イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2023年10月

1次はChiesa del Suffragio スッフラージョ教会です。suffragioとは、代祷、祈りという意味です。


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この場所に、12世紀の記録にその存在が記載されているサン・ジュゼッペ祈祷所がありましたが、それが前身とされてます。


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サン・ジュゼッペ祈祷所は1620年に解体され、その上に1620年から1628年に建設されたマドンナ・デッラ・ネーヴェ教会が二代目です。


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二代目の建物はは1719年から1721年に改造され、現在の姿となりましたが、その改造を機に教会の名称がスッフラージョッ教会に変更されました。


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ファサードの彫刻は、ジョヴァン・バッティスタ・バランティ・グラツィアーニ別称グラツィアーニ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1762-1835)とグラツィアーニ工房によって制作されました。


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グラツィアーニ・ダ・ファエンツァと彼の工房による作品です。


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教会内に入りました。


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三廊式、バロック様式の内部です。


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右側廊


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Presebiterio


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中央礼拝堂


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主祭壇画を観ます。


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主祭壇画は、ベネデット・ダル・ブオーノ(ルーゴ、1711-1775)の「聖家族と聖ミケーレ」


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詳細不知の「聖母子」


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右側廊


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後陣右礼拝堂


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バルトロメオ・スケドーニ(モデナ、1578-パルマ、1615)の「聖母戴冠」
画家として有名なバルトロメオ・スケドーニの珍しい彫刻です。


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右側廊から見た内陣中央方向


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後陣右礼拝堂の天井


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後陣右礼拝堂天井のフレスコ画(詳細不知)


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左側廊


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左側廊から見た内陣中央方向


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詳細不知の「聖母子と聖人たち」


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後陣左礼拝堂


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チェーザレ・ルイーナの「無原罪の御宿りと聖フランチェスコ」(1874)


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イグナツィオ・スターン(オーストリア、1679-ローマ、1748)の「聖ジュゼッペの死」


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イグナツィオ・スターン(オーストリア、1679-ローマ、1748)の「聖アンナの死」


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中央礼拝堂から見たカウンターファサード方向


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カウンターファサードにオルガンがあります。


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外に出ました。


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(つづく)

1Piazza Trisiです。


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トリージ広場に面して建つのは18世紀に建設されたOratorio di Sant’Onofrioです。


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サントノフリオ祈祷所は平日には開いていないようです。(この日は平日でした)


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サントノフリオ祈祷所前から眺めたPiazza Trisiです。


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この辺が旧市街の中心です。


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18世紀後半に建設されたPavaglioneです。
古くからイタリアでは絹織物が大変好まれました。蚕、繭、絹織物の市場として、イタリアで最も栄えていた市場がルーゴのPavaglioneでした。しかし、19世紀後半になると東洋から輸入された絹織物に対して、コスト的に太刀打ち出来なくなって、ルーゴのPavaglioneは廃れてしまいました。


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通りの名称がこの辺でVia BaraccaからLargo Relenciniに変わります。


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ドゥオーモの後陣です。


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Rocca Estenseの方に進みました。


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Rocca Estenseが面したPiazza dei Martieriです。


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中世の頃、ルーゴはエステ家の支配下にありました。ルーゴの歴史的建造物の多くはエステ家治世の時代に建設されました。


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広場に中心に立つのは、1936年に制作されたフランチェスコ・バラッカのモニュメントです。
フランチェスコ・バラッカ(1888-1918)は、ルーゴ伯爵エンリコ・バラッカの息子で地元の英雄です。第一次世界大戦当時、イタリア空軍のエースパイロットでしたが、フランチェスコが操縦していた戦闘機が爆撃され不時着したのですが、その際、捕虜の身になることを恥じて拳銃で自決したのです。


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Pavaglioneは、バラッカ広場にも面してます。


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エステ家によって建設された城です。


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Rocca Estenseの建物は市役所として使用されてます。


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Pavaglioneは大きな建物です。中に入ることが出来ますが、入るのは後回しにしました。


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ローマ銀行です。


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Piazza Baraccaから見たPiazza dei Martieriです。


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写真左はChiesa del Suffragioです。


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この後、Chiesa del Suffragioの拝観をしたのですが、それについては(その3)で触れることにします。


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リベッタ通りです。


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ここから少し離れた場所にあるサン・ジャコモ教会とロッシーニの家に向かいます。


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サン・ジャコモ教会です。


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ロッシーニの家です。


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ロッシーニの家は、オペラ作曲家ジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニ博物館となってます。
作曲家ロッシーニ(ペーザロ、1792-パリ、1868)はルーゴと直接関係がありませんが、彼の父ジュゼッペ・ロッシーニがこの家を建設して。ジョアッキーノの生まれる前に住んでいました。
観光資源が少ないルーゴなので、有名なロッシーニ博物館にしたようです。


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ロッシーニ博物館の内部


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見るべきものが乏しいと思います。


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(つづく)

1この日、イーモラで3泊4日した時の中日でしたが、ルーゴへの日帰り遠足をしました。


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ブリジゲッラの観光案内所に行った時に、ブリジゲッラ近郊のお勧めの街として紹介を受けたのが、バニャカヴァッロとルーゴでした。その際、二つの街の地図と観光案内書を貰ったのでした。中々、行く機会が無かったのですが、漸く、この日、ルーゴへの日帰り遠足が実現したというわけです。


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イーモラ駅に向かいました。


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イーモラ駅です。イーモラはピアチェンツァからアンコーナを結ぶ幹線上にあります。


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ルーゴに行くには、イーモラとラヴェンナを結ぶ支線上に駅があるので、鉄道利用が便利です。


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イーモラ始発ラヴェンナ行きの普通列車は空いていました。


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ルーゴ駅に定刻に到着しました。


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ルーゴは、人口31,981人(2023年5月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県にあるコムーネです。同名の都市が他にあるので、区別するためにルーゴ・ディ・ロマーニャとも呼ばれてます。


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ルーゴ駅は有人駅です。


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駅前広場


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Viale Rosini


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Viale Rosiniを進んで旧市街に向かいました。


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Viale RosiniとViale Manzoniとの交差点です。


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Viale Rosiniをさらに進みました。


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Piazzale Carducciです。


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地図を持っていましたが、何時ものように地図を見ないで勘を頼りに街の中心を目指しました。


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教会が見えてきたので、勘が当たったようです。


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地図を見て、参事会教会の後陣と分かりました。


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ルーゴは多分独立した司教区になっていないと思ったので、参事会教会がドゥオーモでしょう。


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この時間は通常教会の扉が開いていることが稀なので、拝観を後にして先を急ぎました。


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イーモラは、この日の午前中大雨でしたが、ルーゴもかなりの降雨があったと思いました。


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人通りが非常に少なかった。


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写真右のバールで一休みしました。


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写真右は、サントノフリオ(聖オノフリオ)祈祷所(オラトリオ)だった建物で、現在は小学校になってます。


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Via Fratelli Cortesi


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Via Fratelli Cortesiの突き当りを右折してVia Baraccaに入りました。


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旧市街の中心はもうすぐです。


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古来ブドウ栽培が主産業のルーゴでしたが、中世から近世にかけて蚕の育成と絹織物で非常に栄えました。


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Rocca Estenseが見えてきました。


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写真左の建物はカルミネ教会です。


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(つづく)

1突き当りはサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。


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コッレッジョ通りです。


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再びトリノ通りに。


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ドゥオーモのファサードをもう一度見ます。


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雨が降って、一旦薄日が出たものの、またまた雲が厚くなってきました。


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キヴァッソのドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ参事会教会です。


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ファサードのテラコッタ彫刻を見ます。


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トリノ通りを東方向に進みます。


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サンティ・サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・エ・マルタ教会です。


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教会の扉は閉まったままでした。


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教会の前を通り過ぎました。


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昼食の時間でしたが食欲無し。


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前日深夜までオペラを観て、それから深夜の食事を摂ったので胃が重かった。


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サン・マルコ通りです。


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Presepiのお店です。


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ショーウィンドウを覗き込みました。


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クリスマス・シーズン以外にも売れるのでしょうか?


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ポポロ広場


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ローマ通りです。


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この日ですが写真右のHotel Ritzも満室でした。


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少し食べないと夕食まで持たないと考えて、入ったジャンク・フード店が最悪でした。


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ホテルに戻ります。


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ホテルに戻りました。


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ホテル内のフレスコ画


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ホテルの壁のあちこちにフレスコ画があって暇つぶしになりました。


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自室からの眺め


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翌朝、次の目的地ビエッラに鉄道で向かいました。
(キヴァッソ編 おわり)

1雨が完全に止みました。


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雨宿りをしていた人たちが外に出てきたようです。


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キヴァッソの見どころの一つになっているフレスコ画を探しました。


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どうやら写真左の建物が目的のフレスコのようです。


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聖母の結婚? 痛みが激しいフレスコ画です。


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トリノ通りです。


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日陰では乾きが遅い。


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ローマ通りとトリノ通りの交差点。


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ローマ通りです。


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同じ通りでも場所によって通りの名称が良く変わるのがイタリアです。


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トリノ通りを西方向に進みました。


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薄日が漏れてきました。


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先ほどのフレスコ画の前を通り過ぎました。


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この先にドゥオーモがありますが、違う道を通ってドゥオーモのファサード前に出る予定でした。


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ジュゼッペ・ポルラ通りです。


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サン・フランチェスコ修道院に向かいました。


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18世紀に建設されたサン・フランチェスコ修道院の建物です。


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ナポレオンのイタリア侵攻によって、活動が抑圧され、19世紀初頭にサン・フランチェスコ修道院は閉鎖されてしまい、修道士が追放されました。


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サン・フランチェスコ修道院だった建物は、1888年からベアート・アンジェロ・カルレッティ幼稚園として使用されるようになり、現在に至ってます。


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この先には見所がなさそうです。


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Via Caduti per la Libertaです。


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ポー川の近くになります。


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共和国広場に戻りました。


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この先に緑がありますが、緑地の下にポー川が流れてます。


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ポー川に行かないことにしました。


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違う道を通って旧市街を歩きました。


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旧市街域が狭いので、同じところに来てしまいます。


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街外れに出てしまいました。


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旧市街を一周したようです。


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Via Caduti per la Liberta


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(つづく)

1引き続きサンタ・キアラ女子修道院だった建物です。


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アントニオ・ファレッティ(バローロ、1671-1760)によって1739年に創建され、18世紀中頃まで建設が行われましたが、当初計画があまりにも大きくて費用が予算オーバーとなったので、未完のまま工事が中断され、現在に至ってます。イタリア統一後に市庁舎に転用されるようになりました。


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1739年に創建された建物は、実はサンタ・キアラ女子修道院としての二代目となるものです。
キヴァッソのサンタ・キアラ女子修道院の初代の建物は、修道女ベアータ・バルトロメア・ガルレッティ(キヴァッソ、1425/1435-1508c)によって1486年から1505年に建設されました。


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修道女たちの僧房です。


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旧修道院の中庭です。


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建物の端に修道院に付属するクラレス教会だった建物があります。


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現在見ることが出来る旧クラレス教会は1702年に再建されたもので、ナポレオンのイタリア侵攻によって教会と修道院は閉鎖されてしまいました。


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サンタ・キアラ女子修道院だった区域から外に出ました。


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Piazza Carita


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Piazza Caritaは広大な駐車場になってます。


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駐車場の入り口です。


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この辺はもう街外れに相当します。


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写真左中央の茶色の建物が有名です。


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18世紀に建設された後期バロック様式のPalazzo Tesioです。


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現代イタリアの自治と連邦主義の基礎となった「キヴァッソ憲章」が1943年12月19日に、このPalazzo Tesioで締結されました。


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トリノ通りをドゥオーモ方向に戻ります。


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写真左は先ほどトイレ休憩したバールです。


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サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会のファサード前を通過しました。


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ドゥオーモの鐘楼


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とうとう雨が落ちてきました。


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天気予報が当たりました。


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アルプスから寒気が入ってきたそうです。


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雨が強くなったので柱廊に避難。


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柱廊で雨宿りをする人がいました。


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ドゥオーモで雨宿りしました。


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雨脚が弱くなったので、ドゥオーモから外に出ました。


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イタリアでは雨男です。


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傘を持っていても差さない人がかなりいます。


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雨が降ったので、人通りが減りました。


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夏のピエモンテは天気が急変することがあります。


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この辺ではローマ通りになります。


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(つづく)

1引き続きドゥオーモの内部です。


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詳細不知の天使の彫刻


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詳細不知の天使の彫刻


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「聖母子と四聖人」を再見


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「三位一体と聖人たち」を再見


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天井のフレスコ画


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身廊天井


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デフェンデンテ・フェッラーリの作品を再見


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後陣天井


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詳細不知の聖母子


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外に出ます。


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外に出たら、先ほどよりも雲が低く垂れ込めていました。雨の気配です。


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7月初旬でしたが、少し寒くなってきました。


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アルプスから寒気が入ってきたようです。


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教会が見えてますが、事前調査した限りでは拝観する価値がないようです。


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ドゥオーモ以外に観る価値がある教会がなさそうです。


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トリノに早く行けば良かったと後悔。


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ベアート・アンジェロ・ガルレッティ像
ベアート・アンジェロ・ガルレッティ・ダ・キヴァッソ(キヴァッソ、1411-クーネオ、1495)は、ボローニャ大学で学び、同大学で博士号を取得した神学者で、多くの著作を著すと共に、フランチェスコ会修道士として幅広い慈善事業に従事しました。


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教会がありますが、どうせ開いていないと思いました。


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サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。


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1584年に創建され、1607年に奉献された教会です。


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現在の外観(主にファサード)と教会内部は1737年から1741年に改造されたもので、オリジナルではありません。


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ファサードのフレスコ画


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この時は予想通り開いていませんでした。


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土曜日の夕べのミサと日曜日朝のミサの時に開くようです。


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時間潰しに街歩きを続けました。


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この道を進んでも見所がなさそうだったので、引き返しました。


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煉瓦積みの立派なポルティコです。


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トイレ休憩の必要性を感じました。


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市庁舎横のバールで一休みです。


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市庁舎です。小さな市庁舎に見えますが、実はそうではありません。


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トリノ通りです。


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市庁舎の入り口からサンタ・キアラ修道院だった建物に向かいました。


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サンタ・キアラ女子修道院だった建物です。


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1739年に創建されたサンタ・キアラ女子修道院の建物は未完成です。


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現在、市庁舎として使用されている旧サンタ・キアラ女子修道院です。


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市庁舎の建物の銘板


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(つづく)

1さて、キヴァッソのドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ参事会教会 Collegiata di Santa Maria Assuntaの拝観です。


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教会内部に入りました。


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三廊式ですが、様々な建築様式が混在しています。


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オリジナルの後期ゴシック様式が基本構造になってますが、17世紀にバロック様式に改造されたものの、19世紀初頭に新古典様式に改造されたので、新古典様式の内部と言ってよいでしょう。


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新古典様式の柱が目立ちます。


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1843年にフェリーチェ・ポッシ(ベルガモ、1795-1873)によって制作されたオルガンです。ポッシ家は、代々オルガン制作を家業としていましたが、中でもフェリーチェ・ポッシはオルガン制作者として有名でした。


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右側廊


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右側廊から見た身廊中央方向


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左側廊


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左側廊から見た身廊中央方向


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洗礼盤上の、17世紀の逸名彫刻家による「キリストの洗礼」


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詳細不知の「ベアータ・ヴェルジネ」


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左第二礼拝堂


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詳細不知の「三位一体と聖人たち」


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ピエモンテの逸名画家作「聖母子と四聖人」(18世紀)


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この教会における最大の見どころは、この作品です。


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デフェンデンテ・フェッラーリ(キヴァッソ、1480/1485‐トリノ、1540c)の「嘆き」(16世紀第1四半世紀)


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生まれ故郷のキヴァッソに残るデフェンデンテ・フェッラーリ唯一の作品です。


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18世紀中頃には。デフェンデンテ・フェッラーリの作品がこの他にも数点あったとされてます。


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額縁は制作された時のオリジナルのものと言われてます。


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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右第一礼拝堂です。


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ピエモンテの逸名彫刻家による「死せるキリストへの哀悼」(15世紀後半)
貴重な作品と言われてます。


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説教壇


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1930年から1940年代にかけて、大修復された身廊天井のフレスコ画


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左後陣礼拝堂


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左後陣礼拝堂天井のフレスコ画(1930-40c)


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この部分のオリジナルのフレスコ画はすべて失われていたので、改めて描き直された新作を言うべきフレスコ画です。


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詳細不知


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主祭壇(中央礼拝堂)


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後陣のフレスコ画(1930-40c)


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詳細不知
(つづく)

1カラヴァッジョについて書くことをゴールとしていたので、それが終わって、これからは「おまけ付きグリコ」のようなものです。


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塔は、ドゥオーモの鐘楼です。


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トリノ通りに面して建っている、ごく普通の建物です。


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この街では、テラコッタ彫刻が目立ちます。


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Piazza della Repubblicaです。


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広場に面してドゥオーモが建ってます。ドゥオーモ前からPiazza della Repubblicaを撮った写真です。


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Piazza della Repubblicaがキヴァッソの旧市街の中心になります。


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広場の先に進みます。


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八角形の塔があります。


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12世紀、キヴァッソはモンフェッラートのアレラミーチ家の領地でした。11世紀、フォンフェッラート侯爵グリエルモ4世・デル・モンフェッラート(1030/1035-1100)は、キヴァッソ城の建設を始めました。城は、グリエルモ4世死後の1178年に完成しました。


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キヴァッソ城は取り壊されて現存しませんが、その城にあった塔の一つがTorre Ottagonaleです。


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城の存在を今に伝える唯一の建物がこの塔です。


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この通りの先にポー川が流れてます。


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先に進んでも見所がなさそうだったので、戻ることにしました。


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今来た道を引き返すことにしました。


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突き当りに建っている教会に向かいます。


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先ほどまで時々日差しがありましたが、雲が厚くなってきました。


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青空が僅かになりました。


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さて、ドゥオーモです。


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キヴァッソのドゥオーモであるサンタ・マリア・アッスンタ参事会教会です。


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キヴァッソは、イヴレア司教区に所属しており、司教座はイヴレアのドゥオーモに置かれてます。


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15世紀前半、キヴァッソを領地にしていたモンフェッラート侯爵ジャン・ジャコモ・パレオローゴ(トリノ、1395-カザーレ・モンフェッラート、1445)の指示によって、1415年に創建された後期ゴシック様式の教会です。


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ジャン・ジャコモ・パレオローゴ侯爵の死後の1480年に完成しました。


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本堂が完成した1429年に奉献式が執り行われました。


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長い間、単なる教区教会の地位でしたが、1996年に参事会教会に昇格しました。


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鐘楼にある日時計


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この教会の見どころはファサードのテラコッタ彫刻です。


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入口扉上ルネッタの聖母子のテラコッタとフレスコ画断片


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ファサードのテラコッタ彫刻は、ピエモンテの無名彫刻家によって1450年から1460年頃に制作されました。


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(つづく)

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前泊地はミラノでした。


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トリノ・ポルタ・スーザ駅に到着しました。


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ポルタ・スーザ駅の地上駅に出ます。


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普通列車に乗り換えてキヴァッソ駅に向かいました。


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キヴァッソ駅に到着しました。


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キヴァッソ駅の駅舎です。


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駅前広場です。


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駅前にある、このホテルがこの日のお宿です。


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ミラノ出発が早い時間で、朝食なしだったので、駅横のバールで一息入れました。


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街歩きに出発です。


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駅横にちぐはぐな感じがする建物がありました。


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ローマ通りです。ローマ通りがないコムーネは希少価値がありますね。ローマ通りは、日本の銀座通りに相当しそうです。


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トリノに泊まる予定でしたが、この週のホテル料金が異常に高くなっていたので、予約しないで様子見をしていました。ところが、宿泊日の一週間前にはトリノのホテルが全部満室となっていたので、已む無くトリノの代わりにキヴァッソに泊まることにしたという訳です。


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キヴァッソは、人口26,908人(2018年12月31日現在)のピエモンテ州トリノ県にあるコムーネです。


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紀元前1000年頃に集落があったとされる古い町ですが、紀元前2世紀にローマの植民地となり、ガリカ街道の宿場町として発展したそうです。


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ポー川とオルコ川の合流点に位置することから、河港の町としても栄えました。


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ポポロ広場に出ます。


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ポポロ広場です。


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ポポロ広場にあるモニュメント


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Monumento ai Bersaglieri(狙撃兵の記念碑)


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キヴァッソにはかって自動車工場があって、一時期、人口が二倍になるなど、非常に栄えましたが、1993年に自動車工場が閉鎖されると、急速に寂れました。


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大きな火力発電所があって、ある程度まで自動車工場閉鎖の受け皿になっていましたが、環境問題の深刻化によって、近い将来、火力発電所の閉鎖は確実とされているので、苦境の中にある街と言えるでしょう。。


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トリノに近いので、トリノのベッドタウンとしての性格も併せ持つ街です。


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キヴァッソに来たのは、この時が初めてでした。


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旅の目的は飽く迄もトリノでした。トリノの代わりに泊まるのであれば、トリノの近くならば何処でも良かったのですが、どうせなら初めての街が良いと思ったのでキヴァッソを選んだという訳です。


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シャッター通りの面が無きにしも非ず。


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事前調査を殆どしなかったので、見所が良く分からず、適当に歩き回ることにしました。


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トリノ通りです。


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鐘楼が見えてますが、ドゥオーモのものです。


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トリノ通りが、この街で最も賑わいを見せる通りです。この時は、それを知らず、後で知りました。


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閉まっている店がやはり多いように思います。


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サンティ・ジョヴァンニ・バッティスタ・エ・マルタ教会です。


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処刑された人々やその家族、困窮に苦しむ人たちを支援する慈悲の同信会 Confraternita della Misericordiaがありましたが、17世紀後半、処刑された人々やその家族の安寧を願う教会の建設が発起されました。


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慈悲の同信会によって、1707年から1751年に建設されたサンティ・ジョヴァンニ・バッティスタ・エ・マルタ教会です。


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バロック様式の教会です。


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美術的な見所はあまりなさそうな教会です。


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ファサードの壁龕にある聖マルタ像


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聖ジョヴァンニ・バッティスタ像


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鐘楼とクーポラ


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主祭壇


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(つづく)

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