イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2022年02月

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礼拝堂、フレスコ画や祭壇画がある場所の確認のため、聖堂内の写真をもう一度掲載しておきます。


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左側壁


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右側壁


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天井


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タヴァンティ礼拝堂です。


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以前は、サン・バルトロメオ礼拝堂と呼ばれていましたが、20世紀初めに礼拝堂が売り出され、タヴァンティ家が購入したので、名称が変わりました。


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サン・バルトロメオ礼拝堂時代に描かれたフレスコ画が残されてます。


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フレスコ画は、アントニオ・ディ・アンギアーリ(アントニオ・ダ・アンギアーリ)(ボルゴ・サン・セポルクロ、15世紀中頃活動)に帰属します。


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アントニオ・ディ・アンギアーリに帰属するフレスコ画


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シニガルディの祭壇です。


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逸名彫刻家作「磔刑像」(14世紀)


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詳細不知


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カドゥーティ礼拝堂です。


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逸名画家作「三聖人」(16世紀)


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聖水盤


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逸名画家作「チゴリ作『パドヴァの聖アントニオのラバの奇跡」


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ニッチの磔刑は既に紹介しました。


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の「光悦の聖フランチェスコ」


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ジョヴァンニ・アントニオ・ラッポーリ(アレッツォ、1492-1552)の「マギの礼拝」


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ロッソ・フィオレンティーノの原画に基づく作品だそうです。


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アレッツォ派逸名画家によるフレスコ画(16世紀)


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ミケーレ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1385-1455)の「フランチェスコ・ロッセッリの墓碑」


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(つづく)

引き続きサン・フランチェスコ聖堂です。
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アレッツォの逸名画家作「聖フランチェスコとウンゲリアの聖エリザベッタと聖ドナート」(16世紀)


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ロレンティーノ・ダンドレア(アレッツォ、1430c-1506)の「パドヴァの聖アントニオの物語」(1480)


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シエナの聖ベルナルディーノ


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ご訪問


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聖セバスティアーノ


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ラバに奇跡を起こさせるパドヴァの聖アントニオ


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魚に説教する聖アントニオ


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パドヴァの聖アントニオ


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制作年が記されてます。


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聖アントニオの奇跡


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聖アントニオの奇跡


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スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)の「聖霊降臨」


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トスカーナの逸名画家作「聖母被昇天」(16世紀前半)


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制作者情報不知の「聖心」


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パッリ・ディ・スピネッロ(アレッツォ、1387-1453)に帰属する、またはスピネッロ・アレティーノ派逸名画家による「磔刑のタベルナコロ」
パッリ・ディ・スピネッロは、スピネッロ・アレティーノの息子です。


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磔刑


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聖フランチェスコ


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聖ミケーレ


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ゴッツァーリ礼拝堂です。


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ゴッツァーリ礼拝堂のフレスコ画は、スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)、またはアンドレア・ディ・ネリオ(アレッツォ、1350cから活動記録-1387以前没)の、どちらかに帰属すると言われてます。


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ゴッツァーリ礼拝堂のフレスコ画


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ベアート・ベネデット・シニガルディの墓


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(つづく)

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次はサン・フランチェスコ聖堂です。


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アレッツォに来る目的の一つは、サン・フランチェスコ聖堂にあるピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画を見ることです。


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見所豊富がアレッツォですが、それらが街のあちこちに点在している上に、開館時間がまちまちなので、行ったり来たりしてしまいます。


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城壁内が結構広いので歩き回る距離が長くなります。


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教会の建物です。


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スグラッフィート装飾がある建物です。


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現在はイタリア銀行の建物ではないようです。


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道を下って広場に出ます。


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サン・フランチェスコ広場に出ました。


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サン・フランチェスコ聖堂です。
1955年、第260代教皇ピオ12世(ローマ、1876-カステル・ガンドルフォ、1958 教皇在位:1939-1958)によってBasilica Minoreに格付けされたので、聖堂と呼称すべきでしょう。


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13世紀前半、サン・フランチェスコ教会が城壁外に建設されました。しかし、サン・フランチェスコ修道院の建物が外敵の兵舎に転用されることを懸念した市当局は、1290年、城壁外の教会修道院を破壊して、城壁内の現在地に教会修道院の建物を再建するように命じました。


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そうして、フラ・ジョヴァンニ・ダ・ピストイアの設計によって13世紀末から14世紀に建設されたのが、現在のロマネスク様式の建物です。


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ファサードは未完成のまま現在に至ってます。


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現在でも地元の人たちの宗教施設となってますが、観光客に対しては拝観有料でMuseoとして公開されてます。


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聖堂内に入りました。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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左右にニッチ、礼拝堂が設けられてます。


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天井


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ドメニコ・ペコリ(1475c-1527)に帰属する「聖母子」(1520c)


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ニッコロ・ソッジ(アレッツォ、1480-1552)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖アントニオ・アバーテと聖フランチェスコと三天使」


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アレッツォの逸名画家作「三聖人(恐らく聖フランチェスコ、ウンゲリアの聖エリザベッタ、聖ドナート)」


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ジュゼッペ・カッシオーリ(フィレンツェ、1865-1942)の「十字架降下」(1926c)


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(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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グイド・タリアーティの記念碑
グイド・タリアーティは、アレッツォ司教で、1327年、アレッツォで没しました。


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ジョットの原画に基づく、アゴスティーノ・ジョヴァンニとアーニョロ・ヴェントゥーラの「グイド・タリアーティ司教の記念碑(生涯)」(1330)


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「玉座の聖母子」(1270c)


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説教壇


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カウンターファサード


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(つづく)

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引き続きドゥオーモです。


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逸名画家作「聖母子と聖クリストフォロと聖ジャコモ・マッジョーレの生涯の物語」(14世紀後半)


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第二次世界大戦の爆撃によって、従来のステンドグラスが破壊されたので、戦後に新造されたものです。


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Maestro del Vescovado(アレッツォ、14世紀活動)の「磔刑」(14世紀)


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Maestro del Vescovado(アレッツォ、14世紀活動)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


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Maestro del Vescovado(アレッツォ、14世紀活動)の「聖ルチア?」
聖ルチアのアトリビュートである目玉が描かれていると思いました。


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主祭壇です。


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14世紀後半のシエナ、フィレンツェ、アレッツォの逸名彫刻家による主祭壇です。「Arco di San Donato」(1362c)と呼ばれてます。


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後陣天井


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もう一度、ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画を見ます。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1415c-1492)の「聖マリア・マッダレーナ」(1466c)


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(つづく)

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プリオーリ宮です。


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トイレに行きたくなりました。ドゥオーモ近くにはバールがありません。


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でも大丈夫です、ドゥオーモ下に観光案内所があり、そののトイレを利用しました。


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次はドゥオーモの拝観です。


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アレッツォ₌コルトーナ₌サンセポルクロ司教区のサンティ・ピエトロ・エ・ドナート司教座教会です。


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この場所はアクロポリスになっていましたが、4世紀、そこにあった神殿を改造した初期キリスト教会が前身とされてます。
現在の建物は、1278年に創建されたものが原形となってます。その後、建物の経時劣化によって幾度となく修復が行われました。


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砂岩のファサードは、1901年から1914年に建設された新しいもので、美術的な見所には欠けると思います。


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右側壁です。


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後陣と鐘楼


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右側壁の入り口です。


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右側壁の入り口扉上ルネッタの彫刻


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右側壁の入り口扉上のフレスコ画


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拝観します。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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見所豊富な内部です。


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何はともあれ、ピエロ・デッラ・フランチェスコのフレスコ画を見ます。


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これです。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1415c-1492)の「聖マリア・マッダレーナ」(1466c)


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「玉座の聖母子」(1270c)


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左側廊


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教皇グレゴリオ10世の墓


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右側廊


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後陣のステンドグラス
第二次世界大戦の爆撃によって従来のステンドグラスが粉々に砕けてしまったので、戦後に造られたものです。


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(つづく)

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Palazzo Camaiani Albergottiです。


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グエルフの貴族カマイアーニ家、サッソ―リ家、アルベルゴッティ家によって13世紀に建設された複合邸宅です。


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14世紀に増設拡大されました。


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ビガッツァの塔と呼ばれるPalazzo Camaiani Albergottiの塔は、13世紀に建設されました。


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Palazzo Camaiani Albergottiは、20世紀初頭に修復され、元の姿に復元されました。(写真左の建物がPalazzo Camaiani Albergottiです)


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フレスコ画があります。


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フレスコ画は古いものではなく、20世紀初頭に行われた修復の際に新たに制作されたものです。


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ガリレオ・キーニ(フィレンツェ、1873-1956)によって1916年に描かれたフレスコ画です。


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Palazzo Camaiani Albergottiの斜め向かいはロッジャの宮殿です。


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メディチ家の紋章


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Palazzo Camaiani Albergottiは、現在、国立公文書館として使用されてます。


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国立公文書館の入り口です。


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Palazzo Camaiani Albergottiの中庭


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外壁に沢山の紋章があります。


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国立公文書館の開館時間


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Palazzo Camaiani Albergottiのフレスコ画


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ドゥオーモの方に向かいます。


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ドゥオーモです。


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ドゥオーモの拝観は後回し。


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プリオーリ宮です。


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市庁舎になっているプリオーリ宮です。


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プリオーリ宮の中庭


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プリオーリ宮のロッジャ


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(つづく)

引き続き、イヴァン・ブルスキ邸博物館です。
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ピエトロ・ベンヴェヌーティ(アレッツォ、1769-フィレンツェ、1844)の「テレーザ・モッツィと息子の肖像」


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逸名画家作「キリストの鞭打ち」(18世紀)


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逸名画家作「高貴な男の肖像」(18世紀前半)


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マーゾ・ダ・サン・フリアーノ(フィレンツェ、1536-1571)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609-ローマ、1685)の「聖母子」


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「聖母子」


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「貴婦人と息子の肖像」


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マッシモ・スタンツィオーネ(ナポリ、1585-1656)の「聖母子」


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チェーザレ・ジェンナーリ(チェント、1637-ボローニャ、1688)の「聖マリア・マッダレーナ」


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詳細不知


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外に出ました。
(つづく)

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次は、イヴァン・ブルスキ邸博物館です。


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ロッジャの宮殿です。


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イヴァン・ブルスキ邸博物館は、サンタ・マリア・アッスンタ教区教会のファサード前にあります。


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イタリア通りに戻りました。


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イヴァン・ブルスキ邸です。


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サンタ・マリア・アッスンタ教区教会の拝観後に入館しなかったのは、あの時間、イヴァン・ブルスキ邸博物館は開いていなかったからです。


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イヴァン・ブルスキ(カスティリオン・フィボッキ、1920-アレッツォ、1996)は、骨董商兼美術品・古書収集家です。毎月第一日曜日のアンティーク市で有名なアレッツォですが、アンティーク市の開催に向けて主宰したのがイヴァン・ブルスキでした。
20世紀初めに、ブルスキ一族がこの邸宅を購入して、家族が居住していましたが、第二次世界大戦の空襲によって大きな被害を受けました。
イヴァン・ブルスキは、骨董品の商談やアンティーク市開催に伴う打ち合わせ場所として、1950年代にこの邸宅を大修復したのです。
イヴァンたちの努力によって、アンティーク市は盛んになりましたが、それに伴って貴重な美術品や古書などが出品され、異常な安値で売買が成立して、美術品や古書などが散逸、流出してしまうという弊害が出てきました。それを防ぐために、イヴァン自身が買い取り、それらをこの場所で展示するようになりましたが、それが現在の博物館の前身です。
イヴァン個人で貴重な美術品や古書などを買い取るには限界があるので、主にエトルリア銀行出資による財団が組織され、財団によって博物館が運営されるようになりました。
博物館では、イヴァン・ブルスキの収集品、骨董市で財団が買い取った作品などが展示されてます。
ソドマ、ジュゼッペ・マリア・クレスピ(ロ・スパーニョレット)、グエルチーノなどの作品が骨董市に出品されていたとは驚きです。よほどの目利きでないと、それらを発見するのは難しいと思います。


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フランチェスコ・ディ・ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1460-1490活動記録)の「聖母子と聖アゴスティーノとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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ソドマ(ヴェルチェッリ、1477-シエナ、1549)の「聖母の誕生」


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ジュゼッペ・マリア・クレスピ通称ロ・スパーニョレット(ボローニャ、1665-1747)の「聖ルイージ・ゴンザーガ」


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マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578-1650)の「聖ドナート司教」


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アンドレア・ディ・ネリオ(アレッツォ、1331-1369記録)の「聖母子」


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サッソフェッラート工房作「コルトーナの聖マルゲリータ」


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グイド・レーニ工房作「エジプトへの逃避」(17世紀前半)


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逸名画家作「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」(17世紀)


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アレッサンドロ・アルガルティ工房作「聖母子」(17世紀)


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ミケーレ・チャンパンティ通称イル・マエストロ・ディ・ストラニーチェ(ルッカ、1463-1510活動記録)の「聖母子と聖ロッコと聖セバスティアーノと二天使」


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ティントレット工房作「最後の晩餐」(16世紀末)


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419-1492)の「幼きキリストを崇拝する聖母」


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(つづく)

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サンタ・マリア・アッスンタ教区教会は、何度訪れても飽きることがありません。


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ピエトロ・ロレンツェッティの多翼祭壇画を見ることが出来て感激しました。


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グランデ広場に戻ります。


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フラテルニタ・ディ・ライチ館のMuseoに入館したいと思いました。


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ロッジャを進みました。


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グランデ広場に戻りました。


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写真右手前の建物が目的のPalazzoです。


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フラテルニタ・ディ・ライチ館です。


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もう直ぐ扉が開きます。


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入口扉上の浮彫は、ベルナルド・ロッセッリ―ニ(セッティニャーノ、1409-フィレンツェ、1464)の「慈悲の聖母」(1435)です。


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フラテルニタ・ディ・ライチ館の鐘楼兼時計塔


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入口扉上ルネッタに描かれたフレスコ画は、スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350-1410)の「ピエタのキリスト」です。


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扉が開きました。


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入館しました。


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アレッサンドロ・フォルツォーリ(1564-1585消息)の「天上の聖母子と聖人たち」(1568)


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クリストフォロ・ディ・ドナート・コンティに帰属する「グランデ広場」(1780-90)


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トスカーナの逸名画家作「聖母被昇天」(16世紀後半)


P2170675


p1053
パッリ・ディ・スピネッロ(アレッツォ、1387-1453)の「慈悲の聖母」(1448)
パッリ・ディ・スピネッロは、スピネッロ・アレティーノの息子です。


p1054
バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-アレッツォ、1502)の「フラテルニタ・ディ・ライチ館前の聖ロッコ」(1479)


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ラニエーリ・バルトリーニ(アレッツォ、1794-1856)に帰属する「ロレーナのフェルディナンド三世トスカーナ大公の胸像」


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外に出ました。
(つづく)

今回は、Pieve di Santa Maria Assnta o Chiesa di Santa Maria della Pieveです。Pieveとは教区教会と言う意味です。
P1020760
教区教会のファサードです。


P1020757
5,6世紀に建設された初期キリスト教会が前身とされてます。1008年の文書に教会の存在が初めて記載されたそうです。
現在のロマネスク様式の建物は12世紀から13世紀に建設されました。


P1020759
三層のアーチから成るピサ・ルッカ様式のファサードが特徴です。


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鐘楼は14世紀前半に建設されたそうです。


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重々しい感じがするファサードのメイン扉


P1020761
拝観します。


P1020762
教会内に入りました。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


P1020763
右側壁


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Presbiterio


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主祭壇


P1020765
主祭壇画を見ます。


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Presbiterioに上ります。


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ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280・1285c-1348c)の「聖母子と聖人たちの多翼祭壇画」(1320)


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アンドレア・ディ・ネリオ(アレッツォ、1331-1369活動記録 1387以前没)に帰属する「聖フランチェスコと聖ドメニコ」


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この磔刑像も有名です。


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Presbiterioから降りました。


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クリプタに入ります。


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クリプタです。


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クリプタにある「聖ドナート・ダレッツォの胸像の聖遺物箱」(1346)
聖ドナート・ダレッツォの遺骨が納められてます。


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内陣に戻りました。


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ビザンチンの彫刻家による作品(11-12世紀)


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左側廊


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ビザンチンの彫刻家による作品(11-12世紀)


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制作者情報不知の「磔刑の傷を示すキリスト」


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洗礼盤


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右側廊


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ミケーレ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1385-1455)の「祈る聖母」


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外に出ます。


P1020799
外に出ました。
(つづく)

引き続き、サンタゴスティーノ教会です。
P1020705
スピネッロ・アレティーノ(アレッツォ、1350c-1410)の「聖母子と聖ヤコポと聖アントニオ・アバーテ」(1377)


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の「磔刑と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖フランチェスコ」(1642)


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フィレンツェの逸名画家作「聖母子と聖アゴスティーノ」(16世紀初め)


P1020714
バラバラになっていたのを、いったん解体して改めて修復された作品です。


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ニッコロ・ソッジ(フィレンツェ、1479-アレッツォ、1551)とドメニコ・ペコリ(アレッツォ、1480c-1527)とフェルナンド・ヤニェス・デ・ラ・アルメディナ(スペイン、アルメディナ、1475-1537)の「割礼」(1506)


p1051 (2)
三人の画家がそれぞれどの部分を制作したのか、分からないようです。


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の「聖母子と聖アゴスティーノと聖モニカ」(1650)


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詳細不知


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マッティア・デ・マーレ(サン・チプリアーノ・ダヴェルナ、1712-ローマ、1773)の「聖母子とベアータ・クリスティーナ・ヴィスコンティ」


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外に出ました。


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スピネッロ・アレティーノの作品が良かった。


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一旦雲が厚くなりましたが、再び晴れてきました。


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グランデ広場に向かいます。


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アレッツォに来たからには、一度はグランデ広場に行くのが義務みたいなものです。


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街角の「無原罪の聖母」のタベルナコロ


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要修復の建物です。


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アーチの下のタベルナコロ


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愛想なしのニャーゴ


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通りの突き当りがグランデ広場です。


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ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の後陣です。


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グランデ広場です。


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広場は空いてました。


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ファサード側に回って拝観します。


P1020754
(つづく)

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前泊地はフェッラーラでした。


P1020682
フェッラーラから鉄道でアレッツォに向かいました。


P1030310
アレッツォ駅に到着しました。


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直通列車がなく、ボローニャとフィレンツェで乗り換えたので、結構時間がかかりました。


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アレッツォは、人口98,101人(2020年8月31日現在)のトスカーナ州アレッツォ県の県都です。見逃せない芸術作品が多いので、殆ど毎年訪れてます。


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アレッツォ駅の駅舎です。


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駅前の噴水


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アレッツォのジョストラは有名です。


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駅横の観光案内所で地図を頂戴しました。


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駅前広場からドゥオーモが見えます。この日のお宿に向かいます。


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この日のお宿です。


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鉄道駅横前にあり、大変便利なので何時も泊ってます。


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チェックインを済ませてから街歩きに出かけました。


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Bastioni di Santo Spiritoです。


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16世紀に築かれたPorta di Santo Spiritoの一部です。


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元々は、12世紀に築かれた城壁の門でした。


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現在の姿は、16世紀に再建された城門の一部です。


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城門の名称は、門横にあったクララ会のサント・スピリト修道院に由来します。


P1030321
門の内側は、城壁内、つまり旧市街です。


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イタリア通りに入りました。


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季節は10月上旬でした。


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イタリア通りの先に見える鐘楼は、ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会のものです。


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イタリア通りを右折して、サンタゴスティーノ教会に向かいました。


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サンタゴスティーノ広場は青空市が開市中でした。


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サンタゴスティーノ教会です。


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エレミターニ・ディ・サンタゴスティーノ托鉢修道会によって、1256年に創建された教会です。
1330年から1341年に拡大増築されました。
1510年、マルティン・ルターが訪問したことでも知られてます。


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現在の姿は、1761年から1766年に建設された三代目の建物ですが、ファサードだけは二代目のものです。


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1825年、落雷によって大被害を受けたので、20世紀前半に再建された鐘楼です。


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この日、幸運にも扉が開いていました。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ネオ・ゴシック様式の内部です。


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祭壇画、フレスコ画、彫刻などを見て回りました。


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逸名画家作「聖ベルナルディーノ(中央)と聖ジローラモ(向かって左)とアンティオキアの聖イグナツィオ」(15世紀末)


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フランコ・フェデーリ(ミラノ、1911-ヴァレーゼ、1998)の「キリストの誕生」(1982)


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制作者情報不知の「無原罪の聖母」(20世紀)


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制作者情報不知の「聖心」(20世紀)


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ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1652)の「磔刑と聖母子と聖人たち(聖アゴスティーノ、トレンティーノの聖二コラ、アクゥイタニアの聖グリエルモ」(1650)


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主祭壇


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(つづく)

306
城壁内に戻りました。


309
ファリーナ門が見えてきました。門の手前にカンティーナがあります。


310
ファリーナ門の手前に教会があります。


315
既に宗教活動をしていない旧教会(教会名が分かりません)です。ファサードの手前にカンティーナがありますが、旧教会の建物はそのカンティーナが所有しているようです。


311
旧教会の中に入りました。


312
主祭壇画


313
教会だった建物内にワイン樽が置かれてます。


314


316
ファリーナ門を潜って城壁外に出ます。


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城壁外に出ました。


320
城壁沿いの道からの景観です。城壁沿いの道を進み、サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会に向かいました。


317
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


319
1200年頃に建設された古い教会です。現在の建物は14世紀に再建された二代目となるものです。


318
珍しく扉が開いていたので中に入りましたが、葬儀中でした。多くの車が駐車していましたが、葬儀参列者の車でした。


p1050
中は見所豊富です。その中の一つ「聖母子」(14世紀)です。


321
教会からも絶景が楽しめます。


322
322


323
葬儀が終わるのを待ちましたが、一向に終わりそうもありません。


324
葬儀の邪魔をしてはいけません。


325
立ち去ることにしました。


326
城壁内に戻りました。


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市立美術館にもう一度入館しました。


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ルカ・シニョレッリの作品


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カラヴァッジョの帰属作品


328
今回も楽しい旅になりました。


327


329
疲れてきたのでホテルに戻ります。


330


331
夕食後、もう一度外出しましたが、その時の写真がありません。


009
翌朝です。


005
自室からの眺め


001


002


004
この後、次の目的地オルヴィエートに向かいました。


006
(おわり)

357
ホテルに戻る前に、ここでも一杯やりました。


332
ホテルに戻りました。


003
自室のテラスからの景観です。


359


362
翌朝です。


360
カメラのゴミが気になります。


361
雨粒によるカビが発生した?


363


004
ホテルに籠っていても時間が勿体ないので、外出しました。


006
プラート門から一旦城壁外に出ます。


007
サンタグネーゼ教会をもう一度拝観しました。


280
サンタグネーゼ教会のファサード前から見た旧市街です。


281


282
プラート門を潜って城壁内に戻ります。


283
エルベ通りです。


284
観光客が増えてきました。


285
この街の目抜き通りです。


286
サンタゴスティーノ教会を通り過ぎます。


287


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289
ジェズ教会です。


304
ファサードは未完成のままのようです。


291
17世紀末に建設された、比較的新しい教会です。


305
扉が開いていたので拝観しました。


292
バロック様式の内部です。


293
イエズス会の紋章


294
アントニオ・コッリ(トリノ、1660c-ヴィテルボ、1723)による後陣のフレスコ画


295
詳細不知の主祭壇画


296
この教会の作品帰属が分かりません。


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アントニオ・コッリ(トリノ、1660c-ヴィテルボ、1723)の「聖グレゴリオの奇跡」(1697)
アントニオ・コッリは、アンドレア・ポッツォの弟子です。


303
外に出ました。


290
ジェズ教会の横から城壁外に出ます。


307
城壁外からの景観


308
(つづく)

313
次はサンタグネーゼ教会です。


314
ユニークなディスプレイのお店


315
靴屋さんではなかったような・・・・・


316
17時03分でした。


317
ポッジョ―ロ通りです。


318
時計塔が見えました。


319
ここで再び一杯楽しみました。


320
プラート門です。


321
プラート門手前の、このお店でも一杯楽しみました。


322
プラート門を潜って城壁外に出ました。


323
サンタグネーゼ教会です。


325


326
中に入りました。


329
単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


328
左右に小さな翼廊があります。


330
ベルナルド・リーパによる主祭壇の彫刻「聖アグネーゼ・セーニと二天使」(1702)
聖アグネーゼ・セーニの遺体が収められてます。


335


332
ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァル・ダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖ビアージョの殉教」


334
ラッファエッロ・ヴァンニ(シエナ、1590c-1673)の「聖母の誕生」


337
ニッコロ・ベッティ―(フィレンツェ、1550-1617)の「羊飼いの礼拝」(1581)


338


340
「授乳の聖母」


341


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17世紀後半のフィレンツェの逸名画家作「聖母子と聖アグネーゼ・セーニとリマの聖ローザ」(1670)


344


345
「聖母子」(15世紀)


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350
フランチェスコ・クラッディ派逸名画家作「聖母戴冠」(16世紀末)


351


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327
外に出ます。


324
外に出ました。


353
サンタグネーゼ教会前からの景観です。


355


356


354
(つづく)

引き続き、モンテプルチャーノ市立美術館です。
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外に出ました。


298
すっかり夕方になりました。


299
ワインスキの私にとって誘惑の多いモンテプルチャーノです。


300
ここで一杯楽しみました。


301
次はMuseo Misericordiaです。


303
残念ながらMuseo Misericordiaは閉まっていました。


302


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道を下ります。


305


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310


312
ここでも一杯やりました。


311
(つづく)

引き続き、モンテプルチャーノ市立美術館です。
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カラヴァッジョの帰属作品です。


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(つづく)

引き続き、モンテプルチャーノ市立美術館です。
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ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ・ディ・サン・ミニアート、1559-ローマ、1613)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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(つづく)

191
リッチ通りに面して建つ、14世紀に建設されたパラッツォ・ネーリ・オルセッリです。


193
パラッツォ・ネーリ・オルセッリにモンテプルチャーノ市立美術館が置かれてます。


192
市立美術館は1957年にオープンしました。


194
市立美術館の入り口です。


195
考古学部門と絵画・彫刻部門の2つから成ってます。


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(つづく)

158
引き続きドゥオーモです。


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外に出ました。


108
グランデ広場です。


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市庁舎


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174
市立美術館の開館時間まで、少し時間がありました。時間潰しです。


175
サン・ドナート門が見えてます。
写真左はFortezza Mediceaです。


176
Fortezza Mediceaの入り口門にあるモザイク


177
Fortezza Mediceaです。


178
シエナ共和国によって、1261年に建設されたFortezza Mediceaです。
シエナとフィレンツェ間の抗争によって、破壊、再建を数度繰り返しました。


181
城壁沿いの道に出ました。


180
城壁沿いの道からの景観


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183


184
そろそろ市立美術館の開館時間です。


185
写真左はドゥオーモです。


186
グランデ広場に戻ってきました。


187
グランデ広場の隅にある井戸


188


190
(つづく)

089
サン・フランチェスコ修道院教会に向かいました。


092
道路横に大きく広がる景観です。


093


090
写真左奥にサン・フランチェスコ修道院教会があります。


091
サン・フランチェスコ修道院教会です。


094
13世紀に建設され、17世紀に拡大されました。


095
扉は何時も閉まってます。


096
街の中心であるグランデ広場に向かいました。


097
コッラッツィ通りを進みます。


098
ワインを飲ませる店が多いので、誘惑されます。


101
グランデ広場にやってきました。


099
グランデ広場に建つ、モンテプルチャーノのドゥオーモです。


189
モンテプルチャーノ₌キウージ₌ピエンツァ司教区のサンタ・マリア・アッスンタ司教座教会です。


109
1000年頃に建設されたサン・ビアージョ教会が前身です。


2001
現在のルネサンス様式の建物は、イッポリート・スカルツァ(オルヴィエート、1532-1617)の設計によって、1594年に創建され、1680年に完成しました。
1712年に奉献式が執り行われました。
大理石のファサードが計画されていましたが、資金難のため、未完成に終わりました。


2002
15世紀第三四半世紀に建設された鐘楼


110
大聖堂の中に入りました。


112
三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


111
左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。


113
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435-1525)の「ジーリの祭壇」(1512)


116
詳細不知
ドゥオーモの祭壇画や彫刻の作品帰属ですが、私には殆ど分かりません。


117


119


123
ミカエル・コゥーク(インスブルク、1760-ローマ、1825)の「最後の晩餐」


124


127
ラッファエッロ・ヴァンニ(シエナ、1590c-1673)の「聖フランチェスコ」


130
サーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406-1486)の「ピラストロの聖母」


134


136


138
主祭壇画は、タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362c-1422)の「聖母被昇天の多翼祭壇画」(1401)です。


140


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146


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154


155
(つづく)

044
引き続き、サンタゴスティーノ教会のプレセーペです。


045
プレセーペと言えば、キリストのご誕生が普通です。


048
しかし、ここではマギの礼拝です。


049
キリストのご生誕となると、羊飼いの礼拝とほぼ同じです。


050


051


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外に出ました。


058
次はサンタ・ルチア教会です。


059
エルベ通りを進みます。


060
サンタ・ルチア教会に是非とも行きたい理由があります。
従来の主祭壇画が取り外され、市立絵画館で展示されるようになりましたが、長らく取り外されたまま(主祭壇画のスペースが空になっていました)になっていました。それに代わる作品が設置されているのか、確認したかったのです。


061
アーチを潜ります。


062
通りの突き当りがサンタ・ルチア広場です。広場に面して建っている教会が見えてますが、それは目的のサンタ・ルチア教会ではなく、見えている教会の右隣にサンタ・ルチア教会があります。


086
通りの突き当りに見えていた教会です。恐らく、機能を停止した旧教会と思いますが、私には教会の名称等が分かりません。


064
サンタ・ルチア教会です。


065
かなり傷んでいる案内板があります。


066
12世紀に創建されました。


063
現在の建物は、フラミニオ・デル・トゥルコ(シエナ、1581-1634)の設計によって建設された二代目となるものです。1653年に完成しました。
12世紀の建物が一部現存しているそうです。


067
教会内に入りました。


068
単廊式、後期マニエリスムとローマ・バロックの融合様式の内部です。


069
左右に小さな翼廊の様な場所があります。


070
主祭壇画がありません。


075
代わりとなる作品を補充すべきでしょう。
ここにあった主祭壇画は、市立絵画館で見ることが出来ます。


267
取り外された主祭壇画は、ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)の「玉座の聖母子」(1493-95)です。


072
ガエターノ・ペルピニャーニ(ボローニャ、1694-1770)の「聖母子と聖ジローラモと聖マルゲリータと聖ロレンツォと聖アグネス」


073
詳細不知
以下の作品の作品帰属が私には分かりません。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・アレッジの「磔刑像」(16世紀)


087
サンタ・ルチア教会の後から見下ろします。トスカーナの景観が広がっていました。


088
(つづく)

P2540012
前泊地はフィレンツェでした。


P2600385
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴァッラ駅から列車に乗車します。


001
ローマ・テルミニ駅行の快速列車は、珍しいことに非常に空いてました。


002
車窓の景観


003
モンテプルチャーノは、人口13,673人(2020年5月31日現在)のトスカーナ州シエナ県にあるコムーネです。


006
キウージ駅の到着しました。駅前からバスでモンテプルチャーノに向かいます。


004
キウージ駅の駅舎


005
モンテプルチャーノ行きのバス


007
モンテプルチャーノのバスターミナルに到着しました。


008
サンタグネーゼ教会を横目に見ながら、この日のお宿に向かいました。


358
プラート門近くのサヴォナローラ広場にある、この日のお宿です。


009
部屋のテラスからバスターミナルが見えました。


010
テラスからの眺め


011
モンテプルチャーノに来れば、必ず、このホテルに泊まります。


012
レストランが併設されており、ハーフボード(一泊二食)がお得です。


013
難点は、エレベーターがないことです。二階(日本の三階)の部屋は、階段の上り下りが結構大変です。


014
カメラのゴミが気になります。


015
街歩きに出発しました。ホテル前のColonna del Marzoccoが目立ちます。


016
先ほど潜ってきたプラート門です。


017
Via di Gracciano nel Corsoを進みます。


018
通りの先にサンタゴスティーノ教会があります。


019
サンタゴスティーノ教会です。


055
1285年に建設され、同年に奉献式が執り行われました。


054
15世紀、恐らく1440年頃、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ(フィレンツェ、1396-1472)によって大改装されました。


056
1784年から1791年にかけて行われた修復工事の際、元のレイアウトに戻されたそうです。


022
入口扉上ルネッタの「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖アゴスティーノ」は、ミケロッツォの作品と言われてます。
しかし、ニコロ・ダンドレアの作品説も有力だそうです。


021
扉が開いていたので拝観しました。


040
中に入りました。


041
単廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


042
1285年の完成時の内部はゴシック様式でした。


031
Presbiterio


032
後陣にオルガンと聖歌隊席があります。
磔刑像は、ドナテッロ(フィレンツェ、1386-1466)に帰属すると言われてます。


023
チェーザレ・ネッビア・ダ・オルヴィエート(オルヴィエート、1536-1614)の「キリストの昇天」(1585)


025
フェデリーコ・バロッチ通称イル・フィオーリ(ウルビーノ、1528/1535-1612)の「チントラの聖母と聖人たち」


027
詳細不知


029
ロレンツォ・ディ・クレディ(フィレンツェ、1459-1537)の「磔刑」


034
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1553c-ローマ、1626)の「ピエタのキリストを支える二天使」


036
ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ダ・シエナ(シエナ、1403-1482)の「トレンティーノ聖二コラ」


043
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435-1525)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


047
マギの礼拝


046
(つづく)

104
多分開いていないと思いながら、ドゥオーモを経由してサン・フランチェスコ教会に向かいました。


107
予想通り、サン・フランチェスコ教会は閉まったままでした。


106
どうしたことか、図書館も閉まったままでした。


105
開く筈の所が閉まったまま、と言うのがイタリア流ですから、こんなことでめげていては、イタリア好きになれません。


108
旧サンタ・キアラ教会でしょうか?


109
この建物は、オルヴィエートの教会リストに掲載されていません。


111
サンタ・キアラ広場です。


110
サンタ・キアラ広場に面して建つサン・ロレンツォ・デ・アラーリ教会です。


112
1000年頃に最初の建物が建設されました。現在の建物は、1291年に再建された二代目のものです。


114
ファサードの入り口扉上ルネッタに描かれたフレスコ画です。


115
中に入ったらミサ中でした。


113
ミサが始まったばかりのようで、終わるまで待てないので外に出ました。


116
次はブオン・ジェズ教会です。


118
ブオン・ジェズ教会の扉が閉まっていました。
修道院が併設されてます。


119
1559年、聖クレア会によって建設されたブオン・ジェズ修道院教会です。


117
現在も聖クレア会尼僧が修道院で活動しています。


120
次は、ドゥオーモ付属美術館分館です。


121
旧サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会のドゥオーモ付属美術館分館は、この日も閉まっていました。


122
共和国広場に向かいます。


123
共和国広場に面して建つサンティ・アンドレア・エ・バルトロメオ教会参事会の特徴ある鐘楼が見えてます。


126
共和国広場に出ました。


125
拝観しました。


124
サント・ステファノ教会を除いて大体見たようです。


127


128
オルヴィエートの市立劇場 Teatro Mancinelliです。


129
1866年にオープンした市立劇場です。1991年から1993年に大修復されました。


130
次はサント・ステファノ教会です。


131
サント・ステファノ教会です。


143
1156年から1171年に建設されたロマネスク様式のサント・ステファノ教会です。
19世紀に大修復されて現在の姿になりました。


146
鐘楼と後陣


145


144
珍しいことに扉が開いてました。


132
喜び勇んで中に入りました。


133
貴重なフレスコ画の断片が残されてます。


134
ウンブリア=シエナの逸名画家作「聖人たち」(15世紀)


135
ウンブリアの逸名画家作「磔刑」(15世紀)


136
ウンブリア=シエナの逸名画家作「磔刑」(15世紀)


137
後陣にある、ウンブリアの逸名画家作「聖ステファノ」(15世紀)


140
逸名画家作「聖母子」(15世紀)


142
19世紀に大修復された天井


141
外に出る前に、もう一度祭壇を見ました。


147
外に出ました。


149
オルヴィエートを去る日になりました。


148
今回も非常に楽しい旅になりました。


150


151


152
フニコラーレで鉄道駅に出ます。


153
(おわり)

072
次はサン・ドメニコ教会です。


071
聖ドメニコ別称ドメニコ・ディ・グスマン(カレルエガ、1170-ボローニャ、1221)の死後間もなくの1233年にドメニコ会修道士によって創建されました。ドメニコ会によって最初に建設された教会の一つです。


075
修道院と教会から成る大きな複合施設でした。


500
教会の扉が開きました。


501
聖トマス・アクィナス(アクィナス、1225、プリヴェルノ、フォッサノバ修道院、1274)が1263年から1264年にオルヴィエートに滞在しましたが、サン・ドメニコ修道院教会で神学の講義を行ったことで知られてます。


502
ファサードの入り口


073
入口扉上のルネッタに描かれたフレスコ画


074
ウンブリアの逸名画家作「聖母子」(14世紀)


503
実は、このフレスコ画は、サント・スピリト・デリ・アルメニ古代教会(現存しないようです)にあったもので、剥離・移設されたものだそうです。


505
修道院は、18世紀末に閉鎖されました。


504
縦90メートルの大教会でしたが、1932年、女子体育アカデミー建設のため、一部が破壊されると共に、縮小、大改造を受けた教会の建物です。


506
教会内部です。


507
20世紀前半に大改造された内部です。


508
現在の内部は、オリジナルの形には程遠いと言われてます。


509
礼拝堂


510
フレスコ画が僅かに残されてます。


512
ウンブリアの逸名画家作「聖ドメニコの生涯の物語」(1430)


511
剥離して、現在の場所に移設されたフレスコ画です。


364
この教会の主祭壇画は、シモーネ・マルティーニの「サン・ドメニコの多翼祭壇画」でした。


383
現在、この多翼祭壇画は、ドゥオーモ付属美術館で展示されてます。
サン・ドメニコ教会に戻ります。


513
フランドルの逸名彫刻家作「磔刑像」(11-12世紀)


514
サン・ドメニコ教会の創建以前に制作された磔刑像ですが、何処から移設されたのか、分からないようです。


515
Ippolito Barezaによって制作された「ジローラモ・マゴーニ(1530-1596)の墓」


516
アルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1245c-フィレンツェ、1302/1310)の「デブレイ枢機卿の記念墓碑」(1282c)


517
アルノルフォ・ディ・カンビオの代表作の一つと言われてます。


518


519


520


521


078
街の中心に戻ります。


079
観光客が増えてきました。


080
(つづく)

084
翌朝です。


081
ホテルで朝食を食べていたら、ドゥオーモ広場から何台もの自動車の音が聞こえてきました。外に出ると、クラシックカーが広場に集結していました。


082
自分の所有者を互いに自慢しているようでした。


083
Im Club Italia?


085
折角外に出たので、ドゥオーモの拝観です。


086
観光客は拝観有料ですが、地元の人たちの信仰の場なので、朝の早い時間は無料で中に入ることが出来ます。


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100
外に出ました。


102
Museoは、この時間、未だ開いてません。


101


099
ホテルに一旦戻り、身支度を整えてから街歩きに出発しました。


103
日帰りの観光客が多いようで、朝の時間は空いてます。


064


065
宿泊する観光客は少ないようです。


067
サンタントニオ教会です。


066
第二次世界大戦中に閉鎖され、その後、一度も活動が再開されていない廃教会です。


068
取り壊される予定と聞いたことがありますが、取り壊し費用の捻出が難しく放置されたままになってます。今頃は取り壊されている?


069
3月19日広場です。


070
サン・ドメニコ教会です。


076
もう直ぐ扉が開きます。


077
(つづく)

022
引き続き、夕日に輝くドゥオーモのファサードです。


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047
未だ雲が多かったので、夕日が差していたのはラッキーでした。


024
午後8時過ぎでした。


025


026


027


044
未だ観光客がかなりいました。


048


050
雨が落ちてきました。


051
傘を差すほどではありませんでしたが、雨が降り続いていました。


052
次は夕食です。


053


054


055


056


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058


059
そろそろ日没です。


060
雨が止みました。


061


062


063


049
この日はこれで終わりです。
(つづく)

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