イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2024年11月

1そろそろ市立博物館の開館時間です。


2
サン・マッテオ通りを通ってドゥオーモ広場に向かいました。


3
写真中央の建物はピストイアの地方銀行(日本の信用金庫に相当?)です。


4
1898年から1905年に建設されたネオ・ルネサンス様式の建物です。


5
この建物は元々商品取引所でした。


6
ドゥオーモ広場に戻りました。


7
広場に面して市庁舎が建ってます。市立博物館は市庁舎の建物の一角に設けられてます。


8
市庁舎 Palazo Comunaleです。


9
市庁舎はアンツィアーニ宮、またはジャーノ宮とも呼ばれてます。


10
1294年にピストイアのポデスタに就任したジャーノ・デッラ・バック(フィレンツェ、13世紀後半生まれ‐フランス、1306)は、評議会 Consiglio degli Anianiと裁判所を兼ねた建物建設を決め、1294年に創建され、14世紀前半に完成した建物が現在の市庁舎の前身です。
アンツィアーニ宮と呼ばれるのは評議会に由来します。また、別名のジャーノ宮は建設を決めたポデスタのジャーノ・デッラ・バックの名前に由来します。


11
1339年に拡張工事が行われましたが、その後幾度となく拡張、改造、修復が繰り返されました。
1399年に市庁舎内に刑務所が設けられました。17世紀末から18世紀初頭にかけて大改造が行われた後、19世紀前半にはロレーヌ家の要望によってさらに改造が加えられました。
19世紀末に建物の劣化が深刻になったので、大補強工事が行われることになりましたが、その際、元の構造に復元されることになりました。現在の外観は、その補強復元工事後の姿となってます。


12
外観を見ます。


13
ファサードのメディチ家の紋章


14


16
市庁舎とドゥオーモを結ぶ通路


17


20
「聖母子」のタベルナコロ


21
「聖母子」の制作者などの詳細が分かりません。


15
ファサード下の柱廊


18
建物の入口扉


19
入口扉上の装飾


22
中に入ると中庭(第一)に出ます。


23
奇妙なブロンズ像が置かれてます。


24
この街が産んだマリーノ・マリーニのブロンズ像です。


25
マリーノ・マリーニ(ピストイア、1901-ヴィアレッジョ、1980)の「ミラコロ」


27
第二中庭です。


28


26
第二中庭の見どころは皆無です。


29
第一中庭に戻ります。


30
(つづく)

1サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会、通称サン・ジョヴァンニ・フオルチヴィタス教会です。


2
白と緑の大理石の外壁です。


3
フオルチヴィタス教会の内部です。


4
翼廊がない単廊式、ロマネスク様式の内部です。


5
美術的に必見の作品が幾つかあることで知られてます。


6
私が必見と思う作品の写真を並べます。


7


8


9


10


11


12


13
主祭壇


14
洗礼盤


15
タッデオ・ガッディ(フィレンツェ、1300c-1366)の「フオルチヴィタス教会のポリッティコ」(1350-53)


16


17


18


19


20
グリエルモ・ダ・ピサ(ピサ、1238c-1313c)の「説教壇」(1270)


21
説教壇の台座


22
ジョヴァンニ・ディ・バルトロメオ・クリスティアーニ(ピストイア、1340c-1398c)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタの物語」(1370c)


23


24
ルカ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1400-1482)の「ご訪問」(1445c)


25


26
ジョヴァンニ・ピサーノ(ピサ、1250c-1315c)の追随者による「聖水盤」


27


28


29


30
(つづく)

1見どころが非常の多いサン・フランチェスコ教会でした。


2
ドゥオーモ方向に戻ります。


3
次はフオルチヴィタス教会です。


4
フオルチヴィタス教会も見所が豊富です。


5
この辺は、ピストイアの最初の城壁の外側に当たります。


6
写真左に写っているホテルは廃業した?


7
サン・ジョヴァンニ・フオルチヴィタス教会です。


8
教会の正式名称はサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会と言い、福音書記者聖ヨハネ(ジョヴァンニ)に献じる教会です。通称はサン・ジョヴァンニ・フオルチヴィタス教会です。
Fuorcivitasとは、fuori(外に)とcivita(市壁)を組み合わせた造語で、この教会がピストイアの最初の城壁の外側にあったからです。


9
1119年の文書にこの教会に関する記述があり、「ロンゴバルド時代(注:569-774年)に建設されたサン・ジョヴァンニ教会が殆ど廃墟同然の状態で、市壁の外に建っている」と記録されてます。
恐らく7世紀頃に建設されたという説が有力とされてます。


10
現在の建物は、1119年の文書記載から間もない頃に、最初の建物が取り壊され、その上に着工され、1300年頃に完成した、二代目の建物とされてます。


11
北側に当たるファサードは1323年に完成しました。東側の後陣は1344年に完成しました。


12
ファサードは道幅が狭い通りに面しているので、よく見えません。


14


15


13
後陣も道幅が狭い通りに面しているので、よく見えません。


16
後陣に鐘楼が付いてます。


17
鐘楼


18
後陣の下側


19
外壁を見ます。


21
シエナ、プラート、カッラーラ産の白と緑の大理石が使用されてます。


22
サイドポータル


23
サイドポータル上のルネッタ


20
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


24


25


26


27


28


29
柱頭


30


31
(つづく)

1引き続きサン・フランチェスコ教会の内部です。


2
修道院Capitoloの天井フレスコ画の続きです。


3
アントニオ・ヴィーテ(ピストイア、1379-1407消息)と協力者による「栄光の聖フランチェスコ」(1390-1400c)


4


5


6


7


8


9


10


11
アントニオ・ヴィーテ(ピストイア、1379-1407消息)と協力者による「Presepe di Greccio」(1390-1400c)
グレッチョは、ラツィオ州リエーティ県にある、人口約1500人のコムーネで、フランチェスコ会修道院があることで知られてます。また、プレセーペ発祥の地としても有名です。


12


13


14


15


16


17


18


19
アントニオ・ヴィーテ(ピストイア、1379-1407消息)と協力者による「聖アントニオの奇跡」(1390-1400c)


20


21


22


23


24


25


26


27
アントニオ・ヴィーテ(ピストイア、1379-1407消息)と協力者による「キリストの復活」(1390-1400c)


28


29


30


31


32
(つづく)

1引き続きサン・フランチェスコ教会です。


2
キオストロ回廊です。


3
回廊壁のルネッタのフレスコ画です。


4
総じて保存状態が非常に悪いのが特徴です。修復されているフレスコ画は数点にしか過ぎません。


5


6


7
辛うじてフレスコ画断片が残ってます。


8
ジョヴァンニ・ディ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「パドヴァの聖アントニオの生涯」


9
アレッシオ・ジェミニャーニ(ローマ、1567-1651)の「フランチェスコ会に認可を与える教皇インノチェンツォ2世」


10
スルタンの前の聖フランチェスコ


11


12


13


14


15
修道院の出入り口


17
キオストロから見た修道院入り口


16
フレスコ画で覆われているCapitoloです。


19
アントニオ・ヴィーテ(ピストイア、1379-1407消息)と協力者によって1390年から1400年頃に制作されたフレスコ画です。


20
キリストの変容


21


22


24


23
磔刑


27


28


29


31


25


30
(つづく)

1引き続きサン・フランチェスコ教会の内部です。


2
Maestro del 1310の「磔刑」(1310c)


3


7


4
ナンニ・ディ・ヤコポ(1390c-1430c活動)に帰属する「ピエタのキリスト」(1390c)


8
ナンニ・ディ・ヤコポ(1390c-1430c活動)に帰属するフレスコ画


5
ナンニ・ディ・ヤコポ(1390c-1430c活動)に帰属する「玉座の聖母子とフランチェスコ会聖人とドメニコ会聖人」(1390c)


6


9
サーノ・ディ・ジョルジョ(ピストイア、14-15世紀)とピストイアの画家による「マギの礼拝」


10


11


12


13
ピストイアの逸名画家による「磔刑」(1390c)


14
ピストイアの逸名画家による「玉座の聖母子」(1390c)


15
ピストイアの逸名画家による「聖人たちと聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1390c)


16
次は修道院です。


17
キオストロ


18
キオストロ回廊


19
回廊の壁にフレスコ画があります。


20


21


22
回廊の壁に墓が並んでます。


23


24


25
紋章も並んでます。


27


26


28


29


30
(つづく)

1引き続きサン・フランチェスコ教会の内部です。


2
聖具室のフレスコ画です。


3


4
ジョヴァンニ・クリスティアーニ(ピストイア、1340c-1398c)と工房によって1390年頃に描かれたフレスコ画です。


5


6
「磔刑」


7
「ご誕生」


8
「嘆き」


9
アントニオ・ヴィーテ(ピストイア、1379-1407活動記録)と協力者による「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1390c)


10


11


12


13
内陣に戻ります。


14
カウンターファサードのステンドグラス


20
エリザベッタ・シラーニ(ボローニャ、1638-1665)の「玉座の聖母子と聖フランチェスコとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1650)


15


19
聖母子とその周囲の聖人たちと天使たちの制作者が異なります。


16
「グラツィエの聖母と聖人たちと天使たち」
逸名画家によって1390年頃に制作された「グラツィエの聖母」
フランチェスコ・モランディーニ通称イル・ポッピ(ポッピ、1544-1597)に帰属する「聖人たちと天使たち」


17
「グラツィエの聖母」


18


21
フランチェスコ・モランディーニ通称イル・ポッピ(ポッピ、1544-1597)の「キリストの神殿奉献」(1584)


22


23


24
ジョヴァンニ・クリスティアーニ(ピストイア、1340c-1398c)の「聖母子」(1390c)


25


26


27
天井


28


29
シルヴェストロ・スキエッティー二の「ご誕生」(1609)
この画家は全く知りません。


30
(つづく)

1引き続きサン・フランチェスコ教会の内部です。


2
次は後陣右の第二礼拝堂のガッテスキ礼拝堂です。


3
ガッテスキ礼拝堂の壁もフレスコ画で覆われてます。


4
ガッテスキ礼拝堂のフレスコ画は、ボナッコルソ・ディ・チーノ(フィレンツェで14世紀前半活動)によって、1340年から1350年頃に描かれました。


5
フレスコ画のテーマは「聖ドンニーノと聖ロレンツォの物語」です。


6


7


8


9


10
一旦本堂から出て聖具室に行きます。


11
聖具室です。聖具室の壁もフレスコ画で覆われてます。


12
先ずは聖具室天井のフレスコ画です。


13
聖具室天井のフレスコ画は、サーノ・ディ・ジョルジョ(ピストイアで14世紀後半から15世紀初頭に活動)とピストイアの協力者によって制作されたとされてます。


14


15


16


17


18


19


20


21


22


23


24


25


26


31


27


28
(つづく)




1引き続きサン・フランチェスコ教会の内部です。


2
中央礼拝堂の左右の礼拝堂に移ります。


12
初めに後陣右の礼拝堂です。


4
後陣右礼拝堂のフレスコ画


5
後陣右礼拝堂のフレスコ画はジョヴァンニ・クリスティアーニ(ピストイア、1340c-1398c)の帰属作品(1360-80c)と言われてます。


6
フレスコ画のテーマは、パドヴァの聖アントニオとトロサの聖ルドヴィーコです。


7
落剝が多く保存状態が悪い。


8


9


10


11


15
次は後陣左の礼拝堂です。


14
「聖フランチェスコとその物語」は20世紀に制作されたコピー画のようです。


13
後陣左の礼拝堂のフレスコ画はMaestro della Cappella Bracciolini(シエナまたはピストイア出身の14世紀後半から15世紀前半に活動した画家)によって15世紀第一四半世紀に制作されたそうです。
なお、後陣左の礼拝堂はCappella Braccioliniと呼ばれてます。
フレスコ画のテーマは「聖母の物語」、「聖人の物語」となってます。


16
「聖母の死」


17
「聖ルイージの死」


18


19


20


21


22
「聖アゴスティーノの勝利」


23


24


27


25
「聖母の結婚」


26


28
「聖ヤコポ」


29
「聖アヴェラルド」


30
「聖オノフリオ」


31
「シトー会聖人修道士」


32
「フランチェスコ会聖人修道士」
(つづく)

1引き続きサン・フランチェスコ教会です。


2
内部の祭壇画やフレスコ画を見て回ります。


3
次の礼拝堂です。


4
礼拝堂の祭壇画は、アウレリオ・ローミ(ピサ、1556-1624)の「エジプトへの逃避途中の休息」(1615c)です。


5


6


7
次は中央礼拝堂です。


8
礼拝堂の壁はフレスコ画で装飾されてます。


9
Giovanni Zetiの「磔刑像」(1617)


10


11
フレスコ画は、ボローニャ派の逸名画家、多分リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)によって描かれたとされてます。


12
フレスコ画のテーマは「聖フランチェスコの物語」となってます。


13
先ほど、フレスコ画の制作者を多分リッポ・ディ・ダルマシオとされていると書きましたが、教会の記録からフレスコ画が制作されたのは1343年以前と推察されているのです。リッポ・ディ・ダルマシオは、ボローニャで1355年頃に生まれたとされているので、このフレスコ画の制作者としては矛盾が生じてしまいます。この辺のところは、古い作品についてはよくある事なので、深く考えない方が良いと思います。


14


15


16


17


18


19


20


22


23


24


25


26


27


28


29


31


30
(つづく)

↑このページのトップヘ