

サン・マッテオ通りを通ってドゥオーモ広場に向かいました。

写真中央の建物はピストイアの地方銀行(日本の信用金庫に相当?)です。

1898年から1905年に建設されたネオ・ルネサンス様式の建物です。

この建物は元々商品取引所でした。

ドゥオーモ広場に戻りました。

広場に面して市庁舎が建ってます。市立博物館は市庁舎の建物の一角に設けられてます。

市庁舎 Palazo Comunaleです。

市庁舎はアンツィアーニ宮、またはジャーノ宮とも呼ばれてます。

1294年にピストイアのポデスタに就任したジャーノ・デッラ・バック(フィレンツェ、13世紀後半生まれ‐フランス、1306)は、評議会 Consiglio degli Anianiと裁判所を兼ねた建物建設を決め、1294年に創建され、14世紀前半に完成した建物が現在の市庁舎の前身です。
アンツィアーニ宮と呼ばれるのは評議会に由来します。また、別名のジャーノ宮は建設を決めたポデスタのジャーノ・デッラ・バックの名前に由来します。

1339年に拡張工事が行われましたが、その後幾度となく拡張、改造、修復が繰り返されました。
1399年に市庁舎内に刑務所が設けられました。17世紀末から18世紀初頭にかけて大改造が行われた後、19世紀前半にはロレーヌ家の要望によってさらに改造が加えられました。
19世紀末に建物の劣化が深刻になったので、大補強工事が行われることになりましたが、その際、元の構造に復元されることになりました。現在の外観は、その補強復元工事後の姿となってます。

外観を見ます。

ファサードのメディチ家の紋章


市庁舎とドゥオーモを結ぶ通路


「聖母子」のタベルナコロ

「聖母子」の制作者などの詳細が分かりません。

ファサード下の柱廊

建物の入口扉

入口扉上の装飾

中に入ると中庭(第一)に出ます。

奇妙なブロンズ像が置かれてます。

この街が産んだマリーノ・マリーニのブロンズ像です。

マリーノ・マリーニ(ピストイア、1901-ヴィアレッジョ、1980)の「ミラコロ」

第二中庭です。


第二中庭の見どころは皆無です。

第一中庭に戻ります。

(つづく)