イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2021年12月

引き続きピエンツァのドゥオーモです。
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サーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406-1481)の「聖母子と四聖人とピエタのキリスト」(1460-62)


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四聖人は、左から聖マリア・マッダレーナ、聖フィリッポ、聖ジャコモ、聖アンナです。


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マッテオ・ディ・ジョヴァンニ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1430-シエナ、1495)の「聖母子と聖人たち」


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良い作品が残っているドゥオーモでした。


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外に出ました。
今回は掲載する写真が少ないですが、キリが良いのでドゥオーモ編を終わりにします。


付け足し:写真が少なかったので、被写体を当てるクイズをします。
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幾つお分かりになられましたか?

お付き合いいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
どうぞよいお年をお迎えください。
(つづく)

076
ピオ2世広場です。


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石畳の広場ですが、この時は花壇になっていました。


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ピオ2世広場に面して建つピエンツァのドゥオーモです。


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Concattedrale di Santa Maria Assuntaです。


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ピエンツァの前身コルシニャーノ出身の第210代教皇ピオ2世(コルシニャーノ、1405-アンコーナ、1464 教皇在位1458-1464)は、教皇に選出されると生まれ故郷のコルシニャーノに自分の思い通りの町を造らせようとしました。
フィレンツェから建築家ベルナルド・ロッセリーニ(セッティニャーノ、1409-フィレンツェ、1464)が招聘され、ピエンツァと言う町が出来たのです。
新しい町ピエンツァの象徴たる建物がルネサンス様式のドゥオーモで、ベルナルド・ロッセリーニの設計によって1459年に創建され、1462年に完成しました。
1462年に奉献式が執り行われましたが、その際、ピオ2世の命令によってピエンツァは独立した司教区となり、司教座教会となりました。当時のピエンツァの人口や規模からはピエンツァ司教区の成立は有り得ない状態でした。
1975年の司教区再編によって、ピエンツァはモンテプルチャーノ₌キウージ₌ピエンツァ司教区に合区され、新司教座はモンテプルチャーノのドゥオーモに置かれるようになりました。それに伴い、ピエンツァ大聖堂は、CattedraleからConcattedraleに格下げされました。


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ピオ2世の紋章


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ゴシック様式の後陣


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鐘楼


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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観光客が多い聖堂内です。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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右側廊方向


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交差ヴォールト


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左側廊


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右側廊からの眺め


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見所の紹介板


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ジョヴァンニ・ディ・パオロ(シエナ、1403-1482)の「サンタントニオの祭壇画」(1463)


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「玉座の聖母子と四聖人とピエタ」


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四聖人は、左からシエナの聖ベルナルディーノ、聖アントニオ・アバーテ、聖フランチェスコ、聖サビーナです。


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制作者情報不知の「ピオ2世像」


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オルガン


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15世紀のトスカーナの逸名画家の作品です。


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ロレンツォ・ディ・ピエトロ通称ヴェッキエッタ(カスティリオーネ・ドルチャ、1412-シエナ、1480)の「聖母被昇天と聖人たち」(1460-62)


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(つづく)

ピエンツァは、人口2,058人(2019年12月31日現在)のトスカーナ州シエナ県にあるコムーネです。
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前泊地はモンテプルチャーノでした。


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モンテプルチャーノのバスターミナルです。


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シエナ行きのバスでピエンツァに向かいました。


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モンテプルチャーノからバスで20分ほどでピエンツァに到着しました。


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ムレッロ門のフレスコ画を見ます。


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この日は晴れたり曇ったりの観光日和でした。


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この日のお宿に向かいます。


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サン・フランチェスコ教会を目指します。この日のお宿はサン・フランチェスコ修道院だった建物です。


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ムレッロ門を潜りました。


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小さなピエンツァを貫く、目抜き通りのCorso Rossellinoです。


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サン・フランチェスコ教会です。教会の拝観は後回しにして、ホテルに行きます。


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ここから中に入りました。


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サン・フランチェスコ教会修道院のキオストロです。


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15世紀に建設されたサン・フランチェスコ修道院です。


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キオストロ回廊のルネッタにクリストファノ・ディ・ビンドゥッチョ(シエナとピエンツァ、1360-1409消息)とクリストファノの工房によって描かれたフレスコ画があったそうですが、全て塗り潰されて残ってません。


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1980年、サン・フランチェスコ修道院だった建物は、民間に管理委託され、ホテルとレストランが開業しました。


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現在は、客室が37室の四つ星ホテルになってます。


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身軽になって外出しました。


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先ずは隣接するサン・フランチェスコ教会です。


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13世紀に創建され、14世紀に完成しました。


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ピエンツァの前身コルシニャーノの旧市街は、現在のピエンツァから500メートルほど離れた場所にありました。サン・フランチェスコ教会は、ピエンツァの城壁内に残るコルシニャーノ時代に存在した唯一の教会です。


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鐘楼


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中に入りました。


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単廊式の簡素な造りの建物です。


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美術的な見所はフレスコ画でしょう。


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側壁のフレスコ画は、シエナ派画家のビンドゥッチョ・マラバルバによって14世紀に制作されました。


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ビンドゥッチョ・マラバルバの「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(14世紀)


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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Presbiterioです。
セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ(シエナ、1280-1331)の「磔刑像」


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後陣のフレスコ画


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後陣のフレスコ画は、クリストファノ・ディ・ビンドゥッチョ(シエナとピエンツァ、1360-1409消息)と弟子のメオ・ディ・ペロ別称メオ・ディ・ピエトロ(シエナ、1356-1407活動記録)によって制作されました。


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後陣のフレスコ画のテーマは「聖フランチェスコの生涯の物語」です。


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036
(つづく)

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折角来たからには、村を一周することにしました。小さな村なので、時間がかからないと思いました。


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夏休み中なので、学校の扉が閉まっていました。


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学校の前に小さな噴水がありました。


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教区教会の鐘楼が見えます。


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Strada Provinciale 61を進みました。


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昼休みが終わったようで、人(一人だけでしたが)の姿を見かけました。


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ウンベルト通りです。


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見るべき場所がありません。


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困りました。


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マグノリアの花?


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城にもう一度行く以外になさそうです。


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城の前に出ました。


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ローマ通りです。


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城門です。この門の先に跳ね橋があったそうです。


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帰りの電車まで、未だ90分ほどありました。


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電車は二時間毎にあるのですが、90分プラス2時間の列車を予定していました。最も早い電車に乗る羽目になりましたが、それでも時間があり過ぎです。


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トホホの時間潰しです。


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城内見学が可能と思って来たのですが、ものの見事に当てが外れました。


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来てみて初めて分かる、の典型的な例となりました。


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城門の横にサン・ジャコモ教会があります。


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やることがありません。時間が経つのが遅くて困りました。


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時計が動いていましたが、狂いすぎです。


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駅に向かうことにしました。


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使用人用の城門


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この道の突き当りが駅です。


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時々振り返って写真を撮りました。


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駅に到着しました。


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駅で50分ほど時間潰しをしました。


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列車が漸く到着しました。やれやれ。
(おわり)

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Municipio 村役場です。


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教区教会の斜め前に村役場があります。


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この辺が村の中心地というわけです。


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平日の昼前ですが、人の姿がありません。


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郵便局に訪れる人もいません。


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ブドウと野菜の生産で有名らしいので、恐らく日中は畑に出ているのでしょう。


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村役場は昼休み中のようです。


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開店しているようには見えなかったトラットリアがありました。中に入ると、開店していることが分かりました。客は私一人でした。
こんな状態で、食べて行けるのか、店の方が気になりました。


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結構良い味で、ワインと共に食事を楽しみました。


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気懸かりは昼食だったので、満腹出来て安心しました。


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時計は動いていましたが、一時間で30分遅れるようです。


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老人がたむろして、道を歩くご婦人の品定めがイタリアの定番ですが、その老人がいません。


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Strada Provinciale 60を北方向に進みます。


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ランツァ通りとの分岐点です。


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ランツァ通りです。


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ランツァ通りを少し進むと小川が流れていました。


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小川の先は何もなさそうだったので、分岐点まで引き返します。


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Strada Provinciale 60に戻り、さらに北に進みます。


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振り返って南方向を撮った写真です。


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車さえ走っていなかった。


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人の気配がしません。


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Strada Provinciale 60です。


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この先は何もなさそうです。


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引き返すことにしました。


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次を右折します。


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ジュゼッペ・マッツィーニ通りに入りました。


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ジュゼッペ・マッツィーニ通りには何もなさそうです。


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Strada Provinciale 60に戻りました。


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この村の見所は城だけ?


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この先に村営墓地があるようですが、墓地に行っても面白くない。


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嫌な予感がしてきました。


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この村に来たのは、どうも無駄足だった?


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ローマ通りです。


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相変わらず人気がない村役場です。


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Strada Provinciale 60を南に進みます。


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この家から話し声が聞こえてきました。珍しいことです。


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振り返って撮った写真です。


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(つづく)

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ローマ通りを進みます。


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通りの左に教会があります。


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Castello Sannazzaloの東端前に教会があります。


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14世紀にサンナッツァーロ家によって建設されたサン・ジャコモ教会です。


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城のガイド付きツアーで中に入ることが出来るそうです。


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城の付属教会として建設されたようです。


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後陣と鐘楼


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ファサードのフレスコ画を見ます。


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制作者不知の「聖ジャコモ」


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サン・ジャコモ教会の内部です。


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漸く人の姿を見かけました。


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次は教区教会です。


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鐘楼の時計が動いていましたが、正しい時刻ではありません。


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サン・ピエトロ・アポストロ教区教会です。


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1299年の文書に、この教会の存在が初めて記載されているそうです。
現在、ローマ通りに面した建物は使用されてません。


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1840年から使用されなくなった建物です。


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古い建物の鐘楼が現在でも使用されてます。


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ご婦人がローマ通りに出てきましたが、夫人が歩いてきた道の突き当りに教区教会の新しい建物があります。


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この道を進みます。


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サン・ピエトロ・アポストロ教区教会の新しい建物です。


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ローマ通りに面した古い建物が老朽化したので、古い建物の後陣を取り壊して、1836年から1840年に建設された新しい建物です。


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新しい建物の奉献式が1840年に執り行われたそうです。


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ファサードのフレスコ画は、パオロ・マッジ(サンナッツァーロ・デ・ブルゴンティ、1810-ミラノ、1890)の「聖ピエトロ」です。


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ファサードの扉は通常閉められており、左右の身廊側の扉から中に入ることが出来ます。


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Strada Provinciale 60から見たサン・ピエトロ・アポストロ教区教会です。


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Strada Provinciale 60から見た鐘楼


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Strada Provinciale 60側にある扉


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拝観します。


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中に入りました。


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ギリシャ十字形です。


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右側壁


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後陣と天井のフレスコ画は、ジュリオ・チェーザレ・ムッシによって1959年に描かれました。


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美術的な見所が乏しいようです。


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外に出ました。


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フレスコ画がある古い建物に入ることが出来たら良かったのに、と思いました。


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古い建物は危険で立ち入り禁止なので、仕方がありません。


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教区教会の前に戻りました。


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(つづく)

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この日、アレッサンドリアに泊まっていました。


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アレッサンドリア駅から鉄道でジャローレへの日帰り遠足です。


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アレッサンドリア駅は鉄道の要衝で、国際列車が発着します。


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ジャローレは、アレッサンドリアとカザーレ・モンフェッラートのほぼ中間にあります。


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車内は非常に空いていて、ほぼ貸し切り状態でした。


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ジャローレ駅に到着しました。乗降客は私一人でした。


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ジャローレ駅の駅舎です。勿論、無人駅です。


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駅前広場です。車は一台もなく、自転車が二台あるだけ。


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駅前広場から見た駅舎です。


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集落の方に歩きます。


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二匹の兎が私前の通り過ぎて行きました。慌ててカメラを取り出し、二匹を撮ろうしたら、既に一匹は畑の中に消えていました。


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こちらの兎は逃げる気は全くなくて、のんびりしていました。


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草むらから、微かな音がしたので、目を向けると1メートルくらいの蛇が畑に消えようとしていました。イタリアには猛毒の蛇がいるので、田舎を歩く時には注意が必要です。


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トウモロコシ畑です。聞こえるのは鳥の鳴き声だけで、長閑なものでした。


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通りの突き当りに城があります。
アレッサンドリアは、交通の要衝で、軍事都市でもあったので、第二次世界大戦で徹底的に爆撃されました。ムッソリーニ時代は米英軍から、イタリアが連合国側につくとドイツ軍から爆撃を受けたのです。
アレッサンドリアは、第二次世界大戦後に復興した街なので、見所に欠けます。アレッサンドリアに代わる宿泊先を探していたら、ジャローレの古城ホテルが面白そうに思えました。


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トウモロコシ畑の先に教区教会の鐘楼が見えます。


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古城ホテルは何故か予約できなかったので、ジャローレに来てみたという訳です。
実は、この時、古城ホテルは休業中だったのです。6月だったので、休業とは全く予想外でした。


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ジャローレは、人口68人(2019年12月31日現在)のピエモンテ州アレッサンドリア県にあるコムーネです。


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写真左の建物はサン・ロッコ祈祷所です。


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グリエルモ・マルコーニ通りですが、歩くのは後回し。


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カヴール通りを進みます。


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車は通らず、人の姿もありません。


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Starada Provinciale 61


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聞こえるのは鳥のさえずりだけ、人の気配がありません。


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城壁が僅かに残されてます。


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城に近付いてきました。


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Castello Sannazzaloです。


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10世紀頃から、ジャローレとその周囲は、サンナッツァーロ家の所有地でした。
神聖ローマ皇帝でイタリア王でもあったフェデリーコ・バルバロッサ(ヴァイブリンゲン、1122c-差レフ、1190)は、1163年、居城していたパヴィアで、サンナッツァーロ家の四人の騎士に対して、同家が所有する土地のどの場所にも城の建設を許可する”Diploma”を与えました。


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その認可状に基いて、12世紀から13世紀に建設されたのがCastello Sannazzaloです。
13世紀末と14世紀初めの各種文書に、この城の存在が記録されているそうです。


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現在でも城の一部にサンナッツァーロ家の人々が居住しているそうです。


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建物は、1854年から1857年にネオゴシック様式で大改造・修復復元されました。


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現在、城はホテルになってます。


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城はピエモンテ州の古城公開プログラムの対象になってます。


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公開は、毎週日曜日午前中のガイド付きツアー(この当時は)で行われていました。


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この時は平日だったので、ガイド付きツアーはありません。


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宿泊できれば良かったのに、残念です。


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車があったので、城の中に誰かいたのでしょう。


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城の前のローマ通りです。


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ローマ通りを進みました。


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人の姿よりも早く猫を見かけました。
(つづく)

234
ドゥオーモの横にあるサヴォイア広場です。


236
次はサン・フランチェスコの柱廊横にあるサン・フィリッポ教会です。


237
サン・フィリッポ教会です。


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1313年創建ですが、1628年に再建されることになり、ミケーレ・ブーティの設計によって1646年から1649年に再建されました。


238
しかし、1741年の地震によって大きな被害を受けたので、ピエトロ・マリア・ローニの設計によって現在の建物が建設されました。


250
ファサード上部の煉瓦造りの荒々しい部分は14世紀の創建時のものですが、下部は18世紀に建設されました。


p1366
何処となくちぐはぐした感じがするファサードは、上部と下部が建設された時期が異なることから来ています。


239
中に入りました。


246
単廊式、バロック様式の内部です。


247
翼廊がありません。


248
装飾が乏しい天井です。


245
祭壇画を見て回ります。


243
主祭壇画は、セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「聖フィリッポ・ネリ」(1762)


244
後陣のフレスコ画は、地元の画家ジュゼッペ・マラテスタ(ファブリアーノ、1650-1719)によって制作されました。


240
ジョヴァンニ・バッティスタ・ロレーティ(ファーノ、1686-ファブリアーノ、1760)の「天上の聖家族と聖フィリッポ・ネリ」


241
ジョヴァンニ・マルケージ(ファブリアーノ、1699-1771)の「聖ジュゼッペの死」


242
セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「法悦の聖マリア・マッダレーナ」


249
外に出ます。


251
サン・フィリッポ教会の横にロッジャがあります。


252
ここについては、既に書きました。


253
ロッジャにもう一度入りました。


254
ロッジャから見たコムーネ広場です。


255
市庁舎の時計塔


256
次はサン・ニコロ教会です。


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サン・ニコロ教会です。


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12世紀にベネデット会によって建設されました。現在の建物は1630年に再建された二代目のものです。


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次はサンタゴスティーノ教会です。


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迷いそうになりましたが、見覚えがあるアーチが見えてきたので安心しました。


259
アーチの先にサンタゴスティーノ教会があります。


260
自分の現在地が確認できたので、寄り道しました。


261
道を間違えそうになったので、慌てて教会に行くことにしました。


262
サンタゴスティーノ教会です。


264
扉が閉まっていました。


265
美術館になっているので、開館していると思ったのですが、残念でした。


266
仕方がないので外観だけ見ました。


267
この時間は、教会は閉まってます。


268
教会が開く夕方まで、特にやることがありません。


269
サン・ドメニコ教会に行ってみることにしました。


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サン・ドメニコ教会です。


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ホテルに戻って昼寝をすることにしました。
この辺でファブリアーノ編を終わりにしましょう。


270
(おわり)

131
城壁近くの道を進みます。


132
次はサンタ・マルゲリータ修道院です。


133
サンタ・マルゲリータ修道院は城壁(修道院近くの城壁は取り壊されて現存しません)近くにあります。


134
サンタ・マルゲリータ修道院が写ってます。


135
サンタ・マルゲリータ修道院です。


136
ベネデット会女子修道士のために、1408年に建設された尼僧のためのサンタ・マルゲリータ修道院です。


137
道路に面した建物は、15世紀初頭に建設されたものを17世紀に改造され、現在の姿になりました。


138
修道院の敷地内に入ります。


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修道院の敷地内です。


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広い敷地です。


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今でも尼僧が生活しています。


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教会の方に進みます。


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サンタ・マルゲリータ教会は一般公開されていないようです。


p1343
教会の内部


p1348
聖職者席


p1341
キオストロ


p1342


139
外に出ました。


140
写真左は、サンタ・マリア・デル・ブオン・ジェズ病院だった建物です。


141
アーチの先を右折します。


218
次はサン・ベネデット教会です。


219
教会が見えてきました。


222
サン・ベネデット教会です。


223
1244年、ファブリアーノ市政庁からベネデット会修道士の聖シルヴェストロ・グゥッツォリーニ(ネージモ、1177-ファブリアーノ、1267)に対して、現在、教会が建っている場所が与えられました。


p1349
与えられた土地に、聖シルヴェストロ・グゥッツォリーニによって小さな礼拝堂の建設が開始されました。聖シルヴェストロ・グゥッツォリーニ死後の1287年、奉献式が執り行われ、サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ礼拝堂と命名されました。


220
1290年に修道院が建設されましたが、それに伴い礼拝堂は拡張され、サン・ベネデット教会となりました。
1323年、教区教会になりました。


221
最初の建物が荒廃したので、1590年に再建工事が始まり、1605年に完成し、同年、奉献式が行われました。この二代目の建物が現在の姿です。


p1350
キオストロ


p1339
修道院だった建物は、1861年から学校に改造され、現在に至ってます。


p1351
美術的な見所は、オラツィオ・ジェンティレスキの作品でしょう。


p1352
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563-ロンドン、1639)の「聖ベネデット」


p1353
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563-ロンドン、1639)の「聖カルロ・ボッロメオ」


p1354


p1356
主祭壇


p1355
華美な装飾


p1357
バロック様式です。


p1358


p1359


224
教会の前に古い建物があります。(詳細不知)


229
(つづく)

204
タペストリが展示されている部屋です。


205
13点の作品が展示されてます。


p1309
約半数のタペストリは、アレキサンダー大王の逸話が織られてます。


p1310
これらは、フランドルで16世紀から17世紀に織られました。


p1311
何処にあったのか、明らかになってません。しかし、マルケの貴族ステファノ・モンタ―ニ侯爵がこれらのタペストリを所持していましたが、19世紀にファブリアーノのドゥオーモに寄贈しました。
1911年から1913年の間に、ドゥオーモがファブリアーノ市に売却したそうです。


p1312


p1313


p1314


p1315


208
画面が光るので、横から撮った写真です。


p1316
アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ、1560c-1607)の「キリスト降誕」(1600)


p1317
旧サン・ジュゼッペ教会にありました。


p1318
制作者の署名入り


p1319


p1320


p1321


209
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563-ロンドン、1639)の「ロザリオの聖母」(1613-17)


p1322
サンタ・ルチア教会にありました。


p1323


p1324


p1325


p1326


p1327


211
制作者情報不明の「最後の審判」


212
フランチェスコ・ポデスティ(アンコーナ、1800-ローマ、1895)の「天上界」


213
近代画、現代画も展示されてます。


214
有名画家の作品もあります。


215


p1328
カルロ・マリア・マリア―ニ(ローマ、1931-)の「裸の不滅」(1985)


p1329
アフロ・バサルデッラ(ウーディネ、1912-チェ―リッヒ、1976)の「国旗」(1968)


p1330
ジャコモ・バッラ(トリノ、1871-ローマ、1958)の「エリかの肖像」(鉛筆画)(1932)


p1331
作者の署名


p1332
額縁


p1333
エミリオ・ヴェドヴァ(ヴェネツィア、1919-2006)の「Allegro Natale」(1950)


p1334
ジャコモ・マンズー(ベルガモ、1908-ローマ、1991)の「肘掛け椅子の少女」(1984)


p1335


p1336
ジョルジョ・デ・キリコ(ギリシャ、ボロス、1888-ローマ、1978)の「二頭の馬」(1930)


p1337
署名入り


p1338
外に出ます。


216
外に出たら、ドゥオーモの扉が閉まっていました。
(つづく)

193
ヴェナンツィオ・ダ・カメリーノ(マルケ、1515-1530消息)とピエルジェンティーレ・ダ・マテーリカ(16世紀前半活動)の「天上の聖母子と聖ピエトロと聖パオロ」(16世紀前半)


194
サンタ・マリア・デル・ブオン・ジェズ教会にありました。


195
裾絵


197


198


p1281


p1282


p1283


p1284


p1285


p1276
アントニオ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1420c-1490c)の「聖母子と聖ジャコモ・マッジョーレと聖アントニオ・アバーテと寄進者」(15世紀後半)


p1277
サン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会にありました。


p1278


p1279


p1280


199
16世紀のマルケの逸名画家作「聖母子と四聖人」(16世紀)


p1286
四聖人は、バーリの聖二コラ、聖クレア、聖ピエトロ、聖フランチェスコです。


p1287
サン・ニコロ教会にありました。


p1288


p1289
16世紀の工芸家作「行列の十字架」(1560)


p1290
何処にあったのか、不明です。


p1291


p1292


201
16世紀のマルケの逸名画家作「聖母子と聖パオロとトレンティーノの聖二コラ」


p1293
何処にあったのか、不明です。


p1294


p1295


p1296


p1297


202
16世紀のマルケの逸名画家作「聖母子と四聖人」(16世紀前半)


p1298
四聖人は、聖フランチェスコ、聖ルイージ、ヴィテルボの聖ローザ、聖キアラです。


p1299
旧サン・フランチェスコ修道院にありました。


p1300


p1301


p1302


206
シモーネ・デ・マジストリス(カルダローラ、1538c-1613)の「幼きキリストへの崇拝とトレンティーノの聖二コラとシモーネ・デ・マジストリス」(1570)


p1303
サンタ・マリア・ノーヴァ教会にありました。


p1304


p1305
シモーネ・デ・マジストリスの自画像が描かれてます。


p1306


p1307


p1308
(つづく)

182
ベルナルディーノ・ディ・マリオット(ペルージャ、1497-1566消息)の「聖母子」


180


179
15世紀のマルケの逸名画家作「聖アグネス」


p1249
何処にあったのか、不明です。


p1252


p1250


p1251


185
15世紀のマルケの逸名画家作「聖セバスティアーノ」


p1253
カプリーレのサン・ビアージョ修道院にありました。


p1256


p1254


p1255


183
15世紀のマルケの逸名彫刻家作「聖母子」(15世紀)


1257
サンタ・マリア・デル・ブオン・ジェズ病院にありました。


p1258


p1259


184
15世紀のマルケの逸名彫刻家作「聖母子」(15世紀)


p1260
何処にあったのか、不明です。


p1261


p1262


p1263


186
16世紀のファブリアーノの逸名画家作「ファブリアーノの勝利を祈願するベアータ・ビアンカとベアータ・ルフィーナ」(16世紀)


p1264
サン・ドメニコ教会にありました。


p1265


187
ボケ写真でスイマセン。


p1266
フィリッポ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1510-1530消息)の「天上の聖母子と聖ピエトロとバーリの聖二コラ」(1514)


p1267


p1268


p1269


p1270


188
フランチェスコ・メンゾッキ(フォルリ、1502-1574)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタとトレンティーノの聖二コラ」(1545)


189
ドゥオーモにありました。


190
裾絵


191


192


p1271


p1275


p1272


p1273


1274
制作年が描かれてます。
(つづく)

174
15世紀のマルケの逸名画家作「ロレートの聖母と二聖人」(15世紀後半)


p1213
二聖人は、聖セバスティアーノと聖ロッコです。


p1214
サンタ・マリア・マッダレーナ礼拝堂にありました。


p1215


p1216


p1217


p1218
Maestro dei Magiの「Re Mago」(14世紀後半)


p1219
旧サンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会にありました。


p1220


p1221


p1222
Maestro dei Magiの「聖ジュゼッペ」(14世紀後半)


p1223
旧サンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会にありました。


p1224


p1225


p1226
Maestro dei Beati Becchettiの「悲しみの聖母」(14世紀後半)


p1227
サンタゴスティーノ修道院にありました。


p1228


p1229


p1230
Maestro dei Beati Becchettiの「死せる聖母」(14世紀後半)


p1231
サンタゴスティーノ修道院にありました。


p1232


p1233


175
ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373-1452)の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジャコモ・マッジョーレ」(15世紀)


p1234
何処にあったのか、不明です。


p1239


p1235


p1236


p1237


p1238


177
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419-1492)の「聖母子と四聖人」(15世紀)


p1240
サン・ヴィットーレ・デッレ・キウーゼ修道院にありました。


p1241
四聖人は、聖ヴェナンツィオ、聖ヴィットーレ、聖フロレンツォ、聖アンドレアです。


p1242


p1243


p1244


178
15世紀のマルケの逸名画家作「聖セバスティアーノ」(15世紀)


p1245
何処にあったのか、不明です。


p1246


p1247


p1248
(つづく)

173
ロレンツォ・ダレッサンドロ・ダ・サン・セヴェリーノ(サン・セヴェリーノ・マルケ、1445/1455c-1503)の「ロレートの聖母」(15世紀末)


p1173
取り壊されて現存しないサン・ジョヴァンニ・デル・カント―ネ教会にありました。


p1174
Maestro dei Beati Becchettiの「磔刑像」(14世紀後半)


p1175
サンタゴスティーノ修道院にありました。


p1176


p1177


p1178


p1179
Maestro dei Beati Becchettiの「死せるキリスト」(14世紀後半)


p1180
サンタゴスティーノ修道院にありました。


p1181


p1182


p1183
Maestro di San Emilianoの「聖母子と聖人たち」(14世紀前半)


p1184
聖人たちは、聖ルチア、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖エミリアーノです。


p1185
スケッジャの旧サン・エミリアーノ修道院にありました。


p1186


p1187
14世紀のファブリアーノの逸名画家作「恵みの聖母」(14世紀後半)


p1188
旧マドンナ・デッラ・ミゼリコルディア教会にありました。


p1189


p1190
Maestro dei Beati Becchettiの「ピエタ」(14世紀後半)


p1191
サンタゴスティーノ修道院にありました。


p1192


p1193


p1194
14世紀のファブリアーノの逸名画家作「四人の男」(14世紀後半)
左上の王冠を被った男がダヴィデと特定されてますが、他の男が誰なのか、特定されていないようです。


p1195
取り壊されて現存しないサン・ジョヴァンニ・デル・カント―ネ教会にありました。


p1196
ダヴィデ


p1197
オッタヴィアーノ・ネッリ(グッビオ、1375-1444)の「葬儀用カッソーネ」(15世紀)


p1198
カッソーネに描かれた絵画がオッタヴィアーノ・ネッリの作品です。


p1199
Maestro dei Magiの「Re Mago」(14世紀後半)


p1200
旧サンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会にありました。


p1203
Maestro dei Magiの「Re Mago」(14世紀後半)


p1206
旧サンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会にありました。


p1204


p1205


p1207
14世紀のファブリアーノの逸名画家作「聖母子と聖アンナ」(14世紀後半)


p1208
聖母子


p1209
聖アンナ


p1210
Maestro dei Beati Becchettiの「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(14世紀後半)


p1211
サンタゴスティーノ修道院にありました。


p1212
(つづく)

163
プッチョ・ディ・シモーネ(フィレンツェ、14世紀中頃活動 1362没)の「聖アントニオ・アバーテと信者たち」(1353)


p1141
城壁外にあったサンタントニオ修道院にありました。


p1142
サンタントニオ修道院は閉鎖され、荒廃しています。


p1143
制作者の名前が入ってます。


p1144


p1145


p1146


164
第2室になります。


165
フランチェスコ・ディ・チェッコ・ギッシ別称フランチェスクゥッチョ・ディ・チェッコ・ギッシ(マルケ、1359-1395活動)の「聖母子と四聖人」(14世紀後半)


p1147
フランチェスコ・ディ・チェッコ・ギッシは、アッレグレット・ヌーツィの協力者でした。


p1148
この作品は、ヴェナンツィオのサンタ・マリア・デッラ・ペンニーノ修道院にありました。


p1149


p1150


166
フランチェスコ・ディ・チェッコ・ギッシ別称フランチェスクゥッチョ・ディ・チェッコ・ギッシ(マルケ、1359-1395活動)の「ウミルタの聖母」(1359)


p1151
サンタ・ルチア・ノヴェッラ教会にありました。


p1152


p1153


p1154


p1155


167
フランチェスコ・ディ・チェッコ・ギッシ別称フランチェスクゥッチョ・ディ・チェッコ・ギッシ(マルケ、1359-1395活動)の「天使」


168
Maestro di San Verecondoの「磔刑」(15世紀前半)


p1156
サン・ニコロ教会にありました。


p1157


p1158


p1159


169
Maestro di San Verecondoの「聖母子と二聖人」(15世紀前半)


p1160
二聖人は、聖アゴスティーノと聖ヴェレコンドです。


p1161
サン・ヴェレコンド礼拝堂にありました。


p1162


p1163


170
Maestro del Staffolo(マルケ、1420-1470活動 1474没?)の「聖母子と二聖人」(15世紀中頃)


p1164
Correto d’Esiのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にありました。


p1165
二聖人は、聖ジョヴァンニ・バッティスタとアレッサンドリアの聖カテリーナです。


p1166


p1167


p1168


172
アントニオ・ダ・ファブリアーノ別名アントニオ・ディ・アゴスティーノ(ファブリアーノ、1420c-1490c)の「聖母の死」(1452c)


p1169
サン・ニコロ教会にありました。


p1170


p1171


p1172
(つづく)

153
展示室に入りました。


154
アッレグレット・ヌーツィ別名アッレグレット・ディ・ヌーツィオ(ファブリアーノ、1315c-1373)の「聖母子」


p1108


p1109
Maestro di Sant’Agostinoの「マラヴァッレの聖グリエルモ」(13世紀後半)


p1111
詳細部分


p1110
旧サンタゴスティーノ修道院にありました。


p1112
ライナルデット・ディ・ラヌッチョ・ダ・スポレート(スポレート、1265-1272活動記録)の「彩色磔刑像」(13世紀後半)


p1113
サンタ・マリア・デル・ブオン・ジェズ礼拝堂にありました。


p1114


p1115


155
アッレグレット・ヌーツィ別名アッレグレット・ディ・ヌーツィオ(ファブリアーノ、1315c-1373)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖エレーナ」


156
アッレグレット・ヌーツィ別名アッレグレット・ディ・ヌーツィオ(ファブリアーノ、1315c-1373)の「聖アントニオ・アバーテと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


p1116
Maestro di Sant’Agostinoの「磔刑」(13世紀後半)


p1117
旧サンタゴスティーノ修道院にありました。


p1118


p1119
スポレートの逸名彫刻家作「聖母子」(13世紀後半)


p1120
サンタ・マリア・デル・ブオン・ジェズ病院にありました。


p1121


p1123
Maestro di Sant’Agostinoの「修道士たちに教則を授ける聖アゴスティーノ」(13世紀後半)


p1124
旧サンタゴスティーノ修道院にありました。


p1125


158
アッレグレット・ヌーツィ別名アッレグレット・ディ・ヌーツィオ(ファブリアーノ、1315c-1373)の「聖母子と四聖人」(14世紀)


p1126
四聖人は、左から聖マリア・マッダレーナ、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖バルトロメオ、聖ヴェナンツィオです。


p1127
ドゥオーモにありました。


p1128


p1129


p1130


p1131


159
アッレグレット・ヌーツィ別名アッレグレット・ディ・ヌーツィオ(ファブリアーノ、1315c-1373)の「Redentore in trona adorato della Vergine」(14世紀)


p1132
サン・ジョヴァンニ・デル・カント―ネ教会にありました。


p1133
サン・ジョヴァンニ・デル・カント―ネ教会は取り壊されて現存しません。


p1134


160
アッレグレット・ヌーツィ別名アッレグレット・ディ・ヌーツィオ(ファブリアーノ、1315c-1373)の「三聖人」(1375c)


p1135
左からトレンティーノの聖二コラ、聖アゴスティーノ、聖ステファノ


p1136
サンタ・マリア・ノーヴァ教会にありました。


p1137


161
アッレグレット・ヌーツィ別名アッレグレット・ディ・ヌーツィオ(ファブリアーノ、1315c-1373)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(14世紀)


p1138
サン・フィリッポ通りにあったタベルナコロでした。


p1140


p1139
(つづく)

130
ドゥオーモのファサードに向かって右にある建物です。


058
サンタ・マリア・デル・ブオン・ジェズ病院だった建物です。


p1095
旧サンタ・マリア・デル・ブオン・ジェズ病院はウンベルト1世広場に面して建ってます。


p1096
15世紀中頃、ファブリアーノ旧市街に幾つかの病院がありました。1456年、聖ジャコモ・デッラ・マルカ本名ドメニコ・ガンガラ(モンテプランドーネ、1393-ナポリ、1476)は、それらの病院を集めて一か所に統合することしました。この場所には、ファブリアーノの有力者の庭園がありましたが、その土地が寄進され、病院が建設されました。


127
1983年まで、病院だった建物は女児孤児院、心理教育施設として使用されました。


128
現在、サンタ・マリア・デル・ブオン・ジェズ病院だった建物は、市立絵画館として使用されてます。


p1107
ファブリアーノの市立絵画館は、市庁舎とPalazzo Chiavelli(現在はジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ劇場になってます)内に展示室が設けられ、1862年にオープンしました。
1952年、市立絵画館はPalazzo Vescovileに移転されましたが、1990年に現在の病院だった建物への移転が決定されました。その際、絵画館は閉鎖されました。


p1106
1991年から病院だった建物の改造、修復工事が開始されました。それらの工事完了後の1994年12月に市立絵画館が再オープンしました。
しかし、1997年9月26日の地震によって大きな被害を受け、絵画館は閉鎖されてしまいました。建物の大修復工事を経て、2006年に再開館されました。


p1100
タベルナコロがあります。


p1101
タベルナコロのフレスコ画はMaestro del Staffolo(マルケ、1420-1470活動 1474没?)の「幼きキリストを崇拝する聖母」



126
先ずSantuarioに拝観です。


117
病院付属の礼拝堂が前身ですが、現在は絵画館とは無関係の教会となってます。


118


p1098
病院設立に関する碑文


p1099
ピエタのシノピエ


119
教会の中に入りました。


120


121
「受胎告知」があります。


122
主祭壇


p1097
主祭壇画は、Maestro del Staffolo(マルケ、1420-1470活動 1474没?)の「La Madonna del Buon Gesu」(1460)


124
生憎、ミサ中でした。


125
信者の数が多いとは言えませんが、熱心に祈りを捧げていました。


123
ミサの邪魔をするわけにはいかないので、直ぐに退散することに。


142
ファサード下の柱廊に出ました。


143
次は市立絵画館です。


144
1988年、名称にブルーノ・モラジョリが加わり、ブルーノ・モラジョリ市立絵画館となりました。
ブルーノ・モラジョリ(ファブリアーノ、1905-ローマ、1985)は高名な美術史家で、ナポリ。ローマ、フィレンツェ各大学で教授を務めました。


146
絵画館の入り口です。


145
入口扉上ルネッタにフレスコ画があります。


p1102
Maestro del Staffolo(マルケ、1420-1470活動 1474没?)の「聖母子と聖人たち」


p1103
入館します。


147
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの聖母が出迎えてくれます。


148
切符売り場です。


149
一旦中庭に出ます。


151
キオストロに八角形の井戸があります。


p1104
1483年に制作された井戸


p1105


150
展示室に向かいます。


152
展示室は階上にあります。
(つづく)

111
サンタ・クローチェ礼拝堂の続きです。


p1062
Maestro di Verecondo(ファブリアーノとグアルド・タディーノ、15世紀前半活動)の「聖フランチェスコ」と「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタの殉教」


112
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ(フォリーニョ、1404-1437活動記録)の「聖エレーナ」


p1052


p1053


p1054


p1075
聖具室です。


p1076
サルヴァトール・ローザの作品があるそうです。


p1077
サルヴァトール・ローザの作品が見つかりません。


p1078
聖堂内に戻ります。


p1063
まだ見ていない礼拝堂が幾つかあります。


p1064


p1065
授乳の聖母(14世紀)


p1066


p1067


p1068
次の礼拝堂です。


p1069
ピエタの彫刻があります。


p1070
詳細不知


p1071


p1072


p1073


p1074


p1079
聖体容器


p1080


p1081


p1082


p1083
Presbiterioにある「聖クリストフォロ」


p1084


p1085


p1086


p1087


p1088


p1089


p1090


p1091


p1092


p1093


p1094
教皇ジョヴァンニ・パオロ2世が1991年3月19日に行幸されたことを示す記念碑


064
拝観終了です。


129
外に出ました。
(つづく)

098
次はサン・ロレンツォ礼拝堂です。


097
現在のドゥオーモの建物は1607年から1617年に再建されましたが、サン・ロレンツォ礼拝堂はそれ以前の建物にありました。再建の際、大部分が解体されずに残されました。


101
サン・ロレンツォ礼拝堂のフレスコ画が残されてます。


100
フレスコ画は、アレグレット・ヌーツィ別名アレグレット・ディ・ヌーツィオ(ファブリアーノ、1315c-1373)の「聖ロレンツォの生涯の物語」(1365c)


099
サン・ロレンツォ礼拝堂のフレスコ画は、アレグレット・ヌーツィの代表作と言われてます。


p1124


p1125


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p1130


p1131


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p1136


p1137


p1138


p1139


p1140


113
次の礼拝堂です。


p1142
ジョヴァンニ・フランチェスコ・グエッリエーリ(フォッソンブローネ、1589-ペーザロ、1657)の「キリストの洗礼」


p1143


p1144
次の礼拝堂に進みます。


p1141
サンタ・クローチェ礼拝堂です。


106
サンタ・クローチェ礼拝堂はフレスコ画で一杯です。


p1045
サンタ・クローチェ礼拝堂のフレスコ画は数名の画家によって描かれました。


p1046
アレグレット・ヌーツィ別名アレグレット・ディ・ヌーツィオ(ファブリアーノ、1315c-1373)の「磔刑」


p1047


p1048


p1049


p1050


110
14世紀後半の逸名画家による「羊飼いの礼拝」


p1055


p1056


109
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ(フォリーニョ、1404-1437活動記録)の「磔刑と聖エレーナ」


p1057


p1058


p1059


p1060


p1061
(つづく)

引き続きドゥオーモの各礼拝堂を見て回ります。
076
グレゴリオ・プレティ(タベルナ、1603-ローマ、1672)の「聖セバスティアーノを介抱する人々」
グレゴリオは、マッティア・プレティの弟です。リベラに師事しました。


077
詳細不知


p1100
次の礼拝堂です。


p1101
この礼拝堂の作品帰属などが全く分かりません。


p1102


077
詳細不知


079
礼拝堂天井


p1103
次の礼拝堂です。


p1104
この礼拝堂はオラツィオ・ジェンティレスキの作品で装飾されてます。


p1105


080
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563-ロンドン、1639)の「磔刑」


081


p1106


082
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563-ロンドン、1639)の「キリストの鞭打ち」


085
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563-ロンドン、1639)の「荊刑のキリスト」


086
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563-ロンドン、1639)の「園のキリスト」


089
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563-ロンドン、1639)の「キリストの逮捕」


p1107
次の礼拝堂です。


p1108


p1109


p1110
ジュゼッペ・プーリア(ローマ、1600-1636)の「授乳の聖母と聖人たち」


090


091


092
Presbiterio


p1111


094
主祭壇


p1113
後陣にフレスコ画があります。


p1114
主祭壇画


p1115
主祭壇画は、バッティスタ・フランコ(ヴェネツィア、1510c-1561)の「天上の聖母子と聖人たち」


102


p1116
ジュゼッペ・プーリア(ローマ、1600-1636)の「聖エレーナ」


104


p1117
ジュゼッペ・プーリア(ローマ、1600-1636)のフレスコ画


p1118
ジュゼッペ・プーリア(ローマ、1600-1636)の「聖母戴冠」


105


p1119
次の礼拝堂です。


p1120
最後の晩餐礼拝堂とも呼ばれてます。


095
17世紀の逸名画家作「最後の晩餐」


p1121


096
最後の晩餐礼拝堂天井にある17世紀の逸名画家作「聖母被昇天」


p1122


p1123
(つづく)

219
自分の現在地が漸く分かりました。


128
何のことはない、ドゥオーモの直ぐ傍にいたのです。


059
ファブリアーノのドゥオーモです。


p1084
正式名称は、Basilica Minore e Cattedrale di San Vernazio Martireと言います。ファブリアーノ₌マテーリカ司教区の司教座教会です。


p1085
教会の起源は不明です。
1047年の文書に、この教会の存在が初めて記載されているそうです。
1253年、教区教会となりました。


p1086
14世紀後半、ファブリアーノのPriore Capitolare(支配者)だったGioioso Chiavelliの命によって、建物が拡張されました。
1444年、当時の教皇ニコロ5世(第208代教皇)(サルザーナ、1397-ローマ、1455)は、疫病が流行していたローマを逃れて、ファブリアーノに移ってきました。その際、この教会が教皇の活動拠点となり、整備されました。


062
16世紀末、建物が経時劣化したので、再建されることになりました。建築家で数学者のムツィオ・オッドィ(ウルビーノ、1569-1639)が起用され、ムツィオ・オッディの設計によって、1607年から1617年に再建された建物が現在の姿の原形となってます。1663年に奉献式が執り行われました。


217
1728年、ファブリアーノは単独の独立司教区になったことに伴い、司教座教会に格付けされました。
また、1963年、第261代教皇ジョヴァンニ23世(ソット・イル・モンテ、1881-ローマ、1963 教皇在位:1958-1963)によってBasilica Minoreに格上げされました。


232
右側壁


230
後陣と鐘楼


231
14世紀後半に建設された後陣


233


p1087


p1088
1825年、二代目の古い鐘楼が解体され、19世紀中頃に再建された鐘楼です。


235
ファサード側に戻ります。


061
ファサード前の広場にフォンターナがあります。


p1089
Fontana Adiacente


060
扉が開いていました。拝観します。


063
聖堂内に入りました。


116
単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


115
左右の側壁にそれぞれ5つの礼拝堂があります。


p1090
左右の翼廊にも礼拝堂があります。


p1091
左側壁


p1092
右側壁


123
祭壇画を見て回ります。


066
残念ながら、私には殆どの作品の帰属が分かりません。


065


p1094


067
ご訪問


068
詳細不知


p1095
次の礼拝堂です。


p1096


p1097


070


074


073
礼拝堂右側壁の祭壇画


072
礼拝堂天井のスタッコ彫刻はフランチェスコ・セルヴァの作品です。


071
礼拝堂左側壁の祭壇画


p1098
1959年に制作されたオルガン


p1099
(つづく)

042
柱廊があります。


p1067
柱廊の前には、1291年から1398年に建設されたサン・フランチェスコ修道院教会がありました。
第208代教皇ニコロ5世(サルザーナ、1397-ローマ、1,455 教皇在位:1447-1455)の指示によってサン・フランチェスコ修道院教会の建物に沿って柱廊が建設されることになりました。ニコロ5世の時代に創建されましたが、柱廊の完成は教皇の死後200年以上経った17世紀末となってしまいました。


p1068
柱廊の一部は市庁舎に組み入れられてます。


049
柱廊自体は階上にあります。


056
サン・フランチェスコ修道院教会の建物の殆どは取り壊され現存していません。


p1069
広場に面して建つPalazzo Vescovileです。


054
この建物の後方にドゥオーモがあります。


055
17世紀に建設されました。


p1070
コムーネ広場に面している建物の中で、Palazzo Vescovileは比較的新しい建物になります。


047
Palazzo Podestaです。


057
1255年に建設された、ゴシック様式のPalazzo Podestaです。


050
内部は一般非公開となってます。


p1082
Palazzo Podestaの裏側


p1075
Palazzo Podestaの外壁にあるジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの記念碑


p1080
Palazzo Podestaを貫くアーチの通路があります。


p1077
アーチの壁にフレスコ画があります。


p1076
アーチのフレスコ画は痛みと落剝があって、何が描かれていたのか判然としない箇所が殆どです。


p1078
修復されて、この状態です。


p1071
Palazzo Podestaの前にフォンターナがあります。


053
Fontana Sturinaltoと呼ばれてます。


p1072
sturinaltoとは、水を押し上げるという意味です。


p1073
Fontana Sturinaltoは、ヤコポ・ディ・ガロンダロによって1285年に制作されました。
ヤコポは、フォンターナの制作に際して、ペルージャのフォンターナ・マッジョーレを何度も見て参考、模倣したと言われてます。


P1700810
少し脱線してペルージャのフォンターナ・マッジョーレの写真を再掲します。


P1700812
ニコラ・ピサーノ、ジョヴァンニ・ピサーノ兄弟によって1277年から1278年に制作されました。


P1700821
完成直後から大評判となって、その後のフォンターナ制作に大きな影響を与えたと言われてます。


P1700814
ペルージャのフォンターナと比べると、ファブリアーノのものはかなり小規模です。


p1074
ファブリアーノのFontana Sturinaltoに戻ります。
制作されてから何か不具合があったようで、1351年に大修復工事が行われ、現在の形になったそうです。


048
市立劇場です。


p1079
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ劇場とも称されてます。


p1081
コムーネ広場を後にします。


p1083
Palazzo Podestaのアーチを潜ります。


218
直ぐにドゥオーモに行くべきでしたが、寄り道をしました。


226
裏道を選んで歩きました。


227
ホテルで貰った地図があるのですが、それを見ないで適当に歩いていたら見事に道に迷いました。


228
自分の現在地が地図上で分からず、大いに難儀しました。


225
(つづく)

023
街の中心に向かいます。


034
旧サン・フランチェスコ修道院教会だった場所に来ました。


035
Largo San Francescoです。


036
この辺がファブリアーノの中心地になります。


037
カリタ祈祷所に向かいます。


039
カリタ祈祷所の入り口です。
14世紀のゴシック様式のポータルは、サンタントニオ・フォリ・レ・ムーラ修道院のものでした。


038
1542年、カマルドリ派ベネデット会修道士によってConfraternita della Caritaが設立されました。カリタ同信会は裕福で知られていましたが、1587年、サン・フランチェスコ修道院が保有していた現在地に購入してカリタ祈祷所の建設に取り掛かり、1597年に完成しました。


p1041
祈祷所のファサード


p1042
祈祷所内部から見た入り口です。


p1043
カリタ祈祷所の内部です。


p1044
1742年の地震によって、祈祷所内部は大損傷を受けました。その後に殆ど再建に近い形で復元されたのが現在の姿の原形になってます。


p1045
度々地震に見舞われ被害を受けましたが、20世紀後半に大修復工事が行われ、建物は市立図書館の一部として一般公開されるようになりました。
1997年の地震によって内部が一部崩落してしまいました。21世紀担って大掛かりな修復工事が行われ、現在は結婚式場や会議室として使用されてます。


p1046
ご覧のように内部に沢山の絵画があります。


p1047
これらの絵画は、フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550c-マチェラータ、1603/1604)によって1598年から1602年に制作されました。


p1048
フィリッポ・ベッリーニは、フェデリーコ・バロッチの強い影響を受けた画風でした。


p1049
フィリッポ・ベッリーニは、画料について不満を持ち、度々制作を中断したそうです。


p1050


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p1059


p1060
これらのフィリッポ・ベッリーニの作品は、ナポレオン軍の接収を免れました。その理由は、どうやら低評価でフランスに持ち去る必要がないと判断されたからのようです。


p1061


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p1065


043
コムーネ広場に向かいます。


040
市庁舎です。


041
市庁舎の時計塔


045
コムーネ広場です。


044
広場に下ります。


p1066
広場に下りました。


046
広場は閑散としていました。


052
観光に尽力しているファブリアーノですが、肝心の観光客は私一人のようでした。


051
(つづく)

024
次はサンティ・ビアージョ・エ・ロムアルド教会です。教会はマニン広場にあります。


025
マニン広場にやってきました。


026
サンティ・ビアージョ・エ・ロムアルド教会です。


033
ベネデット会修道士によって、この場所に12世紀末から13世紀初頭にかけて建設されたサン・ビアージョ教会が前身です。1210年の文書に、サン・ビアージョ教会の存在が初めて記載されているそうです。
1232年、カメリーノの司教によって教区教会に格付けされました。


p1010
1282年の地震によって倒壊したので、1287年に二代目の建物が再建されました。
1481年、聖ロムアルドの聖遺物(遺体)が収容され、教会名が現称のサンティ・ビアージョ・エ・ロムアルド教会に改称されました。


p1011
教会に隣接して、修道士のための小さなホスピスがありましたが、1500年にそのホスピスを拡大して修道院の建設が決定され、16世紀前半に修道院が完成しました。


028
1636年にベネデット会修道士が去り、カマルドリ会僧侶に託されることになりました。
1646年にクーポラが建設されました。
1703年と1741年の二度の地震によって大きな被害を受けたので、建築家パオロ・ソラティーニ(ロナート、1682-ラヴェンナ、1762)の設計によって、18世紀中頃に三度目の建物が再建されました。
1810年、ナポレオンの抑圧令によって修道院教会は閉鎖されましたが、ナポレオンの失脚後、活動が再開されました。1861年、イタリア政府によって再び活動が禁止されました。教会の方は19世紀後半に活動再開が許され現在に至ってます。


p1012
ファサードの彫刻


027
ファサードの扉は大体閉まってます。


029
教会横に扉があり、一旦キオストロ回廊にでます。回廊に教会の入り口があり、そこから教会内に入ります。


030
回廊に出ました。


032
キオストロ


p1013
回廊の壁にフレスコ画がありません。フレスコ画が塗り潰されたのか、或いは当初からフレスコ画がなかったのか、その辺が定かではありません。


p1014
1576年から1579年に建設された鐘楼です。


p1015
三廊式、ネオ・バロック様式の内部です。


p1016
内部の装飾は、パスクゥアーレ・デ・ロッシ(ヴィチェンツァ、1641-ローマ、1722)によるとされてます。
二度の地震によって大きな被害を受け、1741年から再建工事が始められた三度目の建物なので、1722年に没したパスクゥアーレが装飾を手掛けたとするのは道理に合わないと思うのですが・・・・・ この辺については余計なことは考えるべきではないようです。


p1017
聖ビアージョ像(制作者不知)


p1018
聖ロムアルド像(制作者不知)


p1019
1646年に建設されたクーポラ
クーポラの装飾は恐らくパスクゥアーレ・デ・ロッシの作品でしょう。


p1021
1642年に制作された聖職者席


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p1022
主祭壇


p1024
私には祭壇画、フレスコ画、彫刻などの作品帰属が分かりません。


p1025


p1026
聖ロムアルドの死


p1027


p1028
クリプタに下りる階段


p1029
聖ロムアルドの聖遺物を収めるために1748年に建設されたクリプタです。


p1030
クリプタに翼廊が設けられてます。


p1031
クリプタ翼廊の礼拝堂


p1032
クリプタの主祭壇


p1033
クリプタ主祭壇の下に聖ロムアルドの遺体が収められた棺が置かれてます。


p1034
棺の装飾


p1035


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p1038
古い作品が全く残されていないようです。


p1039
私にとっては、見所に欠ける教会と思いました。


p1040
施された装飾を見る限り、かなり裕福な教会と言えるでしょう。


031
(つづく)

002
前泊地はローマでした。


001
アンコーナ行きのICでファブリアーノに向かいました。


009
ファブリアーノ駅に到着しました。


p1003
ファブリアーノ駅に来たならば必見の車両があります。


p1004
古い電車も見どころですが、近付けません。


p1005
蒸気機関車が二両あるのです。こちらはタンク機関車です。


p1006
テンダー機関車


p1007


p1008
イベント列車などを今でも牽引する現役の蒸気機関車です。


p1009
こちらは気動車です。


010
ファブリアーノ駅の駅舎です。


p1001
ファブリアーノは、人口29,882人(2020年12月31日現在)のマルケ州アンコーナ県にあるコムーネです。


012
Viale Stelluti Scalaです。


011
この日のお宿に向かいます。


013
ジャーノ川に架かる橋の上から撮った写真です。


p1002
周りを森に囲まれた、海抜325メートルにある街で、古くから林業、製紙業で栄えました。高級紙「ファブリアーノ」の産地として有名です。


014
河川敷に建っている家があります。


015
この日のお宿はもう直ぐです。


016
この日のお宿は旧市街の入り口にあります。


017
チェックインを済ませてから外に出ました。


P2670659
ファブリアーノと言う街に興味を抱くようになった切っ掛けは、この作品です。


P2540306
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370-ローマ、1427)の「ストロッツィの祭壇画 マギの礼拝」(1423)


P2670661
非常に人気がある作品です。作品の前にいつも沢山の人がいます。


P2670660
それと共に、アンコーナに何回か往復するうちに、停車するファブリアーノ駅の存在に気付いたこともあります。


P2540308
ファブリアーノに行けば、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの作品を見ることが出来るかも知れないと思いました。


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結論を言えば、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの作品はファブリアーノにありません。


P2540313
「マギの礼拝」はウッフィツィ美術館にあります。


P2540299
ナポレオンのイタリア侵攻以前にはジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの作品が3点あったそうですが、フランスに持ち去られてしまい、返却されることなく現在に至ってます。


P2540300
この作品は傑作です。


P2540304
裾絵


P2540302


P2540301


P2540310
脱線しました。


P2540312
元に戻しましょう。


018
旧市街の中心に向かいます。


019
修道院だった建物です。


020
日中は人通りが少ないようです。


021
先ずサンティ・ビアージョ・エ・ロムアルド教会です。


022
(つづく)

179
Fortilizio dei Muliniから城塞に戻ります。


P1680600


P1680602
エレベーターで下るのは味気ないので、ドゥオーモ経由で徒歩で下ることにしました。


P1680604


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P1680621


P1680635
もう夕方です。


224
サン・フィリッポ・ネリ教会です。


225
1640年から1671年に建設されたバロック様式の教会です。


223
この時は修復工事中で閉鎖されていました。
1997年に地震によって被害が出たので、修復工事のため17年間閉鎖され、2014年に活動が再開されましたが、2016年と2017年のイタリア中部地震で再び被害を受けたようです。


226
この教会は知りません。


227
銀行の建物です。


P1690674
ホテルに戻りました。


001
ホテルで一休みしてから、再び外に出ました。


002
サン・グレゴリオ・マッジョーレ聖堂です。


004
古い作品が幾つかあって、美術ファンにとって見逃せない教会でしょう。


003
拝観します。


P1680010
中に入りました。


P1680013
この聖堂については、既に詳しく触れました。


P1680015


P1680045


P1680076


005
日が完全に沈みました。


006
マドンナ・デッラ・ステッラ修道院教会です。


008
この日も閉まっていました。


007
拝観したことが一度もありません。


009
フラミニア通りです。


010
ローマ時代に敷設された、あのフラミニア街道です。


011
テッシーノ川です。


012


013
街歩きはこれにて終了です。


015
レストランに向かいます。


P1020647


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P1020652
お腹一杯です。


P1020653
食後の散歩です。


P1020654
人通りが殆どありません。ホテルに戻った方が良さそうです。


P1020656
翌朝です。


P1020657
徒歩で鉄道駅に向かいました。


P1020659
次の目的地ローマに向かいました。
(おわり)

P1680211
引き続き、城塞の2つの広場を結ぶアーチの壁に描かれたフレスコ画です。


P1680212


P1680214
もう一つの広場に出ました。城塞に詰める兵士たちが利用していたそうです。


P1680215
刑務所だった時代、この場所は囚人用の運動所になっていました。


P1680187
閉館時間が近づいてきました。入館者は私を除いていなくなったようです。


159
私が外に出るのを待ったいたのでしょう、外に出ると直ぐに扉が閉められました。


P1680585
閉館時間まで10分ほどあった筈ですが、係員が家路に急ぎたかったようです。でもイタリアの美術館や博物館は何処も同じです、閉館時間よりも前に閉館します。


P1680586
イタリアの閉館時間とは、最後の係員が建物の扉を施錠して家路につく時間を示すようです。すべての入館者を外に出してから着替え、トイレを済ませ、支度を整える訳で、閉館時間の30分前が実質的な閉館時間という訳です。


P1680587
次はPonte delle Torriです。


P1680588
遠くに教会があります。


P1680590
サン・ピエトロ教会です。


P1680592
Ponte delle Torriです。


P1680594
橋を渡り、更にサン・ピエトロ教会に行くつもりです。


156
城塞から外に出ます。


157
城塞からの景観


158


161
門を潜って城塞外に出ます。


162
橋の下にテッシーノ川が流れてます。


163
橋の先にFortilizio dei Muliniがあります。トッリ橋は、城塞とFortilizio dei Muliniを結んでます。


164
9つのアーチがあり、長さ230メートル、高さ80メートルの橋です。


165
ローマ時代にかけられた水道橋と言われてますが、具体的に誰によって架けられた橋なのか、何時頃架けられたのか、その辺が不明とされてます。
現在の橋は、13世紀頃、橋の再建工事が始められ、14世紀終わりに完成しました。その存在についての初めての記録は、1346年から1367年に書かれた本だそうです。
1390年、スポレート防衛の戦略的理由によって、橋の一部が破壊されました。1639年に石積みで再建され、1845年には煉瓦で大修復されました。


169
橋を渡ります。


170
この時は渡ることが出来ました。


p1016
橋の安全が懸念されていて、2006年から2008年に耐震性の調査が行われ、一応安全とされていました。
しかし、2016年のイタリア中部地震によって、橋の安全性が担保できないということで、2016年8月に橋の閉鎖が行われました。
イタリア中部地震は余震を含めて2017年まで続きましたが、橋桁の損傷が発見され、現在でも立ち入り禁止になっているようです。


p1018



171
橋からの景観


p1017


173


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橋の上から見た城塞


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Fortilizio dei Muliniに着きました。
ローマ時代、橋の防御と監視のために既に存在していたとされてますが、具体的な建設時期が不明です。監視塔の他に製粉所がありました。


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中に入ることが出来ません。


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Fontanaがあります。


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周りを少し歩いてみました。


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水道橋の源流でしょうか?


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監視塔です。


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Fortilizio dei Muliniから見た城塞


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Fortilizio dei Muliniからの景観
(つづく)

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引き続き地上階の展示です。


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地上階の展示室から中庭に出ました。


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アーチを潜って、もう一つの中庭に向かいます。


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その前にアーチの壁に描かれたフレスコ画を見ます。


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スポレートの風景画


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(つづく)

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地上階に下りました。


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地上階の展示室に入りました。


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石棺の展示が続きます。


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次の部屋です。


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フレスコ画が僅かに残されてます。床にはモザイクがあります。


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(つづく)

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次の部屋です。


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壁のフレスコ装飾


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普通、聖母子が中央パネルですが・・・・・


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ポリッティコです。


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欠落したパネルは恐らく聖母子と思います。


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クスピデ


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次の部屋です。


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部屋のフレスコ


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部屋の天井


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二階ロッジャに戻りました。


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二階ロッジャからの景観


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(つづく)

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部屋の壁に描かれたフレスコ画です。


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今まで見ていた展示室の全景です。


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次の部屋です。


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天井のフレスコ画


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次の部屋です。


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壁にフレスコ断片(詳細不知)が残されてます。


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次の部屋です。


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(つづく)

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