イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2024年08月

1拝観します。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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右側壁


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ミサが終わったばかりでしたが、誰もいませんでした。


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木組みの天井


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祭壇画などを見て回りました。


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左側壁の礼拝堂です。


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パオロ・デ・マッテイス(ピアーノ・ヴェトラレ、1662-ナポリ、1728)の「天上のキリストと聖ガエターノ」(1682)


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荊刑のキリストは詳細不知です。


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次の礼拝堂です。


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アゴスティーノ会修道士の逸名画僧による「天上の聖母子と聖人たち」(17世紀)


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壁に描かれたフレスコ画


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ジェリーノ・ジェリーニ(ピストイア、1480-1529c)の「聖アガタと聖エウラリア」(1520)


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礼拝堂ではありません。


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アレッソ・ジェミニャーニ(ピストイア、1567-ローマ、1651)の「天上の聖母子と聖人たち」


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次の礼拝堂です。


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この祭壇画は有名です。


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フラ・パオリーノ(ピストイア、1486-1547)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1528)


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(つづく)

1次はサン・パオロ教区教会です。サン・ドメニコ修道院教会の直ぐ傍にあります。


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サン・パオロ教区教会です。


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940年から944年に建設されたロマネスク様式の教会が前身です。


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12世紀に教区教会となりましたが、最初の建物では手狭になったので、1136年から拡張工事が行われ、ゴシック様式に改造された建物は1143年に完成しました。現在の外観は1143年に完成した姿が原形となってます。


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ファサードは1337年から1351年にかけて建設されました。


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15世紀に一部ルネサンス様式に改造されました。その改造後の姿が現在の外観となってます。


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サン・パオロ教区教会に向かって左側に小さなオラトリオがあります。


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サン・ガエターノ祈祷所です。


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鐘楼


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鐘楼の時計


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ファサードを見ます。


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以前の窓


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現在の窓です。2017年にこのように修復されました。


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入口扉に向かって左側の壁龕


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向かって右側の壁龕


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ファサードの壁龕全てにフレスコ画がありましたが、現在残されているのはこれ一つです。


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入口扉上の彫刻


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右側壁


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右側壁のサイドポータル


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右側壁の壁龕のフレスコ画


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(つづく)

1サン・ドメニコ複合施設の教会後陣です。


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教会内部の続きです。


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墓です。


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ベアート・アンドレア・フランキ司教の墓(1401-10c)


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次の礼拝堂です。祭壇画などの詳細が分かりません。(恐らく知らないのは私だけ)


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墓の上のフレスコ画


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誰の墓なのか分かりません。


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次の礼拝堂です。


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祭壇画はジャチント・ジミニャーニ(ピストイア、1606-ローマ、1681)の「治療される聖セバスティアーノ」(1642)


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墓の上のフレスコ画


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フィリッポ・ラッザーリの墓のモニュメント


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フィリッポ・ラッザーリの墓のモニュメント彫刻はベルンルド・ロッセッリーノとアントニオ・ロッセッリーノの作品(1462)です。


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内陣のあちこちに紋章があります。


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外に出ます。


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これでサン・ドメニコ修道院教会を終わります。
(つづく)

1サン・ドメニコ修道院教会の続きです。


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教会内の祭壇画などを見て回りました。


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次の礼拝堂です。


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礼拝堂の祭壇画は、オッタヴィオ・ヴァンニーニ(フィレンツェ、1585-1644)の「聖家族と聖人たち」(1600-10c)


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次の礼拝堂です。


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ロスピリオージ家の個人礼拝堂です。


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祭壇画は、ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1555-1640)の「聖カルロ・ボッロメーオとロスピリオージ家の人々」(1613)


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詳細不知


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次の礼拝堂です。


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祭壇画は、アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689-1762)の「エジプトへの逃避」(18世紀)


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セバスティアーノ・ヴィー二(カプリーノ、1530-ピストイア、1602)の「キリストと天使たち」(1590-1600c)


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詳細不知


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同礼拝堂の天井フレスコ画


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同礼拝堂の墓


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同礼拝堂の墓


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次の礼拝堂です。


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マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578-1650)の「聖母被昇天」(1613)


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(つづく)

1サン・ドメニコ複合施設の教会です。


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教会内の祭壇画を観て回ってます。


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左第二礼拝堂


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左第二礼拝堂の祭壇画は、フラ・パオリーノ(ピストイア、1490c-1547)の「磔刑」(1540‐47c)


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アクイーノの聖トンマーゾ


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聖母


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福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)


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左第三礼拝堂


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左第三礼拝堂の祭壇画は、ジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリ通称イル・ラッファエッリーノ(ヴィテルボ、1610-1662)の「大天使聖ミケーレ」(1640)


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右第三礼拝堂です。


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祭壇画はジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554-1627)の「聖母と聖ドメニコ」(1620-30c)


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主祭壇


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逆光のため、磔刑像が良く見えません。


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Presebiterioのフレスコ画を見ます。


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詳細不知の受胎告知


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古いフレスコ画が残されてます。


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14世紀後半のフレスコ画


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フレスコ画(1390-1410c)


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1390年から1410年頃に描かれたフレスコ画


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14世紀のフレスコ画


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誰の墓?


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(つづく)

8次はサン・ドメニコ修道院教会複合施設の教会です。


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1259年創建、1273年に一応の完成をみたゴシック様式の教会です。


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1512年から大規模な改修工事が行われ、その結果ルネサンス様式に改修された箇所があり、ゴシック=ルネサンス様式の外観となりました。


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ファサードは未完成のまま現在に至ってます。


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ポータル上ルネッタにフレスコ画があったとされてますが、全て落剝して痕跡さえも認めることが出来ません。


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入口扉


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扉が閉じられているように見えますが、ここから中に入ることが出来ます。


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扉横の柱頭


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右扉横の柱頭下の紋章


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扉左横の柱頭下にある紋章


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扉の左柱


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扉の左柱横の紋章


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扉の右柱


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右柱の紋章


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左側壁外観


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鐘楼


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部ですが、バロック様式に改造された歴史があります。


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木組みの天井


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左側壁


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右側壁


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美術的に見どころが多い教会です。


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礼拝堂の祭壇画を観て回ります。


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ルドヴィーコ・ジェミニャーニ(ローマ、1643-1697)に帰属する「聖マリア・マッダレーナ」


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シエナの聖カテリーナはドメニコ会の修道女でした。


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説教壇


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カウンターファサード


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(つづく)

36引き続きサン・ドメニコ修道院教会の修道院です。


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講演が行われている修道院の大広間で展示されているフレスコ画の続きです。


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ダルマシオ・スカンナベッキ通称プセウド(偽)・ダルマシオ(ボローニャ、1315c-1374c 1342-1373活動記録)の「ウミルタの聖母と二聖人」


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聖母子の左は聖ドメニコです。
単にダルマシオと呼ばれている画家はリッポ・ディ・ダルマシオ(リッピ・ディ・ダルマシオとも呼ばれてます)のことを指しますが、リッポはダルマシオ・スカンナベッキの息子でした。父親も稀にダルマシオと呼ばれることがあるので、区別するために父ダルマシオ・スカンナベッキをプセウド・ダルマシオと称しているのです。Pseudo=「偽の」


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聖母子の右はアレッサンドリアの聖カテリーナです。


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14世紀のピストイアの逸名画家による「大天使聖ミケーレ」(14世紀後半)


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14世紀のピストイアの逸名画家による「聖人たち」(14世紀後半)


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14世紀のトスカーナの逸名画家によるフレスコ画


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タッデオ・ガッディ(フィレンツェ、1300c-1366)と工房による「聖母の神殿奉献」


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ジョヴァンニ・ディ・バルトロメオ・クリスティアーニ(ピストイア、1340c-1398c)の「天国」(14世紀後半)


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ジョヴァンニ・ディ・バルトロメオ・クリスティアーニ(ピストイア、1340c-1398c)の「ドメニコ会士の聖人たち」(14世紀後半)


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シエナ派の影響を受けた逸名画家による「聖母子と聖人たち」(1350c)


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ボローニャの逸名画家による「ダンテと著名人たち」


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(つづく)

1引き続きサン・ドメニコ修道院教会の修道院です。


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修道院の図書館です。


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この部屋だけではなく蔵書室があります。


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本自体には興味がありません。


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図書館内に礼拝堂?があります。


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これが礼拝堂です。


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礼拝堂に模したフレスコ画(1790c)
制作者情報不知です。


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次は聖具室です。聖具室で講演などが行われているようです。


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聖具室にフレスコ画、祭壇画がありますが、それらは元々別の場所にあったようです。


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ベルナルド・ディ・ステファノ・ロッセッリ(フィレンツェ、1450-1526)の「マギの礼拝」(1477)


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ベルナルドは、コジモ・ロッセッリ(フィレンツェ、1439-1507)の11歳年下の従兄弟でしたが、コジモに倣ってネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418/20-1492)に師事しました。


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フラ・パオリーノ(ピストイア、1488-1547)の「マギの礼拝」(1526)


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フラ・パオリーノ(ピストイア、1488-1547)の「聖母子と聖人たち」


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聖具室天井


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剥離フレスコ画断片


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ピストイアの逸名画家作「三聖人」(15世紀末)


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聖ジローラモ、聖セバスティアーノ、司教聖人


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タッデオ・ガッディ派逸名画家作のフレスコ画(1373)


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詳細不知


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アンドレア・デル・ヴェロッキオ(フィレンツェ、1435-1488)に帰属する「アレッサンドリアの聖カテリーナと聖ジローラモ」


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次は講演などが行われる部屋です。


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剝離フレスコ画が置かれてます。


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ボローニャ派逸名画家作「聖母子と二聖人」(1360-70c)


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中央の聖母子


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聖ドメニコ


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(つづく)

1次はサン・ドメニコ修道院教会の複合施設です。サンタントニオ・アバーテ教会、通称タウ教会の直ぐ傍にあります。


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サン・ドメニコ修道院教会です。


3
こちらはサン・ドメニコ教会です。


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サン・ドメニコ修道院の建物です。教会修道院の建物は一体化して建てられています。


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1219年、フィレンツェのドメニコ会拠点サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会に到着した修道士ジョヴァンニ・ディ・サレルノ(サレルノ、1190-フィレンツェ、1242)は、やがてピストイアに修道院教会の建設を考えるようになり、その具体化に向けて尽力しました。その構想はジョヴァンニ・ディ・サレルノの存命中には実現しませんでしたが、1259年、ローマのドメニコ会がピストイアにドメニコ会修道院教会の建設を認可しました。


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それを受けて、直ちに建設工事が着工され、1273年に教会が完成しました。1299年、修道院が完成しました。
修道院教会の複合施設は1512年に大改修工事が行われ、現在の外観はその大改修工事の姿が原形となってます。
教会の内部は17世紀にバロック様式に改造されたそうです。
フレスコ画、祭壇画、彫刻の傑作が多くあって、美術ファンには見逃せない複合施設となってます。


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先ず修道院から見ていきます。


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キオストロに出ました。


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キオストロを囲む二階建ての回廊が設けられてます。


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キオストロ回廊は別名フラ・パオリーノの回廊と呼ばれてます。
画僧フラ・パオリーノ(ピストイア、1488-1547)は、1503年、この修道院教会の修道士になりましたが、1509年にフィレンツェのサン・マルコ修道院教会に移り、サン・マルコ修道院にあったフラ・バルトロメオ工房に入り、画僧として仕事をするようになりました。1517年にフラ・バルトロメオが死去するとサン・マルコにあった工房を引き継ぎましたが、1526年、フラ・パオリーノはピストイアに戻り、サン・ドメニコ修道院回廊の一角に工房を構えるようになりました。
フラ・パオリーノ工房の名称はそれに因んで付けられました。


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鐘楼が見えます。


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回廊の壁にある紋章


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回廊の壁にフレスコ画が描かれてます。


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キオストロ回廊の壁に描かれたフレスコ画はセバスティアーノ・ヴィー二(プレシーナ、1515c-ピストイア、1602)によって16世紀後半に制作されました。


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フレスコ画のテーマは「聖ドメニコの物語」となってます。


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落剝して下絵が見えてます。


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回廊から修道院の建物に入ります。


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修道院長の部屋です。


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剥離された「磔刑」のフレスコ画があります。


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チマブーエ(フィレンツェ、1240c-ピサ、1302)の追随者、またはチマブーエ派の逸名画家による「磔刑」


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(つづく)

1引き続きサンタントニオ・アバーテ教会、通称タウ教会です。


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タウ教会の壁に描かれたフレスコ画の続きです。


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これらのフレスコ画は1362年から制作が開始され、15世紀中頃に完成しました。


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フレスコ画の制作は、オルカーニャ(フィレンツェ、1308-1368)の追随者、ニッコロ・ディ・トンマーゾ(フィレンツェ、1339-1376活動記録)、アントニオ・ヴィーテ(ピストイア、?-フィレンツェ、14-15世紀活動)によって行われました。


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フレスコ画のテーマは旧約聖書からの逸話、キリストの物語、聖アントニオ・アバーテの生涯となってます。


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場面毎の作品帰属については不明とされてます。


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タウ教会のフレスコ画を見逃す人が多いと聞いてます。そのわけは恐らくその存在自体を知らないからだと思ってます。


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(つづく)

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