イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2021年11月

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引き続き二階ロッジャの壁に描かれたフレスコ画です。


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ロッジャから部屋に入りました。ここから博物館としての展示が主になります。


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部屋のフレスコ断片


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他の場所にあった剥離フレスコ画


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次の部屋です。


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(つづく)

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次の部屋区画に入ります。


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この区画の壁にもフレスコ画が描かれてます。


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説明プレートは前の区画と同じです。


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二階ロッジャに戻りました。


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二階ロッジャの壁のフレスコ画を見て回ります。


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(つづく)

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引き続き二階ロッジャのフレスコ画です。


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二階ロッジャからの景観


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部屋の中に入ります。


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部屋の中に入りました。


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部屋の名称


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部屋の壁にフレスコ画があります。


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ホールとしての照明がなされた天井


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講演やコンサート会場として使用されてます。


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室内楽のリハーサル


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フレスコ断片


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シノピエ


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次の部屋です。


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フレスコ画があります。


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部屋の説明とフレスコ画の作品帰属


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(つづく)

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次はスポレートの高地に聳えるアルボルノツィアーノ城塞です。


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教皇庁がアビニョンにあった時代の第199代教皇インノチェンツォ6世(フランス、べサック、1282-アヴィニョン、1362 在位:1352-1362)はその権力と威光が薄れていたイタリア中部の教皇領における軍事力を強化して、それを背景に教会の権威を確立しようとしました。
その命を受けた枢機卿エジーディオ・アルボルノス(スペイン、1310-ヴィテルボ、1362)は教皇領各地に軍事要塞を建設しましたが、スポレートのアルボルノツィアーノ城塞はそのうちの一つです。城塞の名称はエジーディオ・アルボルノスに由来します。
建築家マッテオ・ディ・ジョヴァンネッロ・ガッタポーネ通称マッテオ・ガッタポーニ(グッビオ、1300c-1383)の設計と工事監督によって1363年から1367年に建設された城塞です。堅固な要塞という機能に加えて、迎賓館としての住居が加味された建物です。


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城壁の下の道を進みます。


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城門です。


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城塞の城壁の下を進みます。


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こちらは城壁の門でしょう。


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城塞の門を潜ります。


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城塞の四隅に塔が設けられてます。


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16世紀末には軍事的には城塞は不要となり、その重要性は薄れてしまいました。


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教皇庁から派遣された高位聖職者やスポレートを訪れる貴族たちの宿舎として利用されていましたが、不便な高台にあることから、1764年から使用されなくなって、それらの機能を大司教館が担うことになりました。


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1817年から1982年まで刑務所として使用されました。
その後、修復が行われ、2007年にスポレート公国国立博物館として一般公開されるようになり、現在に至ってます。


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建物前の小広場からの景観が楽しめます。


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博物館に入館します。


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中庭に出ました。


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一階と二階にロッジャがあります。


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ロッジャの壁にフレスコ画があります。


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殆どがフレスコで描かれた紋章です。


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一階のフレスコ画から見て行きました。


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次は二階のロッジャのフレスコ画です。


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(つづく)

134
次はサン・シモーネ教会です。


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正式名称をChiesa dei Santi Simone e Guidaという旧教会は1254年にフランチェスコ会修道士によって建設されました。修道院が併設されました。


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ゴシック様式の建物ですが、ロマネスク様式が垣間見えるゴシックとロマネスクの折衷様式と言うべきでしょう。


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ナポレオンのイタリア侵攻が切迫していた時期、スポレートは教皇庁領でしたが、サン・シモーネの複合施設はナポレオン軍に対抗する教皇庁軍の兵舎として転用されることになり、サンティ・シモーネ・エ・ジュダ修道院教会は1796年に閉鎖されたのです。


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しかし、スポレートの教皇領軍は1798年にフランス軍の敗れてしまい、複合施設はフランス軍の兵舎として使用されることになりました。
フランス軍の撤退後、この複合施設における宗教活動は一度も再開されることなく放置されてしまい荒廃が進みました。
1863年、イタリア王国軍の兵舎として使用されることになりましたが、1890年頃に空き家となりました。
その後、改造修復工事が行われ、1893年から1950年頃まで孤児のための寄宿学校になりました。
1980年頃から修復工事が行われるようになりましたが、工事は中々進捗しませんでした。
現在は自治体の所有物件として展示や室内楽、パーティなどの各種催事場として利用されてます。


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後陣


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催事場として使用される時を除いて扉が開くことはないようです。


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地震に弱そうな内部です。


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三廊式、ゴシック様式の内部です。


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修復されたとはいえ、相当イタミがあり危険に思えます。


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柱は補強されているものの、強い地震でもあれば天井が崩落しそうです。


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フレスコ画が一部残されてます。


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シミにしか見えないフレスコ画の痕跡


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フレスコ画の作品帰属や描かれた年代等の詳細が分からないようです。


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聖スコラスティカ


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聖アンサーノ


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聖母子


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キリストの復活


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聖マルコ


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サンティ・シモーネ教会が面してるカンペッロ広場です。


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一見して危険に思えます。


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教会近くの噴水に向かいます。


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これが噴水です。


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かなり有名な噴水です。


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サン・シモーネ教会の外壁にあるので、サン・シモーネの噴水とも呼ばれてます。


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何時頃造られたのかは不明です。


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1428年と1498年に修復された記録が残されてます。


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現在の噴水は1608年に再造されたものです。


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噴水近くからドゥオーモの鐘楼とファサードが見えます。


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(つづく)

121
コッリコーラ広場です。


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コッリコーラ広場に面して建つPalazzo Collicolaです。


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Palazzo Collicolaはサン・ドメニコ教会の直ぐ傍にあります。


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建築家セバスティアーノ・チブリアーニ(シエナ、1660c-ローマ、1738)の設計によって、名門貴族コッリコーラ家の邸宅として1717年から1730年に建設されたPalazzo Collicolaです。


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19世紀、コッリコーラ家の直系家族が途絶えると、相続した同家の傍流家族によって邸宅にあったインテリア家具、絵画、タペストリなどが売却されてしまいました。
1939年、ウンブリア州が建物を購入し、修復工事後、ウンブリア州立美術館がオープンしました。
現在は、スポレート市が建物を所有して、現代美術館と図書館として使用されてます。


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切符売り場です。


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私が苦手の現代絵画と現代彫刻が展示されてます。


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現代美術館としては非常に評価が高いようです。


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そうは言っても閑古鳥が鳴いてます。


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Palazzoの装飾は見る価値があると思います。


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ロココ的なフレスコ画


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暇潰しに最適です。


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次はサン・ロレンツォ教会です。


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サン・ロレンツォ教会です。催事でもやっていれば中に入ることが出来ますが、駄目でした。


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1138年の記録に存在が記載されているロマネスク様式のサン・ロレンツォ教会です。


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1825年にサン・ドメニコ教会に併合され活動が縮小されました。20世紀初めに閉鎖され、建物はホームレスの避難所として使用されることになりました。
1950年頃にスポレート市の所有となりました。現在はSala Pegasusという名称の映画館、催事場になってます。


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鐘楼


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後陣


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映画館として使用される時の内部。


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礼拝堂、祭壇画、フレスコ画が残されてます。


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18世紀の逸名画家作「聖家族とパドヴァの聖アントニオ」


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フレスコ画の礼拝堂


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逸名画家作「バラの聖母と聖ジョヴァンニ・バッティスタとパドヴァの聖アントニオ」(1592)


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16世紀の逸名画家作「聖ピエトロ・マルティーレ」


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16世紀の逸名画家作「聖マリア・マッダレーナ」


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次はサン・シモーネ教会です。


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アーチを潜ります。


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勘を頼りに歩いていたら、サン・シモーネ教会の場所が分からなくなりました。


127
地図で自分の居場所を調べました。


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小さな映画館がありました。


129
サン・シモーネ教会は活動を停止した旧教会なので、地図に教会名が記載されていなかったのです。


047
Piazza del Mecatoの噴水です。


131
市庁舎に行って、旧教会の場所を聴きました。


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持っていた地図にサン・シモーネ教会がある場所に印をつけてもらいました。


133
すぐに行くことが出来ました。


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旧サン・シモーネ教会は要塞の下にあります。


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1250年から1260年に建設されたサン・シモーネ教会です。


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1698年にパドヴァの聖アントニオの聖遺物(頭蓋骨)を収容することになった由緒正しき教会でした。
(つづく)

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壁の所々に残されたフレスコ画を見ます。


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左側壁のフレスコ画です。


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このフレスコ画の作品帰属が明らかにされてます。


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バルトロメオ・ダ・ミランダ(トーディ、?-スポレート、1449以降没)に帰属する「シエナの聖カテリーナの聖体拝領」(15世紀)


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15世紀の逸名画家作「聖母子」


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15世紀の逸名画家作「ピエタ」


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司教聖人


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15世紀の逸名画家作「聖母子」


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右側壁のフレスコ画です。


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壁龕の聖母子


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司教座の聖トンマーゾ


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聖バルトロメオ


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聖母子(15世紀)


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ピエタ


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聖ステファノと聖ピエトロ・マルティーレ


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三位一体


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聖ピエトロ・マルティーレ


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聖ジョヴァンニ・バッティスタ(左)


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聖母子が多い。


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聖母子と天使たち


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ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ通称ロ・スパーニャ(スペイン、1450c-スポレート、1529c)の「磔刑」


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じっくり見ると時間がかかります。


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名残惜しいが時間が切迫しているので、次に向かいます。


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ファサード前のサン・ドメニコ広場です。


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サン・ドメニコ広場に面して建つ小学校の建物です。


119
(つづく)

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次はクリプタです。


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クリプタはサン・ピエトロ・マルティーレ教会とも言われてます。


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14世紀に描かれたフレスコ画と15世紀に描かれたフレスコ画が残されてます。


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フレスコ画の作品帰属は不明です。


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慈悲の聖母


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玉座の聖母子と二聖人


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祭壇画を見て回ります。


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カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568-ローマ、1640)の「ラファエッロ作『キリストの変容』の複製画」


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こちらがラッファエッロ作の「キリストの変容」です。ローマのヴァティカン美術館にあります。


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ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582-ローマ、1647)の「天上の聖母子と聖アンナと三聖女」(1630c)


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三聖女は、左からシエナの聖カテリーナ、中央がアレッサンドリアの聖カテリーナ、右の十字架を手にしているのはが聖エレーナです。


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フランチェスコ・レフィーニ(スポレート、1615/1620-1692c)の「天上の聖母と聖ジャチントと聖ブリツィオ」


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17世紀の逸名画家作「天上の聖母子と聖人たち」


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ルドヴィーコ・グリッロッティの「ベアート・レオポルド・ダ・ガイケ」(1893)
Ludovico Grillottiという画家は全く知りません。


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マルカントニオ・デル・フォルノに帰属する「キリストの逮捕」
Marcantonio del Fornoという画家も全く知りません。


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ラヴィニア・フォンターナ(ローマ、1552-1614)に帰属する「天上の聖母子と聖ジャチント」(17世紀前半)



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逸名画家作「パオラの聖フランチェスコ」


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タッデオ・コッリコーラの墓(1643)


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カルロ・ニーニの墓(1692)


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サン・ピエトロ・マルティーレ礼拝堂です。
Maestro di Fossaの「磔刑像」


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次はサンタ・マリア・マッダレーナ礼拝堂です。


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フレスコ画で覆われているサンタ・マリア・マッダレーナ礼拝堂です。


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1973年に修復復元が行われた礼拝堂のフレスコ画です。


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Maestro dei Calvari(ウンブリア、14世紀末-15世紀初頭活動)によって15世紀初めに描かれたフレスコ画です。


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フレスコ画のテーマは聖マリア・マッダレーナの生涯です。


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聖マリア・マッダレーナがキリストの妻だった有力説がありますが、それに従って描かれたフレスコ画です。


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我に触れるな


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祝福するキリスト


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場違いに思えますが・・・・・


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(つづく)

099
次はサン・ドメニコ教会です。


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サン・ドメニコ教会のファサード前に門があり、閉まってますが、教会は広場に面して建っているので門が閉まっていても問題ありません。


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サン・ドメニコ広場です。


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元々の名称はサン・ドメニコ教会でしたが、現称のサン・ドメニコ教会は正式名称の略称です。


117
現在の正式名称は、サンティ・ドメニコ・エ・フランチェスコ教会です。そのように呼ばれることになったには訳があります。
創建以来、ドメニコ会の教会でサン・ドメニコ教会と呼ばれていました。
20世紀初めに修復工事が行われることになりましたが、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂で行われた修復を参考にして、Frati Minori(フランチェスコ会)の修道士が主導して修復が行われました。それを機に、この教会を管理する修道士会がFrati Domecani(ドメニコ会)からFrati Monoriに変更されたのです。つまり、フランチェスコ会の教会となり、奉献する聖人がそれまでの聖ドメニコに加えて聖フランチェスコが追加され、二人になったので、教会名が変更されたのです。


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この地にサン・ピエトロ・ディ・フェレンティッロ(ヴァッレのサン・ピエトロ修道院)の修道士によって建設されたサン・サルヴァトーレ修道院教会がありました。
13世紀前半、スポレート定住を希望していたFrati Domenicaniでしたが、1247年、漸くを願いが叶い、定住地としてサン・サルヴァトーレ修道院教会が与えられました。
サン・サルヴァトーレ教会の一部を利用しながら、1248年から1259年に建設されたのが現在の建物の原形です。
修道院は、サン・サルヴァトーレ修道院を増築整備する形で建設され、1288年に完成しました。


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元々はゴシック様式でしたが、外観と内装の一部は17世紀にバロック様式に改造されました。更に20世紀前半、元の姿に戻され現在に至ってます。


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ファサード側の入り口扉です。装飾が殆どなく簡素な造りです。


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ファサードに向かって右側壁にサイドポータルがあります。


100
サイドポータル上ルネッタにフレスコ画があります。


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ペリーノ・チェーザレイ通称ピエリーノ・ダ・ペルージャ別称ペリーノ・ダ・ペルージャ(ペルージャ、1530c-スポレート、1602)の「救世主」(1591)


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ピエリーノ・ダ・ペルージャは、ステファノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1379-1451)の信奉者で模倣者でもありました。


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鐘楼


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鐘楼に時計がついてます。


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地元産の二色の石を使って外壁が造られてます。


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中に入りました。


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1934年にバロック様式から元の姿に戻された内部ですが、その改造工事前に撮られた写真です。この写真によって、バロック様式の礼拝堂があったことが分かります。


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単廊式、ロマネスク・ゴシック折衷様式の内部です。


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木組みの天井は21世紀のものです。
1997年の地震によって大きな被害を受けたので、2000年から2002年に再建されたのです。


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塗り直された白壁が目立ちます。


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後陣のステンドグラス


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カウンターファサード


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カウンターファサードのステンドグラス


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ステンドグラスは、創建時のものではないようです。


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新しいPresbiterio


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オルガンについては詳細不知です。


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聖職者席は20世紀のものです。


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それでも内部の見所は豊富です。


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Presbiterio上の木製磔刑像(14世紀)


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殆どの壁に描かれたフレスコ画は塗り潰されましたが、それでもフレスコ画の宝庫と言えるでしょう。


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13世紀から16世紀に制作されたフレスコ画ですが、制作者は分かってません。


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壁という壁、柱など全面にフレスコ画があったとされてますが、16世紀と17世紀に行われた改造と修復工事の際に殆どが塗り潰されとされてます。


111
断片的にしか残されていません。


113
それでも見る価値は十分にあるフレスコ画です。


114


115


110
祭壇画もあります。
(つづく)

076
次はラルゴ・クレメンティの噴水です。


077
ドゥオーモ通りを下ります。


078
アーチを潜ります。


079
ドゥオーモ通りを更に下れば、旧市街で最古の場所に出ます。


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突き当りがLargo Clementiです。


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Fontana di Largo Clementiです。


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16世紀中頃に造られた噴水ですが、Palazzo Mauriの庭にありました。


p1096
Palazzo Mauriから1894年から1896年に現在地に移設されたのです。


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Palazzo Zacchei Travagliniです。


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Via Filitteriaからの景観


084
ドゥオーモの鐘楼と城塞が見えました。


085
次はサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会です。


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この辺は特に古い建物が多いようです。


087
教会だった建物のようです。調べましたがよく分かりません。


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サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会です。


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11世紀に建設された建物を12世紀に改造してロマネスク様式の教会にしたと言われてます。


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1174年に奉献式が執り行われました。


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側壁に古いフレスコ画が残されてます。


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13世紀から14世紀に制作されたフレスコ画


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現在は閉鎖されており、特別な時を除いては中に入れないようです。
フレスコ画が残されてます。


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ピエルマッテオ・ジーリ(スポレート、1533-?)のフレスコ画
ピエルマッテオは、ヤコポ・シチリアーノ(ジュリアーナ、1490-リエーティ、1544)の模倣者でした。


1107
聖トーマス・ベケットの殉教


p1108
聖ジョヴァンニと聖パオロの殉教


p1109
磔刑


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授乳の聖母


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既に宗教活動を停止した教会でしょうか?


088
次はサン・ニコロ修道院教会です。


093
サン・ニコロ教会です。


p1111
バーリの聖二コラ(トルコ、270c-マイラ、343)の死の直後に、この地に建設されたサン・二コラ・ディ・バーリ礼拝堂(4世紀頃)が前身とされてます。


p1112
1089年に文書にサン・二コラ・ディ・バーリ教会の存在が初めて記録されたそうです。
1264年、教会はサンタゴスティーノ修道士に与えられました。
1304年から修道院と教会が改めて建設されました。


p1113
後陣


p1114
1745年、スポレートはスペインに占領され、修道院はスペイン兵の兵舎に転用されてしまいました。また、1767年の地震によって建物の一部が崩壊してしまいました。18世紀末には抑圧令によって閉鎖となりました。
1823年からは倉庫に転用されましたが、1849年に火災によって消失してしまいました。1873年に修道院は完全に取り壊されました。


094
ファサードの入り口扉上ルネッタにフレスコ画


095
鐘楼が微かに見えます。


096
身廊外壁


097
1960年から修復と再建の工事が行われました。


098
現在、再建された修道院と修復された教会は市の所有となっており、各種文化イベントの会場や文化センターになってます。


089
複合施設のキオストロ


092


090
再建された修道院


091
(つづく)

P1690527
左第四礼拝堂です。


p1083
Cappella di Sant’Antonio di Padovaです。


P1690528
祭壇はジュゼッペ・ヴァラディエ(ローマ、1762-1839)によって制作されました。


P1690529
左第三礼拝堂です。


p1084
Cappella della Presentazioneとも呼ばれてます。


P1690532
アントニオ・カヴァッルッチ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1752-ローマ、1795)の「聖母の神殿奉献」(1790c)


P1690533


P1690534
左第二礼拝堂です。


p1085
Cappella di Sant’Andrea Apostoloとも呼ばれてます。


P1690536
ガエターノ・ガンドルフィ(サン・マッテオ・デッラ・デチーマ、1734-ボローニャ、1802)の作品説がある「聖母子と聖アンドレア・アポストロとパオラの聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニオ」です。


P1690538
ヤコポ・アレッサンドロ・カルヴィ(ボローニャ、1740-1815)の作品説も有力です。


P1690484
左第一礼拝堂です。


p1086


P1690486
詳細不知


p1087
Cappella di Santa Rita da Casciaです。


P1690488
ウンブリアの逸名画家作「聖母子と教皇聖人とベアート・グレゴリオ・ダ・モンテルーコ」(16世紀)


P1690493


p1088
聖水盤(1484)


p1089
Cappella di Sant’Annaです。


p1090
1477年と1590年に描かれたフレスコ画


p1091
非公開で中に入ることが出来ません。


P1690541
床のタイルなどの装飾を見ます。


P1690330


p1092


p1093


p1094


p1095


P1690539
左側廊


P1690540


P1690542
地味な天井


P1690543
右側廊


201


P1690333
リッピの遺作をもう一度見てから外に出ます。


P1690560


064
外に出ました。


065
ドゥオーモの上にある要塞です。


072
階段を上り、道を左方向に進みます。


073


074


075
(つづく)

P1690456
Absidiola Sinistraです。


P1690482
1583年から1632年に造られたCappella del Santissimo Sacramentoです。


P1690459
フランチェスコ・ジョヴァンネッリ・ダ・ヴォルテッラ作と言われている祭壇


P1690461
ピエトロ・ラブルッツィ(ローマ、1739-1805)とリボリオ・チョチェッティ(フォリーニョ、1739-ローマ、1816)による「父なる神」と「受胎告知」


P1690462
フレスコ画とスタッコで装飾された天井


P1690483
天井のフレスコ画は、フランチェスコ・レフィーニ(スポレート、1615/1620-1692)によって制作されました。


p1077
ジョヴァンニ・ダ・フォリーニョによって再作されたスタッコ彫刻


P1690473
キリストの受難のシンボルと手にした天使像がありますが、私には制作者が分かりません。


P1690474


P1690475


P1690464
6点の祭壇画があります。


P1690466
ピエトロ・ラブルッツィとリボリオ・チョチェッティによって描かれたと思うのですが、私には作品帰属の情報がありません。


P1690468


P1690472


P1690477


P1690481


p1078
左側廊第六礼拝堂です。


P1690495
Cappella delle Reliqueと呼ばれてます。


P1690518
磔刑像があります。


P1690516
詳細不知の磔刑像


p1079
聖フランチェスコがレオーネ兄弟に宛てて書いた自筆の手紙です。


P1690519
その説明書き


P1690496
ジョヴァンニ・アンドレア・ディ・セル・モスカートとダミアーノ・ディ・マリオットによって1548年から1554年に制作さされた木工キャビネット


P1690497
預言者たちと女預言者たちは、フランチェスコ・ナルディーニ(16世紀中頃活動)によって1553年から1554年に制作されました。


p1080


p1081
Cappella delle Relique天井のフレスコ画は、フランチェスコ・ナルディーニの「聖母の物語」(1553-60)です。


P1690500
聖母の神殿奉献


P1690503
ご訪問


P1690505
預言者たち


P1690506
聖母の誕生


P1690499
聖霊降臨


P1690510


P1690511
聖母被昇天


P1690513


P1690514


P1690517


P1690520
左第五礼拝堂です。


p1082
Cappella degli Angeliとも呼ばれてます。ジュゼッペ・ヴァラディエ(ローマ、1762-1839)による祭壇(1792)


P1690525
ピエトロ・ラブルッツィ(ローマ、1739-1805)の「守護天使」(1790c)


P1690526
(つづく)

P1690385
他の礼拝堂を見て行きます。


p1058
右側廊第二礼拝堂です。


P1690388
ドメニコ・コルヴィ(ヴィテルボ、1721-ローマ、1803)の「十字架降下」(1792)


P1690390


P1690391
右側廊第三礼拝堂です。


p1059


P1690395
アントニオ・コンチョ―リ(ぺルゴラ、1739-ローマ、1820)の「聖アンドレア・アヴェッリーノの死」(1792)


P1690396
ベルナルディーノ・ノッキ(ルッカ、1741-ローマ、1812)の作品説もあるようです。


P1690398
右側廊第四礼拝堂です。


p1060


P1690399
ジョヴァンニ・アルベルティ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1558-ローマ、1601)の「ご訪問」(1597c)


P1690405


P1690416


P1690417
右側廊第五礼拝堂です。


p1061
ジュゼッペ・ヴァラディエ(ローマ、1762-1839)によって制作された祭壇
この聖堂内の殆どの祭壇がジュゼッペ・ヴァラディエによって制作されました。


P1690420
ピエトロ・ラブルッツィ(ローマ、1739-1805)の「スポレートのベアート・グレゴリオに顕現する天使」(1792)


P1690424


p1062
右側廊第六礼拝堂です。


P1690428
アルベルト・ソティオ(スポレート、1100-1187)の「彩色磔刑像」(1187)
この磔刑像については既に紹介しました。


P1690430
右翼廊の礼拝堂です。


p1063
Cappella della Madonna della Manna d’Oroです。


P1690546
フィリッポ・リッピの墓があります。


P1690432
アンニーバレ・カッラッチ(ボローニャ、1560-ローマ、1609)の「黄金のマナの聖母と聖フランチェスコと聖ドロテア」(1599)


p1064


p1074
アンブロージョ・バロッチの「ジョヴァン・フランチェスコ・オルシーニの葬儀記念碑」(1499-1500)


p1066
ジョヴァン・フランチェスコ・オルシーニの葬儀記念碑


P1690435
Absidiola Destra


P1690436
Cappella della Santissima Iconaです。


P1690437
ジョヴァンニ・バッティスタ・モーラ(コルドレリオ、1585-ローマ、1665)によって制作された祭壇


p1065
聖母のイコン(11-12世紀)


p1067
アレッサンドロ・アルガルディ(ボローニャ、1598-ローマ、1654)の「ダヴィデ」


p1068
アレッサンドロ・アルガルディ(ボローニャ、1598-ローマ、1654)の「ソロモン」


p1069
天井の装飾


p1070
天井のフレスコ画(制作者不知)


p1071
アレッサンドロ・アルガルディ(ボローニャ、1598-ローマ、1654)の「アンドレア・マウリの胸像」


P1690438


p1073
ベルニーニの作品があります。


p1072
ジャンロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1680)の「教皇ウルバーノ8世の胸像」(1640-44)


p1075
オルガン


p1076
(つづく)

P1690354
次はCappella dell’Assuntaです。


P1690352


185
壁の殆どがフレスコ画で装飾されてます。


P1690356
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノ(ジュリアーナ、1490-リエーティ、1554)の「昇天した聖母を見上げるフランチェスコ・エローリ司教」(1500-50c)
フランチェスコ・エローリ(ナルニ、15世紀後半-スポレート、1540)は1500年から1540年の40年間、スポレート司教を務めました。


P1690357
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノ(ジュリアーナ、1490-リエーティ、1554)の磔刑(1550-50c)


P1690359
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノ(ジュリアーナ、1490-リエーティ、1554)の聖人たち(1500-50c)


P1690361
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノ(ジュリアーナ、1490-リエーティ、1554)の聖人たち(1500-50c)


186
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノ(ジュリアーナ、1490-リエーティ、1554)の聖ジローラモ(1500-50c)


P1690372
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


P1690373
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


P1690375
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


P1690378
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


P1690381
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


P1690382
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


P1690383
ジャコモ・サントロ別称ヤコポ・シチリアーノのフレスコ画


187
Cappella dell’Assuntaの天井です。


P1690363
Cappella dell’Assunta天井フレスコ画は、ジョヴァンニ・ダ・スポレート(スポレートで1516年活動記録)とトンマーゾ・ダルカンジェロ・ベルナベイ通称パパチェッロ(コルトーナ、1505-1559)によって16世紀前半に制作されました。


P1690364
場面毎の作品帰属が不明です。


p1046


p1047


p1048


p1049
次はCappella Eroliです。


P1690341
ピントゥリッキオのフレスコ画で有名なCappella Eroliです。


P1690334
ピントゥリッキオ(ペルージャ、1454-シエナ、1513)によって1497年に制作されたフレスコ画です。


188


P1690346
父なる神


P1690347
聖母子と二聖人


p1050
聖母子


p1051
聖ジョヴァンニ・バッティスタ


p1052
聖ステファノ


p1053


p1054


P1690349
祭壇に描かれたピエタのキリスト


P1690350


P1690342
天井のフレスコ画もピントゥリッキオによって描かれましたが、殆ど落剝してます。


p1056
勝利


p1055


P1690343


p1057
フランチェスコ・エローリ司教(ナルニ、15世紀後半-スポレート、1540)の紋章


P1690544
(つづく)

222
次はドゥオーモです。


057
ドゥオーモ広場に向かって階段を下ります。


P1690555
ドゥオーモのファサードに向かって左側にサンテウフェミア聖堂の後陣があります。


059
スポレートのドゥオーモです。スポレート₌ノルチャ大司教区のサンタ・マリア・アッスンタ大司教座教会です。


061
スポレート大聖堂については、既に書いたので、ご興味のある方はそちらをご参照願います。


062
写真左の建物は大司教館です。


068
大司教館のクーポラ


063
この場所に存在していた最初の教会については、殆ど明らかになっていないようです。


066
二番目の教会は、1067年に建設されたサン・プリミアーノ司教座教会でした。
12世紀、スポレートはフェデリック・バルバロッサ(1122-1190)軍の攻撃と略奪によって荒廃してしまいましたが、その際、サン・プリミアーノ司教座教会も荒らされてしまい、継続使用が困難となってしまいました。
1151年に創建され、1227年に一応の完成を見た建物が現在の原形です。1198年に奉献式が執り行われ、活動が開始されましたが、それを機に教会名称が現称に変更されました。


069
13世紀に建設された鐘楼です。


p1032
鐘楼の下部はローマ時代の遺跡と中世初期の教会の建物の一部から成ってます。


183
ファサードは13世紀に建設されましたが、その後、改造と修復を経て現在の姿になってます。


067
ファサードのモザイクとバラ窓


p1033
Maestro Solsternoの「祈るキリストと聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタのモザイク」(1209)
Solsternoの名前と制作年がモザイクに書かれてます。


p1034
ファサードの彫刻


p1035


p1036


p1039
説教壇


p1040
ピエタのキリスト


070
ファサード下に柱廊が設けられてます。


071
アントニオ・バロッチ(ミラノ、1471から活動-1520没)の設計によって15世紀に追加された柱廊です。


p1037
入口扉横のライオン像


p1038


184
聖堂内に入りました。


189
多くの見所があって目移りしてしまいます。


203
フィリッポ・リッピに敬意を表して、彼の墓から見て行きます。


P1690551
右翼廊にある、フィリッポ・リッピ(フィレンツェ、1406c-スポレート、1469)の墓


P1690552
スポレート大聖堂後陣のフレスコ画の注文を受けたフィリッポ・リッピは、妻子、弟子とともに1467年にスポレートに移り住み、制作に励んでいましたが、その途中で没しました。


p1041
リッピの死因ですが、毒殺説が有力です。


204
Presbiterio


p1042
フィリッポ・リッピの遺作となった後陣のフレスコ画です。


P1690332
未完成でフィリッポ・リッピが没してしまいましたが、その後、弟子と息子によって完成したのです。


200
フレスコ画のテーマは聖母の物語です。


p1043
受胎告知


p1044
聖母戴冠


P1690455


P1690442
聖母の死


P1690452
ご誕生


P1690425
アルベルト・ソティオ(スポレート、1100-1187)の「彩色磔刑像」(1187)


p1045
(つづく)

P1680840
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419c-1492)の作品です。


P1680841


P1680907
セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の作品


P1680908


P1680920
アレッサンドロ・アルガルディ(ボローニャ、1598-1654)の「聖フィリッポ・ネリの胸像」(1650c)


P1680921


P1680922
ジャンロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1680)の「教皇ウルバーノ8世の胸像」(1640-44)


P1680923


P1680924
フランチェスコ・トレヴィサーニ(スロベニア、1656-ローマ、1746)の帰属作品


P1680926


P1680927
大司教館の礼拝堂です。


P1680936


P1680928
礼拝堂の天井


214
次はサンテウフェミア聖堂です。


215
三廊式、ロマネスク様式の内部です。


p1018
新しく見えるのは、1907年に復元されたからでしょう。


p1019
天井


216
左側廊


218
主祭壇


p1020
主祭壇に置かれるものが、訪れる毎に異なるのは何故でしょうか。この磔刑像も前の写真の磔刑像と違うものです。
美術館なので、その辺に全く拘りがないようです。
実はオリジナルの主祭壇画が存在していて、この美術館の展示室で展示されてます。それを主祭壇に置くのが自然と思います。


P1680776
バルトロメオ・ダ・ミランダ(トーディ、1437から記録-1449以降没)のトリッティコが主祭壇を飾っていました。


p1021
「聖母の死」が置かれている時もありました。


p1022
詳細不知の「聖母の死」


p1023
後陣のフレスコ画


p1024
逸名画家作「聖エウフェミア」(16世紀初頭)
後陣は1558年までフレスコ画で覆われていたそうです。


p1025
フレスコ画が僅かに残されてます。


p1026


217
この時は聖堂内に置かれていました。


219


220


p1027
展示作品、作品の展示場所が変わるので要注意です。


p1028
創建時の祭壇


p1029
1907年に復元された柱頭


p1030
1907年に復元された柱


p1031
2015年頃に修復工事が行われていたので、変わっているかも知れません。


P1680975
修復工事中(2015年頃)


213
外に出ました。


212
フィリッピーノ・リッピ、ベルニーニ、アンドレア・ダ・カルダローラなどの作品が秀逸です。


221
サンテウフェミア聖堂はメイン扉から入りたかった。


211
大司教館を後にしました。


210


209
(つづく)

P1680643
写真左の建物は大司教館です。


P1680638
壁にフレスコ画がある建物が大司教館です。


P1680640
サンテウフェミア聖堂はここから入ります。


P1680641
大司教館の一部と旧ベネデット会修道院だった建物の一部、それにサンテウフェミア聖堂だった建物に教区美術館が置かれてます。


P1680642


P1680647
大司教館の入り口です。


P1680648
入口上部の外壁に描かれたフレスコ画


P1680649
アーチの天井に描かれたフレスコ画


056
アーチを潜ってベネデット会修道院の中庭に出ます。


052
サンテウフェミア聖堂です。


055
確実な記録が残されておらず、建設された時期が不明とされてます。
スポレート公国があった10世紀以前に存在していたとの記録が残されてます。8世紀から9世紀頃には既に存在していたとする有力説があります。


p1014
10世紀に修道院が併設されました。12世紀にサンテウフェミア聖堂は新たに建設された大司教館に囲まれました。


p1015
サンテウフェミア聖堂は大きな建物でしたが、ドゥオーモの建設(1151年から1227年)に伴い、規模が縮小され、当初の半分ほどの大きさにされてしまいました。


058
サンテウフェミア聖堂の後陣です。


P1690300
後陣は、ドゥオーモに下る階段の左手にあります。


P1680635
ドゥオーモに下る階段です。


p1016
サンテウフェミア聖堂の後陣は、当初、ドゥオーモに下る階段の右の方にあったようです。


p1017
既に活動を停止した旧教会となってます。


054
修道院回廊


053
教区美術館の入り口です。


P1680659
入館しました。
教区美術館に付いては既に紹介しました。ご興味のある方はそちらをご参照願います。


P1680664
天井のフレスコ画です。


P1680729


P1680734


P1680723


P1680728


P1680717


P1680722


P1680778
バルトロメオ・ダ・ミランダ(トーディ、1437から記録-1449以降没)の帰属作品


P1680789


P1680806
次の部屋です。


P1680808
天井のフレスコ画


P1680810
ドメニコ・ベッカフーミ(モンテアペルティ、1486-シエナ、1551)の作品


P1680813


P1680814
ジョヴァンニ・アンドレア・デ・マジストリス別称アンドレア・デ・カルダローラ(カルダローラ、1510?-1573以降没)の作品です。


P1680820


P1680824
ほぼ同時代の同姓同名の画家ジョヴァンニ・アンドレア・デ・マジストリス(コモ、1460-1532)がいるのをご存知でしょうか。
技量は圧倒的にカルダローラ生まれの方が上であり、有名ですが、紛らわしいので困ります。美術本でも時々混同している記述を散見します。


P1680835
フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457-フィレンツェ、1504)の作品


P1680836


P1680834
(つづく)

043
Piazza Mercatoにやってきました。


p1001
この広場は、ローマ時代の交易と商業の中心地だったフォロ広場があった場所です。


045
広場に面して古い建物が建ち並んでます。


P1690055
建物の壁に描かれたフレスコ画


P1690056


044
正面の建物は1600年頃に建設されたもので、現在は分譲アパートになってます。


047
Fontana di Piazza del Mercatoです。


p1002
一見教会のように見えますが、それは当然で、サン・ドナート教会のファサードです。
ロマネスク様式のサン・ドナート教会は、16世紀後半に荒廃してしまい放棄されました。


p1003
13世紀に、サン・ドナート教会の前に噴水があったことが知られてます。
1626年、カルロ・マデルノ(カポラーゴ、1,556-ローマ、1,629)の設計によって、放棄されたサン・ドナート教会ファサード前にFontanaが設けられました。


p1004
1746年、カルロ・マデルノ設計の噴水が取り壊され、コンスタンティーノ・フィアスケッティの設計によって、改めて噴水が造られることになりました。


p1005
そうして、1746年から1748年に造られた三代目のFontanaが現在のものです。


p1006
サン・ドナート教会ニッチのフレスコ画が僅かに残されてます。


P1690050
これが残されたフレスコ画です。


046
Fontana横の建物に日時計があります。


P1690067


P1690057


P1690027
次は市庁舎です。


P1690031
市庁舎はローマ時代の邸宅の上に建設されてます。


048
市庁舎の最古の部分は塔です。13世紀に建設された塔です。


050
日時計があります。


P1690036
日時計が比較的多い街です。


049
現代ものに弱い私ですが、イタリアでは大人気です。


p1007
ニーノ・フランキーノ(パルマノーヴァ、1912-ローマ、1987)の「スポレート’62」の彫刻


P1690046
市庁舎の装飾


p1008


P1690048


P1690038
市庁舎に絵画館 Pinacotecaがあります。
絵画館は写真不可だったので私の写真がありませんが、外部サイトから作品画像を拝借して掲載します。


p1009
グエルチーノ工房作「アルフォンゾ・パレット―ニの肖像」(1623)


p1010
パオロ・アントニオ・バルビエリ(チェント、1603-ボローニャ、1649)の「アルフォンゾ・パレット―ニ?」(1637c)
パオロ・アントニオ・バルビエリはグエルチーノの弟です。


p1011
ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ通称ロ・スパーニャ(スペイン、1470/1480-スポレート、1528)の「聖母子と聖人たち」(1514-16c)


P1690039


P1690043
ローマ時代の邸宅の上に市庁舎の建物が建ってますが、そのローマ時代の邸宅が発掘されて一般公開されてます。


P1690024
これがあるので簡単に見つかります。


P1690023
この時は無料でしたが、今はどうでしょうか?


P1690022
中に入ります。


p1012
市庁舎の下にローマ時代の邸宅があることは予め分かっていたようですが、それを気にせずに遺跡を埋め立て建物を建設したそうです。


P1690002
20世紀に発掘調査が行われました。


P1690007
発掘は土地所有者の義務であり、その費用を負担しないといけないので、知らん顔を決め込む土地所有者がいるようです。


P1690011
モザイクがある床が多いと思います。


p1013


P1690019
邸宅遺跡からの発掘物


P1690014
(つづく)

P1690160
次はクリプタです。


P1690123
通常のクリプタと異なり、下部教会と言うべき存在です。


P1690125
前述のように、11世紀から12世紀に建設されたサンティザッコ教会がクリプタになってます。


p1028
採光が良いクリプタです。


P1690127
三廊式、ロマネスク様式の内部です。


p1029
聖イザッコの石棺があります。


P1690151
聖イザッコの石棺です。


P1690155
しかし、これは本物ではなく複製です。


P1680243
これが本物の聖イザッコの石棺です。


P1680245
本物は国立スポレート公国博物館で展示されてます。


P1680244
モンテルーポのサン・ジュリアーノ教会にありました。


P1690141
クリプタの見所は古いフレスコ画でしょう。


P1690142
フレスコ画はローマ派画家の影響を受けた地元の逸名画家によって11世紀から12世紀に制作されたとされてます。


P1690146
最後の晩餐


P1690149
複数の画家によって制作されたのは明らかですが、親方とその工房の弟子たち、或いは協力者と、または複数の画家によって制作時期が異なるか等の詳しいことは不明です。


P1690156


P1690137


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P1690131


P1690130


p1030


p1031


p1032


p1033


p1034
スポレートの歴史が分かるクリプタでした。


P1690161
本堂に戻りました。


P1690163
左側壁


P1690162
右側壁


P1690164
天井


P1690165
外に出ました。


040
教会の横に門があります。


041
Arco di Druso e Germanico


042
紀元23年に設けられた門です。


p1035
フラミニア街道の出入口でした。


p1036
高さはもう少し高かったとされてます。


p1038



p1039
教会とArcoに間にローマ時代の寺院の遺跡が発掘されました。


p1037


p1040
(つづく)

027
リベルタ広場です。


p1016
Palazzo Ancajani


028
リベルタ広場に面して建っているPalazzo Ancaianiです。


p1017
13世紀にスポレートに移住してきた高貴なアンカイアーノ家が17世紀後半に建設した建物です。


030
現在は中世初期研究のためのイタリアセンターが置かれてます。


029
フレスコ画で装飾されている部屋があるらしいが、非公開です。


031
Porta di Monteroneに向かいます。


032
Piazza Fontanaです。


p1018
広場の名称は、この噴水に由来します。


p1019
Fontana dei Maccabeiは、別の場所にありましたが、1800年にこの広場に移設されました。


P1690167
1800年、広場の名称も変更されたのです。


P1690166
暑い日ではありませんでしたが、物凄い薄着で歩いている人がいました。


P1690168


P1690078
門が見えてきました。


033
Porta di Monteroneです。


034
紀元前241年に築かれた城壁の門です。


p1020
ローマに通じる道路の門だったので、行き来する人が沢山いたそうです。


p1021
元々の門の高さは3メートルでしたが、現在の高さは2.1メートルだそうです。


P1690083
数度の改修を経てます。


P1690084
非常に古い、Porta di Monterone横のアーチです。


P1690085
Porta di Monteroneの直ぐ傍に教会があります。


035
サンタンサーノ教会です。


P1690086
坂に建設されてます。


037
かなり古い教会とされていましたが、建設された時期の具体的な記録がなかったので不明とされてきました。


p1022
教会に隣接する場所にローマ時代の遺跡があることは昔から知られていましたが、資金不足のため、発掘調査が進みませんでした。漸く1955年になって本格的な発掘調査が行われた結果、この教会の歴史が全て明らかになったのです。


p1023
ファサードに向かって左下に発掘された遺跡があります。


p1024
紀元1世紀に建設された異教の寺院だった遺跡です。
6世紀前半、寺院を初期キリスト教会に改造されましたが、それが前身です。


p1025
11世紀から12世紀にかけて、初期キリスト教会が取り壊され、その上にサンティザッコ教会が建設されました。
16世紀にサンティザッコ教会をクリプタにして、その上に新築されたのがサンティ・アンサーノ・エ・イザッコ教会です。その後、奉献する聖人としてパドヴァの聖アントニオが加えられ、教会名がサンティ・アンサーノ・エ・アントニオ教会に変更され、聖イザッコに捧げるクリプタになりました。
現在の新古典様式の建物は、ミラノの建築家アントニオ・ドッティの設計によって、18世紀末に建設された三代目となるものです。


p1026
ファサードに浮彫があります。


036
アントニオ・チンベッリ(スポレート、1865-1927)によって制作された浮彫(20世紀前半)


038
中に入りました。


p1027
美術的には、この礼拝堂の剥離フレスコが最大の見所と言ってよいでしょう。


039
ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ通称ロ・スパーニャ(スペイン、1470/1480-スポレート、1528)の「聖母子」


P1690121


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主祭壇


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主祭壇画は、アルチータ・リッチ(ウルビーノ、1560-1635)の「聖アンサーノの殉教」


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アルカンジェロ・アクゥイリーニ(イエージ、1562-スポレート、1611)の「ピエタ」


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ウンブリアの逸名画家作「聖ロレンツォの殉教」(17世紀)


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ピエトロ・ガリアーティ(ローマ、1809-フラスカティ、1890)の「無原罪の御宿リ」


P1690122
次はクリプタです。
(つづく)

スポレートは、人口37,948人(2020年5月31日現在)のウンブリア州ペルージャ県にあるコムーネです。
古代に築かれた古い町ですが、さらに570年、ロンゴバルド人によって建国され、1198年まで続いたスポレート公国の首都だったことから見所豊富です。
001
前泊地はアンコーナでした。列車でスポレートに向かいました。


P2680078
車中は空いてました。


007
ほぼ定時にスポレートに到着しました。


006
駅名だけを記した表示です。


027
スポレート駅の駅舎


008
徒歩で、この日のお宿に向かいました。


024
この日のお宿です。お気に入りのホテルです。


009
大きな荷物をホテルに預かって貰い、身軽になって外出しました。旧市街の中心までエスカレーターで上るのが簡単ですが、この日は徒歩にしました。


010
Via Porta Fugaを進みます。


p1003
Porta Fugaです。


011
紀元前3世紀には存在していた門です。現在の門は12世紀末に再建されたものです。


012
門の上に碑文があります。
紀元前217年、ハンニバルに率いられたカルタゴ軍が門を破壊して町に侵入しようとした時、門の上から高温に熱された油をカルタゴ兵士に投じて、町を防いだことが碑文に記されてます。


014
門を潜りました。


013
門の近くに塔があります。


p1001
高さ45.5メートルの油の塔 Torre dell'Olioです。


p1002
1155年の記録に、その存在が記されているそうです。現在の塔は、13世紀に再建されたものです。
塔は民有で非公開となってます。


p1004
15世紀から16世紀に建設されたPalazzo Vigiliです。


015
広場に出ました。


016
Piazza Torre dell’Olioです。


017
広場から塔が見えます。


p1005
Torre dell’Olioは現存する塔では、町で最も高い塔です。


018
狭い道を通ります。


019
狭い道に面している店。



020
劇場です。


p1006
1854年から1864年に建設されたTeatro Nuova Gian Carlo Menottiです。


021
この日の公演はなし。


022
ジュストロ通りです。


023
通りのアーチを潜ると街角の聖母子がありました。


024
ローマ時代の遺跡です。


025
ローマ劇場を中心に国立考古学博物館となってます。


p1013
サンタガタ教会です。


P1690277
サンタガタ修道院だった建物が国立考古学博物館になってます。


p1010
サンタガタ教会の隣に博物館の入り口があります。


p1007
入館しました。


p1008
ローマ劇場


p1009
国立考古学博物館については既に紹介済です。


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考古学博物館としての定番展示物です。


p1011
サンタガタ修道院だった建物にあるフレスコ画ですが、その詳細が分かりません。


p1014


p1015


026
(つづく)

106
サン・ベネデット教会からサンタゴスティーノ教会の鐘楼が見えました。


109
次はサン・ドメニコ教会です。


110
サンタゴスティーノ教会前を通り過ぎます。


111
同じ通りを通っては詰まらないので、違った道を通ります。


112
そうは言っても狭い旧市街なので、見慣れた家並みばかりになります。


113
旧市街の中心の広場を経由しないと城壁外のサン・ドメニコ教会には行けません。


114
トンネルの階段を上ります。


116
骨董品の青空市が賑わっていました。


115
骨董品の品定めに忙しい飼い主に置いて行かれて寂しそうなワンちゃん。


117


072
サン・ドメニコ教会にやってきました。


501
1230年、城壁外のこの場所にドメニコ会修道士によって小さな修道院と教会が建設されました。1258年の文書に、サン・ドメニコ修道院と教会の存在が初めて記載されました。


p1001
しかし、14世紀後半になると手狭になったので大きな建物の必要性が高まります。小さな修道院と教会に隣接する土地の取得が出来たので、14世紀末に再建工事が着工し、1438年に完成しました。その時の後期ゴシック様式とルネサンス様式折衷の建物が現在の教会の原形となってます。
1557年に改造されて現在の姿になりました。


499
1797年、ナポレオンの抑圧令によってサン・ドメニコ修道院教会は閉鎖されてしまいました。1817年、修道院だった建物は破壊され、その土地は公園となりました。
教会の方は、1822年に活動が再開されて現在に至ってます。


p002
鐘楼


p1003


500
入口扉上ルネッタのフレスコ画ですが、2012年頃までは微かに識別できました。
ベアート・アンジェリコによる「聖母子と聖ドメニコと聖ピエトロ・マルティーレ」のフレスコ画がありました。
この時は、完全に塗り潰されていたのですが、このフレスコ画のシノピエが残されており、それを基に復元される予定です。(現在は復元されたフレスコ画がルネッタ上にある?ようです。この2年間、行ったことがないので本情報の真贋については分かりません。)


P2170156
これがベアート・アンジェリコのシノピエです。


P2170157
コルトーナの教区美術館にあります。


073
教会の中に入りました。


535
サン・ドメニコ教会は今も昔も美術品の宝庫です。


556
主祭壇画です。


P2170230
ロレンツォ・ディ・ニッコロ・ディ・マルティーノ(フィレンツェ、1373?-1412)の「聖母戴冠のポリッティコ」


p1004
サン・ドメニコ教会の主祭壇画は、当初、ベアート・アンジェリコに発注されましたが、制作に取り掛かる前にローマに旅立ってしまいました。
ロレンツォ・ディ・ニッコロ・ディ・マルティーノのこの多翼祭壇画はフィレンツェの教会のために15世紀初頭に制作されましたが、ベアート・アンジェリコの主祭壇画の代わりとして、1440年、フィレンツェの支配者だったコジモ・イル・ヴェッキオが寄贈したのです。


531
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445-1523)の「聖母子と聖人たち」(1515)


P2170234
後陣左の礼拝堂にあります。


533
ピエトロ・コロンバーティ(18世紀中頃消息)の「天上の聖母子」


P2170242


551
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549-1628)の「聖母被昇天」


P2170246


537
バッチョ・ボネッティ(フィレンツェ、1557-コルトーナ、1645)の「嘆き」


P2170286


539
バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-アレッツォ、1502)の「聖ロッコ」(1470-80c)


543
アンドレア・コッモディ(フィレンツェ、1560-1638)の「論争するアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1603)


P2170278


548
ドメニコ・クレスティ通称イル・パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559-フィレンツェ、1638)の「割礼」


545
バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-アレッツォ、1502)の「聖アゴスティーノ」


562
外に出ました。
この後、ぐうたらして午後を過ごしました。


P2170535
出発の朝を迎えました。


P2170538
タクシーで駅に向かいました。駅前からのコルトーナです。


P2170539
次の目的地アレッツォに向かいました。


P2170540
(コルトーナ再び、おわり)

488
動き過ぎて疲れました。


p1067
疲れを感じていたので、要塞が閉まっていたのは幸いでした。


p1068
要塞から降りて、サンタ・マルゲリータ聖堂を通り過ぎました。


489
それでもサン・ドメニコ教会だけはどうしても拝観したいと考えていました。


490
サン・フランチェスコ教会横を進みます。


491
ジュゼッペ・マッフェイ通りです。


492
柱廊はこの街では寧ろ珍しいと思います。


493
この日の夕食を食べることになるレストランです。


494
レプッブリカ広場に戻ってきました。


495
日帰り観光客が去ったようで、人出が落ち着いていました。


496
雨が降り始めました。


497
雨は大したことがないと思っていたら、強烈な稲光と轟音!


498
直ぐに大粒の雨が降ってきました。


563
ホテルに戻ることにしました。
この日はこれで終わりです。


001
翌朝です。


002
ホテルの朝食会場となっている部屋からの景観です。


003
前日の雷雨は、午後9時過ぎに上がりました。


004
この日の予定は、サン・ドメニコ教会など、未だ訪れていない教会と教区美術館にもう一度入館することです。


005
ゆっくりと朝食を楽しんでから外に出ました。


089
コルトーナで二泊する中日なので、のんびりと過ごしました。


091
観光地であるコルトーナの朝は遅いのです。


092
市庁舎の階段から見たグエルファ通り方向です。


093
ルカ・シニョレッリも見たであろう建物群です。


094
何もせずに市庁舎の階段に腰を下ろして広場を眺めていました。


095
シニョレッリ広場です。


096
カザーリ宮の紋章を眺めました。


098
この日は、骨董品などの青空市が開市されていました。


097
次はサン・フィリッポ・ネリ教会です。


099
フィリッポ・ネリ教会はローマ通りに面してますが、目立たないのでうっかりすると通り過ぎてしまいます。


p1069
サン・フィリッポ・ネリ教会です。教会の両隣と後ろにも建物があって、非常に限られた狭い場所にあることから、ファサードと後陣がありません。


p1070
1677年から1738年に建設されたバロック様式のサン・フィリッポ・ネリ教会です。
美術的な見所は3点の祭壇画でしょう。


p1071
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタ(ヴェネツィア、1682-1754)の「天上の聖母子と聖人たち」(1739-43)


p1072
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660-1731)の「キリストの神殿奉献」


p1073
アントニオ・タッデイ通称イル・バッレリーノの「聖フィリッポ・ネリの幻視」(1675)


100
次はサン・ベネデット教会です。


101
サン・ベネデット教会は目立たない路地にあるので、道を迷いそうでしたが、微かな記憶を頼りに道を進むと教会がある路地に着きました。


102
丸い建物がサン・ベネデット教会です。


103
15世紀に建設されましたが、18世紀初頭に教会の土地が削減されることになり、1722年に楕円形で再建されました。


105
美術的な見所は殆どないと思います。


104
珍しく扉が開いていました。


107
中に入りましたが、美術的な見所が乏しいことが再確認できました。


108
(つづく)

480
道を下ります。


481
サン・マルコ教会に出ました。非常にユニークな構造をした教会ですが、全体像をとらえた写真を撮るのが困難です。


486
この場所には巡礼者のための病院がありましたが、1580年に病院を管理していたCompagnia della Santissima Trinita dei Laiciによって建設された教会です。


485
単純な構造をした普通の小さな教会に見えます。


483
実は2つの教会が重なった構造をしており、こちらは上部教会となってます。


018
サンタ・マルゲリータ通りに面している下部教会のファサードです。


019
下部教会ファサードのモザイクは、ジーノ・セヴェリーニ(コルトーナ、1883-パリ、1966)によって1961年に制作された「聖マルコ」です。


484
16世紀末の鐘楼


482
かっては素晴らしい作品が後陣を飾っていましたが、今は美術的な見所が乏しいサン・マルコ教会です。


p1057
主祭壇画はアドリアナオ・ザバレッリの「聖母被昇天」ですが、この画家のことは全く知りません。


P2170029
コルトーナのMuseo Diocesanoで展示されているピエトロ・ロレンツェッティの彩色磔刑像は、この教会の後陣を飾っていたのです。


P2170031


487
下のサンタ・マルゲリータ通りに向かいます。


070
サンタ・マルゲリータ通りを進んでサンタ・マルゲリータ聖堂に向かいます。


071
サンタ・マルゲリータ通りからの景観


068


067
サンタ・マルゲリータ聖堂が見えてきました。


064
サンタ・マルゲリータ聖堂です。


063
この場所には、11世紀に建設されたロマネスク様式のサン・バジリオ教会がありましたが、故郷を追放されたコルトーナの聖マルゲリータ(ラヴィアーノ、1247-コルトーナ、1297)は、1278年にサン・バジリオ教会近くに病院を建設して、貧しい人々の看護介護に当たりました。
1297年、聖マルゲリータが没すると、彼女の遺体を祀る新たな教会を建設することになり、古いサン・バジリオ教会を取り壊し、その上に建設することになりました、そうして1301年に創建され、1304年に完成したのがサンタ・マルゲリータ教会です。


029
最初の建物が荒廃したので、19世紀に再建されました。現在の建物は二代目のものです。
1927年、Basilica Minoreに格付けされました。


052
聖堂内に入りました。


033
三廊式、ラテン十字形、ネオ・ゴシック様式の内部です。


032


058
Presbiterio


054
オルガンが鳴り響いていました。


p1058
ガーノ・ディ・ファツィオ(シエナ、1290-1318活動記録)の「聖マルゲリータの墓」(1310-20c)


035
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ通称ヤコポ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551-1640)の「聖母被昇天と聖ジョヴァンニ・バッティスタとアルカラの聖ディエゴと聖キアーラ」(1610)


p1059
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリは、エンポリ出身と思われますが、フィレンツェ生まれです。ヤコポの父がエンポリ生まれなのです。


038
ピエトロ・ジャンノッティの「嬰児虐殺」(1636)


p1060
ピエトロ・ジャンノッティという画家については全く知りません。


041
オズヴァルド・ビニャーミ(ローディ、1856-チヴァーテ、1936)の「コルトーナを守護する聖マルゲリータ」(1917-20)


p1061


043
礼拝堂天井


044
フランチェスコ・ヴァンニ(シエナ、1563-1610)の「無原罪の聖母と四聖人」(1602)


p1062


047
フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1535-1612)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」(1612)


p1063


p1064
ヴィンチェンツォ・パチェッティ(カステル・ボロネーゼ、1746-ローマ、1820)の「コルトーナの聖マルゲリータ」(1781)


059
歴史ある聖堂ですが、古い作品がありません。


p1065
外に出て、サンタ・マルゲリータ聖堂の上にあるメディチ要塞に向かいます。


p1066
メディチ要塞です。
(つづく)

443
サン・ニッコロ教会周辺の修道院に行きます。


444
写真右にサンタ・キアーラ教会が写ってます。


456
サンタ・キアーラ教会です。


459
教会と修道院が建っている場所は城壁外に当たり、ローマ時代に建設された古い建物があって、中世の頃まで羊毛工場や製粉所として使用されていたそうです。ローマ時代の古い建物近くに市営墓地がありました。


453
1470年、コルトーナ市当局は、アッシジのクレア(1193/1194-1253)の女子修道会に、現在の修道院教会が建っている場所を与えました。直ぐに修道院教会の建設計画が持ち上がりましたが、資金難のため、中々具体化しませんでした。修道女たちは近くの建物に寝起きして活動していました。


458
しかし、16世紀前半に建設計画が具体化して、1555年、ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の設計、建築家ルカ・ベッレッティーニの工事監督によって創建され1581年に完成しました。
1581年、修道女全員が修道院に移住しました。


p1056
現在でも活動を行っている女子修道院です。


P2170483
教会の中には入れますが、修道院の方は一般公開されていないようです。


454
教会の入り口


445
中に入りました。


P2170487
詳細不知の磔刑と聖フランチェスコと聖キアーラ


P2170489
主祭壇


P2170492
主祭壇画は、17世紀のトスカーナ派逸名画家作「聖母子と聖フランチェスコと聖キアーラ」


447
ピエトロ・ダ・コルトーナの作品です。


P2170494
ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596-ローマ、1669)の「十字架降下とアリマテアのジュゼッペとニコデモ」(1625c)


p1054


P2170495
アンドレア・コッモディ(フィレンツェ、1560-1638)の「無原罪の御宿リ」(1609)


455
外に出ました。


457
修道院には行けないようになっていました。


P2170501


P2170502
塀の向こうが修道院の建物です。


P2170499
ピエトロ・ダ・コルトーナの作品が必見のサンタ・キアーラ教会です。


460
この辺は古い建物ばかりが建ち並んでます。


461
道を下ります。


462
次はサンティッシマ・トリニタ女子修道院です。


463
14世紀前半に建設されたサンタ・カテリーナ女子修道院が前身らしいです。


464
15世紀にシトー女子修道会の所有となりました。
礼拝堂、修道院、教会、病院として、1545年に増築拡大されました。


476
現在での女子修道士が活動している修道院ですが、一部の建物は観光客向けの宿泊設備に転用されてます。


468
扉が開いていたので拝観します。


469
中に入りました。


475
美術作品が数点ありますが、それらの詳細が分かりません。


471
聖母被昇天


473


472


465
外に出ました。


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教会横の道路からの景観


467


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城壁沿いの道を下ります。


479
(つづく)

405
サン・フランチェスコ教会から更に上に上ります。


406
坂道を何度も上り下りするので、コルトーナ観光は疲れます。


407
旧市街はかなり広いので、起伏に富む道路を徒歩で歩き回らねばなりません。


408
この辺では通りの名称が変わってベッレッティーニ通りとなります。


409
この辺ではサン・マルコ通りに変わっているもしれません。


410
コルトーナでは地図を必要としていない私です。


411
丘の頂上近くにある公園を目指します。


413
ドン・アントニオ・メンカンニ公園に出ました。


412
寄り道をしないでサン・ニッコロ教会に向かいます。


414
公園横のサン・トゥッチェ通りを進みます。サン・トゥッチェ通りにサン・ニッコロ教会があります。


415
サン・ニッコロ教会の主祭壇画はルカ・シニョレッリの作品です。


416
サン・ニッコロ教会の門が開いていたので、ホッとしました。


442
現在は、拝観有料のMuseo扱いになってますが、この当時は扉が開いていることが少ない教会でした。


417
1440年に建設されたサン・ニッコロ教会です。


418
ファサード前の庭とファサードに向かって右側は墓地になっていたそうです。


419
ファサード左横の柱廊は15世紀のものです。


437
碑文があります。


420
1930年に復元された柱廊玄関です。


438
創建時の鐘楼が残されてます。


441
宗教活動を停止した旧教会です。


421
中に入りました。
荒廃したので、17世紀から18世紀にかけてバロック様式で再建された内部です。


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主祭壇に向かいます。


429
主祭壇画は、ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1445c-1523)によって1510年頃に制作されたものです。
実は、表裏両面に描かれてます。


426
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1445c-1523)の「嘆き」(1510c)
この当時は裏面が見えないようになっていました。


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現在は作品が前に開く装置が付けられ両面が見えるようになってます。


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p1049


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裏面に描かれた、ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1445c-1523)の「玉座の聖母子と聖ピエトロと聖パオロ」(1510c)


p1050


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詳細不知


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詳細不知


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1768年に制作された格子天井


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ルカ・シニョレッリ工房によって制作されたフレスコ画が残されてます。


p1052


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カウンターファサード


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外に出ました。


439
(つづく)

383
ピエトロ・ベッレッティーニ通称ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596-ローマ、1669)の「受胎告知」(1669)


P2170400
フレスコ断片


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トスカーナの逸名画家によるフレスコ断片(14世紀)


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このフレスコがある壁下の床をあちこち見回します。


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これがあるので、シニョレッリの墓がある筈と思うのですが、見つかりません。


P2170399
トスカーナの逸名画家によるフレスコ断片(14世紀)


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トスカーナの逸名画家による「司教聖人」(1390-1410c)


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トスカーナの逸名画家による「聖母子と聖レオナルドと聖ミケーレ」(1390c)


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P2170368


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660-1731)の「聖ルチアの殉教」


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P2170378


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ヤコポ・ディ・ミーノ・デル・ペッリチャイオ別称ジャコモ・ディ・ミーノ(シエナ、1315/1319-1396以降没)の「聖母戴冠」(14世紀)


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P2170388
次の礼拝堂です。


394
ラッファエッロ・ヴァンニ(シエナ、1587-1657)の「ご誕生」(17世紀)


P2170390
ラッファエッロ・ヴァンニはピエトロ・ダ・コルトーナの追随者でした。


P2170392


P2170341
コルトーナ最初の司教ラニエーリ・ウンベルティーニの墓です。


P2170342
アンジェロ・ディ・ピエトロとフランチェスコ・ディ・ピエトロによって1360年に造られた墓です。


p1041


p1042


p1043


p1044


P2170408
残念ながら今回もルカ・シニョレッリの墓が見つからなかった。


346
外に出ました。


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坂を上り、更に道を下って城壁に出ます。


p1045
モンタニア門です。


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この辺は雑木林になってます。


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サンタ・マルゲリータ門です。


p1048
サンタ・マルゲリータ門近くは高い城壁になってます。


404
(つづく)

349
中に入ったらツアーのご一行様の拝観中でした。ガイドさんが長々と説明しているので、外に出て暫し時間潰し。


337
しかし、外では次のご一行様が待機中でした。中のグループと入れ替わりで拝観するようです。


339
回りが静かになったようなので、中に入ることにしました。


350
再び中に入ったら、誰もおらず、私一人でゆっくりと拝観出来ました。
観光客に人気の教会とは言えませんが、この日だけは例外だったようです。


351
フランチェスコ会特有の構造と造りの内部です。17世紀に大掛かりな改修を経て、バロック様式の色濃い内部となってます。


P2170331
Presbiterio
美術作品を見て回ります。


353
ニッコロ・モンティ・ディ・ピストイア(ピストイア、1781-コルトーナ、1864)の「スルタンの前の聖フランチェスコ」(1842)


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355
オラツィオ・フィダーニ(フィレンツェ、1606-1656)の「アウレア門での聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅」(1645)


357


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358
アンドレア・コッモディ(フィレンツェ、1560-1638)の「無原罪の御宿リと聖人たち」(1609)


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361
ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ、1559-ローマ、1613)の「パドヴァの聖アントニオとの壁の奇跡」(1597)


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365
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「天上の聖母子とバーリの聖二コラと聖フランチェスコとコルトーナの聖マルゲリータ」(1625)


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逸名画家作「聖母子」(14世紀)


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ブオナミーコ・ブッファルマコ通称ブオナミーコ・ディ・マルティーノ(フィレンツェ、1290c-1340c)の帰属作品説も有力です。


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p1031


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チーロ・フェッリ(ローマ、1634-1689)の「天上の聖母と聖ルイージと聖ルドヴィーコとコルトーナの聖マルゲリータとコルトーナのベアート・グイド」(1657)


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


379
「磔刑と聖フランチェスコ」と、「聖マルゲリータ」の制作者が異なります。


380


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ジュゼッペ・ピアモンティーニ(フィレンツェ、1664-1742)の「磔刑と聖フランチェスコ」
フランチェスコ・ファッブルッチ(1687-1767)の「聖マルゲリータ」


p1032
磔刑されたキリスト


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聖フランチェスコ


p1033
聖マルゲリータ


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p1036
聖水盤


P2170350
詳細不知
(つづく)

308
ドゥオーモ広場下の城壁に向かいました。


p1025
コロニア門です。


p1024
城壁の下は見どころがありません。


310
ドゥオーモ広場に戻りました。


309
ドゥオーモの鐘楼が見えました。


311
ドゥオーモ広場にある、ジュゼッペ・ポンピリオ・ティチャーティ(フィレンツェ、1706-1777)の「聖マルゲリータの記念碑」(1749)です。
聖マルコと並んでコルトーナの共同守護聖人である聖マルゲリータ・ダ・コルトーナ(ラヴィアーノ、1247-コルトーナ、1297)が、1728年に当時の教皇、第245代教皇ベネデット13世(在位:1724-1730)によって列聖されたのを記念して、コルトーナ市当局がティチャーティに注文して、1749年に作品が完成してコルトーナに運ばれました。
現在のドゥオーモ広場に置かれるようになったのは、1776年から出現在に至ってます。


314
Via Vagnottiを通らずにシニョレッリ広場に向かいました。


315
Vicolo della Carcelliを通りました。


316
シニョレッリ広場に戻りました。


317
写真左奥の建物は市庁舎です。
シニョレッリ広場の青空市が終わって、綺麗に掃除されていました。


319
カザーリ宮の前もいつも通りになりました。


318
青空市の撤去完了は午後2時くらいのようです。


320
シニョレッリ劇場です。


323
公演では一度も入ったことがありません。


321


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324
サン・フランチェスコ教会に向かいます。


325
振り返って撮った写真です。


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328
サン・フランチェスコ教会はシニョレッリ広場よりも高い丘にあります。


329
坂を上ります。


330
坂を上り下りしなければならないコルトーナは、老人には居住するのが困難でしょうか?


331


332
ジュゼッペ・マッフェイ通りです。


333
サン・フランチェスコ教会が見えてきました。


334
サン・フランチェスコ教会です。


336
教会と修道院が建っている場所は、ローマ時代に造成された広いテラスでした。
1245年、アッシジから訪れた修道士Frate Elia da Cortona(アッシジ、1178-コルトーナ、1253)に対して、コルトーナ市当局から広いテラスだった土地が与えられました。修道院と教会が1246年に創建され、1254年に一応の完成を見て非公式の献堂式が行われました。


340
私にとって、サン・フランチェスコ教会が重要な場所です。


p1026
ルカ・シニョレッリの胸像があります。


p1027
1523年10月16日にコルトーナで死去したルカ・シニョレッリはサン・フランチェスコ教会に葬られました。
そのことを示す碑文があります。


341
修道院だった建物と庭です。


342
鐘楼


p1030
かって修道院には柱廊があって、柱廊の床にシニョレッリの墓があったようなのです。


343
シニョレッリの墓の痕跡でも、と思い丁寧に見て回ります。


344
今回も見つかりませんでした。


345
教会の方に戻ります。


p1028
建物は数度改造されたので、墓がなくなったようです。


347
サン・フランチェスコ教会の入り口です。


p1029
入口扉の彫刻
(つづく)

P2160992
サッセッタ(コルトーナ?、14世紀末-シエナ、1450c?)の「聖母子と四聖人」(1434)


P2160999


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ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417-1491)の「聖フランチェスコとシエナの聖ベルナルディーノとパドヴァの聖アントニオ」(1450-60)


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ベアート・アンジェリコの作品が目立ちます。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知」(1434-36)


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裾絵


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ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280c-1348)の「彩色磔刑像」(1320-30)


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」(1438)


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裾絵


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P2170067
ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280c-1348)の「カルヴァリオへの上り」(1340-48)


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ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280c-1348)の「聖母子」(1320-30)


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ジェズ教会の下部教会の一部です。


307
フレスコ画が残されてます。


P2170119


P2170121


p1023
外に出る前のもう一度主要作品を見ました。


p1022


278
外に出ました。


267
ドゥオーモ広場は高い城壁の上にあるので、広場から見下ろします。


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271
(つづく)

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