イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2025年10月

1サン・クリストフォロ祈禱所から次の目的地に向かいます。


2
次はサン・リーノ教会です。


3
サン・リーノ通りを少し進むと右手に教会が見えてきます。


4
サン・リーノ教会です。


5
教会が建っている場所には、第2代教皇聖リーノ(リヌス)(ヴォルテッラ?、10-ローマ、76 教皇在位:67?-76)の住居があったとされてます。ヴォルテッラで生まれたのかについては確実なことが分かりませんが、ヴォルテッラで活動していたことは確実です。


6
人文主義者、神学者、文学者で歴史家として名高いベアート・ラッファエッロ(ラッファエーレ)・マッフェイ(ローマ、1451-ヴォルテッラ、1522)によって1480年に建設された修道院教会の複合施設です。16世紀に女子修道院になりました。


7
1781年、トスカーナ大公の命によって閉鎖されました。
1819年に教会だけは再聖別されましたが、修道院は閉鎖されたままで現在に至ってます。


8
ファサードにある銘板


9
簡素なファサード


10
1513年に建設されたポータル


11
中に入りました。


12
左側壁


13
右側壁


14
左右の側壁のルネッタ、天井のフレスコ画、後陣が見所です。


15
天井


16


17


18
後陣から見ていきます。


19
後陣


20
主祭壇


21
主祭壇画に注目です。


23
フランチェスコ・クゥッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1597)


22


24


25
後陣天井


26
後陣左側壁に墓があります。


27
シルヴィオ・コシーニ(ポッジボンジ、1495c-ミラノ、1549c)の「ベアート・ラッファエッロ・マッフェイの墓のモニュメント」(1529c)


28


29


30


31


32
(つづく)

1友人との楽しい昼食中にかなり雨が降りました。


2
気温が下がりました。


3
ほろ酔いにはやや寒い空気がぴったりでした。


4
サン・クリストフォロ祈祷所に向かいます。


5
Palazzo Arrighiが見えてきました。


6
Palazzo Arrighiです。


9
15世紀に建設されたPalazzo Arrighiです。Arrighi家の住居でした。


8
Palazzo Arrighiの隣に祈祷所があります。


7
写真左がサン・クリストフォロ祈禱所(オラトリオ)(礼拝堂)です。


15
アッリーギ家の個人礼拝堂として16世紀初めに建設されました。


17
18世紀に屋根の一部が崩落したので、修復されると共に改造されたようです。


18
ヴォルテッラには、このようなオラトリオが幾つもあります。


16
大体開いています。


19
拝観します。


10
中に入りました。


12
人がほとんどいません。


11


26


13
主祭壇


14
主祭壇にある「聖母子」のフレスコ画


20
ヴィンチェンツォ・タマーニ(サン・ジミニャーノ、1492-1530)の「聖母子」(1523)


21
マリオット・ディ・アンドレアのフレスコ画説もあります。


24


25


22
天井フレスコ画は、ジュゼッペ・アッリーギの作品と言われてます。ジュゼッペ・アッリーギの「聖ジュゼッペの生涯」のフレスコ画が天井にあったそうですが、18世紀に天井が崩落して、残っているのは後陣天井だけとされてます。


23


27
詳細不知の「聖クリストフォロ」


28


29


30
外に出ました。
(つづく)

1フィオレンティーナ門から城壁内に戻りました。


2
サン・ミケーレ教会です。


3
待ち合わせまで少し時間があるので、拝観します。


4
午後にゆっくり拝観するので、適当に見て歩きました。


5


6


7


8


9


10


11


12
バスターミナルからの景観


13
ドゥオーモ


14
バスターミナルからの景観


15


16


17


18
プリオーリ広場です。


19
プリオーリ宮


20
待ち合わせは午後1時でした。


21
まだ時間が少しあります。


23


22
雲行きが少し怪しくなってきました。


25
ドゥオーモ


24
洗礼堂で時間潰し。


26


27


28


29


30
(つづく)

1エトルリア博物館は好みではありません。


2
エトルリア博物館近くのお店のショーウインドー


3


4
この時間、Museo Diocesanoは開館してません。


5
友人と昼食の予定でした。


6
マッテオッティ通りです。


7
友人とは洗礼堂付近で待ち合わせでした。


8
待ち合わせ時間まで少しあったのでぶらぶら歩き


9
フィオレンティーナ門に行ってみることに


10


11
見晴らしの良い場所に出ました。


12


13


14
Piazetta dell Ortinoです。


15
フィオレンティーナ門に向かいます。


16
グアルナッチ通りに出ます。


17
門が見えてきました。


18
フィオレンティーナ門です。


19
エトルリア時代に築かれたPorta Dianaに代わって構築された門で、当初はPorta Sant’Agnoloと呼ばれていました。また、サン・ミケーレ教会近くにあるので、Porta San Micheleとの呼ばれていたそうです。


20
ヴォルテッラがフィレンツェの支配下に置かれるようになると、フィオレンティーナ門と呼称されるようになったそうです。


21
フィオレンティーナ門は堅固な要塞として造られたそうです。1530年のヴォルテッラ包囲戦で、門の上にあった塔などが破壊され、16世紀中頃に現在の姿に近い状態に改造されました。


23


22
門を潜ります。


24
城壁外に出ました。


25
メディチ家の紋章は修復前でした。


26
紋章の修復後の写真


27


28
城壁内に戻ります。


29


30
(つづく)

1Via Don Minzoniです。


2
Via Don Minzoniに面して建っているPalazzo Desideri- Tangassiです。


3
Palazzo Desideri- TangassiにMuseo Etruscoが置かれてます。
正式名称は寄贈者の名前を取ってグアルナッチ・エトルリア博物館となってます。
聖職者で裕福な貴族だったマリオ・グアルナッチ(ヴォルテッラ、1701-1785)は、考古学に関する研究者、収集家でしたが、1761年に自分の収集物をヴォルテッラ当局に寄贈しました。それらは直ぐに一般公開されましたが、当初はグアルナッチの私邸が博物館として使用されました。
一方、1776年にヴォルテッラ近郊のエトルリア墓地から多くの貴重なものが発見され、それらの発掘物は1777年にヴォルテッラ当局に寄贈されました。
グアルナッチの収集物とエトルリア墓地からの発掘物を合わせて、グアルナッチ・エトルリア博物館として市庁舎など数か所で分散して展示されるようになりました。
1877年、展示物全てがPalazzo Desideri- Tangassiに移され、現在に至ってます。


4
入口


5
中に入りました。


6
エトルリア、ギリシャ、ローマなどの遺跡発掘物が展示の大半を占めます。


7
展示は多岐にわたり、厖大です。


8
壺の展示はこの種の博物館の定番というべきものです。


9
個人的には退屈で、時間潰しです。


10


11


12
ローマ時代のモザイク


13


14


15


17


18


16
ローマ時代の碑文


19


20


21
部屋の天井フレスコ画


22
ギリシャ時代のもの


23


25


24
石棺


26
エトルリア人の石棺上蓋


27


28
石棺の彫刻


29


30


31


32
外に出ました。
(つづく)

1引き続きサンタントニオ祈禱所です。


2
数は少ないですが、美術的に見る価値がある祈祷所です。


3
貴重な三連祭壇画です。


4
プリアーモ・デッラ・クェルチャ(シエナ、1400c-1467)の「聖アントニオ・アバーテと聖人たちの三連祭壇画」(1442)


5


6


7


8
聖アントニオ・アバーテ


13


14


15


16


17


9
聖バルトロメオ


10
聖ベネデット


11
聖ルッカ


12
聖ロレンツォ


18
バルダッサッレ・フランチェスキー二(ヴォルテッラ、1611-フィレンツェ、1689)の「聖母被昇天」(1631)


19


21


20


22


23


24
コジモ・ダッディ(フィレンツェ、1540-ヴォルテッラ、1630)の「キリストとヴェロニカ」(1610c)


25


26


27
18世紀のギリシャの逸名画家による「ロザリオの聖母と聖ドメニコ」


29


28
この作品は元々当祈祷所にあったものではなく、ヴォルテッラ近郊のピエーヴェ・デッラ・ネーラにあったものです。


30
外に出ます。


31
(つづく)

1次はサンタントニオ祈祷所(オラトリオ)です。


2
通りの先に鐘楼が見えてますが、サンタントニオ祈禱所の鐘楼でしょう。


3
ソット通りとアントニオ・グラムシ通りが交わる、9月20日広場に面して建っているサンタントニオ祈祷所です。


4
左側壁がアントニオ・グラムシ通りに面してます。


5
右側壁が面してるのがソット通りです。


6
ヴィエンヌの聖アントニオ騎士団として知られるアントニヌス修道会によって11世紀初めに建設されたと言われてますが、その年代は定かではないとされてます。当初はタベルナコロ程度の小さなものと考えられてます。オラトリオの初めての存在記録は13世紀となってます。
このような小さな礼拝堂や祈祷所は、15世紀頃までヴォルテッラで幾つもあったようです。


7
その後、幾度となく修復工事が行われましたが、経時劣化が進んだことにより、建物が再建されることになりました。再建工事は15世紀中頃に行われ、1470年に奉献式が執り行われた建物が現在目にすることが出来るサンタントニオ祈禱所です。
18世紀末にアントニヌス修道会は解散させられ、祈祷所はドゥオーモの管理下に置かれるようになり現在に至ってます。


14
鐘楼


12
中に入ります。


8
中に入りました。


9
左側壁


10
右側壁


11
天井


13
後陣


15
フレスコ画が一度も描かれたことがないと言われてます。


16
祭壇に彩釉テラコッタが置かれてます。


17
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469-1529)の「聖母被昇天と聖人たち」(1520)
デッラ・ロッビア一族の作品とされていましたが、2014年にジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの作品と特定されました。


22


18


19


20


21


23
右側壁にある「受胎告知」です。


24
二人の画家によって制作され、その制作された時代が異なります。


25
「受胎告知される聖母」は、ジュゼッペ・アッリーギ(ヴォルテッラ、1642-1702)によって17世紀末に制作されました。
それ以外の部分はコジモ・ダッディ(フィレンツェ、1540-ヴォルテッラ、1630)によって1559年に制作されました。


26
コジモ・ダッディの「受胎告知」でしたが、「受胎告知される聖母」の部分が何らかの理由で痛みが出て、ジュゼッペ・アッリーギがその部分を描き、組み込んだとされてます。


27


28
詳細不知のテラコッタ


29


30
墓石
(つづく)

2マドンナ・デイ・ガベリエーリ礼拝堂の内部です。


1
ジュゼッペ・アッリーギ(ヴォルテッラ、1642-1702)の祭壇画


3
外に出ます。


4
外に出ました。


5
サン・フェリーチェの上門から城壁沿いの道に出ます。


6
城壁沿いの道を歩きます。


7


8
暫く歩くと視界が開けます。


9


10
ヴォルテッラの旧市街が丘上にあることがよく分かります。


11
糸杉がなさそうです。


12
先に行っても同じ景観だろうと思いました。


13
城壁内に戻ります。


14
次はサン・フィリッポ・ネリ祈祷所です。


15
煉瓦造りのサン・フィリッポ・ネリ祈祷所です。


16
サント・ステファノ騎士団の騎士で、後にヴォルテッラ・ドゥオーモの司祭を務めたベネデット・グアルナッチが自己資金と少額の寄付によって1690年に建設されたそうです。単廊式のサン・フィリッポ・ネリ祈祷所です。


17
しかし、聖別されてから程なくして資金難によって閉鎖されてしまいました。グアルナッチの死後、閉鎖と再開を何度も繰り返したそうです。
19世紀前半、建物は若者たちの学校として使用されました。
第一次世界大戦後、聖別されて主に日曜日のミサが行われました。しかし、それも数年間に終わり、閉鎖されてから聖別されることはなく、現在に至ってます。現在、建物は演劇協会の倉庫として使用されているようです。


18
左側壁


19
ファサード


20


21
サン・フィリッポ通りです。


22


23
聖母子のタベルナコロ


24
ドゥオーモに来てしまいました。扉が開いていたので、折角なので拝観することに。


25
祭壇画などを見て回りました。


26


27


28


29


30
外に出ました。
(つづく)

1サン・ジュスト教会前の美術館は休館でした。


2
城壁内に戻ります。


3
道の突き当りにサン・フランチェスコ門があります。


4
サン・フランチェスコ門です。


5
サン・リーノ通りを右に折れてサン・フェリーチェ門に向かいます。


6
右折すればすぐに教会のような建物が見えます。


7
教会のような建物の左にあるのがサン・フェリーチェ門です。
サン・フェリーチェ門は旧市街の南西側の出入り口になります。実は、この門の下方にもう一つ門があります。そのため、この門はサン・フェリーチェの上門と呼ばれてます。
また、教会のような建物はマドンナ・デイ・ガベリエーリ礼拝堂です。フェリーチェの上門横にあるので、サン・フェリーチェ礼拝堂(祈祷所)とも呼ばれているようです。


8
16世紀に造られたサン・フェリーチェの上門です。


9
マドンナ・デイ・ガベリエーリ礼拝堂の横を下ります。


10
礼拝堂の下にサン・フェリーチェの下門があります。
門に向かって右側に泉があります。


11
サン・フェリーチェの泉です。


12
水利のために造られた人工の泉(池)です。


13
1319年に掘られました。


15
1319年に造られたことを示す碑文です。


14


16
12世紀に築かれたサン・フェリーチェの下門です。


17
上門に戻ります。


18
階段を上ります。


20
次はマドンナ・デイ・ガベリエーリ礼拝堂の拝観です。


19
マドンナ・デイ・ガベリエーリ礼拝堂の建っている場所には、9世紀頃とされる祠があり、この近くの住民の信仰を集めていましたが、それが前身とされてます。
祠は建物の中に置かれ、礼拝堂となりましたが、建物が経時劣化によって危険になったので、1701年に再建されました。


21


22
中に入りました。


23
祭壇


24
左側壁


25
右側壁


27
伝説の祠


26
信者席


28
祭壇画


29
ジュゼッペ・アッリーギ(ヴォルテッラ、1642-1702)の「聖母子と聖フェリーチェ」


30


31
(つづく)

1引き続きサン・ジュスト教会です。


2
後陣


3
鐘楼


4
右翼廊


5


6
何であるか、私には分かりません。


13
以前の建物の4本の柱


14


7
ファサードを見ます。


8


9


10


11


12


15
拝観します。


16
三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


17
天井の装飾


18
左右の側廊にそれぞれ4つの礼拝堂があります。
16世紀から17世紀にかけて制作された祭壇画がこの教会の美術的な見所と言えるでしょう。


19
コジモ・ダッディ(フィレンツェ、1540c-ヴォルテッラ、1630c)の「ご訪問」(1590c)


20
「聖母子」の周囲に描かれた「聖人たち」は、チェーザレ・ダンディーニ(フィレンツェ、1596-1657)


21
この「聖母子」がちょっと複雑です。
元々は、トスカーナの逸名画家によるネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418-1492)作の複製画があったのですが、何らかの理由によって取り外され、現在はネーリ・ディ・ビッチ作品の写真に置き換えれられてます。


22
ピエール・ダンディーニ(フィレンツェ、1646-1712)の「聖オルソラの殉教」


23
ジャンドメニコ・フェッレッティ(フィレンツェ、1692-1768)の「聖フランチェスコ・サヴェリオの説教」(1726)


24
ジュゼッペ・アッリーギ(ヴォルテッラ、1642-1702)の「包囲されたヴォルテッラの人々にヴォルテッラの城壁からパンを投げ入れる聖ジュスト」


25
ジュゼッペ・アッリーギ(ヴォルテッラ、1642-1702)の「聖アッティーニアと聖グレチニアーナの殉教」


26
拝観を終わりました。


27
ファサード前の広場


28


29
教会からの景観


30
(つづく)

↑このページのトップヘ