イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2026年03月

17.トリノ
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見所豊富なトリノです。


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富裕層が多い街として知られてます。


サバウダ美術館:
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サバウダ美術館は質の高い作品が多い美術館として有名です。


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サヴォイア家の収集物が展示の中心です。


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ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


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ルカ・シニョレッリの「幼きキリストへの崇拝」(1497-98c)
この作品の制作された経緯が分からないようです。19世紀初頭にコルトーナのCasa Tommasi(現在高級B&Bとして使用)にあったことが初めての記録です。コルトーナにあったことからコルトーナの教会、同信会からの注文によって描かれたとの説があります。
1928年、金持ちの美術収集家リッカルド・グアリーノからサバウダ美術館に寄贈されました。


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余計です。


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18.カスティリオーン・フィオレンティーノ
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カスティリオーン・フィオレンティーノは、人口12,812人(2025年4月30日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネです。


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カスティリオーン・フィオレンティーノは、アレッツォ、コルトーナに隣接し、アレッツォとコルトーナの中間にあります。
その位置関係から、カスティリオーン・フィオレンティーノにはルカ・シニョレッリ作品が幾つかあったとされてますが、現在観ることが出来る作品は1点だけです。シニョレッリとしては珍しい「聖母子」の彫刻があったそうです。


①教区美術館 Museo Diocesano
15サン・ジュリアーノ教区教会です。
13世紀に建設され,1452年に再建されました。19世紀末に聖別されなくなり、その建物は2006年に教区美術館として使用されるようになりました。


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教会の礼拝堂などに作品が展示されてます。


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の左側壁にルカ・シニョレッリのフレスコ画が展示されてます。
ご覧のように剥離フレスコ画となってます。制作された時は礼拝堂のアーチ状の壁に描かれていましたが、1629年に行われた礼拝堂の修復の際、フレスコ画が剥離分離され、フレスコ画の主要部分だった「嘆き」だけが残されました。それ以外の部分は失われてしまいました。


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ルカ・シニョレッリの「嘆き」(1505-07)


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ルカ・シニョレッリ派逸名画家、ルカ・シニョレッリの影響を受けた画家の作品がMuseo Comunaleにあるので触れておきます。

➁コムナーレ絵画館 Pinacoteca Comunale
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サンタンジェロ・アル・カッセーロ教会です。
1191年の文書に、この教会の存在が初めて記録されたそうです。1785年、建物は病院に転用されました。


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教会と修道院だった建物に幾つかの市立博物館が置かれてます。そのうちの一つが絵画館です。


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教会の内部です。


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Museo Diocesanoに近似した展示


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ルカ・シニョレッリの強い影響を受けたコルトーナの逸名画家作「聖母子と聖アンナ」(1510c)


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ルカ・シニョレッリ派逸名画家作「慈悲の聖母」(1490-1510c)


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(つづく)

15.プラート
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プラートは、人口198,533人(2025年4月30日現在)のトスカーナ州フィレンツェ県にあるコムーネです。


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フィレンツェと密接な関係を持ち、古くから繊維産業で栄えてきました。私のプラートの印象は中国人が多いことです。



プレトリオ宮市立美術館:
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プラートのプレトリオ宮です。


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13世紀に建設された建物のすぐ横に14世紀に建物が建てられましたが、その2つの建物を繋ぎ合わせ一つに改造したのがプレトリオ宮です。2つの建物は色が違うので今でも分かるようになってます。


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1912年に市立美術館が置かれ、現在に至ってます。


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ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


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ルカ・シニョレッリと工房による「聖母子と聖人たちのトンド」(1515c)


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私には、制作の経緯など、このトンドに関することが分かりません。


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プラートと言えば、私ならフィリッポ・リッピとルクレツィアを思い出します。修道士と女子修道院の寄宿生との禁断の恋ですから。


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リッピ父子の作品が幾つかあります。



16.ナポリ
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ルカ・シニョレッリがナポリと何らかの関係を有したという話は聞いたことがありません。


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それでもルカ・シニョレッリの作品がナポリに1点あるのです。


カポディモンテ美術館:
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カポディモンテ美術館の入り口です。


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ナポリの美術はカポディモンテ美術館とカラヴァッジョなしでは語れません。しかし、それらはナポリにとって全くの僥倖とも言えるでしょう。
ファルネーゼ家が断絶しなければ、更にカラヴァッジョが殺人を犯して逃亡しなければ、ナポリ美術は悲惨だったかもしれません。


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カポディモンテ美術館で展示されている傑作の殆どはファルネーゼ・コレクションです。


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ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


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ルカ・シニョレッリの「幼きキリストへの崇拝」(1493-98)


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この作品はチッタ・ディ・カステッロのサンタゴスティーノ教会フェリアーニ礼拝堂があったことが同教会の1627年の記録に記載されてます。


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チッタ・ディ・カステッロのサンタゴスティーノ教会です。


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1493年、チッタ・ディ・カステッロの有力貴族フランチェスコ・フェリアーニは、サンタゴスティーノ教会内にフェリアーニ礼拝堂を建立しましたが、その祭壇画をルカ・シニョレッリに注文したとされてます。
1789年の地震によって、教会の建物が大きな被害を受け、現在の外観のように再建されましたが、その際、ルカ・シニョレッリの作品は売却されてしまいました。その後、売買が数度行われ、所有者が変わりましたが、19世紀にナポリ王宮の所蔵となりました。1939年にナポリ王宮からカポディモンテ美術館に移され現在に至ってます。


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裾絵があったかどうかは不明のようです。


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余計ですが、この作品も展示されてます。


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(つづく)

14.ミラノ
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ミラノは言うまでもなくミラノです。→意味不明


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ルカ・シニョレッリは、ミラノとは関係を持たなかったと思います。



ブレラ絵画館:
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ミラノにルカ・シニョレッリの作品が4点(正確には3点)あります。


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その4点はブレラ絵画館にあります。


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ナポレオンはイタリア侵攻に当たって、予めイタリア美術品の簒奪リストを作成したそうです。それに基づいて作品が集められ、フランスに持っていくもの、イタリアに残すものを決め、イタリアに残された作品を展示するためにブレラ絵画館を作りました。


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イタリア美術が大好きな私はナポレオンが大嫌いですが、傑作が集まっているブレラ絵画館に行かないではいられません。


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第5室です。


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ルカ・シニョレッリの作品が2点(定義によっては1点)が展示されてます。
実は、この2つの作品はStendardo(旗)として表裏両面に制作されたものを、表と裏に別々に展示されているのです。表が「聖母子」、裏が「キリストの鞭打ち」となってます。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子(授乳の聖母)」(1482-85c)


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ルカ・シニョレッリの「キリストの鞭打ち」(1482-85c)


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ファブリアーノのサンタ・マリア・デル・メルカト教会にありました。


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ルカ・シニョレッリの「玉座の聖母子と聖人たち」


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この作品は時々お蔵入りになっていて、鑑賞できない時があるようです。所有展示作品数に比べて、美術館の展示スペースが限られているので、展示作品の差し替えが頻繁に行われています。


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アルチェヴィアのサン・フランチェスコ教会にありました。


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四聖人は聖シモーネ、聖ボナヴェントゥーラ、聖フランチェスコ、聖ジローラモです。


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この他にもう1点あるのですが、近ごろ展示されていないようです。近年、私は観たことがありません。


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「聖クリスティーナの生涯の物語」(1515)
モントーネのサン・フランチェスコ教会のサンタ・クリスティーナ礼拝堂の祭壇画の裾絵です。メインパネルはロンドンのナショナルギャラリーにあります。
メインパネルはルカ・シニョレッリの作品ですが、この裾絵はルカの甥フランチェスコ・シニョレッリによって描かれた可能性が高いと言われてます。


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ブレラの見どころの一つ


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余計ですね、ルカ・シニョレッリとは無関係。


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(つづく)

12.オルヴィエート
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引き続きオルヴィエートです。



➁ドゥオーモの作品の博物館 Museo dell'Opera del Duomo
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1297年、第193代教皇ボニファチオ8世(教皇在位:1295-1303)によって建設されたPalazzo Solianoです。


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Palazzo Solianoの奥の部分に博物館があります。


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博物館にルカ・シニョレッリの作品が2点あります。


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Museo dell’Opera del Duomoの入り口


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ルカ・シニョレッリの「聖マリア・マッダレーナ」(1504)


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この作品はドゥオーモのサン・ブリツィオ礼拝堂東奥に設けられた聖マリア・マッダレーナ礼拝堂の祭壇画でした。
その設置場所について、当時のプリオーリ宮内礼拝堂にするのか、ドゥオーモのサン・ブリツィオ礼拝堂にするのか、色々議論がありました。


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絵画下部に1504の表示があり、制作年を表してます。
その作品は、1653年に礼拝堂祭壇が改修されるまで、放置されていました。そのため、祭壇画は酷い状態に劣化していたそうです。その粗雑な扱いから、ルカ・シニョレッリ自身の関与が少なく、専ら助手によって制作されたという説が出てきました。


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この作品は2010年頃に修復されましたが、修復前はこのような状態でした。修復によって元の姿に戻されたと言われています。


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ルカ・シニョレッリの「自画像とCamerlengoニッコロ・ダーニョロ・フランキの肖像」(1503?)


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Camerlengoとは、教皇が空位の場合、教皇庁の財産を管理し、事務を一時的に取り仕切る役職です。枢機卿がCamerlengoになります。


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この作品はタイルに描かれてますが、こちらはタイルの裏面です。裏面にルカとニッコロの名前が刻まれてます。


13.モンテプルチャーノ
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モンテプルチャーノは、人口13,099人(2025年3月31日現在)のトスカーナ州シエナ県にあるコムーネです。
ヴァザーリは、ルカ・シニョレッリがコルトーナからモンテプルチャーノに幾つかの作品を送ったと記述してます。


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モンテプルチャーノに、ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。



モンテプルチャーノ市立博物館:
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ルカ・シニョレッリの作品が市立博物館にあります。


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14世紀に建設されたPalazo Neri Orselliです。この建物にMuseo Civicoが置かれてます。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子」(1493-95)


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モンテプルチャーノのサンタ・ルチア教会の主祭壇を飾っていました。


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この「聖母子」にはプレデッラがありました。


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これがモンテプルチャーノのサンタ・ルチア教会にあった裾絵です。


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1831年にモンテプルチャーノのサンタ・ルチア教会からウフィッツィ美術館に移されました。


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裾絵はウフィッツィ美術館で展示されてます。


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裾絵の受胎告知


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羊飼いの礼拝


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マギの礼拝


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余計ですが、モンテプルチャーノのMuseo Civicoには見逃せない作品があります。


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カラヴァッジョの帰属作品「シピオーネ・カッファレッリ・ボルゲーゼの肖像」


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モンテプルチャーノのサンタ・ルチア教会です。


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かなり傷んでいる教会の説明板


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主祭壇画が空です。ここにルカ・シニョレッリの「聖母子」があったのです。取り外されMuseo Civicoに移されましたが、代わりの作品がなく空のままです。


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(つづく)

12.オルヴィエート
1
引き続きオルヴィエートです。


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オルヴィエート大聖堂



①オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂
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オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂の続きです。


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床上の壁にフレスコ画が描かれてます。ルカ・シニョレッリと工房によって1500年から1502年にかけて制作されました。


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中央の円に詩人などが描かれてます。


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Empedocles


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ダンテ


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Stazio


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Claudiaro


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Statius


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Empedocle


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Ovidio


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サン・ブリツィオ礼拝堂の外に出ました。


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サン・ブリツィオ礼拝堂のフレスコ画によってルカ・シニョレッリの名声が更に高まりました。


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(つづく)

12.オルヴィエート
1
引き続きオルヴィエートです。


①オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂
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サン・ブリツィオ礼拝堂の続きです。


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ルカ・シニョレッリの「肉体の復活」(1500-02)


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ルカ・シニョレッリの「地獄の呪い」(1500-02)


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サン・ブリツィオ礼拝堂の中にある聖体礼拝堂です。


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ルカ・シニョレッリの「聖ファウスティヌスと聖バレンティウスと共に死せるキリストへの哀悼」(1502)


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聖マリア・マッダレーナ左に描かれたモノクロ部分に注目です。


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1502年、ルカの息子アントニオが当時流行していたペストに罹って死にましたが、息子死を悼んでモノクロ部分が挿入されたと言われてます。


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ルカ・シニョレッリの「天国への昇天と地獄への召喚」(1500-02)


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この祭壇画はルカ・シニョレッリの作品ではありませんが、物事には序が付き物なので触れておきましょう。


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ドメニコ・マリア・ムラトーリ(ブドリオ、1661-ローマ、1744)の「聖人たち」(1724)


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(つづく)

12.オルヴィエート
1
引き続きオルヴィエートです。


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オルヴィエートのドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ司教座教会です。


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①オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂
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サン・ブリツィオ礼拝堂の祭壇


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「円形天井の下」のフレスコ画を見ます。


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ルカ・シニョレッリの「黙示録」(1500-02)

1499年4月5日付で、サン・ブリツィオ礼拝堂の天井フレスコ画の契約を結び、1500年4月23日に円形天井のフレスコ画が完成しました。
円形天井フレスコ画を完成した数日後に、ルカ・シニョレッリは制作料575ドゥカートで「円形天井から下」のフレスコ画制作を委託され、契約しました。(こちらの契約書は残されていないようです)
2026年3月13日追記:誤りです、以下のように訂正します。お詫びします。
「1500年4月23日、ルカ・シニョレッリは、新礼拝堂に参集した聖職者、市民代表者、信者代表者などの関係者を前に、用意してきた図柄を示しながら、天井下から地面までのフレスコ画装飾を提案しました。提案が認められ、契約の運びとなりました。
1500年4月27日、オルヴィエート大聖堂の聖具室で、新礼拝堂の天井下から地面までのフレスコ画装飾に関する契約が締結されました。同日、図柄、制作費575ドゥカートなどに関する契約補足書が作成されました。
1500年4月27日付の契約書と補足書は、オルヴィエート・ドゥオーモ付属博物館で保存されてます。」

「円形天井から下」のフレスコ画は1502年に完成し、1504年まで画料の支払いが続きました。


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ルカ・シニョレッリの「反キリストの説教と行為」(1500-02)


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「反キリストの説教と行為」は、左端に描かれた、黒い服を着た二人の男で有名です。


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左が「ルカ・シニョレッリの自画像」、右は「ベアート・アンジェリコの肖像画」


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ルカ・シニョレッリの「天国に選ばれた人々」(1500-02)


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(つづく)

12.オルヴィエート
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オルヴィエートは、人口19,166人(2025年3月31日現在)のウンブリア州テルニ県にあるコムーネです。


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凝灰岩で出来た台地に築かれた街です。


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オルヴィエートは、強力な軍事力を背景に領土を拡張し、13世紀から14世紀に最も繁栄を築きました。教皇庁との強固な関係を構築して、1202年にオルヴィエートのサンタンドレア教会で第176代教皇インノチェンツォ3世によって第4次十字軍の布告が行われ、1281年には第189代教皇マッテオ4世がサンタンドレ教会で教皇即位を行うなど、コムーネの地位安定を図りました。
1450年、オルヴィエートは教皇領となりました。


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ルカ・シニョレッリは、モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院のフレスコ画制作中にオルヴィエート大聖堂のフレスコ画制作の打診を受けたのです。
仕事の依頼先に関しては、モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院よりもオルヴィエート大聖堂の方が遥かに格上であり、画家として得られるであろう知名度、名誉、金銭という点でもオルヴィエート大聖堂の話は魅力的でした。


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かくして、ルカ・シニョレッリは、モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院のフレスコ画制作を中断し、オルヴィエートに移動して1449年4月5日付でオルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂天井のフレスコ画制作の契約を結んだのです。


①オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂
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オルヴィエートのドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ司教座教会です。


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第191代教皇ニッコロ4世(教皇在位:1288-1292)の命によって1290年に創建されました。


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美術的に非常に見所豊富な教会です。


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右側廊に面してサン・ブリツィオ礼拝堂があります。


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サン・ブリツィオ礼拝堂(当初は新礼拝堂と呼ばれていました)は、1396年に建設が開始され、1425年に完成しました。
第208代教皇ニッコロ5世(教皇在位:1447-1455)は、1447年、自分に仕えるベアート・アンジェリコ(ヴィッキオ、1395c-ローマ、1455)に対して、サン・ブリツィオ礼拝堂のフレスコ画装飾を命じました。ベアート・アンジェリコは、当時弟子だったベノッツォ・ゴッツォーリ(スカンディッチ、1420-ピストイア、1497)などを引き連れてフレスコ画制作に従事しました。
ベアート・アンジェリコと弟子たちは、15週間オルヴィエートに滞在してフレスコ画制作に従事しましたが、仕えるニッコロ5世からローマでの新しい仕事を命じられ、1447年9月にローマへと旅立ちました。1449年、サン・ブリツィオ礼拝堂へのベアート・アンジェリコの仕事はキャンセルされました。
サン・ブリツィオ礼拝堂のフレスコ画装飾は、その後、40年ほど凍結されたままになっていましたが、アントニオ・デル・マッサーロ通称イル・パストゥーラ(ヴィテルボ、1450c-1516)に話を持ち掛けたものの成約に至らず、次いでペルジーノに対して10年越しで交渉したものの画料で折り合いませんでした。
当時、画料に対して期日までに仕上げて、出来栄えも良く評判が良かったルカ・シニョレッリにフレスコ画制作の仕事が持ち込まれたのです。


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丸天井のフレスコ画は、ベアート・アンジェリコと弟子たちに一部が制作されたままになっていました。ルカ・シニョレッリとの契約では、丸天井フレスコ画の完成のみとなっていました。1500年4月23日に丸天井のフレスコ画装飾が完成しました。
完成の数日後、今度は「丸天井から下」のフレスコ画制作がルカ・シニョレッリに依頼され、575ドゥカートの画料で新たに契約が締結されました。
1502年にサン・ブリツィオ礼拝堂のフレスコ画装飾が完成し、画料の支払いは1504年まで続いた記録が残されてます。
ルカ・シニョレッリは、期日を守り、その出来栄えも秀逸ということで、このサン・ブリツィオ礼拝堂のフレスコ画制作によって、その名声を揺るぎないものとしました。
ルカの最高傑作は、このドゥオーモの「最後の審判」を描いたフレスコ画連作です。大規模な構図で表現した最初の画家となりました。


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丸天井のフレスコ画は二つに分けられます。


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ベアート・アンジェリコと弟子たちのフレスコ画は、ルカ・シニョレッリ作品に影響するので取り上げることにします。


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ベアート・アンジェリコとベノッツォ・ゴッツォーリなどの弟子たちによる「審判者キリスト」(1447)


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ベアート・アンジェリコとベノッツォ・ゴッツォーリなどの弟子たちによる「預言者たち」(1447)


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ベアート・アンジェリコとベノッツォ・ゴッツォーリなどの弟子たちによる「使徒たち」(1447)


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ベアート・アンジェリコとベノッツォ・ゴッツォーリなどの弟子たちによる「天使たち」(1447)


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以上がベアート・アンジェリコとベノッツォ・ゴッツォーリなどの弟子たちによるフレスコ画(1447)でした。


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ルカ・シニョレッリと工房による「教会博士たち」(1499-1502)


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ルカ・シニョレッリと工房による「聖人たち」(1499-1502)


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ルカ・シニョレッリと工房による「聖女たち」(1499-1502)


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(つづく)

メディチ家の庇護を受けてフィレンツェ、ヴォルテッラなどで活動していたルカ・シニョレッリでしたが、1492年のロレンツォ・イル・マニーフィコの死、1494年のロレンツォの息子ピエル・イル・ファトゥオのフィレンツェからの追放があっては最早メディチ家の庇護が期待できないと判断してフィレンツェ領を離れました。
その後、一旦ロレートに赴き、聖なる家の聖堂の聖具室のフレスコ画制作を完成させました。


11.アシャーノ
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アシャーノ Ascianoは、人口6,786人(2025年3月31日現在)のトスカーナ州シエナ兼にあるコムーネです。


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シエナ派作品を始めとして美術的に見どころ豊富なアシャーノです。


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この日の予定は、モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院に行くことでした。


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FSの駅名アシャーノ、モンテ・オリヴェート・マッジョーレに騙されてはいけません。


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騙されたのは私で、止せば良いのに徒歩でモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院に行くことにしました。


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モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院は、行政的にはアシャーノにあるのですが、アシャーノの分離集落 Frazioneであるキウスレ Chiusureの郊外にあるのです。


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うんざりするぐらいの遠くに修道院があるのです。


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キウスレを通り過ぎます。



モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院:
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ここから中に入ります。


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こちらはモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院教会複合施設のCattedrale della Nativita di Maria di Monte Oliveto Maggioreです。


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複合施設のキオストロです。キオストロを囲んで回廊が設けられてます。


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回廊の壁にフレスコ画の装飾が施されてます。
1496年頃、ルカ・シニョレッリは、サン・ベネデット修道会のサリヴェターナ会の当時の総長(アイロルディ修道院長)からフレスコ画制作を注文されたのです。
1497年から1498年にかけて、工房の弟子(特にジローラモ・ジェンガ)と共に滞在してフレスコ画制作に励みました。しかし、シニョレッリの有能で迅速な仕事ぶりと、画料に比べて優れた出来栄えの作品が高く評価されて、オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂の制作を依頼されたのです。
そのため、シニョレッリはモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院回廊のフレスコ画制作を途中で放棄して、オルヴィエートへと去ったのです。
修道院回廊のフレスコ画のテーマは、「聖ベネデットの生涯の物語」で、全部で38場面から成ります。(生涯の物語原作は35場面)
ルカ・シニョレッリが制作したのは、回廊西側の壁に描かれた「物語」の第21場面から第29場面の9つの場面になります。第29場面は、後に入り口ドアを拡大するために、現存する部分を除き破壊されてしまいました。
シニョレッリが放棄した後、フレスコ画制作はソドマ(ヴェルチェッリ、1477-シエナ、1549)に引き継がれ、1505年に回廊フレスコ画が完成しました。
回廊西側のフレスコ画は、第20場面から第30場面となってます。第20場面は例外で、バルトロメオ・ネローニ通称イル・リッチョ(シエナ,1505-1571)によって、1536年のカール5世の当修道院訪問後に追加制作されました。(第20場面にカール5世が描かれてます)

回廊のフレスコ画鑑賞は東の入り口から物語の第1場面から場面の順番通りに南側の壁、西側の壁、北側の壁へと進むのが良いと思います。
最初に制作に着手したシニョレッリが第1場面からではなく途中の21場面から第29場面の制作を手掛けた理由が私には分かりません。


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第21場面:フィオレンツォが悪魔に破壊された家の下で死亡したことを聖ベネデットに告げる修道士


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第22場面:モンテカッシーノの住民に福音を伝える聖ベネデット


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第23場面:崖の上から敵を追いかける聖ベネデット


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第24場面:壁が崩壊して転落した小さな修道士を蘇生させる聖ベネデット


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第25場面:修道院外で食事したことを修道士たちに伝える聖ベネデット


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第26場面:断食の誓いを破った修道士兄弟を叱る聖ベネデット


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第27場面:トティラの虚構を暴く聖ベネデット


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第28場面:トティラを認め、歓迎する聖ベネデット


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第29場面:子供を蘇生させる聖ベネデット
ドア拡大によって、フレスコ画下部が破壊されてしまいました。現存する部分はこれだけ。

後を引き継いだソドマのフレスコ画はどれも秀作です。
(つづく)

9.フィエーゾレ
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フィエーゾレは、人口13,815人(2025年3月31日現在)のトスカーナ州フィレンツェ県にあるコムーネで、フィレンツェに隣接してます。


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ルカ・シニョレッリがフィエーゾレに行った記録は残されていないようです。



ルカ・シニョレッリの作品がバンディーニ美術館にあります。

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フィエーゾレのドゥオーモです。


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ドゥオーモの横に1913年に建設された小さな建物がバンディーニ美術館です。


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聖職者(司祭でした)で、美術収集家、学者でもあった「アンジェロ・マリア・バンディーニ(フィレンツェ、1726-フィエーゾレ、1803)の肖像」(制作者不明)
1795年、バンディーニは自分の収集した美術館を展示、一般公開するために、フィエーゾレのサンタンサーノ教会内に小規模な美術館を開館させました。それがバンディーニ美術館の前身です。
しかし、教会の建物が経時劣化によって危険になったので、現在の建物に美術館が移転したのです。


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バンディーニ美術館で展示されているルカ・シニョレッリと工房による「聖母子と聖ジローラモと聖ベネデット」(1492-1500)


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この作品は何処かで観たことがあるでしょう。実は、作品を訪ねての(その13)コルシーニ美術館で紹介した「聖母子と聖ジローラモと聖ベネデット」(1492)のコピー画です。


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フィレンツェのコルシーニ美術館で展示されている、ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖ジローラモと聖ベネデット」(1492)です。

バンディーニ美術館の作品にはルカ・シニョレッリの署名があるので、ルカ自身によるコピー画です。バンディーニ美術館版は工房の手がかなり入っているとされてます。


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フィエーゾレのポッジョ城です。
ルカ・シニョレッリの作品(バンディーニ美術館版)は、バンディーニ美術館で展示される前にはポッジョ城にあったのです。
1469年、フィレンツェの古い有力貴族であるアレッサンドリア伯爵家が荒廃したポッジョ城を購入し、邸宅に大改造して、フィエーゾレに居住したのです。
アレッサンドリア伯爵家がフィレンツェでルカ・シニョレッリにコピー画を注文したと考えられてます。


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10.ヴォルテッラ
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ヴォルテッラは、人口9,391人(2025年3月31日現在)のトスカーナ州ピサ県にあるコムーネです。
メディチ家お抱えとなったルカ・シニョレッリは、祭壇画制作のために1490年から1491年にかけてヴォルテッラに滞在したことが分かってます。


①ヴォルテッラ市立絵画館
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ミヌッチ・ソライーニ宮です。


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この建物に市立絵画館が置かれてます。


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ミヌッチ・ソライーニ宮の中庭
市立絵画館にルカ・シニョレッリの作品が二点あります。以前はこの他に「聖ジローラモ」のフレスコ画断片がありました。


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ルカ・シニョレッリの「受胎告知」(1491)


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「受胎告知」はヴォルテッラのドゥオーモにあるサンタ・マリア修道会の礼拝堂にありました。


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1731年、ドゥオーモの鐘楼への落雷の影響で、「受胎告知」のパネルは3つに分解してしまい、修復されたことが作品の碑文に記されてます。


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ルカ・シニョレッリの「玉座の聖母子と聖人たち」(1490-91)


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ヴォルテッラのサン・フランチェスコ教会にありました。


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サン・フランチェスコ教会の主祭壇画として制作され、1879年まで同教会の主祭壇にありましたが、同年にプッブリコ宮に移されました。1905年に市立絵画館に移され現在に至ってます。


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展示作品数が限られてますが、質の高い作品ばかりです。
この他にルカ・シニョレッリの「聖ジローラモ」の剥離フレスコ画断片があった筈ですが、近ごろ見たことがありません。このフレスコ画はヴォルテッラの支配者ビンダッチョ・ディ・フランチェスコ・ベニンセーニのために描かれたもので、プリオーリ宮の階段にありました。1960年に階段から外されましたが、その際フレスコ画下部が失われた状態で同年市立絵画館に移されました。


➁ドゥオーモ
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サンタ・マリア・アッスンタ司教座教会です。


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現在ルカ・シニョレッリの作品がありませんが、市立絵画館で展示されている「受胎告知」はドゥオーモにありました。


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珠玉の作品が幾つかあって、美術ファンにとっては必訪でしょう。


③サン・フランチェスコ教会
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サン・フランチェスコ教会です。


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今でも珠玉の作品が数点あります。


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過ってルカ・シニョレッリの作品が二点ありました。そのうちの一つは、現在ヴォルテッラ市立絵画館で展示されている「玉座の聖母子と聖人たち」です。


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もう1点はこれです。
ルカ・シニョレッリの「割礼」(1491)

1882年、イギリス商人に売却され、現在ロンドン・ナショナル・ギャラリーの所有となってます。
サン・フランチェスコ教会割礼礼拝堂の祭壇を飾っていましたが、僅かな金額で売却されてしまいました。サンセポルクロ大聖堂にあった「キリストの洗礼」と同じ運命を辿ったのです。
なお、「割礼」ですが、ジョルジョ・ヴァザーリの記述によれば、「幼きキリスト」部分が痛みがあったので、その部分だけソドマによって描き直されたそうです。


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(つづく)

8.フィレンツェ
P2820849
引き続きフィレンツェです。



➁パラティーナ美術館
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ピッティ宮です。


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パラティーナ美術館に入館します。


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傑作が展示されているSala di Prometeoです。


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各部屋に置かれている案内シートが重要です。


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作品を一瞥しただけで誰の作品なのか、作品主題が分かる人には、この案内シートは不要でしょう。


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写真右端のボッティチェリ作品の下にルカ・シニョレッリの作品があります。


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ルカ・シニョレッリの「聖家族とアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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この部屋は有名作品ばかりが展示されてます。


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余計ですが、この写真を載せておきましょう。



③ホーン美術館
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14世紀に建設されたファニ家の邸宅に美術館があります。


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イギリス人の美術コレクターであるハーバート・パーシー・ホーンがこの建物を所有し、長く住んでいました。


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ハーバート・パーシー・ホーンが生存中の1894年に、自分のコレクションを一般公開するべく美術館としてオープンさせたのです。


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入口


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壁の装飾


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ルカ・シニョレッリの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


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祭壇画裾絵のパネルですが、祭壇画の詳細が不明です。


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ホーン美術館のシンボルとなっているジョットの「聖ステファノ」


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中は写真不可となってます。多翼祭壇画の分解されたパネルの展示が多く、私個人としては面白みの欠ける美術館です。



④コルシーニ美術館
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アルノ川沿いコルシーニ通りに美術館があります。


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1555年に建設されたPalazzo Corsini al Parioneです。16世紀後半、コジモ1世とエレオノーラ・ディ・トレドの息子ドン・ジョヴァンニ・デ・メディチ(フィレンツェ、1567-1621)の住居でした。
1640年、コルシーニ家に売却され、今も同家の住居となってます。


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見事な庭園ですが、ここに入るのはかなり難しいと思います。


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フィレンツェで最も重要な個人美術コレクションであるGalleria Corsiniです。通常はコネがないと入館が難しいと思います。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖ジローラモと聖ベネデット」(1492)


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カラヴァッジョ、ポントルモ、グエルチーノ、ジョヴァンニ・ベッリーニなどの作品があります。


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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの「マッフェオ・バルベリーニ枢機卿(後の教皇ウルバーノ8世)の肖像」
この作品がここにあるのです。


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(つづく)

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