イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2024年09月

1引き続きドゥオーモです。


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サン・ロッコ礼拝堂です。


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サン・ロッコ礼拝堂の祭壇画


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マッティア・プレティ(タヴェルナ、1613-マルタ、ヴァレッタ、1699)の「聖母戴冠と聖バロントと聖デジデリオ」(1664)


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サン・ロッコ礼拝堂の右側壁です。


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ジュゼッペ・ベッツゥオーリ(フィレンツェ、1784-1855)の「十字架降下」(1848)


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サン・ロッコ礼拝堂の左側壁


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ルイージ・サバテッリ(フィレンツェ、1772-1850)の「律法の台を受け取るモーゼ」(1845)


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サン・ロッコ礼拝堂の天井フレスコ画


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ベネデット・ヴェーリ(フィレンツェ、1564-1639)の「キリストの昇天」(1600-10c)


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Presebiterio


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主祭壇画です。


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クリストファノ・アッローリ(フィレンツェ、1577-1621)の「キリストの復活」(1601-02)


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後陣のフレスコ画


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ドメニコ・クレスティ(クレスピ)通称イル・パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559-フィレンツェ、1638)によって1602年に制作されたフレスコ画


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パッシニャーノのフレスコ画


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パッシニャーノのフレスコ画


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パッシニャーノのフレスコ画


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パッシニャーノのフレスコ画


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古いフレスコ画が残されてます。


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サレルノ・ディ・コッポ(フィレンツェ、1225-1276)の「聖母子」


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ジョヴァン・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ,1554-1627)の「聖母被昇天」(1590-1600)


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(つづく)

1ドゥオーモの続きです。


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クリプタに向かいます。


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クリプタに入りました。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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12世紀に建設されました。


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ピストイア司教の墓が幾つかあります。


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浮彫が置かれてます。


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グリエルモ(?-1162)様式の逸名彫刻家作「最後の晩餐とキリストの逮捕」(12世紀)
12世紀に制作された説教壇にあった浮彫です。その説教壇は1202年の火災によって大きな被害を受けたので、新しい説教壇が制作され置き換えられました。


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グリエルモ様式の逸名彫刻家作「ご訪問」(12世紀)
「最後の晩餐とキリストの逮捕」と同じ説教壇にあった浮彫です。


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グイド・ダ・シエナ(シエナ、1230-1290c)によって制作されました。
以前のPresebiterioにありました。


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グイド・ダ・シエナの作品


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グイド・ダ・シエナの作品


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12世紀の「磔刑」


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クリプタのフレスコ画


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1960年から1964年に行われた修復の際、クリプタから発見されたフレスコ画です。クリプタの壁にあったもので、それを剥離してクリプタ中央礼拝堂の天井に組み入れました。


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クリプタはこれで終わりです。


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本堂に戻りました。


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墓です。


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レオーネ・ストロッツィ(フィレンツェ、1637-ローマ、1703)の記念碑(墓)(1705)
ストロッツィ大司教はローマで死去しましたが、ピストイア司教を務めていたピストイアのドゥオーモに埋葬されました。


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(つづく)

1
引き続きドゥオーモです。


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聖堂内部の美術品を見て回りました。


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墓です。


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シエナの逸名彫刻家による「チーノ・ダ・ピストイア(ピストイア、1265c o 1270c-1336)の記念碑」(1337c)


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説教壇(1600)


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後陣の礼拝堂


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クリストファノ・アッローリ(フィレンツェ、1577-1621)の祭壇画


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受胎告知? 聖霊降臨?


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ブラッチョリーニ礼拝堂です。


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Maestro di Cappella Braccioliniの「磔刑と聖人たち」(1400-10c)


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聖ヤコポ


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聖母


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聖マリア・マッダレーナ


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聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


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聖ジローラモ


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聖ジローラモのアトリビュート


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ジョヴァンニ・ディ・バルトロメオ・クリスティアーニ(ピストイア、1340c-1398c)の「聖トンマーゾの不信」(1388)


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聖ロレンツォ


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聖バルトロメオ
 

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(つづく)31


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(つづく)

1拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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1598年から1614年にかけて一部バロック様式に改造されました。


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天井


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身廊天井


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左側廊


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左側廊天井


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右側廊


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写真右下に階段があり、それを下るとクリプタに出ます。


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見所豊富です。


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聖水盤を見ます。


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聖水盤(1250c)


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告解室(1656c)


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告解室の紋章


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告解室(1656c)


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告解室の紋章


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左側廊の礼拝堂などを見ます。


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Arca di Sant’Atto(1337)
ジョヴァンニ・ディ・アゴスティーノ・ダ・シエナ(シエナ、?-1310cから活動記録‐1348没)と工房によって1337年に制作されましたが、劣化したので1606年に彫刻家レオナルド・マルカッチ(16世紀末‐17世紀前半活動)によって修復されました。


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ジョヴァンニ・ディ・アゴスティーノ・ダ・シエナの彫刻


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ジョヴァンニ・ディ・アゴスティーノ・ダ・シエナの彫刻


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ジョヴァンニ・ディ・アゴスティーノ・ダ・シエナの彫刻
以上の部分以外はレオナルド・マルカッチの作品です。


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レオナルド・マルカッチの彫刻
凡庸な作品です。


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レオナルド・マルカッチの彫刻


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レオナルド・マルカッチの彫刻
(つづく)

10洗礼堂の続きです。


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修復は外壁だけと思っていたら内部も修復工事が行われていました。


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次は鐘楼です。


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ファサードに向かって左横に鐘楼が建ってます。


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鐘楼は12世紀に建設されました。1274年から1275年にかけて行われた大改修工事の際、鐘楼も工事が行われ、ジョヴァンニ・ピサーノ(ピサ、1248c-1325c)も鐘楼の修復に関与したそうです。また、1298年の地震によって鐘楼も被害を受け、その修復にもジョヴァンニ・ピサーノが参画したと言われてます。


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高さが67mあります。


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三層構造の部分


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鐘楼が目立ちます。


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鐘楼は誰でも上ることが出来ます。有料です。


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中に入って拝観します。


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(つづく)

1引き続きドゥオーモです。


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柱廊のフレスコ画を見ます。


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私には制作者等を含めてフレスコ画の詳細が分かりません。


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ファサード左上はアンドレア・ヴァッカ(17-18世紀活動)の「聖ゼーノ像」(1721)


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ファサード右上はアンドレア・ヴァッカ(17‐18世紀活動〕の「聖ヤコポ像」(1721)


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次は洗礼堂です。


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この時、洗礼堂は修復工事中でした。これではどうにもなりませんが、別の時に撮った写真があるので、それを使います。


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ドゥオーモの洗礼堂はサン・ジョヴァンニ・イン・コンテと呼ばれてます。その理由は、この場所にサン・ジョヴァンニ・イン・コンテ教会があったからです。


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1301年または1303年に創建され(1301年説の方が有力)、1359-1366年に完成(1361年説が有力)したゴシック様式の洗礼堂です。


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高さが約40mとなってます。


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シエナ、プラート、カッラーラから産出した白と緑の大理石が使われてます。


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説教壇


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柱頭


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バラ窓


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ポータル


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中に入ります。


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洗礼堂の内部です。


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主祭壇(1622以前)


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アンドレア・ヴァッカ(17-18世紀活動)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1724)


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洗礼盤が有名です。


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13世紀の彫刻家ランフランコ・ダ・コモによって制作された洗礼盤(1226)
洗礼堂の創建よりも75年前に制作された訳は、この洗礼盤がサン・ジョヴァンニ・イン・コンテ教会のために制作され、同教会にあったからです。


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洗礼堂の天井
(つづく)

1ドゥオーモ広場にやってきました。


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広場は青空市の真っ最中でした。


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次はドゥオーモですが、ファサードの写真は青空市が終わってから撮ることにしました。


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ピストイアのドゥオーモ、サン・ゼーノ大聖堂です。ピストイア司教区の司教座教会です。Basilica Minoreに格付けされてます。正式名称はBasilica Minore e Cattedrale di San Zenoとなってます。


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確実な記録が残されていませんが、5世紀頃にはピストイアは独立した司教区となっており、San Martino di Tours (316-397)に捧げられたサン・マルティーノ司教座教会が存在したとされてます。その司教座教会が現在のドゥオーモが建っている場所か、サンタンドレア教区教会が建って理宇場所のどちらかとされてます。


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サンタンドレア教区教会です。ご参考までに写真を載せておきました。


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さて、サン・マルティーノ司教座教会ですが、ランゴバルド王国支配下の7世紀頃に奉献する聖人が聖マルティーノから聖ゼーノ(300-371)に変更され、以後、サン・ゼーノ司教座教会と呼ばれるようになりました。


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現在の建物は923年の文書に記載されているそうで、これが最古の記録とされてます。また、神聖ローマ帝国皇帝オットー三世(980-1002)の文書にピストイア司教座教会の存在の記録が残されています。


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923年と998年の記録が残されている建物は、1108年の火災によって消失してしまい、12世紀前半に再建され1145年に奉献された建物が現在のドゥオーモの原形とされてます。
1202年に火災によって大きな被害を受けて,1274年から1275年にかけて大修復工事が行われました。また、1298年の地震によって大被害を受けたので、その後改造修復工事が行われました。


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1379年から1449年にかけて工事が行われ、ファサードに柱廊玄関が追加されました。


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ファサード下の柱廊


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柱廊の彩釉テラコッタ装飾が有名です。


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435-1525)と工房によって1504年から1505年に制作されました。


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435-1525)の「聖母子と天使たち」(1504-05)


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柱廊の柱頭


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左側の入り口


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柱廊壁の碑文


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(つづく)

1サン・レオーネ広場です。写真左端に写っているのがサン・レオーネ教会です。


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写真右に写っているのがサン・レオーネ教会です。少し大袈裟ですが、内部のフレスコ画によって「ピストイアのシスティーナ礼拝堂」と呼ばれてます。


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14世紀に建設されたサント・スピリト礼拝堂が前身です。1499年にピストイアに設立されたCompagnia della Misericordia(慈悲の教団)が一時期その本拠地としてサント・スピリト礼拝堂を使用していました。
15世紀から16世紀に礼拝堂の建物は拡張され、サン・レオーネ教会と命名されました。


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1622年から1624年にファサード前に柱廊玄関が設けられました。
18世紀になるとピストイアの建築家Raffaello Uliviが起用され、後期バロック様式の建物に改造され、現在の姿になりました。


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ファサードの紋章


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19世紀にその活動が停止され、旧教会となってます。普段は一般公開されていないようですが、美術ファンの要望があれば中に入ることが出来るようになってます。また時々特別展が行われてます。


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サン・レオーネ教会の僧房だった建物です。


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僧房の建物にある紋章


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サン・レオーネ教会の内部です。


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中のフレスコ画は2017年に大修復されて、色鮮やかに蘇りました。


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壁一面がフレスコ画で覆われてます。そのため、「ピストイアのシスティーナ礼拝堂」と呼ばれてますが、作品が描かれた時代が違うし、フレスコ画の巧拙があるので、そう呼ぶのは如何なものかと思います。


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これらのフレスコ画の大部分はヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694-1766)によって制作されました。


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後陣天井のフレスコ画は、ロレンツォ・デル・モーロ(フィレンツェ、1677-1735)とマウロ・アントニオ・テージ(ゾッカ、1730-ボローニャ、1766)によって制作されました。ロレンツォが未完のまま亡くなったので、後にマウロ・アントニオによって完成されたそうです。


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ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694-1766)の「聖母被昇天」


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一見に値する祭壇画が二点あります。


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ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582-ローマ、1647)の「キリストの復活」(1622)


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ジョヴァンニ・ステファノ・マルチェッリ(フィレンツェ、1586-1646)の「キリストの昇天」


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天井のフレスコ画


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ルカ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1400-1482)の「ご訪問」


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一見の価値がある旧サン・レオーネ教会です。


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(つづく)

32ミゼリコルディア教会です。


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1499年、ピストイアにCompagnia della Misericordia(慈悲の教団)が設立されましたが、城壁内にあったサント・スピリト礼拝堂を本拠地にして、教団の活動を開始しました。
1676年から1714年まではトスカーナ大公と司教によって教団に管理を委任されたサン・マッテオ教会を本拠地にして、慈善活動などを行っていました。


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旧サン・マッテオ教会の写真(1898年撮影)


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サン・マッテオ教会の建物は荒廃して危険となったので、18世紀前半に自前の教会建設が決定されましたが、その完成まで一時的にサン・ロレンツォ礼拝堂に活動拠点を移しました。サン・ロレンツォ礼拝堂は既に取り壊され現存しません。
そうしてミゼリコルディア教会が18世紀中頃に完成しました。


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ファサード壁龕に置かれた彫刻


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中に入りました。


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左側壁


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右側壁


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後陣後方に聖職者席を兼ねた広い会堂があります。


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会堂です。


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詳細不知の「聖母子」


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制作者不知の「聖家族」(18世紀)


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会堂の壁に描かれたフレスコ画


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詳細不知のフレスコ画


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詳細不知の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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旧サン・ロレンツォ礼拝堂のフレスコ画


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詳細不知の「聖ミケーレ」


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(つづく)

1サン・パオロ教区教会の続きです。


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主祭壇


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告解室


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次の礼拝堂です。


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中央に聖母子を挿入した祭壇画です。


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「聖母子」は逸名画家によって制作されたアレッシオ・ジェミニャーニ(ピストイア、1567-ローマ、1651)作「聖母子」の複製画です。
「聖母子」の周囲に描かれた「聖人たち」は、Pietro Volponi detto Lo Scalabrinoによって制作されたそうです。Pietro Volponi detto Lo Scalabrinoという画家については全く知りません。


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アレッシオ・ジェミニャーニ(ピストイア、1567-ローマ、1651)の「司教聖人」


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アレッシオ・ジェミニャーニ(ピストイア、1567-ローマ、1651)の「聖カルロ・ボッロメーオ」


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「聖母子」のイコン


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詳細不知


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カウンターファサード


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外に出ました。


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Via dei Can Bianco


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直ぐに教会が見えてきました。


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ミゼリコルディア教会です。


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美術的に見どころが多いと思います。


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ミゼリコルディア教会については(その16)で詳しく触れます。


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ミゼリコルディア教会から外に出ました。


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Via dei Can Biancoをドゥオーモ方向に進みました。


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青空市の開市日でした。


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サン・レオーネ広場です。


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広場の名称の由来は、広場に面してサン・レオーネ教会が建っているからです。


31
サン・レオーネ広場の塔です。

30
(つづく)

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