イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2022年06月

260
前泊地はボローニャでした。


278
ボローニャ駅から列車でフェラーラに向かいました。


279
二階建ての車両でした。


280
車内は非常に空いてました。


281
フェラーラ駅に到着しました。


282
この当時は、写真を沢山撮る習慣がなくホテルなどの写真がありません。城近くのホテルにチェックインしてから街歩きに出発しました。


283
サン・ベネデット教会です。教区教会になってます。


284
フェラーラは、人口131,166人(2021年11月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州フェラーラ県の県都です。


285
ルネサンス期、エステ家の支配を受けたフェラーラは見所が豊富です。
さて、サン・ベネデット教会に移ります。


1000
15世紀中頃、ポンポーザのベネデット会修道士たちは、マラリアに悩まされていました。年を追うごとにマラリアの被害が深刻となり、15世紀後半にポンポーザ修道院を放棄し退去することを決意しました。


1001
その移転先を探していましたが、ポンポーザ修道院のあるコディゴロ(フェラーラ県にあるコムーネ)を支配していたエルコーレ1世・デステ公爵(フェラーラ、1431-1505)とフェラーラ司教のアドリア・ニコロ・マリア・デステ司教(フェラーラ、1450?-1507)の支援を受けて、修道院と教会が新たに建設されることになりました。
そうして、建築家ビアージョ・ロッセッティ(フェラーラ、1447c-1516)が起用され、ビアージョの設計によって1496年に創建され、1553年に完成したルネサンス様式の建物がサン・ベネデット修道院教会の複合施設です。1563年に奉献式が執り行われました。
ポンポーザ修道院は、1650年までに修道士全員がフェラーラのサン・ベネデット修道院教会に移り、1650年に閉鎖放棄されたのです。


1002
ナポレオン軍のイタリア侵攻に伴うチザルピーナ共和国の成立に伴い、1797年に修道士が追放され、建物は兵舎と厩舎に転用されました。
1812年に宗教活動が再開されました。
1912年、ベネデット会はこの教会における活動を停止しましたが、代わってサレジオ会が入りました。


1003
1944年、イギリス軍による空爆を二回受けて、修復の可能性を断たれるほどの大被害を受けました。残骸を完全に破壊して、その上に新しい建物が建てられることになりました。


1004
ビアージョ・ロセッティ設計に図面が残っていたので、それを基に忠実に再建されることになり、1952年に創建され、1954年に完成した建物が現在の姿になってます。
2007年、火災に遭い、内部に残されていた貴重な作品が失われました。
また、2012年の地震によって大被害を受け、長らく活動が休止され、2019年になって漸く活動が再開されたのです。
第二次世界大戦前に修道院教会からフェラーラ国立美術館に移された作品を除いて、この教会に現存する古い作品は全くありません。


1005
1621年に建設された鐘楼です。


1006
少し傾いてます。


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ドン・ボスコのモニュメント


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教会の内部です。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式(構造)の内部です。


1010
新しく見えるのは、20世紀中頃に再建されたからです。


1012
2012年の地震後に行われた修復工事の際、壁などが塗り直されたそうです。


1013
クーポラ


1014
Presbiterio


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主祭壇


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礼拝堂


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見所に乏しいと思います。


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右側廊


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修道院回廊


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洗礼盤


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碑文


1030


1011
カウンターファサード


286
廃教会でしょうか?
(つづく)

P1670765ピア門です。


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アンコーナ駅前のホテルに戻ります。


P1670767
アンコーナ駅が見えてきました。


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遅い昼食を食べます。


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昼食時間が終わっているので、店内は空いていました。駅前のレストランなので、平日は昼休み無しの通し営業をしています。


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疲れていたので、この日はこれで終わりです。


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翌朝です。


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午前6時過ぎでした。


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ローマ行きの列車に乗って次の目的地スポレートに向かいました。


P1670977
この時の旅はこれで終わりです。


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車中から見えたドゥオーモです。次の旅です。


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アンコーナ駅に到着しました。


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駅前のホテルにチェックインしてから、チェントロ・ストーリコに向かいました。


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ピア門


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市立絵画館入館後にドゥオーモに行きました。


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サンティ・ペッレグリーノ・エ・テレーザ教会の緑色のクーポラ(写真右端)です。この時は扉が閉まっていました。


P2380135
写真下に旧アンコーナ・マリッティマ駅の屋根が写ってます。この時は、全列車の運行が停止されていました。


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夏休み中のミューズ劇場でした。


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プレビシート広場とサン・ドメニコ教会


P2380146
Palazzo del Governoと市の塔


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市立絵画館に向かいます。


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チリアーコ・ピッツェコッリ通り


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こちらから入館できると思ったのですが、扉が閉まっていました。美術館の再開館後、こちらの扉は出口専用となっていて、中から外に出ることは可能ですが、こちらの扉からの入館は出来なくなりました。


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入口はサンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会の方にあります。


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出口専用扉前のサン・フランチェスコ・アッレ・スカレ教会です。


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ロレンツォ・ロットの主祭壇を見逃すわけにはいかないので、拝観しました。


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ロレンツォ・ロットの主祭壇画「聖母被昇天」


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市立絵画館に入館しました。


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チーロ・フェッリの作品


P2380723
サッソフェッラートの作品


P2380400
カルロ・クリヴェッリの作品


P2380463
オリヴゥッチョ・ディ・チッカレッロの作品


P2380454
オリヴゥッチョ・ディ・チッカレッリの作品


P2380501
セバスティアーノ・デル・ピオンボの作品


P2380504
ティツィオアーノの作品


P2380521
繰り返しになるので、この辺で終わりにします。
(おわり)

P1670724サンティッシモ・サクラメント教会から外に出ました。


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このままホテルに戻っては時間が余り過ぎなので、ぶらぶら歩きをすることに。


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Corso Garibaldi


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振り返って撮った写真です。


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サンティッシモ・サクラメント教会が見えます。


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サン・ビアージョ教会です。


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建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・ウルビーニの設計によって1745年から1748年に建設されました。


P1670734
ファサードが面しているジュゼッペ・マッツィーニ通りの道幅が狭いので、ファサード全景がうまく撮れません。


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Fontana del Calamoに向かいます。


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Fontana del Calamoが見えてきました。


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次はローマ広場です。


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ローマ広場


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馬の噴水


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Corso Garibaldi


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サン・ドメニコ教会の鐘楼が見えます。


P1670753


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マルケ大学の学舎


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ホテルです。


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写真右の建物に注目です。


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1929年に建設されたCasa del Mutilatoです。


P1670761
運が悪い建物なのか、この建物を所有すると経済状態が悪くなる持ち主が続いてます。現在も競売にかけられてますが、競売不調のようで売れません。


P1670762
ホテルに戻ることにしました。


P1670763
トラヤヌス帝のブロンズ像


P1670764
(つづく)

P1670669Palazzo Benincasaです。


P1670671
建築家ジョルジョ・ディ・マッテオ別称ジョルジョ・オルシーニ(クロアチア、1410c-1475)の設計によって15世紀の建設されたゴシック様式の建物です。


1000
三階建て、長さ50メートルの細長い建物です。


P1670670
1669年、建物を所有していたルチアーノ・ベニンカーサ侯爵は、図書館として一部を一般公開しました。1749年、ベニンカーサ公爵家は、建物と図書館をアンコーナ市当局に寄贈し、図書館はアンコーナ市立図書館になりました。
しかし、建物と図書館の維持管理費に苦労していたアンコーナ市は、1924年に民間会社に売却しました。その後、持ち主が数度変わりました。
2008年、図書館は私立アマトリ図書館として再出発した一方、図書館以外の建物の一部はマルケ州の裁判所として使用されてます。


P1670672
次はサンティッシモ・サクラメント教会です。


P1670673
サンティッシモ・サクラメント教会については既に取り上げましたが、今回再度触れるのは、祭壇画の作品帰属が明らかにされるようになったからです。


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レプッブリカ広場です。


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元々、1538年に建設されたルネサンス様式の建物です。


P1670676
18世紀後半に殆ど再建に近い工事によって後期バロック様式の建物になりました。


P1670677
建築家フランチェスコ・マリア・チャラッフォーニ Francesco Maria Ciaraffoni(ファーノ、1720-アンコーナ、1802)の設計によって、後期バロック様式に改造されました。


1004
ファサードは、1538年に建設されたものです。


1001


1002
クーポラ


1003
鐘楼


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拝観します。


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中に入りました。


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左側壁


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右側壁


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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Presbiterio


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クーポラ


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左翼廊


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主祭壇画


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フランチェスコ・カッチャニーガ(ミラノ、1700-ローマ、1781)による主祭壇画です。


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チェーザレ・ダンディーニ(フィレンツェ、1596-1657)の作品です。


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P1670701
フランチェスコ・ポデスティ(アンコーナ、1800-ローマ、1895)の「聖マッテオ」


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フランチェスコ・ポデスティ(アンコーナ、1800-ローマ、1895)の「聖マルコ」


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「無原罪の御宿リ」


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18世紀中頃の逸名画家による作品です。


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「聖アントニオの幻視」


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フランチェスコ・カッチャニーガ(ミラノ、1700-ローマ、1781)の作品


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」


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フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550c-マチェラータ、1603)の祭壇画です。


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「大天使ラッファエーレとトビオーロ」


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パスクゥアーレ・チャランポ―ニ(トレイア、1734-1792)の祭壇画


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カウンターファサード


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外に出ます。


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外に出ました。
(つづく)

P1670649ファサードだけでも十分見所に値します。


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拝観します。


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中に入りました。


1027
このように展示会が行われていることがあります。


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1928年にルイージ・セッラによって復元された内部です。


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この教会の主祭壇画は、長らくこの作品でした。


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ロレンツォ・ロットの作品です。


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現在は、市立絵画館に移され、そこで見ることが出来ます。


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P2380161
初期キリスト教会のフレスコ画を除けば、現在、この教会で残されているフレスコ画はこれだけです。


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1980年にも内部の復元工事が行われました。


1029
新しく見える所は復元された箇所でしょう。


1030


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次は初期キリスト教会の遺跡です。


1034
初期キリスト教会の上にサンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会が建ってます。


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クリプタではありません。


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モザイクの断片


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フレスコ画


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床のモザイク


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外に出ました。


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見上げるとドゥオーモが見えました。


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写真右の緑色のクーポラは、サンティ・ペッレグリーノ・エ・テレーザ教会のものです。


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ローマ広場の方に進みます。


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Loggia dei Mercantiです。


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建築家Giovanni Pace detto il Sodoの設計によって1442年に創建されたゴシック様式の商人の集会場です。後にアンコーナ商工会議所となりました。


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ヴェネツィア・ゴシック様式のファサードは、建築家ジョルジョ・ディ・マッテオ別称ジョルジョ・オルシーニ(クロアチア、1410c-1475)の設計によって1451年から1459年に建設されました。


P1670666
現在はマルケ州の州政府組織が使用しているようです。


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マルケの騎士


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こちら側の扉は閉鎖されてます。海岸側の扉から出入りします。


1047
(つづく)

P1670647階段の途中でサンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会の後陣を見ることが出来ます。


P1670648
サンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会のファサード側に回りました。


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長らく修復工事が行われていました。既に活動を停止した旧教会で、多目的ホールとして使用されているようです。


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4世紀に創建され、6世紀に修復された初期キリスト教会が前身です。6世紀に建設された隣接する2つの初期キリスト教会が前身という、もう一つの有力説があるそうです。


P1670660
初期キリスト教会は劣化し廃墟となりましたが、その上に11-12世紀に建設されたロマネスク様式の建物が現在の姿の原形となってます。
この場所は、港近くの湿地帯だったので、当初はサンタ・マリア・デル・カンネート教会と呼ばれていたそうです。Canneto=葦原、葦の茂った場所という意味です。その後、教会前の広場で魚を中心とした市場が出来たので、やがてサンタ・マリア・デル・メルカート教会と呼ばれることになりました。
17世紀には現称になっていたことが記録から確認されてますが、具体的な改称時期は分からないようです。


P2380168
後陣
右側壁にサイドポータルがあります。


P2380169
後陣は11-12世紀に建設されたオリジナルです。


P2380156
オリジナルの鐘楼は、1690年の地震によって倒壊してしまいました。現在の鐘楼は18世紀初めに再建されたものです。


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ファサード上部は、1690年の地震によって崩落してしまいました。煉瓦造りのファサード上部は、地震後の再建されたものです。


1004
ファサード下部は、Maestro Filippo(アンコーナ、フォリーニョで1191-1231活動記録)によって1210年に建設されました。


1005
ファサードのポータルは、Maestro Leonardoによって制作されました。


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Maestro Leonardoによる彫刻


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右側壁のサイドポータル


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サイドポータルのルネッタ


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サイドポータル・ルネッタの彫刻


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初期キリスト教会の入り口


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初期キリスト教会の遺跡


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右側壁の窓


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ファサード・ポータルの装飾を見ます。


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(つづく)

P1670561次は市立絵画館です。


P1670562
今回のアンコーナの最大の目的が市立絵画館の入館でした。


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どうも開いている感じがしません。


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やはり扉が閉まっていました。


P1670564
当初の予定では、開館している筈でした。


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物音が全然聞こえません。工事している様子が全く感じられない。


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絵画館が目的でアンコーナに来て、これでは流石にガックリ!!


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2011年に休館になり、再オープンが2013年の予定でした。結局、この後、更に2年間休館が続き、2017年に再オープンの運びになったのです。
丘を登ってドゥオーモに行く気力が失せました。


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ここまで来たからには、サン・フランチェスコ・アッレ・スカレ教会の拝観くらいはやっておかないと。細い道を挟んで市立絵画館の斜め前に教会があるのですから。


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サン・フランチェスコ・アッレ・スカレ教会については既に触れたので、説明を省きます。


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ファサードのポータルが見所です。


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鐘楼の中のフレスコ画


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中に入りました。


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左側壁


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右側壁


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後陣


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主祭壇


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主祭壇画:ロレンツォ・ロットの「聖母被昇天」


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カウンターファサード


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外に出ました。


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サン・フランチェスコ広場


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広場に下りて一休みすることに。


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ここでトイレ休憩


P1670636
特にやることがありません。


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このまま進めばPalazzo del Governoです。


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プレビシート広場に行っても退屈なだけです。


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階段を下りてサンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会に行ってみることに。
(つづく)

P1670517街歩きに出発しました。


P1670519
徒歩で旧市街に向かいました。


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フラミニア通りです。


P1670521
チェントロ・ストーリコまで約2kmの距離があります。


P1670522
天気が良い6月某日でした。


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アンコーナは海に面した街なので、夏至近くの強烈な日差しにあっても猛暑にはなりません。


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この頃は足腰が強かった!


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日差しを避けて柱廊を歩きました。


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ピア門です。


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ピア門を潜ります。


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ピア門を潜りました。


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ドゥオーモが見えてきました。


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ドゥオーモは丘の最高地点に建ってます。


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サン・フランチェスコ・アッレ・スカレ教会の鐘楼が見えます。


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サンティ・ペッレグリーノ・エ・テレーザ教会の緑色のクーポラが目立ちます。


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ドゥオーモ


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写真左はアンコーナ・マリッティマ駅です。


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この時は、減便になっていたもののまだ列車が運行されていました。


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トラヤヌス帝のブロンズ像


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チェントロ・ストーリコの入り口です。


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ミューズ劇場


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劇場は夏休みでした。


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市の塔


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プレビシート広場


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サン・ドメニコ教会


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Palazzo del Governoのアーチ


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アーチを潜ります。


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Palazzo del Governoのロッジャ


P1670560
(つづく)

246次は、通りの突き当りに見えてる教会です。


247
サンティッシモ・サクラメント教会です。


250
1538年に建設されたルネサンス様式の教会です。


249
1771年から1776年にかけて、建築家Francesco Maria Ciaraffoni(ファーノ、1720-アンコーナ、1802)の設計によって後期バロック様式に改造されました。


1000
ファサードは改造されず、16世紀のもの。


1001
鐘楼


P1020057
右翼廊と後陣


251
中に入りました。


266
単廊式、ラテン十字形、後期バロック様式の内部です。


267
Gioacchino Varle(ローマ、1734-アンコーナ、1807)によって1775年頃に制作された10体の使徒たちの彫刻があります。


255
クーポラ


265
クーポラの四隅にフランチェスコ・ポデスティ(アンコーナ、1800-ローマ、1895)によって1880年に描かれた四福音書記者のフレスコ画があります。


256
聖マッテオ


257
聖マルコ


1002
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


1003
聖ルカ


254
Gioacchino Varle(ローマ、1734-アンコーナ、1806)によるスタッコ彫刻(1775c)


252
祭壇画を見て回ります。


253
主祭壇画は、Francesco Caccianiga(ミラノ、1700-ローマ、1781)の「キリスト使徒たち」です。


259
主祭壇画以外の作品の作品帰属が分かりません。


260


261


262


263


264
見終わりました。


268
外に出ました。この日のミューズ劇場の公演予定はなし。


269
ホテルに戻ります。


270
1787年から1789年に建設されたピア門です。


271
ホテルに戻りました。


005
夕食のため、外出しました。


001


002


003


004
この時の旅は、これで終わりです。


P1670465
前泊地はフォルリでした。前のアンコーナから2年後でした。


P1670466
フォルリの鉄道駅に向かいます。


P1670514
フォルリからアンコナ行きのRVに乗車しました。


P1670515
アンコーナ駅に到着しました。


P1670516


P1670518
駅前の今回の旅のお宿です。
(つづく)

209ドゥオーモから外に出ました。


1108
ドゥオーモ広場からトラヤヌス帝の凱旋門が見えます。


211
アンコーナの住宅地


212
雲がかなり出てきました。


213
階段を下りてクーポラの教会に向かいました。


214
サンティ・ペッレグリーノ・エ・テレーザ教会です。


218
この場所には、1213年から1224年に建設されたサンティッシモ・サルヴァトーレ教区教会がありました。しかし、経時劣化と16世紀後半と17世紀初頭の二度の地震によって、建物が危険になったので、教会は閉鎖され荒れるがままに放置されるようになりました。


1109
1642年、アンコーナ市当局から活動認可を受けた跣足カルメル会は、その活動拠点を探していましたが、18世紀初頭、廃教会となっていた旧サンティッシモ・サルヴァトーレ教区教会の敷地を購入しました。


216
跣足カルメル会の修道士で、建築家でもあったジョヴァンニ・バッティスタ・バルトーリの設計によって、1706年に完成した後期バロック様式の教会です。そのあと、直ぐに修道院の建物が建設されました。


1110
市内何処からでも見える銅製の緑色のクーポラが目立ちます。


215
この日は扉が開く筈でしたが、未だ閉まったままでした。
1798年、フランス軍によって跣足カルメル会修道士が追放され、教会と修道院の建物は接収され、フランス軍の兵舎に使用されるようになりました。


217
扉が開きました。


230
フランス軍が撤退しても跣足カルメル会修道士は戻らず、1820年に地元住民のための教会として活動が再開されました。
1943年、第二次世界大戦の爆撃、1972年に地震によって被害を受けましたが、資金不足のため、修復されず、被害を受けてない部分を使用しての教会活動が続けられました。
20世紀末に漸く元の姿に復元されたのです。


219
中に入りました。


229
八角形、ギリシャ十字形、後期バロック様式の内部です。


228


223
クーポラ


224


221
主祭壇後方のビザンチン様式の十字架(13世紀)


227
主祭壇後方の十字架の陰に隠れて主祭壇画がよく見えませんが、フランチェスコ・ソリナーメ(カナーレ・デル・セリーノ、1657-バラ、1747)の「聖テレーザの顕現するキリスト」です。


220
ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴァルソルダ、1527-ミラノ、1596)の「無原罪の聖母と二聖人」


222
逸名画家作「聖母の結婚」(17世紀)


225
制作者情報不知の「ロザリオの聖母」


226
制作者情報不知の「天上の聖母子と二聖人」


1111
外に出ました。


231
ローマ時代の公衆浴場の遺跡


232


233


234
ローマ広場に向かいます。


235
ローマ広場に行っても特に予定がある訳ではありません。


236


237


238


239
ローマ広場です。


240
馬の噴水


241


242


243


244


245
(つづく)

199引き続きドゥオーモの内部です。


201
右翼廊の礼拝堂です。


1083
天井


200
ヴェネツィア様式の天井(15世紀)


1084
クーポラ


1085
13世紀の建設されたクーポラ


205
マルガリトーネ・ダレッツォ(アレッツォ、1240c-1290)によって1270年に建設されたクーポラです。


1086


1087


1088


1090
次は祭壇仕切りです。


1089
祭壇仕切りに装飾が施されてます。


1091
このような仕切りをPluteo(=装飾のある祭壇仕切り)と言います。
左右二箇所にPluteoがあります。
Pluteoの制作者はMaestro Leonardoで、1189年に制作したと言われてます。


193
左のPluteo


194


1093
左のPluteoの浮彫は、ダヴィデ王、受胎告知される聖母、大天使ガブリエーレ、エレミア、ハバクク書


1094


1092
右のPluteoです。


1095
図柄は、フェニックス、鷲と兎、孔雀、グリフィン


1096


1097


1098


197
次はクリプタです。


198
クリプタには幾つかの墓が並んでます。


1099
誰の墓なのか、分かりません。


1100
誰の墓なのか、全て明らかになってます。


1101
墓にはあまり興味がないので、調べなかったのが真相です。


1102
聖チリアコの墓がクリプタにあります。


1103
クリプタのフレスコ画


182
内陣に戻りました。


1104
次は祭壇画です。


1105
古いものは残されていません。


183


184
逸名画家作「最後の晩餐」(17世紀)


185
ドメニコ・シモネッティ通称イル・マガッタ(アンコーナ、1685-1759)の「聖チリアコ」


186
エルコーレ・ファーヴァ(ボローニャ、1669-1744)の「復活したキリスト」(1731)


1106
ペッレグリーノ・ティバルディの作品のコピー画です。


187
ドメニコ・シモネッティ通称イル・マガッタ(アンコーナ、1685-1759)の「聖母戴冠」


188
ドメニコ・シモネッティ通称イル・マガッタ(アンコーナ、1685-1759)の「聖十字架と聖チリアコ」


189
詳細不知


191
逸名画家作「フランチェスコ・ポデスティ(アンコーナ、1800-ローマ、1895)作『聖ロレンツォの殉教』のコピー画」


1107
フランチェスコ・ポデスティの作品は、1943年、第二次世界大戦の爆撃によって消失したので、代わりにコピー画が掲げられてます。


192
詳細不知


195
ルカ・ダンコーナ(Luca d’Ancona)(ペーザロ、1825-フィレンツェ、1884)の「聖母と聖チリアコと聖プリミアーノ」


196
フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550c-マチェラータ、1603)のキリストの鞭打ち」
ドゥオーモはこれで終わりです。
(つづく)

172引き続きアンコーナのドゥオーモです。


1050
後陣を見ます。


1051


1052


1053


1054


1055


1056


207
次はクーポラです。


1057
13世紀後半にマルガリトーネ・ダレッツォ(Margaritone d’Arezzo)(レッツォ、1240c-1290)によって建設されたくポーラ


1058
クーポラの緑色の屋根は銅製で、16世紀に覆われました。


206
身廊側に扉があります。


1059
通常開けられるのは、こちらの扉です。


1060
この写真で、身廊側の扉の位置がお分かりになると思います。


1061
地元の信者は通常この扉を通って聖堂内に入ります。


1062


1063
サイド・ポータルの装飾を見ます。


1064
サイド・ポータルの装飾


1065
ジョルジョ・ダ・コモ(1222-1256活動記録)による装飾(1228)


1066


1067


1068


1069


1070
次は鐘楼です。


175
1314年に建設された鐘楼です。


1071
聖堂から少し離れた場所に鐘楼が建ってます。


1072
16世紀の火災によって鐘楼の中の一部が破壊されました。


1073
しかし、鐘楼自体の役割を果たす箇所は火災の被害を免れたので、約400年間修復されずに放置されました。


1074
1960年代に漸く元の姿に復元されました。


1075
13世紀後半まで、鐘楼がある場所には軍事塔がありました。鐘楼の土台は、この軍事塔の土台が転用されてます。


178
サイド・ポータルから中に入ります。


179
聖堂内に入りました。


180
三廊式、ギリシャ十字形、ロマネスク様式の内部です。


181
一部はビザンチン様式です。


1076
10世紀から12世紀に建設された部分です。


1077
ローマ時代の柱が転用されてます。


1078


1079


1080


1081


1082
(つづく)

174引き続きドゥオーモのファサードです。


1011
ファサード側の扉は通常閉まっています。


1012
ファサードの装飾を見ます。


1013
ポータルの装飾は、ジョルジョ・ダ・コモ(1222-1256活動記録)によって1228年に制作されました。


1014


1016


1017


1018


1019


1020


1021


1022


1023


1024


1025


1026


1027


1028


1029


1030


1031


1032


1033


1034


1035


1036


1037


1038


1039


1040


1041


1042
ファサードに丸窓と2つの窓があります。


176
ファサードの入り口扉左右に置かれたライオン像を見ます。


177
右のライオン像


1043
13世紀に制作されたライオン像は、経時劣化したので、18世紀にルイージ・ヴァンヴィテッリ(ナポリ、1700-カゼルタ、1773)の作品に差し替えられました。


1044


1045


1046


1047


1048


1049
(つづく)

143前回の旅から2年経ちました。アンコーナ駅に到着しました。


144
駅前のホテルのチェックインしてから、直ぐに街歩きに出発しました。駅前のホテルを選んだのは、アンコーナを拠点にイエージ、ロレートなどに日帰りしたかったからです。


145
今回も徒歩で旧市街に向かいました。


146
旧市街は高台にあります。


147
フェリーターミナル


148
アンコーナ・マリッティマ駅を発着する列車がかなり少なくなっていました。


149
市立絵画館に入館してから、ドゥオーモの拝観がこの日の予定でした。


150
トラヤヌス帝のブロンズ像


152
台座の碑文


151
旧市街の入り口に立ってます。


153
この日は快晴でしたが、夕方になると曇ってきました。


154
Teatro del Muse


155
Palazzo del Governoの門が見えてきました。


156
Palazzo del Governoと市の塔


158
プレビシート広場


159
サン・ドメニコ教会


157
Palazzo del Governoの門を潜ります。


161
Palazzo del Governo


160
Palazzo del Governoのロッジャ


162
Palazzo del Governoのもう一つの門を潜ってPalazzo del Governoから外に出ます。


165
サン・フランチェスコ・アッレ・スカレ教会


163
市立絵画館の扉が開いていました。


164
中に入ると修復工事中でした。この後、長い休館に入りました。


166
ドゥオーモ方向に進みます。


167
アドリア海の方から曇ってきました。


169
アンコーナは天気が変わりやすいと思います。


168
Palazzo degli Anziani


171
円形闘技場が見えてきました。


170


173
ドゥオーモに向かう階段からの景観


1000
アンコーナのドゥオーモです。


1001
サン・チリアコ大司教座教会です。
1904年、アンコーナ司教区は単独のアンコーナ大司教区に昇格しました。司教区再編によって1986年にオージモ司教区を併合して、新たにアンコーナ₌オージモ大司教区となりましたが、その大司教座が置かれている教会です。


1002
1926年、第259代教皇ピオ11世(1857-1939 教皇在位:1922-1939)によってBasilica Pontificia (=Basilica Minore)に格付けされました。


1003
現在、建物が建っている場所の一部にアフロディーテ神殿がありました。その神殿については、紀元前4世紀にギリシャ人によって建設された、紀元前3世紀にローマによって建設されたなど諸説がありますが、いずれにしても、キリスト教が普及するようになると何時しか神殿がキリスト教徒の信仰の場となり、初期キリスト教会の役割を果たすようになりました。現在の大聖堂の前身は異教の神殿とされてます。


1004
6世紀頃、旧神殿の教会の建物が取り壊され、その上に建てられたのがサン・ロレンツォ大聖堂でした。
10世紀末から11世紀初めに、アンコーナは海事共和国の道を歩むことになりましたが、それを機に建物が拡大されることになりました。996年に拡大工事が着工され、1017年に完成したロマネスク・ビザンチン様式の建物が現在の姿の原形となってます。
12世紀末から13世紀初頭にかけて、更に拡大工事が行われ、ほぼ現在の形となりました。


1005
聖チリアコ(エルサレム、?-363)は、アンコーナ司教でしたが、聖地であり、自分の生地でもあったエルサレムへの巡礼の途中に捕縛され、拷問の末に殉教しました。
418年、聖チリアコの聖遺物(遺体)がアンコーナに戻され、サン・ロレンツォ大聖堂近くにあったサント・ステファノ聖堂に安置されました。聖チリアコは、アンコーナの守護聖人として深く崇拝されていました。
1097年、聖チリアコの遺体は、サン・ロレンツォ大聖堂のクリプタに安置されるようになりましたが、それを機に教会の名称が現称に変更されたのです。


1006
ファサードのポータル装飾を見ます。


1007


1008


1009


1010
(つづく)

P1020144セナート広場です。


P1020145
Palazzo del Senatoです。


1068
13世紀第一四半世紀に上院評議会として建設されたPalazzo del Senatoです。


1069
Palazzo Ferrettiに隣接して建ってます。


1070
第二次世界大戦中に爆撃され深刻な被害を受けましたが、ファサードは無事でした。
現在、マルケ州政府の建築、環境、遺産部門が入居しています。


P1020147
サンティ・ペッレグリーノ・エ・テレーザ教会です。


P1020148
カルメル会によって18世紀に建設された後期バロック様式の教会です。


1071
中にフランチェスコ・ソリナーメの「聖テレーザ」があります。


P1020146
この時は、扉が閉まったままでした。


P1020151
サンティ・ペッレグリーノ・エ・テレーザ教会横の階段を上ってドゥオーモに向かいました。


P1020149
階段途中からの景観


P1020150


P1020152
ドゥオーモの鐘楼


P1020155
アンコーナのドゥオーモです。


P1020162
ドゥオーモの後陣


P1020159
大司教館です。


P1020160
大司教館に教区博物館があります。


P1020165
ドゥオーモについては改めて詳しくやります。


P1020153
ドゥオーモ広場から遺跡が見えます。


P1020154


P1020158
ファサード左右のライオン像


P1020157


P1020156


P1020163
拝観しました。


P1020164
ドゥオーモ広場にいたニャーゴ


P1020166
しばらく遊んでいたら、何を思ったのか、急に立ち上がり疾走。


P1020161
ファサード下にアンコーナの古い港が見えます。


P1020167
下に下りてトラヤヌス帝の凱旋門に行きます。


1072
堤防兼城壁とトラヤヌス帝の凱旋門


1073


1074
ドゥオーモが見えます。


1075


P1020168
徒歩で回ったので疲れました。


P1020169
ホテルに戻ります。


P1020170
じっくりと見るべき建物ですが、疲れてしまって、その気力がありません。


P1020171


P1020172
鉄道でアンコーナ駅に戻りました。


P1020404
ホテルの自室に蚊が沢山いたので、用意のヴァーぺを点けました。


P1020405
その夜の食事


P1020406


P1020407
(つづく)

P1670601サン・フランチェスコ・アッレ・スカレ教会の続きです。


P1670618


P1670605


P1670617


P1670607


P1670608


P1670612


P1670615


P1670611


P1670613


P1670629
外に出ました。


P1020125
ドゥオーモの方に向かいます。


P1020127
Chiesa del Santissimo Nome di Gesuです。


P1020128
普通ジェズ教会と呼ばれてます。


1055
1605年から1743年に建設されたバロック様式の教会です。修復のため、長い間閉鎖されていました。


1056
ジェズ教会の有名な祭壇画です。
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563-ロンドン、1639)の「割礼」(1605-07)


P1020129
ジェズ教会ファサード前からの景観


P1020130
Palazzo degli Anzianiです。


1058
道を挟んで、ジェズ教会ファサードの向かいにあります。


1057
11世紀、アンコーナ共和国が成立しましたが、その成立直後に建設された市庁舎が前身です。


1060
現在のPalazzo degli Anzianiは、1270年に再建された二代目の建物です。


1059
ゴシック様式です。


P1020131
中世の頃、ストラッカ広場はアンコーナの政治の中心でした。


P1020132
ローマ時代の浴場の遺跡です。


P1020137


P1020133


P1020134


P1020135


P1020136


P1020138
フォロの遺跡です。


P1020139


P1020140


1061
Palazzo Ferrettiです。


P1020143
16世紀のアンコーナ貴族だったアンジェロ・ディ・ジローラモ・フェッレッティ伯爵が、建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484-テルニ、1546)に委嘱して、1540年に創建されました。


P1020142
アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネは、設計した後、初期工事を見ただけで終わり、ペッレグリーノ・ティバルディ(プーリア、1527-ミラノ、1596)に建設工事が引き継がれました。


1062
画家でもあったペッレグリーノ・ティバルディは、パラッツォの装飾も担当しました。1566年に完成しました。
18世紀半ば、侯爵となったクリストフォロ・フェッレッティは、改装工事に着手して、1759年に完成しましたが、その改装後の建物が現在の姿の原形になってます。第二次世界大戦中に爆撃され、1759年の改修直後の姿とは少し違うようです。


P1020141
現在、Palazzo Ferrettiはマルケ国立考古学博物館として使用されてます。


1063
Palazzo Ferretti内の装飾


1064


1065
ペッレグリーノ・ティバルディによるフレスコ画


1066


1067
(つづく)

P1020117次は、市立絵画館の斜め前にあるサン・フランチェスコ・アッレ・スカレ教会 Chiesa di San Francesco alle Scaleです。
scaleとは、この場合、正面の大階段という意味です。


1038
この教会の名称ですが、単にサン・フランチェスコ教会と呼ばずに必ずalle Scaleを付ける必要があります。
何故ならば、アンコーナには、サン・フランチェスコ教会がこの教会を含めて3つあるからです。


1039
こちらは、Chiesa di San Francesco d’Assisiです。美術ファンにとっては、改めて行く必要がないかも知れません。


1040
こちらは、Chiesa di San Francesco ad Altoです。カルロ・クリヴェッリの作品があるので、美術ファンにはお馴染みの教会です。


1041
アド・アルト教会にあるカルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1435-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「ベアート・ガブリエッロの幻視」(1489c)です。


1043
脱線してしまいました。話を元に戻します。
ご覧のように教会は港を見下ろす高台にあります。


P1020122
聖フランチェスコの没後直ぐの1235年頃に、見晴らしのよい高台に建設されたサンタ・マリア教会が前身です。フランチェスコ会の修道院教会でした。


1047
1323年、フランチェスコ会所属のニコロ・デル・ウンガリ司教によってサンタ・マリア・マッジョーレ教会に変更されました。


1042
1447年、大階段が建設され、それを機に教会名が現称に改称されたのです。


P1020124
ファサード前から見下ろしたサン・フランチェスコ広場です。


P1020126
ファサード前から港が見えます。


1044
ファサード下の壁に入り口があります。


P1020119
教会の入り口ではありません。


1045
Canale Sottostanteの入り口です。


1046
水路が通っています。Canale Sottostante₌下の水路


1048
教会の建物の横後方に修道院がありました。


1049
修道院入り口のニッチ


1050
修道院だった建物はかなり劣化しています。


P1020121
ファサードを見ます。


P1020120
ファサードのポータルが見所です。


P1020118
ジョルジョ・ディ・マッテオ別称ジョルジョ・オルシーニ(ダルマチア、1410c-1475)によるポータル(1454)です。


1051


1052


1053


1054


P2380180


P2380188
拝観します。この時、中は写真不可でした。
2013年頃から写真撮影可能となりました。


P1670595
この時ではなく、後で撮った写真を掲載します。


P1670597
1953年の修復の際、内部の壁が塗り直されたので新しく見えます。その際、微かに残っていたフレスコ画は塗り潰されたそうです。


P1670596
単廊式、新古典様式の内部です。


P1670620


P1670580
主祭壇


P1670581
後陣


P1670575
主祭壇画


P1670579
ロレンツォ・ロットの「聖母被昇天」


P1670582


P1670588
詳細不知


P1670592
詳細不知


P1670598
詳細不知


P1670599
(つづく)

P1020102サン・ドメニコ教会から外に出ました。


1028
サン・ドメニコ教会ファサード下横に博物館があります。


P1020092
Museo della Citta 市立博物館です。


1029
先史時代からイタリア統一までのアンコーナの歴史に関することが展示されてます。


P1020091
入館しました。


P1020090
展示されているギリシャ時代の浮彫です。
当時、中は写真不可でした。係員の許可を受けて撮った写真です。中の写真はこれ一枚だけしかありません。


P1020103
次はプレビシート広場に面して建つ写真右の建物です。


P1020105
Palazzo del Governo、現在はアンコーナ県の県庁舎として使用されてます。


P1020106
Palazzo del Governoの初代の建物は、13世紀後半には既に存在していましたが、1348年の火災によって消失したので、二代目の建物が再建され、1381年に完成しました。


P1020104
しかし、直ぐに手狭になり、1418年から改造増築工事が行われ、1450年に完成しました。現在の建物は、改造増築工事完了後の姿が原形になってます。


1030
Palazzo del Governoの塔は「市の塔」と呼ばれてます。


1031
初代の塔は、14世紀に建設されましたが、落雷のために崩落したので、1581年に再建されました。


1032
1596年、塔の上に鐘楼が追加されました。1611年、市の塔に時計が追加されました。


1033
1690年の地震によって、塔の装飾が落剝してしまい、復元工事が行われました。現在の塔の姿は、この復元工事完了後の18世紀初め頃のものです。


1036



P1020107
Palazzo del Governoのアーチです。


1037
アーチを潜ります。


P1020108


P1020109
柱廊がある小中庭に出ます。


1035
柱廊


1034


P1020110
次は市立絵画館です。


P1020113
市立絵画館の入り口です。当時、入り口はここでしたが、現在は下の方に入り口があります。


P1020114
この後、長い間、改修工事のため、休館となりました。


P1020111
入館しました。


P1020112
この当時、中は写真不可でした。
修復工事後、美術館は再開館されましたが、再開館後は写真撮影がOKとなりました。
再開館後の市立美術館については、既にアップしました。ご興味のある方はそちらをご参照願います。
再開館後の撮った作品写真を一部掲載しておきましょう。


P2380379
美術館の正式名称は、フランチェスコ・ポデスティ市立美術館ですが、アンコーナが生んだ画家フランチェスコ・ポデスティに因んでます。


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P2380402


Crivelli,_madonna_d'ancona
(つづく)

P1020085プレビシート広場です。


1001
広場に面してサン・ドメニコ教会が建ってます。


1000
1216年、第177代教皇オノリオ3世(ホノリウス3世)(1150c-1227 教皇在位:1216-1227)によって、ドメニコ会が認可されましたが、その直後に建てられたロマネスク様式の教会です。


P1020086
1253年の文書に、サン・ドメニコ教会の存在が記録されてます。


P1020101
18世紀中頃、風化によって建物が危険になったので再建されることになり、その際、最初の建物の左右にあったサン・エジーディオ教会とインコロナータ教会を取り壊して、規模の大きい教会にすることが決定されました。
そうして、建築家カルロ・マルキオーニ(ローマ、1702-1786)に委嘱され、1759年、最初の建物が両隣の2つの教会と共に解体されました。


1002
1761年に創建され、1778年に完成したバロック様式の二代目の建物が現在の姿の原形となってます。1788年、二代目の建物の奉献式が執り行われました。
ファサード上部が未完成となってますが、ファサード工事中の1798年、フランス軍のイタリア侵攻に伴って、教会活動が停止され、兵舎に転用されてしまい、ファサード工事が中断されました。教会活動は1816年に再開されましたが、ファサード工事はそのまま放置され、現在に至ってます。
1943年、第二次世界大戦の爆撃によって屋根が崩落し、戦後に修復されましたが、1972年の大地震によって大きな被害を受けたのです。現在の姿は、1980年代から1990年代にかけて行われた大掛かりな復元工事後のものです。


P1020089
ファサード前の階段途中に教皇クレメンテ12世像があります。


1004
教皇クレメンテ13世は、サン・ドメニコ教会と直接の関係はありません。
第246代教皇クレメンテ12世(フィレンツェ、1652-ローマ、1740 教皇在位:1730-1740)は、1732年にアンコーナの自由港を宣言しましたが、それによって多大な利益を得たアンコーナ当局が教皇の宣言に対する感謝の意を表するためにクレメンテ13世像を造りことにしたのです。


1003
彫刻家アゴスティーノ・コルナッキーニ(ぺーシャ、1686-ローマ、1754)によってローマで制作された教皇像は、1738年にアンコーナに運ばれ、現在の場所に設置されたのです。


P1020087
クレメンテ12世像の背後にFontanaがあります。


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19世紀に造られたFontana


1005
後陣右横に鐘楼があります。


1006
鐘楼の先端


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拝観します。


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中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


1009
左右の側壁にそれぞれ3つづつの礼拝堂があります。


1010
この教会の必見は、ティツィアーノとグエルチーノの祭壇画です。


1011
地味な天井装飾


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主祭壇と後陣


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必見の主祭壇画


1012
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「磔刑」(1558)


1013
左第一礼拝堂です。


1014
こちらの祭壇画も必見です。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「受胎告知」(1662)


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聖心礼拝堂


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ジョアッキーノ・ヴァルレ(ローマ、1734-アンコーナ、1806)の「栄光と音楽天使」


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ジョアッキーノ・ヴァルレ(ローマ、1734-アンコーナ、1806)の「ベアート・アゴスティーノ」


1019
ジョアッキーノ・ヴァルレ(ローマ、1734-アンコーナ、1806)の「ベアート・テルモ」


1020
サンツィオ・ブラージ(アンコーナ、1895-1972)の「ピエタ」


1021
Raoul Petettiの「聖アンナと幼き聖母」


1022
フランチェスコ・コンティ(フィレンツェ、1681-1760)の聖ピエトロ・マルティーレ」


1023
フランチェスコ・コンティ(フィレンツェ、1681-1760)の「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリの奇跡」


1025
ジョアッキーノ・ヴァルレ(ローマ、1734-アンコーナ、1806)の「ロザリオの聖母」


1024


1026
オルガン


1027
外に出ます。
(つづく)

P1020068サンタゴスティーノ教会です。


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1341年、アゴスティーノ会によって建設された教会です。


P1020067
1860年、イタリア統一に伴って世俗化された旧教会です。現在は、グリエルモ・マルコーニ美術館になってます。


1009
この教会にあった作品です。現在は市立美術館で見ることが出来ます。
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「アラバルダの祭壇画」(1539c)


1010
この教会の見所はファサード入口の彫刻でしょう。


1011
ジョルジョ・ディ・マッテオ(1410c-1475)によって1460年に制作されたポータル


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Corso Mazziniです。写真右に噴水があります。


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Fontana del Calamoです。


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この場所には、古代ギリシャ時代に造られた噴水がありました。


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風化による劣化が顕著だったので、1503年に取り壊されました。
その代わりに噴水を新造することになり、ペッレグリーノ・ティバルディ(プーリア、1527-ミラノ、1596)に委嘱され、1559年から1560年に制作された噴水です。


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13の蛇口があります。


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水を飲むと共に、ペット・ボトルに水を入れました。


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ローマ広場です。


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サンティッシモ・サクラメント教会の後陣を見ながら、ドゥオーモの方向に進みました。


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サン・ピエトロ門です。


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1221年に築かれた門です。


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門を潜ります。


1020
門の直ぐ傍にサン・ピエトロ教会がありました。これは教会の残骸です。


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門の名称はサン・ピエトロ教会に因んでます。


1022
サン・ピエトロ教会は、第二次世界大戦中の1943年と1944年に二回爆撃を受けて、完全に破壊されてしまいました。


1023
再建が断念され、僅かに後陣の残骸だけが残されてます。


1024
アンコーナ港がイタリアの主要港だったので、爆撃の標的にされたのです。


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昼食を食べることにしました。


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(つづく)

P1020176アンコーナ駅に到着しました。


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アンコーナ駅の駅舎


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駅前のホテルにチェックイン後、直ぐに町歩きに出発しました。


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ピア門 Porta Piaです。


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アンコーナ港の入り口として、フィリッポ・マルキオーニ(ローマ、1732-アンコーナ、1805)の設計施工によって1787年から1789年に造られたピア門です。


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門を潜りました。


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門の横はアンコーナ港です。


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フェリーの定期便で賑わってます。


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丘上に広がるアンコーナの旧市街です。


P1020050
アンコーナは、人口98,785人(2021年10月31日現在)のマルケ州の州都でもあり、同州アンコーナ県の県都です。


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今も昔もアドリア海の主要港として栄えてます。


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アンコーナ・マリッティマ駅です。多くの列車が行き来する駅でしたが、利用客の減少によって駅が閉鎖されました。


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旅客駅は閉鎖されましたが、アンコーナ駅と港を結ぶ貨物線は運行されているようです。


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アンコーナ港は、トラヤヌス帝によって114年から115年に築かれました。トラヤヌス帝に感謝するために造られた像です。


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アンコーナの中心街に入りました。


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1827年に建設されたミューズ劇場です。


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ここのオペラ上演は定評があります。


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サンティッシモ・サクラメント教会です。


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1538年に建設されたルネサンス様式の教会でしたが、18世紀後半に殆ど再建に近い形で大改造されました。


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1986年に、アンコーナ司教区はオージモ司教区と合併してアンコーナ₌オージモ大司教区となりましたが、それまではConcattedraleの格式を持つ教会でしたが、それを機に普通の教会に格下げされてしまいました。


1006
1771年から1776年に建設された鐘楼


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中に入りました。単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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クーポラ


1007
クーポラの四隅にフランチェスコ・ポデスティ(アンコーナ、1800-ローマ、1895)によって描かれた四福音書記者のフレスコ画があります。この時、フランチェスコ・ポデスティは80歳だったそうです。


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聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


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聖ルカ


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聖マルコ


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聖マッテオ


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主祭壇


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詳細不知


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詳細不知


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ジョアッキーノ・ヴァルレ(ローマ、1734-アンコーナ、1806)によって制作された12使徒の彫刻があります。こちらは聖フィリッポ


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聖ジャコモ・ミノーレ


1014
聖バルトロメオ


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聖歌隊席


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外に出ました。


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ローマ広場です。


P1020074
ローマ広場にある「馬の噴水」です。別の場所にありましたが、1908年に現在の場所に移設されたそうです。
(つづく)

P1450990日が傾いてきました。


P1450991
丘上の旧市街を足の赴くままに。


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街角のタベルナコロ


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ホテルに戻ることにしました。


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この日は、これで終わりです。


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ホテル内の壁に掲げられていた絵です。


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暇潰しになりました。


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翌朝です。


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チェックアウト後、鉄道駅に向かいました。


P1460028
この日は曇り空。


P1460029
ポポロ広場


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Municipio


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サンティ・ロレンツォ・エ・レオナルド参事会教会


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Porta Fiorentina


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Porta Fiorentinaのフレスコ画


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Museo Benozzo Gozzoli


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駅に到着しました。次の目的地フィレンツェに向かいました。
(おわり)

P1450929サンティ・イッポリート・エ・ビアージョ教区教会の扉が開きました。


P1450930
教会内に入りました。


P1450931
洗礼式が行われていました。


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大人しい赤ちゃんで、水をかけられても笑っていました。


P1450933
洗礼式は日曜日の午後に行われることが多いように思います。


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洗礼式が終わりました。


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記念撮影です。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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右側壁


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天井


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主祭壇と後陣


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14世紀の木彫りの磔刑像


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礼拝堂の祭壇画は、チマブーエの「聖母子」(コピー画)です。


P1450945
本物は、現在、サンタ・ヴェルディアーナ美術館にありますが、元はこの教区教会にありました。美術館の開館に合わせて移されたのです。


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詳細不知


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洗礼盤の上にフレスコ画があるニッチがあります。


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逸名画家作「死せるキリスト」(1428)


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ニッチの左側壁に描かれた逸名画家作「聖ピエトロ・マルティーレ」(1429)


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ニッチの右側壁に描かれた逸名画家作「聖イッポリート」(1428)


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教会内にいたのは尼僧一人と私だけになりました。


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サンタ・ヴェルディアーナ美術館の開館以前には、幾つかの重要な作品がありました。


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外に出ました。


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サンティ・イッポリート・エ・ビアージョ教区教会を見て、カステルフィオレンティーノの見所は大体見終わったようです。


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サンティ・イッポリート・エ・ビアージョ教区教会のファサード前からの眺め


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サンティ・ロレンツォ・エ・レオナルド参事会教会の鐘楼とクーポラ


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下に下ります。


P1450973
特にやることがありません。


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街中をぶらぶら歩きします。


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教会だった建物のようですが、詳しいことが分かりません。


P1450981
一泊すると時間が余ってしまいますが、日帰りでは大変そうな街です。


P1450982
同じ道を歩いては詰まらないので、出来るだけ違った道を歩きました。


P1450983
城壁沿いの道


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注目に値するものがありません。


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見覚えのあるアーチです。


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アーチを潜るとポポロ広場に出ます。


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サンティ・ロレンツォ・エ・レオナルド参事会教会の左側壁前に出ました。


P1450988
ポポロ広場


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サンティ・ロレンツォ・エ・レオナルド参事会教会の扉が閉まっていました。
(つづく)

P1450907お馬の親子は仲良しこよし


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お腹一杯になりました。


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昼食を切り上げます。


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部屋に戻って昼寝です。


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ホテルの部屋からの眺め


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ホテルの部屋にあったフィレンツェの絵


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このままホテルにいても詰まらない。


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夕食の準備が行われていました。


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サン・ピエトロ・ア・ピサンゴリ教会の扉が閉まったままでした。


P1450883
ヴェッキオ城に行きます。


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ホテルの庭


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写真右にホテルがあります。


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ヴェッキオ城は、サンティ・イッポリート・エ・ビアージョ教区教会の奥にあります。


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教区教会に向かう道路からの景観


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放牧中の馬の親子


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先ずは教区教会です。


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新市街


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教区教会は旧市街の最高地に建ってます。


1000
サンティ・イッポリート・エ・ビアージョ教区教会です。


1001
ヴェッキオ城内に設けられた礼拝堂が前身です。


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ヴェッキオ城内の敷地に、城の建物の横に教会が建設されることになり、11世紀頃に創建されました。
1195年に文書に、この教会の存在が初めて記載されました。1204年に文書にも教会の存在が記録されているそうですが、城主がこの教会を所有していました。


1002
1326年、教会はConfraternita della Misericordiaに譲渡され、同同信会によって運営されるようになり、修道院が併設されました。(写真右の建物が修道院です)


P1450976
1739年から1743年にかけて行われた工事によってバロック様式に改造されましたが、1936年に元の姿に復元されました。


1003
1253年に完成した鐘楼


1004
ファサードの入り口扉上ルネッタです。


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ルネッタ上に描かれたフレスコ画


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日光と風に晒されて劣化が著しいフレスコ画ですが、多分「聖母子と二聖人(聖イッポリートと聖ビアージョ)」でしょう。


1005
ファサードの窓


P1450974
修道院の扉が開いていましたが、教会の扉が閉まっていました。この日の午後、教会が開くとホテルから聞いていたので、教会の扉が開くのを待ちました。
その間、ヴェッキオ城を見ます。


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ヴェッキオ城です。16世紀に破壊された城の遺跡です。


P1450971
この場所に初めて城を築いたのはローマ軍です。
1521年、スペイン軍に破壊されてしまいました。その後、フィレンツェのメディチ家は、城の復興を望まず、破壊された残骸だけが残されました。


P1450972
二本の塔と僅かな城壁しか残されていません。


P1450963
ヴェッキオ城址から見た参事会教会の鐘楼
(つづく)

P1450842坂下の突き当りに教会があります。


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所の扉が閉まっていました。


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ニャーゴがいました。


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参事会教会の横を進みます。


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ポポロ広場を通り過ぎました。


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車の上にニャーゴがいました。


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ナデナデしたら、喜んでいました。


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街角の聖母子


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ホテルに向かいます。


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ニャーゴが多い街です。


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城壁沿いの道を進みます。


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城壁沿いの道からの景観


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サン・ピエトロ・ア・ピサンゴリ教会です。


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ホテルに戻りました。


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丘上のテラス席での昼食です。


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テラス席からの景観


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このホテル・レストランの自家製ワインです。


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お馬の親子が放牧されていました。


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仲良しでした。


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要塞が見えました。


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他のお客がいなくなりました。


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教会も席から見えます。


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ニャーゴが食べたそうに近付いてきました。


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P1450883
(つづく)

P1450836丘上の旧市街です。


P1450837
昼食を食べるためにホテルに戻ります。この時、フルボード(一泊三食)のホテルでした。


P1450838
参事会教会が開いていれば、昼食の前に参事会教会の拝観をしたいと思っていました。


P1450839
突き当りにサンティ・ロレンツォ・エ・レオナルド参事会教会がありますが、どうやら扉が開いているようです。


P1450840
Municipio


P1450846
日曜日なので、市役所は休みです。


P1450841
カステルフィオレンティーノのドゥオーモに相当しますが、地元ではドゥオーモとは呼ばれていないようです。


1029
12世紀中頃に建設されたとされているロマネスク様式のサン・レオナルド教会が前身です。12世紀後半に聖レオナルドに奉献されたコムーネ所有の教会でした。
1219年の文書に、この教会の存在が初めて記録されたそうです。


1030
1313年8月10日の聖ロレンツォの日に、カステルフィオレンティーノ軍がルクセンブルグのエンリコ7世(1275-1313)が率いる軍に勝利したことから、奉じる聖人に聖ロレンツォが加わることになり、教会名が現称に変更されたのです。
1502年、コムーネ所有の教会は、サンティ・イッポリート・エ・ビアージョ教区教会に買収されました。


P1450989
1697年、建物の増築と改造が決定され、1706年から1711年にかけて工事が行われ、建物は拡大されると共にバロック様式に改造されました。
1923年に外観の改修工事が行われ、元のロマネスク様式に戻されました。
1944年、第二次世界大戦によって爆撃を受け屋根が崩落してしまいました。戦後に修復工事が行われ、1954年に工事が完了しましたが、現在の姿はこの工事完了後のものです。


1031
1308年に建設された鐘楼


1035
18世紀に改修され、現在の姿になった鐘楼


P1460010
左側壁


1032
坂に対応して建物が建設されてます。


1033
鐘楼とクーポラ


1034
18世紀に追加されたクーポラ


1036
クーポラの先端


1037
ファサードの入り口扉上ルネッタに描かれたフレスコ画
日光と風雨に晒されて何が描かれているか、良く分かりません。


1038
十字架があります。


1039


1040
シンプルな造りの単廊式の内部です。


1041
後陣


1042
聖職者席


1043
主祭壇


1044
クーポラ


1045
ジョヴァンニ・ピサーノ(ピサ、1250c-シエナ、1315c)に帰属する「磔刑像」


1046


1047


1048
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスターニ(フィレンツェ、1660-1731)の「聖ヴェルディアーナ生涯の物語」(1711c)


1049
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスターニ(フィレンツェ、1660-1731)の「聖ベルディアーナの生涯の物語」(1711c)


1050
フィレンツェ派逸名画家による「天上のキリストと三聖人」(18世紀初め)


1051
アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ、1560c-1607)の「天上の聖母子と二聖人」


1052
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスターニ(フィレンツェ、1660-1731)の「聖ベルディアーナの生涯の物語」(1711c)


1054
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスターニ(フィレンツェ、1660-1731)の「聖ベルディアーナの生涯の物語」(1711c)


1055
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスターニ(フィレンツェ、1660-1731)の「聖ベルディアーナの生涯の物語」(1711c)


1056
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスターニ(フィレンツェ、1660-1731)の「聖ベルディアーナの生涯の物語」(1711c)


1057
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスターニ(フィレンツェ、1660-1731)の「聖ベルディアーナの生涯の物語」(1711c)


1058
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスターニ(フィレンツェ、1660-1731)の「聖ベルディアーナの生涯の物語」(1711c)


1059
ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスターニ(フィレンツェ、1660-1731)の「聖ベルディアーナの生涯の物語」(1711c)


P1450845
(つづく)

P1450773チェンニ・ディ・フランチェスコ(フィレンツェ、1369-1415)のフレスコ画断片(1400-10c)


1017
受胎告知の一部


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チェンニ・ディ・フランチェスコ(フィレンツェ、1369-1415)の「マエスタと聖人たち」(1400-10c)


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チェンニ・ディ・フランチェスコ(フィレンツェ、1369-1415)のシノピエ(フレスコ画の下絵)(1400-10c)


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チェンニ・ディ・フランチェスコ(フィレンツェ、1369-1415)のシノピエ(1400-10c)


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チェンニ・ディ・フランチェスコ(フィレンツェ、1369-1415)のフレスコ画(1400-10c)


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大体見終わりました。


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外に出ます。


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外に出ました。


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見所豊富な教会でした。


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午前中にやるべきことは大体終わりました。


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参事会教会が閉まっていたのが残念でした。


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フルボードのホテルなので、昼食を食べるためにホテルに戻る必要があります。


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昼食は、オーダーが正午から午後2時までで、給仕は午後3時までと聞いていました。


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時計は故障中


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イタリアの時計表示はマチマチです。


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鉄道駅の方に向かいます。


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ブラブラ歩いて、時間潰しです。


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この道の先に鉄道駅があります。


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Museo Benozzo Gozzoliがある通りです。


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駅舎


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ポポロ広場です。


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Teatro del Popolo


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ポポロ広場から見たカステルフィオレンティーノ駅


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丘上に戻ります。


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Porta Fiorentina


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門を潜って旧市街に入りました。
(つづく)

P1450736ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、1356-フィレンツェ、1399)の「聖パオロの斬首」


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)によって制作されたフレスコ画


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フィレンツェの逸名画家作「パドヴァの聖アントニオと二聖女」(17世紀)


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)のフレスコ画


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)のフレスコ画


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フィレンツェ派逸名画家によるフレスコ画断片(15世紀)


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フィレンツェ派逸名画家によるフレスコ画断片(15世紀)


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碑文


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主祭壇前から見たカウンターファサード


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フィレンツェ派逸名画家による「三聖人」(15世紀)


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詳細不知


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)
この部分だけ未完成に終わりました。


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)のフレスコ画


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)のフレスコ画


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逸名画家作「聖ジュゼッペの死」(16世紀)


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逸名画家作「受胎告知」(17世紀)


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制作者不詳の「磔刑像」(14-15世紀)


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P1450769
詳細不知


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主祭壇


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オルガンを見ます。


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16世紀に制作されたオルガン


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)のフレスコ画


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詳細不知


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詳細不知


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フィレンツェ派逸名画家作「幼きキリストへの崇拝」(17世紀)


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詳細不知


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コジモ・ダッディ(フィレンツェ、1575から記録―ヴォルテッラ、1630没)の「聖人たち」(16世紀)


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)のフレスコ画


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)のフレスコ画


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タッデオ・ガッディ(フィレンツェ、1290-1366)の「玉座の聖母子」(1310-20c)


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニフィレンツェ、1687-1755)のフレスコ画
(つづく)

P2290117サンタ・ヴェルディアーナ教会から外に出ました。


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次はサン・フランチェスコ教会です。


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サン・フランチェスコ教会のファサード


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1217年、聖フランチェスコ(アッシジ、1181/1182-1226)は、ヴァルデルザ(エルザ川の谷)地区を訪れ、多くの信者に共感と感銘を与えました。
それを受けて、フランチェスコ会修道士によって、現在地に修道院が建設されました。
1278年の文書に、サン・フランチェスコ修道院の複合施設(教会を含む)の存在が初めて記載されたそうです。


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サンタ・ヴェルディアーナ教会の鐘楼が見えます。


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中はミサ中でした。もう直ぐ聖体拝領の時間になりそうだったので、外に出てミサが終わるのを待ちました。


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私がミサに出た限りでは、ミサの最後に聖体拝領が行われます。


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信者たちが外に出てきました。ミサが終わったようです。


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外観は、ロマネスクとゴシックの折衷様式です。


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後陣


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左側壁


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左側壁


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右側壁の後陣横に修道院だった建物がありますが、この時は修復工事中でした。


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鐘楼


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ファサードに紋章があります。


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ファサードの紋章


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この町の貴族や有力者たちの紋章です。


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教会内に入りました。


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現在の内部構造は、1600年に行われた改造後のもので、創建時とは少し異なるようです。


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18世紀に行われた改修の際、バロック様式に改修されました。


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基本構造は、創建時のロマネスク・ゴシック様式を維持しているそうです。


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主祭壇


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後陣のフレスコ画は、1721年にアゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)によって描かれました。


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誰の墓なのか知りません。


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祭壇の前装飾


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)によって制作されたクーポラのフレスコ画「聖母戴冠」


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「復活したキリスト」


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「プットたち」


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「ご誕生」


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古いフレスコ画が残されてます。


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、1356-フィレンツェ、1399)の「聖フランチェスコの物語(聖フランチェスコの死)」


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、1356-フィレンツェ、1399)の「聖フランチェスコの物語(聖痕を受ける聖フランチェスコ)」


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)のフレスコ画


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前の写真の下にあるフレスコ画です。


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、1356-フィレンツェ、1399)の「聖ピエトロの逆さ磔」


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(つづく)

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行進用十字架(15世紀前半)


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行進用十字架の裏面


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美術館から外に出ました。


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次はサンタ・ヴェルディアーナ教会です。聖域になっており、教区教会でもあります。


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カステルフィオレンティーノの守護聖人聖ヴェルディアーナを奉る教会として、ジョヴァンニ・バッティスタ・フォッジーニ(フィレンツェ、1652-1725)の設計によって、18世紀初めに建設されたバロック様式の教会です。


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貴族の娘聖ヴェルディアーナ(カステルフィオレンティーノ、1182-1242)は、1221年にアッシジの聖フランチェスコと出会い、衝撃的な感化を受け、現在の場所にあったサンタントニオ・アバーテ礼拝堂で34年に及ぶ苦行を行うと共に、地元の貧しい人々を援助しました。その礼拝堂は朽ち果てており、二匹の毒蛇が住んでいましたが、それらと共に苦行したと言われてます。
その礼拝堂の廃墟の上に建設された教会です。


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1771年に建設されたファサードは、ベルナルド・ファラーニ(フィレンツェ、1739-1806)の設計です。


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左側壁外観


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鐘楼は1805年に建設されました。


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イグナツィオ・ミエルトのテラコッタ製彫像がファサード上部にあります。


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ファサード下に柱廊が1778年に追加されました。


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ファサード下の柱廊


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柱廊を見ます。


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柱廊天井に描かれたフレスコ画


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教会内部


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三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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天井にフレスコ画があります。


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アレッサンドロ・ゲラルディーニ(フィレンツェ、1655-リヴォルノ、1727)によって1708年に制作された天井フレスコ画


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聖ヴェルディアーナ


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主祭壇画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・グイド―ニ(16-17世紀、ローマ、フィレンツェで活動)の「聖ヴェルディアーナの祝福」


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主祭壇


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ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551-1640)の「聖母被昇天と聖ヴェルディアーナと聖アントニオ・アバーテ」(1600)


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アレッサンドロ・ゲラルディーニが手を加えたそうです。


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オラツィオ・フィダーニ(フィレンツェ、1610-1656)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1644)


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シモーネ・ピニョーニ(フィレンツェ、1611-1698)の「ヴィッラノーヴァの聖トンマーゾの施し」


1020
アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)によって、1716年に制作されたクーポラのフレスコ画


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(つづく)

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