イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2022年01月

282
彫刻工房の前を通り過ぎます。


283
ドゥオーモ付属美術館の分館であるサンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会に向かいました。


284
サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会のドゥオーモ付属美術館分館は閉まったままでした。


285
サン・フランチェスコ教会も閉まったままでした。


286
サン・フランチェスコ教会の左側壁(写真右)を通り過ぎて、ドゥオーモの方に向かいました。


287
ロレンツォ・マイターニ通りを進みます。


288
スグラッフィート彫刻がある建物です。


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291
ドゥオーモ広場に出ます。


292
天気が悪くなってきました。


306


310
雨が落ちてきました。


311
ホテルに戻ることにしました。


308
少し疲れてきたので、ホテルに戻って一休みです。


309
このホテルは有り難い。


312
夕立は直ぐに収まりました。


313
再び外出しました。


001


002


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005
雨が完全に上がりました。


004
晴れてきました。


006
夕日が当たるドゥオーモのファサードを見なくては。


007


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良い具合に夕日が当たってます。


009
ホテルから出たばかりでしたが、直ぐにホテルの方に戻ることにしました。


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午後7時45分でした。


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有名なお店です。


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早足でドゥオーモに向かいました。


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サン・ジュゼッペ教会の前を通り過ぎます。


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ファサードに夕日が当たってます。


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021
(つづく)

243
ポポロ広場近くの路地です。


244
カヴール通りに戻りました。


245
気温26度でした。


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花屋さんではありません。


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再び路地へ。


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ポポロ広場に戻ってきてしまいました。


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ポポロ宮外壁のフレスコ画を見ます。


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私には、フレスコ画の帰属が分かりません。


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こちらのフレスコ画はかなり落剝しています。


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城壁に近い場所にポポロ広場があります。


260
城壁の北の方に向かって進みました。


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道の突き当りが城壁になります。


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城壁沿いの道に出ました。


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城壁の上からの景観です。


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Trenitaliaの高速線と在来線の線路が見えます。


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フィレンツェ方向に向かう高速列車が見えました。


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在来線を走る貨物列車が見えました。


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街の中心に戻ることにしました。


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ポポロ広場に戻りました。


279
ヒールが相当高いピンヒールを履いた女性が広場を足場らに闊歩していました。


277
ヒールの先が小さいので、ヒールの先が石と石の間に挟まらないか、心配になりましたが、そんなことにはなりませんでした。


280


281
(つづく)

引き続きサンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ参事会教会です。
215
トラスの天井は、16世紀初めに崩落したので、その後に復元されたものです。


202
Presbiterio


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後陣天井の装飾


209


196
16世紀に制作されたフレスコ画


197


198
チェーザレ・ネッビア(オルヴィエート、1536c-1614)の「受胎告知」


200
後陣左の礼拝堂


201
16世紀に制作されたフレスコ画


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アンジェロ・リーギ・ダ・オルヴィエート(オルヴィエート、1587-1605活動記録)の「十字架降下」


205
制作者情報不知の「聖母被昇天」


207
制作者情報不知の「聖母子と二聖人」


208


211
制作者情報不知の「無原罪の聖母」


213


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説教壇


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外に出ました。


223
ファサード左にロッジャがあります。


216
ロッジャの花屋さん


222


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ドゥオーモの方に向かいます。


226
この店でバッグを買いました。


228
写真右に彫刻作品を製造販売している工房があります。


227
この工房です。


229
買いたかった大理石彫刻がありましたが、重いので買うのを断念。


230
ポポロ広場に向かいました。


231


234
ポポロ広場にやってきました。


232
12世紀に建設されたポポロ宮です。


233
オルヴィエートが自治都市だった時代、ポポロ宮はカピターノ(隊長)の公邸として使用されていました。


235
サン・ロッコ教会です。


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240


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242
(つづく)

167
城壁沿いの道からの景観です。


168
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会です。


169
この場所にはエトルリア寺院がありましたが、その遺跡の上に916年に建設され、1003年に奉献式が執り行われました。


p1045
17世紀の地震によって崩壊してしまい、その後、放置されました。


p1046
建物が再建されることになり、1687年、地震によって崩壊し建物が取り壊され、1704年に完成しましたが、その二代目の建物が現在の姿になってます。


170
教会は、今なお宗教活動が行われていますが、併設されていた修道院は閉鎖されました。


171
旧修道院のキオストロとキオストロ回廊に入ることが出来ます。


p1044
旧修道院の建物は、現在、Palazzo del Gustoと呼ばれてます。


p1043
Palazzo del Gustoの一部はエノテカになってます。


173
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会から至近の場所にサンタ・マリア・デル・ピアント教会があります。


172
1768年に建設されたサンタ・マリア・デル・ピアント教会です。


174
城壁沿いの道を進みます。


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城壁沿いの道からの景観です。


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180
城壁下にPorta Romanaがあります。


181
Porta Romanaです。


182
旧市街の中心部に戻ることにしました。


183
サンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ参事会教会の鐘楼が見えてます。


184
市庁舎のアーチを潜ります。


185
アーチを潜って共和国広場に出ます。


217
共和国広場です。


186
サンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ参事会教会です。


219
ローマ時代、この場所はフォロがありました。


220
6世紀、フォロの上に建てられた初期キリスト教会が前身です。
現在のロマネスク様式の建物は、12世紀に再建されたものです。この教会は、現在のドゥオーモが建設される前は、オルヴィエートで最も重要な教区教会でした。


p1047
特徴ある形状の鐘楼


218
この教会は大体開いてます。


187
中に入りました。


188
三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


189
右側廊方向


191
天井


190
教会内を見て回ります。


192
所々に剥離フレスコ画が残されてます。


193
「聖アンドレア像」(14世紀)


194
「聖クリストフォロ」


195
「ピエタ」


p1048
(つづく)

138
サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会です。


139
サンティ・アポストリ教会とも呼ばれてます。


137
1007年に記録に初めて、教会の存在が記載されました。恐らく10世紀頃に建設されたと言われてます。


p1037
1614年、ヴェネツィア商人に資金援助によって、オルヴィエートに公立大学Collegio Cappellettiが設立されましたが、1621年にイエズス会に大学ノン運営が委託されました。
1662年、サンティ・アポストリ教会の建物は、イエズス会によって購入されました。


p1039
イエズス会は、購入した教会の周囲の土地も購入して、その土地に大学、神学校を建設しました。


p1040
購入された教会の建物は、17世紀後半にほぼ現在の外観に改造されました。


p1038
教会の鐘楼とクーポラ


141
現在、サンティ・アポストリ教会は、Museo DODO=Museo Opera del Duomo di Orvieto ドゥオーモ付属美術館の分館として一般公開されてます。
この時は開いていませんでした。


140
サンティ・アポストリ教会外壁にあるタベルナコロに無原罪の聖母があります。


143
チェントロ・ストーリコの西の方に向かいます。


144
Vicolo dei Lattanziを進みます。


145
次は、サン・ロドヴィーコ教会です。


146
16世紀、17世紀の建物が建ち並んでます。


147
サン・ロドヴィーコ教会が写ってます。


p1041
サン・ロドヴィーコ教会です。


p1042
1350年の文書に、サン・ロドヴィーコ教会の存在が初めて記載されたそうです。


148
1778年に行われた大修復の際、現在のファサードに改造されたそうです。


149
複合施設の一部はB&Bになっているようです。


150
西の城壁に向かいます。


151
趣のある建物です。


152
道を下ります。


153
オルヴィエートは、高い崖上に築かれた街ですが、西の城壁高さは少し低くなってます。


154
道を下ります。


155
ジュリオ・チェーザレ・ヴェンティヴォーリオ(1868-1952)の「パードレ・ピオ別名聖ピオ・ディ・ピエトレルチーナ(1887-1968)像」


156
城壁沿いの道から見上げたオルヴィエートの景観です。


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城壁の下の景観


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161


162
崖を利用した城壁です。


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166
(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
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外に出ました。


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ドゥオーモ広場に出ます。


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ドゥオーモ広場です。


122
ロレンツォ・マイターニ通りを進みます。


120
振り返ると、ドゥオーモが見えます。


123
サン・フランチェスコ教会の後陣が見えてます。


124
写真左の建物はサン・フランチェスコ教会です。


125
サン・フランチェスコ教会のファサードです。


126
この場所に、ベネデット会の修道院がありました。


129
1227年から1240年にかけて、ベネデット会の修道院の一部が取り壊され、その上にフランチェスコ会修道士によってサン・フランチェスコ教会が建設されました。


p1033
修道院の建物が、1262年から1264年に聖ボナヴェントゥーラ・ダ・バニョレージョ(バニョレージョ、1217/1221c-リオン、1274)によって再建されました。


127
1815年まで、フランチェスコ会が所有していましたが、オルヴィエート・コムーネの所有となりました。オルヴィエート・コムーネは、イエズス会の建物を譲渡し、イエズス会の修道院となりました。
1860年、イエズス会からオルヴィエート・コムーネに建物が返還され、研究所などに使用されました。


p1034
入口扉


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入口扉上ルネッタ


128


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鐘楼


130
サン・フランチェスコ修道院だった建物です。1999年から市立図書館として建物が使用されてます。


131
サン・フランチェスコ教会の扉は何時も閉まってます。市立図書館経由で中に入ることが出来るようです。


132
次はサンティ・アポストリ教会です。


133
建物と建物の間に鐘楼が写ってますが、サンティ・アポストリ教会のものです。


134
教会の正式名称は、サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会です。


135
ファサードの方に回ります。


136
ニャーゴがいました。


142
(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
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(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
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(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
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454
(つづく)

引き続きドゥオーモ付属美術館です。
299
付属美術館本館に移動します。


300
本館は一階(日本の二階)にあります。


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363
(つづく)

114
ドゥオーモ付属美術館に向かいました。


115
ドゥオーモ付属美術館の入り口と切符売り場はこの奥にあります。


304
ルカ・シニョレッリのマグダラノマリアがドゥオーモ付属美術館のシンボルになってます。


305
入り口です。


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入館しました。


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298
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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110
外に出ました。


111
次はドゥオーモ付属美術館です。


112
美術館はドゥオーモのファサードに向かって右側にあります。


116
ドゥオーモの右側壁です。


117
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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168
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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(つづく)

121
次はドゥオーモですが、先ずファサードを見ます。


086
ドゥオーモについては既に詳しく書きました。


088
聖母戴冠


089
バラ窓とその周囲の聖人たちの彫像


090
無原罪の聖母


091
聖ピエトロ


092


093
聖母の結婚


096


094
受胎告知とキリストの洗礼


097
神殿奉献


099
聖母の誕生


101
ファサード壁の彫刻


102


103


104
入口扉


105


106


107


113


081
ここにあるのはレプリカで、本物はドゥオーモ付属美術館にあります。


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302


303
中に入りました。


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091


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093


094
(つづく)

引き続きサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。
034
後陣の装飾


036
詳細不知


038
詳細不知


p1030
この教会の主祭壇画はこれでした。現在は取り外されてます。
コッポ・ディ・マルコヴァルド(フィレンツェ、1225c-1276c)の「聖母子」(1270c)


039
制作者不知の「聖母子」(15世紀)


040


042
ベルナルディーノ・ガリアーディ(チッタ・ディ・カステッロ、1609-ペルージャ、1660)の「聖ジョルジョに顕現するキリスト」


043
詳細不知


044
詳細不知


046
外に出ました。


047
Corso Cavour


048
次はサンタンジェロ教会です。


p1032
サンタンジェロ教会にやってきました。


050
おばさん、顔を出さないでよ。


049
6世紀頃、この地にあった初期キリスト教会が前身とされてます。現在の建物は1838年に再建されました。


060
サンタンジェロ教会の左側壁と後陣


052
中に入りました。単廊式の単純な構造の内部です。


054
美術的な見所はありません。


056
制作者情報不知の「無原罪の聖母」


058
制作者情報不知の「磔刑像」


059


051


p1031
カウンターファサードにオルガンがあります。


061
外に出ました。


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Torre del Moroが見えてきました。


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064
オルヴィエートの目抜き通りです。


065


066


067
サン・ジュゼッペ教会です。


P2160633
1665年から1693年に建設された八角形のサン・ジュゼッペ教会です。


068
中に入りました。


070
中も八角形です。


071


P2160641
主祭壇


P2160643
フィリッポ・ナルディーニ(ウンブリアとローマで18世紀活動)の「聖家族と聖アンナ」


072
聖母と幼きキリストの冠があるときと外されている時があります。


074
ドゥオーモ広場に戻ってきました。


075


076


078
(つづく)

1360
ドゥオーモ付属美術館に入館しました。


1359


1358


1361


1366


1367


1368
もう夕暮です。


1369
この日はこれで終わりです。


1355
ホテルに戻りました。


1400
翌朝です。フニコラーレに乗車しました。


1402
オルヴィエート駅です。


1401
駅前からの景観


1403
次の目的地フィレンツェに向かいました。


277
前回の旅から2年後です。前泊地はローマでした。


154
オルヴィエート駅に到着しました。


155
ルカ・シニョレッリの作品が観たくて来ました。


012
お馴染みとなったオルヴィエート駅の駅舎


011
フニコラーレ駅


013
旧市街に向かいます。


014


015
途中で上下線のすれ違い


016


083
ドゥオーモ横のお気に入りのホテルにチェックインしました。


017
街歩きに出発しました。


018
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


019
ファサードが新しいので、一見して新しい教会と思われがちですが、オルヴィエートでは古い教会の一つです。
1259年から1265年に建設された、修道院と教会の複合施設です。
新古典様式のファサードは、ローマの建築家ヴェルジニオ・ヴェスピニャーニ(ローマ、1808-1882)の設計によって1857年に再建されたものです。


p1027
ファサードと内装が新しいだけで、教会の全景は創建時の姿を留めていることが分かります。


p1028
修道院は閉鎖されました。


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煉瓦造りの後陣


045
修道院入り口扉上ルネッタに描かれたフレスコ画


020
教会内に入りました。


021
三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


022
1857年にヴェルジニオ・ヴェスピニャーニ(ローマ、1808-1882)の設計によって改造改修された内部です。


023
祭壇画の多くは19世紀後半に制作されました。


024
制作者情報等詳細不知の「救世主」(16世紀)


026
詳細不知


028
チェーザレ・ネッビア(オルヴィエート、1536-1614)の「無原罪の聖母」


029
詳細不知


032
詳細不知


033
Presbiterio
(つづく)

1312
この日の天気予報は雨でしたが、見事に外れてくれてラッキー。


p1025
サンタゴスティーノ教会です。


1313
機能を停止した旧教会です。サンタゴスティーノ教会だった建物は、ドゥオーモ付属美術館の分館として一般公開されてます。


1315
分館では主に彫刻が展示されてます。


1314
強い日差しが照り付けていましたが、前日の寒さを引きずって非常に涼しかったことを覚えてます。


1317
サン・ジョヴェナーレ教会です。


1316
サン・ジョヴェナーレ教会のファサード前からの景観です。


1319
下から城壁に向かって吹きあがる風は寒いくらいでした。


1321


1320
ここは城壁の上に当たります。


1322
城壁の上に道を進みます。


1323
マッジョーレ門に向かいました。


1324
門の直ぐ傍に出ました。


1325
マッジョーレ門です。


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門を潜って城壁外に出ました。


1327
城壁内に戻りました。


1318
写真左はサン・ジョヴェナーレ教会です。


1326
フィリッペスキ通りです。


1328
前日と全く違った佇まいの共和国広場です。


1330


1332
サン・フランチェスコ教会に向かいました。


1333
サン・フランチェスコ教会です。


1334
この日もサン・フランチェスコ教会の扉は閉まったままでした。


1335
ロレンツォ・マイターニ通りをドゥオーモの方に進みます。


1336
ドゥオーモのファサードに日が当たってます。


1338


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1337


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1341
扉がもう直ぐ開きます。


1343
この日はゆっくりと落ち着いて拝観出来ました。


1344
左側壁


1345


1346


1347


1342


1348


1349


1351


1353
(つづく)

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濃霧です。


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写真右は教区教会の柱廊です。


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オルヴィエートの目抜き通りCorso Cavourです。


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5月で、このように寒くなるとは全くの想定外でした。


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長袖の肌着を持参していなかったので、ホテルに戻って何を着込んだら良いのか思案してました。


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聖母子のタベルナコロ


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サン・ジュゼッペ教会が開いていましたが、拝観する気になれず。


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夕方のように見えますが、夏時間の午後2時頃でした。


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後からホテルのスタッフに聞きましたが、アルプスからの寒気が酷いと真夏でも寒くなることがあるそうです。


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流石に雪が降ることはないそうです。


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夕日に照らされてキラキラ輝くファサードが見物ですが、望むべくもありません。


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イタリアでは雨男の私です。


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ホテルに戻りました。


1370
ホテルの部屋に籠っていたのでは、折角の機会が勿体ないので、再び外出しました。


1399
もう夕方です。


1372
要塞の隣にあるサン・パトリツィオの井戸を見に来ました。


1373
雨粒が写ってます。ホテルに戻った時に比べると一段と雨脚が強くなっていました。


1374
要塞横から撮った写真です。


1375
風が下から吹き上がってずぶ濡れ。


1376
これでは観光になりません。退散することにしました。


1377
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


1378
頑張って、このフレスコ画を見ましたが、それが精一杯でした。


1379
夕方になって更に寒さが増したようです。


1380
夕食を食べたかったのですが、開店まで、あと1時間ありました。夕食のために、もう一度外出するのが嫌だったので、適当に食べ物を買ってホテルで食べることにしました。


1381
サンタンジェロ教会です。


1382


1371
ホテルに戻る頃には、すっかり日が暮れていました。この日はこれで終わりです。


1383
翌朝です。


1384
霧雨が微かに降っていました。


1385
相変わらず気温が低かった。


1386
この日もダメか、と悲観的になってました。


1388
旧サン・ロッコ教会です。


1389
顔に雨が当たらなくなりました。


1390
雲が切れてきました。


1309
この天気ならば、歩き回れそうです。


1307
雲間から日差しが。


1308
日差しが出ると共に、急速に暖かくなってきました。


1310
それでも地元の人たちは用意周到、冬の服装の厚着でした。


1311
(つづく)

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ドゥオーモ付属美術館は開いていました。
ロレンツォ・マイターニ(シエナ、1275-オルヴィエート、1330)とウンブリア・シエナの逸名彫刻家による「聖母子と天使たち」


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ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445c-1523)の「聖マリア・マッダレーナ」(1504)


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ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445c-1523)の「自画像とニッコロ・ダンジェリ・フランチェスキの肖像」(1500 o 1503)


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シモーネ・マルティーニ(シエナ、1284c-アヴィニョン、1344)の「オルヴィエートのポリッティコ」(1321c)


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聖マリア・マッダレーナ


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聖ドメニコ


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聖ピエトロ


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聖母子


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聖パオロ


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シモーネ・マルティーニ(シエナ、1284c-アヴィニョン、1344)の「聖母子と二天使」(1322-24c)


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ピエロ・ディ・プッチョ(オルヴィエート、1350c-?)の「聖ジローラモ」(1388)


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ピエロ・ディ・プッチョ(オルヴィエート、1350c-?)の「聖アンブロージョ」(1388)


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スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)の「磔刑」(1390-1400c)


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バルトロメオ・ダ・ミランダ(ミランダ、?-1449以降没)の「聖母子と二聖人」(15世紀中頃)


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外に出ました。


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強い雨と風は一向に衰えていなかった。


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昼食の予約をしていたので、食べることにしました。


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観光客がチラホラ


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テレビで紹介されたラ・パロンバで食べたいと家内が言うので、電話で予約しました。(写真の店ではありません)


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左右の建物に風雨が遮られ、通りを歩くことに困難は感じません。


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悪天にも拘らず、何時も通り開店している店が殆どでした。


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サンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ教会です。


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入店しました。


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何時も満席の人気店ですが、この日は悪天とあって空席がありました。


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外では激しい大雷雨のようです。


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外に出ました。


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雨と風は収まっていましたが、霧雨が降っていました。


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教会前の白いものは何と氷です。先ほど雹が降ったようです。


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今度は寒くて観光どころではありません。


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5月の昼過ぎです。ホテルを出るとき、ジャケットを着ていましたが、10度ほど気温が急降下したようで、寒くて風邪を引きそうです。


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ホテルに戻ることにしました。


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アルプスから寒気が下りてきたようです。


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サンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ教会の拝観は後回しです。


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(つづく)

オルヴィエートは、人口20,197人(2020年8月31日現在)のウンブリア州テルニ県にあるコムーネです。
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前泊地はローマでした。


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ローマ・テルミニ駅から普通列車(快速)に乗ってオルヴィエートに向かいました。


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このホームが遠いので参りました。
この日のオルヴィエートの天気予報は大雨、強風の嵐だったのですが、ローマでは青空が見えていたので安心していました。


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車内は非常に空いてました。発車してから20分ほど経つと、外は雨でした。


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オルヴィエート駅に到着しました。運悪く天気予報が当たったようです。


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オルヴィエート駅の駅舎です。


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この時は未だ傘を差さずにフニコラーレ駅に行くことが出来ました。気温がローマよりもかなり低くなっていました。


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フニコラーレ駅でケーブルカーを待っていると、急に雨と風が強くなってきました。


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この後、ケーブルカーに乗り、さらにバスに乗り換えて、ドゥオーモ横のホテルにチェンクインしたのですが、嵐のために途中の写真がありません。大きな荷物を引き、傘を差しながら大雨と強風の中、写真を撮るのは無理と言うものです。


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私のオルヴィエート観光は、大好きなルカ・シニョレッリの作品があるドゥオーモとドゥオーモ付属美術館に尽きます。


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嵐の中、先ずドゥオーモに行きました。ホテルからドゥオーモまでは僅か100メートルほどでしたが、それでも濡れました。


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ドゥオーモが開いていました。


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我々(珍しく家内と一緒でした)を除き、観光客がいなかった。また、地元の信者もいなかった。


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ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c-ローマ、1427)の「マエスタ」(1425)


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ドゥオーモについては、既に詳述したので、そちらの方をご参照願います。


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お目当てのCappella di San Brizioです。


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天井フレスコ画の一部がベアート・アンジェリコによって描かれました。


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それ以外は、ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441/1445c-1523)によって1499年から1504年に制作されました。


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後陣のフレスコ画です。


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イッポリート・スカルツァ(オルヴィエート、1532-1617)の「ピエタとニコデモ」(1579)


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外に出ました。


1392
雨が一層強くなりました。


1396
レンズに雨が付きました。


1393
これではどうにもなりません。


1394
ドゥオーモの扉が閉まりました。


1397
観光客がもう来ないと判断して扉を閉めたようです。


1395
ドゥオーモ付属美術館が臨時閉館となっては困ります。慌てて美術館に向かいました。


1398
(つづく)

251
Via Fontiの聖母子の祠


253
ピエンツァの城壁内に戻ってきました。


254
見たい所、行きたい所には全て行ったので、時間潰しのブラブラ歩きです。


255
ピオ2世広場です。


256
市庁舎のロッジャ


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258


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Porta al Ciglioです。


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門を潜ります。


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城壁外に出ました。


261
Porta al Ciglioの横に歩行者専用の小門があります。


263
堅固に造られた砦と城壁が聳えてます。


264
城壁の周りを歩きます。


265
城壁沿いの道の下は、トスカーナの典型的な風景が大きく広がってます。


266


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カメラのゴミが気になります。


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城壁内に戻ります。


275
Largo Roma


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Corso Rossellino


278
ピオ2世広場


279
ダンテ広場


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昼食を食べたレストラン


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見所が比較的多いピエンツァですが、かなりゆっくりと見て歩いても時間が余るようです。


p1016
Corso Rossellino


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Via dell’Apporito


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モンテプルチャーノ、シエナなどからの日帰り遠足でも十分楽しめるピエンツァと思います。


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サン・フランチェスコ教会をもう一度拝観します。


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後は大体同じなので、この辺で終わりにします。


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(ピエンツァ編 おわり)

219
ホテルで一休みしてから、再び外に出ました。


220
次はサンタ・カテリーナ教会です。


218
Viale Santa Caterinaを進みます。通りの突き当りにサンタ・カテリーナ教会があります。


221
丘の裾野を進むViale Santa Caterinaからは、トスカーナの絶景が楽しめます。


222
カメラに混入した埃が気になります。


223
トスカーナ名物の糸杉


224
遠くに見えるのは、サン・クイリーコ・ドルチャでしょうか?


229
サンタ・カテリーナ教会が見えてきました。


225


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コルシニャーノの教区教会の鐘楼が写ってます。下に向かう農道があるのが分かったので、後で教区教会にも行ってみることにしました。


227


228
観光案内所で確認した通り扉が開いていました。


231
13世紀頃に建設された小さな礼拝堂が前身とされてます。


p1004
現在のバロック様式の建物は、17世紀末に創建され、1722年に完成しました。1731年に奉献式が執り行われました。


232
煉瓦造りの単純な構造の教会です。


246
後陣と鐘楼


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シエナの聖カテリーナに捧げる教会です。


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中に入りました。


235
翼廊がない、単廊式、バロック様式の内部です。


234
右側壁の祭壇画が取り外されていました。


240
詳細不知の「主祭壇画」


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トスカーナの逸名画家作「聖母子」(14世紀)


236
制作者情報不知の「シエナの聖カテリーナ」


237
制作者情報不知の「アッシジの聖フランチェスコ」


238
制作者情報不知の「シエナの聖カテリーナ」


242
18世紀のトスカーナの逸名画家作「ご訪問」


244
詳細不知


243


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カウンターファサード


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カウンターファサードのオルガン


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外に出ました。


230
後陣の先に下に下りる小道があります。


247
後陣に回りました。


248
ポピーが咲いてました。


249
下に下ります。


250
オリーブ畑とブドウ畑が続きます。


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見上げるとサンタ・カテリーナ教会がありました。


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(つづく)

p1050
引き続き、コルシニャーノの教区教会です。


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1925年に改修された木組みの天井


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祭壇


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出入口方向


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1979年に制作されたオルガン


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外に出ます。


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外に出ました。


113
教区教会はコルシニャーノの中心にありましたが、その周囲にあった人家はピエンツァの完成を機に、コルシニャーノの旧市街から離れピエンツァに移されました。
現在、教区教会は畑と林に囲まれてます。


115
教区教会前の栗の木が花をつけていました。


116
教区教会の上にあるサンタ・カテリーナ教会です。大回りしないと行けないので、拝観は後にしました。


117
ピエンツァに戻ります。


118
コルシニャーノの城壁でしょうか?


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ピエンツァ旧市街の入り口ムレッロ門に戻ってきました。


119
ムレッロ門のフレスコ画


200
ピオ2世広場です。


201
写真右の建物はドゥオーモ、左の建物はPalazzo Piccolominiです。


202
カメラのゴミが入ったようで変な影が写るようになりました。


204
Via Gozzante


205
ドゥオーモの後陣


206
この時の旅で撮った写真ですが、カメラのゴミのため、このような変な写真になりました。


207
帰国するまでゴミの混入に気付きませんでした。


208
近距離の写真は大丈夫でした。


209
ピオ2世広場に戻りました。


210
ムレッロ門を潜ります。


211
ムレッロ門を潜ると、門の横に観光案内所があります。


214
公園で一休み。


212
ニャーゴがいました。


215
別のニャーゴがご来訪。


213
狭い、小さな町ピエンツァなので、どうしても同じ所に来てしまいます。。


216
午後もあちこち行きましたが、同じ所ばかりでした。


217
ゴミ混入カメラの写真を見ると嫌になります。


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ピエンツァ編をやらなかったのは、ゴミ混入写真のためです。


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お腹は空いていないが、何か食べないと夕食まで持ちません。


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適当に軽食を食べます。


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昼食後、ホテルに戻って昼寝をしました。
(つづく)

098
次はコルシニャーノ教区教会です。


099
ピエンツァの城壁外に出ました。


100
ピエンツァの前身コルシニャーノは、ピエンツァの城壁から約1キロメートル離れてます。


101
コルシニャーノの教区教会は、コルシニャーノのほぼ中央にありました。


102
ピエンツァからコルシニャーノに向かう道、Via Fontiからの景観です。


103
畑の柵の向こうにニャーゴがいました。


105
コルシニャーノの教区教会、サンティ・ヴィトー・エ・モデスト教区教会です。


p1026
教会の歴史は古く、7世紀に遡ると言われてます。714年の文書に、この教会の存在が初めて記載されているそうです。
11世紀の文書に教区教会と記載されたそうです。


114
現在のロマネスク様式の外観は、13世紀に改修された後の建物が原形になってます。


104
左側壁


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11世紀の鐘楼


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右側壁にも扉がありますが、通常閉まっているようです。


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ファサードを見ます。


106
砂岩で出来たファサードです。


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メイン扉は12世紀に造られました。


p1031
ファサードの二連窓


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二連窓の彫刻


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メイン扉の彫刻を見ます。


p1034
ルネッタ


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柱頭


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右側壁にあるサイドポータルです。


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サイドポータルの彫刻


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右側壁の扉横の彫刻


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107
教会内に入りました。


108
三廊式、ロマネスク様式の内部です。


109
現在の内部が少し新しく見えるのは、1925年に行われた改修工事のせいです。


111
主祭壇


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16世紀の磔刑像


110
クリプタに下ります。


p1045
クリプタです。


112
クリプタには殆ど何もないので、内陣に戻ります。


p1042
鐘楼を見ます。


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鐘がないようです。


p1046
柱頭の蛇の浮彫


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ピオ2世が将来のピオ3世を洗礼した洗礼盤


p1048


p1049
碑文
(つづく)

引き続き、サン・カルロ女子修道院だった建物で行われたIl Buon Secolo della Pittura Seneseと言う展示会の展示作品です。
p1088
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖母子と聖人たち」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖母子と聖人たち」(1622-23)
通常、ピエンツァの教区美術館で展示されてますが、この時は特別展に移されていました。


p1090


p1091
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「瀕死の聖マリア・マッダレーナ」


p1092


p1093
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖マリア・マッダレーナと三天使」


p1094
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「絵画と建築の寓意」


p1095
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖マリア・マッダレーナの改宗」


p1096
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「磔刑」


p1000
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563-ロンドン、1639)の「聖母子」


p1001


p1002


p1003
ニッコロ・トルニオーリ(シエナ、1598以降生まれ-ローマ、1651)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


p1004


p1005
ドメニコ・マネッティ(シエナ、1609-1663)の「ローマの慈善」


p1006
ドメニコ・マネッティは、ルティリオ・マネッティの次男です。


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p1009
クリストファノ・ルスティーチ通称イル・ルスティコ―ネ(シエナ、1552-1641)の「盲人と癒すキリスト」


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p1011
ベルナルディーノ・メイ(シエナ、1612-ローマ、1676)の「レテ川の水で時間と共に癒される愛」


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p1014


p1015
アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1583-1665)の「リュート奏者」


p1016


p1017
アンティヴェドゥート・グラマティカ(シエナ、1571-ローマ、1626)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


p1018
アレッサンドロ・カソラーニ(カーゾレ・デルザ、1552-シエナ、1606)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノとシエナの聖カテリーナ」


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17世紀の逸名画家作「カラヴァッジョの『果物を剝く少年』のコピー画」


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p1023
ミケランジェロ・メリージ通称カラヴァッジョ(ミラノ、1571-ポルト・エルコレ、1610)の「果物を剥く少年」
ご参考までにカラヴァッジョの作品写真を載せておきます。(イギリスのロイヤル・コレクション)


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アンティヴェドゥート・グラマティカ(シエナ、1571-ローマ、1626)の「純潔の寓意」


p1025


092
サン・カルロ修道院教会から外に出ました。


093
狭い城壁内を歩き尽くすことにしました。


094
16世紀の時代とほとんど変わっていない街並みです。


095


096


097
(つづく)

085
城壁内に戻りました。


086
ピエンツァの城壁内の建物は趣のあるものが殆どです。


087
サン・カルロ女子修道院にやってきました。


088
入口のアーチを潜って中に入りました。


p1062
女子修道院の中庭です。


090
17世紀前半に建設されたサン・カルロ修道院教会です。1634年、アゴスティーノ女子修道会に与えられ、女子修道院になりました。


089
サン・カルロ教会です。


p1063
既に宗教活動が停止されてますが、修道院と教会だった建物は、ピエンツァ・コムーネの所有となっており、その一部は考古学博物館として一般公開されてます。また、不定期に会議室や様々な展示会場として利用されてます。


091
修道院中庭の古井戸
次は考古学博物館です。


p1056
考古学博物館の展示は、何処の博物館でも大体同じです。ここも、その例外ではなく、石棺、墓石、墓の碑文、骨壺などが展示されてます。
エトルリア時代の墓(紀元前300-紀元前190c)


p1057
エトルリア人の骨壺(紀元前300-紀元前190c)


p1058
墓石の碑文(紀元前250-紀元前225c)


p1059
墓石(紀元前1世紀)


p1060
骨壺(紀元前300-紀元前190c)


p1061
骨壺の一部(紀元前300-紀元前190c)


p1055
次はサン・カルロ教会の内部です。


p1064
主祭壇


p1065
主祭壇画は、フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖母子と聖人たち(聖カルロ・ボッロメオ、聖フランチェスコ、聖クレア、シエナの聖カテリーナ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ)」(1620-25)
この作品は、通常Museo Diocesanoに移されています。その場合は、教会の主祭壇画は複製画となっているようです。


p1066
主祭壇横の「聖アゴスティーノ像」(1620-30)


p1067
「トレンティーノの聖二コラ像」(1620-30)


p1068
この当時、修道院だった建物でIl Buon Secolo della Pittura Seneseというシエナ派画家たちの特別展が開催されていました。
その特別展の展示作品を紹介します。


p1069
ヴィンチェンツォ・ルスティーチ(シエナ、1556-1632)の「幼児を洗礼する聖アンサーノ」
ヴィンチェンツォ・ルスティーチは、フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノの父です。


p1070
ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1639)の「この人を見よ」


p1071
ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1632)の「ギャンブルと欲望の悪徳の寓意」


p1073
蠟燭の明かりと暗部との対比を描いてます。


p1072
ルティリオ・マネッティは、1615年、ローマへの旅に出ましたが、旅先のローマで出会ったカラヴァッジェスキ画家たちとそれらの作品から強い影響を受け、画風を変えたのです。


p1074
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「ご訪問」


p1075
個人蔵の作品です。


p1076
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖アグネス」


p1077
若死を惜しまれている画家です。


p1078
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


p1079


p1080
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖カルロ・ボッロメオ」
紋章はジローラモ・コルセッティによって描かれたそうです。ジローラモ・コルセッティと言う画家については全く知りません。


p1081


p1082
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


p1083
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと大天使聖ミケーレ」


p1084


p1085
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「若い男の肖像」


p1086
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「ロザリオの聖母」


p1087
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)原画のエッチング付きの聖書
(つづく)

引き続きピエンツァの教区美術館です。
184
フィレンツェ派逸名画家作「最後の晩餐」(17世紀)


185
ジュゼッペ・二コラ・ナシーニ(カステル・デル・ピアーノ、1657-1736)の「聖母」


p1035


186
聖職者の法衣は教区美術館の定番展示です。


187
ベルナルド・ラントビク(フランドル、1573c-1596活動記録)の「ナルニからローマへの聖遺物の移送」


p1036


188
ベルナルド・ラントビク(フランドル、1573c-1596活動記録)の「ミルヴィオ橋で聖遺物を受領する教皇」


p1037


191
外に出ました。


075
次はPalazzo Piccolominiです。


194
第210代教皇ピオ2世(コルシニャーノ、1405-アンコーナ、1464 教皇在位:1458-1464)の命によって、ベルナルド・ロッセッリ―ニ(セッティニャーノ、1409-フィレンツェ、1464)に建築が委嘱され、ベルナルドの設計によって1459年以降に建設されたピッコロミーニ宮殿です。


195
ピッコロミーニ宮殿前に井戸があります。


p1038


p1039
高さ27メートル、三階建てのピッコロミーニ宮殿です。


p1040
ピッコロミーニ宮殿は映画のロケ地として度々使用されてます。


197
中は一般公開されてます。この時は30分毎のガイド付きツアーのみの一般公開で、宮殿室内の写真撮影は不可となっていました。


199
切符を買いました。ガイド付きツアーの出発時間まで中庭で待ちます。


198
この時は、私を含めて9名のツアーになりました。


p1043



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外に出ました。


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小さなピエンツァの城壁内を見て回ります。


078
写真左は、Palazzo Comunaleです。


079
グリエルモ・マルコーニ通りです。


p1045
城壁内の建物の多くは15世紀後半に建設されました。


080
スパーニャ広場(スペイン広場)です。


p1046


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一旦、ドゥオーモ前に戻ります。


082
ピエンツァの目抜き通りに出ました。


083
Corso Rossellinoを更に進みます。


084
チーリオ門が見えてきました。


p1048


p1050


p1049
チーリオ門を潜ります。


p1051
チーリオ門を潜って城壁外に出ました。
(つづく)

158
グイドッチョ・コッツァレッリ(シエナ、1450-1516/1517)の「聖母子と二天使」


p1021


159
グイドッチョ・コッツァレッリ(シエナ、1450-1516/1517)の「聖母子と聖セバスティアーノと聖アントニオ・アバーテ」


p1022


160
シエナ派逸名画家作「Trigramma col Nome de Jesu」
シエナの聖ベルナルディーノが持ってますね。


161
アルカンジェロ・サリンベーニ(シエナ、1536-1579)の「聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」(1580)
欠落したパネルは聖母子でしょうか?


162
ロレンツォ・ブロッツィ通称イル・ルスティーコ(シエナ、1521-1772)の「ピエタのキリスト」「キリストの洗礼」「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


163
ジョヴァンニ・アンドレア・ガッレッティ(シエナ、1499-1539)の「聖ピエトロ」と「聖パオロ」(1535c)


164
バルトロメオ・ネローニ通称イル・リッチョ(シエナ、1532-1571記録)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタとシエナの聖カテリーナ」(1570c)


p1023


165
シエナ派逸名画家作「無原罪の聖母と四聖人」(1562)


166
マルコ・ビージョ(シエナ、1523-1550活動記録)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


167
ベルナルド・ラントビク(Rantwyck)(フランドル、1573c-1596活動)の「モレアスのパトラスからの出発」(1583以前)


p1024


168
ベルナルド・ラントビク(フランドル、1573c-1596活動)の「モレアスのアンコーナ到着」(1583以前)


p1025


169
ベルナルド・ラントビク(フランドル、1573c-1596記録)の「サン・ピエトロに向けてローマの通りを進む聖遺物の行進」(1583以前)


p1026


170
交唱唱歌集


171
交唱唱歌集


172
ジョヴァンニ・ビリヴェルト(フィレンツェ、1585-1644)の「聖カルロ・ボッロメオ」(1615c)


p1027


173
マッテオ・ロッセリ(フィレンツェ、1578-1650)工房作「マギの礼拝」(1615-20c)


174
フランチェスコ・ナシーニ(ピアンカスタニャ―イオ、1611-カステル・デル・ピアーノ、1695)の「聖母子とパドヴァの聖アントニオ」


175
フランチェスコ・ルスティーチ(シエナ、1592-1625)の「聖母子と聖人たち」(1620c)


p1029


p1028


176
ヴィンチェンツォ・ルスティーチ(シエナ、1557-1632)の「聖母子とアッシジの聖フランチェスコとシエナの聖カテリーナ」(1610c)


177
ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「フランチェスコ・マリア・ピッコロミーニ司教の肖像」(1596c)


178
フィレンツェ派逸名画家作「死せるキリストを支えるアリマテアのジュゼッペ」(1570c)


179
ニッコロ・ベッティ(フィレンツェ、1571-1617活動記録)の「受胎告知」(1580c)


p1030
表裏両面に描かれてます。


180
「受胎告知」の裏面に描かれたニッコロ・ベッティ(フィレンツェ、1571-1617活動記録)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1580c)


p1031


181
ニッコロ・ベッティ(フィレンツェ、1571-1617活動記録)の「三位一体」(1580c)


p1032
表裏両面に描かれてます。


182
ニッコロ・ベッティ(フィレンツェ、1571-1617活動記録)の「聖母子」(1580c)


p1033


183
フランチェスコ・トレヴィサーニ(カポディストリア、1656-ローマ、1746)の「ロザリオの聖母と聖ベネデットと聖ブルノーネ」


p1034
(つづく)

136
ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、?-1348c)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(1330c)


p1001


p1002


137
シエナ派逸名画家作「磔刑像」


p1003


138
ジョケット・ディ・ベネデット原画のタペストリ(1460c)


139
タペストリ(1470-90)


p1004



140
ピオ2世の法衣


p1005
リネン・シルクに金銀が使われてます。


141
フィレンツェ派逸名画家作「聖アンドレア・アポストロと聖ピオのタベルナコロ」(1460)


142
ロレンツォ・ディ・ピエトロ通称ヴェッキエッタ(シエナ、1410-1480)の「ベネデット会修道士の奇跡的な復活」(1460-62c)


p1006
裾絵のパネル


143
ロレンツォ・ディ・ピエトロ通称ヴェッキエッタ(シエナ、1410-1480)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」(1460-62c)


p1007


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受胎告知


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裾絵


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148


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シモーネ・ディ・ジョヴァンニ・ギーニ(フィレンツェ、1410c生まれ-1476まで活動確認)の「聖アンドレア の聖遺物箱」(1462-63)


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聖アンドレアの遺骨(聖遺物)が中に入ってます。


p1012
宝石が沢山


p1020


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ネロッチョ・ディ・バルトロメオ・デ・ランディ(シエナ、1447-1500)の「聖セバスティアーノの裾絵」


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ディオクレティアヌス帝の前の聖セバスティアーノ


150
磔刑


151
聖セバスティアーノの殉教


152
ベルナルディーノ・フンガイ(シエナ、1460-1516)の「聖母子と二天使」(1490c)


p1014


153
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1441c-1523)とシニョレッリ工房の「慈悲の聖母と聖セバスティアーノとシエナの聖ベルナルディーノ」(1490)


p1015


p1016


156
フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ(シエナ、1439-1502)と工房の「聖母子」(1485-90)


157
フラ・バルトロメオ(ソフィニャーノ・ディ・プラート、1472-フィレンツェ、1517)の「エジプトへの逃避途中の休息」(1497-1504c)


p1017


p1018


p1019
(つづく)

073
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
コロナのため、イタリアが遠くなりました。
暫く行ってませんが、以前の旅を思い出しながら書いていくつもりです。

次は教区美術館です。


p1040
ピエンツァの教区美術館は美術ファンにとって必見でしょう。展示作品数は多くありませんが、シエナ派画家たちの珠玉の作品が揃ってます。


p1039
教区美術館はPalazzo Vescovileに置かれてます。


074
Palazzo Vescovileは、ピオ2世広場の左にあります。


p1041
写真右の建物がPalazzo Vescovileです。


p1043
前述したように、ピエンツァは、第210代教皇ピオ2世(コルシニャーノ、1405-アンコーナ、1464 教皇在位:1458-1464)によって、生まれ故郷コルシニャーノに築かれた新しい町ですが、このPalazzo Vescovileのその一環としてピオ2世の命によってベルナルド・ロッセリーニ(セッティニャーノ、1409-フィレンツェ、1464)の設計によって建設された建物です。


p1045
ピオ2世は、完成した建物を腹心のロドリーゴ・ボルジア枢機卿(後の教皇アレッサンドロ6世)(スペイン、ハティバ、1431-ローマ、1503)に寄贈しました。ボルジア枢機卿は建物を住居に改造しましたが、この改造後の姿が現在の外観の原形となってます。


1042
1957年に教区美術館がオープンしました。


p1044
鐘楼がある建物はPalazzo Comunaleです。


192
ピエンツァに訪れる観光客の多くが入館します。


193
Palazzo Vescovileの中に入りました。


120
中庭があります。


189
中庭の井戸


121


190
展示室は階上にあります。


p1046
展示室に入室しました。


p1047
展示作品が何処にあったのか、については、この当時明示されていなかったと思います。


122
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ(フィレンツェ、1340-1414)の「聖母子と聖アントニオ・アバーテと聖フランチェスコ」


p1056


123
14世紀のフィレンツェの逸名画家作「聖母子と聖人たちのトリッティコ」


124
Maestro dell’Osservanza(1425-1450活動記録)の「ウミルタの聖母のタベルナコロ」
Maestro dell’Osservanzaはシエナ派の画家です。


p1048


125
アンドレア・ディ・バルトロ(シエナ、1360c-1428)の「聖母子」(1410-20)


p1049


126
バルトロ・ディ・フレディ(シエナ、1330-1410)の「慈悲の聖母」(1364)


p1050


127
シエナ派逸名画家作「キリストの物語」


129
カルロ・ディ・ジョヴァンニの「磔刑」
両面に描かれてます。


128
カルロ・ディ・ジョヴァンニの「キリストの鞭打ち」


130
シエナ派逸名画家作「聖母子」


131
ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280-1348)の「聖母子」(1310-20)


p1051
この美術館のシンボルになっている作品です。


p1052


132
バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337-1378活動記録)の「聖母子」(1450c)


133
セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ(シエナ、1298-1327記録)の「磔刑」(1315-20)


p1053


134
ウゴリーノ・ディ・ネリオ(シエナ、1280-1349)と工房の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」(1320c)


p1054


135
Maestro di 1346の「聖母子」


p1055
(つづく)

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