イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

2020年12月

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Via delle Belle Artiです。


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これ以上歩いてもVia delle Belle Artiには見所がありません。Via Zamboniの方が見所が豊富です。


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見所豊富なVia Zamboniです。


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ボローニャ貴族ポッジ家の邸宅として、1549年から1560年に建設されたPalazzo Poggiです。


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Palazzo Poggiは、ボローニャ大学の本部となっている他、幾つかのMuseoがあります。


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Museoに入館するためにPalazzo Poggiの階段を上りました。


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ところが、開館日の筈でしたが、何故か休館になってました。


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突発的な臨時休館はイタリアでは時々起きるので、驚くことではありませんが、予定が狂いました。


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Via Zamboniを挟んでPalazzo Poggiの向かいに、ボローニャ大学芸術学部の建物があります。


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芸術学部がある建物の壁に絵画があります。学生が描いた?


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面白いので暫し鑑賞。


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ボローニャ大学の学舎が並んでる通りです。


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Via Zamboniの先にサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂があります。


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写真右のTeatro Comunaleに用事がありました。オペラの切符をネットで予約したので、切符を受け取ります。


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ヴェルディ広場


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1651年に建設されたマルヴェッツィ劇場が1745年に消失してしまったので、建築家アントニオ・ガッリ・ビビエーナ(1697-1774)の設計によって建築され、1763年にオープンしたボローニャ市立劇場です。


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ボローニャ歌劇場の本拠地です。


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特にモーツァルトのダ・ポンテ三部作が魅力的な歌劇場と思います。


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受け取った切符はコジ・ファン・トゥッテです。ナポリのサン・カルロ劇場で見た演出と同じでした。


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ボローニャ歌劇場は来日引っ越し公演をしたことがあります。


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夏の強烈日差しが、先ほど降った雨に濡れた道路を乾かして、大変な高湿度、高温となりました。


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Via Zamboniとヴェルディ広場を挟んで、市立劇場の向かいにある建物(旧べンティヴォーリオ厩舎)に描かれたフレスコ画が必見です。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・スピーニの「ピエタ」(1698)です。


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ボローニャでは、このような案内板が完備されています。


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次はサンタ・チェチリア祈祷所です。


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サンタ・チェチリア祈祷所の入り口は、サン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂横のロッジャにあります。


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サンタ・チェチリア祈祷所の入り口上に案内表示があるので、迷うことはないと思います。


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サンタ・チェチリア祈祷所に入って行く人がいました。


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中に入りました。ポルティコの壁にフレスコ画があります。


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写真右の赤い幕がある所が祈祷所の入り口です。


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オラトリオのポルティコの壁に描かれたフレスコ画を見ます。


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アミーコ・アスペルティーニの弟子によって描かれた部分がありますが、ポルティコのフレスコ画の作品帰属は明確になっていないようです。


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父なる神


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聖チェチリア


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保存状態があまり良くない部分


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祈祷所の中に入ります。中は写真不可です。


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祈祷所の外から撮った祈祷所内部の写真です。


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祈祷所の祭壇画は、フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「磔刑」です。
写真不可にも拘らず、外部サイトに祈祷所内部の写真があるのが不可思議(私が日本人とみて侮られていたのでしょう、私の写真は一枚もありません)ですが、ここは必見なので、それらの写真を無断拝借して(その3)に掲載することにしましょう。


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外に出ました。
(つづく)

大変な一年が過ぎようとしています。
今年は、ベートーヴェン生誕250年にあたり、演奏会に行く予定でしたが、コロナのために実現しませんでした。
ヴェネツィアのカーニバルが途中で中止され、封鎖された時には、今年の秋には何とかなるだろうと楽観視していました。見通しの甘さを痛感しています。
イタリアが遠くなる一方ですね。イタリアが身近に感じられずに、記事を書いている毎日です。
本年もお付き合いいただき有難うございます。
来年もどうぞよろしくお願い致します。

ボローニャは、人口392,696人(2019年11月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州の州都であり、同州ボローニャ県の県都です。
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前泊地がカステッラルクア―トだったので、最寄り駅のフィオレンツォ―ラ駅から列車でボローニャに向かいました。フィオレンツォ―ラ駅は、ピアチェンツァ~パルマ間にある快速列車が停車する駅です。


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フィオレンツォ―ラ駅を定時に発車しました。


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フィオレンツォ―ラ駅を発車した時、車内は写真のように空いてましたが、パルマ、レッジョ・エミリア、モデナで乗車する人が多く、ボローニャ手前ではほぼ満員状態になりました。


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快速列車なので、地上駅に到着しました。特急列車は大体地下駅の発着となるので、地上に上がるまで時間がかかります。


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ボローニャは、美術的な見所が満載なので、毎年来ています。


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ボローニャ駅の駅舎です。


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この時は、駅前の写真左のホテルにしました。飛行機利用の場合、必ずこのホテルに泊まることにしています。


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荷物をホテルに預けてから、街歩きに出発しました。午前中にも拘らず雷鳴が聞こえてきました。晴れていたと思っていたのですが、ホテルから外に出ると、空は黒い雲に覆われていました。


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市域の拡大によって、城壁が拡張されましたが、第3の城壁に築かれたガッリエラ門です。


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私には教会のように見えます。恥ずかしながら、初めてボローニャに来た時、門と思わず教会の建物と思ってました。


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1200年頃に建設されたガッリエラ門は、戦争、紛争などで破壊、再建を繰り返しました。現在、見ることが出来るバロック様式のガッリエラ門は、1660年から1663年に建設されました。


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門の後方にガッリエラ城の遺跡があります。


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ボローニャに来たならば、真っ先に目指すのは国立絵画館です。


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国立絵画館は、開館日時が頻繁に変更されるので、要注意です。


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この時は、曜日によって午前のみ、午後のみの開館となっていて、ゆっくり鑑賞したい私としては困りものの絵画館となっていました。一回の旅で、絵画館に二回入館して写真を撮る日と鑑賞だけする日に分けているのが常でしたが、ボローニャ絵画館だけは、それが叶いませんでした。
展示作品が多いので、午前中に全作品の写真を撮るには時間が足りず無理でした。鑑賞も同じでした。
だから、一回のボローニャの旅で、写真撮るために2日、鑑賞するために2日、計4日必要だったのです。


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雷鳴が近くなると、やがて雨が降ってきました。


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ポルティコがどこまでも続くボローニャなので、急な雨でも歩き回るには支障がありません。


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恐らく教会だった建物と思いますが、詳しいことが分かりません。


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幸いにも雨が上がりましたが、雷鳴がまだ聞こえてきます。


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赤い煉瓦に染まる街ボローニャです。


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切りピザ店に立ち寄り、一切れ買い求めて食べながら国立絵画館へと急ぎました。閉館の午後2時まで頑張らないといけないので、エネルギー補給が必要でした。


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大学生が多いですね。イタリアの大学は、入学は容易、卒業は難しいと言われてます。
私が大学を卒業したのは、半世紀以上前ですが、勉強させられました。理工系でしたが、午後1時から実験が始まって、終わるのが午後9時過ぎ、自宅で実験レポートを書いて、それを15週やって僅か1単位でした。製図は、自宅で数日かけて仕上げて、15週かけて15点の墨入れ製図を提出して僅か1単位。卒業は、文科系も理工系も同じ124単位以上でしたから、割に合いませんね。


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ぽつぽつと雨が落ちてきました。


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夏でしたが、アルプスからの寒気が強くて、天気が安定しません。


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柱廊の突き当りを右折すれば、絵画館です。


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絵画館の建物です。雲の切れ間から強い日差しが照り付けてきました。


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国立絵画館にやってきました。強い日差しによって、雨に濡れた道路から水分が蒸発して、大変な湿気でした。


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入館しました。


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ボローニャの国立絵画館については、既に取り上げました。ご興味のある方はご参照願います。


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この絵画館の特徴はボローニャ派絵画の殿堂であることでしょう。日本では、ボローニャ派絵画はあまり人気がないように思えるのですが、如何でしょうか?


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グイド・レーニの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


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アンニーバレ・カッラッチの作品


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グエルチーノの作品


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ドメニキーノの作品


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グエルチーノの作品


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途中で時間切れとなってしまいました。


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国立絵画館のパラッツォの中庭


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私が外に出るのを待ってます。


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閉館の30分くらい前に、係員から「そろそろ閉館の時間です」と言われます。


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閉館時間の10分前に外に出たら、すぐに扉が閉まりました。私が最終入館者だったようです。


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大勢の学生が絵画館がある建物の柱廊で座り込んでいました。


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直ぐに大粒の雨が落ちてきました。


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雨宿りを兼ねて、サンタ・マリア・マッダレーナ教会向かいにあるカフェで学生たちと昼食をともに。


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食べているうちに俄雨が上がりました。
(つづく)

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日曜朝のポポロ広場は静寂に包まれていました。
前日は、青空市のため、ポポロ広場全体の写真を撮れなかったが快晴でした。この日は、今にも雨が降り出しそうな悪天でしたが、広場全体の写真を撮れました。


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ポポロ広場に面して建つサンティ・アンナ・エ・ジョアッキーノ教会です。


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建築家ジャコモ・サッシ・ファッブリによって1663年に建設された教会です。中にクリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の祭壇画、フレスコ画があるようです。
観光案内所に事前リクエストをすれば、中に入ることが出来るようです。


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次はマラテスティアーナ要塞です。


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写真左にマラテスティアーナ要塞に通じる門があります。


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要塞への門が開いてました。


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現在の要塞は三代目です。


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門前から見たポポロ広場です。


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要塞への坂道を上り始めました。


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現在の要塞の西方にサヴィオ川が流れてますが、現在の要塞よりも西側にローマ時代後期に建設された”Castrum Romanum"がありましたが、その遺跡の上に”Rocca Antica"と呼ばれる最初の要塞が建設されました。


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”Rocca Antica"は、1000年頃のサヴィオ川の洪水によって起きた崖崩れで破壊されてしまいました。その後、”Rocca Antica”よりもサヴィオ川の稍々下流の丘に二番目の要塞”Rocca Vecchia"が建設されました。二番目の要塞にフェデリーコ・バルバロッサ(1122-1190)が暫く留まった記録が残されてます。


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要塞の城壁です。
二番目の要塞”Rocca Vecchia"は、1377年、ロベルト・ダ・ジネブラ枢機卿(後の対立教皇クレメンテ7世)が率いたブルトン軍(ブルターニュ地方)によって破壊されました。


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丘を上ってきました。


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現在の三代目のマラテスティアーナ要塞は、この地を支配していたマラテスタ家のガレオット1世・マラテスタ(リミニ、1300c-チェゼーナ、1385)が、1377年に破壊された”Rocca Vecchia"を基に、改装整備工事を1380年に開始し、ガレオット1世の死後、子孫に引き継がれ1477年に完成しました。


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チェーザレ・ボルジアに仕えていたレオナルド・ダ・ヴィンチが、1502年から1503年にかけて対大砲防御工事を行ったことでも知られてます。


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写真左に要塞の本丸?への入り口があります。


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要塞本丸と中庭に通じる門です。


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中庭に入りました。


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要塞の本丸?です。


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中に入ることが出来ますが、この時期は休館でした。


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夏季には中庭でコンサートなどが行われます。


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日曜朝にここに来た物好きは私一人でした。


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人の気配が全くありません。


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何もないので、中庭から外に出ました。


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要塞から下る道の途中で、サンタゴスティーノ教会の鐘楼が見えました。


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要塞を見上げる位置まで道を下ってきました。


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この頃は未だ足腰が丈夫でした。


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広場に下りてきました。


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この旅の前回、ここに泊まりました。観光するには絶好の場所にあります。メリットはそれだけ?


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お馴染みとなったポポロ広場です。


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空き過ぎも拍子抜けします。


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元々、Palazzo Albornozと呼ばれていた市庁舎です。


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14世紀半ば、スペイン出身のエジーディオ・アルボルノス枢機卿(スペイン、1310-ヴィテルボ、1367)によって建設されたので、Palazzo Albornozと呼ばれたのです。


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写真左の広場に進みました。


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アメンドーラ広場です。


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次はサンタゴスティーノ教会です。


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道の突き当りがサンタゴスティーノ教会です。日曜朝のミサがあるので、扉が開くと淡い期待を抱いていました。


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1252年、フランチェスコ会によって建設された修道院が前身です。その後、教会が併設されました。


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1457年、マラテスタ・ノヴェッロの妻ヴィオランテ・ダ・モンテフェルトロは、フランチェスコ会修道士にオッセルヴァンツァ教会を与え移住させ、アゴスティーノ会にこの場所にあった修道院教会に与えたのです。


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残念、サンタゴスティーノ教会は閉まっていました。


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譲渡を受けたアゴスティーノ会は、アゴスティーノ修道院教会と改称すると共に、1520年に改修工事を行いました。


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現在の姿は、1748年から1777年に再建されたものです。


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サンタゴスティーノ教会の鐘楼


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開く教会は限られてます。教会巡りは効率が悪いと思います。


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人通りがありません。


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次はサント・スピリト教会です。


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1694年から1695年に建設されたサント・スピリト教会です。


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現在の教会の後陣後方にあった、14世紀に建設された修道院が前身です。
ナポレオンの抑圧令によって閉鎖され、その後、宗教活動が再開されたことがない旧教会です。


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歴史的建造物です。


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修道院だった建物です。


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これで見たいものは大体見たようです。


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美術品が多いので、チェゼーナは私にとっては珠玉の街です。


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雨が強くなってきました。


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次の目的地ボローニャに向かいました。


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(おわり)

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道路を挟んで、サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会の向かいに劇場があります。


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チェゼーナ市立アレッサンドロ・ボンチ劇場です。
とうとう雨が降ってきました。


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1843年から1846年に建設されました。
市立劇場の名称はチェゼーナ生まれの名テノール歌手アレッサンドロ・ボンチ(チェゼーナ、1870-ヴィセルバ・ディ・リミニ、1940)に因んでます。


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ドゥオーモの方に向かいました。


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エミリア街道は、この辺ではガリバルディ通りと呼ばれてます。


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雨が急に強くなったので、ポルティコを歩きます。


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昼食を食べるまで快晴だったので、油断して傘を持っていませんでした。


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雨が小降りになったので、エミリア街道を歩きました。


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程なくドゥオーモの鐘楼と後陣が姿を現します。


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エミリア街道に築かれた街中でエミリア街道と呼ばれることは稀のようです。


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ドゥオーモのファサード前にあるジョヴァンニ・パオロ2世広場です。


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幸いにも雨が止んでくれました。


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ドゥオーモの中を覗いたら、土曜の夕べのミサの真っ最中でした。


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雨が何時強くなってもおかしくないので、ホテルに戻ることにしました。


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城壁外に向かうCorso Sozziです。


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かなり薄暗くなってきました。


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城壁と城門の代わりに建てられたBarriera Cavourが見えてます。


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この日は、これで終わりです。
友人との夕食のどんちゃん騒ぎがありますが、写真がありません。


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翌朝です。日曜日の朝なので、バスターミナルにはバスが一台もなかった。


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雨が落ちていませんでしたが、今にも泣き出しそうな曇天です。


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低い城壁です。


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車が走らず、人通りが殆どありません。


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日曜朝のミサまで、かなり時間があったので、聖堂内は信者が数名いただけでした。ゆっくりと拝観出来ました。


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チェゼーナの図書館に敬意を表して、もう一度図書館を見ます。


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Corso Mazziniのポルティコ


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Palazzo del Ridotto、ex-Palazzo del Podesta


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人出が少ないので、写真を撮るには絶好ですが、天気が良くないのが玉に瑕。


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Palazzo del Ridotto前から見たドゥオーモ


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マラテスティアーナ図書館


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ボッカクゥアットロ教会


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図書館は日曜休館です。


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マラテスティアーナ図書館の前に立つ彫像は、Maurizio Bufalini (チェゼーナ、1787-フィレンツェ、1875)です。イタリアの臨床医で、医学部の教授法で革命を起こしたことで有名です。


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こちらはRenato Serra (チェゼーナ、1884-モンテ・ポドゴーラ、1915)の頭像です。Serraは文芸評論家、作家です。


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Piazza Fabbriから見たPalazzo del Ridottoです。


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Palazzo del Ridottoの左側壁外観です。その先にサンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会が写ってます。


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Palazzo del Ridottoの市民の塔です。


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ポルティコを通ってポポロ広場に向かいました。


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突き当りに市庁舎が写ってます。


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日曜日は完全休業の市庁舎です。


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ポポロ広場


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マラテスティアーナ要塞


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マシーニの噴水(1588-91)


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(つづく)

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そろそろ昼食の時間です。


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チェゼーナは友人の方が良く知っているので、友人に店選びを任せました。


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アルビッツィ広場です。


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友人のお気に入りの店は休業でした。行き当たりばったりで適当に探すことにしました。


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突き当りにサンタ・キアーラ修道院だった建物があります。


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旧サンタ・キアーラ修道院の建物です。


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1233年から街の文書にサンタ・キアーラ修道院が記載されるようになりました。1540年に拡張され、現在の規模になりました。


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外壁にフレスコ画が残されてます。
身廊部分は1722年に再建されたそうです。


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ナポレオンのイタリア侵攻後の教会活動抑圧令に伴い、18世紀末に修道院活動が停止され、その後、一度も宗教行為が再開されることなく現在に至ってます。


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ドゥオーモ近くの、冴えないお店で昼食を食べました。料理がイマイチだったので、ワインをがぶ飲みする羽目に。


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昼食後、外に出たら雲が厚くなって、今にも泣き出しそうでした。
Contrada Uberti


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サン・ゼノーネ教会です。


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教会の存在が初めて記載されたのは、1292年の文書だそうです。現在の建物は、1764年に再建された二代目のものです。


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13世紀末に建設された鐘楼が今でも現役ですが、私の写真に写ってません。


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ソッツィ通りにあるPalazzo Ghiniです。


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この場所には、紀元前3世紀から2世紀に建設された建物があったそうです。それらの遺跡の上に建ってます。


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Palazzo Ghiniの入り口です。
チェゼーナの貴族ギーニ家の邸宅として1760年台に建設されました。


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ファサードが未完成?のようで、荒々しい感じがする外観です。


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次は市立絵画館です。


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アルベルティ―ニ通りを進みます。


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市立絵画館が置かれている旧サン・ビアージョ教会修道院の外壁までやってきました。


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市立絵画館の入り口です。
チェゼーナ市立絵画館については、既にアップしました。
ご興味のある方は下記サイトをご参照ください。
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/cat_352893.html


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旧サン・ビアージョ教会の鐘楼です。


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Via Aldiniを進みます。


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写真左の建物の先、その横に教会があります。


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サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


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セルヴィ・ディ・マリア教会とも呼ばれてます。
1233年にフィレンツェで設立されたSette Santi Fondatori修道会によって、1300年に建設されたサンタ・マリア・デイ・セルヴィ修道院が前身です。


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教会は15世紀後半に再建されましたが、18世紀前半には建物劣化が進み危険になってしまいました。現在の建物は1三代目となるもので、1756年工事着工、1765年に完成しました。


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1782年6月2日、第250代教皇ピオ6世(チェゼーナ、1717-フランス、1799 在位:1758-1799)によって奉献式が執り行われました。
ピオ6世は、ナポレオンのイタリア侵攻によってフランスに送られ、悲嘆のうちにフランスで死去しました。


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後陣と鐘楼


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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右側壁


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天井


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逸名画家作「聖母子」(16世紀)


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18世紀のエミリアの逸名画家作「聖ペッレグリーノを治すキリスト」


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詳細不知


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ジョヴァン・バッティスタ・バッランティ・グラツィアーニ(ファエンツァ、1762-1835)の「ピエタ」


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詳細不知


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逸名画家作「聖フィリッポ・べニツィの栄光」(17世紀末)


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後陣左壁の絵画を見ます。


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1514年に制作された「磔刑」と「聖セバスティアーノ」


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後陣右壁のジャンフランチェスコ・モディリアーニ(フォルリ、1590-1609活動記録)の「ピエタ」とリーヴィオ・モディリアーニ(フォルリ、1540c-1610c)派逸名画家作「受胎告知」


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ビックリです。カルロ・サラチェーニの作品が取り外されていました。
ガックリ、残念でした。


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取り外されていた作品の画像です。(外部サイトから拝借しました)
カルロ・サラチェーニ(ヴェネツィア、1585-1625)の「ペスト患者を見舞う聖カルロ・ボッロメオ」(1618)


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祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に祭壇をもう一度見ました。


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外に出ました。
(つづく)

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ポポロ広場の西端にサン・ドメニコ教会があります。
サン・ドメニコ教会は美術ファンにとって必訪です。
ナポレオンによるイタリア侵攻によって、多くの美術品がフランスに持ち去られましたが、チェゼーナも例外ではありませんでした。
ナポレオンの失脚後、フランスに持ち去られた作品の返還交渉が行われ、チェゼーナに戻された作品もあります。また、フランス軍によってチェゼーナの教会から取り外されたものの、フランスに移されずにチェゼーナの街中に散らばっている作品がありました。当時の教区司祭のドメニコ・パッソッキは、それらの作品の多くを集めて、サン・ドメニコ教会の礼拝堂や側壁などに掲げたのです。その結果、サン・ドメニコ教会は、今日「第2のアートギャラリー」と呼ばれるようになりました。


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サン・ドメニコ教会です。


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ドメニコ会修道士の聖ピエトロ・マルティーレ別称ピエトロ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1205c-セベソ、1252)は、死の直前、現在サン・ドメニコ教会が建っている場所で説教を行いました。
彼の死後、説教が行われた場所に修道院建設が計画され、1279年にサン・ピエトロ・マルティーレ修道院が完成し、1280年に奉献式が行われました。
15世紀に修道院に隣接してサン・ピエトロ・マルティーレ教会が建設されました。


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17世紀末、修道院と教会の建物は経時劣化のため継続使用が困難となりつつあったので、その再建が布告されました。


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チェゼーナの建築家ジョヴァンニ・フランチェスコ・ゾンディ―ニに再建工事が委嘱され、彼の設計によって1707年から1727年にかけて修道院と教会が再建されました。
教会の再建が一応の完成を見た1722年に奉献式が執り行われ、それを機にサン・ドメニコ教会と改称されました。


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写真左が修道院だった建物です。
ナポレオンのイタリア侵攻によって、修道院活動が抑圧され、1811年まで孤児院となりました。その後、旧修道院の建物は市立病院に転用され、1911年から現在に至るまで学校の校舎となってます。


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教会内に入りました。


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単廊式、後期バロック様式の内部です。


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左右の側壁に礼拝堂が各3つづつあります。


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半円形の後陣です。


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カウンターファサードに絵画が4点あります。


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クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の「キリストとサマリア女」


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アンドレア・マイナルディ通称イル・キアヴェジーノ(クレモナ、1550c-1617)の「聖アルデブランドの奇跡」(1678)


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アンドレア・マイナルディ通称イル・キアヴェジーノ(クレモナ、1550c-1617)の「悪魔に取りつかれた男を介抱するキリスト」


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クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の「悪魔に取りつかれた男を解放する聖ウバルド」(1629c)


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クリストフォロ・サヴォリーニ(チェゼーナ、1639-1677)の「聖ドメニコの祭壇画」(1671)


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エミリアの逸名画家作「キリストの埋葬」(16世紀)


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フランチェスコ・アンデリーニの「永遠なる父と聖人たち」(18世紀)


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聖母の祭壇です。


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「授乳する聖母」(15世紀)を取り囲んでフランチェスコ・アンデリーニの「聖母の物語」(17世紀)が15場面描かれてます。


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15世紀の逸名画家作「授乳の聖母」


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フェリーチェ・トレッリ(ヴェローナ、1667-ボローニャ、1748)の「聖母子と聖カルロ・ボッロメオ」(1716)


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ジャンフランチェスコ・モディリアーニ(フォルリ、1590-1609)の「天上の聖母子と聖フランチェスコと聖ジローラモと聖ジョヴァンニ・バッティスタとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1602以降)


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フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「聖ペッレグリーノ・ラツィオージ」


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フランチェスコ・アンデリーニの「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(1731)


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18世紀の逸名画家作「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」


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ピエル・パオロ・メンゾッキ(フォルリ、1532-1589)の「マギの礼拝」


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クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の「聖ピエトロ・マルティーレの殉教」


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ジュゼッペ・チェーザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568-ローマ、1640)の「天上の聖母子と聖ドメニコと信者たち」(1601c)


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ボローニャの逸名画家作「聖母被昇天」(17世紀末-18世紀初頭)


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フェリーチェ・トレッリ(ヴェローナ、1667-ボローニャ、1748)の「聖母子と聖アンナとサレスの聖フランチェスコ」(1716-17)


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16世紀後半の「磔刑像」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラッザーニ(1712-1791)の「天国のカギを聖ピエトロに託すキリスト」


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後陣祭壇画の写真をうまく撮れません。


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フランチェスコ・メンゾッキ(フォルリ、1532-1589)の「磔刑」


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作品帰属は全部分かってます。(私が)


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ビアージョ・ダントニオ・トゥッチ(フィレンツェ、1446-1516)の「ピエタのキリスト」(15世紀末)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラッザーニの「聖バルトロメオと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」、クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の「聖パオロと祈るキリスト」(1635c)



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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラッザーニの「受胎告知」(1640c)


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まだまだ沢山ありますが、キリがないのでこの辺で終わりにします。


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外に出ました。
(つづく)

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引き続きドゥオーモです。
クリプタから内陣に戻りました。


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リーヴィオ・モディリアーニ(フォルリ、1540c-1610c)の「ジャンフランチェスキ・アウグストクスの物語」


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制作者情報不知の「大理石のポリッティコ」(1514-17)


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アントニオ・アレオッティ(アルジェンタ、1450以降-チェゼーナ、1530c)の「三位一体」(1509)


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カルロ・ゴッタルディの「聖セヴェーロ」(1490)


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16世紀のエミリアの逸名画家作「聖母子とパドヴァの聖アントニオ」


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Cappella della Madonna del Popolo


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Cappella della Madonna del Popoloのクーポラのフレスコ画は、コッラード・ジャクゥイント(モルフェッタ、1703-ナポリ、1766)の「ポポロの聖母」(1750)


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Cappella della Madonna del Popoloの主祭壇画は、バルトロメオ・ラメンギ通称イル・バニャカヴァッロ(バニャカヴァッロ、1484-ボローニャ、1542)の「ポポロの聖母」(1520)


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ロレンツォ・ブレーニョ(オスティーノ、1475/1485c-ヴェネツィア、1523)の「聖クリストフォロと聖レオナルドと聖エウスタキオ」(1514-17)


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制作者情報不知の「キリストの聖心」


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詳細不知


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逸名画家作「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(16世紀)


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逸名画家作「聖ロッコ」(16世紀)


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一旦、外に出ます。


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次はドゥオーモ博物館です。


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後陣の写真左にピンクぽい建物がありますが、それは旧サン・トビア礼拝堂で、その礼拝堂にドゥオーモ博物館があります。


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開館日時が限られており、それに合わせてチェゼーナへの旅程を決めたので、開館を確かめて安心しました。


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入館無料です。


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ドゥオーモ博物館の入り口です。美術的に必見の作品が数点あります。


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入館しました。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・ダ・リミニ(リミニ、1441-ボローニャ、1470)の「玉座の聖母子」


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最近、修復されたようです。


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パオロ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィア、1300-1365)の「玉座の聖母子」(1347)


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ジローラモ・ジェンガ(ウルビーノ、1476-1551)の「受胎告知」(1516-18)


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礼拝堂クーポラ


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礼拝堂天井


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ジローラモ・フォラボスコ(パドヴァ、1604-1679)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(福音書記者聖ヨハネ)に顕現する聖母」


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詳細不知


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昇階誦


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詳細不知


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詳細不知


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Museo Diocesanoの定番展示物


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聖具類


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ベネデット・ジェンナーリ(チェント、1563-1610)の「キリストの洗礼」(17世紀)


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同名の孫ベネデット・ジェンナーリ(チェント、1633-ボローニャ、1715)も画家でしたが、この作品は祖父、孫のどちらの作品でしょうか?


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詳細不知


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シピオーネ・サッコ(ソリアーノ・アル・ルビコーネ、1495-チェゼーナ、1558)の「聖グレゴリオ・マーニョに顕現する聖母子」(1542)


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逸名画家作「教皇ピオ7世の肖像」
第251代教皇ピオ7世(チェゼーナ、1742-ローマ、1823 在位:1800-1823)


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逸名画家作「教皇ピオ6世の肖像」
第250代教皇ピオ6世(チェゼーナ、1717-フランス、1799 在位:1758-1799)
ピオ6世、ピオ7世と、チェゼーナ生まれの教皇が2代続きましたが、ナポレオンのイタリア侵攻によって受難続きでした。


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(つづく)

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チェゼーナのドゥオーモです。


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チェゼーナ=セルシーナ司教区の司教座が置かれたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ大聖堂です。


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1960年、第261代教皇ジョヴァンニ23世(ヨハネ23世)(ソット・イル・モンテ、1881-ヴァティカン、1963 在位:1958-1963)によってBasilica Minoreに格付けされました。


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14世紀第3四半世紀まで、チェゼーナの司教座教会はマラテスティアーナ要塞内部にありましたが、不便ということで、別の場所に司教座教会の建物新築の話が持ち上がりました。
その企画は、1378年、第202代教皇ウルバーノ6世(イトリ、1318c-ローマ、1389)によって認可されました。


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リミニとチェゼーナの支配者アンドレア・マラテスタ(1373-1416)の資金負担によって、建築家Canton Undervaldo(恐らくスイス出身)の設計、工事監督下で1385年に工事着工、1405年に完成したロマネスク=ゴシック様式の教会です。


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ファサードは、マウロ・コドゥッシ(レンナ、1440-ヴェネツィア、1504)の設計によって15世紀末に完成しました。


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後陣


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鐘楼は、ルガーノ出身の建築家マーゾ・ディ・ピエトロの設計によって1443年から1456年に建設されましたが、現在の鐘楼はオリジナルのものとは少し違います。


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1741年から1753年にかけて聖堂全般の改造工事が行われましたが、その際、鐘楼が高くされ、現在の72mの高さとなりました。


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入口扉のブロンズ彫刻を見ます。


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15世紀末に完成したファサードの入り口にもブロンズ彫刻がありましたが、経時劣化による損傷が激しく使用不能となったので、2000年に現在のブロンズ彫刻の扉に置き換えられました。


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イラリオ・フィオラヴァンティ(チェゼーナ、1922-サヴィニャーノ・スル・ルビコーネ、2012)によって2000年に制作されたブロンズ製扉


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ブロンズ彫刻のテーマは「聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)の物語」です。


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入口扉横の柱の彫刻


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柱頭


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ヴィンチェンツォ・ゴッタルディの「聖母子」(1510)


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左側壁横にある、レオナルド・ルッキ(チェゼーナ、1952-存命中)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)像」


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右側壁


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写真右はサン・トビア礼拝堂です。


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サン・トビア礼拝堂にドゥオーモ博物館が置かれてます。


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ロマネスク・ゴシック様式の内部です。


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ギリシャ十字形のように見えますが、左翼廊があるものの、右側には翼廊がありません。


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木組み梁の天井


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左側廊


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右側廊


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「San Zenoneの磔刑像」(15世紀)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ブレーニョ(オステーノ、1455c-ヴェネツィア、1520c)の「コルプス・ドイーニの祭壇」(1505)


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コルプス・ドイーニの祭壇は非常に有名です。


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詳細不知


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ピエル・ジャコモ・ベッカリーニの「ポポロの聖母」
この画家については存じません。


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主祭壇と後陣


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後陣左側壁にあるジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716?-チェゼーナ、1798)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」(1782)


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後陣右側壁にあるジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716?-チェゼーナ、1798)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1782)


1
クリプタに入りました。


3
聖マウロの聖遺物


2
(つづく)

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再び街歩きに出発しました。


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少し雲が出てきました。


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城壁です。チェゼーナは城壁がかなり残っている街です。


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城壁沿いのViale Gaspare Finaliです。


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城壁が築かれた頃は、地表からの城壁の高さはもっと高かったとされてます。


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通りの名称はこの彫像が置かれているからでしょう。Gaspale Finali(チェゼーナ、1829-マッラーディ、1914)は、地元出身の大臣、上院議員などを歴任したイタリア王国の政治家です。


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旧市街の入り口Barriera Cavourに来ました。


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旧市街のソッツィ通りに入りました。次はサンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会です。


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サンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会です。小さな教会ですが、かって主祭壇を飾っていた素晴らしい作品の残念な歴史があるのです。


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この場所にシナゴーグがありましたが、1656年にキリスト教会に変換されました。教会を所有することになったConfraternita del Suffragioは新たな建物を望み、ボッロミーニの弟子ピエル・マッティア・アンジェローニの設計、工事監督によって1685年から1689年に再建されたバロック様式の建物が現在の姿となってます。


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Palazzo del Ridottoのほぼ向かいにあります。


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教会内に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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右側壁


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スタッコ彫刻による装飾


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フランチェスコ・カッリガーリによる装飾


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フランチェスコ・カッリガーリの彫刻


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主祭壇画を見ます。


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コッラード・ジャクゥイント(モルフェッタ、1703-ナポリ、1765)の「聖母の誕生と聖マンツィオ司教」(1752)


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実は、この教会にあった主祭壇画は、ナポレオンのイタリア侵攻の際、フランス軍に没収されてしまったので、この作品に差し替えられたのです。
オリジナルの主祭壇画は、グエルチーノの「コルトーナの聖マルゲリータ」でした。


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この教会にあった主祭壇画、ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「コルトーナの聖マルゲリータ」(1648)です。
フランス軍の没収された本作品はパリに持ち去られ、一旦はルーヴル美術館で展示されていましたが、ナポレオンの没落後、返還交渉が行われたものの、この教会には戻らず、何とヴァティカンに移されてしまいました。
現在、この作品はヴァティカン絵画館で展示されてます。


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フランチェスコ・アンデリーニの「聖母子と聖人たち」(1751)


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フランチェスコ・カッリガーリの彫刻


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フランチェスコ・アンデリーニの「無原罪の聖母と聖人たち」(1751)


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フランチェスコ・アンデリーニのことは全く分かりません。


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詳細不知


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外に出ました。


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ポポロ広場に来ました。


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Palazzo Comunaleです。


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ポポロ広場が街の中心です。


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人出が一段と多くなってきました。


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青空市が開市されていたポポロ広場です。


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ポポロ広場にある、フランチェスコ・マシーニ(チェゼーナ、1532-1601)の「マシーニの噴水」(1588-91)です。フランチェスコは地元出身の画家、建築家です。


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マニエリスム彫刻の傑作とされている「マシーニの噴水」です。


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マラテスティアーナ要塞


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要塞がポポロ広場を見下ろしてます。


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青空市が賑わっていました。


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中国人が多数青空市に進出してます。逞しいです。


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(つづく)

チェゼーナは、人口97,025人(2019年10月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州フォルリ=チェゼーナ県の県都です。街の歴史は古く、紀元前5世紀にはウンブリア人の町があったとされてます。紀元前189年から187年に敷設されたエミリア街道に置かれたローマ軍の軍事基地の一つとして発展しました。
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前泊地はプラートでした。


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プラート中央駅からICの直通列車に乗車してチェゼーナに向かいました。車内は空気運搬の如く非常に空いてました。


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チェゼーナ駅にほぼ定時に到着しました。
チェゼーナは、ピアチェンツァ~フィデンツァ~パルマ~レッジョ・エミリア~モデナ~ボローニャ~イーモラ~ファエンツァ~フォルリ~リミニ~ペーザロ~ファーノ~セニガッリア~アンコーナの鉄道幹線上にあるので、鉄道利用がお勧めです。


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チェゼーナ駅の駅舎です。


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駅前に広いバスターミナルがあります。


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この日のお宿は、駅前広場に面したホテルです。


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ホテルに荷物を預けて身軽になったので、街歩きに出発しました。


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スーパーConadの本社はボローニャにありますが、営業部門の本部はチェゼーナにあるようです。


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陸橋です。


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JFK陸橋です。ケネディ大統領は、イタリアで人気なようで、道路や広場などの名称になってます。


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この日の午前中は快晴でした。
鉄道駅から旧市街まで意外に距離があって、徒歩で10分以上かかります。


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寄り道し過ぎで、ここまで来るには時間がかかってしまいました。ここは旧市街の入り口Barriera Cavourです。
この場所に城壁の門であるチェルヴェ―ゼ門がありましたが、イタリア統一を機に城壁と門が取り壊され、1864年にBarriera Cavourが新たに建設されたのです。


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旧城壁内のソッツィ通りに入りました。


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土曜日の午前中とあって、人出で多かった。


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先ずドゥオーモに行きます。Barriera Cavourから徒歩1~2分でドゥオーモに出ます。


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ドゥオーモです。この後、拝観しましたが、その内容については(その3)で纏めて触れることにします。


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ドゥオーモからジョヴァンニ・パオロ2世広場に出ました。


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ジュゼッペ・マッツィーニ大通り(Corso)を西に向かいます。


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チェゼーナ最大の見所である市民図書館を目指します。市民図書館はドゥオーモから徒歩2分くらいです。


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チェゼーナ市民の多くがイタリア統一運動に積極的に参加して、重要な役割を果たしたことで有名です。


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Palazzo del Ridottoです。


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1401年に建設されたPalazzo del Podestaです。


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第211代教皇パオロ2世(ヴェネツィア、1417-ローマ、1471 教皇在位:1464-1471)によって、1466年から1472年にかけてロッジャ、市民の塔などが増築され、名称が現在の名前に変更されました。


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Palazzo del Ridottoの後方にPiazza Fabbriがあります。


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Piazza Fabbriに面してマラテスティアーナ図書館があります。


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この日、図書館は休館でした。


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Condottieroだったドメニコ・マラテスタ通称マラテスタ・ノヴェッロ(ブレーシャ、1418-チェゼーナ、1465)によって、1452年にオープンした、ヨーロッパ最古の市民図書館です。


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図書館の建物は、建築家マッテオ・ヌーティ通称マッテオ・ダ・ファーノ(コルフィオリト、1405-ファーノ、1470)の設計によって1447年から1452年にかけて建設されました。


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図書館の建物の一部は考古学博物館になってます。


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この日は考古学博物館に入館しませんでした。


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Piazza Fabbriに面して建つボッカクゥアットロ教会です。


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1252年に建設されたサンタ・マリア・ナスチェンテ教区教会が前身です。1574年、Confraternita del Gofaloneの所有となり、現在の教会名称に変更されました。


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現在の建物は、18世紀に再建されたものですが、ファサードだけは19世紀前半に改造されました。


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さらに西に進みます。この辺ではVia Carbonariと呼ばれてます。この先に川が流れているだけ。


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17世紀の建物ですが、劣化が著しく解体されるかも知れません。


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東の方(ドゥオーモがある方)に戻ります。


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友人とホテルで待ち合わせしたので、一旦ホテルに戻ります。


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急ぐ必要がないので、勘を頼りに適当に歩き始めました。


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Barriera Cavourを越えて旧市街を後にします。


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Corso Cavour


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適当にぶらぶら歩きをして道に迷ったことが何度もあるのを思い出し、地図を見ながらホテルに戻ることにしました。


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(つづく)

引き続き、時計塔です。
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時計塔内部への入り口に向かいます。


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時計塔内部への入り口は、予想通り扉が閉まっていました。内部は通常一般非公開のようです。


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時計塔の下に行っても、近過ぎて却ってよく見えません。


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時計塔を取り囲む通路から絶景を楽しむのが最適と思いました。


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時計塔は鐘楼を兼ねていますが、鐘の音を聴いたことがありません。


P1210984
砦ならば、絶好の場所にあるので、その機能や目的が理解できますが、1850年に時計塔として、わざわざ再建された理由がよく分かりません。やはり、その目的は軍事的な監視機能だったと思うのですが・・・・・


P1210986
時計塔下の通路から見たマンフレディアーナ要塞とモンティチーノ聖域です。


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時計塔の影がスパーダ通りの建物に写ってます。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会


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オッセルヴァンツァ教会と旧オッセルヴァンツァ修道院


P1210995
スッフラージョ教会


P1210996
ロバの道が通っている建物


P1210999
リメンブランツェ公園


P1220001
鉄道駅


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遥か遠くにサン・ジョヴァンニ・イン・オッタ―ヴォ教会の鐘楼が見えます。


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下に下ります。


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朝の良い散歩になりました。


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もう年なので、再び時計塔に来ることはあるまいと思いました。


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上ったところで、たいして意味がありません。ブリジゲッラに来たならば、3つの山に登る、という自己満足でしかありません。


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右に行けば要塞に行けます。


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下りは流石に上りよりも楽でした。


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振り返って時計塔を見ました。


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要塞を若干見上げるようになりました。


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民家の横に来ました。


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次はロバの道です。


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Via delle Torreのアーチの壁にある、これは何でしょうか?


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ここからロバの道に入ります。この入り口の写真を撮るために、わざわざ一旦マルコーニ通りに出ました。


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Antica Via "degli Asini" o "del Borgo"です。


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ロバの道は、マルコーニ広場に面した建物の中にある高架道路です。


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ブリジゲッラの村を防衛するために、14世紀に築かれ防御壁沿いに設けられた巡回道路が前身です。


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1467年、ブリジゲッラを訪れたウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(グッビオ、1422-フェッラーラ、1482)によって、防衛上の理由から、防御壁と共に道路が建物内に組み込まれました。


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道の両端の階段を塞いでしまえば、堅固の要塞に直ぐに変身することが出来たのです。


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また、平時には、ブリジゲッラの主要産物である石膏を採石場から運ぶ道路として使用され、車を引いたロバが行き来することから、ロバの道と呼ばれました。


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写真左にはロバの厩舎がありました。


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旧ロバの厩舎は民家となってます。


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ロバ飼いは、ロバの道の上階に住んでいたそうです。


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ロバの道の出口近くです。


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ロバ車が置かれていた場所


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要塞と時計塔に行ける階段


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外に出ます。


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通りに出ました。


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これでブリジゲッラの主な見所は全部見たようです。


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お腹が空きました。


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ホテルの朝食が遅くて困りました。


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ホテルの朝食まで、未だ20分ほどありました。


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空きっ腹で暫し時間潰しです。


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旧ロザリオ教会


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スッフラージョ教会


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会の後陣


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朝食を済ませて、チェックアウトしてから駅に向かいました。


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列車を待つ乗客は、私を除いてわずか一人でした。


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次の目的地フィレンツェに向かいました。
(おわり)

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翌朝です。


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ホテルの朝食開始が午前9時なので、朝食前の散歩として時計塔に上ることにしました。


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昨夜は未明まで騒々しかったが、朝になると広場が綺麗に清掃されていたので驚きました。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会を通り過ぎました。扉は未だ開いてません。


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何度も往復して、最早お馴染みとなったVia Porta Fiorentinaです。


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Fontana Vecchiaの水が止まっていました。夜から朝までは水の節約のようです。


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突き当りのオステリア前を右折します。


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町の目抜き通りVia Nardiです。


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日曜日の朝なので、市庁舎には誰もいません。


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写真右を右折すればVia Recuperatiで、前夜夕食を楽しんだレストランがあります。


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美味で、価格がリーズナブルで、心地よいサービスと共に大いに楽しんだ夕食でした。


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ロバの道が続く建物手前の、市庁舎横を左折します。


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トッレ通りです。


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要塞にも行けるし、時計塔にも行けます。


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建物の下のアーチを潜ります。


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アーチの途中に祈りの場が設けられてます。


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祈りの場の、新しそうな「聖母子」


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Via del Trebbio


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階段を上ります。


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道はロッカに向かう道と時計塔に向かう道の2つに分かれ、時計塔に上る道を上ります。


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民家横の階段を上ります。


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徐々に視界が開けてきました。


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マンフレディアーナ要塞がはっきりと見えてきました。


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天気が良くてラッキー!!


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会です。


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オッセルヴァンツァ教会の鐘楼が見えてます。


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モンティチーノ聖域も写ってます。


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サン・フランチェスコ教会も写ってます。


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スッフラージョ教会です。


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要塞とほぼ同じ高さになりました。


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少し霞がかかってます。


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時計塔の下に来ました。


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遠くにサン・ジョヴァンニ・イン・オッタ―ヴォ教区教会の鐘楼が微かに写ってます。


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泊っているホテルの屋根が写ってます。


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オッセルヴァンツァ教会と旧修道院も写ってます。


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カメラの望遠機能を使わないと要塞と離れていることが分かります。


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時計塔に上ってきました。


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ロバの道がある建物が眼下に並んでます。


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まだ少し上る必要があります。程よい20℃くらいの気温だったので、汗ばむくらいで来ることが出来ました。


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ファエンツァとイーモラの傭兵隊長で、フォルリと対決することが多かったマギナルド・パガーニ・ダ・スジナーナ(パラッツォ―ロ・スル・セーニオ、1250-マッラーディ、1302)が1290年に建てた砦が前身です。
この砦は、マンフレディアーナ要塞と共に1500年までブリジゲッラとファエンツァの防衛上の拠点でした。


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その後、砦は数回破損して、その機能を失いました。
1850年、砦の廃墟の一部を利用して時計塔が建設されました。


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この時、時計は故障中でした。


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(つづく)

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引き続きオッセルヴァンツァ教会です。


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詳細不明


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右側壁の礼拝堂


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詳細不知


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詳細不知


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16世紀のフレスコ画


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇をもう一度見ました。


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左側壁の礼拝堂


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。マルコ・パルメッツァーノ、イル・バニャカヴァッロの作品が印象に残りました。


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古そうな建物です。


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16世紀から17世紀に建設されました。


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次はトー教区教会です。


6
サン・ジョヴァンニ・イン・オッタ―ヴォ教区教会、別称トー教区教会です。
大変古い歴史がある教会で、ローマ皇帝テオドシウス1世(347-195)の娘ガッラ・プラチーディア(コンスタンティノポリス、392-ローマ、450)が5世紀前半に、この場所に建てたGiove Ammoneに捧げた神殿を利用して、9世紀に建設されたロマネスク様式の教会です。


7
創建後、数度の修復を経て現在の姿になりました。高さ21mの鐘楼です。
残念ながら扉が閉まっていました。


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教会の周囲は緑一杯です。


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折角来たのだから、と思ってブラブラ歩きをしました。


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FSの線路を潜ります。


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建物の案内板にCopafと書いてあるのですが、意味が分かりません。


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農家があるだけで見どころが無さそうです。元に戻ります。


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列車が通過していきました。


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あちこち歩き過ぎで、流石に疲れてきました。


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ホテルに戻ります。


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大半の観光客が立ち去ったようで、静かでした。


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町のあちこちから見える時計塔


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遠くからバイクの音が聞こえてきました。


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Palazzo Legaです。


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すっかり夕方になりました。


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かなりの台数と思えるバイクの音が大きく聞こえました。


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バイクの音が急に止みました。


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見慣れてきたサン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会


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要塞が見えます。


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広場で催し物が行われるようです。


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先ほどのバイクの音はこれだったのです。


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再びバイクの音が聞こえてきました。


P1210904
結論を言えば、バイクの連中のバカ騒ぎと大音響の演奏が深夜まで続き、大変な夜を過ごすことになりました。


P1210905
ホテルに戻りました。
(つづく)

P1210875
サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会、またはオッセルヴァンツァ教会とも呼ばれてますが、地元では専らオッセルヴァンツァ教会が採用されてます。


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サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会、またはオッセルヴァンツァ教会です。


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1518年、第217代教皇レオ10世(フィレンツェ、1475-ローマ、1521 在位:1513-1521)によって認可された小さき兄弟たちの秩序(フランチェスコ会の一派)がその本拠地として1518年から1525年に建設した修道院と教会です。
1525年に奉献式が執り行われました。


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17世紀に改造され現在の姿になりました。
修道院は既に閉鎖されて、教会だけがその機能を維持してます。


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1520年に建設された鐘楼は17世紀に改造され現在の姿になりました。


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教会と修道院は鉄柵と塀に囲まれてます。


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毎日開く教会です。


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ファサードに柱廊が設けられてます。


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説明板


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柱廊にあるテラコッタ「ピエタと聖フランチェスコ」(1893)


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ジュゼッペ・ロセッティ通称イル・ムティーノ(ブリジゲッラ、1864-1939)の作品です。


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柱廊にある出入口上ルネッタにもテラコッタ彫刻があります。


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「聖母被昇天」(1893)


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「聖母被昇天」もジュゼッペ・ロセッティの作品です。


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中に入りました。


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単廊式、ルネサンス様式の内部です。


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翼廊がありません。


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装飾がない天井です。


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身廊通路


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主祭壇


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後陣の装飾(詳細不知)


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何といっても主祭壇画が最大の見所です。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「オッセルヴァンツァの祭壇画」(1520)
裾絵の一部が失われてます。


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玉座の聖母子と3天使と4聖人


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父なる神


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プレデッラは受胎告知だけ残ってます。


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ジュゼッペ・ウゴニア(ファエンツァ、1881-ブリジゲッラ、1944)の「ピエタ」


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ジローラモ・マルケージ通称イル・バニャカヴァッロ別称ジローラモ・ダ・コティニョーラ(コティニョーラ、1471-バニャカヴァッロ、1550)の「最後の晩餐」


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詳細不知


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詳細不知


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P1210831


P1210832
(つづく)

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第3の山から道を下ります。


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道は要塞がある第2の山近くを進みます。


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要塞の下を進みます。


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道は下りになりました。


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道の途中でサン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会が見えました。


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直ぐにスッフラージョ教会も見えてきました。


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この時は、未だ時計塔に上るつもりでした。


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しかし、時計塔までは更に降りてから、また上ることになります。


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中心街に近付いてきました。


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時計塔はやはり遠い!
かなり疲れていることが分かったので、時計塔に行くのは翌日に延期することにしました。


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時計塔の他に、未だ行かねばならぬ場所が2つありますから。


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旧サンタ・クローチェ教会の後陣です。


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トイレ休憩のため、一旦ホテルに戻ることにしました。バールに行くよりもホテルに戻った方が近いからです。


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右折します。


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近道のVia de Abbondanzaを通りました。


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ホテルがあるローマ通りに戻りました。


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再度、外に出ました。時計塔が見えました。


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Via Porta Fiorentinaです。次は市立絵画館です。


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Museo Civico ”Giuseppe Ugonia"とあるので、市立絵画館の展示はジュゼッペ・ウゴニアの作品が中心となるものの、中世の絵画や彫刻も展示されているだろうと期待していました。


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15世紀に造られたFontana Vecchiaを通り過ぎます。


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オステリアの前を通り過ぎます。


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右折してナルディ通りに入りました。


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半円の窓が並ぶ建物の中はロバの道が通ってます。


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夕方になって、地元の人たちが出てきました。


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宿泊設備が限られ、それに泊まるほどの見所がないとの判断なのか、日帰り観光客の多くは既にブリジゲッラを去ったようです。


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Museo Civico ”Giuseppe Ugonia"は開館してました。


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入館しました。


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展示されているのは、ジュゼッペ・ウゴニアの作品だけでした。


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中世の絵画彫刻を期待していたので、拍子抜けでした。


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ジュゼッペ・ウゴニア(ファエンツァ、1881-ブリジゲッラ、1944)は、リトグラフを得意にした画家です。


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入館者は私一人でした。
係員は、いいカモが来たと思ったのか、熱心に説明するので参りました。興味があまりないので、フンフンと適当に頷いていただけでしたが、それを誤解されました。日本から来た熱烈なウゴニアファンとされたようです。


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隣の観光案内所に立ち寄って、色々な資料を頂戴しました。


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リトグラフは名画の複製用と思っていましたが、ジュゼッペ・ウゴニアの作品は私の先入観を覆しました。


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道路に妙なものを発見!


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ハート形のこれです。各袋の中に蝋燭があります。


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先ほど行って来たモンティチーノ聖域が見えました。


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次はサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。


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夕食の予約をしました。小さな町村に行くと、夕食に困ったことが何回もあります。


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サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会は駅の先になります。


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ローマ通りから駅に向かいました。


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駅前を通り過ぎました。


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駅を越えた、旧市街の反対側は緑一杯です。


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写真左にサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会があります。
(つづく)

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モンティチーノ聖域の参道を上ります。


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参道の左右に祠があります。


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聖域のファサードまで15の祠があり、各祠に聖母の生涯、キリストの生涯の浮彫(多分金属製)があります。
制作者や制作された時期等の詳細が分かりません。
「受胎告知」


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「ご訪問」


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ブリジゲッラの町を見下ろす3つの山があり、それぞれの頂上に時計塔、要塞、聖域があります。モンティチーノ聖域は第3の山にあるので、目立ちます。そのため、聖域に訪れる観光客がかなりいます。残念ながら、聖域は美術的な見所は殆どありません。私がここに来たのは、ブリジゲッラに来たからには聖域に行かないと格好がつかないという、単なる自己満足からです。


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「羊飼いの礼拝」


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「聖母の浄化」


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「博士たちとの問答」


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「園の祈り」


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参道途中にある十字架


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「キリストの鞭打ち」


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「荊刑のキリスト」


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聖域の歴史に関する説明板があります。


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「カルヴァリオへの上り」


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「磔刑」


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「キリストの復活」


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聖域の後陣がその姿を現しました。


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「キリストの昇天」


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レンガ積みの後陣です。


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「聖霊降臨」


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「聖母被昇天」


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「聖母戴冠」


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ベアータ・ヴェルジネ・デル・モンティチーノ聖域 Santuario della Beata Vergine del Monticinoです。


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1626年、ボンファンテ門(現存しません)近くにテラコッタ製の聖母子像が置かれましたが、直ぐに信仰を集め、聖母子像が置かれた場所が巡礼地となりました。


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この付近に門があったとされてます。


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1662年、テラコッタ製の聖母子像を収めた礼拝堂が第3の山の頂上に建てられましたが、その礼拝堂が聖域の前身です。


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現在、その聖母子像は聖域の主祭壇に組み入れられてます。


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1758年、礼拝堂は取り壊され、現在の建物の元となる建物に置き換えられました。
1926年、建築家エドアルド・コッラマリーニ(ボローニャ、1863-1928)によって、現在の姿に改造されました。その際、ファサードはサヴィーノ・レーガ枢機卿(ファエンツァ、1860-1889)によって寄進されました。


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扉が閉まってますが、開錠されているので、拝観することが出来ます。扉が閉まっているので、中に入らず、そのまま立ち去る人がかなりいます。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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4本のコリント式の柱が目立ちます。


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地味な天井


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後陣のフレスコ画は、サヴィーノ・レーガ(ファエンツァ、1813-1889)によって、1850年から1853年に制作されました。


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主祭壇です。


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主祭壇のテラコッタの聖母子(写真再掲)です。


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一見、主祭壇後方に置かれた彫刻のように見えますが・・・・・


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よく見たら、彫刻のように見えるように描かれた騙し絵のフレスコ画です。


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後陣のフレスコ画以外、祭壇画等の作品帰属、詳細が私には全く分かりません。


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出て、聖堂横の階段を下りました。


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階段下の道路に出ると、視界が開けて絶景が楽しめました。


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(つづく)

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暑かったので、急坂を上っているうちに汗だらけになってしまいました。


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やがて視界が開けて眼上に要塞が見えてきました。


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あと少し上る必要があります。木陰の中を歩くのが僅かな救いでした。年々暑さに弱くなってます。


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今、上って来た道です。


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山道から、一旦、ジョヴァンニ・パスコリ通りに出てから右折します。


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Roccaの入り口下に建物があります。


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扉が開いてました。以前、来た時には閉まっていたと思います。


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この建物の存在を全く覚えていませんでした。中に入ってみることに。


P1210607
石灰岩の採石と関係がありそうです。


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採石に使用された器械?


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熱心に見学してカップルがいました。


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要塞周囲に採石場があったようです。


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Museoの表示なし


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窓は素通しです。


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外に出て要塞に向かいます。


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小屋の横に要塞に向かう階段があります。


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Rocca Manfrediana o Rocca dei Venezianiと呼ばれてます。


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要塞の名称は、建設された経緯に由来します。
ファエンツァとイーモラの領主フランチェスコ・マンフレディ(?、1260c-ファエンツァ、1343)によって1310年に建設された要塞です。
1500年から1503年にかけて、チェーザレ・ボルジア(1475-1507)によって所有されました。
ブリジゲッラは、1503年から1509年までヴェネツィア共和国の支配下に入りましたが、その間、要塞は拡大整備されました。


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現在の外観はヴェネツィア共和国によって拡大整備された後のものです。


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要塞の門です。


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要塞の説明板が入り口横にあります。


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ヴェネツィア共和国によって建設された2本の塔です。


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2本の塔の間にある扉が閉まっていて、要塞本体の中に入ることが出来ませんでした。


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短いヴェネツィア共和国支配の後、ブリジゲッラは教皇領に組み入れられました。ナポレオンのイタリア侵攻まで、教皇領が続きました。


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16世紀末、二本の塔の上部に屋根が設けられました。


P1210593
要塞の周囲を歩いても、高い壁と塔が見えるだけで見所は殆どありません。


P1210584
楽しむべきは、要塞からの眺望でしょう。


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遮るものが何もありません。


P1210577
澄み切った青空ならば絶好です。しかし、これだけ見えれば贅沢は言うべきではないでしょう。


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P1210579
サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会


P1210581
オッセルヴァンツァ教会


P1210583
モンティチーノ聖域


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時計塔


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旧サンタ・クローチェ教会とサン・フランチェスコ教会修道院


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涼しい風が吹き抜けて、身体が休まりました。


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出口に向かいます。


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ここに入るのは無料です。


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次はモンティチーノ聖域です。


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道路標識が完備されているので、迷うことはありません。


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山を一旦下り、別の山を上ります。


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モンティチーノ聖域の簡素な入り口門です。


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門の前から要塞が見えます。


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(つづく)

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サンタ・クローチェ教会の一部が見えてます。


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Via delle VolteとVia Abbondanzaが合流するところにサンタ・クローチェ教会の後陣があります。


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サンタ・クローチェ教会のファサードは、ここよりも一段高い道路に面してます。


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後陣横に階段があって、ファサードがある道路に行くことが出来ますが、階段が工事中で通行止めになっていました。


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Via delle Volteの先は緑深い道になってます。


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上の道に行く階段が使用不可なので、Via delle Volteを戻り、一旦噴水がある場所に向かいました。


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柱廊がある建物


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会が見えました。


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Fontana Vecchiaを通り過ぎます。


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Via Porta Fiorentinaの突き当りにあるOsteria della Fonteはお手頃です。


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市庁舎越しに時計塔が見えました。


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上の道スパーダ通りから、一旦ポルタ・ボンファンテ通りに入ります。突き当りにサン・フランチェスコ教会があります。


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サン・フランチェスコ教会です。


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14世紀に建設されたサン・ジローラモ教会がありましたが、やがてフランチェスコ会修道士が定住するようになり、15世紀にサン・フランチェスコ修道院を建設するとともに、教会名称をサン・フランチェスコ教会に改称しました。


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現在の建物は、18世紀に再建されたものです。


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こちらはサン・フランチェスコ修道院だった建物です。


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教会は現役ですが、修道院は閉鎖されました。


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詳細不知の「磔刑像」


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次はサンタ・クローチェ教会です。


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サンタ・クローチェ教会のファサードです。後陣は既に見ました。


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15世紀に建設されたオラトリオが前身です。現在の建物は16世紀にオラトリオを取り壊し、その上に建設されたものです。


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宗教活動を停止した旧教会です。


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建物は展示会などに使用されてます。


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旧サンタ・クローチェ教会のファサード前から市庁舎に向かって少し進むと、野外劇場があります。


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Teatro all' aperto di Via Spadaです。


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野外劇場の舞台です。


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野外劇場から見た時計塔


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野外劇場から見た旧サンタ・クローチェ教会


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野外劇場から見たサン・フランチェスコ教会


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次は城塞です。


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坂道を上って要塞がある山に向かいます。


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上って来た坂道


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曇ってきました。


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坂道の所々で立ち止まって、町の景観を楽しみました。


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スッフラージョ教会の鐘楼


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会


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旧サンタ・クローチェ教会


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写真中央、山の中腹に温泉があります。


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(つづく)

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小さな町の中心地に入ります。


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建物の先に時計塔が見えます。


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19世紀に建設されたPalazzo dell' ex Preturaです。Preturaとは、法務官裁判所とか、治安判事と言う意味です。
この建物にMuseo Civico ”Giuseppe Ugonia"、観光案内所などがあります。この時間は昼休み中です。


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Palazzo dell' ex PreturaにもAntica Via "degli Asini"が通ってます。


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Antica Via "degli Asini"です。
ロバの道については、後で触れますが、町の防衛上の理由から建物の中に通された、非常にユニークな通りです。
ブリジゲッラの特産物は石膏で、石膏で栄えました。石膏の採石場からロバで石膏を運びましたが、その貴重な石膏運搬を敵対者からの妨害なしに行うため、道路を建物に組み込んで通された道がロバの道です。
写真左側にロバの厩舎にすることが多く、写真右側は採光のために開けられてます。


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Via 24 Maggio方向です。


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先ほど通過したスッフラージョ教会の鐘楼が見えます。


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Via Nardi方向ですが、こちらの方に後で行くことにしました。


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Piazza Porta Gaboloです。


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門の名称はPorta Gaboloと思いきや、Porta delle Dameです。


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門はロバの道の入り口になってます。


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この門から時計塔に上ることが出来ます。


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Via 24 Maggioは町の北にあります。


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道を少し進めば緑地に出ます。


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緑地となっている小さな公園に置かれた、ブリジゲッラとドイツ、ヘッセンのツヴィンゲンベルクとの姉妹都市の碑があります。
写真左がブリジゲッラの、右がツヴィンゲンベルクの紋章です。


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こちらの先にテルメ(ブリジゲッラ温泉)があります。ブリジゲッラは温泉でも有名です。


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フォッサ通りの左側の建物は、ミケーレ・レーガ枢機卿によって19世紀末に建設されたPalazzo Legaです。


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Via Belle Artiに戻りました。


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Palazzo Comunale方向に進みます。


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山上にあるSantuario del Monticinoが見えました。


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要塞の塔が見えます。
ブリジゲッラ観光は、3つの山上にある、時計塔、要塞、聖域教会とロバの道に尽きると思います。


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Via Nardiを市庁舎方向に進みます。


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写真右の建物にロバの道が続いてます。


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旗が掲げられている建物がPalazzo Comunaleです。


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1824年から1828年に建設された新古典様式のPalazzo Maghinardoです。現市庁舎です。


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Palazzo Comunaleの横にある市立劇場とロバの道の入り口です。


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Via Nardiを更に進みます。


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写真右上に野外劇場があります。


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野外劇場


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レクペラティ通りにある、このレストランで、この日の夕食を食べました。


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スパーダ通りになります。


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スパーダ通りから振り返ってPalazzo Comunaleを見ました。


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この日は、動画をかなり撮ったので、SDHCカードの容量残が少ないことが分かったので、予備のカード補充のためにホテルに一旦戻ることにしました。


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Via delle Volteの入り口にFontanaがあります。


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15世紀に造られたFontana Vecchiaです。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会がある広場に入ります。


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広場ですが、広場と認められていないのか、名前がありません。


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ホテルがあるローマ通りです。


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ホテルに戻りました。


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再び町歩きに出発しました。


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町の中心に泊まると何かと便利です。


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時計塔が時々見える所がブリジゲッラの良さでしょう。


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Via de Abbondanzaの先に教会があります。


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教会は開いていないと思いながらも行ってみることにしました。
(つづく)

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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教区教会です。ファサードが工事中でした。


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ロッカ近くにサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の存在が1301年の文書に初めて記載されました。
17世紀初め、山上のロッカ近くの教会に行くのは大変で不便ということで、町の中心の行き易い場所に教会の移転が考えられました。そうして、1659年から1697年にかけて建設されたのが、現在の姿の原形です。


1
ファサード工事後の写真です。


2
1781年の地震によって大きな被害を受け、1785年までに大修復工事が行われました。現在の教会の姿は、1785年の工事完了時のものです。


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ファサード工事の具体的なことは不明です。


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右翼廊外観です。


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ロッカから見下ろした教会です。


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入口にある、ガエターノ・チコニャーニ枢機卿(ブリジゲッラ、1881-ローマ、1962)の紋章です。


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教会内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、マニエリスム様式の内部です。


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美術的に見逃せない作品が数点あります。


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クーポラ


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殆ど装飾がありません。


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先ずは中央礼拝堂から。


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主祭壇


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地味な後陣


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主祭壇画にビックリです。
「どうしてここにあるのか」と自問自答しながら、じっくりと鑑賞。出来は良いものの筆使い、色彩がイマイチです。
種明かしをすれば、グイド・レーニ工房作「グイド・レーニ作『大天使聖ミケーレ』のコピー画」(17世紀前半)です。工房にいた弟子が親方を真似て制作したのでしょう。
グイド・レーニのオリジナルは、ローマのサンタ・マリア・イマコラータ教会、別称骸骨寺にあります。


4
ご参考までにグイド・レーニの作品写真を載せておきます。
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「大天使聖ミケーレ」(1635)


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主祭壇の磔刑像(19世紀)


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ファサード裏にあるオルガン


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左翼廊の礼拝堂


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Mingarelli di Scuola Toscanaに帰属する「グラツィエの聖母」(1410)


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次の礼拝堂


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詳細不知のピエタと嘆き


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詳細不知のフレスコ画


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かなり新しいフレスコ画と思います。


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制作者情報不知の「聖ジュゼッペ」


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詳細不知


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左後陣の礼拝堂です。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「マギの礼拝の祭壇画」(1514)


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上部の博士たちとの問答


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下部のマギの礼拝


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左後陣礼拝堂天井


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ベルナルディーノ・ダ・トッシニャーノ(ボルゴ・トッシニャーノ、1515-1520消息)の「受胎告知」(1530)


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「キリスト教会博士たちとの問答」(1520c)


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後陣右礼拝堂


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詳細不知


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詳細不知

ここにきて、グエルチーノの祭壇画が見当たらないことに気付きました。ガックリです。


3
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の作品(1618)


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聖体容器


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

ブリジゲッラは、人口7,426人(2019年5月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県にあるコムーネです。イタリアの最も美しい村にリストアップされてます。
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ファエンツァとフィレンツェを結ぶ鉄道支線に乗車すれば、簡単にブリジゲッラに行くことが出来ます。この日は、ファエンツァ駅からフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ行普通列車に乗りました。


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ファエンツァ駅からブリジゲッラ駅間に駅が数駅あるようですが、フィレンツェ行きに乗車すれば、次の停車駅がブリジゲッラになります。昼過ぎの到着でした。


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乗降客は何時も少なく、列車が行ってしまうと乗客は誰もいなくなります。無人駅です。


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ブリジゲッラ駅の駅舎です。
先ず、この日のお宿に向かいます。ブリジゲッラは、見所が豊富で、中でも高所にある三か所に行き来するには山を上ったり下りたりする必要があるので、日帰りでは時間が足りないと思われ、1泊することをお勧めします。


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駅を出て、右手に行けば、直ぐにウゴニア公園があります。


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ウゴニア公園沿いのViale Alcide de Gasperiを進みます。


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ウゴニア公園を横断します。


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季節は、6月下旬、夏でした。


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公園からジュゼッペ・ウゴニア通りに入りました。


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この日のお宿はローマ通りにあります。


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ローマ通りです。写真左手前の建物が、この日のお宿です。


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この日のお宿、Modus Vivendiです。ブリジゲッラの宿泊設備の選択肢は少ないと思います。


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チェックインを済ませ、早速町歩きに出発しました。


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Piazza Giosue Carducciです。
ファサードが修復工事中の教会は、サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会で、ブリジゲッラの教区教会になります。
この後、直ぐに拝観しましたが、教区教会については(その2)で纏めて触れることにします。


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Piazza Giosue Carducciから見たローマ通りです。


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Piazza Giosue CarducciからVia Porta Fiorentina方向を臨む。


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Piazza Giosue CarducciからVia Abbondanza方向を臨む。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会から見たPiazza Giosue Carducciです。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会の後陣です。


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参事会教会の後陣横を通り過ぎます。


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フォッサ通りです。


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次を左折すると、ブリジゲッラ最古のVia Antica degli Asini Borgoに出ます。


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写真右の建物は、驚くなかれ映画館です。


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18世紀の建物を映画館に改造したようですが、営業しているのか分かりません。


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教会らしい建物がありました。


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外観は明らかに教会の後陣です。旧教会の建物と思いますが、教会の名称が分かりません。


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写真右奥の建物は、ミケーレ・レーガ枢機卿(1860-1935)によって、19世紀末に建設されたPalazzo Legaです。


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フォッサ通りの左手にスッフラージョ教会があります。写真左手前は旧ロザリオ教会の建物です。


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ブリジゲッラから出征した戦死者の遺骨が納められている教会です。


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私が行くと、何時も扉が閉まってます。


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遠くに時計塔が見えます。ブリジゲッラに来たならば、時計塔は行かねばならぬ場所の一つです。


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写真左の建物は旧ロザリオ教会です。


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このように2つの教会が接近して存在していたことに驚きを禁じえません。


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1929年に閉鎖されました。


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ファサード前の道が狭いので、ロザリオ教会ファサードの写真を撮るのが難しかった。


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旧ロザリオ教会の入り口扉


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Piazzetta Suffragioから見たスッフラージョ教会です。写真右奥の建物が旧ロザリオ教会です。


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Piazzetta Suffragioです。


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スッフラージョ教会を通り過ぎれば、直ぐにこの建物前に来ます。ここは、所謂「ロバの道」の入り口になります。「ロバの道」については、後程触れることにします。


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マルコーニ広場です。


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マルコーニ広場から見たスッフラージョ教会です。


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(つづく)

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サンヴィターレ要塞の狭間から見た景観です。


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軍事機能重視のサンヴィターレ要塞でしたが、16世紀にサンヴィターレ家の邸宅として改造、修復されました。


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17世紀に建設された煉瓦造りの橋


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小さな噴水


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フローラの庭から離れます。


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次は、1階(日本の2階)です。


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1階のロッジャは、要塞が開いている時間には一般公開されてます。


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階段の壁にフレスコ画の痕跡が認められますが、劣化が激しく何が描かれていたのか全く分かりません。


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ロッジャの出入り口扉上ルネッタ上に描かれたフレスコ画があります。


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近年、修復されたようで色鮮やかに蘇りました。


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誰の作品でしょうか?
チェーザレ・バリオーニ(クレモナ、1550c-パルマ、1615)の作品でしょうか? 2階(日本の3階)ロッジャのフレスコ画はチェーザレ・バリオーニによって描かれたようですが、2階のロッジャは非公開で2階に上れないようになっていました。


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ロッジャの反対側の出入り口の扉上ルネッタにもフレスコ画があります。


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詳細不知のフレスコ画


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1階(日本の2階)のロッジャから見た中庭です。


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要塞内部のガイドツアーの開始時間が迫ってきました。


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地上階に下ります。


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既に人が集まっていました。


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この扉前が集合場所となっています。切符売り場で切符を買い、ここで暫く待ちました。
ガイドツアー参加者は約30名で、イタリア語と英語の2班に分かれました。
私は英語班に参加しました。


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パンフレットが渡されましたが、後で返却することになってます。


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内部は写真不可でした。
英語班ですが、興味がないので外に出たいとか、パルミジャニーノのフレスコ画がある部屋で、絵画が嫌いなので別の部屋に直ぐに移りたい等を言う人がいて、散々でした。ガイドさんも、それらの意見を無視できなかったようで、私が観たかったパルミジャニーノのフレスコ画は鑑賞どころではありませんでした。困ったことでした。
フォンタネッラート観光の肝腎はパルミジャニーノのフレスコ画ですから、ガイドツアー参加者の一部は何を期待してこの村に来たのでしょうか?
パルミジャニーノのフレスコ画ですが、私の写真は1枚もありません。外部サイトから拝借して、フレスコ画を紹介しておきましょう。


4
南面のフレスコ画
フレスコ画のテーマは、ダイアナ(ディアナ)とアクテオンの物語です。そのため、この部屋は「ダイアナとアクテオンの部屋」と呼ばれてます。

フランス軍と戦ったラヴェンナとパヴィアの戦いで有名なジャン・ガレアッツォ・サンヴィターレ伯爵(フォンタネッラート、1496-パルマ、1550)がパルミジャニーノにこの部屋の装飾を依頼して、1523年から1524年に制作されたマニエリスムのフレスコ画です。
この部屋はジャン・ガレアッツォの妻、パオラ・ゴンザーガ・サンヴィターレ伯爵夫人の化粧室でした。
ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ通称パルミジャニーノ(パルマ、1503-カザルマッジョーレ、1540)の代表作です。


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西面


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北面


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東面


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東面に描かれた女性は、パオラ・ゴンザーガ・サンヴィーターレ伯爵夫人の肖像画と言われてます。
パルミジャニーノが後に描いた作品の聖母のモデルがパオラではないか、という説があります。


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パオラ・ゴンザーガ・サンヴィターレが聖母のモデルという説がある、パルミジャニーノの「長い首の聖母」(1534)です。


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天井


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キリがないので、この辺にしておきましょう。


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自分のペースで見ることが出来ないグループツアーが苦手です。


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物足らないで終わったサンヴィターレ要塞の内部見学でした。


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外に出ました。
なお、1948年に、サンヴィターレ家が要塞をフォンタネッラート・コムーネに売却しました。


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ホテルに戻りました。


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ヴィッラホテルの自室ベランダから見えるサンヴィターレ要塞の時計です。


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その夜は大人しく寝ました。


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翌朝です。


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この日も天気に恵まれました。


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次の目的地はファエンツァです。


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バスでパルマに向かい、パルマからファエンツァは快速列車に乗ります。


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ヴィッラホテルを後にしました。中々良いホテルで、エンジョイ出来ました。


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私にとって、最後のフォンタネッラートになりました。


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一度はパルマから往復遠足したいと考えていましたが、その機会に恵まれません。


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グリエルモ・マルコーニ通りです。


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名残惜しく、振り返りました。


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Porta di Sopraです。


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門を潜り城壁外に出ました。


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ロザリオの聖母の聖堂聖域です。


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(おわり)

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サンヴィターレ要塞の一般公開時間まで30分となりました。


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1124年に合意されたルッカとの条約によって、フォンタネッラートの支配者となったオベルト1世パッラヴィチーノ(ブッセート、1080-1148)は、1145年頃に支配地の中心に塔と砦を建設しましたが、それが要塞の起源です。


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1378年、パヴィア卿で後にミラノ公になったジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(パヴィア、1351-メレニャーノ、1402)は、グエルフへの忠誠の報酬として、フォンタネッラートを取得しました。
新領主となったジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティは、従来からあった塔と要塞に加えて新しい城の建設を考えるようになり、1386年に建設工事が始まり、1400年頃に新しい城が完成しました。
イタリアの「城」の名称は、大体の場合、最初の呼称がそのまま踏襲されるようです。


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1404年、ミラノ公ジョヴァンニ・マリア・ヴィスコンティ(ミラノ、1388-アッビアテグラッソ、1412)は、ジベルトとジャンマルティーノのサンヴィターレ兄弟にフォンタネッラートを与えました。
サンヴィターレ家所有となった城は、拡大され、16世紀にほぼ現在の構造になりました。
その後、数度にわたり改造、改修を繰り返しましたが、1878年の修復工事の際、16世紀の姿に復元されました。その復元後の姿が現在の外観となってます。


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サンヴィターレ要塞入口のファサードです。
要塞の四方からの外観写真を示しておきましょう。


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南西側


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西角


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東角


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北東側にロッジャがあります。


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南角


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北角


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時計塔の前に橋があります。


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創建以来、堀に架かる橋は跳ね橋でしたが、17世紀初めに煉瓦造りの橋に変更されました。


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要塞の中に入ります。


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入口塔に時計があります。現在の時計はオリジナルの17世紀のものではなく、1997年に復元されたものです。


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時計塔に向かって右側です。


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橋を渡ります。


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橋上から見た要塞外の景観


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入り口前にある説明板


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入口アーチの壁にフレスコ画があります。


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紋章のフレスコ画です。


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写真のほぼ中央にサンヴィターレ家の紋章があります。


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中庭に入ります。


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中庭です。


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要塞の建物は、Palazzo Comunaleとして使用されてます。


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切符売り場の入り口です。


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三階建てでロッジャがあります。


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地上階のロッジャ


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ガイドツアーの前に、適当に見て回りました。


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「フローラの庭」です。


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狭間から見たサンタ・クローチェ教会です。


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サンタ・マリア・アッスンタ祈祷所です。


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19世紀に造られた光学室です。


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(つづく)

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ホテルの自室ベランダでの昼寝を終わって、再び外に出ました。


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サンヴィターレ伯爵家の厩舎だった建物です。現在、個人所有で部外者立ち入り禁止です。


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強烈な日差しでした。


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午後になって、観光客の姿を見かけるようになりました。恐らくサンヴィターレ要塞の一般公開の時間に合わせて、この町に来たのでしょう。


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しかし、要塞の公開時間まで、あと1時間半ほどありました。


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時間潰しのため、城壁外に出て見て回ることにしました。


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旧市街を東から北に、さらに西の方角に回ることにしました。


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旧市街の中心に要塞があります。要塞を囲む道を回ってから外に出ます。


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写真右はサンヴィターレ伯爵家の旧厩舎のロッジャです。


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町一番の目抜き通りであるグリエルモ・マルコーニ通りです。


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グリエルモ・マルコーニ通りの突き当りはPorta di Sopraです。


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Porta di Sopraを潜ります。


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門を潜って旧市街の外に出ました。


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緑深い一角を進みます。


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旧市街を取り囲む道路がありますが、方角や場所によって名称が変わり、東ではローマ通りと呼ばれてます。


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城壁に見えますが、旧サン・ジュゼッペ修道院の塀です。


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フォンタネッラートは、パルマのベッドタウンになっているようで、個人住宅が並んでます。


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郊外の普通の住宅地なので、観光的な見所が皆無です。


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サンティ通りです。


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旧サン・ジュゼッペ修道院の先にベアータ・ヴェルジネ・ロザリオ聖堂聖域の鐘楼とクーポラが見えます。


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サン・ジュゼッペ修道院の教会がベアータ・ヴェルジネ・デル・サント・ロザリオ聖堂聖域です。


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カドゥーティ・ディ・チェファロニア通りです。


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広大な牧草地に出ました。


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牧草地の一角に馬が放牧されてました。


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馬は、暑さに弱い筈ですが、暑さを気にせずに一心不乱に草を食んでいました。


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牧草地を越えると妙な場所に出ました。


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フォンタネッラート墓地です。


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一応墓地に入ってみました。


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北に向かって進みました。


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一旦ローマ通りに戻ります。


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泊っているヴィッラホテルの裏門です。


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道の木陰が有難かった。


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旧市街の北方に広大な公園があります。


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旧市街を一周する通りで、この辺ではトリアッティ通りと呼ばれてます。


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ヴェッツォーニ通りへと通りの名称が変わります。


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これ以上通りを歩いても見どころが無さそうです。


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サンヴィターレ要塞の公開時間まで時間がありますが、旧市街に戻ることにしました。


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写真右の建物の先を右折します。


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小さな公園がありますが、その公園にライオン像があります。


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水飲み場の上にライオンが横たわってます。


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ライオン像がある理由が分かりません。


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ライオン像を越えれば、サンタ・マリア・アッスンタ祈祷所の後陣に出ます。


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(つづく)

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作品帰属が分からない祭壇画が殆どでしたが、それらの質はかなり高いと思った聖堂聖域でした。


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この辺で11月4日通りと通りの名称が変わります。


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病院の入り口です。


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Centro Cardinal Ferrari(病院名)です。


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パルマ県における主要病院の一つです。


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病院の庭からSantuario Basilicaの鐘楼が見えます。


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聖堂聖域の先は観光向きではありません。


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旧市街を外れると緑溢れる町です。


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公園の先にサンタ・クローチェ教会の鐘楼が見えました。


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昼前にやっておくことがありました。


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この日の翌朝、バスでパルマに戻るので、バスの切符をバールで事前に買いました。


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バスの停留所と時刻を確認しました。バスの停留所が交差点の四か所にあるので、確かめないと・・・・・


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バスは始発ではなく、乗客は少ないと聞いていたので、これで安心です。


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この辺で、通りの名称が11月4日通りからヴィットリオ・ヴェネト通りに変わります。


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あちこち歩いても退屈なだけです。


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19世紀に建設されたPalazzo Jacopo Sanvitaleです。


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Palazzo Jacopo Sanvitaleの前にある戦没者追悼のモニュメント


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旧城壁内に戻ることにしました。


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直ぐに門が見えてきます。


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旧市街の入り口 Porta di Sopraです。


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門の横の建物


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門の横は花一杯でした。


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門を潜りました。


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旧市街の中から見たPorta di Sopraです。


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門の外方向です。


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グリエルモ・マルコーニ通りから見たPorta di Sopraです。


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グリエルモ・マルコーニ通りです。


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Rocca Sanvitaleに向かいます。


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観光客の姿が見えません。


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日帰りの観光客が殆どのようです。


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要塞の周囲をじっくりと見て回ることにしました。


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そろそろ昼食時です。


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ホテルに戻ります。


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ホテル併設のレストランで昼食を食べました。実は、このヴィッラ・ホテルのフル・ボード(1泊3食付き)を予約していたのです。フォンタネッラートなどの小さな町に宿泊する場合、意外に夕食を食べる所を探すことが大変なことがあります。


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自室に戻って休息です。


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涼しくて心地よかった。


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ヴィッラホテルの森です。
(つづく)

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聖なるロザリオの聖母の聖堂聖域 Santuario Basilica della Beata Vergine del Santo Rosarioの広場の前に門があります。


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教会の敷地内に入りました。


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教会前広場の北側に20世紀前半に建設された長い柱廊があります。


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長い柱廊に入ってみました。


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この場所に14世紀に建てられたサン・ジュゼッペ祈祷所がありましたが、15世紀末に祈祷所を取り壊し、その上に修道院と教会を新設することになり、修道院は1512年に完成しました。


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教会は1514年に完成しました。


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教会は巡礼地になったので、17世紀前半には修道院教会は手狭になりました。最初の建物を取り壊して、1641年から1660年に再建されたバロック様式の建物が現在の姿の原形です。


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写真左の煉瓦色の建物よりも奥が1672年着工、1700年頃完成した修道院です。


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ネオ・バロック様式の現ファサードは、ランベルト・フザーニ(パルマ、1877-1966)の設計によって1913年から1920年にかけて建設されました。


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ファサードの彫刻


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後陣と鐘楼


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クーポラと鐘楼


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ファサードの下部に柱廊があります。


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1903年、第257代教皇ピオ10世紀(在位:1903年-1914年)によってBasilica Minoreに格付けされました。


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聖堂内に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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左右に4つづつの礼拝堂があります。


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ピエトロ・ルビーニ(パルマ、1700-1765)によって1731年に描かれた天井フレスコ画


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床の文様


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主祭壇


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制作者情報不知の「ドメニコ会聖人たち」(18世紀初め)


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ピエトロ・ルビーニ(パルマ、1700-1765)の「聖パオロと聖トマス・アクィナスと聖ピエトロ」


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制作者情報不知の「ソリアーノの聖ドメニコの出現」(1666)


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ファサード裏にあるオルガン


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制作者情報不知の「聖ジュゼッペ」(19世紀)


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詳細不知


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ロザリオの聖母の礼拝堂


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制作者情報不知の「磔刑像」(1663)


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詳細不知


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詳細不知


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制作者情報不知の「割礼」(1663)


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制作者情報不知の「聖ジャチントの奇跡」(1669)


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制作者情報不知の「聖ライモンドの奇跡」(1669)


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外に出ました。
(つづく)

フォンタネッラートは、人口7,061人(2018年12月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州パルマ県にあるコムーネで、「イタリアの最も美しい村」にリストアップされてます。
町周辺は、パルミジャーノ・レッジャーノの名産地です。
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前泊地は、エミリア・ロマーニャ州のグアルティエーリでした。


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列車に乗ってパルマ駅に向かいます。この鉄道はFS本体ではなく、系列子会社の運営だったと思います。


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普段ならば通学客で混雑する時間帯でしたが、学校が夏休みに入ったので、車内は非常に空いてました。


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パルマ駅に到着しました。
パルマ駅前からフォンタネッラート行きのバスがありますが、夏休みになったので、昼間の時間帯にはバスがないので、タクシーでフォンタネッラートに向かいました。フォンタネッラートは、パルマの西約25㎞にあります。


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タクシーで乗車約30分弱で、フォンタネッラートの、この日のお宿前に着きました。写真の赤い建物がこの日のお宿で、レストラン併設のヴィッラです。
フォンタネッラートの宿泊設備は限られていて、真面なのは、ここしかないようです。


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荷物をお宿に預けて、早速町歩きに出発しました。
この日のお宿は、要塞の向かいという絶好の場所にあります。


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サンヴィターレ要塞 Rocca Sanvitale、フォンタネッラート城(別称)です。


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当時、要塞の公開は夏季の午後のみでした。まだ午前中だったので、他の場所を見て回ります。


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この日は夏至の前日でした。カンカン照りで参りました。


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要塞は深い堀に囲まれてます。


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フォンタネッラートにおける美術的な見所は、要塞の中のパルミジャニーノのフレスコ画に尽きます。それをゆっくりと鑑賞するために来た訳です。
結論を言えば、その目的は悲惨なものに終わりました、パルミジャニーノのフレスコ画を見ることはできたのですが、ガイドツアーのみで、次の部屋、次の部屋とガイドから急かされて、ゆっくり鑑賞するどころではなく、見事に時間不足に終わったのです。その上、写真厳禁でした。
その詳しいことは後述します。


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先ずは教会巡りです。


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鐘楼が写っている教会に行きます。


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その奥に、もう一つ教会があります。


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城壁内に2つの教会があります。


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写真左端の教会に行きます。


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サンタ・クローチェ教会です。長い間、教区教会でしたが、今は違います。


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フォンタネッラート領主ギベルト2世サンヴィターレ伯爵によって、1447年に創建され、1503年に完成したゴシック様式の教会です。


1
左右非対称のファサードです。


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拝観したかった教会でしたが・・・・・


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残念! 扉が閉まっていました。


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サンタ・クローチェ教会の後陣


2
次はサンタ・マリア・アッスンタ祈祷所です。


3
この場所に10世紀頃に建設された小さな礼拝堂がありましたが、15世紀頃には朽ち果てて廃墟になっていました。それを取り壊して、その上に1572年に建設された建物が現在の姿の原形です。1720年にバロック様式に改造され、現在に至ってます。
ここも閉まっていました。


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ルイージ・サンヴィターレ通りから見たサンヴィターレ要塞です。


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ルイージ・サンヴィターレ通りです。


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写真左の黄色の建物はコムナーレ劇場です。


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1856年、ルイージ・サンヴィターレ伯爵が、この土地を寄贈し、1864年から1866年に建設された新古典様式のコムナーレ劇場です。


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馬蹄形の劇場で、客席数は174席だそうです。


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劇場の先に広場があります。


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ヴェルディ広場です。ヴェルディ・オペラを上演するには、少し小さ過ぎる劇場のように思えます。


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アパートです。


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ヴェルディ広場の突き当りはパラッキ通りです。


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ヴェルディ広場からサンタ・クローチェ教会の鐘楼が見えます。


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パラッキ通りから見たヴェルディ広場です。写真右端の黄色の建物はコムナーレ劇場です。


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パラッキ通りを進んで城壁外に出ます。この辺の城壁は19世紀に取り壊されて存在しません。


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ヴィットリオ・ヴェネト大通りに出ました。


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病院です。


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病院前のモニュメント(詳細不知です)


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緑一杯のヴィットリオ・ヴェネト広場です。


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この先に教会があります。


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ベアータ・ヴェルジネ・デル・サント・ロザリオ聖域聖堂のファサードが見えてきました。
(つづく)

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二コラ・グラッシ(フォルメアーゾ・ディ・ツゥーリオ、1682-ヴェネツィア、1748)の「アガルと天使」(1710-20c)


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ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)とジャンドメニコ・ティエポロ(ヴェネツィア、1726-1804)の「Consilium in arena」(1750c)


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二コラ・グラッシ(フォルメアーゾ・ディ・ツゥーリオ、1682-ヴェネツィア、1748)の「ユダとタマーラ」(1710-20c)


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ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-ヴェネツィア、1748)の「無知に勝る美徳と貴族の寓意」(1740-43)


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次の部屋です。


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第12室になります。


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二コラ・グラッシ(フォルメアーゾ・ディ・ツゥーリオ、1682-ヴェネツィア、1748)の「井戸のレベッカ」(1716-20)


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二コラ・グラッシ(フォルメアーゾ・ディ・ツゥーリオ、1682-ヴェネツィア、1748)の「ヤコブとラキエルの邂逅」(1735-40)


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二コラ・グラッシ(フォルメアーゾ・ディ・ツゥーリオ、1682-ヴェネツィア、1748)の「聖母被昇天」(1744c)


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ジュゼッペ・ベルナルディーノ・バイソン(パルマノーヴァ、1762-ミラノ、1844)の「魔法使い」(1844)


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ナターレ・スキアヴォーニ(キオッジャ、1777-ヴェネツィア、1858)の「ジュゼッペ・ベルナルディーノ・バイソンの肖像」(1810c)


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ジュゼッペ・トミンツ(ゴリツィア、1790-スロヴェニア、1866)の「Maestro delle Poste von Preinitsch」


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オドリ―コ・ポリーティ(ウーディネ、1785-ヴェネツィア、1846)の「自画像」(1840c)


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オドリ―コ・ポリーティ(ウーディネ、1785-ヴェネツィア、1846)の「自画像」(1840c)


P2780250
オドリ―コ・ポリーティ(ウーディネ、1785-ヴェネツィア、1846)の「画家のモデル」(1837-38c)


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二コラ・グラッシ(フォルメアーゾ・ディ・ツゥーリオ、1682-ヴェネツィア、1748)の「年輩の男の肖像」(1720c)


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二コラ・グラッシ(フォルメアーゾ・ディ・ツゥーリオ、1682-ヴェネツィア、1748)の「井戸の蓋を取るヤコブ」(1718-20)


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オドリ―コ・ポリーティ(ウーディネ、1785-ヴェネツィア、1846)の「アントニオ・カノーヴァの肖像」(1810c)


P2780258
マリアンナ・パスコーリ・アンジェリ(モンファルコ―ネ、1790-1846)の「マルゲリータ・アントニーニ・べルグラードの肖像」(1820c)


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ルイージ・ミニシーニ(サン・ダニエーレ・デル・フリウリ、1816-トレヴィーゾ、1901)の「眠る幼児」


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アスカニオ・ディ・ブラッツァ(ウーディネ、1793-ローマ、1877)の「ブドウを手にする幼児」(1837)


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ジョヴァンニ・パーリアリーニ(フェッラーラ、1809-1878)の「エンジニア、アントニオ・ルイージの家族」(1852)


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この先は閉まっていました。


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下の階に下りました。


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イタリア統一関連の展示です。


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展示よりも部屋のフレスコ画に興味を覚えました。


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詳細不知


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考古学部門の展示


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写真部門の展示です。


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興味深い展示です。


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エッチングの展示です。


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ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の作品です。


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ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の作品です。


368
外に出ました。
(おわり)

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ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581-ヴェネツィア、1644)の「ベレーニチェ」


P2780123
アントニオ・カルネオ(コンコルディア・サジッターリア、1637-ポルトグアーロ、1692)の「聖母子と聖マルコとヴェネツィア副官」(1677)


P2780127
アントニオ・カルネオ(コンコルディア・サジッターリア、1637-ポルトグアーロ、1692)の「聖家族とヴェネツィア副官」(1670c)


P2780129
フィリッポ・パロディ(ジェノヴァ、1630-1702)の「フラ・パオロ・サルピ」(17世紀末)


P2780132
ヨハン・カール・ロート(モナコ、1632-ヴェネツィア、1698)の領域(Ambito di)の「クレオパトラ」(1680c)


P2780135
アントニオ・カルネオ(コンコルディア・サジッターリア、1637-ポルトグアーロ、1692)の「ジョヴァンニ・ジラルディの肖像」(1676-77)


P2780136
アントニオ・カルネオ(コンコルディア・サジッターリア、1637-ポルトグアーロ、1692)の「フェルディナンド・ディ・プランペロの肖像」(1668)


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17世紀中頃のジェノヴァの逸名画家作「貴婦人の肖像」(1660-70c)


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ルカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634-1705)の「男の肖像」(1660-70c)


P2780144
ジュゼペ・デ・リベラ通称ロ・スパーニョレット(スペイン、ハティヴァ、1591-ナポリ、1652)の「黒服を着た貴婦人の肖像」(1630-40c)


P2780146
ヴィットーレ・ギスランディ通称フラ・ガルガリオ(ベルガモ、1656-ミラノ、1743)の「ドメニコ会修道士の肖像」(1720c)


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セバスティアーノ・ボンベッリ(ウーディネ、1635-ヴェネツィア、1719)の「自画像」(1686)


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セバスティアーノ・ボンベッリ(ウーディネ、1635-ヴェネツィア、1719)の「自画像」(1675)


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セバスティアーノ・ボンベッリ(ウーディネ、1635-ヴェネツィア、1719)の「ベネデット・マンジッリの肖像」(1665)


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ジェノヴァの逸名画家作「紳士の肖像」(17世紀第2四半世紀)


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ジェノヴァの逸名画家作「紳士の肖像」(17世紀第2四半世紀)


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ジェノヴァの逸名画家作「紳士の肖像」(17世紀第2四半世紀)


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次の部屋です。


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第9室になります。


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ピエトロ・リッチ(ルッカ、1606-ウーディネ、1675)の「聖テレーザの光悦」(1670-75)


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ジュゼッペ・レッコ(ナポリ、1634-アリカンテ、1695)の領域(Ambito di)の「魚の静物画」


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パオロ・パオレッティ(パドヴァ、1671-ウーディネ、1735)の「静物画」(18世紀初め)


P2780177
パオロ・パオレッティ(パドヴァ、1671-ウディネ、1735)の「静物画」(18世紀初め)


P2780179
カンディ―ド・ヴィタリ(ボローニャ、1680-1753)の「静物画」


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カンディード・ヴィタリ(ボローニャ、1680-1753)の「静物画」


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ジョヴァンニ・コーリ(ルッカ、1636-1686)とフィリッポ・ゲラルディ(ルッカ、1643-1704)の「美徳を奨励するミネルヴァ」


P2780189
ジョヴァンニ・コーリ(ルッカ、1636-1686)とフィリッポ・ゲラルディ(ルッカ、1643-1704)の「ミネルヴァの犠牲」


P2780185
ジョヴァンバッティスタ・ランゲッティ(ジェノヴァ、1635?-ヴェネツィア、1676)の「ゼノクラテスを誘惑する遊女」(17世紀中頃)


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次の部屋です。



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第10室になります。


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フランチェスコ・マッジョット(ヴェネツィア、1750-1805)とウルデリコ・モーロ(プリオーラ、1737-1804)の「コンタレーナ広場の風景」(1771以降)


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ヨゼフ・ヘインツ・イル・ジョーヴァネ(アウグスタ、1600c-ヴェネツィア、1678)に帰属する「ウーディネの地図」(1650-60)


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フランチェスコ・マッジョット(ヴェネツィア、1750-1805)とウルデリコ・モーロ(プリオーラ、1737‐1804)の「プッブリコ宮ロッジャの風景」(1771以降)


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ファウスト・アントニオ―リ(ベルガモ、1822‐ウーディネ、1882)の「コンタレーナ広場の風景」(1866)


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次の部屋(恐らく第11室?)は閉まっていました。


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ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696‐マドリッド、1770)の「サレスの聖フランチェスコ」(1732‐33c)


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ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696‐マドリッド、1770)の「守護天使」(1732‐33c)
(つづく)

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ポンポニオ・アマルテオ(モッタ・ディ・リヴェンツァ、1505-サン・ヴィート・アル・ターリアメント、1588)の「光悦の聖フランチェスコ」(1545-47)


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次の部屋です。


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第6室です。


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548c-1628)の「ヴェネツィアに降伏するウーディネ」(1595)


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リドルフォ・ビゴルディ(フィレンツェ、1483-1561)とミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ(フィレンツェ、1503-1577)の「羊飼いの礼拝」(16世紀前半)


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フランチェスコ・フロリア―ニ(ウーディネ、1500-1586c)の「聖家族」(1573)


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次の部屋です。


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この作品を観るためにウーディネに来たのです。
カラヴァッジョの帰属作品です。
約30分、作品の前に佇み、じっくりと鑑賞しました。カラヴァッジョ自身によるコピー画と思いました。若干薄塗です。


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この作品のオリジナルをご覧になった方が多いと思います。


1
これがオリジナルの作品画像です。(外部サイトから拝借した作品画像です)
アメリカ、コネティカット州ハートフォードにあるウォズワース・アスィニアム美術館に所蔵されてます。
2017年から2018年にかけてミラノで開催された「デントロ・カラヴァッジョ展」で展示されていました。
中世の頃、オリジナル作品を観たパトロンなどが同じ作品を希望して発注することがよくあって、制作者自身によるコピー画が制作されました。
ウーディネにある「聖フランチェスコ」も、そうして制作された作品と思いました。
しかし、この作品の制作を巡る詳細については、全く明らかになっていないようです。


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フルヴィオ・グリッフォ―ニ(ウーディネ、1589-1664)の「マナの落下」(1647)


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ローマの工芸家作「金庫」(17世紀第4四半世紀)


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セバスティアーノ・セカンティ・イル・ジョーヴァネ(ウーディネ、1539-1579以降没)の「医者の肖像」(1562)


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ポール・ブリル(アンヴェルサ、1554-ローマ、1626)の領域(Ambito di)による「エマオの邂逅」


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ピーテル・ボッディンギ・ファン・ラール通称バンボッチョ(オランダ、ハールレム、1599-1642)の「騎士」


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ヤコブ・デ・ウェット(ハールレム、1610c-1671以降没)に帰属する「エステルの化粧室」


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フランチェスコ・サルヴィアーティ・デ・ロッシ(フィレンツェ、1509-ローマ、1563)の「若い男の肖像」(1557c)


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トスカーナの芸術家作「金庫」(1700-10c)


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フランドルの逸名画家作「貴婦人の肖像」(17世紀初頭)


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フランドルの逸名画家作「若い紳士の肖像」(17世紀初頭)


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次の部屋です。


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大広間です。


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ここで室内楽などのコンサートや会議などが行われてます。


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展示作品はなく、壁と天井に描かれたフレスコ画が見所です。


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3人の画家によってフレスコ画が制作されましたが、場面毎の作品帰属が分かりません。(私が分からないだけで、カステッロの方は分かっていると思います)


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3人の画家とは、ポンポニオ・アマルテオ(モッタ・ディ・リヴェンツァ、1505-サン・ヴィート・アル・ターリアメント、1588)、ジョヴァンニ・バッティスタ・グラッシ(ウーディネ、1525-1578)、ジョヴァン・バッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)です。


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次は第8室です。


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アントニオ・カルネオ(コンコルディア・サジッターリア、1637-ポルトグアーロ、1692)の「寓意画」(1660c)


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アントニオ・カルネオ(コンコルディア・サジッターリア、1637-ポルトグアーロ、1692)の「寓意画」(1660c)


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アントニオ・カルネオ(コンコルディア・サジッターリア、1637-ポルトグアーロ、1692)の「浮浪者」(1667-78)


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アントニオ・カルネオ(コンコルディア・サジッターリア、1637-ポルトグアーロ、1692)の「憂い」(1667-76)


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アントニオ・カルネオ(コンコルディア・サジッターリア、1637-ポルトグアーロ、1692)の「男の肖像」(1680c)


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アントニオ・カルネオ(コンコルディア・サジッターリア、1637-ポルトグアーロ、1692)の「パドヴァの聖アントニオ」(17世紀後半)
(つづく)

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ヴェネト派逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(15世紀後半)


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バッティスタ・スキアヴォーネ・ダ・ザガブリア(1468-1484活動記録)の「磔刑」(1468)


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ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373-1452)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖アントニオ・アバーテ」(15世紀前半)


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トスカーナの逸名画家作「聖母子」(14世紀末)


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デシデリオ・ダ・セッティニャーノ(セッティニャーノ、1429/1430-フィレンツェ、1484)の領域(Ambito di)の「聖母子と天使」(15世紀)


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ミーノ・ダ・フィエーゾレ(ポッピ、1429-フィレンツェ、1484)の工房作「聖母子」(1475-80c)


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トスカーナの逸名彫刻家作「修道士の胸像」(16世紀)


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アレッソ・ディ・ベノッツォ・ゴッツォーリ(フィレンツェ、1473-1528))に帰属する「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖人」(16世紀初頭)


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トスカーナ派逸名彫刻家作、またはミーノ・ダ・フィエーゾレ工房?作「聖人」(15世紀)


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アントニオ・ロッセリーノ(セッティニャーノ?,1427/1428-フィレンツェ、1479)の模倣者作「聖母子」(15世紀)


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ベネデット・ダ・マイアーノ(フィレンツェ、1442-1497)の領域(Ambito di)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(15世紀)


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次の部屋です。


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第3室です。


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ドメニコ・ミオーニ通称ドメニコ・ダ・トルメッツォ(トルメッツォ、1448c-ウーディネ、1507)の「剣を抜く天使」(15世紀末)


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ドメニコ・ミオーニ通称ドメニコ・ダ・トルメッツォ(トルメッツォ、1448c-ウーディネ、1507)の「悔悛のダヴィデ」(15世紀末)


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ジョヴァンニ・マルティーニ(ウーディネ、1470/1475c-1535)の「聖ドメニコ」(1503-07)


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ジョヴァンニ・マルティーニ工房作「聖ベネデットと信者」(16世紀第1四半世紀)


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ドメニコ・ミオーニ通称ドメニコ・ダ・トルメッツォ(トルメッツォ、1448c-ウーディネ、1507)の「聖母子と聖人たち」(1479)


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ジローラモ・ディ・ベルナルディーノ・ダ・ウーディネ(ウーディネ、1506-1512活動記録)の「聖母戴冠」


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ヴィットーレ・カルパッチョ(ヴェネツィア、1460c-1526)の「受難のキリスト」(1496)


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ステファノ・ディ・セッティカステッリ(1448-1465記録)に帰属する「聖母子とウーディネ城」(15世紀)


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次の部屋です。


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第4室です。


P2770987
ポンポニオ・アマルテオ(モッタ・ディ・リヴェンツァ、1505-サン・ヴィート・アル・ターリアメント、1588)の「最後の晩餐」(1574)


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ペッレグリーノ・ダ・サン・ダニエーレ(ウーディネ、1467-1547)の「受胎告知」(1519)


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ペッレグリーノ・ダ・サン・ダニエーレ(ウーディネ、1467-1547)の司教杖を引き渡す聖エルマコーラ」(1519-21)


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ペッレグリーノ・ダ・サン・ダニエーレ(ウーディネ、1467-1547)の「聖グレゴリオと聖ジローラモ」(1519-21)


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ペッレグリーノ・ダ・サン・ダニエーレ(ウーディネ、1467-1547)の「聖アゴスティーノと聖アンブロージョ」(1519-21)


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ジローラモ・ダ・ウーディネ(ウーディネ、1487-ローマ、1561)の「聖母子と2福音書記者」(16世紀)


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アンドレア・ベッルネッロ(ベッルーノ、1430c-サン・ヴィート・アル・ターリアメント、1494)の「磔刑と聖人たち」(1476)


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ジャンバッティスタ・マガンツァ・イル・ジョーヴァネ(ヴィチェンツァ、1577-1617)の「ラッザーロと利己的な金持ち」(16世紀末)


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アレッサンドロ・マガンツァ(ヴィチェンツァ、1556?-1632)の「教会博士との問答」(1580-90c)


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次の部屋です。


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第5室です。


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北欧の逸名画家作「チカラ伯爵の肖像」(16世紀前半)


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ロンバルドの逸名画家作「キリスト」(16世紀前半)


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セバスティアーノ・フロリジェリオ(コネリアーノ、1500-ウーディネ、1543c)の「キリストの復活」(1530c)


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ジョヴァンニ・アントニオ・デ・サッキス通称イル・ポルデノーネ(ポルデノーネ、1484c-フェッラーラ、1539)の「聖母子」(1516)


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ポルデノーネ派逸名画家作「若者」(16世紀第2四半世紀)


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ジョヴァンニ・アントニオ・デ・サッキス通称イル・ポルデノーネ(ポルデノーネ、1484c-フェッラーラ、1539)の「永遠なる父」(1527c)


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カルロ・グリッフォ―ニ(ウーディネ、16世紀後半-17世紀前半)の「大天使ガブリエーレ」(16世紀末)


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カルロ・グリッフォ―ニ(ウーディネ、16世紀後半-17世紀前半)の「受胎告知される聖母」(16世紀末)
(つづく)

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