イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2025年03月

1引き続きサン・マルティーノ教会です。


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内部の美術作品を観て回ります。


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エンリコ・ディ・テディーチェ(ピサ、1254記録)の「磔刑像」(13世紀)


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アウレリオ・ローミ(ピサ、1556-1622)の「聖アンドレア」


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アントニオ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィア、?-フィレンツェ、1388)のフレスコ画


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ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属するシノピエ


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549-1628)の「聖ベネデット」(1614)


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(つづく)

1次はサン・マルティーノ教会です。


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サン・マルティーノ広場に建つサン・マルティーノ教会です。


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1067年からChiesa di San Martino in Cuazzolongo(川の最長の浅瀬という意味)の存在が記録されているそうです。1103年の文書には「教会には病院が含まれている」と記録されたそうです。


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1135年、聖アウグティヌスの修道士たちに譲渡されました。その後、建物の荒廃が進んだので、1331年に再建されたピサ・ロマネスク様式の建物が現在の外観の原形となってます。
15世紀にクララ会に譲渡されると共に、女子修道院が教会に隣接して建設されました。1786年、クララ会女子修道士たちが退去したそうです。


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ファサードは大掛かりな修復工事が完了した1610年の姿のままとなってます。


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ファサードの出入り口上ルネッタに浮彫があります。


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ルネッタ上の浮彫はアンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348)作「貧者にマントを与える聖マルティーノ」の複製です。


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後陣


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写真左は鐘楼です。


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左側壁に柱廊が設けられてます。


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左側壁


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煉瓦積みの左側壁


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左側壁にサイドポータルが設けられてます。教会への出入りはファサードのメインポータルではなくサイドポータルが担ってます。


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紋章


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サイドポータルです。


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サイドポータル上ルネッタにフレスコ画があったとされてます。


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中に入りました。


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単廊式、ロマネスク様式の内部ですが、17世紀に改装されました。


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右側壁


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天井


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彫刻、祭壇画、フレスコ画などを見て回ります。


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右側壁にある礼拝堂


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礼拝堂ルネッタ上の浮彫はアンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348)の「貧者のマントを与える聖マルティーノ」


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ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属する「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」


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ジョヴァンニ・ディ・二コラ(ピサ、1326c-1363)に帰属する「受胎告知、ご訪問」


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聖水盤


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(つづく)

1次はサント・セポルクロ教会です。


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サント・セポルクロ教会です。


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アルノ川の対岸からも良く見えます。


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聖ヨハネ病院の騎士団によって1113年に建設されました。この教会の存在が1138年の文書に初めて記載されたそうです。


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教会に隣接して聖ヨハネ病院があったそうです。


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後にマルタ騎士団の本拠地となりました。


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鐘楼


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アルノ川の横に、以前は河原だった場所に建設されたので、地盤が弱く、建物が沈降しまい、大掛かりな工事が行われました。


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中央ポータル


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ルネッタの彫像


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中央ポータル横の浮彫


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左サイドポータル


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右サイドポータル


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右サイドポータルの装飾


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中に入りました。


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17世紀に一部バロック様式に改造されましたが、19世紀に元の姿に戻されました。


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主祭壇


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過って主祭壇後方に彩色磔刑像がありましたが、サン・マッテオ国立美術館に移され展示されてます。


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サン・マッテオ国立美術館の彩色磔刑像の展示室です。ピサの古い教会から集められた磔刑像が展示されてます。


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サント・セポルクロ教会にあった彩色磔刑像


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装飾が殆どない内部です。


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天井


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詳細不知


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詳細不知


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外に出ます。


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(つづく)

1サンタ・マリア・デル・カルミネ教会の続きです。


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バッチョ・チアルピ(バルガ、ルッカ、1574-ローマ、1654)の「聖エリア」、「聖エリセオ」


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説教壇


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1613年に制作されたオルガン


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ジュゼッペ・二コラ・ナシーニとトンマーゾ・ナシーニの作品


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ジュゼッペ・二コラ・ナシーニとトンマーゾ・ナシーニの作品


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カウンターファサード


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外に出ました。


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サンタ・マリア・デル・カルミネ教会の後陣を見ながら川沿い方向に進みます。


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直ぐに教会があります。


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写真右手前にサン・ベネデット教会が、通りの突き当りにサン・ジョヴァンニ・デイ・フィエーリ教会が写ってます。


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サン・ベネデット通りです。


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先ずはサン・ジョヴァンニ・デイ・フィエーリ教会です。


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12世紀前半にこの地に建設されたサン・ジョヴァンニーノ教会が前身です。
17世紀初めに聖ヨハネ騎士団の所有となり、1614年に現在の姿に改造しました。それを機にサン・ジョヴァンニ・デイ・フィエーリ教会と改称されました。


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ファサードの紋章


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現在、アドベンチズムの教会となっていることからChiesa Avventista del Settimo Giornoと呼ばれてます。


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サン・ジョヴァンニ・デイ・フィエーリ修道院のキオストロ


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次はサン・ベルナルド教会です。


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サン・ベルナルド教会です。


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シトー会修道士によって11世紀に建設された修道院教会が最初の建物でした。最初の建物は1189年に破壊されたので、1279年に再建された建物が現在の外観の原形となってます。


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1400年、シトー会修道女に与えられ、サン・ベルナルド女子修道院教会となりました。


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1808年に閉鎖され、それ以後、聖別されてません。


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後陣


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修道院だった建物です。
現在、旧サン・ベルナルド教会の建物は若いアーチストの活動拠点として使用されてます。


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(つづく)

1引き続きサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の祭壇画を観て回りました。


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ジローラモ・マッキエッティ(フィレンツェ、1535-1592)の「磔刑」(1581)


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ドメニコ・ブオンジュンティ(ピエトロサンタ?、?‐ピサ、1582)の「妊娠した聖母」


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詳細不知


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アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535-1607)の「キリストの昇天」(1581)


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17世紀の逸名彫刻家作「聖セバスティアーノ」


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アウレリオ・ローミ(ピサ、1556-1622)の「天上の聖母と聖人たち」(1590c)


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ラニエーリ・ボルゲッティ(ピサ、1609-1642活動記録)の「天空のアヴィーラの聖テレーザ」


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クーポラのフレスコ画は、トンマーゾ・トッマージ(ピサ、1700-1749)の「永遠なる父」


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フランチェスコ・クゥッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「聖アンドレア・コルシーニに顕現する聖母」(1629)


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ジョヴァンニ・ドメニコ・ピアストリーニ(ピストイア、1680-ローマ、1740)の「聖家族と二聖人」


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(つづく)

1引き続きサンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


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内部の祭壇画などを見ます。


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Crescenzio Gambarelli(シエナ、1591-1622活動記録)の「アヴィーラの聖テレーザの幻視」(1622)


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アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ?、1560-ローマ、1608)の「受胎告知」(1593)


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ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ(フィレンツェ、1492-1544)の「聖母子と聖ピエトロと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536-フィレンツェ、1603)の「聖母被昇天」(1579)


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バッチョ・ローミ(フィレンツェ、1540c-ピサまたはルッカ、1581)の「聖母子と聖人たち」(1576)


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詳細不知


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後陣左礼拝堂


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中央礼拝堂


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後陣右礼拝堂


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磔刑礼拝堂


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(つづく)

1次はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


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サンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


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カルメル会によって1324年から1328年に建設されました。


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16世紀から17世紀に拡張され、現在の大きさになりました。また、17世紀に一部バロック様式に改造されました。


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歴史ある教会にしては少し新しく見えるファサードです。それは当然で、19世紀になるとファサードの劣化が進んだので、1835年に再建された比較的新しいファサードです。


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ファサードの前に彫像が置かれてます。


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サルヴィーノ・サルヴィーニ(リヴォルノ、1824-アレッツォ、1899)の「二コラ・ピサーノ(プーリア,1220c-ピサ、1284c)像」(1862)


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ピサを代表する彫刻家二コラ・ピサーノを記念する彫像があるのは当然ですが、カルミネ教会のファサード前に設置された理由が分かりません。
この彫刻は元々カンポ・サントに置かれていました。今でもカンポ・サントに置かれていてもまったく問題がないと思われます。


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ファサードの壁龕に置かれた彫像を見ます。


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カッラーラの逸名彫刻家作「聖エリア」(1697)
再建される以前のファサードにあった彫刻です。


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カッラーラの逸名彫刻家作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1697)
再建以前のファサードにありました。


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後陣と鐘楼


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拝観します。


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中に入りました。


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単廊式、ルネサンス様式、一部バロック様式の内部です。長さが約70メートルあります。


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右側壁


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美術的に見どころ豊富な教会として有名です。


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過去にこの教会にあった有名な作品がありました。


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この教会にあった作品です。
マザッチョ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1401-ローマ、1428)の「ピサの多翼祭壇画」(1426)

サン・ジュスト出身の公証人セル・ジュリアーノ・ディ・コリーノ・デル・スカルシが所有するカルミネ教会の礼拝堂の祭壇画としてマザッチョに注文した作品です。作品注文にかかわる契約書が残されます。
17世紀から18世紀にかけて分解され、パネル毎に販売されました。現存するパネルは上の写真の通りです。失われたパネルがかなりあることが分かります。
現存するパネルですが、「聖母子」がロンドン・ナショナルギャラリー、「磔刑」がナポリのカポディモンテ美術館、「聖パオロ」がピサのサン・マッテオ国立美術館、「聖アンドレア」がアメリカのゲッティ美術館、サイドパネルとプレデッラがベルリン国立美術館にあります。


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マザッチョの「聖母子と音楽天使」
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵


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マザッチョの「磔刑」
ナポリのカポディモンテ美術館蔵


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マザッチョの「聖パオロ」
ピサのサン・マッテオ国立美術館蔵


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マザッチョの「聖アンドレア」
アメリカのゲッティ美術館蔵


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多翼祭壇画を分解してパネル毎に販売する気が知れません。


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全パネルが揃っての多翼祭壇画ですから。


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聖具室


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(つづく)

1サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会の続きです。


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後陣


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左側壁は対岸から見ることになります。


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中に入ることが出来ます。


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単廊式、ゴシック様式の内部です。聖別されていない教会です。現代美術品の展示場として使用されることが多いようです。


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左側壁


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天井


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カウンターファサード


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彫刻が置かれてます。


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フレスコ装飾が残されてます。


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オリジナルのものではないと思います。


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授乳の聖母礼拝堂


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348c)作「授乳の聖母」のレプリカ
本物はサン・マッテオ国立美術館にあります。


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サン・マッテオ国立美術館で展示されているアンドレア・ピサーノの「授乳の聖母」


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後陣と主祭壇


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348/1349)とニーノ・ピサーノ(ピサ、1315c-1370c)の「聖母子」
恐らくレプリカと思います。


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アンドレア・ピサーノとニーノ・ピサーノによる「聖ピエトロ」のコピー彫刻


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アンドレア・ピサーノとニーノ・ピサーノによる「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」のレプリカ


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タベルナコロ


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サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会はこれで終わりです。
オリジナルの構造とは異なる、彫刻はレプリカと割り切って鑑賞すれば、結構楽しめます。


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教会巡りを続けました。


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(つづく)

1引き続きサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会です。


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右側壁です。


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じっくり見たい右側壁ですが、交通量が多い道路に沿って右側壁があるので事故に遭わないように注意します。





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見所は彫刻でしょう。


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しかし、オリジナルの作品はここにはありません。


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レプリカの出来栄えを見ましょう。


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この教会を見学している、多くの人はここにはオリジナルの作品が無いのをご存じないようです。


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サン・マッテオ国立美術館です。
サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会の彫刻はここで展示されてます。


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サン・マッテオ修道院回廊に無造作に置かれたサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会の移設の際に使用されなかった教会オリジナルの石材


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サン・マッテオ国立美術館内のサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会にあった彫刻がこの部屋で展示されてます。


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サン・マッテオ国立美術館の彫刻展示はこのぐらいにしておきましょう。
(つづく)

1アルノ川沿いの道を進みます。


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サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会が見えてます。


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川向こうからも良く見えます。


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良くも悪くも川横に建っているのが特徴です。


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ピサの有力貴族だったグアランディ家によって1230年に建設されたピサ・ゴシック様式の教会ですが現現在地とは数メートル違った場所に建っていました。アルノ川に架かる橋が教会に繋がっていたことから、サンタ・マリア・デイ・ポンテノーヴォ教会と呼ばれていました。
1333年、荊刑を受けたキリストが被っていた荊の一部が聖遺物として教会に持ち込まれました。


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1323年から1376年にかけて拡張工事が行われましたが、拡張工事後の姿が現在の外観の原形とされてます。しかし、後述する理由によって現在の姿は当時とはかなり異なるようです。


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15世紀、教会と繋がる橋が大水によって崩落してしまいました。それ以降、聖遺物に因んで何時しかサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会と呼ばれるようになりました。


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当時、堤防がありましたが、アルノ川の河原に建設されたと言っても過言ではない場所に建設されたことから、元々地盤が弱く土地の沈下に伴う構造の強化、アルノ川の洪水に伴う深刻な被害の両面から度々修復工事が行われました。
イタリア統一後、ピサ市議会と美術アカデミーを中心とする教会に関する委員会が設置され、教会の抜本的存続策が検討されました。その結果、教会を解体して安定した安全な場所に移設することが決定されました。そうして1871年から1875年にかけて移設工事が行われました。
東に数メートル移動させ、高さを1メートル高くして工事が完了しましたが、階段が新設され、解体されたものの、そのまま残骸として残された部分が数多くあったり、彫刻は修復不十分で設置された一方、移設されない彫刻が数体残るなど、解体前の姿とは大幅に異なるようです。
移設工事後の教会を見た美術史家や美術アカデミーの専門家が怒ったり、呆れた記録が残されてます。


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それでも一見の価値が十分ある教会です。


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彫刻などの装飾はピサで活躍した彫刻家が多数参加して行われました。


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ジョヴァンニ・ピサーノ(ピサ、1248c-シエナ、1315c)、アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290c-オルヴィエート、1348/1349)、アンドレアの息子ニーノ・ピサーノ(ピサ、1315c-1370c)、アンドレアの息子トンマーゾ・ピサーノ(ピサ、14世紀活動)、ジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョ(ピサ,1300c-1365?)などの彫刻家、それらの工房によって装飾されました。
20世紀後半になると彫刻などの劣化進行が深刻になったので、徐々にレプリカに置き換えられ、1996年までにすべての彫像がサン・マッテオ国立美術館に移設されました。


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移設前のオリジナルの彫像


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サン・マッテオ国立美術館で展示されているサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会の彫像


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サン・マッテオ国立美術館における展示


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教会のファサード


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ファサードの入り口


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(つづく)

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