イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2021年05月

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引き続きサン・ロレンツォ教会です。フレスコ画を見ます。


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖母戴冠」


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殆ど落剝しています。


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制作者情報不知の「聖母子」


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14世紀に制作されたフレスコ画でしょう。


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碑文


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「二聖人」


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荒れるに任された時期があるます。


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この部分の剥離は少ないですが、状態が非常に悪いフレスコ画です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖ロレンツォ」(右上)、「聖アントニオ・アバーテ」(中央)(1456-57)


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この辺は保存状態が良い方です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖アントニオ・アバーテ」(1456-57)


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の天井フレスコ画(1456-57)


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描かれているのは聖人でしょうが、不鮮明です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「パドヴァの聖アントニオとシエナの聖ベルナルディーノ」(1456-57)


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「ピエタのキリスト」


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖人たち?」


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖ピエトロ」


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詳細不知


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖セバスティアーノの殉教」(1456-57)


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖セバスティアーノの殉教」(1456-57)


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖セバスティアーノの殉教」(1456-57)


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主祭壇前から見た出入口


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外に出ます。


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外に出ました。


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かなり疲れました。


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Palazzo d' Arnolfoの時計塔です。


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カヴール通りに入りました。


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まだ見てない所があります。


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持っている地図で次に行く場所を検討しましたが、疲れていたので、もういいや、と思いました。


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アルノ川、美術館に行き、ドゥオーモとサン・ロレンツォ教会を拝観したので、主だった所は十分楽しみました。


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駅に向かいます。


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やはり泊まる必要はなく、日帰り遠足で十分です。


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駅に着きました。
(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ編、おわり)

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次は、マザッチョ広場に面して建つサン・ロレンツォ教会です。


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ドゥオーモよりも歴史あるサン・ロレンツォ教会です。


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1296年、フィレンツェの前線基地としてカステル・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの旧称)が築かれた際に、Pieve di Cavrigliaのサポートを受けて現在地に小さな教会が建設されましたが、それが前身です。


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現在のゴシック様式の建物は、14世紀初頭に再建されたものが原形です。


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17世紀と19世紀に大規模な改造工事が行われましたが、左側の壁に加えたられた小規模な改造に留まって、14世紀初頭の外観をほぼ維持していると言われてます。


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入口扉上ルネッタにフレスコ画がありましたが、その痕跡さえも残されていません。


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傑作祭壇画が数点あったそうですが、売却されたり、隣のドゥオーモ付属美術館に移されたりして、現存するのは主祭壇画だけです。


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左側壁にタベルナコロがあります。


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タベルナコロ


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詳細不知の「聖母子」


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拝観します。


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中に入りました。


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左右非対称のゴシック様式の構造です。2度の大改造を経て、創建時からは随分異なるとされている内部です。


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右側に側廊があるので、珍しい二廊式になります。


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フレスコ画があったとされる身廊天井とPresbiterio天井は塗り潰されて味気なしです。


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主祭壇


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1399)に帰属する「聖母戴冠のポリッティコ」(1374c)


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帰属作品ではなく、ジョヴァンニ・デル・ビオンドの真作説もあるようです。


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メインパネルの聖母戴冠


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左パネルの聖人たち


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右パネルの聖人たち


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クスピデの磔刑


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右側廊


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右側廊後陣の礼拝堂


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詳細不知の磔刑像


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柱頭


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洗礼盤


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右側廊はフレスコ画で覆われてます。


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地元の人は、右側廊後陣の礼拝堂で祈りを捧げます。


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聖水盤


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(つづく)

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主祭壇画とその後方Presbiterioのフレスコ画が見所なので、これには困りました。


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急にパイプオルガンの大音響が・・・・・振り返ると女性が弾いてます。
誰もいないので、単なる練習と思いました。


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Presbiterioは立ち入り禁止でした。


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以前は垂れ幕がなかったのです。


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以前は、立ち入り禁止のロープがなく、Presbiterioのフレスコ画を見ることが出来ました。


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ジュリオ・パリージ(フィレンツェ、1571-1635)の「Antico Tabernacolo」


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1596年の火災で焼失した後の17世紀初めに拡大再建された際に制作されたものです。


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組み込まれた聖母子は他の画家の作品と思いますが、その詳細が分かりません。


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Presbiterioのフレスコ画は、この聖堂が建設された由来を説明するものです。


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ルベルト・ダ・モンテヴァルキ(ペルージャ、1460c-サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1523)の「Miracolo di Monna Tancia」


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ルベルト・ダ・モンテヴァルキは、ペルジーノの弟子でした。


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両親がペストで死んで、その乳児が残されました。


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叔母は乳を与えることが出来ません。


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サン・ロレンツォ門の祠に祈りを捧げると、奇跡が起きて乳が出るようになりました。


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これらをしっかり見ることが出来たのです。


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聖水盤
他の祭壇画を見て回ります。


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制作者情報不知の「聖心」


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制作者情報不知の「聖ジュゼッペの大工工房のキリスト」


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クーポラ


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制作者情報不知の「聖チェチリアと天使」


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フィレンツェ派逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタとウベルティの聖ベネデット」(17世紀)


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オルガン演奏が続いてました。


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アンニーバレ・ニッコライ(ヴォルテッラ?、1611c-フィレンツェ、1693)の「パドヴァの聖アントニオ」


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制作者情報不知の「ネオゴシック様式の祭壇前飾り、チントラの聖母と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」


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一見古そうな作品です。


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ピエトロ・マルケジーニ(ピストイア、1692-1752)の「ヨハン・カール・ロート作『聖ピエトロの死』のコピー画」


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アンジェロ・ファッブリーニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1853c-1889c消息)の「銭の貢ぎ」(1861)


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フィレンツェ派逸名画家作「磔刑」(16世紀末-17世紀初め)


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Presbiterioの天井フレスコ画


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制作者情報不知


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外に出ます。
(つづく)

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ドゥオーモの鐘楼とクーポラがサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅のホームから見えます。


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マザッチョ広場に面して建つサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのドゥオーモ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂です。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、フィエゾレ司教区に属してます。


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現在、聖堂が建っている場所に聖母を祀る小さな祠がありました。
ペストで両親を失った乳児は、Monna Taciaの甥でした。1478年、乳が欲しい泣く甥に困り果てたMonna Taciaは小さな祠に祈りを捧げると、所謂Miracolo di Monna Tanciaと称されることになる奇跡が起き、乳が出てきたのです。
その奇跡を聖母に感謝するために、1484年、Oratorio della Modonna delle Grazieの建設が始められ、1520年頃に完成しました。その祈祷所が現在の聖堂の前身です。


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その後、信者が増えたので拡張されて教会となりました。
1596年の火災によって建物の大部分が消失、崩落したので、17世紀に規模を拡大して再建されましたが、その建物が現在の姿の原形となってます。


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17世紀のファサードが経時劣化したので、ファサードが再建されることになりました。現在新古典様式のファサードは1840年から1856年に再建された二代目となるものです。


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第二次世界大戦の爆撃を受けたので、戦後に大修復工事が行われました。
1929年、第259代教皇ピオ11世(在位:1922-1939)によってBasilica Minoreに格付けされました。また、1986年、Santuario Marianoにランクアップされました。


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クーポラと鐘楼


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聖堂の入り口です。
写真正面の入り口は、聖堂本堂の入り口ではなく、奇跡の礼拝堂の入り口です。


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奇跡の礼拝堂入口上に彩釉テラコッタがあります。


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469-1529)の「チントラの聖母」(1513)


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保存状態が非常よいテラコッタです。


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彩釉テラコッタ下の入り口から奇跡の礼拝堂に入ります。


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一見、クリプタのように見えます。


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奇跡の礼拝堂です。


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Monna Taciaが奇跡を見たとされる祠を組み込んだ礼拝堂です。


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美術的な見所に欠けます。


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聖堂本堂は一階(日本の二階)にあります。


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地上から本堂に向かう階段が左右に設けられてます。
階段の途中に壁龕に描かれたフレスコ画があります。


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ファサードに向かって左の階段踊り場にあるフレスコ画です。


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保存状態が悪いフレスコ画です。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「受胎告知」(1621)


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最近修復されたようで、以前よりもマシになりました。


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次は向かって右の階段踊り場にあるフレスコ画です。


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こちらの方が保存状態が良いと思います。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖母の結婚」(1621)


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近年の修復の結果、かなり良い状態で蘇りました。


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驚くのは、階段踊り場の「聖母の結婚」は第二版に当たります。
最初に制作された「聖母の結婚」はドゥオーモ付属美術館にあります。既に紹介済みですが、その作品画像を再掲します。


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こちらが第一版の「聖母の結婚」(1621)です。


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何故第二版が制作されたのか、色々調べましたが私には分かりません。


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本堂入り口です。


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中に入ると、主祭壇の前に出ます。


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ビックリ、主祭壇が見えないようになっていました。


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三廊式です。


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新しく見えるのは、第二次世界大戦で大きな被害を受けたので、戦後に大修復されたからです。
(つづく)

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次の部屋です。


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グレゴリオ・パガーニの作品が2点並べられてます。


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グレゴリオ・パガーニ(フィレンツェ、1558-1605)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」と「聖ロレンツォ」


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グレゴリオ・パガーニは、画家の息子で、父に基本を習った後、サンティ・ディ・ティートに師事しました。その後、チゴリ工房に加わり、チゴリの協力者として腕を磨きました。


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日本では低評価のパガーニですが、16世紀第4四半世紀から17世紀初頭のフィレンツェを代表する画家とされてます。弟子にクリストファノ・アローリ、マッテオ・ロッセリなどがいました。


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祭壇前飾りです。


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「父なる神と天使たち」(1597)


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マッテオ・ニゲッティ(フィレンツェ、1570-1648)とヤコポ・パゴリーニ(パオリーニとも称す)(カステル・フィオレンティーノ、?-16世紀末没)の作品です。


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ジョヴァンニ・マンノッツィ通称ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「幼きキリストと聖ジュゼッペ」(1630)


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ジョヴァンニ・マンノッツィ通称ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1620)


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニの代表作とされている傑作です。


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カラヴァッジョの作品を多分見たことがないと思われるジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニですが、表現が少し似ていると思います。


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天使の燭台(1690c)


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隣のサン・ロレンツォ教会にありました。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖母の結婚」(1621)


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このような美術館の定番とも言うべき展示物ですが、興味がありません。


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坊主の装束


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外に出る前に、この作品前で暫し熟視。


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外に出ました。
(つづく)

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お目当ての作品です。


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この展示室で唯一の展示作品です。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知」(1432c)
10年ほど前まではベアート・アンジェリコの帰属作品とされていましたが、近年になって研究が進んで、真作とされるようになりました。しかし、今なお異論を出す研究者などがいます。


p1780334ベアート・アンジェリコが完成させてから1438年まで、この作品の行方が不明とされています。
確実なことは、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの郊外モンテカルロのサン・フランチェスコ修道院に1438年から20世紀末まで、この作品が置かれていたことです。
最も相応しいとされる推論は、アンジェリコが制作したのは受胎告知部分だけで、裾絵はアンジェリコの協力者で、フィレンツェの名家ストロッツィ家の一員ザノービ・ストロッツィによって描かれたのですが、裾絵制作のために、何処かにあったという説です。
(写真は、モンテカルロのサン・フランチェスコ修道院)
ベアート・アンジェリコは、大画面の受胎告知を3点制作したことが分かってます。
第一作は、コルトーナの教区美術館にある、所謂コルトーナの受胎告知(1430c)です。
第二作が、このサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの受胎告知(1422c)とされてます。
第三作が、プラド美術館にある、所謂プラドの受胎告知(1435)です。
参考までに、コルトーナとプラドの作品画像を載せておきましょう。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知(コルトーナの受胎告知)」(1430c)
コルトーナのジェズ教会にありました。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1495c-ローマ、1455)の「受胎告知(プラドの受胎告知)」(1435)
フィエゾレのサン・ドメニコ修道院にありましたが、1611年にスペイン国王に売却されて、スペイン王室所有となりました。
ベアート・アンジェリコの受胎告知では、フィレンツェのサン・マルコ修道院にある2点のフレスコ画が有名です。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知(サン・マルコの受胎告知)」


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知」
フィレンツェ、サン・マルコ修道院の第3僧房にあります。


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サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの作品に戻ります。


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父なる神


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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プレデッラを見ます。
前述のようにプレデッラは、ベアート・アンジェリコの協力者だったザノービ・ストロッツィ(フィレンツェ、1412-1468)によって描かれました。
裾絵ですが、「キリスト生誕」の部分が欠落していると言われてます。


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聖母の結婚


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ご訪問


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マギの礼拝


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キリストの神殿奉献


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聖母の死


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詳しく見ます。


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サイズは、縦195cm、横158cmです。


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受胎告知と父なる神がベアート・アンジェリコの作品です。


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大天使ガブリエーレ


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金が使われてます。


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左上部分に注目です。


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左上にアダムとイヴの楽園追放が描かれてます。


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聖母マリア


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父なる神


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プレデッラ


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聖母の結婚


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ご訪問


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マギの礼拝


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キリストの神殿奉献


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聖母の死


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(つづく)

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15世紀のフィレンツェの逸名画家作「パドヴァの聖アントニオ」


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上部ルネッタは受胎告知です。


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注文者は特定されてません。


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描かれている注文者は多分夫婦でしょう。


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ヤコポ・デル・セッライオ(フィレンツェ、1441-1493)の「受胎告知」(1472c)


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ヤコポ・デル・セッライオは、フィリッポ・リッピの弟子でした。


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プレデッラ


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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プレデッラ


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幼きキリストを崇拝する聖母


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聖セバスティアーノ


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「玉座の聖母子と四聖人」


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アレッサンドリアの聖カテリーナと聖ジョヴァンニ・バッティスタ


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ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417-1491)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1450-60c)


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ドメニコ・ディ・ミケリーノは、ベアート・アンジェリコの強い影響を受けた画家です。本名ドメニコ・ディ・フランチェスコでした。ミケリーノ・ディ・ベネデットに師事しましたが、師匠から技量卓越が認められ、師匠の名前ミケリーノの使用が許されたことで、ドメニコ・ディ・ミケリーノを名乗ったとされてます。
ヴァザーリに拠れば、ベアート・アンジェリコの弟子とされてます。


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聖人が特定されてます。


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聖アントニオ・アバーテ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖マルゲリータ


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聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖マルゲリータ


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聖マルゲリータ


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聖母子


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聖ヤコポ、聖マリア・マッダレーナ


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聖マリア・マッダレーナ


p1780331
聖ピエトロ・マルティーレ


P1780019


P1780020
17世紀のトスカーナの金工家作「行列用十字架」(17世紀)


P1780021



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p1780332


P1780022


P1780023


P1780024
(つづく)

P1770960
文書です。


P1770961
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所の1712年から1734年の決議と状況について記した記録文書です。


p1780283
筆記体の文書を読むのが苦手です。


P1770962


P1770964
フィレンツェの逸名彫刻家作、またはナンニ・ディ・バルトロ通称イル・ロッソ(フィレンツェ、1419-1437活動記録)作かもしれない「聖ロレンツォ」


p1780284


P1770965
ナンニ・ディ・バルトロ通称イル・ロッソはドナテッロの弟子でした。


P1770967
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所の記録文書です。


p1780285
日によって違うページが開かれてます。


P1770968
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所記録文書の1484年から1655年の章です。


P1770971
ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖母子」


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「音楽天使たちの合唱」(1440-50c)


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パオロ・ディ・ステファノ・バダローニ通称パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397-ピサ、1478)の「聖ビアージョ」


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「トラヤヌス帝と未亡人の物語」(1430-40c)


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マリオット・ディ・クリストファノ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1395c-フィレンツェ、1457)の「聖母と聖ルチアとキリスト」(1420-25c)


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p1780303
プレデッラの聖アゴスティーノ


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大天使聖ミケーレ


p1780305
聖エレモシア
(つづく)

サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのドゥオーモ付属美術館 Museo della Basilica di Santa Maria delle Grazieについては既に書きましたが、改編して再度アップすることにします。
P1770896
マザッチョ広場に面して、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂(写真右)とサン・ロレンツォ教会(写真左)の2つの教会が建ってます。


P1770905
2つの教会に挟まれた建物が司祭館です。


P1770915
この建物にドゥオーモ付属美術館があります。


P1770914
付属美術館の設立は、1864年でしたが、1959年に再編成されました。1990年から一般公開されるようになりました。2003年に改装のため一旦休館となりましたが、2005年に改装再オープンされて現在に至ってます。


P1770916
美術館の入り口です。


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入口にある紋章


P1770917
展示室に向かいます。


P1780100
展示室の入り口です。
展示室は6部屋から成ってます。


P1780099
展示室内に入りました。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂にあった作品が展示の中心ですが、街のPalazzoや他の教会から集められた作品が展示されてます。
14世紀から20世紀にわたる絵画、彫刻、調度品、本などが展示されてます。


P1770920
フィレンツェ派逸名画家作「聖母子と五色鶸(ひわ)」(18世紀初め)


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幼きキリストが手にしているのが五色鶸 cardellinoです。


P1770922
展示作品数は多くありません。


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖母と聖マリア・マッダレーナと三位一体と聖人たち」(1400-05)


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P1770926
中央パネル


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左パネル


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右パネル


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1356から記録 1399没)の「神の祝福」(1374)


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P1770937
ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1356から記録 1399没)の「ピエタのキリスト」(1374)


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マリオット・ディ・クリストファノ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1395c-フィレンツェ、1457)の「玉座の聖母子と四聖人と発注者」


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P1770945
ジョヴァンニ・ダ・ピアモンテまたはジョヴァンニ・ディ・ピアモンテ(トスカーナ、15世紀中頃活動)の「大天使ラッファエーレとトビアス」


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P1770954
パオロ・ディ・ステファノ・バダローニ通称パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397-ピサ、1478)の「聖アンサーノ」


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P1770956
パオロ・ディ・ステファノ・バダローニ通称パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397-ピサ、1478)の「音楽天使たちの合唱」


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P1770959
(つづく)

P1770843
この辺でアルノ川を切り上げます。


P1770845
街の中心に向かうことにしました。


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Ponte Ipazia D'Alessandroの前を一旦右に出ます。


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Via di Val D'Arnoに入りました。


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アルノ川沿いの幹線道路SR69です。


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幹線道路に面して立ってるのは、ピエトロ・チェッカレッリ(ヴァル・ディ・チェチーナ、1888-フィレンツェ、1949)の「第一次世界大戦の追悼碑」(1926)です。
この彫刻の制作前に、コンペが行われ、その勝者であるチェッカレッリが制作しました。


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SR69を左折してローマ通りに入りました。この先に街の中心の広場があります。


P1770856
Palazzo d' Arnolfoとドゥオーモのクーポラが写ってます。


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ローマ通りを進んでカヴール広場に向かいました。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会の鐘楼が写ってます。


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リベルタ広場に向かいます。広場と言っても実際は道幅の広い道路です。


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ローマ通りの建物


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リベルタ広場


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カヴール広場に入ります。


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カヴール広場


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アーチの左にサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会があります。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会の扉は相変わらず閉まったままでした。


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広場に立つのはジュゼッペ・ガリバルディ像です。


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写真左の建物は、Convento delle Agostinianeです。


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この建物が分からない。


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Palazzo d' Arnolfoです。


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Palazzo d' Arnolfoのロッジャです。


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ロッジャの壁


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フレスコ画断片でしょうか?


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Museo delle Terre Nuoveの入り口です。


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この時は入館しませんでした。前回入館したので、それで十分です。


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アルベルティ通り


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P1770903
(つづく)

405
雷鳴が遠のき、雨が小降りになりました。


406
大体見たようなので、駅に向かいました。


407
城壁を潜ります。


408
城門の壁に描かれた絵


409
ベアート・アンジェリコの「受胎告知」を見たくなると、この街に来ます。


411
駅に着きました。


410
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ行の列車を待ちました。
この時の旅は、これで終わりです。


P1770791
その2年後、季節は前回と同じ6月です。
アレッツォの駅舎です。


P1770792
この時は、アレッツォからサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノへの日帰り遠足でした。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、アレッツォとフィレンツェのほぼ中間にあります。


P1770793
アレッツォに数泊して、ポッピ、モンテルキ、スッビアーノ、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノへの日帰り遠足をしました。アンギアーリ、チッタ・ディ・カステッロ、コルトーナ、サン・セポルクロにはそれぞれ泊まりました。


P1770794
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ行のRVを待ってます。


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列車内は空いてました。


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サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅に定刻に到着しました。


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駅舎


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駅前広場


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駅から外に出ると、真っ先に、奇妙なハイヒールのオブジェが目に飛び込んできました。


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この写真で赤いハイヒールのオブジェの位置がお分かりになると思います。
以前には無かった。オブジェの意味がサッパリ分からない。


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先ずアルノ川に向かいます。


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駅からアルノ川まで約500mです。


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道路沿いに真新しい石造りのベンチが整備されていました。2年前には無かったと思います。


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ガリバルディ通りとの交差点を通り過ぎます。


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チェーザレ・バッティスティ通りを進みます。


P1770807
アルノ川に向かうのは、私がアルノ川渓谷にある街という名前にピンとこないのですが、それをブログに読み手である皆さんがどう思われるのか、知りたいがためです。


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ピアーヴェ通りに入ります。


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ピアーヴェ通りの先にアルノ川があります。


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川傍の、この地区はアルノ川の氾濫に苦しんだそうです。
個人的には、川傍に住めば、その辺のリスクは当然承知の上の筈と思います。


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モンテ・グラッパ通りとの交差点を通過しました。


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トリエステ通りを過ぎます。


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木が見えてますが、アルノ川沿いの並木です。


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堤防の上に出ました。


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アルノ川です。


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広い河原があります。Val d'Arnoにそぐわないと思います。val=峡谷、渓谷、谷ですから。


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アルノ川に架かるPonte Ipazia D'Alessandro


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川沿いの遊歩道を歩いて橋に向かいます。


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カステル・サン・ジョヴァンニが築かれた13世紀末には、深い谷になっていたそうですが、現在の姿からは想像できません。


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それだけ浸食と堆積が凄かったということでしょう。


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初めて、ここに来た時、渓谷美を楽しむのが目的でしたが、見事に当てが外れてガックリしたことを覚えてます。


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橋を渡ります。


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橋の上から撮った写真


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緩やかな流れです。


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P1770831
(つづく)

375
カステル・サン・ジョヴァンニからサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノへと、街名が何時変わったのか、分かりません。


376
古い家が多い街ですが、実は、第二次世界大戦で破壊され、1970年台に復元された建物が多いのです。


377
鐘楼が写ってますが、教会です。


378
アーチの所に教会の入り口があります。


380
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


381
この建物は病院として建設されましたが、1528年にアゴスティーノ会修道院に転用され、修道院付属の教会がアーチに造られたのです。


379
17世紀に後期バロック様式の教会に改造されました。


382
アーチを潜ってカヴール広場方面に出ました。


386
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会の柱廊前からサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会を臨む。


383
カヴール広場に戻ってきました。


385
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。


387
1312年に建設されました。
マリオット・ディ・ナルドの祭壇画がありましたが、取り外され、現在はドゥオーモ付属美術館に移されてます。


530
普段は扉が開いていることはありません。恐らく宗教活動を停止した旧教会と思います。
演奏会場として使用されているようです。


532
僅かに残されているフレスコ画断片


534
メディチ家の紋章


533
フィレンツェ派逸名画家作「聖母子」(17世紀前半)


531
出入口方向


384
夕方になって、人出が多くなってきました。


388
ローマ通りです。


389
Palazzo d' Arnolfoを見ます。


390
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)によれば、アルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1245c-フィレンツェ、1302/1310)の設計によって13世紀末に建設されたそうです。


391
壁の紋章


392


393
ロッジャの紋章
現在、Palazzo d' Arnolfoは、Museo delle Terre Nuoveとして一般公開されてます。


535
Museo delle Terre Nuoveは2013年にオープンしました。


536
時間が有り余っている人向きの博物館です。


394
ドゥオーモ付属美術館が開く時間になりました。


357
開館していたので安心しました。イタリアでは突発的臨時休館がよくあるので。


P1770918
入館しました。


P1770922
ドゥオーモ付属美術館に付いては、既にアップしました。そちらをご参照願います。
成り行きによっては、もう一度取り上げる可能性が無きにしも非ず。


P1780028
ベアート・アンジェリコの帰属作品「受胎告知」


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この「受胎告知」が美術館の目玉です。


403
外に出たら雷雨でした。


402
次はドゥオーモです。


286
ドゥオーモについては、後程取りまとめてアップします。


399
ドゥオーモのクーポラと鐘楼


326
次はサン・ロレンツォ教会です。


329
サン・ロレンツォ教会も後程取りまとめてアップします。


344
主祭壇画は、ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1356から活動記録-1399没)の作品です。


401
Palazzo d' Arnolfoの柱廊で暫し雨宿り。


404
雨は直ぐ小降りになりましたが、稲光と雷鳴が凄まじかった。


395
ローマ通り


396
マゾリーノ・ダ・パニカーレ(パニカーレ、1383-フィレンツェ、1440c)もサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ生まれです。パニカーレ生まれですが、パニカーレはサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの分離集落です。


397
歩行者は通行可能です。


398
アルノ川に行く予定でしたが、天気が悪いので次の機会に。


400
(つづく)

256
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅からサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに向かいます。


P2680078
車内は空いてました。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、人口16,847人(2019年12月31日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネです。アルノ川渓谷にあるサン・ジョヴァンニという意味の街の名称です。


257
定刻にサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅に到着しました。
銀行家で歴史家でもあったジョヴァンニ・ヴィッラ―ニ(フィレンツェ、1276/1280-1348)の著述によれば、1296年、フィレンツェの前線防衛基地としてアルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1245c-フィレンツェ、1302/1310)の設計によって築かれた街で、当時、街はカステル・サン・ジョヴァンニと呼ばれていました。


258
駅からアレッツォの方向にサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂のクーポラが見えました。
私にとってのサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、聖堂付属美術館に行くことです。同美術館で展示されているベアート・アンジェリコ(フラ・アンジェリコ)の帰属作品「受胎告知」が秀逸です。


259
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅の駅舎です。
今回の旅は、フィレンツェからの日帰りです。


260
駅前の通りを左折して聖堂の方に向かいます。


261
ジュゼッペ・マッツィーニ通り


262
コルソ・イタリア


263
城壁が一部残されてます。


264
前線防衛基地として建設された街の城壁なので、建設当初から堅固に築かれました。しかし、更に防衛力を増すために11356年から1363年にかけて再建されました。
その後、アルノ川の度重なる氾濫のために、城壁は大きな被害を受けたので、16世紀初頭に再建された城壁が現存しています。
アレッツォがフィレンツェの支配下になったことから、前線防衛基地としての、この街の重要性が薄れ、城壁の整備増強は16世紀初頭の再建を以って終わりとなりました。


266
城壁に防御塔が24設けられていましたが、そのうちの一つです。


265
市庁舎の分庁舎です。


267
ローマ通りからカヴール広場に向かいます。


268
ローマ時代に築かれた街を手本にアルノルフォ・ディ・カンビオが設計したと言われてます。


269
カヴール広場です。


270
広場に面して古い建物が建ってます。


271
ファサード下に柱廊がある建物は、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。


272
Palazzo d' Arnolfo


273


274


275
Palazzo d' Arnolfoを境に広場名がマザッチョ広場になります。


276
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのドゥオーモです。


277
サン・ロレンツォ教会です。


278
マザッチョ広場から見たPalazzo d' Arnolfoです。


356
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂とサン・ロレンツォ教会の間にある建物は司祭館です。ここにドゥオーモ付属美術館の入り口があります。


353
美術館が開館時間になるまで、付近をぶらぶら歩いて時間潰しです。


358
2つの教会の拝観は、美術館を見てからにします。


361
サン・ロレンツォ教会左のアルベルティ通りに入ると直ぐに教会が見えます。


362
サンタ・ルチア・ミゼリコルディア教会です。


364
14世紀に建設されたゴシック様式の小さな教会です。


363
1365年に奉献式が執り行われました。


365
中に入りました。単廊式、ラテン十字形の内部です。


367
詳細不知


372
この教会に祭壇画が4点あったそうですが、現在は主祭壇画だけになってしまいました。残りの3点はドゥオーモ付属美術館で見ることが出来ます。


369
主祭壇画の「聖ルチアの殉教」


370
フェリーチェ・フィケレッリ通称イル・リポーゾ(サン・ジミニャーノ、1605-フィレンツェ、1660)の「聖ルチアの殉教」(1640-50)


528


366
外に出る前に、もう一度祭壇を見ました。


377
次はマザッチョの家です。


529
マザッチョの生家です。博物館になる予定は無さそうです。


374
(つづく)

P1320668
ブラの見所は大体行ったようです。


P1320670
しかし、ブラにはもう一か所見所があるのです。


P1320671
それはブラの分離集落 Frazioneであるポッレンツォです。


P1320673
バスがありますが、バスの便があまり良くないので、タクシーで行くことにしました。


P1320677
サンタンドレア・アポストロ教区教会の後陣です。
ホテルにタクシーが来ることになってます。


P1320674
Via Valfre


P1320678
Via Barbacana


P1320679
ポッレンツォは、紀元前2世紀に築かれた古代ローマの都市で、ブラよりも歴史があります。


P1320685
サンタンドレア・アポストロ教区教会の側壁前から、サンタ・キアラ教会から通って来た道を振り返った写真です。


P1320686
ポッレンツォは、ブラの中心街から4kmほどの東方にあります。


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タクシーで往復一時間で行くのです。


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遺跡、城、教会、城にある大学の4箇所が見所です。


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遺跡は城近くにあります。見所4箇所は城にあるので、あちこち歩く必要がありません。


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この門からポッレンツォの中心広場に入ります。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場です。


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城です。1238年以前に建設されました。


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現在の城の外観は、1838年に行われた大改修工事後のものです。


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よく見ると新しい建物であることが分かります。


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城の横に立つサン・ヴィットーレ教会です。


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大学 Universita Scienze Gastronomicheです。


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この大学はスローフード運動支援を行ってます。


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ポッレンツォでタクシー運転手に待ってもらい、約束の1時間以内で広場に戻ってくることが出来ました。


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午後5時過ぎです。


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あちこち動いて流石に疲れました。


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でも未だやるべきことが一つ残ってます。


P1320695
スローフードのお店を見つけることです。


P1320696
実は、その店がある場所を知っていたのです。


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タクシーを乗るためにホテルに戻った時に、その場所を聞いたのです。


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初めから聞くべきだったのです。後悔しきり。


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観光案内所に行った時に聞いておけば苦労しなかったのです。


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カタツムリのマークがあります。


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午後5時過ぎでしたが、営業しているようには見えませんでした。どうも訳が分からない。


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翌朝です。


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チェックアウト後、駅に向かいました。


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朝霧の中のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。


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午前8時です。


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ガリバルディ通り


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カヴール通り?


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サン・ロッコ教会


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駅前広場


P1320750
駅に到着しました。


P1320752
次の目的地に向かいました。
(ブラ編 終わり)

P1320627
Via Fasolaの坂を下った所にサンタ・キアラ教会があります。


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1632年、ブラにサンタ・キアラ女子修道会(Monache Clarisse:クララ会)が形成され、この教会近くにあったサンタンドレア・ヴェッキオ教会(現在は同教会の鐘楼だけが残る旧教会)などで活動を始めました。


P1320611
18世紀前半、女子修道会は自前の教会と修道院の建設を決め、建築家ベルナルド・アントニオ・ヴィット―ネ(トリノ、1704-1770)に建設を委嘱して、1742年から1748年に建設されました。


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鐘楼がある建物が修道院です。


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1802年、ナポレオンの抑圧令によってサンタ・キアラ教会修道院は閉鎖されました。1816年、教会と修道院はクララ会に返還され、活動が再開されました。


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写真左は旧修道院です。
修道院は、1883年に閉鎖されました。現在はブラ市の所有となってます。


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写真右の建物は旧修道院です。


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1930年、教会はPadri Cappucciniに譲渡され、現在に至ってます。


P1320667
クララ会とは関係がなくなりましたが、教会の名称はそのままになってます。


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後陣


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1748年の完成時の姿が現在の外観です。ピエモンテ・ロココ様式の代表的な建物として有名です。


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入口扉上の浮彫


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中に入りました。


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四本の太い柱がクーポラを含む天井を支える、丸みを帯びた四角形の内部です。


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主祭壇に向かって右側


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華美な装飾が施されてます。


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クーポラのフレスコ画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)によって描かれました。


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クーポラを含む天井はクララ会時代のものです。


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖キアラ」


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主祭壇(1943)


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主祭壇と左右の側壁の礼拝堂は、カプチン会(Padri Cappuccini)の所有になってから20世紀中頃に制作された新しいものです。


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ピエロ・ダッレ・チェステ(レフロントロ、1912-トリノ、1974)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1943)


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ピエロ・ダッレ・チェステ(レフロントロ、1912-トリノ、1974)の「無原罪の御宿リ」(1943)


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ジョヴァンニ・クラレット(ブリュッセル?、1599-サヴィリアーノ、1679)の「聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニオ」


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主祭壇前から見た出入口


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外に出る前にもう一度内部を見ました。


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外に出ました。


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Via Fasalaの坂を上ります。


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直ぐに教会の鐘楼らしき建物が目に入ります。


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かなり荒廃した感じがする鐘楼です。


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この一帯の緑深い丘地に10世紀頃に建設されたサンタンドレア・ヴェッキオ教会修道院がありましたが、その教会修道院の鐘楼だけが辛うじて残されてます。


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サンタンドレア・ヴェッキオ教会修道院は12世紀に増築されましたが、現存する鐘楼は、12世紀の増築時のものです。15世紀の鐘があります。


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サンタ・キアラ教会修道院が建設される前には、一時期クララ会が使用していました。


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写真左に修道院の庭園がありました。


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Piazza Caduti per la Libertaにサンタンドレア・アポストロ教区教会がありますが、この場所から移転するために建設されたのです。


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サンタンドレア・ヴェッキオ教会修道院の庭園だった場所から見下ろした景色です。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会が完成した1687年に、ここにいた聖職者は新教会に移動しました。


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その後に、この場所で活動したのがクララ会の修道女たちでした。


P1320618
サンタ・キアラ教会修道院が完成すると、修道女が去ってしまい、サンタンドレア・ヴェッキオ教会修道院は荒廃が進むことになりました。地元の信者たちが礼拝を続けたようですが、何時しか一切の宗教活動を停止した廃教会となってしまいました。
(つづく)

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地元の信者の密着した地味な教区教会なのでしょう。


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美術ファン向けの教会とは言い難いと思います。


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次はサンタ・クローチェ教会です。


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サンタ・クローチェ教会はヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りにあります。


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スローフードのカタツムリ・マークがありません。運動の本拠地、発祥地でマークがないなんて、到底考えられません。


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サンタ・クローチェ通りです。この通りにはサンタ・クローチェ教会がありません。


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食事のために、この場所に足を向けることは考えていませんでしたが、ネットでの評判は中々良いようです。


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写真左奥にサンタ・クローチェ教会が写ってます。


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サンタ・クローチェ教会です。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りは、サンタ・クローチェ教会が起点、または終点です。


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サンタ・クローチェ教会の起源が定かではないとされてますが、12世紀に現在地にあった小礼拝堂起源説が有力とされてます。
確実なことは、1584年、当時の司教が、保存状態が悪い、この場所にあった礼拝堂でのミサを行うことを禁止した記録が残されてます。


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1631年に再建されましたが、ファサードは未完成でした。ファサードは1750年から1760年に建設されました。ファサード完成時の姿が現在の外観となってます。


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鐘楼は1720年に建設されました。


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ファサードにフレスコ画の痕跡があります。


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落剝して何が描かれていたのか、判然としません。


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ファサードの聖母子


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扉が閉まっていたのは予想通りでした。


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中は、こんな感じのようです。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りの先にサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会が見えます。


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ウンベルト一世通りです。


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どうせ休館しているに違いないと思いましたが、市立自然博物館に行ってみることに。時間が余って仕方がないので。


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プロッヴィデンツァ通りです。


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写真右の建物にフレスコ画があります。


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これです。


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街角の「聖母子」


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午後の、この時間は静まり返ってます。


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この道の先にPiazza Caduti per la Libertaがあります。


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プロッヴィデンツァ通りを更に進みます。


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振り返ると、緩い坂道を上って来たことが分かりました。


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右折してクラヴェーリ通りに出ます。


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写真右がMuseo Civico Craveri di Storia Naturaleです。


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Museoとなっている収集家アンジェロ・クラヴェーリ邸です。


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19世紀の冒険家で収集家だったアンジェロ・クラヴェーリの死後、遺族が収集物と邸宅を市に寄贈して出来た博物館です。


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この日は、予想通り休館でした。


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時間潰しが出来なくて困りました。


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少し早いですが、ここから至近にあるサンタ・キアラ教会に行くことに。


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サンタ・キアラ修道院と教会です。


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修道院は200年前に閉鎖されました。


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サンタ・キアラ教会です。


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ファサード側に向かいます。


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サンタ・キアラ教会です。


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(つづく)

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引き続きサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)によるPresbiterioのフレスコ画


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典型的な新古典様式の内部です。


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主祭壇前から出入口方向の右側廊を撮った写真です。


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「聖母を導く天使」


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂


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制作者情報不知の「聖心」(19世紀)


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「貧者に施しを配るベアート・セバスティアーノ・ヴァルフレ」


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サン・ジュゼッペ礼拝堂


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「聖母被昇天」


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サンタントニオ礼拝堂


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詳細不知


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制作者情報不知の「聖霊降臨」


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ルカ・マルティーニの「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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この彫刻家は初めて聞きます。


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詳細不知


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制作者情報不知の「磔刑」


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この礼拝堂の名前が分かりません。


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「貧者に施しをするベアート・セバスティアーノ・ヴァルフレ」


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左側廊


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無原罪の聖母礼拝堂


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左側廊第二礼拝堂


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詳細不知


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後陣左の礼拝堂


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詳細不知


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後陣左の礼拝堂天井部は初代の建物のように思えます。


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ファサード裏にオルガンがあります。


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右側廊


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左側廊


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ファサード裏のフレスコ画は、ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)の作品です。


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クーポラ


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ルカ・マルティーニの彫刻


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のフレスコ画


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身廊天井


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祭壇前から見た出入口


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外に出ます。


P1320535
(つづく)

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18世紀に敷設されたContrada de Passarottiです。


P1320343
違う道を歩いたのは、スローフードのお店を探すためです。パッサロッティ通りもダメでした。


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18世紀に敷設されたContrada di San Roccoです。


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スローフードのお店については殆ど諦めの境地になりました。


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写真左の建物にフレスコ画があります。


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無原罪の御宿リは午前中に見ました。


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お馴染みのヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを更に進んで、この先にある教区教会に行くつもりです。


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Via Beato Valfreとの交差点を通り抜けます。


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同じ通りでも場所によって名称が異なる通りが多い中にあって、ブラのヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りのままです。


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写っている鐘楼は、これから行くサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会のものです。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに面して建ってます。


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写真左の建物にフレスコ画があります。


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街角の「聖母子」


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街角の聖母子を見るのが好きですが、ブラではガラス板などの覆いがないので、保存維持が心配です。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りの110番地に教会があります。


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現在の地名Piazzetta Conti Guerra del Crioneと呼ばれている城壁内の丘上に13世紀頃に建設されたサン・ジョヴァンニ・ロンターノ教区教会が前身です。


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16世紀、当時の司祭が手狭になったことを理由に現在地に移転するとともに、教会名称がサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会に変更されました。
ところが移転したからには、元の教会は閉鎖されるはずでしたが、どうしたことか、サン・ジョヴァンニ・ロンターノ教区教会はそのまま存続しました。
しかし、さらに事情は複雑で、丘上ではなく、市庁舎などが建っている街の中心地に教区教会を建てることになり、そうして建設されたサンタンドレア・アポストロ教区教会については既に触れた通りです。
教区教会として格付けを取り上げられたサン・ジョヴァンニ・ロンターノ教会は元の場所に現在も存在しているのです。


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Piazzetta Conti Guerra del Crioneに建っているサン・ジョヴァンニ・ロンターノ教会です。
事実関係は以上の通りですが、移転を理由に教会を新築し、元の教会がそのまま残された理由は何処にも述べられていないようです。
私自身としては聖職者間の勢力争いが移転の理由かも、と考えてます。
城壁外のこの場所周囲に人家が増え、19世紀に新教区が設けられ、教区教会にランクアップされました。


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19世紀中頃、最初の建物が荒廃したので、再建されることになり、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・スケッリーノ(ドリャーニ、1818-1905)の設計によって1880年に完成した建物が現在の姿です。しかし、完全な再建ではなく、16世紀に建設された建物が改造使用されているようです。
真新しいファサードと煉瓦造りの身廊、クーポラ、鐘楼と対照的な外観です。


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どの部分が完全な再建なのか、その辺がよく分かりません。


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ブラの教会巡りをして感じることは、古い教会が残されていないことです。地震などの災害のため?


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司祭館です。


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ファサードの左右に小塔が設けられてます。


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ファサードの聖ジョヴァンニ・バッティスタ像(詳細不知)


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鐘楼


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中に入ります。


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重厚感溢れる内部です。


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三廊式、新古典様式の内部で、翼廊がありません。


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美術的には稍々面白味が欠けると思います。


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上部の装飾


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主祭壇に近付きます。


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主祭壇に関して全く分かりません。


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ビザンチン様式のイコン


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)によって1925年に制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画のテーマは「聖ジョヴァンニ・バッティスタの生涯」です。


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P1320422
(つづく)

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昼寝を一時間ほどしました。


P1320262
酔い覚ましと買い物のために外に出ました。
スローフード・レストランがなければ、スローフードなるものを買って自室で料理をするつもりでした。そのため、簡易キッチンがある部屋に泊まったのです。


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ホテル前のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の扉が開いていました。これはイタリアではかなり珍しいことです。


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青空市が終了した9月20日広場は綺麗になっていました。


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9月20日広場からポレンツォ通りに入りました。


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スローフードのお店を探しましたが見つからず。尤も例え見つかったとしても、午後3時は昼休み中で開いてません。


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引き返して公園に行って、涼しい風に当たろう、そうすれば良い酔い覚めになる。


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公園はサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の東方にあります。


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同じ道を通っては詰まらないので、ゲルマーノ通りを歩きました。


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さらに横道を進んだら、何のことはない、元の広場に戻ってしまいました。観光案内所で頂戴した地図を持参していましたが、地図を見ないで適当に歩いているので何時も見当違いになってしまいます。それで手酷い目に何度も遭ってますが、懲りることなく性分なので諦めてます。


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あの時計は6,7分遅れてます。


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公園の入り口にホテルがあります。


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この辺は完全に城壁外に当たります。尤も、その城壁の位置が分かりませんが。


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公園の下は駐車場になってます。


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ホテルの横からベルヴェデーレ公園に入ります。


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こうして街歩きの記事をアップしていると、我ながら時間、労力、金の無駄をして来たことか、と呆れてます。
芸術鑑賞に特化するならば、ミラノ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ナポリを中心に、パルマ、ボローニャ、フェッラーラ、マントヴァ、ベルガモ、シエナ、アレッツォ、ジェノヴァ、トリノ、ペルージャ、アッシジ、パドヴァ、ヴェローナ、ウルビーノなどに繰り返し行くべきでした。今となっては後悔しきりです。


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Reviglio della Veneria家によって18世紀に造成された公園です。


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公園は丘上に造成されてます。


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公園からブラの街を一望できる絶景ポイントがあるだろうとの読みでした。


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将棋、囲碁では勝手読みすると負けになります。


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この公園では正しく勝手読みでした。


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トホホの景色でした。


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人影がありませんでしたが、それでも木陰に隠れて立小便。


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ヨーロッパ人、具体的にはドイツ人、イギリス人、フランス人、イタリア人などの友人たちと幾度となく旅行しましたが、彼らは野糞、立小便を平気でします。
18世紀くらいまでは、建物に便所がないのが普通だったそうで、野糞、立小便は伝統だそうです。宮殿だって便所がなかったのです。


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城壁みたいに見えましたが、やはり城壁ではないようです。


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広場に戻りました。公園行は全くの無駄足でした。


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ポレンツォ通りに戻りました。赤茶色の建物にフレスコ画があります。


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街角の「聖母子」


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相変わらずスローフードのお店が見つからない。


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次の交差点を左折してヴェネリア通りに入ります。


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18世紀に敷設されたヴェネリア通りです。


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通りから突き出た建物にフレスコ画があります。


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写真正面の建物です。


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街角の「聖母子」


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再びヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


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ここには午前中二回来ました。


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もう一度拝観する気になれないサンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。


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日差しが出てきたので暑くなってきました。


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この辺ではスローフードについて諦めかけていました。


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写真左のパラッツォに少々お邪魔を。


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「聖母子」のテラコッタ


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不審者に違いないので早々に退散します。


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(つづく)

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青空市が未だ開市中でした。


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Corso Garibaldiにもスローフードのシンボルマークが見当たりません。


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各国の国旗はワールドカップのもの?


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写真右の建物の壁にフレスコ画があります。


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磔刑です。


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上の道Corso Cottolengoに面したサンティッシマ・トリニータ教会です。


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鐘楼の時計が実用的です。


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正午を過ぎて買い物客が少なくなりました。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会です。


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Corso Cottolengoの下は柱廊になってます。


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柱廊に入りました。


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柱廊は何も使用されていないことに驚きました。


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柱廊は非常時のために空けておくようです。


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Via Bartolomeo Gianolioです。道草をしないでホテルに戻った方が無難と思いました。


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Museo Civicoが休館日だったので調子が狂いました。イタリアなので、その辺は仕方がありません。


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ホテルに戻りました。部屋には行かず、併設のレストランに直行しました。


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適当に飲んで、部屋で昼寝をするつもり。


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未だ12時半なので、客があまりいなかった。


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ビールは既に飲み干しました。


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先ずは前菜です。


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この辺の名物料理はこれです。


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Salciccia di Bra frescaがありました。


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前菜を一通り見ます。


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生肉も美味です。


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適当に選んで注文しました。


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私が注文した前菜


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前菜だけでお腹一杯になりそう。


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壁に掛けられていた水彩画を鑑賞しました。


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これを食べるのが大変でしたが完食しました。


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デザートまでは流石に無理でした。


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部屋の方に向かいました。


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自室に戻って昼寝です。


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(つづく)

引き続きサンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。
P1320102
サンタンナ礼拝堂です。
礼拝堂両端の彫刻「聖母を抱く聖アンナ」と「聖ジョアッキーノ」はカルロ・ジュゼッペ・プルーラ(トリノ、1663-1737)の作品です。


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ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「聖アンナと聖母マリア」(1874)


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次の礼拝堂です。


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ジャン・クラレット(ブリュッセル?1599-サヴィリアーノ、1678)の「天上の聖母子と聖人たち」


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詳細不知


P1320114
制作者情報不知の「聖母の神殿奉献」


P1320117
制作者情報不知の「聖母の誕生」


P1320120
制作者情報不知の「聖心」


P1320121
制作者情報不知の「十字架降下」


P1320123
制作者情報不知の「聖母と聖ジョアッキーノ」


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P1320126
制作者情報不知の「無原罪の御宿リ」


P1320128
詳細不知


P1320129


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カルロ・ジュゼッペ・プルーラ(トリノ、1663-1737)の「チントラの聖母と二聖人」


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P1320131
詳細不知の「磔刑像」


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洗礼盤


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P1320141
ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「無原罪の聖母と聖ドメニコ」(1874)


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制作者情報不知の「聖チェチリア」


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ファサード裏にオルガンがあります。


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出口に向かいます。


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外に出ます。


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比較的新しい作品ばかりの教会でした。


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正午近くになりました。


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教会は一旦正午で扉が閉まるのが普通なので、午前中の教会巡りは終了です。


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そろそろ昼食の時間です。


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夥しい数の鳥の鳴き声が聞こえたので、空を見上げたら鳥が周りを旋回していました。


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サンタントニーノ・マルティーレ教区教会の前を通り過ぎます。


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この街に来た目的の一つ、スローフードのお店を探します。


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スローフードのレストランでもあれば、そこで昼食を食べようと思っていました。


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それが全然見つかりません。


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ブラがスローフード運動の発祥地であり、本拠地であることは間違いないので、簡単に見つかると思っていましたが、そもそもスローフードの印自体が見つかりません。


1
このカタツムリのシンボル・マークを探しているのですが、見つかりません。


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通りを行ったり来たりしても見つかりません。


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店舗が多い通りに行くことに。


P1320183
フレスコ画がある建物があります。


P1320181
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)?の「無原罪の御宿リ」でしょうか。


P1320185
スローフードのお店を見つけることを諦めて、ホテル併設のレストランで昼食を食べるのが無難というものです。


P1320187
ホテルに戻ることにしました。


P1320190
広場に向かいます。


P1320191
Piazza Caduti per la Libertaに戻りました。


P1320192
(つづく)

P1320044
カヴール通りです。次はサン・ロッコ教会です。


P1320046
カヴール通りの突き当りにサン・ロッコ教会があります。


P1320045
初代の建物は14世紀前半に建設されました。


P1320047
現在の建物は、1715年に増築改造されたものですが、ファサードだけは1890年に再建された新しいものです。


P1320050
ナポレオンの侵攻の際、閉鎖を命じられ倉庫に転用されましたが、フランス軍の撤退後、教会活動が再開されましたが、何とOrtodossa、正教会の教会となりました。


P1320049
現在も正教会の教会です。


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中にピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画、アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)などの祭壇画がありますが、古い作品はないようです。


P1320051
イタリアでの正教会信者はどのくらいいるのでしょうか?


P1320052
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


P1320054
次は、サンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。


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鐘楼が見えますが、サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会のものでしょう。


P1320056
先ほど、サンタントニーノ・マルティーレ教区教会が開いていることを観光案内所で確認したので安心です。


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外壁がフレスコで装飾されている建物です。


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ここのベンチで一休みしました。


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城壁が取り壊されて、その痕跡すら分からないので、旧市街の市域がよく分かりません。


P1320061
しかし、この辺には新しそうな建物ばかりなので、恐らく新市街でしょう。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを進みます。サンタントニーノ・マルティーレ教区教会はこの通りにあります。


P1320065
歴史的建造物がないので、歩いていても面白味が感じられません。


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サンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。


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13世紀頃に建設された初代のサンタントニーノ・マルティーレ教会は、サン・ジョヴァンニ・ヴェッキオ教会近くの城壁内にありました。


P1320159
17世紀、初代の建物が劣化したので、再建されることになりましたが、城壁外の現在地に新教区設置の話もあり、引っ越すことになりました。そうして1693年に建設されたのが現在の建物になります。


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微かに顔を出した鐘楼


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ファサードのフレスコ画は、制作者不知の「聖アントニーノ」(18世紀)


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ファサード壁龕の彫刻は、制作者不知の「聖ピエトロ」(18世紀)


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制作者不知の「聖パオロ」(18世紀)


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柱頭


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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少し華美な感じがします。


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天井の装飾


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天井のフレスコ画は、ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)の「聖アントニーノの物語」
ルイージは、宗教テーマのフレスコ画を得意にしていた画家です。


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のフレスコ画


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主祭壇を見ます。


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主祭壇画は、ジャン・クラレット(ブリュッセル・、1599-サヴィリアーノ、1678)の「聖アントニーノ」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のクーポラのフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のフレスコ画


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カルロ・ジュゼッペ・プルーラ(トリノ、1663-1737)の「聖母子」


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サント・ステファノ礼拝堂です。


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ジョヴァンニ・アントニオ・モリネーリ(サヴィリアーノ、1577-1631)の「聖ステファノの殉教」


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カルロ・ジュゼッペ・プルーラ(トリノ、1663-1737)の「獄中の聖ピエトロ」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のフレスコ画


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ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の作品です。
ロドルフォは、ルイージ・モルガーリの甥です。


P1320101
(つづく)

P1310965
Museo Civicoが休館日と分かったので、教会巡りに集中することにしました。


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Piazza Caduti per la Libertaを通り過ぎます。


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次はサン・ジョヴァンニ・デコッラート教会です。


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ブラの街歩きを書くに当たって、ブラと検索するとブラジャーばかり。この塔は分かってますが、「Torre di Bra」と検索するとTorre di Oro(これもブラジャー)が出てきます。


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この時計塔の建物は、これから行くサン・ジョヴァンニ・デコッラート教会の鐘楼です。


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駅からホテルに向かった時、カヴール通りの突き当りにあった教会がサン・ジョヴァンニ・デコッラートです。


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decollatoは、打ち首する decollareの派生語です。サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会は、斬首された聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)に奉献しています。


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教会は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに面してます。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。教会は、この先、モッファ通りとの交差点に直ぐ先にあります。


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Via Moffa di Lisio


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サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会です。


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1588年、慈悲の同信会Compagnia della Misericordia、またはBattuti Neriが設立されました。設立された同信会によって、1591年に建設された教会です。


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囚人と死刑を宣告された人々を支援し、死刑執行された人々を埋葬する役割を果たすために同信会が設立されたのです。


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バットゥーティ・ネリ教会とも呼ばれてます。非常にシンプルな構造をしています。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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外観と比べて内部が少し華美な装飾が施されているのは、死刑となった人々とその家族への、せめてもの、はなむけからと言われてます。


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身廊天井


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主祭壇


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後陣の装飾は、建築家で画家でもあり、彫刻家だったジョヴェナーレ・ボエット(フォッサーノ、1604-1678)の作品です。


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フレスコ装飾もジョヴェナーレ・ボエット(フォッサーノ、1604-1678)によるものです。


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主祭壇画は「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


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ジャン・クラレット(ブリュッセル?、1599-サヴィリアーノ、1678)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


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詳細不知


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「磔刑像を崇める聖ドメニコ」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「天上の聖母子と聖女」


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P1320005
アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1704-1793)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの弁明」


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「キリストの洗礼」


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」


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詳細不知


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ジョヴェナーレ・ボエット(フォッサーノ、1604-1678)の天井フレスコ画


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P1320025
詳細不知


P1320028
詳細不知


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祭壇前から見た出入口方向


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祭壇に一礼してから外に出ます。


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外に出ました。
(つづく)

サンタンドレア・アポストロ教区教会の続きです。
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Cappella della Compagnia della Presentazioneです。


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ジャン・クラレット(ブリュッセル?、1599-サヴィリアーノ、1678)の「聖母の神殿奉献」


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ファサード裏の作品を見ます。


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制作者情報不知の「キリストの洗礼」


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詳細不知


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この礼拝堂については分かりません。


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詳細不知


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ロザリオの礼拝堂です。


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ジャン・クラレット(ブリュッセル?、1599-サヴィリアーノ、1678)の「聖母子と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」


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詳細不知


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出口に向かいます。


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もう一度教会内を一望しました。


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外に出ました。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会の周りを見て回ります。


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広場にブロンズ像のモニュメントがあります。


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制作者不知の「聖ジュゼッペ・ベネデット・コットレンゴ(ブラ、1786-キエーリ、1842)のモニュメント」


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Palazzo Mathisです。ここに観光案内所があります。


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ベルナルド・アントニオ・ヴィット―ネ(トリノ、1704-1770)の設計によって建設されたPalazzo Garroneです。


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広場で二本の道路が合体します。


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市庁舎の壁にあるフレスコ画を見ます。


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紋章と日時計が描かれてます。


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Stemma Sabaudo


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日時計とブラの紋章


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日時計とブラの紋章


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市立博物館に向かいます。


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市立博物館として一般公開されているPalazzo Traversaです。


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15世紀半ばに建設されたPalazzo Traversaです。


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開館日の筈でしたが扉が閉まったままでした。


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休館日でした。扉が閉まっていたのは当然です。


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ガックリ、気が抜けました。


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校外学習の集団を除けば、一日当たりの平均入館者は0.7人なので、休館日が多いのは当然です。


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この建物にも日時計があります。


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日時計が多いブラです。


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入口扉上の「受胎告知される聖母」


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仕方がないので、Palazzo Traversaを見ました。


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(つづく)

P1310935
次は、Piazza Caduti per la Libertaに面して建つサンタンドレア・アポストロ教区教会です。


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ブラは、トリノ大司教区に属してます。
地元ではドゥオーモと呼んでいないようですが、ブラでは最も格式が高く最重要の教会です。


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サヴォイア公爵カルロ・エマヌエーレ2世・ディ・サヴォイアがジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1683)に設計を依頼し、ベルニーニの設計に基づきサヴォイア家のお抱え建築家カミッロ・グアリーノ・グアリーニ(モデナ、1624-ミラノ、1683)によって1672年から1687年に建設されたバロック様式の教会です。


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公式的には、以上の通りですが、実際にはベルニーニの関与は設計のアイデア程度だったようです。


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ファサードにコリント式列柱を用い、後の新古典様式の萌芽となる建物として、建築史上、高く評価されてます。


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実は、建設されてから1816年まではサンティッシモ・サクラメント教会と呼ばれており、教区教会ではなかったのです。


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1884年に完成したファサード
サンタンドレア・アポストロ教区教会は、元々別の場所の丘上にありましたが、19世紀初頭に安全ではないと判断されて破壊されることになったのです。
それを受けて、1816年、教区教会の機能をサンティッシモ・サクラメント教会に移すとともに、教会の名称も現称に変更したのです。


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ファサードの彫刻(18世紀中頃)


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18世紀中頃に制作された彫刻


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柱頭


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後陣と鐘楼


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バロック様式の後陣と鐘楼


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側壁にある聖心像は、恐らく改称前にあった彫刻でしょう。


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外部、内部の聖アンドレアに関する装飾は、1816年以降に付け加えられたか、描き改められたものです。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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現在でも豪奢な装飾が施されてますが、1795年、ナポレオン軍から閉鎖を命じられ、教会の建物はフランス軍倉庫に転用されましたが、その際、多くの装飾品がフランスに持ち去られましたが、戻されることなく現在に至ってます。


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天井の装飾


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クーポラのフレスコ画は、パオロ・ガイダーノ(ポイリーン、1861-トリノ、1915)の「聖アンドレアの栄光」(1893)
四隅の聖人は、ルイージ・ヴォッカ(トリノ、1778-1854)によって描かれました。


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主祭壇とPresbiterioを見ます。


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磔刑像(16世紀)は、破壊された、以前のサンタンドレア・アポストロ教区教会にありましたが、1816年にこの場所に移設されました。


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磔刑像の後にある彫刻は、ダヴィデ・カランドラ(トリノ、1856-1915)の「聖アンドレアの殉教」です。


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Presbiterioの彫刻は、ダヴィデ・カランドラ(トリノ、1856-1915)の作品です。


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アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の「聖アンドレア」


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アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の「バーリの聖二コラ」


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主祭壇右側壁にある祭壇画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖アンドレアの捕縛」です。


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主祭壇左側壁の祭壇画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖アンドレアの奇跡」です。


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カルミネ礼拝堂です。
聖母子の彫刻はアントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の作品です。


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18世紀の逸名画家作「磔刑」


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アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の「カルミネの聖母」


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次は、サン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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クラウディオ・フランチェスコ・ボーモント(トリノ、1694-1766)の「聖セバスティアーノの殉教」(1761)


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖ヴィットリア」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖ロッコ」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「公正の寓意」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「賢慮の寓意」


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制作者不知の「信義の寓意」


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制作者不知の「希望の寓意」
(つづく)

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季節は真夏でした。


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この年のイタリアはかなり涼しかったと思います。


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青空市で販売している衣料の品質はどうなんでしょうか。日本の青空市は安かろう、悪かろうでしたが。


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多くの中国人が青空市に進出しています。逞しいと思います。


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上の道Corso Cottolengoです。


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Corso Cottolengoの下にある道がCorso Garibaldiです。


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この辺が街の中心でしょうか?


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鐘楼はサンティッシマ・トリニータ教会のものです。


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振り返るとサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会が見えました。


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9月20日広場


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写真右はCasa Cottolengoです。


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正面奥の教会はサンタンドレア教区教会です。


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Corso Cottolengoは、Corso Garibaldiよりも2,3メートル高い位置にあります。


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この日のお宿が見えます。


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高さが異なる二本の道が平行しているのが珍しいと思いました。


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サンタンドレア教区教会前の広場で、二本の道路は同じ高さになります。


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Casa Cottolengoです。


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聖ジュゼッペ・ベネデット・コットレンゴ(ブラ、1786-キエーリ、1842)が誕生した家です。


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Casa Cottolengoは、Museo Cottolengoとして一般公開されてますが、この聖人には興味がないのでパスしました。


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次はCasa Cottolengoの隣にある建物です。


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写真右がサンティッシマ・トリニータ教会、写真左がCasa Cottolengoです。


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写真手前の日時計がある建物は、サンティッシマ・トリニータ同信会です。


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日時計


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サンティッシマ・トリニータ教会です。


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別名”Battuti Bianchi"としても知られてます。


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最初の建物は13世紀に建設されました。現在の建物は、三位一体同信会によって1618年に再建された二代目となるものです。


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平日は開かないようです。


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ファサードの彫刻とフレスコ画を見ます。


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壁龕に彫刻がありますが、詳しいことが分かりません。


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セバスティアーノ・タリッコ(ケラスコ、1641-トリノ、1710)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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セバスティアーノ・タリッコ(ケラスコ、1641-トリノ、1710)の「聖人」


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このフレスコ画の意味合いが分かりません。目玉?


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目玉のフレスコ画が非常に印象に残ります。


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教会に左隣の建物に注目です。


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騙し絵の窓


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Piazza Caduti per la Liberta


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ブラの市庁舎 Palazzo Comunaleです。


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13世紀頃に建設されましたが、1744年に建築家ベルナルド・アントニオ・ヴィット―ネ(トリノ、1704-1770)の設計によって改造されました。現在の姿は、その改造後のものです。
(つづく)

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前泊地トリノから普通列車でブラに向かいました。


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定時にブラ駅に到着しました。


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ブラは、人口29,852人(2019年12月31日現在)のピエモンテ州クーネオ県にあるコムーネです。


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ブラ駅の駅舎です。


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駅前広場です。


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駅前にある公園です。


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この日のお宿に向かいます。


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駅前から旧市街の入り口に通じるカヴール通りです。


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ブラの歴史は非常に古く、先史時代から人の居住が遺跡からの発掘物によって確認されてます。


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ブラは、スローフード運動の発祥地として、また、その本拠地として有名です。スローフード運動の意味合いがよく分からないので、ブラであれこれ食べて、その本質を見極めたいと思ってブラに来た次第です。


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カヴール通りの突き当りに教会がありますが、その辺りは旧市街になると思います。ブラには城壁がないので、旧市街の範囲がよく分かりません。
元々城壁があって、都市計画などのために城壁が取り壊されたのか、初めから城壁が築かれなかったのか、その辺の事情が私にはよく分かりません。


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サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会です。扉が開いていましたが、拝観せずにホテルに向かいました。ブラの教会は、比較的開いている所が多いので、焦って拝観する必要がありません。尤も芸術的に優れた祭壇画や彫刻が少ないこともあります。


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バルトロメオ・ジャンノリオ通りを通って、ホテルがあるガリバルディ通りに向かいました。


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ガリバルディ通りです。


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青空市が開市されてました。


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右の方に進みます。


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小高い所にサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会があります。


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この日のお宿は、道を隔ててサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の向かいにあります。


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この日のお宿です。レストラン兼ホテルです。


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ホテル前の通りから、今通ってきたガリバルディ通りを撮った写真です。


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チェックインを済ませて、街歩きに出発しました。


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ガリバルディ通りの先は見所がなさそうと判断しました。実は、この先、約1.5㎞に分離集落ポッレンツォがあるのですが・・・・・そちらの方は取り敢えず後回し。


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ガリバルディ通りを戻れば、街の中心ですが、そちらに向かう前にやることがあります。


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ホテルの向かいにあるサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の拝観です。


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ブラチーズの名産地としても有名なブラです。


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階段を上り、9月20日広場を見下ろします。


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ホテルの隣にスローフード・インターナショナルがあります。


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さて、教会です。


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横に広がった楕円形のバロック様式のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。


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フランチェスコ修道会の一つであるFrati Minori Osservantiが1742年から1752年に建設しました。


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1795年、サヴォイア家によって徴収され、塩貯蔵庫に転用されましたが、ナポレオンの侵攻によってフランス軍に接収され兵舎として利用されました。ナポレオンの失脚後、再びサヴォイア家が弾薬庫、倉庫として使用しました。


P1310723
その後、個人に転売されました。
20世紀初頭、建物はカプチン会の所有となり、修復されて、1906年にカプチン会の教会として宗教活動が再開され現在に至ってます。


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ファサード前の十字架


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毎日開く教会なので拝観し易いと思います。


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中に入りました。


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楕円形の天井です。
天井のフレスコ画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の作品です。


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祭壇に向かって左側の壁


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右側壁


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主祭壇とPresbiterio


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ユニークな岩窟の聖母礼拝堂


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制作者情報不知の「聖心」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画


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制作者情報不知の「聖ジュゼッペの死」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「無原罪の聖母と聖フランチェスコ」


P1310750


P1310745
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画


P1310747
Presbiterioに立ち入ることが可能です。


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Presbiterioのフレスコ画


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詳細不知


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作品帰属が明確になっている祭壇画があります。


P1310762
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)の「貧者に施しをする聖母」


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彫刻に見えるように描かれた騙し絵


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詳細不知


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画


P1310768
制作者情報不知の「聖痕を受けるシエナの聖カテリーナ」


P1310772
制作者情報不知の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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制作者情報不知の「パドヴァの聖アントニオ」


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主祭壇前から見た出入口


P1310778
外に出ました。
(つづく)

309
サン・フィリッポ・ネリ教会は未だ扉が開いていなかった。


424
聖職者が扉を開けました。


423
1611年、サン・フィリッポ・ネリ聖職者協会 Padri Filippiniがマチェラータに来訪し、早くも、その2年後に小さな教会が建てられました。
1622年、フィリッポ・ネリが列聖されると、信者が増えたので、1647年に教会は拡張されました。


425
拡張されたものの、直ぐに手狭になったので、17世紀後半に再建することになり、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・コンティ―ニが起用されました。
隣接する修道院は、17世紀末に完成しましたが、教会の方は工事が進まず、コンティ―ニ(モンタルチーノ、1642-ローマ、1723)の設計によって1707年に創建されました。1730年に完成したバロック様式の建物が現在の姿です。


311
教会の後方に隣接して建つPalazzo del Provinciaです。
この建物は、ジョヴァンニ・バッティスタ・コンティ―ニ(モンタルチーノ、1642-ローマ、1723)の設計によって17世紀末に建設されたサン・フィリッポ・ネリ修道院でした。
1799年、ナポレオン軍は、マチェラータに侵攻したのですが、ナポレオン直々にサン・フィリッポ・ネリ教会と修道院の閉鎖が命じられました。その際、不要となった教会修道院の聖具類、絵画、彫刻などがフランスに持ち去られてしまいました。
ナポレオンの失脚後の1820年、教会の方は宗教活動が再開されましたが、修道院の方は一度も再開されることなく、修道院だった建物は様々な用途に転用された後、現在は県当局となってます。


312
旧修道院の建物の紋章


565
ファサードは粗壁のままになってます。


426
中に入りました。


442
単廊式、バロック様式の内部です。翼廊がありません。


441
左右に、それぞれ2つづつの礼拝堂が設けられてます。


443
クーポラ


444
精緻なスタッコ彫刻がバロック様式の内部を引き立てます。


445
18世紀第2四半世紀にマルケ地方で活動したスタッコ彫刻家ジュゼッペ・ピアリーニと彼が率いる工房によって1732年に制作されたスタッコ彫刻です。


446


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448
ファサード裏にオルガンがあります。


436
主祭壇


435
主祭壇画は、フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「天上の聖母子と聖フィリッポ・ネリ」(1738)です。
多色大理石に拠る祭壇は、ジュゼッペ・ボネッジ・ダ・トレヴィーゾの作品(1764-70)です。他の礼拝堂の多色大理石による祭壇も同人の作品です。


432
右側壁の礼拝堂です。


430
マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)の「聖母子と聖人たち」


431
その下にある詳細不明の「キリストを抱く聖ジュゼッペ」


438
左側壁礼拝堂の祭壇画は、フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「磔刑」(1737)


427
右側壁の聖母降誕礼拝堂


429
ジローラモ・ドンニーノ(コッレッジョ、1681-ボローニャ、1743)に帰属する「聖母の誕生」


428
「聖母の誕生」の下にある「聖母子」(詳細不明)


433
フェリーチェ・トレッリ(ヴェローナ、1667-ボローニャ、1748)の「受胎告知」(1729)


434
ガスパーレ・ガスパッリーニ(マチェラータ、?-1590)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1570c)


439
ルドヴィーコ・トラージ(アスコリ・ピチェーノ、1634-1694)の「幼きキリストを抱く聖ガエターノ」


449
逸名画家作「聖母子」(18世紀頃)


440
教会内をもう一度見ました。


451
外に出ました。


452
すっかり夕方になっていました。


453
それでも旧メルカト広場の建物に夕日が当たっていました。


278
城壁外に出ました。


271
夜の街歩きも好きですが急に冷え込んできたので止めました。


267
この日はこれで終わりです。


003
出発の朝を迎えました。


004
この日も青空市の開市が無さそうです。


001
青空市の日は、朝からこのようになります。


005
この日も快晴です。


006
門を潜り城壁外に出てから、駅に向かいました。


007
(おわり)

273
Corso Cairoliを通って駅から旧市街に向かいます。


274
旧市街の入り口前のナザリオ・サウロ広場です。


275
旧市街の入り口たるPorta Mercatoです。


277
写真右の新古典様式の建物は、夏の野外オペラ劇場Sferisterioです。


278
音が風で流れる、歌手がマイクを使う、夏には一流どころが出演しない、例え一流どころが出演しても夏休み中に駆り出されたせいか調子が良くない、と言う理由から夏の野外オペラが嫌いです。
相撲で例えれば、本場所ではなく花相撲みたいなものでしょう。


276
城壁外から見える時計塔


279
Porta Mercato前から見たナザリオ・サウロ広場です。


280
Porta Mercatoを潜りPiazza Mazziniに入りました。


281
現在、売りに出されているUfficio del Territorioです。


282
マッツィーニ広場に面して建つChiesa di Santa Maria del Riposoです。


283
1537年の街の記録に記載されている教会ですが、現在は閉鎖されているようです。


284
この日の午前中は青空市が開市されていました。


285
マッツィーニ広場に面して多くの歴史的建造物が建ってます。


286
階段を上って旧市街の中心に向かいます。


287
午後3時近くなので、辺りはひっそりとしています。


288
写真左はサンタ・マリア・デッラ・ポルタ教会の側壁です。


289
旧市街の中心リベルタ広場にやってきました。


290
リベルタ広場の建物については、(その1)で既に触れました。


291


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通りの突き当りにサン・ジョヴァンニ参事会教会が写ってます。


299
Corso della Repubblica


561
一旦城壁外に出ます。


562


563


564
城壁内に戻り、フィリッポ・ネリ教会に行きます。


300
フィリッポ・ネリ教会は未だ開いていなかった。


301
扉が開くのは時間の問題と判断して、暫し時間潰し。


302
この道を進めばドゥオーモですが、逆方向に行きました。


303
サン・ジョヴァンニ参事会教会は相変わらず閉まってます。


305
この教会は平日には開かないと観光案内所で聞きました。


306
図書館の建物です。


308
私の場合、イタリアでは図書館で時間潰しは無理です。


307


310
(つづく)

521
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「マチェラータの聖母」(1470-73)
この博物館を代表する作品です。詳細画面を次に。


522


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524


525


526
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ダ・フォリーニョ通称マッザフォルテ(フォリーニョ、1370c-1440c)に帰属する「聖母子と聖人たち」(1414-15c)
詳細画面を次に。


527


528


529


530
アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ、1560-1607)の「チントラの聖母と聖ロレンツォと聖トンマーゾと聖フランチェスコ」(1604)


531
見たことがある作品ですが、顔が違うようです。
アンドレア・ポッツィ(ローマ、1777-1837)の「グイド・レーニ作『ベアトリーチェ・チェンチ』の模倣画」(1800-37)
コピー画ならば、顔をもう少し似せて描くでしょう。


532
マルケの逸名画家作「聖ジュリアーノ」(17世紀後半)


533
逸名画家作「ロレートの聖母」(1590-1610c)


534
逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(16世紀)


535
逸名画家作「悔悛のマッダレーナ」(17世紀前半)


536
逸名画家作「キリストの鞭打ち」(17世紀)


537
逸名画家作「戦士、女性、老人がいる風景」(18世紀)


538
逸名画家作「聖フランチェスコ」(17世紀前半)


539
ジュゼッペ・チェーザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568-ローマ、1640)の「聖セバスティアーノ」(1630-35c)


540
カルロ・ドルチ(フィレンツェ、1616-1686)に帰属する「涙の聖母」


541
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「自画像」


542
チャールズ・メリン(ナンシー、1597-ローマ、1649)に帰属する「三人の男」(17世紀前半)


543
クリスチャン・べレンツ(ハンブルク、1658-ローマ、1722)に帰属する「果実の静物画」


544
アントニオ・ピア―ニ(マチェラータ、1747-1825)の「羊飼いの礼拝」(18世紀後半)


545
ドメニコ・コルヴィ(ヴィテルボ、1721-ローマ、1803)の「三位一体と聖ベネデットと聖スコラスティカ」(1783)


546
フェデリーコ・ツッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539-アンコーナ、1609)の「モーゼに扮したミケランジェロの肖像」(1593c)


547
フェデリーコ・ツッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539-アンコーナ、1609)の「イザヤの扮したラッファエッロの肖像」


548
フランチェスコ・ボニフォルティ(マチェラータ、1594-1671)の「天使によって悼まれたキリスト」(17世紀第2四半世紀)


549
フランチェスコ・ポデスティ(アンコーナ、1800-ローマ、1895)の「アントニオ・ボンフィーリの肖像」


550
フランチェスコ・ソリメーナ(カナレ・ディ・セリーノ、1657-ナポリ、1747)の「洞窟に向かうエネアとディドーネ」(1700-40c)


551
ガスパーレ・ガスパッリーニ(マチェラータ、?-1590)の「聖母子とパドヴァの聖アントニオ」(1584)


552
ジョヴァン・バッティスタ・ベイナスキ(トリノ、1636-ナポリ、1688)の「時の寓意」(1675-80)


553
クロード・ジョセフ・ヴェルネ(アヴィニョン、1714-パリ、1789)の「漁民と海」(1750-90c)


554
市の塔の時計のからくり人形(1569-70c)


555
現代絵画の展示も充実してます。
地元出身の画家グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の作品を紹介して終わりにします。
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィレンツェのヴィッラ・プッチの門」(1905)


556
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィレンツェのダヴァンツァ―ティ広場の古い家」(1890-1905c)


557
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィエゾレのサンドリーニ通り」(1903)


558
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィレンツェのマリ通り近くの家」(1903)


559
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「若い女性の庭」(1903)


560
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィレンツェのマリア家の庭」(1905)
(つづく)(マチェラータ市立博物館の項:おわり)

378
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「異教徒を全滅させる教会」


487


379
ジュゼッペ・ガンバリーニ(ボローニャ、1680-カザレッキオ・ディ・レノ、1725)の「金色の茎を撮るエネア」


488


380
ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687-1772)の「プットたち」


489


382
ニコロ・バンビーニ通称カヴァリエール・バンビーニ(ヴェネツィア、1651-1736)の「トロイの崩壊をディドーネに話すエネア」


490


383
ルイージ・ガルツィ(ピストイア、1638-ローマ、1721)の「鍛冶するウルカヌスとヴィーナス」


491


384
パオロ・デ・マティス(ピアーノ・ヴェトラレ、1662-ナポリ、1728)の「エネアに鎧を差し出すヴィーナス」


492


385
ジャコモ・デル・ポー(パレルモ、1654-ナポリ、1726)の「Il Duo Tevere」


494


495
ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687-1772)の「プットたち」


496
ミケーレ・ロッカ通称イル・パルミジャーノ(パルマ、1671-ヴェネツィア、1751)の「処女の殉教」(1700-50c)
パルミジャニーノと混同してはいけません。


497
マチェラータの逸名画家作「マチェラータ有力者の紋章?」(17世紀)


498
サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536-フィレンツェ、1603)の「若い男の肖像」


499
シピオーネ・プルツォーネ(ガエータ、1540/1542c-ローマ、1598)の「アレッサンドロ3世・ファルネーゼ枢機卿の肖像」(1579)


500
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609-ローマ、1685)の「祈る聖母」


501
アレッサンドロ・トゥルキ通称ロルベット(オルベット)(ヴェローナ、1578-ローマ、1649)の「獄中の聖アガタを訪ねる聖ピエトロと天使」(1616-18)


502
17世紀のフランドルの逸名画家作「牧歌的な光景」


503
17世紀のエミリアの逸名画家作「聖ピエトロ」


504
17世紀のエミリアの逸名画家作「使徒の頭」


505
ピエル・レオーネ・ゲッツィ(ローマ、1674-1755)の「ガブリエーレ・フィリップッチ枢機卿の肖像」(1706)


506
マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)に帰属する「若い女性の肖像」


507
マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)に帰属する「年配の女性の肖像」


508
マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)に帰属する「若い女性の肖像」


509
マルケの逸名工芸家作「壺」(1492以前)


510
マルケの逸名工芸家作「聖ジュリアーノの壺」(1492以前)


511
中央イタリアの逸名画家作「若い男の肖像」(1600-15)


512
ヤン・フランス・ヴァン・ブロウメン(アントウェルペン、1662-ローマ、1749)の「滝のある風景」(1690-1730)


513
ルカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634-1705)の「聖家族と天使たち」


514
ヨアヒム・フォン・サンドラート(フランクフルト・アム・マイン、1606-ニュルンベルク、1688)の「修道院長の肖像」


515
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609-マントヴァ、1664)の「アッシジの聖フランチェスコ」


516
フィレンツェの逸名画家作「女性の肖像」(16世紀)


517
逸名画家作「若い男の肖像」(17世紀)


518
アントニオ・モル(ユトレヒト、1519-アントウェルペン、1577)の「アレッサンドロ3世・ファルネーゼの肖像」


519
フェデーレ・ビアンキ―ニ(マチェラータ、1790-1857)の「Signor Mazzaliの彫像」(1857)


520
フェデーレ・ビアンキ―ニ(マチェラータ、1790-1857)の「Signor Mazzaliの彫像」(1857)
(つづく)

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