまいました。


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Corso Costantino Nigraを通って、この日のお宿に向かいました。


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雨が降り続いてます。


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イヴレアの旧市街はドーラ・バルテア川の川向うにありますが、この日のお宿は川の手前にあります。
この時、雨はまだ小降りでした。


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この日のお宿が見えてきました。


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各国の国旗を掲げている建物が、この日のお宿です。レストランを併設しています。


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ホテルの自室から見たドーラ・バルテア川です。水量と川の流れの速さが異常です。


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イタリア人が好きそうな手のオブジェです。
ホテルの部屋で10分ほど過ごしてから街歩きに出発しました。


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旧市街に向かうべくCorso Costantino Nigraを進みました。


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突き当りを右折します。


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普通の道路に見えますが、ドーラ・バルテア川の橋です。


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橋の上から見たヴェッキオ橋です。


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ローマ時代の紀元前1世紀に架けられたヴェッキオ橋ですが、この辺は川幅が狭く、流れが急になってます。そのため、大水になると崩壊と再建を何度も繰り返された橋です。
今でも川幅が狭いのですが、1830年から川幅の拡幅工事が行われ、1840年頃に架けなおされたヴェッキオ橋が現在の姿です。


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ヴェッキオ橋の反対側に架かっている鉄道橋です。


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鉄道橋の先に旧市街があります。
写真の右方向に駅と、この日のホテルがあります。


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崖上にサン・マウリツィオ教会があります。


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崖の途中から滝が流れています。


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カヴール通りを市庁舎がある中心街に進みます。


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写っている鐘楼はサン・マウリツィオ教会のものです。


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元々、この辺の川幅が広いのですが、雨続きのため、川の中州の殆どが水中に没していました。


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7月初旬でしたが、雨天続きの冷夏でした。


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先ほど渡ってきたCorso Costantino Nigraの橋です。橋の名前が分かりません。
写っている鐘楼はサン・グラート教会のものです。


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ペッローネ広場です。


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広場の名称は、広場の中心にあるエットーレ・ペッローネ・ディ・サン・マルティーノ将軍(トリノ、1789-ノヴァーラ、1849)のモニュメントがあることに由来します。
エットーレ・ペッローネ将軍は政治家、愛国者でした。


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雨が強くなってきました。


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カヴール通りを進んで市庁舎がある広場に向かいました。時計塔が写ってますが、市庁舎の時計塔です。


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雨のため、靴下まで濡れてきました。


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写真右の緑地はフェッランド広場です。


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ピエトロ・ルーカ通りの先に教会がありますが、強雨のため拝観する気が失せました。


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市庁舎に近付くと何故か金融機関の建物が多くなってきます。


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振り返って撮った写真


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雨を避けて柱廊を進みました。柱廊が有難いと思いました。


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ピアーヴェ通りです。通りの先にTempio Valdeseがありますが、拝観する気力が湧きません。


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Piazza Ferruccio Nazionaleです。


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広場の名称は、1944年に、この広場で絞首刑されたパルチザンに由来するそうです。


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Piazza Ferruccio Nazionaleに面して市庁舎が建ってます。


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市庁舎が建っている場所にデブルゴ病院がありましたが、1750年頃には荒廃して使用されなくなっていました。その病院を取り壊して、1758年から1761年に建設された市庁舎です。


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(つづく)

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逸名画家作「ダヴィデに贈り物を届けるアビガイル」(17世紀中頃)


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逸名画家作「Davide suona l' arpa davanti a Saul」(17世紀中頃)


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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次の部屋です。


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パスクゥアーレ・デ・ロッシ(ヴィチェンツァ、1641-ローマ、1725)の「パイプ煙草を吸う男」



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パスクゥアーレ・デ・ロッシ(ヴィチェンツァ、1641-ローマ、1725)の「縫う女」


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チェッコ・ブラヴォー(フィレンツェ、1601-インスブルック、1661)の「アポロtとダフネ」


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トスカーナの逸名画家作「女性の肖像」(17世紀後半)


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ドメニコ・ブランディ通称ミッコ・ブランディ(ナポリ、1684-1736)の「羊飼い」


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マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648-1729)の「天上の聖バルトロメオと聖セヴェーロ」


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アルカンジェロ・レサーニ(ローマ、1668/1670-ラヴェンナ、1740)の「磔刑と聖ヴィターレと聖アポッリナーレ」


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パオロ・アントニオ・バルビエーリ(チェント、1603-ボローニャ、1649)?の「静物画」
パオロ・アントニオ・バルビエーリはグエルチーノの弟です。


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ピエトロ・テネラーニ(カッラーラ、1789-ローマ、1869)の「獲物を持つ天使」


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ピエトロ・テネラーニ(カッラーラ、1789-ローマ、1869)の「漁をする天使」


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ジャンバッティスタ・バッシ(マッサ・ロンバルダ、1784-ローマ、1852)の「カステル・ガンドルフォ」(1851)


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ジャンバッティスタ・バッシ(マッサ・ロンバルダ、1784-ローマ、1852)の「パピーニョの森」(1850)


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アルトゥーロ・モランディ(フィレンツェ、1840-ラヴェンナ、1901)の「母になることへの不安」


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アントニオ・チゼーリ(ロンコ・ソプラ・アスコーナ、1821-フィレンツェ、1891)の「ルイージ・マジョーリの肖像」(1856)


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アルトゥーロ・モランディ(フィレンツェ、1840-ラヴェンナ、1901)の「松林の帰路」


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ヴィットリオ・グゥアッチマンニ(ラヴェンナ、1859-1938)の「強風の中の農作業」


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ドメニコ・ジョッロ(ナポリ、1866-1938)の「岩礁の上の少年」(1891)


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エットーレ・ティート(ナポリ、1859-ヴェネツィア、1941)の「コッラード・リッチの肖像」(1918)


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これで終わりです。


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外に出ました。
閉鎖されていた展示室が多く、見ることが出来た作品は以上です。
閉鎖されていた展示室の作品の中で、主なもの10点を選んで、それらの作品画像を載せておきましょう。なお、作品画像は外部サイトから拝借しました。


1
アントニオ・ヴィヴァリーニ(ムラーノ、1440-ヴェネツィア、1480)の「磔刑」


2
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「十字架降下」


3
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「キリストの逮捕」


4
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「十字架降下」


5
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「キリストの埋葬」



6
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「リンボの降下」


7
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「玉座の聖母子と聖アポッロニアと聖セバスティアーノ」


8
バルトロメオ・モンターニャ(ヴィチェンツァ、1450-1523)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


9
フランチェスコ・リッツォ・ダ・サンタクローチェ(サン・ペッレグリーノ・テルメ、1485c-ヴェネツィア、1545)の「聖母子と聖シモーネと聖ジュゼッペ」(1500-45)


10
フランチェスコ・リッツォ・ダ・サンタクローチェ(サン・ペッレグリーノ・テルメ、1485c-ヴェネツィア、1545)の「マギの礼拝」(1525-45)
以上、10点でした。


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外に出ました。
(おわり)

P2530729
ヴェネトの逸名画家作「聖アポッリナーレ」(16世紀末-17世紀初頭)


P2530731
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「救世主」


P2530734
ヴェネトの逸名画家作「受胎告知」(16世紀末-17世紀初頭)


P2530737
ベルテル・トルバルセン(コペンハーゲン、1770-1844)の「聖アポッリナーレ」(1822)


P2530739
次の部屋です。


P2530741
逸名画家作「騎兵戦」(17世紀後半)


P2530744
アントニオ・メッツァドリ(ボローニャで1688から消息)の「花籠」


P2530746
逸名画家作「騎兵戦」(17世紀後半)


P2530751
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1560c-ミラノ、1629)の「聖ジャコモ・ミノーレと聖フィリッポの殉教」


P2530753
イタリアの逸名画家作「戦闘」(17世紀後半)


P2530757
アントニオ・メッツァドリ(ボローニャで1688から消息)の「花籠」


P2530759
イタリアの逸名画家作「戦闘」(17世紀後半)


P2530763
逸名画家作「カルロ・チニャーニ(ボローニャ、1628-フォルリ、1719)作『慈愛』のコピー画」(18世紀)


P2530766
カルロ・チニャーニ(ボローニャ、1628-フォルリ、1719)工房作「バッカスとエリゴネ」


P2530768
ジョルジョ・ヴァザーリの枠組みの「十字架を担ぐキリスト」(16世紀)


P2530770
次の部屋です。


P2530772
ジョヴァン・ジョゼッフォ・ダル・ソーレ(ボローニャ、1654-1719)の「聖家族」


P2530775
チェーザレ・ジェンナーリ(チェント、1637-ボローニャ、1688)工房作「老人の頭」(17世紀)


P2530778
ジョヴァン・ジョゼッフォ・ダル・ソーレの領域の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと天使」


P2530781
ジョヴァン・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「聖ロムアルド」


P2530784
ラニエーリ・デル・パーチェ(ピサ、1681-フィレンツェ、1738)?の「少女」


P2530786
リーヴィオ・モディリアーニ(フォルリ、1571-1606活動)の「兎狩り」


P2530790
逸名画家作「アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560-ローマ、1609)作『荊刑のキリスト』のコピー画」


P2530792
逸名画家作「聖セバスティアーノ」(17世紀中頃)


P2530795
次の部屋です。


P2530796
カッソーネ(17世紀)


P2530798
ジョヴァンニ・アントニオ・ペッレグリーニ(ヴェネツィア、1675-1741)の「傭兵」


P2530801
エミリアの逸名画家作「ダンテ通りの景観」(18世紀後半)


P2530804
エミリアの逸名画家作「キリストとサマリア女」(18世紀後半)


P2530807
エミリアの逸名画家作「監獄」(18世紀後半)


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エミリアの逸名画家作「キリストとカナン人」(18世紀後半)


P2530812
エミリアの逸名画家作「キリストと教会博士たち」(18世紀後半)


P2530816
エミリアの逸名画家作「ロッジャ」(18世紀後半)


P2530818
次の部屋です。


P2530819
チェーザレ・プロンティ通称フラ・チェーザレ・パチョッキ(カットリカ、1626-ラヴェンナ、1708)の「天上の聖母子と聖人たち」


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逸名画家作「ジュゼペ・デ・リベラ作『善きサマリア人』のコピー画」(17世紀後半)


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チェーザレ・プロンティ通称フラ・チェーザレ・パチョッキ(カットリカ、1626-ラヴェンナ、1708)の「十字架降下」


P2530828
カルロ・ボッロメオ1628-フォルリ、1719)の「聖ベネデット」


P2530832
逸名画家作「カルロ・チニャーニ作『聖母子と聖テレーザと聖カルロ・ボッロメオと聖ジョヴァンニ・バッティスタ』のコピー画」


P2530835
ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリ―ニ(ペルージャ、1609-ローマ、1681)の「瞑想の聖マリア・マッダレーナ」
(つづく)

074
サンタ・マリア・イン・ポルト修道院(写真手前)とサンタ・マリア・イン・ポルト教会です。


067
サンタ・マリア・イン・ポルト修道院の建物にラヴェンナ市立美術館 Museo d' Arte della Citta di Ravenna があります。
ラヴェンナの城壁から東約4㎞に位置するポルト・フオーリ(現在はラヴェンナのFrazioniの一つ)にサンタ・マリア教会がありましたが、15世紀に、その教会の隣に修道院建設の話が持ち上がりました。
当時、ラヴェンナはヴェネツィア共和国の支配下にありましたが、修道院を建設するならばラヴェンナの城壁内にすべきとの指示がヴェネツィアからありました。
現在、教会と修道院が建っている場所に住居がありましたが、1496年にそれらの住居が取り壊され、1496年から1509年にサンタ・マリア・イン・ポルト修道院が建設されました。


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修道院はこの建物の一部で活動しています。


069
ラヴェンナ市立美術館は、他の場所で1829年に開館しました。修道院の建物に移転してきたのは1972年でした。


P2530654
約2000㎡の展示室面積があり、14世紀から19世紀の作品が展示の中心です。一部、現代の作品も展示されてます。


070
切符売り場の入り口です。


071
この日、大変残念なことに14世紀から16世紀の作品の展示室が何故か閉鎖されていました。


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地上階ロビーの壁にある彫刻(詳細不知)


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展示室は1階(日本の2階)に設けられてます。


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かなり近代的な佇まいの展示室です。


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ルーチョ・フォンタナ(アルゼンチン、1899-ヴァレーゼ、1968)のモザイク彫刻
ルーチョ・フォンタナは、美術家、彫刻家、画家で空間主義運動の創始者です。


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ルーチョ・フォンタナの作品


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ルーチョ・フォンタナの作品


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フランチェスコ・ファッブリの作品


P2530665
フランチェスコ・ファッブリの作品


P2530666


P2530667


P2530668
フランチェスコ・ファッブリの作品


P2530671
エットーレ・ソットサッス・イル・ジョーヴァネの作品


P2530673


P2530674
現代美術の展示室


P2530675
アルフレド・プロッティ(ボローニャ、1882-1949)の「若い女」(1927)


P2530677
アルベルト・サリエッティ(ラヴェンナ、1892-キアヴァリ、1961)の「女の肖像」(1922)


P2530679
オラツィオ・トスキ(ルーゴ、1887-フィレンツェ、1972)の「夜のジャスミン」(1927)


P2530681
ドメニコ・バッカリーニ(ファエンツァ、1882-1907)の「女性の彫像」(1903-04)


P2530683
ドメニコ・バッカリーニ(ファエンツァ、1882-1907)の「女の頭像」(1903)


P2530685
エドガルド・サポレッティ(バニャカヴァッロ、1865-ベッラリア、1909)の「我が妻アントニエッタ」(1900c)


P2530687
ジュゼッペ・ランベッリ(バニャカヴァッロ、1868-1954)の「マリーザ・ガンベリーニの肖像」(1900)


P2530689
フィリッポ・シルヴェストロ・ジュリアノッティ(ジェノヴァ、1851-ローマ、1903)の「こっそり」(1883)


P2530691
フィリッポ・シルヴェストロ・ジュリアノッティ(ジェノヴァ、1851-ローマ、1903)の「ファウヌス(森の神)」(1893)


P2530693
ジュゼッペ・ヴィッツォット・アルベルティ(オデルツォ、1862-ヴェネツィア、1931)の「アザミ」(1895)


P2530695
次の部屋です。


P2530696
この部屋から古い時代の作品になります。


P2530697
逸名画家作「マルチェッロ・ヴェヌスティ(マッツォ・ディ・ヴァルテッリーナ、1510-ローマ、1579)作『磔刑』のコピー画」(16世紀)


P2530702
マッテオ・インゴリ(ラヴェンナ、1585-ヴェネツィア、1631)の「最後の晩餐と聖アポリナーレとベアート・ロレンツォ・ジュスティアーニ」


P2530705
フランチェスコ・ザガネッリ通称フランチェスコ・ダ・コティニョーラ(コティニョーラ、1499から活動記録-ラヴェンナ、1532)の「羊飼いの礼拝と聖ボナヴェントゥーラと聖ジローラモ」


P2530708
逸名画家作「グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)作『磔刑』のコピー画」(17世紀中頃)


P2530711
ヴェネトの逸名画家作「男の創造」(17世紀)


P2530713
逸名画家作「パオロ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1528-ヴェネツィア、1588)作『マギの礼拝』のコピー画」


P2530716
Maestro di Flora (フォンテーヌブロー、16後半活動)の「豊穣の寓意」


P2530719
ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ジョーヴァネ通称ジョヴァンニ・バッティスタ・ピット―リ(ファエンツァ、1539-1614)の「聖ジローラモに顕現する聖母」
聖母が描かれた上部が切断された?


P2530722
エミリアの逸名画家作「聖家族」(16世紀末)


P2530725
エミリアの逸名画家作「聖フランチェスコを支える2天使」(17世紀末-18世紀初め)
(つづく)

119
サン・ヴィターレ聖堂の門です。


120
サン・ヴィターレ聖堂の鐘楼です。
人出が多かったので、ガッラ・プラチーディアの霊廟、サン・ヴィターレ聖堂、国立博物館を後回しにして、それらと至近にあるサンタ・マリア・マッジョーレ教会に行きます。


121
サンタ・マリア・マッジョーレ教会です。


128
教会の歴史は古く、ラヴェンナの第24代司教聖エクレショ(?、?-ラヴェンナ、534c)によって521年に創建され、534年に完成した初期キリスト教会です。


123
1671年にほぼ現在の姿に改修されました。


122
円筒形の鐘楼は9世紀から10世紀に建設されたものです。


124
中に入りました。


186
主祭壇


126
1671年に改修の際、元の装飾は殆ど取り壊されました。


125
最大の見所はこの聖母子です。


127
トゥモーリの聖母です。


187
詳細不知
外に出ます。


130
ガッラ・プラチーディアの霊廟は混雑していたので、見るのを後回しにしました。


129
サン・ヴィターレ聖堂の拝観を先にします。


157
526年、第24代ラヴェンナ司教聖エクレショ(?、?-ラヴェンナ、534?)によって創建され、547年、マクシミアヌス大司教の時代に完成したビザンチン様式の初期キリスト教会です。


145
1960年、第261代教皇ジョヴァンニ23世(在位:1958-1963)によってBasilica Minoreに叙せられました。


144
中に入りました。


137
クーポラ


138
古いフレスコ画と比較的新しいフレスコ画が混在してます。


188
詳細不知


189
詳細不知


140
モザイクが見所です。


139


141


143


142
床のモザイク
外に出て、ガッラ・プラチーディアの霊廟に向かいます。


146
ガッラ・プラチーディアの霊廟は空いていました。


156
ホノリウス帝の妹で、コンスタンティウス3世の妻エリア・ガッラ・プラチーディア(コンスタンティノープル、388/392-ローマ、450)のよって建設されました。
ローマで死去したエリア・ガッラ・プラチーディアの霊廟であることは確かですが、教会の礼拝堂として建設されたという説もあります。


155
霊廟の入り口です。


147
中に入りました。


148
霊廟内はモザイクで一杯です。


150


151


152


153


136
サン・ヴィターレ聖堂、修道院のキオストロです。


135
次は国立博物館です。


131
国立博物館の建物です。


132
扉が開いてます。


133
入館しましたが、中は写真不可でした。


134
ラヴェンナの写真不可に対する観光方針が理解できません。


158
夜はオペラなので、体力維持のためホテルに戻ることにしました。


159
(おわり)

P2530650
次は市立美術館です。


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サンタ・マリア・イン・ポルト修道院の建物に市立美術館が置かれてます。


071
入館しました。


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モザイクの街ラヴェンナらしく現代のモザイクが展示されてます。


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市立美術館に付いては、項を改めて詳しく触れます。


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グエルチーノの作品です。


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あれっ、グイド・レーニの作品がある。でも少し平板です。
グイド・レーニの名作のコピー画でした。


P2530795
どうしたことか、13世紀から15世紀の作品の展示室が閉鎖されてました。


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部分開館はよくあることですが、ガックリさせられます。


067
外に出ました。


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夜にオペラを観劇するので、時間が余りありません。


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残念ながらサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂に行く時間がありません。


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サンタポッリナーレ・ヌオ―ヴォ聖堂を横に見ながらサン・ヴィターレ聖堂に向かいます。


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サン・ヴィターレ聖堂はチェントロ・ストーリコの北にあるので、チェントロをほぼ横断する形になります。


076
ジュゼッペ・ヴェルディ高等音楽院の建物です。


100
ポポロ広場を経由してサン・ヴィターレ聖堂に向かいます。


101
ガリバルディ広場です。ポポロ広場はガリバルディ広場と繋がってます。


102
ポポロ広場にやってきました。


103
ポポロ広場の端にあるサンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会です。


105
フランチェスコ・フォンターナの設計によって1701年から1728年にかけて建設されたバロック様式の八角形の教会です。


104
この時間は扉が閉まっていましたが、美術的に見所たる作品がないので、気になりません。


106
1288年創建の市庁舎です。


108
市庁舎前に彫刻があります。


107
Residenza Comunale


109
この街でも特に歴史ある広場ですが、古い建物は残っていないようです。


110
時計塔がある建物は、現在銀行が入ってます。


111
旧サン・ドメニコ教会に向かいます。


112
カミッロ・ベンソ・カヴール通り


113
銀行の建物だったと思います。


114
旧サン・ドメニコ教会です。


115
教会の前にパデナ川が流れていたそうです。
教会の歴史は975年に遡りますが、現在の建物は13世紀に建設され、1374年に拡大改造され、さらに18世紀に改修されたものです。


116
現在は、ラヴェンナ市所有の建物となっており、各種展示会などに使用されてます。


117
修道院だった建物は既に解体されました。


118
(つづく)

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次はサンタ・マリア・イン・ポルト聖堂と市立美術館です。


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サンタ・マリア・イン・ポルト聖堂です。


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聖堂の隣に建っているのが、サンタ・マリア・イン・ポルト修道院の建物です。修道院の一部が市立美術館です。


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聖堂と修道院はローマ通りに面してます。通りの先にあるのはポルタ・ヌオーヴァです。


073
ポルタ・ヌオーヴァのこちら側がラヴェンナの城壁内になります。門の先にサンタポッリナーレ・ディ・クラッセ聖堂があります。


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サンタ・マリア・イン・ポルト聖堂修道院の前に広場があります。


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先ずサンタ・マリア・イン・ポルト聖堂です。
ラヴェンナの城壁から東約4㎞のポルト・フオーリ(ラヴェンナのFrazioniの一つ)にサンタ・マリア教会がありました。15世紀、そのサンタ・マリア教会の隣に修道院建設計画が具体化しましたが、当時、ラヴェンナを支配していたヴェネツィア政府は、ポルト・フオーリの修道院建設を許可せず、城壁内に修道院建設するように指示しました。
その指示に基づき、1496年、現在、教会と修道院が建っている場所とその前の広場に建っていた住居が破壊されました。


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そうして、1496年創建され、1509年に完成したのがサンタ・マリア・イン・ポルト修道院です。1511年、当時の教皇ジュリオ2世(第216代教皇、在位:1503-1513)が一時期、この修道院に留まりました。


053
修道院の完成後、直ぐに修道院のための教会が必要とされて、1553年に創建され、1561年に一応、教会としての機能を持つ建物になりました。


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しかし、ファサードや礼拝堂の一部などが未完成でした。


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貴族で建築家のカミッロ・モリ―ジャ伯爵(ラヴェンナ、1743-1795)によって1775年から1784年にかけて建設されたファサードです。


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ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)のファサードの彫刻「慈愛」


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ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)の「ギリシャの聖母」(1689)


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ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)の「希望」


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ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)の「謙虚」


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1797年、ナポレオンの侵略によって修道士は追放され、1798年には修道院と教会が接収され、兵舎に転用されました。
1828年、修道院だけ再開されましたが、1886年に閉鎖されました。
19世紀末に教会が再開され現在に至ってます。


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1960年、教皇ジョヴァンニ23世によってBasilica Minoreに叙せられました。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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右側廊方向


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身廊天井
祭壇画を見て回ります。


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アンドレア・バルビアーニ(ラヴェンナ、1708-1779)の「聖母子と聖ドメニコとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(18世紀)


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左側廊の礼拝堂


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イッポリート・スカルセッラ通称ロ・スカルセッリーノ(フェッラーラ、1550-1620)の「聖ジャコモ・ミノーレの殉教」


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左側廊の礼拝堂です。


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チェーザレ・コルテ(ジェノヴァ、1554-1618)の「アンティオキアの聖マルゲリータの殉教」(16世紀末)


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左側廊の礼拝堂


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フランチェスコ・ロンギ(ラヴェンナ、1544-1618)の「聖母被昇天と聖人たち」


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左側廊の礼拝堂


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エミリオ・タルッフィ(ボローニャ、1633-1696)の「殉教者聖ロレンツォ」


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主祭壇


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誰の作品でしょうか?


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主祭壇前から見たファサード方向


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右側廊の礼拝堂に移ります。


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アンドレア・バルビアーニ(ラヴェンナ、1708-1779)の「聖ウバルド」


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右側廊の礼拝堂


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ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビエーニ(ラヴェンナ、1593-1650)の「聖モニカと4聖女」


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右側廊の礼拝堂


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549-1628)の「聖マルコの殉教」


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「磔刑像」(15世紀)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビアーニ(ラヴェンナ、1593-1650)の「聖カルロ・ボッロメオ」


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右側廊の礼拝堂


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ヴィンチェンツォ・スピサーノ通称ロ・スピサネッリ(オルタ・サン・ジュリオ、1595-ボローニャ、1622)の「幼児を救う守護天使」


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制作者情報不知の「受胎告知」


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制作者情報不知の「大天使聖ミケーレ」


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詳細不知


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詳細不知のフレスコ画


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「ラヴェンナのギリシャのマドンナ」(431以前)
これは有名な浮彫です。1100年、ラヴェンナに齎せました。


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詳細不知のイコン


068
外に出ました。
(つづく)

P2530591
サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂です。
ゴート族のテオドリック王(パノニア、454-ラヴェンナ、526)によって、王自身が使用する応急教会として、505年に創建されたパラティーナ教会が前身です。


085
540年、ビザンチン帝国によってラヴェンナは征服され、同帝国のユスティニアヌス1世皇帝(482-565)によってカトリック教会になることが命じられました。それに伴い、カトリック信仰の擁護者であり、反異端の聖人サン・マルティーノ・ディ・トゥールに捧げる教会となり、サン・マルティーノ聖堂に改称されました。
725年の大地震によって後陣が崩落してしまい、後陣のモザイクは失われました。


084
聖アポリナーレ・ディ・ラヴェンナ(アンティオキア、1世紀-クラッセ、2世紀)の聖遺物は、6世紀に建設されたサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂に置かれていましたが。クラッセ聖堂は海岸に近い場所にありました。9世紀になると、海賊の脅威が増して、聖遺物が海賊に奪われたり、破壊されるのを恐れて、聖遺物を内陸にあるサン・マルティーノ聖堂に移すことになりました。それに伴い、奉じる聖人が聖マルティーノから聖アポリナーレに変更され、教会の名称がサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂と改称されたのです。


086
第一次世界大戦の爆撃によって、ファサードとファサード前の柱廊が破壊されたので、20世紀に修復され現在の姿になりました。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、バジリカ様式の内部です。


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信者席がありません。現役の宗教施設ではなく、恐らく観光用Museo扱いの施設と思います。


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18世紀に修復された天井


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新しそうな柱頭


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ユスティニアヌス1世のモザイク


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コリント式列柱の上部左壁のモザイクから見て行きます。


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左壁のモザイクのテーマは「東方三賢王と22人の聖女たちが聖母子に貢物を捧げる図」です。


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説教壇


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東方三賢王


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聖母子と天使たち


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主祭壇


093
後陣のモザイクは、725年の地震によってすべて失われました。


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詳細不知の主祭壇画


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右壁のモザイクに移ります。


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右壁のモザイクのテーマは「貢物を手にした26人の殉教者がテオドリック王の宮殿からキリストの元に向かう図」です。


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新しそうな柱頭


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左側廊


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聖母の礼拝堂


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詳細不知の聖母子


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知のフレスコ画


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右側廊


095


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キオストロ回廊に出ました。


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098


099
外に出ました。
(つづく)

P2530550
そろそろ昼食時です。


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それ程モザイクが好きという訳ではないので、頻繁にラヴェンナに来ていませんが、それでも行けば必ず食べる店があります。夜はオペラなので、夕食は適当に済ます予定ということで、昼食はそこで食べます。


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Palazzo di Teodoricoです。


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この時間は扉が閉まっているので、Palazzo di Teodoricoの見学は昼食後にします。


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サンタポッリナーレ聖堂の鐘楼です。


P2530555
サンタポッリナーレ聖堂の拝観も昼食後にしました。


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ここのモザイクはゆっくりと鑑賞すべきです。


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昼食の場所は広場に面した通りにあります。
写真右がアリアーニ洗礼堂、写真正面がスピリト・サント教会です。


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アリアーニ通りです。


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アリアーニ通りに面したオステリアに入りました。


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腹一杯になりました。
アリアーニ洗礼堂が開く時間を待って外に出ました。


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スピリト・サント教会は閉まっていました。


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テオドリック(パノニア、454-ラヴェンナ、526)によって6世紀に着工され、526年に奉献されたアーリア人の司教座教会が前身です。


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その司教座教会の洗礼堂がアリアーニ洗礼堂です。


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礼拝堂は5世紀後半に着工され、6世紀前半に完成しました。


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アリアーニ洗礼堂はラヴェンナ共通券の対象外となってます。


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切符は係員から買います。係員がいない時は、コインを入れて入場します。
アリアーニ洗礼堂は、現在の地表よりも2.25m下にあります。


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中に入りました。
現存するモザイクは天井だけです。


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天井のモザイク


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077
次はPalazzo di Teodoricoです。


078
伝統的にテオドリック宮殿と呼ばれてますが、7世紀から8世紀の建造物とされており、テオドリック(パノニア、454-ラヴェンナ、526)の死後に建設されたので、テオドリックとは直接関係がないというのが定説となってます。


079
テオドリック宮殿の中に入りました。


080
16世紀初頭に破壊されたサン・サルヴァトーレ・アド・カルキ教会の残骸という説もあるようです。


081
1950年から約10年間に行われた考古学的調査でも説得力がある結論には至らず、何の建物であったのか、よく分からないようです。


082
塔でしょうか? それとも鐘楼でしょうか?


083
(つづく)

160
次は大司教博物館とネオニアーノ洗礼堂です。


176
先ず大司教博物館です。


174
非常に興味深い博物館です。


175
入館しましたが、相変わらず中は写真不可でした。


P2530466
写真を撮ったら、品質劣化など問題になるような展示作品はなかったように思います。
サンタンドレア礼拝堂が見所でしょう。


184
外部サイトから拝借したサンタンドレア礼拝堂の写真です。


185
写真不可は事大主義の賜物でしょうね。


P2530468
次はネオニアーノ洗礼堂です。


173
402年、西ローマ帝国のホノリウス帝は、西ローマ帝国の首都をミラノからラヴェンナに遷都しました。それに伴って首都に相応しい教会として、ウルシアナ大聖堂が建設されましたが、ウルシアナ大聖堂の洗礼堂として5世紀初頭に創建され、450年頃に完成したのがビザンチン様式のネオニアーノ洗礼堂です。


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中に入ろうとしたら、急にグループのご一行様が。


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ご一行様が立ち去るのを待って中に入りました。


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天井のモザイク


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モザイクは458年頃完成したそうです。


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このモザイクの人物表現は普通ですが、12-13頭身で目が異様に大きい人物には閉口します。


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上ばかり見ていたので首が痛くなりました。


172
外に出ました。


P2530537
ジョン・F・ケネディ広場です。


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ケネディ大統領はイタリアで人気のようで、通りや広場の名称になってます。


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ラヴェンナ名物のモザイクの通りの表示板


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P2530541
9月20日広場です。


P2530542
9月20日は広場や通りの名称になってますが、1870年9月20日イタリア王国軍がローマを攻略すると共にヴァティカンの世俗権と教皇領を奪ったことに因んでます。ローマはイタリア王国に併合され、首都になったのです。9月20日はイタリア統一運動における記念日です。


P2530543
歴史的建造物です。


P2530544


P2530545
歴史的建造物です。


P2530546


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P2530549
(つづく)

P2530462
Piazza Caduti per La Libertaから見たPalazzo della Provinciaです。


046
マッツイーニ通りを進んで、サンタガタ・マッジョーレ聖堂に向かいました。


047
ここはパスしました。


049
サンタガタ・マッジョーレ聖堂です。


051
5世紀に建設され、16世紀に増設、改造されました。現存する鐘楼は1560年に建設されました。


048
16世紀の改造後、ファサード前に教会と無関係の店舗などが建設されてしまいました。
また、1688年の大地震によって、内部のモザイクがすべて失われました。


050
1913年から1918年に行われた修復の際、ファサード前の店舗などが取り壊され、元に近い姿に戻されました。
1944年、第二次世界大戦の米英軍の爆撃によって、建物の大部分が崩落してしまいました。現在の姿は1980年台に行われた修復後のものです。


052
聖堂内に入りました。
三廊式、バジリカ様式の内部です。修復が相次いで元の姿とはかなり離れていると言われてます。
美術的に見るべきものは限定されていると思います。


178


181
アンドレア・バルビアーニ(ラヴェンナ、1708-1779)の「聖ルチアと聖アポッロニア」
「聖母子」の制作者は不知です。


179


183
ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビアーニ(ラヴェンナ、1593-1650)の「天上の聖母子と聖ピエトロと聖マリア・マッダレーナ」


180


182
ルカ・ロンギ(ラヴェンナ、1507-1580)の「聖アガタ(中央)とアレッサンドリアの聖カテリーナ(左)と聖チェチリア(右)」(1546)


P2530463
ドゥオーモのクーポラが見えてます。


P2530464
ファサード側に回ります。


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ラヴェンナのドゥオーモ、Cattedrale Metropolitana della Risurrezione di Nostro Signore Gesu Cristoです。ラヴェンナ=チェルヴィア大司教区の大司教座教会です。


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402年、西ローマ帝国のホノリウス帝(コンスタンチノープル、384-ラヴェンナ、423)がラヴェンナに遷都しましたが、それ機に首都の中心教会として建設されたのがBasilica Ursianaです。


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円筒形の鐘楼は10世紀に建設されました。


P2530493
1727年、ラヴェンナ大司教に叙せられたマッフェオ・ニコロ・ファルセッティ大司教は、古い建物ではなくバロック様式の建物の建設を決め、1734年に創建され、1745年に完成した建物が現在の姿の原形です。


P2530506
しかし、11年の短期間で建設された建物の構造的な欠陥が問題となり、1772年から1774年の新古典様式に改造改修されました。


P2530490
クーポラはバロック様式の八角形でしたが、1780年から1782年に現在の新古典様式に改造されました。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


P2530509
右側廊方向


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味気ない天井の装飾
祭壇画を見て行きます。


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ジャン=バティスト・ウィカル(フランス、リール、1762-ローマ、1834)の「天上のキリストとパドヴァの聖アントニオと聖ジャコモ・マッジョーレ」


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フィリッポ・パスクゥアーリ(フォルリ、1651-1697)の「聖アポリナーレをラヴェンナに派遣する聖ピエトロ」


P2530517
Cappella Aldobrandini


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「マナを収集するモーゼ」


P2530520
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)とジョヴァン・フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588-1649)によるCappella Aldobrandiniの天井フレスコ画


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主祭壇


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5世紀のモザイク


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Cappella di San Pier Crisologo


P2530528
ジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716?-チェゼーナ、1798)の「聖ピエル・クリソロゴと聖ロムアルドと聖ダミアーノ」


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Cappella di San Cristoforo


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アントニオ・ロッシ(ボローニャ、1700-1753)の「聖クリストフォロ」


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祭壇をもう一度見てから外に出ます。
洗礼堂は拝観有料なので切符が必要です。


161
ドゥオーモ横にあるサンタ・ジュスティーナ教会を先に見ます。


P2530502
1747年から1750年に建設されたバロック様式の教会です。


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扉が開いていたので拝観します。


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中に入りました。


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P2530500
ドメニコ・バルビアーニ(ラヴェンナ、1714-1777)の「聖母の聖心」


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主祭壇画はフランチェスコ・ロンギ(ラヴェンナ、1544-1618)の「天上の聖母子と2聖人」


162
(つづく)

P2530430
アニータ・ガリバルディ(ブラジル、1821-ラヴェンナ、1849)のモニュメント
アニータは、ジュゼッペ・ガリバルディの妻でした。


P2530431
Via Angelo Mariani


P2530432
ボローニャ大学のラヴェンナ分校がある通りです。


P2530433
ボローニャ大学となっているPalazzo Corradiniです。


P2530434
市立ダンテ・アリギエーリ劇場です。


P2530437
1852年に建設されました。


024
この日の夜に上演される、モーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」の切符を受け取りました。ネットで予約していました。


026
ラヴェンナに来た目的はオペラが優先で、モザイク鑑賞ではありません。


P2530436
劇場が面しているガリバルディ広場です。


023
ガリバルディ広場に面して建つ郵便局の建物(写真右)です。


022
Piazza Luigi Einaudiにある古そうに見える建物ですが、調べたものの分かりませんでした。このレストランが破綻したので、近年入札されたようです。


P2530438
ダンテの墓に向かいます。


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ダンテの墓は混雑してました。


P2530448
ファサードにあるゴンザーガ家の紋章
ゴンザーガ家の紋章がどうしてダンテの墓のファサードにあるのか、不思議に思いませんか?
現在のダンテの墓の経緯を知ると、ゴンザーガ家の紋章がある理由が分かります。


031
ダンテ・アリギエーリ(フィレンツェ、1265-ラヴェンナ、1321)は、政争に敗れてフィレンツェから追放され各地で亡命生活を送りましたが、1318年頃からラヴェンナに居を構えました。1321年、ラヴェンナの外交特使としてヴェネツィアに派遣されましたが、その帰路の途中でマラリアに罹患して、ラヴェンナに帰還すると直ぐに没してしまいました。
同年、サン・フランチェスコ教会で葬儀が行われ、教会内に葬られました。
その後、ダンテの廟を作るべきとの計画が数度持ち上がりましたが、実現しませんでした。
新古典様式のダンテの墓は、ゴンザーガ家出身のルイージ・ヴァレンティ・ゴンザーガ枢機卿(ロヴェレード・ディ・グア、1725-ローマ、1808)の指示によって、漸く1780年から1781年に建設されたのです。
墓が開くのを待って中に入りました。


P2530443
美術的な見所は特にないと思います。


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天井


035
絶えることがない灯明です。燈明の油はフィレンツェから奉納され続けているそうです。


034


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次は旧サン・フランチェスコ修道院(写真右の建物)です。


030
ダンテの墓の横にある入り口です。


027
旧サン・フランチェスコ修道院です。


028
1261年、この場所にフランチェスコ会によって修道院が建設されました。


029
15世紀に再建された二代目の建物が17世紀に現在の姿に改造されました。


P2530440
キオストロ回廊にフレスコ画があったと思われますが、殆ど残されていません。


P2530449
Palazzo della Provinciaです。


040
この場所には、17世紀に建設されたラスポーニ家の邸宅がありました。ラスポーニ家住居は、1886年にホテルに転用されました。


039
しかし、1922年、ホテルは火災によって完全に消失してしまいました。ラヴェンナ市当局が土地を買い上げ、1926年から1928年に再建されたのが現在の建物です。


038
建物内に観光案内所があります。


037
次はサン・フランチェスコ聖堂です。


P2530450
450年頃にラヴェンナ司教によって建設されたアポストリ教会が前身です。
最初の建物は9世紀中頃に解体され、その上に新しい建物が再建されることになりました。9世紀中頃から10世紀に建設された二代目の建物が現在の姿の原形です。
1261年、フランチェスコ会の所有となりましたが、それに伴い呼称がサン・フランチェスコ教会に変更されました。


045
17世紀から18世紀にかけて繰り返し修復、改造が行われました。


P2530451
1918年から1919年に行われた修復の際、出来るだけ元の姿に戻すように努力されたそうです。その結果、現在の姿になりましたが、二代目の建物の完成時の姿とはかなり違うという説があるようです。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、縦46.5m


P2530456
構造自体は古典的ですが、1918年に行われた修復の結果、かなり新しく見えます。


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修復された天井


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ピエトロ・ダ・リミニ(リミニ、?-1345c)のフレスコ画(14世紀)


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哲学者たちの石棺(3世紀)


043
詳細不知の祭壇画


044
16世紀のフレスコ画


042
クリプタに立ち入ることが出来ませんでした。
外に出ます。


P2530452
ファサード前に置かれた石棺
(つづく)

ラヴェンナは、人口157,630人(2019年5月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県の県都です。
P2530384
この日は、フェッラーラ駅から鉄道でラヴェンナに向かいました。


P2530385
フェッラーラは濃霧でした。


P2530386
列車はかなり空いてました。


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定刻にラヴェンナ駅に到着しました。


P2530389
ラヴェンナ駅の駅舎です。
駅横にある、この日のお宿に向かいます。


P2530390
この日のお宿です。お勧めしません。


007
駅前広場です。先ず駅近くにある教会を拝観します。


009
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会です。


P2530394
エリア・ガッラ・プラチディアの指示によって、425年から434年に建設された初期キリスト教会が母体です。11世紀にロマネスク様式に改修され、14世紀にゴシック様式に改造されました。
第二次世界大戦中に米英軍の爆撃を受け崩落したので、戦後に大改修されました。


P2530395
門があります。


019
門の彫刻


P2530396


010
門を潜ってファサードに出ました。


018
ファサード前から見た門です。


177
高さ42mの鐘楼


P2530397
中に入りました。


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三廊式、バジリカ様式の内部です。


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第二次世界大戦後に大修復されたので新しく見えます。


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木製ではないような・・・・・ 天井です。


P2530401
第二次世界大戦後に造られた?柱頭です。


P2530402
ファサード裏にカルロ・ボノーニの傑作があります。


P2530405
カルロ・ボノーニ(フェッラーラ、1569-1632)の「アハシュエロスの饗宴」(1620c)


014
モザイクが壁に掲げられてます。


015
モザイクの一部のテーマは第4次十字軍(1202-1204)となってます。


016


017


P2530406
1213年に制作されたモザイクです。その後、何時しか埋もれてしまい、その存在が忘れられていましたが、1736年に発見されました。
1747年に剥ぎ取られ、左右の壁に置かれるようになりました。


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保存状態があまり良くないフレスコ画があります。


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リミニの逸名画家によって14世紀に制作されたフレスコ画


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ヴェネト=スラヴ製のイコン「授乳の聖母」(15世紀後半)


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020
外に出ました。
(つづく)

P2880203
パオロ・アッリ(アスティ、1868-1939)の「レオネット・オットレンギの肖像」(19世紀第4四半世紀)
パオロ・アッリはミケランジェロ・ピッタトーレの弟子です。


P2880207
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「エリア・モイーゼ・クラヴァの肖像」(1863)


P2880210
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「エリア・モイーゼ・クラヴァの妻の肖像」(1865)


P2880212
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「ラッファエーレ・デベネデッティの肖像」(1867)


P2880215
次の部屋です。


P2880217
ジュゼッペ・マンツォーネ(アスティ、1887-トリノ、1983)の「パオリーナ・モンド・タリッコの肖像」(1915c)


P2880220
ジュゼッペ・マンツォーネ(アスティ、1887-トリノ、1983)の「女性の肖像」(1912)


P2880222
ジュゼッペ・マンツォーネ(アスティ、1887-トリノ、1983)の「年輩の男の肖像」(1914)


P2880226
ジュゼッペ・マンツォーネ(アスティ、1887-トリノ、1983)の「年輩の女性の肖像」(1915)


P2880228
レオナルド・ビストルフィ(カザーレ・モンフェッラート、1859-トリノ、1933)の「磔刑」(1901以降)


P2880231
ジュゼッペ・マンツォーネ(アスティ、1887-トリノ、1983)の「静物画」(1912)


P2880233
パオロ・アッリ(アスティ、1868-1939)の「ジュゼッペ・マンツォーネの肖像」(1906)


P2880235
ジュゼッペ・マンツォーネ(アスティ、1887-トリノ、1983)の「老婆の肖像」(1910)


P2880237
ジョヴァンニ・ロヴェーロ(アスティ、1885-サヴォーナ、1971)の「母と子供」(1912)


P2880239
ジョヴァンニ・ロヴェーロ(アスティ、1885-サヴォーナ、1971)の「若い女性と子供」(1910)


P2880241
ルイージ・オネッティ(1876-1968)の「リンダ・ロベッキ・オネッティの肖像」(1916)


P2880243
ルイージ・オネッティ(1876-1968)の「ジャチンタ・キオッティ・オネッティの肖像」(1914)


P2880245
アンドレア・ピスタリーノ(アレッサンドリア、1897-トリノ、1960)の「私の母」(1926c)


P2880247
中2階の展示室に向かいます。


P2880248
作品紹介を省略させて頂きます。


P2880249
作品紹介を省略させて頂きます。


P2880250
作品紹介を省略させて頂きます。


P1290396
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551-ミラノ、1629)の「キリストの洗礼」(1595-1600c)


P1290397
ジャコモ・パラヴィチーノ(チーヴォ、1660-ミラノ、1729)の「羊飼いの礼拝」


P1290398
パオロ・パガーニ(ヴァルソルダ、1665-ミラノ、1716)の「聖家族」(1705-10c)


P1290399
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1603-パローディ・リーグレ、1684)の「聖体拝領の勝利と聖チェチリア」


P1290400
ジョヴァンニ・パオロ・チェルヴェット(ジェノヴァ、1630-1657)の「三位一体と聖人たち」(1652c)


P1290401
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1603-パローディ・リーグレ、1684)の「聖体拝領の勝利と偶像崇拝」(1670-80)


P1290531
グリエルモ・カッチャ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の「ロザリオの聖母」


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裾絵


P1290533


P1290534


P1290525
フラーヴィオ・エヴァン・マルティノッティ(モンテマーニョ、1636-1694)の「アヴィーラの聖テレーザと聖ジョヴァンニ・デッラ・クローチェ」(1680-85c)


P1290528
ジョヴァンニ・バルトロメオ・カラヴォーリア(トリノ、1615c-1691)の「聖家族と聖ジョアッキーノと聖アンナ」(1662-63)


P1290537
バルトロメオ・ペリッツァ(アスティ、1597-1622)の「ロザリオの聖母と聖人たちと信者たち」(1590-96c)


P1290540
バルトロメオ・ペリッツァ(アスティ、1597-1622)?の「使徒たちの問答」(1590-1600c)


P1290543
ジョヴァンニ・バルトロメオ・カラヴォーリア(トリノ、1615c-1691)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1663-67)


P1290546
アンドレア・ポッツォ(トレント、1642-ウィーン、1709)の「聖フランチェスコ・ザヴィエルの死」(1675-76)


P1290549
ピエトロ・パオリーニ(ルッカ、1603-1681)の「オロパのベアータ・ヴェルジネと聖エレーナと聖エウセビオとジャコモ・ゴリア司教」(1650-52)


P1290423
ジョヴァンニ・カリアーニの「スザンナを弁護するダニエーレ」(1625-30c)


P1290426
ハンス・メムリンク(ゼ―リンゲンシュタット、1430-ブルージュ、1494)の「キリストの鞭打ち」
これで終わりです。


P2880252
外に出ました。
(おわり)

P2880105
ピエモンテの逸名画家作「塙の中のシュラウド」(18世紀前半)


P2880108
オクタヴィアヌス・モンフォルト(ピエモンテ、1646-1696消息)の「果物と野菜の静物画」(17世紀中頃)


P2880109
オクタヴィアヌス・モンフォルト(ピエモンテ、1646-1696消息)の「果物と花とロブスターの静物画」(17世紀中頃)


P2880112
オクタヴィアヌス・モンフォルト(ピエモンテ、1646-1696消息)の「果物と花の静物画」(17世紀中頃)


P2880113
オクタヴィアヌス・モンフォルト(ピエモンテ、1646-1696消息)の「果物と野菜とロブスターの静物画」(17世紀中頃)


P2880117
シピオーネ・チニャローリ(ミラノ、1715-トリノ、1766)の「湖の風景」(1740c)


P2880120
1階(日本の2階)は終わりです。2階(日本の3階)に向かいます。


P2880121
エレベーターに乗らず階段を上りました。


P2880122
中2階がありますが、この階段では中2階に行けないようです。


P2880123
かなり戸惑う展示室です。


P2880124
フランチェスコ・アイエツ(ヴェネツィア、1791-ミラノ、1882)の「ルツ」(1853以降)


P2880126
紙に描かれた水彩画です。


P2880129
ジョヴァンニ・ミリアーラ(アレッサンドリア、1785-ミラノ、1837)の「アスティ・ドゥオーモ側面の景観」(1830-40c)


P2880131
次の部屋です。
アスティが生んだ19世紀の天才画家ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の作品が展示されてます。


P2880133
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「自画像」(1845c)


P2880134


P2880135
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「母の肖像」


P2880138
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「父セバスティアーノの肖像」(1852)


P2880140
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「寓意」(1848)


P2880144
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「静物画」(1850)


P2880148
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「バルバラ・グリエル三ネッティ・ポルチェッリの肖像」(1856)


P2880151
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「セバスティアーノ・ポルチェッリの肖像」(1856)


P2880154
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「フィリッポ・ブランビッラの肖像」(1860)


P2880157
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「カテリーナ・ベッカーロ・ブランビッラの肖像」(1860)


P2880160
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「ステファノ・ボスキエーロの肖像」(1873)


P2880163
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「ジュゼッペ・タリッコの肖像」(1895)


P2880166
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ・フェッラ―ロの肖像」(1880)


P2880168
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「マルチェッリ―ナ・ソルバ・マルティンの肖像」(1890)


P2880171
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「マリア・テルツゥオーロ・ヴォリオーロ」(1888)


P2880174
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「ジョヴァンニ・マッテオ・パルミエーロの肖像」(1879)


P2880177
ミケランジェロ・ピッタトーレの作品が続きます。


P2880179
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「トラステヴェレの男の肖像」(1853-55)


P2880182
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「聖ピエトロ」(1852-55)


P2880185
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「ジュゼッペ・ピコッティの肖像」(1859)


P2880188
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「ドメニカ・ジェルビの肖像」(1877)


P2880190
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「窓の女」(1870-80)


P2880194
ルドルフ・レーマン(1819-1905)の「ミケランジェロ・ピッタトーレの肖像」(1874)


P2880197
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「乞食としての自画像」(1894)


P2880199
ミケランジェロ・ピッタトーレ(アスティ、1825-1903)の「Via Crucis」(19世紀末)


P2880200


P2880201
(つづく)

P2880006
次の部屋です。


P2880008
アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の作品です。


P2880010
アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の作品です。


P2880014
アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の作品です。
題名は全部違いますが、私の目には同じ作品にしか見えないので、題名は省略です。


P2880016
アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の作品です。
ブレませんね。


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アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の作品です。
趣が多少違います。


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詳細不知


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ピエモンテ製の「輿」(18世紀後半)


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次の部屋です。


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制作者情報不知の天井のスタッコ彫刻とフレスコ画


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詳細不知


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詳細不知


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ピエモンテ製のテーブルと椅子(18世紀)


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オーガー・ルーカス(パリ、1685-1765)の「詩の寓意」


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オーガー・ルーカス(パリ、1685-1765)の「香り」


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ロンバルド製「整理箪笥」(18世紀第2四半世紀)


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アウグスト・ケルフルト(ドイツ、1696-ウィーン、1761)の「狩猟中の休息」


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アウグスト・ケルフルト(ドイツ、1696-ウィーン、1761)の「騎馬の婦人がいる風景」


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次の部屋です。


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アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の「目の見える人」(1972-73)


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アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の「Senza titolo」(1979)


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アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の作品です。


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アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の作品です。


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アリギエーロ・ボエッティ(トリノ、1940-ローマ、1994)の作品です。


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次は、Sala delle Grandi Tele 大きなキャンバス絵の間です。


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ロンバルドの逸名画家作「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」(17世紀後半)


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光るので角度を変えて撮ってみました。


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ピエトロ・ラヴェーリア(パリ、1625-アスティ、1675)とジョヴァンニ・アントニオ・ラヴェーリア(アスティ、1658-1710以降没)の「ブルボア川沿いのキリストと使徒たち」(1671c)
ジョヴァンニ・アントニオはピエトロの息子です。


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ジャン・カルロ・アリベルティ(カネッリ、1670-アスティ、1727)の「聖アンナと聖カルロ・ボッロメオと聖クリスティーナ」(1716-17)


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ロンバルドの逸名画家作「エジプトへの逃避途中の休息」(18世紀初め)


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ロンバルドの逸名画家作「聖ジュゼッペの死」(18世紀初め)


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オルソラ・マッダレーナ・カッチャ(モンカルヴォ、1600c-1676)の「救世主」(17世紀中頃)


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次の部屋です。


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Alcova (壁の奥に造った寝室)


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スタッコ彫刻(1684)


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天井のフレスコ画は、アナクレート・ラレット(グラ―ナ、1874-アスティ、1950)の「愛によって戴冠したフローラ」(1939)


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逸名画家作「セレーネとエンディミオン」(17世紀後半)


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貴重品箱(17世紀後半)


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コルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592-ローマ、1667)工房作「狩猟中の休息」(17世紀第2四半世紀)


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ジェノヴァの逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(17世紀中頃)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カステッロ(ジェノヴァ、1547c-1639)の「キリストの洗礼」(1625)


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ヴェネトの逸名画家作「磔刑と聖マリア・マッダレーナ」(16世紀末)


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クレタ=ヴェネツィアの逸名画家作「マギの礼拝」(18世紀)


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(つづく)

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