イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2022年04月

296廊下です。


297
スタッコ、フレスコで装飾されてます。


298
華美華麗なロココ様式の装飾です。


299


300
全長76メートルの廊下です。


1001
1767年から1770年に制作されたスタッコです。


1002
フレスコ画は、1771年から1779年に制作されました。


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絵画の展示室です。


252
ジュリアーノ・ぺレスッティ通称ジュリアーノ・ダ・ファーノ(ファーノ、1490c-アンコーナ、1557)の「天上の聖母子と聖ルチアと聖マリア・マッダレーナ」(16世紀第二四半世紀)


1012


254
ピエトロ・パオロ・アガビティ(サッソフェッラート、1470c-クポラモンターナ、1540c)の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタとパドヴァの聖アントニオ」(1528)


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255
ピエトロ・パオロ・アガビティ(サッソフェッラート、1470c-クプラモンターナ、1540c)の「砂漠の聖ジローラモ」(1500-30c)


1018


1019


256


1020
ロレンツォ・ロットの作品が展示されている部屋です。


1021


258
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480c-ロレート、1556/1557)の「十字架降下」(1512)


1022


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1030


257
(つづく)

019前泊地はフォリーニョでした。


275
次の目的地がイエージでした。


279
フォリーニョ駅に向かいます。


001
フォリーニョ駅です。


007
アンコーナ行き快速列車でイエージに向かいます。


026
車内は非常に空いてました。


203
イエージ駅に到着しました。


204
イエージは、人口39,082人(2021年8月31日現在)のマルケ州アンコーナ県にあるコムーネです。


205
イタリアの歴史上、重要な街です。


008
神聖ローマ帝国皇帝フェデリーコ2世(イエージ、1194-フィオレンティーノ・ディ・プーリア、1250)の生誕地として知られてます。


p1001
私にとってのイエージはロレンツォ・ロットに尽きます。
ロレンツォ・ロットは少し前まで私が好きな画家の一人でした。しかし、年を取るに従ってロットの悲しい生涯が気が滅入るようになって、ロット熱が冷めるようになりました。ティツイアーノに匹敵する画才を発揮し、華やかで脚光浴びていたティツィアーノよりもニヒルなロットに肩入れをしていたのでした。


009
イエージの旧市街は城壁によって囲まれてます。


202
駅周辺は店がなく、見所も全くありません。


201
列車の車窓から旧市街がよく見えますが、駅からは見えません。この交差点から旧市街が見えるようになります。


199
城壁と旧市街が見えます。


200
この日のお宿は、城壁の北端にあって駅から少し遠かったので、タクシーでホテルに向かいました。


010
この日のお宿です。


011
街歩きに出発しました。


013
目抜き通りのVia Matteottiです。


012
ロレンツォ・ロット作品が展示されている市立博物館に向かいました。


p1002
市立博物館が置かれているPalazzo Pianettiです。


241
イエージ貴族のピアネッティ侯爵夫人がピアネッティ家の邸宅として建設されたパラッツォです。


242
マルケのカルド―ロ・マリア・ピアネッティの原案に基づき、地元出身の建築家で画家でもあったドメニコ・ルイージ・ヴァレーリ(イエージ、1701-カメリーノ、1770)の設計によって、1748年から1786年に建設されたロココ様式の建物です。


243
1859年に大規模な改修工事が行われ、現在の姿になりました。


301
博物館の入り口


p1003
宮殿と庭園の玄関ホール


p1004


244
中に入りました。


246
大改修工事後、ピアネッティ家は次第に財政悪化に陥り、1891年にパラッツォの一部を賃貸するようになり、それでも財政が改善するには至らず、1901年にTesei家に売却しました。
新たに所有者となったTesei家も財政に苦しみ、パラッツォの一部をイエージ市当局に売却しました。市当局のパラッツォ所有部分は年を経る毎に増え、分割売却が約40年ほど続きました。そうして、1970年代にはイエージ市がパラッツォ全部を所有することになりました。
改修工事を経て、1981年に市立博物館がオープンしました。


245
展示室に入る前に庭園を見ました。


p1005
ロココ様式の庭園です。


p1006
庭園には見るべきものがありません。


247
玄関ホールに戻りました。


248
階段下にイエージ旧市街の模型が置かれてます。


p1008
展示室に向かいます。


p1009
展示室は階上にあります。


p1010
階段の踊り場に浮彫があります。


250
ミケランジェロの浮彫


251
ダンテの浮彫


p1007
ピアネッティ家の紋章
(つづく)

P1750406Corso Giacomo Matteotti


P1750409
「聖母子」のタベルナコロ


P1750412
クローチェ教会は扉が閉まっている時間です。


P1750416
Piazza Baldaccio下のロッジャ


P1750418
Palazzo Comunaleの分庁舎で図書館などがあります。


P1750419
分庁舎の案内板


P1750414
大体見終わったようです。町歩きを切り上げることにしました。


P1750423
ホテルに戻りました。


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ホテルの自室からの眺め


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時計塔、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会などが見えます。


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ホテルのテラスからの眺め


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サンタゴスティーノ教会


P1750432
午後4時頃


P1750434
Corso Giacomo Matteotti


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アンギアーリの戦いの戦場


P1750444
チェントロ・ストーリコ


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P1750459
午後5時半頃の景観


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午後7時頃の景観


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午後11時半頃


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夜が明けました。


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P1750527
午前7時頃


P1750528


P1750524


P1750535
出発しました。


P1750534
11月4日広場


P1750533
Teatro Comunale


P1750532
コルシ礼拝堂


P1750536
バスに乗ってアレッツォに向かいました。
(おわり)

P1750344Via della Misericordiaです。


P1750345
写真左の建物はサン・バルトロメオ修道院教会です。


P1750346
修道院教会前の狭い広場にニャーゴがいました。


P1750348
身動きせずに前を見つめたままのニャーゴ


P1750349
その視線の先にいたのが、このニャーゴ。お腹を出して余裕しゃくしゃく。


P1750351
ところが、顔を上げて警戒する素振りを見せました。
互いに見知った同士ですが、意外にも警戒していました。


P1750355
ミゼリコルディア博物館は予想通り閉まったままでした。


P1750354


P1750356
この一角は、12,13世紀の建物が建ち並んでます。


P1750357
道幅が狭くて、車が進入できないようです。


P1750359
Palazzo Giardino


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州立博物館には午前中に入館しました。


P1750364
写真左はアンギアーリの戦い博物館です。


P1750366


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この辺は何度も行き来しました。


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アンギアーリのジョストラは何でしょうか。


P1750371
夏至前後の週末にジョストラを行うコムーネが多いと思います。


P1750373
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会に向かいます。


P1750374
教会が見えてます。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会です。


P1750380
予想通り扉が閉まっていました。


P1750378
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会の横にタベルナコロがあります。


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無原罪の御宿リのタベルナコロ


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Palazzo Testi


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サン・マルティーノ門です。


P1750386
門を潜ります。


P1750388
サン・マルティーノ門は二重になってます。


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サン・マルティーノ門を潜ってPiazza Baldaccioに出ました。


P1750391
通りですが、地名はPiazza Baldaccioです。


P1750393


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純粋な広場です。


P1750399
広場下のCorso Giacomo Matteotti


P1750400
サンタゴスティーノ教会の鐘楼


P1750402
見慣れたガリバルディ像


P1750404


P1750405
Corso Giacomo Matteotti
(つづく)

P1750290Via delle Mura di Sotto


P1750292
道の突き当りはサンタゴスティーノ教会の後陣です。


P1750293
城壁沿いの道から見たTeatro Comunale


P1750294
ベンチに座って一休みしました。


P1750295
先ほど進んできた道を振り返って撮った写真です。


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真っ直ぐ伸びているCorso Giacomo Matteotti


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アンギアーリの戦いが行われた戦場が見えました。


P1750298


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Il Poggiolino


P1750303


P1750305
午前中にサンタゴスティーノ教会の後陣下を通ったので、午後は行くのを避けました。


P1750306
東の方に引き返すことにしました。


P1750307
Via della Mura di Sopra


P1750309
ニャーゴと遊びました。


P1750310
先ほどとは違った道を通ってサンタンジェロ門に向かいます。


P1750311
外付き階段がある家


P1750312
観光客の姿がありません。


P1750315
Via della Mura di Sopraを進みます。


P1750317
アレッツォ、またはサンセポルクロからわざわざ来るには、面倒でしょうか?


P1750318
2時間ほどあれば粗方見ることが出来る町なので、観光客の滞留時間が短いのでしょう。


P1750319
静寂に包まれていました。


P1750321
Via della Mura di Sopra


P1750322


P1750325
坂の下にサンタンジェロ門があります。


P1750327
サンタンジェロ門です。


P1750328


P1750330
サンタンジェロ門を潜ります。


P1750332
門を潜って城壁外に出ました。


P1750331


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城壁外は見所が乏しい。


P1750334
ということで、直ぐに城壁内に戻りました。


P1750335


P1750338
時間を持て余し気味です。


P1750339
開館していることは先ずあるまいと思いながらもミゼリコルディア博物館に向かいます。


P1750340
Via della Misericordia


P1750341
修道院だった建物


P1750342


P1750343
(つづく)

P1750222サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。


P1750223
Via della Propositura


P1750053
Torre detta il Campano


P1750227


P1750226
Palazzo Testiの裏入り口


P1750230
中に入りましたが、目新しいものは何もありませんでした。


P1750233
午前中は左の道を進みポポロ広場に出ましたが、今度は右の道を進みます。


P1750237
城壁兼要塞です。


P1750239



P1750240
要塞に入りました。


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要塞の上に出ます。


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要塞の上からの景観


P1750245
階段を下って外に出ます。


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要塞と城壁の下を進みます。


P1750254
門があります。


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13世紀に建造されたサンタンジェロ門です。


P1750259
門を潜ります。


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城壁内から撮ったサンタンジェロ門です。


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写真右が城壁です。


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城壁添いの道からの景観


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Via delle Mura di Sotto


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ツタが絡まった、花一杯の家


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城壁沿いの道からの景観


P1750276
Via delle Mura di Sottoを進みます。


P1750277
要塞の機能を兼ね備えた家並み


P1750278
振り返って撮った写真です。


P1750279


P1750280
サンタゴスティーノ教会方向に向かって進みます。


P1750281


P1750282
雲行きが怪しくなってきました。


P1750283
Corso Giacomo Matteottiが見えてきました。


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P1750287


P1750288


P1750289
(つづく)

P1750144Antica Via di Ronda


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Antica Via di Rondaから見たCorso Giacomo Matteotti


P1750139
Antica Via di Rondaから見た景観


P1750140


P1750141


P1750142


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午前中にサンタゴスティーノ教会の下を進んだので、この時は引き返すことにしました。


P1750152
要塞の代わりになった建物が並んでます。


P1750150


P1750149
突き当りを左に進みます。


P1750156
ガリバルディ通りに入りました。


P1750160


P1750163
Via Menci


P1750165
車が通れそうもない道幅ですが、通りの手前と先に路駐している車がありました。


P1750166
サンタゴスティーノ教会のファサードが写ってます。


P1750167


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馬車の車輪除けがあります。


P1750173
サン・マルティーノ門


P1750174


P1750176


P1750181
道を下ってPiazza Baldaccioに出ます。


P1750184


P1750187
Piazza Baldaccio経由で城壁内の北端に向かいます。


P1750194
この広場に何回来たことか。


P1750199
振り返って撮った写真です。


P1750196
Piazza Baldaccio横のCorso Giacomo Matteotti


P1750200
Piazza Baldaccioに建つガリバルディ像


P1750197
広場端の細いアーチを潜ります。


P1750202
アーチを潜れば階段が待ってます。


P1750203
潜ってきたアーチの先がPiazza Baldaccioです。


P1750205
城壁です。


P1750208


P1750209
更に階段を上ります。


P1750211
振り返って撮った写真です。


P1750213
トリエステ通りに出ます。


P1750215
トリエステ通りです。


P1750216
トリエステ通りの突き当りにサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会があります。


P1750219
(つづく)

P1750094引き続きクローチェ教会です。


p1003
開いていることが多い教会なので、拝観し易いと思います。


p1024
1565年に追加されたファサード下の柱廊です。


p1004
単廊式、ルネサンス様式の内部です。


p1005
主祭壇上のスタッコ装飾


p1006
フィレンツェ派逸名画家による「聖十字架の発見」(17世紀)主祭壇画


p1007
フランチェスコ・クゥッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の領域の逸名画家作「聖十字架の発見」(17世紀)と言われてます。


p1008
ドメニコ・クレスティ通称イル・パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559-フィレンツェ、1639)の「無原罪の御宿リ」(1559)


p1009


p1010
葬儀記念碑


p1011
葬儀記念碑


p1012


p1013
逸名画家作「磔刑」(1613)


p1014
アントニオ・マリア・スシーニ(フィレンツェ、1588-1654)の「天上の聖母と聖人たち」(1649)


p1015


p1016
ドゥランテ・アルベルティ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1538-ローマ、1613)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚とシエナの聖ベルナルディーノ」(1589)


p1017


p1018


p1019
逸名画家作「受胎告知」(1575)


p1020
カウンターファサード


p1021
キオストロ


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クローチェ修道院教会の鐘楼


p1023
キオストロ回廊


p1025
修道院の食堂だった部屋です。


p1026
食堂だった部屋に描かれたフレスコ画


P1750095
クローチェ教会から道を下ります。


P1750097
写真右にPalazzo Doniが写ってます。


P1750098
写真右手前の建物がPalazzo Doniです。


P1750099
Corso Giacomo Matteotti


P1750100


P1750103
サンタ・マリア・マッダレーナ教会です。


P1750104


P1750105
Piazza Baldaccioに戻ってきました。


P1750106


P1750110
Teatro Comunale


P1750112


P1750111


P1750113
Piazza Baldaccio


P1750137
(つづく)

P1750134お腹一杯になりました。


P1750135
Porta Nuovaを潜った先の突き当りにあるお店です。


P1750136
Porta Nuovaは、Porta Fiorenntinaとも呼ばれてます。


P1750115
町の人口増に伴って町域が拡大して、城壁が新たに建設されました。


P1750059
Piazza Baldaccioに戻ってきました。


P1750060
Corso Giacomo Matteotti


P1750061
道を下れば。アンギアーリの戦いの戦場に出ます。


P1750064
一旦ホテルに戻ります。


P1750065
デジカメ用のSDHCカードを持ってくるのを忘れました。


P1750066
2560×1920のサイズで設定したと思っていたら、これより大容量で撮っていたのです。


P1750067
ホテルを直ぐに後にしました。


P1750063
Corso Giacomo Matteottiを上ってクローチェ教会に向かいます。


P1750068
同じ道を行ったり来たり。


P1750069
クローチェ教会は、Corso Giacomo Matteottiの突き当りに建ってます。


P1750070
Piazza Baldaccioとクローチェ教会の中ほどに教会があります。


P1750071
写真左にサンタ・マリア・マッダレーナ教会があります。


P1750072
1637年から1746年に建設された後期バロック様式のサンタ・マリア・マッダレーナ教会です。


P1750074
教会の奥に修道院がありました。修道院は18世紀末に閉鎖され、修道院だった建物は学校になっているようです。


P1750101
サンタ・マリア・マッダレーナ教会の鐘楼


P1750075
扉が開いていたので、拝観しました。


P1750077
天井のフレスコ画(詳細不知)


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詳細不知の祭壇画


P1750083
詳細不知の祭壇画


P1750078
主祭壇


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後陣の磔刑像(詳細不知)


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左側壁


P1750085
右側壁


P1750087
外に出ました。


P1750073
修道院だった建物には行けないようになっていました。


P1750088
坂を上ります。


P1750089
この辺は城壁外に当たります。


P1750090
写真左にPalazzo Doniがありますが、撮り忘れました。


P1750091
振り返って撮った写真です。


P1750092
クローチェ教会です。


p1001
1224年、アッシジの聖フランチェスコ(アッシジ、1181/1182-1226)が、現在地の交差点を通ったとされていました。そのため、聖フランチェスコを奉る教会の建設が企図されましたが、中々実現しませんでした。


P1750093
15世紀後半、Confraternita di Santa Maria al Borghettoによって具体化されることになり、同信会によって1499年に創建され、1534年に完成したサン・フランチェスコ修道院教会の複合施設です。しかし、1537年に現在の名称に改称されたのです。
1563年、修道院が拡大されたそうです。


p1002
ファサード下の柱廊が1565年に追加されました。
(つづく)

P1750020サン・バルトロメオ修道院だった建物です。


P1750021
先ほどとは違った道を通ります。


P1750023
同じ通りに来てしまうのは、小さな町だから。


P1750024
この辺にはレストランがありません。


P1750025
やはり広場に戻る必要がありそうです。


P1750026
門の先にワインバーがあるのを思い出しました。そこでは食事も出すのです。


P1750027
「Giardini del Vacario」というお店です。この辺は要塞の東端に当たります。


P1750028
ワインバーは営業していませんでした。


P1750029
流石に、この先には食堂がありません。


P1750030
ポポロ広場を通り過ぎます。


P1750033
先ほどまで入館していた州立博物館を通り過ぎます。


P1750036
観光客が多い昼食時には問題がないのですが、このような小さな町では夕食に苦労することがよくあります。


P1750037
掲げられている旗はパリオのためです。


P1750038
この店は営業していると思ったのですが、今日は定休日。


P1750039
アンギアーリは、旅行ガイドには載っていないと思います。


P1750040
英語で書かれた旅行ガイド本にも触れられていないようです。


P1750041


P1750042
円安歓迎の我が国ですが、私は円高大歓迎者です。


P1750043
そうは言っても外貨預金が目減りするのが困る所です。


P1750044
チェントロ・ストーリコの主な場所については既に触れたので、改めて書くことは控えてます。


P1750045
時計塔


P1750046


P1750047
夏至の前日です。


P1750048
この時は暑い夏ではなかった。


P1750050
日本は8月上旬くらいが最も暑いと思いますが、イタリアの厚さは太陽の高度にほぼ比例しているように思います。


P1750051
8月には、イタリアにあまり行ったことがないのですが、暑かったという記憶がありません。


P1750052


P1750053


P1750054
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会ファサード前の道を下ります。


P1750055


P1750056
Piazza Baldaccioに出ます。


P1750058
Piazza Baldaccioに面して、レストランが幾つかあります。


P1750057
広場を避けて、広場近くの店に向かいます。


P1750114
道の突き当りにお店があります。


P1750116
入店しました。


P1750117
二組の客しかいませんでした。


P1750118
先ずはビールで。


P1750120
午後に備えてワインはこの程度に控えました。


P1750119
付け出し


P1750122


P1750125


P1750127


P1750129


P1750132


P1750133
(つづく)

P1740974ジョヴァンニ・バッティスタ・ギドーニ(フィレンツェ、1599-恐らくウィーン、1650)の「聖家族」(1623)


P1740977


p1064


p1065


p1066
ギドーニの名前と制作年が描かれてます。


P1740978
ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ(フィレンツェ、1492-1544)の「聖ピエトロ」(16世紀)


P1740981


P1740982
ヤコポ・ヴィニャーリ(プラートヴェッキオ、1592-フィレンツェ、1664)の「ロザリオの聖母と三聖人」(1625-50c)


P1740986


p1067


p1068
聖マリア・マッダレーナ


p1069


p1070
聖ドメニコ


p1071


p1072
聖ビアージョ


P1740987


P1740988


P1740989


P1740991


P1740993


P1740996


p1073
大体見終わりました。


p1074
外に出ます。


P1740711
アレッツォからの展示品が結構ありました。


P1740998
昼食時になりました。


P1740999
先ほど入館したアンギアーリの戦い博物館です。


P1750001


P1750002
レストランがありません。


P1750003
足の赴くままに進み、最初のレストランに入店するつもりでした。


P1750004
この辺は無さそうです。


P1750005
この日に既に歩いたような気がしました。


P1750006
思い出しました、この辺にはレストランがありません。


P1750007
サン・バルトロメオ修道院教会の修道院だった建物です。


P1750008
サン・バルトロメオ修道院教会です。


P1750009
正午過ぎでしたが扉が開いていました。


P1750010
折角来たからには、もう一度拝観します。


P1750011
中に入りました。


P1750014


P1750017


P1750018


P1750016
外に出ます。


P1750019
(つづく)

P1740933ローカルの逸名彫刻家作「聖ピエトロ」(19世紀)


P1740935


P1740932


p1050
シチリアの馬具(1600-30c)


P1740936
逸名彫刻家作「聖母子」(14世紀)


P1740938


P1740939


P1740940


P1740941
石弾


P1740942
展示室天井


P1740944
フランチェスコ・マリア・アンジョリーニ(ボローニャ、1680-1731)の「キリストの復活」


P1740945


p1051


p1052


p1053


p1054


P1740946
トスカーナの逸名彫刻家作「磔刑」(15世紀)


P1740948


p1055


p1056


p1057


P1740950
トスカーナの逸名彫刻家作「磔刑」(15世紀)


P1740951


p1058


p1059


P1740952
トスカーナの逸名彫刻家作「聖ピエトロ」(16世紀末)


P1740954


P1740955
トスカーナの逸名彫刻家作「聖パオロ」(16世紀末)


p1060
次の部屋です。


P1740960
トスカーナの逸名画家作「キリストの鞭打ち」(17世紀後半)


P1740963


p1061


P1740964
マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578-1650)の「磔刑と二聖人(聖ビアージョと聖フランチェスコ)」(1623)


P1740967


p1062


p1063
聖ビアージョ


P1740968


P1740969


P1740971
ルカ・シニョレッリの追随者作「慈悲の聖母」(16世紀)


P1740973
(つづく)

P1740917カルロ・フザイの「慈悲の聖母」(18世紀末-19世紀初頭)


P1740919
Carlo Fusaiという画家については、全く知りません。


P1740920


P1740922
トスカーナの逸名画家作「フェデリーゴ・ノーミの肖像」(17世紀)


P1740923


p1026


P1740926
逸名彫刻家作「嘆きの聖母」(19世紀)


P1740927


p1027


p1028
暖炉


p1029


p1030


p1031


P1740931
次の部屋です。


P1740928
小作品の展示


P1740959


P1740958


p1032
Scapolari(18-19世紀)


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「悪魔から子供を守る守護天使」(19世紀)


p1034
奉納物(18-19世紀)


p1035
奉納物(18世紀)


p1036
奉納物(1788)


p1037
奉納物(19世紀)


p1038
悲しみの聖母(19世紀)


p1039
悲しみの聖母(1900-40c)


p1040
悲しみの聖母(1900-40c)


p1041
悲しみの聖母(19世紀)


p1042
悲しみの聖母(19世紀)


p1043
聖母子(18-19世紀)


p1044
聖母(19世紀)


p1045
聖母(頭部なし)(19世紀)


P1740929
家畜用焼き印(18世紀)


P1740930


p1046


p1047
焼き印の印


p1048


p1049
(つづく)

P174089217世紀の逸名彫刻家作「聖フランチェスコ」


P1740896


P1740873
どうやら、この衣装を着せていたようです。


p1001


p1002


p1003


P1740897
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435-1525)と工房の「幼きキリストへの崇拝」(15世紀末-16世紀初め)


P1740900
私には「慈悲の聖母」には見えません。


p1004


p1005
天使たち


p1006
天使


p1007
聖母


p1008
聖ジュゼッペ


p1009
プレデッラ


p1010


p1011


p1012


P1740901
ヤコポ・デッラ・クエルチャ(クエルチェグロッサ、1374c-シエナ、1438)の「聖母子」(1420c)


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P1740904
聖歌隊席(16世紀)


P1740906


p1022


P1740907
アレッツォの逸名画家作「聖母子と聖人たち」(15世紀前半)


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p1024


p1025


P1740912
地元の逸名彫刻家作「アヴィラの聖テレーザ」(19世紀)


P1740913


P1740914


P1740916
(つづく)

P17408561530年に制作されたオルガン


P1740859


p1051


P1740860
ベネデット・ブリオーニ(フィレンツェ、1459-1521)の工房作「聖母子」(1490-1500)


P1740862


p1052


p1053


P1740863
ジョヴァンニ・ディ・トゥリーノ(シエナ、1384c-1455)の「聖アントニオ・アバーテ」(15世紀前半)


P1740865


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p1056


p1057


p1058


P1740887
洗面台(15世紀)


P1740888


p1059


P1740866
ベネデット・ブリオーニ(フィレンツェ、1459-1521)の工房作「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1510-20c)


P1740869


p1060


p1061


P1740870
トスカーナの逸名彫刻家作「受胎告知される聖母」(14-15世紀)


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p1063


P1740876
ウンブリアの逸名彫刻家作「聖母子」(13世紀前半)


P1740878


p1064


p1065


P1740880
ベネデット・ブリオーニ(フィレンツェ、1459-1521)とサンティ・ブリオーニ(フィレンツェ、1494-1576)の「聖母子」(1510-20)


P1740882


p1066


P1740883
トスカーナの逸名彫刻家作「聖母子」(14世紀)


P1740885


p1067


P1740890
トスカーナの逸名彫刻家作「聖母子」(14世紀)


P1740891


p1068


p1069
(つづく)

P1740822
トスカーナの逸名画家作「授乳の聖母」(14世紀)


P1740825


P1740826
トスカーナの逸名画家作「授乳の聖母と聖人たち」(1390-1410c)


P1740829


p1030


P1740830
アレッツォの逸名画家作「神の子羊」(15世紀初め)


P1740832


p1031
アレッツォの逸名画家作「聖母子と聖人たち」(15世紀前半)


P1740833


P1740840


p1032


P1740836
聖フランチェスコ


p1033


P1740839
聖ジョヴァンニ・バッティスタ


p1034


P1740842
トスカーナの逸名画家作「ドラゴン」(14世紀)


P1740843
トスカーナの逸名画家作「ドラゴン」(14世紀)


P1740844


p1035


p1036


p1037
アレッツォの逸名画家作「聖母子と聖人たち」(16世紀前半)


p1038
聖グレゴリオ・マーニョ


p1039
聖ジョヴァンニ・バッティスタ


P1740845
トスカーナの逸名画家作「橋の聖母」(14世紀)


P1740848


P1740849
アレッツォの作品がかなり展示されてます。


p1040
次の部屋です。


P1740850
サンティ・ブリオーニとルドヴィーコ・ブリオーニの工房作「キリストとサマリア女」(16世紀)


P1740852


p1041


p1042


p1043


p1044


p1045


P1740853
フランチェスコ・マリア・アンジョリーニ(ボローニャ、1680-1731)の「聖愛と俗愛」


p1046


p1047


p1048


p1049


p1050
(つづく)

P1750159次は、パラッツォ・タリエスキ州立博物館 Museo Statale di Palazzo Taglieschiです。


P1740712
州立博物館が置かれているPalazzo Taglieschiです。


P1750034
裕福な貴族タリエスキ家が15世紀半ばに建設した、塔付きの邸宅です。


p1018
19世紀にコンティ家の所有となりました。
第二次世界大戦後、コンティ家の当主で司祭でもあったドン・ニーロ・アンジェロ・コンティは、Palazzo Taglieschiを開放して多くの貧しい家族を収容しました。


P1750035
戦後の混乱が収まると、ドン・ニーロ・アンジェロ・コンティはPalazzo Taglieschiを博物館にするという、予てからの構想を実現することにしました。
戦後の混乱期を経て傷んだPalazzo Taglieschiをルネサンス様式に改装修復させ、博物館として使用してもらうべく1959年にトスカーナ州にPalazzoとその中にあった美術品などを寄贈したのです。
そうして、1975年に博物館が開館しました。


p1019
入館しました。


p1020
現在の状況が良く分からないのですが(コロナの流行後、博物館・美術館の多くで開館時間等の変更が行われました)、休館日の毎週月曜を除き、昼休み無しで朝から夕方まで開館していました。


P1740795


P1740796


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P1740799
Palazzo Taglieschiの古井戸(15世紀中頃)


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P1740807


P1740808
詳細不知


P1740809
詳細不知


P1740810
詳細不知


p1022
14世紀のトスカーナの逸名彫刻家の作品です。


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p1021


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p1023


P1740816
シエナ派逸名彫刻家作「聖人たち」(1390-1410c)


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p1024


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p1028
トスカーナの逸名彫刻家作「父なる神」(1350-1420c)
アンギアーリのサン・バルトロメオ修道院教会にありました。


P1740818


P1740819


P1740821


p1029
(つづく)

P1740755
引き続きサンタゴスティーノ教会です。


P1740756
詳細不知の礼拝堂


P1740757
聖母子の光輪に金が使われてます。


P1740759
「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」(1450-90c)


p1015
ティベリーナ派逸名画家の作品と言われてます。ティベリーナ派とはローマ派の範疇に入るのでしょうか?


P1740762
詳細不知の「聖母子」


p1016
サンティ・ブリオーニ(フィレンツェ、1494-1576)の「羊飼いの礼拝」


p1017
ブリオーニ家はデッラ・ロッビアの対抗者でした。
サンティ・ブリオーニは、ペストが流行していたフィレンツェを逃れて、フランスに移住して多くの作品を手がけました。


P1740730
カウンターファサード


P1750162
外に出ました。


P1740720
このアーチを下って、サンタゴスティーノ教会後陣の先に出ます。


P1740721
Il Borghettoと呼ばれてます。


P1740764
サンタゴスティーノ教会後陣の下に当たります。


P1740766
地上に上りました。写真右はサンタゴスティーノ修道院だった建物です。


P1740767
城壁の上からの景観


P1740768
振り返って撮った写真です。


P1740783


P1740781
「アンギアーリの戦い」の戦場が一望できます。


P1740782


P1740786


P1740787


P1740789


P1740790
城壁沿いの道です。


P1740788


P1740785


P1740784
Piazza Baldaccio方向に戻ります。


P1740792


P1740793


P1740765


P1740769
Il Borghettoを潜ります。


P1740770
サンタゴスティーノ教会後陣の下です。


P1740772
写真左に泉があります。


P1740775
これが泉です。


P1740773
その説明文


P1740776


P1740780


P1740777
アーチを出ます。


P1740778
Piazza Baldaccio側に出ました。


P1740779
見上げました。
(つづく)

P1740713次はサンタゴスティーノ教会です。


P1740714
サンタゴスティーノ教会は、アンギアーリの戦いの博物館至近にあります。


P1740716
サンタゴスティーノ教会です。


P1750065
写真右がサンタゴスティーノ教会で、それに連なってサンタゴスティーノ修道院だった建物が残されてます。ご覧のように建物の一部は城壁と合体して、要塞のような造りになってます。事実、中世の頃はこの町の要塞の機能を担っていました。


P1750147
城壁の上に聳えるサンタゴスティーノ教会の後陣です。


p1001
この場所は、12世紀に建設されたサンタントニオ・アバーテ病院の礼拝堂があったそうで、それが前身とされてます。


P1740723
サンタゴスティーノ教会の説明板


P1740722
13世紀、聖アゴスティーノ修道会によって、病院と礼拝堂を取り壊され、新たにサンタゴスティーノ修道院教会の建設が始まり、15世紀に完成しました。
当初はロマネスク様式でしたが、当時の流行を取り入れて完成時にはルネサンス様式の色濃い建物になりました。


P1750161
1472年に建設されたルネサンス様式のファサードです。


P1740791
後陣と鐘楼


P1740715
鐘楼はファサード側から殆ど見えません。


P1750292
現在の鐘楼は、1464年に再建された二代目となるものです。


p1002
13世紀に制作された鐘が今でも一部使用されているそうです。


p1004
観光用なのか、大体扉が開いてます。


p1003
拝観します。


P1740727
単廊式です。15世紀に完成した時の構造をしており、ルネサンス様式です。


P1740726
18世紀後半に行われた修復の際、漆喰で装飾されバロック様式に転身しました。


P1740728
Presbiterio


P1740729
後陣天井


p1006
後陣天井のフレスコ画「父なる神」(制作者情報等詳細不知)


p1005
バロック様式に改修できたのは、この町が豊かだった証左でしょう。


P1740732
所々に古いフレスコ画が残されてます。


p1007
預言者?(14世紀の地元の逸名画家作)


p1009
チントラの聖母礼拝堂です。


p1012
礼拝堂祭壇下の紋章


P1740734
「チントラの聖母」


p1008
制作者情報等詳細不知


P1740736
14世紀に制作されたフレスコ画断片


P1740738
制作者情報等詳細不知のフレスコ画


p1010
聖セバスティアーノと聖ロッコ


P1740741
制作者情報等詳細不知


p1011
シエナの聖ベルネルディーノと聖ドメニコ


P1740742
次の礼拝堂です。


p1013
Cappella Madonna del Soccorso


p1014
救助の聖母


P1740743
制作者情報等詳細不知


P1740747
詳細不知


P1740748
修復中?


P1740749
修復工事の際、塗り潰された外壁の下に発見されたフレスコ画


P1740751
15世紀に制作された「聖セバスティアーノ」(制作者情報等不知)


P1740753
(つづく)

引き続きサン・バルトロメオ修道院教会です。
P1740679
中に入りました。


p1009
左外壁が要塞の役目を担うために13世紀に改造されました。その際、左側壁が右寄りに移動されたので、左右非対称となってます。


p1010
主祭壇


p1011
「磔刑像」(1290-1310)


P1740690
磔刑像の説明文


p1012
磔刑像の下にある「嘆きの聖母」(18世紀)(制作者情報不知)


P1740680
「祝福する聖バルトロメオ」(詳細不知)


P1740683
「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(17世紀)


p1013
制作者情報不知


P1740685
「キリストの洗礼」(18世紀)(制作者情報不知)


p1014
ギョーム・デ・マルチラ(フランス、1470-アレッツォ、1529)の「礼拝堂祭壇」(16世紀前半)


P1740687
ティーノ・ディ・カマイーノ(シエナ、1285c-ナポリ、1337c)の「聖母子」(1316c)


P1740688
この「聖母子」は有名な作品です。


p1015


P1740692
カウンターファサード


P1740693
外に出ました。


P1740694
この下は、二番目の城壁に当たります。


P1740695
人懐っこいニャーゴがいたので、お腹をナデナデしました。


P1740696
ポポロ広場に戻ります。


P1740697


P1740698
階段を上ればポポロ広場です。


P1750030
ポポロ広場に出ました。


P1740699
市庁舎の右横を進みます。


P1740700
通りに見えますが、地名はポポロ広場となってます。


P1740701
行き止まりですが、右にアーチがあります。


P1740702
坂になっているアーチを潜ります。


P1740703
フランチェスコ・ネンチ通りに出ました。


P1740704


P1740705
次はアンギアーリの戦い博物館です。


P1740706


P1740707
16世紀に建設されたPalazzo Marzoccoに博物館があります。


p1016
アンギアーリの戦いの模型


p1017
レオナルド・ダ・ヴィンチの「アンギアーリの戦い」で有名な戦闘です。


P1740708
この町に来たならば、この博物館は必訪でしょう。


P1740709
ただ博物館自体は、それ程面白いものではないと思います。


P1740710
写真右手前に木の覆いがありますが、そこに「慈悲の聖母」があります。


P1740717
「慈悲の聖母」


P1740719
説明板


P1740718
デッラ・ロッビア工房の作品です。
(つづく)

P1740645左の道を進みます。右側はVia della Tombaです。


P1740646


P1740647
要塞の役割を果たした建物です。


P1740649
道の右側に緑地が広がってます。


P1740650
城壁外に当たります。


P1740651


P1740648
サン・マルティーノ修道院だった建物です。


P1740652
この町の政治の中心であるポポロ広場に向かいます。


P1740653
ポポロ広場にやってきました。


P1740654
鐘楼はサン・バルトロメオ修道院教会(バディーア教会)のものです。


P1740655
ポポロ広場に面して古い建物ばかりが建ってます。


P1740656


P1740657
プレトリオ宮は修復工事中でした。


P1740659
古い建物ばかりですから、大体何処かで修復工事が行われています。


p1001
プレトリオ宮が建っている場所に古い裁判所があったそうです。


p1002
プレトリオ宮は、古い裁判所を取り壊し、その上にアンギアーリの政庁舎として14世紀に建設されました。


p1003
プレトリオ宮の碑文


P1740663
プレトリオ宮の外壁に紋章がありますが、これらは執政長官や司祭の紋章です。


P1740664
アンギアーリは、フィレンツェの支配下に置かれていたので、これらの紋章の多くはフィレンツェから派遣された執政長官のものです。


P1740658
プレトリオ宮のニッチにフレスコ画があります。


P1740661
「玉座の聖母子と四聖人」(15世紀)


p1004
制作者不詳


P1740665
プレトリオ宮は、19世紀に刑務所に転用されました。


P1740666


P1740667
ポポロ広場は坂になってます。


P1740668


P1740669
この先にMuseoがありますが、入館する前にバディーア教会に行くことにしました。


P1740670
バディーア教会はポポロ広場の直ぐ近くにあります。


P1740671
坂を下ります。


P1740672


P1740673
バディーア教会前の狭い広場に出ました。写真右がバディーア教会です。


P1740674
写真右の建物がバディーア教会です。写真左は修道院だった建物です。


P1740675
修道院だった建物にMuseo della Misericordiaがありますが、最近開いていたことがありません。閉鎖されたかも知れません。


P1740676
バディーア教会の正式名称は、サン・バルトロメオ修道院教会です。


P1740678
Badiaとは、大修道院という意味です。


p1005
1104年に聖ベネデット会カマルドリ会によって創建されました。修道院教会の建物は要塞の一部として機能していました。
1105年の文書に、その存在が初めて記載されたそうです。


p1006
14世紀に再建され、1447年に拡大されましたが、1775年に現在の姿に縮小されたそうです。


p1007
鐘楼


p1008


P1740677
拝観します。
(つづく)

P1740612Porta San Martino


p1019
1204年に建設された二番目の城壁の門です。門の前に堀があって、堀の上に跳ね橋が架けられていたそうです。


P1740613
振り返ってPiazza Baldaccio方向を撮った写真です。


P1740614
サン・マルティーノ門を潜ってVia Taglieschiに出ました。


P1740615
洗礼堂の塔です。


P1740616
Via Taglieschiに面して13-14世紀に建設された建物が建ち並んでます。


P1740617
Palazzo Testi


P1740618
Palazzo Testiの大部分はPalazzo Comunaleとして使用されてます。


P1740619
Palazzo Testiの門


P1740620
Palazzo Testiは、中世後期に建設された幾つかの建物から成る複合施設です。


P1740622
門を潜って敷地内に入りました。


P1740621


P1740623
町役場の入り口です。


P1740624


P1740626


P1740627
Palazzo Testiはチェントロ・ストーリコの高い場所に建っているので、町の景観が楽しめます。


P1740629
Teatro Comunale、ガッレリア・マギが見えます。


P1740630
写真右端に、この日のお宿のテラスが写ってます。


P1740628


P1740631
Palazzo Testi内の外周路です。


P1740632
Il Campanoと呼ばれている時計塔です。


p1020
町の防衛システムにおける監視塔として、1234年に創建され、14世紀前半に完成しました。


p1021
16世紀初頭に破壊され、17世紀に再建された塔が現在のものです。


P1740634
Palazzo Testi内の建物


P1740633
Palazzo Testiの裏門です。


P1740635
アーチと裏門を潜って通りに出ます。


P1740643
Via della Proposituraに出ました。


P1740644
Via della Proposituraから見たIl Campanoです。


P1740637
Via della Proposituraにニャーゴがいて、近付くと、お腹をナデナデしてねと催促されました。


P1740638
お腹を暫くナデナデしても満足しません。


P1740639
ところが急に立ち上がって走り去っていきました。


P1740640
Via della Proposituraに面して建つサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。


P1740641
建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベッリーニの設計によって、1628年に創建され、1740年に完成した新古典様式の教会です。


P1740636
中に16世紀の作品があるのですが、この教会の創建前に制作されたものです。


p1022
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の内部


p1023
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435-1525)の「慈悲の聖母」の彩釉テラコッタが主祭壇に置かれてます。


p1024
ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ(フィレンツェ、1492-1544)の「最後の晩餐」(1531)


p1025
ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ(フィレンツェ、1492-1544)の「弟子の足を洗うキリスト」(1531)


P1740642
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のファサード前のトリエステ通り
(つづく)

P1730634前日はサンセポルクロでした。


P1730666
サンセポルクロでは、ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品を十分に楽しむことが出来ました。


P1740585
サンセポルクロで泊まったホテルを後にしました。


P1740584
次の目的地はアンギアーリでした。


P1740586
アンギアーリは、人口5,483人(2020年8月31日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネです。「イタリアの最も美しい村」にリストアップされてます。
サンセポルクロからアンギアーリに向かうには、アレッツォ行きのバスに乗車するのが便利です。


P1740588
バスターミナルになっている広場です。


P1740587
ここでアレッツォ行きのバスを待ちました。


P1750547
定刻にアンギアーリに到着しました。うっかりすると乗り過ごしそうなバス停留所なので、注意が必要です。


P1750549
道を少し上ると、アンギアーリらしい光景が見えてきます。


P1750548
初めてバスでアンギアーリに行かれる方は、運転手に「アンギアーリで下車したい」と予め伝えておくと良いと思います。


P1750546
先ず、この日のお宿に向かいます。


P1740589
この日のお宿は、この広場の、道を隔てた向かい側にあります。


P1740594
この日のお宿です。


P1750108
旧市街を一望できるテラスがあるのが特徴です。各部屋がテラスに面してます。


P1750109
レストランが併設されてます。この日はハーフボード(一泊二食)にしました。フルボード(一泊三食)も可能です。
しかし、現在は、レストランの方は休業しているようです。


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自室からテラスに出ました。


P1740591
テラスからの景観


P1740595
大きな荷物を自室に入れてから、町歩きに出発しました。


P1740596
ホテルが面している11月4日広場です。


P1740592
11月4日広場に面して建つ、1777年から1794年に建設されたヴィッラノーヴァのサン・トンマーゾ礼拝堂です。
ベネデット・コルシがコルシ家の個人礼拝堂として建てたので、コルシ礼拝堂とも呼ばれてます。
1900年にアンギアーリのコムーネ所有となり、現在に至ってます。


P1740593
Teatro Comunaleも11月4日広場に面して建ってます。


P1740597
チェントロ・ストーリコに通じるガッレリア・マギです。


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ガッレリア・マギにビアホールがあります。


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ガッレリア・マギを潜ります。


P1740600
コルソ・ジャコモ・マッテオッティを横切れば、チェントロ・ストーリコの中心の広場に出ます。


P1740601
町を縦貫するコルソ・ジャコモ・マッテオッティです。


P1740602
通りの突き当りに教会がありますが。拝観は後回しに。


P1740603
チェントロ・ストーリコの中心Piazza Baldaccioです。


P1740604
写真右に、先ほど潜ってきたガッレリア・マギが写ってます。


P1740605
Piazza Baldaccioに彫像が立ってます。


p1001
ピエトロ・グエッリ(モンテヴァルキ、1865-1936)の「ガリバルディ将軍像」


p1002
イタリア統一の英雄です。


P1740606
街歩きの前に観光案内所に立ち寄ります。


P1750417
写真右手前に観光案内所が写ってます。観光案内所で地図を頂戴しました。


P1740607
広場に戻ってから、写真右側の道を進みます。


P1740608


P1740610
案内標識が沢山あるように、この道を進めば多くの見所に行くことが出来ます。


P1740611
振り返って撮った広場の写真。


P1740609
トリエステ通りの突き当りにサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会がありますが、扉が閉まっているようです。
(つづく)

P1030537薬屋の建物にタベルナコロがあります。


P1030538
タベルナコロの「聖母子」のフレスコ画


P2170568
制作者など詳しいことが分かりません。


P1030539
カヴール通りに戻りました。


P1030540
ここまで来たからには、ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会に行くことに。


P1770766
拝観します。


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中に入りました。


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Presbiterio


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ピエトロ・ロレンツェッティの多翼祭壇画


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P1030541
繰り返し訪れたい街です。


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カヴール通り


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Palazzo Bacciを見ます。


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ゴシック様式のPalazzo Bacciです。


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フレスコで装飾されてます。


P1030569


P2180397
ドゥオーモを幾度となく拝観しました。


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ファサードの浮彫


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再建されたファサードなので、浮彫は古いものではありません。


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聖堂内に入りました。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画


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P1770783
出発の日を迎えました。


P1780261
中々良いホテルでした。


P1770791
この日は鉄道利用ではありません。


P1780272
鉄道駅前のバスターミナルに向かいます。


P1030307
バスでシエナに向かいます。


P1030306
シエナ行きのバス
(おわり)

P1030489教会巡りを続けます。


P1030488
市立カルチャーセンターの建物です。


P1030490
サンティッシマ・トリニタ教会です。


P1030492
1348年に慈悲の兄弟会によって建設されました。
1550年、トスカーナ大公コジモ1世の命によって、サント・スピリト女子修道会に与えられました。


p1017
サンティッシマ・トリニタ教会の内部


p1018
アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535-1607)の「我に触れるな」(1584)


P1030491
慈悲の兄弟会に因んでミゼリコルディア教会とも呼ばれてます。


P1030493
写真右は、サント・スピリト女子修道院だった建物です。


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女子修道院の入り口だった所に靴屋があります。


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旧女子修道院の入り口扉上ルネッタに描かれたフレスコ画


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P1030496
次はサン・ミケーレ教会です。


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ローマ通り


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ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の鐘楼が見えます。


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右折するとサン・ミケーレ教会の前に出ます。


P1030501
サン・ミケーレ教会と呼ばれるのが普通ですが、聖アドリアーノにも捧げられているので、サンティ・ミケーレ・エ・アドリアーノ教会が正式名称です。


P1030505
11世紀後半にカマルドリ会修道院の教会として建設されました。1095年の文書に、その存在が初めて記載されたそうです。
14世紀後半から18世紀にかけて度々改造されましたが、19世紀にゴシック様式に戻されました。


P1030504
入口扉上ルネッタのモザイク「父なる神と聖ミケーレと聖アドリアーノ」は、19世紀に行われた改造の際に制作されたそうです。


P1030502
美術的に数点の見所があります。


P1030506
教会内に入りました。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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右側壁


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木組みの梁の天井


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Presbiterio


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傑作として有名な主祭壇画


P1030513
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418/1420-1492)の「玉座の聖母子と四聖人(聖ベネデット、聖ミケーレ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ロムアルド)」(1460)


P1030517
アルド・ドラゴ―ニ(Aldo Dragoni)の「聖母子と聖フランチェスコとシエナの聖カテリーナ」(1940)
この画家については、全く知りません。


P1030520
アルド・ドラゴ―ニの「三聖人」(1940)


P1030527
トスカーナの逸名彫刻家作「磔刑像」(17世紀末)


P1030529
ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1656)の「聖母の誕生」(1640)


P1030530
詳細不知


P1030531
スピネッロ・アレティーノ派逸名画家作「磔刑」(14世紀末)


P1030533
アルド・ドラゴ―ニの「聖心」(1941)


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アンドレア・ディ・ネリオ(アレッツォ、1331から記録-1387以前没)に帰属する「聖母子」(14世紀後半)


P1030512
外に出ます。


P1030503
外に出ました。
(つづく)

P1030291サン・フランチェスコ聖堂を通り過ぎます。


P1030292
一旦ホテルに戻ります。


P1030293
郵便局です。


P1030294
郵便局の建物の装飾


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新古典様式の郵便局


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「東京」という寿司屋で早飯です。


P1030297
広い駅前広場


P1030298
午後はポッピへの日帰り遠足です。


P1030299


P1030300
アレッツォ駅です。
鉄道でポッピに行きます。


P1030301
写真右端がこの時のお宿でした。


P1030302
ホテルに戻って、ポッピへの遠足の用意をしました。


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外に出ました。


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p1016
ポッピは、「最も美しい村」にリストアップされてます。


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ポッピの見所は城でしょう。


p1014
天気に恵まれた遠足でした。


P1030549
アレッツォに戻ってきました。


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夕食まで時間があったので、サン・フランチェスコ聖堂にやってきました。


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拝観します。


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Museoとしての一般公開は既に終わり、地元の人たちの信仰の場になっていました。


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中の写真は撮りませんでした。


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サン・フランチェスコ聖堂前に立つパスクゥアーレ・ロマネッリ(フィレンツェ、1812-1887)の「Vittorio Fossombrini(アレッツォ、1754-フィレンツェ、1844)像」(1863)
ヴィットリオは、19世紀前半の万能の天才です。


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サン・フランチェスコ聖堂の後陣です。


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そろそろ夕食の時間です。


P1030566
アレッツォのレストランの夕食は大体午後7時から営業なので、朝が早い私としては歓迎です。


P1030567
これが南イタリアとなると、午後9時オープンの店が珍しくありません。


P1030568
行く店は何時も大体同じです。


P1030542
この店です。
(つづく)

P2190084引き続きサンテ・フローラ・エ・ルチッラ教区教会です。


P1030236
ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1656)の「聖母子と聖マウロと聖ルチア」


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p1001
テオフィーロ・トッリ(アレッツォ、1554-1623)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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P1030241


p1002
主祭壇画をもう一度見ました。


P1030243
ジョルジョ・ヴァザーリの作品です。


p1003
この作品は有名です。


P1030245
セーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラ(シエナ、1280?-1331c)の「彩色磔刑像」(1319)


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彩色磔刑像下のフレスコ画(詳細不知)


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制作者情報不知の「竜を退治する聖ジョルジョ」


p1005
16世紀に制作されたオルガン


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p1006


p1008
次の礼拝堂です。


p1007
パオロ・デ・マティス(Paolo De Matteis)(ピアーノ・ヴェントラーレ、1662-ナポリ、1728)の「病人を治療する聖マウロ」


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P1030255
制作者情報不知の「無原罪の聖母と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖シルヴェストロ」


p1009
次の礼拝堂です。


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ジュゼッペ・サンティーニ(アレッツォ、17世紀活動)に帰属する「聖ベネデットと聖スコラスティカ」(17世紀)


P1030259
ジュゼッペ・サンティーニは、ベルナルディーノ・サンティーニの息子です。
近年、この作品は、マルコ・マッツァロッピ(Marco Mazzaroppi)(カッシーノ、1550-1620)によって描かれたという説が有力になりつつあります。


P1030258
上部のフレスコ画は、ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1656)によって制作されました。


p1010
次の礼拝堂です。


P1030260
ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1656)の「天上の聖母子と聖バルトロメオと司教聖人」


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制作者情報不知の「無原罪の御宿リ」


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カウンターファサードにフレスコ画があります。


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バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448-アレッツォ、1502)の「聖ロレンツォ」


p1012


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外に出ました。


P1030283


P1030286
(つづく)

P1030217ガリバルディ通りをサン・フランチェスコ聖堂に向けて進みます。


P1030218
バディーア広場が見えてます。


P1030219
バディーア広場に面して建つサンテ・フローラ・エ・ルチッラ教区教会です。


P1030282
Badiaとは大修道院という意味です。
教会の隣接して建っている写真右は、修道院だった建物です。
修道院と教会は、修道院の複合施設でした。


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こちらが修道院だった建物で、現在は高等教育研究所や現代芸術のギャラリーとして使用されてます。


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修道院だった建物の入り口前に柱廊があります。


P1030279
旧修道院入り口扉上ルネッタの彩釉テラコッタ


P1030220
アレッツォのベネデット会は、城壁外の要塞化された場所に修道院がありました。
しかし、アレッツォ市当局は、城壁外にあって強大な影響力を発揮するベネデット会を恐れ、その影響力を制限させるために、1196年に城壁内に本拠地を移転するように命じました。


P1030284
1209年、簡易的な修道院が現在地に完成し、移転が完了しました。
移転後、直ぐに教会と修道院の本格的な建物の建設が検討され、教会は1278年にゴシック様式で創建されました。修道院の建物が1315年に完成しました。
教会の方は、改造増築が行われました。1489年、建築家ジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)の設計によって、新たな改造工事が行われました。
その後、工事は、1565年にジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)に引き継がれ、マニエリスム様式に改造されることなりました。その改造工事は17世紀まで続きました。
ナポレオンのイタリア侵攻に伴う抑圧令によって、1810年に修道院が閉鎖されました。


P1030287
現存する鐘楼は、1650年に完成しました。


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拝観します。


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教会内に入りました。


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三廊式、ルネサンス・マニエリスム・バロックの折衷様式の内部です。


P1030267
翼廊がありません。


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美術的に見所が幾つかある教会です。


p1019
主祭壇


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主祭壇は「ヴァザーリの祭壇」とも呼ばれてます。


p1020
主祭壇は元々この教会にあったものではありません。


P1030276
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会がジョルジョ・ヴァザーリに注文した祭壇は、1565年に完成し、それ以来、200年間同教会にありましたが、1865年にこの教会の主祭壇として移されたのです。


p1021
クーポラ


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クーポラの装飾(1701-02)は、イエズス会の僧だった画家アンドレア・ポッツォⅧトレント、1642-ウィーン、1709)によるものです。


P1030225
ジョルジョ・ヴァザーリの作品です。


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「聖母被昇天」(1567)


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P1030227
ジョヴァンニ・アントニオ・ラッポーリ(アレッツォ、1492-1552)の「ご訪問」(1524-26)


P1030229
ジョヴァンニ・アントニオ・ラッポーリは、画家だったマッテオ・ラッポーリの息子です。父から画家の手ほどきを受けてから、ドメニコ・ペコリに師事しました。


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Cappella del Crocifisso


P1030230
バッチョ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ・フィオレンティーノ、1469-ルッカ、1523)の「磔刑像」


P1030234


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P1030231
Cappella del Crocifissoのフレスコ画は、ベルナルディーノ・サンティーニ(アレッツォ、1593-1656)の「預言者たち」です。


P1030232


p1030


P1030233


p1029
(つづく)

P1030487次はサン・ロレンツォ教会です。


P1030378
サン・ロレンツォ教会です。残念ながら扉が閉まっていました。


P1030381
11世紀初めに創建されたロマネスク様式の教会で、1025年の文書に、その存在が初めて記載されたそうです。


P1030379
13世紀に再建され、1583年に修復されました。


P1030380
現在の建物は、1705年に再建された三代目となるものです。


p1016
この部分は創建時のものと言われてます。


p1017
16世紀に行われた修復の際に、紀元前三世紀の「ミネルヴァ像」がサン・ロレンツォ教会の地下から発見されました。


p1018
ミネルヴァ像が発見された時、アレッツォはトスカーナ大公国領だったので、ミネルヴァ像はフィレンツェに運ばれ、メディチ家によって保有されることになりました。
現在。ミネルヴァ像はフィレンツェの考古学博物館で見ることが出来ます。


P1030382
次はサンタグネーゼ教会です。


P1030383
11世紀前半、アレッツォの丘上には四つの教会が建設されました。


P1030384
そのうち、サンタンドレア教会とサン・ジュスティーナ教会の2つは取り壊され、現存するのは、サン・ロレンツォ教会とサンタグネーゼ教会です。


P1030385
サンタグネーゼ広場です。


P1030386
サンタグネーゼ教会(聖アグネス)教会です。残念ながら扉が閉まっていました。


P1030390
11世紀前半に建設されました。1025年の文書に、この教会の存在が初めて記載されたそうです。


P1030389
17世紀から18世紀に改造されましたが、1932年に元の姿に復元されました。


P1030387
丘上の四つの教会のうち、サンタグネーゼ教会が最も格式が高く教区教会となっていました。


P1030388
入口扉上ルネッタのモザイク


P1030391
1932年に復元されたファサードの一部は、13世紀のものです。


P1030392
ドゥオーモの方に向かいました。


P1030393


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P1030395
ピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の鐘楼


P1030396
ドゥオーモ


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ドゥオーモ横に曰く因縁付きのモニュメントがあります。


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アレッサンドロ・ラッツェリーニ(カッラーラ、1860-1942)の「ペトラルカのモニュメント」(1928)
この場所に、ペトラルカの記念碑設置が決まり、1908年、コンペによってアレッサンドロ・ラッツェリーニが制作することになりました。
しかし、その制作費用が膨れ上がった上に、アレッサンドロ・ラッツェリーニの試作モデルの評判が悪く、制作が進捗しませんでした。コンペから20年後に漸く設置されたのです。


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城壁の下の景観


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城壁


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(つづく)

P1030340アレッツォの中心部に向かいます。


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初めは警戒心丸出しでしたが、なでなでしてやると直ぐに慣れてくれたので、しばらく遊びました。


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サンタゴスティーノ教会の鐘楼?


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写真右は城壁です。


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サンタゴスティーノ教会です。


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サンタゴスティーノ教会前はサンタゴスティーノ広場になります。


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エレミターニ・ディ・サンタゴスティーノ托鉢修道会によって1257年に創建されました。


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サンタゴスティーノ教会は、この時間、扉が閉まってます。


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サンタゴスティーノ修道院と教会は非常に大きな建物と広大な敷地を保有していたそうですが、1761年から1766年の改造工事によって、現在の姿に縮小されたそうです。


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写真左手前に古い教会が建ってます。


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サンタ・マリア・マッダレーナ教会です。既に機能を停止した旧教会で、個人所有の不動産となってます。


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別称マドンナ・デル・ドゥオーモ・ヴェッキオ教会です。


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この場所付近に大きな旧ドゥオーモが建っていましたが、1561年、トスカーナ大公コジモ1世の命によって解体されてしまいました。
旧ドゥオーモに葬られていた遺骨などを収容するために、旧ドゥオーモの一部がサンタ・マリア・マッダレーナ教会として残されたそうです。


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旧サンタ・マリア・マッダレーナ教会のタベルナコロ


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現在の姿からは、旧ドゥオーモの存在がとても想像できません。


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次はサン・ジミニャーノ教会です。


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道を進みます。


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サン・ジミニャーノ教会です。


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1030年の文書に、その存在を初めて記載されたロマネスク様式のサン・ジミニャーノ教会です。


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13世紀初めにロマネスク様式で再建され、14世紀の修復工事の際、ゴシック様式に改造された建物が現在の姿の原形だそうです。


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隣接して修道院だった建物が残されてます。


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鐘楼は20世紀に再建されましたが、1220年と記された鐘が使用されてます。


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二本の塔は、サン・ジミニャーノ教会の一部で、改造されて塔に見えるようになったそうです。


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教会の一部だったとは、想像だに出来ません。


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古い通りを進みます。


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Porta Cruciferaです。


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Porta Cruciferaの「ポポロの聖母」のタベルナコロ


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Piazza Porta Crucifera


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14世紀に建設されたPalazzo Albertiです。


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アルベルティ家は、アレッツォ郊外に広大な土地を所有していた貴族です。


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(つづく)

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