イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2022年07月

P2520189「バッカスの寓意」


P2520191
バスティアニーノの作品です。


1360


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1362


1363


1364


P1810357
「聖アガタ」と「聖アポッロニア」


P1810362
スカルセッリーノの作品


P1810359
聖アガタ


P1810361
聖アポッロニア


1366


P2520122
「フランチェスコ・ヴィッラの肖像」


P2520124
16世紀第1四半世紀のフェラーラの逸名画家の作品です。


P2520125
「紳士の肖像」


P2520127
16世紀第1四半世紀のロンバルドの逸名画家の作品です。


P2520129
「井戸のヤコブとラケル」


P2520130
Maestro dei Dodici Apostoliの作品です。


1367


1368


1369


1370


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1376


1377


P2520138
「パドヴァの聖アントニオ」


P2520139
「聖フランチェスコ」


P2520141
インノチェンツォ・ダ・イーモラの作品です。


P2520143
「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


P2520144
フランチャの枠組みの逸名画家の作品です。


P2520146
「聖母子と聖フランチェスコ」


P2520147
バニャカヴァッロの作品です。


P2520149
「聖セバスティアーノ」


P2520150
フランチェスコ・ザガネッリの作品です。


1378
(つづく)

P1810318「嘆き」


P1810319
16世紀初めのフェラーラの逸名画家による作品です。


1345


P1810321
「幼きキリストへの崇拝」


P1810323
ボッカッチョ・ボッカッチーノの模様者による作品です。


1346


P1810325
「受胎告知する大天使ガブリエーレ」


P1810332
16世紀初頭の逸名画家による作品です。
次のプレデッラと思われる三連画も同じです。


1347


1348
プレデッラ?


P1810327
聖痕を受ける聖フランチェスコ


P1810329
ご誕生


P1810330
竜を退治する聖ジョルジョ


1349


1350


1351


1352


P1810334
「父なる神」


P1810335
ミケーレ・コルテッリーニの作品です。


1353


P1810337
「女性の胸像」


P1810338
ガロファロの作品です。


1354


P1810340
「聖母子」


P1810341
オルトラーノ工房による作品です。


1355


P1810343
「聖セバスティアーノと聖ロッコ」


P1810345
聖セバスティアーノ


P1810347
聖ロッコ


P1810348
シモーネ・デッレ・スパーデの作品です。


1356


P1810354
Santa Maria Egiziaca


P1810353
16世紀初頭の逸名画家の作品です。


1359


P1810350
「風景画」
何が描かれているのか、良く分かりません。


1357


P1810351
「聖ジローラモ」


1358


P2520235
「男の子の肖像」


P2520238
ルイージ・クレスピの帰属作品とされてます。
(つづく)

P2520562「園の祈り」


P2520563
ガロファロの作品です。


P2520589
「ご誕生と聖人たち」


P2520591
ルドヴィーコ・マッゾリーノの作品です。


P2520595
「三聖人と注文主」


P2520597
ニコロ・ピサーノの作品です。


P2520599
「聖マリア・マッダレーナの昇天」


P2520600
Maestro della Maddalena Assuntaの作品です。


1338


1339


1340


1341


P2520602
「トレンティーノの聖二コラ」


P2520603
バキアッカの作品です。


P2520604
「キリストの埋葬」


P2520607
オルトラーノの作品です。


P2520608
「ご訪問」


P2520611
ドメニコ・パネッティの作品です。


P2520615
「羊飼いの礼拝」


P2520617
ガロファロの作品です。


P2520619
「エジプトへの逃避途中の休息」


P2520620
ガロファロの作品です。


P2520626
「キリストの昇天」


P2520628
16世紀前半の逸名画家の作品です。


P2520629
「サロメ」


P2520632
ドッソ・ドッシの作品です。


P2520653
「聖母子と二聖人」


P2520654
ガロファロの作品です。


P2520655
「ご誕生」


P2520658
ガロファロの作品です。


P2520665
「聖母子と聖ジローラモと聖フランチェスコと注文主」


P2520668
ガロファロの作品です。


1342
Maestro dei Dodici Apostoliの「キリストの復活」


1343
Maestro dei Dodici Apostoliの「聖霊降臨」


P2520091
「受胎告知」


P2520093
ヴィチーノ・ダ・フェラーラの作品


1344


P2520111
「斬首された聖ジョヴァンニ・バッティスタの首」


P2520113
ジョヴァン・フランチェスコ・マイネリの作品です。


P2520585
(つづく)

P1810305「聖セバスティアーノ」


P1810307
ヴィチーノ・ダ・フェラーラの作品


P1810309
「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P1810310
ヴィチーノ・ダ・フェラーラの作品


P1810311
「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P1810313
15世紀後半のフェラーラの逸名画家の作品です。


P1810314
「聖ジローラモ」


P1810316
15世紀後半のフェラーラの逸名画家の作品


P2520510
「聖母子と聖アントニオ・アバーテと聖ロッコ」


P2520512
Maestro dei Dodici Apostoliの作品です。


P2520514
「聖母子と聖ジローラモと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P2520515
バッティスタ・ドッシの作品です。


P2520520
「聖十字架の識別」


P2520521
ガロファロの作品です。


P2520522
「聖人たち」


P2520524
カルツォラレットの作品です。


P2520532


P2520535


P2520536


P2520549
「園の祈り」


P2520550
オルトラーノの作品です。


P2520543
「我に触れるな」


P2520544
ガロファロの作品です。


1336


P2520551
「エジプトへの逃避」


P2520555
オルトラーノの作品です。


P2520554
オルトラーノの「園の祈り」


P2520558
「マギの礼拝」


P2520560
ニコロ・ピサーノの作品です。


P2520564
「羊飼いの礼拝」


P2520566
ガロファロの作品です。


P2520567
「ラザロの蘇生」


P2520569
ガロファロの作品です。


1337


P2520571
多翼祭壇画?


P2520583
サン・フランチェスコ教会にあったようです。


P2520572
ガロファロ―の「エジプトへの逃避」


P2520574
ガロファロの「嬰児虐殺」


P2520578
制作者情報不知の「ドッソ・ドッシ作『マギの礼拝』のコピー画」


P2520580
制作者情報不知の「ドッソ・ドッシ作『割礼』のコピー画」


P2520582
制作者情報不知の「ドッソ・ドッシ作『ご誕生』のコピー画」
(つづく)

P1810302「聖母子」


P1810304
エルコーレ・ロベルティの作品です。


1310


1311
これがあるので「バラの聖母」とも呼ばれてます。


1312


1313


P2520593
「聖母の死」


P2520594
ヴィットーレ・カルパッチョの作品です。


1314


1316


1317


1318


1315


1319
カッソーネ(1490-1500c)


1320
カッソーネ(1490-1510c)


1321
カッソーネの模様


1322
詳細不知


1323
チェーザレ・チッタデッラ(1732-1809)の「自分の胸像」(1777)


1324


1325
詳細不知


P2520633


P2520635
「コスタビリの多翼祭壇画」


P2520651
ガロファロとドッソ・ドッシの作品です。


P2520638
クスピデの「救世主」


P2520641
玉座の聖母子と聖人たち


P2520644
聖アンブロージョ


P2520646
聖セバスティアーノ


P2520647
聖アゴスティーノ


P2520650
聖ジョルジョ


1326


1327


1328


1329


1330


1331


1332


1333


1334


1335
(つづく)

P1810262「聖母子」


P1810263
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「聖母子」


P1810265
1400年から1405年頃に制作されたそうです。


1294


1295


1296


1297


P1810266
「マギの礼拝」


P1810268
ヤコポ・ベッリーニとジョヴァンニ・ベッリーニの作品です。


P1810272
「聖母子」


P1810274


P1810275
ヤコポ・パリサーティの作品です。


P1810277
「聖ジョルジョ」


P1810278


P1810280
「三連画」


P1810281
ご訪問


P1810283
聖ジョヴァンニ・バッティスタの殉教


P1810286
聖ピエトロと聖パオロの殉教


P1810287
Maestro dagli occhi Spalancatiの作品です。


1298


P1810289
「聖母像を手にするキリスト」


P1810290
マンテーニャの作品です。


P1810291


1299


1300


1301


P1810293
「聖母子」


P1810294
Maestro dagli occhi Spalancatiの作品です。


P1810295


P1810297


P1810298
「聖ペトロニオ」


P1810299


P1810301
エルコーレ・ロベルティの作品です。


1302


1303


1304


1305


1307
カルロ・ボノーニの「聖バルバラ」


1308
カルロ・ボノーニの「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


1309
カルロ・ボノーニの「聖母被昇天」
(つづく)

P1810233「三位一体」


P1810236
Maestro GZの作品です。


1272
「四福音書記者と聖マウレリオ」


P1810247
フェラーラの逸名画家によって1390年頃描かれたそうです。


P1810238
聖マッテオ


1273


1274


1275


P1810240
聖マルコ


1276


1277


P1810242
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


1278


1279


1280


1281


P1810244
聖ルカ


1282


1283


1284


P1810246
聖マウレリオ


1285


P1810249
「カルヴァリオへの途」


P1810250
「磔刑」


P1810252


1286


1287


P1810253
「ご誕生」


P1810255
ミケーレ・ディ・マッテオの作品です。


P1810257
「聖アントニオ・アバーテ」と「聖ドメニコ」


P1810258
ジョヴァンニ・ダ・モデナの作品です。


1288


1289
聖アントニオ・アバーテ


1290
聖ドメニコ


1291


P1810260
「聖ステファノの殉教」


P1810261


1292


P1810270
「聖ジローラモ」


P1810271
バルトロメオ・ヴィヴァリーニの作品です。


1293
(つづく)

P1810218「受胎告知と四聖人」


P1810219
シモーネ・ディ・フィリッポの作品です。


1241


1242
聖アントニオ・アバーテと聖ジョヴァンニ・バッティスタ


1243
受胎告知される聖母


1244
聖ジャコモ・マッジョーレと聖バルトロメオ


P1810220
「聖母の夢」


P1810223
シモーネ・ディ・フィリッポの作品です。


1245


1246


1247


P1810224
「聖母戴冠」


P1810226
シモーネ・ディ・フィリッポの作品です。


1248


P1810228
「磔刑とキリストの埋葬」


P1810229
クリストフォロ・ダ・ボローニャの作品です。


1249


1250


1251
剥離フレスコ画が置かれた部屋です。この部屋で展示されている剥離フレスコ画は、この場所にあったものではなく、フェラーラのサンタ・マリア・デッラ・コンチェツィオーネ祈祷所(オラトリオ)にありました。


1252
バルダッサッレ・デステ(レッジョ、1443-フェラーラ、1504)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


1253
この写真以降のフレスコ画は、ミケーレ・コルテッリーニ(フェラーラ、1480c-1535c)、ガロファロ(カナ―ロ、1476/1481-フェラーラ、1559)、ニコロ・ピサーノ(ピサ、1470-1536)によって1499年に制作されました。


1254
フレスコ画のテーマは「聖母の物語」ですが、フレスコ画の注文者の肖像画も描かれてます。


1255
注文者の肖像


1256
各場面毎の作品帰属は不明です。


1257
ミケーレ・コルテッリーニは、ドメニコ・パネッティとガロファロの追随者でした。


1258
マギの礼拝


1259
注文者の肖像


1260


1261
割礼


1262
注文者の肖像


1263


1264


1265


1266
聖母の死


1267
注文者の肖像と思いますが、痛みが激しくよく分かりません。


1268


1269


1270


1271


P1810231
「磔刑」


P1810232
グゥアリエントの帰属作品とされてます。
(つづく)

P1810166「聖母子と聖人たち」


P1810169
Maestro di Casa Pendagliaの作品です。


P1810171
「ピエタのキリスト」


P1810173
Maestro della Pieta Massariの作品です。


P1810174
「四聖人」


P1810176
Maestro della Pieta Massariの作品です。


P1810177
「聖マッテオ?」


P1810178
ピエロ・ディ・ジョヴァンニ・テデスコの作品です。


1228


P1810180
「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタの物語」


P1810182


P1810184
「玉座の聖母子」


P1810186
ザニーノ・ディ・ピエトロの作品です。


P1810188
「聖母戴冠」


P1810190
ジョヴァンニ・ディ・ニッコロ・ベッリーニの作品です。


1229


1230


P1810191
「16聖人」


P1810201
ステファノ・ダ・ヴェネツィアまたはステファノ・ディ・サンタグネーゼの作品です。


1232
各聖人の多くが特定されてます。


P1810194
聖ピエトロ、聖パオロ、聖人(特定されてません)、聖バルトロメオ


1236


P1810195
聖マリア・マッダレーナ、聖ジャコモ・マッジョーレ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖マウレリオ


1233


1234


1235


P1810198
聖女(特定されていません)、聖ステファノ、聖ロレンツォ、アレッサンドリアの聖カテリーナ


1231


P1810200
聖エリア、バーリの聖二コラ、聖人(未特定)、聖エリセオ


1237


P1810202
「アバティの聖アルベルト」


P1810205
15世紀前半のヴェネト₌エミリアの逸名画家の作品です。


P1810207
「聖母子と二天使」


P1810208
16世紀後半のヴェネツィアの逸名画家の作品です。


P1810209
「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


P1810213
16世紀中頃のヴェネツィアの逸名画家の作品です。


1238


P1810212
16世紀中頃のヴェネツィアの逸名画家による「聖マリーナの逸話」


1239


1240


P1810214
「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P1810216
(つづく)

P1810113
聖バルバラと聖ルチア P1810115
ドイツの画家による作品


P1810116
聖ジョヴァンニ・バッティスタ


P1810118
15世紀後半のボローニャの逸名芸術家の作品です。


1219


P1810119


P1810121


1220


P1810123
聖ジョヴァンニ・バッティスタ


P1810124
15世紀後半のパドヴァの逸名彫刻家の作品です。


1221
テラコッタ彫刻です。


1222


1223


P1810125
「ご誕生とマギの礼拝」


P1810127


P1810128
「聖母子」


P1810131
Maestro dagli occhi ammiccantiの作品です。


P1810133
「玉座の聖母子」


P1810134
Maestro dagli occhi spalancatiの作品です。


P1810135
「聖母子」


P1810137
ジョヴァンニ・ダ・モデナの作品です。


1224


1225


P1810138
「トロサの聖ルドヴィーコ」


P1810141
ミケーレ・パンノニオの作品です。


P1810143
「シエナの聖ベルナルディーノ」


P1810144
ミケーレ・パンノニオの作品です。


P1810146
「キリストの埋葬」


P1810149


1226
Galasso Galassiの帰属作品と言うのが定説です。


P1810151
「聖クリストフォロ」


P1810152
15世紀中頃のフェラーラの逸名画家の作品です。


P1810153
「聖セバスティアーノ」


P1810155
15世紀中頃のフェラーラの逸名画家の作品です。


P1810156
展示室の天井


P1810157


P1810160
「聖母子」


P1810161
ジョヴァンニ・ダ・モデナの作品です。


1227


P1810163
「ウミルタの聖母」


P1810165
Maestro del Trittico di Imolaの作品です。
(つづく)

予約機能を使って毎日記事を書いてますが、うっかり本日分(7月21日)を飛ばしてしまいました。かなり先の分まで予定稿を書き進んでいるので、已む無く本日は休載とさせて戴きます。
申し訳ありません。
048


1672


156

P1810073「ターバンを巻いた男の肖像」


P1810075
15世紀末のフェラーラの逸名画家の作品です。


P1810076
「磔刑」


P1810078
ジョヴァンニ・フランチェスコ・ダ・リミニの作品です。


1197


1198


1199


P1810079
「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P1810081
15世紀中頃の逸名画家の作品


P1810082
「フェルトレのベアート・ベルナルディーノ」


P1810084
ヴィチーノ・ダ・フェラーラの作品


P1810085
「キリストの受難の物語」


P1810089
ヴィチーノ・ダ・フェラーラの作品です。


P1810090
「三人の信者」


P1810092
バルダッサッレ・デステの作品です。


1200


1201


1202


1203


P1810094
「受胎告知」


P1810095
ヴィチーノ・ダ・フェラーラの作品


P1810097
「聖ジローラモ」


P1810099
ヴィチーノ・ダ・フェラーラの作品


P1810100
次の部屋です。


P1810101
コズメ・トゥーラ工房の作品です。


P1810103
親方そっくりに描いてます。


P1810105
コズメ・トゥーラ工房による作品


P1810106
技量が高かったと思います。


P1810107
「聖マウレリオの判決」


P1810109
コズメ・トゥーラの真作です。


1204
多翼祭壇画の裾絵です。


1205


1206


1207


1208


1209


1210


1211


P1810111
「聖マウレリオの殉教」


P1810112
コズメ・トゥーラの作品です。


1212
多翼祭壇画の裾絵です。


1213


1214


1215


1216


1217


1218
(つづく)

P2520163「羊飼いの礼拝」


P2520165
バスタローロの作品です。(写真再掲)


1186


1187


P1810028
「聖パオロ」


P1810030
バスティアニーノの作品です。


P1810032
「リンボのキリスト」


P1810033
バスティアニーノの作品です。


P1810035
「ご誕生」


P1810036
バスティアニーノの作品です。


P1810038
「聖母子と聖ピエトロと司教聖人」


P1810039
スカルセッリーノの作品


1188
司教聖人ですが、特定できないようです。


P1810041
「聖母子」


P1810042
バスティアニーノの作品です。


P1810043
「聖家族」


P1810045
ルドヴィーコ・セッテヴェッキの作品です。


P1810047
「天上の聖母子と聖ステファノと聖ロレンツォ」


P1810048
ルドヴィーコ・セッテヴェッキの作品です。


P1810050
「受胎告知」


P1810051
バスティアニーノの作品です。


P1810052
「受胎告知」


P1810054
バスティアニーノの作品です。


P1810055
「聖ジョルジョ」


P1810058
ドッソ・ドッシの作品です。


P1810057


P1810059
「聖母の誕生」


P1810066
バスティアニーノの作品が3点続きます。


1191
バスティアニーノの「聖母の誕生」


P1810062
バスティアニーノの「聖母被昇天」


1190


P1810063
バスティアニーノの「ご誕生」


1189


P1810068
「死せるキリストを支える二天使」


P1810069
アントニオ・アレオッティの作品


1192


P1810070
「十字架降下」


P1810072
アントニオ・ダ・クレヴァルコーレの作品


1193


1194


1195


1196
(つづく)

P1810002次の部屋です。


P1810004
ドッソ・ドッシの寓意的作品です。


P1810005
「本を手にする賢者」


1164


1165


1166


1167


P1810008
「コンパスを手にする賢者と地球儀」


P1810009
ドッソ・ドッシの作品です。


1168


1169


1170


1171


P1810011
「聖ロマーノの回心」


P1810012
バスティアニーノの作品です。


1172


1173


1174


P1810013
「聖ロマーノの洗礼」


P1810015
バスティアニーノの作品です。


1175


P1810017
「園のキリスト」


P1810018
バッティスタ・ドッシ(ドッソ・ドッシの弟)の作品です。


1179


1180


P1810020
「エジプトへの逃避途中の休息」


P1810021
ガロファロの作品です。


1176


1177


1178


P1810023
「ご誕生」


P1810024
ドッソ・ドッシの作品です。


1181


1182


1183


P1810025


P1810026
バスタローロの「寺院からの商人たちの追放」


P2520165


1184


P2520158
バスタローロの「博士たちとの問答」


P1810027


1185
(つづく)

P1800957「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタの幻視」


P1800959
バッティスタ・ドッシの作品です。


1147
バッティスタ・ドッシ(フェラーラ、1490c-1548c)は、ドッソ・ドッシ(フェラーラ、1489-1542)の弟です。兄弟そろってエステ家の宮廷画家でした。


1148


P1800961
保存状態が悪い作品です。


P1800962
カミッロ・フィリッピの作品です。


P1800963
「復活したキリスト」


P1800965
ドッソ・ドッシの作品です。


P1800967
ドッソ・ドッシの「聖アゴスティーノ」


P1800968


1149


1150


1151


1152


P1800970
ティツィアーノの作品です。


P1800972
ボローニャ国立美術館にある作品ですが、この時はフェラーラ国立絵画館で展示されていました。


P1800974
「キリストの復活」


P1800975
バスティアニーノの作品です。


1153


P1800978
「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


P1800979
バスティアニーノの作品です。


1154


1155


P1800983
この画題には納得できません。


P1800984


1156


P1800987
「割礼」


P1800989


1157
この他にもう一点の割礼があります。


P1800991
「聖母子と聖人たち」


P1800992
バスティアニーノの作品です。


1158


P1800993
「聖チェチリア」


P1800996
バスティアニーノの作品です。


1159


P1800998
もう一点の「割礼」です。


P1810001
バスティアニーノの作品です。


1160


1161


1162


1163
(つづく)

P1800932「十字架降下」


P1800935
ジュゼッペ・マッツゥオーリ通称バスタローロの作品です。


1117


1118


1119


1120


1121


P1800936
「聖ロレンツォと聖マリア・マッダレーナ」


P1800939
カルロ・ボノーニの作品です。


1123
フェラーラ派の代表的存在の一人であるカルロ・ボノーニですが、一時期カラヴァッジョの影響を受けました。


P1800940
「守護天使」


P1800943
カルロ・ボノーニの作品です。


1124


1125


1127
次はスカルセッリーノの最後の晩餐です。中央が伝統的な最後の晩餐になってますが、その左右に晩餐を支える人々の様子が描かれてます。


P1800948


P1800950


1126



P1800949


1128


1129


1130
次はジローラモ・ダ・コティニョーラの帰属作品「二風景画」です。


P1800951


P1800953
ジローラモ・マルケージが本名で、通称がジローラモ・ダ・コティニョーラです。


1131


1132


1133


1134


1135


1136


1137
もう一つの風景画


1138


1139


1140


P1800954
16世紀後半のフェラーラ派逸名画家の作品です。


P1800956


1141


1142


1143


1144


1145


1146
(つづく)

P1800890「男の肖像」


P1800895
17世紀のフランドルの逸名画家の作品です。


1100


P1800893
「二人の男の肖像」


P1800895
カミッロ・リッチの帰属作品です。(写真再掲)


1103


P1800897
「聖ピエトロ」


P1800900
18世紀のヴェネトの逸名画家の作品です。


1104


P1800898
「聖パオロ」


1105
18世紀のヴェネト₌ロンバルドの逸名画家の作品です。


P1800901
「リナルドとアルミダ」


P1800903
マウレリオ・スキャンナヴィーニの帰属作品です。


P1800908
風景画


P1800910
マルゲリータ・ゾーラの帰属作品


1106


P1800912
「ディアナとエンディミオーネ」


P1800915
二コラ・グラッシの帰属作品


1107


P1800913
「リナルドとアルミダ」


1108
マウレリオ・スキャンナヴィーニの帰属作品


P1800917
接岸の気まぐれ


P1800921
ユベール・ロベールはフランス人画家です。


1109
画題のCapriccioですが、何と訳すのでしょうか?


P1800919
ユベール・ロベールの「埋葬の気まぐれ」


1110
Capriccio con Sepoltura


P1800922
聖マルコ


P1800925
イル・クレモネーゼの作品です。


1111


1116


P1800927
グエルチーノの「聖マウレリオの殉教」


P1800930


1112


1113


1114


1115


P1800946
「我に触れるな」


P1800947
スカルセッリーノの作品です。


1122
(つづく)

P1800846「二兵士」


P1800850
ピエトロ・ムット―ニの作品です。


1088


P1800848
ピエトロ・ムットーニの作品です。


1101
「ドイツ人傭兵」


P1800851
「ダヴィデ」


P1800854
ジュゼッペ・カレッティ通称イル・クレモネーゼの作品です。


1102


P1800855
クレオパトラ


P1800858
グエルチーノの作品です。


P1800859


1089


P1800860
教皇聖シルヴェストロ


P1800862
エルコーレ・サルティの作品です。


1091


P1800864
「最後の晩餐」


P1800866
スカルセッリーノの作品です。


1090


P1800868
聖母被昇天


P1800869
レオナルド・ダ・ブレーシャの作品です。


P1800870


1092


1096


P1800873
キリストの洗礼


P1800874
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの作品です。


1093


1094


P1800875
聖ピエトロ


P1800877


1095


P1800878
聖母子と三聖人


P1800880
ベネデット・ザッローネの作品です。


P1800886
パオラの聖フランチェスコ


P1800884
フランチェスコ・カペッラの作品です。


1097


P1800881
聖ブルーノ


P1800884
ジャチント・ブランディの作品です。


1098


P1800887
聖ジローラモ


P1800889
17世紀のエミリアの逸名画家?の作品です。


1099
(つづく)

P1800790聖チェチリア


P1800792
スカルセッリーノの作品です。


1078


P1800794
聖ロッコと天使


P1800797
パルマ・イル・ジョーヴァネと彼の工房による作品です。


P1800798
聖母子


P1800801
グイド・カニャッチの作品です。


P1800802
聖パオロ


P1800804
作品帰属の定説が確立されてない作品です。


1079
ドメニコ・パネッティの帰属作品説が最有力とされてます。


P1800805
フランチェスコ・サクラティ枢機卿の肖像


P1800807
オッタヴィオ・レオーニの作品です。


1080


P1800808
アレッサンドリアの聖カテリーナ


P1800810
ジローラモ・ダ・カルピの作品です。


1081


P1800811
聖セバスティアーノ


P1800813
フランチェスコ・ザガネッリの作品です。


P1800814
ジローラモ・ダ・カルピとガロファロのフレスコ画が展示されてます。


P1800815


P1800816
ガロファロの「聖母子と聖アンナ」


1082
サン・ジョルジョ修道院にありました。


P1800819
ガロファロの「割礼」


1083


P1800820
ジローラモ・ダ・カルピの「大天使ラッファエーレとトビアス」


P1800822
ジローラモ・ダ・カルピの「バーリの聖二コラ」


P1800824
ジローラモ・ダ・カルピの「聖ルイージ(フランス王ルイ9世)」


P1800826
ガロファロの「大天使聖ミケーレ」


1084


P1800829
ガロファロの「聖ピエトロ」


1085


P1800830
ジローラモ・ダ・カルピの「「救世主」


P1800833
ジローラモ・ダ・カルピの「聖ジョルジョ」


P1800834
ガロファロの「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


1086


P1800836
ジローラモ・ダ・カルピの「聖バルトロメオ」


P1800838
ジローラモ・ダ・カルピの「聖母と二修道士」


P1800841
ガロファロの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


1087


P1800842
ジローラモ・ダ・カルピの「聖パオロ」


P1800844
ジローラモ・ダ・カルピの「聖グエッリエーロ」
(つづく)

P1800750ガロファロの作品です。


P1800751


1067


P1800759
ドメニコ・パネッティ(フェラーラ、1460c-1513c)の「受胎告知」


P1800752
ドメニコ・パネッティの作品です。


P1800758


P1800755
聖アゴスティーノ


P1800756
聖アンドレア


1068
サンタンドレア教会にありました。


P1800760
次の部屋です。


P1800763
フランチェスコ・ビアンキ・フェラーリの作品です。


P1800764
フィレンツェで描かれ、1992年までフィレンツェにありましたが、購入され当絵画館で展示されるようになりました。


P1800765
祈るキリスト


P1800767


P1800768
ドメニコ・パネッティ(フェラーラ、1460c-1513c)の作品です。


P1800770
「死せるキリストへの哀悼」(1480-1500c)


1069


P1800771
ミケーレ・コルテッリーニの作品です。


P1800778
5画面から成ってます。


P1800773
玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジョルジョ


P1800774
受胎告知


P1800775
聖アントニオ・アバーテとテーベの聖パオロ


P1800776
聖ジローラモ


P1800777
聖マリア・マッダレーナ


1070


P1800779
ドメニコ・パネッティの作品です。


P1800781
玉座の聖母子と四聖人


1071
四聖人は、聖アントニオ・アバーテ、聖ジョッベ、聖ジュリアーノ、聖ピエトロ・マルティーレ


1072


1073


P1800782


P1800784
バルダッサレ・カッラーリの作品です。


P1800785


1077


P1800786
ゼノーネ・ヴェロネーゼの作品です。


P1800787
ゼノーネ・ヴェロネーゼの代表作と言われてます。


P1800789


1074


1075


1076
(つづく)

P1800708セラフィーノ・デイ・セラフィーニの作品です。


P1800710
この説明板は誤解を与えると思います。


1045
セラフィーノ・デイ・セラフィーニの「聖アゴスティーノの寓意」(1361-93)


1046


1047


1048


1049


1050


P1800711
セラフィーノ・デイ・セラフィーニの作品です。


P1800707
(写真再掲)


1044


P1800714
ドメニコ・パネッティ(フェラーラ、1460c-1513c)の「受胎告知」


1051


P1800716
受胎告知する大天使ガブリエーレ


P1800719
受胎告知される聖母


P1800720
サンタンドレア教会にありました。


P1800736
14世紀の逸名彫刻家作「聖アントニオ・アバーテ」


P1800737


1052


P1800739
セミナー室天井


P1800740
ガロファロの作品です。


P1800742
ガロファロの「旧約聖書と新約聖書の寓意」(1523)


1053


1054


1055


1056


1057


1058


1059


1060


1061


1062


1063


1064


P1800743
ガロファロの作品です。


P1800745
ガロファロの「トレンティーノの聖二コラのミサ」


1065
サンタンドレア教会にありました。


P1800747
ガロファロの作品です。


P1800748


1066
(つづく)

P1810364国立絵画館に入館します。


P1800702
展示室は階上に設けられてます。


P1800703
エレベーターは無かったような・・・・・


P1800704
入館しました。


P1800738
セミナー室でしょうか?


1020
フレスコ画などが展示されてます。


P1800721
剥離フレスコ画です。


P1800724
Maestro di San Bartolomeoの「聖バルトロメオの物語」(1264-1290c)


1021
サン・バルトロメオ修道院にあったフレスコ画です。


1022


1023


1024


1025


1026


1027


1028


P1800726
「四福音書記者」です。


P1800724
これもMaestro di San Bartolomeoのフレスコ画(1264-1290c)です。(写真再掲)


P1800727


1029


P1800728


1030


P1800729


1031


P1800730


1032


P1800732
この作品もMaestro di San Bartolomeoのフレスコ画です。


P1800734
これには何故かSan Bartoloと書かれてますが、San Bartolomeoと同じです。


1033
Maestro di San Bartolomeoの「聖バルトロメオの生涯の物語」(1264-1290c)


1034


1035


1036


1037


1038


1039


1040


1041


1042


P1800706
セラフィーノ・デイ・セラフィーニの剥離フレスコ画です。


P1800707


1043
(つづく)

P1800687ディアマンティ宮に向かいます。


P1800688
警察の建物です。


P1800689
イタリアの警察組織は幾つかあって紛らわしいのですが、Polizia di Stato(州警察)の建物です。


P1800691
ディアマンティ(ダイヤモンド)宮です。


P1800690
ディアマンティ宮は、エルコーレ1世・デステ通りを挟んで州警察の斜め向かいにあります。


1000
シジスモンド1世・デステ侯爵(フェラーラ、1433-1507)が自分の住居として建設したディアマンティ宮です。
シジスモンド1世は、フェラーラ侯爵ニッコロ3世・デステ(フェラーラ、1383-ミラノ、1441)の息子で、エルコーレ1世・デステ公爵(フェラーラ、1431-1507)の弟です。
エルコーレ1世・デステの息子シジスモンド・デステ(フェラーラ、1480-1524)と混同してはいけません。


1001
この場所は中世の城壁がありましたが、15世紀後半になると市域が拡大したので、中世の城壁を取り壊して、新しい城壁の構築が決まり、ディアマンティ宮が建っている場所の城壁が1492年に取り壊されました。


1002
現在地は、シジスモンド1世の住居地として与えられ、エステ家お抱えの建築家ビアージョ・ロセッティ(フェラーラ、1447c-1516)が起用され、ロセッティの設計によって、1493年に創建され、1504年に完成したルネサンス様式のディアマンティ宮です。


P1810371
1944年、第二次世界大戦で爆撃され、2012年の地震でも大きな被害を受けましたが、その都度、万全な修復工事が行われた結果、創建時の姿を今も留めていると言われてます。


P1810375
ファサードは四角垂の大理石で覆われてます。


1007
約8500個の四角垂が使われてます。


1008
ダイヤモンドに見えるように光の反射を考慮して、壁は垂直ではなく、下の方に傾斜しています。


1006
その傾斜は横から見ると良く分かります。


1003
正面から見ると、ダイヤモンドを模したようには見えないようです。


P1810374
1598年、エステ家直系が途絶えたのでフェラーラ公国は教皇領になりましたが、それまでエステ公爵家の住居として使用されました。


1004
17世紀前半になると、エステ家傍流のモデナとレッジョの侯爵チェーザレ・デステ(フェラーラ、1562-モデナ、1628)の住居となり、チェーザレ・デステの子孫が住むようになりました。
チェーザレ・デステは、モンテッキオ侯爵アルフォンゾ・デステ(フェラーラ、1527-1587)の息子です。アルフォンゾ・デステ公爵は、アルフォンゾ1世・デステ(フェラーラ、1476-1534)の息子です。同じような名前ばかりで紛らわしい!


1005
チェーザレ・デステの子孫で、モデナとレッジョの侯爵フランチェスコ1世・デステ(モデナ、1610-サンティア、1658)は、1641年、ヴィッラ家の当主のグイド1世・ヴィッラにディアマンティ宮を売却しました。


P1800696
1832年、フェラーラ市当局は、国立美術館と大学の学舎としてディアマンティ宮を使用するべく、ヴィッラ家から買収しました。


P1800695


1009


P1800694


P1800692
ディアマンティ宮の入り口


P1800693
中に入ります。


P1800697
中庭に出ます。


P1800698


P1800700


P1800701


P1810370
中庭に面して柱廊が設けられてます。


1010


1011


1013
柱廊の天井


1014


1015


1016


P1800699
柱廊の壁


1019
建物の出入口


1017
出入口横にある碑文


P1810365


1018


P1810369
(つづく)

311エステンセ城から一旦離れます。続けてやる気がしないので、気分を変えたいのです。


312
ドゥオーモです。


314
昼休み中なので、扉が閉まってます。


315
メイン・ポータル左右に置かれたライオン像


316


318
ドゥオーモについては後で取り上げます。


317
昼食の時間です。


313
時計塔


319
ドゥオーモの右側壁


320
右側壁下で簡単な昼食を食べました。


321
昼飯をゆっくり食べることが多いですが、この時は国立美術館に急いでました。


322
ドゥオーモの鐘楼


324


326


327


325


323
旧サン・ロマーノ教会です。サン・ロマーノ修道院だった建物にドゥオーモ付属美術館があります。この時間は昼休み中でした。


328
ドゥオーモの左側壁


329


330
国立美術館に向かいます。


331
ジェズ教会です。


P1800669
この時間は閉まってます。


P1800672
夕方に再び開きます。


P1800670


P1800673


P1800671


P1800674
左に進めばエステンセ城に出ます。


P1800675
右に進みます。


P1800676
ディアマンテ宮が見えます。


P1800677


332
Palazzo Gulinelli


P1800681


P1800680


P1800678


P1800679


P1800682
Palazzo Giulio d’Este


P1800684


P1800683


P1800685


P1800686
(つづく)

P1020649引き続きエステンセ城です。


P1020658
堀の水はポー川から引かれてます。


1217
次はSaletta dei Veleniです。


1218
天井にフレスコ画が描かれてます。


1219
20世紀前半に行われた修復の際に、殆ど剥離してしまったフレスコ画の痕跡を全て塗り潰し、改めて制作されたSaletta dei Veleni天井のフレスコ画です。


1220
カルロ・パルメッジャ―ニ(フェラーラ、1881-トラダーテ、1967)によって1927年に制作されたフレスコ画


1221
カルロ・パルメッジャ―ニは、ミラノで活動した画家で、生まれ故郷のフェラーラでの仕事はここだけに終わったようです。


1222
この部屋も2012年の地震で被害を受けました。


1223


1224
次はSala dei Governoです。


1228
エルコーレ2世デステ(フェラーラ、1508-1559)のフェラーラ公爵時代の1534年から1559年まで、フェラーラ政府機能を果たした部屋です。裁判の判決も行われました。


1225
天井の装飾


1226
この部屋は、1554年に火災に遭い、被害を受けたので、1570年に再生されましたが、その際、天井装飾も現在のものに一新されたそうです。


1227


1229
次はSala dei Paesaggiです。


1230
フレスコ画があります。


1231
ジュゼッペ・ゾーラ(ブレーシャ、1672-フェラーラ、1743)によって制作されたフレスコ画


1232


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1234
Sala dell’Auroraに向かいます。


1243
Sala dell’Auroraの天井もフレスコ画で覆われてます。


1235
天井のフレスコ画が見易いように鏡が置かれてます。


1236
天井のフレスコ画は、レオナルド・ダ・ブレーシャ(フェラーラ、1520-1582)、セバスティアーノ・フィリッピ通称バスティアーノ(フェラーラ、1528c-1602)、ルドヴィーコ・セッテヴェッキ(モデナ、1520c?-フェラーラ、1590)によって1574年から1575年に制作されました。


1237
場面毎の作品帰属が分からないようです。


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次は調理場です。


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調理場の天井


1254


1255
(つづく)

P1800654引き続きエステンセ城です。


P1800660
フェラーラは、私の大のお気に入りの街の一つです。


1179
次は城内の廊下です。


1180
壁に沢山の紋章が描かれているので、紋章の間とも呼ばれてます。


1181
2012年に地震によって、フレスコの紋章や壁自体にも損傷を受けたので、修復工事が行われていました。


1182
メディチ家の紋章


1183


1184
この剥離がある紋章ですが、2012年の地震とは関係が無さそうな剥離です。


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1191
次はSalone dei Giochi(ゲーム・ルーム)です。


1192
天井のフレスコ画で有名な部屋です。


1193
長時間天井を見上げるのが大変なので、その代わりに鏡が置かれてます。鏡に映ったフレスコ画を見れば首の疲労を軽減できるのです。


1190
以前は、手鏡が貸し出されていたと思います。


1194
テープが貼られている箇所は要修復と思います。2012年に地震によって損傷を受けたのでしょう。


1195
フレスコ画の注文主は、エステ家の最後のフェラーラ公爵となったアルフォンゾ2世デステ(フェラーラ、1533-1597)でした。フレスコ画の制作にあたって、アルフォンゾ2世は図柄など自分の好みを予め伝えていたようです。


1196
フレスコ画を制作したのは、ルドヴィーコ・セッテヴェッキ(モデナ、1520?-フェラーラ、1590)で、その際、バスティアニーノ・セッテヴェッキ(フェラーラ、1532c-1597)が協力者だったとされてます。
ルドヴィーコとバスティアニーノは、兄弟、或いは親族関係だったと思いますが、その辺の詳しいことが分かりません。


1197
フレスコ画制作は1570年に開始され、その数年後に完成しました。


1198
暖炉


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1216
(つづく)

P1800585修復工事中のエステンセ城(2015年6月)


P1800595
この時は休館中でした。


1141
礼拝堂天井のフレスコ画です。


1142
ジュリオ・マレスコッティ(フェラーラ、1572-1591活動記録)の「四福音書記者」


1143
礼拝堂の装飾


1144
面白さが感じられない礼拝堂の装飾です。


1145
見物は天井の四福音書記者のフレスコ画だけ?


1146
次は牢獄です。


1147
牢獄はエステンセ城の大きな見どころになってます。


1148
牢獄にまつわる話を知らないと、牢獄見学は単に陰惨なだけに終わってしまいそうです。


1149
牢獄に関する話は、フェラーラ歴史を語る上で避けて通れないと思います。


1150
牢獄の関する話としては、塩野七生さんの処女作「ルネサンスの女たち」の第一章イサベッラ・デステに述べられているので、ご存知の方が多いと思います。


1151
蛇足になりますが、牢獄に関する逸話を改めて触れてみましょう。


1152
フェラーラ公爵エルコーレ1世デステ(フェラーラ、1431-1505)には、正妻エレオノーラ・ダラゴーナとの間に、長女イサベッラ・デステ(フェラーラ、1474-マントヴァ、1539)、次女ベアトリーチェ・デステ(フェラーラ、1475-ミラノ、1497)(ミラノ公イル・モーロの妻)、長男のアルフォンゾ1世デステ(フェラーラ、1476-1534)、次男フェランテ(ナポリ、1477-フェラーラ、1540)、三男イッポリート枢機卿(フェラーラ、1477-1520)、四男シジスモンド(フェラーラ、1480-1524)の
6人の子供に恵まれました。エルコーレ1世には、その他に数人の非嫡出子がいましたが、その中の一人がジュリオ・デステ(フェラーラ、1478-1561)です。


1153
中世の頃、兄弟の仲が良いとは言えず、まして非嫡出子となると差別されるのが普通でした。エルコーレ1世の息子間で深刻な争いが起こります。


1154
ジュリオの仕える音楽家がいましたが、イッポリート枢機卿は、その音楽家を自分の礼拝堂に迎えたいと考えていました。しかし、イッポリートの希望をジュリオが拒否したので、1504年、イッポリートは、実力行使を行うことにして、配下に命じてその音楽家を自分の領地にあったジェッソ要塞に閉じ込めたのです。
1505年5月、ジュリオはその音楽家が要塞に幽閉されていることを発見し、フェラントと共にその音楽家を解放すると共に、イッポリート枢機卿に対抗するためにジェッソ要塞の領主を交代させたのです。フェランテがジュリオのたくらみに賛同した背景は、長兄のアルフォンゾと弟のイッポリート枢機卿と比べて自分の地位が低いことに恨みがあったからのようです。
それに怒ったイッポリート枢機卿はアルフォンゾを説得して、フェランテをモデナに、ジュリオをブレシェットの追放したのです。長女イサベッラとその夫フランチェスコ・ゴンザーガは、二人の追放を許すようにアルフォンゾを説得し、説得が功を奏してジュリオとフェランテは許されたのです。


1155
しかし、それだけでは終わらず、第二に深刻なトラブルが発生したのです。
アルフォンゾ1世デステ公爵の後妻がルクレツィア・ボルジア(第214代教皇アレッサンドロ6世の娘で、チェーザレ・ボルジアの妹)ですが、ローマからフェラーラに嫁入りする時に侍女としてローマからフェラーラに来たのがアンジェロ・ボルジア(ローマ、1486-サッスナオーロ、1521)でした。


1158
レオナルド・ダ・ヴィンチの帰属作品とされている「アンジェロ・ボルジアの肖像」
アンジェロは大変な美女でしたが、ジュリオと相思相愛と思われていました。イッポリート枢機卿は、アンジェロの懸想して言い寄った時、アンジェロから「あなたの全体よりもジュリオの目の方が素敵で価値がある」と言われてしまい、面目を失ってしまいました。


1160
バルトロメオ・ヴェネト(ヴェネツィア、1502-トリノ、1555)の「イッポリート・デステ枢機卿の肖像」
音楽家の件に続いてのアンジェロからの仕打ちですから、ジュリオに対するイッポリートの怒りは凄まじく、ジュリオを殺害してジュリオの目を引き裂くことを部下に命じたのです。
1505年11月3日、ジュリオはイッポリート配下の者に襲撃され、命は取り留めたものの、片目が失明、もう一方の目がかすみ眼にされてしまいました。
当主のアルフォンゾ1世は、教皇ジュリオ2世に配慮して、1505年12月、兄弟の仲直りを命じて一件落着となりました。
その背景ですがフェラーラは教皇から封土された公国であり、予てからフェラーラ公国を敵視していたジュリオ2世の覚えめでたいイッポリート枢機卿を罰することが出来なかったからと言われてます。


1161
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「アルフォンゾ1世デステの肖像」
アルフォンゾは、有能な政治家であり軍事指揮官でもありました。

ジュリオは、美貌の顔を殴打され片目を潰されて、イッポリートと、イッポリートに何の罪も問わなかったアルフォンゾを深く恨みました。
公爵位を兄アルフォンゾからの交代を望んだフェラントと共に、ジュリオはイッポリートとアルフォンゾの殺害を考えるようになりましたが、教皇との関係を考えるとイッポリート枢機卿の暗殺は二の次にして、1506年、アルフォンゾの殺害を優先することにしたのです。
ジュリオとフェラントの企みは失敗に終わりましたが、それを知ることになったイッポリートは証拠を集めて二人と共謀者を訴追したのです。
ジュリオ、フェランテ、共謀者たちは有罪となり、死刑が宣告されたのです。共謀者は死刑が執行されたのですが、ジュリオとフェランテは減刑されて終身刑となり、エステンセ城の牢獄に投獄されたのです。


1156
フェランテは、1540年に63歳で独房内に死去しました。


1159
ジュリオ・デステの肖像(解放後に描かれた肖像画)

ジュリオが投獄されていることはフェラーラ公爵に忘れられていたようですが、ジュリオ81歳の時に許されて解放されたのです。53年間の投獄生活でした。


1157
フェランテの肖像画は残されていないようです。


1162
ジュリオの独房


1163
ジュリオとフェランテの独房は、上の部屋と下の部屋に分かれて収容され、誰一人会うことを許されなかったそうです。


1164
ジュリオが描いたとされるもの


1165


1166
兄弟はライヴァルですからね。


1167
次は庭園です。


1178
庭園というよりもテラスでしょうね。


1176


1177
オレンジの鉢植えが置かれてます。


1175


1167
テラスのロッジャ


1168


1169


1170
ロッジャの柱頭です。


1171
2014年に修復された柱頭のようです。


1172
確かに新しく見えます。


1173


1174
(つづく)

P1010966
塔の先端が修復工事中でした。 


1100
エステンセ城の内部、Camerini d’Alabastroです。城とドゥカーレ宮殿(現市庁舎)を結ぶ回廊です。


1101
美術的には必見の部屋でした。ただし、16世紀末までは。


1102
この部屋にティツィアーノ、ドッソ・ドッシ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、ガロファロなどの作品がありましたが、現在は殆どの作品が世界中の美術館に分散してしまいました。


1103
ここにあるのは、オリジナルのコピー作品が含まれているので注意が必要です。
1598年、フェラーラは教皇領になりましたが、それを機にエステンセ城(城だけではありませんが)にあった有名画家の作品、特にCamerini d’Alabastroにあった作品はヴァティカンに移されてしまいました。ヴァティカン経由で世界中に分散しました。


1104
ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1430-1566)が1514年に大部分を制作し、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)が1529年に補筆して完成させた「神々の饗宴」


1105


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ジョヴァンニ・ベッリーニ単独で描かれた部分


1107
ジョヴァンニ・ベッリーニ単独で描かれた部分


1108
ティツィアーノが補筆した部分


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ティツィアーノが補筆した部分


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1118
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)野「神々の饗宴」(1518-19)
この部屋にありましたが、1598年にヴァティカンに移され、1634年に教皇庁がスペインのフェリペ4世に寄贈されました。現在はマドリッドのプラド美術館にあります。


1119
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「バッカスとアリアドネ」(1523-24)
現在、マドリッドのプラド美術館にありますが、プラドにある事情は「キューピッドの饗宴」と同じです。
この部屋にあったティツィアーノやドッソ・ドッシの作品がロンドンのナショナル・ギャラリーやワシントンのナショナル・ギャラリーなどにあります。


1120
次はCamerino dei Baccanaliです。


1121
カミッロ・フィリッポ(フェラーラ、1500-1574)工房による作品
ジローラモ・ダ・カルピ(フェラーラ、1501-1556)が原画を描いたという説があります。


1122
カミッロ・フィリッポ工房による作品


1123
カミッロ・フィリッポ工房による作品


1124
カミッロ・フィリッポ工房による作品


1125
カミッロ・フィリッポ工房による作品


1126


1127
レオナルド・ダ・ブレーシャ(フェラーラ、1520-1582)の作品
ジローラモ・ダ・カルピが原画を描いたという説があります。


1128
レオナルド・ダ・ブレーシャ(フェラーラ、1520-1582)の作品
ジローラモ・ダ・カルピが原画を描いたという説があります。


1129
カフェテリアになっている部屋です。


1131
カフェテリアになっている部屋にフレスコ画があります。


1130
作品帰属が分かっていないようです。


1132
ブルトゥス


1133
マルコ・アウレリオ


1134
ヌマ


1135
ロムルス


1136
Cappella Ducale


1137
礼拝堂祭壇は撤去されている?


1138


1139
礼拝堂天井


1140
(つづく)

309エステンセ城の隣はサヴォナローラ広場です。


307
怪僧ジローラモ・サヴォナローラの像です。


308
ジローラモ・サヴォナローラ(フェラーラ、1452-フィレンツェ、1498)は、生まれ故郷のフェラーラでは英雄とされているからの大理石像の制作と思いましたが、フェラーラでは人気がないようです。


1062
ステファノ・カッレッティ(チェント、1832-ローマ、1902)の「ジローラモ・サヴォナローラの記念碑」(1875)


310
少し脱線しました。


1063
本題のエステンセ城に戻りましょう。


1089
2012年の地震の被害について触れておきましょう。写真は地震直後に撮られた写真です。


1091
地震で大きな被害を受けて、発生後3年ほどは立ち入りが禁止され、博物館は休館となっていました。


1090
崩落した塔の先端


1099
崩れた壁


1098


1092


1093
フレスコ画も被害を受けました。


1095
紙?やテープ?が貼られている箇所が要修復の場所です。


1096
2012年の地震後数年間はエミリア・ロマーニャ州の観光に支障が出てました。


1097
2012年の地震によって、10年経っても未だに休館となっている美術館があります。


1064
城の中庭です。


1065


1066


1068
中庭に面した柱廊


1080


1067
柱廊の壁に剥離フレスコ画があります。


1069
鮮明ではありません。


1070
アッツォ11世デステとリナルド3世デステが描かれているそうです。


1071


1073


1074


1075


1076
石弾


1081


1082


1083


1079
古井戸


1084
中庭に古井戸が2つあります。


1085


1086


1087


1088


1077


1078
写真左端に博物館の入り口があります。
(つづく)

290次はエステンセ城です。


292
街の中心に築かれた城です。


294
博物館として一般公開されてます。


293
2012年の地震によって大きな被害を受けて、暫く閉館となっていました。


295
堀付きの堅固な城です。


296
城建設の動機が変に思われます。その辺は後で触れます。


297
中世の頃、大砲に使用されていた石弾です。


298
跳ね橋上の天井


299
フェラーラ観光では必訪のエステンセ城です。


300
エステ家悪政の象徴とも言うべき城です。


301
学芸を重んじ、その保護、発展に寄与したことや美術面でも重要な役割を果たしたエステ家です。しかしながら、その一般的評価を覆す象徴とも言うべき存在がエステンセ城でしょう。


303
時計塔


304
エステ家はイタリアの有力貴族の一つで、11世紀にエステ辺境伯となってから、その後400年に渡って繁栄しました。


305
1196年、エステ辺境伯領はフェラーラ侯爵領に変更され、エステ家当主はフェラーラ侯爵になりましたが、1242年にはフェラーラのシニョリーア(僭主が支配する政治体制)制を確立したのです。


1036
さて、エステンセ城建設の経緯です。


1037
Palazzo del Municipio、フェラーラの市庁舎です。


1038
以前は、Palazzo Ducaleと呼ばれ、エステ家の邸宅として1264年に建設されました。エステ家の人々の自衛という面では、かなり劣る建物と言ってよいでしょう。


1039
14世紀後半のエステ家当主で、フェラーラ侯爵のニッコロ2世デステ(フェラーラ、1338-1388)は法律コンサルタントTommaso da Tortona(?、?-フェラーラ、1385)を雇い入れ、1377年に侯爵夫人の課税に対する顧問に任じました。


1040
しかし、Tommaso da Tortonaは侯爵夫人の課税に対する顧問という枠を超えて、次第にエステ家の利益のために厳しい財政政策を採るようになりました。勿論、ニッコロ2世の指示を受けてTommaso da Tortonaが動いたわけです。


1041
そのため、フェラーラに住民たちはフェラーラ侯に対する不満を次第に募らせていきました。1385年初頭には、その不満は爆発寸前だったと言われてます。


1042
フェラーラの直ぐ近くにポー川が流れていますが、1385年に決壊し、フェラーラは深刻な水害に見舞われました。治水を怠ったエステ家の責任もあるようです。
水が引き、水害も一段落した1385年5月3日、怒ったフェラーラの人々はPalazzo Ducaleの前に集結し、予てからの不満を爆発させると共に苛政の改善を求めました。やがて暴動に発展しました。
ニッコロ2世侯爵は暴動鎮圧に乗り出し、増税政策を撤回すると共にTommaso da Tortonaを民衆の前に差し出したのです。Tommaso da Tortonaは民衆の怒りによって、文字通り八つ裂きにされました。
苛政の張本人のニッコロ2世は武力によって無事でした。


1043
城の概略図
暴動が漸く治まると、ニッコロ2世デステ侯爵は、ドゥカーレ宮殿では居住するには危険と考え、堅固な城を築いて、城に居住する決心をしたのです。
堅固な城は主に外敵に対して建築されましたが、ニッコロ2世の仮想敵はフェラーラ市民だったのです。ニッコロ2世は、軍事建築家ベルトリーノ・ダ・ノヴァラ(ノヴァラ、?-フェラーラ、1406/1410)を起用して城の建設を命じ、1385年9月29日に工事が着工されました。
資金不足に悩んだニッコロ2世は、マントヴァ領主フランチェスコ・ゴンザーガ(マントヴァ、1366-カヴリアーナ、1407)から25,000ドゥカートを借金しての工事着工でした。
既存の監視塔を転用し、3本の塔を新造して、4本の塔を四隅に配置して厚い壁でつなぎ、要塞化した四角形の城を堀が囲むという非常な堅固な城です。


1044
元からあった監視塔を転用したTorre di Marchesanaです。南東にあります。


1045
Torre di Marchesanaは時計塔にもなってます。


1046


1047
南西にあるTorre di San Paolo


1048
北西に建設されたTorre di Santa Caterina


1049
南イタリアは長らく外国の植民地だったので、スペイン人などが築いた城の仮想敵が民衆だったことは首肯できます。


1050


1051
このような堅固な城で居住しないと安心できないとは、その苛政振りが想像できます。


1052
西の跳ね橋


1053


1054
魚影をあまり見かけたことがありません。


1055


1056
大砲が置かれてます。


1057


1058


1059


1060


1061
(つづく)

287
サン・ドメニコ教会です。


288
美術ファンにとっては必訪の教会ですが、暫く拝観していません。


289
夏至近くの強烈日差しの日でした。


1001
さて、サン・ドメニコ教会です。


1002
初代の建物は1274年に建設されました。後陣の後方に大修道院が併設されていました。


1003
現在のバロック様式の建物は、ヴィンチェンツォ・サンティーニの設計によって1726年に再建された二代目となるものです。
大修道院は20世紀初めに取り壊され、ごく一部の残骸が現存するだけです。


1004
ファサード横に鐘楼があります。


1005
現存する鐘楼は13世紀に建設された創建時のものです。


1006
サイドポータルです。


1007
サイドポータルの柱敷石の「悪魔の痕跡」です。
一般的にサン・ドメニコ教会は異端裁判で悪名が高いのですが、フェラーラのサン・ドメニコ教会もその例外ではなく、異端裁判によって多くの人たちを処刑したのです。異端と弾劾された人の中には無実の人もいたし、貸金業者の財産を没収するためとか、ユダヤ人迫害のために処刑しましたが、その象徴がこの敷石なのです。


1000
ファサード前の広場で異端者の公開処刑が行われたそうです。


1008
ファサードの入り口扉上ルネッタ


1009
ファサードにドメニコ会聖人たちの彫刻がありますが、これらはAndrea Ferreri(ミラノ、1673-フェラーラ、1744)によって1722年に制作されました。


1010


1011


1012


1013
このところ拝観したことが無いのは、何時も扉が閉まっているからです。
その理由は、2012年の地震によって大きな被害を受けて修復工事が行われているからですが、その工事中の2018年に発生した地震によって屋根の一部が崩壊するなど更なる被害を受けて、工事の長期化が必至となって再開の目途が立っていないようです。


1014
修復工事中の内部


291
次はサン・ジュリアーノ教会です。


1018
写真右端にエステンセ城が写ってますが、この写真によってサン・ジュリアーノ教会の位置がお分かりになると思います。


1015
現在、教会が建っている場所からエステンセ城に近い場所に、13世紀に建設されたロマネスク様式のサン・ジュリアーノ教区教会が建っていました。


1016
14世紀後半、エステンセ城建設の決定に伴い、城に近過ぎる場所にあった教区教会は1385年に取り壊されました。
それに伴い、当時、フェラーラを支配していたニッコロ2世・デステ(フェラーラ、1338-1388)は現在地を教会再建用地として与え、富裕な貴族Galeotto degli Avogariの資金負担によって、1405年に後期ゴシック様式のサン・ジュリアーノ教会が再建されました。
Avogari家の後援下、ホテル経営者、金細工職人、魚屋、肉屋などが信心する教会して栄えました。
18世紀に改造され、現在の姿になりました。


1017
1796年、ナポレオンのイタリア侵攻に伴って教会は閉鎖されましたが、ナポレオンの失脚後、Don Pietro della Fabbia伯爵(司祭でもあった)が教会を購入し、Fabbia家所有の個人教会となりました。
現在は大司教区所有の教会となってます。


1019
2012年の地震によって被害を受け、危険な建物と判断され立ち入り禁止になってます。


1020
ファサード上部


1023


1032
丸窓下の彫刻
「両親を誤って殺す聖ジュリアーノ」(15世紀)


1031



1022
入口扉


1021


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1034


1035
内部のフレスコ画


1028
エステンセ城から見たサン・ジュリアーノ教会


1029
(つづく)

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