イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2026年04月

1ルカ・シニョレッリは、過って1441年生まれとされていた時代がありました。今では1441年から1445年の間に生まれたというのが定説になってます。


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生まれたのはコルトーナであることは確実ですが、コルトーナの具体的な場所は分からないようです。サンタゴスティーノ修道院近くだったという説があります。


39.Boston Museum of Fine Arts
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ボストン美術館です。
50万点以上の所蔵作品を誇り、見るのが大変です。


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日本美術については、質と量の両面で日本国内の美術館よりも勝り、色々と考えさせられる美術館です。
ルカ・シニョレッリの作品が2点あるとされてますが、私は「そうかなあ?」と思います。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」
作品目録には載ってますが、私は観たことがありません。近頃、展示されたことがないと思います。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子と天使」
ヴァザーリの記述によれば、ルカ・シニョレッリの画風は師匠のピエロ・デッラ・フランチェスカの模倣で、師匠を越えようと躍起になっていたそうで、独自の画風を確立する以前に描かれたとされてます。
ボストン美術館側はルカ・シニョレッリの作品としていますが、今でもこの作品をピエロ・デッラ・フランチェスカ派逸名画家の作品としている美術史家が少なからずいるようです。
この作品は個人のコレクターの許を転々としていましたが、20世紀初頭にミラノのガッレリア・ペーザロの所有となりました。1922年、ボストン美術館がミラノのガッレリア・ペーザロから37,985ドルで購入しましたが、その時はピエロ・デッラ・フランチェスカの作品として売買されたそうです。


40.デトロイト美術館 Detroit Institute of Arts
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古代エジプトから現代美術までの幅広い展示が特徴です。


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カラヴァッジョの作品があるので、時々訪れてます。


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カラヴァッジョの「聖マルタと聖マリア・マッダレーナ」(1598c)
余計ですがカラヴァッジョの作品写真を載せておきましょう。

ルカ・シニョレッリの作品に戻ります。
同じ裾絵と思われる2枚のパネルがあります。


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ルカ・シニョレッリの「使徒たちとキリスト」


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ルカ・シニョレッリの「我に触れるな」

2枚のパネルは同じサイズです。
何処にあったのか、何の祭壇画の裾絵だったのか、明らかになってません。しかし、有力とされる2つの説があって、そのどちらかであるというのが定説のようです。


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そのうちの一つは、コルトーナのジェズ教会にあったとされてます。しかし、そのメインパネルは不明です。
写真左がコルトーナのMuseo Diocesano、右の建物がジェズ教会です。


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コルトーナのジェズ教会


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コルトーナの旧サン・ヴィンチェンツォ教会です。


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ルカ・シニョレッリの「聖トンマーゾの不信」
「聖トンマーゾの不信」は、コルトーナのサン・ヴィンチェンツォ修道院教会にありましたが、1995年の火災によって消失しまい、白黒写真しか残ってません。
デトロイト美術館の裾絵2点は、この祭壇画の裾絵だったというのが、もう一つの有力説です。
なお、教会は火災による内部の損傷が激しく、修復する価値なしとの判断をされたようで、聖別されなくなったようです。

裾絵2点の初めての存在確認記録は、「1900年にコルトーナの個人収集家が保有していた」でした。その後、フィレンツェの画商エリア・ヴォルピが手に入れ、1916年に画家、美術評論家のウォルター・パックに売りました。1929年、デトロイト美術館がパックから購入しました。



41.アメリカ、ミズーリ州カンザスシティ Nelson-Atkins Museum Art
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カンザスシティにあるネルソン=アトキンス美術館です。


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この美術館は資産家二人、新聞で財を成したネルソン氏と投資家の未亡人アトキンスが寄贈した莫大な資産を元手に、美術品を買い集めて無から出発したところに特徴があります。当時世界恐慌のために多くのコレクターが保有する美術品を安価で売りに出したことが大いに幸いしました。
時代を問わず、また地域を問わず買い集めた作品ばかりで、幅広いのですが、その反面コンセプトに欠ける点が残念です。例えば、フィレンツェのウフィッツィ美術館・パラティーナ美術館やシエナの国立美術館、ボローニャの国立美術館などと比べると、その点が良く分かります。
ともあれ、ネルソン・アトキンス美術館はアメリカだけでなく世界的に最も大きな美術館の一つなのです。


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カラヴァッジョの「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」
この作品があるので、観るために時々訪れてます。
本題のルカ・シニョレッリ作品に戻ります。


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ルカ・シニョレッリの「エジプトへの逃避と博士たちと問答するキリスト」
イタリアの政治家で美術品収集家、美術商でもあったアレッサンドロ・コンティーニ・ボナコッシ(アンコーナ、1878‐フィレンツェ、1955)から1950年に美術館財団がこの作品を購入しました。

このパネルのサイズ(縦22㎝横68㎝)から明らかに祭壇画の裾絵の1パネルと考えられます。メインパネルと他の裾絵パネルについては、定説がほぼ確立されているのです。


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「エジプトへの逃避と博士たちと問答するキリスト」のメインパネルとして可能性が高いとされている、ルカ・シニョレッリの「聖母被昇天」です。


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「聖母被昇天」はコルトーナ、ドゥオーモの主祭壇画でした。


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「聖母被昇天」のメインパネルは、現在コルトーナ・ドゥオーモ向かいにあるMuseo Diocesanoにあります。


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Museo Diocesanoの作品表示板
なお、他のプレデッラパネルは「幼児虐殺」と「聖母の結婚」です。それぞれ別のオークションで販売され、個人所有となってます。



42.アメリカ、コネチカット州ニューヘイブンのイェール大学美術館 Yale Univarsity Art Gallery
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画家のジョン・トランブル(1756-1843)が1832年に100点の作品をイェール大学に寄贈したことが発端となって設立された美術館です。
その後、多くの芸術家がトランブルの行為を是として寄贈しました。また、卒業生や篤志家が名門大学である同大学への寄贈、寄付が相次いだのも美術館の質を高目ることに資しました。


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ルカ・シニョレッリの作品がありますが、例によってプレデッラの1パネルです。


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ルカ・シニョレッリの「マギの礼拝」
「マギの礼拝」のパネルサイズ(縦36㎝横43㎝)、作品の構成や色彩などからフィラデルフィア美術館にある「羊飼いの礼拝」が同じ祭壇画の裾絵であるとの説が定説になってます。


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フィラデルフィア美術館にある、ルカ・シニョレッリの「羊飼いの礼拝」


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写真はコルトーナの司教館です。
この「マギの礼拝」は、アメリカの新聞編集者、米国副領事、美術評論家、美術収集家のジェームズ・ジャクソン・ジャーヴス(アメリカ、1818‐スイス、1888)がコルトーナの司教館から購入したものだと言いました。これはジャーヴスの主張であり、その真偽は不明とされてます。
1855年頃、ジャーヴスは美術品収集のためにフィレンツェに移住し、アメリカの副領事を務めながら収集に邁進しました。しかし、かなり悪辣な方法で収集したようで、悪評が立ちました。ジャーヴスはやがて金欠に陥り、その収集品の一部をアメリカの美術館に売ろうとしましたが、彼の悪評が災いして購入を拒否しました。ところがイェール大学だけがジャーヴスの収集品を担保にして、借金に応じたのです。1871年、ジャーヴスは破産し、担保になっていた美術品のうち、10世紀から17世紀のイタリア美術品119点を相場よりも安値でイェール大学が購入しました。
その119点の作品の一つがルカ・シニョレッリの「マギの礼拝」という訳です。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子と四聖人」
さて、プレデッラの「マギの礼拝」の祭壇画ですが、現在コルトーナのMuseo Diocesanoにある、「聖母子と四聖人」であるとの説が有力とされてます。


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「聖母子と四聖人」が何処にあった祭壇画なのか不明とされてますが、描かれている四聖人がいずれもフランチェスコ会の聖人であることから、コルトーナのサン・フランチェスコ教会にあったという説が説得力があるとされてます。


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写真はコルトーナのサン・フランチェスコ教会です。
(つづく)

1写真はアレッツォです。
ルカ・シニョレッリの師匠ピエロ・デッラ・フランチェスカは、1460年代、恐らく1462年から1467年頃までアレッツォにいました。アレッツォのサン・フランチェスコ教会の「真の十字架の物語」フレスコ画制作の第二段階を描くためでした。その時代にルカはピエロに弟子入りしたと言われてます。


35.アメリカ、アトランタ High Museum of Art
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アトランタのHigh Museum of Artです。


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広くて、展示作品が膨大なので見るのが大変です。
ルカ・シニョレッリの作品が2パネルあります。同じ祭壇画の裾絵2点です。


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ルカ・シニョレッリの「バーリの聖二コラの誕生」
プレデッラの場合、多くは工房によって制作されました。これらのプレデッラもその例外ではありません。


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ルカ・シニョレッリの「アデオダトゥスを救出するバーリの聖二コラ」

これらのプレデッラについては記録が残されていました。
コルトーナのサン・ニッコロ教会にあった、行列行進の際に使用される旗のプレデッラでした。旗だけの使用の場合、プレデッラは不必要でしたが、この旗は教会の主祭壇画として兼用されていたので、プレデッラ付きとなりました。
サン・ニッコロ教会は、それを支えるサン・ベルナルディーノ・ダ・シエナ信徒会の活動が衰退し、常勤の聖職者がいない礼拝堂に格下げとなりました。それに伴い、1784年、行列行進の旗はコルトーナのジェズ教会に移されましたが、その時の記録に聖二コラの物語を描いた3枚のプレデッラの存在が記載されているのです。
1792年、祭壇画(旗)がジェズ教会からサン・ニッコロ礼拝堂に戻されました。メインパネル(両面に描かれた)とプレデッラが分解分離された具体的な年は不明です。


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コルトーナのサン・ニッコロ教会


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サン・ニッコロ教会の主祭壇


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ルカ・シニョレッリの「死せるキリストと聖人たち」

以前はこちらの画面を見ることが出来ても、裏面を見るのが難しかったのですが、2013年頃だったと思いますが、電動で旗が動くように改造されました。それ以降、この教会はMuseoの扱いになりました。


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電動で旗が動いたところ


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裏面のルカ・シニョレッリの「聖母子と聖ピエトロと聖パオロ」


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3枚のプレデッラは売却されたようです。(その詳細は不明)

High Museum of Art所蔵のプレデッラ2枚は、アレッサンドロ・コンティーニ=ボナコッシ伯爵(アンコーナ、1878‐フィレンツェ、1955)が保有していました。アレッサンドロは政治家、切手収集家、美術品収集家・美術商で、ナチス・ドイツのゲーリングの美術収集のために美術品を調達したことでも有名です。
アメリカの実業家で、慈善家、美術品収集家だったサミュエル・ヘンリー・クレス(1863‐1955)が1937年、このプレデッラ2枚をアレッサンドロから購入しました。
1961年、サミュエルの遺族がこのプレデッラ2枚を含む美術品をHigh Museum of Artに寄贈しました。

もう1枚のプレデッラ「3騎士を救出する聖二コラ」は、ドイツ、マイニンゲンのザクセン=マイニンゲン公国の公爵宮殿にあったことが知られてます。その後、売りに出され所有者が何度か変わったようです。
2020年、この「3騎士を救出する聖二コラ」はドイツ、ケルンのオークションに出品され、87,700ユーロで落札されました。さらに2022年1月のニューヨークのサザビーズでオークションにかけられ、176,400ドルで落札されました。



36.アメリカ ボルチモア The Walters Art Museum
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アメリカのメリーランド州ボルチモアにあるThe Walters Art Museumです。


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約22,000点のコレクションを誇り、見るのが大変です。見たい作品の展示場所を探すことさえ難しい美術館です。
ルカ・シニョレッリの作品が1点ありますが、パネルの一部なので鑑賞に値するのか、その辺が微妙です。


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ルカ・シニョレッリの「受胎告知する大天使ガブリエーレ」

この作品の制作の経緯は全く不明です。
大きな祭壇画の「受胎告知」の一部なのか、オルガンの蓋絵のように「受胎告知する大天使ガブリエーレ」と「受胎告知される聖母」が二枚のパネルに別々に描かれたものの、大天使の一部なのか、全く分からないのです。


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ヴォルテッラの市立絵画館で展示されている、ルカ・シニョレッリの「受胎告知」(1491)

美術史家の多くは、ボルチモアのThe Walters Art Museumの「受胎告知する大天使ガブリエーレ」はヴォルテッラ市立絵画館で展示されている「受胎告知」に形式が近似しているということで、1491年前後に制作されたという説を提唱しています。
「受胎告知する大天使ガブリエーレ」は、個人のコレクター数人に所有された後、1922年にThe Walters Art Museumの創設者ヘンリー・ウォルターズが手に入れました。

さて、対となる「受胎告知される聖母」の切り取られた部分ですが、ベルギーのジークラッベ城にあったそうですが、売りに出され個人蔵を転々とした後、2010年にニューヨークのサザビーズに競売に掛けられ、74,500ドルで落札されましたが、落札者が明らかにされていないようです。



37.アメリカオハイオ州トレド Toledo Museum of Art
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アメリカ、オハイオ州トレド市にあるToledo Museum of Artです。
ここに同じ祭壇画からの2枚のパネル絵があります。


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ルカ・シニョレッリの2つのパネルが並べて展示されてます。


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Pala Bichiという有名な多翼祭壇画の1パネルですが、私にはこれらのパネルの意味するところが分かりません。


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2枚のパネルは、何時しかアメリアに渡り、20世紀初頭にリッチモンドのクック・コレクションにあったことが確認されてます。1955年、Toledo Museum of Artが買収して現在に至ってます。


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Pala Bichiの現存するパネルの配置に関する提唱図
メインパネルは恐らく「聖母子」だったという有力説があります。


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写真はシエナのサンタゴスティーノ教会です。Pala Bichiはサンタゴスティーノ教会の右翼廊にあったBichi家の個人礼拝堂にありました。
1487年10月15日、Bichi家は同家の個人礼拝堂建設を引き受けるとの契約を締結しました。契約には礼拝堂の壁にフレスコ装飾を行うこと、祭壇画を設置することなどが記載されてます。
その契約に基づき、Bichi家がルカ・シニョレッリに発注しました。ルカ・シニョレッリの仕事が1494年7月25日に終了したことを記す公正証書が残されてます。
Bichi家は17世紀までに没落し、同家の個人礼拝堂(サン・クリストフォロ礼拝堂)は教会の重荷になっていたようです。
1747年、サンタゴスティーノ教会は火災によって壊滅的な被害を受けました。火災後、大規模な改造修復工事が行われましたが、その際Bichi家礼拝堂は廃止され、ルカ・シニョレッリのフレスコ画は塗りつぶされ、Pala Bichiは分解されパネル毎に売りに出されました。
こうして多翼祭壇画のパネルはベルリン、ダブリン、グラスゴーなどの美術館に散在しています。



38.アメリカ、サンディエゴのSan Diego Museum of Art
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アメリカのカリフォルニア州サンディエゴ市にあるSan Diego Museum of Artです。


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建物の見事なファサードが印象的です。
スペイン美術の展示に強みがある美術館ですが、イタリア美術品も充実してます。
ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


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ルカ・シニョレッリの「聖母戴冠」
一見して祭壇画のルネッタと分かります。


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このルネッタは、ルカ・シニョレッリがアルチェヴィアのサン・フランチェスコ教会のフィリッピーニ家の個人礼拝堂のために制作した祭壇画の一部と特定されてます。


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アルチェヴィアは、人口4,265人(2025年10月31日現在)のマルケ州アンコーナ県にあるコムーネです。


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アルチェヴィアのサン・フランチェスコ修道院教会のキオストロ


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サン・フランチェスコ教会の内部

1508年に制作された祭壇画は、ナポレオンに接収されました。その際、ルネッタ、メインパネル、プレデッラに分解されましたが、フランス人が持って行ったのはメインパネルだけで、ルネッタとプレデッラはフィリッピーニ家で保管されました。
メインパネルはミラノのブレラ絵画館に所有されてます。現在、メインパネルはアルチェヴィアのサン・フランチェスコ教会に戻されたという話がありますが、私は未確認です。
フィリッピーニ家で保管されていたルネッタとプレデッラは、ローマの骨董商に売却されました。ルネッタは、その後数度売買が繰り返され、所有者が変わりました。1979年、ルネッタの「聖母戴冠」はクリスティーズに出品され、個人コレクターの所有となりましたが、その人から1985年にサンディエゴ美術館が50万ドルで購入しました。


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アルチェヴィアのサン・フランチェスコ教会のルカ・シニョレッリの祭壇画メインパネル


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裾絵は既に述べたようにアルテンブルクにリンデナウ美術館にあるものが、この祭壇画のプレデッラであるとの説が有力です。


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ミラノのブレラ絵画館
(つづく)

1写真はアレッツォです。
ルカ・シニョレッリが初めて工房を構えたのがアレッツォです。ルカへの画料支払いがピエロ・デッラ・フランチェスカ経由だったことから、ピエロの工房における親方だった可能性がありそうです。


32.アメリカ、ワシントンDC National Gallery of Art
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世界一の金持国アメリカのNational Gallery of Artですから、有名作品が揃ってます。札束で持ってきた作品が多く、地元アメリカ出身の芸術家による作品が少ないのが特徴でしょう。


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展示は膨大で見るのが大変です。
ルカ・シニョレッリの作品が3点あります。


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ルカ・シニョレッリの「磔刑」
この作品は、マテーリカのサンタゴスティーノ教会の主祭壇画の一部です。


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マテーリカは、人口9,034人(2025年9月30日現在)のマルケ州マチェラータ県にあるコムーネです。


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マテーリカのサンタゴスティーノ教会です。
1504年5月25日付で祭壇画制作の契約が締結され、1505年9月3日に納品された記録が残されてます。ルカ・シニョレッリは、その画料としてコルトーナの家二軒を受け取る契約になっていて、実行されました。
1789年の地震によって、教会の建物は大きな被害を受けるとともに、ルカの祭壇画も画材の木材が破断したそうです。被害を受けた祭壇画の状態の良い部分が剝ぎ取られて別々に売却されました。現存するのはその部分画13点となっており、ロンドンのナショナルギャラリーなどの美術館や個人の収集家によって保有されてます。
部分画「磔刑」はロンドンの画商、ロンドンのチャールズ・J・ロビンソン卿のコレクション、リッチモンドのフランシス・クック卿のコレクションを経て、1948年にワシントンのナショナルギャラリーの所有となりました。


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マテーリカのサンタゴスティーノ教会の主祭壇画の主要部分
以上で「磔刑」を終わります。



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ルカ・シニョレッリの「聖母の結婚」
縦22㎝ 横48㎝の小さな板に描かれてます。そのサイズから明らかに祭壇画の裾絵の一部と考えられてます。
その祭壇画ですが、ヴォルテッラのドゥオーモのサンタ・マリア修道会礼拝堂の主祭壇画「受胎告知」が有力とされてます。


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ヴォルテッラのドゥオーモ


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ヴォルテッラのドゥオーモにあった、ルカ・シニョレッリの「受胎告知」


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「受胎告知」はヴォルテッラの市立絵画館で展示されてます。


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ヴォルテッラの市立絵画館

さて、ワシントンDCのナショナルギャラリーの「聖母の結婚」と対になる裾絵として、リッチモンドのVirginia Museum of Fine Arts所蔵の「聖母の神殿奉献」が定説となってます。


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ルカ・シニョレッリの「聖母の神殿奉献」
この作品は現在展示されていないようです。
ワシントンDCのナショナルギャラリー所蔵の「聖母の結婚」とリッチモンドのヴァージニア美術館所蔵の「聖母の神殿奉献」は、実は所有者が同じでしたが、20世紀初めに別々のコレクターに売却されたのです。


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写真はリッチモンドのVirginia Museum of Fine Artsです。

ワシントンDCのナショナルギャラリーに戻ります。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖人たち」


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写真はアレッツォのPalazzo Albergottiです。
アレッツォの名門貴族アルベルゴッティ家の邸宅です。
ワシントンDCのナショナルギャラリー所蔵の「聖母子と聖人たち」は、アルベルゴッティ家のコレクションにあったことが確認されてます。同家からフィレンツェのロンバルディ・バルディのコレクションに売却されました。その後、数度所有者が変わりました。1961年、当時所有していたホノルル・アカデミーからナショナルギャラリーに移管され、現在に至ってます。


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写真はアレッツォのドゥオーモです。

「聖母子と聖人たち」は、アレッツォ・ドゥオーモのアルベルゴッティ礼拝堂の祭壇を飾っていたか、または同家邸宅横にあったサン・マルコ・ア・ムレッロ教会(取り壊されて、その痕跡さえ存在しない)に寄贈された、のどちらかと言われてます。
ルカ・シニョレッリの時代、聖会話形式の祭壇画に裾絵が付いていることが多く、この祭壇画にもプレデッラがあった可能性があります。
この「聖母子と聖人たち」の裾絵として、アレッツォのMuseo Diocesanoにある「聖母マリアの生涯の物語」が提唱されてます。
それらを紹介しておきましょう。


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写真右端の建物がアレッツォの司教館です。司教館にMuseo Diocesanoが置かれてます。


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Museo Diocesanoで展示されているルカ・シニョレッリの裾絵


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聖母の結婚


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聖母の神殿奉献


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聖母の誕生

しかし、アレッツォのMuseo Diocesanoにある「聖母の生涯の物語」の裾絵については、予てから提唱されている説があって、それが多数意見となってます。


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アレッツォのMuseo Diocesanoにある裾絵「聖母の生涯の物語」のメインパネルとして提唱されている作品


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この作品はアレッツォのサンタ・マルゲリータ修道院の修道女から注文されました。


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アレッツォの中世近代美術館にあります。


33.アメリカ、マサチューセッツ州ウィリアムズタウン Sterling and Francine Clark Art Insitute
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アメリカ、マサチューセッツ州ウィリアムズタウンにあるSterling and Francine Clark Art Insituteです。
ここにルカ・シニョレッリの作品があります。


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ルカ・シニョレッリの「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」

有名なPala Bichiの裾絵の一部です。


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シエナのサンタゴスティーノ教会です。


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サンタゴスティーノ教会の内部です。

サンタゴスティーノ教会は、1747年に火災に遭い、大きな被害を受けてしまいました。火災後、大修復工事が行われ、内部は新古典様式に改造されました。
Bichi家の個人礼拝堂は、ルカ・シニョレッリのフレスコ画で壁が装飾され、ルカの祭壇画が礼拝堂を飾っていました。しかし、火災の随分前にBichi家は没落してしまい、Bichi家の個人礼拝堂は教会にとって重荷になっていました。
火災後の修復改造工事の際、Bichi礼拝堂のルカのフレスコ画は塗りつぶされ、ルカの祭壇画は分解されてパネル毎売却されました。


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Pala Bichi
この他にも現存するパネルがありますが、個人蔵などの理由により写真がありません。


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Cappella Bichiのルカ・シニョレッリのフレスコ画
(つづく)

29.セッティニャーノ(フィレンツェの分離集落 Frazione)
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フィレンツェを流れるアルノ川です。


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セッティニャーノは、フィレンツェ中心部の北東方向、中心部から約4km離れたところにあるフィレンツェの分離集落です。カンポ・ディ・マルテ地区にあり、1911年まではフィエーゾレに属していましたが、1911年にフィレンツェ市に組み入れられました。


3
セッティニャーノをフィレンツェ編で触れるべきでしたが、その時は忘れてしまいました。ということでセッティニャーノを独立させた形で触れる羽目となってしまいました。不手際をお詫びします。


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セッティニャーノのVilla I Tattiです。ザティ家によって1563年以前に建設されました。
1900年、イギリス人バーナード・ベレンソンとその妻メアリー・ピアソール・スミスがこのVillaに住むようになり、大変気に入ったので1906年に購入しました。それ以降、Villa I Tattiはフィレンツェやその周辺のアングロサクソン人社会の中心地となったそうです。


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1936年、ベレンソン夫妻はVillaから立ち去ることになり、Villa I Tattiと美術品など全てがハーバード大学に継承されるようになりました。


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Villa I Tattiの庭園

歴史家で美術収集家だったパオロ・ジョヴィオが収集した美術品がありました。1551年に記録されたパオロ・ジョヴィオのコモ湖畔邸宅における美術品所有リストが残されており、その中に394点の肖像画が含まれていました。パオロの肖像画コレクションは当時から有名でした。
1909年、パオロ・ジョヴィオのコレクションは、ロンドンでベレンソン夫妻によって買収され、Villa I Tattiに移されました。
このコレクションもハーバード大学に継承され一般公開されてます。
そのコレクションの肖像画の中にルカ・シニョレッリの作品が2点あるのです。


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ルカ・シニョレッリの「ヴィテッロッツォ・ヴィテッリの肖像」
Vitellozzo Vitelli(チッタ・ディ・カステッロ、1458-セニガッリア、1502)は、チッタ・ディ・カステッロの領主で傭兵隊長のニッコロ・ヴィテッリの息子です。ニッコロ・ヴィテッリには5人の息子がいましたが、いずれも傭兵隊長を務めました。
ヴィテッロッツォはチェーザレ・ボルジアに対する陰謀が露見して、セニガッリアで絞殺されました。


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ルカ・シニョレッリの「カミッロ・ヴィテッリ(チッタ・ディ・カステッロ、1459-チルチェッロ、1496)の肖像」
カミッロもチッタ・ディ・カステッロの僭主ニッコロ・ヴィテッリの息子で傭兵隊長を務めました。馬上槍試合の先駆者として名を馳せましたが、カミッロは傭兵隊長として出陣した際に戦闘中に戦死したそうです。


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写真はチッタ・ディ・カステッロです。
ルカ・シニョレッリがチッタ・ディ・カステッロで工房を構えて活動していた1490年代、その当時、チッタ・ディ・カステッロを支配していたのは僭主のニッコロ・ヴィテッリと彼の息子たちでした。ルカ・シニョレッリは恐らくヴィテッリ一族の成人男子全員の肖像画を描いたと考えられてます。
現存するのは、パオロ・ジョヴィオのコレクションの2点とバーミンガムにある1点だけのようです。


10
写真右端の建物はチッタ・ディ・カステッロのPalazzo Vitelliです。ヴィテッリ一族の邸宅でした。



30.ルチニャーノ
12
写真はルチニャーノです。


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ルチニャーノは、人口3,402人(2025年9月30日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネで、「イタリアの最も美しい村」にリストアップされてます。


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ルチニャーノのサン・フランチェスコ広場です。


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サン・フランチェスコ広場に面して建つPalazzo Comunaleです。
建物内にMuseo Comunaleが置かれてます。
Museoにルカ・シニョレッリの作品が展示されてます。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子」


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「聖母子」はPalazzo Comunaleに隣接するサン・フランチェスコ教会にありました。
ヴァザーリによれば、サン・フランチェスコ教会の戸棚の扉に描かれたそうです。


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ルカ・シニョレッリ、またはシニョレッリ工房による「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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「聖痕を受ける聖フランチェスコ」は、サン・フランチェスコ教会の聖遺物箱を収容する木製キャビネットに描かれたという説が有力です。


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ルチニャーノのサン・フランチェスコ教会


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サン・フランチェスコ教会の内部
古いフレスコ画が残されてます。
次はイタリア以外にあるルカ・シニョレッリの作品です。



31.ドイツ、アルテンブルク
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アルテンブルクは、ドイツのデューリンゲン州にある人口3万2千人の小都市です。


22
アルテンブルクにあるリンデナウ美術館です。
ザクセン州首相で、弁護士、天文学者、美術品収集家であったベルンハルト・フォン・リンデナウ男爵(1779-1854)が収集した美術品を展示するために1876年に設立されたのがリンデナウ美術館です。
ルカ・シニョレッリの多翼祭壇画から分解された端絵4パネルと裾絵5パネルが展示されてます。


23
端絵の4パネル


24
シエナの聖ベルナルディーノ


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アッシジの聖キアラ


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トゥールーズの聖ルイ


26
ハンガリーの聖エリザベッタ


28
裾絵の園のキリスト


29
キリストの鞭打ち


30
磔刑


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遺体の搬送


32
キリストの復活

さて、これらのパネルですが、リンデナウ男爵が1848年と1853年にローマで購入したそうです。これらのパネルがあった多翼祭壇画ですが、アルチェヴィアのサン・フランチェスコ教会のためにルカ・シニョレッリが1508年に制作したもの、との説があります。
そのメインパネルは、ブレラ絵画館所有で、現在、アルチェヴィアに戻された説がある(これが本当かどうかですが、私は最近アルチェヴィアに行ってないので分かりません)「聖母子と聖人たち」です。


33
ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖人たち」(ミラノ、ブレラ絵画館所有)
(つづく)

27.ウルビーノ
1
ウルビーノは、人口13,857人(2025年4月30日現在)のマルケ州ペーザロ=ウルビーノ県の県都です。


2
イタリア・ルネサンスの最も重要な中心地の一つです。


4
卓越した傭兵隊長だったフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公爵(グッビオ、1422-フェッラーラ、1482)の時代が最も繁栄していました。


3
ラッファエッロの生地です。


5
ドゥオーモ



マルケ国立美術館:
6
ドゥカーレ宮殿にマルケ国立美術館があります。


7
ドゥカーレ宮殿の中庭


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美術館の入り口


9
第23展示室です。


10
ルカ・シニョレッリの作品があります。二点あるように展示されてます。普通のStendardoは二枚のキャンバス画を表裏に縫い合わせて一枚の旗にするのが普通ですが、ウルビーノのStendardoは旗の左右の端にルカ・シニョレッリの作品が縫い合わされていたそうです。旗の真ん中の部分は失われたそうです。


11
ルカ・シニョレッリの「磔刑」(1504)


14
ウルビーノのサント・スピリト教会にありました。


12
ルカ・シニョレッリの「聖霊降臨」(1504)
「聖霊降臨」はルカの作品ではなく、シニョレッリ工房作であるとの説が一部にあります。


13
このStendardoは、1494年6月にサント・スピリト修道会がウルビーノのサント・スピリト教会のために、制作費20フローリンで注文しました。
1858年以前にサント・スピリト教会から取り外され、アルバーニ宮殿に設置されました。


1
ウルビーノのアルバーニ宮殿(現在はウルビーノ大学)
ルカ・シニョレッリのStendardoは、1903年にこの建物からマルケ国立美術館に移されました。


15
幾つかの傑作がマルケ国立美術館の目玉です。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品


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ラッファエッロ作品の展示室


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ラッファエッロの作品


20
ラッファエッロの作品



28.アルチェーヴィア
21
アルチェーヴィアは、人口4,285人(2025年4月30日現在)のマルケ州アンコーナ県にあるコムーネです。
アルチェーヴィアに行くにはセニガッリアからバス利用が比較的便利です。


22
中心地に2つの要塞があることから、中世の頃にはロッカ・コントラーダと呼ばれていました。
現在のコムーネ名は、ラテン語の「arces」と「via」に由来し、「要塞化された場所」を意味します。


23
2つの要塞の一つ、Castello di Castiglioniです。


24
Castello di Loretello



①サン・メダルド参事会教会:
25
アルチェーヴィアのドゥオーモであるサン・メダルド参事会教会 Collegiata di San Medardoです。


26
1208年の文書に教会の存在が初めて記録されたそうです。1585年、Collegiataに昇格しました。


27
この教会の主祭壇画がルカ・シニョレッリの多翼祭壇画です。


28
ルカ・シニョレッリの「アルチェーヴィアの多翼祭壇画」(1507c)
聖母子の玉座にルカの名前と1507と記されてます。


29
29枚のパネルから成る多翼祭壇画です。1枚の欠損もなく、29枚のパネル全てがそろってます。
ナポレオンのイタリア侵攻の際、この多翼祭壇画は接収されブレラ絵画館の所有になりましたが、ブレラの所有権の下に、作品が元に戻されたようです。


30


31


3
ルカ・シニョレッリの「キリストの洗礼」(1509)


②サン・フランチェスコ教会
4
アルチェヴィアのサン・フランチェスコ修道院教会のキオストロ


6
ミラノ、ブレラ絵画館で展示されている、ルカ・シニョレッリの「玉座の聖母子と聖人たち」です。


8
この作品は、アルチェヴィアのサン・フランチェスコ教会フィリッピーニ家の個人礼拝堂のために描かれた祭壇画のメインパネルです。
建物が経時劣化、荒廃したので、18世紀前半に再建されましたが、再建された教会の内部に合わせるために、礼拝堂の祭壇はバロック様式に改められました。その際、ルカ・シニョレッリの祭壇画は分解され、メインパネルだけが祭壇に飾られ、それ以外のパネルはフィリッピーニ家に引き取られ保管されました。


7
さて、メインパネルですが、1811年までフランチェスコ教会フィリッピーニ礼拝堂にありましたが、フランス軍に接収されました。フランスに運ばれる作品リストから外れ、ブレラ絵画館での展示が決まり、ブレラ絵画館の所有作品として一時的に展示されました。1815年、この作品は、ミラノ近郊のフィジーノ・トレンノのピエーヴェ美術館に移されました。
その後、この作品は粗雑な扱いを受けて、ピエーヴェ美術館で忘れ去られた存在になってしまいましたが、1891年に再発見され、ブレラ絵画館に戻されました。修復後にブレラ絵画館に戻され、一般公開されるようになりました。
メインパネル以外のパネルは、フィリッピーニ家にありましたが、その後、ローマの骨董商に売却されました。サンディエゴ美術館所蔵の「父なる神と聖母戴冠」は、この祭壇画のルネッタです。
ローマの骨董商から数度所有者が変わりましたが、1979年にクリスティーズで競売に掛けられた後、1985年にサンディエゴ美術館が50万ドルで購入しました。現在、ルネッタは同美術館で一般公開されてます。
ルネッタ以外のパネルですが、一部は個人蔵となっており、それらの詳細が不明です。その他のパネルは行方不明となってます。


5
ブレラ絵画館所有のメインパネルですが、同美術館保有のまま、アルチェヴィアのサン・フランチェスコ教会に戻されたという説があるようです。

イタリア国外の美術館で展示されているルカ・シニョレッリの作品については、私が分かる範囲でできるだけ触れたいと思います。
(つづく)

25.ヴェネツィア
1
イタリア観光地で人気第一がヴェネツィアでしょう。


2
難点は人が多過ぎ。そのうちの一人が私ですから、不平は言うまいと自分自身に言い聞かせてます。


3



カ・ドーロ、ジョルジョ・フランケッティ美術館:
11
カ・ドーロが見えてきました。


12


13
カ・ドーロは美術館として一般公開されてます。


4
美術館の入り口


9
ジョルジョ・フランケッティ男爵の肖像

ジョルジョ・フランケッティは、大資産家の美術コレクターでした。彼の収集物が展示の大半を占めてます。


15
カ・ドーロ地上階
ここが大きな見所ですが、アクア・アルタの際には閉鎖されます。


5
ルカ・シニョレッリの作品(但しAmbito di)が1点あります。


6


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Ambito di Luca Signorelliの「キリストの鞭打ち」


8
ルカ・シニョレッリの甥フランチェスコ・シニョレッリの作品説があります。
フランケッティ男爵がフィレンツェの収集家から購入したものです。
 

14


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ミラノ、ブレラ絵画館の「鞭打ち」に似ています。


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カ・ドーロからの眺め


ヴェネツィアには、この他にチーニ財団の「ヴィラマリーナの聖母」があるのですが、作品帰属について色々議論があるので、ここでは取り上げないことにします。
22
ジョルジョ・チーニ財団の「ヴィラマリーナの聖母」
ピエロ・デッラ・フランチェスカ派逸名画家の作品ですが、ルカ・シニョレッリの作品説もあります。




26.スポレート
18
スポレートは、人口36,004人(2025年4月30日現在)のウンブリア州ペルージャ県にあるコムーネです。


21
見所が豊富な街として知られてます。


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ドゥオーモ


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ドゥオーモに描かれた、遺作となったフィリッポ・リッピのフレスコ画(彼の墓がドゥオーモにあります)



サンタガタ修道院教会:
22
サンタガタ修道院教会の複合施設です。


23
写真右がサンタガタ教会です。


24
サンタガタ教会ファサード下の柱廊


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サンタガタ修道院教会の複合施設は、修道女のためにローマ時代の遺跡の上に11世紀に建設されました。


26
19世紀初頭、ナポレオンのイタリア侵攻に伴う抑圧令によって、修道女は追放されるとともに複合施設は閉鎖されました。
修道院だった建物は刑務所に転用されるなどの過程を経て、現在は国立考古学博物館になってます。


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ローマ劇場の一部に建設されたサンタガタ教会の後陣


27
スポレートにルカ・シニョレッリの作品はありません。
サンタガタ教会の主祭壇画はルカ・シニョレッリの作品でしたが、複合施設が聖別されなくなってから作品が行方不明なのです。
作品自体については、制作依頼契約書、制作費支払い記録が残されているので確実であり、ルカ・シニョレッリの作品がサンタガタ教会の主祭壇にあった記述もあるのです。
マルチェッロ・ヴェヌーティ枢機卿とルカ・シニョレッリとの1485年1月10日付の契約書によれば、「腕に幼きキリストを抱く聖母、大天使聖ミケーレ、洗礼者聖ジョヴァンニ、跪く聖アガタと聖クララ、そして殉教の聖アガタと聖ヤコポ」を描くこと、制作費は60フローリンで、着手金20フローリン、製作途中に20フローリン、完成後引き渡し時に20フローリンを支払うことになっていました。
当時のスポレート司教フランチェスコ・デ・エルリスによる3度にわたるルカ・シニョレッリへの支払い文書があります。


29
女子修道院だった建物


30
建物内に残るフレスコ画
(つづく)

24.サンセポルクロ
1
サンセポルクロは、人口15,182人(2025年4月30日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネです。


2
見所が多い街として有名です。


3
何と言っても、サンセポルクロと言えばピエロ・デッラ・フランチェスカ(ボルゴ・サンセポルクロ、1412-1492)に尽きると思います。
写真はサン・フランチェスコ教会です。


5
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」がサン・フランチェスコ教会にありました。


6
ドゥオーモ


4
ピエロ・デッラ・フランチェスカの数学上の弟子ルカ・パチョーリ像


①サンタントニオ・アバーテ教会
7
サンタントニオ・アバーテ教会です。


8
Compagnia di Sant’Antonio Abateによって1345年から1366年にかけて建設されました。


21
ファサードのルネッタ上の彫刻


9
この教会の主祭壇画がルカ・シニョレッリの作品です。


10
教会の案内板には「ルカ・シニョレッリの作品がある」とは全く書かれていません。


11
サイド・ポータルから中に入ります。


12
主祭壇にルカ・シニョレッリの作品がありました。


13
ルカ・シニョレッリの主祭壇画は、Stendardo(旗)になっていて、表裏両面に描かれているのです。


14
後陣への立ち入りが禁止されているので、裏面を見ることが出来ません。


15
では、裏面を見るのはどうしたら良いか?


16
ルカ・シニョレッリの「磔刑」(1502-05c)


17
1505年5月22日、ボルゴ・サン・セポルクロのサンタント二オ・アバーテ同信会はサンタント二オ・アバーテ修道院長に対して、旗の制作を適切な値段で注文する権限を与えました。その時には、既にルカ・シニョレッリとは話が付いていたものと思われます。
5月22日以降に権限を与えられた修道院長は正式にルカ・シニョレッリに注文したとされてます。
両面に描かれたキャンバスを旗として縫い上げて一つにするための糸の支払い記録が1506年12月8日付であるので、それ以前に完成したと思われてます。
旗として使用されないときには教会の祭壇画として使用するために、額縁が1532年から1533年にかけて制作された記録が残されてます。
ルネッタの「父なる神」は、1561年に額縁の金メッキと併せてラファエッリーノ・デル・コッレに注文され制作されました。


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ルカ・シニョレッリの「聖アントニオと聖エリージョと注文者」(1502‐05c)
こちらがStendardoの裏面です。
旗なので、キャンバスに描かれてます。


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ルネッタは、ラッファエッリーノ・デル・コッレ(ボルゴ・サンセポルクロ、1495-1566)の「父なる神と二天使」


22
実は、ルカ・シニョレッリのStendardoは、不定期に取り外されて市立美術館で展示されることがあり、その時は裏面も観ることが出来るのです。
以前は、この旗は市立美術館で常設展示されていました。


➁市立美術館
23
サンセポルクロのMuseo Civicoです。


24
Museo Civicoにはルカ・シニョレッリの作品がありませんが、前述のようにサンタントニオ・アバーテ教会のルカのStendardoが取り外されて市立美術館で展示されることがあるのです。
ということで、Museo Civicoに敢えて触れることにします。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品が展示されてます。


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28


29
真ん中の欠落した部分にあったのが、ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」です。


30
(つづく)

23.アレッツォ
1
アレッツォは、人口96,526人(2025年4月30日現在)のトスカーナ州アレッツォ県の県都です。


3
中世の美術でもアレッツォは有名です。


2
パリオでも有名です。


4
美術ファンにとって必訪のサン・ドメニコ教会


5
珠玉の作品があるドゥオーモ



①国立中世近代美術館 Museo Nazionale d'Arte Medievale e Moderna
6
Palazzo Bruni Ciocchiです。


8
ブルーノ家の邸宅として建築家ベルナルド・ロッセリーノ(セッティニャーノ?、1407/1410‐フィレンツェ、1464)の設計によって15世紀中頃に建設されました。


7
1972年、この建物に国立中世近代美術館がオープンしました。


9
ルカ・シニョレッリの作品が2点あります。
実は、この他にフォイアーノ・デッラ・キアーナのサンティ・マルティーノ・エ・レオナルド参事会教会のルカ・シニョレッリと工房の「聖母戴冠と聖人たち」(1522-23)のプレデッラの一部「聖マルティーノの遺体の搬送」と「狂牛病から悪霊を除く聖マルティーノ」が保管されている筈ですが、私の知る限り展示されたことがないと思います。このプレデッラの一部が1978年に盗まれ、行方不明となってますが、その時に盗まれなかった、プレデッラの残りの2パネルが、盗難防止が十分な場所に保管されるべきということで、同年にアレッツォの国立中世近代美術館に移されました。


10


11
ルカ・シニョレッリと工房による「天上の聖母子と聖人たち」(1518-19)


12
この作品は、1518年3月にアレッツォのサンタ・マルゲリータ修道院の修道女たちによって注文され、1519年8月に完成し、その時70フローリンの制作費の最終支払いが行われました。支払いですが、一般的に注文時(契約締結時)に着手金を、中間時に、それに完成時と分割払いが多かったようです。


13
また、ルカ・シニョレッリが活躍していた時代、祭壇画はプレデッラ付きが多かったのですが、この作品もプレデッラが付いていたと考えられてます。
そのプレデッラですが、アレッツォのMuseo Diocesanoにある「聖母マリアの物語(聖母誕生、神殿奉献、聖母の結婚)」がそれであると考えられてきました。(Museo Diocesanoについては後述)しかし、近年になって別説が唱えられてます。


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次の作品です。


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ルカ・シニョレッリと工房による「天上の聖母子と父なる神と聖人たちと予言者たち」(1519-23)


19
この作品が完成し、ルカ・シニョレッリがコルトーナからアレッツォに運んできた時の、ジョルジョ・ヴァザーリの記述で有名です。
アレッツォのサン・ジローラモ同信会から1519年9月19日に制作費100フローリンで発注されました。同日付で締結された契約書にプレデッラの内容まで書かれてます。


20
伝統的にルカ・シニョレッリの最後の作品と言われてますが、フォイアーノ・デッラ・キアーナのサンティ・マルティーノ・エ・レオナルド参事会教会の「聖母戴冠と聖人たち」が記録に残る最後の作品であるとも言われてます。


21


22
18世紀に入ると、サン・ジローラモ同信会の会員減少とサン・ジローラモ修道院教会の修道士の減少によって、活動が不活発となり、建物が徐々に荒廃しました。18世紀末、ナポレオンのイタリア侵攻に伴う抑圧令によって修道院教会は閉鎖されました。ナポレオンの失脚後、一時的に活動が再開されたものの、修道士の大半が戻らず活動が停止されました。
この祭壇画は1815年にサン・ジローラモ教会から取り外され、アレッツォのサンタ・クローチェ教会に移されました。1819年、祭壇画はサンタ・クローチェ教会からアレッツォのサント・スピリト教会に移されました。1849年、サント・スピリト教会にあった、この祭壇画は売りに出され、メインパネルだけがアレッツォの市立美術館(国立中世近代美術館の前身)の所有となりました。
その際のプレデッラの所有については良く分かりませんが、所有者が何度も変わったようです。1886年から1887年にかけて、このプレデッラを所有していたドイツの美術史家で収集家でもあったジャン・パウル・リヒターがアレッツォのサン・ジローラモ同信会から注文された祭壇画のプレデッラと特定したのです。
リヒターは、プレデッラを美術品収集家のルートヴィヒ・モンドに売却しました。モンドの遺言によって、1924年に、このプレデッラを含むモンド所有の美術品がナショナルギャラリーに遺贈されたのです。


12
この祭壇画のプレデッラです。所有者が何度も変わるうちに、プレデッラの右側が切り取られました。
(ロンドン、ナショナルギャラリー蔵)


24


23



②Museo Diocesano
14
アレッツォのドゥオーモの向かい側の写真です。


13
写真右端の建物は司教館です。ここにMuseo Diocesanoが置かれてます。


15
中々の展示を誇るMuseo Diocesanですが、不人気のようで入館者を見かけることが滅多にありません。


16
ルカ・シニョレッリと工房によるプレデッラ
ルカの手は殆ど入ってなくて、工房によって制作されたとされてます。
このプラデッラは、長い間アレッツォのサンタ・マルゲリータ修道院の修道女たちから注文された祭壇画のプレデッラであると思われていました。今でも、その説は有力ですが、近年、ワシントンにある小さな祭壇画のプレデッラであるとの説が唱えられました。


17
プレデッラの聖フランチェスコ


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聖母の誕生


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聖母の神殿奉献


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聖母の結婚


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シエナの聖ベルナルディーノ

メインパネルとプレデッラがアレッツォに存在するのが自然と思うので、私はこのプレデッラはサンタ・マルゲリータ修道院の修道女から注文された祭壇画説を支持したい。



③サン・フランチェスコ聖堂
25
サン・フランチェスコ聖堂はアレッツォ観光の人気スポットです。


26
美術館の扱いがされてます。地元の人にとっては信仰の場なので無料で中に入ることが出来ます。


27
サン・フランチェスコ聖堂にはルカ・シニョレッリの作品がありません。しかし、長らく(最近まで)ルカ・シニョレッリの帰属作品とされていたフレスコ画があります。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画が有名です。


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こちらが長らくルカ・シニョレッリの帰属作品されていた「受胎告知」です。ルカ・シニョレッリの最初期の作品とされていました。


31
研究が進んで、今ではマッテオ・ラッポーリ(アレッツォ、1450-1506)の作品説が定説となってます。


32
私はルカ・シニョレッリの帰属作品と信じて鑑賞していた時がありました。
(つづく)

21.ベルガモ
11
ベルガモは、人口120,483人(2025年4月30日現在)のロンバルディア州ベルガモ県の県都です。


12
丘上に築かれたチッタ・アルタと丘下のチッタ・バッサから街は構成されてます。


13
チッタ・バッサとチッタ・アルタを結ぶケーブルカー


14
1428年にヴェネツィア領に組み込まれ、ロンバルディアと接するヴェネツィア共和国西端の街として栄えました。
非常に見どころが豊富です。



カッラーラ美術館:
15
美術収集家で、裕福な貴族ジャコモ・カッラーラ伯爵(ベルガモ、1714-1796)が収集した美術作品が展示されてます。


16
個人が収集した作品のための美術館としては、その質と数においてイタリアでは最高の位置されるものの一つです。
ルカ・シニョレッリはベルガモとは直接の関係がなかったと思われます。
カッラーラ伯爵が収集したルカ・シニョレッリの作品が3点あります。


4
展示される作品や展示室が時々変更されてます。


3


1
ルカ・シニョレッリの「聖セバスティアーノ」「聖ロッコ」(1515-20c)


2
祭壇画の台座に描かれたという説が有力となってますが、その祭壇画に関しては全く分からないとされてます。
制作者がルカ・シニョレッリと工房となってますが、親方ルカが台座を描くことは滅多になかったことから、これはシニョレッリ工房(フランチェスコ・シニョレッリの可能性が高い)の作品とされることが一般的です。
1892年、美術史家・収集家ジョヴァンニ・モレッリの遺言によって寄贈されました。


6
この時は展示室が変わっていました。


5


7


8


9


10
ルカ・シニョレッリの「聖母子」(1510-15c)
制作された経緯が全くの不明です。「聖セバスティアーノ」と「聖ロッコ」と同じく、美術史家・収集家のジョヴァンニ・モレッリが所蔵していました。

美術館は長らく修復工事が行われて閉館していました。再開館後、この作品を見たことがありません。


17
ヴェネツィア派画家たちの作品が充実してます。


18
モローニの肖像画が揃ってます。



22.フォイアーノ・デッラ・キアーナ
19
フォイアーノ・デッラ・キアーナは、人口9,065人(2025年4月30日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネです。


20
レオナルド・ダ・ヴィンチなどルネサンス期の芸術家所縁の地です。


21
Palazzo Comunale


22
市の塔



サンティ・マルティーノ・エ・レオナルド参事会教会:
23
この地にサン・レオナルド教会がありましたが、経時劣化のために取り壊され、その上に1512年から創建され、1514年に身廊、後陣が完成し、1514年にCollegiataに昇格しました。昇格を機に聖マルティーノと聖レオナルドに捧げるようになり、教会名が現在の様に変更されました。
ファサードが1563年に完成しました。1796年に現在の姿に改造されました。


24
サンティ・マルティーノ・エ・レオナルド参事会教会にルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


25
単廊式、ルネサンス様式の内部です。


26
左第二礼拝堂


27
左第二礼拝堂の祭壇画はルカ・シニョレッリの作品です。
ご覧のようにプレデッラ部分が空になってます。この祭壇画にはプレデッラがありましたが、1978年にその一部が盗難にあい、今でも行方不明です。盗難を免れた、残りの裾絵パネルは、盗難防止のためにアレッツォの国立中世近代美術館に移されました。しかし、私の知る限り、同美術館で展示されたことがないと思います。


28
ルカ・シニョレッリの「聖母戴冠と聖人たち」(1523)


29
最晩年の作品です。
1522年3月24日に制作費90ドゥカートで発注され、1523年6月14日に最終支払いが行われました。
最晩年の作品は工房が主体となって制作されましたが、この作品も例外ではなく、制作の大部分は工房によると考えられてます。


30
美術的に見所が幾つかある教会です。


31
左側壁の礼拝堂にルカの作品があります。
(つづく)

19.ピエンツァ
1
ピエンツァは、人口1,914人のトスカーナ州シエナ県にあるコムーネです。


2
第210代教皇ピオ2世(コルシニャーノ、1405-アンコーナ、1464 教皇在位:1458-1464)によって築かれた町です。旅の途中で通った、生まれ故郷であるコルシニャーノがあまりにも寂れていたので立派にしたいと考えたそうです。


3
ピエンツァの城壁外にあるサンティ・ヴィトー・エ・モデスト教区教会です。この教会はピエンツァの城壁外にありましたが、ピオ2世の時代、コルシニャーノのドゥオーモに相当していました。つまり、当時、コルシニャーノの中心はこの教会とその周囲だったのです。
新しく築かれた街は、ピオ2世に因んでピエンツァと名付けられたのです。


4
ピエンツァのドゥオーモ


司教区美術館 Museo Diocesano:
5
ドゥオーモのファサードに向かって左側にPalazzo Vescovileが建ってます。


6
教皇ピオ2世が、教皇に謁見するためにピエンツァを訪れる司教などの高位聖職者のための宿泊設備として15世紀に建設されました。


7
Palazzo Vescovileに司教美術館が置かれてます。


8
Palazzo Vescovileの中庭


9
ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


10
Museo Diocesanoは階上に設けられてます。


11
ルカ・シニョレッリの「慈悲の聖母」(1490c)
この作品はピエンツァのサン・フランチェスコ教会にありました。


10
ピエンツァのサン・フランチェスコ教会


11
サン・フランチェスコ教会の内部


12
聖セバスティアーノとシエナの聖ベルナルディーノが描かれてます。


13
制作に纏わる詳細が不明のようです。


14
ピエトロ・ロレンツェッティを始めとする傑作が展示されてます。


15
ピエンツァはただ小さなコムーネなので、長逗留はお勧めできません。(一泊でも退屈?)


29




20.モントーネ
16
モントーネは、人口1,548人(2025年4月30日現在)のウンブリア州ペルージャ県にあるコムーネです。


17
チッタ・ディ・カステッロ、ウンブリティデに隣接してます。


18
ルカ・シニョレッリにとって、何かと関係があったチッタ・ディ・カステッロ、ウンブリティデに隣接しているモントーネですから、モントーネからの制作依頼は当然でしょう。


19
モントーネのドゥオーモ、グレゴリオ・マーニョ参事会教会です。


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Torre Comunale

現在、モントーネにはルカ・シニョレッリの作品が1つもありません。ルカ作品の複製画があるだけです。しかし、その複製画の本物がありました。


コムナーレ美術館:
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サン・フランチェスコ修道院教会の複合施設です。


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教会のメインポータル


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複合施設のキオストロ


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複合施設にコムナーレ美術館が設けられてます。


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サン・フランチェスコ教会のフレスコ画や絵画が展示されてます。


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ルカ・シニョレッリの「聖会話」(1515)

この作品はモントーネのサン・フランチェスコ教会の主祭壇画として注文され、その後、約200年に渡って主祭壇を飾っていました。その後、行方不明となっていましたが、19世紀中頃に発見されました。作品の状態は非常に悪かったそうで修復されたのですが、1901年に売却されました。
現在、この作品はロンドン・ナショナル・ギャラリーの所有となっており、同ギャラリーで公開されてます。
この作品の複製画が制作され、モントーネのコムナーレ美術館で展示されてます。(写真は本物作品)


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このフレスコ画はルカ・シニョレッリと関係ありません。


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(つづく)

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