イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2021年02月

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次はドゥオーモです。


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イーモラのドゥオーモ、サン・カッシアーノ司教座聖堂 Basilica Minore e Cattedrale di San Cassianoです。


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イーモラの司教座教会は、12世紀後半までイーモラの西方にあるカストルム・サンクティ・カッシアーノと言う町にありました。
イーモラのコムーネはそのことに不満でした。1177年、イーモラはカストルム・サンクティ・カッシアーノを攻撃して、司教座教会を含めて町を攻略して屈服させました。それを受けて、当時のエンリコ司教は、現在地に新しい司教座教会の建設を決めました。
1187年に創建され、13世紀前半に完成しました。1271年、奉献式が執り行われました。


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1763年の補強工事において、建物の構造的欠陥があることが判明したので、1765年から1781年にかけて、建物の大部分が再建されました。


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現在のバロック様式のファサードは、1660年に完成しました。


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現在の鐘楼は1457年に完成したもので、完成年が鐘楼の台座が刻まれてます。


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場所によって完成年が大幅に異なる大聖堂外壁です。


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ファサードに向かって右側の外壁


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クーポラと鐘楼


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1981年、第264代教皇ジョヴァンニ・パオロ2世(1920‐2005 在位:1978‐2005)によってBasilica Minore に格付けされました。


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、後期バロック様式の内部です。


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12世紀後半の創建時の姿は全く見ることが出来ません。


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Presbiterioが目立ちます。


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身廊中央のPresbiterioの前にクリプタの入り口があります。


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1698年から1704年に建設されたクリプタです。


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主祭壇


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クーポラ


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Presbiterio天井の装飾


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主祭壇画は、ピエトロ・テデスキ(ペーザロ、1750?‐ローマ、1808c)の「聖カッシアーノの殉教」


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Presbiterioは立ち入り禁止なので、主祭壇画の写真が全然ダメ。


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アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「聖カッシアーノと聖人たち(聖アポッリナーレ、聖コズマ、聖カルロ・ボッロメオ、聖テレンツィオ)と寄進者」


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ヤコポ・ベルトゥッチ(ファエンツァ、1502‐1579)に帰属する「聖母被昇天」


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逸名画家作「聖母子を崇める聖人たち」(19世紀)
小枠内の聖母子は15世紀のものです。


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逸名画家、恐らくカムッチーノ工房作の「聖ピエトロと聖パオロ」(19世紀)


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イグナツィオ・ゾッティ(イーモラ、1806‐フィレンツェ、1865)の「エマオの晩餐」(1850)


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トスカーナの逸名彫刻家作「磔刑像」(15世紀末)


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アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「十字架の高揚」(1783)


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ジャコモ・ザンパ(フォルリ、1731‐トッシニャーノ、1808)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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左翼廊のオルガン


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右側廊の無原罪の御宿リ礼拝堂


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無原罪の御宿リ礼拝堂天井のフレスコ画


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右側廊


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左側廊


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洗礼盤(16世紀初頭)


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制作者情報等詳細不知の「キリストの洗礼」


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クリプタの入り口前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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晴れていましたが、遠雷が聞こえてきました。


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下校時間になったようで、若者の姿を多数見かけるようになりました。


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空は未だ晴れていましたが、雷鳴が徐々に近づいてきたようです。


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稲光が一閃、物凄い雷鳴。


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ポツリ、ポツリと雨が落ちてきました。


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天気雨です。


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雨が降ると思っていなかったので、傘を持っていません。


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直ぐに土砂降り。


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慌てて一旦ホテルに戻ることにしました。


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しかし、20分ほどで雨が上がりました。


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直ぐに晴れてきましたが、雷鳴は相変わらずでした。


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用心のため、傘を持参して再び外出。


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夕立で涼しくなると思いきや、気温は相変わらず高いまま。先ほど降った雨が直ぐに蒸発して、物凄い湿気です。


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サン・ジャコモ・マッジョーレ・デル・カルミネ教区教会です。


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カルメル会がイーモラで活動開始した14世紀に建設された修道院教会です。


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14世紀から再建される18世紀初頭までは、サンタ・マリア・ディ・モンテ・カルミネ修道院教会と呼ばれていたそうです。


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現在の建物は、ジョヴァンニ・ドメニコ・トリフォーり(1675‐1759)の設計によって1720年から1726年に再建された二代目となるものです。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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右側壁


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天井の装飾がありません。


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アレッサンドロ・デッラ・ナーヴェ(ブドリオ、1732‐イーモラ、1821)の「天上の聖人に祈願するカルメル会修道女」(1732)


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詳細不知


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詳細不知


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アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「無原罪の聖母」(1792)


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外に出ました。


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次は教区博物館です。


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夕立前よりも暑くなったので参りました。


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ドゥオーモの扉は閉まったままでした。


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教区博物館がある司教館の扉も閉まったままでした。


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仕方がないので、扉が開くまでドゥオーモ広場で時間潰しです。


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時間通りに開館しないのがイタリア流です。


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聖職者のストはないので、そのうちに扉が開くでしょう。


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扉が開きました。扉の前で開館を待っているように見えた二人でしたが、直ぐに何処かに行ってしまいました。


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司教館です。


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入館します。


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ジョヴァンニ・ダ・リオーロの多翼祭壇画(1433)
制作者の署名と年号入りです。イーモラのサン・ドメニコ教会にありました。


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インノチェンツォ・ダ・イーモラの作品
教区博物館については既にアップしました。ご興味のある方はご参照願います。


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プロスペロ・ぺーシェの作品


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カルロ・ボノーニの作品


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充実した展示と言えるでしょう。


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天井の装飾


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私以外の入館者はいませんでした。


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外に出ました。
(つづく)




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要塞横のViale d' Agostinoです。


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カテリーナ・スフォルツァは、フォルリに定住していたので、イーモラには城代を置いて滅多に訪れなかったと言われてます。


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Via Fratelli Bandiera


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ガリバルディ通りに入りました。


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18世紀に建設されたPalazzo Rambaldiです。現在、高等学校になってます。


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ガリバルディ通りを進み、次の交差点を左折してドゥオーモ前に出ます。


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この時間、ドゥオーモは当然閉まってます。


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ドゥオーモの外観を見れば、その街の繁栄度が大体推察できます。


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ドゥオーモ広場から東に向かいます。


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Porta Montanaraです。


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イーモラの城壁に4つの門がありました。これはエミリア街道の東端に設けられた門です。


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1460年から1470年に建設された門です。


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イーモラの城壁は1925年に取り壊されましたが、その際、修復されて残された唯一の門です。


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モンタナ―ラ門の前から見たドゥオーモです。


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そろそろ昼食の時間です。


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ガリバルディ通りです。昼食はエミリア通りの店に決めてました。


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写真右奥はPalazzo Tozzoniです。


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18世紀前半に建設されたPalazzo Tozzoniです。


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Palazzo Tozzoniは市立博物館として一般公開されてますが、この時は休館中でした。


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写真左は18世紀に建設されたヴェルガ館です。


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Vicolo Olivo


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広場に出ます。


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広場から見えたドゥオーモの鐘楼


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Vicolo Inferno


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エミリア通りに出ました。


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昼食を食べます。


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入店しました。


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お腹一杯、食べ過ぎです。


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ドゥオーモの鐘楼です。


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サン・フランチェスコ修道院だった建物は市立図書館として利用されてます。


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Via Don Bughetti


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サン・ジャコモ(聖ヤコブ)教会だった建物がエミリア通りに面して建ってます。


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宗教活動は停止され、現在は展覧会などに使用されてます。


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Teatro Comunale


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この日の公演はありません。


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(つづく)

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エミリア通りです。


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写真左はPalazzo Sassatelliです。


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自転車利用者が非常に多いイーモラです。


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エミリア通りを左折してVia Don Bughettiに入りました。


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ヴェネツィア海軍総督タッデオ・デッラ・ヴォルぺによって15世紀に建設されたCasa della Volpeです。


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ドゥオーモの扉が閉まっていました。


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ドゥオーモの向かいに建つ司教館です。


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司教館内に教区美術館があります。


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司教館の扉が開いていたので、中に入ってみました。教区美術館は当然のことながら閉まっていました。


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ガリバルディ通りです。


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写真左は18世紀に建てられた神学校だった建物です。


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ガリバルディ通りの先にRocca Sforzescaがあります。


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スフォルツェスカ城塞 Rocca Sforzescaです。


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14世紀前半、イーモラは教皇領でした。
第197代教皇ベネデット12世(1285-1342 在位:1335-1342)は、イーモラの領有権をリッポ2世アリドージ(?、?-イーモラ、1350)に与えました。
要塞の現在地には、11世紀に建設された塔がありましたが、1334年、領有権を与えられたリッポ2世アリドージが塔の残骸の上に要塞の建設を開始しました。建設工事は、リッポ2世の死後は息子のロベルト・アリドージ(?、?-イーモラ、1362)に引き継がれ、ロベルトの存命中に一応の完成を見ました。


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アリドージ家のイーモラ支配は1424年まで続きましたが、同年、イーモラはミラノのヴィスコンティ家の支配下に置かれるようになりました。
その後、イーモラは、15世紀前半まで教皇領、ヴィスコンティ家、教皇領、ヴィスコンティ家と度々支配者が変わりました。
ミラノのヴィスコンティ家にとって、イーモラは飛地であり、その戦略的重要性(ボローニャとリミニを結ぶ交通の要衝)から、要塞はヴィスコンティ家によって拡大増強されました。


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1470年、イーモラは、ミラノ公爵スフォルツァ家の支配下に置かれるようになりました。


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1471年、第212代教皇に選出されたシスト4世(チェッレ・リーグレ、1414-ローマ、1484 教皇在位:1471-1484)は、実子と言われるジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)に領地を与えようとしました。
シスト4世は、貧しい家の生まれだったので、その一族郎党の繁栄に特に留意した教皇と言われてます。


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ジローラモ・リアーリオの領地としてミラノの飛地イーモラをターゲットに定めたシスト4世は、ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(フェルモ、1444-ミラノ、1476)に対して、ガレアッツォの娘カテリーナ・スフォルツァ(・デ・メディチ)(ミラノ、1463-フィレンツェ、1509)をジローラモ・リア―リオに持参金なしで嫁がせる代わりに、イーモラの領地代として4万ドゥカートをミラノ公に支払うとの提案を行いました。
当時、持参金は法外な金額でしたから、持参金なしで娘を嫁がせ、逆に領地代が入金するという絶好の条件だったので、ミラノ公はその提案を受け入れ、ジローラモ・リア―リオとカテリーナ・スフォルツァとの婚約が調ったのです。4万ドゥカートという領地代も巨額法外なものでした。


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1473年、ジローラモ・リア―リオとカテリーナ・スフォルツァは結婚しましたが、その際、フォルリはカテリーナの持参金代わりとされて、ジローラモ・リア―リオの領地となりました。


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要塞の周りを一周します。


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ジローラモとカテリーナの結婚前、ミラノの飛地イーモラの割譲を願っていたフィレンツェは、ミラノとの間にイーモラの割譲とフィレンツェ在住芸術家のミラノへの派遣の合意があったとされてます。


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ところが、1474年、教皇シスト4世から4万ドゥカートの支払い命令がメディチ銀行にあったのです。メディチ銀行ローマ支店は、教皇庁の銀行代理業務を行っていました。1474年当時、教皇庁には4万ドゥカートの金がなかったので、代理業務を行っていたメディチ銀行に支払い命令が下ったのです。


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4万ドゥカートがイーモラの領地代と知った、当時のメディチ家の当主ロレンツォ・イル・マニーフィコはミラノの合意違約を悟りました。また、ロレンツォの時代、既にメディチ銀行は破綻寸前で業務遂行の問題が出ていたので、巨額の4万ドゥカートのミラノへの支払いを渋りました。


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11世紀に建設された塔の残骸の一部です。


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メディチ銀行の支払いを渋る姿勢に業を煮やしたシスト4世は、教皇庁の銀行代理業務からメディチ銀行を外し、パッツイ銀行のローマ支店を起用して、4万ドゥカートの支払いを行ったのです。以後、メディチ銀行はドル箱だった教皇庁業務から完全に外され、破綻への道を進むことになりました。
このことは、1478年4月26日にフィレンツェ大聖堂で起きたパッツィ家陰謀事件の発端となりました。
脱線して関係者の肖像画をアップしておきましょう。


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巷間、カテリーナ・スフォルツァの肖像と言われてます。


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フォルリのサン・ドメニコ市立美術館で展示されてますが、そこではカテリーナの肖像画とは表示されてません。何故でしょうか?


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ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァの肖像です。


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フィレンツェのウッフィツィ美術館にあります。


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座っているのがシスト4世です。


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左から2番目、シスト4世にやや背を向けて立っているのがジローラモ・リア―リオです。


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ローマのヴァティカン絵画館にあります。


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ロレンツォ・イル・マニーフィコの肖像(ウッフィツィ美術館蔵)


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イーモラは、パッツィ家の陰謀事件の中心地です。


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フォルリとイーモラの伯爵ジローラモ・リア―リオはパッツイ家の陰謀事件の首謀者です。その辺の詳しい事情は「パッツィ家の反乱」とか「パッツィ家の陰謀事件」と検索すれば、幾つかの記事が出てきますので、そちらをご参照願います。


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ともあれ、パッツィ家の陰謀事件の首謀者ジローラモ・リア―リオは、1488年4月14日、ロレンツォ・イル・マニーフィコの後ろ盾を得た5人によってフォルリで暗殺されました。


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暗殺者たちの軍は、急を知ってフォルリ要塞に籠ったカテリーナ・スフォルツァに押し寄せて、有名な「ルネサンスの女傑」と言われる逸話が生まれたのです。


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夫の事件後、フォルリとイーモラの領主となったカテリーナ・スフォルツァは、2つの要塞を更に整備に努めました。


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1499年、チェーザレ・ボルジア軍がイーモラに攻め入りましたが、イーモラに苛政を布いていたカテリーナ・スフォルツァはイーモラ領民から嫌われ、イーモラのスフォルツェスコ城塞は無血開城されました。


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イーモラは教皇領となりましたが、イーモラ周囲も教皇領だったので、その戦略的重要性を失い、イーモラの防御は不要と判断されるようになりました。


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要塞は、1524年から教皇領の刑務所に転用されるようになりました。


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1958年まで刑務所でした。


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その後、修復整備されて、現在は陶器と武器の博物館として一般公開されてます。


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しかし、開館することは少ないような気がします。


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これで一周しました。
(つづく)

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イーモラ駅に到着しました。
イーモラは、人口70,075人(2019年12月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ボローニャ県のコムーネです。


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イーモラ駅の駅舎です。
イーモラは、ピアチェンツァ~パルマ~レッジョ・エミリア~モデナ~ボローニャ~イーモラ~フォルリ~リミニ~ペーザロ~ファーノ~セニガッリア~アンコーナの幹線上にあるので、鉄道利用が便利です。


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Viale Andrea Costa
鉄道駅から徒歩でこの日のお宿に向かいます。


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右折してViale Carducciに入りました。


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カヴール通りになりました。


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駅から旧市街まで約1㎞ほどあります。


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城壁が殆ど残されていないので、旧市街の判別が困難ですが、旧市街に入ったと思いました。


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サント・ステファノ教会です。


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サント・ステファノ教会に隣接して建っているのは、サンタ・キアーラ女子修道会のサント・ステファノ修道院です。


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カヴール通りを左折してフラテッリ・カイローリ通りに入りました。


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この日のお宿はもう直ぐです。
イーモラは、見所が多い街と思いますが、観光客には人気がないようで、宿泊設備は限られており、選択肢があまりないようです。


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この日のお宿です。3つ星ですが、お薦めです。
チェックインの時には、ホテルの写真を撮るのを失念してしまいました。後程、城を見に行ったのですが、雷雨に遭い、傘を持っていなかったので、慌ててホテルに逃げ帰った時に撮った写真です。だから道路が濡れてます。


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チェックインを済ませてから、早速市立美術館に向かいました。


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市立美術館となっているサン・ドメニコ修道院だった建物です。


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開館日の筈ですが、入り口扉が施錠されていたので困惑しました。


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イーモラ市立美術館については既に書きました。ご興味のある方はそちらをご参照願います。


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クリストフォロ・ディ・ベネデットの帰属作品


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ラヴィニア・フォンタナの作品


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ラッファエッロ・ボッティチーニの作品


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インノチェンツォ・ダ・イーモラの作品


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現代画も展示されてます。


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遺跡からの発掘物も展示されてます。


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市立美術館から外に出ました。
サン・ドメニコ教会を見ます。


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通常サン・ドメニコ教会と呼ばれてますが、正式名称はサンティ・ニコロ・エ・ドメニコ教区教会となってます。


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この場所にサン・ニコロに捧げられた小さな礼拝堂がありました。13世紀半ば、ドメニコ会修道士がイーモラ到着し、市当局からサン・二コラ礼拝堂が活動拠点として与えられ、定住しました。


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ドメニコ会修道士によって、1287年に創建され、1374年に完成したゴシック様式の教会修道院です。


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教区教会の入り口です。
1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院は閉鎖され、修道院教会にあった美術品や財宝などがフランス軍に略奪されました。1998年、修道院だった建物はイーモラ市の所有となり、2011年から市立美術館となりました。


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ファサード横の洗礼堂


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ファサード入口扉上ルネッタの装飾


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後陣


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鐘楼が微かに見えます。


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入口扉が閉まっていました。
市立美術館から教会を覗き込んだときに撮った写真があるので、それらで教会をしておきましょう。


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単廊式、装飾豊富なロココ調の内部です。


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1996年から2001年に大修復されました。


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ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「聖オルソラの殉教」(1600c)


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ジョヴァンニ・ドメニコ・フェッレッティ(フィレンツェ、1692‐1768)の「聖ドメニコ」


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フランチェスコ・キウス―リ(イーモラ、17世紀中頃‐1729)の「シエナの聖カテリーナに幼きキリストを渡す聖母」


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詳細不知


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サンティ・二コラ・エ・ドメニコ教区教会を離れ、オルシーニ通りを進みます。


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突き当りはエミリア通り、エミリア街道です。


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(つづく)

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奇抜な構造のサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会でした。


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サン・ジョルジョ・マルティーレ教会とサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の構造的境界が外から見てもよく分かりません。


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2つの教会がある高台から下に下ります。


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サン・ジョルジョ通りを進みます。


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高台に来た時と同じ道を通るのは芸がありませんが、他の道が無さそうなので仕方がありません。


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ヴィスカ通りです。


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緩やかな下り坂になってます。


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写真中央の建物にフレスコ画があるのを発見!


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無原罪の聖母と天使?


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フレスコ下部に二人の男が横たわっているように見え、その意味が分からない!


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この道の先にウンベルト1世広場があります。


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昼休みの時間なので人出が少ないようです。


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この塔の名前が分かりません。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


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道の先にウンベルト1世門が見えてます。


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ウンベルト1世広場に戻ってきました。


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イタリアらしい構造物


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ウンベルト1世の門を見ることにしました。


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門の彫刻


P1330352
門横に置かれている聖母子像


P1330359
アーチの壁


P1330360
アーチの天井


P1330357
アーチ天井に描かれたフレスコ画


P1330358


P1330355
門前から振り返って見たヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


P1330354
ウンベルト1世門を潜ります。


P1330361
ウンベルト1世門を潜り、サン・フィリッポ・ネリ教会前に出ます。


P1330364
1664年から1673年に建設されたサン・フィリッポ・ネリ教会です。


P1330365
ファサードに置かれている聖人像


P1330366


P1330367
サン・フィリッポ・ネリ教会は閉まったままでした。


P1330368
サン・フィリッポ・ネリ教会の隣は、フィリッピ―ニ修道院だった建物で、1950年までトリノの神学校として使用されていました。


P1330373
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを更に進みます。


P1330374
この紋章は? 私には分かりません。


P1330375
建物の壁にフレスコ画を発見!


P1330378
これです。


P1330379
キエーリの案内板です。これとほぼ同じものを市庁舎で頂戴しました。


P1330382
サン・ドメニコ教会です。


P1330383
聖ドメニコがキエーリに訪問した際に建設した修道院が前身とされてますが、聖ドメニコがキエーリに来たことは事実ですが、修道院建設云々は伝説とされているようです。


P1330384
1326年に創建され、1381年に完成し、1388年に奉献されました。


P1330386
教会建設以前に修道院が建設されましたが、ナポレオンの抑圧令によって活動を停止しました。ナポレオンの失脚後、修道院の活動が再開されたものの、1855年に再び活動を停止して現在に至ってます。


P1330387
教会は修復改造を数度経て、17世紀に現在の姿になりました。


P1330388
ファサードのルネッタ上にフレスコ画があったと思います。


P1330391
サン・ドメニコ教会の鐘楼


P1330393
サン・ドメニコ教会の後陣


P1330395
サンティ・ベルナルディーノ・エ・ロッコ教会のクーポラがサン・ドメニコ教会前から見えました。


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サン・レオナルド教会です。


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12世紀に建設されました。
キリがないので、この辺で終わりにしましょう。


P1330402
(おわり)

P1330304
サン・ジョルジョ・マルティーレ教会です。


P1330319
高い丘のこの場所は絶好の防御、監視拠点とされ、5世紀にRoccaが築かれました。やがてRoccaに小さな礼拝堂が設けられましたが、それが前身とされてます。


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Roccaは拡張整備され城になりましたが、キエーリの軍事的な重要性が失われるとともに城は荒廃してしまいました。
14世紀にRoccaの遺跡の上にゴシック様式のサン・ジョルジョ・マルティーレ教会が建設されました。1412年の火災によって最初の建物は崩落消失してしまったので、1442年に再建されました。


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ベルナルド・アントニオ・ヴィット―ネ(トリノ、1704‐1770)の設計、建築監督によって1752年に建設されたファサードです。


P1330305
鐘楼は11‐12世紀に建設された城の塔を転用したものですが、1676年に現在の姿に改造されました。
サン・ジョルジョ・マルティーレ教会は美術作品が多いことで知られてますが、平日は扉が閉まっているので、中に入ることが出来ませんでした。
外部サイトから作品画像を拝借して、この教会の作品を紹介することにします。


5
グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568‐モンカルヴォ、1625)の「聖母子と聖人たち(聖ジョルジョ、聖グリエルモ、聖ロッコ、聖セバスティアーノ)」(1601c)


6
グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568‐モンカルヴォ、1625)の「キリストの復活」(1605)


7
18世紀の逸名画家作「聖ジュゼッペと聖人たち」(18世紀前半)


8
アゴスティーノ・マルキ―ジョの「聖ジョルジョ。マルティーレ」(18世紀中頃)


9
逸名画家作「バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作『磔刑と聖フランチェスコ』のコピー画」(20世紀初め)


10
ジョヴァンニ・クローショ(ヴェルチェッリ、1583‐キエーリ、1625)の「聖母子と聖人たち」(1619)


11
オルソラ・マッダレーナ・カッチャ(モンカルヴォ、1596‐1676)の「聖家族と嬰児虐殺」(1630c)


12
逸名画家作「大天使聖ミケーレ」(17世紀後半)


13
逸名画家作「コッレッジョ作『羊飼いの礼拝』のコピー画」(20世紀)


14
逸名画家作「ジュゼペ・リベラ作『この人を見よ』のコピー画」(20世紀)


15
ジョヴァンニ・マリア・モントゥーの「荊刑のキリスト」(1824)
グイド・レーニのコピー画と思います。


16
アントニオ・アンドリエッリの「無原罪の御宿リ」(17世紀後半)


17
逸名画家作「聖母子」(17世紀)


18
逸名画家作「聖ロッコ」(17世紀)


19
逸名画家作「磔刑と聖フランチェスコ」(1700)


P1330323
写真正面の建物に付属美術館があるようです。


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付属美術館は滅多に開館しないようです。


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ファサードに向かって右横にアーチがあります。


P1330325
アーチを潜ります。


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アーチのほぼ中間にサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会があります。


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写真左にサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の入り口があります。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の扉が開いてました。


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中に入りました。
サン・ジョルジョ・マルティーレ教会のファサードと後陣の高さがかなり違うので、その間の空間を利用して15世紀初めに建設されたサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会です。


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フレスコ画で覆われてます。


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逸名画家によって描かれた「大天使の物語」(17世紀後半)


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「大天使の物語」


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「聖母子」のイコン


P1330267
「聖家族」のイコン


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568‐モンカルヴォ、1625)の「聖母子と大天使聖ミケーレと聖ジョルジョ」(1605)


20


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「祈るキリスト」のイコン


P1330276
「聖母子」のイコン


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アントニオ・アンドリエットに帰属する「聖母の誕生」(17世紀後半)


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逸名画家による「大天使聖ミケーレ」(17世紀後半)


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アントニオ・アンドリエットに帰属する「ご訪問」、「聖母被昇天」


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逸名画家作「大天使聖ミケーレ」(1639)


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逸名画家作「聖ルイージ・ゴンザーガ」(18世紀)


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逸名画家作「大天使聖ミケーレ」(17世紀後半)


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詳細不知


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逸名画家作「聖母被昇天」(18世紀)


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アントニオ・アンドリエットに帰属する「聖母の結婚」(17世紀後半)


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アントニオ・アンドリエットに帰属する「聖母の神殿奉献」(17世紀後半)


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アントニオ・アンドリエットに帰属する「無原罪の御宿リ」(17世紀後半)


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15世紀の磔刑像


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祭壇をもう一度見てから外に出ます。


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外に出ました。
(つづく)

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街角の「受胎告知」


P1330202
次は、街の高地にあるサン・ジョルジョ・マルティーレ教会です。


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一旦、ドゥオーモ広場に向かいます。


P1330204
昼食を食べたウンベルト1世広場からサン・ジョルジョ・マルティレ教会に行くには、ドゥオーモを経由した方が近道になるからです。


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写真左は参事会教会(ドゥオーモ)の修道院だった建物です。


P1330226
市庁舎で頂戴した地図を照らし合わせて、この建物しかないようです。


P1330229
これがあったので、探していた建物であることが確認されました。


P1330227
ドゥオーモのオラトリオとは、到底思えない、普通の建物です。18世紀に建設されましたが、私にはその経緯が全く分かりません。


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ドゥオーモの鐘楼です。


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バルボ通りを進みます。


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フレスコで装飾された建物があります。


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19世紀に建設されたモーリ家です。


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フレスコ画については全く知りません。


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写真ほぼ中央の桃色っぽい建物に聖母子があります。


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これです、聖母子の浮彫。


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昼食のビール、ワイン、水が効きました、早くもここでトイレ休憩です。水分の追加はどうかと思いましたが、已む無く量が少ないエスプレッソを一飲み。


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矢印に従って左折します。


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左折した理由は写真右の建物です。


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15世紀に建設されたPalazzo Ceppiです。


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15世紀中頃に描かれたジョヴァンニ・ファンティーニのフレスコ画が中にあります。


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Palazzo Ceppiの中は幾つかに区切られて、アパートになっているので中に入ることが出来ません。緩やかな坂道を上ります。


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振り返るとドゥオーモのクーポラが見えました。


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坂の上にサン・ジョルジョ・マルティーレ教会があります。


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右折してサン・ジョルジョ通りを入ります。


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丘の麓を回りながら道が続いてます。


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サン・ジョルジョ通りを進みます。


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丘上には10世紀に建設された城がありました。


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やがて城は不要となり、荒廃してしまいました。


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城の遺跡の上に小さな信仰の場が作られました。


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サン・ジョルジョ・マルティーレ教会が見えてきました。


P1330257
振り返るとドゥオーモの鐘楼が見えました。


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教会前の広場に出ました。広場は丘上にあるので、街のパノラマが楽しめます。


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ドゥオーモの鐘楼が見えてます。


P1330303
遠くに川が見えます。


P1330314


P1330316


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P1330322
(つづく)

P1330214
引き続きキエーリのドゥオーモです。


P1330172
ファサードの中央扉上ルネッタの聖母子です。
ここにあるのは複製彫刻で、オリジナルの聖母子はドゥオーモの洗礼堂内に置かれてます。


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15世紀に制作された彫刻による装飾


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ファサードの右扉上ルネッタ上のフレスコ画


P1330179
ファサードの左扉上ルネッタ上のフレスコ画


P1330181
洗礼堂です。


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15世紀に建設されたゴシック様式の洗礼堂です。


P1330183
ファサードに向かって右側に洗礼堂があります。


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洗礼堂の後方に鐘楼があります。


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高さが50mあります。


P1330190
鐘楼の下部に2つの日時計があります。


P1330205
鐘楼は1329年、1365年、1492年に建設されました。


P1330213
左側壁


1
内部の見所は一か所だけでしょう。


3
この礼拝堂の多翼祭壇画と天井フレスコ画です。


2
多翼祭壇画


4
フレスコ画


P1330211
右側壁向かいに病院があります。


P1330187
Ospedale Maggiore


P1330210
ドゥオーモ至近にもう一つ教会があります。


P1330215
写真右横に教会があります。


P1330216
サンタ・ルチア教会です。


P1330218
初代の建物は、ゴシック様式で15世紀中頃に建設されました。


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現在の建物はバロック様式で1763年に再建されたものです。


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19世紀に新古典様式に改造されました。


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ドゥオーモのファサードに向かって左側に修道院だった建物があります。


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昼食を食べなくては。


P1330192
ウンベルト1世広場に行けば適当な店があるだろうと思いました。


P1330193
本格的に食べるつもりはないけれど、それなりの食事をしたいと思いました。


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ウンベルト1世広場に戻りました。


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写真左の店にしました。


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P1330198


P1330200
外に出ました。


P1330199
(つづく)

P1330129
カヴール広場です。花壇の先に建っているのはサン・ベルナルディーノ教会です。


P1330133
カヴール広場の端に建っているのはサンタントニオ・アバーテ教会です。


P1330131
1445年に完成した巡礼者のためのゴシック様式のサンタントニオ・アバーテ礼拝堂が前身です。
礼拝堂の横にサンタントニオ修道会の修道院が建設され、礼拝堂は拡張され同修道会の所有の教会となりました。後にイエズス会の所有となり、1767年にイエズス会によって再建された二代目の建物が現在の姿です。教会は後にサン・フランチェスコ会の所有となり現在に至ってます。


P1330132
次は市庁舎に向かいます。


P1330135
写真左はサンタ・マリア・アウジリアトリーチェ教会ですが、後で見ることにして市庁舎へと急ぎました。


P1330136
歴史的建造物が建ち並ぶVia Palazzo di Cittaです。


P1330137
市庁舎の門です。


P1330138
市庁舎の敷地内に入りました。


P1330147
市庁舎のロッジャの壁ルネッタ上に描かれたフレスコ画を見ます。


P1330141
フレスコ画の制作者や制作された時代等の詳細が分かりません。


P1330143



P1330146
キエーリ市の紋章


P1330139
キエーリの地図を頂戴してから市庁舎を後にしました。


P1330150
Palazzo Bruniです。


P1330151
17世紀に建設され、1993年に修復復元されました。


P1330148
Via Palazzo di Cittaに面して教会が建ってます。


P1330149
先ほど、見るのを後回しにしたサンタ・マリア・アウジリアトリーチェ教会、聖母扶助教会です。


P1330153
サンタ・マリア・アウジリアトリーチェ教会は、1896年に建設された新しい教会です。


P1330154
この場所にはサンタ・テレーザ教会があり、それが取り壊され、建物が再建された際に奉献する聖人が変更され、教会の名称も現称に改称されたのです。


P1330152
サンタ・マリア・アウジリアトリーチェ教会に隣接して建っている建物は旧サンタ・テレーザ修道院で、現在は学校として使用されてます。


P1330155
Via Palazzo di Cittaの先にも教会があります。


P1330156
オルファネッリ教会です。


P1330158
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会とも呼ばれてます。


P1330157
数千人の犠牲者を出した1630年のペスト禍後に、犠牲者の鎮魂のため、教会の建設が決定され、1726年から1726年に建設された教会兼孤児院です。ペストで両親を失った孤児を収容するために孤児院が創設されましたが、後には様々な理由によって孤児、或いは両親によって扶養されなくなった子供が収容されるようになりました。


P1330161
振り返って市役所方向のVia Palazzo di Cittaです。


P1330159
鐘楼が見えてきました。


P1330160
ドゥオーモの鐘楼です。


P1330162
ドゥオーモに行く前に突き当りに見えている建物を見ます。


P1330163
Via Palazzo di Cittaに面して建つPalazzo Tanaです。


P1330166
サンテ―ナのシニョーリ、エルコーレ・ターナが自身の住居として16世紀に建設したPalazzo Tanaです。


P1330164
Palazzo Tanaの最上階にイエズス会のサン・ルイージ・ゴンザーガ礼拝堂があります。


P1330165
Palazzo Tanaの入り口天井です。
現在、この建物は大学の学舎として使用されてます。


P1330167
この辺がキエーリの旧市街の中心でしょう。


P1330168
キエーリのドゥオーモ、サンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教会です。


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キエーリは、トリノ大司教区に属してます。


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ローマ時代に建設されたミネルヴァ神殿の遺跡の上に、4世紀から5世紀に建設された初期キリスト教のサンタ・マリア教会が前身です。


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1037年、ロマネスク様式で二代目の建物が再建されました。


P1330212
二代目の建物が老朽したので、1405年から1436年にかけてゴシック様式の三代目の建物が建設されましたが、その三代目の建物が現在の姿の原形です。1437年に奉献されました。


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その後、バロック様式に改造されました。


P1330171
現在の姿は19世紀後半に行われた改造後のもので、ファサードはゴシック様式に戻され、内部のバロック様式部分は新古典様式で改造されました。
(つづく)

P1330078
トリノ・ポルタ・ヌオーヴァ駅から普通列車に乗車してキエーリ駅に向かいました。


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定時にキエーリ駅に到着しました。


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キエーリ Chieriは、人口36,958人のピエモンテ州トリノ県にあるコムーネです。


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キエーリ駅の駅舎です。


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駅前広場


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駅から旧市街に向かいます。


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Corso Luigi Cibrario


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キエーリは、繊維産業で発展しましたが、20世紀に入ると年を追うごとに競争力を失い、没落してしまいました。


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Via Cesare Battistiに入ります。


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Via Cesare Battistiには近代的なアパートが建ち並んでますが、この場所には元々繊維工場がありました。繊維産業の衰退によって工場が閉鎖されましたが、それらの工場を取り壊して、その跡地にアパートが建設されるとともに、道路が敷設されました。


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この辺は観光客には退屈極まりないと思いますが、肝心の観光客は殆どいません。


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駅から旧市街まで、かなり距離があります。


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写真左の若者が、私に向かってニーハオと挨拶してくれました。


P1330094
7月3日の暑い日でした。


P1330095
旧市街に行くのが意外大変で、炎天下、30分程歩いたので汗が吹き出しました。


P1330096
実は、この時、地図無しで歩いたので遠回りをしていたのです。


P1330097
個人住宅が多いエリアに入ってきました。


P1330098
古そうな建物を見かけるようになったので、そろそろ旧市街と思いました。


P1330099
旧市街のウンベルト1世広場です。


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L' Arco di Piazza Umberto Ⅰです。


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ウンベルト1世広場が現在のキエーリの中心地でしょう。


P1330101
キエーリは古代ローマ時代起源の街ですが、中世後期から繊維産業とワイン醸造で栄えました。繊維工場とワイン醸造所が城壁外に造られた関係で、広い城壁外に住宅が建てられました。城壁は拡張されなかったので、城壁外の市域が広くなったのです。


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カルロ・アルベルト通りです。こちらの街歩きは後回し。


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1580年に建設されたL' Arco di Piazza Umberto Ⅰは、1761年に倒壊したので、その後再建されました。
1837年に現在の姿にほぼ近い形状に改造され、1876年に時計が追加されました。何度も修復が繰り返されましたが、現在の姿は2001年から2002年にかけて行われた修復後のものです。
L' Arco di Piazza Umberto Ⅰを潜りました。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに入りました。


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サン・フィリッポ・ネリ教会です。


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1664年から1673年に建設されましたが、ファサードは18世紀に完成しました。


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サン・フィリッポ・ネリ教会の扉が閉まっていました。


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キエーリには、15世紀から20世紀にかけてピエモンテで最も繁栄したユダヤ人コミュニティがありました。


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正午を過ぎたので、教会巡りをしても中に入ることが出来ません。


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Piazzetta della Meridiana


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の先に進んでも見どころが無さそうだったので、門の方に戻ることにしました。


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門を潜って広場に戻ります。


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ウンベルト1世広場に戻りました。


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ウンベルト1世門を潜っても、通りの名称は変わらずヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを北方向に進みます。


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通りの先に塔が見えてます。


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カヴール通りに向かいます。


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サン・ジョルジョ教会の鐘楼が見えました。


P1330125
突き当りに教会があります。


P1330126
サンタントニオ教会です。


P1330128
カヴール広場


P1330130
(つづく)

P1300661
1591年に建設されたCasa del Monte di Pietaです。


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フォッサーノに来た最大の目的がここでした。


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1905年に設立された銀行 Cassa di Risparmio di Fossano SpAの本社が使用してます。
銀行主導で設立された非営利団体Fondazione Cassa di Risparmio di Fossanoが所有するモンテ・ディ・ピエタコレクションが建物内で一般公開されてます。その他にフォッサーノやその近隣の教会から集められた作品やフォッサーノ市が所有する文書や遺跡などの展示されています。


P1300664
ガックリ、開いていませんでした。
銀行所有のコレクションを見るのは実に大変です。財団を移転させ、市立博物館にした方が良いと思いました。


1
ここで展示されている作品写真を掲載しておきます。(作品画像は財団のサイトから拝借しました)


2
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称ベルゴニョーネの作品はないようです。


P1300668
モンテ・ディ・ピエタの博物館が閉まっていたので、特にやることがなくなりました。


P1300669
街一番の目抜き通りのローマ通りです。


P1300670
時間が余ってしまいました。仕方がないので、足の赴くままに適当に街歩きすることにしました。


P1300671
Piazza Beppe Manfredi


P1300672
ドゥオーモです。


P1300673
ガリバルディ通りの柱廊


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サン・パオロ通りに行くのは後回しにしました。


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ドゥオーモの後陣


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ガリバルディ通りを進みます。


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写真右は、18世紀に建設されたCasa di Marzoです。


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現在、小学校として建物が使用されてます。


P1300679
1861年3月27日通り Piazza 27 Marzo 1861です。通りの名称は歴史的事実に基づいてますが、地元の人は何と呼んでいるのか、不思議な広場名です。


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非常に興味深い広場です。


P1300682
広場に面して、17‐18世紀の建物が並んでますが、当時は路地に面して建ってました。


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写真右に塀が写ってますが、旧修道院の壁です。


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壁にフレスコ画があります。


P1300689
これを読んでよく分かりました。
旧サン・フランチェスコ修道院教会の壁です。


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修道院教会の建物が取り壊され、広場になりました。現在は、ごく一部の建物しか残されていない旧サン・フランチェスコ修道院教会です。


P1300685
はっきりと識別できるフレスコ画はこれだけですが、後世に描かれた比較的新しいものでしょう。


P1300684
1861年3月27日通りから見たCasa di Marzo、その先にあるドゥオーモです。


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サン・ジローラモ通りを進んでも見どころが無さそうです。


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バーヴァ・サン・パオロ通りを進みます。


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写真右奥の建物に注目です。


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Instituto Suore Domenicane 学校です。


P1300693
サン・ドメニコ教会の一部です。


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道に迷っても困るので、通って来た道を戻った方が良さそうです。


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暑くてへとへとです。


P1300696
観光客が殆どいない街です。


P1300697
鐘楼が見えたので、現在地が分かりホッとしました。


P1300699
ワインの集積地として発展したフォッサーノなので、夕食が楽しみです。


P1300698
夕食のレストランを探しました。


P1300702
市庁舎でフォッサーノの地図を頂戴しました。


P1300703
ローマ通りにあるレストランが良さそうでしたが、夕食は営業しないようでした。


P1300705
映画館だったと思います。


P1300721
明らかに教会の建物です。


P1300722
閉鎖された旧教会ですが、何という教会なのか分かりません。


P1300725


P1300731
塔に上るためにカステッロに来ました。ところが、塔は修復工事のため、閉鎖されてました。


P1300732
サン・マルティーノ門です。


P1300733
門の聖母子のタベルナコロ


P1300735
サン・マルティーノ門を潜って城壁外に出ました。


P1300739
通りの突き当りが駅になります。キリがないので、この辺で終わりにします。
(おわり)

P1300561
付属美術館のような部屋です。聖具室でしょうか?


P1300562
ドメニコ・モッセッロの「聖母から幼きキリストを渡される聖ジョヴェナーレ」
この画家の名前を初めて聞きました。


P1300563
18世紀のピエモンテの逸名画家作「キリストの洗礼」


P1300566
ジョヴァンニ・クラレット(ブリュッセル?、1599‐サヴィリアーノ、1679)の「最後の晩餐」(1646)


P1300567
詳細不知の聖人たち


P1300570
ジョヴァンニ・クラレット(ブリュッセル?、1599‐サヴィリアーノ、1679)の「聖ジョヴェナーレに顕現する聖母子」(1646)


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詳細不知の聖人たち


P1300573
聖具室?の祭壇


P1300574
詳細不知の聖人たち


P1300576


P1300575
紋章の意味合いが分かりません。檀家?の紋章


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Presbiterioに置かれたオルガン


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P1300590
ジュリオ・ボエット(トリノ、1894‐1967)の「受胎告知」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ビスカッラ(ニッツァ、1790‐トリノ、1851)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


P1300600
Cappella del Corpus Domini
マリオ・ルドヴィーコ・クゥアリーニ(キエーリ、1736‐トリノ、1800)制作の祭壇(1786‐90)


P1300596
ルイージ・ペトラッツィ(1802‐1845)の「父なる神とエマオの晩餐」(1831)


P1300599
Cappella del Corpus Dominiのフレスコ画


P1300601
Cappella di San Carlo Borromeo


P1300604
ドメニコ・モリナーリ(トリノ、1721‐1793)の「聖カルロ・ボッロメオに顕現する聖母子」(1790c)


P1300607
Cappella del Beato Giovenale Ancina


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ジュゼッペ・ロッリーニ(イントラ、1842‐トリノ、1904)の「ベアート・アンチーナの説教」(1890)


P1300610
Cappella della San Rocco e Santa Brigida


P1300616
バルトロメオ・キエッキオの「天上の聖母子と聖ロッコと聖ブリジーダ」(1846)
この制作者については全く知りません。


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ピエモンテの逸名彫刻家作「聖水盤」(1548)


P1300611
Cappella della San Rocco e Santa Brigidaの天井装飾


P1300612
Cappella della San Rocco e Santa Brigidaのフレスコ画


P1300620
Cappella del Beato Oddino Barotti


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Cappella del Beato Oddino Barottiの天井


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Cappella del Beato Oddino Barottiのフレスコ画


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Cappella del Beato Oddino Barottiの祭壇(1761‐62)


P1300626
ジョヴァンニ・コマンディの「キリストの復活とベアート・オッディーノ」


P1300632
詳細不知


P1300640
ロッコ・コマネッディ(1744‐1819)の「聖心」(1793)


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詳細不知


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Cappella di Beata Vergine


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Cappella di Beata Vergineの天井装飾


P1300646
Cappella di San Michele


P1300650
ロッコ・コマネッディ(1744‐1819)の「大天使聖ミケーレ」(1795)


P1300653
比較的新しい時代の作品ばかりで、私の好みから外れるドゥオーモです。


P1300660
外に出ました。
(つづく)

P1300506
サリーチェ広場は修復工事中でした。


P1300508
図書館だけではなく、博物館にしても良いのでは、と思いました。


P1300509
カステッロにはあまり見どころが無いので、他の場所に行くことにしました。


P1300505
カステッロ広場からドゥオーモの鐘楼が見えました。


P1300511
カヴール通りを東に進みます。


P1300512
フォッサーノは、ストゥール川に隣接する丘の上に築かれたので、大雨でも洪水から免れることが出来ました。ストゥール川沿いの市町村で大きな被害を受けた1994年の大洪水でも無事でした。


P1300513
写真右の建物は19世紀に建設されました。


P1300514
ムラトーリ通り


P1300515
カヴール通りからドゥオーモに向かいます。


P1300516
フォッサーノの起源は古く、紀元前800年頃に既に集落があったことが分かっているそうです。


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ドゥオーモです。


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道を挟んでドゥオーモの向かいに建つPalazzo Comunaleです。


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Palazzo Comunaleは、16世紀に建設されました。当時は塔がありましたが、17世紀末の火災によって消失してしまいました。
現在のPalazzo Comunaleは、1784年に行われた改築後の姿です。


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フォッサーノ司教区の司教座聖堂 Cattedrale e Basilica Minore di Santa Maria e San Giovenaleです。街の守護聖人聖ジョヴェナーレに捧げられてます。


P1300520
創建時が明確にされてませんが、現聖堂地下の遺跡発掘によって、原始的な後期ロマネスク様式の建物の存在が確認されてます。
13世紀に再建されました。


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新古典様式の三代目となる現在の建物は、建築家マリオ・ルドヴィーコ・クゥアリーニ(キエーリ、1736‐トリノ、1800)の設計によって、1778年から1791年に建設されました。


P1300517
鐘楼は、二代目の建物のもので、1395年から1420年に建設されました。


P1300525
ファサード前に白雪姫と7人の小人が置かれていましたが、その意味が分かりません。


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聖堂内に入りました。


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18‐19世紀の比較的新しい作品ばかりです。


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三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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左右の側廊、翼廊、後陣に全部で10の礼拝堂があります。


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多くの壁がフレスコ画で装飾されてます。


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左側廊


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左側廊天井


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右側廊


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右側廊天井


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後陣


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主祭壇とPresbiterio


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主祭壇画は、ジュゼッペ・ロセッティの「聖母被昇天」(1818)


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後陣のフレスコ画は、パオロ・エミリオ・モルガーリ(トリノ、1815‐1882)によって描かれました。


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パオロ・エミリオ・モルガーリ(トリノ、1815‐1882)の「聖母被昇天」


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クーポラのフレスコ画は、ルイージ・ハルトマンとダヴィデ・オルト―リによって1852年に制作されました。


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パオロ・エミリオ・モルガーリ(トリノ、1815‐1882)による後陣フレスコ画


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パオロ・エミリオ・モルガーリ(トリノ、1815‐1882)の「聖母戴冠」


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サン・ジョヴェナーレ礼拝堂です。


P1300547
サン・ジョヴェナーレ礼拝堂のフレスコ画(詳細不知)


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詳細不知


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ビスカッラ(ニッツァ、1790‐トリノ、1851)の「天上の聖母子と聖ジョヴェナーレ」(1837)


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P1300555
マリオ・ルドヴィーコ・クゥアリーニキエーリ、1736-トリノ、1800)の礼拝堂祭壇(1786-90)
(つづく)

フォッサーノ Fossanoは、人口24,459人(2019年8月31日現在)のピエモンテ州クーネオ県にあるコムーネです。
P1300459
クーネオ駅です。


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クーネオ駅始発トリノ・ポルタ・ヌオーヴァ駅行の普通列車でフォッサーノに向かいます。


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車内は空いてました。


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乗車20分ほどでフォッサーノ駅に到着しました。


P1300463
フォッサーノに来た理由ですが、フォッサーノ出身のアンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453‐ミラノ、1522/1523)という画家をご存知でしょうか?
ミラノやその周辺の街、パヴィア修道院などで活動した画家です。昨日までボッビオのサン・コロンバーノ修道院教会をやりましたが、そこに作品を残したベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460-1530c)はベルゴニョーネの一番弟子でした。
ベルゴニョーネ所縁の作品があるのではないか、と思い、フォッサーノに来た訳です。
ご参考までにミラノ、ブレラ絵画館にあるベルゴニョーネの作品写真を4点載せてみます。


P2890385
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453-ミラノ、1522/1523)の「聖母子と音楽天使たち」(1488-94c)


P2890569
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453-ミラノ、1522/1523)の「羊飼いの礼拝」(1480-85)


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アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453-ミラノ、1522/1523)の「聖母子とシエナの聖カテリーナとパヴィア修道院修道士」(1488-94)


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アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453-ミラノ、1522/1523)の「聖母子」(1512-15)


P1300466
フォッサーノ駅の駅舎


P1300464
駅前広場


P1300465
駅前広場の噴水


P1300467
旧市街に向かいました。駅から旧市街の入り口あるカステッロまでは約400m、徒歩5分足らずで行けます。


P1300469
Corso Emanuele Filiberto


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強烈な日差しの6月30日の暑い日でした。


P1300471
この交差点を境に旧市街に向かう道路の名称が変わります。


P1300474
カヴール通りとなりました。


P1300472
街の東方に流れるストゥーラ・ディ・デモンテ川に注ぐ小川を越えます。


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カステッロが見えてきました。


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振り返って駅方向を撮った写真です。


P1300476
アカジャの王子の城 Castello dei Principe d' Acajaです。


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旧市街の高地にサヴォイア=アカイア家のフィリッポ1世(スーザ、1278-ピネローロ、1334)が建設させた城で、1324年に創建され、1332年に基本的な構造が完成しました。


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城壁内に入ってから城に入ります。


P1300479
サン・マルティーノ門です。


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市域が拡張されたフォッサーノの城壁は、1550年頃建設され、城壁周囲が約2,600mありました。城壁に4つの門が設けられましたが、現存するのはサン・マルティーノ門だけで、残りの3つの門は1850年頃に破壊されたそうです。また、その際、城壁も大部分が破壊されました。
サン・マルティーノ門が新しく見えるのは、2004年から2005年に大修復されたからです。


P1300483
サン・マルティーノ門はカステッロに隣接しています。


P1300484
サン・マルティーノ門を潜って城壁内に入ります。


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門の内側横にフレスコ画があります。


P1300490
ベルゴニョーネ作品の複製と思いましたが、全然違います。


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サルヴァトーレ・サチェルドーテ通り


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カヴール通りです。写真右はサリーチェ広場になります。


P1300487
1418年、サヴォイア=アカイア家は子孫が途絶え断絶してしまいました。それ以降、城はサヴォイア公爵家の所有となりました。


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城は15世紀に拡張整備され、幾つかの戦闘で難攻不落を誇りました。


P1300493
ミラノ公爵夫人ボナ・ディ・サヴォイア(アヴィリアーナ、1449-フォッサーノ、1503)が人生最後の未亡人生活を送った城でもあります。
ボナ・ディ・サヴォイアの夫は、ミラノのサント・ステファノ教会で暗殺された、ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(フェルモ、1444-ミラノ、1476)です。


P1300495
城の建物は、現在市立図書館として利用されてます。


P1300494
城への入り口に跳ね橋があったそうです。


P1300496
今はない、跳ね橋の下に空堀があります。


P1300498


P1300497
中に入ります。


P1300499
中庭に出ました。


P1300501
夏至近くの日曜日に行われた祭りの旗が掲げられてました。


P1300502
フレスコ画でもあると思いましたが何もありません。


P1300503
図書館の入り口です。


P1300504
館内に入ったら、図書館利用者たちにジロッと凝視されてしまったので早々に退散。


P1300500
(つづく)

引き続きサン・コロンバーノ修道院聖堂です。
P1490649
制作者情報等詳細不知の「貧者にマントを与える聖マルティーノ」


P1490650
制作者情報等詳細不知の「聖コロンバーノの説教」


P1490653
詳細不知


P1490655
詳細不知


P1490658
ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)の祭壇画をもう一度見ました。


P1490659
詳細不知


P1490661
詳細不知


P1490662
ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)のフレスコ画(1526‐30)


P1490665
ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)によって描かれたフレスコ画(1526‐30)


P1490667
ベルナルディーノ・ランツァーニのフレスコ画


P1490669
聖堂から広場に出ました。


P1490675
この村で見たいと思った所は大体見たようです。しかし、10月の平日ということで、開いていない所が幾つかありました。


P1490677
ホテルに戻ります。


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サン・ロレンツォ教会を通り過ぎます。


P1490679
Piazza Santa Fara


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サン・ロレンツォ教会の鐘楼


P1490683
Vicolo della Noce


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芸術的にはあまり見どころが無かったような気がしました。


P1490685
ホテルに戻りました。


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ホテルの自室から見たサン・フランチェスコ修道院教会


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夕暮時のサン・フランチェスコ広場


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レストランに行ったら私一人でした。


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宿泊客も私一人でした。


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観光は昼間だけのようで、夜は寂しい田舎でした。


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美味しい料理を出す店です。


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お腹一杯になりました。


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食後の散歩に出ました。


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聞こえるのは虫の鳴き声だけ


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兎も角静かです。


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ホテルに戻りました。


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大人しく寝る以外なさそうです。


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翌朝です。


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この日は快晴でした。


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朝食は、私の出発の時間に合わせてくれました。


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通学の学生しか利用しないようなバスで、ピアチェンツァ駅に向かいました。


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高校生の殆どが途中でバスを下車して、ピアチェンツァまで乗車した客は数人でした。


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ピアチェンツァ駅前に定時に到着しました。
(おわり)

引き続きサン・コロンバーノ修道院聖堂です。
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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)のフレスコ画


5
天井の装飾


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右後陣の礼拝堂


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)の「聖母子と聖人たちと天使たち」


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9世紀のモザイク断片


6
主祭壇とPresbiterio


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レオニーノ・レオーニ(ピアチェンツァ、16世紀後半活動)の「聖霊降臨」(1570)


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ジュリオ・カンピ(クレモナ、1502‐1572)に帰属する「聖母子と聖ステファノと聖ロレンツォと信者たち」(16世紀)


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「磔刑像」(16世紀)
クリプタに下ります。


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クリプタです。


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10世紀に建設されたクリプタです。


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13世紀に制作された錬鉄製の手すり


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クリプタの主祭壇に置かれている聖コロンバーノの墓


1
ジョヴァンニ・デ・パトリアルキスの「聖コロンバーノの墓」(1480)


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聖コロンバーノ墓の彫刻


2
クリプタのモザイク


3
クリプタに第一代修道院長、第二代修道院長、第三代修道院長の墓がありますが、こちらは第二代の修道院長聖アッターラ(ブルゴーニュ、6世紀‐ボッビオ、627)の墓です。
なお、初代の修道院長は聖コロンバーノです。


P1490601
聖アッターラの墓のフレスコ画


4
第三代修道院長聖ベルトゥルフォ(フランス、メーツ、6世紀‐ボッビオ、640)の墓


P1490604
聖ベルトゥルフォの墓の下のフレスコ画


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クリプタの天井


P1490605
クリプタから身廊に戻ります。


P1490612
制作者情報不知の「キリストの昇天」


P1490614
詳細不知


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制作者情報等詳細不知の「聖ロレンツォの殉教」


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天井のフレスコ


P1490619
詳細不知


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制作者情報等詳細不知の「悔悛の聖アポッロニア」


P1490626
初代の建物にあった「Madonna dell' Aiuto」


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右側廊


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右側廊から見た身廊


P1490630
左側廊


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左側廊から見た身廊方向


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)のフレスコ画


P1490636
テオドリンダから贈られたと言われている洗礼盤(7世紀)


P1490638
詳細不知


P1490640
詳細不知


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ロザリオの聖母礼拝堂です。


P1490641
ロザリオの聖母礼拝堂天井のフレスコ画


P1490643
制作者情報等詳細不知の「ロザリオの聖母」


P1490644
制作者情報等詳細不知のロザリオの聖母礼拝堂側壁のフレスコ画


P1490646
(つづく)

P1490537
サン・コロンバーノ修道院とサン・コロンバーノ聖堂に向かいます。


P1490531
次の左に進む道に入ります。


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午後5時になりました。


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サン・コロンバーノ修道院です(写真左)。


P1490541
Palazzo Barone


P1490542
614年、聖コロンバーノ(ナヴァン、540c‐ボッビオ、615)が修道院を創設しました。


P1490543
Piazza Santa Fara


P1490545
広場に設けられた駐車場に駐車する車が夕方になって増えました。


P1490546
サン・ロレンツォ教会


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Piazza Santa Faraから今来た所を振り返って撮った写真です。


P1490548
修道院の柱廊
現在の修道院の建物は、883年に着工され、その後増築を繰り返して1522年に完成しました。


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Piazza Santa Faraからカステッロが見えます。


P1490550
サン・ロレンツォ教会は午後の早い時間に既に拝観したので、この時間はパスしました。


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サン・ロレンツォ通りを進みました。


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写真左はサン・コロンバーノ聖堂の左側壁で、聖堂のファサード側に回ります。


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サン・コロンバーノ広場に出ました。


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サン・コロンバーノ聖堂です。


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修道院のバジリカは、9世紀に建設されました。


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現在の聖堂の建物は、初代の遺跡の上に1456年から1522年に建設された二代目のものです。


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中世を通じて、サン・コロンバーノ修道院はヨーロッパで最重要の修道院の一つでした。


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16世紀に建設されたファサード下の柱廊が目立ちます。


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ファサード上の彫刻はサン・コロンバーノ像です。


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P1490680
サン・ロレンツォ通り側の鐘楼は、初代の建物のもので9世紀に建設されました。


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鐘楼の横にあるファサードのように見える部分は、9世紀に建設された初代のバジリカの後陣です。


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ファサードに向かって右横に修道院博物館の入り口があります。


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柱廊に入りました。


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ポータル上のモットーのテンプレート


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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初代の建物の一部が残されてます。


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壁の多くがフレスコ画で装飾されてます。


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)によって1526年から1530年に制作された内陣天井のフレスコ画
Presbiterioのフレスコ画は、ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)によって18世紀に制作されました。


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)の「聖コロンバーノ」(1526‐30)


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Presbiterio天井のフレスコ画は、ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)の「栄光の聖コロンバーノ」


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Presbiterio右側壁のルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)の「聖コロンバーノの生涯の物語」


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Presbiterio左側壁に描かれた、ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)の「聖コロンバーノの生涯の物語」


P1490570
Presbiterioに置かれたオルガン
(つづく)

P1490464
引き続きボッビオのドゥオーモです。


P1490468
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)?の「聖セバスティアーノの殉教」


P1490471
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)?の「聖アンブロージョ」


P1490474
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)?の「聖コロンバーノ」?


P1490476
パオロ・ペロッティ(ピアチェンツァ、1928‐2018)の「洗礼盤」


P1490480
新しい作品がかなり多いドゥオーモです。


P1490479
制作者情報等詳細不知の「キリストの洗礼」


P1490482
サン・セバスティアーノ礼拝堂です。


P1490491
1498年に建設されたサン・セバスティアーノ礼拝堂です。


P1490483
司教館の入り口にある「磔刑」のフレスコ画(14世紀)


P1490486
サン・セバスティアーノ礼拝堂天井のフレスコ画(1507)


P1490487
制作者は分かっていません。


P1490488
近年修復されたので色鮮やかに蘇りました。


P1490489


P1490492


P1490493


P1490494


P1490495


P1490496


P1490485
16世紀の逸名画家作「聖セバスティアーノの殉教」


P1490497
外に出ました。


P1490498
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂とサン・セバスティアーノ礼拝堂が良かったけれど、全般的には新しい作品ばかりで興覚めでした。


P1490499
昼食を楽しんだ店


P1490502
Largo Rio Grandeを進んでサン・コロンバーノ修道院に行くつもりでしたが、急に気が変わりました。


P1490504
道草をしてドゥオーモの周りを歩くことにしました。


P1490506
トレッビア川の方に進んでいるので、道は緩い下り坂になってます。


P1490510
自分の写真でカレンダーを作ってますが、その候補になりそうな・・・・・


P1490508
これです。


P1490513
写真右は司教館です。


P1490514
昼食を食べた店がある建物の柱廊です。これでドゥオーモの周りを一周したことになります。


P1490515
今度こそサン・コロンバーノ修道院に向かいます。


P1490517
Contrada di Porta Nova


P1490518
この道を真直ぐ進めばサン・フランチェスコ広場のお宿です。


P1490519
日帰り観光客はみな家路についたようで、観光客は私一人のようでした。


P1490520
写真左の道を病院方向に進みます。


P1490521
突き当りはPalazzo Comunaleですが、その手前を右折します。


P1490522
Contrada dell' Osoedaleに入りました。


P1490523
映画館があります。


P1490524
映画館らしからぬ歴史ある建物


P1490526
ボッビオでも新型コロナが流行したのでしょうか?


P1490530
写真左は病院です。


P1490532
この先に教会の建物があります。


P1490533
1604年に建設されたロマネスク様式のサン・二コラ教会です。


P1490535
バロック様式興成の時代にわざわざロマネスク様式で建設されたそうです。1950年に閉鎖され、現在は私有建物となってます。


P1490536
旧サン・二コラ修道院の建物は、エノテカ兼レストランになってます。


P1490534
(つづく)

P1490375
クリプタから身廊に戻りました。


P1490377
フランチェスコ・ポッロ(ロンバルディア、18世紀前半活動)のフレスコ画(1723)


P1490378
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画(19世紀)


P1490379


P1490380
左側廊


P1490381
天井の装飾


P1490386
マッティア・トラヴェルソ(ジェノヴァ、1885‐1956)の「聖ジュゼッペ」


P1490387
天井の装飾


P1490388
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


P1490390
マッティア・トラヴェルソ(ジェノヴァ、1885‐1956)の「磔刑」


P1490391
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


P1490394
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


P1490396
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)の「ピエタのキリスト」


P1490397
左側廊


P1490400
左側廊から見た中央身廊方向


P1490403
フレスコ画で一杯です。


P1490404


P1490408
右側廊


P1490409
右側廊から見た中央身廊方向


P1490411
カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「守護天使」(1625)


P1490413
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)の「聖母子」


P1490415
詳細不知


P1490417
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)の「聖母子」


P1490418
天井の装飾


P1490420
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


P1490422
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


P1490424
カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「磔刑と聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


P1490428
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


P1490429
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


P1490431
修復工事中の礼拝堂が途中にありました。


P1490432
聖心の礼拝堂


P1490433
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂です。


P1490434
15世紀のフレスコ画が残されてます。


P1490442
1070年から1075年に建設されたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂ですが、1630年のペスト禍の際、ライムで埋められてしまいました。1910年頃に再発見され、2012年に漸く修復されました。


P1490440
「受胎告知」(15世紀後半)


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P1490454


P1490456


P1490444
天井のフレスコ画は殆ど落剝してしまいました。


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15世紀の磔刑像


P1490447
聖セバスティアーノの殉教


P1490453


P1490450
テオドリンダ


P1490452


P1490457
修復中の礼拝堂 一部13世紀のフレスコ画があります。


P1490458


P1490461
こちらは少し新しいフレスコ画ですが、詳しいことが分かりません。


P1490463
(つづく)

P1480941
マドンナ・デッライウ―ト聖域聖堂からサン・フランチェスコ広場に戻りました。


P1480942
サン・フランチェスコ広場の先にドゥオーモの鐘楼が見えます。


P1480943
サン・フランチェスコ修道院教会の横を通ってドゥオーモの後陣横に出ます。


P1490321
ドゥオーモの横にあるSeminario Vecchioの建物です。


P1490322
Piazzetta Porta Agazza


P1490324
Albergo Cacciatoriの横を進みます。


P1490325
直ぐにドゥオーモ広場の入り口に出ます。


P1490326
ドゥオーモのファサード前にグループツアーのご一行様がいました。聖堂の内部にもいました。


P1490516
ボッビオのドゥオーモ Concattedrale di Santa Maria Assuntaです。
1014年にボッビオは単独の司教区になりましたが、1986年、ピアチェンツァ司教区と合区され、ピアチェンツァ₌ボッビオ司教区となりました。それに伴い、ピアチェンツァのドゥオーモが司教座教会になり、ボッビオのドゥオーモはConcattedraleとなりました。


P1490327
サン・コロンバーノ修道院と共に発展したボッビオですが、修道院領とは別に、1014年にボッビオは単独の司教区となりました。ボッビオの初代司教は、サン・コロンバーノ修道院長が兼務しましたが、初代司教が没すると、二代目司教は、1017年、修道院と司教座教会の分離を行うために新たに司教座教会の建設を決めました。
そうして、1070年に創建され、1075年にロマネスク様式のサンタ・マリア・アッスンタ司教座教会が完成しました。1075年に奉献式が執り行われました。


P1490328
14世紀から15世紀に増築され、現在の規模になりましたが、それまでは1075年当時のロマネスク様式の建物が維持されました。


P1490336
二本の鐘楼に挟まれたファサードは1463年に完成しました。完成時はゴシック様式のファサードでしたが、18世紀に行われた改造によって現在のファサードの姿になりました。


P1490330
ファサードに向かって左側の鐘楼です。
左右の鐘楼は1532年に完成しました。左側の鐘楼は途中修復されたものの、完成時の姿を保っていると言われてます。


P1490331
ファサードに向かって右側の鐘楼は時計塔になってます。
右側の鐘楼は、17世紀にコムーネの所有となり、コムーネの方針によって上部を破壊して高さを低くするとともに時計を付ける改造を受け、時計塔兼鐘楼となりました。


P1490303
後陣


P1490121
修道院と司教座教会の分離はやはり管理が異なるから行われたと思います。


P1490333
ファサードに向かって右側に司教館があります。司教館に大聖堂付属美術館がありますが、日曜だけの開館なので入館するのが結構大変です。この日は平日だったので休館です。


P1490332
聖堂内に入ります。


P1490337
中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


P1490338
1905年に行われた内装塗り直しの影響でしょうか、新しい印象を受けます。


P1490340
リブ付きのクロス・ヴォールト


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壁の多くがフレスコ画で覆われてます。


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1750年に遡る主祭壇とPresbiterio


P1490343
後陣のフレスコ画は、ロンバルディアの画家フランチェスコ・ポッロ(18世紀前半活動)によって1723年に制作されました。


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後陣のフレスコ画のテーマは「聖母被昇天」です。


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Presbiterioの聖歌隊席(17世紀)


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磔刑像(16世紀)


P1490351
フランチェスコ・ポッロ(ロンバルディア、18世紀前半活動)の「聖母被昇天」(1723)


P1490353
フランチェスコ・ポッロ(ロンバルディア、18世紀前半活動)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1723)


P1490356


P1490357
2012年に作り直されたオルガン


P1490360
主祭壇前から見た出入口方向


P1490361


P1490363
次はクリプタです。


P1490364
クリプタに下りました。


P1490367
15世紀に造られたクリプタです。


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1600年以降の代々のボッビオ司教の墓があります。


P1490369
詳細不知


P1490370
クリプタの祭壇下にボッビオ司教の聖アントニオ・マリア・ジャネッリの遺体が安置されてます。


P1490371
ボッビオの代々の司教のうち、唯一列聖されたのが、聖アントニオ・マリア・ジャネッリ(カルロ、1789‐ピアチェンツァ、1846 ボッビオ司教在位:1837‐1846)
1951年、第260代教皇ピオ12世(教皇在位:1939‐1958)によって列聖されました。


P1490373
クリプタに安置されているボッビオ司教たちの墓
(つづく)

P1480939
ボッビオの城壁外Corgnate地区にあるBasilica e Santuario della Madonna dell' Aiutoです。1970年、Basilica Minoreに格付けされました。


P1480862
サン・フランチェスコ修道院教会の敷地だった場所に15世紀に建設されたロンバルド・後期ゴシック様式のマリアの受胎告知教会 Chiesa dell' Annunciazione di Mariaがありました。その教会が聖堂聖域の前身の一部です。


P1480868
現在の聖域聖堂の後陣と鐘楼は、マリアの受胎告知教会のものです。


P1480867
伝説に拠れば、14世紀後半、修道院(恐らくサン・フランチェスコ修道院教会)の敷地に隣接してブドウ園がありましたが、ブドウ園の所有者が修道院との境にあった隔壁を高くすることにしました。その際、高くした隔壁に壁龕を設け、壁龕に聖母子のフレスコ画を描かせました。
1472年、壁龕に描かれた聖母の顔が急に崇高さを増す奇跡が起こり、壁龕の聖母子は人々の信仰を集めました。近隣の人々やサン・コロンバーノ修道院の巡礼者の巡礼地となりました。やがて、壁龕のフレスコ画を保存するために壁龕の礼拝堂が建設されました。


P1480865
17世紀になると、「壁龕」礼拝堂をマリアの受胎告知教会に組み入れて聖域を造ることが決められ、1621年に建設工事が着工され、1836年に完成しましたが、奉献を境に名称がマドンナ・デッライウ―ト聖堂を改称されました。


P1480866
ファサード下に柱廊が設けられてます。


P1480869
ファサード下の柱廊です。


P1480871
聖堂内に入りました。


P1480873
単廊式ですが、半地下の壁龕の聖母礼拝堂があります。


P1480872
観光客には殆ど知られていないので、見かけるのは地元の人だけです。


P1480874
身廊天井にフレスコ画がありますが、暗くてよく見えませんでした。


P1480876
主祭壇
後陣はマリアの受胎告知教会のものです。


P1480875
後陣のフレスコ画


P1480880
15世紀に描かれたフレスコ画が後陣にありましたが、落剝してしまったので19世紀に描き直されたフレスコ画です。


P1480884
制作者不知


P1480886
後陣左壁のフレスコ画です。
制作者不知の「奇跡の聖母のタベルナコロを礼拝する人々」(20世紀)


P1480889
後陣右壁のフレスコ画です。
制作者不知の「奇跡の聖母のタベルナコロの礼拝堂建設を決める修道院長」(20世紀)


P1480890
ロレートの聖母礼拝堂


P1480920
右側壁の礼拝堂


P1480895
サルヴァトーレ・ポッツィ(またはポッツォ)(プーリア、1595‐1681)の「ボッビオを守護する奇跡の聖母と聖人たち」(17世紀)


P1480901
半地下に進みます。


P1480902


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P1480905
奇跡の聖母礼拝堂


P1480906
伝説の「奇跡の聖母」のフレスコ画が祭壇に収められてます。


P1480911
「奇跡の聖母」(1472)
私にはオリジナルのフレスコ画に見えなかったのですが・・・・・


P1480907
奇跡の聖母礼拝堂天井


P1480912


P1480914


P1480915
窓はだまし絵です。


P1480916


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内陣に戻りました。詳細不知の「聖ジュゼッペ」


P1480923
制作者不知の「奇跡の聖母」(19世紀)


P1480926
制作者不知の「ご訪問」(17世紀)


P1480932
サルヴァトーレ・ポッツィ(またはポッツォ)(プーリア、1595‐1681)の「聖ジュゼッペの死」(17世紀)


P1480929
画面が光るので、少し角度を変えて撮ってみました。


P1480933


P1480863
外に出ました。


P1480861
道を挟んで、聖域聖堂向かいの建物の壁にある「聖母子像」が必見です。


P1480938
これです。奇跡の聖母を模した浮彫でしょうね。


P1480864
Via Corgnateの先に行っても何もなさそうです。


P1480936
サン・フランチェスコ広場を経由してドゥオーモに向かいます。


P1480940
(つづく)

P1490246
村の中心に戻ります。


P1490248
サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の鐘楼が目立ちます。


P1490249
この光景を見ると、川が山を侵食してできた広い河原に築かれた村がボッビオと思えます。


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山肌が露出している部分がかなり多い。


P1490252
写真右端がカステッロです。


P1490254
写真右の道路を歩いてます。


P1490258
写真左はサン・フランチェスコ修道院教会です。写真右はマドンナ・デッライウ―ト聖域聖堂です。


P1490259
紅葉してますが、この日は10月16日でした。


P1490262
橋の前の食堂に来ました。


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橋を渡ります。


P1490265
イタリア人はこれが好きですね。


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橋の形状を中心に見て歩きます。


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振り返って撮りました。


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ドゥオーモの後陣


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ドゥオーモの下の道を進みます。


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サン・フランチェスコ広場に向かいます。


P1490313
サン・フランチェスコ修道院教会です。


P1490314
Via dei Ponte Vecchio


P1490316
Via dei Ponte Vecchioから見たヴェッキオ橋


P1490318
ピアチェンツァ方向に進むSS45です。


P1490319


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サン・フランチェスコ広場に戻りました。


P1480856
この日のお宿です。


P1480859
自室に戻り、トイレ休憩しました。


P1480857
再び外に出ました。サン・フランチェスコ修道院教会のファサードが見えてます。


P1480858
次はマドンナ・デッライウート聖域です。


P1480860
Via Corgnateに面して建っている教会がマドンナ・デッライウート聖域聖堂です。
(つづく)

P1490122
トレッビア川に架かるゴッボ橋 Ponte Gobbo、別名ヴェッキオ橋 Ponte Vecchio、悪魔橋 Ponte del Diavoloです。
gobboとは、湾曲した、起伏のある、隆起のあるという意味で橋の形状に由来してます。
ローマ時代に架けられた橋が前身なので、ヴェッキオ橋(古い橋)と呼ばれてます。
中世の頃、橋を架けることが難しく、伝説を生みましたが、伝説の一つが悪魔によって架橋されたというものでした。


P1490135
橋の下を流れるトレッビア川です。


P1490133
トレッビア川は、リグーリア州、エミリア₌ロマーニャ州を流れる、ポー川の左岸支流です。


P1490123
橋を渡って対岸のボルゴ・デル・トレッビアに向かいます。


P1490137
長さ273m、11の等距離でないアーチがあり、しかもアーチ状の橋部分の高さが異なります。


P1490141
グループツアーのご一行様が通り過ぎて行きました。


P1490152
この場所が橋が初めて架けられたのは、ローマ時代ですが、ローマ時代の具体的な世紀は分からないようです。


P1490166
7世紀に、サン・コロンバーノ修道院の修道士によって、ローマ時代に築かれた橋の基礎の上に橋が再建されました。
橋は、巡礼者や修道院の宗教的な行進に使用されました。
両岸の橋端に奉納の像が置かれてます。


P1490164
聖母子


P1490165
聖コロンバーノ


P1490167
対岸に渡り切りました。


P1490168
上流の橋桁が見える所まで移動します。


P1490169
トレッビア川は元々急流なので、普通の状態でも川床の激しい浸食があることに加え、暴れ川の異名の通り洪水が繰り返されたので、橋の砂利床が移動したり、橋が流されたり変形を受けるなど壊滅的な被害と再建を何度も繰り返しました。


P1490172
明確な記録が残されている15世紀以降に限ってみても、15世紀から現代まで11回の橋の流失、崩落、再建を繰り返したことが分かってます。


P1490174
現在の橋は、1971年の大洪水によって壊滅的な被害を受け、その後に再建、修復されたものです。


P1490175
レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の背景に、この橋が描かれているとの説があります。


P1490176
ボッビオのドゥオーモ


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P1490187
グループツアーのご一行様が帰路についたようです。


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P1490193


P1490200
ボルゴ・デル・トレッビアは見所が殆どありません。


P1490203
下流の方に向かいます。


P1490207


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P1490211
橋の下は進めないようです。


P1490214
ここを上って道に出た方が良さそうです。


P1490215
橋の正面にお店があります。


P1490216
店の前のBorgo del Trebbiaを進んで下流方向に行きます。


P1490217
店の前から見た橋と村の中心部


P1490219
道を進みます。


P1490218
下流の方に来ました。


P1490222


P1490231
道路からは、橋がうまく写りません。


P1490236


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P1490239
Basilica e Santuario della Madonna dell' Aiuto


P1490243
カステッロ


P1490244
村の中心街に戻ることにしました。


P1490245
(つづく)

P1490041
カステッロからトレッビア川の方に向かいます。


P1490042
写真正面の家の前に城壁がありましたが、破壊されました。


P1490044
城壁内に戻りました。


P1490046
放棄された水車があります。


P1490047
水車があったので、この道の下に小川が流れていて暗渠になっているのでしょうか?


P1490048
水車があるからには、それなりの流れの川が流れていた筈です。川は写真手前から道の先に流れている?


P1490049
村歩きをしているうちに、4つの廃棄された水車を確認できました。


P1490051
ヨーロッパの水車の殆どは粉挽き用だそうですが、ボッビオの水車は何用?


P1490058
村役場経由でトレッビア川に向かいます。


P1490062
柱廊のがっしりした柱に目が行きます。


P1490061
柱廊の天井が木製でした。


P1490063
再び城壁の外に出ました。と言っても、城壁は19世紀に取り壊され、この辺では残っていません。


P1490068
壁龕に聖母子像があるのを発見しました。


P1490066
これです。


P1490064
写真左の道を、写真手前方向に進みます。


P1490070
見所がそれなりにあるので、1泊しても退屈することはないと思います。


P1490072
この家並みの前に細い道があって、道の、家並みの反対側に城壁があったそうです。城壁を取り壊して広い道路が出来ました。


P1490074
再び城壁内に入りました。


P1490075
ワイン醸造所です。


P1490076
今もワイン生産しているのか、不明です。


P1490077
突き当りを左折すれば村役場があります。


P1490079
村役場です。


P1490092
サンタ・キアーラ広場に面して建つ村役場です。


P1490091
村役場に入ってみました。


P1490089
興味を引くようなものが無さそうです。


P1490085
ボッビオの紋章です。


P1490087
独立1000年の記念板


P1490090
サンタ・キアーラ広場からトレッビア川に向かいます。


P1490095
紅葉した蔦が絡まる民家


P1490097
落葉が進んでます。


P1490100
緩い下り坂の道


P1490104
古そうな建物ですが、特に名前が付けられていないようです。


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広い道に出ました。城壁を取り壊して作られた道?


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Strada del Fossato


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ここにも水車がありました。


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使用されなくなって、かなり経つ水車と思います。


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水車近くのアーチも補修されていないようで、少し危険と思いました。


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共同の洗い場です。


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水車、共同洗い場があることから、道路の下は川が流れているのかも知れません。


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通りの突き当りが川の堤防になります。


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写真左は城壁兼堤防です。


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サン・フランチェスコ修道院教会が見えてきました。


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SS45の横断歩道を渡ります。


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トレッビア川に架かるPonte Vecchioです。


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橋から振り返るとドゥオーモが見えます。
(つづく)

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一時、城壁外に出ました。


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丘の後方にトレッビア川が流れてます。


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写真左にカステッロがあります。


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案内板があります。


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カステッロ Castello Malaspina- Dal Vermeです。


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カステッロの入り口です。


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入り口前の地面に栗が沢山。


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614年に建設されたサン・コロンバーノ修道院と共に発展したボッビオですが、修道院がベネデット会の所有となった9世紀頃から城壁が築かれるようになりました。


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13世紀に本格的に城塞が建設されるようになり、村は要塞化されるようになりました。


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村の小高い丘にカステッロが建設されました。1219年の文書に、カステッロが建っている現在地にBraida de Castelloの存在が記載されてますが、それが前身とされてます。


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1304年から1341年まで、ボッビオはマラスピーネ家の支配下に置かれましたが、14世紀前半、ボッビオのシニョーリアのコッラディーノ・マラスピーナによって城の建設が開始されました。


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1341年から1436年まで、ボッビオはヴィスコンティ家の支配となりましたが、ヴィスコンティ家によって城は拡大されました。


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1436年から1743年まで、ボッビオはヴェローナ出身のダル・ヴェルメ家の支配下となりました。城はダル・ヴェルメ家の邸宅として整備拡充されて、1545年に完成しました。
城の名称は、創建したマラスピーナ家と完成させたダル・ヴェルメ家に因んで、Castello Malaspina- Dal Vermeと呼ばれてます。


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現在は、カステッロは国立博物館として一般公開されており、「パルマ・ピアチェンツァ公国の城」協会に運営管理が委託されてます。


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城の中に入ります。


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中の展示物がなく、殆どの部屋が閉まっていて、博物館として未整備のように思いました。


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切符売り場(この時は入館無料でしたが、無料券をもらってガイドと一緒に回るようになっていました)


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城内は見所が乏しく、期待外れで外に出ました。無料だったので贅沢は言えません。カステッロは人気がないようで、初めから最後まで私一人でした。


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城の庭に入ります。


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庭から村の全景が見えます。


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監視塔


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城壁の上から村の全景を見ます。


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鐘楼の向こう、山肌の下にトレッビア川の流れが見えます。


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サン・コロンバーノ修道院


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ドゥオーモ


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トレッビア川が写ってます。


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中秋の山


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これから博物館として整備されるのでしょう。


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カステッロ前の広場


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全部見たようです。


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階段を下りて扉の外に出ます。


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私が立ち去ると、係員が暇そうに外に出てきました。


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写真左はカステッロの城壁です。


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(つづく)

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サン・ロレンツォ教会です。グループツアーのご一行様は既に立ち去って、教会の中には誰もいませんでした。


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ファサードは12世紀のオリジナルに近いとされてます。


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12世紀のオリジナルの鐘楼は1779年に現在の姿に改造されました。


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ナポレオンの抑圧令によって、1803年に世俗同信会は解散させられ、教会は閉鎖となりました。1822年に教会の活動が再開されました。


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教会に隣接した建物は旧修道院で、現在は住居に転用されてます。


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中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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20世紀後半に再塗装されました。


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ロマネスク様式のファサードを見てから、この内部を見ると感じが全く異なり、少し戸惑います。


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主祭壇


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閉鎖となったサン・フランチェスコ修道院の教会から移設された磔刑像(17世紀)


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詳細不知


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後陣の木製聖歌隊席はサン・フランチェスコ修道院の教会から移設されたものです。


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主祭壇画の「聖ロレンツォの殉教」(制作者情報等詳細不知)


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詳細不知の「聖母子」


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制作者情報等詳細不知の「天上の聖家族と二聖人」


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制作者情報等詳細不知の「聖トンマーゾの不信」


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制作者情報等詳細不知の「天上の幼きキリストと二聖人」


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1144年の文書に、教会の初記録が記載されていますが、創建の年は不明のようです。
13世紀後半、バットゥーティと呼ばれるConfraternita di Laici(世俗同信会)の所有となり、隣接するサン・コロンバーノ修道院の修道士に依存する関係でした。


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経時劣化のため建物が危険になったので、活動が停止されました。1694年、ベネデット会修道士によって危険部分が取り壊され、一部が再建されると共に拡張されました。


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何となく納得できないサン・ロレンツォ教会でした。


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次はカステッロです。


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緩い上り坂の細い道を通ります。


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カステッロは、城壁内の小高い場所にあります。


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マッツィーニ通りを進みます。


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午後3時前なので、人出がなく、非常に静かです。


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この道の建物は17世紀に建設されたものが殆どです。


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風情のある建物です。


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写真左の道に進まず、写真手前を左折します。


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狭い城壁内の村外れに出ます。


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ここから柱廊が続きます。


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カステッロは写真右上辺りにあります。


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ポルティコが終わると城壁が現れます。


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防御力が感じない低い城壁です。


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最初の城壁は9‐10世紀に建設されましたが、修道院の村なので防御をあまり考えていないようです。


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漸く人を見かけました。


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城壁外に出ます。


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(つづく)

ボッビオ Bobbioは、人口3,544人(2019年11月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州ピアチェンツァ県にあるコムーネで、「イタリアの最も美しい村」にリストアップされてます。
614年に建設されたサン・コロンバーノ修道院と共に発展し、1014年に独立しました。
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前泊地はイーモラでした。
写真は、カテリーナ・スフォルツァで名高いイーモラのスフォルツェスカ要塞です。


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イーモラ駅から鉄道でピアチェンツァ駅に向かいました。


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車内は、ボローニャに向かう時とボローニャを離れた時を除いて、大体空いてました。


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ピアチェンツァ駅に定時に到着しました。


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公共交通機関を使ってボッビオに向かうには、ピアチェンツァ駅からボッビオ行きバスで行くのが普通です。


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ピアチェンツァのバスターミナルは、ファルネーゼ宮殿前の広場にありますが、近郊の市町村に向かうバスの殆どは駅前の停留所を経由します。


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ボッビオ行きのバスに乗車しました。


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乗車1時間ほどでボッビオのサン・フランチェスコ広場に到着しました。


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サン・フランチェスコ広場に面した、この日のお宿に向かいました。日帰り観光客が殆どのボッビオですが、日帰りでは味気ないので主義として泊まることにしています。


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この日のお宿です。ボッビオの宿泊設備の選択肢は少ないのです。


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広場の名称の由来は、広場に面してサン・フランチェスコ教会修道院があるからです。活動を停止した旧教会修道院です。


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チェックインを済ませて外に出ました。


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レストランが主で、ホテル業は従といった感じでした。折から昼食時とあって、レストランは満員でした。
小さな村に泊まるときは、夕食に苦労した経験があるので(夜はやっていない店が殆ど)、レストラン併設のホテルを狙い目にしています。


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レストランが満員だったので、夕食の予約をしておきました。


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観光客がチラホラ。しかし、夕方になると観光客を滅多に見なくなります。


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Contrada di Porta Nuovaをドゥオーモ方向に進みます。


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独立した1014年から1000年以上の歴史を持つことを誇りにしているコムーネです。


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通りの突き当りがドゥオーモ広場になります。


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お腹が空いたので、軽く何か食べなくては。


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ドゥオーモ広場に行けば、この時間からでも食べられる店があるとの読みです。


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ドゥオーモ広場です。


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この時間は閉まっているドゥオーモです。


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この店で食べました。


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ボッビオはロマネスク様式の建物などが溢れてます。長い間、ロマネスク様式の建造物が大好きでしたが、近頃はその稚拙さが気になり、完成度が高くなる後世のゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式の建造物に惹かれるようになりました。


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Palazzo Vescovile


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Palazzo VescovileにMuseo Diocesanoがありますが、10月の平日のこの日は休館でした。


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ドゥオーモ広場からサン・コロンバーノ修道院の方に向かいます。徒歩で数分の距離です。


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先ほど、通ってきたポルタ・ヌオーヴァ通りです。


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サン・コロンバーノ修道院です。


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Piazza Santa Fara


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写真左の建物はPalazzo Baroneです。


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Piazza Santa Faraは駐車場になっていますが、1台しか駐車していなかった。


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この季節は、やはり観光客が少ないのです。


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この時間、空いているのはサン・ロレンツォ教会だけです。写っている鐘楼はサン・ロレンツォ教会のものです。


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サン・コロンバーノ修道院の鐘楼です。


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Via San Lorenzo


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サン・ロレンツォ教会の扉が開いていました。中に入ったら、観光客のグループツアーのご一行様で一杯でした。開いているのは、ここくらいなものなので、集中したようです。
ツアーのご一行様が立ち去るまで、近くを適当に歩きます。


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この付近は、新旧の建物が混在しています。


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イタリアから芸術作品を盗んでフランスに持ち去ったナポレオンが大嫌いですが、唯一評価できるのは修道院教会の抑圧令です。不労所得者の最たる者が宗教専従者ですから、それが多くては社会が疲弊してしまいます。


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そろそろ教会に戻っても大丈夫?


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(つづく)

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