イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2025年09月

1サント・ステファノ祈禱所の内部です。


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ここではChiesa 教会となってます。


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拝観を終わります。


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外に出ました。


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この近くに住んでいる住民のための素朴な信仰の場というのが、よく分かりました。


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サント・ステファノ旧教会と祈祷所はこれで終わりです。


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次はサン・ジュスト教会です。


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写真右上に写っているのがサン・ジュスト教会です。


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丘の上に建っているのでよく目立ちます。


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ヴォルテッラの城壁から1㎞以上離れてます。


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ヴォルテッラの守護聖人は聖ジュストと聖クレメンテですが、その二人が葬られているのがサン・ジュスト教会です。そのため、この町では非常に重要な教会となってます。


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この道をさらに進みます。


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Borgo San Guistoにやってきました。


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サン・ジュスト教会が見えてきました。


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郊外に来たという感じがしました。


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周囲を見渡したところ、教会以外に特に見所がなさそうです。


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地元ではサン・ジュスト教会と呼ばれているのが一般的なようですが、正式名称はサンティ・ジュスト・エ・クレメンテ教会となってます。


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また、サン・ジュスト・ヌオーヴォ教会とも呼ばれてます。


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現在教会が建っている場所に近くに、紀元前から墓地があったそうです。4,5世紀頃、ほぼ現在地に墓地教会が建設されましたが、その教会が前身です。教会が建設された時期や教会名などの具体的なことは分からないようです。
また、前身とされる教会とは別の教会が近くにあったそうです。その教会名や建設された時期など具体的なことは不明とされてます。


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6世紀、聖ジュストと聖クレメンテがヴォルテッラで亡くなりました。二人はヴォルテッラの守護聖人であり、恐らく兄弟だったと思われてます。
聖ジュストは、現在のサン・ジュスト教会の前身の教会に埋葬され、何時しかサン・ジュスト教会と呼ばれるようになったそうです。
聖クレメンテは、近くの別の教会に埋葬されました。その別の教会は何時しかサン・クレメンテ教会と呼ばれるようになったそうです。
サン・クレメンテ教会の建物が荒廃したので、12世紀に聖クレメンテの遺体が掘り起こされ、サン・ジュスト教会の聖ジュストの墓に埋葬されました。その後、サン・クレメンテ教会は廃棄されたそうです。
サン・ジュスト教会の横に崖がありましたが、1614年、崖崩れが起きて教会の建物の一部が巻き込まれ崩落してしまいました。その直後、建物の再建が決まり、1627年、最初の建物は解体され、1628年に再建工事が着工されたのです。
工事が難航しましたが、18世紀に一応の完成を見て、1775年に奉献式が執り行われました。その際、教会はサンティ・ジュスト・エ・クレメンテ教会と命名されたのです。


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教会の銘板


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4本の柱があり、フランドルのナザールの作品である聖人のテラコッタ像が柱の上に置かれます。


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4本の柱は、10世紀のもので以前のサン・クレメンテ教会にあったものだそうです。


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柱の上のテラコッタ像


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左側壁


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右側壁
(つづく)

1Porta all’Arcoを潜って城壁内に戻ります。


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プリオーリ広場です。


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朝のプリオーリ宮です。


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市域が小さいので、どうしても同じ場所に何度も来てしまいます。


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この道を進めばサン・フランチェスコ門に出ます。


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サン・フランチェスコ教会です。


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拝観は後日行うことにして、先を急ぐことにしました。


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サン・フランチェスコ教会を通り過ぎれば、直ぐに門が見えてきます。


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サン・フランチェスコ門です。


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町の繁栄と人口増に対応するために13世紀に市域が拡大され、新しい城壁が築かれましたが、その際にピサ方面に向かう道の城門として築かれたそうです。


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サン・フランチェスコ教会が建設される以前にはピサーノ門、またはサント・ステファノ門とも呼ばれていました。サント・ステファノ門の名称の由来はこの門の先にサント・ステファノ教会があったからです。


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門扉
門の壁にフレスコ画が残されてます。


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ヴォルテッラの城門全てにフレスコ画があったとされていますが、現存するのはサン・フランチェスコ門だけです。


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作品帰属等の詳細が分からないようです。


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城壁外に出ました。


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この辺はBorgo Santo Stefanoと呼ばれてます。


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この道を進めばピサに出ます。


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道の右側に荒廃した建物らしきものがあります。


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サント・ステファノ教会だった建物の残骸です。
11世紀に建設されたロマネスク様式の教会でした。13世紀に参事会教会に格付けされ、城壁外の中心教会として繁栄していました。
1784年、トスカーナ大公の命によって抑圧され、修道士たちは追放され、教会は閉鎖されました。


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屋根が崩落して、教会跡は野原となってます。


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旧サント・ステファノ教会の横に建っているのは、サント・ステファノ祈祷所です。


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閉鎖された教会の代わりとして、この周辺の人々の信仰のために19世紀に建てられました。


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中に入ります。


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中に入りました。


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装飾が殆どない素朴な感じがします。


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左右の壁に祭壇画があります。


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詳細不知


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詳細不知
(つづく)

1サンタッレサンドロ教会です。


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後陣と鐘楼


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拝観します。


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中に入りました。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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右側壁


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木組みの天井


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コジモ・ダッディ(フィレンツェ、1555-ヴォルテッラ、1630)の「聖アッティニアと聖グレチニアーナ」


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壮大な祭壇画の一部と言われてます。祭壇画の大部分の保存状態が悪く、この部分だけが残されたそうです。


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聖アッティニア


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聖グレチニアーナ


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主祭壇


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主祭壇に向かって左側にある「磔刑」


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トスカーナの逸名アーティストによる「磔刑」(12世紀)


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詳細不知のステンドグラス


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地元の逸名画家による「聖母子」のフレスコ画(15世紀)


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詳細不知のステンドグラス


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聖櫃(15世紀)
他の教会にあったものだそうです。


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外に出ます。


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外に出ました。


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城壁内に戻ります。


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Porta all’Arcoです。


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(つづく)

2翌朝です。


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夜半に大雨が降りましたが、夜明け前に止んでくれました。


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ヴォルテッラは、経済の発展、人口増によって市域が拡大されました。城壁が二重になっている箇所は今でも存在します。


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眼下にサンタッレサンドロ教会が見えます。


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徐々に天気が良くなってきました。


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Fontana Monumentale dei Pontiです。


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水が止められているようでした。


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この辺は見所がなさそうです。


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ドゥオーモです。


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城壁内に戻りました。


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サンタッレサンドロ(聖アレッサンドロ)教会に向かいます。


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サン・ジョヴァンニの泉です。


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門が見えてきました。


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Porta all’Arcoです。


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紀元前4,3世紀のエトルリア人によって建設されたのが起源のようです。


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門を潜って城壁外に出ました。


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門の碑文


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門を潜ってから道を下ります。


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道の先に教会があります。


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サンタッレサンドロ教会です。


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ローマ時代の異教の寺院がこの場所にありましたが、その遺跡の上に建てられたロマネスク様式の教会です。


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1120年、第162代教皇カッリスト2世(1060c-1124 在位:1119-1124)によって奉献されました。


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16世紀にファサードに柱廊が追加されたそうです。


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柱廊


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柱廊に入りました。


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ポータル上ルネッタの彫刻


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柱頭


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(つづく)

1旧サンタゴスティーノ教会です。


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サンタゴスティーノ教会の礼拝堂と思われます。


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ジュゼッペ・アントニオ・ファッブリーニ(フィレンツェ、1748-1795)の「トレンティーノの聖二コラの回心」(18世紀)


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ロッソ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1495-パリ、1540)の「聖母子と二聖人」(1521)


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ジョヴァンニ・マリア・タッチ(ピオンビーノ、16世紀後半消息)の「ピエタのキリストを支える二天使」(1570)


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ジョヴァンニ・マリア・タッチ(ピオンビーノ、16世紀後半消息)の「玉座の聖母子と二聖人」(1570)


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教会の遺跡(11-12世紀)


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聖皿


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聖杯


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聖杯(18世紀)


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アントニオ・デル・ポッライオーロ(フィレンツェ、1429/1433-ローマ、1498)の「聖オッタビアーノ」(1470)


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418-1492)に帰属する「玉座の聖母子と聖人たち」(15世紀)


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ステファノ・ダントニオ・ヴァンニ(フィレンツェ、1405-1483)の「磔刑」(15世紀)


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362-1422)の「聖母子」(15世紀)


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ウリッセ・ジョッキ(モンテ・サン・サヴィーノ、1570c-フィレンツェ、1631)の「救済の聖母」(1614)


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バルダッサッレ・フランチェスキー二通称イル・ヴォルテッラーノ(ヴォルテッラ、1611-フィレンツェ、1689)の「聖母被昇天」(17世紀)


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バルダッサッレ・フランチェスキー二通称イル・ヴォルテッラーノ(ヴォルテッラ、1611-フィレンツェ、1689)の「聖母被昇天」


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バルダッサッレ・フランチェスキー二通称イル・ヴォルテッラーノ(ヴォルテッラ、1611-フィレンツェ、1689)の「聖母の浄化」(1630)


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シモンディオ・サリンベーニ(シエナ、1597-1643)に帰属する「ご訪問」(17世紀)


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シエナ派逸名画家による「聖フランチェスコと信者」(1390c)


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外に出ました。


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陽が落ちて暗くなっていました。


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この日の町歩きはこのぐらいにしました。


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ホテルに戻ります。


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(つづく)

1引き続き旧サンタゴスティーノ教会に設けられているMuseo Diocesanoです。


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シエナ派逸名画家による「聖母子と二聖人」(1490-1510)


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ジャンボローニャ(フランス、1529-フィレンツェ、1608)の「磔刑像」
ヴォルテッラのドゥオーモにありました。


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制作者情報不明の「磔刑像」(16世紀)


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制作者情報不明の「磔刑像」(14世紀)


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シエナ派逸名彫刻家作「聖母子」(13世紀)


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絵画の「聖母子」は逸名画家によって15世紀に制作された作品です。スタッコ彫刻の「聖人たち」は、ジュゼッペ・マッツゥオーリ(ヴォルテッラ、1644-ローマ、1725)によって1706年に制作されたそうです。


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アラバスター製の「キリストの洗礼」(17世紀)


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コジモ・ダッディ(フィレンツェ、1540-1630)の「羊飼いの礼拝」(1603)


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コジモ・ダッディ(フィレンツェ、1540-1630)の「ご訪問」(16世紀)


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ベンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニ(シエナ、1436-1518)の「受胎告知と聖人たち」(1466)


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プレデッラ


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交唱唱歌集(1299)


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交唱唱歌集(1299)


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交唱唱歌集(1257)


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アラバスター製の磔刑、燭台


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ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417-1491)に帰属する「玉座の聖母子と聖人たち」(15世紀)


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418-1492)の「玉座の聖母子」(15世紀後半)


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バルトロ・ディ・フレディ(シエナ、1330-1410)の「聖母子」(14世紀)


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ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、?-1348c 1331から記録)に帰属する「聖母子」(14世紀)


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「サン・ピエリーノの磔刑」


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13世紀に制作された「磔刑像」に、18世紀に制作された「嘆き」を組み合わされたものです。「磔刑像」と「嘆き」の制作者はいずれも不明です。
(つづく)

2ドゥオーモを後にしました。


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次はサンタゴスティーノ教会です。


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9月20日広場はもう直ぐです。


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9月20日広場です。


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9月20日広場の端にサンタゴスティーノ教会があります。


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13世紀、サンタゴスティーノ修道会(アウグスティヌス修道会)の修道士たちが行進してヴォルテッラ城壁内に入り、現在教会の建物が建っている場所が与えられ、定住しました。
その直後から修道院教会の建設が始められ、切妻型の屋根を持ち単廊式の教会が13世紀中頃には完成しました。


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1349年の文書に、サンタゴスティーノ修道会によるサンティ・ジャコモ・エ・ジョヴァンニ病院が修道院教会横の広場に隣接して建設されたという記録があり、それがサンタゴスティーノ修道院教会の存在を示す最初の記録だそうです。


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18世紀前半、内部は三廊式に改造されましたが、その際、ファサードも改築され現在の外観となったそうです。
1784年、神聖ローマ帝国皇帝でトスカーナ大公だったピオトロ・レオポルド2世(ウィーン、1747-1792)によって修道院教会活動の縮小、停止が命じられ、1785年、サンタゴスティーノ会修道士たちの大半がヴォルテッラを去りました。
数名の修道士が残り、細々と活動していましたが、1807年にすべての活動が停止され、教会は聖別されなくなりました。


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20世紀初頭、考古学者で美術史家コッラード・リッチ(ラヴェンナ,1858-ローマ、1934)は、ヴォルテッラに教区美術館(Museo Diocesano)を設ける発議を行い、当時のマウリツィオ・カヴァッリーニ司教の二人の尽力によって、廃教会となっていた旧サンタゴスティーノ教会に教区美術館が開館されたのです。


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1944年、第二次世界大戦の爆撃によって旧教会の建物は大きな被害を受けてしまい、Museo Diocesanoは休館となりました。戦後に修復され、1956年に漸く再オープンされました。
しかし、建物荒廃によって1980年代に再び閉鎖されました。修復工事後の1992年に再開館されましたが、建物が危険、抜本的な修復工事が必要とされ、2012年に閉館されてしまいました。
大掛かりな建物の修復と共に、博物館としての内装が一新されて、2017年に新Museo Diocesanoが快感して現在に至ってます。


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ファサードのポータル上ルネッタの装飾


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ファサードの壁龕にある彫刻


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Museo Diocesanoの入り口です。


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教会内部


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教会内部が美術館ではなかった時代


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Museo Diocesanoとして教会内部が使用されるようになりました。


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天井


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これが非常に目立ちます。


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ベネデット・ブリオーニ(フィレンツェ、1461c-1521)の「ヴォルテッラの聖リーノ像」


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壁に残されたフレスコ画


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これがMuseo Diocesanoにあるとは驚きです。


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ドゥオーモの鐘楼横で撮った写真です。一般的にMuseoにあるのが本物でしょう、という事はこちらはコピー?


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主祭壇


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フランチェスコ・ヴァルダムブリーノ(シエナ、1375-1435)の「聖母子」(15世紀前半)
ヴォルテッラのドゥオーモにありました。


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Alessanndoro Riccobaldiの墓


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詳細不知


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(つづく)

1引き続きドゥオーモの洗礼堂です。


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洗礼堂ポータルは、二コラ・ピサーノ(プーリア、1210/1220-1278/1287)派(恐らく工房にいた弟子)によって制作されたと言われてます。


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八角形の内部


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6つの壁龕に彫刻があったと推定されてますが、現存していないようです。


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ジョヴァンニ・ヴァッカによって制作された洗礼盤(1759)


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ジョヴァンニ・ヴァッカの洗礼盤は三代目の洗礼盤と推定されてます。


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洗礼盤上の彫刻は、ジョヴァンニ・アントニオ・サイベイ(カッラーラ、1706-1784)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ像」(1771)


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以前使用されていた洗礼盤(二代目となる)は、アンドレア・サンソヴィーノ(モンテ・サン・サヴィーノ、1467c-1529)によって1502年に制作されたそうです。


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私はこちらの洗礼盤の方がお気に入りです。


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サンソヴィーノの洗礼盤の彫刻


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洗礼盤の後方に祭壇があります。


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ミーノ・ダ・フィエーゾレ(ポッピ、1429-フィレンツェ、1484)の設計によって、ミーノの工房で働いていたAlessandro Balsimelli da Settignanoによって15世紀後半に制作された祭壇です。


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祭壇の装飾


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祭壇画は、ニッコロ・チェルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1530c-1597c)の「聖母被昇天」


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外に出ました。


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ドゥオーモはこれで終わりです。
(つづく)

1右側廊


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左側廊


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詳細不知


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司教の墓です。


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墓下部の装飾


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アリストドモ・コストーリ(フィレンツェ、1803-1871)の「フィレンツェのフランチェスコ・ガエターノ・インコントリ司教の墓」(1840)


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フィレンツェは大司教区なので、司教ではなく大司教?


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フランチェスコ・クゥッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「磔刑」


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どうも見たことがあるような?


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思い出しました、Cappella Serguidiです。


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内部は大体見終わったようです。


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出口に向かいます。


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外に出ました。


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次はサン・ジョヴァンニ洗礼堂です。


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勿論、ドゥオーモの洗礼堂です。


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この場所にはローマ神殿があったそうで、その跡地に最初の洗礼堂が建設されたのは7世紀頃とされてます。
現在の洗礼堂は13世後半に建設されたそうで、洗礼堂ファサード横の碑文に1283年完成と刻まれてます。


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ロマネスク様式ですが、後に一部初期ルネサンス様式に改造されました。


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ファサードの装飾


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ファサードの柱頭


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中に入ります。


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中に入りました。


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左側壁


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右側壁


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八角形の天井


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祭壇、出入口、6つの壁龕からなる八角形の構造をしています。
(つづく)

1Cappella dell Addolorataです。


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17世紀の格子です。


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格子の先にプレセーペとフレスコ画があります。


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格子の先を見る前に、この祭壇画を観ます。


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イタリアの逸名画家による「聖家族と聖フランチェスコ」(17世紀)


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格子の先はこうなってます。


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435-1525)の「幼きキリストへの崇拝」


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プレセーペ後方のフレスコ画は、ベノッツォ・ゴッツォーリ(フィレンツェ、1420-ピストイア、1497)の「マギの行列」


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制作されたのは,1473年、1479年の二説があるようです。地元では1479年とされているようです。


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ベノッツォ・ゴッツォーリは、1459年にこれと同じ主題の「マギの行列」のフレスコ画をフィレンツェのメディチ・リカルディ宮殿に制作しました。


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一旦聖具室に戻りました。


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内陣に戻りました。


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(つづく)

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