イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2024年07月

1翌朝です。


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ホテルをチェックアウトして荷物をホテルに預けてから街歩きに出発しました。


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チェントロ・ストーリコに向かいました。


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先ず教会巡りです。


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サンタントニオ・アバーテ修道院です。


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写真左の建物が修道院です。右端の建物が教会です。


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こちらはサンタントニオ・アバーテ教会、通称タウ教会(タウ礼拝堂)です。


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1361年創建のゴシック様式の修道院教会でしたが、18世紀に抑圧され、それ以降宗教活動が行われていません。


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修道院だった建物は民間アパートに改造され個人所有となりましたが、建物の老朽化によって空き家が多くなったので、21世紀になって修復工事が行われました。


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旧修道院だった建物にある紋章


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修道院だった建物はマリーノ・マリーニ資料センター兼マリーノ・マリーニ博物館として使用されてます。


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教会だった建物は1962年に大掛かりな修復工事が行われ、その完了後は一般公開されるようになりました。


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一般公開されるようになったのは、内部に貴重なフレスコ画があるからと言われてます。


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ピストイアに訪れる美術ファンにとって、タウ教会(礼拝堂)は必見の場所でしょう。


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中に入りました。


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珍妙なオブジェはマリーノ・マリーニ(ピストイア、1901-ヴィアレッジョ、1980)の作品と思われます。


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旧教会の建物はマリーノ・マリーニ作品の展示場になっているようです。


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私にとってのタウ教会は残されたフレスコ画に尽きます。


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タウ教会の壁という壁はフレスコ画で覆われていたと思われます。


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これらのフレスコ画は1362年から制作が開始され、15世紀中頃に完成したとされてます。


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オルカーニャ(フィレンツェ、1308-1368)の追随者によって1362年に制作が開始され、更にニッコロ・ディ・トンマーゾ(フィレンツェ、1339-1376)に引き継がれ、フィレンツェ派逸名画家の制作を経て、アントニオ・ヴィーテ(ピストイア、?‐フィレンツェで14世紀から15世紀活動)によって完成されたとされてます。


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フレスコ画のテーマは旧約聖書からの逸話、キリストの生涯、聖アントニオ・アバーテの物語となってます。


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場面毎の制作者は特定されていないようです。


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(つづく)

1この時のピストイアの前泊地はルッカでした。


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ルッカからフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅行の普通列車でピストイアに向かいました。


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夕方近くだったので車中は空いてました。


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ピストイア駅に到着しました。


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ピストイア駅の駅舎です。


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駅前広場です。


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この日のお宿に向かいました。
ピストイアの美術館や教会内部での写真撮影がOKとなったことを聞いたので、泊りがけでの旅となりました。


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この日のお宿です。
チェックインを済ませてから駅方向に戻ります。


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ピストイアの車両基地です。
ピストイアの主要産業の一つは鉄道車両ですが、ルッカからフィレンツェに向かう車窓からピストイア駅手前に大きな車両基地があって、蒸気機関車を始めとして歴史的車両を見ることが出来ます。


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この蒸気機関車は現役ではないようです。


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車両基地見学を終わってホテルに戻ります。


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ルッカで歩き疲れたので、夕食までホテルで過ごしました。


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夕食のため外出しました。


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食べるのは大体同じものばかりです。


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夕食を終えて腹ごなしの散歩です。


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ドゥオーモ広場


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洗礼堂


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洗礼堂入り口上の装飾


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この日はこれで終わりです。


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(つづく)

891サン・フランチェスコ教会です。


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サン・フランチェスコ教会の鐘楼です。


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サン・フランチェスコ教会近くの城壁です。


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街の中心であるドゥオーモ広場に向かいます。


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Palazzo Azzolini


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ドゥオーモ


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ドゥオーモのファサードにある彩釉テラコッタ


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洗礼堂


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Palazzo dei Vescovi


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Palazzo Podesta


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ドゥオーモの鐘楼


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ドゥオーモ広場


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Palazzo del Governo


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市庁舎の中にMuseo Civicoが設けられてます。


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この当時、内部の写真撮影はすべて不可でした。


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(つづく)

3この日、フィレンツェに泊まっていました。


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フィレンツェからピストイアの日帰り遠足を行うことに。


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フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅から普通列車でピストイアに向かいました。


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ピストイア駅に到着しました。


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ピストイアは、人口89,141人(2023年10月31日現在)のトスカーナ州ピストイア県の県都です。


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ピストイアは、エトルリア起源の古い街です。中世は都市国家として栄えましたが、フィレンツェの脅威に対抗するためシエナやルッカと同盟を結んで激しく抵抗しましたが、力及ばずフィレンツェの軍門に下りました。


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ピストイア駅構内


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ピストイア駅の駅舎


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駅前広場


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Il Roccon Rosso


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城壁の一部が残されてます。


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見る価値が十分ある教会が多いピストイアです。


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2008年頃までのピストイアの教会は内部写真撮影が困難でした。


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市立美術館を含めて写真撮影がOKとなったのは2014年頃以降だったと思います。


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サン・パオロ教会です。


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サン・パオロ教会のファサード


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サン・パオロ教会の身廊


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身廊のフレスコ画


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街の中心に向かいました。


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サン・ジョヴァンニ・フオルチヴィタス教会です。


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サン・フランチェスコ教会です。


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サン・フランチェスコ教会の後陣
(つづく)

863円形闘技場にやってきました。


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中に入ります。


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日向ぼっこをしている人がチラホラ


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Casa dell’Efeboです。


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これがあるので建物の名称や場所が分かるのです。


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Casa dell’Efeboのフレスコ画


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キリがないので、このぐらいでポンペイ遺跡を終わります。


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(ポンペイ遺跡編おわり)

862ポンペイ遺跡をだらだらと続けてます。


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遺跡の係員がブドウ栽培を行っている?


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次の区画に行きます。


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Casa di Paquio Proculoです。


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こちらからCasa di Paquio Proculoに入ることが出来ます。


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Casa di Paquio Proculoの内部です。


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Casa di Paquio Proculoはモザイクで有名です。


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Casa di Paquio Proculoのモザイク


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次はCasa di Fabio Amandioです。


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Casa di Fabio Amandioのフレスコ画


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次はCasa del Sacerdote Amandoです。


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Casa del Sacerdote Amando


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Casa del Sacerdote Amandoのフレスコ画


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(つづく)

1448
引き続きポンペイ遺跡です。


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Casa dei Ceiiの天井


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Casa dei Ceiiのフレスコ画です。


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(つづく)

1552フォロ近くです。


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次はCasa dei Ceiiです。


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Casa dei Ceiiです。


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Casa dei Ceiiの入り口です。


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Casa dei Ceiiの内部です。


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フレスコで装飾された壁


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二階建てのCasa dei Ceiiの階段です。


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Casa dei Ceiiは居酒屋だった?


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(つづく)

856引き続きポンペイ遺跡です。


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居酒屋です。


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Casa dei Quadretti Teatreliの続きです。


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Casa dei Quadretti Teatreliのフレスコ画です。


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大理石の置物


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Taberna di Iunianus


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Casa di Stallius Eros


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(つづく)

846毎回同じような写真ばかりで気が引けます。


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ポンペイ遺跡は何処も同じようですから、その辺は仕方がありません。


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Casa della Fullonica de Stefhanusのフレスコ画です。


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Casa di Tabernaに移ります。


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Casa di Tabernaの工房です。


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Casa dei Quadretti Teatreliです。


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Casa dei Quadretti Teatreliの入り口にある案内板です。表示が異なりますがCasa dei Quadretti Teatreliです。


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Casa dei Quadretti Teatreliの床です。


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(つづく)

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