イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2025年02月

4アルノ川の下流方向です。


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塔が見えます。


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チッタデッラ、グエルファ塔です。


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グエルファ塔が建っている場所は13世紀になるまで城壁外でした。
1261年、経済の拡大と人口増に伴って市域の拡張が図られ、新しい城壁が築かれました。1261年、アルノ川岸辺は軍事的に重要な場所であり、塔が築かれることになり、そうして建設されたのがTorre Ghibellinaでした。
1320年、Torre Ghibellina横にアルノ川に架かるデガシア橋が架けられました。


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1406年、ピサはフィレンツェの支配下に入りました。1440年、フィレンツェは、塔を要塞化することを決定し、建設されたのが現在の塔の外観原形となりました。何時から塔の名称が変わったのか明確ではありませんが、グエルファ塔と呼ばれるようになりました。


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塔に繋がってデガシア橋が架かっていました。


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ジャック・ギオー(フランス、シャンベリー、1810-パリ、1874)の「橋」(1858)
風景画を得意にしたジャック・ギオーの作品で、デガシア橋とグエルファ塔が描かれてます。


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1890年のアルノ川洪水によってデガシア橋が崩落流失してしまいました。それを伝える1890年に制作された木版画です。


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Torre Ghibellinaの遺跡


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Ponte Degathiaの残骸


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グエルファ塔横の城壁


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グエルファ塔は一般公開されており、上ることが出来ます。塔からの景観


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次はサン・ベネデット教会です。


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アルノ川沿いのサン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会近くにサン・ベネデット教会が建ってます。


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サン・ベネデット教会です。


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14世紀末に創建された、小さなゴシック様式の建物でした。現在の建物は17世紀に再建された二代目となるものです。


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この教会は長らくサン・ステファノ騎士団によって所有されていました。そのためポータル上にサン・ステファノ騎士団の紋章があります。


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サン・ステファノ騎士団の紋章


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サン・ベネデット教会に隣接して建っている建物です。


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サン・ベネデット女子修道院だった建物です。


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女子修道院は18世紀末に閉鎖されたそうです。


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(つづく)

1引き続きサン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会です。


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教会の内部です。


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ローマ時代の石棺(4世紀)


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彩色磔刑像です。


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Maestro della Croce di Calciの「彩色磔刑像」(13世紀前半)


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数々の墓があります。


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碑文


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フレスコ断片(13世紀)


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オルガン


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カウンターファサード


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トゥリーノ・ヴァンニ(リゴーリ、1348c-ピサ、1438c)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1397)


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彫刻断片


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ドメニコ・ディ・ニッコロ(シエナ、1362-1453c)の「受胎告知」


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教会横の道路


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教会脇を流れるアルノ川


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(つづく)

1引き続きサン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会です。


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左側壁


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左翼廊


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右翼廊


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写真左はサンタガタ礼拝堂です。


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12世紀前半に建設されたサンタガタ礼拝堂です。


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写真手前は修道院回廊の残骸です。サンタガタ礼拝堂は修道院回廊にありましたが、第二次世界大戦の爆撃によって大きな被害を受け、長らく放置されていましたが、破壊されて回廊は残されていません。サンタガタ礼拝堂は爆撃による被害を奇跡的に免れました。


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礼拝堂の中に入ることが出来ます。


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長らく放置されて劣化が進みましたが、2020年から2022年に大掛かりな修復工事が行われました。


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礼拝堂天井


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Trifora


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紋章


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礼拝堂祭壇


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Trifora


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柱頭


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修復された新しい柱頭?


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長らく閉鎖されていましたが、修復を経て中に入ることが出来るようになりました。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


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フレスコ画が残されてます。
ブオナミコ・ブッファルマッコ(フィレンツェ、1262c-1340c)に帰属する「聖フランチェスコ」


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ブオナミコ・ブッファルマッコ(フィレンツェ、1262c-1340c)に帰属する「聖バルトロメオ」


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列柱の柱頭


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(つづく)

1前泊地はラ・スペツィアでした。


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ラ・スペツィア駅から鉄道でピサに向かいます。


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普通列車でのんびりと行きました。


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車中は意外にも混雑していました。


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ピサ中央駅に到着しました。


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ピサ中央駅の駅舎


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この時のお宿です。駅前にあります。


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ホテルに荷物を預けてから教会巡りに出かけました。


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斜塔がある地域は敬遠の一手です。


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歴史的建造物のようですがバスターミナルです。


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バスターミナルとして使用されている歴史的建造物?


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この建物の詳細が分かりません。


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バスターミナル横は城壁です。


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古い教会です。


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ファサードの方に回ります。


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サン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会です。


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教会の横にアルノ川が流れてます。


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ベネデット会修道士によって9世紀、または10世紀に創建されたそうです。1032年の文書にこの教会の存在が初めて記録されたそうです。
12世紀前半に拡張され、1149年に奉献されました。現在の外観はこの拡張後の姿が原形となってます。ファサードは1148年から1165年に建設され、14世紀に完成しました。ピサ・ロマネスク様式教会の傑作とされてます。
12世紀末に教会の南側と後陣の後方に2つの回廊とサンタガタ礼拝堂を中心とする修道院の建物が完成しました。


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古いドゥオーモ、Duomo Vecchioとも呼ばれてます。


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ファサードの彫刻


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ファサードの中央扉


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向かって左側の扉


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右扉


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左翼廊


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ファサードの彫刻


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(つづく)

1引き続きポンテデーラのドゥオーモです。


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次の礼拝堂です。


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フランチェスコ・クゥッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「天上の聖母子と聖人たち」


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カウンターファサード


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外に出ました。


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次はミゼリコルディア教会です。


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ミゼリコルディア教会です。


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ドゥオーモの直ぐ傍にあります。


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慈悲慈善同信会によって1883年創建、1892年に完成しました。


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ドーム状のクーポラが目立ちます。


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ファサードのタルガ


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ファサードの紋章


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第二次世界大戦のドイツ軍の爆撃によってジダンな被害を受け、長い修復期間を経て蘇った建物です。


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六角形のクポーラの下に6つの礼拝堂があります。


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中央礼拝堂


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美術的な見所は皆無と言ってよいでしょう。


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詳細不知


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外に出ました。


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ポンテデーラの城壁は現存しませんが、城壁外に行ってみることに。


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城壁外にあるマドンナ・ディ・リパイア祈祷所(オラトリオ)です。


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やることがないのでホテルに戻ることに。


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現代美術品が置かれていました。


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翌朝です。
天気予報が見事に当たって、前夜半から雷雨となり、気温が下がって氷雨の日になりました。
ストは継続中のようで駅は閑散としていました。


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ホームにとまったままの電車。


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ヴォルテッラ行きのバスですが、ストのため学校が臨時休校となったとの事で、学校がある時だけ運行されるバスが運休となりました。
(ポンテデーラ編 おわり)

1プレトリオ宮です。


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ドゥオーモに向かいます。


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ジェラート屋のエンブレム


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ポンテデーラのドゥオーモです。


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Propositura dei Santi Jacopo e Filippoです。Propositura とは聖堂参事会の権威を持つ、或いは司祭長の権威を持つという意味ですが、教会の格式における適当な日本語訳が私には分かりません。ポンテデーラはピサ大司教区に属してます。

ポンテデーラのドゥオーモは、1193年の文書にその存在が記述された、城壁外にあったサン・マルティーノ教区教会でした。城壁内に新しい教会が欲しいとの要望によって、1270年から1272年にかけて建設されたサンティッシモ・クローチフィッソ教会が長らくポンテデーラ城壁内の主要教会の地位を占めていましたが、人口の増加に手狭となり、19世紀になると大きな教会建設の機運が高まりました。それを受けて建設されたのが、1842年創建、1864年に完成した新古典様式のサンティ・ヤコポ・エ・フィリッポ教区長職教会です。



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ファサード前にフォンターナがあります。


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ファサード柱廊壁龕に置かれた彫刻


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左側壁


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後陣


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左翼廊


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右側壁


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拝観します。


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三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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Presbiterio


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クーポラ


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洗礼盤


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観るべき価値がある祭壇画が幾つかありますが、それらはサン・マルティーノ教区教会にあったものです。


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ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551-1640)の「受胎告知」


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詳細不知


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ヴァザーリの強い影響を受けた逸名画家による「十字架降下」(1590-1610c)


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(つづく)

1サンティッシモ・クローチフィッソ教会の続きです。


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祭壇画などを見て回りました。


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中央礼拝堂


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ガスパーレ・マリオットの主祭壇の彫刻(19世紀)


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左側壁の礼拝堂


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17世紀の逸名画家による「守護天使」


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チゴリ(チゴリ、1559-ローマ、1613)の「ロザリオの聖母」(1595)


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16世紀の逸名画家による「聖アポロニアと聖アガタ」


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ベネデット・ルーティ(フィレンツェ、1666-1724)の「天上の聖母子と煉獄の人々」(1687-89)


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次の礼拝堂


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トゥリーノ・ヴァンニ(リゴリ、1348c-ピサ、1438以降没)に帰属する「カルミネの聖母」(14世紀)


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詳細不知の「キリストの洗礼」


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右側壁の礼拝堂


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17世紀の逸名画家による「磔刑」


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詳細不知


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改造前の建物にあったもの


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タベルナコロ


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カウンターファサード


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外に出ました。


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クルタトーネ広場


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プレトリオ宮が見えてきました。


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(つづく)

2前泊地はピサでした。


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当初、この日もピサで泊まり、次の目的地であるヴォルテッラに向かう予定でした。ポンテデーラからバスに乗ってヴォルテッラに行くつもりでした。ところがFSのストが予定され、翌朝は豪雨になるとの天気予報だったので、安全を考えて前夜のうちにポンテデーラに行き、ポンテデーラ宿泊に予定変更した次第です。


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ポンテデーラに行くならば、チゴリなどの作品を観るために少し早めに行こうと思いました。


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ポンテデーラ駅に到着しました。翌朝大雨の天気予報が信じられないくらいの好天でした。


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ポンテデーラ駅の駅舎です。


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駅前広場です。
ポンテデーラは、人口29,779人のトスカーナ州ピサ県にあるコムーネです。
アルノ川とエラ川の合流点にあり、ピサとフィレンツェを結ぶ街道に位置し、中世まで川に架かる唯一の橋があったことから、交通の要衝として繁栄しました。
また、交通の要衝という事で、フィレンツェとピサが領有権を争いました。そのため、フィレンツェ、ピサの戦勝によって度々フィレンツェ領になったり、ピサ領となった歴史がありました。


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ポンテデーラのバスターミナルです。ヴォルテッラ行きのバスが発着します。


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この日のお宿です。


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街歩きに出発しました。


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20世紀になるとポンテデーラは兵器などを生産する軍事産業都市でした。そのため、第二次世界大戦中、ポンテデーラは徹底的に爆撃され破壊されました。そのため、戦後に再建された建物が大半を占め、街並みが新しく見えます。


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少し足を延ばして北に向かいました。


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エラ川に架かる橋


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アルノ川です。


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旧市街のアンドレア・ダ・ポンテデーラ広場に戻りました。


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教会巡りをします。


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カヴール広場です。


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市庁舎


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鐘楼が見えてきました。


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クルタトーネ広場に面して建つサンティッシモ・クローチフィッソ教会です。


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13世紀後半になるまでポンテデーラの城壁内に教会が無く、城壁外にあったサン・マルティーノ教会が宗教活動の中心でした。ポンテデーラ住民は城壁内に教会を建てたいとして、当時ポンテデーラを支配していたピサに請願したのです。請願を受け入れられ、1270年に創建され、1272年に完成したのがサンティッシモ・クローチフィッソ教会です。
城壁内にある最古の教会ということで、Chiesa Vecchia 古教会とも呼ばれてます。


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1612年の火災によって大きな被害を受けたので、1633年に改造工事が行われました。
第二次世界大戦の爆撃によって壊滅的な被害を受けました。1956年から1959年にかけて大規模な修復工事が行われ、建物は映画館として使用されるようになりました。2006年まで映画館でした。その間、教会としての活動は細々を続けられていましたが、2006年以降本格的な宗教活動が再開され、現在に至ってます。


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外壁の銘板


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鐘楼


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紋章


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拝観できます。


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翼廊がない単廊式のシンプルな造りです。左右の側壁にそれぞれ三つの礼拝堂が設けられてます。ポンテデーラにあっては美術的に必見の教会でしょう。


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(つづく)

1大体見終わりました。


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ホテルに向かいました。


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預かって貰っていた荷物を受け取ります。


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ドゥオーモ広場はスキップです。


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チーノ通りです。


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荷物を引いて駅に向かいます。


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城壁です。


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城壁の外に出れば、駅は直ぐ傍です。


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駅に到着しました。


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列車に乗車して次の目的地に向かいました。


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次の目的地はプラートでした。
(ピストイア編 おわり)

1大体見終わったと思ったのですが、重要な教会に行くのを忘れていました。


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マドンナ通りを目指します。


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大きなクーポラが目印です。


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迷うことはありません。


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クーポラが見えてきました。


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マドンナ通りに入りました。


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マドンナ・デルミルタ聖堂です。


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サンタ・マリア・デルミルタ聖堂とも呼ばれてます。


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この場所にはサンタ・マリア・フォリスポルタエ教会がありました。サン・マリア・フォリスポルタエ教会の歴史は古く、創建は8世紀に遡ると伝えられてますが、12世紀に教会税の記述が初めて記録されたそうです。
15世紀になると、建物の荒廃が進み、廃教会同然になってしまいました。
1490年、サンタ・マリア・フォリスポルタエ教会の「授乳の聖母」のフレスコ画の聖母から透明な液体が滲みだし、信者から崇拝を集めました。


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そのことを聞いたロレンツォ・デ・メディチは荒廃したサンタ・マリア・フォリスポルタエ教会を取り壊し、その上に新しい建物を建設して、奇跡を産んだ「授乳の聖母」のフレスコ画を収容して聖域とするように指示しました。
直ぐにコンペが行われ、コンペの結果、ジュリアーノ・ダ・サンガッロ(フィレンツェ、1445-1516)が起用され、ジュリアーノの設計によって1495年に再建工事が着工されました。1568年に完成したルネサンス様式の建物が現在の外観となってます。
1568年、奉献式が行われ、Santuario di Madonna dell’Umiltaとなりました。
また、奇跡のフレスコ画は1579年にSantuarioに移され、主祭壇画として現在も見ることが出来ます。
1931年、Basilica Minoreに格付けされました。


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直径約25メートル、高さ約59メートルのクーポラは、トスカーナ大公コジモ1世がジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)に注文して建設させたものです。


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この後、直ぐに扉が開きました。


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八角形、ルネサンス様式の内部です。


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八角形のクーポラ


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天井の装飾


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主祭壇


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1490年、奇跡が起きた「授乳の聖母」のフレスコ画が主祭壇画です。


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ジョヴァンニ・トスカーニ(フィレンツェ、14世紀後半-1430)の作と伝えられる「授乳の聖母」(1382)


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各礼拝堂の祭壇画を観ます。


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ラッザーロ・バルディ(ピストイア、1624-ローマ、1703)の「エジプトへの逃避途中の休息」(1665)


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アレッサンドロ・フェイ(フィレンツェ、1543-1592)の「受胎告知」(1586)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ(フィレンツェ、1535-1591)の「聖母被昇天」


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フランチェスコ・ヴァンニ(シエナ、1563-1610)の「マギの礼拝」(1605)


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ピエトロ・ソッリ(サン・グズメ、1556‐シエナ、1603)の「羊飼いの礼拝」(1603)


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フレスコ画もあります。


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(つづく)

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