イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2025年11月

1アントニオ・グラムシ通りです。


2
メディチ家要塞方向に進みます。


3
サンタントニオ・アバーテ祈禱所前を通り過ぎます。


4
この時間、祈祷所は開いてません。


5
9月20日広場を通り過ぎます。


6
Museo Diocesanoの開館時間は過ぎました。


7
城壁が見えます。


8
Museo Diocesanoが置かれている旧サンタゴスティーノ教会です。


9
Via Don Minzoniに入りました。


10
エトルリア博物館が見えてきました。


11
博物館の開館時間が過ぎました。


12
更にメディチ家要塞方向に進みます。


13
Via Don Minzoniに向けて教会が建ってます。


14
サン・ピエトロ・イン・セルチ教会です。
この場所には現教会の前身であるサン・ピエトロ・ヴェッキオ教会がありました。


15
ウンフレード・グイスカルドの息子であるアベラルド・グイスカルド侯爵(将軍)は引退してヴォルテッラに住みました。グイスカルド将軍によって12世紀に建設されたのがサン・ピエトロ・ヴェッキオ教会でした。


16
1472年、ヴォルテッラはウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの率いられたフィレンツェ軍に敗れましたが、その際、サン・ピエトロ・ヴェッキオ教会は砲撃され破壊されてしまいました。
教会の再建が決まり、15世紀末から16世紀初頭に建設されたのがサン・ピエトロ・イン・セルチです。また、バロック様式のファサードはダニエーレ・ダ・ヴォルテッラの甥レオナルド・リッチャレッリ(ヴォルテッラ、1564-1570消息)の設計によって16世紀後半に建設されました。


17
ファサード壁龕の聖リーノ


18
聖ジュスト


19
ポータル上ルネッタの彫刻


20
教会の先は修道院の建物です。


30
写真右が修道院の建物です。


22


21
入口扉


23
単廊式、バロック様式の内部です。


24
主祭壇


25
碑文


26
名の知られた画家の作品が数点あります。


27
ニッコロ・チェルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1530-チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1597)の「受胎告知と聖人たち」


28
楕円形内の聖母子を除く部分は、ジュゼッペ・アッリーギ(ヴォルテッラ、1646-1706)の「聖リーノと聖ジュスト」


29
(つづく)

1拝観します。


2
中に入りました。


3
初めて拝観した時、歴史あるファサードとの著しい違いに驚きました。


4
1259年に着工されたロマネスク様式は殆ど認められません。16世紀と17世紀に行われた改修の痕跡もありません。


5
1826年から1828年に行われた修復、改造工事の結果、新古典様式の内部となりました。


6
外観と内部がアンバランスで戸惑います。


7
主祭壇


8
祭壇画や彫刻などを見て回ります。


9
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694-1766)の「カルメロの聖母と聖人たち」


10


11
詳細不知


12
右翼廊礼拝堂


13
詳細不知


14
詳細不知


15
詳細不知


16
詳細不知


17
詳細不知


18
詳細不知


19
詳細不知


20
詳細不知の聖体容器


21
聖母子とその周囲の聖人たちの制作された時代、制作者が異なります。


22
15世紀の逸名画家による「リスカットの聖母」とジュゼッペ・アッリーギ(ヴォルテッラ、1646-1706)の「聖人たち」(17世紀末)


23
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「聖家族」


24
ニッコロ・チェルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1530c-チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1597c)の「守護天使」


25
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469-1529)の「聖母子のタベルナコロ」


26
古い作品がありません。


27


28
カウンターファサード


29
外に出ました。


30
(つづく)

1サン・フランチェスコ門です。


2
門を潜って城壁外に出ました。


3
城壁兼用住居


4
城壁外に出てもやることがありません。


5
サン・フランチェスコ教会の拝観後に門に行くのは習慣みたいなものです。


6
サン・フランチェスコ教会を通り過ぎます。


7
サン・リーノ教会も通り過ぎます。


8
道を進めばサン・クリストフォロ祈禱所に出ます。


9


10
サン・クリストフォロ祈禱所に入ってみたのは単に気分の問題。


11


12


13
サン・クリストフォロ祈禱所から外に出ました。


14
この通りを歩くのは、この旅で何度目?


15
同じ場所に来てしまうのは、チェントロ・ストーリコが狭いからでしょう。


16
サン・ミケーレ教会に向かいます。


17
サン・ミケーレ教会は城壁内のほぼ中央にあります。


18
サン・ミケーレ教会です。


19
サン・ミケーレ教会の存在が987年8月14日付司教勅書に初めて言及されたそうです。


21
現在のロマネスク様式の建物は、1259年以降に着工された二代目となるものです。


22
ファサード上部は、1259年に着工されたオリジナルのものではありません。17世紀に上部だけ再建されたとされてます。


23
鐘楼


25
ポータル上ルネッタの「聖母子」の彫刻


24
現在、ルネッタ上にある彫刻は20世紀に作成された複製です。経時劣化のため、複製品に置き換えられました。


20
オリジナルの聖母子の彫刻
シエナ派逸名彫刻家による作品で、現在ヴォルテッラのMuseo Diocesanoで展示されてます。なお、シエナ派ではなく、ピサ派の逸名彫刻家作説もあるようです。


26
ポータルの柱頭は13世紀のオリジナルです。


27
教会が開いている時間でもファサード側の扉が閉まっていることがあります。


28
その場合、サイドポータル、または旧修道院の入り口経由で中に入ることが出来ます。


29
外観と比べると、中に入ると少しがっかりするかも。


30
(つづく)

1引き続きサン・フランチェスコ教会です。


2
Cappella della Croce di Giornoの続きです。


4
キリストの神殿奉献


3


5


6


7


8


9


10


11
エレナの奇跡


12
奇跡の木を認識するシバの女王


13
アダムの墓に木を植えるセト


14


15
内陣に戻りました。


16
コジモ・ダッディ(ヴォルテッラ、1575以前生まれ‐1630c)の「磔刑」(16世紀末)


17


18


19


22
墓が幾つかあります。


23


21
カウンターファサード


20
扉上の紋章


24
外に出ました。


25
サン・フランチェスコ広場です。


26
キオストロの入り口


27



28
サン・フランチェスコ教会はこれで終わりです。


29
サン・フランチェスコ門


30
(つづく)

1引き続きサン・フランチェスコ教会です。


2
Cappella della Croce di Giornoの続きです。


3
チェン二・ディ・フランチェスコ・ディ・セル・チェンニによって1410年頃に描かれたフレスコ画です。


30
受胎告知


4
嬰児虐殺


6


5


7


8
聖ジョヴァンニ・バッティスタ


9


10
ホスローの斬首と十字架を背負ってエルサレムに入るヘラクレイオス


11


12


13


14
コスロエの崇拝とヘラクレイオスの幻視


18


19


20


15


17
十字架を盗むコスロエ


21


22


23


24
十字架の建設


25


26


27
聖痕を受ける聖フランチェスコ


28


16


29
(つづく)

1引き続きサン・フランチェスコ教会です。


2
Cappella della Croce di Giornoです。


3
礼拝堂は教会本体に隣接しており、内陣側面のドアで繋がってます。


4
1315年、Mone de’Tedecinghiによって建設された礼拝堂は、2つの区画からなる構造をしており、後陣は多角形の天井で覆われてます。
サン・フランチェスコ教会は元々グイディ家の多額な寄進によって建設されましたが、この礼拝堂も初めからグイディ家と深い繋がりがありましたが、1786年にグイディ家の個人礼拝堂となり、現在に至ってます。


5
礼拝堂内陣はリブ付き十字形の天井で覆われてます。


6
壁がフレスコ画で覆われてます。フレスコ画の制作者は、四福音書記者を除いて、チェン二・ディ・フランチェスコ・ディ・セル・チェンニ(フィレンツェ、1369-1415)で、1410年頃に制作しました。
四福音書記者だけは、ヤコポ・ダ・フィレンツェによって1410年頃に描かれました。


7
ヤコポ・ダ・フィレンツェの「四福音書記者」(1410c)


14
聖ルカ


15
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(福音書記者聖ヨハネ)


16
聖マッテオ


17
聖マルコ


8
礼拝堂祭壇


9
祭壇画は1788年に差し替えられました。


10
現在の祭壇画は、ヴィンチェンツォ・タマーニ(サン・ジミニャーノ、1492-1530)の「磔刑」


11
1786年に差し替えられた理由が分かりませんが、1786年に礼拝堂を所有することになったグイディ家の希望による可能性が高そうです。


12
差し替えられる以前の礼拝堂祭壇画はこの作品でした。
ロッソ・フィオレンティーノの「十字架降下」です。


13
ヴォルテッラの市立絵画館にあります。


18
前述のように四福音書記者を除く壁のフレスコ画は、チェン二・ディ・フランチェスコ・ディ・セル・チェンニ(フィレンツェ、1369-1415)が1410年頃に描いたものです。


19
フレスコ画のテーマは、この当時、流行していた「黄金伝説」となってます。


20
「黄金伝説」は、ヤコポ・ダ・ヴァラッツェ(ヴァラッツェ、1230c-ジェノヴァ、1297)が1260年代から書き始め、死ぬまで書き継いだものです。


21
「黄金伝説」は、教会のフレスコ画のテーマとして流行していました。「黄金伝説」が分からないとフレスコ画の意味が分からないと思います。


22
少し後になりますが、ピエロ・デッラ・フランチェスカがアレッツォのサン・フランチェスコ聖堂に1452年から1458年頃に描いた有名なフレスコ画「聖十字架の秘密」も「黄金伝説」によります。


23
チェン二・ディ・フランチェスコ・ディ・セル・チェンニがこの礼拝堂に描いた作品は、アーニョロ・ガッディの強い影響を受けていると言われてます。


24
アーニョロ・ガッディの強い影響を受けたと言うよりも、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂にアーニョロ・ガッディが描いた「黄金伝説」を何度も観てから制作したと言う説が有力とされてます。


25


26


27


28


29


30
(つづく)

1引き続きサン・フランチェスコ教会です。


2
内部の礼拝堂を見て回ってます。


3
詳細不知の「修道士たち」


4


5
礼拝堂ではありません。


6
ニッコロ・チェルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1530c-1597c)の「ピエタ」


7


8
次の礼拝堂です。


9
アレッサンドロ・ゲラルディーニ(フィレンツェ、1655-リヴォルノ、1723)の「マントを着てメッシーナ海峡を渡るパオラの聖フランチェスコ」(1711)


10


11


12


13
Cappella della Croce di Giornoです。
この礼拝堂が見所ですが、後で詳しく取り上げます。


14
後陣です。


15
主祭壇


16
主祭壇の、バロック様式のタベルナコロ(16世紀)


17
主祭壇画


18
15世紀のトスカーナの逸名画家による「聖セバスティアーノの聖母子」


19
後陣左の礼拝堂


20
後陣右の礼拝堂


21


22
左側壁の礼拝堂に移ります。


23
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694-1766)の「天上の聖母子と聖人たち」(1750)


24


25


26
次はテラコッタのピエタです。


27
ザッキア・ザッキ・ダ・ヴォルテッラの「ピエタ」


28
ザッキア・ザッキ・ダ・ヴォルテッラは、彫刻家・画家のザッカリア・ザッキ(1473-1544)の父のようです。


29
詳細不知


30
詳細不知
(つづく)

1サン・リーノ教会を出て西方向に進みます。


2
直ぐにサン・フランチェスコ門が見えてきます。


3
サン・フランチェスコ門の手前右にサン・フランチェスコ広場があります。


4
広場に面して建っているのがサン・フランチェスコ修道院教会の複合施設です。


5
教会は今でも聖別されてますが、修道院だった建物は個人所有となっておりアパートに転用されているようです。


6
聖フランチェスコは1224年頃(特定されてません)にヴォルテッラに訪れ説教をしましたが、説教の数年後には托鉢修道会 Frati Minoriの修道士たちが定住するようになり、当時町外れだった、現在複合施設が建っている場所が与えられました。


7
修道士たちの生活に感銘を受けた大勢の人たちがこの場所に集まるようになり、やがて修道院教会の建設が決まりました。トスカーナの有力貴族グイディ家が費用の大部分を負担して13世紀にサン・フランチェスコ修道院教会が完成しました。
その後、数世紀にわたって拡大、改造を繰り返しましたが、シンプルさを追求したフランチェスコ会修道院教会の典型的に構造は維持されたままでした。


10
グイディ家出身のヴォルテッラ司教を始めとして、同家の修道院教会への支援は長く続きました。


8
旧修道院の建物


11


9


12
ファサードを見ます。


13
丸窓


14
ポータル上ルネッタの聖母子の浮彫


15
教会内部に入りました。


16
翼廊がない、単廊式、ゴシック様式の内部です。


17
Frati Minoriの典型的な教会構造をしています。


18


19
祭壇画などを見て回ります。


20
右側の礼拝堂です。


21
ジョヴァンニ・バルドゥッチ(フィレンツェ、1560c-ナポリ、1631)の「ご誕生」


22


23


24


25


26
次の礼拝堂です。


27
ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ(フィエーゾレ、1535-フィレンツェ、1591)の「聖母と四聖人とアダムとイヴ」(1585)


28


29


30
(つづく)

1引き続きサン・リーノ教会です。


2
次は左右の壁上部ルネッタに描かれた絵画です。
コジモ・ダッディ(ヴォルテッラ、1575?-1630)によって1618年に制作されました。テーマは「聖母とキリストの物語」となっており、全部で12場面からなってます。
「博士たちとの問答」の場面で、コジモ・ダッディの自画像が描かれており、その自画像でダッディが手にした紙に1618とあることで、制作された年が特定されてます。


27
受胎告知


28


25
ご訪問


26


23
ご誕生


24


21
キリストの神殿奉献


22


18
博士たちとの問答


19
画面右端にコジモ・ダッディの自画像が描かれてます。


20
コジモ・ダッディの自画像
1618制作と書かれた紙を手にしてます。


16
聖母の神殿奉献


17


14
アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚


15


12
ゲッセマネ園の祈り


13


10
キリストの鞭打ち


11


8
荊刑のキリスト


9


6
カルヴァリオへの道


7


3
磔刑


4


5


30
カウンターファサード


29
外に出ます。


31
外に出ました。
(つづく)


1引き続きサン・リーノ教会です。


2
内部の祭壇画などを見て回ってます。


3
後陣右側壁の祭壇画です。


4
チェーザレ・ダンディーニ(フィレンツェ、1596-1657)の「聖母の誕生」


5


6


7
次は天井のフレスコ画です。


8
壁一面に描かれてます。


9
天井のフレスコ画は、コジモ・ダッディ(ヴォルテッラ、1575?-1630)によるものです。


10
フレスコ画のテーマは「聖リーノ(リヌス)の生涯の物語」です。


11


12


13


14


15


16


17


18


19


20


21


23


24


25


26


27


22
コジモ・ダッディ(ヴォルテッラ、1575?-1630)の「聖リーノ」
右側壁にあります。


28
後陣にある祭壇画です。


29
コジモ・ダッディ(ヴォルテッラ、1575?-1630)の「ご訪問」


30
(つづく)

↑このページのトップヘ