イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2021年07月

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ビエッラ旧市街の中心チステルナ広場です。


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広場に面した柱廊にある店で簡単な昼食を食べることにしました。


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前夜に暴飲暴食したので、食欲があまりなかった。


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ビールさえも飲まず、水だけにしました。


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それでも完食しました。


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昼食を食べた店の奥に教会があります。


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サン・ジャコモ教会です。


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1160年、ピアッツォの所有権を保持していたヴェルチェッリ司教が、司法、肉の屠殺権、市場の開市権の三権をピアッツォ地区に与えたことを機に、人が集まり徐々に栄えたピアッツォにおける最初の教会として、1180年以前に建設されたサン・ジャコモ教会です。1180年の文書に、その存在が初めて記載されたそうです。1227年に奉献式が執り行われました。


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その後、増築され、数度の改造、改修を経て現在の姿になりました。


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ファサードの柱廊が、17世紀に追加されました。


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ファサードのスタッコ彫刻は、1862年の修復工事の際に追加されました。


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13世紀末から14世紀初頭に建設された鐘楼です。


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ファサードの柱廊天井のフレスコ画


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入口天井上のフレスコ画は、劣化が著しくて何が描かれていたのか、分かりません。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


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右側廊方向


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この教会の作品帰属が全く分かりません。(私が、です)


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主祭壇画


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Presbiterio


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Presbiterio天井


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詳細不知


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外に出ました。


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「聖母子」のフレスコ画(詳細不知)


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旧市庁舎です。


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ピアッツォに町が出来た12世紀末頃には、市庁舎の原形となる建物が建設されました。現在の建物は、17世紀初頭に再建されたものです。


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19世紀に毛織物業が盛んになるに従い、旧市街ピアッツォの重要性が薄れるようになり、丘下に現市庁舎が建設され、1848年に移転したのです。


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19世紀末に競売にかけられ、現在は個人の民家になってます。


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民家ですが、旧市庁舎の柱廊部分は一般に公開されており、見学することが出来ます。


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フレスコ画の断片が残されてます。


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観光客は私一人でした。


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Corso del Piazzo


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緩い下り坂を丘下に向けて進みます。


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歴史的建造物が建ち並んでます。


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(つづく)

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Porta della Torrazzaを潜って、旧城壁外に出ました。


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門から旧城壁外に出ると、直ぐに陸橋があります。


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陸橋の上は、ビエッラの全景が楽しめるスポットです。


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ドゥオーモの鐘楼が見えます。


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サンティッシマ・トリニタ教会の鐘楼です。


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チェルヴォ川が見えます。


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山の頂にサン・ジローラモ修道院教会が見えます。


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鐘楼の先の建物は市立病院です。


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山頂のサン・ジローラモ修道院教会は、この写真の方が良く写ってます。


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旧城壁外には見どころが無さそうなので、陸橋を渡り、戻ることにしました。


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城壁と門の防衛上の必要性が薄れたので、1780年に再建されたPorta della Torrazzaです。


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旗が掲げられている門左の建物は、旧城壁の監視塔です。1780年に塔の上部が破壊されて、現在の高さになりました。


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城壁があった頃には、Porta d’Oropaと呼ばれていたそうです。


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Porta della Torrazzaを潜って、Via Amedeo Avogadro di Quaregnaに入りました。
写真左の建物に、通りの名称の由来となったアメデオ・アボガドロが一時滞在していたのです。


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人通りが余りないようです。


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サンタンナ教会の鐘楼です。


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写真左手前の建物は、塗装が新しいので新しいと思われますが、16世紀に建設されたそうです。


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フニコラーレの駅を通り過ぎます。


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Piazza Mario Cucco


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19世紀、毛織物産業によって丘下地区が栄えるようになると、急速に寂れたピアッツォ地区です。


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14世紀に建設された古い建物です。


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木製の梁がある建物です。


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木の梁がある建物の隣にある建物は、15世紀に建設されました。


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Piazza Mario Cuccoに面して煉瓦造りの塔が建ってます。


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塔について調べましたが、何なのか分かりませんでした。


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ピアッツォの中心の広場に向かいます。


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Portici del Piazzo


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ピアッツォの中心Piazza Cisternaです。


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広場に面して歴史的建造物が建ち並んでます。


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写真右の建物がPalazzo Cisternaです。


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13世紀に創建されたPalazzo Cisternaですが、その後、何度も改造されました。現在のファサードは16世紀末に行われた改造後のものです。


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フレスコ画の痕跡が認められる建物があります。


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フレスコ画の痛みが激しくて、何が描かれていたのかサッパリ分かりません。


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広場の突き当りの建物は市庁舎です。


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広場名称の由来となった水槽です。


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(つづく)

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サン・フィリッポ・ネリ教会から外に出ました。


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丘下地区は大体見たようです。


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丘上のピアッツォ地区に向かいます。


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ピアッツォに行くには、フニコラーレが便利です。


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道の突き当りにフニコラーレが見えます。


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フニコラーレは1885年に開業しました。


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丘下の駅がある広場に向かいます。


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写真左の建物は神学校です。


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クゥリエル広場にやってきました。


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クゥリエル広場から見たRione Borgo地区です。


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フニコラーレの丘下の駅があるクゥリエル広場です。


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フニコラーレの高低差は60メートルです。


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フニコラーレの丘下駅の入り口です。


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フニコラーレに乗りました。定員25人です。


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複線です。


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下り列車とすれ違います。


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ピアッツォ駅の建物です。


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ピアッツォに到着しました。


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ピアッツォ駅です。


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フニコラーレのピアッツォ駅の建物です。


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ピアッツォのメイン道路Via Amedeo Avogadro di Quaregnaです。


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通りの突き当りに門があります。


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フニコラーレのピアッツォ駅前のチステルナ広場です。


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フニコラーレのピアッツォ駅横にあるサンタンナ教会です。


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サンタンナ同信会によって17世紀から18世紀に建設されたバロック様式の教会です。


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現在のファサードは1782年に建設されました。


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保存状態があまり良くない教会です。


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通りを門の方に進みます。


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ピアッツォ地区は、標高480メートルのビエッラ市の西にあります。


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ピアッツォ地区は、ヴェルチェッリの司教が管轄する教区領域の一部として所有権を持ってました。1160年、当時のヴェルチェッリ司教が、ピアッツォ地区に司法、肉の屠殺権、市場の開市権を認めました。それに伴い、近くから人々が集まり、急速に繁栄するようになりました。
やがて、城壁が築かれ、町としての体裁が整えられました。


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柱廊の壁にフレスコ画があります。


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フレスコ画の詳細が分かりません。


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ピアッツォは自治都市になりましたが、その期間は非常に短く、直ぐにピエモンテ貴族フェッレ―ロ・デッラ・マルモラ家の支配を受けるようになりました。


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写真左の建物は学校です。


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アボガドロ定数、アボガドロの法則をご存知でしょうか?
通りの名称Via Amedeo Avogadro di Quaregnaは、定数、法則のアボガドロに由来します。


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写真右の建物に、アボガドロ定数、アボガドロの法則で有名なロレンツォ・ロマーノ・アメデオ・カルロ・アボガドロ(トリノ、1776-1856)が短期間滞在したことがあります。


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それにしても長い名前ですね。


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Porta della Torrazzaです。
(つづく)

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新しい作品ばかりで、美術ファンとしては、物足りないドゥオーモでした。


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イタリア通りです。


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ビエッラで最も賑わいを見せるイタリア通りです。


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イタリア通り37番地です。


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この辺は丘下の新市街です。


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この街に関してのガイドブックの記載を見たことがありません。


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イタリア通りを更に進みます。


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この辺では最古の建物で、18世紀に建設されました。


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18世紀に建設された建物の柱頭です。どうも最近復元されたものに見えます。


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左折すれば、直ぐにサン・フィリッポ・ネリ教会に出ますが、フィウメ広場とリベルタ広場を経由して遠回りして教会に向かいます。


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写真左先に広場があります。


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フィウメ広場です。


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19世紀に建設されたアパートです。


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この街はトリノの北方にあります。


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リベルタ広場に出ました。


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広場の先に、丘上の旧市街ピアッツォ地区に向かうフニコラーレがあります。


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リベルタ通りからサン・フィリッポ・ネリ通りに入り、少し後戻りします。


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サン・フィリッポ・ネリ教会の鐘楼です。


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教会のファサード側に回ります。


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振り返ってリベルタ広場方向を見たところです。


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教会のファサード前に出ました。


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サン・フィリッポ・ネリ教会です。


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18世紀初め、Padri Filippiniは、ドゥオーモ近くにあった建物で細々と活動開始しました。


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1742年、Padri Filippiniは自前の教会の建設を決定しましたが、資金難のため、教会の建設計画は中々進捗しませんでした。


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サヴォイア家のレジーナ・マルゲリータのサポートなどにより、教会建設が具体化して、建築家カルロ・チェロ―ニ(トリノ、1749-?)の設計によって、1789年に工事着工、1827年に完成したバロック様式の教会です。1827年に奉献式が執り行われました。


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ファサードは、教会建築計画が持ち上がった段階で、当時の花形建築家フィリッポ・ユヴァラ(メッシーナ、1678-マドリッド、1736)によって設計されたと言われてます。


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鐘楼は、ガスパーレ・マッジャの設計によって1823年に建設されました。


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教会内に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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左右にそれぞれ3つづつの礼拝堂があります。


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天井


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Presbiterio


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Presbiterioの天井


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主祭壇画


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ジュゼッペ・ピエトロ・マッツォーラ(ヴァルトゥッジャ、1748-ミラノ、1838)の「聖フィリッポ・ネリへの聖霊降臨」(1797)


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ヴァルフレの礼拝堂です。


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19世紀のピエモンテの逸名画家作「ベアート・セバスティアーノ・ヴァルフレに顕現する聖母子」(1836)


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Maestro Piemontese Borrelloに帰属する「磔刑像」(17世紀)


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フェリーチェ・サヴィリアーニの「光悦のアヴィラの聖テレーザ」(1836)


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ピエモンテの逸名画家作「聖母子と聖カルロ・ボッロメオとサレスの聖フランチェスコ」(18世紀後半)


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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カウンターファサード


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外に出ます。


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(つづく)

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引き続きドゥオーモです。


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磔刑の礼拝堂です。


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彫刻があるように見えますが、だまし絵です。


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ジョヴァンニーノ・ガッリアーリ(トレヴィーリオ、?-1819)の「磔刑」(1795)
ジョヴァンニーノは、画家ファブリツィオ・ガッリアーリ(トレヴィーリオ、1709-1790)の息子です。ファブリツィオの兄弟、息子4人が画家の画家一家でした。


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ピエトロ・フェア(カザーレ・モンフェッラート、1771-カザールボルゴーネ、1842)の「最後の晩餐」(1806)


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ピエトロ・フェア(カザーレ・モンフェッラート、1771-カザールボルゴーネ、1842)の「聖餐式」


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ピエトロ・フェアの騙し絵


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ピエトロ・フェアの騙し絵


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ジュゼッペ・アントニオ・グロモの「嘆き」


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聖心の礼拝堂


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ベアータ・ヴェルジネ礼拝堂


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詳細不知


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フェリーチェ・マランドーノの「キリストの復活」


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カルロ・コグロッソ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「栄光の聖母子」


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ピエトロ・フェアの騙し絵


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ピエトロ・フェアの騙し絵


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右側廊


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右側廊からの眺め


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ピエトロ・フェア(カザーレ・モンフェッラート、1771-カザールボルゴーネ、1842)の騙し絵


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ピエトロ・フェアの騙し絵


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カウンターファサードに「聖ステファノの殉教」があります。


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ジョヴァンニーノ・ガッリアーリ(トレヴィーリオ、?-1819)の「聖ステファノの殉教」


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ピエトロ・フェアの騙し絵


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左側廊


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左側廊からの眺め


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ピエトロ・フェア?の騙し絵


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フェリーチェ・マランドーノの「無原罪の御宿リ」


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詳細不知


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フランチェスコ・バルバラ(1927-1970)の「聖母」


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ピエトロ・フェア(カザーレ・モンフェッラート、1771-カザールボルゴーネ、1842)の「キリストの洗礼」


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ロレートの聖母礼拝堂


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詳細不知


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詳細不知


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マギの礼拝の礼拝堂


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フェリーチェ・マランドーノの「マギの礼拝」


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礼拝堂天井


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ピエトロ・フェア?の騙し絵


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ピエトロ・フェア?の騙し絵


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詳細不知の「磔刑像」


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カルロ・コグロッソ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖ジュゼッペの死」


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詳細不知


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外に出ました。
(つづく)

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Palazzo Oropaです。


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市庁舎となってます。


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この場所には、解体廃棄されたサント・ステファノ修道院がありました。19世紀に建設されたPalazzo Oropaです。


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市庁舎の横にロンバルド・ロマネスク様式の洗礼堂が建ってます。


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1000年頃に建設された、現在のドゥオーモの前身であるサンタ・マリア教会の洗礼堂として、11世紀に建設されました。


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洗礼式が行われる時を除いて、扉が開くことがない洗礼堂です。


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洗礼堂の入り口


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入口上の彫刻


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ドゥオーモのファサード側に回ります。


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写真左の建物が市庁舎、写真右の建物はドゥオーモです。


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ドゥオーモ広場です。


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ビエッラのドゥオーモ、Cattedrale di Santo Steranoです。サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂とも呼ばれてます。
ビエッラ司教区の司教座教会です。


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現在のドゥオーモの敷地内に1000年頃に建設された小さなサンタ・マリア教会が前身です。


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ビエッラで多数の犠牲者を出した1348年と1399年のペスト禍を経て、市民のニーズに応えるために教会の再建が決定され、1402年に創建され、1404年に完成しました。完成を機に、サンタ・マリア・マッジョーレ教会と改称されました。
1772年、ビエッラ単独の司教区が設定されることになり、司教座がサンタ・マリア・マッジョーレ教会に置かれることになりました。司教座教会としては、既存の規模では狭かったので、増築拡大、改修工事が1772年に開始され、1803年に一応の完成を見ました。Cattedraleとしての奉献式が1804年に執り行われました。
その後、さらに拡張工事が続けられ、1826年に現在の姿になりました。


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ドゥオーモの鐘楼が少し離れた場所に建ってます。


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ゴシック様式の鐘楼は、実は、5世紀に建設された初期キリスト教会を前身とするサント・ステファノ教会がサンタ・マリア・マッジョーレ教会と並行する位置に建っていましたが、元々はサント・ステファノ教会の鐘楼でした。


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鐘楼のドゥオーモ広場側に建っている建物の場所には、サント・ステファノ修道院がありました。
ビエッラ司教区新設の1772年、サンタ・マリア・マッジョーレ教会は、サント・ステファノ司教座教会と改称されました。それに伴い、従来のサント・ステファノ教会と修道院は、サント・ステファノ・ヴェッキオ修道院教会と呼称されることになりました。
鐘楼は二つの教会の共用となりました。
サント・ステファノ・ヴェッキオ修道院教会は、1872年に閉鎖、解体されました。


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サンタ・マリア・アッスンタ司教座教会とも呼ばれてます。


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ファサードの下に柱廊が設けられてます。


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柱廊の彫刻を見ます。


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彫刻の作品帰属など詳細が分かりません。


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18世紀頃の彫刻でしょうか?


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柱頭


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拝観します。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ネオ・ゴシック様式の内部です。


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左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。


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天井の装飾


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中央通路の装飾


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中央礼拝堂を見ます。


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Presbiterio


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クーポラ


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主祭壇画は、カルロ・フランチェスコ・コグロッソ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖母被昇天」(1784)


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(つづく)

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聖三位一体教会、サンティッシマ・トリニタ教会です。


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ドゥオーモの隣に位置する、この場所に1459年に建設されたサン・セバスティアーノ礼拝堂がありました。
17世紀初頭、聖三位一体同信会は、サン・セバスティアーノ礼拝堂を取り壊し、その上に新教会の建設を決めました。そうして、1626年に創建されたのがバロック様式のサンティッシマ・トリニタ教会です。最終的な建物の完成は1750年でしたが、奉献式は後陣と内陣が一応の完成を見た1631年に行われました。


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現在のファサードは、地元の建築家二コラ・モッゾの設計によって1956年に再建された二代目のものです。


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1630年に建設された鐘楼です。


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ファサードに柱廊が設けられてます。


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入口扉上ルネッタの浮彫


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「三位一体」


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柱廊天井のフレスコ


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中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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左右に煌びやかに装飾された礼拝堂があります。


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スタッコ彫刻とフレスコ画で壁が埋め尽くされてます。


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Presbiterio


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主祭壇が有名です。


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ジョヴァンニ・アントニオ・ヴァ―リオ・ディ・ぺッティネンゴ(ビエッラ、1660-1697)の主祭壇(1682-84)


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巧緻な彫刻


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高く評価されていたジョヴァンニ・アントニオ・ヴァ―リオでしたが、病弱のため、37歳の若さで没してしまいました。そのため、残された作品は僅か数点に終わりました。


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ヴィンチェンツォ・コスタンティーノ(ピエモンテ、17世紀前半活動)の「三位一体」(1640)


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アントニオ・チャンチャ・ペッローネ(カプリエーレ、ビエッラ、1822-1890)の「カルヴァリオへの上り」(1865)


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ヴィンチェンツォ・コスタンティーノ(ピエモンテ、17世紀前半活動)の「受胎告知」(1640)


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17世紀のピエモンテの逸名彫刻家作「磔刑像」


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ヴィンチェンツォ・コスタンティーノ(ピエモンテ、17世紀前半活動)の「エジプトへの逃避」(1640)


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詳細不知


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カウンターファサードにオルガンがあります。


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アントニオ・チャンチャ・ペッローネ(カプリーレ、ビエッラ、1822-1890)の「聖母被昇天」(1865)


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アントニオ・チャンチャ・ペッローネの作品


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「ロレートの聖母と聖人たち」


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詳細不知


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「キリストの誕生」(1640)


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「割礼」(1640)


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「マギの礼拝」(1640)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・アラシ―ナ(1611-1664)の「キリストの神殿奉献」(1640)
ジョヴァンニ・フランチェスコはアンセルモの息子でしょうか?


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17世紀のピエモンテの逸名画家作「聖母戴冠」


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「父なる神」(1641)


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もう一度祭壇を見てから外に出ます。


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後陣の先にドゥオーモがあります。


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ドゥオーモの洗礼堂です。
(つづく)

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学校です。


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新しい建物ばかりが目立ちます。


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中心地に向かってます。


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この辺は、19世紀に造成された新開地です。


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都市計画で敷設された道路は直線です。


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カザレ―ニョ広場です。


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Via Alfonso Lamarmora


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Giardini Zumagliniです。公園の端に観光案内所があります。


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観光案内所で、地図を頂戴するとともに教会とMuseoが開く時間を確認しました。係員は非常に有能、且つ親切でした。


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この公園も都市計画に基づき整備されました。


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Ex-Casa di Giorgio Aiazzoneです。現在はVilla Redaと呼ばれてます。


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1931年に建設されたアール・ヌ―ヴォ様式のVilla Redaです。


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持ち主が何度も変わって、現在、オークションにかけられようとしているようです。


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コロナでの世相が落ち着かないとオークションが成立しないようです。何度かオークションにかけられたそうですが、売買不調に終わってます。


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Via Losanaです。


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ドゥオーモに向かってます。


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マッツィーニ映画館です。


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閑話休題。イタリア人と国際結婚している日本人ですが、圧倒的にイタリア人男性、日本人女性の組み合わせが多いと思います。


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ガリバルディ通りに出ました。


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新しい建物ばかりで興味が薄れてきます。


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この辺が街の中心になりますが、旧市街ではありません。


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ガリバルディ通りを更に進みます。


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旧市街は、丘上のピアッツォになりますが、現在は幾分寂れた感じが否めません。


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見どころに欠けますね。


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学校です。


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ここで一休みしました。


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写真左奥の広場に面して教会が建ってます。


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(つづく)

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前泊地は、キヴァッソでした。


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雨上がりの朝でした。


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普通列車に乗車して、キヴァッソからビエッラに向かいます。


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車内は非常に空いてました。


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ビエッラ・サン・パオロ駅に到着しました。


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ビエッラ・サン・パオロ駅の駅舎です。


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前日は大雨で、この日の朝に漸く雨が上がりましたが、急速に天気が回復して快晴になりました。


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広い駅前広場(サン・パオロ広場)です。


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駅前広場に面した、この日のお宿に行き、大きな荷物を預けました。身軽になって、街歩きに出発しました。


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駅横の公園、Giardini Donatori del Sangueです。


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公園の名称が、この辺でGiardino Associazione Nazionale Prtigiani d’Italiaと変わります。


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カルソ通りです。
ビエッラは、人口43,362人(2020年8月31日現在)のピエモンテ州ビエッラ県の県都です。街の歴史は古く、発掘された遺跡から先史時代の12万年前に集落があったことが分かっているそうです。


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旧市街の中心ピアッツォは、駅から約2キロメートル離れた丘上にあります。
19世紀、ビエッラは世界的な毛織物産業で栄えましたが、旧市街周辺には工場や事務所を建設するための土地が狭かったので、都市計画に基づき新たにサン・パオロ地区が造成されたのです。その入り口に鉄道駅が設けられました。


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ネオ・ゴシック様式のサン・パオロ教区教会が見えてきました。


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サン・パオロ地区は、造成前は畑と森林から成る広大な農地と荒地が広がっていました。造成された土地は新教区として認められ、住民の信仰の中心として教区教会の建設が計画されました。


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そうして、1913年に創建され、早くも翌1914年に完成しました。1915年9月にオープンしました。


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しかし、教会はオープンしたものの、肝心の教会へのアクセス道路がなく、荒地に教会だけが建っている状態に加えて、造成された土地に住む住民が少なかったので、教区教会とは名ばかりの存在でした。


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更に第一次世界大戦が勃発してしまい、教会の運営にも支障が出ました。


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奉献式は、オープンから25年後の1940年9月26日に執り行われました。
しかし、毛織物業で栄えたビエッラは、第二次世界大戦を迎えて、最初はムッソリーニ政権を攻撃する連合軍から、降伏後は連合国に加わったことからドイツ軍から爆撃を受け、この教会も被爆したのです。


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入口扉上ルネッタのモザイク


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聖エリザベッタ


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聖パオロ


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入口扉横柱の彫刻


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入口扉の彫刻


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中に入りました。


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三廊式、ネオ・ゴシック様式の内部です。


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一見して富裕な教会であることが分かります。


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天井


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Presbiterio


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主祭壇


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チーロ・コロモイの「キリストの神殿奉献」(1948)
この画家を全く知りません。


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チーロ・コロモイの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1948)


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構造がゴシック様式なので、古く見えなくもない。


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フェリーチェ・カゾラーティ(ノヴァーラ、1886-トリノ、1963)の「トリッティコ(パドヴァの聖アントニオと聖マウリツィオと聖エウセビオ)」(1941)


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左側廊


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右側廊


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詳細不知


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Presbiterio前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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見たい所は大体見たようです。


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突き当りの教会は、サンティッシモ・クローチェフィッソ教会です。


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写真左奥の建物は、マルドッティ図書館です。


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ガリバルディ広場です。


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ガリバルディ広場の先にある市の塔です。


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八角形のインマコラータ・コンチェッツィオーネ教会です。


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この町の見所を見ながら駅に向かいました。


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振り返るとサンタ・クローチェ教会が見えました。


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ヴァルトゥルノ通りです。


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トレント通りです。


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ローマよりも北にある市町村ばかりを取り上げているのは、そちらの方を重点に行っているからです。


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その理由は、単純に南イタリアが好きではないからです。


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「南イタリアが好きではない」と言っている、多数の北イタリア人の意見に頷けるからです。


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11月4日通りです。ドゥオーモ・ファサードの時計が見えてます。


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突き当りの教会は、サン・カルロ教会です。


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旧サン・フランチェスコ教会です。


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ゴンザーガ通りです。


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サン・フランチェスコ修道院教会の鐘楼です。


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サン・カルロ教会と市の塔


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共和国広場です。


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サン・フランチェスコ修道院教会だった建物です。


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マルティーリ・パトリオーティ広場です。


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マルティーリ・パトリオーティ広場に立っているのは、第一次世界大戦の記念碑(1922)です。


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琵琶の木です。イタリアでは、あまり見かけない木です。


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道の突き当りが駅になります。


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駅に戻りました。


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バールで切符を買いました。


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私が乗る列車ではありません。


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列車が出発しました。


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レッジョ・エミリアから到着した列車です。


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私が乗車した列車の写真がありません。
(おわり)

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写真左はドゥカーレ宮殿の壁です。


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チェーザレ・ベッカリア通りです。


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サンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会に向かいました。


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道の突き当りにサンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会があります。


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サンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会、またはセルヴィ教会とも呼ばれてます。
地震で被害を受けて、修復工事が行われていたドゥオーモに代わって、一時的にドゥオーモの役割を担っていました。


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ジュリオ・ボッロメオ神父がグアスタッラ伯爵のチェーザレ1世・ゴンザーガ(1535-1575)にこの場所に教会の建設を願い出て許され、建築家フランチェスコ・カプリアーニ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1535-ローマ、1594)の設計によって、1569年に創建され、1585年頃に一応の完成をみました。
チェーザレ1世は、カルロ・ボッロメオの姉カミーラ・ボッロメオと結婚していました。また、ジュリオ・ボッロメオ神父は、ボッロメオ家の出身だったので、ボッロメオ家とゴンザーガ家が教会建設のための資金援助を行いました。


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しかし、直ぐに手狭になったので、建築家ジョヴァンニ・アントニオ・フィリッピの設計によって、1600年から増築工事が開始され、1607年に完成しました。1607年に奉献式が執り行われました。


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1696年の地震によって、大きな被害を受けたので、1696年に修復工事が開始されました。しかし、工事中の1702年、スペイン継承戦争にグアスタッラは巻き込まれ、フランスとスペインの砲撃を受けて、建物の3分の1が破壊されてしまいました。
1717年に大改修工事が完了しましたが、現在のファサードとクーポラは、その際、再建されたものです。


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現在の鐘楼は、1704年に再建された二代目となるものです。


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ゴンザーガ家が庇護した格式の高い教会です。


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ドゥオーモが修復工事の間、朝から夕方まで開いていました。


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拝観します。


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中に入りました。


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三廊式、バロック様式の内部です。


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左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。


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天井


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左側廊


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右側廊


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詳細不知


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボロニーニ(ボローニャ、1611-1668)の「聖マリア・マッダレーナと聖ルチアと聖アポッロニア」(1665)


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上記作品の祭壇


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詳細不知


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Presbiterio


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ピエトロ・アントニオ・ロターリ(ヴェローナ、1707-サンクト・ペテルブルグ、1762)の「受胎告知」(1738)


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後陣の装飾


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クーポラ


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この教会で最も有名な作品です。


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ジュゼッペ・マリア・クレスピ(ボローニャ、1665-1747)の「ピエタと奉仕秩序の創立聖人たち」(1730)


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逸名彫刻家作「磔刑像」(18世紀)


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ジュゼッペ・マッツァ(ミラノ、1817-1884)の「天上のキリストと聖人たち」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボロニーニ(ボローニャ、1611-1668)の「聖セバスティアーノと聖フィリッポ・ベニッツィ」(1665)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボロニーニ(ボローニャ、1611-1668)の「聖母子と聖人たち」(1665)


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上記作品の祭壇


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詳細不知


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上記作品の祭壇


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ジュゼッペ・マッツァ周辺の逸名画家作「聖母子」


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詳細不知の「聖母子と二聖人」


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詳細不知


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詳細不知の「ピエタ」


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カウンターファサードにオルガンがあります。


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外に出ました。
(つづく)

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ドゥオーモのファサードの時計が見えてます。


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鐘楼があると直ぐにドゥオーモと分かります。


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突き当りはサンタ・クローチェ教会です。


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こちらの突き当りは、サンティッシモ・クローチェフィッソ教会です。


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こちらの突き当りは、サンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会になります。道の突き当りに教会が見えるようにしたのは、チェーザレ1世・ゴンザーガ伯爵(1530-1575)が推進した都市計画によるものとされてます。


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ジュゼッペ・ヴェルディ通りです。


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グアスタッラのオペラ劇場です。


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ルッジェーロ・ルッジェーリ市立劇場と呼ばれてます。
ルッジェーロ・ルッジェーリ(ファーノ、1871-ミラノ、1953)は、有名な男優です。彼の母がグアスタッラ生まれだったので、それに因んで劇場の名前となったのですが、ちょっと苦しいようです。


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ジュゼッペ・ヴェルディ通りの道幅が狭いので、市立劇場ファサード全景の写真がうまく撮れません。


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1671年にオープンした古いオペラ劇場です。


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市立劇場の内部


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客席が少ないものの馬蹄形の本格的なオペラ劇場です。


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客席を取り外してオーケストラピットを造るようですが、それでは座席数が減少して採算を取るのが難しそうです。


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劇場の先に八角形のインマコラータ・コンチェッツィオーネ教会があります。


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11月4日通りです。


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サンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会に行くにはまだ早すぎます。


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ゴンザーガ通りに戻ってしまいました。


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写真左の建物はPalazzo Comunaleです。


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ファサードが修復工事中の旧サン・フランチェスコ教会です。


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町を一周することにしました。


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小さな町なので、直ぐに城壁外の緑地に出てしまいます。


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城壁は破壊されて残ってません。


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旧城壁近くに大規模な駐車場があります。


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チルコンヴァッラツィオーネ通りです。


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この辺は旧市街北端の城壁外に当たります。


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再び緑地に出ました。


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城壁の南端から北端まで1200メートル、東端から西端まで1000メートルくらいです。


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城壁外の見所は全く無さそうです。


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Piazza l’Maggio


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旧城壁内に戻りました。


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ドゥカーレ宮殿です。


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ドゥカーレ宮殿は、旧城壁内の北端に当たります。


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ドゥカーレ宮殿内の使用人用の建物です。


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一部がホテルになってます。


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(つづく)

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ドゥカーレ宮殿の庭です。


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宮殿の庭に隣接して建っている、スタッコ彫刻がある建物です。


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庭から見たドゥカーレ宮殿です。


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宮殿は高い壁に囲まれてます。


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ドゥカーレ宮殿の庭から見える鐘楼は、サンタ・マリア・アンヌンツィアータ(セルヴィ)教会のものです。


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ドゥカーレ宮殿から外に出ます。


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ドゥカーレ宮殿からゴンザーガ通りに出ました。


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この町で最大の見所とも言えるドゥカーレ宮殿でした。


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日本人でグアスタッラ公国をご存知ではない方が多いのか、この町で日本人を見かけたことがありません。


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宮殿の先はマルティーリ通りです。


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この記事がアップされる頃は、延期された五輪の帰趨が決まっていますが、これを書いている時点(2020年12月26日)では見通しがかなり暗くなってます。


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ラルゴ・グラムシです。


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ラルゴ・グラムシまでが城壁内に当たります。


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ラルゴ・グラムシの先には見所がないようです。


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ゴンザーガ通りを引き返します。


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ゴンザーガ通りと交差するガリバルディ通りです。


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ドゥカーレ宮殿まで戻りました。


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マッツィーニ広場です。


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写真右の建物はPalazzo Comunaleです。


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ベッカリア通りです。


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突き当りはサンティッシモ・クローチェフィッソ教会です。


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ゴンザーガ通りです。


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ゴンザーガ通りで振り返ってドゥカーレ宮殿方向を撮りました。


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セルヴィ教会に向かいます。


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セルヴィ教会はミサ中でした。ミサが終わる頃を見計って拝観することにしました。それまで時間潰しです。


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ヴィットリオ・ヴェネト広場です。


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突き当りに見える教会はサンティッシモ・クローチェフィッソ教会です。


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時間潰しが結構大変です。


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時間潰しで変な裏通りに行くと迷子になることがあります。


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この通りならば、いくら歩いても大丈夫です。


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通り名が明示されているので、大丈夫と思いがちですが、地図上で目的の通りを探すのが非常に大変です。


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例えば、ローマならば、通りの数は大変多いのですが、有名な通りではない限り、通り名だけで地図上で探すのは容易ではありません。


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グアスタッラは小さな町なので、通り名だけで地図上の位置を知るのは簡単です。


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(つづく)

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次はドゥカーレ宮殿です。


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ゴンザーガ宮殿とも呼ばれてます。


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14、15世紀にグアスタッラを支配していたトレッリ家のグイド・トレッリ(マントヴァ、1379-ミラノ、1449)が15世紀に建設したトレッリ邸が前身です。


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チェーザレ1世・ゴンザーガ伯爵(1530-1575)は宮殿の建設を考え、トレッリ邸を一部取り壊し、増築することにしました。そうして、建築家フランチェスコ・カプリアーナ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1535-ローマ、1594)の設計によって、16世紀に建設されたルネサンス様式の宮殿です。


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宮殿は長らく閉鎖されていました。
修復工事完了後、現在は、自治体の事務所と博物館になってます。


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宮殿の入り口です。


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ゴンザーガ家の紋章


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グアスタッラの紋章


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入口玄関の天井


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誰の肖像画でしょうか?


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床の模様


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玄関から見たマッツィーニ広場です。


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地上階にロッジャがあります。


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開館まで少し時間がありました。


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彫刻がありますが、詳細が分かりません。


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天井の装飾


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中庭に屋根がついてます。


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屋根


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中庭床の模様


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ゴンザーガ家の紋章


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博物館内に入館しましたが、絵画部門は写真不可でした。


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(つづく)

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左折して、町の中心の広場に出ます。


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柱廊が広場に面してます。


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マッツィーニ広場です。この地を支配していたゴンザーガ家による都市計画に基づいて作られた広場です。


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広場に面して建つドゥオーモです。


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グアスタッラ司教区の司教座教会だった時代がありましたが、現在はレッジョ・エミリア司教区と合区され、レッジョ・エミリア₌グアスタッラ司教区となったので、Concattedrale di San Pietro Apostoloとなりました。司教座は、レッジョ・エミリアのドゥオーモに置かれてます。


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レッジョ・エミリアのドゥオーモ、レッジョ・エミリア₌グアスタッラ司教区の司教座が置かれてます。


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グアスタッラ伯爵チェーザレ1世・ゴンザーガ(1530-1575)は、二本の主要道路の交差点に当たる場所にメインの広場を造り、その広場に面して町一番の教会を建てるという都市計画を立案しました。その計画に基づき建築家フランチェスコ・カプリアーニ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1535-ローマ、1594)が起用され、1569年5月に創建されたドゥオーモです。1575年に完成しました。


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1575年2月18日、カルロ・ボッロメオ枢機卿(アローナ、1,538-ミラノ、1,584)(聖カルロ・ボッロメオ)によって奉献式が執り行われました。
チェーザレ1世・ゴンザーガ伯爵は、カルロ・ボッロメオの姉カミーラ・ボッロメオと結婚していたので、カルロはチェーザレ1世の義弟に当たります。その縁で、カルロがミラノからグアスタッラに来たのです。
ところが、チェーザレ1世・ゴンザーガ伯爵は、奉献式が行われる3日前の1575年2月15日に死去してしまいました。その為、奉献式と共にチェーザレ1世の葬儀が同日に行われたのです。


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ファサードは、ポンぺオ・ぺデモンテの設計によって1619年に建設されました。現在のファサードの原形は、1716年に改造されました。


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ベアータ・ヴェルジネ・デル・ポポロの彫刻家グループによるファサードの彫刻


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2012年5月29日に起きた地震、その後、数年にわたる余震によって大きな被害を受けたので、長らく修復工事が行われていました。


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現在は、修復工事が完了してます。


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現在の外観は、1889年、パンクラツィオ・ソンチーニの設計によって改修された後の姿です。


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ドゥオーモ内部


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Presbiterio


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聖歌隊席


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Presbiterioの磔刑像


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銀で出来た祭壇


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左側壁の礼拝堂


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボロニーニ(ボローニャ、1653-1671)と弟子によるクーポラのフレスコ画(1653-1671)


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ロドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ・ディ・サン・ミニアート、1559-ローマ、1613)の「聖フランチェスコ」(1590-1600c)


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墓地のキリスト(17世紀)


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墓地のキリストの上部


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マッツィーニ広場のドゥオーモ側は、修復工事のため、立ち入りが禁止されていました。


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マッツィーニ広場


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ドゥオーモの向かい側は無事だったようで、修復工事が行われている建物がなかったようでした。


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広場の入り口にブロンズ像があります。


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逆光のため、顔が良く写りません。


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レオーネ・レオーニ(アレッツォ、1509-ミラノ、1590)の「フェッランテ1世・ゴンザーガ像」


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写真左はPalazzo Comunaleです。


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Palazzo Comunale


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16世紀に建設されたPalazzo Comunaleです。


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Palazzo Comunale内に観光案内所がります。


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ドゥカーレ宮殿です。


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(つづく)

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この町はガイドブックに記載されていないようです。


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次はサンティッシモ・クローチェフィッソ教会です。


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ガリバルディ広場です。


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インマコラータ・コンチェッツィオーネ教会です。


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ガリバルディ広場の先にサンティッシモ・クローチェフィッソ教会があります。


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カップッチ―ネ教会とも呼ばれてます。


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カプチン会尼僧のために、1643年に建設された修道院が前身です。


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教会は1653年に建設されました。


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教会は閉鎖され、隣接する学校の講堂などとして使用されてます。


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地震によって被害を受け、建物が危険と判断されて立ち入りが禁止されてます。


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修復工事は未着手で放置されてます。


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グエルチーノの作品がありましたが、取り外されて競売にかけられ、ロンドンの個人蔵となっているようです。


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ガリバルディ通りです。


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小学校の建物です。


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カプチン会修道院だった建物を改造増築して学校にしました。



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大きな学校です。


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教会があります。


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図書館です。


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サンタ・クローチェ教会です。


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14世紀に最初の建物が建設されました。


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現在の外観は、16世紀に再建された建物です。


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サンタ・クローチェ教会は、下部教会と上部教会の二重構造になってます。


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下部教会が14世紀に建設されたもので、その上に上部教会が16世紀後半に建設されました。


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鐘楼
今なお現役の教会ですが、地震被害のため、危険と判断されて立ち入り禁止となっており、暫時活動を休止しています。


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(つづく)

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引き続きベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ポルタ聖域です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ソンツォーニの「トレンティーノの聖二コラ」(1702)
この画家については全く知りません。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ソンツォーニの「磔刑」(1710)


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カウンターファサードにオルガンと聖歌隊席があります。


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修復工事中の箇所が数か所ありました。地震の被害を受けたのでしょう。


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クーポラ


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外に出る前に、Presbiterioをもう一度見ました。


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外に出ました。


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ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ポルタ聖域の先は城壁外に当たるので、見所がありません。この道を800メートルほど進めばポー川に出ます。


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教会の隣は修道院だった建物です。


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フレスコ画があるらしい修道院だった建物は、部外者立ち入り禁止でした。


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町の中心に向かいます。


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サン・カルロ修道院だった建物です。


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ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ポルタ聖域のクーポラ


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市の塔


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マッテオッティ広場です。


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旧病院(サン・カルロ修道院)の建物


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Via Volturno


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旧市街の中心は北の方にあります。


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振り返って撮った写真です。


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次は、インマコラータ・コンチェッツィオーネ教会(無原罪の御宿リ教会)です。


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インマコラータ・コンチェッツィオーネ教会です。この場所は古代のポスタ広場でした。


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最初の建物は、1579年に建設されました。


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再建の理由が分かりませんが、17世紀初めに建物の再建が決定されました。


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アントニオ・フィリッピの設計によって、1620年に再建された建物が現在の姿です。


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八角形のバロック様式の教会です。


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ガリバルディ広場です。


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ガリバルディ広場に、古代のパラマーリオ街道が通ってました。


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ガリバルディ広場は、インマコラータ・コンチェッツィオーネ教会の斜め向かいにあります。


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当然のことながら、ガリバルディ広場に立つ彫像はガリバルディ将軍像です。


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ガリバルディ将軍像の後方に修道院だった建物があります。


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ガリバルディ広場の向かいにPalazzo Frattiniがあります。


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1960年代に建てられたアパートです。


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現在は、改修されて図書館になってます。


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図書館の入り口です。


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ガリバルディ広場を境に、通りの名称がガリバルディ通りに変わります。


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(つづく)

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グアスタッラは、ポー川の右岸から約1キロメートルにあるので、平地になってます。


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未だ午前9時前です。


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市の塔に向かいます。


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左はサン・カルロ修道院だった建物です。


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修道院と塔の間に広場があります。


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バッティローロ通りです。


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1626年から1654年に建設されたサン・カルロ修道院です。


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1810年、修道院は閉鎖され、建物は倉庫などに転用されましたが、1898年に市民病院となりました。その際、建物の一部が破壊されました。


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Ospedale Civileとなっていますが、最新の高度治療を行うには、建物が古過ぎて最新の検査機器導入が困難と判断され、病院機能は新病院に移転しました。現在は、地方保険局と雇用センターになってます。


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市の塔 Torre Civicaです。


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この場所に、14世紀に築かれた要塞がありましたが、1689年、攻撃してきたスペイン軍によって破壊されました。


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その侵攻を忘れず後世への戒めとするために、要塞の残骸を集めて塔が建設されることになりました。


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市の塔は、建築家クリストフォロ・トリヴェッリーノ(アルデナ、1669-パルマ、1733)の設計によって、1723年から1732年に建設されました。


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塔の下にあるバールで一休みしました。


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マッテオッティ広場です。


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次は、ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ポルタ聖域です。


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ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ポルタ聖域です。


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現在、教会が建っている場所近くに城壁があり、サン・フランチェスコ門(現存しません)がありました。


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1646年、サン・フランチェスコ門の内壁に、ダミアーノ・パドヴァ―ニによって「聖母子と聖フランチェスコと聖カルロ・ボッロメオ」のフレスコ画が描かれました。
1693年2月7日、重度の眼病を患い失明の危機にあった60歳の元兵士がそのフレスコに願をかけると奇跡が起きて、見えるようになったのです。
その奇跡を聞いた多くの信者がそのフレスコ画に祈りを捧げるようになりました。それを聞いた、当時のグアスタッラ公爵ヴィンチェンツォ・ゴンザーガ(グアスタッラ、1634-1714)は、1693年5月9日、そのフレスコ画を収容する新たな教会の建設を命じました。
建築家レッジャーノ・プロスペロ・マッティオーリが起用され、1693年8月20日、マリーア・ヴィット―リア・ゴンザーガ公爵夫人(グアスタッラ、1,659-ヴェネツィア、1,707)によって最初の礎石が置かれました。
1701年、教会の建物はほぼ完成して、1701年7月6日にサン・フランチェスコ門のフレスコ画が教会の建物に移設されました。


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フォロリアーノ・ヴァッラの設計によって、1722年に完成したファサードです。


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ファサードの彫刻もフロリアーノ・ヴァッラの作品(18世紀)ですが、オリジナルではありません。


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オリジナルの彫刻は、度重なる地震によって崩落したので、そのコピー彫刻が置かれてます。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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相当な金額で建てられたことが分かります。


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天井


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ジョヴァンニ・バッティスタ・マリーニ・ダ・ヴィアダーナの「聖フランチェスコと聖カルロ・ボッロメオとパドヴァの聖アントニオ」(1786)


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詳細不知


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制作者等不知の「キリストの洗礼」


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フランチェスコ・マリア・ライネーリ通称ロ・スキヴェノーリア(マントヴァ、1676-1758)の「聖ジュゼッペの死」


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右側廊


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彫刻は、ジョヴァンニ・マリーニ・ダ・ヴィアダーナの作品です。


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ジョヴァンニ・マリーニ・ダ・ヴィアダーナの彫刻


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ジュゼッペ・カンティ(パルマ、1653-マントヴァ、1716)の「カスティリアの聖フェルディナンド」


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これがあるので助かります。


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主祭壇画を見ます。


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Presbiterio


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主祭壇画は、ダミアーノ・パドヴァ―ニの「聖母子と聖フランチェスコと聖カルロ・ボッロメオ」(1646)です。


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ダミアーノ・パドヴァ―ニのフレスコ画は、サン・フランチェスコ門から剥がされ、その状態のまま、1701年に主祭壇に置かれましたが、痛みが出てきたので、後に現在のように改められました。オリジナルのフレスコ画は長方形だったそうです。
(つづく)

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グアルティエーリに2泊しての、その中日にグアスタッラの日帰り遠足を行いました。


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グアルティエーリ駅から列車でグアスタッラに向かいました。


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隣駅なので、僅か4分の乗車でグアスタッラ駅に到着しました。


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車掌が下車した人の切符をチェックしていました。無人駅から切符なしで乗車すると、この線では容赦なく罰金が課せられるので要注意です。切符なしで乗車した場合、車内で車掌を見つけて、車掌から切符を買うことです。車掌は、通常運転室にいます。車内で車掌が切符チェックを始めてから、切符なしを告げても遅いのです。


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駅員がいる時間もあるようですが、多くの時間は駅員がいません。バールは営業してます。


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駅舎です。


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駅から旧市街の入り口に向かうViale Ruggeriです。


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観光客がもう少し訪れて良い町と思いますが、この町自体をご存知の方が少ないようです。


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チェントロ・ストーリコに向かいます。城壁が殆ど残されていないので、チェントロ・ストーリコとの境界線が分かりません。


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共和国広場にやってきました。広場から旧市街になります。


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広場の先にサン・フランチェスコ教会があります。


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グアスタッラは、人口14,892人(2020年4月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州レッジョ・エミリア県にあるコムーネです。


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中世の頃、ゴンザーガ家の支配下に置かれましたが、特にルネサンス期にはグアスタッラ公国の首都として繁栄しました。


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パッセローニ通りを進んで、サン・フランチェスコ教会に向かいます。


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サン・フランチェスコ教会のファサードが修復工事中でした。


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マントヴァからレッジョ・エミリアにかけて、2012年から2015年まで断続的に地震に見舞われて、被害を受けた建物が非常に多かったのですが、この教会も大きな被害を受けました。


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現在地に、14世紀に建設されたアゴスティーノ会女子修道院がありました。
1571年、グアスタッラにフランチェスコ会 Padri Fracescani Minoriが訪れると、当時の支配者チェーザレ1世・ゴンザーガ伯爵(グアスタッラ、1530-1575)は、フランチェスコ会修道士たちにその活動拠点としてアゴスティーノ会女子修道院を与えました。
しかし、女子修道院だった建物は手狭だったので、1573年から修道院教会の建設が始められ、1622年に完成しました。


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現在のファサードは、1765年に改造されました。


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左側壁です。
1810年、抑圧令によって修道院と教会は閉鎖され、その後、宗教活動は再開されることなく現在に至ってます。


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右側壁です。
1810年の閉鎖後、たばこ会社に転売され、修道院が所有していた土地でタバコ栽培がおこなわれ、建物はたばこ工場になりました。
1862年、修道院教会の建物は国家所有となり、後に自治体に譲渡され、学校の校舎に転用されました。
1966年、学校は移転し、修道院があった場所に郵便局が建設されることになり、修道院だった建物は破壊されました。教会だった建物は自治体が使用することになりました。


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破壊された修道院の建物のうち、ごく一部が残されてます。


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16世紀に建設された鐘楼
1981年、教会の修復工事が開始されましたが、途中、地震によって被害を受けてしまい、修復工事が完成したのは2019年のことでした。


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単廊式、ルネサンス様式の内部です。


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左側壁


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右側壁の礼拝堂


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後陣天井の装飾


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左側壁第一礼拝堂


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ゴンザーガ家の紋章


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側壁上部の装飾


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スタッコ装飾


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旧教会の建物は展示会場などに使用されてます。


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Piazza del Mille


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広場ではなく、道路ですね。


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この辺は新しい建物が建ち並んでます。


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パスカーネ通りです。


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市の塔に向かいます。


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その前にサン・カルロ教会を見ます。


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フェランテ2世・ゴンザーガ伯爵(グアスタッラ、1563-1630)には、3人の娘がいました。その当時、嫁入りには莫大な持参金が必要でした。そのため、長女は持参金付きで嫁入りさせ、それ以外の娘は修道院で一生を送るのが普通でした。
フェランテ2世は、娘二人をグアスタッラの手元に置きたいと考え、アゴスティーノ会女子修道院の建設を決めました。そうして、1626年にサン・カルロ修道院教会が創建されました。建設工事は、フェランテ2世の息子フェランテ3世・ゴンザーガ伯爵に引き継がれ、1654年に完成しました。


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1810年、抑圧令によって修道院教会は閉鎖されました。


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1898年、修道院だった建物は市民病院に転用され、一部は破壊されました。


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(つづく)

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ほろ酔い気分で町歩きを続けます。


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パリオ当日の観光は、パリオ自体が興味を覚えない時には相当苦労することになります。


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この町の栗は巨大なので、2つ食べただけで食傷気味になります。


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この通りを境に、掲げられている旗が違います。


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殆どの人が旗振り競技に出ているのか、人通りが途絶えた道です。


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一旦、この日のお宿に戻ります。


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酔い覚ましとトイレ休憩が目的です。


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ドゥオーモ、サン・ニコロ・ディ・バーリ教区教会が見えてます。


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この日のお宿に戻りました。(写真再掲)


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お宿の建物の壁に描かれた聖母子


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お宿の壁に描かれたムラーレス


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お宿で一休みしてから、再び出発しました。


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通りの突き当りが旗振り競技が行われている広場です。


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歓声が聞こえてきました。まだ旗振り競技が行われているようです。


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後戻りして、城壁外を見ることにしました。


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インノチェンツォ8世通りです。


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振り返って撮った写真です。


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インノチェンツォ8世通りから下を見ると駅があることが分かりました。


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城壁の見張り塔を民家に改造した建物です。


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写真左上にオルシーニ城があります。


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遠くボルセナ湖が見えてます。


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向かいの山に広がるセルヴァレッラ地区です。


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道を下ります。


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ジャルディーノ通りです。


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マドンナ・デル・ポッジョ教会でしょうか?


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スタツィオーネ通りに入りました。


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鉄道線路を越えます。


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オルシーニ城が見えてます。


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駅に向かう道です。


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左の坂道は、セルヴァレッラ地区に向かう道です。


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聖母子の祠


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スタツィオーネ通りから見たオルシーニ城です。


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駅に来てしまいました。


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後は大体同じです。


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写真を数点アップさせて終わりにしましょう。


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(おわり)

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オルシーニ城を一周しました。


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19世紀、刑務所に転用するため、大幅に改造されました。


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教皇領だった時代が長くて、その間は防御機能面の実用性があまりなかった城でした。


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城からの景観


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時計塔の先端


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城外に出ることにしました。


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人の気配が全く感じられなかったのですが、漸く観光客に巡り合うことが出来ました。


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城外に出ました。


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次はミゼリコルディア教会です。


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ミゼリコルディア教会です。


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11-12世紀に建設されたソリアーノ最古の教会の一つです。ルネサンス期に改造されて現在の姿になりました。


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ルネサンス期に追加された扉です。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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主祭壇画は、ローマの逸名画家によって1880年に制作された「ジョルジョ・ヴァザーリ作『聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首』のコピー画」です。


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ローマの逸名彫刻家作「ロレートの聖母」(18世紀)


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制作者情報不知の「磔刑像」


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カウンターファサード


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カウンターファサードに置かれたオルガンは、ローマのオルガン職人によって1878年に制作されました。


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旗振り競技の会場に戻ることにしました。


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私好みの見所が少なくないので、退屈しません。


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古い建物が嫌いな方には向かないと思います。


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道を下ります。


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この街をご存知の方はそんなに多くないと思いますが、公共交通機関が便利なので、ローマからの日帰り遠足でも十分見ることが出来ると思います。


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裏道を歩きます。


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一歩裏道に入ると栗祭りとは無縁に思えます。


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アーチを潜ります。


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サン・エウティツィオ教会前に出ました。


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焼き栗を作ってます。


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中世の衣装を着た屋台の女性


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Porta del Ponteに戻りました。


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旗振り競技が佳境に入ってました。


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競技が終わると、レストランが満員になりそうだったので、昼食を食べることにしました。


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店内はガラ空きでした。


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食事が終わっても、客が殆どいません。


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お腹一杯です。
(つづく)

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次はオルシーニ城です。


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この町でもムラーレスがあります。


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古い建物との調和を乱すムラーレスは、好きではありません。


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サン・エウティツィオ教会の鐘楼です。


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道を上って城に向かいます。オルシーニ城は町の最高点にあります。


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ロッカ通りを進みます。


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聖母子の祠があります。


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Castello Orsiniにやってきました。


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高い城壁が聳えてます。


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毎週土曜日と日曜日に博物館として一般公開されているオルシーニ城です。


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この日は何故か切符売り場が閉まっていました。どうやら栗祭りのために無料開放されていた?


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ローマの名家ポリカーリ家によって、1000年頃に築かれた小さな城が前身です。


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その廃墟の上に、ジョヴァンニ・ガエターノ・オルシーニ、後の第188代教皇ニコロ3世(ローマ、1216c-ソリアーノ・ネル・チミーノ、1280 教皇在位:1277-1280)によって、1278年(完成)に建設されたオルシーニ城です。


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城の入り口への階段


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城内の階段


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1848年から1989年まで、城は刑務所として使用されてました。


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その後、修復され、2005年から博物館として一般公開されるようになりました。


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しかし、頑丈な鉄扉や独房が目立つ刑務所博物館?の様相が顕著です。


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ポリカーリ家の紋章


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城の最高点にある聖母子


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カルロ・アルバ―ニの門


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カルロ・アルバ―ニの紋章


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中庭


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中庭に面した最初のアーチ部分


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最初のアーチ天井にあるフレスコ画


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アトリウムの柱


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刑務所だった部分です。


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頑丈な鉄扉


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囚人用中庭


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頑丈な鉄扉は刑務所用を思わせます。


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城内の礼拝堂です。


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礼拝堂祭壇画の「聖母子」(16世紀)


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礼拝堂天井の装飾


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独房の入り口


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独房


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刑務所見学のようです。
(つづく)

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時計塔の下の聖母子のフレスコ画


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次は、サン・エウティツィオ教会です。


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303年から305年に、ソリアーノのキリスト教徒は迫害され、多くの殉教者を出しましたが、現在地に殉教者の地下墳墓が造られました。
313年、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令によって、キリスト教が解禁されると、地下墳墓の上に礼拝堂が建設されました。その礼拝堂が現在の教会の前身です。


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その後、礼拝堂は拡大され教会になりました。建物が老朽化したので、15世紀末に再建されました。1716年から1719年にかけて、当時のソリアーニ領主アルバ―ニによって、現在の建物に改造されました。


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オルシーニ城至近の場所にあったので、長らく教区教会でしたが、狭すぎたので新教区教会が必要とされて、新たにサン・二コラ・ディ・バーリ参事会教会が1791年に建設されると、この教会の重要性が薄れました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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碑文


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中世の墓石


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右第一礼拝堂です。


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制作者情報不明の「聖オモボーノと聖クリスピーノ」


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作品帰属不明の「聖母被昇天と聖バルトロメオと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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聖ルチア


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右第二礼拝堂です。


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制作者情報不明の「聖心」


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制作者情報不明の「聖ルチアと聖アントニオ・アバーテとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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右第三礼拝堂です。


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制作者情報不明の「聖コロナティと聖人たち」


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告解室


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Presbiterio


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主祭壇(1861)


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主祭壇画は、ジャック・ピリヤード(フランス、1811-1898)の「聖エウティツィオの殉教」(1861)


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後陣


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左第三礼拝堂です。


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作品帰属不明の「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」


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ステファノ・ポッツィ(ローマ、1699-1768)の「受胎告知」(18世紀)


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左第二礼拝堂です。
祭壇画の「磔刑」の作品帰属が不明です。


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作品帰属不明の「聖エウティツィオ」


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左第一礼拝堂です。
祭壇画「天上の聖ジュゼッペと聖人たち」は、ポーランドの逸名画家によって描かれました。


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制作者情報不明の「聖母の教育」


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磔刑像(17世紀)


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セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「聖母マリア」(18世紀)


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主祭壇前から見た出入口方向


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カウンターファサードにある、1990年に復元された17世紀のオルガン


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教会前の広場です。


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サン・エウティツィオ広場にある噴水です。


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サン・エウティツィオ教会前で焼き栗をやってました。


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教会前の石畳


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裏通りに入りました。


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(つづく)

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引き続きドゥオーモ、サン・二コラ・ディ・バーリ参事会教会です。
主祭壇(18世紀)


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主祭壇前から見た出入口方向


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カウンターファサードにある、ローマのオルガン職人アルドブランド・フェデーレによって1794年に制作されたオルガン


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天井


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告解室


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ローマの逸名彫刻家作「聖心」(18世紀)


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セバスティアーノ・コンカ(ガエータ・1680-ナポリ、1764)の「ロザリオの聖母と聖ドメニコと聖ガエターノ」


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逸名彫刻家作「バーリの聖二コラ」(20世紀中頃)


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左第二礼拝堂です。


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左第二礼拝堂の大理石祭壇(1931)


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フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「聖家族」(18世紀中頃)


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告解室


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幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ


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左第一礼拝堂です。


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左第一礼拝堂の祭壇


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ローマの逸名画家作「聖アントニオ・アバーテとエルミットの聖パオロ」(16世紀)


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逸名彫刻家作「パドヴァの聖アントニオ」(17世紀)


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聖水盤(18世紀)


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栗祭りを見ることにしました。


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Viale Vittorio Emanuele III


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門を見る前に横の通りに行ってみます。


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門の下にアーチがあります。


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アーチを潜ります。


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こちらは栗祭りの会場になっていません。


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元に戻って門に向かいます。


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Porta del Ponteです。


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旧市街の入り口となる門です。


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14世紀、ソリアーノ・ネル・チミーノに城壁が建設されましたが、その際、四つの門が設けられ、その中で最重要の門でした。
1737年、門は拡大改造されました。


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1903年に改修され、現在の外観になりました。
1944年、ドイツ軍の空襲によって破壊されてしまいました。現在の門は、1903年の改修後の姿に1949年に復元されたものです。


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門の前にあるFontana del Ponte


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門の横にある聖エウティツィオ


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聖母子


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アルバ―ニ家の紋章


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門の向こう側


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栗祭りの会場です。


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19世紀に建造されたTorre del Ponte、時計塔です。


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建物の上部だけが19世紀に建造されました。


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時計塔のオルシーニ家の紋章


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時計塔の碑文


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時計投下部のアーチは14世紀に建設されました。


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Borgo di Sopraから見た時計塔です。フレスコ画があります。


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16世紀に描かれた聖母子のフレスコ画
(つづく)

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大急ぎでパリオの予約席に着席しました。この日のお宿で予約していたのです。


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着席した途端、パリオが始まりました。


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この町のパリオは旗振りです。


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ソリアーノ・ネル・チミーノは、栗の名産地として有名で、毎年10月に開催される栗祭りのメイン・イベントがパリオです。栗祭りが最初に行われたのは、15世紀と言われており、それ以来、途切れることなく現在まで続けられてます。
町を4つの地区に分けて、旗振りを競うのです。


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旗振り競技は何を基準にして優劣が決まるのか、見ていてルールが分かりません。


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パリオと言えば、競馬のシエナやアスティ、レガッタのジェノヴァ、馬上槍試合のアレッツォ、ファエンツァなどで見ました。


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指定席に座って見ていても、旗振り競技が面白く思わなかったので、席を移動しました。


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中世の衣装を興味深く拝見しました。


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地元の人は盛り上がっていました。


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一泊すべきではなかった、と後悔の念に駆られました。


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中国人は一人もおらず、東洋人は私だけのようでした。


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地元の人が大部分で、観光客はあまりいなかったと思います。ローマ人には知られていない栗祭り?


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旗振りが面白くなく、ドゥオーモの扉が開いていたので、拝観することに。


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サン・二コラ・ディ・バーリ教区教会です。参事会教会でもあるドゥオーモです。


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建築家ジュリオ・カンポレーゼ(ローマ、1754-1840)の設計、工事監督によって1782年から1791年に建設された新古典様式の教会です。


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18世紀中頃、ソリアーノ・ネル・チミーノの教区教会は、ここから至近にあるサン・エウティツィオ教会でしたが、狭過ぎたので、現在地に教区教会を建設することになりました。
その当時、現在地に2つの小さな教会が隣接して建っていましたが、それらを取り壊して、その上に建設されたのが現教会です。


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人が増えてきました。


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人出を避けて、少し大回りをして教会の入り口に向かいました。


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中に入りました。


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単廊式、ギリシャ十字形、新古典様式の内部です。


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右側壁


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クーポラ


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右側壁の第一礼拝堂から見て行きます。


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逸名画家作「キリストと聖ピエトロと使徒たち」(18世紀)


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逸名画家作「聖母子」(18世紀)


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右側壁第二礼拝堂です。


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ローマの逸名画家作「磔刑」(18世紀)


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逸名彫刻家作「聖母マリア」(20世紀初頭)


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右側壁第三礼拝堂です。


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ローマの逸名画家作「聖家族」(18世紀)


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逸名彫刻家作「悲しみの聖母」


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Presbiterio


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ローマの逸名工芸家作の「主祭壇」(18世紀)


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逸名画家作「聖二コラと聖ピエトロ・テデスキ」(18世紀)


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逸名彫刻家作「聖アントニオ・アバーテ」(15世紀)


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ローマの逸名工芸家作「司祭の椅子」(18世紀)


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洗礼盤(16世紀)


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(つづく)

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前泊地はヴィテルボでした。


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この日の目的地はソリアーノ・ネル・チミーノで、ヴィテルボの東約11キロメートルにあります。
タクシーを利用しても、料金があまりかからずに行けますが、この日のソリアーノはジョストラの開催日だったので、交通渋滞を避けて鉄道で行くことにしました。


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Porta Fiorentinaを潜って城壁外に出ます。


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ヴィテルボの城壁です。


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FS線のヴィテルボ・ポルタ・フィオレンティーナ駅を通り過ぎます。


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Ferrovia Roma Nordのヴィテルボ駅の駅舎です。ソリアーノ・ネル・チミーノに向かう列車は、この駅から発車します。


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ヴィテルボには3つの駅があります。


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ローマ・フラミニオ広場行きの列車です。


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9時50分発です。


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車内は非常に空いてました。


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ソリアーノ・ネル・チミーノ駅に到着した列車がローマに向けて出発したところです。


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駅構内の廃車両?


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駅構内から旧市街が見えます。


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駅舎です。


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チェントロ・ストーリコに向かいます。


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ソリアーノ・ネル・チミーノのチェントロ・ストーリコは丘上にあります。


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ソリアーノ・ネル・チミーノは、人口8,106人(2019年12月31日現在)のラツィオ州ヴィテルボ県にあるコムーネです。


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平均標高510メートルあり、町の低い所にテヴェレ川の支流が流れてます。そのため、夏でも30度を超すことは稀で、ローマ市民の避暑地になってます。


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紀元前3世紀、エトルリア人によって築かれました。


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町の最後部に、この地を支配したオルシーニ家によって建設されたオルシーニ城が建ってます。


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旧市街に行くには、ちょっとした山登りになります。


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パリオの旗が掲げられてます。


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オルシーニ城が聳えてます。


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城壁に囲まれてます。


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城壁から滝が流れ落ちてます。


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下はテヴェレ川の支流になります。


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教区教会です。


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スタツィオーネ通りを進みます。


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町の中心の広場に上る階段です。


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門が見えてます。


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門を潜って先に進むのは大回りになります。


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意を決して大回りを避けて階段で、この日のお宿に向かうことにしました。


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この日のお宿はB&Bと言いたいところですが、朝食がなく素泊まりです。


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階段の下に着きました。


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見上げると高さが実感されて、うんざりです。


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写真では、あまり高そうには見えません。


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写真右はオステリアです。


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更に階段を上って広場に出ます。


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ドゥオーモ広場はパリオの客席になっていました。


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パリオの開始間近です。時間がありません。この日のお宿に大急ぎで向かいました。


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この日のお宿に着きました。実は、到着時は時間がなくて焦っていたので、写真を撮ってません。
(つづく)

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聖ビアージョ?


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カンポサンピエトロのサン・ビアージョ教区教会にありました。


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トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)の「聖オルソラの物語」(1355-58c)のフレスコ画が展示されてます。


116
トレヴィーゾのサンタ・マルゲリータ・デリ・エレミターニ教会です。
「聖オルソラの物語」のフレスコ画は、この教会にありました。


117
現在は、教会活動を停止しています。
トンマーゾ・ダ・モデナは、トレヴィーゾに少なくても10年滞在しました。その間、幾つかの教会でフレスコ画などを制作しました。


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サントルソラ礼拝堂にあったフレスコ画は、11場面に分割されて展示されてますが、その展示は聖オルソラの物語の順番通りになっていません。
「大使に結婚申し入れを渡すイングランド王」
イングランド王は、ブルターニョ王の娘オルソラを息子の嫁に迎えようとして、大使を派遣して、その申し入れ文書をブルターニョ王に渡すように命じます。


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この場面がサントルソラ礼拝堂の何処にあったのかを示してます。


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イングランド王からの文書を読むブルターニョ王


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聖オルソラの船出


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ローマに到着して教皇に歓迎される聖オルソラ


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教皇チアリ―コの夢


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教皇帽を放棄する教皇


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聖オルソラの母との別れ


118


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この人がここから去りません。


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話す、話す、話す


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お手上げです。私が観ているのは当然気が付いてます。それでも立ち止まってます。呆れました。


122
イングランド王の息子、王子の洗礼
聖オルソラと結婚するために異教を放棄してキリスト教の洗礼を受ける王子です。


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栄光の聖オルソラ(写真再掲)


125


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ローマへの巡礼(写真再掲)


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聖オルソラの殉教(写真再掲)


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キオストロ回廊に出ました。


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回廊の壁に描かれたフレスコ画を見ます。


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墓石の展示


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外に出ます。


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絵画部門の展示室が未整備のようで、見ることが出来た作品が相当限定されました。それが残念でした。


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柱廊のフレスコ画を見ます。


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これです。


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非常に充実した市立美術館です。
(おわり)

旧サンタ・カテリーナ教会の続きです。
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磔刑の礼拝堂です。


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サンタ・カテリーナ教会にあった、この教会オリジナルのフレスコ画です。


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トリッティコ(1352)


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トレヴィーゾのサン・パオロ修道院にありました。


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永遠なる父(1525-50c)


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何処にあったのか、は不明のようです。


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磔刑像(14世紀末-15世紀初頭)


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サン・テオニスト教会にありました。


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小作品が展示されてます。


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象牙細工の磔刑像です。


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「聖人たち」(14世紀後半-15世紀初頭)
左端はアレッサンドリアの聖カテリーナです。


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聖ルチア


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詳細不知


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聖アガタ


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天井


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三位一体


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受胎告知


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アレッサンドリアの聖カテリーナ


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14世紀後半のフレスコ画


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騙し絵


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ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370-ローマ、1427)の「聖母子と聖マルゲリータ」(1412)
何処にあったのか、分からないようです。


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聖母子と四聖人
サンタ・カテリーナ教会にあったフレスコ画です。


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磔刑(1450-55c)


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ダーリオ・ダ・トレヴィーゾ(ポルデノーネ?、1420c-コネリアーノ、1498)の作品は、トレヴィーゾのサンタ・マルゲリータ・デリ・エレミターニ教会にありました。


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磔刑


111
天井


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112


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113
詳細不知


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聖ビアージョ


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(つづく)

100
絵画、彫刻部門です。


101
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480c-ロレート、1556/1557)の「ドメニコ会修道士の肖像」


102
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジローラモ」


103
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「キリストの復活」


104
ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1430-1516)の「聖母子」


105
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370-ローマ、1427)の「聖母子と聖マルゲリータ」(1412)
現在は旧サンタ・カテリーナ教会で展示されてます。


106
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「スペロ―ネ・スぺローニの肖像」(1544)


107
フランチェスコ・アイエツ(ヴェネツィア、1791-ミラノ、1882)の「家族の肖像」(1807)


108
ジャンドメニコ・ティエポロ(ヴェネツィア、1727-1804)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」


109
ロザルバ・カッリエーラ(ヴェネツィア、1673-1757)の「女性の肖像」(1720-21c)
ロザルバ・カッリエーラは、パステルによる肖像画を得意にした女流画家です。


110
ロザルバ・カッリエーラ(ヴェネツィア、1673-1757)の「若い女性の肖像」(1720-21)


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旧サンタ・カテリーナ教会の中に入りました。


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旧サンタ・カテリーナ教会の構造図


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「サン・マルコの有翼のライオン」(15世紀)


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「磔刑像」(15世紀初め-中頃)


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旧教会内にあるフレスコ画は、元々サンタ・カテリーナ教会にあったものと、他の教会にあったものを剥離して移設されたものが混在しているので、注意が必要です。


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「受胎告知される聖母」


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詳細不知


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トレヴィーゾにあったサンタ・マルゲリータ・デリ・エレミターニ教会にあったトンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)のフレスコ画「聖オルソラの物語」(1355-58c)が展示の中心です。


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相当イタミがあるフレスコ画です。


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トレヴィーゾのサンタ・マルゲリータ・デリ・エレミターニ教会のサントルソラ礼拝堂にあったフレスコ画です。


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「最後の審判」


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トレヴィーゾのサン・バルトロメオ教会にあったフレスコ画です。


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サンタ・カテリーナ教会のフレスコ画(14世紀)


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柱のフレスコ画(14世紀)はサンタ・カテリーナ教会に元々あったものです。


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ここでも剥離フレスコ画が展示されてますが、サンタ・カテリーナ教会サントルソラ礼拝堂にあったものです。


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トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)の「玉座の聖母子」(1355-57c)


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「栄光の聖オルソラ」


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(つづく)

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引き続き考古学部門の展示です。


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ローマ時代の肖像頭像です。


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有名な皇帝頭像もあります。


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皇帝ネロ


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女神フォルトゥーナ像(2-3世紀)


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女性の頭像(3世紀中頃)


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若きマルクス・アウレリウスの頭像(130-138c)


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男の頭像(2世紀)


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ローマ時代の「ヴィーナス」


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ローマ時代のボウル


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モザイク(2-3世紀)


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モザイク(3世紀)


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モザイク(3世紀)


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モザイク(3世紀)


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モザイク(2世紀中頃)


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ローマ時代の副葬品


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ローマ時代の副葬品


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副葬品(1世紀)


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副葬品(1世紀)


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副葬品(1世紀)


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ローマ時代のガラス製品


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墓碑(1世紀)


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墓石(1世紀)


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墓石(1世紀)


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墓石(1世紀)


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ローマ時代のランプ


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ローマ時代のランプ


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ローマ時代のランプ


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碑文(1世紀)


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ローマ時代のブロンズ製品


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解放奴隷の墓(1世紀)


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ローマ時代のガラス製品


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これで考古学部門を終わります。
(つづく)

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引き続き考古学部門の展示です。


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ローマ時代のモザイク


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(つづく)

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