イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2023年05月

1この日は、2015年2月26日でした。


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バルトロメオ・パッセロッティ(ボローニャ、1529-1592)の「二人の音楽家の肖像」


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ベルナルディーノ・ラニーノ(ヴェルチェッリ、1512c-1582/1583)の「カッシアーノ・ダル・ポッツォの肖像」


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ジローラモ・シチョランテ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1521-ローマ、1575)の「女の肖像」


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「聖フランチェスコ」


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アンニーバレ・カラッチの作品と表示されてます。


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アンニーバレ・カラッチ工房作のようです。


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マリア・フェリーチェ・ティバルディ(ローマ、1707-1770)の「ファリセオ家の晩餐」


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マッティア・プレティ(タヴェルナ,1613-マルタ・ヴァレッタ、1699)の「プラトンとディオゲネス」


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カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「聖家族」


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544-1628)の「鎖に繋がれたプロメテウス」


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ジョヴァンニ・ボナティ(フェッラーラ、1635c-ローマ、1681)の「アガルとイシマエル」


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ガスパール・ファン・ウィッテル(オランダ、1653-ローマ、1736)の「グロッタフェッラータのサン・ニーロの風景」


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サルヴァトール・ローザ(ナポリ、1615-ローマ、1673)の「兵士」


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ミケランジェロ・チェルクゥオッツィ(ローマ、1602-1660)の「農民の踊り」


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タペストリー


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(つづく)

1この日は、2015年2月26日でした。


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カピトリーナ絵画館を目指します。


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1885年から1911年に建設されたヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂です。


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久しく行ってません。


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ヴェネツィア広場


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カンピドーリオ広場へと階段を上ります。


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カンピドーリオ広場


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Palazzo Nuovo


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カピトリーニ美術館に入館します。


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入館しました。


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階上の展示室に向かいます。


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ローマ時代の彫刻


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こちらの展示は絵画館ではありません。


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絵画館の展示作品です。
ポンぺオ・バトーニ(ルッカ、1708-ローマ、1787)の「聖家族」


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作品下の表示には、間違っていることがあるので注意が必要です。


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こちらが正しいのです。


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ピエトロ・デッラ・ヴェッキア(ヴィチェンツァ?、1603-ヴェネツィア、1678)の「男の肖像」


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「男の肖像」


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ジョヴァンニ・ベッリーニの作品とされてますが・・・・・


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ジョヴァンニ・ベッリーニの作品ではありません。


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フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1542/1543-アンコーナ、1609)の「男の肖像」


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自画像と記されてますが違います。


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アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599-ロンドン,1641)の「彫刻師の肖像」


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フランドルの有名な彫刻師とその息子の肖像です。


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バルトロメオ・パッセロッティ(ボローニャ、1529-1592)の「男の肖像」


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(つづく)

1この日は、2015年2月25日でした。


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グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「ダヴィデを殺そうとするサウル」


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グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「キリストの鞭打ち」


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グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「聖ルカ」


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グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「聖ジローラモ」


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ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582-ローマ、1647)の「ハープを奏でるヴィーナス」


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ピエル・フランチェスコ・モーラ(コルドレリオ、1612-ローマ、1666)の「キリストを指す聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「眠るプット」


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グイド・カニャッチ(サンタンジェロ・ディ・ロマーニャ、1601-ウィーン,1663)の「聖マリア・マッダレーナ」


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ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582-ローマ、1647)の「聖ルカ」


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「聖マリア・マッダレーナ」


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シモン・ヴーエ(パリ、1590-1649)の「聖マリア・マッダレーナ」


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ピエル・フランチェスコ・モーラ(コルドレリオ,1612-ローマ、1666)の「女の肖像」


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この日に観ることが出来た作品は以上でした。


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上の階の展示室には行けないようになっていました。


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(終わり)

1この日は、2015年2月25日でした。


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ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1571-1644)の「弟子の足を洗うキリスト」


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ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1571-1644)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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アンジェロ・カロセッリ(ローマ、1585-1652)の「ヴァニタス」


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アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1580-1658)の「アーツの天才」


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リオネッロ・スパーダ(ボローニャ、1576-パルマ、1622)の「聖ジローラモ」


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ニッコロ・トルニオーリ(シエナ、1598-ローマ、1651/1652)の「預言者エレミアとバルーク」
バルークはエレミアの弟子で、エレミアの秘書的存在でした。


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ヴァランタン・ド・ブーローニュ(フランス、1591-ローマ、1632)の「最後の晩餐」


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ジョヴァンニ・セロディーネ(アスコナ、1594/1600‐ローマ、1630)の「聖ピエトロと聖パオロの別れ」


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ヴァランタン・ド・ブーローニュ(フランス、1591-ローマ、1632)の「寺院からの商人たちの追放」


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オラツィオ・リミナルディ(ピサ、1593-1630)の「イサクの犠牲」


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リオネッロ・スパーダ(ボローニャ、1576-パルマ、1622)の「荊刑のキリスト」


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トンマーゾ・ドミーニ通称カラヴァッジーノの「ダヴィデ」


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)に帰属する「ベアトリーチェ・チェンチ」


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グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「聖マッテオと天使」


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(つづく)

1この日は、2015年2月25日でした。


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ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1571-1644)の「神聖な愛と不敬な愛」


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ジュゼペ・デ・リベラ(スペイン、1591-ナポリ、1652)の「聖グレゴリオ・マーニョ」


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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(ミラノ、1571-ポルト・エルコレ、1610)の「ユディト」


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貸し出し中の張り紙があったのですが、作品が展示されていたのです。何故? いつものイタリア流?


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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(ミラノ、1571-ポルト・エルコレ,1610)の「ナルキッソス」


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ところが、貸し出し中の張り紙無しで、カラヴァッジョの「聖フランチェスコ」が展示されていなかったのです。訳が分かりません。
尤も、この美術館にはカラヴァッジョの作品が3点ありますが、私は3点揃って観たことがありません。
別の日に行った時の写真を載せておきましょう。


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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(ミラノ、1571-ポルト・エルコレ,1610)の「聖フランチェスコ」


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天井フレスコ画


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カルロ・サラチェーニ(ヴェネツィア、1579-1620)の「聖チェチリアと天使」


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カルロ・サラチェーニ(ヴェネツィア、1579-1620)の「聖母子と聖アンナ」


P1560814


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オラツィオ・ボルジャンニ(ローマ、1578-1616)の「聖家族と聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノと天使」


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チゴリ(カステルヴェッキオ・ディ・チゴリ、1559-ローマ、1613)の「アッシジの聖フランチェスコ」


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カルロ・サラチェーニ(ヴェネツィア、1579-1620)の「アッシジの聖フランチェスコ」


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アゴスティーノ・チェンペッリ(フィレンツェ、1565-1630)の「キリストと聖マリア・マッダレーナ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(チェラーノ、1557-ミラノ、1632)の「キリストとサマリア女」


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ピエトロ・パオリーニ(ルッカ、1603-1681)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚と聖ドメニコと聖フランチェスコ」


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(つづく)

1この日は、2015年2月25日でした。


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アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560-ローマ、1609)と工房による「嘆きの個人用祭壇トリッティコ」


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デニス・カルヴァート(アンヴェルサ、1540-ボローニャ、1619)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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ジャコモ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1510-ヴェネツィア、1592)の「家族の肖像」


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バルトロメオ・パッセロッティ(ボローニャ、1529-1592)の「口笛奏者」


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バルトロメオ・パッセロッティ(ボローニャ、1529-1592)の「魚屋」


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バルトロメオ・パッセロッティ(ボローニャ、1529-1592)の「肉屋」


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ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555-1619)の「女の肖像」


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アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560-ローマ、1609)に帰属する「若い男の肖像」


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グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「アルカディアの羊飼い」


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ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596-ローマ、1669)の「カステルフサーノのヴィッラ・サッケッティの景観」


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ゴッボ・ディ・カラッチ(コルトーナ、1576-ローマ、1636)の「ディアナとパンがいる風景」


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オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563-ロンドン、1639)の「天使に支えられる聖フランチェスコ」


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バルトロメオ・マンフレディの追随者作「カードプレイヤー」


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バルトロメオ・マンフレディの作品が貸し出し中だったので、その代替えとして展示されていました。
しかし、この日は、多くの作品が展示されていなかったので、代替え作品の展示は非常に不思議に思いました。


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(つづく)

1この日は、2015年2月25日でした。


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フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1540/1542-アンコーナ、1609)の「紳士の肖像」


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ルカ・カンビアーソ(モネリア、1527-マドリッド、1585)の「アドニスの死を悼むヴィーナス」


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ヤコポ・ズッキ(フィレンツェ、1540c-ローマ、1596以前没)の「水浴中のバト・シェバ」


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天井のフレスコ画


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エル・グレコ(スペイン、1541-1614)の「キリストの洗礼」


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ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「聖ピエトロの逆さ磔」


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ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1639)の「聖パオロの斬首」


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ジローラモ・ムツィアーノ(ブレーシャ、1532-ローマ、1592)の「十字架を担ぐキリスト」


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Maestro della Madonna Manchesterの「ピエタ」


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ヤコピーノ・デル・コンテ(フィレンツェ、1510-ローマ、1598)の「キリストの埋葬」


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フランチェスコ・サルヴィアーティ(フィレンツェ、1510-ローマ、1563)の「慈愛の寓意」


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ヤン・マサイス(アンヴェルサ、1509c-1575)の「ユディト」


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プロスぺーロ・フォンターナ(ボローニャ、1512-1597)の「ジョヴァンニ・フォニャーニ・ペコリの肖像」


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オラツィオ・ボルジャンニ(ローマ、1578-1616)の「自画像」


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(つづく)

1この日は、2015年2月25日でした。


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スカルセッリーノ(フェッラーラ、1550-1620)の「嬰児虐殺」


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スカルセッリーノ(フェッラーラ、1550-1620)の「我に触れるな」


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礼拝堂です。


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ピエトロ・ダ・コルトーナの礼拝堂と呼ばれてます。
礼拝堂はピエトロ・ダ・コルトーナのフレスコ画で覆われてます。


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ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596-ローマ、1669)の「磔刑」


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ブロンズィーノ(フィレンツェ、1503-1572)の「ステファノ4世・コロンナの肖像」


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ハンス・ホルバイン(アウグスブルグ、1497-ロンドン、1543)の「ヘンリー8世の肖像」


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シピオーネ・プルツォーネ(ガエータ、1544-ローマ、1598)の「ジョヴァンニ・リッチ枢機卿の肖像」


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ヤコポ・ズッキ(フィレンツェ、1540c-ローマ、1596以前没)に帰属する「クレリア・ファルネーゼの肖像」


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ジローラモ・シチョランテ(セルモネータ、1521-ローマ、1575)の「フランチェスコ2世・コロンナの肖像」


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アンドレア・ピッチネッリ通称イル・ブレーシャニーノ(シエナ、1487c-1525以降没)の「スルピツィア・ペトルッチの肖像」


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ニッコロ・デッラバーテ(モデナ、1509/1512-フォンテーヌブロー、1571)の「犬と若い男の肖像」


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バルトロメオ・ヴェネト(ヴェネトとロンバルディア、1502-1530活動)の「紳士の肖像」


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ジョヴァンニ・アンブロージョ・フィジーノ(ミラノ、1548-1608)の「チェーザレ・カヴァルカボの肖像」


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(つづく)

1この日は、2015年2月25日でした。


2
ドメニコ・ディ・バルトロメオ・ウバルディーニ通称イル・プリーゴ(フィレンツェ、1492-1527以降没)の「聖母子」


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486-1531)の「聖家族と聖ピエトロ・マルティーレ」


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フランチェスコ・サルヴィアーティ(フィレンツェ、1510-ローマ、1563)の「聖母子と聖アンナ」


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展示室の天井フレスコ画


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ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1519-1594)の「キリストと姦通女」


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ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1519-1594)の「聖ジローラモ」


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ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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レアンドロ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1557-ヴェネツィア、1622)の「ゲッセマネ園の祈り」


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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1490c-ヴェネツィア、1576)の「ヴィーナスとアドニス」


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548c-1628)の「嬰児虐殺」


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ジョヴァンニ・カリアーニ(サン・ジョヴァンニ・ビアンコ、1485c‐ヴェネツィア、1547)の「聖母子と聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノ」


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天井フレスコ画


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スカルセッリーノ(フェッラーラ、1550-1620)の「ゲッセマネ園の祈り」


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スカルセッリーノ(フェッラーラ、1550-1620)の「ラザロの蘇生」


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40
(つづく)

1この日は、2015年2月25日でした。


2
ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c-マントヴァ、1546)の「キューピッドを叱るミネルヴァ」


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5
ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501-ローマ、1547)の「聖家族」


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ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c-マントヴァ、1546)の「パンドラの箱」


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バルダッサッレ・ペルッツィ(シエナ、1481-ローマ、1536)に帰属する「ケレス(豊穣の女神)」


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ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c-マントヴァ、1546)の「聖母子」
師匠の画風を見事に受け継いでいる傑作です。


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ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c-マントヴァ、1546)の「バルダッサッレ・カスティリオーネ・ダ・ラッファエッロの肖像」


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21
ジャコモ・ライボリーニ通称イル・フランチャ(ボローニャ、1486-1557)の「嘆き」


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インノチェンツォ・ダ・イーモラ(イーモラ、1490c-ボローニャ、1545)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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ジャコモ・ライボリーニ通称イル・フランチャ(ボローニャ、1486-1557)の「嘆き」


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ピエリーノ・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ、1530c-ピサ、1553)に帰属する「エロスとアンテロス」


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レオナルド・ダ・ヴィンチを単にダ・ヴィンチと称するのは如何なものかと思います。ヴィンチ村出身でレオナルドとほぼ同時期に活動した芸術家がいるのですから。ピエリーノやアントニオとレオナルドを区別すべきでしょう。
メロッツォ・ダ・フォルリ、インノチェンツォ・ダ・イーモラをダ・フォルリ、ダ・イーモラと言わないでしょうに。


31
ヴィンチェンツォ・タマーニ(サン・ジミニャーノ、1492-1530c)の「聖母の結婚」


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ジョヴァンニ・ディ・ロレンツォ・ラルチャーニ(フィレンツェ、1484-1527)の「チントラの聖母」


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486-1531)の「聖家族」


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39
バキアッカ(ボルゴ・サン・ロレンツォ、1494-フィレンツェ、1557)の「花瓶を持つ女」


40
(つづく)

1この日は、2015年2月25日でした。


2
ドッソ・ドッシ(マントヴァ、1490c-フェッラーラ、1542)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖バルトロメオ」


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5
ガロファロ(フェッラーラ、1481c-1559)の「キリストの昇天」


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展示室の天井


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カッリスト・ピアッツァ(ローディ、1500-1561/1562)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


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13
マルティーノ・ピアッツァ(ローディ、1475/1480-1530c)の「聖母子と聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノ」


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ジローラモ・ジェンガ(ウルビーノ、1484/1486-1551)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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ドメニコ・ベッカフーミ(シエナ、1484/1486-1551)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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マルコ・ビージョ(シエナ、1541c活動)の「パルカ(運命の女神)」


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ソドマ(ヴェルチェッリ、1477-シエナ、1549)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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バルトロメオ・ネローニ(シエナ、1505/1515-1571)の「聖母子とバーリの聖二コラとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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31
ソドマ(ヴェルチェッリ、1477-シエナ、1549)の「サビーネ女の強奪」


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34
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483-ローマ、1520)の「フォルナリーナ」


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36


37
マールテン・ファン・ヘームスケルク(オランダ、1498-1574)の「十字架降下のトリッティコ」


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39


40
(つづく)

1この日は、2015年2月25日でした。


2
ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1430/1431-1516)に帰属する「男の肖像」


3


4
ペドロ・フェルナンデス・ダ・ムルチャ(ムルチャ、1503-1523活動)の「ベアート・アマデオ・メネス・デ・シルヴァの幻視」


5


6


7
フランドル・ナポリの逸名画家作「悲しみの聖母」(15世紀末ー16世紀初頭)


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10
フランチェスコ・パガーノ(ナポリ、1472-1476記録)の「聖セバスティアーノとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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13
16世紀前半のフランドルの逸名画家作「ハンス・メムリンクの『祈る聖母』のコピー画」


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15


16
シモン・マルミオン(フランス、1425c-1489)の「磔刑」


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19
15世紀末のドイツの逸名画家作「マギの礼拝」、「割礼」


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16世紀初頭のフランドルの逸名画家作「ご誕生」、「神殿奉献」


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ドメニコ・ピエラッティ(フィレンツェ、1600-1656)の「ラトーナとアポロンとアルテミス」
ラトーナは、ゼウスの妻で、アポロンとアルテミスの二人の息子を産みました。


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ガロファロ(フェッラーラ、1481c-1559)の「マギの礼拝」


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ガロファロ(フェッラーラ、1481c-1559)の「キルケとピークス王」


36
キルケの話を知らないと、この作品を理解するのは難しいと思います。


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38
ガロファロ(フェッラーラ、1481c-1559)の「三聖人」


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40
(つづく)

1この日は2015年2月25日でした。


2
ニッコロ・ラルンノ(アルンノ)(フォリーニョ、1430c-1502)の「聖母子と四聖人」


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4


5
ベルナルディーノ・ブティノーネ(トレヴィーリオ、1450c-1507)の「磔刑」


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8
ジョヴァンニ・ベッリーニ工房作「祈るキリスト」


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11
バルトロメオ・モンターニャ(ヴィチェンツァ、1450-1523)の「聖母子」


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ニッコロ・ロンディネッリ(ラヴェンナ、1450c-1510c)の「聖母子」


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アントネッロ・デ・サリバ(メッシーナ、1480-1535活動)の「聖セバスティアーノ」


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ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556)に帰属する「若い男の肖像」


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アレッサンドロ・オリヴェリオ(ヴェネツィア、1532-1544記録)に帰属する「聖母子」


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マルコ・メローニ(カルピ、1504-1537活動)の「聖ピエトロと聖パオロ」


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フランチェスコ・ビアンキ・フェッラーリ(モデナ、1460-1510)の「ゲッセマネ園の祈り」


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1459-1539)の「父なる神」


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1459-1539)の「聖ジローラモ」


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ルカーノ・ゾッティ・ダ・ガッジョ(ガッジョ、1524以前生まれ‐イーモラ、1566)「聖ジュリアーノの歴史」


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40
(つづく)

1この日は2015年2月25日でした。


2
セーニャ・ディ・ブオナヴェントゥーラ(シエナ、1331-1348活動)に帰属する「聖母子」


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5
ニッコロ・ディ・ピエトロ(ヴェローナ?、1394-シエナ、1440)の「聖母戴冠」


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ミケーレ・ジャンボノ(トレヴィーゾ、1420-1462活動)の「聖母子」


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フィリッポ・リッピ(フィレンツェ、1406c-スポレート、1469)の「受胎告知」


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フィリッポ・リッピ(フィレンツェ、1406c-スポレート、1469)の「タルクゥイニアの聖母」


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ピエトロ・アレマンノ(アラマンノ)(オーストリア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1523)に帰属する「大天使聖ミケーレ」、「聖ピエトロ」


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ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1448-フォンティニャーノ、1523)に帰属する「聖フィリッポ・ベニッツィ」


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ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1448-フォンティニャーノ、1523)に帰属する「聖ジローラモ」


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ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ。1483-ローマ、1520)に帰属する「若い男の頭」


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ベルナルディーノ・ディ・マリオット(ペルージャ、1478c-1566)の「聖ロレンツォと聖アンドレア」


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ロレンツォ・ダレッサンドロ(サンセヴェリーノ・マルケ、1468-1503)の「聖母子と聖フランチェスコと聖セバスティアーノ」


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ルカ・ディ・パオロ(マテリーカ、1470-1493活動)に帰属する「二天使」


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(つづく)

12015年2月25日のバルベリーニ宮です。


2
パオロ・ヴェネツィアーノの追随者作「聖アンドレアと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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5
14世紀前半活動のヴェネトのビザンチン様式逸名画家作「聖チプリアーノ」、「聖エラズモ」


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ジョヴァンニ・ダ・リミニ(リミニ、1270c-1338)の「キリストの物語」


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10
ジョヴァンニ・バロンツィオ(リミニ、1326-1362)の「キリストの受難の物語」


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Maestro dell’Incoronazione di Urbino(14世紀前半活動)の「聖母の誕生」


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1355-1399活動)の「聖母子と二聖人のトリッティコ」


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マルケの逸名画家(14世紀末‐15世紀初頭活動)作「祈る司教聖人」


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バルトロ・ディ・フレディ(シエナ、1353-1410活動)に帰属する「聖母子」


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Maestro di San Davino(14世紀末‐15世紀初頭活動)の「使徒たち」


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14世紀後半のウンブリアの逸名画家作「聖母子」


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Maestro del San Paolo Perkins(14世紀中頃活動)に帰属する「祈るキリスト」


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Maestro della Madonna di Palazzo Venezia(シエナ、14世紀中頃活動)の「聖母子」


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ニッコロ・ディ・セーニャ・ディ・ブオナヴェントゥーラ(シエナ、1331-1348活動)の「聖母子」


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(つづく)

1バルベリーニ宮に向かいます。


2
宮殿の入り口にやってきました。


3
ローマ国立古典美術館(バルベリーニ宮)のシンボルはラッファエッロ作品です。


4
バルベリーニ宮です。


5
この日は2015年2月25日でした。
通常の多くの展示室が閉まっていて、限られた展示室に他の展示室からの作品が集められて展示されていました。つまり、見ることが出来なかった作品がかなり多かったことを覚えてます。
その理由は全く分かりません。イタリアの美術館では、このようなことが時々起こります。


6
バスタブ?
恐らく石棺でしょうね。


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タッデオ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1529-ローマ、1566)の「パルナッソス」


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題名の「Parnaso」とは、ギリシャ中部にあるパルナッソスと言う名前の山のことで、ギリシャ神話ではアポローンと学芸の女神ムーサがその山に住んでいた、とされてます。


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レオナルド・ディ・グラツィア・ダ・ピストイア(ピストイア、1503-ナポリ、1548以降没)の「エーベ」


11
「Ebe」とは、ギリシャ神話のゼウスとエラの娘で、青春の女神のことです。


12
レオナルド・ディ・グラツィア・ダ・ピストイア(ピストイア,1503-ナポリ、1548以降没)の「クレオパトラ」


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レオナルド・ディ・グラツィア・ダ・ピストイア(ピストイア、1503-ナポリ、1548以降没)の「ルクレツィア」


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ローマ時代に複製された「ガラティア人」


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ヘレニズム時代に制作された彫刻の複製(ローマ時代制作)です。


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16世紀の逸名画家によるラッファエッロ作品の部分複製画です。


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ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1509-ローマ、1566)の作品説があるようです。


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ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1509-ローマ、1566)の「ダヴィデとゴリアテ」


21
こちらは下の完成作の下描きです。


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ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1509‐ローマ、1566)の「ダヴィデとゴリアテ」


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ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1509-ローマ、1566)の「女の肖像」


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13世紀中頃のルッカの逸名画家作「彩色磔刑像」


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「彩色磔刑像」


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「彩色磔刑像」


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「彩色磔刑像」


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40
(つづく)

1行ったことがあるところばかりに行きます。


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サンタゴスティーノ門


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写真右の煉瓦の壁は市壁です。


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サンタゴスティーノ教会です。宗教活動を停止した旧教会で、建物は催事場などに利用されてます。


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ドゥオーモに向かってます。


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ドゥオーモ


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ドゥオーモ広場


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市の塔が見えてます。


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Palazzo Roverella


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サンティ・フランチェスコ・エ・ジュスティーナ教区教会に向かいます。


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サンティ・フランチェスコ・エ・ジュスティーナ教区教会


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拝観しました。


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ラ・ロトンダに向かいます。


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広場の先に見えるラ・ロトンダ


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ラ・ロトンダの鐘楼


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拝観したラ・ロトンダ


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やったことはいつもと同じでした。


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二本の塔


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疲れたのでホテルに戻ります。


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ホテルが見えてます。


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ホテルに戻りました。


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ホテルで休憩してから再び外出しました。


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駅近くで買い物


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突き当りが鉄道駅です。


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(ロヴィーゴ編 終わり)

1
写真の詳細は(その1)から(その18)に書きましたので、そちらをご参照頂ければ幸いです。


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市庁舎


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Palazzo Roverella


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サン・マルコの有翼のライオン像


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広場の全景


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ファサードなしの教会


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修道院だった建物


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サン・ボルトロ門


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門の壁


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サン・ボルトロ門


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(つづく)

1前泊地はヴェネツィアでした。


2
ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅から鉄道でロヴィーゴに向かいました。


3
途中、パドヴァ駅で乗り換えです。


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前回から3年後のロヴィーゴ再訪です。


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パドヴァからの列車は非常に空いてました。


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ロヴィーゴ駅に到着しました。


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この日は好天に恵まれました。


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ロヴィーゴ駅の駅舎です。


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この日のお宿に向かいます。


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駅前から延びる道を進みます。


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今回のロヴィーゴの旅の目的は前回と全く同じです。教会巡り、Museo巡り、古い門や塔、建物を見て回ります。


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バスターミナルです。


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突き当りのバスターミナルを右折します。


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旧市街に向かう道です。


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この日のお宿が見えてます。


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1泊の予定です。


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こじんまりした居心地の良いホテルです。
荷物を預けてから街歩きに出発しました。


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塔が見えてきました。


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この辺は市壁外に当たります。


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街は静寂に包まれていました。全くの予想外でした。


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市壁横に城があり、見張り塔になっていた二本の塔です。


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Torre Dona


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Torre Grimani


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市壁内に入りました。


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Corso del Popolo


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Palazzo Roverellaが見えてきました。


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振り返って撮った写真


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ロヴェレッラ宮美術館に入館しました。


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ロヴェレッラ宮美術館から外に出ました。


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市の塔


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旧マッジョーレ広場


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3年前と全く同じです。この全く同じが良いのです。


40
(つづく)

1疲れたのでホテルに戻ります。


2
ホテルに戻る前に昼食を食べました。


3
昼に酒を飲んでご機嫌です。


4
旧マッジョーレ広場は素通りです。


5
右に進めばラ・ロトンダに出ます。


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この日、観光客は私一人だけのようでした。


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ほろ酔い状態でした。


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昼間から酒を飲むのが大好きですが、トイレが近くなるのが困るところです。


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早くもトイレ休憩。


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突き当りはPalazzo Roverellaです。


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この辺はまだ城壁内です。


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一見、古そうな建物です。


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中世の建物を模して、20世紀に建設された新しい建物です。


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教会が見えますが、今はない城壁の横に建設されたそうです。


17
ベアータ・ヴェルジネ・ディ・ポンペイ祈祷所です。地元ではChiesetta della Fossaとも呼ばれてます。


18
19世紀末、教区の信者たちからの熱心な新教会建設要望を受けて、サンティ・フランチェスコ・エ・ジュスティーナ教区教会の聖職者が建設推進に動いて、実現して、ロヴィーゴの建築家エウジェニオ・ピーヴァ(ロヴィーゴ、1820-1903)の設計によって1900年から1903年にかけて建設されたそうです。


19
ファサードの「聖母子」のテラコッタ


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残念ながら見所が乏しいようです。


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中に入りました。


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単廊式の小さな内部です。


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右側壁


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天井


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後陣


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外に出ました。


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駅の方に進みます。


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城壁外に出ました。


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(つづく)

1引き続きベアータ・ヴェルジネ・デル・ソッコルソ教会、通称ラ・ロトンダです。


2
ヴェネツィアによるロヴィーゴ支配を称賛する政治的意味合いの強い絵画ばかりです。


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拝観者が少なく、じっくりと鑑賞できます。


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フランチェスコ・マッフェイ(ヴィチェンツァ、1605c-パドヴァ、1660)の「聖母戴冠」(1651)


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フランチェスコ・マッフェイ(ヴィチェンツァ、1605c-パドヴァ、1660)の「ポデスタ・ジョヴァンニ・カヴァッリの至福」(1646)


12
ジョヴァンニ・バッティスタ・ロッシ(ヴェローナ、17世紀活動)の「ポデスタ・シピオーネ・ボルドゥの至福」(17世紀)


13
逸名画家作「羊飼いの礼拝」(17世紀)


14
逸名画家作「大天使ガブリエーレ」(17世紀)


15
逸名画家作「ロヴィーゴを庇護する聖母子」(17世紀)


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これだけの作品をよく掲げる気になったものだと感心します。


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ピエトロ・デッラ・ヴェッキア(ヴィチェンツァ、1603-ヴェネツィア、1678)の「ポデスタ・ドメニコ・ゼンの至福」


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ピエトロ・リベリ(パドヴァ、1605-ヴェネツィア、1687)の「ポデスタ・アルヴィーゼ・フォスカリーニの至福」


25
ピエトロ・リベリ(パドヴァ、1605-ヴェネツィア、1687)の「ポデスタ・ザッカリア・ヴェンドラミンの至福」


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逸名画家作「ポデスタ・ピエトロ・モルシーニの至福」(17世紀)


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見終わりました。


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満足しました。


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外に出ました。


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写真右に祈祷所があります。


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ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・コンチェツィオーネ祈祷所です。


37
13世紀前半、フランチェスコ会修道士によって建設されたサンタ・クローチェ教会が前身です。
15世紀末に受胎同信会 Confraternita della Concezioneに譲渡されました。


38
現在の建物は、18世紀に再建された二代目となるものです。
現在の鐘楼は、1793年に建設されました。ファサードは、1888年に再建されました。
(つづく)

1引き続きベアータ・ヴェルジネ・デル・ソッコルソ教会、通称ラ・ロトンダです。


2
ジュリオ・チレッロ(パドヴァ、1633-1709)の「ポデスタ・バッティスタ・フォスカリーニの至福」(1678)


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アントニオ・セルヴィの「ポデスタ・ジュリオ・ガブリエルの至福」


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彫刻があります。


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作品が沢山あって、目移りして大変です。


10
ジョヴァンニ・ブルネッリ(ヴェローナ、1644/1646-クレマ、1722)の「ご訪問」(1650)


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12
これらの彫刻は、あまり知られていない彫刻家ダヴィデ・アッリエーティによって制作されたそうです。


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ダヴィデ・アッリエーティの「聖シモーネ」


14
ダヴィデ・アッリエーティの「聖バルトロメオ」


15
ダヴィデ・アッリエーティの「聖母マリア」


16
ダヴィデ・アッリエーティの「聖ピエトロ」


17
フランチェスコ・マッフェイ(ヴィチェンツァ、1605c-パドヴァ、1660)の「聖母の神殿奉献」(1650)


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出入口扉方向


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扉の上にオルガンがあります。


21
このオルガンは、18世紀後半に活動した有名なオルガン制作者ガエターノ・アントニオ・カッリド(エステ、1727-ヴェネツィア,1813)によって1767年に制作されたそうです。


22
オルガンの蓋やオルガン周囲の絵画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ノヴェッリ(1592-1631)によって1615年頃に制作されました。


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アントニオ・ブルキエッラーリ(ヴェネト、17世紀活動)の「ポデスタ・ジョヴァンニ・フランチェスコ・サグレドの至福」(1675)


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しかし、アントニオ・ブルキエッラーリが描いたものではなく、ピエトロ・リベリ(パドヴァ、1605-ヴェネツィア、1687)の作品説が有力となっているようです。


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アントニオ・ザンキ(エステ、1631-ヴェネツィア、1722)の「ポデスタ・アントニオ2世・ロレダンの至福」(1673)


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教会中心の床


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(つづく)

1引き続きベアータ・ヴェルジネ・デル・ソッコルソ教会、通称ラ・ロトンダです。


2
現在のクーポラは、1773年から1774年に再建されたものです。


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墓地


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拝観します。


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再び柱廊に入りました。


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サイド扉


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メイン扉


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中に入りました。


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八角形、ルネサンス様式の内部です。


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八面ある壁が絵画と彫刻で装飾されてます。


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美術的に必見の教会です。


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主祭壇


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1607年に制作された主祭壇


14
中央の聖母子は、1575年のペスト禍の際、地元の信者たちが礼拝堂に集まり、ペストの平癒を祈ったものです。


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15
「聖母子」を囲む彫刻は、ジョヴァンニ・カラッキオによって1607年に制作されました。


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ジョヴァンニ・カラッキオの「天使」


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ジョヴァンニ・カラッキオの「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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ジョヴァンニ・カラッキオの「聖フランチェスコ」


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主祭壇の蝋燭立て


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クーポラ


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現在のクーポラのフレスコ画は三代目に当たります。


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創建時のクーポラにもフレスコ画がありましたが、クーポラに構造上の問題が生じて、クーポラが1773年から1774年に再建されました。再建されたクーポラには「ご訪問」のフレスコ画が描かれたそうです。
1866年、第三次独立戦争の際、オーストリア軍の爆撃によってクーポラのフレスコ画が落剝してしまいました。1887年に新たに制作されたフレスコ画が現在のものです。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ・ブレッサニン(ムジーレ・ディ・ピアーヴィ、1860-ヴェネツィア、1941)の「助けの聖母の奇跡」(1887)


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次は壁の作品です。
ジョヴァンニ・コリ(ルッカ、1636-1691)とフィリッポ・ゲラルディ(ルッカ、1643-1704)の「聖母被昇天」(17世紀)
ジョヴァンニ・コリとフィリッポ・ゲラルディは、ルッカの画家であるピエトロ・パオリーノに学んだ兄弟弟子で、ルッカでは二人で協力して制作に当たりました。


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逸名画家作「エジプトへの逃避」(17世紀)


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逸名画家作「ポデスタ・ベネデット・ツォルツィの至福」(1655)


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フランチェスコ・マッフェイ(ヴィチェンツァ、1605c-パドヴァ、1660)の「ポデスタ・サンテ・モーロの至福」(1653)


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教会内部の床


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(つづく)

19月20日広場に面して教会が建ってます。


2
ベアータ・ヴェルジネ・デル・ソッコルソ寺院(教会)です。


3
八角形の教会であることから、ラ・ロトンダと呼ばれてます。単にロトンダと呼ぶ人も多いようです。


4
サン・フランチェスコ修道院教会の修道院(取り壊されて現存していません)だった庭を囲む壁に沿って建設されました。


5
サン・フランチェスコ教会修道院の修道院の隣に聖母を祀る小さな礼拝堂があり、1575年のペスト大流行の際、ペスト禍終息を願う多くの信者を集めました。
ペストの流行が収まると、聖母の導きによってペスト禍克服が出来たということで、礼拝堂ではなく教会を建設して助けの聖母への感謝を行うべきとの運動が起きました。


6
その運動を受けて、当時のアドリア司教ロレンツォ・ラウレティ(1534-1598)が教会建設を決め、建築家フランチェスコ・ザンベルラン(バッサーノ・デル・グラッパ、1529-1606c)の設計によって、1594年に創建され、1606年に完成したルネサンス様式の八角形の教会です。
フランチェスコ・ザンベルランは、パッラーディオの弟子で、パッラーディオの協力者且つ友人でした。


7
教会の建設資材として、ロヴィーゴ郊外に流れるアディジェ川に架かる、使われてない古橋の石材や市壁の一部の煉瓦が使用されたそうです。


8
八角形の平面構造の内部は、穀物貯蔵や避難所として有用とされました。1882年のアディジェ川大洪水の際には、犠牲者の遺体安置所として使用されたそうです。


9
教会本体を囲んで柱廊が設けられてます。


10
柱廊です。


11
ナポレオンのイタリア侵攻に伴って、ロヴィーゴの修道院や教会の多くが抑圧閉鎖されましたが、それら閉鎖された修道院や教会から集められた碑文、モニュメント、彫刻などが、この柱廊に集められました。


12
それらの殆どが博物館に移されましたが、今でも柱廊に残されているものがあるのです。


13
勿論、元々この教会にあったものも柱廊の壁にあります。


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紋章


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墓石


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墓石の紋章


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墓石


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紋章


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記念碑


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記念碑の胸像


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記念碑


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記念碑の胸像


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碑文


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サン・バルトロメオ修道院の碑文
サン・バルトロメオ修道院は19世紀前半に破壊されました。


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紋章


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彫刻


30
碑文


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柱廊の天井


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柱廊については、このぐらいにしておきましょう。


35
次は鐘楼です。


36
長らく修復工事が行われていました。


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修復工事後の姿です。


38
高さが57mあります。


39
ヴェネツィアの建築家バルダッサーレ・ロンヘナ(ヴェネツィア、1596/1597-1682)の設計によって、1665年に建設工事が始まりましたが、工事は数回中断して中々完成しませんでした。
18世紀後半に元の設計図の通りに工事が再開され、1774年に漸く完成したそうです。


40
(つづく)

1引き続きサンティ・フランチェスコ・エ・ジュスティーナ教区教会です。


2
サン・ロレンツォ礼拝堂です。


3
ジョヴァンニ・マリア・モルライター(ヴェネツィア、1699-1781)の「聖ロレンツォ」


4
ジョヴァンニ・マルキオーリ(カヴィオラ、1696-トレヴィーゾ、1778)の作品説も有力です。


5


6
次の礼拝堂です。


7
ピエトロ・アントニオ・ノヴェッリ(ヴェネツィア、1729-1804)の「神殿奉献」(1759)


8


9
ペンテコステ礼拝堂です。


10
ジローラモ・ダ・カルピ(フェッラーラ、1501-1556)の「聖霊降臨」


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Presbiterio


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詳細不知(私がです)の主祭壇画


15
Presbiterio左側壁の作品(詳細不知)


16
Presbiterio右側壁の作品(詳細不知)


19
後陣左の礼拝堂


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古いフレスコ画が残されてます。


18
ゴシック様式のフレスコ画


20
フレスコ画の制作者は不明のようです。


21


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次の礼拝堂です。


26
フェリーチェ・ボスカラーティ(ヴェローナ、1721-ヴェネツィア、1807)の「コペルティーノの聖ジュゼッペ」(1750)


27
アントニオ・ザンキ(エステ、1631-ヴェネツィア、1722)の「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」(17世紀後半)


28


29
ジョヴァンニ・ファソラート(パドヴァ、17‐18世紀活動)の「パドヴァの聖アントニオ」(1691)


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ピエタ礼拝堂です。


32
トゥーリオ・ロンバルド(ヴェネツィア、1460-1532)の「ピエタ」(1526)


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トゥーリオ・ロンバルド(ヴェネツィア、1460-1532)の「聖ステファノ」(1526)


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トゥーリオ・ロンバルド(ヴェネツィア、1460-1532)の「聖ベッリーノ」(1526)


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39
次の礼拝堂です。


40
ピオ・プッリーニ(アンコーナ、1887-ローマ、1955)の「カスチャの聖リータ」(1927)


41
ピオ・プッリーニ(アンコーナ、1887-ローマ、1955)の「リージュの聖テレーザ」(1927)


42
外に出ます。
(つづく)

1引き続きサンティ・フランチェスコ・エ・ジュスティーナ教区教会です。


2
司祭館の続きです。


3
司祭館は16世紀前半に建設されました。


4
司祭館は、13世紀中頃に建設された修道院の一部がもとになってます。


5
壁の紋章


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司祭館の入り口


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煉瓦積み


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もう一つの入口扉


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司祭館はこのぐらいにします。


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拝観します。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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1853年から1896年に大改造されたので、新しく見えます。


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装飾がない天井


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見所は祭壇画と彫刻でしょう。


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洗礼礼拝堂です。


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Maestro dei Dodici Apostoliの「キリストの洗礼」(1542)


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聖母礼拝堂です。


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ドメニコ・パネッティ(フェッラーラ、1460c-1513)の「玉座の聖母子と聖ピエトロと聖アンドレア」(1505)


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聖水盤


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聖痕を受ける聖フランチェスコのステンドグラス


40
(つづく)

1次はサンティ・フランチェスコ・エ・ジュスティーナ教区教会です。


2
劇場だったと思います。


3
サンティ・フランチェスコ・エ・ジュスティーナ教区教会です。
この場所には、サン・フランチェスコ修道院教会の複合施設がありました。別の場所にあったサンタ・ジュスティーナ教区教会が取り壊されることになったので、教区がサン・フランチェスコ教会に移されると共に、現在の教会名に変更された歴史があります。


4
13世紀中頃、現在の司祭館がある場所にサン・フランチェスコ修道院が建設されました。
当時、ロヴィーゴはエステ家の支配下にありましたが、フェッラーラ侯爵オビッツォ2世・デステ(ナポリ、1247/1252‐フェッラーラ、1293)の指示によって、修道院に隣接して教会が建設されることになり、1297年から1300年にかけてゴシック様式のサン・フランチェスコ教会が建設されました。


5
1413年、拡大工事が行われ、礼拝堂が5つ増えたそうです。
1533年、後陣が拡大され、ほぼ現在の構造になりました。


6
1797年、ナポレオンのイタリア侵攻によって、サン・フランチェスコ修道院教会の複合施設は抑圧され、修道士が追放されると共に使用禁止となりました。
1799年、教会は活動再開が許されましたが、修道院は閉鎖されたままで、その建物は他用途に転用され荒廃が進みました。


7
一方、サンタ・ジュスティーナ教区教会は、かってのエステ家宮殿の隣の、現在のガリバルディ広場にあって、1195年の創建と言われてます。1206年の文書に、サンタ・ジュスティーナ教区教会の存在が初めて記されたそうです。
エステ家宮殿は、16世紀初頭にヴェネツィア共和国によって破壊され現存していません。
サンタ・ジュスティーナ教区教会は1725年に再建されました。


37
1797年、ナポレオンのイタリア侵攻に伴って、サンタ・ジュスティーナ教区教会は閉鎖されてしまいました。
その後、サンタ・ジュスティーナ教会が建っている場所が現在のガリバルディ広場に組み入れられることになり、サンタ・ジュスティーナ教区教会はその活動が再開されることはなくなり、1806年に教区の所在地がサン・フランチェスコ教会に移転することになりました。移転に伴って、サンタ・ジュスティーナ教区教会にあった宝物や由緒ある墓などもサン・フランチェスコ教会に移され、現在の教会名に変更されたのです。
旧サンタ・ジュスティーナ教区教会の建物は、1809年に広場を造るべく完全に取り壊されました。


8
1827年から1837年に大改造工事が行われ、現在の建物の外観となりました。
現在のファサードは、1853年から1896年に新たに建設されたもので、16世紀に改造された教会の左側にあった墓地だった場所に建てられたそうです。


9
ファサードの紋章


36



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ファサードの柱頭


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ファサードの装飾


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ファサードに向かって左側壁


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現在のファサードに向かって右側に、旧ファサードがあります。


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旧ファサードの入り口


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旧ファサードの壁


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旧ファサードの窓


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旧ファサードにあった彫刻が残されてます。


23
劣化が相当進んでます。


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左側壁から現ファサード


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後陣


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鐘楼と後陣


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1533年に拡大されて現在の後陣の大きさになったそうです。


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現在の鐘楼は1520年に建設された二代目となるものです。


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鐘楼の窓


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ファサードに向かって左側に司祭館があります。


39
司祭館は左翼廊に接して建ってます。


40
(つづく)

1次はサンタントニオ・アバーテ教会です。


2
写真左の建物がサンタントニオ・アバーテ複合施設です。


3
複合施設は、病院、修道院、教会から成ってますが、こちらは修道院と病院の入り口でした。


4
サンタントニオ・アバーテ教会です。


5
キオストロです。


19


6
1413年に建設されたサンタントニオ・アバーテ病院がありましたが、病院内に設けられた礼拝堂が教会の前身です。


7
15世紀末、病院は火災によって建物の一部を焼失してしまいました。その後、病院は消失しなかった部分を改修されると共に再建されましたが、教会が1505年から1516年に病院に隣接して建設されました。


8
1542年、病院と教会はドメニコ会修道士に委託されるようになり、病院の一部が修道院として使用されるようになると共に修道院独自の建物が新たに建設されました。
教会は、ドメニコ会によって1543年に奉献式が執り行われました。その後、教会はサン・ドメニコ教会と別称されるようになりました。


9
1770年、ヴェネツィアの宗教方針によって抑圧され、ドメニコ会修道士がロヴィーゴから去りました。18世紀末、ナポレオンのイタリア侵攻に伴い、サンタントニオ・アバーテ複合施設は閉鎖されました。1810年、複合施設はオーストリアに没収され、オーストリアの国有財産となりました。
1815年に教会だけが活動を許されましたが、修道院と病院は再開されることなく、兵舎や倉庫などに転用されました。


10
メインの入口扉です。こちらの扉は通常使用されないようです。


11
メインの入口扉上に彫像があります。


12
ベルナルド・ファルコーネ(ビッソーネ、1620c-1696c)の「聖アントニオ・アバーテ」


13
ドアノブ


14
入口扉がもう一つあります。


15
こちらの扉が通常、使用されているようです。


16
扉上の紋章


17
鐘楼


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20
毎日扉が開くので拝観し易い教会です。


21
中に入りました。


22
翼廊がない単廊式、ルネサンス様式の内部です。


23
祭壇画や彫刻を見て回ります。


24
セバスティアーノ・ジュゼッペ・デ・ヴィータ(ヴェネツィア、1740-1797)の「ドメニコ会聖人たちの勝利」(1770)


P1010385


25


26
ジョヴァンニ・セガーラ(ムラーノ、1662-ヴェネツィア、1717)の「割礼」(17世紀)


27
ヴェネツィア派画家と記されてますが、ジョヴァンニ・セガーラの作品です。


28


29
ヴェネツィア派画家による「ロザリオの聖母」(16世紀)
コッレッジョ(コッレッジョ、1489-1534)の作品説が有力です。


30


31


37
次は彫刻です。


32
ピエトロ・バラッタ(カッラーラ、1668-1729)の「聖バルバラ」


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36


34
制作者情報等詳細不知の「聖アントニオ・アバーテ」


35


38
1912年に制作されたオルガン


39
外に出ます。


40
(つづく)

1引き続きロヴェレッラ宮美術館です。


2
ダニエーレ・ヴァン・デン・ダイク(アンヴェルサ、1610-マントヴァ、1670)の「男の肖像」


3
ジュゼッペ・アントニオ・ファブリーニ(フィレンツェ、1748-1795以降没)の「男の肖像」


4
セバスティアーノ・マッツォーニ(フィレンツェ、1611-ヴェネツィア、1678)の「ロトの娘」


5
エリザベッタ・マルキオーニ(ロヴィーゴ、17-18世紀活動)の「花の二天使」


6


7
近代画の展示


8
詳細不知


9
クゥリツィオ・ディ・ジョヴァンニ・ダ・ムラーノ(ヴェネツィア、1460c-1478c活動記録)の「聖ルチアの物語」


10


11


12
ヒエロニムス・ヤンセンス(アンヴェルサ、1624-1693)の「集会」


36
現代画の展示


37


38


39


40
ヴェネツィア派の作品が充実してます。


13
美術館は終わりです。


14
Torre Pighin


15
市壁内に残る唯一の塔です。


16
1138年に建設された市壁に設けられた塔です。市域が拡大されると共に1138年の市壁は破壊されましたが、この塔だけは防衛力強化のために維持・増強されました。


17
高さが23mあります。


18
ヴェネツィアの支配下、防衛上の塔の必要性が徐々に薄れ、18世紀に住宅に転用されました。


19
塔は荒廃して20世紀前半に放棄されましたが、第二次世界大戦後に修復されて現在の外観となりました。


20
もう一つの門に向かいます。


21
近代的な柱廊


22
門が見えてきました。


23
門前は公園になってます。


24
サン・ボルトロ門です。


25
城壁に現存する2つの門のうちの一つです。


26
1482年から1486年に建設されました。


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28


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30


35
門の天井


31
門を潜りました。


33


32
(つづく)

1引き続きロヴェレッラ宮美術館です。


2
部屋のフレスコ画


3
部屋の天井


4
フレスコ画の詳細については全く知りません。


5


6


7
展示はヴェネツィア派画家たちの作品が多い。


8
ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1427/1430c-1516)の「聖母子」(1470c)


9


10
ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1427/1430c-1516)の「十字架を担ぐキリスト」(1510c)


11
パルマ・イル・ヴェッキオ(シエナ、1480?-ヴェネツィア、1528)の「キリストの鞭打ち」(1525)


12
パルマ・イル・ヴェッキオ(シエナ、1480?-ヴェネツィア、1528)の「聖母子と聖ジローラモと聖エレーナ」(1510-20c)


13
ニッコロ・ディ・ピエトロ(ヴェローナ?、1394-1430活動)の「聖母戴冠」


17


14
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1490c-ヴェネツィア、1576)の「若い農民」(1510c)


15
ジローラモ・ダ・サンタクローチェ(ベルガモ、1480-ヴェネツィア、1556)の「聖母子と聖人たちと寄進者」(1510-20c)


16
ヤコポ・ダ・ヴァレンツァ(ヴェネト、1485-1509活動)の「幼きキリストを崇める聖母」


18
ニコロ・ロンディネッリ(ラヴェンナ、1468c-1520c)の「聖母子」


19


20
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタ(ヴェネツィア、1682-1754)の「ガスパーレ・カンポ伯爵の肖像」(1740)
ガスパーレ・カンポ伯爵は、Accademia dei Concordiの創設者です。


21


22
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタ(ヴェネツィア、1682-1754)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


23
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタ(ヴェネツィア、1682-1754)の「男の肖像」


24
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタ(ヴェネツィア、1682-1754)の「聖ガエターノ」


25
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(ヴェネツィア、1687-1767)の「バルトロメオ・ロヴェレッラ枢機卿の肖像」


26


27
ルカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634-1705)の「Ulisse e Calipso」(1675c)


28
ピエトロ・ネグリ(ヴェネツィア、1628-1679)の「Rebecca riceve doni da Abramo」(17世紀)


29
ヴェネトの逸名画家作「聖ジローラモ」(14世紀)


30


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33
ミケーレ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1385-1455)の「聖母子と四聖人のポリッティコ」(1441c)


34
聖母子


35


36
ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の「アントニオ・リッコボーノの肖像」


37


38


39
ジュゼッペ・ノガーリ(ヴェネツィア、1699-1763)の「男の肖像」


40
アレッサンドロ・ロンギ(ヴェネツィア、1733-1813)の「男の肖像」
(つづく)

1旧マッジョーレ広場、現称ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に面して建つPalazzo Roverellaです。


2
フェッラーラ貴族のロヴェレッラ家出身のバルトロメオ・ロヴェレッラ枢機卿(ロヴィーゴ、1406-ローマ、1476)が1474年に建設の注文を行った邸宅です。


3
設計はフェッラーラの建築家ビアージョ・ロセッティ(フェッラーラ,1447c-1516)と言われてますが、それを裏付ける記録が残されていないようです。しかし、それでもロセッティの設計説が信じるに足ると言われてます。
注文後、建設工事は直ぐに着工されたものの、バルトロメオ・ロヴェレッラ枢機卿が1474年に死去してしまったので、1477年に工事中断となってしまいました。フェッラーラのロヴェレッラ家が工事再開を望み、15世紀末にルネサンス様式のPalazzo Roverellaが完成しました。


4
16世紀後半、Palazzo Roverellaはロヴェレッラ家の所有から離れ、建物は分割所有されて様々な用途に使用されました。そのため、建物は改造され、不適切な使用によって劣化が進んだそうです。


5
第二次世界大戦直後にファサードの修復が開始されましたが、それ以外の部分は放置され、更に荒廃が進みました。


6
1985年、ファサード以外の部分の修復が立案されましたが、資金難のために実行されませんでした。
2000年、ロヴィーゴ市、銀行と財団によって修復工事が開始され、2010年に一応の完成を見ました。しかし、更なる修復工事が必要とされる箇所があると言われてます。


13
広場に面した柱廊


26


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14
壁にある銘板


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「聖母子と聖ベッリーニの浮彫」


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劣化している柱廊天井


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更なる修復が必要とされてます。


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紋章と浮彫


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柱頭


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中庭


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7
Palazzo Roverellaは美術館になってます。


8
便宜上レヴェレッラ宮美術館としましたが、正式名称はPinacoteca dell’Accademia dei Concrdi e del Seminario Vescovileとなってます。
司教神学校の所有作品約200点がAccademia dei Concordiに委託され、Accademia dei Concordiの所有作品と共に展示されてます。


9
美術館の入り口です。


12
中に入りました。


10
切符売り場


11
Accademia dei Concordiの所有作品が多過ぎて、限られた展示スペースでは展示しきれないので、展示作品が頻繁に変わります。
中は写真不可となってます。
(つづく)

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